『夏合宿――Later』 ![]() 合宿は終わった。 来た時と同じ電車で、同じ経路で、同じ町へ。 馴染んだ駅の名前が見え、やがて合宿参加者は集って駅に降り立って、 その場で、解散。 坂本先輩が先陣を切って、「用事があるので」と言い残し早足に立ち去った。 月村先輩が、幾人かの先輩達に声を掛けて、やがて五人が同じ方向へ歩いていった。 生徒会の方たちも幾つかの言葉を交わし、やがて何処かへ。 特別に仲の良い人が居ないと、呆気ない解散だ。 「何も無かったねぇ」 去っていく人々をぼんやりと見送っていた私―――中谷菫―――に声を掛けてきたのは、アユムさん。 同じクラスで、以前に一緒に剣道部にお邪魔して、 それから特別に仲が良くなった訳でもない。 彼女はクラスの中でもムードメイカー。 私は孤立した存在だ。 「何も無かった……」 ぽつりと復唱して、 少しだけ首を傾げた。 何に対して、何も無かったんだろう。 合宿中は――ミナト先生が悪質な悪戯に遭ったと。 それは私からすれば、否、きっと皆にとっても大きな事件だった筈なのに。 「八月なのに何も無かったよ」 アユムさんは繰り返す。 八月。 今日の日付は一日。 八月に入ったばかりのこの町は、夏の合間の暗雲に覆われていた。 「八月は、これからですよ?」 まだ長い夏休みが続く。 今回の合宿で、苦手だった数学の基礎を改めて教えてもらった。 少しだけ、わかるようになった気がする。 二学期に入る前に、ちゃんと復習しておかないと。 きっと一ヶ月なんて、あっという間に経ってしまうから。 「そうだねぇ、八月は長いよー。精々、気をつけてねー」 アユムさんは軽い調子で言って、 駅の傍に滑り込んだ車に歩み寄っていく。 大きく手を振られて。 小さく手を振り返す。 私も帰ろう。 ![]() ―――雨。 ぽつぽつと降り出した雨は次第に勢いを増し、 薄手のカーディガンまで、びっしょりと濡れてしまった。 駅から家のマンションまで、歩いて30分は掛かる。 合宿の荷物もあって余計に鈍足だったのだろう。 私が家に辿り着くよりずっと先回りして、雨雲が真上に来てしまった。 場所は繁華街。 タクシーを拾う気にもなれず、傘を差す人の間を縫って歩く。 旅行鞄が水を吸って重い。 これじゃ、風邪ひいちゃうな。 元々身体が弱いから、自重しなければいけないのに、 それすらも投槍になってしまいそうな、激しい雨。 繁華街のライブハウスの前には、パンクな格好をした人たちが沢山居る。 関わりを持ちたくないタイプの人たちだ。 彼らも雨は嫌うのか、ライブハウスの軒下で歓談しているようだった。 無関係なことと、ゆるりと目を逸らした時だった。 「菫さん?」 たった今目を逸らした方向から掛けられた声に、びくりとする。 あんな人たちに知り合いなんて居ないはずなのに。 恐る恐る顔を上げた。 「やっぱり菫さんだ。まだ家に帰っていなかったのか。しかもこんなびしょ濡れになって……」 「あ、あの……」 雨水で曇った眼鏡を指で拭うのと、相手が気づいたように声を上げたのは同時だった。 「これは、学校では見せられない姿で登場してしまったね。……剣道部の坂本だよ」 「坂本先輩――?!」 目の前に居る人物は、黒いパンクな衣装に、髪もリキッドで後ろにまとめて、ピアス……ではないだろう、イヤーカーフを沢山付けて、そしてきつい化粧に、サングラスといった、とても剣道部のあの坂本先輩とは思えない姿。 剣道部の爽やかなオウジサマの、別の顔。 ライブハウスの軒下の方から声が掛かる。 「ルキア、どうした?彼女か?」 ――ルキア? 見慣れない坂本先輩は、困ったように一旦軒下の方に目を向けるが、 すぐに私の方へ視線を戻し、手を差し伸べてくれた。 「一先ず雨に当たらない所へ行こう。