カンノ





 ノゾム カンノ
「高津先輩、何の話だったの」

 下駄箱で、その少女は佇んでいた。
 伏せた相貌を静かに開き、ゆっくりと捉える。
 あの時と同じ瞳だ。
 何を映しているのかわからない、あの瞳。
 私―――月村望―――は、神野由奈から目を逸らし、自分の靴箱に手を掛けた。

「別に何も。校内を案内してもらっただけ」

 素っ気無く返す。
 そもそも、何故カンノが私のことに口を出すのか。
 今まで大した干渉もしてこなかった癖に、何を唐突に。
 さてはあの生徒会長に気でもある、か?

「……本当に何もなかった?」

 まるで何かを見透かしているかのような神野の口ぶりに、「知ってるんじゃない?」と投げやりに苛立った口調で返しながら乱暴に靴箱を開けた。

「―――あ、れ?」

 思わず、小さく声を上げていた。
 私の靴が無い。
 なんで。
 朝に登校して、それから私は一度も校内から出ていない。
 自分の靴に触れていない。
 なのに、何故。
 再びカンノを見遣る。
 カンノは相変わらず無表情に、そして私を見つめたまま、下駄箱に凭れていた。

「神野……私の靴、知らない?」

 その問いに、カンノは小さく首を横に振るだけだった。
 それ以上の言葉が見つからず、上履きを手にしたまま、沈黙する。
 何かの間違いだろうか。誰かが間違えて私の靴を履いていったとか。
 でも、靴箱には名前も書いてあるし、間違えることなど早々ないはずだ。

「月村君」

 抑揚のない声でカンノが私の名を呼ぶ。
 何も言わずに続く言葉に耳を傾けた。

「わたしは思う。君は、この学校に相応しくないと」
「相応しくない?」
「早々に、此処から立ち去るべきだ」

 ……?
 カンノは何を言っている?
 意味がわからない。
 転入してほんの何日かしか経っていなくて。
 神野とも互いに名を名乗った程度しか会話をしていなくて。
 それなのに突然、立ち去るべき、だと?

「月村君は、此処がどんな場所か知らないから。だから……」
「どんな場所って何?此処って?此処は聖蘭高校、何処にでもあるような普通の女子高だろう。私は確かに転入したばかりだよ、でも転入して何が悪い。転入試験だって問題無く通過した。転入処理も済んだ。私は既にこの高校に籍を置いている。なのに立ち去れって、どういう意味?」

 冷たく言い放つ。
 靴下で冷たい床を踏んで、一歩カンノに近づいた。
 カンノは一定の距離を置くように、動きこそしないものの、その視線を逸らす。

「普通の高校を装っているだけだよ。公になっていないだけ。此処の恐ろしさは一部の者しか知らない」
「……公に?」

 それって。
 ――『過去の事故・事件は殆ど、公になっていない』――
 生徒会長と同じことを、言っている?
 カンノも例の、事件や事故のことを知っているのか?
 私は更に、カンノに詰め寄った。

「じゃあどう恐ろしいか教えてくれない?内容によっては考える」

 カンノが生徒会長と同じことを言うようならば、事件云々の真実味は増すかもしれない。
 でも疑問も増える。そのことを、普通の生徒は知らないんじゃないか。
 或いはカンノと生徒会長の共謀かもしれない。
 悪戯にしては程があるけれど。

「内容……ね。簡単に言うと、“消える”かな」

 カンノは僅かに視線を落としてそう答えた。
 あぁそうか。やはり生徒会長と同じか。

「この学校の生徒が過去に何らかの形で……何十人も。そういう話だろう」

 淡々と返すと、カンノはゆるりと視線を上げ、小さく瞬いた。

「高津先輩はやっぱり、そんな話をしたんだね」
「そうだよ。どういう心算かは知らないけど」
「――そ、っか」

 カンノは一つ相槌を打って、そのまま押し黙る。
 この女は何が言いたいのだろう。いや、生徒会長も、西崎先生もだ。
 一体何を考えているんだろう。言いたいことがあるならはっきり言って欲しい。

「要するに私が死ぬかもしれないって、そう言いたいんだろう?馬鹿馬鹿しい。迷信じみたことをそんな真面目に話されても聞く耳を持たないよ。私はそういうの信じないから」
「いや……違う。わたしは、死ぬとは言っていない」
「え?」
「“消える”、と言ったんだよ」

 ―――消える?
 死ぬとは違うのか。
 違う、のか?

