『あなたのしあわせ』





 ノゾム タカツ
「何かおかしいだろ……」
「そうね、確かにおかしい……」

 二階の廊下からは、放課後になって少し経った頃の、生徒達の姿を眺めることが出来る。
 私―――月村望―――とタカツは、窓辺からお嬢様達が帰路に着く姿を見下ろしていた。

 その中で、一際お嬢様オーラを放っているとも言える、一年生の生徒。
 悠祈澄子の帰宅姿を見ていた。
 ユウキが自ら、鬼を宿していると自白してから一週間、
 あれ以来合宿に参加した生徒がずっとユウキの周りについて鬼を見張っているというのに、
 ユウキの周りは実に平和で、これまでの彼女の日常と変わらないだろう風景が広がっていた。

 鬼による被害がぴたりと止んだ。
 確かにそういう意味では、本当に平和で良い事だ。
 だが、私達の誰かが具体的な策を打ったわけでもない。
 ユウキ自身は、今も鬼を宿していると言う。
 そんな、奇妙な平和に覆われた一週間に、私もタカツも、違和感を覚え始めていた。

「寧ろ、こう、な……あの黒塗りの車の横に立ってる、いかにも執事ですと言わんばかりの男に向かって、ユウキが急に刃物を振り回し始めた方が、よっぽど納得が出来るんだが……」
「ノゾムさん、それは流石に物騒」
「そうか……まぁそうなんだけど、でもなんか妙――」

 そう言い掛けた私の視界に、
 お嬢様のお出迎えの車に混じった、一台のピンク色の車が飛び込んでくる。

 車は校門の前に止まると、その運転席から一人の女を吐き出した。

「――……ぁ、……え?」
「どうしたの?」

 タカツの問いかけも耳に入らぬほど、
 その女の姿に、私は動揺を隠せない。

 女は聖蘭の生徒にちょこちょこと近づいては、怪訝な視線を受けて困ったように笑う。
 そんな細かな仕草すらも、この遠目で解るほどに――私のよく知った、人物だった。

「桃姉……」
「……?お知り合い?」

 やっぱりタカツの声なんて耳には入らなくて、
 うっかり学園の警備員に目をつけられそうなその人物――桃姉(ももねえ)の姿に、
 私は窓を全開にして声を上げていた。

「桃姉!!」

「……!のんちゃーん!!」

 私の声が聞こえたらしく、嬉しそうにその場で跳ねて手を振る桃姉に、
 私は慌てて校門までダッシュしたのだった。





 ノゾム タカツ モモコ
「この人は……昔、近所に住んでいたお姉さんで」
「こんにちは!速水桃子です。えっと、のんちゃんのお友達かな、かな?」

 ノゾムさんの隣で、屈託の無い仕草で小首を傾げるその女性は、
 そう、ノゾムさんの紹介の通りなら、昔彼女の家の近所に住んでいたお姉さん――らしいけれど……。

 一先ず、私―――高津茉莉奈―――は、女性に向かって深く一礼した。

「初めまして。望さんには普段から良いお付き合いをさせて頂いております、三年の高津茉莉奈と申しますわ」
「そーっかそっか、お友達か!いやこっちこそ、のんちゃんがお世話してもらって、あれ?のんちゃん二年生じゃなかったっけ?」
「そうだよ、二年生だよ、だからタカツ……先輩は、一年上で、えーと」

 タカツ“先輩”ねぇ。
 ノゾムさんのこの明らかな動揺を、私は一体どう理解したらいいのかしら……。

「で、桃姉、今頃になってなんで聖蘭になんか……」
「う?そりゃのんちゃんに会いたかったからだよ?」
「会いたかったって桃姉……そんな理由だけで押しかけてきて警備員に捕まったらどうするんだ!」
「えー、その時はちゃんと言うよぉ。のんちゃんの昔のこいびt」
「だー黙れ、黙ってろ!」

 ……。
 桃子お姉さん、か。

 私は改めて、桃子さんに向き直ると、とびきりの営業スマイルで言い放った。

「ところで桃子様、此処聖蘭の敷地では外部の方の立ち入りをご遠慮願っております。生徒会長として言わせて頂きますが、今日の所はお引き願い頂いて……」
「せーとかいちょ!?生徒会長なんだ!それはなんかカッコイイぞ!のんちゃん凄いなぁ、生徒会長さんとお友達なんだねぇ」
「……」
「いや、あたしもね、急に押しかけてもーしわけないとは思ってるんだよ?お詫びに、お茶くらい奢るからさ、えーっと、茉莉奈ちゃんだっけ?良かったら一緒に」
「……では遠慮なくお付き合いさせて頂こうかしら!」

