『Ark』![]() 「驕れる無能な創造神にでも成った心算なの……――か」 聖蘭の生徒が次々と悲鳴を上げ、倒れていく。 全ての事態は私―――悠祈澄子―――の耳に届いていた。 崩壊、破滅、全ては予定調和の内。 唯一神の前では凍てついていく感情も、彷徨える屍も、虚ろな心も すべて解けて、幸福に移ろう。 皆、気づいていないだけ。 本当に大切なものを知れば、解決するお話なのに。 彼女らは一体何と戦っているお心算かしら? その絶望を、その幸福を 全てを神に打ち明けよ。 さすれば、皆平等に――― 「楽園へ還れると謂うのに……ふふ、あはは」 『Ark』 「……というわけで、和栗めぐるも現在救急病院に運ばれている。それは何故か。今まで何度も言った通りだ。めぐるは鬼に支配されていた。鬼が宿っていた所為だ。そしてめぐるに宿っていた鬼も今は別の宿主を見つけ出している筈なんだ。―――私の言いたいことが解るか」 言葉の後に、ドン、と教壇を叩いたのは、少々遣りすぎだったかもしれない……。 だが、それほどに重要なことを、今、私―――月村望―――は話していた。 放課後の、とある教室でのことだった。 現在教室に集められているのは、あの合宿の参加者だ。 けれど全員というわけではない。 既に鬼が宿って脱落した――坂本、中谷、めぐるの三人はこの場には居ない。 残りの十二人。教師のニシザキも含んでいる。 ああ、ミナト先生も合宿の参加者だが、人数に入れてなかった。 あの人は何故か計算に入れ損ねる――この教室に居るにも関わらず、何故だろう? まぁそんなことはいい。 現在この教室に居るのは、ちゃんと数えるとミナト先生も含めて十三人。 私の熱弁を、真摯に聞いてくれる生徒も居れば、ぽかんと呆気に取られている生徒もいる。 イズミなんか特にそうだ。 「イズミ。繰り返し言うが、私の言っている意味が解るか」 「いや、全然」 「おまっ」 「いや、いやいやいや、ごめん、ごめん、ちょと待って」 イズミは慌てた様子で額に手を当て暫し考え込んでから、続く言葉を告げる。 「鬼?その、鬼が今この教室に居るから出て来いってノゾムちゃんは言いたいの!?」 「……。まぁ、乱暴に言うと、そうだな」 そう、イズミの言う通りだ。 鬼は確実に合宿の参加者である、この残る面子の中に居る。 めぐるから解き放たれた鬼が、必ずこの中に居るはずなんだ。 出て来いと言って出てくるとは思わない。 だけど、もう悠長に待っている暇はなくなった。 坂本、中谷、めぐる。更には学園の部外者まで巻き込んで、次々と被害を出している。 私達は一刻も早く「現在の鬼」を突き止めなければならない。 その為には、容疑者全員に、その真相究明についての認知を求める必要があると思った。 話したのは、今までに起こった――あの学校立て篭もりと同時に起こっていた坂本の事件から。 続いた中谷の事件、そしてつい昨日のめぐるの事件まで。 めぐるに宿った鬼の仕業によって、中谷の事件だけは学園でもちょっとした噂になってはいたが、 此処に居る全員が知っているというわけではないようだった。 一番理解に苦しんでいるのはやっぱりイズミのようだが。 「兎に角、ここに集まっている生徒――もしかしたら教師の中に、鬼を宿している者がいる」 私は改まって皆に向き直り言う。 「私達は其れを見つけ出さなければならない……よって互いを見張って欲しいと考える」 全員の目を見るように、見渡して、 「皆の協力が必要なんだ……事が起こる前に……」 ―――なんだ? 24の瞳の中に、妙な違和感を覚えた。 その二つの瞳だけは、 何もかもを見透かしているような、 真っ直ぐで、 何処か現実離れした、…… 「望様」 ―――ッ! 此れだ、この目だ、 この瞳の主は…… 「ご安心下さいませ。鬼ならば、私の身に宿っております」 そう、この人物の瞳だけが妙におかしい、 悠祈澄子の、…… 「……って、な、なんだって!!?」 「鬼は私に宿っていると申しました。