このままじゃ風邪をひく」 「……えと、はい」 坂本先輩に連れられて、ライブハウスの軒下に入る。 慣れない格好の人たちに取り囲まれた。 「ルキアの彼女?」 「違いますよ。学校の後輩です」 「マジで?学校関係者には見つからねぇようにしてたんじゃねーの?」 「そうなんですけど、雨ざらしの後輩を見捨てておけますか」 ああ、話し方はいつもの先輩と同じだ。 周りの人たちは、少し乱暴そうで怖いけれど。 ルキアというのは、坂本先輩の此処でのあだ名なのかな……? 「菫さん、驚かせてごめんね。私は学校には内緒でバンドをやってるんだ。こういう系統の……見ればわかるよね、ゴス系でさ、先生達からは良いイメージを持たれないから、他の生徒にも誰にも教えていないんだよ」 「そ、そうだったんですか。でも、こういう格好も意外と、その、似合うと思います」 「はは、有り難う。でも正直に言って構わないよ?怖い?」 「……ぅ。す、少し」 こくり頷いた私に、坂本先輩は暫し沈黙した後、ぷっと吹き出して、声を上げ笑った。 「やっぱりそうだよね。あはは、見た目は怖いけど、根はいい奴ばかりなんだ」 「……はい」 場の空気に少し呑まれて、でも坂本先輩の笑い声は何処か心地よくて。 誰かがライブハウスの中から出てきて、坂本先輩にタオルを投げた。 「さんきゅ。ほら、これで拭くといい」 「あ、す、すみません」 坂本先輩から私へと流されたタオル、受け取って水の滴る髪を拭いた。 服までは流石に乾燥しきれない。 「菫さんの家まで送っていこう。早くお風呂に入らないと本格的に風邪を引く」 「え、でもわざわざ、申し訳ないです」 「構わないよ。出演までにはまだ時間がある」 出演――。 そっか。バンドをやっているから、坂本先輩はこのライブハウスの舞台に立つんだ。 なんだか凄いな。 剣道部でもナンバーワンで、ライブハウスでもスポットライトを浴びる。 剣道部の爽やかな白馬の王子様。 その裏側では、 黒衣を纏う、やっぱり格好良い、王子様。 「身体が弱いなら尚更。自分を大切にしないとね」 「……気をつけます」 「宜しい。菫さんが身体を壊すと、私だって嬉しく無いよ」 「……――はい」 当たり障りのない会話が、 何気ない坂本先輩の仕草が、 不思議と 私を、ドキドキさせる。 ![]() 「――……」 ヒュンッ。 風を切って飛んでいく弓矢が、的の中央に突き刺さる。 卓越した精神力。 大切なのは、集中力。 弓矢を放ったその人物は、すっと目を細め、弓を下ろした。 ぼんやりと眺めていた私―――山本結梨亜―――に、やがて彼女は気がついたようで。 弓を放つときとは少し違う、和やかな雰囲気で手を振った。 「ユリアちゃん。どったの?」 「ごきげんよう、ハルヒ様。……少し、見学に」 三年生の、高沢ハルヒ様。 アーチェリー部の部長である彼女と知り合ったのは、この学園に入学してすぐのことだった。 部活棟の方から 懐かしい音が聞こえた。 風を切る、あの心地よい音。 自然と足を向けた先、アーチェリー部の練習場。 その姿に見惚れていた私に声を掛けたのが、ハルヒ様。 『アーチェリーに、興味ある?』 今はもう、関係の無い競技。 マリナ様にもちゃんとお話したことはない。 けれど幼い頃からずっと続けていた所為か、感覚的に思い出す。 集中して、弓矢を握るあの感じ。 手を離す瞬間の刹那。 私が幼い頃から学んでいたのは、アーチェリーではなく、弓道だ。 歴史の違いはあれど、弓矢を使い的を射るのは同じ。 この学園には弓道部はなく、アーチェリー部が中心であるから、惹かれる先は其処だった。 私はこの学園に入学する時から、生徒会に入ることが決まっていた。 だからアーチェリー部に属すことは出来なかったけれど、 今でもこうして、偶に足を運ぶ。 心地よい弓の音、 そして弓を射る人物の、あの真摯な横顔が、懐かしくて。 