戯曲の始まり五月の夢。 戯曲の始まり。 月村望(ツキムラ・ノゾム)。 私立聖蘭学園高等部に、二学年より転入。 他人との干渉が少なく、例えるならば一匹狼、そんな言葉が相応しい少女。 長い黒髪を靡かせ、切れ長の瞳は何を視るか。 ![]() 「月村さん」 事務的なホームルームが終わり、放課後。 私―――月村望―――は廊下から声を掛けられた。 教室の窓から見上げると、一学年上の女生徒の姿。 リボンの色は三年生の証。そして彼女の襟元のあるバッチは、生徒会長の証。 彼女は私と目が合うと、柔らかな物腰で微笑んだ。 「ごきげんよう。初めましてね。私は生徒会長の高津茉莉奈(タカツ・マリナ)。お見知りおきを」 そう告げては、優雅な一礼を。 こういう人が生徒会長というのは、納得が出来る。 此処は歴史ある由緒正しい女子高校。 生徒に多少の貧富の差はあれど、基本的にはお嬢様学校と呼ばれるような所。 ……まぁアレだ。 生徒会長は成績優秀、容姿端麗、礼儀に関しても申し分がなく。 学校の基本方針は、淑女を育てる為の場所。そこいらの女子高とは、空気が違う。 要するに―――私って、すっげぇ場違い。 「あー。なんか用ですか」 転入から一ヶ月、既に登校拒否の危機を覚えつつ、私は気だるげに生徒会長を見上げた。 彼女は微笑みを絶やすことなく、ふんわりと小首を傾げる。 こんな仕草を天然で出来るんだからお嬢様ってやつは恐ろしい。 「月村さん、まだこの学校のこと、余り知らないでしょう?少し案内させて貰えないかしら?」 「案内……?はぁ、まぁ折角ですし、……それじゃあ、お願いします」 あんまり時間かからないといいけど。と内心つけくわえる。 面倒ごとはとことん嫌いだ。 「この学校のことは――知っておいた方が、身の為よ」 「え?」 ふと、生徒会長の声のトーンが低くなったような。 今何て言った……? 「さ、行きましょうか。簡単に回ってみましょう」 生徒会長は何事もなかったかのようにいつもの微笑に戻り、つ、と私の鞄に視線を向ける。 あぁ、片付けないと。 「神野さん。先週のレポートまだ出してないよね?」 不意に近くの席でそんな声が聞こえ、軽く目を向ける。 学級委員が、困ったように見つめる先には、無表情な少女の姿。 神野由奈(カンノ・ユナ)。私の隣の席の子。 まぁ自己紹介くらいはお互いしたけど、それ以上のことは話したことがない。 無造作に髪を後ろで結った、どこか少年っぽさも感じさせる少女。 無口で、表情が乏しくて、何考えてんのかわからない。 まぁ人間、踏み入れられたくない部分ってのは誰しもあるものだ。 彼女はその領域が人より広いんだろう。そんな風に思っている。 「……ごめん。明日には持ってくるよ」 カンノは淡々とした口調で学級委員に返し、机にぱさりと雑誌を広げる。 何のことはない、どこにでもあるような地元の情報誌。 何故だか私はそれが、カムフラージュのように思えた。 彼女はそんな情報誌になんか興味はなくて。ただ広げている。それだけ。 なんとなく、そう思っただけなんだけど。 「月村さん?お片づけ、終わったかしら」 廊下で待っている生徒会長に声を掛けられて、ふと我に返る。 「あ、今行きます」 鞄に教科書とノートを乱暴に突っ込んで、席を立った。 廊下に出ると、何故か、私は注目の的になっていた。 ……は? 「高津様だわ」 「二学年の教室までわざわざ」 「お優しい方」 内緒話にすらなっていない周りの生徒達の小声。 あぁそういうことか。私ではなく、生徒会長が注目の的ってわけ。 この人そんなに人気あるんだ。 年齢はたった一つしか変わらないのに。変なの。 ……――? 生徒会長を見る視線ではなく、生徒会長が私を見る視線でもなく、 感じる、視線。 「……?」 振り向いて、視線の主が誰かのかがわかった。 カンノだ。 カンノがじっと、私を見ている。 目が合っても尚、じっと。 何――? カンノの目には色がないかのようだった。 言葉なく、ただ、私を見ている。 瞬きすらしていないかのように。 ―――何? 「どうしたの?行きましょう、月村さん」 そんな生徒会長の声に、私はカンノから目を逸らし、小さく頷いた。 変なやつ。関わりたくない。――カンノ。 ![]() 「ここは生徒会室。生徒会役員で、学校をより良くするために様々な会議を行っているわ」 「はぁ……」 私には縁のなさそうな部屋だ。 「因みに、副会長は一学年の山本百合亜。書記は二学年の和泉良。会計は三学年の東堂月子。そして私、高津茉莉奈が生徒会長よ。何か困った時には、生徒会役員の誰かに相談するといいと思うわ」 「……あ、はい」 ヤマモト。イズミ。トウドウ。タカツ。 面識もないのに相談なんか出来るわけもない。もし相談するとすればこの生徒会長だろうけど、この人もなんか忙しそうだし、大体私、人に相談するって性質でもないし。つくづく、生徒会には用がなさそうだ。 そんなことを思っていた時、生徒会室の扉が開いた。 