『Why,or why not』





 ノゾム ソラ
「……おはようございます」

 三年生の教室に顔を出したのはノゾムだった。
 ふ、と息をつく。
 席を立って教室の入り口へと向かう、私―――真壁宙―――。

「おはよう、ノゾムさん。話は双児から聞いた?」

「聞きました。冴子先輩は、ソラ先輩が失踪するかもしれないと言っていたけど」

 案の定。
 そんな風に思われてもおかしくないとは思っていた。

「でも学校に来たんですね。ソラ先輩」

「そうね。これ以上休むと留年するから」

「……そういう問題ではなく」

 胡乱な視線を向けるノゾムの腕を取って、
 人気の少ない廊下へと歩んだ。

「鬼の件でしょう。あなたが話すことなんてそのくらいしかないもの」

「その通りです。ソラ先輩の鬼は今も宿っている?」

「ええ。未だ居るわ。此処に居る」

「……良かった」

 安堵に似た表情を浮かべるノゾムさんに、
 私は少しだけ笑う。

「私が鬼だとわかったところで、打つ手なんてないんでしょう」

「……」

「如何する心算?私を捉えて隔離する?そんなことしても結果は見えているけれど」

「鬼はまた別の宿主を探す――か」

「そういうこと。終らないのよ。この悲劇は」

「――一体、どうしたらいいんだ」

「さぁ?」

 曖昧にはぐらかせば、ノゾムは困ったように視線を落とす。
 別に苛めている心算は無い。
 ただ――私にも、解らないだけ。

「ならば少しでもいい。知識を分け与えてくれないか。鬼について――教えて欲しい」

「……そう。鬼について知りたいと言うけれど、知ってどうする気?こんな話をしても殺意か同情しか湧かないわ。それでも聞きたいと云うならば、話さないこともないけれど……」