ですから探す必要はありません」 ユウキ、――ユウキはその言葉とは不似合いな穏やかな微笑を浮かべていた。 一年生のご令嬢、悠祈財閥の一人娘である彼女は、綺麗な黒髪と黒い瞳を持った人物。 そう、その瞳は全てを見透かすような、深い色を持っていた。 「自身でも不審に思っていました……昨夜から妙に血に飢えて、狂気を孕むのです」 「あ、ああ……それは鬼の……症、状?」 余りにもあっさりと自白した鬼の宿主に、私は半ば呆気に取られていた。 同様に鬼を追っていたタカツも面食らっていたが、言葉を失いかけた私の変わりにユウキに問う。 「本当に鬼を宿している自覚があるの?これまでの鬼は、事件を起こすまで身を隠していたけれど、貴女にはそうしようという思いはないの?」 タカツの問いに、ユウキはのんびりと小首を傾げて見せる。 「自覚は確かにありますわ。昨夜の……そう、夕刻を過ぎた頃でしょうか。私は自室にてその日の勉学の復習をしておりました。そんな折、不意に何者かが意識を支配して、そして気付けばナイフで自らの腕を裂き、其処から溢れる血液を人形に滴らせ――血を含ませた人形の胸元に、ナイフを振り下ろしたのです」 とん。 ユウキは机に、ナイフを振り下ろすジェスチャーをして見せ、 それから薄いカーディガンの左袖を捲った。 確かに其処には真新しい傷、細くナイフで切ったような傷があった。 自傷した痕、それは酷く生々しいのに、ユウキは何処までも穏やかで。 その態度こそが鬼の為せる業と言われれば、納得してしまいそうでもある。 タカツのもう一つの問いに、ユウキは続けて答えた。 「身を隠す、という意識は私にはありませんし、過去の宿主にも無かった筈です」 「……無かった?」 「坂本様は自ら高津様の前に姿を現されました。菫さんの時は潜伏期間が長かったのですが、それは菫さん自身が自傷行為を行なうことによって鬼が血に満たされていたからです。そしてめぐる様に至っては、身を隠すどころか、自らの存在を誇示するかのようにインターネットに書き込みを行なった、そうでしょう?」 「……確かに」 タカツはユウキの言葉に推されるように、ワンテンポ遅れた相槌を返したが、 ふと疑問を抱いたように、再びユウキに問う。 「坂本さんに宿った鬼は、昨年の八月に幸田茜と対峙した時にも宿っていた――だとしたら、一年の潜伏期間があったということになるの?」 「……いいえ」 ユウキはのんびりと頬に手を添え、 ゆるゆると首を振って否定しては、その一年間の理由を話す。 「鬼が、圧されていたと言えば相応しいでしょうか――そう、坂本様に」 「どういうこと?」 「坂本様は、自覚をお持ちだったのです。茜様を殺めたことも、自らに鬼が宿っていたことも識っていた。その上で、自らに宿っていた鬼を制していた……いえ、戦っていたと言った方が良いでしょうか」 「坂本さんが……戦って……?一年間、ずっと……?」 「そうです。茜様を殺めたことによる罪の意識、罪悪感という強い意志と、鬼に対する憎しみ……おそらくは坂本様が、茜様を強く慕っていたから。その意志に反して、慕う人物を殺めたモノに対しての憎しみを孕んでいた。強い正義感が無ければ出来ないことですわ」 たおやかで、礼儀のしっかりとした語り口で、告げられる鬼の真実。 それが嘘だとは、きっと誰も思わない。 ただ余りにも呆気なく、鬼の宿主がそんな真実を告げることに、拍子抜けしている。 私はユウキに更に質問を重ねた。 「それだけ強靭な意志を持っていた坂本が――何故折れた?何故タカツや私を殺そうとした?」 「それは……」 ユウキはすぐに返す答えを持っていないように、自問するようにこめかみに指を当て目を伏せた。 少しして、ユウキは言う。 「解りません――其処だけ記憶にロックが掛けられているように。不思議なことですね、他の記憶は鬼が宿ると同時に私にも残りましたのに、あくまでも部分的な記憶であり、酷く細かく、そして端的なのです」 「細かく……じゃあ、坂本の時のことを、細かく言えるか?」 