BATTLE ROYALE 39プロジェクトの終了。 告知は、あまりにも唐突だった。 あたし―――夕場律子―――は夕刻の自室でベッドに身を横たえて、ぼんやりと天井を見つめていた。その時、聞こえてきた館内放送。まだ少しぼんやりとした頭で告げられる言葉を耳にした。 『現時刻を持ちまして、プロジェクトを終了します。全館のロック、禁止エリアを解除します。優勝者は武装をやめ、スタッフの指示に従ってください』 「……え?」 今何て言った? いつもなら『繰り返します』と続けてくれたはずなのに、今回はそれがなかった。だからあたしは、上体を起こして何事かを言っていたスピーカーを見上げ、わけもわからずに瞬くことしか出来なかった。 それから少しして、あたしの自室にノックの音が響いたかと思うと、 「管理スタッフの三宅と申します。あ、ロックは既に解除してあるんですけれど――開けても宜しいですか?」 と、そんな声が掛けられた。あたしはやはり状況が掴めず、言葉を失ってしまった。 扉を開いて顔を出した女性は、確かに参加者ではないようだった。管理スタッフが何事?なんでロック解除?って混乱しているあたしに、三宅さんは深々と頭を下げてこう言った。 「おめでとうございます。夕場律子さん、この度のプロジェクトの優勝者です。」 「――は?」 「優勝したんですよ。優勝。」 唖然。 三宅さんの言葉が優勝じゃなくて当選なら、まだ納得できたんだけど。運はそれなりに自信あるし。 でも優勝ってやつは、運でどうにかなるもんじゃないだろうと。 「先ほど佐久間葵が死亡し、神崎美雨が……、えっと、神崎美雨も死亡しました。」 三宅さんはそう説明し、改めて「おめでとうございます」と笑みを向ける。 そしてあたしはわけがわからないまま、三宅さんに連れられてスタッフ専用通路に案内されたのだった。 「りっちゃーーん!」 「み、宮野ちゃん!?」 スタッフ用のエレベーターで十六階まで上がり、エレベーターの扉が開いた先にいたその人物にあたしはまた驚いていた。宮野ちゃんはガバッとあたしに抱きついて、がしがしと後ろ頭を撫でてくる。 「おめでとう!いや、もう、本当おめでとう!りっちゃんーっ」 「お、おう?ありがとーぅ……?」 めっちゃ祝福されているっぽいけど、あたしはやっぱり自分の今ある状況が飲み込めていなくって、きょとんと宮野ちゃんを見上げれば、逆にきょとんと見下ろされた。くそぅ、背ぇでかいし宮野ちゃん! 「あ、あのぉ、とりあえず管理室に入って下さいね?真紋さんも待ってますし」 と、おずおずと言っては苦笑をする三宅さんに、あたしと宮野ちゃんは「はーい」と声を揃え、管理室ってとこに移動した。エレベーターを出てすぐの扉を開ければ、そこにはモニターやらくつろぎスペースやらパソコンやらでごちゃごちゃした部屋。その部屋の奥に、車椅子に乗った女性の姿があった。彼女が真紋さんかな? 「私は闇村様を呼んで参りますので。少々お待ち下さいね。」 三宅さんはぺこりと礼をして、管理室を出て行った。 部屋には、あたしと宮野ちゃんと真紋さんと思しき女性とが残される。推定真紋さんは車椅子をカラカラと回してあたしのそばに近づくと、軽く会釈した。 「夕場律子さん。優勝おめでとう。一足先に離脱させて貰った木滝真紋よ。宜しく……ってのも変だけど?」 おお、やっぱり真紋さんだった。彼女はそう言ってから、ちらりと複雑そうな笑みを覗かせる。 「ありがと。こっちこそ、とりあえず宜しく。……っていうか、っていうか?」 あたしは何故こんなところにいるのですか。とか言ったら怒られそうなので、 「なんで二人は生きてるの?……離脱って?」 と、問い掛けた。やっぱり今の状況は飲み込めなくて変な感じなんだけど。 「ん……」 「えっとね。」 宮野ちゃんと真紋さんが顔を見合わせた後、口を開いたのは真紋さんだった。 「特別措置、みたいなもんかしら?管理人権限で下ろしてもらったの。って言っても、私と水夏ちゃんと、それから水夏ちゃんのお仲間の二人……たった四人だけどね。」 「ふぅん……そんな措置があったなら……」 「……管理人の気紛れみたいなもんだしね。」 真紋さんは苦笑を浮かべながら言う。 ――気紛れ、か。 そんな気紛れで参加させられた美咲だって、真昼さんだって死んで。 どして、こんなことするのかな。その管理人の闇村とやら、顔を合わせたら一発ぐらい殴ってやろうかな。 「りっちゃんも……きっついよな。」 宮野ちゃんは気遣うような視線をあたしに向けた。いや、あたしの隣に、か。 そこにあるべき姿、今はもう、存在しないけど。 「美咲、ね。へへ……そりゃ、きっついさ。」 あたしは半笑いで応える。ちょっと涙声混じりになるのが情けないけど、グス、と鼻を啜って。 思わず泣きそうになっちゃうんで、ゲホゲホって咳をする振りして俯いて、ぐって目元を拭った。 そんなあたしを見て、水夏ちゃんも何か堪えるように少し眉を顰め、そっぽを向いた。 「私ってずるいかな。大切な人、皆生きてんのにさ。……すっごい悔しくなる。」 「ずるくないじゃん、そんなの。偉いよ、宮野ちゃんは。」 宮野ちゃんの背中にそう声を掛け、「ね?」と真紋さんに同意を求めた。 真紋さんもどこか寂しげに笑み、「うん、偉い」と頷いてくれた。 その後、ふっと沈黙が訪れて。 