『夏合宿――Drug』 ![]() 駆けつけた先は共同浴場だった。 倉庫から程近い場所にあった、広い浴場。その入り口でへたり込んでいるのは、イズミ。 「どうした!何があった!?」 一番に駆けつけた私に、イズミが恐怖に怯えた目で浴室の中を指差す。 中に広がる光景を見て、 絶句した。 「バカな――」 浴室には血溜まりが出来、 その真ん中で倒れている人物。 濡れた黒髪が頬に掛かり、 双眸は伏せられていた。 浴室にも関わらず薄手の服は着たまま、 ただ、その白い衣装は緋く染まっていた。 「ミナト先生!?」 タカコ先輩の声に、下はそんな名前だったかと思い出す。 その人物は、生徒ではなく、 この合宿にニシザキともう一人の監督として来ていた保健医、 飯塚港。 「119番を!傷は――」 うつ伏せになったミナト先生の手首を取る。 嗚呼、大丈夫だ、 「脈はある……」 これだけの出血。 傷を調べるべく、仰向けにしようとした時だった。 「何の騒ぎ!?」 駆けつけてきたのか、聞こえた声にちらりと目を遣った。 タカツか。 何の騒ぎってこれは―― ミナト先生の出血の原因になっている傷を探しながら、 タカツに怒鳴った。 「ふざけるな!!どうせ生徒会の仕業なんだろう?」 「――……生徒会はこんなことはしないわ」 「煩い、黙れ!」 傷が見つからない。 これだけの出血だから、余程大きな傷のはずなのに。 そんなバカな。 「月村さん――これ、血じゃない」 「……え?」 「血糊か何かよ。傷はある?」 「……無い」 ち、血糊だと!? 思わずタカツと顔を見合わせた後、赤く汚れたミナト先生の顔を見る。 正確には口元を。 「……寝息か?」 「そうみたいね」 「……」 な―― なんてふざけたことを……!! 「兎に角、脱衣所の方へ。どうしてこんなことになったのかも調べないと」 「……」 今は口論している場合でもないのか。 タカツの言葉には小さく頷き、目を覚まそうとしないミナト先生の肩を抱き上げた。 ![]() 数十分後。 「駄目だったよ。こんな時間じゃ殆どの人が寝てる」 「つまり相部屋の人物の無実を証明出来る者も少ないと――」 「少ないじゃなくて、おそらくは居ない。倉庫に居た私達以外は……」 或いは口裏を合わせている――か。 事実、ミナト先生に付き添って脱衣所に居るのは、私達の他は、発見者のイズミ、駆けつけたタカツ、そして叩き起こされたニシザキくらいのものだった。 念のために今、冴子先輩とタカコ先輩とソラ先輩がペンション内を調べに行っている。 一足先に戻ったカンノの報告も、芳しいものではなかった。 「この件は私達で何とかするから、皆はもう寝ていいわよ……」 一寸血圧の低そうなニシザキを、小さく睨んだ。 「私達って生徒会か?」 「そうじゃなくて、教師側でよ。生徒で解決する問題じゃないわ」 「教師側も何も、一人は被害者なのに」 「それはそうだけど……」 「私は大丈夫ですよ」 ミナト先生は上体を起こして、その額に手を当てながらも、私を見上げ微苦笑した。 「今回は多分、私の不注意です」 「不注意じゃない!明らかに誰かの冗談の通じない悪戯だ」 「うーん……」 ミナト先生は困ったように小首を傾げ、「そうなんですけど」と弱く付け加える。 ミナト先生の傍にしゃがみ込んだイズミが、揃えて首を傾げ問いかけた。 「あの、ミナト先生、どしてこんなところで寝てるんです?」 「浴室で寝たつもりはないんですけど……」 そうして考え込んだ後、ミナト先生はどこかぼんやりした眼のままで言った。 「覚えてるのは21時くらいかな……。部屋じゃ迷惑ですから、下で合宿の報告書を書いていたら、急に眠くなって――」 「……眠くなって?」 タカツが眉を顰めて問い返す。 ミナト先生はこくりと頷いた。 「こんなこと、普段はないんです。あの眠さは異常です……」 「異常な眠さって、疲れが出たにしてもおかしいわ」 タカツが顎に手を当てて真剣に考え込んでいるような表情を見せた。 その時、浴室に戻ってきた人物の影に振り向く。 「ソラ先輩……何かありました?」 