「消えるって、神隠しか何かかな。生徒会長の言っていた死者と合わせると、凄い数になるんじゃない?」

 現実的に考えると、有り得ないような気がしてきた。
 少し頭痛を感じて、額に手を当てつつ神野を見遣る。
 けれど。
 カンノは、今までとは一寸違う表情で、私を見ていた。
 不思議そうに、首を傾げて、「死者?」と。

「そう。この学校で二十何人だか、死んでるんだって。生徒会長は言っていた」
「死……生徒会長がそんなことを?どういうことだろう……」

 困惑したように視線を落とすカンノの様子に、私は思わず激昂して、ガン、と靴箱を殴っていた。

「どういうこと、じゃないだろう!?今、神野が言ったばかりじゃないか。消えるんだって。そういう恐ろしい場所なんだって!何の為に生徒会長や神野が私を脅しているのかはわからないけど、冗談ならやめて欲しい」
「ち、違う……わたしは冗談で言っているんじゃない……」

 カンノはゆるゆるとかぶりを振った後、弱い口調で続けた。

「この学校の生徒が消えたのは、事実なんだよ。しかも隠蔽されている。消えた生徒は、“転校”したことになるんだ。そう、だから誰も疑わない。わたしも気づかなかった――最近、までは」
「転校?」

 カンノの表情は乏しくて、そこから真意を読み取ることは出来ない。
 代わりに、彼女が訥々と零す言葉に耳を傾けた。

「友達が居たんだよ。中等部の頃から仲が良かった友達が。でも、その子はある日突然、“転校”してしまった。本人の口からは何も聞いていなかった。否、その子が“転校”した前の日に言ったよ……また明日、って。……おかしいと思った。携帯も繋がらなくなって、先生達もその子の転校先は教えてくれなかった。その子の実家に至っては―――まるで存在していなかったかのように、消されていた」
「……」
「それから“転校”に疑問を抱いて。調べたんだ。“転校”した他の子について。結果は皆同じだった。転校先は不明。その人達の家族にも連絡はつかなくて。そして思った。――消されたんだ、って」

 カンノは。
 何を言っているんだろう。
 “転校”?“消された”?
 そんなのまだ。生徒会長の話の方が余程現実味がある。
 偶然にしては出来すぎているかもしれないけれど、事故で連続して死んだって話の方がまだ、ましだ。

「……そうやって。愉しんでいるのか」
「え?」
「転入生の私にそうやって脅しを掛けて愉しんでいるんだろう。ああ、確かに恐ろしい場所かもしれないね、この高校は。生徒会長も隣の席の生徒も共謀して、転入生を苛めるんだからね」
「ち、違う、わたしは」
「いい加減にしろ。―――これ以上戯言は聞きたくない」

 突き放すように言って、手にしていた上履きを落とし、つま先に引っ掛けて下駄箱を出た。

「月村君……」

 カンノがまだ何か言いたげにしていたけれど、無視して駆け出した。
 上履きのまま、校門まで駆ける。
 鬱陶しい。
 何が事件だ。何が事故だ。何が転校だ。
 そうやって私を追い詰めて、誰が本当に転校させるかを勝負するゲームか何かなのか。
 あんな奴等、相手になどしてやるか。
 私は絶対に転校なんか、しない。





