イズミ





 ノゾム カンノ イズミ
「二人とも保健室に行ったって聞いて、びっくりしちゃってー。大丈夫かな?」

 そんな暢気な声に、私―――月村望―――は咄嗟にカンノに毛布を被せた。
 そして隣のベッドに戻ってからカーテンを開ける。
 顔を出したのは、クラスメイトの少女だった。

 和泉良(イズミ・リョウ)。
 彼女は編入初日、真っ先に私に話しかけてきた人物だ。
 身長は150cm未満で小さいが、その身体の小ささなど物ともしないくらいの存在感がある。
 もう一つ外見に触れるなら茶色がかった髪の一端がいつも跳ねているのが妙に目につく。寝癖だろうか。
 活発で笑顔が多く、人から好かれるタイプ。
 ―――だけど、イズミは、確か……

 私はイズミに小さく笑みを向けた。

「心配かけてごめん。私は単なるサボりだから」
「えー!?望ちゃんてば、いいのかなぁー?」
「まぁ、うん、少しは息抜かないと。後でノート見せてくれると助かる」
「あははは、いいよ!」

 イズミは屈託無い笑みで頷いた後、奥のベッドに目を向けた。
 「あ」と私は今気づいたような演技で、口元に人差し指を立てて見せた。
 小声で言う。

「神野は本当に調子悪いみたいで、今は寝てるかな。そっとしといた方がいいと思う」
「そうなんだ……心配だね。朝から姿見えなかったから気になってたんだよ」
「ん、詳しくは私も知らないけど……」

 カンノはまだ誰も来ていないような時間に、体育館裏に呼び出されてリンチを受けた。
 その後誰かに会ったのだろうか。あの酷い怪我で。それは拙いだろう。
 でもクラスメイトは、カンノが保健室に行ったことを知っていたし、私に伝言まで預かっていた。
 一体何処で……?

「和泉?私はともかく、神野が保健室に居るの、誰から聞いた?」
「ああ、まっちゃんから聞いたんだよ」
「……まっちゃん?って、松本?」
「そうそう」

 いまいちクラスメイトの名前と顔が一致していないが、確か――
 私が教室で神野を探した時に、カンノのことを隠していたやつか。

 『休み、じゃないかな』
 『う、うん、でも、その……神野さんから伝言を預かってたの』
 『月村さんがもし聞いてきたら……休みだって言って欲しい、って……』

 じゃあ松本はカンノの怪我のことを……?

「先生に、伝言を頼んだんだよ。紙に書いて、松本に渡して欲しいってね」

 隣のベッドからの声に私は少し慌ててカンノの方へ目を向けた。
 カンノは、イズミに顔を見られないように、毛布を被ってこちらに背を向けたままだった。
 ああ、なるほど、さっきの保健の先生か。ってことはカンノの怪我のことは先生しか知らない。
 それならまだ、納得――……ん?
 何かが引っ掛かって眉を顰めた私を気にするでもなく、イズミが声を上げる。

「なーんだ、神野ちゃん起きてたんだ。重態で意識不明とかだったらどうしようかと思ったよぅ」
「それは……ない」
「あはは、冗談冗談」

 イズミの暢気な様子は、怪我人を前にして良いことなのかどうなのか悩ましいが、
 どうも憎めない無邪気さがある。
 そう、イズミが単なるクラスメイトなら、別にいい。
 でもイズミは―――

 『書記は二学年の和泉良』

 そうだ。
 生徒会長――高津に校内を案内してもらっていた時、さらりと彼女が出した名前。
 あの時は殆ど聞き流していたから面識のない人物の名前ばかりだと思っていたが、
 イズミって、この和泉のことじゃないか。

 イズミは生徒会の、一員。

「それにしても――」

 私はイズミを見つめながら、口を開いた。
 カンノを襲ったのは生徒会の人間である可能性が高い以上、
 イズミが犯人の可能性も、あるんだ。
 何か襤褸が引き出せないか。