私の問いに、ソラ先輩はいつもの無表情で、こくんと頷いた。 「関係ないかもしれないけれど、リビングのゴミ箱に薬の殻が」 「……薬?」 まさか、睡眠薬―― 「あの、それ中谷さんのじゃないですか?」 「ナカタニ?」 「…………あ」 ミナト先生は名前を口にした後で、はっとしたように口を噤む。 普段はこんなにぼんやりした人じゃないと思うんだが、寝起きの所為か。 「ご、ごめんなさい、あんまり大声では言えないんですけど、この合宿に一人、薬を常用している生徒がいて……」 「それが中谷か」 「……ぅ」 生徒のものなら関係ないか。 タカツが、ソラ先輩の「見せてもらえる?」と傍に寄った。 「……」 「何か?」 「ヒルナミン。抗鬱薬ですね。中谷さんのものでしょうか」 薬の名前を出されてもさっぱりわからない。 ミナト先生が、ゆるりと首を横に振った。 「どうでしょう。服用している薬までは把握していなくて」 「そうですか、それでは……」 神妙な面持ちで言うタカツを遮るように、ニシザキが声を上げた。 「そこまでそこまで。調べるにしても明日にしましょう。探偵ごっこは感心出来ないわ」 「……はい、すみません」 ニシザキの言葉にやけにあっさりと食い下がるタカツ。 そんなものか――? 「ミナト先生、服が」 「あぁ、そうですね。汚れちゃいました」 場違いなことを言うイズミに、ミナト先生も困ったような表情を浮かべた。 「それなら私が貸しますから」 「……あの、西崎先生のではサイズが」 「どういう意味でしょう」 「し、身長が違うからです。他意はありません」 「……ああ」 更に場違いな話になってきた所で、カンノが真面目な顔をして告げた。 「私の――貸しましょうか?」 「あ、でも、その、多分胸囲が……」 ……駄目だ話にならない。 ![]() 「さてさて、屋外授業をサボって退屈な皆様、此処で一つ、今回の事件について推理大会でもしてみませんか」 ……。 ヂュー。 自然派を主張するペンションの入り口にある、ある種の矛盾とも言える自動販売機で買った苺ミルクの紙パックジュースを飲んでいる時に、そんな大げさな切り口で話し始めたのは和栗めぐるだった。 自然と、ペンションのリビングに残った人々の視線はメグルに向く。 屋外授業をサボって退屈、という部分までは、つっこみたいがつっこめない事実だった。 合宿二日目。今日の午後のスケジュールは、近くの小川で過ごす自由時間。 自然を間近に感じ、普段の疲れをリフレッシュ。そんな感じなのだと思うが、 サボった。 私はインドア派だ。 ペンションに残る者は、自習という名目で、リビングで各々自由に過ごしていた。 リビングに残っているのは、私とメグルと月子先輩、そして昨日の件で念のため休息を取るミナト先生の四人。 ミナト先生はリビングの奥まった所で、何やらレポートか何かと格闘している。 昨日の晩も合宿の報告書を書いていたと言うし、忙しい人だな。 「昨晩、ミナト先生が浴室で血塗れで発見されたのは既に皆知ってることッスよね」 「……まぁね。血塗れは語弊があるけれど」 月子先輩が気の無い相槌を打つ。 月子先輩は生徒会役員なのだし、生徒の見本としてスケジュール通りに動くものなんじゃないのかと思うが、わりとそうでもないらしい。ただ、サボり組はサボり組でも、私達とは違うのは、彼女は真面目にテーブルに問題集を広げてそれを解いていることか。概ね、「川遊びなんて時間の無駄だ、そんなことしているくらいなら受験勉強をする」とかそんなことを言って断ったんだろうと予想する。 「推理材料は既に幾つか揃ってるッス。そこからあたしたちで犯人を見つけ出すんスよ!」 意気揚々と言うメグル。 元気なやつだ。 フードさえ無ければ明るい子なんだろうが、どうもフードの所為で根暗なイメージが拭えない。 昨日のカンノとのゲームの話を聞く限り、どう考えてもオタクだしな。 「では、君が用意した推理材料というのを提示して貰おうか」 半ば流しているような口調で言う月子先輩に、メグルは「はい!」と元気に返答した。 