『>>125』 ![]() 二学期早々の学園内で、疾風の如く駆け抜ける噂が一つ。 この学園の一年生が、他校の生徒に殺人未遂を働き、其の侭自殺未遂。 何れも未遂で終わっている事実すらも、公になっていた。 「中谷菫が薬の大量服薬により、入院しているのも事実なの」 ニシザキは、神妙な面持ちで私―――月村望―――とタカツを職員室に呼び出した。 彼女が見せたのは、職員用の机に置かれた一台のノートパソコン。 「これは……」 開かれているページは、誰でも書き込め匿名性がある、とある巨大掲示板。 ディスプレイ上に、「聖蘭高校」の文字が見えた。 ニシザキは椅子につき、マウスを手にして言う。 「誰かがこの学園の秘匿事項を、無記名で次々と書き込んでいる」 既にスレッドにはNO3の数字。煽る書き込みも含め、2000件以上の書き込みが行われていることになる。 事態は静かに、けれど着実に事を大きくしていた。 夏休み後半。 中谷菫が自宅で倒れている所を発見された。 その衣服には大量の血液。 通り魔にあったとされる佐山ヒナのものと、一致した。 中谷は処方されていた抗鬱薬を大量に飲んでおり、その場で救急車で病院に運ばれた。 幸い一命は取り留めたものの、意識を取り戻しても尚、尋常ならざる言動を繰り返し、 現在も監視の目の下、病院の一室から出ることを許されていない。 元々、中谷には精神系の疾患はあったものの、 殺人未遂といった行動に出る程の、意識混濁を呼ぶような病ではなかった。 莫大なストレスを一因とする、新規症状。 医者はそう判断するしかなかったが、私達からすれば彼女の行動は一つの原因で説明がつく。 鬼の所為だ――と。 「中谷さんのことは、家族の方と学園の一部の者しか把握していなかった。それなのにこのような情報流出が行われるなんて、有り得ない事態なの。茉莉奈、ノゾムさん、一体どうしたらいいと思う……?」 ニシザキもお手上げといった様子で、私達に意見を乞う。 本来学園側で処理しなければならない問題だろう。しかし最早、事務的な手続きでは何も解決しない。 犯人はそれらを凌駕した、鬼という存在なのだから。 タカツは腕を組み、真摯な表情で思案していたが、やがて口を開く。 「本当にごく一部の者しか知り得ないことだったのですか?」 「誰もといっても過言ではない。最初の書き込みが行われた時点では、学園側ですら知り得ないことよ」 「それは、理事に関わる者でも?」 「ご家族がお話に来られたのは八月の二十八日。けれど書き込みは、二十五日の時点で行われている」 「それじゃあ中谷さんのご家族くらいしか、話を外に漏らせる人間などいなかったということですわね」 私はちらりとタカツに目を遣り、問いかけた。 「理事に関わる者というと?」 「……悠祈澄子。彼女だけは生徒会で動いている頃から他の生徒とは別に見ていたの。悠祈財閥は学園の理事にも多大な影響力を与える名家。生徒会が幾ら口外しまいとしている話だろうと、隠匿すべき事実は理事長ならば知っている。つまりユウキさんだけは、それらの事実を知る術があったのよ」 「なるほど。しかし今回の件はそのユウキでも知り得ないと」 「そのようね」 頷くタカツ。 情報云々の次元ではないということか。 椅子に座ったニシザキが、私達を見上げて問う。 「事実上99%誰にも不可能なこと。どう考える?」 「犯人は残る1%をやり遂げたか、或いは」 そうだな。 論理的には残るは1%かもしれないが、鬼という存在は論理では片付け切れない。 「101%目のことをやって見せた」 私に答えに、タカツもニシザキも小さく頷いた。 「実に厄介ね」 「全く」 だが一つわかることがある。 この、掲示板に書き込んだ犯人は、論理上では99%不可能なことが可能な人物ということだ。 二人も同意した意見で言えば、論理では片付けきれない存在だ。 「中谷に宿っていた鬼が、次の主に宿り、そして中谷の意識を引き継いだ。つまり、この掲示板に書き込んだ犯人が、現在の鬼ということになる」 私の言葉に、ニシザキがすっと目を細めた。 