「神野も災難だね」

 中身を暈して、イズミにそう振った。
 カンノも“突然体調を崩すなんて”災難だね。
 カンノも“リンチに遭うなんて”災難だね。
 イズミが犯人なら、後者の意味で捉えるんじゃないか。
 しかしイズミはぱちりと瞬いて、意味を汲むのに時間が掛かった様子を見せた。

「……災難って、あ、体調崩しちゃったから?そうだね、風邪か何かなのかな?」
「風邪か何か、って?」
「へ?いや、だってあたし、神野ちゃんが保健室に行ったってことしか聞いてないから、どういう風に具合悪いか知らないんだよ」
「……ああ、そっか」

 相槌を打って、カンノに目を遣りながら考える。
 イズミの反応は自然だ。
 勿論、演技かもしれないけれど。

「ねね、神野ちゃん、どこが悪いの?」

 イズミの問いに、カンノは毛布に潜ったまま、言葉を返した。

「病気じゃなくて怪我……登校中に酷い転び方をして……」
「ええ!?大丈夫!?」
「階段から落ちたから……まぁ、その内治る。気にしないで」
「そっかぁ……。お大事にね」
「有り難う」

 二人のそんなやり取りの区切りがついた所で、丁度三時間目の予鈴が鳴った。

「あ、戻らなきゃ。望ちゃんも二時間連続サボりはだめだよぉー?」
「そうだね。和泉と一緒に戻る。けど、ちょっと待って」

 イズミに返してから、私はカンノのベッドに近づいて、カンノにだけ聞こえるように小声で問いかけた。

「和泉は……生徒会の役員だろ?」
「そうなんだけど、彼女は少し事情が違ってね。詳しくは後で話すよ。……でも一応、油断はしないで」
「わかった」

 事情、か。
 余り長話は出来そうにないのでカンノとの話は早めに切り上げたが、把握は出来ていない。
 私はベッドの下に置いていた上履きを履いて、「お待たせ」とイズミに声を掛けた。

「神野ちゃん、お大事にね」
「それじゃあ」

 私達はカンノに一言ずつ声を掛け、保健室を後にした。





 ノゾム イズミ
「ねぇねぇ、望ちゃんは前の学校とか中学の頃とかに、生徒会に入ってたことある?」
「……生徒会?」

 教室に戻る廊下で、イズミはそんなことを切り出した。
 内心驚いた。
 イズミに対して生徒会に関して探りを入れたかったのは山々だが、彼女は生徒会役員。
 カンノも言っていた通り、油断は出来ない。
 変に探りを入れるのも憚られ、躊躇していた所だったのだ。

「いや、私はそういうのは無縁だったから、経験はないよ」
「そっかー。もし経験あるなら教えてもらおうと思ったのになー」
「……和泉は、生徒会、長くないの?」

 そう問いかけると、イズミははしゃいだ子供のようにポンと一歩前に出て、振り向いて笑った。

「あたしね、今年度から生徒会役員になったばっかりなんだ。だから超新米」
「ふぅん?」
「ずーっと憧れてたの。中学の頃も立候補はしたんだけど、頭いい人に選挙で負けちゃってさ。すっごい悔しくてねー!聖蘭に入っても、この学園って先代の生徒会からの指名とか推薦で決まっちゃうでしょー。だから半分諦めかけてたんだよね」
「そうらしいね。和泉は、誰の指名を受けたの?」

 返答で誰の名前が出るのか。
 生徒会長の指名ともあれば、イズミも疑わしい。
 今の私の中で、一番の危険人物はあの生徒会長、高津茉莉奈だ。
 しかし、イズミは私の期待を裏切る形で「違うんだ」と首を横に振って否定した。

「誰の指名も受けてないの。……その、自分で言うのもアレなんだけど、特例って言うのかなぁ?」
「特例……?」
「えっとね、あたし、一年の頃はクラスの学級委員長やってたの。だから今でも委員長、なんて呼ばれてる」
「あぁそう言えば」