三人揃ってグスングスンって鼻を啜る音、なんか、ちょっとおかしくて笑った。 こんなにあたしたちのこと、悲しませて。いっぱいの尊い命奪って。 ホント、管理人のこと、許せないよ。 ぐぐっと拳を握り締め、管理人がやってくるのを待っていたら、やがてガチャリと扉が開く。 「三人ともごめんなさい。遅くなってしまって……」 入ってきたのは綺麗なお姉さん、と、さっきの三宅さん。 ってことは、この人が……管理人……? 「夕場さんとは初対面ね。初めまして。管理人の闇村真里と申します。」 管理人さんは落ち着いた口調で自己紹介をし、すっと流暢な礼をした。 「あ、えと、夕場律子です……」 あたしはぺこんと頭を下げ返し、また管理人さんを見つめていた。 さっきの怒り、とか、あぁ、消えたわけじゃないんだけど…… ただ、管理人さんの目ぇ真っ赤で、泣き腫らした、って感じで……。 「あ……まだ、目、赤いかしら?洗ってきたんだけど……」 管理人さんは苦笑して、目元を指先で軽く拭った。 なんで?なんで管理人がこんな顔してんの? 管理人って、あたしたちの殺し合い見て楽しむやつなんじゃなかったの? 「闇村さん。神崎は……」 水夏ちゃんが遠慮がちにそんな問いを掛ける。 けれど管理人さんはゆるりと首を小さく横に振り、 「そんなことより。皆揃ったんだから早速始めましょう?閉会式、で良いのかしらね。」 と、無理矢理作ったような笑顔を見せた。 ぐっと握られていたあたしの拳はいつの間にか力が抜けて、ちらっと自分の手の平を見た後、それからまた握り直すことはしなかった。 三宅さんが部屋の外から二つの椅子を持ってきてくれて、あたしと宮野ちゃんとにそれぞれ渡してくれた。車椅子の真紋さんを中央にして半円形を描き、あたしたちは腰を下ろす。 管理人さんはあたしたちの前に立ち、一礼した。 「ただいまを持ちまして、当プロジェクト[セカンドBR] を終了します。優勝者、夕場律子。並びに離脱者、宮野水夏、木滝真紋。」 管理人さんはきぱきぱとあたしたちの名を呼んだ。「はぃ」と一応答え、宮野ちゃんと真紋さんもそれに続いた。名前を呼ばれるもんだから一体何事かと思えば、管理人さんはふっと力を抜くように笑んで、 「本当にお疲れ様。そしておめでとう。」 そう言ってあたしたち三人に点々と目を向けた。 程なくして、まだいつの間にか姿を消していた三宅さんがビニール袋を手にしてやってきた。 「ええーと、夕場さんビール飲めます?」 「あったぼうよ!」 二十八歳、女、OL、独身を甘く見てはいけない。 三宅さんが袋から取り出した缶ビールを受け取ると、ちょっと嬉しかったりした。不謹慎なあたしを許して。 「真紋さんは怪我人、水夏さんは未成年だからジュースですよ。」 「えー!?」 「待て!そんな卑怯な!」 不平たらたらの二人の思わず吹き出しながら、冷え冷えのビールに軽く頬擦り。 やがて真紋さんにオレンジジュース、宮野ちゃんに炭酸ジュース、闇村さんに缶チューハイ、三宅さんは日本茶(仕事中だかららしい)が渡り、皆でプルタブを開けた。 でも乾杯はしなかった。……そりゃそうよね。おめでとうっていう言葉はあるけれど、本当にめでたくはないんだから。 冷えたビールを一気にゴクゴクと飲んで、プハッと吐き出して。 「……闇村さん、これからどうするんです?」 「そうね。自由時間?」 宮野ちゃんと闇村さんの言葉を聞いて、そっか、と納得して。 「もうすぐこのビルからも出なくてはならなくなるわ。三人とも、何か忘れ物があったら、今のうちに行っておいてね。」 闇村さんの言葉に「はーい」と頷き、あたしはすぐに行き先を決めた。 最後にもう一度だけ行きたかったあの部屋に行こう。 美咲との思い出、刻み込むために。 「あ、水夏さん。探しましたよー」 展望室からぼんやりと景色を眺めていた私―――宮野水夏―――に、背後からそんな声が掛けられた。 「三宅さん……どうしたんすか?」 彼女はぱたぱたと私のそばに駆け寄りながら、不意に慌てたようにピョンッと横に飛んだ。 何事かと思えば、彼女の足元にはまだ真新しい血だまりがあった。 「わ、この部屋、まだ清掃終わってないんですね……」 わたわたと私のそばまで近づいて来る三宅さん。可愛いなぁとか思いつつ。 「あのですね、闇村様から伝言です。一千万円、お貸しすると。」 「いっせんまん!?すげー」 いきなりの八桁宣言には驚いた。 お金を借りたい、ってやつは、今日の昼間に闇村さんに話していたことではあるけどな。 まさかあの後で闇村さんが神崎のところに行くなんて思いもしなかったし、お願いしたタイミング悪かったかなぁなんて思ってたけど、ちゃんと覚えててくれた。 「そんなお金どうするんですか?」 三宅さんは不思議そうに問いかけながら、軽く窓に背を寄せた。 「闇村さんからは聞いてないんですね。……えと、高飛び資金?」 「た、高飛び?」 益々ハテナマークを飛ばしまくる三宅さんにまた笑って、 「うそうそ。海外に行くことには違いないですけどね」 と、これから先の予定を話す。 私自身、まだはっきりした予定は立っていないけれど。 「世界中には貧しい国っていっぱいあって、水もご飯も満足になくてどんどん人が死んでるような国とかもあって。それから、教育が足りない国、医療が足りない国、他にもいろいろ。