 翌日。
 私は苛立っていた。
 昨日の下校後も、妙なことは続いた。
 下校中。帰路に着く私の後ろを、付け回す奴が居た。聖蘭の人間だ。ある程度の距離を取られていたので相手を確認することは出来なかったけれど、一瞬見えたあの制服は間違いなく聖蘭のもの。自宅に着く前には、撒いてやったけど。
 自宅に着いてから、今度は私の携帯に番号非通知の着信があった。
 コール音は幾ら経っても鳴り止まず。五分、十分、十五分。よく飽きない。
 鬱陶しくなって、電話に出た。
 相手は無言で。暫く沈黙した後、私は言った。
 「神野か」……。
 その言葉に反応するように、プツリと通話は切れて。それで諦めたかと思ったのに、まだ非通知の着信は延々と続き、結局携帯の電源を切ってやった。
 深夜。今度は自宅の電話が鳴った。
 私は親戚の家の居候をしている。叔母が不機嫌そうに「望ちゃんに電話」と。受話器を取ったら、やはり相手は無言。叔母に電話を掛けてきたの相手を確かめたが「女の子だった」ことしかわからなかった。そして自宅への着信も暫く続き、結局叔母に内緒で家の電話線を抜いた。
 そして今朝を迎えている。登校中こそ何もなかったものの、自分の下駄箱を開ければ――まぁ予想はしていた。転がっていた虫の屍骸。陰湿な嫌がらせだ。こんなの相手にしない方が良いに決まっている。
 そして教室に入って。クラスメイトの視線が突き刺さるようだった。
 それは同情か何か。
 理由はすぐにわかった。
 私の机に大きく書かれた赤い文字。

 「 死 ね 」――、と。
 
 たった一日でこの仕打ちか。
 唇を噛みながら、授業中私はずっと机の落書きを消していた。
 一限目の授業を受け持っていた西崎先生は、落書きのことは何も触れてこなかった。

 隣の席は空だった。
 今日はまだカンノの顔を見ていない。
 合わせる顔がない、って所か。あれだけ裏で策謀している癖に。
 手近なクラスメイトを捕まえて問うた。

「神野は?」

 クラスメイトは、ふっと表情を翳らせて、少しの間を置いて答える。

「休み、じゃないかな」

 休みか――サボりとは随分優雅なことだ。
 そんなことを思っていると、不意に横槍が入る。

「神野さんなら来てるでしょう?保健室にいるんじゃなかった?」
「え、あ、それは……」

 とっ捕まえたクラスメイトは、その横槍にあからさまに動揺していた。
 なんだ……こいつもカンノの仲間か。

「何で隠した?神野は登校しているって知ってたんだろう?」
「う、うん、でも、その……神野さんから伝言を預かってたの」
「何て?」
「月村さんがもし聞いてきたら……休みだって言って欲しい、って……」
「……」

 それでカンノは隠れている心算なのか。
 苛立ちに呆れも混じって、一つ嘆息を零した後、私は二限目をスルーして保健室に向かった。





「失礼します」

 保健室の扉を開けると、白衣を纏った若い女性の保健の先生が振り向く。
 机に走らせていたペンを止め、ちらりと時計を気にしたのは今が授業中の時間だからか。

「どうしたの?」

 彼女の問いに、一寸言葉に詰まった。
 いや、まぁ堂々と授業中に一人で、こんなに健康そうに保健室に現れる生徒も居ないだろう。
 だが何か理由をつけなければ追い返されるのが関の山だ。
 此処にカンノは居る、のか?

