BATTLE ROYALE 7




 少女が二人。
 突然のあたし―――八王子智―――の出現に、驚きを隠せないようだ。
 そしてすぐに、一人の少女が、もう一人の少女を庇うように、すっと一歩前に出た。
 でも、そんなことどうでもよかった。
 あたしは…後ろで怯える少女に、完全に目を奪われていた。
 夜二十一時。12階。
 少女二人は、おそらく飲食室から出てきたんだろう。あたしも今、そこに向かうとこだった。やっぱり人間、食べないと生きていけないもんね。
 でも、そんな食欲すらも、消え失せた。
 その少女を見た瞬間、何もかも消えた。唯、一つの欲を残して。
 あたしが中型の銃を二人に向けて構えると、二人はビクリと身を強ばらせた。
 反応からして、二人とも銃系統の武器は持っていないらしい。立場的には、完全にあたしが優位に立っていると思う。
「………ッ…」
 庇うように立つ少女が、キッとあたしを睨む。あたしの敵意を感じ取ったのだろうか。
 それとも単に、身の危険を感じたのか。
「…あのさぁ、後ろの子置いて、消えてくれない?」
 あたしはとりあえず手前の子に標準を絞り、そう話しかけた。
「な…なんで…?」
「なんでって…、…簡単だよ。君は要らない。後ろの子だけ欲しいの。」
「…イヤだ。…この子には手を出すな!」
 お姫様を守る勇者よろしく、手前の少女は言い放つ。
「あはは。君、男の子みたいだねぇ。」
 真剣な少女の想いを嘲るように、あたしは笑った。
 あたしも、昔はあんなんだったんだぁ。ウザいねぇ。嫌われるのも解かるよねぇ。
「あのねぇ、君、頭悪いみたいだね。あたしの言ってることが命令だってこと、わかんないかなぁ?」
「…!」
 チャッ、とわざと銃の音を立てて、こっちはいつでも殺せるんだよってアピールする。
「せっかく命を助けてあげるって言ってるんだから、早く消えなよ。」
「いや…だ…っ…」
 最初の頃の威勢はどこにいったのか。あたしが脅しをかけると、少女の語気は弱まった。
「…ハル、もういいよ…。……早く逃げて…じゃないと…ハル…!」
 後ろの少女は、涙声になりながら言う。でも、手前の少女…ハルは、強情に動こうとしない。
「早く消えなさい。早く。」
 あたしはキツイ視線を浴びせ、ハルを急かした。
「…う、…イヤだよ…、…イヤだ!」
 パンッ。
 ぢゅっ、って厭な音がして、ハルの頬が削げる。
「…、う、…がっ…!」
 ハルは、そのまま崩れ落ちた。
 致命傷じゃないけど、めちゃくちゃ痛そう。
「いやあ!ハルぅっ!!」
 少女は、崩れ落ちたハルに駆け寄る。
「……!?」
 少女はハルの顔を覗き込んで、顔を顰めた。
 そりゃそうだよね。あんな気持ち悪い顔、見る気になんない。トラウマになること請け合いだね。
「…由…伊、…由伊…逃げ…ろ…。」
「……ユイ?」
 ……ユイ。
 …ユイ?
 ……ううん…違う。
 ……あの子の名前は、千明、だった。チアキ。
 でも…少女…由伊は、
 …あの子に、酷似している。
「ハルっっ!いやあぁぁ…!」
 涙を流しながらも、由伊はハルの顔を見ようとはしなかった。人間って、本当に酷い生き物だよね。
 あたしは崩れ落ちたハルの側に歩み寄り、一旦銃を由伊に向けた。殺すつもりなんて全くないけど。
 由伊は涙をポロポロと零しながらも硬直し、震えていた。やがてあまりの恐怖にか、由伊はきゅっと目を瞑った。
 それを見て、あたしは銃口をハルに向けた。
「早く消えろって言ったのに。タイムオーバーだよ。」
 呟いて、何の躊躇いもなく引き金を引く。
 パン。
 ぐちゃっ、と嫌な感じ。
 ハルの頭が、弾け飛ぶ。
「え…?」
 その音に由伊は目を開けた。
「ヒ…っ……!」
 声を上げそうになる由伊に、銃を向ける。
「大声出したら人が来るでしょ。」
 バカだなぁ、とばかりに言って、立ちなさい、と命令する。しかし由伊は身体を震わせるばかりで立たない。血の匂いと、それに混じる微かな異臭。ハルの血に混じって、透明に近い液体が由伊の周りに広がる。あーあ、失禁しちゃったのか。
 ま、当然といえば当然かな。
 視覚・聴覚・嗅覚・触覚。あともう一個で制覇ってな具合に、ハルの死に侵された由伊。
こうなるのは当然か。
「立ちなさい。」
 あたしは由伊の手を強引に取り、無理矢理立たせた。
 血に塗れた膝が笑っている。
 茫然自失といった感じで、由伊はあたしに手を引かれるままに、まるでマリオネットのようになってフラフラと付いてきた。
 ここで人に会うとちょっとばかり厄介だったのだが、無事誰に会うこともなく、十四階にあるあたしの個室にたどり着いた。
「…あ、……ぅ…、」
 由伊は焦点定まらぬ目で、呆然と立ち尽くしている。返り血を浴びた顔や身体。その姿は酷くみっともない。
「由伊、汚い。服脱いで。」
 あたしの命令も、由伊には聞こえてないらしい。仕方ないので、あたしは先程調達してきたハサミで由伊の洋服を切り取った。
 まだ未発達な胸を、ピンク色のブラが覆っている。ものすごく可愛い。
 ブラとお揃いのピンクのショーツは、失禁によってぐっしょりと濡れていた。
「由伊…。」
 あたしはその顔に触れ、白い頬を舌で嘗め上げた。
「あッ…?」
 由伊は小さく声を上げ、瞳を揺らした。
「由伊、君はあたしの奴隷だよ。」
「…な…んで…?」
 彷徨うように泳いだ視点が、やがてあたしに止まった。
「あたしは君を殺せるの。君はあたしを殺せる?」
 首を傾げて言うと、由伊は小さく首を横に振った。
「そういうこと。」
 あたしが笑むと、由伊はふっと身体の力が抜けたようにぺたんと座り込んだ。
「…は、…ァ……、……ああぁあ……」
 由伊は血に塗れた手で、その顔を覆った。
 …ヤバイなぁ、このまま頭がイカレちゃっても困るんだけど。
「…由伊、大丈夫。あたしが由伊のこと守ってあげる。ハルなんていたくたって、大丈夫だよ。」
 あたしは敢えて優しい言葉を掛け、顔を伏せる由伊を後ろから抱きしめてあげた。由伊は、しばし身体を震わせてすすり泣いた。
「うっ、うあぁぁん…!」
 やがて、あたしの胸に顔を埋め堰を切ったように泣き出した。
 あたしは優しく抱きしめ、背中を撫でる。
 この子、わかってんのかな。ハルを殺ったのはあたしなのに。
 ………多分、理解してないんだろうな。
 ま、冷静になったら色々教え込んであげよっと。
 ………由伊は、あの子。
 あの子と…同じ。
 弱いところ。小さい胸。
 そっくり。
 忘れかけていたのに。
 また、あたしの前に現れるなんてね。
 これも運めイ…カナ。
 チアキ…ユイ…。
 ………アタシノモノ。
 カワイイヨ。アイシテ・アゲル。