だから私は、そんな世界を回って支援活動がしたいなって思う……わけですっ。その元手にしようと思って。」 「……そうだったんですか」 三宅さんは柔らかい笑みを浮かべ、「すごくいいと思います」と頷いてくれた。 私は少し笑んで、三宅さんの隣に並び、そのままずるりと座り込む。 「三宅さんは、この後はどうするんですか?」 見上げて問い掛けると、三宅さんは何か答えようとしてふと気付いたように、ちょこんとその場に腰を下ろす。ああ、見下ろすのも悪いと思ったのか。この人って色々気配り上手だな。 「私はどうしましょうかねぇ。お仕事も辞めちゃったし、これからのことは決まってないんです。」 「仕事辞めたって……何の仕事だったんです?」 「総務省に勤務していました」 「……総務省!?」 それってもしかして物凄いエリートなんじゃ?公務員なのは言うまでもないし、しかも総務省。 驚いている私に、三宅さんはふっと微苦笑を浮かべて言った。 「でもね、どんなに勉強や仕事が出来たってだめなこともたくさんあるんです。お給料が充実していても、お休みが多くても、自分の好きな仕事じゃなきゃ苦しいですしね。」 「……うん。だよな。」 三宅さんの言葉に同意しながら、エリートだから良いってもんじゃないんだなぁとそんな思いで彼女の横顔を見る。三宅さんは展望室内をゆっくりと見渡し、やがて私に視線を戻した。 「ここの管理スタッフも、大変な仕事ではありましたし、人の命が失われていくのを見ているだけ――ううん、それを助長するような仕事だから、自慢できるようなことではないけれど。……でも私、闇村様のおそばで仕事が出来て嬉しかった。」 そう言って向けられる笑みに、「そっか」と相槌を返して。この人は本当に闇村さんのことが好きで、きっと闇村さんのためなら何でもするんだろうなと、そんなことを思った。 闇村さんは優しい人だ。きっとこの人の想いを汲み取ってくれるだろう。 やがて三宅さんは立ち上がり「そろそろ行かなくちゃ」と、そう言って歩き出す。 「……三宅さん。」 「はい?」 私も腰を上げながら、彼女を引き止めた。 「今まで、ありがとうございました。……どうか元気で。」 ぺこりと頭を下げてみせると、三宅さんは優しく微笑み、丁寧な礼を返してくれた。 「こちらこそありがとう。これからも頑張って下さいね。」 このプロジェクトで、時間を共にした人物に別れを告げる。なんだな、やっぱり寂しくもなるもんだ。 本当はもう少し、闇村さんや三宅さんたちと一緒にいたかった、けれど。 ぐずぐずしてはいられない。明後日か、早ければ明日にはここを出て行こう。 もうプロジェクトは過去のもの。この場所には長居すべきではない。 これから先、もっと辛い現実だって待ち構えているかもしれない。 でも私は、その現実に立ち向かって行けるだけの強さをここで身につけた。そんな気がするんだ。 「それでは、また。……いってらっしゃい、水夏さん。」 三宅さんは最後にそんな言葉を残し、展望室を後にした。 投げ掛けられた言葉がなんだか嬉しくって、思わず涙ぐんでしまう。 「……また、か。」 霜との別れも、そんな言葉だった。 決別ではなく一時的な離別。 私を待っていてくれる人がいる。だから私は、旅立てるんだ。 いつかまた、私は帰って来るよ。 おかえり、って、そんな言葉が掛けられる日を夢見て。 だからもう振り向くのはやめて、ここから出て行こう。 「いってきます。」 そう言って、真っ直ぐに歩いて行こう。 「ッ、……いったたた……」 車椅子って見た目以上に不便なんだなぁと心底痛感していた。 下手に動けば腹部の傷が痛むし、操作も難しくて慣れないし。 私―――木滝真紋―――は車椅子の上から手を伸ばし、一人でばたばたともがき中。 こんなんなら、水夏ちゃんでも連れてくれば良かったわよ、本当。 今更そんなことを思っても仕方がなく、結局車椅子の角度を変えたりしながら奮闘する。 私が手にしたいのは、ケースに入れて壁に立てかけてあるギターだった。 ――音楽室。 音楽が仕事だった私にとっては身近な部屋と言える場所、だけど、プロジェクトの最中にこの部屋に足を踏み入れることはなかった。私はいつから歌うことをやめたんだろうかと、そんなことを考えながら慣れない車椅子でなんとかこの部屋までやってきた。 真苗と一緒にいた時に考えていたあの曲。いつしかどさくさの中で忘れていたけど、やがて私も戦線離脱し、絶対安静という名目の暇人としてぼんやりと思索していた時にふっと思い出した。真苗に贈る歌を作ろう、なんて考えていたはずなのに、その歌を聞かせる前に真苗は死んでしまった。 だけど。私はまだ生きていて、あの歌もまだ、私の中で生きている。 「……ラ、ララー」 最初のフレーズだけは音程としても浮かんでいる。曲の雰囲気も、テンポも、楽器も。 ただ、やっぱり実際に音にしてみないことには話にならないわけで。私はこの建物を出たらどっかの病院に入れられるっていうし、となると益々楽器に触れるチャンスは減るだろう。だからこうして少し無理して、音楽室にやってきた。……のに、ギターに手ぇ届かなくてガックシ。 肩を落として溜息をついていた、その時だった。 不意にカチャリと音がして扉が開いたかと思えば、意外な人物が顔を出す。 「あれ、真紋さん?」 