「ええ、知っている限りでしたら。しかし、それは坂本様の記憶ではなく、坂本様に宿っていた鬼の記憶としてなのです」 「それはどう違う?」 「先程も言った通り、坂本様はご自身の意志で鬼を閉じ込めていらっしゃいました――私が知り得るのは、坂本様が閉じ込めようとした記憶ではなく、閉じ込められた鬼の記憶ですわ」 「閉じ込められた……鬼、か」 低く復唱する私に、ユウキは僅かに目を逸らして続ける。 「私にあるのは――例えば茜様と対峙した時の記憶や、冴子様に追い詰められた時の記憶です」 ……!? そう、か――…… このユウキの言葉で確信する。 私は確かにこの場にいる面々に、あの裏切りの丘で、私とタカツが坂本に追い詰められたことは話した。 だが、其処から坂本が崖から落ちる経緯……つまり冴子先輩が助太刀に来たことは話していない。 『剣ってのはな、人の命を奪う為のもんじゃねーんだよ』 それを“識っている”ことこそが、ユウキに鬼が宿っている、証なのか。 「ユウキ」 ぽつりと相手の名を呼んで、その黒い瞳が私を見たことを確認した上で続ける。 「私達はお前に――ユウキに宿った鬼が暴れないように、対策をしなければならない」 「ええ、承知していますわ。監視するなり、拘束するなり、私自身は何をされても構いません、けれど」 すい、と逸らされる視線。 ユウキは一寸困惑がちに、声色を弱め続けた 「……私の家族は、それを良しとは思わないでしょう」 「それは困ったわね」 私がユウキの言葉を理解する前に、ニシザキが間髪居れず言葉を返す。 怪訝にニシザキを見れば、私の眼差しを知ってか知らずか、彼女は続けた。 「申し訳ないけれど、学園側は悠祈さんには何も出来ないわ」 「……そうでしょう、ね」 互いに気まずいことを理解し合っているようなニシザキとユウキに、どういう意味なのか問いかけようと身を乗り出した私を、タカツに声で制された。 「ユウキさんは、悠祈財閥のご令嬢。そして悠祈財閥は、聖蘭学園に多大な援助をしている。つまり学園が彼女を拘束でもしようものならば、この学園は潰れてもおかしくないのよ」 「……権力絡みか」 漸くユウキやニシザキの言葉の意味を理解して、嘆息を吐く。 これだからお嬢様学園ってやつは面倒臭い。普通相手の家柄まで考えて行動しないっつーの。 少々呆れたが、私はきっぱりと続けた。 「なら、私が個人的にユウキを拉致監禁する分は学園も関係ないだろ」 「それは拙いわ」 「なんでだ」 「ノゾムさん……貴女、国際級の指名手配犯になりたい?」 タカツの圧力のある言葉に、思わず押し黙る。 そんなに権力ってのはでかいのか。 そして更に補足するようにタカツは言った。 「この学園の生徒同士のトラブルだとしても、ユウキさん自身が関わろうものならば彼女の家が黙っていない。だから下手な真似は出来ないのよ……」 そんな言葉に、私は閉口するばかり。 敵は目の前に居るのに、権力絡みで何も手を出せないような雰囲気を打ち破ったのは、 意外にも、最初は一番理解に程遠かった、イズミの言葉だった。 「―――それなら、ユウキさんと仲良くすればいいんじゃないかな?」 ![]() 「……此処は、一体……」 「げげぇ、なんか見とる、めっちゃ見られとる」 普段からぽーっとしとるソラは、正直な所その表情から真意を汲み難いが、 それでも、彼女が唖然としているのが私―――鈴木貴子―――にはよぉく理解出来た。 私かて、めっちゃ唖然としとるし呆然としとる。 あかん。この雰囲気はあかん。反則や。 なんでこんなとこ連れて来られなあかんねーん! 「宙様?貴子様?どうかなされました?」 一歩前に居たユウキが振り向いて不思議そうな表情をするのに、 私とソラは正直言葉を失わずにはいられない。 どうかなされたって、こんな、こんな場所に連れて来られてどうかせんへん方がおかしい。 ――今日の放課後の、イズミの言葉が発端だった。 『ユウキさんと仲良くすればいいんじゃないかな?』 