『月の行方』








 ―――…小癪な真似を……
 けれど…――まだ

 絶望の連鎖は止まらない。







 冴子 アユム
 ドンッ!!

「―――」

 不意に廊下を歩いていたあたし――東堂冴子――にぶつかってきた小柄な人物。
 瞬いて、視線を落とす。

「ごめんなさぁい。気を付けます」

「なんだ。アユムか。あぁ、気をつけろよ」

 流石にぶつかられて骨が折れたなどと言い出すような、そっちの手の人間じゃない。次回から気をつけてくれれば、それでいい。

 アユムとすれ違って、のんびりと歩いていく。
 のんびりと―――

 あれ?
 ……――?
 あたし、いままで、どうやって生きてきたんだっけ?

 ッ、かしいな。
 どうなってるんだ?

 頭がひどく痛い。
 なんだ、これは、……。

 すとん、と落ちるように、意識が途切れる。
 そこから先はあたしの意識では なかった。





 月子 イズミ
 To:月子
 From:冴子
 Title:
 Sub:
 夜子は死んだ。
 裏切りの丘から落ちて死んだ。

 こんなメールが届いて、私――東堂月子――は呆然と受信画面を見つめていた。
 隣にいるイズミが不思議そうに私を見ていることに後から気づいた。

「……」

 言葉が、出ない。
 言葉に、ならない。
 声が、思考が、ただ、沈黙を守る。
 そう、巡ることを拒絶するように。

 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。

 こんなの冴子の悪質な悪戯に決まっている。
 パチン、と携帯を閉じて、歩みを進めた。

「あ、ちょ、待って下さい、月子先輩」

 イズミの言葉も上の空。

 夜子が死んだわけがない。
 夜子は生きている。
 今もきっと、何処かで、生きている。

 夜子の生が、私の、希望。





 冴子 月子 イズミ
「本当だよ」

 三年生の教室の前。
 あたし――和泉良――は、先刻から様子のおかしい月子先輩に連れられて、此処に来た。そして出くわした冴子先輩の、第一声。

「嘘なんか吐かないよ」

「嘘だ」

「夜子は死んだ」

「嘘だ……」

「死んだんだ」

「いい加減にしろ!!」

 怒鳴る月子先輩と、表情の薄い笑みで頭を揺らす冴子先輩。
 何……?
 どういうことなの?

 夜子さんは、月子先輩と冴子先輩の姉妹。三つ子の、ひとり。
 二年前に"転校"で消息を経って以来、音沙汰はない、らしい。
 あたしも詳しいことは分からない。

「あははッ、そうやって現実から目を逸らすのか?別にいいさ。あたしはただ現実をお前に教えてやるだけさ」

 冴子先輩はいつもと何処か違って見えた。
 気の所為かもしれないけれど、月子先輩を本気で怒らせるような冗談は言わない人だと思っていた。
 月子先輩は、今、明確に怒っている。苛立ちが伝わってくる。