「まず、ミナト先生が発見された状況からッス。時刻は深夜一時半頃、第一発見者はイズミちゃんですね」 「そのイズミの悲鳴を聞いて、私達が駆けつけた」 こくり頷く。 メグル、いつの間にそんな情報を仕入れているんだ? ニシザキ曰く、教師側で解決する、だったのに。 「浴室の使用時間は、基本夜九時までになってたッス。それ以降は入れないはずなんスけど」 「そうなの?じゃあ何故イズミはあんな時間に浴室に?」 「それは、イズミちゃんの単なる確認不足らしいッス。九時までなのを知らなくて、入れるかなーと思って見に行ったそうです。これはイズミちゃん本人から聞いたッスよ」 「成る程……」 まぁイズミらしいよな。 浴室の使用時間が夜九時までということは、それ以降は人の出入りはなかったということか。 「で、次にミナト先生の供述ッスけど、夜九時頃までは覚えてるんスよね。ね、ミナト先生。ミナトセンセー?」 「は、はい?あ、あああ、数式がわからなく、あああ」 メグルに声を掛けられて、ちょっと離れた場所で顔を上げたミナト先生は、明らかにテンパった様子で手元の書類にペンをぐりぐり押し付けていた。 「メグル……ミナト先生はそっとしてやった方がいいと思う……」 「そ、そうッスね」 数式って、一体何をやっているんだか。教諭なのに数学? 仕切りなおすように、メグルは「こほん」とあからさまな咳払いをして見せた。 「で。ミナト先生曰く九時頃までは記憶があって、それから急な眠気に襲われた、と。これが何を意味するか解る人!」 「何をって……急な眠気に襲われた理由のことか?」 「そうです、その理由は!」 「――……睡眠薬、とか」 「正解!!」 ズバッと私を指差して言うメグルのテンションに、かろうじてついていっているのは私だけだ。 月子先輩に至っては完全に興味を無くした様子で、手元の問題集を黙々と解いている。 「睡眠薬で眠らせてその間に!これぞサスペンスの王道ッスよ!はい、睡眠薬に決定決定!」 「まぁ待てメグル。薬の殻が出てきたのは確かだけど、それは……」 中谷の物の可能性が。 そう言い掛けた時、不意にリビングの出入り口の方から声がした。 「あ、ミナト先生。ちょっと体調が良くないんです、手が空いていたら……」 振り向けば、其処には大人しそうな雰囲気の、一年生の少女の姿。 彼女は私を見て、「あ、あれ?」と不思議そうな表情を浮かべていた。 奥に居るミナト先生が顔を上げる。 「その声は、中谷さん?」 ――……ん? ミナト先生は、リビングの中でも奥まった場所で、顔を伏せて書類に取り組んでいた。 リビングの入り口とは距離があり、そして平行線上に二人の姿は無い。 つまり、リビングの入り口にいる中谷から、ミナト先生の姿は見えない。 なのに何故、姿も確認せずにミナト先生に声を掛けているんだ? そんな私の疑問に答えるように、中谷は慌てた様子で、私に向かって頭を下げた。 「あ、わ、あの、ごめんなさい。月村先輩、ですよね。……ミナト先生と後姿がそっくりで、見間違えちゃって」 「……あ?あぁ、いや、気にしなくていい」 後姿がそっくり? それはまた意外な。 でもそう言われてみると、ミナト先生と私とは髪の長さも色も同じで、後ろから見れば似ているのかもしれない。 服の趣味もわりと似ている。 確か昨日は、同じ黒のハイネックのノースリーブで、服装が被っていたような。 加えて、体型も似ていた。昨晩、服が汚れてしまったミナト先生に急遽服を貸したのは私だった。 今、ミナト先生が着ているのは私の服だが、何の違和感も無い程、サイズも趣味もぴったりなんだ。 「……ノゾムちゃん。これは、もしかすると、もしかするのかもしれません」 不意にメグルが神妙な面持ちで切り出す言葉に、「何が?」と怪訝な顔をした。 「後姿がそっくり――これも、サスペンスでよくある話じゃないッスか!犯人は背後から忍び寄り、こっそりと飲み物に薬を落とした。しかし、犯人は薬を入れた人物の顔まで確認していなかった、つまり!」 「……私が狙われていた、とでも?」 「ずばり、そうッス!」 