『禁止エリアを告知します。
 1−A、3−B、3−C、4−A、5−C、9−C、13−B、14−A、15−A。以上の9エリアです。
 午前0時から十一時間が、禁止時間となります。繰り返します…』
 午後十一時。無機質な声が室内に流れる。おそらく機械で編集した声だろう。微かな望みだった館内放送も、残念ながらプロジェクトの主宰の人物像が浮かび上がってくることはなかった。となれば直接パソコンのメールを使って探りを入れる方法…か。まぁいい、今はそこまで気にする必要もないだろう。それよりも自分の命のほうが優先事項だ。
 放送された区域を、自室に既設されたノートパソコンに打ち込む。そして、そのエリアを地図に示されたエリアと照らし合わせていく。
 2階の備品室、3階の個室、5階の個室、6階の人口庭園の一部区域、8階武器庫、12階個室二部屋、14階個室……か。
 私―――横山瑞希―――の部屋と千理子の部屋、9−A、9−Bは、共に禁止エリア外のようだ。
 とすれば、ひとまずは安心して動くことが出来る。様子を見に行くべきか…しかし、今下手に動くと、自室が禁止エリアになって動き出した参加者と鉢合わせする可能性もないとは言えない。
 それに時間を置くことで、より精神的に追い込まれ、服従させるのも容易い。
 ………。
 ………服従、か。
 何の疑問もなく、そんな考えを巡らせる自分にふと気づく。
 そんなことをせずに殺せば良いのかもしれない。でも、それでは…つまらない。
 あの時、救いを求める千理子を前に、私は決めた。
 人間としての良心など…捨てると。
 ならばすぐに殺してしまえばいいと思うのかもしれない。でも、私はそれでは面白くないと思う。
 もっともっと痛めつけて絶望させる。そして、希望を見せつけてやる。
 ………そして、息の根を止める。
 一瞬垣間見る希望ほど、後に苦しいことはない。
 サディストの血が、猛る。
 ………運が尽きたわね、千理子。