「おまっ、タカツ!?桃姉も一体何考えてるんだ、うわああ」

 普段の一匹狼のような鋭さも切れ味もなく、情けない声を上げるノゾムさんを尻目に、
 私の営業スマイルと、桃子さんののんびりとした笑顔は、
 放課後の聖蘭にばちばちと火花を散らしたのだった。

 多分、私が一方的に。





「ねえ、ノゾムさん、率直に聞いていいかしら」
「……なんだ?」

 桃姉が化粧直しで席を外した途端、タカツが真面目な顔をして私―――月村望―――に問い掛ける。

「どうしてあんな方とお付き合いしていたの?」

 ぶ。
 私は思わずその場で、口に含みかけていた紅茶を噴き出す所だった。

 OLなんかがランチに利用しそうな、入りやすい感じの、だけどちゃんとした喫茶店でのこと。
 タカツはさっきから妙に不機嫌だし、桃姉は昔と変わらずマイペースだし、
 私はそんな二人の間でそれぞれのフォローに奔走していた。

「お付き合いって、あのな……まず声が大きい」
「お付き合いしていたことに違いはないんでしょう?」
「なんで、私が桃姉なんかと」
「桃子さんが、貴女と昔恋人だったってぽろっと言ったんじゃない!」
「……げげぇそうだっけ」

 桃姉のバカ……。
 そんなのぽろっと言うことじゃないだろ……。

 タカツは周りの視線が微妙に集まっていることを感じてか、声を潜めて続ける。

「どうしてあんな、聖蘭には相応しくない方と親しくしていたの?」

 そんなタカツの問いに、私はふと返す言葉を見失う。
 そりゃあタカツから見れば、ちょっとしたお嬢様じゃない限り聖蘭には似合わないだろう。

「確かに桃姉は別に裕福な家の娘じゃないけど――そんなのタカツに関係ないだろ」
「大いに関係あるわね。今はノゾムさん、私は貴女の先輩なのよ?」
「先輩だからって人の昔の人間関係にどうこう言っていいもんじゃないだろ?」
「昔のって何よ。今でも彼女はノゾムさんを我が物顔にしてるじゃない」
「我が物顔なんてしてない!桃姉はあくまでも昔の人であって!」
「じゃあどうして聖蘭にまで貴女に会いに押しかけて来るのよ!?」

 ……。
 それは私に言われても。
 私だって、桃姉がいきなり現れて驚いてるのに……。

「二人ともどうしたのかな、かな?」

 不思議そうな表情を浮かべて戻ってくる桃姉に、私は繕った弱い笑みを浮かべる。

「桃姉……別に何でもないよ」

「そっか?」

 桃姉が席につくと、タカツは不機嫌そうにそっぽを向いて、押し黙る。
 桃姉は桃姉で、タカツの様子に気付いてないのか――相変わらず鈍いな。

 少しの沈黙。
 桃姉はミルクと砂糖をたっぷり入れた紅茶を一口啜った後で、少し控え目な声で言った。

「えっと……あたし、やっぱ帰ろうかな?その方がいいかな?」

「え?いや、桃姉、別にそんな……」

「あ、大丈夫だよ、お勘定はちゃんとしていくからね」

 そんなことを言って能天気な笑みを浮かべる桃姉に、
 不意にタカツがかたんと席を立つ。

「お気遣い頂かなくても、私が失礼致します。その方が宜しいでしょう?」

 そんなタカツに桃姉が口を開きかけたが、
 タカツの有無を言わせぬ押しの強い笑みに、桃姉も言葉を失ったようだった。

「それでは、御機嫌よう」

 表情は笑みを浮かべていたが、タカツが内心かなり怒っているのは、その雰囲気から伝わった。
 こんなタカツは見たことが無い。私は渋々タカツに小さく頭を下げ、後ろ姿を見送った。

「……ごめんね、のんちゃん。あたし、またなんか悪いことしちゃったかな」
「桃姉は悪くない。タカツが勝手に怒ってるだけだよ」
「でも、あたし茉莉奈ちゃんを怒らせちゃったよね?」
「いや……」

 タカツがなんで怒ってるかなんて、私にもよく解らないよ。
 でも、桃姉はきっと悪気があって怒らせてるわけじゃないんだから、やっぱり桃姉は悪くない。
 この人はいつだって――自分のしていることに、大して自覚が無いように笑って、
 後になって謝るんだ。ちょっとずるいかもしれないけど。
 私はそういう、桃姉の子供っぽい所が――好きだった。

