『外側の世界』 ![]() 某大学の研究棟。 其処で一台の携帯電話が鳴った。 一室のパソコンに向かっていた人物が、音に気づいて席を立つ。 彼女は携帯電話を手に取ると、見慣れぬ発信元の番号に瞬いて、着信ボタンを押した。 「――……もしもし」 『もしもし。金田一ですが』 電話の向こうから聞こえた声に、彼女はふっと小さく笑みを浮かべる。 「あぁ明香さん。お久しぶりです。もう貴女から掛かってくる時期ですね」 知った人物だった。 電話の向こうの相手は、金田一明香(キンダイチ・メイカ)という名の女性。 研究室の女性の、昔のクラスメイトだった。 「今年も、何もお話することはありませんよ」 『そんな悠長なことを言わないで下さいよー……去年も一昨年も、転校は起こってるんですよ』 「そう言いましても」 女性は携帯電話片手に、空いた手でポケットから手帳を探った。 ぱらぱらと開いて、やがて目的のページで止める。 今掛かってきた番号が書き止めてある。 「明香さん、この番号は自宅でしたっけ」 『あ、はい、そうです』 「誰かと思いました。いい加減、登録しておかなきゃいけませんね」 ふっと笑って、机に置いた手帳。 僅かに開けた窓から入る風が、ぱらぱらと手帳のページを捲らせる。 最後の一ページに、彼女の古い学生証が入っていた。――高校時代のものだ。 三村真琴(ミムラ・マコト)。 今年で22の齢を数える。大学で理系の勉学を学ぶ女性。 彼女は、聖蘭学園の出身者だ。 『生徒会が、謎の転校に関わっていることまでは私も突き止めたんです。真琴さんが話してくれないと、また今年も転校が起こってしまうかもしれない――』 「明香さん、いいですか。私は確かに高校三年生の時、聖蘭の生徒会長をしていました。でも、それだけなんです。それ以上お話することは無いんです」 『そんなぁ……絶対生徒会に何かあるんですよぉ……』 電話の向こうの悲嘆に暮れた声に、マコトは苦笑を漏らさずには居られなかった。 もう、この電話も何度目のことだろう。 元同級生のメイカからの電話はマコトにとって、最早毎年の行事に似たものだった。 その度に同じ会話を繰り返す。 メイカは生徒会のことを訊き、 マコトは何も話すことはないと返す。 「転校なんて、普通にあることじゃないですか。きっと明香さんの考え過ぎです」 『……真琴さん、本当に話す気は無いんですね』 「話す気が無いんじゃなくて、話すことが無いんです」 『……うー。わかりました。失礼します……』 メイカは未練の残る声ではあったが、諦めた様子で電話を切ろうとした。 ふと、マコトが呼び止める。 「明香さん。どうしてそんなに生徒会に、いえ、聖蘭に拘るんです?もう卒業した場所じゃないですか」 『それは――……』 マコトは問いかけてから、一寸思案した。 思えば、以前の電話で聞いた気がする。 メイカは謎を追求し切るまで、諦めない性格で。 聖蘭の転校の謎を、疑問に思ってしまったからだ、と。 しかし、メイカの返答は予想外のものだった。 『ニシザキ先生が嫌いだったからです』 「……へ?」 『ニシザキ先生が聖蘭に赴任したのは、マコトさんが生徒会長になった年ですよね。その年から奇妙な転校が起こるようになったんです。絶対、ぜーーったいニシザキ先生がなんか絡んでるに決まってます!』 「そ、それは……、……考え過ぎです」 『そうでしょうかぁ……うーんうーん』 「ともあれ、私も卒業したとは言え母校で不穏な動きがあるのは遺憾です。何も無いことを祈りますよ」 『それなら何か知ってることを……!』 「失礼します」 プツリ。 メイカの諦めの悪い言葉を聞き終える前に、マコトは携帯のボタンを押し、通信をやめた。 携帯電話を見つめ、少しの思案。 「……明香さんには、畏れ入る。―――けれど、ずっと隠匿し続けた生徒会のことを公にするわけにはいかない」 聖蘭学園高等部の 元・生徒会長。 