「現実なんかじゃない―――夜子は死んだりしない」

「それはお前の理想の押し付けだ。夜子は人間だろう?そりゃあ、死ぬさ。裏切りの丘から身を投げたんだ。……それが、現実」

 冴子先輩は何故、月子先輩にこの今になって、現実を提示するんだろう。
 認めたくない月子先輩に、教えるべきでは、ないんじゃないか。
 何故、どうして―――

「嘘だ……嘘だッ!」

 月子先輩は認めたくないという様に、何度も何度も反芻す。

「じゃあマリナに、ニシザキに、確かめてみるんだな。それで分かるさ」

「そんな……」

 絶望したような、月子先輩の顔。
 冴子先輩はすぅ、と目を細め、こちらを見ては、背を向け去っていく。

「……」
「……」

 あたしと月子先輩の間に生まれる沈黙。
 廊下も静かで、まるで無音の世界のようだった。

「つ、月子先輩」

 少し裏返った声で、名を呼んだ。
 月子先輩は唇を噛みしめて、あたしを見た。

「……。イズミ。……夜子は死んだのか?」

 その問に返す言葉はなかなか見つからない。
 だけど、あたしが何かを答えなければいけないならば。

「二年間も。音沙汰がないのなら、正直言ってわかりません。だけど、月子先輩」

「?」

「あたしが……あたしがいます。あたしは月子先輩の傍にいます」

 少しだけ勇気が要った。
 だけどはっきりとそう告げた。
 月子先輩はあたしをじっと見つめた後、小さく息を吐く。

「イズミに何が分かる?夜子の何一つ知らない癖に。」

「ッ、あたしは確かに夜子さんのことは知らない。だけど、月子先輩のことならわかります」

 言い返したあたしに、月子先輩は視線をすぅと横に流した。

「それなら、今の私の気持ちが分かるか?」

「え…――」

「―――死にたいよ」

 そう告げるが早いか、月子先輩は駆け出した。

「なっ……、ま、待って下さい!」

 校舎の階段を駆け下り、月子先輩は上履きのままで校外へ走る。
 あたしもなんとかその後を追いかけながら、携帯を取り出し、ある人物に電話をかけた。

『もしもし?』

「あ、あのっ、助けて―――!!」





 マリナ ノゾム
「なんですって!?」

 イズミから連絡を受けたというある人物の言葉に、
 私――高津茉莉奈――は動揺を隠せなかった。

「冴子さんが、月子に夜子さんのことを話した―――」

 復唱する言葉が傍にいるノゾムさんに伝わる。
 彼女も僅かに目を見開いた。

「莫迦な―――。冴子先輩が自ら、月子先輩には話すなと釘を刺した筈なのに」
「そうよね。何かの間違いなんじゃ……」

 そう思うのも一寸の逃避。
 電話口の相手は何処までも真摯で、それでいて焦っていた。

「分かったわ。急いで月子を追いかけて頂戴」

 告げては電話を切り、ノゾムさんを見る。
 彼女は何か考えるように顎に手を添え、やがて言った。

「鬼、か。……鬼の仕業か――」
「え?でもまだ被害者は出てはいない……」
「考えが甘い。今までの鬼を顧みれば明らかだろう。鬼は何をしてきた?被害者を出したのは結果だ。その過程にあったのは」
「絶望……?」
「そうだ」

 こくり、頷くノゾムさんに、私は小さく息を飲む。
 死にたい、と告げた月子に、鬼が宿っているとでも言うの?

「東堂冴子だ」

 私の言葉を否定するようにノゾムさんは言った。

「冴子先輩が今の、鬼だ」
「どうして?」
「分からないのか?月子先輩を絶望に追い込む一番簡単な方法」
「あ……」

 月子は、シスターコンプレックスと言っても過言ではないほどに夜子さんのことを想っていた。月子さんに、これまで夜子さんの死を告げなかったのはそこに理由がある。
 そう、月子は夜子さんが死んだとすれば絶望し、……今の様に後追いすら希う。

「ノゾムさん、行きましょう。冴子さんを探しに」
「ああ」

 私たちは、視線を一寸交わしては、ある場所へと向かった。





 月子 イズミ
「もう私に生きている価値なんてないんだよ」
「そんなこと言わないで下さい!」
「私は、無意味だ」
「月子先輩……!」

 イズミとの問答に時間を掛けている余裕すらない。
 私――東堂月子――は、裏切りの丘に立ち、遠く見える崖下を眺めていた。

 もうすぐ行くよ、夜子。
 ひとりにさせてすまなかった。

 寂しかった、だろう。
 一人ぼっちの死には何があった?
 無が広がる世界なんじゃ、ないか?

 だけど安心するといい。
 これからは私が一緒だ。
 二人なら、死ぬことも怖くない。
 大丈夫。大丈夫だ。

 夜子。
 生まれた時から一緒に居た、三つ児の妹。

 『まーた、月子と冴子は喧嘩なんかする。仲直りしなきゃ口きいてあげないんだからね!』
 『月子と冴子と同じ学校に通えて嬉しいな』
 『ずっと一緒だよ。私たち三つ児はずっと一緒』
 『月子も冴子も、だーいすき!』

 屈託の無い夜子の笑みが浮かぶ。
 喉元まで何かが出そうになるけれど、上手く形にならない。
 夜子は私の大事な妹。
 夜子は私の大切な妹。
 夜子は私の、―――

「月子先輩!!」

 イズミの叫びは皮肉にも私を現実に引き戻す切欠となった。
 イズミも下手に近づけないのだろう。
 もう、崖のぎりぎりに居る私には。

「イズミ、じゃあね。……もう逝くよ、バイバイ」

 僅かに振り向いてそれだけを告げる。
 もうこの世界に未練などないのだ。
 さあ、夜子と二人の世界に、逝こう。

 夜子、もう会え 、る―――

「死んでも夜子ちゃんには会えない」

 不意に。
 私の足を留めることとなる一声が、背後から掛かる。

 なんだ、って?
 何を言っているんだ。
 夜子は死んで、私も死ぬんだ。
 会えないわけがない。

「死の先には天国と地獄があるッス。自殺はもれなく地獄いきッス。だから夜子ちゃんには会えない」

 ―――…え?