きょとんと私を見て首を傾げる姿、向こうも意外な人物とか思ってんだろうか。 「律子さんだ。こんなところで会うとは思わなかった」 「だね。何やってんの?」 律子さんは私のそばに歩み寄ると、車椅子でぐったりしている私と、そのそばのギターとを交互に見る。 「丁度良かった!このギター取ってくれない?」 ばたばたともがきながらギターを指差すと、「あーね」と律子さんは納得した様子で笑いながらケースからギターを取り出し、私に差し出してくれた。車椅子の肘置きなんかに上手く引っかけながら、やっとこさでギターを構える。随分久々に手にしたギターは、その久々な重みが妙に心地良く感じられる。 ジャーン、と軽く音を出すと、耳に馴染んだクラシックギターの音色が響いた。 「ギター弾けるんだ?」 律子さんはピアノの椅子に腰掛けながら、「似合う似合う」と笑んだ。 ジャカジャカッとまた軽く音を出した後、 「バカにしちゃだめよぉ。キタキマヤ、一応CDとか出してたアーティストさんですよぅ?」 と窘めるように言えば、律子さんはきょとんとして「マジ?」と聞き返す。 く。確かにマイナーだったけどさっ。 「マジです。……この傷が治ったら、また活動しようと思ってるの。」 弦の音程を確かめつつそう言って、ド・ソ・ラー、と単音を三つ続けて鳴らす。 そう、これだ。この入り方。やっぱり頭で思い浮かべているよりも、実際音で聴く方が良い。 「へぇ。真紋さんって何気に凄いのねー。CD出したら買ったげる。」 律子さんは感心した様子で言いながらピアノの蓋を開け、保護布を外す。「売上協力宜しくね」と返しつつ、彼女が鍵盤に乗せた指が、何を奏でるのかを見守った。律子さんは少し考えた後、ド・ソ・ラー、と私の弾いた音を真似るように弾いて。 その後鍵盤に指を置きなおし、一息ついた後、曲を奏で始めた。 彼女が弾いている静かで綺麗な曲、聞いたことがある。クラッシックの……ジムノペディ、だっけか? 奏者と、その美しい曲とのギャップ。普段はあっけらかんとした人なのに、こんな繊細な音が出せるんだ、って、なんだか不思議な気持ちになりながら、音を奏でる彼女の横顔を見つめていた。 ―――音には、その人物の本質が垣間見える。 気丈で明るくて、活発な女性。それが律子さんから受けるイメージだったけれど、こうして音に現れる繊細で美しい部分、或いは、寂しげな響き。それが、今の彼女の心なのだろうか。 「……ごめん。占領した。」 律子さんは曲を弾き終えると、微苦笑を浮かべてそう言った。 「ううん。綺麗だった。」 率直な感想を告げ、笑みを返す。律子さんは照れくさそうに「さんきゅ」とはにかんだ。 プロジェクトが終了してから出逢った女性。夕場律子。 彼女の姿を見ていると、私の知らないところでも本当に色んなことが起こっていたのだと思わされる。色んな気持ちが交錯し、ぶつかり合い、そして求め合って、失って。私が真苗を失ったように、律子さんも大切な人を失ったと聞いている。それでもやっぱり笑ってなきゃって、悲しんでても真苗は喜ばないよって、私が抱くそんな想い、律子さんも抱いてるんだろうなぁって。 「真紋さんもなんか弾いてよ。聴きたい。」 律子さんはそう言って笑みを見せる。けれど、そのリクエストにどう応えて良いのかわからなかった。 ド・ソ・ラー。先ほどと同じ、三つの音を弾いてから、私は手を止める。 「……ごめん。まだこの先、出来てないの」 まだ、色んな想いがぐちゃぐちゃしてて整理できていない。真苗への想い、このプロジェクトの終了、生き残った人のこと、死んだ人たちのこと。色んなことが頭を巡って、音として定まらなかった。 「そっか。……んじゃ、出来たらでいいから聞かせてね?」 律子さんはぴょこんっとピアノの椅子から下りると、私のそばを通り過ぎ、そして奥の壁面に向かう。 「うん。絶対、律子さんには聞いてもらわなきゃ」 そう笑んで答えながら、彼女の姿を目で追いかけた。律子さんは何もない壁面に向かい、じっとそこを見上げて。何してるんだろうって思いながら、そっとギターを床に下ろし、車椅子で移動して彼女のそばに近づいていく。 「……そこに何か、思い出があるの?」 どこか寂しげな表情で壁面を見つめていた律子さんに、少しだけ躊躇ったけれど、そんな問いを投げ掛けた。律子さんは私の方に目を向けるでもなく頷き、「思い出が、ね」と、少し掠れた声で言う。 ――邪魔、しちゃいけないわね。 一人の方が良いかと思って、彼女から遠ざかろうとした。 その時、背後から掛けられた言葉。 「忘れないでね」 「……?」 振り向くと、真っ直ぐに私を見て、ふっと弱い笑みを浮かべる律子さんの姿があった。 「このプロジェクトのこと。覚えていられるのは、あたしたちだけで……だから、絶対に」 「忘れないわよ。」 律子さんの言葉に続けるように言って、笑み一つ。 彼女の気持ちは痛いくらいによくわかる。こんなにもたくさんの悲しみと、そして幾つかの喜び。本当に色んなことがあったこのプロジェクト、なのに、その内容を知っているのは私や律子さん、水夏ちゃんに闇村さんに三宅さん――ほんのごく僅かな人間だけなのだ。 「忘れたくても忘れられないし、私達は忘れちゃいけない。……八王子とか、螢子ちゃんとか、それから、涼華ちゃんに光子ちゃん、渋谷紗悠里って子にも接触した。