『望み』








 東の堂には茉莉花や菫
 西の崎には鬼百合が咲く
 神の野を歩み 泉に祈り 空は廻り
 人々は望む
 鬼の神子を貴わん










 カンノ
「どうしてあなたが……」

 わたし――神野由奈――は、目の前にいる、そう、"鬼"に対して
 疑問を抱かずにはいられなかった。
 どうして、この人、が。

 人物はゆるりと振り向いて、儚げに笑った。
 そして語る、鬼の理想郷について……。





 ノゾム マリナ
「カンノ!」

 タカツと共に私――月村望――は二年の教室に踏み込んだが、
 カンノの姿は見当たらなかった。

「冴子さんに憑いた鬼が言っていたのは本当なのかしら?カンノさんを、って」
「あぁ、あんなべたな嘘を吐く必要性を感じないし――」

 それに、と、私は、カンノの机を指差す。

「鞄が机にかけたままになっている。この教室から鬼に連れ去られた可能性が高い」
「なるほど……」

 腕を組んで、考え込むタカツ。
 私はカンノの鞄の中身を机にぶちまけ、何か手がかりは無いかと中身を探る。

「最終局面ね」

 タカツの言葉に、私は頷く。
 この鬼の本体さえ見つけ出せば。
 終わる。
 この悲劇は、終わる。

「でも肝心の鬼の本体とカンノさんが連れ去られた場所が分からなければ――」
「その通りだ。だからお前も何か手がかりを探せ」
「ええ」

 机にぶちまけた鞄の中身には、特に違和を抱くものは見つからなかった。

「でも、ねえ、ノゾムさん。鬼の本体って誰だと思うの?」
「それは――」

 おそらく、今まで、本体でない鬼に憑かれた者――坂本美子や中谷菫を筆頭とした人々を除いて。
 尚且つ、私を除いてしまえば、随分と限られる。

 もう答えは目の前にあるんだ。

 ―――ん?

「これは」

 ぶちまけた鞄の中身を鞄に直していく途中で、
 カンノの机に、薄く残る、シャーペンで書いたのであろう落書きが目に留まった。
 私はその文字に目を走らせ―――

 そして。

「……」
「どうしたの?ノゾムさん」

 そう。答えは字面通り、"目の前"にあった。
 これは。カンノの残した暗号だ。
 おそらくは鬼に気づかれないようにこっそりと書いたもの。
 そして気づかれても誤魔化せるように、暗号にした文章。


 『東の堂には茉莉花や菫
  西の崎には鬼百合が咲く
  神の野を歩み 泉に祈り 空は廻り
  人々は望む
  鬼の神子を貴わん』


「見ろ、タカツ」
「ええ?」

 すぐに分かる。
 これは私たち――そう、あの合宿に参加したミナト先生を除いた
 15人の名前になっている。

 東の堂は東堂冴子と月子。
 茉莉花は高津茉莉奈。
 菫は中谷菫。
 こんな感じで当て嵌めていくと、きっちり全員。

「鬼百合?じゃあ鬼はまさか、ユリア――?」
「いや、違う。ただ百合だけじゃ語呂が合わないからだ。暗号を解く鍵は」

 机の端に。ごく小さく書かれた文字。
 これが暗号の、鍵。

 『鬼は《終末》に訪れる』

「終末。つまり、この暗号で、最後に名を出されている人物こそが」


                「――鬼の神子を、"貴"わん……」


 は、……はは。
 そうか。
 そうか、お前か。

 お前が最後の鬼だったのかよ。

 鈴木 貴子!!!





 タカコ カンノ
 ―――…。

 薄暗い、室内で、ぴちゃり、ぴりゃりと水音を立てる。

 カンノの薄い唇に唇を当て、強引に割り開いて、唾液を貪る。
 嗚呼、若い女の体液は誠に甘露だ。
 じわじわと力が漲って来るようだった。

「私はなぁ……」

 唇を離しては、ぽつ、と語る。

「人間に殺された、夜子の復讐の為に、聖蘭の人々を巻き込んだんや――」
「復讐……」

 カンノがそう、反芻するように呟いた。
 私――鈴木貴子――はゆっくりと頷く。

「知っとったかなぁ?私と夜子は、中三で仲良なってな。親友――或いはそれを超えた関係。私と夜子は、切っても切れん仲やった」

 昔を懐かしむように目を細め、続ける。

「私にも落ち度はあるねん。聖蘭に入ってから夜子が精神的に参って――そう、所謂鬱病で。自傷行為の痕を隠すために、リストバンドを夜子が巻いとることにすら、気づかんかった」

