ソラ





 ノゾム カンノ イズミ
「過去に行き先不明で転校している人物、結局、具体的にわかったのは二人だけ」

 登校中に、カンノと目を合わせるでもなく、私―――月村望―――は呟いた。
 カンノも此方に目を向けることなく、呟き返す。

「あれから一ヶ月近く経過しているのにね。流石に情報を転がしてはいない」

 そう、私達の“転校”に関する調査は、一向に進展を見せなかった。
 暫く休学していたカンノも今は復学し、傷も癒えたようだ。
 カンノが休んでいる間、一人調査を続ける心算だったが、私だけの力では何も出来ないことがわかった。

「おはよう、望ちゃんと神野ちゃん!」

 私達が目指す下駄箱の所から、そんな大声で名前を呼びながら手を振っているのはイズミだ。
 和泉良。一ヶ月前に嬉々として生徒会への参加を話していたクラスメイト。
 あれから私はイズミの様子にも気を配ってはいたが、そう変化は見つからなかった。

「……おはよう和泉」

 下駄箱の方まで歩み、大声じゃなくても聞こえる距離まで近づいた所で私は返す。
 イズミは人懐こい笑みを浮かべた。

「暫く神野ちゃんが休んだ時は、超心配しちゃったよ。肺炎になりかけてたんだってー?」

 肺炎。学校側ではカンノの休学はそういう扱いになっているようだ。
 カンノの家族は、学校側に怪我を伝えたはずなのに。

「うん。少し不摂生が祟ったみたい。もう大丈夫だよ」

 カンノは靴から上履きに履き替えつつ、抑揚の無い声でイズミに言う。
 カンノもわかっているのだ。誰かにリンチをされたことなんて、学校側―――生徒会からは、
 無かったことにされるのだ、と。

「そうかぁー。今は元気そうで良かった!」

 自然と、イズミと連れ立つように教室に向かう。同じ教室なのだから当然だ。
 二年生の教室は二階にある。三年は三階。
 そうあればこの登校時間は階段も賑わっているのが然るべきだが、今日は珍しく人気が無い。
 二階へ続く階段に一陣、吹き抜ける風のような凪。
 私はぽつりとイズミに言葉を掛けていた。

「イズミは生徒会のこと、何も知らないのか」

 思いがけず、その言葉は階段の踊り場で重く響き渡った。
 カンノは私の突然の問いに驚いて目を瞬かせているし、
 イズミは、
 ―――イズミは僅かに表情を曇らせた。

「望ちゃん、何言ってるの?あたしは生徒会役員だから、生徒会のこと少しくらいは知って」
「そうじゃない」

 間髪入れずに否定する。
 イズミは何か知っているんじゃないか。
 あの一瞬曇った表情がその証拠なんじゃないか。

「生徒会は過去に数人の生徒を転校させている。イズミはそのことについて何か知らないのか」
「……何言ってるのか、よくわかんないな」
「イズミ――奴らに、脅されている?」

 トン。

 不意に背後から聞こえた足音に私達は音を失くす。
 こんなタイミングでタカツなんかに見つかったら――そんな危惧が過ぎったが、
 幸い、階段を上ってきているのはよく知らぬ三年生の先輩だ。
 彼女は私達に目を向けるでもなく、傍を通り過ぎ、三階へ続く階段を上っていく。
 そんなシーンを切り火にしたように、階段にいつもの賑やかさが戻ってきた。
 二年生、三年生の生徒が使う階段に、登校時間らしく、上りの生徒が増していく。

「望ちゃん、あたしは何も知らないよ」

 トン、トン。
 イズミは私達に背を向けて階段を二つ上った。
 微笑む。
 そんなイズミに返す言葉は無く。
 更に階段を上がって教室を目指すイズミの後を追った。
 それ以上何か問いかけることは、出来なかったけれど。
 イズミの無垢なまでの笑みは、何故か戦慄を思わせた。





 ノゾム カンノ ソラ
 イズミの存在もあり、教室で下手に動くことは憚られた。
 私とカンノはなるべく人の少ない場所で、調査についての話をする。
 そうは言っても、実際調査なんて殆ど進んでいないけれど。
 過去の転校者の名簿なんてものがあるとすれば随分便利だが、あるなら精々職員室。
 私達に閲覧できるものではないだろう。
 具体的に謎の転校が分かった二人は、この学園でちょっとした有名人だったからだ。