それと、矢沢さん――最初のプロジェクトの参加者たちとだってチラっと顔合わせてる。……もちろん、真苗もね。」 このプロジェクトで出会い、そして別れた人々の名を出すと、律子さんはこくんと一つ頷いて。 「あたしは……由子と、藍子。最初に仲間になってくれた二人と、それから螢子ちゃん。あぁ、加山なんて男もいたっけかぁ。真昼さんも、鏡子ちゃんも忘れらんないし。……美咲も。」 そう言って、ふっと弱く笑んでみせた。私の知らない幾つもの名前――私の知らない、何人もの犠牲。 私達が知っている人たち以外にももっとたくさんの犠牲があり、痛みと、悲しみがあり、そして出会いがあったのだろう。 私達が知り得る限り、いや、それ以上、たくさんの存在を、私達は覚えていなくちゃいけない。 その大きな記憶を背負って、生きていかなくちゃいけない。 「頑張ろうね!」 律子さんは確かな口調で言って、今まで以上の明るい笑顔を見せた。 「……うん。頑張ろ。」 私は彼女のように明るくではなかったけれど、しっかりと頷き、決意を示した。 それから私達は笑い合った後で、ちょこっとだけ泣きそうになって鼻を啜って、また笑って。 死んでしまった人たちも勿論だけど、私はきっとこの夕場律子という女性も忘れることはないだろう。 私と同じ重みを背負って生きていく、仲間だ。 私達はガシッと一つ握手して、「頑張ろうね」と 希望の未来へ進んでいく互いを、励ましあった。 十二月一日。 月が変わると同時に、東京地方に寒波が押し寄せた。 通りを行く人々は厚いコートを着込み、その身を縮めながら早足に歩いて行く。 時刻は夕刻、帰路につく人々の流れがピークを迎えている頃だ。 私―――闇村真里―――は涼子と共に、コンビニのビニール袋を手にして雑踏の中を歩いていた。 「寒いわねぇ……冬物のコート、早く買いに行かなきゃいけないわ」 そう愚痴を零せば、ふわりと白い息が漏れ、少し揺らめいてから透明の空気に混ざっていく。 ここのところずっと適温に保たれた建物の中にいた所為で、外の気候にまで気を配っていなかった。私の左側を歩く涼子は私を見上げて、微苦笑を浮かべていた。 「衣服室に防寒服も備えておけば良かったですね。」 「本当ね。……まぁいいわ。今度お買い物に行きましょう。」 そう言って涼子に笑みかけると、彼女はきょとんとした表情で、「お買い物」とぽつり復唱する。 「二人で、よ。涼子とはデートってあんまりしたことないものね?」 「わ、私と……?いいんですか?」 恐る恐る問い返す涼子にクスクスと笑って、「もちろん」と頷き返す。 それから、左手に持っていたビニール袋を右手に持ち直し、そして空いた手で涼子の手を取った。 途端に頬を赤く染める涼子の様子が可愛くて、その手を軽く引き寄せ、彼女と寄り添って歩く。 「そうそう、涼子には一つお話があったんだわ。」 ふと思い出してそう切り出せば、涼子は至近距離にどぎまぎした様子を見せつつ「な、なんでしょう?」と私を見上げた。 「涼子には引き続き、私のそばで仕事をして欲しいの。涼子が良ければ、だけど」 「本当ですか!?」 涼子は我を忘れたような声で聞き返しては、周りからの視線に気付いてはっと俯く。 一本気に慕われて、真っ直ぐな想いを向けられて。次第に、私も彼女を信頼するようになっていた。 真昼や美咲のことで、自信を無くしていた部分は否めない。私が「ペット」にしても、いつかは離れて行ってしまうのではないかと、そんな不安。――だけど涼子だけは別だ。 涼子は絶対に裏切らない。 「私に秘書がいないのは何故だかわかる?」 「……え?えーと。」 涼子は首を傾げて逡巡するも、答えは出ずに「わかりません」と小声で返す。 「それはね。本当の信頼に値する人物がいなかったからなのよ。」 「あ、なるほど……」 こくこくと頷いて納得した様子、その後でふっと、涼子はどこか期待の滲む眼差しを私に向けた。 信頼に値する、なんて言い方は、少し格好つけすぎかもしれない。 本当は怖かっただけだ。裏切られるということが。 だけど涼子なら大丈夫。彼女なら私のそばにいてくれる。――私の想いが、別の場所に向いていても。 「涼子に、私の秘書になって欲しいの。……答えはいつでもいいわ」 「な、なります!」 いつでもいいと言っているそばから、涼子は身を乗り出して答えを出していた。 その勢いに押されてきょとんとした後、思わずぷっと吹き出した。 「判断も迅速で素晴らしい人材ね。」 冗談混じりにそんなことを言いながら、やがて前方に見えたビルに向かって行く。建物の裏口、スタッフ専用の出入り口から屋内に入ると、私はそこで一旦足を止め、涼子と向き直る。 「では、涼子を私の秘書に任命します。雇用条件等は後ほど。……宜しい?」 「はい!宜しくお願いします。」 「こちらこそ。」 嬉しそうにぺこりと頭を下げる涼子に、私も軽く頭を下げ、それからそっと彼女の頬に手を伸ばす。 私の凍えた指先よりは、幾分熱を持った頬。軽く撫ぜた後、そっと顔を寄せて彼女の唇にキスを落とす。 「……や、みむら様ッ」 「うん?」 「これも……秘書のお仕事、ですか?」 そんな問いを掛けられて、私は少し考え込んだ後、首を横に振った。 「今のはプライベート。……セクハラで訴えるのはなしよ?」 「は、はいッ……」 涼子は恥ずかしげに頷いて見せた後、溢れんばかりの笑みで私を見上げる。 