 カンノは両手を後ろで拘束された状態で、私の話に耳を傾けていた。

「メグルが殺した、って、ニシザキは言うてたなぁ。せやな、間接的に追い詰めたのは確かにメグルやったわ。せやけど、本当に夜子を殺したのはメグルやない」

 『吊っちゃえば?』……そんな安易な一言で、夜子はどれほど絶望しただろう。

「メグルとの会話の後、夜子は私を、裏切りの丘に呼び出した。そして夜子は言うたんや」

 今でも鮮明に覚えている。
 あの時の夜子の悲しそうな顔。

「あたし、鬼を宿しちゃったよ―――、ってな」

 カンノは少し驚いた様に、ぱちりと瞬いて問う。

「夜子さんが、鬼を宿した、の?どういうこと?」

 その問いには、私しか答えられないだろう。

「鬼の魂そのものは。その時までは微々たるものやった。過去に聖蘭で起こった、事故に見せかけた事件。あんなん子供騙しや。まだ鬼の力が弱かったからなぁ」

 鬼の力が強大になった、切欠。

「鬼は負の感情を食らって強靭になるもんなんや。せやから鬼は夜子の負の感情を食らい尽くし、既に夜子という器に入らんくなっとった。食らい尽くされた人間が、鬼から解放されて、どうなると思う?全ての精気を吸われたような、空っぽの廃人になってまう」

 だから。ああするしか、なかった。

「―――せやから私が、夜子の絶望を引き受けるという条件で夜子を殺して。夜子の内に居た鬼を、私自らに宿らせた」
「なっ……」

 カンノは言葉を失ったように、小さくそう声を発しただけだった。

「そうや。全ての鍵は私が握ってんねん。二年前に起きた裏切りの丘からの夜子の転落死は私が突き落としたもの。一年前の幸田茜の殺人は、私の手下に当たる鬼――サカモトと茜が対峙して、生き残った方に憑くやなんて勝手な博打しおってな」

「じゃあ、合宿中にミナト先生が血塗れで見つかったのは?」
「正確には血糊やろ?あんなん私が出る幕とちゃうわ。ただ、私の使い走りがちょっと力を貸してはおるけどなぁ」
「使い走り?」

「……松林歩。あれだけが私の正体を知っている、唯一の人間やった」
「アユムさんが……?どうして?」
「あの子のポリシーや。常に強い者につく。仮令それが鬼であろうと厭わない。実力こそあらへんけど、狡猾な子やで。せやからミナト先生が飲まされた睡眠薬は、家が大きな製薬会社であるアユムのルートから手に入れ、それを実行したのがサカモトやった、っちゅうわけや」

「そうなの、か……」

 カンノは僅かに俯いた。これで大体の疑問は紐解けたはずだ。
 私、鈴木貴子と言う、鬼の本体。
 坂本美子に一年潜伏し、今年の夏に人々を絶望に貶めた乱暴な分身の鬼。
 そして"人間"の協力者である、松林歩。

 この二匹と一人で、随分掻き回せたかなぁ?

「さて、お喋りはこの辺にしとこか。私はな、来年まで冬眠するため、養分を補給しとかなならんねん。若い女子から取れる、養分を、な―――」





 ノゾム マリナ アユム
「鈴木神社、だと?」
「ええ、神社と言っても最近建ったばかりなのだけれどね。おそらくカンノさんは其処にいるわ」
「貴子は神主の娘だったのか?」
「いいえ。……ヤクザの娘よ。鈴木組といって、とても大きな組なの。この鬼灯市に越してきたのは、分家があるから。その分家ですら、大きなものなのだけれどね」