「でも、桃姉。今頃になってどうして聖蘭になんか……」

 私はぽつりと口にして、続く言葉に躊躇したけれど、言わなきゃいけないと思ったから言った。

「もう会わないってあの時決めたんじゃなかったっけ……」

 そんな私の弱い言葉に、桃姉は困ったように笑って見せて。
 黙ってるのは、私に対する言い訳が見つからないんだ、なんて思ったけれど、
 桃姉は不意にくしゃりと表情を曇らせ、呟いた。

「のんちゃん……お願い、くーちゃんを助けて……」





 ノゾム モモコ
 速水桃子と知り合ったのは、去年の秋――私が目水津高校の一年生だった時のこと。
 公立目水津高校。この鬼灯市で一番ポピュラーで、一般人の通う普通の共学高校。
 私はそんな高校の一年生で、何処にでもいるような、クラスに馴染めない仲間外れだった。
 学校での授業はとても退屈でくだらない。
 クラスの男子にも女子にも興味が持てなくて、学校帰りに寄るゲーセンだけが楽しみな毎日。
 そんな日々を変えてくれたのが、桃姉だった。

 『ねえねえ、ちょっといいかな』

 街角で、初めて桃姉に掛けられた言葉は、

 『お姉さんと、援助交際してくれないかな?』 

 ……という、とんでもないものだった。

 初めは新手の押し売りか何かだと思って、相手にしなかった。
 だけどこの女――速水桃子は何処までも強引で、そして屈託の無い笑みで言うんだ。

 『お願い!君に一目惚れしちゃったんだよ』

 私のことが男に見えてるのかと思った。
 でも別に髪も短くなかったし、制服も普通のブレザースカートだ。

 『援助交際って、何すればいいの?』

 初めて私が桃姉に掛けた言葉に、
 桃姉は表情を緩めて、二本指を差し出した。

 『じゃあ、二時間コース!』

 ――と。

 本当に、この女はバカだと思ったし、
 後になっても、何かの商売で何日か経って家に請求が来るんじゃないかと思ってた。
 でも速水桃子は、本当に約束通り三万円を私に手渡したし、携帯の番号やメアドも教えてきた。
 その癖、私の番号やメアドを強引に聞いてくることもなかったんだ。

 後日、再び会った速水桃子に、私は三万円を押し返した。

 『う?う?厭だったのかな?ごめんね?ごめんね?』

 涙目になって謝るこの女に、私は少しだけ照れたけれど、

 『お金なんて要らない。そんなもの貰ってまで繋ぎ止められたくない』

 本当に真っ直ぐに私を見つめて笑ったり泣いたりする、この年上の女に、
 惹かれてた。

 『普通に付き合ってくれればいい』





 それからのんちゃんと私―――速見桃子―――は、始まった。
 頭も悪くて、単純で、ちょっとだけお姉さん気取りで、
 のんちゃんから見れば私は本当にバカな女だったと思うのに、
 のんちゃんは嫌がらずに、私とちゃんと付き合ってくれた。

 秋から冬、あの時が私にとっては本当に、しあわせなときだった。

 私はのんちゃんに自分のことをたくさん話したつもりだったし、
 のんちゃんの制服が、何処の高校のものかも知っていた。
 だけど肝心なたった一つを話せなかったばっかりに、
 私とのんちゃんは、すれちがってしまった。

 私には一人の妹がいる。
 速水胡桃(ハヤミ・クルミ)こと、くーちゃん。
 くーちゃんは私と似ずに、真面目で、優等生で。
 私のバカな姿を見て、こんな風にはなりたくないって思いながら育ったから、
 全然違う姉妹になったんだろうな。
 私はそんなくーちゃんのことも大切にしてきたつもりだったけど、
 くーちゃんの本当の気持ちには、気付けなかった。

 私のなんにも知らないところで、
 そのトラブルは起こって、
 私が知った時には、もう引き返すことなんて出来なかった。

 くーちゃんとのんちゃんの制服がおんなじだって、
 だたその一言、のんちゃんに告げられなかったばっかりに。





 ノゾム クルミ
「月村さん。お話があるんですけど、いいですか?」

 高校一年生のある冬の日、私―――月村望―――は同じクラスの、
 速水胡桃という学級委員長に呼び出された。
 速水という名字は確かに珍しいもので、そして私の年上の恋人と同じものなのは知っていたけど、
 まさか、そんな偶然があるなんて思わなかった。
 それに桃姉はいつも制服姿と私と会っていたから、
 目水津高校に、妹なんかいるんなら、とっくに話してくれてると思ってた。