「幸田茜と東堂夜子――この二人から進めるしかないのかな」

 カンノは屋上のフェンス際に座り込み、溜息混じりに言う。
 とは言え、その二人のことすらも調査し辛いのが事実。
 三年生の先輩に手当たり次第、過去の転校した生徒について問いかけて、
 その二人の名前が漸く出てきた程度なのだ。

「進めるとしてもどうやって。和泉に尋問でもするか?」
「それじゃ生徒会と同じやり方なんじゃない、かな……」
「そう。実力行使は好きじゃない」

 こんな所で躊躇っているのは、調査としては消極的かもしれないが。
 出来る限り、生徒会に関係する人物とは接触したくはなかった。
 何故だろう、奴らの存在に触れれば、火傷でもしてしまいそうな気がする。
 触れてはいけない――それは単なる逃げなのだろうか。

「生徒会とは関係ない人物で、生徒会を知っている人物でも居ればいいのに」
「ご都合主義だ」

 カンノも私と似たような考えで動いているのだろう。
 だから行き着く先は同じ、お互いに思っているご都合主義。
 只、時折そんなご都合主義が実際に起こればいい、などと非現実的なことを思う。

「都合の良い人物をお探しなら」

「――……!?」

 突然、上空から聞こえた声に、私はびくりと身じろぎしていた。
 屋上の給水塔の傍、誰も居ないと思っていたのに。

「校内放送で呼び掛けてみては如何?」

 校内放送。そんな言葉に思わずカンノを見る。
 案の定、青褪めた様子でカンノは声の主を探している。
 上。上から聞こえた声――

「貴女達、それでは単なる自殺志願者よ」

 ―――上。
 給水塔の上に、その声の主が居た。
 幸い生徒会に関係する人物じゃなかった。
 見知らぬ人物だ。―――否、朝に見たばかり、か。
 私達とイズミの傍らを通り過ぎていった、三年生の先輩。
 風に靡く長い髪を片手で押さえて、私達を捉えた瞳がすい、と細められた。
 大人びた女性だ。高校生とは思えないくらい。

「自殺志願、って……?」

 カンノが女性を見上げ、恐る恐る問いかける。
 女性はゆるりと屋上を見渡した後、給水塔まで登ってくるよう、と合図をした。
 誰も居ないはずの屋上に居た彼女。

「月村さんと神野さん。貴女達が三年生に過去の転校者について色々探りを入れていたのは私でも知っている。ということは当然生徒会にもわかっている。生徒会に見つからないよう動くか、堂々と動くか、どちらかを選んだ方が賢明だという忠告」
「……じゃなきゃ殺される、とでも」

 梯子を上って、改めて女性を見上げて小さく問い返せば、
 彼女はすっと視線を逸らしては――頷いた。
 実際殺されかけたカンノが居る以上、その言葉には現実味があって。
 ゾクリと、背筋が寒く感じる。
 そもそも彼女は敵なのか、味方なのか。
 もし敵なら、この給水塔から思い切り突き飛ばされて、地面まで直下かもしれない。
 そんな私の危惧を汲んだように、彼女は給水塔を上りきった私達を見、口を開く。

「自己紹介が遅れたわね。私は真壁宙。見ての通り3rdの生徒」

 真壁宙(マカベ・ソラ)。
 ――ソラ先輩。

 私とカンノは警戒を解かない。
 ソラ先輩は何処かミステリアスで、感情の読めない人だ。
 そういう意味では少しだけカンノに似ている。

「私が怖い?生徒会の手の者じゃないか、って」
「その通り……怖いよ」

 私が答えるより先に、カンノがソラ先輩の問いに答えていた。
 あれだけの怪我を負わされた分、カンノの生徒会への恐怖は募っているんだろう。
 ソラ先輩はゆるりと視線を逸らし、少し沈黙した後、その唇を開いた。