「ちょっと眩暈が。ベッドで休ませて貰いたいんですけど」
「眩暈?他に症状は?」
「熱、腹痛、幻覚、幻聴、など諸症状……は一切ありません。でもサボりでもない」
「……そう」

 先生は困ったように瞬いたが、「じゃあどうぞ」と奥のベッドを指した。
 白いカーテンで仕切られたベッド。
 スペース的に二つくらいか。
 机の書類か何かに目を戻す先生に、私は問うた。

「誰か休んでます?」
「ええ、奥のベッドで」
「……神野由奈、ですか」

 私がその名を出した瞬間、あからさまに、先生の顔色が変わる。
 ほんの一瞬、凍てついたように。
 ……なんだ?
 先生はばさりと机の上の書類を抱え、席を立った。

「少し用事があるので――誰か来たら、職員室まで呼びに来るよう伝えて頂戴」
「……はい」
「安静に」

 先生は酷く業務的な口調で言い残し、保健室を出て行った。
 ……だから、なんだあれは。
 まるで嘘が下手な人間が咄嗟に嘘を繕うように逃げ出したような。
 この学校はどうしてこうも変な人間が多いのだろうか。そんなことを思う。
 ざ、と手前のカーテンを引いて。
 もう一つのベッドとを隔てるカーテンの向こう側。
 人の気配。

「神野」

 呼びかけた。
 カーテンの向こうは沈黙を守る。
 構わずに続ける。

「どういう心算か知らないけど」

 どさりとベッドに腰掛けて、上靴を脱いだ。

「ああいう陰湿な苛めは大嫌いだ」

 畳まれた白い毛布に、足を伸ばして。

「私を敵に回すのがまず間違いだから。手口が幼稚なんだよ。……あんなことして楽しい?」

 もう一度隔てるカーテンに目を向けて問いかけた。
 沈黙。
 返す言葉がないのか。
 あれ?奥に居るのがカンノじゃないなんてことはないよ、な。
 焦りを滲ませないように口を開く。

「……黙ってないで、」

 そう言い掛けた時、

「どうして」

 唐突に、返って来た声。
 ああ。間違いなくカンノの声だ。
 白いカーテンの向こう側でカンノが続ける。

「月村君は、平気なの。この学園が良い所とは思わないよね。早く別の学校に移った方がいいよ」
「何それ」
「わたしは忠告している……この学園に居たらもっと酷い目に遭う、と」
「――ふざけるな」

 何が酷い目だ。
 仕組んだのはカンノだろう。
 カンノの声には感情がなくて、あいつは私を馬鹿にしているのか何なのかすら伝わってこない。
 でも行動は、からかっている以外に考えられない。
 語気を強めた。

「靴を隠すなら予備の靴を持ってくる。悪戯電話なら非通知拒否。机の落書きは、そうだね、今度からシンナーを用意しておくよ。あんなので苛めている気になるな。それでも止めないならやりかえす。相手を選ぶんだね」
「どうして月村君は逃げないのかな」
「神野は逃げて欲しい?私が転校すれば満足か?」
「そうだよ」

 すとん、と、あっさり返された言葉に、呆れた。
 苛めも最早何が目的なのかわからない。
 私が転校すれば満足、か。
 バッカじゃないの?

「そういう曲がった考え方は大嫌いだから。神野は楽しい?相手の顔も見ずに、そうやって……」

 ぎ、とベッドを軋ませてカーテンに手を伸ばした。

「開けちゃだめ!」
「……え?」

 不意に声を荒げた神野に、思わず手を止める。

「お願いだから言う通りにして。此処であったことは全て忘れて、今すぐ家に帰って。親御さんに転校の話をして、理由は何でもいい、実際にあったいじめでもいい。わたしの名前も出してもいいから。だから、もうこの学園には来ないで」

 早口で紡がれた言葉。
 カーテンの向こうから衣擦れの音がする。
 毛布を被り直したような音。
 カンノは何を言っている?今すぐ家に帰って、この学園には来るな?
 カンノは、何が目的なんだ――?