 音もなく、ドアを閉じる。
 私―――幸坂綾女―――は、半日間、この自室に別れを告げる。
 …否、もしかしたら永遠の別れかもしれない。禁止エリアで自らの命を散らすなど絶対に許されない事。けれど、今この瞬間から、私は戦場に身を置くことになるのだ。
 同じ死が待つのならば、私は出来る限りのことをやり、悔いのない死を迎えよう。そうすれば神はきっと、私を迎え入れて下さる。
 ………。
 私の手の中にある武器は、身の長いサバイバルナイフ。相手が銃を持っていた場合、かなり心許ない武器とも言える。
 まずは武器庫と呼ばれる部屋に行ってみることにする。おそらく充填用の銃弾等が置いてあるのだろうが、もしかしたら単体でも使用できる武器があるかもしれない。
 8階にある武器庫か、14階にある武器庫か。8階の方が距離的には短くて良いのだが、あの部屋は十二時に禁止エリアになる。万が一を考えると…14階に行くべきか。
 ……15階には、あの人の部屋がある。
 もしあの人に遭遇したら…はっきり言って、生き残る自信はない。
 けれど、その確率は低いだろう。大丈夫。
 此処は3階。14階まで、どうやって行くべきだろうか。階段かエレベーターかエスカレーターか。
 ………エレベーターはやはり危険すぎる。とすれば、やはりエスカレーターが懸命な選択と言えるだろう。
 腰の鞘を装着したサバイバルナイフの柄を握り締めたまま、頭の中に刻み込んだ地図の図面を思い浮かべながら、エスカレーターに向かった。
 人の気配はない。
 エスカレーターに乗ると、滑るように上の階へと上がっていく。
 4・5・6・7……
 …………事は、11階で起こった。
 12階へと続くエスカレーターへと乗り換えるため11階の廊下に出た時、私とは逆にエスカレーターで上から降りてきたと推測できる人物達。
「…チッ…。」
 女は、私の姿を見て小さく舌打ちした。
 二人の女。二人とも前のプロジェクトの参加者ではない。紛れ込んだ部外者か、一般から選ばれた人物のどちらかだろう。
 航空自衛隊。
 記憶違いが無ければ、二人が身を包んでいるのは日本空軍の制服であろう。若い二人の女は、約5メートル程の距離を置いて、私と対峙した。どちらとも、真剣な表情で私を見据える。戦いに怯えた様子は見せない。軍の人間ならば、ある程度の戦い慣れもしているはずだ。
「…出来れば、消えて欲しいんだけど。私達、人に危害を加えるのは最小限にしたいの。貴女も同じなら、お互いに手を引きましょう。」
 髪の長い女は、私を真っ直ぐ見据えてそう言った。今のところ、二人は武器を見せる気配はない。相手の武器が分からないとなると、下手には動けない。
「………。」
 私は相手の動向を探るため、沈黙した。
「……私達を殺す気があるのか無いのか、教えてくれない?」
 女たちも、私の動向を探るように、そう投げかけるだけだった。
「………貴女達、神を信じる?」
 私は、そう言葉を発した。
「……神?」
 二人は訝しげな表情を見せる。
「……そう、神よ。」
 私は、静かに歩を進めた。
「…!」
 二人は数歩後退する。
「…近づかないで。……撃つわよ。」
 長い髪の女は、腰の後ろに手を遣った。
 …銃、か。
 それならば、明らかに状況は不利だ。
 こちらから手を出さない限り、相手に戦意はない。ならばこの場は身を引くべきか…。

『殺レ』

 ……!