そんな涼子の肩を軽く抱いて、私達はエレベーターへと向かって行った。 今日は忙しい一日だった。 早朝の内に三人の記憶をいじって、ここから出て行ける状態にした。ゆっくりしてもらっていても良かったのだけれど、水夏も律子さんも早いうちにここを出て行きたいと言うし、木滝さんを搬送する病院も決定したので、今日中に皆を送り出すことにしたのだ。 午前九時。木滝さんを都内の病院に搬送した。搬送に付き合った私は、彼女の病室にまで足を伸ばし、慣れないベッドに身を横たえる木滝さんと幾つかの言葉を交わした。 「退院まではどのくらいかかりそう?」 「一ヶ月ぐらいだそうです。……ありえないです。まぁ相部屋だからちょっとはましかも……だけど……」 仰仰しい溜息をつく木滝さんに少し笑って、「頑張ってね」と励ました。彼女のことだから退院後はすぐに精力的に活動するのだろうし、一時は休んでおくのも良い。 「もう水夏ちゃんも三宅さんもいないのよね。……そう考えると何か寂しい、かも」 「そうね……水夏は無理だけど、涼子ならまたお見舞いにも来ると思うし」 私がそう言っていた時、突然、隣のベッドとを仕切ってあるカーテンがちらりと開き、少女――恐らく高校生ぐらいだろう――が顔を出していた。 「も、もしかしてもしかすると、キタキマヤさんじゃないです?ていうかキタキマヤさんですよね!ですよね!うわぁん、本物だぁぁ。最近活動してなかったですよね、っていうかどっか悪いんですか!?」 少女は勢い良くそう言った後で、「ファンなんですよぉ」と笑みを見せた。 突然のことに木滝さんと共に驚きながらも、「キタキさんと隣同士なんて超幸せ」と表情を綻ばせる少女の姿に、ふっと安堵した。この調子なら、涼子や水夏に代わる話し相手が出来ることだろう。 「あ、サインもらってもいいですか!?」 「はいはい、いいわよ。名前は何て言うの?」 「マナって言いますー。宜しくお願いしますねっ」 「……マナ?」 木滝さんはきょとんとした表情で呟いた後、私に向けて小声で囁いた。「真苗みたい」と。 どこか嬉しそうな様子の木滝さんに私も自然と笑みが漏れ、「そうね」と相槌を打ったのだった。 正午十二時。水夏を国際空港まで送り届けた。「もう少し日本でゆっくりして行ったらどう?」と言ったのだが、水夏は首を横に振った。最低限必要なものは日本じゃなくても手に入るし、言葉ぐらいなんとかなる、と楽観したことを言っていたが、実際は怖いのだろう。日本にいて、待ってくれている恋人に会いたくなってしまうことが。彼女は自分自身を駆り立てるために、敢えて荊の道を選んだ。 「暫くはアメリカで、情報収集とか言葉の勉強とか。簡単な英語ぐらいならできるし、大丈夫です」 「そう。……治安が悪い場所もたくさんあるから、気をつけてね?」 「大丈夫っすよ、あのプロジェクトの中ほど治安悪いところはないだろうし。」 そう言って笑んで見せる水夏に、「それもそうね」と苦笑して。 冗談めかしてはいるけれど、水夏もきっと覚悟は出来ているはずだ。万が一のことがあっても、全ては自己責任。それがこれからの彼女の旅だということは、彼女自身が一番よくわかっているだろう。 やがて飛行機が出発する時刻になりアナウンスが流れる。水夏はふっと寂しげな表情を覗かせたけれど、すぐにそれを断ち切り、真っ直ぐな強い目を見せた。 「闇村さん、今まで本当にありがとうございました。――いってきます!」 水夏は深々と頭を下げ、そんな言葉を残していった。 「いってきます」――ああ言われたんじゃ、いつかは「おかえりなさい」って言わなきゃいけないわね。 水夏は大きな借金もして行ったことだし、しばらくは縁を切ることもできそうにない。 そして午後十五時。律子さんを彼女の自宅まで送り届けた。律子さんは仕事を辞めて、自殺志願者として前回のプロジェクトの舞台であった山奥に足を踏み入れた。短大卒の元OL、再就職は厳しいだろうから、私の伝手で仕事を与えても良かったのだが、彼女は「大丈夫です」と笑顔で断った。幾らか残っている貯金でやりくりしながら仕事も探していく、と、既に彼女は自分の道を踏みしめているようだった。 都心から車で一時間程の郊外の小さなアパートに一人暮らし。ほぼ一ヵ月振りに留守にしていたアパートに帰り着くも、鍵がなくて一騒動で。結局大家さんに話して家に上がることが出来たけれど、大家さんに一ヶ月間どうしていたのかと問われた時にはさすがに焦っていた。私が彼女の友達と名乗り「二人で旅行に行ってたんです」とフォローして、事なきを得た。それから少しだけ彼女の部屋に上がらせて貰って、今後のことについて話してきた。 「あー、言い訳どうしよう……絶対親にも友達にも何してたのか聞かれる……」 山ほど入った留守電を聞きながら困った様子の律子さんと、二人でしばし考えて。 「恋人の家でイチャイチャしてた、ってことにしたら?」 私の提案にきょとんとする律子さんに、「恋人役」と自分を指差して見せれば、彼女はケタケタと笑いながらも「それで行こう!」と頷いてくれて、更に算段を進めて行ったのだった。 さすがに闇村真里の名前を使われると困るので、闇村を少しもじって、宮村真里。証拠物品として、いかにも恋人っぽいシーンを携帯のカメラで撮って準備万端と思ったところで、「っていうか、あたしたち女同士なんですけど!?」