「嫌だ、って言ったら?」

 ぽつりとそう返すと、少しの間の後に、篭った声が返ってくる。

「君は消される」
「……」

 酷く単調な声。
 ぞくりと、背筋が凍るような感覚に襲われた。
 消される。
 カンノは冗談で言っているようには聞こえなかった。
 酷く真摯で、そして何処か、恐怖に呑まれているような、声。
 嗚呼。
 これも全て神野の仕組んだ罠なのかもしれない。
 そうやって転校させて、何らかの優越感に浸る心算なのかもしれない。
 でも、それにしては余りに――――違和感が。
 
 感情を顔に出さないカンノは、
 何も見ていないような目で私を見るのだろうか。
 それでも相手の顔を見ることで何か知り得ることがあるのではないか。
 私はこんな、意味のわからない出来事から逃げ出すような――そんなのは、嫌だ。

 シャッと音を立ててカーテンを開いた。
 隣のベッドには妙な物体が。
 膝を抱いて、そのまま毛布を被っているのだろう。
 顔は隠れていた。後ろに結ったカンノの髪が見える。

「消せる、ものなら、……消してみればいい」
「……」
「どうやるのかな。……全て説明してくれないかな」
「……わたしにも、わからない」
「わからない?」

 カンノの居るベッドに乗り移って、
 毛布を被った彼女に手を伸ばした。
 その目を見せろ。
 何も語らなくてもいいから、その瞳を―――

「帰ってって言ったのに」

 毛布を下ろしたカンノ。
 俯きがちに。目を伏せていた。

「……神野?」

 カンノの顔は、酷く、腫れていた。
 片目は眼帯で覆われ、頬や口元には青あざが出来ている。
 左手は包帯が巻かれ、足にも幾つも絆創膏で隠そうとした、青あざ。

 どこからどう見てもそれは、――誰かに殴られたような、痕だった。

 カンノは色のない瞳を僅かに細め、私を見る。
 その唇が小さく動いた。
 声にはならない息の後で、カンノは言う。

「何も知らない方が幸せなことって、あると思うんだよ。だから、見なかったことに……」
「出来るわけ、ないだろ。誰にやられた?知らない方が良いことって何?」
「……どうして君はそうやって、自分から不幸に首を突っ込もうとするの?」

 カンノの言葉は、意味だけ汲めば皮肉のようにも思えるけれど、
 眼差しは、それが純粋な疑問だと告げているようだった。
 私は少し笑う。

「性格。気持ち悪いままなんて嫌なだけ」
「……そう」
「だから――話して。神野の考えていること。神野の知っていること」

 真っ直ぐにそう告げると、カンノは逡巡するように私から目を逸らし、
 やがて静かに切り出した。

「昨日話した通り、この学園ではおかしな出来事が起こっている。“転校”と称して、生徒が消える事件だよ。勿論それは傍から見れば単なる転校だから、普通の生徒は気づかない……。わたしも何かを掴んだわけじゃない。ただ、過去に“転校”した生徒を調べている内に、一部の生徒に存在する、とある共通点に気がついた」
「……共通点?」
「そう。“転校”した生徒の内、数人が、生徒会に関わっていたんだ」

 ――生徒会。
 私に校内を案内した、生徒会長を……高津茉莉奈を思い出す。

 『毎年。少なくとも一年に一度は、一人死ぬのよ。この学校の生徒がね』

 彼女が語った奇妙なこと。
 それと何か、関わりが?
 カンノに目で促すと、彼女は続けた。

「元々この学園の生徒会は、他の学校とは少し違う。一つは役員が選ばれる基準」
「生徒会選挙とかじゃ、ないのか」
「普通の学校はそうだよね。でも此処の場合は、基本的に先代の生徒会役員からの推薦で選ばれるんだ」
「……推薦?」
「うん。現在の生徒会長である高津茉莉奈は、一年生の頃から生徒会に所属していて、先代の生徒会長から指名を受けた。現副会長は、一年生で入学したばかりなのに、生徒会長からの指名で入学してすぐに副会長。おかしなシステムだよね」
「まぁ確かに……でも、この学園独特のシステムと言われれば納得出来なくもない」
「そうだね、決定的におかしいとは言えない。ただ、この学園の生徒会は内輪的な部分がある、ということ」
「……内輪、ね」