『殺レ』

 …………。

『殺レ』

 ………。
 ………。
 …………ハイ。

「……上に行きたいんでしょ?何もしないって誓ってくれるなら、通してあげるわ。」
 女は銃を構え、言った。
 ………。
「…解かったわ。私も死にたくないもの。貴女も、私に何もしないって神に誓ってくれる?」
「………いいわ。」
 女が頷くのを見届け、私は静かに一歩一歩進んでいく。
 女たちは、更に後退し、緊張した面持ちで私の姿を見つめる。
 私は上へ上がるエスカレーターに乗り、女達から離れていく。
 横目で見やると、女達が早足に下へ降るエスカレーターに向かうのが見えた。
 トンッ。
 私はエスカレーターの手摺に手を掛け、2メートルはあろうかという高さを飛び降りた。
 ズキン。前のフィールドで美雨さんに傷つけられた足が痛みを発する。でも、そんなことには構っていられない。
 下りのエスカレーターにさしかかったばかりの女たちは、
「なっ…!」
 突然のことに驚いた様子で目を見開く。
 ナイフを振りかざし、エスカレーターの乗り口から二人に向けて一気に飛び降りた。賭けにも近い、強引な遣り方。
「くっ!」
 長い髪の女が銃を取り出した時には、私の身体は、二人の女にぶつかり、共々エスカレーターの下まで転げ落ちる。
「…、…っ…」
 私は、終始無言だった黒髪の女に覆い被さるように、地面に落ちていた。
 すぐに体勢を立て直す。
 私のクッションになった黒髪の女は、頭から血を流し、気を失っていた。
 私は手にしていたナイフを女の喉元に当てた。
「やめて!」
 甲高い声。
 長い髪の女は、上半身だけを起こして銃を私に向けていた。
 私は気絶した女の喉元に突きつけたナイフを小さく揺らせ、言った。
「あなたが引き金を引く前に、私はこの女の命を奪うことが出来るわ。…さぁ、どうする…?」
「………お願い、やめて…!」
 女は涙声になりながら、懇願した。
「……その銃を渡せば、このナイフを突き刺すことはしない。」
「…本当に?」
 ………。
 もし今この気絶している女を殺せば、間違いなくあの女は私を殺すだろう。この女を人質にとれば、私の安全も確保されるはずだ。
「本当よ。私はその銃さえ手に入れば、身を引くわ。…さぁ、早く銃を。」
 商談成立……など、するわけがない。
 私の目的は制裁のみ。
 武器など…どうでもいい。
「……少尉だけは…殺さ…ないで…」
 女は震える手で、銃を私に差し出した。
 私は手を伸ばし、その銃を受け取………

 ザクッ。

 ……え…?
 脳に、まるで電気が走ったような衝撃に、私は動きを止めた。…否…、身体が勝手に、まるで電源をOFFにしたかのように…動きを停止した。
『殺レ』
『殺レ』
『殺レ』
 声が、頭の中で響く。
 私の手にしたナイフは、気絶した女の喉にほんの小さな切り傷だけを残し、カランと響いた音をさせ、床に滑り落ちた。
 ドサリ、と。
 身体が、まるで人形になったように、糸の切れたマリオネットのように、崩れ落ちた。
「その遣り方は強引過ぎるんじゃない? …綾女。」
 ………!
 この…声は…。
『殺レ』
『殺…』
『……』
 脳裏に響く声が、消えていく。
 耳に残るのは、あの人の…声…。
「私が居なかったら、高確率で貴女は死んでいた所よ。」
 その声は、遠くのような近くのような。
 わからないけど、鮮明に聞こえる、その声。
「…まぁ、私が居てしまったから、その確率は『100%』になったんだけれど。」
 …そう。
 貴女が…私を…。
 ………。
「…か…、……神崎、美雨…!?」
 驚愕し、怯えるような女の声。
「逃げてもいいわ。そこの気絶している女の子も連れて。その代わり、そこに落ちてる銃、置いていってくれる?」
「……」
 ズルリと、側に置いてあったもの……
 …気絶した少女の身体が無くなって、ふっと冷たい風に晒された。
 足音が地響きのように脳に響き渡る。
 やがてそれも消えた頃、
 ふと、私の頬に暖かいものが触れた。
「………?」
 それが美雨さんの手だと、しばらく理解できなかった。だって美雨さんの手は…あんなに冷たかった…のに…。
「綾女…。」
 美雨さんの声…、
 これが最後なんだって、…悟った…。
 ピリピリと、後頭部から痺れるような感覚が全身に伝わっていく。『何か』が、私の脳を破壊しているのだと、ようやく解かった。
「……みさ…め…、…さ、ん…?」
 目が、見えない。
 音も、聞こえない。
 匂いも、しない。
 味も、しない。
 破壊されていく。
 蝕まれていく。
 もうすぐ死ぬんだって、理解した。
 もうすぐ、神のところへ…。
 ………行けるの…?
 ………行かなくちゃ、いけないの?
 ………イヤ…行きたく、ない…。
 美雨さん…、私…行きたくない…。
 ……あ…?
 ………。
 消えたのは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚。
 でも…触覚だけは…未だ、残っている。
 頬を撫でる暖かい手。
 そして、静かに触れた、唇の温もり。
 美雨…さん…。
 …ごめんなさい…、…行きたくない、だなんて…もう、言わない。
 そう…美雨さんのくれたキスで…すべて、理解できたわ…。
 私は…美雨さんを…愛している。
 美雨さんにキスをもらえただけで、もう十分なの…。
 我が侭を言って、ごめんなさい。
 …愛しているわ……。
 ううん、それよりも……伝えなくちゃいけないこと……。
 ………ありが、とう…。
 美雨…さん…、……ありがとう……。
 愛してくれて…ありがとう…。