 あの鈴木貴子に、そんな背景があるなんて思いもしなかった。

「ノゾムさん、どうする?私も一緒に踏み込んでもいいけれど、援軍を呼んだ方がいいかしら?」

 そんなタカツの問いかけに、私――月村望――は迷わず後者を選んだ。

「貴子とは、一対一《サシ》で勝負がしたい。タカツは皆に連絡を入れていてくれ」
「分かったわ」

 そうして一度タカツと別れ、私は住宅街の少し奥まったところにある、小さな神社が見えるところまで来た。
 この中に鬼がいると思えば、そして何よりカンノが危険な目に遭っていると思えば、自然と足取りが速くなる。

「待っ…!」

 不意に掛けられた声、と同時に、私は斜め後ろから体当たりを掛けられて、その場で膝をついていた。

「あ、アユム?お前何してるんだ!」

 こんなところで何をしているのか、というのと
 何邪魔しているのか、という二つの意味を込めた言葉。

「すみません。でもあの神社には近寄っちゃいけません。呪われますよ」
「何が呪われるだよ。あの中に貴子とカンノが居るんだろ!急がせろ!」
「……もう其処まで知ってるんですね。何処から情報が漏れたんだろ」

 何処から、という言葉にはカンノの残した暗号を思い出すが、
 それよりも、アユム。松林歩――何故、邪魔するような真似を?

「兎に角、行かせません!まだ儀式が終わってないんです!」
「儀式が終わったらカンノはどうなるんだよ!?」
「そ、それは……」

 言いよどむアユムに確信する。確実に今カンノは危険な目に遭っている。

「カンノ、今行く!!」
「待て!!あああぁぁぁぁ!!!」

 アユムの有りっ丈の体当たりと、力ずくの拘束。
 私もこんなチビに負けてはいられない。

「離せっ、うおぉぉぉぉ!!」

 暫し力が拮抗したが、やがて折れたのはアユムの方だった。
 折れたというよりは力尽きたといった方が正しい。

 アユムを振り払って、神社へと駆ける。
 すると中から怒鳴るような声が聞こえた。

「入れるな!!ノゾムだけはあかん!!」

 もう、遅い、さっ!

 バァン!!

 両開きの扉を思い切り開け、薄暗い神社の中に光を差し込ませる。




 ノゾム タカコ カンノ
「ッ!!」
「あ!!」
「くっ!」

 私の驚きの声、
 カンノの困ったような声、
 タカコの悔しそうな声。

 そこには、今にもカンノを組み敷かんとするタカコの姿があった。

「なっ、何をしてるんだ!?」

「儀式の邪魔すんなや!」

 儀式、だと……!?
 こんなの只の強姦じゃないか!!

「カンノ!」

 私は急いでカンノを守るように、服が肌蹴たカンノの身体を抱いた。

「うっ、ううっ……」

 カンノらしくもない、だけど今は本当に怖かったんだろうと思う。
 堪えるように泣くカンノに、尚更タカコへの憤りが激しくなる。

「タカ、コ…あれ?」

 しまった――!!
 カンノに気を取られている隙に逃げられたようだ。

「カンノ!この携帯でタカツに助けを求めろ!私はタカコを追う!」

 カンノに自分の携帯を手渡すと、不安げなカンノの頭を軽く撫で、
 私は神社を飛び出した。




 ノゾム タカコ
 今ガレージを出たばかりといった風の黒塗りの車が、走っていくのを見て、とにかくタクシーでも捕まえようと、黒塗りの車の後を全力で追いながら、住宅街から一寸繁華街に出た。
 やばい。繁華街じゃ見逃す可能性もあるし、車の通りが多いから車で追うのは不利だ。
 そんなことを思っていた私の目の前に、コンビニから出てきて今バイクに鍵を差そうとしている男がいた。

「すみません!人の命がかかってるんだ、バイク借りるぞ!!」

 私は男からバイクの鍵をかっさらうと、キーを入れ、アクセルを蒸す。

「お、おい!!」
「あとで返す!!」

 男の声に構っている暇はない。ヘルメットを被りながら、バイクを発進させてなんとか黒塗りの車に追いつくべく走る。

 黒塗りの車は少しして見つかった。
 鬼灯市を出て、東へ。海の方向へ走っている。
 逃がすか、と、あとを追う。
 
 幸いこちらから車は見えている。
 ということは即ち車からもこちらが見えているということ。
 高速なんかに乗り込まれればアウトだが、そんな素振りもない。
 寧ろ――私が追いかけることが、想定内のような。
 おびき出されている感覚すら抱く。