 でもそれが転校云々とは繋がらない。
 ほんの少し首を傾げた私の様子を察したように、カンノは続けた。

「もう一つの点で、わたしは確信に近づいた―――生徒会長が、君に接触したこと、だよ」
「私に?あの校内案内、か?」
「そう。おかしいと思ったんだ。他の生徒の様子は君も気づいたと思うけど、生徒会長である高津茉莉奈という人物は、カリスマ的な存在であり、高嶺の花のような存在でもある。式典なんかで表舞台に立つことは多いけれど、わざわざ転入生に校内案内をする程に暇を持て余している人物ではないはず……」
「確かに、生徒会長の仕事としては微妙だね」
「元々生徒会を疑っていたわたしは、君に少しかまをかけてみた……元々君の様子がおかしかったからね。『本当に何もなかった?』と念を押した。君はこう答えた。『知ってるんじゃない?』―――それは何も無かった時に出て来る言葉じゃない」

 そんな妙なブラフを張られていたなんて。
 あの時は冷静さを欠いていた。自分の些細な言葉にまで気を回してはいなかった。

「じゃあ、私の靴を隠したのは?」
「あれは……ごめん。足止めの心算だった。君に何もないようだったら、すぐに返そうと思っていた。生徒会長から何か吹き込まれていたなら、わたしの話を聞いて欲しくて……。靴が無いなら帰れないだろうと――だから、時間が貰えるかと、思って」
「そんな回りくどいことを……もっとストレートに言えばいいのに」

 この辺はやっぱり神野の考えが幼稚だ。「バカ」と付け加えると、カンノは申し訳なさそうに「ごめん」と呟く。
 私は更に説明を求めた。

「それで?その後のことについても聞かせてもらえる?」
「うん……誤算だったのは、君が、わたしと生徒会長が共謀だと思ってしまったこと」
「……あぁ」

 確かにカンノの言う通りだ。

 『生徒会長も隣の席の生徒も共謀して、転入生を苛めるんだからね』

 生徒会長の奇妙な言葉に続いて、カンノも同じようなことを言った。
 だから私は。そう思うのも仕方が無いじゃないか。

「悩んだけど、わたしは君の勘違いを逆に利用しようと思って―――誰が、とかじゃなく、嫌がらせをする人間がこの学校に居ること、それを知って君が転校を考えてくれればいい、と。それで、あの靴箱の虫の屍骸や、机の落書き……。酷いことをしてしまったのはわかっている。でも、それで君がこの学校から縁を切ってくれれば――そう、思ったんだ」

 なるほど。
 まったくもって回りくどい。
 回りくどいけれど、カンノはそういう偽装をした。
 あたかも苛めのような、『偽装』を。
 それが偽装だとわかるのは―――そう、カンノも被害者だからだ。

「で。随分遠回しはしたけど、本題を聞かせて欲しい。神野をそんな目に遭わせたのは誰?」
「……そう、だね、それは」

 カンノは小さく息を吐いて、眼帯に覆われた目に手を触れさせた。
 潜めた声で、神野は言う。

「おそらくあの下駄箱でのやりとりを聞かれていたんだと思う。その後のわたしの行動も監視されていた。だから呼び出されたんだ―――早朝に」
「早朝?」
「うん。君の机の落書きは、他のクラスメイトが来る前にやっておく必要があったから……まだ誰も来ないような時間に、わたしはあれを書いた。教室にはわたし以外誰もいなかった。その時にね……教室に放送が入ったんだ。―――体育館裏へ、呼び出す内容の」
「……誰に」
「放送室を使える人物に限られる。放送委員か、教職員、それと生徒会関係者」
「いや、そんなことはどうでもいいだろ?神野をそうやって殴った奴が誰かって聞いてるんだ」