「美雨…。」
 食い入るように、美雨の動向を写すディスプレイと、その感情をデータ化したグラフを交互に見ていた私―――闇村真里―――は、感嘆の息を漏らす。
 躊躇いもなく殺した女にくちづけし、既に息の無い死体を愛でるように撫でる。
 ……それでも、美雨の感情値は一更に変化を見せなかった。
 ……普通の人間では、まず有り得ない。
 何の感情もなく人を殺す所までは、まだ理解出来る。でも、今美雨が行なっている行為は、何か思うところがあっての行動はずだ。
 今死んだ女…確か幸坂綾女とか言ったか。
 彼女とは、美雨は一度身体を重ねていると聞いた。その時のデータも欲しいところだが、残念ながら残っていない。
 ………しかしおそらくは、今と同じような結果が残るだけだろう。
 美雨は異常だ。異常などという言葉では片づけられない。人知を超えると言っても過言ではないだろう。この私が感情を抑制したとしても、こんなデータは絶対に残せない。
 美雨の感情を変化させる術。
 ……おそらく、それは至難の技だろう。
 何かきっかけを与えてやらなければ。
 そしてそれが出来るのは……
 この私だけ。
 ………いいわ。
 もう少しだけ動向を見守りましょう。
 ……頃合を見て、美雨と接触を図る。
 リアルタイムでデータの観測が出来ないのは残念だけど、仕方がないわね。
 ………美雨。
 貴女は…正真正銘の天才でしょうね。
 ……でも、私を超えることは出来ないわ。
 私こそが、真の天才なんだもの。
 そうよね…美雨?