 速水が直々に私を呼び出すなんて、良くない予感は、したけれど。

 校舎の隅の、普段使われていない階段まで呼び出された私は、
 いつも不機嫌そうな速水に、今まで無いほどの剣幕で怒鳴られた。

「月村さんはクラスメイトの姉に手を出すことが趣味なんですか?」

「……?何を、言ってる?」

「とぼけないで下さい!私の姉といつも会っていることは知ってます。必要以上にスキンシップしていることも、何もかも」

「……まさか、速水の姉、って」

「今更知らなかったなんていうわけじゃないんでしょう?速水桃子、貴女が週に一度は会っている人を知らないなんて言いませんよね?」

「嘘だろ?桃姉が速水の」

「人の姉をそんな風に呼ばないで――貴女みたいな人に姉を誑かされるなんて遺憾だと言ってるんです」

「……」

 最初は速水の剣幕に押されていた私だったけれど、
 相手の怒りに感化されたように、私も次第に速水に対しての怒りが沸いて来た。
 私は何も知らなかったのに。
 胡桃と桃姉が姉妹なんて、今、初めて聞いたのに。

「人が誰と付き合おうと……そんなのはお前には関係ない……」

「ふざけないで。関係ない?どの口がそんなことを言えるんです?私と桃子は姉妹なのに」

「桃姉とお前が姉妹なんて知らなかった。今知ったんだ」

「そうですか?じゃあこれからはそれが月村さんと桃子が会わない理由になります?」

「ならない。桃姉は桃姉で、胡桃は胡桃だろ、姉妹なんて関係ない!」

「関係なくないです――バカにしないで。私と桃子は血が繋がってるんです!」

「そんなの……ッ、今頃言われてもッ!」

 もし私がもっと冷静であれたのなら、
 ちゃんと胡桃の言葉を現実として認められたのなら、
 そして桃姉との付き合いに責任が取れる程の大人だったのならば、
 私はいがみ合っているクラスメイトの速水胡桃との和解も、考えなければならなかっただろう。
 それは桃姉と今後、付き合いを続ける上での、大前提だった。

 だけど私は、そんな現実を受け容れられず、
 胡桃の言葉にも、逆上するしか出来ない、子供だった。

「いいですか、今後一切私の姉とは関わらないで下さい」

「……厭だ、そんなの」

「まだ、そんなことを言うんですか?」

「胡桃には関係が無い――人の関係に口を出すな」

「何度言えば解るんです?私の方が血縁者なんですよ?私の意見の方が通るんです!私は、貴女みたいな人間に、姉を奪われたくないと言っている!」

「人をゴミみたいに言うな。なんでお前が、私の人間性なんか語れるんだ?桃姉の方がずっと、ちゃんと私のことを理解してくれてる」

「そんなの貴女の傲慢でしょう?じゃあ私よりも、月村さんの方が私の姉を、桃子を理解してるんですか?それは違う、生まれてからずっと一緒だった私の方が、桃子を理解してるのに」

「それとこれとは――」

「私は貴女みたいな人間に関わって姉が不幸になるのを見たくない!」

 そう、口が悪いのはお互い様だったけど、
 先に手が動いたのは、
 私のほうだった。

 胡桃の言葉に、私はもう何も考えられないほどに、キレて、
 校舎の隅に寄せられた、埃の溜まった使わない椅子を持ち上げて、胡桃に振り翳していた。

 ――ガシャン!!





 モモコ クルミ
 病院に駆けつけた私―――速水桃子―――に、
 くーちゃんは……妹は、束の間、冷たい眼差しを向けて、
 すぐに目を逸らした。

「くーちゃん……私がのんちゃんのこと、話さなかったから、怒ったのかな……そうだよね……」

「……」

「私が悪いんだよね。話さなかった私が悪いんだよ。だからのんちゃんもくーちゃんも悪くない」

「どうして、月村さんのことを庇うのかな」

「庇うなんて……私は……」

「お姉ちゃんはもう、月村さんとは関わらないんだよね?そうだよね……?」

 くーちゃんは、目一杯涙を溜めて、だけど決してそれを流そうとはしなくて。
 ずっと怒ったような表情で、そっぽを向いていた。

 くーちゃんの怪我は、二週間程で治る、大した怪我じゃなかったけれど、
 くーちゃんの心の傷は、たくさんたくさん時間を掛けないと治らないくらいに、深かった。

 私はそんな妹の心のささくれに、全く気付かなくて。
 妹が初めてこうして涙を見せてくれたのさえ、事が起こった後だった。

 私がのんちゃんと付き合うことで、くーちゃんをこんなにも傷つけているなんて、知らなかった。
 のんちゃんのことも、たくさん傷つけてしまったのだと思う。
 二人の高校生の少女に、こんなにも辛い思いをさせて、
 嗚呼、私は駄目な姉だって、今更に思い知って。
 だけど自分を責める言葉なんて、今は吐いちゃいけないと思った。