「犯人が書き込んでいる時間は主に夕方から夜にかけて。そして挑戦的にも、帰宅時間なども詳細に書き込んでいる」 「詳細に?」 「いわば、生活を実況しているということ」 ニシザキはそう言って、パソコンの画面をスクロールさせた。 該当する書き込みを見つけ、手を止める。 『帰宅。 二学期早々、抜き打ちテストとかマジ有り得ないwwwww 学校では生徒に秘密にしようとしてるのか、先生達は特に何も言いません。 でも生徒の間ではこのスレのこと話題になってるお! お嬢様もこのスレ見るんだwww軽く感動したwwww』 時刻は16時台。部活をしている生徒ならまだ帰宅してはいない時間だ。 ニシザキは補足するように言った。 「この日、抜き打ちテストを行ったのは二年生のみよ。これだけでも随分絞れる」 タカツが続ける。 「この学園の生徒をお嬢様と呼ぶということは、犯人は比較的裕福ではない家の生徒。そして感動などと揶揄していることから、他の生徒と格差を感じている、或いは蔑んでいることがわかる」 それだけ分析出来れば、もうこっちのものじゃないか。 そして今までのことを繋げる。 「鬼が最初に宿ったのは坂本、次に中谷。偶然じゃないなら、あの合宿に参加した生徒の可能性が高い」 タカツは意味深に目を細め、私を見つめた。 ……? 「そう、そして自宅にインターネット環境があり、俗世的な掲示板に普段から出入りしているであろう人物。 ―――ノゾムさん、貴女くらいしか」 「待て」 真面目に言ってるなら殴るぞ。 ニシザキもタカツの言葉には少し呆れたような調子で言った。 「抜き打ちテストに対して「有り得ない」は成績優秀なノゾムさんの言葉じゃないでしょう」 そうそう、私ならそのくらいは軽くスルーする、……って其処なのか。 ニシザキは、眼鏡をくっと上げ、パソコンのディスプレイに目を向けた。 「全てに該当する生徒はただ一人―――和栗めぐるだけ」 『中谷は暫く病院に閉じ込められるんだと思われ。 どういう子かはよく知らないけど、犯罪起こしそうなやばい感じじゃなかったなぁ。 わりと真面目そうで大人しい子だった。 でもそういう子だからこそ、キレると怖いのかもwwwww』 『>>1 なんで犯人知ってんの?そこんとこkwsk』 『それは禁則事項ですwwwwww ってか、言うと色々やばい。 警察に裏取られるのいやで隠してるんだから察してよwwww』 『>>1が犯人的展開を激しくキボンヌ』 『あるあr・・・ねーよwwwwwww』 ![]() リアルタイムで増えていくレスの数々。 スレッドを立てた>>1こと犯人は、肝心の所を書き込もうとはしなかった。 何故、犯人を知っているのか。――何故、事件を知っているのか。 それがはっきりしない限り、全てがこの人物の狂言とも取れる。 書き込みをしている人々の多くがそう思っているのだろう。わかっていて、話に乗っている。 言わば遊びなんだ。話を盛り上げて笑う。 もしこれが本当にめぐるの狂言ならば、私達だって注意はすれどここまで警戒はしない。 問題なのはめぐるがネット上で>>1として言っていることが全て真実であることだ。 めぐるの自宅の近くで停めたニシザキの車。 車内でノートパソコンを囲んで待機する、私とニシザキとタカツ。 繋げっぱなしの携帯の向こうにはユリアが待機している。 『和栗めぐるの自宅からは特に動きはありません』 「了解。この調子で続くのなら、めぐるの家に特攻することも考える」 『はい、ご指示があるまで待機します』 こうして遠巻きに監視していても、めぐるはすぐに何か行動を移すわけではなかった。 中谷の事件のことを、遊び半分のネットの住人と話しているだけ。 めぐるに鬼が宿っているとしたら、妙じゃないか? 「本当にめぐるに、鬼が宿っているんだろうか」 「だとしたら動きが鈍い……それとも何か狙いがあって……?」 怪訝そうな様子のタカツ。 わからない。めぐるは一体何を考えているんだ? 「書き込みが」 定期的に掲示板をリロードしているニシザキが報告する。 