中から出てきたのは、面識のある人物だった。今生徒会長が出した名には無い人物。 「西崎先生。どうなさったんです?お一人ですか?」 生徒会長が話しかけるその相手は、私のクラスの担任の教師である西崎……ナントカ。 担任の下の名前まで覚えないっつーの。 「ええ、ちょっと野暮用をね。それより高津さん、月村さんに学校の案内かしら?」 「早くこの学校に馴染んで頂きたいですもの。学園の良い所を沢山教えて差し上げようと思いまして」 生徒会長が西崎先生に微笑みかけるが、西崎先生はどこか含んだような笑みのまま、眼鏡の縁に軽く触れた。 「良い心掛けね、さすがは生徒会長さんだわ。――でも、良い所ばかりでは駄目よ」 「……ええ。その件もお話する心算ですから。ご心配なさらず」 二人の会話に、一瞬、何かが張り詰めたような気がした。 少しの間、二人は視線を合わせた後、ふっと西崎先生が私に向き直る。 「早くこの学校の一員になれるといいわね。それとも、ならない方がいいのかしら」 「え……?」 「広い学校だから、ちゃんと高津さんに案内して貰っておいて頂戴ね」 西崎先生は切れ長な目をすっと細め、「失礼」と言い残して廊下を歩いていく。 生徒会長は、困惑したような笑みを浮かべてその背を見つめていた。 「西崎真矢(ニシザキ・マヤ)――教師としてはやり手なのだけれどね。余り生徒からは慕われていないわ」 「そうなんですか?」 「えぇ、まぁ……ちょっと」 自分から切り出しておいた癖に、問いかければ言葉を濁す。 慕われていない?まぁ確かに、人当たりが良い人物とは言い難いけれど。 若い女教師、顔立ちも綺麗で大人っぽく、眼鏡も相俟って知的さも感じさせる。 けれど西崎先生はどこか――冷たい印象を受ける。 ニシザキ、か。 やがて私達は生徒会室から離れ、西崎先生とは逆の方向の廊下へ歩みを進める。 少しの沈黙。先程気になったことを、問いかけてみることにした。 「あの、生徒会長。さっきの話ですけど……この学校の“良くない所”って、何なんですか?」 言った後でふと、単刀直入過ぎただろうかと思い直す。 私の問いに対して、生徒会長が今まで見せたことのないような厳しい表情を見せたからだ。 「あ、いや、別に言いたくないなら……」 「死んだのよ」 ――……え? 私の言葉にかぶせるように、そしてきっぱりと告げた彼女の言葉。 死、んだ? 生徒会長は淡々と歩みを進めながら、言葉を続けた。 「死んだの。それも一人じゃない。事故、自殺――この学校の生徒が何人も死んでいるの」 「……。でも、それって、事故とか自殺なら、他の学校でだって」 「違う。数が普通じゃないの。この三年間で三人の死亡が確認されている」 「それ、って、つまり――」 「毎年。一年に一度は、一人死ぬのよ。この学校の生徒がね」 ……何、それ。 確かに普通ではない……けど……。 「一番最近の死は、昨年の八月。廃校舎で自害して」 「自殺、ですか」 「今は何月かしら」 「え?」 「今よ」 「五月ですけど……」 生徒会長のペースが上手く掴めず、曖昧に答えた私。 不意に。生徒会長がその場で足を止めた。 「九ヶ月。あの死からもう九ヶ月経っているの。次の八月までは三ヶ月。――そろそろなのよ」 「そんな。でも偶然、とか、……そういう……」 自分でも言っていておかしいと思った。 この三年で、三人。 それが偶然の一言で、本当に済まされるのだろうかと。 この学校に、そんな忌まわしいことが起こっているなんて――。 「え。でも。……どうしてそんなことが起こっているのに、この学校は存続しているんですか。普通、そんな話聞いたら、こんな学校に入学を希望する生徒なんか激減するんじゃ……」 おずおずと告げた私を、生徒会長はじっと見つめた。 表情無く。 じっと。 ――じっと。 「知らないからよ」 突然、軽い調子で彼女は短く言って、くるりと私に背を向け廊下を歩き出す。 「知、らない?」 「そう。知らないの。過去の事故・事件は殆ど、公になっていない。殆どの生徒が、過去の悲劇のことを知らない。知らなければ何も怖くないでしょう?」 「……そう、なんですか」 おかしい。 そういう奇妙な連続的な事故や事件があったとして。 百歩譲ってそれが偶然だったとしよう。 学校側が揉み消すというのも、まぁ普通に考えられる。 けれど何故。 何故生徒会長まで、それを知っているのか。 生徒会長だって生徒には変わりない。 なのに何故彼女は――― 「……ぁ?」 ――そして何故彼女は それを 私に、話した? 「なんで……」 ――『早くこの学校の一員になれるといいわね』―― ――『それとも、ならない方がいいのかしら』―― どういうこと。どういうこと。どういうことだ。 私は、どうして―― 「月村さん。……転校、しないわよね?」 「え?」 前を歩いていた生徒会長がゆるりと振り向いて、 「転校しちゃ、厭よ」 ―――彼女は笑った。 → NEXT → ↑ Reload ↑ |