ミネラルウォーター





 スミレ アユム 月子
「月子先輩に聞いたら、なんかわかると思う?」

 アユムさんの言葉は、突然で唐突だ。
 放課後。
 自動販売機に、ミネラルウォーターを買いに行く途中だった。
 後ろから聞えた声に、渡り廊下で振り返る。
 校舎の出入り口から私を見ているのは、
 アユムさんと、――冴子先輩?

「ご苦労様。私まで辿り着いたようだね」

 冴子先輩にしては声色が違う。
 彼女は私の方へと歩み寄り、一寸小首を傾げた後、
 「ああ」と思い当たるように声を上げた。

「冴子と勘違いしているのか。私は東堂月子。生徒会の東堂だよ」
「……月子先輩?」
「そう。外見は似ているけど中身は別人だ」
「……あ。ご、ごめんなさい」

 勘違いを認めて、そう謝った。
 月子先輩は笑みとは思えぬ笑みで笑う。
 月子先輩の後ろからついてきたアユムさんは、もっと綺麗に笑う。

「まぁそういうことなんだよね」
「……?どうして、アユムさんと月子先輩が、一緒に?」

 純粋な疑問を投げかけると、アユムさんは一寸月子先輩を見上げ、
 あっさりと答えた。

「アユも月子先輩も、生徒会の人間だから」
「……生徒会?」

 未だに話が見えていない私を尻目に、アユムさんは楽しげに言う。

「あはは、別に騙してたわけじゃないんだけどさー。アユと月子先輩だけじゃ外堀埋めらんなくて」

 一頻り笑った後、猫のような目を細めた。

「……本当のこと知りたい?あたしたちを敵に回したくないよねぇ?」

 ――本当のこと。
 ――敵。
 ――どういうことだろう。
 ――わからない。
 ――わからないよ。

 アユムさんの笑みが、私を焦らせる。
 ああ、そうだ。茜先輩のことを話している時と同じ感覚。
 触れてはいけないものに触れているような恐怖感。
 今、私は本当に触れてはいけないものに、
 直面している。

「茜の件は、生徒会でも全体を把握出来ないものだった」

 月子先輩は、アユムさんに小銭を幾つか渡しながら、そう切り出す。
 アユムさんが自動販売機の方へ向かっても、月子先輩は言葉を止めない。
 アユムさんは全て解っているとでも言うように。

「転校前に、茜の身辺で何か起きたかどうかを調べる為には剣道部の人間に接触する必要があった。けれど、なかなか丁度良い人材が見当たらなくてね。因みに私と冴子は一家崩壊直前並みの冷戦中だ」

 月子先輩は全てを知っていたんじゃないのかな。
 把握出来ないなんて嘘。
 茜先輩がどうして居なくなったのか、なんて。
 私には関係の無い場所で処理されていく問題だったんじゃ、ないのかな。

「君が都合良く、冴子に、そして坂本に接触した。だから利用した。――簡単なことだよ」

「……そんな。偶々ぶつかっただけなのに」

「偶々ぶつかるなんて、滅多にあることじゃない」

 ガコン。
 三つ聞えた音が止んで、少ししてアユムさんが戻ってくる。
 月子先輩にはコーヒーを。
 私には、ミネラルウォーターを。

「解らないです……生徒会って何ですか?月子先輩が生徒会役員なのは知ってますけど――」

 プシュ。
 炭酸が抜けていく音はアユムさんの手元から聞えた。
 月子先輩はコーヒーのプルタブを開けずに、冴子先輩と似た仕草で弄んで。

「生徒会というのは、表向きと裏がある。君が見ていたのが表向き。アユムのような非公認の役員が居て、過去の転校について調べている――それが裏かな」

「どうして、転校について調べたりなんてするんです、か?」

「それは」

 くるりくるり。
 月子先輩の手の中には缶コーヒー。
 私の手の中にはミネラルウォーター。

「生徒会が茜を転校させたからだよ」

 ―――解らない。



 瓜二つの双児。
 冴子先輩は剣道部の部長で、不良っぽくて乱暴だ。
 でもジュースをお詫びでくれたりする、きっと根は優しい人。
 月子先輩は生徒会の役員で、真面目そう。
 だけどその表情に感情はなくて、何も解らない人。

 怖いのはどっち?
 投げる言葉は冴子先輩が乱雑で、グサッて来る。
 だけど月子先輩の裏が読めない言葉には、惑わされて、考えさせられて、  じわじわと痛い。



「中谷菫さん。君のことは少し調べさせてもらった。精神科に通院中で、心身ともに弱いようだね」
「どうして、そんなことまで」
「教師には話しているんだろう?それなら話は通っていて当然だよ」
「……」

 プライバシーは守ると言っていた先生も、嘘吐きだ。
 そんなことまで筒抜けになって。
 学校ってどうなってるんだろう。生徒会って一体何?

「俄かには信じられないかもしれないけれど、生徒会は大きな秘密を抱えている。茜を転校させたのもその一環だ。君にはその秘密を守って欲しい」

 月子先輩の言葉に、抱くのは疑心だった。
 だってそんなの、おかしい。

「それなら、私に話さなければ良かったんじゃないですか。私が秘密を漏らさないとは、限りません」
「いや」

 私の言葉に月子先輩はあっさりと否定を返して。
 少し考えるように間を置いては続けた。

「君は秘密を漏らさないよ」
「言い切れる、んですか?」
「君には、秘密を囁く相手がいない」
「……ッ」

 言い返せなかった。
 その通りだ。
 私には親しい友人もいない。
 家族ともそう多くを話すことはない。
 全てを自分の中に抱えるタイプ。
 月子先輩は――生徒会は、そんなことまでお見通し、なの?

「――解ったなら。そう言って欲しい。私達だってどうこうするわけじゃないよ」
「……月子先輩」
「うん?」
「それでも、もし私が誰かに秘密を漏らしたら、どうするんですか」

 弱く問いかける。
 月子先輩は私の言葉に少し考えて。
 ゆらり。視線を向ける先は部活棟の方だったのだろうか。

「もし誰かに言ったら――その誰かを転校させる」

「……、ッ」

 ドクン。ドクン。
 心音が少し早まった。
 転校っていう言葉は、脅しに使うものなんかじゃなかったはずだ。
 でも今まさに、そんな風に告げられて、
 言葉を失う私がいた。

 だめだ。
 抗うことなんて到底無理。
 それよりも受動的になった方が、ずっとずっと、楽なことだ。

「――……わかりました」

 私は頷く。
 何もかも握られているようで、恐怖を抱きながらも。
 私は何も出来ない。

 手の中にはミネラルウォーター。
 何もかも見透かされている。







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