「ごめんね、くーちゃん。ごめんね。……のんちゃんとは、もう会わないよ」

 私が、大人として、胡桃の姉として残されていたのは、
 のんちゃんとの関係の清算という選択肢だけだった。





 ノゾム モモコ
「のんちゃんとはもう会えないね……ごめんね」
「別に、桃姉が謝ることじゃない。全部私が悪い……」
「そんなこと――」

 ないよ、と泣きそうな顔で言う桃姉に、
 私―――月村望―――は最後まで、結局強気に笑ってみせるしかなかった。

 私は胡桃に暴力を働いたことから、もう目水津高校には居られなくて。
 元々一人暮らしをしていた家から、同じ鬼灯市の、親戚の家に引き取られることになった。
 学校は本当はもっと遠いことが望ましかったけれど、私には保護者が必要とされて、他に引き取る先が見つからなかったことから、仕方なく同じ市のお嬢様学校――聖蘭学園に編入することになった。

 散々胡桃の家に――速水の両親に頭を下げて、
 胡桃の目の前でも、そして桃姉の目の前でも、
 私はただただ繰り返した。

 『本当に、申し訳ありませんでした』

 引っ越しの朝、
 家の前に停まったいつものピンクの車、
 その運転席から泣きそうな顔を覗かせる桃姉に、唇を噛んで手を振った。

「じゃあね、桃姉。……胡桃を泣かせるなよ」

「うん。のんちゃん。……本当にごめんね」

 最後までそんな風に謝る桃姉に、苦笑して、
 ぱたん、と扉を閉じた。

 それを、桃姉との最後にしたはずだった。





「お願い、くーちゃんを助けて……私、どうしたらいいかわからないよ……う、ぅ……」

 其処は病院の、
 救命医療施設だった。

 呆然と佇むノゾムと、
 その傍で泣きじゃくる女性。

「なんで、胡桃が――、轢き逃げなんて」

「わかんない……わかんないよ……どうして、誰がこんなことするのかな……どうして」

 そのベッドは面会謝絶にされ、
 周りは慌しく、人が行き交っていく。
 中には“私”の見知った刑事――……

「こんな――ふざ、ける、な……」

 ノゾムの反抗的な言葉も、今は。
 それをぶつける相手すら見つけられずにいる。

 ずっと前に警告したのに、
 ノゾムはそれを守らなかった。
 だから、改めて知らしめてあげただけ。

 『それでは単なる自殺志願者よ』

 なのにノゾムはいつまでも無事だから、
 それなら彼女の周りの人間から、痛い目に遭わせればいい。

 いつか貴女もこうなるのよ、って、
 私は警告してあげているのに―――

 ね。

 一つ笑って、
 隣に座るユウキに合図する。

「ソラ様……何故致命傷を与えないのですか……?」

 走り出した車の中で、ユウキの不思議そうな問い掛けに、私は冷たく答えていた。

「別に殺そうが殺すまいがどっちでもいいの……」

 ちらりと見遣った助手席の女、
 ニシザキは私の視線をミラー越しに受け止めたか、私の意図を補足するように告げた。

「生き返るかもしれないと一度希望を抱いた方が、人は絶望に陥るのよ。生死の操作なんて簡単でしょう?あの病院はユウキさん、貴女の家のものなのだから」

「……ええ、確かに。殺すならば一言で、患者の生命維持装置を切ることが出来る」

 これだから人間は理解が遅くて困る。
 私も人間には変わりないけれど……誓うと宿すでは雲泥の差がある。

「そう、生死なんて、鬼と権力の前では――実に無意味なこと」

 明日には私とニシザキの、“ユウキの警護”も終わる。
 そうなればこう易々とユウキの権力を使うことも侭ならなくなるけれど、
 暫くはこれでいい。
 もし血が足りなくなれば、喜んで捧げる人間が二人も居る。

 ユウキとニシザキと、三人で行動出来るのは今日だけか――
 まぁいい、ノゾム達は鬼を疑っても、鬼に誓う人間までは疑っていない。
 今の内に、外堀さえ埋めれば後は意の侭。

「次は誰を絶望させる……?誰の血を啜る……?」








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