そしてその当時から生徒会の監督教諭であったニシザキと、一年を共にした女性。 「それにニシザキ先生には、恩もあるし――ね」 カタリ、テーブルに携帯電話を置いて。 久々に明香の声を聞き、何処か懐かしそうに少し瞑目し、 再び彼女はパソコンへと向かった。 高校生であった当事から今も抱く生徒会の事実を、 胸に秘めたままで。 ![]() 「ちょっとそこの子、いいかな」 所変わって、聖蘭学園から程近い場所にある繁華街でのこと。 時刻は既に宵の刻、街を外れれば闇夜が支配する、23時。 私服のスーツに身を包んだ女性が、宝石店のショーウィンドウを見つめていた少女に声を掛けた。 「何処の学校の子?」 「……」 少女は色の無い瞳で女性を見つめるが、問いかけには答えない。 女性は小さく息を吐いて、懐から手帳を取り出した。 警察の身分を証明する手帳だった。 開くことはしなかったが、その内側には彼女の身分が記されている。 柴村翼(シバムラ・ツバサ)。32歳の警部補である。 「あのね、この時間、学生さんが一人で出歩いていい時間じゃないのよ。中学生?高校生?」 「……わたしは」 少女は表情無く、ぽつりと何かを言おうとしたが、その後が続かない。 淡い色の髪と瞳、神秘的な雰囲気のある少女だった。 だが確かにこの時間に一人で居ては、警察に世話になっても仕方の無さそうな、幼い容貌。 少女が困惑したように、ライトアップされたショーウィンドウに顔を向けると、 その顔の左に、何かの模様のような痣が浮かび上がっているのが柴村警部補――ツバサからは見て取れた。 「うん、名前教えてくれるかな」 「――……わたしの名前は リア」 「リアちゃんね。どこの学校に通っているの?」 「……」 リアと名乗った少女は、ツバサの更なる言及に、言葉を発さず、ゆるりとショーウィンドウを見つめる。 「教えてくれないと、警察署まで来てもらって、それから色々お話することになるんだけど」 「――お姉さんは、鬼を、信じる?」 「……鬼?」 不意のリアの言葉に、ツバサは小首を傾げた。 リアはこくりと頷き、「鬼」と繰り返す。 「このまちの名前……」 「ああ、そうね。此処は “鬼灯市” ね。鬼って字は入ってるけど」 「そう。此処は昔、鬼灯村という小さな農村だった」 「……」 「村にはね、鬼が住んでいたの。悪い鬼が住んでいて、村人を食い殺してしまう」 リアの現実離れした話に、ツバサは緩く首を振った。 「そういうお話は、学校でお友達にしたらいいわ。それより―――」 「気をつけて」 リアの声色が低く変わる。 ツバサは不意打たれたように、言葉を途切れさせた。 リアは色のない瞳を僅かに揺らして、低い声で続けた。 「昔、鬼を封印するために結界を作った。でも今、この町の結界は壊れてしまっている。――鬼が目を覚ましている。きっと何かが起こる。きっとまた誰かが食い殺されてしまう―――早く鬼を封じなければ」 ふっと、リアの指先が、宝石店のショーケースへ向いた。 ツバサはつられて指し示す先に目を向ける。 緋い紅いルビーが飾られている。 「絶望に支配されてしまう」 そんなリアの声は、 何処か遠くに聞こえて 宝石の緋に意識を支配されていたツバサが我に返ったときには 其処に リアの姿は無かった。 「……――鬼?」 ぽつりと呟くツバサに、答える声は無く。 彼女はふっと息を吐き、踵を返して夜道を歩いていく。 一時間後、ツバサは自宅のマンションの扉を開けた。 「……おかえり」 「ただいま、ソラ」 出迎えたのは他でもない、ノゾム達と共に生徒会に対抗する、ソラの姿だった。 ![]() 真壁宙。彼女は聖蘭学園の高等部に属しているが、それは警察の手によるもの。 言わば警察のスパイとして、学園に潜入している。 実年齢は二十歳。 外見は決して幼いとは言えず、制服姿が若干浮いてはいるが、其処は無理に押している。 