「奇跡的…かもね。」
 虚ろな意識の中、鴻上さんの声に私―――叶涼華―――は、目を覚ました。
「………鴻上…さん…?」
「…! 少尉!大丈夫?」
 目を開けると、心配そうに私を覗き込む鴻上さんの顔があった。
 ……それが、あの時の光景とよく似ていてなんだか恥ずかしくなり、寝返りを打とうとして、ズキンと響くような頭部の痛みに襲われた。
「うっ…!」
「動いちゃだめよ…頭、怪我してるから。」
「……あぁ…、そっか…」
 私は、静かに目を閉じた。
 あの時、気絶してしまったんだ。
 あの…修道服を来た女性に襲われて…。
「……奇跡的…だったの?」
 私は薄目を開け、鴻上さんにそう尋ねた。
 よくわからないが、鴻上さんが私を助けてくれたのだろう。
「そうよ!…だって、あの神崎美雨が見逃してくれたんだもん。」
 ………。
「…かっ…神崎美雨…!?」
 驚いて大声を上げていた。と、自分の大声が頭の中で反響して、グワングワンと痛みが響き渡る。
「……そう。あの修道服の女、幸坂綾女とかいう名前だったらしいんだけど、あの人、…その…死んじゃったみたいなの。」
「え…?」
「それがね、あたしもワケわかんないんだけど……。……あの女、少尉の喉の所にナイフ当ててね、銃を渡せば殺さないって、そう言ったの。それで渡そうとした時に…、その……いきなり、倒れちゃって。」
「…倒れた…って?」
「パッとしか見てないからよくわからないんだけど…あの人の頭に、…メス、みたいなものが刺さってて…。」
「メス……。」
「それで、エスカレーターの上に神崎美雨がいて…銃を置いていけば逃げていいって言うから…置いて、来ちゃった。銃より、少尉の命の方がずっと大事だから…!……ご、ごめんなさい。やっぱり武器をなくしちゃったら…」
 申し訳なさそうに言う鴻上さんに、
「いいえ、正しい判断です。……ありがとう、鴻上さん…。」
 と、感謝を込めて言った。今の私は頭をさげることすら出来ず、小さく微笑むのが精一杯だった。
「…少尉…。」
 鴻上さんはつられるように微笑んで、私の顔の側に、添い寝するように頭を落とした。
「…あぁ、そういえば…此処、どこ…?」
「うん?ここはね…」
 耳元で囁くような声に少しドキドキした。
「えっと、11階の空き部屋みたい。11−B……かな?」
「そう…。」
 大体の疑問が解決すると、何だかほっとしたような、それでいてどことなく不安な気持ちに襲われた。
 しばらくぼんやりした後、私は言った。
「ねぇ、鴻上さん…」
「うん?なぁに?」
 囁くような返事に、私は思い切って、想いを口にした。
「あのね、…、……キス、…して…?」
「………えっ!?」
 鴻上さんは、驚いた様子で身体を起こし、私の顔を見る。
「あ、いやなら…いいよ?」
「何言ってんの!いやなわけないでしょ!バカねぇ。」
 そう言うと、鴻上さんは嬉しそうに笑んだ。
 この笑顔…いいなって…思ってた…。
 私は…こんな笑顔、できないから…。
 鴻上さんは、その細い指で私の前髪を梳き、そっと額にくちづけをくれた。そしてふっと微笑むと、唇を重ね合わせた。
 化粧っ気がなくてなにも手を付けてない私の唇とは違って、鴻上さんの唇はいっつも艶やかで瑞々しくて、キレイだなぁって思ってた。前に一度そのことを話したら、「そりゃ日頃の努力の賜物よ。」って笑ってた。私は自衛隊のハードスケジュールだけでも精一杯だったのに、いろんなことに気を使ってる女らしい鴻上さんを、密かに尊敬してた。
 そんな彼女が…私を想っていてくれたなんて。私、気づきもしなかった。
 ビックリして、何も言えなくて、後で悪いことしちゃったかなって…気にしてた。
 恋なんて、したことないから分からない。
 わからないけど…私………
 ………。
 鴻上さんに初めてのキスをされて……、
 嫌じゃ…なかった。
 …ううん、嬉しかった。
 もし…、…もしも…
 私達の命が限りあるものなのならば…、
 私は……。
「………鴻上さん…、シても、いいよ。」
「え…?」
 きょとんとした表情で、私を見る鴻上さん。
「……その…、…なんていうか…、…………。」
「…何…を?…キス?」
 首を傾げて尋ねる鴻上さんを、私はぐいって抱き寄せた。
「…私を…女にして…。…お願い。」
「…しょ…うい…?」
「………。」
 心臓がうるさいくらいにバクバク言う。
 あぁ、いきなりこんなこと言うなんて、エッチな女だと思う?幻滅する?
 ……嫌いに…なっちゃう…?
「あのねぇ……」
 鴻上さんは身体を離し、少し呆れたように言う。
 あぁ…やっぱり言い方が悪かった…?
「女にしてってのは、男の人に言う言葉よぉ。素直にエッチしようって言えばいいのにな。相変わらず生真面目というか何というか。」
 鴻上さんは、物知り顔で言った後、クスクスと笑った。
「あ、…え…?」
 私が戸惑っていると、彼女の指は、私の上着のボタンを一つ一つ外していった。
「……イく時は、あたしの名前呼んでね。ミツコ……って。」