「それじゃあ、お話をしてあげる。……貴女達が知らない、もう一つの転校についてのお話を」

 とある大学生が不正流出させた入試問題。
 金を巻き上げる悪徳な手口。
 それを知った一人の少女。
 罪びとである大学生に会ってしまった。
 大学生は少女の口を塞ぐ為に、
 山奥へ連れて行き、殺した。
 否、殺したつもりだったのだろう。
 しかし少女は瀕死の状態で、通行人に発見された。
 警察に保護された少女は何が起こったのか問われたが
 何も言わなかった。言えなかった。
 山奥で殺されかけたこと、それ以前のこと、自分自身のこと。
 何一つ、覚えていなかったから。
 記憶を失った少女は、その後ある警察官の保護下に置かれ
 身元不明の侭に、五年間を過ごした。
 そしてある時、不意に、思い出す。
 あの山奥の宵、誰が自分を殺そうとしたのか、何故自分を殺そうとしたのか。
 全てを思い出した少女は、
 今度は身元を隠して、犯人に近づいた。
 ―――この学園に潜んだ、殺人鬼に。

「少女の名前は横山由良。身分を隠すために真壁宙という偽名を作った。
 ……そして犯人である大学生の名前は、」

 ソラ先輩は、声を潜めて、
 呟くように言った。

「―――西崎真矢」





「五年前って、そんな、ソラ先輩が幾つの時の……」

 カンノの問いに、“私―――真壁宙―――”は、一寸言い躊躇う。
 よく、高校生には見えないと言われてきたものだが、事実高校生の年齢ではない。

「私が西崎に接触したのは十五の頃。……だから今は二十歳、ね」
「は、二十歳!?」

 カンノの素っ頓狂な声に、思わず手を伸ばして口を塞ぐ仕草をしてしまう。
 だからこれだけは余り言いたくなかったけれど――
 ニシザキに近づく手段として、この二人の存在は心強い。
 生徒会はニシザキの配下にあるのだろう。ならば目指す所は凡そ同じ。

「そしてこれが証拠。私は正真正銘、警察の配下にある人間よ」

 そう差し出した学生手帳の最後のページに挟んだ身分証。
 私は警察官ではないが、「警察に協力する者」として認められている。
 横山由良。二十歳。――それが私の本当の姿。
 これも私を保護し、今でも西崎のことを追ってくれる柴村警部補のお陰。
 私の保護権も今は彼女にある。

「そして私はまだ西崎に身分を知られていない。気づかれていない。貴女達のように、表立った調査はしていないから、ね。これで信頼してもらえる?」

 気づかれていない――気づかれてはならない。
 もし気づかれたら、今度こそ私は殺されるだろう。
 金の為に人の命すら奪う、鬼のような女に。

「いや。もっと明確な証拠が見たい。身分証なんて生徒会なら安易に偽造してきやがるだろう」

 私の言葉にも完全な信頼を見せぬノゾムは、そう求めた。
 肩を竦める。

「乱暴な物言いの上にセクハラね」

 けれど彼女の言いたいことはわかる。
 春から夏服へ変わるシーズン、まだ春物のセーラーの裾を捲って見せた。
 ひやりとする。私の腹部には西崎に滅多刺しにされた盲腸の後のような傷跡が三つ。
 それを見たノゾムは漸く、納得したように頷いた。

「成る程。……確かに宙先輩は、嘘を吐いていないように思う。生徒会ならこんな嘘を吐く必要が無い」
「そういうこと。私自身、西崎のことや生徒会のことについて調べたい気持ちは山々なのだけれど、西崎に正体を隠している分、殆ど動けなかった。二年生の冬に此処に編入してから、調査は殆ど進んでいないの」
「だから私達と手を組めば互いに良い……そういうことか」
「そうよ。……駄目かしら」

 小首を傾げて見せれば、ノゾムはふっと零すような笑みを見せ、手を差し伸べた。

「いや、歓迎する。宜しく頼むよ、宙先輩」

 私はノゾムの手を握り返し、頷く。

「此方こそね。――神野さん。月村さん」





 不用意に生徒会に近づく者。
 それは時として何らかの起爆剤になり得るかもしれない。
 ノゾム。カンノ。
 二人が何故生徒会へ手を伸ばしたのか、私は知らない。
 彼女らから伝わるのは、生徒会への敵意。
 私が内に秘めたるものと同じ感情。

 不用意なのは良くないこと。
 彼女らは本当の恐怖をきっと知らない。
 実際に殺され掛けた思いなど、知らない方がいい。
 一度手を下されていると、警戒が強くなる。
 同じ犯人に二度近づこうとしているならば当然のことかもしれないが。
 私は恐怖という、ニシザキの世界に囚われた侭なのだろうか。
 生徒会と渡り合おうと見据えるノゾムの瞳は、鋭利な強さを滲ませた。