五年前、ニシザキの手により瀕死の状態に陥り、記憶を失った。 警察に保護されたソラ。保護をした当時の警察官が、現在の柴村翼警部補である。 ソラが、五年前の少女、「横山由良」としての記憶を取り戻したのはほんの半年前。 記憶を取り戻した頃には既に、ソラとしての生活が当然になっていた。 元々施設育ちで肉親はおらず、既に成人しているソラは現在、ツバサとの共同生活をしているのだった。 既に時刻は零時というのに、ソラは未だ制服姿のままで。 そんなソラに、ツバサは不思議そうな表情を浮かべながらも、 「こうして見ると、本当に何処のコスプレパブに来たのかと」 等と、茶化してみせる。 「バカ……。さっきまで学園の子達が来ていたの。生徒会の話をね。それで着替える機会を逃してしまって」 「さっきって、もうこんな時間なのに」 「ごめんなさい。皆と居ると楽しくて、つい時間を忘れてしまうわ」 ソラは微苦笑を浮かべた後「お風呂沸いてるから」と言葉を足した。 キッチンへ向かうソラの姿に、ツバサは何処か安堵感の滲む笑みを浮かべ呟く。 「ソラも漸く、学校に友達が出来たのね……良かった」 「うん?何か言った?」 「ううん、なんでもない。お風呂入ってくる」 物静かで大人びたソラを、五年間見守ってきた者としての安堵。 そしてこれからも生活を共にするであろう二人。 其処に在るのは、互いを思いやる優しさと、確固たる信頼関係である。 ![]() 「うっ、うー」 夏休み中の聖蘭学園高等部を囲うフェンスの傍に、不審な少女が一人。 フェンスの向こう側を見ようとしているのか、フェンスに手を掛けて、必死に背を伸ばしている。 「王子様ぁぁー」 少女が呼ぶのは、御伽噺に出てくる登場人物――というわけでは無さそうだ。 尚もフェンスに手を掛ける少女。 その様子を、不思議そうに眺めている人物が居た。 車の運転席から少女を眺めていたその人物は、やがて車を出て、少女の背後に歩み寄る。 「何してるの?」 「うぉぁあぁぁッッ!?」 不意打ちだったのか、少女は心底驚いた声を上げ、振り向いた。 そして女性の姿を見るや否や、慌てたようにぶんぶんと首を振る。 「やっば、あの、あたし決して怪しい者じゃありませーん!だから逮捕とかしないでくださーい!」 「逮捕?私は警察ではないのだけど」 「え、まじすか」 相手が要警戒職業ではないとわかると、少女はふぅと息を吐いた。 「で、何をしていたの?」 「あー、えっと、剣道部が見えないかなーと思って試行錯誤してたのですよー」 「剣道部?どうして?」 女性の問いかけに、少女はぱっと目を輝かせ、その理由を悠々と語り始めた。 「聖蘭の剣道部には、あたしの運命の王子様がいるのでぃす。これ確定事項!オウジサマはきっと真面目な人だから、夏休み中でも部活に精を出しているに違いないわ、きっとそう!というわけで、見学に来たわけです、はい」 「……成る程。でも一つ言っていいかしら。ここ、女子高よね?」 「そうっすよ。だけど王子様だけは別なのです!」 「男が紛れ込んでるってこと?」 「ノノノッ!!王子様は坂本美子さんといって、列記とした女の人です。でも乙女のあたしの心をキュンキュンさせちゃう、超カッコイイ人なんですよーッ!」 「……坂本美子」 女性はその名前に聞き覚えがあるようで、ぽん、と手を一つ打った。 「丁度良かった。実は私、記者なんだけど、聖蘭の剣道部に取材を申し込みたくてね。ほら、全国大会に行くくらい強いっていうじゃない?だけど、残念ながら門前払い。こういう学校ってセキュリティが厳しいのね」 「おおぉ、お姉さんは記者さんなのですか。しかもあたしの王子様に取材!?これは凄いですよー、王子様が一躍有名人ですよ!あぁん、でも有名になったらライバルが増えそうでやだなぁ」 「……。