「それでも構わない。教えて呉れ」

 真っ直ぐに私を見据えるノゾムの眼差し。
 私は弱く笑って、応えた。

「鬼は悲しい生き物――喰らわないと生きられない」

「何故喰らう?それが本能だとでも云うのか?」

「そう。本能よ」

 私がきっぱりと言い切ると、ノゾムは押し黙った。
 ノゾムは釈然としないように視線を落としていたが、
 やがてまた芯のある眼差しを私に向ける。

「一つだけ聞きたい。ソラ先輩は――誰かを殺したのか?」

 その問い掛けには少し逡巡するけれど、
 彼女の視線に嘘は吐けない気がして。
 ゆらりと窓の外に視線を投げながら答えた。

「クルミ。――速見胡桃。彼女の事故は私達が組んだものよ」

「……」

「でも、殺しては、いない――」

 淡く、呟くと、
 ノゾムは視線を僅かに上げて、
 やがて口元に笑みを浮かべた。

「ああ、クルミは死なないさ。 ……戻ってくるさ」

 何故そうも確信出来るのか。
 不思議だったけれど、
 ノゾムの言葉にはそれを真実にする力があるような気がして。
 酷く眩しかった。

 やがてノゾムは私の方へと向き直り、
 す、と人差し指で私を指した。

「ソラ先輩に宿る鬼が暴れる前に 何とかさせて貰う」

 相変わらずノゾムの眼差しは真摯だった。
 だけど、彼女の期待には添えない。

「ごめん。それは無理」

 短く云った後、訝しげなノゾムへと言葉を続ける。

「私が手を下すよりも先に、鬼は宿主を変える。鬼は……此処から出たがっている」

「なんでッ――……」

 悔しげに、ノゾムは俯いた。
 キリ、と奥歯を噛む音が幽かに聞こえる。

「折角鬼を見つけたのに、何も出来ない……?」

 そのノゾムの俯いた顔は――悔しさと無念さに満ちていて。
 そう。彼女はずっと鬼を追っていた。
 鬼の殺戮を止めようと必死だった。
 私は――

 私は厭世家だったけれど。
 この学園に来て変わった。
 ノゾムの強い志が、私に明らかな変化を与えたと思う。

 ノゾムの力になりたい……。
 そんな思いが心の底に、ゆらり、揺れる。

 私がノゾムにしてあげられること。
 ―――私にしか出来ないこと。

「ノゾム。よく聞いて」

 ズキン。
 言の葉にしようとした刹那、脳内に響き渡るような頭痛。

「鬼は……幾多あれど……本体は――……一つ、だけ……」

 酷い立ち眩みに、窓へと手をついた。
 そのままずるりと崩れ落ちる。

「ソラ先輩?……どうした!?」

「――此処に居る、鬼ではない …………本体を」

「ソラ、先輩……」

「―――……」

 頭痛が体中に広がったかと思えば、
 ストン、と、
 そのまま私は意識を失った。

 鬼は移り、廻る――次なる宿主を求めて。





 君が初めてわたしの隣に座った時から、君はわたしの特別でした。

 人を遠ざけるような雰囲気が、気だるそうな態度が、不思議とわたしを惹き付けます。

 生徒会長が君を呼び出した時、わたしは心の何処かで「ああ、やっぱり」と

 悟っていたような思いでいたのでした。

 君が生徒会と戦い、やがて敵は鬼へと変わった。全ては予定調和。

 そうして戦う君の強さに惹かれ、君しか見えなくなることも予定の内。

 解っていた。だから怖かった。あの時君に逃避を勧めたのは、

 君に 狂わされることが怖かったからかもしれません。

 わたしは、こうなることが一番怖かった。 


             わたしだけの
                              君。
 
   世界で
            一番
                    大好きだから
                                   厭。




 ユウキ
 聖蘭学園は年に一度の文化祭で賑わっていた。
 一年生の各クラスの出し物は音楽鑑賞会と絵画鑑賞会。
 文化系の出し物で揃えてきた。
 二年生の各クラスの出し物はメイド喫茶と執事喫茶。
 奇しくも喫茶系列として争うこととなるようだ。
 三年生は占いとお化け屋敷。
 文化祭の定番と言える出し物となった。

 そんな出し物の中でも大目玉なのは、生徒会の出し物である“音楽ライブ”だった。
 高嶺の花の生徒会長として有名なマリナ様がボーカリストとしてマイクを握り、
 副会長のユリアさんはキーボード。書記のイズミ様はギターを担当し、月子様がドラムを叩く。

 ライブ会場となった講堂は、生徒会のライブを一目見ようと大勢の生徒が押しかけ、
 満員御礼状態となっていた。

 私―――悠祈澄子―――は、理事長の計らいで特待席に誘われたが、
 今回は丁重にお断りすることにした。
 私には一般席で見る、“目的”があったから。

「皆、私達のライブに集まってくれて本当に有り難う」

 舞台上に上がったマリナ様は、笑顔で挨拶をする。

「私達は、このライブを通じて、皆に笑顔を届けられたらいいと思っているわ」

 笑顔、か。
 生徒会のことだから、また何か企みがあるのではないかと訝ってしまうけれど、
 マリナ様の笑顔は心の底からのもののようにも見えた。

「それでは聴いて下さい。――Sociometry」

 ギターの心地好い調べが鳴り始めると同時に、マリナ様の澄んだ歌声が響く。
 月子様のドラムは一定のリズムを叩き、時折アクセントを交えた。
 ユリアさんの奏でるキーボードは、決して音を外すことなく、メロディに華を添える。

「真っ直ぐに手を伸ばして 過去も未来も触れてみたい
 焼ける思いに懸けた今 I believe ―――」

 綺麗な旋律。
 凛とした歌声。
 重低音を鳴らすドラム。
 スポットを浴びたギターはいつ練習したのかと思うくらいに巧みなテクニックを見せた。
 キーボードの奏でるメロディに聞き惚れる。

 完成度の高い演奏だった。
 思わず目的も忘れて聞き入ってしまいそうだった。
 ふと我に返ると、ひしめき合う人々の間を縫って、私は目的の人物を探す。
 誰なのかは解らなかった。
 けれど私の憶測が正しいならば、きっとこのライブ会場に居るはずなのです――。





 カンノ ユウキ
 ライブ会場。
 ゆるゆると辺りを見渡す少女が一人。
 わたし―――神野由奈―――は、その姿をぼんやりと捉えていた。
 やがて彼女がわたしのことに気づけば、いつものたおやかな笑みを浮かべ近づいてくる。