 放課後の下駄箱。
 靴箱の向こう側から聞えるノゾムやカンノの声を聞き及ぶことはない。
 二年生と三年生というだけで、私と彼女らには普段は何の接点もない。

「今日の数学の宿題、わからないや……」
「じゃあ貸してやるから、暇を作れ」
「暇ならいつでも……」

 他愛のない高校生の会話を、私は聞き及ぶことがない。
 私は高校生を偽っているだけで。
 中身なんて大してなくて。
 普通の高校生の方が余程、実のある生活をしているんじゃないかと思う。

 罪を追う警察ですらない。
 それでも、こうして罪に迫ることが、私の存在意義なのだろう。

「……タカツ」

 ノゾムの微かな声に、思わず動きを止める。
 タカツマリナ。現・生徒会長―――ニシザキと一番近い位置にいる生徒。

「ごきげんよう。月村さんと神野さん。……少しお時間宜しいかしら?」

 生徒会長直々に、二人への呼び出し。





 ノゾム カンノ タカツ   ソラ
 玄関を出て少し校舎裏へ回れば、すぐに人気が無くなる。
 私は彼女らと一定の距離を置いて、影へ身を潜めた。
 暫しの沈黙の後、最初に声を口を開いた高津茉莉奈。

「随分と楽しそう」

 上げた声は既に、本性を垣間見せるものだった。
 ノゾムが低く返す。

「一体何を企んでいる。また、転校させるのか?」
「転校?……何のことかしら?」
「しらばっくれるな――」

 挑戦的なノゾムの態度。
 ひらひらと虚ろなタカツの声。
 カンノは黙った侭、微かに滲ませるのは恐怖だろうか。

「邪魔な人間は転校させる。それがお前らのやり方なんだろう」
「乱暴な物言いね。私達がそのような暴力的手段を取っているとでも?」
「そう思っているし、事実じゃなければこうやってこそこそ話す必要も無い筈だ」
「ご尤もね」

 タカツは終始、受動的だった。
 肝心な所は肯定も否定もしない。
 扇動的とも言える、一歩退いた言葉。

「何の用事だろう。呼び出した以上用件は伝えて欲しい」

 ノゾムが改めてタカツへ投げた言葉に、
 ふっと聞えたのは笑い声だろうか。
 沈黙の中に、怪訝そうな空気が乗る。

「……いえ、ごめんなさい」

 楽しげに笑いを抑えながら、漸くタカツが声を上げた。

「貴女達の行動は大胆で解りやすい。それだけ攻撃的とも取れるわね」

 やはり私の言った通りか。ノゾムとカンノの行動は生徒会に筒抜けだ、と。

「でも、少し控えないと、後が怖いわ」
「後が……?」

 小さくノゾムが聞き返し、少しの間。
 その後で、凛とした声が響いた。

「知って良いことといけないことがある。踏み込み過ぎると辛いのは貴女達だということ」

 タカツはきっぱりと告げ、そのままの態度で続けた。

「――これは忠告なの」

 忠告?

「それはご丁寧に有り難う」

「真剣には聞いてくれないのね」

「……」

 ノゾムがさらりと流した言葉、タカツは僅かに悲しげな声色で呟いた。
 どういうことだろう。
 わざわざ呼び出して、忠告――?

「暫く動きを潜めなさい。私からはそれだけよ」

 タカツは再び凛と告げ、すぐにアスファルトを踏む音がした。
 私が居る場所とは反対方向へ消えていく足音を、遠くに聞いた。
 忠告、か。

 ――忠告。
 もし生徒会がニシザキの犬同然なのならば。
 全てがニシザキの思惑で動いているのならば、生徒会の生徒は単なる奴隷だ。
 奴隷とて時に反発する。それが今のタカツだとすれば。
 タカツの言うことは聞いておいて損はない。

「生徒会や転校の実態は何だ……?」

 ノゾムが零した疑問に、答える言葉を今は持っていない。
 只、その実態に迫るには彼女らは余りに悠長過ぎた。

 攻撃的に情報を叩くのではない、守備として情報を待つことも必要だ。
 タカツの気配が完全に消えれば、
 私は彼女らにそれを提案しようと。
 心に決め、緩く目を伏せた。










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