「見つけた…!」
 律子さんが、その後ろ姿に声を上げる。
「藍子!あたしよ、律子よ!」
 律子さんの声に、女性はゆるりとした動作で振り向いた。
 私―――榎本由子―――は、その姿にドキリとした。初めて会った時の、あの神秘的なオーラ。
 大きな窓(といっても黒いフィルムが張ってあるんだけど)の外を見つめるように立っていた女性…悠祈藍子さん。
「律子…さん…? それと…」
 ポツリと呟いた藍子さんに、
「あ、私、榎本由子です。えっと、…お元気そうで何よりです。」
 改めて自己紹介などしつつ、無事発見できた喜びに、笑みがこぼれる。
 ここは、15階の最上階にある展望室。
 十二時に禁止エリアになった藍子さんの部屋。そのことを心配して、私達は彼女を探すためにやってきたのだ。藍子さんの部屋は14階にあったので、そこまでで居そうな部屋を見ていったのだが居なかった。そして最後にたどり着いた展望室で、ようやく彼女の姿を発見できたわけである。
「ここ、結構危ないんじゃない?隠れるところとかないし…。来たのがあたしたちじゃなかったら、ヤバかったと思うよ?」
 心配そうに言って、藍子さんの方へ歩いていく律子さん。
 ……その足が、突如止まった。
「え……?」
 凍りついたように動かない律子さんに、後ろをついていった私は危うくぶつかりそうになる。
「どうしたんで…」
 私の言葉に被せるように、
「貴女達なら…どうして“ヤバくない”の?」
 藍子さんが言った言葉。
 ……私は、耳を疑った。
 私は、律子さんの背中越しに藍子さんの姿を見た。
「……!」
 目を見張った。我が目を疑うような光景。
 藍子さんは、あくまでも無表情に、私達を見ていた。
 ………その手に、小さな銃を握って。
「…な…何…やってんの?……なんで…?」
 律子さんの声が震えていた。
「だ、だって…あたしたち…。ねぇ?…一緒に、温泉入ったじゃない?いろんなこと話したじゃない?一緒に死のうって…それで…」
「…それで?」
 別人のよう……でも、なかった。
 そう、あくまで藍子さんは、冷静な人。
 ……無表情で、感情のない声。
 あの時と…何も変わらないじゃない…。
「それ以上の何があるの?私達はたった一晩一緒に過ごして、一緒に死のうとした…それだけの関係でしょう?」
「だ…だからって…、こんな馬鹿げたゲームに乗るっていうの!?」
 チャッ、と音がした。
 多分あれは…安全装置を外した音。
 それは、藍子さんが唯の脅しで銃を私達に向けているだけじゃないってことを…物語っていた。
「不意討ちとか、嫌だから。」
「不意討ち…?あたしたちがそんなことするように見える?」
「見えるわ。」
 ………。
 あの人は…とても冷静な人なんだ。
 きっと…情に流されたりなんか、しないんだ。
「じゃあ、逆に聞くけど…」
 藍子さんはポツリと口を開く。
「貴女は世の中に絶望して、死のうと思ったんじゃなかったの?それだけ思いつめていたんじゃなかったの?もう誰も信じられないって言ってたのは…嘘だったの?」
「……っ…。」
 今度は、律子さんが口を閉ざす番だった。
「まさかあの山奥に殺し合いのフィールドがあって、そこに迷い込んでしまったなんてね。正直驚いたわ。……でも、それは現実。それなら、その現実を認める以外に方法はないの。ゲーム参加者と見做されてしまった以上、私は参加者として…このゲームに乗るまでよ。死ぬ覚悟があるんだもの…そのくらい簡単なことだわ。貴女達とは、覚悟が違うの。」
「……うぅっ…酷いです!」
 黙り込んでいた私は、そこで初めて口を開いた。怒りとも悲しみとも取れぬ、痛い感情を露にして。
 私は律子さんの後ろに隠れることを止め、横に出て…手にしていたボーガンを藍子さんに向けた。
「由子…!?」
 私の行動に、律子さんは驚いたように声を上げた。
「……でもね、私、藍子さんとは違う。…私は律子さんのこと、信じてます。藍子さんとも律子さんとも戦いたくはないです。殺し合いたくなんか…ないです!」
「…なら、そのボーガンを下ろしなさい。」
 藍子さんの言葉に私は首を横に振った。
「…私は、律子さんと一緒に居たい。私、律子さんのこと…好きだから……。だから、私や律子さんを殺そうとするのなら、それが藍子さんだろうと…無抵抗のまま殺されるなんて、絶対に嫌ですから!」
「そう…。でも、甘いわ。わかってるの?ここで生き残ることが出来るのは一人だけ。そんな薄い感情に流されて仲間なんて作ったって…結局、傷つくのよ?自分が死ねば仲間が。仲間が死ねば……自分がね。」
「だからって私は、裏切るなんて出来ない」
「………だから甘いって言ってるのよ。」
 パンッ!
 その音が引き金のように、私は無我夢中でボーガンの矢を放っていた。
「由子!」
 律子さんの声が響く。
 次の瞬間、私の身体は横から押し倒された。
 今まさに発射されようとしていたボーガンの矢が、斜め下に落ちた。
「うっ…く…!」
「ゲームオーバーよ、二人とも。」
 気がつくと、銃を構えた藍子さんが、冷たい目をして私を見下していた。
 私に覆い被さるように倒れた律子さん。ふとぬめる感触に床を見ると、赤い血が…水溜りを作っていた。
 …まさか…律子さん、私を庇って…!?
「……The end…。」
 ポツリと呟いた藍子さん……
 ………の、その背中から、
