BATTLE ROYALE
Side Story No.6
偏愛
榎本由子の場合
スキスキダイスキ。
あの人のことを考えると夜も眠れない。
いつからだっけ。
私こと榎本由子は、ずっとただ一人の女性の虜だった。
その人の名前は、宮村木綿子。
有名な声優さんである。彼女はあたしにとって憧れ。
とても手の届く存在ではない、遠い人。
一方的な情報と、一方的な愛情。
彼女のことはたくさん知ってるけど、彼女は私のことを何も知らない。
決して報われることのない想い。私の想いは常に一方通行で、行き止まり。
あの人は私のことなんて、その存在すらも知らない。
でも、だからブレーキが利く。
だから私は、この想いを抑えられる。
そう。
一方通行だから、耐えられるの。
けどあの人は、そんな私を更に苦しめる。
天に昇るほど幸せで、ほろ苦くて、痛い想い出を、あの人はくれた。
それは、高校に入学してすぐ。
まだ、眼鏡をかけて、いかにもガリ勉風の姿をしていた頃の話。
私は初めて、あの人の姿を生で見たの。
都内の某アニメショップで行なわれたイベントに、私は胸を高鳴らせて出向いた。
みやむを、生で見るために。
それ以上もそれ以下もないと、思っていたのに…。
「はぁっ…。」
あまりの熱気に、私は息をついた。
鳴呼……最高の気分。
十分ほど前に終わったみやむのトーク&歌のショーは、大盛況のうちに幕を閉じた。
午前に学校が終わってから制服姿のまま直行した私は、運も良かったのだろうか、なんと最前列でみやむのショーを見ることが出来た。
みやむは生で見ると更に可愛くて、心から惚れ直した。たまに目が合った気もするし…あぁ、最高っ!!
熱気に包まれた会場はなかなか冷めなくて、お客さんが減るのもゆっくりなので、私はしばらくその場で待つことになった。
火照った身体を冷ますには丁度良かった。
やがてお客さんの姿もまばらになった頃、私は適当にアニメショップの店内を物色した後、店を出た。
辺りには、紙袋を下げた見るからにオタクな感じの男の人がちらほら。
私もこういう類の人間なのかなぁ…などとちょっとゲッソリしながらも、歩道を歩く。
――その時、ふとアニメショップの脇の細い通路に目が行った。通路の奥から、二人の人間が早足に歩いてくる。
一人はスーツを着流した三十代くらいの女の人で、もう一人は帽子を目深に被り、ジーンズにハイネックとカーディガン。パッと見少年のような風貌。
二人は歩道に出ると、私のすぐ側を横切って、路上駐車してあった乗用車に乗り込んだ。
………?
私は、なんとなくその二人が気になって、立ち止まりその車を眺めていた。
その時、三十代くらいの女性が乗り込んだ助手席の窓が開いた。
女性は私を見る。少し驚いて目を逸らすと、更に驚いたことに女性は私に話しかけた。
「そこのお嬢さん、ちょっといいかしら?」
うっ…なんか因縁つけられた?そんな危なそうな人には見えなかったんだけど…。
しかし、話しかけられては無視するわけにもいかず、私は車に近づいて行った。
「な、なんですか…?」
女性は緊張する私を見てか、微笑んで、
「あなたと話がしたいそうなの、後ろに乗ってくれる?」
と言う。
「え…?え?、…あの…」
意味がわからなくて、私は曖昧に聞き返す。
「いいから。乗って。」
「は、はぁ…」
強引に言われて、私は仕方なく車の後部座席のドアを開けた。そこには、先ほどの少年風の人物がいた。車内でも帽子を目深に被っていて、その顔はほとんど見えなかった。
「し、失礼します…。」
言って、私は車に乗り込んだ。
すると、何も言わずに車は発車する。
「え?あの…?」
私が戸惑っていると、隣に座る少年のような人物が、声を発した。
「驚かせてゴメンね?」
「……?!」
私はその声に驚いて、隣の人物を見た。