「御機嫌よう、カンノ様」

「……やぁ、こんにちは」

「カンノ様もいらしていたのですね。素晴らしい演奏でしたわ」

「……うん、そうだね」

 私に話しかけるユウキに、返すのは中途半端な生返事。
 このライブ会場に居ると、なんだかふらふらして――

 ふと。ユウキが私の目をじっと見詰めていることに気づく。
 そうか。――彼女は探しているんだった。

「鬼を……探してるん、だよね?」

「……ええ」

 ソラ先輩から抜けた鬼が何処に行ったのか―――
 その話はわりかし早いスピードで、関係者の間を廻っていった。
 次なる鬼の宿主は誰だ、……と。

「それなら、探さなくても大丈夫だよ」

 私は胡乱な瞳をユウキに向けるでもなく紡ぐ。
 ユウキは一寸不思議そうに沈黙を置いた。

「――……ユウキさんの探している鬼は、此処に居るから」

「……! ではカンノ様が、今度の鬼……」

「そう、みたいだ」

 じゅく。
 胸の奥に鈍い痛み。
 幾ら求めても満たされない飢餓感。
 奪いたい、奪いたい―――
 わたしの知らなかったこの感覚は、
 わたしではない異質の何かが引き起こすもの。

「解りました。この件は誰にも言いません。ですから、何かお手伝い出来ることがあれば――」

 そう申し出るユウキに、ゆらりと首を振って。

「必要無いよ。既に目的は決めてある。わたしはそれを実行するだけ。わたしのこの手で、やるだけ……」

「そうですか。これは差し出がましいことを。申し訳ありません。私は、カンノ様の意の侭に」

「――……うん。有り難う」

 鬼に協力する者。
 ユウキは何故そんな路を選んだんだろう。
 不思議なこと。

 鬼は強いから、
 一人でも生きていけるのに。
 わたしは算段的でも何でもない。
 衝動の侭に、手を下すだけの存在―――





 カンノ タカツ
 ライブが終わって暫く経った頃、三年生の出し物のお化け屋敷に向かう。
 受付担当の先輩がわたしを見上げた。

「こんにちは。……生徒会長、居ますか」

「タカツさんなら中で雑務をしているけれど、入る?」

「……はい」

 ポケットに入れた物。
 誰も気づかない。

 お化け屋敷と化した教室は暗幕が張られ薄暗かった。
 ゆら、ゆら、歩く。
 時々驚かす幽霊役の生徒が出てくるけれど、
 わたしはあんまりリアクションしない。
 わたしが探しているのは唯一人だけ。

「うーらーめーしーーやーー」

 ゆぅらりと出てきたその幽霊を模した女性―――

「生徒会長」

 雰囲気もお構いなしに、わたしは彼女を呼んだ。

「……カンノさん?」

 前に垂らした長い髪を払い、生徒会長は瞬いた。
 雑務と言っていたけれど、幽霊役とは思わなかったな。
 探す手間が省けて、好いけれど。

「遊びに来てくれたのかしら?折角なら驚いて欲しかったわ」

 そんな生徒会長の言葉に、ゆる、と首を横に振る。

「生徒会長に会いに来た」

「……私に?」

 一歩、二歩、生徒会長に近づいて、

「か、カンノさん?」

 互いの呼吸が届く所まで近づいては、
 私はポケットに入れた折りたたみナイフを取り出した。

「――――ッ!?」

「生徒会長を       殺しに来た」


 月村くんのそばに居れば居るほど、

 君が誰を想っているかが解ります。

 わたしはいつも君の視線を追っているから

 わたしはいつも君の声を聞いているから

 どうして彼女を見るの。彼女の名を呼ぶの。

 君はわたしの一番なのに、

 わたしは君の一番になれないの。

 違うよね。

 彼女が――高津茉莉奈が消えれば

 君の一番は わたしだよね?


「カンノさん、早まらないで……」

 生徒会長が僅かに震える声で言う。
 私は彼女の制服のリボンの所に、ナイフの切っ先を向けた侭。

「生徒会長がいなくなれば、月村君はわたしを見てくれる。生徒会長さえいなければ」

 ヒュ

 掲げたナイフを

「―――……!!」

 振り下ろした。

 ざくりと、肉を抉る感覚。

 生徒会長が其の手で、ナイフを受け止めて
 じわりじわりと血が滲んで来る。

「ッ、カンノさん、待って。私を殺せば本当に済むことなの?そんなことないと思うわ」

「……何故?」

「もしもノゾムさんが私を想っているとしたら――私が死んでも、彼女は私を忘れない」

「じゃあ、どうすれば」

 いい?