 弾けるように……赤い血が噴き出した。
「……え…?」
 信じられない光景に、私は瞬きを忘れた。
「…ハァッ…、…The endは…あなたの方です…。」
 女性の声に、私はその声がした方を見た。
 展望室の入り口の所、銃を構えた見知らぬ女性が肩で息をしながら立っていた。
「…大丈夫ですか!?」
 女性は私達に駆け寄ると、私の上に倒れ込んだ律子さんの肩を抱いて、座らせた。
「はぁっ…はぁっ…、…なんとか…」
 律子さんは汗をびっしょりかきながらも、命に別状はないようで、安心した。
「あ…、…藍子さん…!?」
 そばに、藍子さんの銃が落ちていた。
 私はそれを拾って、仰向けに倒れ込んだ藍子さんに駆け寄った。
「…うっ…、…!」
 藍子さんの黒い服のお腹のらへんが、更にドス黒く染まっていた。
「…ころ…すの…?…わたし…を…?」
 藍子さんは、薄く目を開けて私を見た。
「え…?…い、…いいえ…殺しません…ころしません…!」
 …素人の私が見ても…藍子さんの命は、そう長く続きそうにはなかった…。
「…はぁっ…、…あ…、……あのね…、……ひとつだけ…お願い…聞いて…くれない……?」
 藍子さんは、苦しそうに息をしながら言う、
 私は藍子さんの手を握って、
「いいですよ…なんですか?…」
 と、尋ねた。
「あの…ね…、……わたしね…、…好きな…ひとが、…いたの…」
「……。」
 藍子さんは喋るのも苦しそうだった。お腹の傷からは、どんどん血が溢れてきている。見ていて、痛々しくて苦しかった。
「…そのひと…、…わたしの気持ち…気づいてくれな…くて……」
「……。」
 きゅっと藍子さんの手を握る。
 その手は、どんどん冷たくなっていく。
 これが…死……。
「………そのひとと…、…まだ…、…キス、したこと…ないの……。」
「…キス…?」
 藍子さんは、私の方に顔を向けることも止めて、ぼんやりと上を向いたまま、言葉を続けた。
「…由子の…こと…、…そのひとだって…思っても……いい…?」
「…え……?」
 何か答えようとした藍子さんは、ふっと苦しそうな表情を見せ、小さく咳き込んだ。
 すると、その口からピチャピチャと血が零れ出た。
「だか…ら…」
 血で赤くなった唇で、藍子さんは続ける。
「……キス…して、…ほし…い…の…」
「………」
 今にも…藍子さんの命の灯は、燃えつきてしまいそうだった。
「……、……」
 小さく言葉を紡ごうとして、藍子さんはそれを止めた。……これ以上は、話すこともままならないのかもしれない。
 私は躊躇いを捨て、藍子さんの唇に自分の唇を重ねた。
 ……私にとって二回目のキスだった。
 初めてのキスの時、あの人にされたように、私はそっとその唇をついばんだ。
 藍子さんの唇は、震えるほどに冷たかった。
 やがて唇を離すと、藍子さんはふっと息を吐いた。
 藍子さんははじめて、笑顔を見せた。
 その笑顔は儚く、触れると散ってしまいそうだった。……美しかった。
「…あり…がと…、……おに……ちゃ…」
 囁くように言って、藍子さんは静かに目を瞑った。私はその時、その目がもう二度と開かないことを悟った。
 私の手を緩く握り返していた手が…力を失い、静かに落ちた。
 死。
 ………これが…死…なのね…。
 ……これが…。
 ………。
 私は儚く散った命に、静かに黙祷を捧げた。
 やがて立ち上がると、右腕に負ったらしい傷の応急処置を終えた律子さんと、女性が、私を待っていた。
「…由子…、…。」
 律子さんは、その指で私の唇を拭った。
 そうされてから、私の唇が血で濡れていたことを知った。
 藍子さんと交わしたくちづけ。口の中に広がったあの血の味を、私は忘れないだろう。
「……そういえば、あなたの名前、なんて言うの?」
 律子さんは、わざと場を明るくするように、気丈な声で女性に尋ねた。
「あ、はい。私、茂木螢子と言います。前のプロジェクトからの…参加者です。」
 その言葉は、少し意外だった。だって、この人も……凶悪な、犯罪者だなんて。
「…殺し合ったり…憎み合ったり…、…私…もう、そういうの嫌なんです…。これ以上人が死んでいくのが…耐えられなくて…。」
 ……それで…助けて…くれたんだ…。
「でも…やっぱり私って、無力なのかもしれません。…ここに来る途中、死体を…二つ…見ました。顔がなくなった死体…多分、まだ若い女の子と…、…あと…幸坂綾女さん…。私、何も出来なかった…。どっちにしても手遅れだったんですけど…。それに、……また…手を汚してしまいました…。」
 螢子さんは、悲しそうに、でも私達を心配させまいとしてか、笑った。
 私も律子さんも、掛ける言葉が見つからなかった。
「あ、とりあえず、この階に空いた個室があるはずですから、そこで休みましょう。……それに、さっきから吐き気が酷くて…」
 螢子さんの言葉に、私達は頷いた。
 実を言うと、私も吐き気というか、妙な気持ち悪さに胸がムカムカしていた。
 息が詰まるような息苦しさ。
 そして…酷く、心が痛む。
 これが、人の死の重みなのだと、思った。





セカンドプロジェクト途中経過




□SIDE STORY No.5


□SIDE STORY No.6




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