 それさえ言えば済むことなのに何故言い淀むのかと眉を顰めると、
 カンノは顔を伏せて、小さく首を振った。
 ほんの少し唇が震えていた。

「二人組だった。聖蘭の制服だった。それ以上はわからない」
「相手の顔は?」
「…………そ、れが」
「……?」

 カンノの表情はどこか青褪めている。
 思い出したくないかのように。恐怖が、滲んでいた。
 私は「神野」と小さく名を呼ぶ。
 カンノはこくりと頷いて、言った。

「仮面を、つけてたんだよ。不気味な仮面を。だか、ら……顔はわからない」
「……仮面?」
「そして随分手馴れていた。人を傷つけることに、何の躊躇いもないみたいだった。その口元は、笑っていた」
「…………ッ」

 なんだそれ。なんだ。何なんだよ。
 仮面なんかつけて、リンチして。
 笑って。
 一体誰が。
 誰って、それは――

「生徒会のやつなんじゃ……?」
「おそらくは、そうだと思う、けど」
「けど?」

 続きを促す私に、カンノは怯えを滲ませて首を振る。

「わたしに対する警告なんだ。君に関わったから、わたしが邪魔だった。いや、もしかしたら生徒会を疑っている時点で既にわたしは――“転校”させられる候補としては充分なのかもしれない」
「神野……」
「そして生徒会長が直々に君に話したということは、きっと生徒会は君も転校させる心算なんだと思う。だから、早く逃げるべきだ。君のことを知られない内に、早く――」

 言葉尻を弱め膝を抱くカンノを横目に、今までのカンノの言葉を思い返していた。
 カンノは生徒会から狙われている私を逃がす為に、あんな嫌がらせをした。
 見誤ったのは私がそんなことで屈しない性格だったってことだ。
 ――幾つか、気になる点がある。

「神野は私の靴を隠し、靴箱に虫の屍骸を置いて、机に落書きをした」
「……ごめん」
「他にもあるだろ、謝ること」
「え?」
「やったことは全部謝れ」
「……あ、えっと?君を騙すようなことをしたのは」
「そうじゃなくて。嫌がらせの意図じゃなかったとしても、私は家でも不快な思いをしたんだから」
「家でも……?」 

 カンノは何のことかわからないといった様子で、きょとんとして聞き返す。
 ―――まさか。
 私はカンノの制服の胸ポケットに手を伸ばしていた。
「え?何?」
「携帯」

 シンプルなストラップが見えている。
 先生に見つかったら没収されるぞ、なんてことを思いつつ、カンノの胸ポケットから携帯を抜き取った。
 勝手にカンノの携帯を開く私に、文句を言うでもなくじっと見つめているカンノ。
 発信履歴。
 ―――ない。ない、私の携帯番号はそこにはない。
 私の家の番号も。
 パチンと二つ折りの携帯を閉じてカンノに返した。
 こいつ、感情は顔には出さないけれど、不思議そうなその眼差しが嘘とは思えない。
 ああ、そうか。

「神野、残念ながら私の個人情報は、既にある程度敵に握られているみたいだよ」
「どういうこと?」
「私の携帯、そして自宅に何度もかかってきた悪戯電話。それから下校中に私を付回した奴。――神野じゃないなら、誰の仕業だと?」
「それは……生徒会、……」

 ―――生徒会、か。
 全く、随分なことをしてくれる。
 カンノにこんな酷い仕打ちを受けさせ、私にも何の心算かわからない悪戯。

 まぁカンノを全面的に信頼するわけにもいかないだろうけど……
 ちょっと捻くれたカンノよりも、顔まで隠してリンチするような奴等の方が余程赦せない。

 何が転校だ。
 何が一年に一度人が死ぬだ。

「神野―――お前は、一つ大切な選択肢を忘れている」
「え……?」
「逃げるんじゃない、抵抗もせずに殴られるんじゃない」

 私は、
 正義なんて名乗るつもりもない。
 だが、ムカつく奴は一発くらい殴っておきたい。
 そういう、性格だからね。

「……戦うんだよ」

 静かにそう紡いだ時、
 保健室の扉が開く音がした。

「神野ちゃんと、望ちゃん……いますかー?」

「誰?」

「あ、えーと、同じクラスの和泉です」

 ―――……イズミ?









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