「合宿だったんだってね。今日まで?」 「え、どうしてそれを?」 「うちの一年の子が、アユムちゃんから聞いたんだって。特別授業?」 合宿のことは表立って言わないようにと、マリナ様が釘を差した筈なのに。 どの道無関係な生徒にも漏れることは承知の上だから問題はないけれど、 生徒会関係者から漏らすなんて、また月子先輩が怒りそう、だな。 「補習と、生徒会合宿を兼ねたものです。終始和やかで、楽しいものでしたわ」 合宿そのものは兎も角、ミナト先生のことだけは他に話すわけにはいかない。 あの合宿の表向きはあくまで、補習合宿だ。 「そっかそっか。でも生徒会も大変ね。夏休みなのにさ」 「ハルヒ様だって、夏休み中なのに学校に来ているじゃありませんか」 「んーまぁ、あたしは最後の大会前だからさ」 夏休み中でも、部活棟だけは賑やかだ。 大会を控えた運動部の生徒達が、多く活動に打ち込んでいる。 アーチェリー部も例外ではなく、弓を射る音が心地よく響いていた。 三年生はこの夏の大会が終われば引退となり、受験勉強に専念することになる。 「大会に向けた調子はいかがです?」 「うん、まぁまぁ。精一杯やりきるわ」 聖蘭のアーチェリー部は特別強いわけじゃない。 寧ろこの一帯では弱小チームで、聖蘭と当たれば確実に県大会に進めると言われる程だ。 教える者がいないからか。この学園は元々スポーツには力を入れていないから、当然と言えば当然だけれど。 剣道部を除いては、あくまでも部活動は淑女の嗜み、履歴に残ればそれでいい。 そういった風に、半ば家の為や履歴の為に部活動をしている者が多い中、 ハルヒ様は少々特殊なタイプだった。 運動部に力を入れる者は、普通はトップを目指す。 ハルヒ様も勿論、その部分もあるけれど、それよりも彼女はもっと別の部分。 そう、例えば弓を射ること、その瞬間を“愉しんでいる”。 その愉しみの為に、部員誘致にも活動そのものにも精一杯に取り組む人だ。 ハルヒ様のそんな部分に、不思議と共感が持てた。 私が弓道をしていた頃も、そうだったのかもしれない。 上を目指すのではなく、弓を握っている瞬間の自分が、好きだった。 「ユリアちゃんもうちの部に入れればね。本当、生徒会長より先に誘えば良かったと悔やまれる」 そう言ってハルヒ様は笑った。 私もつられて微笑する。 それが不可能なのはお互いにわかっているから。 私はいわば生徒会の為にこの学園に入学した。 とうの昔に、決まっていたこと。 そう、私は生徒会役員なのに、 こうして時折、ふらりとアーチェリー部に訪れる。 特別な意味もないのに、 訪れた私に、ハルヒ様は明るく笑ってくれる。 「アーチェリー部に属していなくても、ハルヒ様が弓を射る姿は拝見出来ますもの」 「わかってないなぁ。あたしはユリアちゃんに弓を射て欲しいのに」 「ふふ、そう言って下さると、嬉しいような申し訳ないような気持ちになります」 「生徒会も大変だもんね。此処に来てくれるだけでも嬉しいよ」 生徒会――か。 生徒会と言う特別な空間にいるからこそ、 こうして当たり障りの無いことを何気なく話せる人物が、尊いと思えてくるのかもしれない。 私がハルヒ様と話すのは、単なるないものねだりなのだろうか。 「ハルヒ様は――ご迷惑ではありませんか?特に用も無いのに、私……」 ふっと零れた言葉に、 自己嫌悪。 そんな風に言うくらいなら、来ない方がいいのに。 「何言ってるの?」 ハルヒ様は不思議そうにその瞳を瞬かせ、 すぐにいつもの明るくて優しい笑みを見せ、言葉を続けた。 「ユリアちゃんと話すの、あたしは楽しいよ」 「あ、……有り難うございます」 なんだかぎこちないお礼。 そんな私にハルヒ様は目を細めて。 やはり、ないものねだりなのだろうか。 