 車は鬼灯市を離れた、海沿いの道で止まった。
 私もバイクを停めて、車へと駆け寄った。

「ノゾムぅ」

 驚いたのは、運転席から出てきたのがタカコ本人だったことだ。
 まさか、運転、してたのか。
 私も違法には変わりないが、車の運転とはまた大きく出たものだ。

「なんでこんなところまで追いかけてくるんー」
「なんでって、逃がすわけいかないだろ!」

 タカコは呆れたように笑って、崖の上に向かって不安定な足場をふらふらと歩いていく。

「おい、何処に行くつもりだ」
「見て分からんかぁ?」
「え…――」

 この先は断崖絶壁。
 タカコがそこで、何をするか、なんて……

「ま、待て!早まるな!!」

「はやまらんよ」

 タカコは海を臨むように、崖の上の岩場に立って、
 ゆらーり、と手を翳したりしている。

「ちょっとノゾムちゃんにな、鬼のことを教えたろ、思うて」

「聞いてて不快にならなければな」

 こく、と頷いたタカコは、すぅ、と目を細め何処か遠くを見るようだった。
 
「人間は人間同士でいがみ合う。鬼はそんな愚かなことせぇへん。上の鬼には絶対―――……予め定められとるねん。支配という名の平和もあるんや」

「そんなの……人間の古い歴史にも、或いは別の国では現在進行形である。だけど、私は支配に縛られたくなんかないね」

「支配が、当たり前、になってしまえばええねん。上には逆らわぬ当たり前。そんな鬼の世界ほど平和なものはない。人間は何かあれば楯突いて、すぐにやれ戦争、やれ犯罪だの、騒ぎ立てる。余計に心理は逃避へ向かう。人間って所詮、現実逃避で出来てるものなんやろ?」

「なんだと……」

「仕事、学校、勉強、目を背けたくなる現実をこなしながら、下らない現実逃避でストレスの発散を繰り返す。そんな繰り返しで一生を終えるなんてつまらんことこの上ない。社会の歯車に成れても、それは厭な現実なんや。人間にとってはな。歯車から外れた場所でストレス発散して――そんな人生が愉しいんか?」

「そりゃ、目を背けたくなる現実もある、けど、でも――」

「鬼の世界はそんな心の蟠りなんか存在しない。好きとか嫌いとか、嬉しいとか厭だとか、そんなの無いねん。そのピースに嵌ることが当たり前。苦痛なんか感じへんくらいに、あったりまえなんや」

 タカコが言っているのはつまり。
 人間社会で起こる感情の摩擦に対する批判と。
 そして鬼の世界――そこでは"苦痛すら感じない"。
 おかしい。何か、おかしい。

「私はそんな言葉で騙されない」

 確かにタカコの言葉は新手の宗教のように妙な説得力があるものだけど。
 タカコの論じる鬼の世界には大事なものが欠けているんだ。

「鬼の世界の当たり前はつまり―――感情を無くすということなんだろう?」

「…――」

「そんなの真っ平御免だね。感情があるから苦痛もあれば喜びもある。それが人間だ。私はそんな人間という存在を否定するお前を許さない。そもそも――」

 き、とタカコを睨んで続ける。

「お前らが皆に齎した"絶望"をどう説明する。無感情主義なら皆絶望なんてしなかった。鬼は絶望を糧にして生きる。そうなんだろう?人々を絶望させたお前らに感情を語る権利などない!!」

「……ふ。耳によぅ残しとくわ、その言葉」

 まるで降参するように軽く両手を上げたタカコは、苦笑いを浮かべた。

「私が鬼になったのも絶望の所為やから、なぁ―――」

 それは少しだけ物悲しい言葉だった。
 詳しくはわからない。
 だけど。
 タカコだって。タカコ先輩だって、元は、人間だ。

「……最後に問う。 鬼として、何を望む?」

 そんな問いかけに、タカコ先輩は風に髪を揺らしながら、柔らかい口調で語った。

「眠りが欲しいな。この数カ月、私はちょっと疲れてしもうた。暫く――眠りにつかせてくれへんかな」

「……」

 カンノから奪ったエネルギーは、足りなかった、と、そういうことか。
 私が途中から邪魔をしたのだから、当たり前だ。
 最後にこの鬼がカンノのエネルギーを奪って何をする気だったかは知らないが、
 もう、この鬼に――。
 鬼としての悪意は、無いように、見えたから。