 月子 イズミ  メグル サカモト
 ゆっくりと振り向くと、そこにはフードの……
 いや。今はいつものフードを被っていない幼馴染、和栗めぐるの姿があった。
 独特の喋り方。人に怯えるような眼差し。
 それでいて何かを見透かすような眼差しに、足が、竦む。
 メグルの傍に付き添うように居るサカモトは、この際、どうでもいい。

「どういう、意味だ」

 低く、私は呟いていた。
 冴子は言ったじゃないか。
 夜子は裏切りの丘から身を投げたのだと。
 ならば、夜子は自殺――否?

「じゃあ、何故、夜子は、死んだ……?」

 声が震えた。
 メグルの言い分が正しいとしたら。
 夜子は自殺では、ない?
 じゃあ、何故―――

「……。自分が殺したッス」

 どくん。
 と。
 体中の血が脈打った。
 メグルの独白めいた、告白。
 
 ころ、した。
 メグルが、夜子を、ころした。

「何故―――何故夜子を殺した」
「ごめんなさい」
「夜子は……」
「全部自」
「おま、え」
「分が悪いッス」

 ……?
 妙な違和感に、メグルへ真っ直ぐに視線を向ける。

「夜子ちゃんを殺したのは自分ッス。責めるなら幾らでも責めるといいス」

 私が言葉を止めても、メグルは尚紡ぎ続ける。

「お前、もしかして、音が――」
「本当にごめんなさい」

 そう、か。
 メグルは、"音"を、殺したんだった。
 そう。ペンで自らの鼓膜を貫いて、音を、殺した。

「御察しの通りです。メグルは音が聞こえません」

 代弁するように言うサカモトに一瞥を呉れて。
 嗚呼、なんて皮肉なんだろうなぁ、と。
 私は僅かに嗤う。

「こんなにも責めたい。こんなにも怒鳴りつけたい。なのに、その相手は音を失っているなんて、な」

 サカモトからメグル、メグルからイズミへ視線を移す。
 イズミは今にも泣き出しそうな顔をしてこちらを見ていた。

「月子先輩、責めてもいい、だから、だから自分の命を絶つなんて止めてください」
「どうやって責めろと言うのかな。相手は言葉が届かない。なら暴力か?」
「……何をしても、いいです」

 イズミは必死だった。
 私を殺さないために、必死だった。
 なんだか虚しい感情に包まれる。

 分かっている。分かっているのだ。
 私が何をしたところで。命を絶ったところで。
 夜子は、もう、戻ってこない。

「はは、ははは――く 、はは……」

 私の乾いた笑い声が、空虚に、呑み込まれていく。





 冴子 ノゾム
「あぁ。醜いなぁ―――」

 からからと嗤う。

「人間はなんて、醜いんだ」

 本性を見せた人間は、確かに醜い。

「絶望、恐怖、嫉妬、失望―――…人間は」

 みにくい、と、つむぎかけた、その咽喉に、
 私――月村望――は、ナイフを押し当てた。

「そこまでだ」

 裏切りの丘が見える森の中。嘲笑うように月子先輩たちを見る冴子は、矢張り普段と全く異質の存在だった。

「――…ッ、ノゾム、か」

 振り向けば咽喉を切ってしまう。声だけで判断したように冴子先輩は言った。
 肯定するように返す。

「これ以上鬼の好きには、させない。動いたら相応の処断を下す。鬼の本体の在り処を示せ」
「は……。お前達は、何処までも、執念深い……」
「あぁ、そうだ。鬼が人々を絶望させることを止めない限り、私たちは鬼を追うことを止めない」
「人間というのは、理解し難いな」

 そう、紡ぐ冴子先輩は、最早冴子先輩ではないと言っても過言ではないだろう。
 だって、冴子先輩は、"人間"だから。
 こんな台詞を吐くわけが、ない。

「さっさと吐け!本体の在り処を!」

 急かす私に、冴子先輩は僅かに笑った様に見えた。
 そして強引に振り向こうとする、 ナイフの切っ先が、彼女の喉元に触れ、血が、零れる。
 威嚇するように睨んだ私に、冴子先輩はやはり笑って、言った。

「……もう遅い」
「なんだと」
今頃カンノは、な」
「なっ……!?」
「くはは――本体の手に掛かっているだろうさ。もう、遅い」

「莫迦なッ!!」

 ひゅ、とナイフを引っ込めた。
 けれど切っ先は冴子先輩を見据えた侭、動かない。

「嘘なんかつかねえよ。もう九月だ。今年の、鬼の目的は終わる」
「目的?」
「その最後の生贄こそが、カンノだ……」

 目的というものの答えを返さぬまま、冴子先輩は嗤い、
 やがて、ふらり、と、その場で蹈鞴を踏む。

「カンノは何処だ!?」
「それは……自分で探し……出…――」

 冴子先輩は頭痛に苛まれたかのように眉を顰め、やがて――ゆぅらり、と
 その場に崩れ落ちた。

 先手を取られた。
 冴子先輩に宿った鬼は、既に目的を果たしているのだ。
 月子先輩を「言葉の暴力」によって絶望させること。
 或いは――イズミを。月子先輩にとってのイズミの存在価値を知らしめることで、イズミを絶望させること。