推理小説じゃあるまいし……。 「第一、薬の殻だって中谷のものかもしれないじゃないか」 「わ、私がどうかしましたか?」 あ、本人が居た。 忘れていた。 「丁度いいッス!直接聞けば良いだけッスよ」 「まぁそうだな。中谷、“ヒルナミン”という薬を服用しているか?」 推理云々とは程遠い、直球ストレートな問いを投げかけた。 中谷は尚もきょとんとしていたが、やがて答える。 「えっと、はい、飲んでますけど、それがどうかしましたか……?」 「……の、飲んでるーー!?」 メグルが素っ頓狂な声を上げる。 そこまで驚くことじゃないだろう。 薬の殻が中谷のものだったことがそんなに残念か。 その時、今まで黙って問題集を解いていた月子先輩が、不意に声を上げた。 「中谷。君が飲んでいるその薬は、どんな形状をしている?」 「形状……ですか?えっと、小さくて丸い錠剤です。ヒルナミンは糖衣ですね」 ―――糖衣? それは……おかしい。 眉を顰めた私にちらりと目を向けた月子先輩は、一つ頷いて続ける。 「ノゾム君も気づいたようだね」 「どういうことッスかー!ゴミ箱で見つかった薬の殻は中谷さんのものなんだから、今回の事件とは関係ないんじゃないんスか?違うんすかー!?」 話についていけてないメグルに、月子先輩が淡々と説明する。 「第一に、激しい眠気という時点で睡眠薬等の人為的な何かがあるのは明確だ。だが、中谷の飲んでいる糖衣のヒルナミンだと、飲み物に落としてこっそり飲ませるなどということは不可能なんだよ。水溶性も低いからね」 「それじゃあ、ミナト先生は何を飲まされたんスか?」 「ヒルナミンだ。つまり、同じヒルナミンでも―――彼女が飲まされたのは、粉薬のヒルナミン、ということだよ」 「……こ、粉薬。同じ名前の薬なのに、形が違うんスか」 「そう。紛らわしいけれど仕方ない。ノゾム君、見たんだろう?その薬の殻というのは……」 「はい。錠剤の殻ではなく、粉薬の殻でした」 「――そういうことだ」 そうか。 やっぱりミナト先生は誰かに睡眠薬で眠らされた。 そして、浴室であんな悪戯を施されたということか――。 しかし、それでも尚曖昧なことは多い。残った疑問を私は口にした。 「睡眠薬なんて、大衆薬では売っていないはずだ。最近は軽度の睡眠導入剤程度ならば大衆薬でも手に入るけれど、今回使われたその薬は、処方薬だろう?そんなもの、誰がどんなルートで手に入れられるんだ?」 「うわお、ノゾムちゃんがいいこと言った!そうッスよ、犯人は睡眠薬を手に入れられる者に限られる!」 相変わらず探偵気取りなメグルは置いておくとして、その答えを知っているであろう月子先輩に答えを仰ぐべく視線を向けた。月子先輩は手を組んで一寸考えた後、淡々と言う。 「残念ながら、ピンポイントに絞り込むことは不可能だろうね。考えられるルートは三つ」 「三つ?」 「一つ目は、保健医であり、大学病院にも通じているミナト先生。だがミナト先生は実質の被害者である」 「……そうだな」 「二つ目は、実際に処方薬を貰っている中谷。だけど彼女は自己申告している通り、錠剤のヒルナミンやその他の薬しか処方されていないだろうし、調べれば、粉のヒルナミンが処方されているかどうかくらいすぐ解る」 「じゃあ三つ目のルートとは?」 「三つ目はね。……金に物を言わせられる人物達だよ」 そうか。 聖蘭の生徒の何割かは、所謂お嬢様だ。 当然金もあるし、裏の繋がりもあると考えて不自然じゃない。 「それなりに権力がある家の娘なら、知り合いに医者や調剤師が居ておかしくない。そして金さえ払えば、処方薬も安易に手に入る。無論犯罪ではあるが、この程度の犯罪をもみ消す力も、持っていて当然だからね」 冷静な月子先輩の推理は、見事に的を得ている。 そしてそれが導き出す答えは、犯人を絞るのは難しい――そういうことか。 「聖蘭の生徒のバックボーンは大きい、ということだ」 やろうと思えば何でも出来る、それがお嬢様達の裏の顔……か。 → NEXT → ← BACK ← ↑ Reload ↑ |