それは、イズミのとっても純粋で真面目な意見で、 誰も反対せず――当のユウキすら乗り気で――話はとんとん拍子に進んでいった。 イズミの「仲良くすればいい」とは、ユウキを拘束したり監禁したりするのではなく、 私らが、ユウキに引っ付いて回ればいい、という話。 ユウキを特定の場所に幽閉するのも、ユウキの家に押しかけて“お友達として”おんなじ部屋で寝るのも、 ユウキの傍に居て彼女の行動を見張れるという意味では同じだ――と謂う、 イズミの、ほんまにほんまに純粋な意見なのだが…… これなら監禁した方が絶対楽やったと思う。真面目に。 「あ、あのな、ユウキ、私は先輩として色々ユウキを再教育したい気持ちで一杯やねんけど」 「再教育……?」 不思議そうな眼差しで私を見上げるユウキ。 嗚呼そんな目で見ぃひんといて。怖いからマジで怖いから。 なんで私が“ユウキとお友達”になるのをこんなに後悔しているかと言うと、 私はユウキの趣味を知らなかった。習慣も知らなかった。 彼女の生活なんて知ってる筈も無かった。 学園での解散後、ユウキと行動を共にすることになったのは、私とソラの二人。 今後も交代でユウキと行動を共にする生徒達は、交代の時が来るまでは自分の生活を過ごす。 どうせ後回しにされても順番は回って来るんやし、人の生活を覗き見るのはと面白そうという理由で 私は最初の順番に立候補したわけだが……これはあかんわ。 ユウキの家の黒塗りの車で、私らはユウキが放課後に必ず立ち寄っているという “ある場所”に付き合わされることになった。 そこはとあるマンションの一室で、うっかりユウキの家の別宅か何かやと思った私がアホやった。 玄関を開けた瞬間、目に映るのは、普通のマンションの部屋を改造されとるだけのはずなのに、 異常な程に不気味な空間だった。 まだ夕方やのに、外からの光は完璧に遮断されている。 代わりに室内を照らすのは、薄暗い蝋燭の明かりだった。 そしてその蝋燭の明かりに照らされて浮かび上がっているのは、 室内にびっしりと並べられた、洋風の、人形。 幾つもの人形の不気味な目が、一斉に私らを見ている。 怖い。怖すぎる。ひぃぃ。 「ご神前は奥にありますの」 「 ご し ん ぜ ん ?」 震える声で聞き返す。 ユウキは不思議そうに「ええ」と頷いて、多分二部屋程しかないのだろうけど(マンションやから) やたら広く感じる暗い空間を奥へ進んでいく。 私は隣を歩くソラにぽつりと問い掛けた。 「なぁソラ」 「……なぁに?」 「今ユウキ、何て言った?」 「多分、ご神前、と」 「……この奥に神様おるんか?」 「さぁ……」 ソラは怖がりこそしてないものの、ユウキに対してめっちゃ怪訝に思ってるのは私と同じやと思う。 正直なんでこんな場所に連れて来られなあかんか……。 ユウキはやがて立ち止まると、ふっと虚空を見上げた。 何も無い場所を見上げるユウキに、思わず私は口を開けて、ちょっと後で思いついた言葉を放つ。 「……こ、こういう場所て、何か呪文とか唱えるんかな!」 言った後でその声色がやたらと明るくて場違いなこと気付き、 同時にその内容が事実でユウキが肯定しようものなら私は泣き出しそうになることも気付いていた。 幸いユウキは静かに首を横に振る。 「私達の神に祈りの言葉は存在しません。唯、心の中で思うのです。死した後、箱舟に乗り、楽園へ還れますよう……と」 「ら、楽園……」 「そもそも、この世に生を受けた時から、私達には二つの選択肢しか存在しません。楽園に行くか、それとも奈落に堕ちるかです。神に祈らぬ後退ばかりの人間は奈落へと堕ちるでしょう。私は、“進行”する為に祈るのです―――」 「祈、る……」 ひぃぃ、助けて、まじでこの子あかんわ。 危なすぎる。何この何も見てないような空虚な目! 「宜しければ貴子様も宙様もお祈り下さい――楽園へ還れるように――」 しゅ、と微かな音がする。 それが何かわからなくて。 ユウキが手元で火を灯した音だなんて気付きもしなくて。 