 この女を消せばそれで好い筈だった。
 だけど衝動は不思議と弱く、
 本当ならば今すぐにでも心臓にナイフを突き刺しているのに。

「貴女に宿った鬼が、貴女を変えたのならば……」

「……」

「人を殺すなんて醜い思いを抱くようになるのならば」

「――」

「……私に鬼を宿せばいい」

「え?」

 意味が解らず問い返す。
 ナイフを持つ手が少しだけ緩んだ。

「人を殺したいと思っている者は醜いでしょう――その役目を私が引き受ける」

「……」

「それが、きっと、貴女にとってノゾムさんへの近道なのだと思うわ」

 す、とナイフを下ろす。
 ぴちゃり。
 床には生徒会長の掌の傷から溢れた血が零れ落ちている。
 彼女は続ける。

「これまでの鬼の動きを省みると、坂本さんの鬼は力を見せつけ、中谷さんの鬼は自己嫌悪を膨らませ、めぐるさんの鬼は世界に怯え、悠祈さんの鬼は其れを崇め、ソラさんの鬼は全てに厭いた。これらは皆、宿主が元から持つ負の感情。カンノさんの憎しみも、貴女の中に芽があった。ならば鬼が私に宿ったら、―――一体どうなると思う?」

「―――興味がある」

「ならば 宿って御覧なさい」

 ――――……力が出ない。
 生徒会長を殺さずして、わたしは月村君の大切な人になれるかな?
 もしそうなのだとしたらわたしは、
 生徒会長に、鬼を、移す。

「どうやって宿るのかは解らないけれど」

 生徒会長は一寸逡巡した後で、私の後ろ頭を抱き寄せて、
 そ、と顔を近づけ、わたしの唇に口接けた。

 ずきん、ずきん、ずきん。
 唇を合わせていると頭痛が酷くなるが、
 それが徐々に遠ざかって行く。

 す―――、と
 心が軽くなった様に思えた。

 殺す?わたしが生徒会長を?
 そんなこと、できるわけがない。

 ああ、もう此処に、鬼は居ない。





 タカツ カンノ ミナト
「ミナト先生、手当てをお願いします」

 私―――高津茉莉奈―――はカンノさんを引き連れて、
 文化祭の出し物のお化け屋敷を後にし、保健室に訪れた。

「どうしました?」

 机に向かっていたミナト先生がそう言いながら振り向いて、
 私の血塗れの手を見て息を呑む。

「鬼です―――」

 短く告げれば、ミナト先生は真摯な表情を浮かべ、
 応急手当のセットを用意し始めた。

「座って。今回の鬼は一体誰に?」

 そんなミナト先生の問い掛けに、カンノさんが唇を開く。

「わたしに――……でも、もう いない」

 私はミナト先生の適切な処置を受けながら、
 二人をゆらりと目視する。

「そしてカンノさんに宿った鬼は、何処かへ行ってしまった」

「生徒会長―――?」

「そう、何処へ行ったのかは、解らないんです」

 “移した”ことは、まだ表沙汰にしたくない。
 強調するようにカンノさんへ視線を流せば、
 彼女はこくりと肯いて。

「酷い傷ですね……これはちゃんとした病院で手当てをして貰った方がいいでしょう」

「……放課後にでも、病院に立ち寄ります」

 養護教諭として心配の声を上げるミナト先生へ、そう言葉を返し、
 一寸の沈黙。
 ミナト先生もまた、鬼を追う者の一人。

 応急処置が終わると、包帯に巻かれた手を一視して。
 私はゆらりと立ち上がる。

「鬼が先ほどまで宿っていたカンノさんの身も心配です。少し休ませて上げて下さい」

「ええ、解りました」

「わたしは、大丈夫なのに……」

「念には念を入れて、よ」

 包帯の巻かれていない方の手で、ぴ、と人差し指をカンノさんに向ける。
 カンノさんは相変わらずの無表情で、少しの逡巡の後、小さく肯いた。

「―――私は」

 不意に切り出したのはミナト先生だった。
 彼女は少し考え込むように視線を落とした後、
 ゆっくりと語り出す。

「鬼を“見届ける者”なんです。―――最期まで」

「見届ける者?」

「それが、私の家系に代々続く、使命」

「……そんな、役職のようなものがあったんですか」

「ええ―――だから私は目を逸らせない。次の鬼を早く見つけなくては」

「そう、ですね」

 真摯な表情で紡ぐミナト先生に、仄かに罪悪感も抱いたけれど。
 彼女にはまだ話せない。
 この身に宿った鬼のことは、私が何とかしてみせる。

「鬼を追う者、鬼を見届ける者、鬼を宿す者――」

 ミナト先生は謳うように告げる。

「早く、平和に成れば好いのに……」

 それは彼女の心の底からの懇願で。
 ゆらり、ゆらぐ、私の心。

 嗚呼、でも今は、
 言えない――――。








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