残念だけど私の扱う記事なんて載ってもほんの小さな枠だし、そもそも載るかどうかもわからない。新米だからね」 「あ、ぇ、そなんですか。なーんだ」 あっさり興味をなくした少女の様子に、女性は少々むっとした様子だ。新米とはいえ記者のプライドだろう。 「折角だから、その王子様――坂本美子さんについて少しお話を聞きたいんだけど、良いかしら?」 そう言って、彼女は名刺を差し出した。 日比谷蜜(ヒビヤ・ミツ)。小さな新聞社の記者である。 「おおぁ、もしかしてあたしが取材されちゃうんですかッ!?あたしは坂本王子様の永遠の大ファン、佐山ヒナっていいまーす。入江目高校の一年でーす」 「入江目高校ね……なるほど、ヒナちゃん、と」 ミツが、高校の名前を言って少し沈黙したのは、その間に、どういう高校かを把握したからだ。 この町、鬼灯市には三つの高校がある。 一つ目は公立の目水津(メズイツ)高校。鬼灯市の中学生の多くは、この高校に進学する。 因みにノゾムが聖蘭に来る前に通っていた高校も、此処である。 二つ目は、ヒナの通っている私立の入江目高校。 目水津の方に学力不足で進学できない生徒はこちらに流れる。偏差値の低い高校だ。 そして三つ目が聖蘭学園高等部。 学費も高く、女子高の為、限られた生徒だけが通っている。 「で、ヒナちゃんは坂本さんの試合なんかは見に行ったことはある?」 「モチありますよー」 「どうだった?」 「超かっこよかったです!!」 「……他には?」 「え?えっと、かっこいい以外に何かありますっけ?」 ヒナのきょとんとした反応に、ミツは少々頭が痛そうだ。 「例えばフォームがどうとか、どの高校に勝っていたかとか」 「うへぇ、そんなとこまで見てないですよぅ。あたしは王子様のかっこいいトコ見れればそれでいいんです!」 「あ、そう……」 やる気を無くした様子で手帳を捲るミツ。 暫しして、とあるページで捲る手を止め、ふと改まったようにヒナに話しかけた。 「内容は変わるんだけど……聖蘭の、妙な噂って聞いたことある?」 「はぃ?妙な?なんでしょう、いや、特に思いつきませんー」 「そう……。以前、匿名で妙な手紙が新聞社に届いていたのよね。聖蘭には鬼が居る、――とか」 「オニ?オニって、あの、モモタロウとかに出てくる鬼ですか?」 「そうみたいなんだけど、何なのかしらね。聖蘭の鬼に気をつけろ、って」 「さぁー。王子様が鬼みたいに強いから、嫉妬したどっかの高校の生徒の嫌がらせじゃないっすかぁ?」 「まぁ、そんな所かもしれない」 そこでミツは手帳を閉じ、胸ポケットに仕舞った。 「ヒナちゃん、ご協力有り難う。聖蘭への取材はまた今度、出直してみるわ」 「はぁーい、お役に立てたのなら何よりですよぉぉ」 「……」 何も役に立っていないことに少女は気づいていない。 気づかない方が幸せなこともある。 ミツはヒナに別れを告げ、車に乗り込んだ。 エンジンを掛け、発車させる間際、ちらりと聖蘭の校舎を見遣って。 「鬼、ね―――そんな御伽噺みたいなこと」 馬鹿馬鹿しい、とばかりに言い捨てて、彼女はその場を後にした。 そして残されたヒナは、先程と同じくフェンスと格闘していたが、 やがて諦めたようだった。 「王子様……いつになったら、お会い出来るのかなぁぁ」 そして少女もまた、しょんぼりと帰路についた。 ![]() 鬼灯(ホオズキ)市。 今日も町の何処かで、鬼という言葉が聞こえる。 多くが御伽噺と笑い飛ばす中で、 真摯に鬼の伝説を告げる者。 「―――今年は、もう 止められない」 小高い丘の上から町並みを見下ろす少女――リアが呟く。 肌に刻まれた青白い痣を、つっとなぞって。 「鬼の呼び声がする……」 鬼灯市。 聖蘭高校を含め、三つの高校と、東の堂と、小高い丘のある町。 其処は昔、鬼の住む村だったと謂う。 → NEXT → ← BACK ← ↑ Reload ↑ |