人物…その女性は、帽子を外して茶色の髪を散らし、私に笑み掛ける。
「み…みやむ……?!」
そう言葉を発するのがやっとだった。
その女性は…私が誰よりも夢中の、ついさっきまで近くて遠いところにいた…その人。
なんと、宮村木綿子さんだった…。
「さっきのイベント、来てくれてたよね?一番前で。」
「あ、…は、はい!」
コクコクと頷く。
「制服だし若い女の子だし、めっちゃ目立ってたよ。だから気になってたの。何度も見てたの分かった?」
「…見て、くれたんですか?な、何度も?」
まだ夢のようで、その実感がわかない。
けど、確かに目の前にいるその人は、私が大好きな笑顔で、笑ってくれている。
「うん。あたしのファンって、男の人が多いからさ、若い子スキのみやむちゃんとしては、あなたのよーな女の子がイベントにいると、やっぱ嬉しいワケよっ。」
みやむは、意味もないVサインを決めつつ、笑顔でそう言った。
「あ、…あぅ、…光栄です…。」
さっき冷やした身体が、また熱を持ってくる。頭が沸騰したみたいに熱い。
「あ、それで、名前はなんて言うの?」
みやむに…名前を聞かれるなんて。
あまりの感動に身体が震える。
「えっと…あの、榎本由子…です。」
「ユウコ?ユウコちゃんって言うの?うわ、一文字違いだ〜!」
「はいっ!」
そう、前は平凡で嫌いだった名前も、みやむを好きになってからは、好きになった。ユイコとユウコ。一文字違い。そんな些細なことが、妙に嬉しくて。そのことをみやむに言われて、すっごく嬉しかった。
「ねぇねぇ…アタシのこと、好き?」
…!
まるで恋人に問いかけるように、少し甘い声で、みやむが言う。
この…私に。
「す、好き…です。大好きです…私、みやむのこと…その、…」
頭が真っ白なって、言葉があやふや。
「そっかぁ。嬉しいよ!」
みやむのとびっきりの笑顔が、今私のためだけにある。
「どっきりとかじゃないですよね?」
その笑顔を本当に独り占めしたくて、私は思わずそう尋ねていた。
「あははは!違う違う。これはあたしの趣味っていうか、好奇心っていうか。単純にファンのコと一対一で話がしたくて呼んだだけだからね。」
「そうなんですか…嬉しいですっ!」
車は、ゆっくりと都会のビルの間を走っていく。しかし、やがて渋滞に引っかかり、動くスピードが落ちた。
「ありゃ、引っかかったねー。」
みやむが身体を乗りだし、運転手さんにそう言う。
「あの…今からどうするんですか?お仕事とか入ってるんですか?」
「ううん。今日はもうオフだよ。あ、家はどのへん?送ってってあげる。」
「え、い、いえ!そんな…いいですよ。遠いし!」
「遠慮しなくていいって。あたしもヒマしてるんだからさ。あ、家がバレたくないなら最寄りの駅とかでもいいし。」
「す、すみません…えと、浅草の方なんですけど…駅まででいいですからっ。」
「うん、了解。じゃあ、浅草駅に出発!」
みやむはラジオでいつも聞く明るい声で言う。その言葉が、声が、私の耳に直で届いてるんだと思うと、嬉しくて嬉しくて、泣き出してしまいそうだった。
私の家の最寄り駅までは、ここから車で三十分、渋滞してるから、一時間くらいはかかると思う。
その時間ずっとみやむといっしょだと思うと、天にも昇る気持ちだった。
「ね、なんかリクエストあったら何でも言ってね。可愛い女の子のお願いなら何でも聞いちゃうよん。」
「か、可愛いだなんて、そんな…」
赤くなる。身体中の血液がドクドク言う。
「可愛いよっ。バッチリ。……あ、ねぇ、眼鏡外してみて。」
「え?眼鏡ですか…?」
「うん。外して外して。」
みやむのリクエストに応じ、私は眼鏡を外した。視界が少しぼやける。
「あ、やっぱ可愛い!眼鏡っこは眼鏡外したらめっちゃ可愛いっていう定説はやっぱり存在したねっ!」