生徒会に居ると何もかもに意味があって、 何もかもが特別で、 普遍的な何かが足りないように思えてくる。 私の居る世界が特別ならば、 私と言う存在だって特別なのだろう。 マリナ様だって当然特別で、 だからこそ生徒会に意味がある。 対照的なのはハルヒ様だ。 何も知らない、ごく普通の一般生徒。 特別じゃない彼女が、少しだけ羨ましい。 「生徒会の会議があるので――もう行かなくては」 「そっか。また遊びにおいで」 「……、はい」 ―――あの合宿の参加者は皆、この学園に於いて“特別”な存在だ。 故に面倒事に巻き込まれもするだろう。 それは仕方のないことだ。 だけど私もその一人なのならば、 こうして“特別でない”人物と関わることで、その人まで――ハルヒ様まで何かに巻き込むようなことが 起こり得るかもしれない。それは、避けるべきことだ。 一番シンプルで冴えたやり方は、 ただ、マリナ様に従順であればいい。 ふらりとアーチェリー部に足を運んでしまう自分を、 私は少し戒めるべきなのかもしれない。 ![]() 合宿の最終日、駅で解散した面々は、それぞれ思い思いの場所へと向かった。 真っ直ぐに家に帰った人もいるし、何かと生徒会に楯突いているノゾムちゃんの一行は、何処かで会議でもするつもりか。 そして生徒会役員は、合宿の振り返りという名目上、学園へと向かう。 あたし―――和泉良―――も、生徒会役員として学園へ。 生徒会室で行われた会議で、 マリナ先輩は信じられないような計画を口にした。 一体何の心算で、 あたしが彼女の心を読めるようになるには、何百年と掛かりそうだ。 マリナ先輩の計画に、誰よりも反対したのはニシザキ先生だった。 生徒会として。目立つようなことだけは控えたい、と。 あくまでも表向きは、学園を良くする為の生徒会。 それに反しかねない行動は慎むべきだ――ニシザキ先生の言葉は尤もで。 今までの生徒会のやり方としても、正しいのはニシザキ先生の方だろう。 だけどマリナ先輩は計画を貫いた。 結局、 ニシザキ先生はマリナ先輩が出した妥協案によって、折れたのであった。 会議を終え、生徒会室を後にする一同。 ユリアちゃんは部活棟の方に向かったようだった。 マリナ先輩とニシザキ先生は、“計画”について更なる話し合いの為に残り、 偶々、あたしは月子先輩と一緒に生徒会室を出た。 「茉莉奈もああ見えてやんちゃだからな……」 「……」 生徒会室を出て、月子先輩の第一声に、思わず沈黙する。 やんちゃとか、そういう次元の話なのか、凄く疑問だったりするわけだけど。 二人で静かな廊下を歩く。月子先輩と、上手く会話する言葉が出てこない自分がもどかしい。 そんなあたしへの気遣いなのか、或いは単に月子先輩のペースなのか、 沈黙を破ってくれたのは月子先輩だった。 「イズミは生徒会の責務は、重くはない?」 「え、えっと、いえ、大丈夫です。少しは慣れたつもりですし」 「そうだね。君は従順で、此方としても助かっている」 「責任くらいはちゃんと果たしたいです。あたしは、生徒会の役員なんだから」 思ったままに口にしたあたしに、月子先輩はちらりと目を向け、 ほんの僅か、不思議そうにその瞳を揺らしたかもしれない。 「君の態度が時々奇妙に思えるよ」 「え……?」 「最初に君が生徒会に来た時のことを覚えているね」 「……あ、はい。あの時はさすがに、色々驚いたというか」 「そう。決して良い歓迎のし方をしたとは私も思っていない。それなのに君は――」 不意に月子先輩は足を止めた。 つられてあたしも足を止め、振り返る。 事を語らない月子先輩の瞳があたしを見ていた。 視線を交わして、 一寸恥ずかしくて、視線を逸らす。 「イズミ」 「……はい」 「君はリーダー気質だけど努力家で、色んな事に精一杯で、そして――正義感の強い人間だと思っていたよ」 「……ぅ、えと、有り難うございます。