めぐるの新しい書き込みだ。 『なんか暇になってきたねー。 あたしの知ってることなら何でも教えるお。 安価先質問どぞ。 >>125』 「これは、どういう意味?」 不思議そうなタカツの声に反応するより先に、 私はニシザキに目を向けた。 「書き込んで。「鬼は次は誰を狙う?」と」 ニシザキは僅かに眉を顰めながらも、私の言う通りに打ち込む。 「125番を取った者の質問に答えるという意味だ」 「なるほど、詳しいのね」 「……」 ニシザキの書き込んだ内容が、 >>125と表示される。 よし――めぐる、何と答える――? 『>>125 今度こそ、聖蘭の誰か』 「――!」 とぼけるかと思ったのに。 律儀に答えるなんて思わなかった。 聖蘭の誰か――鬼はまだ、誰かを狙っている――? 『>>125 っていうか鬼っていう言葉を知ってるってことは 聖蘭の人間だよね。 あたしに宿った鬼なら 既に役目を終えてるよ』 ……え? 『>>125 まぁそうだよね。 だって事件にすらなってないもんね。 当たり前だ。 だって今度の被害者はあたしの隣にいるんだから』 ―――……バカな。 『>>1覚醒』 『>>1>>125テラ電波wwwww』 『自作自演乙wwwww』 『盛り上がってまいりましたwwwwwww』 ![]() 「メグ――」 「……」 「ねぇ、メグ――折角のオフなのにずっとパソコンの前に居て楽しい?」 「何スか――?」 「だから、折角あたしが遊びに来てるのに、相手にもしてくれないのかって」 「いやぁそんな訳じゃないッスよ――アゲハちゃん」 地黒で、いかにもサブカル系といった感じの彼女は、 あたし―――和栗めぐる―――のベッドに腰掛けて携帯をいじっていたが、やがて退屈そうに顔を上げた。 彼女の名前はアゲハ。それ以外は幾つかの趣味の共通項以外、よく知らない。 彼女だってあたしのことはそんなに知らない。 ハンドルネームがMegで、同じ趣味の共通項があって、後は聖蘭の生徒であるということくらいしか。 「オフって言ったって、家でのんびり出来ればいいじゃないッスか」 「それはそうだけど、メグが黙々とパソコンに向かってたら、あたしも暇だよぅ」 アゲハちゃんと初めて会ったのは、ほんの数ヶ月前。 メッセで話している時、偶然同じ鬼灯市民だということを知って。 すぐに話は盛り上がり、二人で会うことになった。 初めて会ったあたしたちのお互いの第一印象は決して良いものではなかった。 あたしの中でアゲハちゃんは、色白で、お嬢様風で、少し古風なイメージを持っていた。 それなのに待ち合わせの場所に行って見れば、こんな色黒のサブカル系のお姉さんが居て、 その場で帰ろうかかなり迷ったのを覚えている。 あたしだってネット上ではよく喋る癖に、実際はヒキコだしオタだし、アゲハちゃんだって引いただろう。 でも、お互いにそんな風に思ったからこそ、お互いに色々と妥協した。 もし片方だけでもイメージ通りの相手だったなら、こんな風に何度も会うこともなかっただろう。 「折角メグが帰ってきたーと思ったのに、帰って即行パソコンだもんなー」 「そこはほら、ネット中毒ということで」 あたしはアゲハちゃんに、前もって家の場所を教えて、あたしの帰宅時間より先に家に着いてもらってもいいように、出かける時に鍵を開けておいた。まぁ無用心だけど、帰りの遅い両親にばれなければ問題ない。 今日はもう――両親が帰ってくる時間まで意識を持っていることさえ必要が無い―― 「面白い板あるの?」 アゲハちゃんはあたしの肩に手を置いて、パソコンの画面を覗き込む。 面白い板かぁ。そりゃああたしにとっては、今世紀最大に面白いですけどwwwww 「実況板って、実況見てるのも楽しかったッスけど」 とん、とページをリロードして 打ち込む。 「実況するのも面白いッスね」 『注目。 あたしこと>>1は 鬼を宿した気高き存在である。 よってその犠牲となる存在は、喜んでその身を捧げよ』 「……メグ、何書き込んでるの?」 後ろから見ていたアゲハちゃんは、 あたしの電波的な書き込みに引いたような声を上げた。 