 私が編入したその日。
 イズミは一番に私に声を掛けてきて、自己紹介なんかしてくれたっけ。
 でも忙しそうで、そう、確か――
 『望ちゃんかぁ、宜しくね!あたしは和泉良、えっと』
 『委員長、英語のプリントっていつ配るんだっけ?』
 『あ、それは昼休みの後に……って、あたしもう委員長じゃないってば!』
 とかなんとかそんな会話をぼんやり眺めた記憶がある。
 イズミはどこか嬉々とした様子で続けた。

「でね、去年はクラス委員長として色々飛び回ってたんだ。あたしって勉強はダメだけど、皆をまとめたり、そういうのって凄い好きで。皆も頼りにしてくれて、それが嬉しくて。それで、同級生にも上級生の先輩にも、褒めてもらえて、ね。照れるんだけど、和泉ちゃんに生徒会役員やってほしいって言ってくれた人が沢山いたの」
「なるほど、それで特例――民意、みたいなものかな」
「かなぁ。今の生徒会の他の役員って、皆凄い人ばっかりだから緊張してるし、まだ役員会議もそんなに開いてないからドッキドキなんだけどね。でも、楽しみなの!」
「……そ、っか。うん、頑張って」

 イズミの、どこかオーバーですらある身振り手振りで示される彼女の意気込みは、微笑ましい。
 カンノが言っていた『少し事情が違う』というのはそういうことか。
 カンノはイズミに対してはそう警戒していないように思えた。
 『一応、油断しないで』と釘を差していたのも万が一のことを考えてだろう。
 このイズミの話を聞いている限り、確かに、イズミが生徒会役員として何か企んでいるようには思えない。
 ―――否、寧ろ。
 真っ直ぐで、明るくて、純粋そうなイズミ。
 この子が、生徒会長に利用される可能性は?

「……和泉はさ、生徒会長とは話したりする?」
「ううん、まだあんまり。今年度最初の役員会議で自己紹介したくらいだよ」
「そっか……」

 気をつけて、と続けようとして、口を噤んだ。
 私だって襤褸は出せない。
 もうイズミが、向こう側の人間である可能性も、皆無ではないのだから。

「次は地理だっけ。あー、苦手なんだよなぁ」

 イズミがくしゃくしゃと頭を掻きながら一足先に教室に入っていく。
 ぴこんと跳ねた癖っ毛が、ふわふわと揺れていた。

 ―――イズミ。
 彼女の言動から危険な雰囲気は感じない。
 しかし、生徒会の一員である以上……無関係ではない、か。





 ノゾム カンノ
『月村君の言う通り。
 和泉良は指名でも立候補でもなく、民意で今年度の生徒会役員になったんだよ。
 だからわたしは彼女が転校に関係しているとは思っていない』

 カンノからのメール内容だ。
 自宅のパソコン前に座って、神野からの携帯メールを見つめ思案する。
 イズミは白で見て良い、か。

 あの後、放課後に保健室に向かうと、カンノはまだベッドに居た。
 保健の先生も居たけれど、カンノの怪我に関しては何も言わなかった。
 カンノの怪我のことは他の生徒に知られると厄介なことになってしまう。
 そしてカンノに降りかかる危険はまだ消えたとはとても言えない。
 相談の結果、カンノは暫く学校を休むことにしたそうだ。
 放課後、既に殆どの生徒が下校した後に私達は学校を出た。
 そしてカンノと携帯の番号とメールアドレスを交換した。暫くはこれで情報交換を行うことになる。
 カンノは明日に病院に行って診断書を貰い、怪我を理由に休学。
 顔には出さなかったけれど、軽い骨折をしているかもしれない、と。
 全く、我慢強いにも程がある。普通ならそれに気づいたらすぐ、学校から病院に行くべきだ。
 それをしなかったカンノもカンノだが、それ以上におかしいのは……。
 一番気になっていたことを返信するメールに打ち込む。