と律子さんが大事なことに気付いてしまう。 「こればっかりはどうしようもないわね。同性愛者であることを認めなさい。」 「う、うぅ……友達にいじられるよぅ……」 ガクリと悲嘆に暮れる律子さんに、ちょっとした悪戯心を芽生えさせ、「証拠写真、もう一枚撮りましょうか」と誘いをかけた。律子さんはなげやりに誘いに応じ、私達はまた顔を寄せ――そこで、真似、ではなく、本当に軽いキスを落とした。 「!?」 「……別に、変じゃないでしょ?」 「え!?何が!?」 「女同士でも、おかしくないってこと。美咲とあんなにイチャイチャしてたくせに。」 そう告げれば、律子さんは気恥ずかしそうに頬を掻きながら「そりゃそうですけどぉー」と口を尖らせる。 この様子ならば大丈夫だろう。彼女もいつかは、自分の恋愛性癖を受け入れられる日が来るわ。 そうして、大体の言い訳も揃ったところで、私は彼女の自宅を後にした。 忙しい一日を終えて、戻ってきた管理室。 涼子と一緒にビールを飲みながら、今日旅立っていった三人のことを思っていたら、ふと、もう二人の人物がここから旅立っていったことを思い出す。一足先にプロジェクトから離脱し、地元へと戻っていった二人。彼女達の送る時は同行できなかったけれど、上手くやっているだろうか。 「あ、あー、えーと。だ、だからね、その、あたしたちは超過酷な自給自足生活をしていたわけでー……す、水夏先輩とははぐれちゃって……とにかく大変だったの!」 根掘り葉掘りの質問攻めにいい加減イヤんなりながら、あたし―――沙粧ゆき―――は必死の言い訳を繰り出していた。マイクを模った筆箱をずずいっと向けられ、まるでスキャンダルが発覚した芸能人みたい。といってもあたしを囲むのは芸能レポーターではなく、二年一組のクラスメイト達。たかが十人、されど十人。普段は放課後になった途端一瞬にして姿を消していくくせに、なんでこいつらはこういう時に限ってありえないぐらい一致団結するのかなぁッ。……クスン。 場所は放課後の教室。――そう。戻って来てしまった、黒照高校の定時制。 久々に見るクラスメイト達の顔に嬉しいやら懐かしいやら、でもうざったいやらで。 「自給自足なんて凄いよねぇ。ねぇねぇ、何食べてたの!?」 「え、えー!?何って!な、何ってそれは……!」 送ってもらうヘリコプターの中、霜先輩とある程度の口裏合わせはしていたのに、クラスメイト達の追及は予想を遥かに上回っていた。あたしと霜先輩の計画は、あの山奥で遭難し、運悪く水夏先輩とはぐれてしまう。あたしと霜先輩と二人で何とか生き延び、やがて自力で生還したというものだ。しかし何を食べたかとか言われても本当に困る。プロジェクトの中では超美味しいご飯とかいっぱいあったんだよぉーっ。 「―――私が持ってたお菓子を分け合って食べたんだよ。……な、ゆき?」 と、そんな突然の助け舟はあたしの後ろ――廊下側の窓から聞こえてきた。 慌てて振り向けば、クラスメイトに囲まれているあたしを見てクスクスと笑っている霜先輩の姿。 「そ、そうなんですよねっ!そう、先輩がいっぱいお菓子持ってきてくれてたから、それで何とか!」 こくこくと頷いて先輩の言葉を認めると、「なるほどぉ」とクラスメイトたちが納得してくれた。霜先輩のお菓子ジャンキーは学校内でも結構有名だったりする。 「二年一同!ゆきは借りて行くぞ!……これあげる。」 あたしと引き換え、とばかりに霜先輩はキャンディーの袋を二年の教室に放り投げ、「行くぞ」とあたしを促した。あぁ助かった……! 「じゃあね皆ぁ。えへへ、お疲れーっ」 あたしは即座に荷物を手に、教室を飛び出した。入り口の所で待っててくれた霜先輩は「大人気だな?」と笑いながら歩き出す。霜先輩の隣を歩きながら、はぁ、と溜息一つ。 「もぅ大変ですよぉっ。っていうか、霜先輩は結構余裕ですね?ないんですか?ああいう質問攻め」 「ん。……水夏がいないだろ?だから、変に気ぃ使ってくれてるみたい。」 「あ、そっかぁ……」 霜先輩と水夏先輩の仲良しっぷりもまた、校内では有名なこと。水夏先輩って意外に人気者だったような気もするし、三年生の先輩達もショックなのかもしれないなぁ。 やがてあたしたちは下駄箱のそばを通りかかるが、そのまま通過する。ごく自然に、身体がミス研の部室に向いていた。霜先輩が部室のぼろいドアを開け、先に室内に入って電気をつける。あたしも先輩の後を追って室内に入っては、なんだか久々な匂いとか、室内の情景とか。嬉しいような寂しいような気持ちになって、立ち尽くしていた。今までと同じこの部屋。ただ一つだけ違うのは――水夏先輩がいないこと。 「はー。やっとゆっくりできるな。」 霜先輩は椅子に腰掛け、そのままべたりとテーブルに突っ伏していた。あたしも先輩と向かい合う椅子に腰を下ろし、身体の力を抜いた。 ここ数日は本当に大変だった。ヘリコプターで送ってもらった先は例の山のふもと辺り。あんまり人目につく場所に下ろしてもらうわけにも行かなかったから、そこから結構歩いて、ようやくあたしたちの地元にたどり着いて。因みにあたしは、闇村さんにコーディネートしてもらった可愛い洋服は泣く泣く置いてきて、いつものミス研ユニフォーム、もといジャージ姿でこの町に戻って来た。 とりあえず距離的に一番近かった霜先輩の自宅に向かった。