ユウキの手元で灯った焔が、蝋燭に灯った瞬間、 その焔は大きく燃え上がり、 辺り一面に立ち並んだ人形の瞳を浮き上がらせ、 「―――ッ、わあああああああああああああ!!」 ……耐え切れず、私はその場で叫びを上げ、意識を手放し、た。 ![]() 「貴子様……貴子様、お気づきですか……?」 悠祈さんのご自宅で、ベッドに寝かされた人物が目を開いたことに気付いたのはその部屋の主だった。 「あれ――私……?」 ベッドに寝かされたその人物は、ぼんやりと目を開けると、 やがて私―――高津茉莉奈―――を見止め、不思議そうに瞳を揺らす。 「全く、心配したじゃない」 「なんで茉莉奈がおるん?」 「話を聞いて駆けつけたのよ。貴子が失神するなんて一体何事かと思って……」 なんで居るか、なんて、そんなの。 そ、それは悠祈さんの身の回りで誰かが気絶したなんて、悠祈さんの鬼が何かしたのかとも思ったし、 ……それに、それが貴子なら、長い付き合いを持つ者として、心配せざるを得ない。 「あーあ……あれはユウキが悪い……」 そんな貴子の言葉に、思わず指先でぺし、と貴子の額を捉えていた。 「あいた」 「痛いじゃないわよ。何があったか知らないけれど、悠祈さんを見張る人が気絶したなんて本末転倒じゃない」 「そ、それは……でもソラ、あんなとこ連れて行かれたら気絶してもおかしないよな?」 貴子が同意を求めるソラさんは、悠祈さんの自室に元々置かれていたのであろう、なにやらオカルト関連の本を読んでいた視線を少しだけ上げ、沈黙の後で答えた。 「……まぁ、オカルト関係が苦手な人は、そうかもしれない」 「せやよな?な?」 「でも、それを言うなら……この部屋だって十分怖いと思うわ……」 「へ?」 貴子は少々呆れてしまうような間抜けな声を上げ、辺りを見渡した。 私もつられて、悠祈さんの自室を見回す。 まぁ確かに、ちょっとばかり趣味は普通じゃないと思うけれど……。 壁に掛けられた絵画が血塗られていたり、 普通の照明もあるのに、蝋燭が部屋の所々にあったり、 並んでいる本は西洋のオカルト的なものばかりだったり、 心臓をナイフで貫かれた人形は流石に――此れは、そう、放課後に悠祈さんが自白した時に言っていた、 『血を含ませた人形の胸元に、ナイフを振り下ろしたのです』 ……単に鬼の仕業だと思っていたけれど、 少なからず悠祈さん本人の趣味も混ざってはいるようね。 「あ、あー、でもさっきのあの部屋よりは全然……」 「そう?そんなに違う?」 「だってあの部屋は、あんな仰山、人形の――……うひぃ」 貴子の言葉尻は途切れ、本当に何かに怯えているような色さえ滲ませる。 一体どんな所に連れて行かれたんだか……。 ふと、私はこの部屋の主に気付いて、慌てて失礼を詫びた。 「悠祈さん、ごめんなさいね。貴子に理解がないばかりに」 「いいえ、私は何も気に病んでおりませんが……そんなに不思議でしょうか……」 「……そ、そんなことは、全然」 全く無いと言えば嘘になるけれど、人の趣味を批難しても仕方ない。 悠祈さんは不思議そうに瞳を揺らしていたが、ふと気付いたように立ち上がる。 「あの、お姉様方にいらして頂いているのに何もお構いしておりませんでした。少々茶菓子を取って参ります」 「そんな、お構いなく」 ついいつもの社交辞令として謙遜するが、ふと視線をソラさんに向けた。 彼女は私の視線を受けたように、本を置いて悠祈さんを追い立ち上がる。 「私も付き合うわ……一人じゃ持つのも大変だから」 「あ、はい、有り難うございます」 一応念の為ではあるが、 私達は悠祈さんを「見張る」為に、こうして彼女の部屋まで押しかけている。 些細な離席でも、目を離したくなかったのが本心だ。 悠祈さん本人は気付いていないかもしれないが、ソラさんは察してくれた。 二人が部屋を去った後、私は再び貴子に目を向ける。 貴子はぼんやりと天井を見つめていたが、私の視線に気付けば、へらりと笑った。 ……、全く。 時々こんなだから、目が離せなかった。 