すぐにアゲハちゃんの内心を代弁するようなレスが連なる。 『>>1覚醒し過ぎワロタwwwwww』 『うはwwwwwwktkrwwwww』 『イミフwwwww』 アゲハちゃんの問いかけに、声では答えずに、 更に打ち込む。 『あたしの家にのこのこ遊びに来て、無事に帰れると思うな。 以前のあたしはただの根暗学生だったけど 今は違う。 鬼ってクオリティ高いですからwwwwwwwww』 「メグって普段こういうカキコして遊んでたの?荒らしじゃない?」 ―――荒らしと 鬼を一緒にするな。 あたしは無言で振り向いて。 言葉なんて、声なんて必要ない。 そんなものがあるから余計に この世界は怖いんだ。 同じフォントの、同じサイズの文字だけが並ぶ世界。 あたしはそこで、生きる。 今までも これからも だから あたしの世界に色や形を持って進入してきたアゲハちゃんは 要らないモノ。 家に来客を告げるベルが鳴り響く。 あたしの書き込み、聖蘭の誰かがリアルタイムで見てたからな。 にしても随分と早い。 まるで、近くで見張ってたみたいだ。 「メグ……?お客さんじゃない……?」 声のないあたしに、アゲハちゃんは小さく笑って言ってみせるけれど そんな虚勢も、そんな繕いも要らない。 ネット上で、引いてる時に必要なのは 相手に知らしめるような 何もない無言の間だけだ。 顔が見えないからこそ、伝わるものがある。 顔が見えるからこそ、伝わって欲しくないものがある。 あたしはこの目に映るアゲハちゃんの一挙一動が、 本当は 凄く怖い。 空気が震えて音が伝わる感じ。 あれがあたしはとても嫌いで、 だからいつもフードを被って、誤魔化していた。 この世界に、音なんて必要の無いモノ。 何も聞こえなくたって、 目に映る文字があれば それでいいじゃない? 「メグ、何か喋ろうよ、ね、メグ―――」 あたしが本当に嫌いだったのは あたしが本当に憎んでいたのは 本当に彼女の声帯だろうか。 カタン。 引き出しを引く、この音も、 「―――何、そのボールペン」 何もかも要らないのに。 ドン、ドンッ 何度も何度もあたしの家のドアを叩く音。 ガチャリと遠くで扉が開く音。 音なんて 音なんて、 「メグ――?」 「黙れ!! あたしのこの鼓膜を震わせるなッ、 あたしに音なんか聞かせないで――― 怖い」 本当に憎んでいたのは、 人の声にいちいち震えてしまう この心だった。 これが最後の音だ ―――ドンッ。 ![]() 「めぐる……!!」 扉を開け放って、私―――月村望―――が見たものは 両耳から血を流して横たわる、めぐるの姿だった。 「ぇ、う、誰?何?なんでメグは――」 めぐると同じ場に居た人物は、状況を把握していない様子で、私とめぐるを交互に見る。 「救急車!早く!」 怒鳴った私に、女性は涙目になりながら、ポケットから携帯を取り出し、震える手でボタンを押す。 私はめぐるの傍に寄って、その姿を確かめる。 瞳は閉じて、ちゃんと息もしていた。 外傷はない、ただあるのは、おびただしい量の血が溢れてくる両耳と、 彼女の血で汚れたボールペン。 「そうです、 両耳をボールペンで刺して、それで――」 女性が電話の向こうの救急隊員に説明する言葉で、把握する。 把握はすれど、 信じられない。 自分で、自分の耳を刺すなんて。 その鼓膜を破るなんて。 ヒステリックなめぐるの声は、届いていた。 『あたしに音なんか聞かせないで』 だからって。 だからって自分の耳を壊すなんて、しなくてもいいだろう。 「そんなに音が憎かったか?そんなに音を聞かせる鼓膜が憎かったのか?」 私の呼びかけにも、めぐるは反応を示さない。 もう、 聞こえないだろうか。 私達の声。 どうしてそんなに憎んでしまったのだろう。 鬼か――鬼の所為か――― 「――くそッ!」 八つ当たりで叩いた床は、鈍い音を私の鼓膜に響かせた。 もう少しすれば、遠いサイレンの音が、鼓膜を―――。 → NEXT → ← BACK ← ↑ Reload ↑ |