「ほ、本当ですか?」
「うんっ。眼鏡外した方がいいと思うな。コンタクトにしたら?」
「…みやむがそう言ってくれるなら、そうします!」
「うんうん!」
そう、この言葉に、私は眼鏡をコンタクトに変えた。私はきっと、みやむの言いなりだ。
「由子ちゃん、手ぇ出してみ。」
「え?は、はい。」
私が右手を出すと、みやむは驚いたことに、その手をぎゅっと握ってくれた。
「わわっ…」
驚いて思わず声が漏れる。
「ふふ、どう?嬉しい?」
みやむはまるで楽しむように、薄く笑む。
「……うぅ…感動です…。」
泣き出しそうなくらい、感動に打ち震えた。こんなに嬉しいの、生まれて初めてだ。
「じゃあ、こんな感じは?」
そう言うと、みやむはその手をくいっと引いて、私の身体をみやむの方に引き寄せた。
「あ、……!」
その反動で、私の顔はみやむの肩に寄りかかった。ふわっといい匂いがして、クラクラした。
「可愛いよ〜…ほんっと。」
みやむは私の肩を抱き寄せ、私の額に軽く鼻を押しつける。
こんなこと誰からもされたことないのに、あろうことか、大好きなみやむ…から…。
車はゆっくりと浅草へ向かっていく。
私はみやむに密着してものすごっく緊張しながらも、いろんなことを話した。
まるで、恋人のような時間。
幸せすぎる…。
……どのくらい経ったか、前方に浅草駅が見えてきた。
「あ…着いちゃう…。」
私は思わずそう零していた。
それがものすごく寂しくて、胸がキュンって、痛くなる。
「………寂しいね、もうお別れなんて…。」
みやむの声が、耳に痛かった。
もっとこのままでいたいのに…。
「……由子。」
みやむが、私の名前を耳元で囁く。
頭がポーっとして、何も考えられなくなる。
その時、みやむが私の顎に触れ、顔をくっと押し上げた。
「えっ…!?」
驚いて声を上げたのも一瞬だった。
みやむの唇が、私の唇に触れた。
「……!」
驚いて目を見開く。
みやむは薄く開いた目で微笑み、静かに目を瞑った。
その顔を見ていたい気もしたけど、私もそっと目を閉じる。
唇は数秒間触れ合い、そっと離れた。
「みや…む…。」
なにがなんだかわからなくて、私は彼女の名前を呼ぶことしかできなかった。
「……由子、…あたしのこと、ずっと好きでいてね?」
「……。」
頷く。するとみやむは、満足したように微笑んだ。
「ありがとう。頑張れる。」
車は静かに、浅草駅の前で停車した。
「…バイバイ、由子。」
みやむが、寂しげに笑った。
「…みやむ…、…ずっと元気で…いてね。」
「………うん。」
みやむは私の小指をその小指ですくい、握った。私たちは何秒間か小指を握りあったあと、そっと離した。それはまるで、二度目のくちづけのようだった。
私は、少し肌寒い外気に触れ、地面に降り立った。
手を振るみやむに一礼し、私は車の扉を閉めた。
また静かに走っていく車。
その時、車の窓からみやむが顔を出し、大きく手を振ってくれた。
きゅぅっと、胸が締め付けられる。
私も大きく手を振り返した。
やがて車は角を曲がって、見えなくなった。
その瞬間、じわりと視界が曇った。
涙がポロポロとこぼれ落ちた。
それは悲しい涙であり、嬉しい涙だった。
大好きなみやむ。
ずっとずっと大好き。
ファンと声優の一線を超えてしまった時、私の愛は歯止めが利かなくなった。
彼女の死は…私を絶望させた。
『ありがとう。頑張れる。』
みやむの言葉は、掻き消えた。
あぁ…私はみやむを、守れなかったの。
みやむ。
私は……。
あなたの後を追って逝くことしか……、
出来ない。
………ごめんなさい。
………待っていてね。
みやむ。
………愛してる。
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