「鬼のお前に、鈴木貴子を返せ、というのは、無茶か?」

 鬼は、鈴木貴子に宿っていただけだ。
 タカコ先輩に罪はない。
 だからそう提案したけれど、

「やめた方がええ。私は――鈴木貴子は余りにも長い時間、鬼として在り過ぎた。仮に、鬼の呪縛から解き放つとすれば、残るのは――只の廃人に過ぎん」

「そう、か……」

 今、目の前でまた、犠牲者が、ひとり。
 廃人でも生きろ、なんて、私には言えない。
 それならば一層、楽に、して、やりたかった。

 一歩、二歩、タカコへと歩み寄る。
 彼女の背後は断崖絶壁。もう、これしか残されて、いないのだ。

「タカコ先輩、気づけなくてすまなかった――」

 静かに手を差し出し、勢いをつけて

 私は、

 タカコ先輩を突き飛ば―――


「アハハ」

 最後に聞いたのは、そんな哄笑だった。
 最後に見たのは、ニィ、と笑う、鬼の姿だった。

 私の腕を掴んで、勢い良く、背後へと身を、投げ、る――!

「莫迦な、離っ……!!」

 まだ鬼の悪意が残っていることに、気付かなかった私が間違っていた。
 そう、この、鬼は、私を道連れにして―――

「うあ、ぁ、ぁあああああああ!!!!」

 落下の重力。
 身体にガクンと負荷が掛かる。

 こんなところで死ぬなんて厭だ!
 厭だ、
 いや、だ

 い や  だ… ――――!!!








 月村望と鈴木貴子が行方不明だという噂は瞬く間に学園中に広がった。
 鬼と関わりのあった15名。
 その内の一人、鈴木貴子が神野由奈の証言により鬼であったと発覚し、
 そしてもう一人、月村望に関しては、鬼と刺し違えたのではないか、という話で纏まりつつあった。

 学園には本当の平和が訪れた。
 もう謎めいた転校もなくなり、
 そう、望と貴子に関しても、転校、ではなく、行方不明だと発表した。
 生徒会の、任務は終わったと、言えよう。

 人々の間では――特に、残された13人の間では。
 「あのノゾムが刺し違えるわけがない」と、諦めぬ者。
 「月村君はいつか帰ってくる」と、待ち続ける者。
 「尊い犠牲だったのかもしれない」と、悼む者。
 反応は様々だった。

 どちらにしろ、時間というものは残酷でもあった。
 時が過ぎ、次第に人々は鬼のこと、そしてノゾムのことを記憶から薄れさせていった。

 季節は巡り、夏はあっという間に終わって、
 秋は枯葉の転がる音と共に過ぎ去り、
 寒い冬を越えて、
 やがて、次の春が訪れる。

 卒業を控えた三年生の高津茉莉奈の、机に書かれた落書き。

 『東の堂には茉莉花や菫
  西の崎には鬼百合が咲く
  神の野を歩み 泉に祈り 空は廻り
  人々は望む
  貴女が戻ってくることを――*』

 新年度に変わるという節目は、
 この学園にどのような風を吹き込ませるのだろうか。











 リア
 ずる―――ずる――…ぐちゃ。

「矢張り、終わらないのね」

 井戸から出でた粘着質な何かに、封じるような護符を張り、
 何かの呪文を唱える少女。

「寧ろ去年より悪化している」

 粘着質な其れは、蒸発するように、煙となって消えた。

「未だ、鬼灯市は、鬼の住処」

 魑魅魍魎、と言えば相応しいだろう其れを、容易に消し去る力を持つ少女は

「―――帰ってきなさい、月村望」

 そう、確かな声で紡いで、目を、閉じた―――。









第一部 完

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