って、お礼言うとこでしょうか」 「うん。ただ不思議なのは。その正義感が生徒会に反発しなかったことなんだ」 「……」 ―――それは、 その、確かに。 生徒会のやり方が、最初は受け容れられなかった。 残酷だと思った。半ば脅しみたいなものだった。 もし本当に生徒会が無慈悲で悪だけが支配する空間ならば、あたしは教育委員会に訴えるくらいしただろう。 だけどそうしなかったのは、生徒会はそれだけじゃないと、思ったから。 『――私達に逆らうと酷い目に遭う、とも付け加えておく?』 実質あたしは、生徒会に“脅された”。 酷いこともされた。 どれだけ泣きじゃくっただろう。 現実が受け容れられなくて、生徒会がこんな場所だなんて思いたくなくて、 茫然自失に陥っていた時に、あたしに手を差し伸べてくれたのは、 月子先輩だった。 『…………すまない、と、思っている』 今思えば月子先輩のあの言葉だって、 あたしを生徒会に引き入れる為の、上辺の言葉だったのかもしれないけれど。 それでもあたしは、月子先輩の言葉に、何処かで救われた気がしていた。 マリナ先輩は今でも少し苦手だったりするけれど、 月子先輩が居るから、あたしは生徒会に従うことが出来ている。 「―――あたしは」 夕暮れの廊下、オレンジ色に染まった校舎内で 月子先輩を前に、ぽつりと口にした。 「月子先輩が優しいから、生徒会に抗えないのかもしれません」 「私が優しい?何処が?」 「そりゃ、その、時々言ってくれる言葉とか、そういうのが……」 月子先輩は小首を傾げ、ふっと息を吐いて、窓辺に背を付けた。 「自覚がないよ」 「……あはは」 色んな意味で確信犯の月子先輩は、その言葉すらも偽りかもしれない。 でもそんな風にとぼけて見せる月子先輩に、なんだか胸がきゅっとなって。 月子先輩に並ぶように、窓辺に背をつけた。 「もしかしてイズミは」 「はい?」 「私のことが好きなのかな」 「……え」 唐突な言葉に、思わず月子先輩へ目を向けていた。 彼女は伏せ目がちな横顔を見せるだけ。 夕日の燈色に染まったその横顔はとても綺麗で、 それ以上語らない唇は、あたしの答えを待っているのか、それとも続ける言葉を見失ったのか。 月子先輩の隣にいると安心する。 月子先輩の隣にいるとどきどきする。 相反した感情だけど、それは、彼女への想いという答えから見れば、整合性は取れているのかな。 「……あたしは月子先輩のこと、好きです」 「そうなんだ」 「そう、なんです」 あっさりとした相槌に、少しむっとして、更に強調するように頷けば、 ふわりと月子先輩があたしの髪に手を遣って、 ―――引き寄せた。 「……――ぁ」 「ッ、……ごめん」 ほんの一瞬だけ、触れ合った唇同士と すぐに謝罪の言葉を入れて、口元に手を当てる月子先輩と、 爆発しそうな程に高鳴っているあたしの心臓。 きっと月子先輩はあたしのことなんか、相手にもしてないんだろう。 それは流石に卑下しすぎかもしれないけど、少なくとも恋愛感情は抱いていないだろう。 構わないよ。 「月子先輩を想ってる自分が、好きなんです。いちいち惑わされて、ドキドキしてる自分が好きなんです。それから、こうやってあたしをドキドキさせる月子先輩が、何よりも大好きなんです」 「……うん。有り難う」 言葉は余りにも素っ気無くて、 あたしの想いに応えるわけでもなくて。 でも夕日の所為か、赤く見える月子先輩の横顔がこうして傍にあるだけで それだけであたしは、凄く満たされた気持ちになる。 我が侭は言わない。 ただこうして時々でいい、傍にいてくれたら。 あたしは。 どうしようもなく、嬉しいから。 → NEXT → ← BACK ← ↑ Reload ↑ |