 それが、この、鬼の、目的だった。

 仮に、この鬼が、此処で終わりだとしても。
 本体は今、まさにカンノに魔の手を向けている。

「サカモト!!」

 私は有りっ丈の声で名を呼んで、サカモトが振り向いたことをだけを視認すれば

「その場は任せた!!」

 そう、一方的に押し付けて、裏切りの丘を後にする。
 月子先輩のことは気がかりではあるが、
 もう、本体を思いの侭にさせるわけには、いかなかった。





 月子 イズミ  メグル サカモト
 あたしは。
 あたし――和泉良――は。
 月子先輩に必要とされていなかったのかな。

 ああ。かなしいな。
 とっても、かなしいな。

「すんっ」

 鼻をすすって、裏切りの丘の、崖ふちから此方へ歩み寄る月子先輩を
 ぼうやりと見つめていた。

「死んでも意味が、無いんだな」

 月子先輩は誰にともなく問いかける。
 頷いたのはサカモトさんだった。
 そして、

「夜子さんが死んだ全ての理由が、メグルに在るとは限りません」

 そう、言葉を続ける。

「或いは夜子さんも鬼の被害者だったとしたら?」
「鬼の被害者?」

 鸚鵡返しに問うた月子先輩に、サカモトさんが頷く。

「あくまでも仮定ですが。夜子さんが思いつめた原因が鬼に関することであれば、鬼の仕業とも言い得るかと」
「そう、か」

 月子先輩の相槌は何処か上の空だった。
 もう、月子先輩は身を投げるような素振りは消したけれど、
 代わりに、残るのは形容し難い空虚感。

 暫し、それぞれがそれぞれの場所へ視線を投げた後、
 月子先輩はゆらりと、あたしの姿を見止めた。

「……イズミ」
「はい」

 あたしに歩み寄る月子先輩に、今は素直に喜べなくて。

「夜子は、ね。 私の全てだったよ」
「……」
「だから今、私は全てを失った気分でいる」
「月子、先輩……」
「復讐して、どうなる?メグルだって、もう、音を失うという想像を絶する苦痛を味わっている。サカモトが仮定したように鬼の仕業だとして、私はどうすればいい?もう、分からないんだ……」

 月子先輩の醸す空虚こそが、この場の空気を大きく支配していた。

「あ、あたしは……」

 ぽつ、と何かを主張しようとしたけれど、後に続かない。
 月子先輩が、サカモトさんが、促すようにあたしを見る。
 どうやって、この心を説明しようか。
 わからないよ。諦めているのか、まだ待っているのか、それすらわからない。

「……あたしは、初めての恋の相手が月子先輩で好かったと思ってます」

 そう言葉にすると、月子先輩は一寸だけ驚いた様に小首を傾いだ。

「こんなシスコンに恋して好かったのかな」
「……はい。あたしは」

 胸が締め付けられるように痛い。
 こんな時が来てしまうことを、はじめから分かっていたはずなのに。

「それでも、月子先輩が―――…好き」

 初めての恋はもう終わろうとしていた。
 やさしくてつよくて、そして弱い月子先輩に涙が溢れて来る。

「イズミ――」

 す、とあたしに伸びた月子先輩の手。
 最後くらい、情けなんか要らないよ。
 この手を振り払いたいよ。

「……有難う」
「え――?」

 一撫でして、そして接点は消えるのだと思っていた。
 だけど、月子先輩はその両手であたしを、かき抱いた。
 嗚呼。涙が、溢れて、とまらない。

「あ、あたし……あたしはずっと、ずっと。月子先輩が好きです。夜子さんが心に中にいる月子先輩も、好きです」
「うん……」

 もう何もかも厭になるくらい、あたしは月子先輩が、好きだ。
 だからねえ、優しくしないで。
 これ以上優しくされたら、

「私もイズミが好きだ。……夜子の次に」

 ……莫迦。
 ばぁか。

 こんな月子先輩と、こんなあたしだけど。
 まだ、一緒に、歩幅合わせていけるのかな?

 此処にあるのは空虚と、想いと、後悔と、――

 人間は確かに醜いかもしれない。
 だけど、あたしたちは醜いなりに精一杯息をして、

 こうして、今を生きている。








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