『和泉の件は了解。暫く様子を見る。

 保健の先生、何て言ったっけ?あの先生もおかしくないか?
 神野はどう見ても誰かに殴られた怪我だったろ。
 手当てしたのも先生。
 学校側に報告するのが然るべきなんじゃないのか』

 送信。
 カンノもネットやればいいのに。
 携帯メールは時間掛かるのが面倒なんだ。
 カンノからの返信を待つ間、私はパソコンで聖蘭学園について検索してみた。
 最初にヒットするのは学校の公式ページだ。
 中学・高校のエスカレーター式の学園だが、高等部から編入する生徒も多いらしい。
 聖蘭はそこまでレベルの高い学校ではない。
 俗的にお嬢様学校と言われているが、良い大学への進学を希望するお嬢様はもっとちゃんとした高校に進学する。言ってみれば聖蘭は、令嬢が高卒の資格を取り、その辺の適当な大学に進学した後、約束された許婚と結婚するルートの過程に過ぎないわけだ。
 まぁそんな令嬢ってやつもそう多いわけじゃないから、生徒の多くがお嬢様お嬢様してるわけでもない。
 そこそこ裕福な家庭の娘で、学歴も重視していない辺りの半端な所が集まる学校、ってとこか。
 私は、父親がITベンチャー企業の社長で、決して貧乏な家庭ってわけでもないが、許婚がいるほどのご令嬢ってやつでもない。うちは両親とも放任主義だったし。進路は大学進学を希望。名門大学を目指しているわけでもないので、まぁ就職の時にそこそこの学歴になるような大学に入れればいいと思っている。
 将来の夢なんてまだないし。自分に向いている仕事も、考えた所で思いつかない。
 もういい加減、決めなきゃいけない時期なんだけど、さ。
 そんなことを考えていた時、カンノからメールが返って来た。

『保健の先生の名前は飯塚先生だよ。

 あの先生がおかしいと言うよりも、学校側の人間は皆おかしいんじゃないかな。
 過去に起こった転校に関して、教師はある程度把握しているはずだ。
 転校と銘打って消された生徒は、きっと転校手続きもしていない。
 だから教師の殆どは、その辺の揉み消しに協力しているんだと思うよ。
 社会人は圧力に弱いんだろうね』

 ……。
 カンノのメールに、暫く言葉を失った私がいた。
 今までは漠然としか捉えていなかった、せいぜい生徒会が何か策謀しているのか、と。
 でもカンノの推測通りなら、これは、学校規模の大きな犯罪に繋がるんじゃないか。
 あの学園の教師は一体どこまで把握していて、
 告発すべき事柄を、自分の地位の為に黙っている、ってことか。
 大人って、汚いな。
 でもそうなっても仕方が無いほどの圧力が、あの学園では生じているということか。
 これは確かに、つい最近まで考えていた苛め云々の問題よりも遥かに規模が大きいように思う。
 まだ情報が少ない。確定情報なんて皆無に近い。
 カンノのような被害者がまた出ないうちに、少しずつ情報を集めなければ。

『迂闊に動くと危ない目に遭いそうだな。
 了解。目立たないように探ってみる。
 神野はちゃんと静養してろよ?
 それじゃあおやすみ』

『有り難う、月村君。どうか気をつけて。
 おやすみなさい』

 パチンと携帯を閉じて、ぎし、と椅子に凭れた。
 学園の裏で策動しているものを探るか――
 カンノと私だけで、大丈夫なのだろうか。
 生徒会長――タカツが言っていたのは『次の八月』
 それがタイムリミットなら、まだ猶予はある。
 仲間でも、探してみるべきか……。

 は、と息を吐いて、パソコンの電源を消し、ベッドに横になる。
 目を閉じて、ここ数日のめまぐるしい出来事を思い返していた。








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