「貴子が、オカルトが苦手だなんて知らなかった」 「それは言うてへんなぁ」 「苦手なものくらい教えてよ……」 私は貴子の額に手を添えると、ぐ、と体重を掛ける。 「何?何?茉莉奈重い」 「重いとか言わない……」 少しだけベッドに沈んだ貴子の身体と、頭。 私も静かに身体を落として、―――彼女にそっと口づけた。 「…………な、に?」 「忘れたの?寂しい時、キスする約束」 そんな約束を、貴子と交わしたのも、 もう随分前のこと。 貴子は弱ったように笑う。 「そんなのもう無効やと思うてた」 「覚えてはいた?」 「……まぁ、な」 私から視線を逸らそうとする貴子。 曖昧な言葉。 私は彼女から身体を離して、小さく謝る。 「ごめんね。もう昔のことだった?」 「別に……。でも今は違うと思うてた」 「そ、っか」 ほんの少しだけ冷たさを滲ませる貴子の声が、 私と貴子の距離を示しているようだった。 あの時だってそうだった。 貴子は本音を言わずにはぐらかす。 私がこうして近づいた時だけ、冷たい声色を滲ませる。 『鈴木さんっていつも何考えてるの?』 『……え?いや、お腹空いたなぁとかアッホなことやで。なんで?』 『んー。気になったから、かしら。……本当のこと教えて』 『ほんまに何も無いで……』 唯のクラスメイトだった関係から、ある日私が彼女に問い掛けた。 遠くを見ているような視線。 人と話す時は、バカみたいに陽気に笑うのに、 一人の時は寂しそうな彼女の姿が気になった。 『ねぇ鈴木さん。改まったこと言っていい?』 『何ですか副会長ー』 二年生だった、私と、貴子は 『私と付き合ってみない?』 『――……あぁ、うん。構へんよ』 “恋愛関係”に、あったはずだった。 私と貴子は、ドライな関係だったと思う。 どちらかと言えば私は相手に甘えているつもりだったけど、 何処かで、プライドを保っていたのかもしれない。 そして、貴子から私に甘えてくることなんて無かった。 だから私が形ばかりのように貴子に甘えて、 その度に貴子は少しだけ困ったように笑う。 物事に対して私は冷静で状況に適った発言をしてきたつもりでもいたけれど、 恋愛に関して言えば、そうでもなかったのかもしれない。 きっと貴子に対する言葉が足りなくて、 貴子からもあんまり言葉をくれなくて、 私達はいつからか、恋人としての会話を失った。 終わったと思ったのはいつだっただろう。 いつの間にか、貴子は私の傍には居なくって、 そんな状況を、後になって気付いたのかもしれない。 少なくとも、今こうして私の目の前にいる彼女の気持ちが、 私に向いているなんて確信は、得られなかった。 「ねぇ貴子、私達って自然消滅してる?」 凄く今更だけど、 こんな風に貴子と二人きりになる機会が訪れなくて、 本当に今更なことを、問い掛けた。 「……茉莉奈はアホなこと訊くなぁ」 そんな貴子の反応に、少しだけ期待した私が、バカだった。 彼女は笑って言う。 「茉莉奈は私のことなんか見てへん癖に」 「――……」 「恋愛に関しては不器用なんは、変わってへんよなぁ――」 「貴子から見て、私って、そうなんだ」 知らなかった。 私は貴子のことなんか見てないんだ。 私は貴子のことを恋愛対象にしてないんだ。 じゃあどうしてキスなんてするの? ――……それは、唯の、独占心、か。 じゃあ私は一体、誰を……―― 「なぁ茉莉奈」 「え?」 「ユウキとソラ、遅ないかな?」 「――……、え?」 不意に貴子に言われた言葉に、私は我に返る。 いけない。なんて私は駄目なんだろう。自分の周りのことしか考えて居なかった。 悠祈さんと、ソラさん――? 「ヤバイんとちゃう?」 そう呟いてベッドから降りる貴子に続いて、私も立ち上がる。 「……何も、無ければ、いいけど」 少女の声色で囁く。 「さあ、楽園へ還りましょう……」 ――Love wishing to the "Ark" → NEXT → ← BACK ← ↑ Reload ↑ |