すると、霜先輩のご家族ってば喜ぶやら泣くやらもうわけわかんなくて超大変。やっぱり心配だったんだろうなぁ。一ヵ月近くも留守にして、何の音沙汰もなくて。 それからあたしの自宅にも連絡を入れてもらって、お父さんとお母さんが車で迎えに来てくれた。もうへろへろだったあたしと霜先輩は「お疲れ様です」「お疲れー」と、そんな言葉だけを交わして別れたのだった。 あたしの家族だって、霜先輩のご家族と同じ、むしろそれ以上だったかも。お父さんは「もう心配かけるなよ」って怒ってたけどちょっと涙ぐんでたし、お母さんはいっつもガミガミ言ってる人とは別人みたいで「ごめんね、食べたいものがあったら何でも言ってね」って、あたしのことを労わってくれて。お言葉に甘えて特上ステーキなんか食べちゃったけどさっ。美味しかったよっっ。 その日のうちに、警察に連絡を入れていた。捜索願いってやつを取り消すためだ。すぐに、あたしと霜先輩は警察に呼び出された。ヘリコプターの中で口裏を合わせていた通り、山奥で遭難した四日目の深夜、水夏先輩は姿を消したっていうことになっていて、それを話して。嘘をつくのって難しいけれど、他にどうしようもないし、めっちゃ頑張った。 水夏先輩だけは行方不明扱いになって、尚も捜索中。探したって見つかるわけなんかないのにね。 ようやく警察から解放されたあたし達は、昨日は自宅待機。そして今日になってやっと学校に行っても良いことになった。因みに、バイトしてたファーストフード店はクビになっちゃった。新しい仕事探してもいいけど、今はそんな気分にもなれないし、しばらくはゆっくり過ごそうと思う。 「……あいつ、今頃何やってるんだろうな」 霜先輩は、テーブルの上に放置されてた煙草の箱を手に取りながら言った。フィリップモリス、って霜先輩の煙草じゃない。水夏先輩の忘れ物だ。 「きっと元気にしてますよ。大丈夫ですって」 「だよな。……そのうち戻ってくるしな。」 霜先輩は穏やかな表情をしていた。水夏先輩は戻ってくるって、その言葉。霜先輩は信じて疑わない。 もちろんあたしだってそう。水夏先輩はきっと戻ってくる。いつもの顔で、「ただいま」って言ってくれる。 いつになるのかはわからないけど。 大丈夫。きっと大丈夫。 「また、いつもの日常が始まるんだな」 霜先輩は水夏先輩の忘れ物の煙草を一本取り出し、口に咥えて火をつける。 吸い込んでは、吐き出し、「きつ」と顔を顰めて。 ――いつもの日常、かぁ。 その日常に水夏先輩はいない。だけどやっぱり、あたしたちは仕事したり、学校に来たり、こうやって部室で過ごしたりして。――水夏先輩がいない日常が、いつもの日常になっていくのかな。 「頑張ろうな」 ぽつりと言って、霜先輩は少しだけ笑んで見せた。 その表情、寂しさだって混じってる。 だけどいつか水夏先輩が帰って来る日を夢見て、霜先輩も頑張って行くんだろうなぁ。 「はい。……頑張りましょうねっ」 あたしは水夏先輩を待ちながら、それから、……霜先輩を諦めて。 いつかは別の恋をするのかな、なんて思いながら、少し泣きそうになって俯いた。 今はやっぱり辛いことだってたくさんあるけれど。 いつかは穏やかになれる。色んなことを受け止められるようになる。 それまでは、ゆるやかな時間の流れに身を委ねていよう。 間もなく日付も変わる頃。私―――闇村真里―――は一人で、展望室に訪れていた。 この部屋で全てが終わり、そして全てが始まった。 「……早いものね」 ぽつりと言葉を漏らし、大きな窓から見下ろす東京の夜景。 煌めく光に見惚れながら、この建物で起こった様々なことを思い起こしていた。 開始時、二十五名の参加者。 愛憎、恐怖、希望、絶望。幾多の感情が入り混じり、ぶつかり合った。 一つ一つ失われていった命と、そして生き延びていった命と。 あんなにも多くの参加者達が次々と命を失い、最終的にはゆきちゃんと霜さん、水夏と木滝さん、そして優勝者の律子さん――たった五人だけが、この建物から出て行った。 今はもう、ここに参加者は一人もいない。プロジェクトは終わってしまった。 楽しかった、なんて、そんなふうに言ってしまうのは死者達に失礼なことなのだろうか。私が今まで生きてきた人生、常人とは全く違う道を歩んできたこの人生で、私が渇望していたものは何だろう。それは勿論美雨という存在も大きいのだけれど、もっと何か別の――悦楽、だとか。 それをこのプロジェクトの中で手にしたように思う。 祭りの後の静けさ、寂しさ。私が抱いている感情こそが証拠だろう。 しかし心のどこかで、後悔している部分も、ないわけではなかった。 何故私はこんなにも残酷なことを、取り仕切っていたのだろうか、と。 このプロジェクトで得たものは計り知れない。きっと私自身の成長にも繋がっているはずだ。 けれど、このプロジェクトで失ったものはそれ以上に計り知れない。 「空虚なこと。」 すっと手を上げて、握りしめた。そこから溢れ、零れていくものは一体何だったか。 何かを掴んだような気がしていたのに。 静かに開けば、そこに残っているのは悲しみだった。 この残酷なプロジェクトが残したものなどほんの僅か。 莫大な金に姿を変える人間の感情データ? そんなもの、私は求めていなかった。もっと根本的な、人間の本質的なものを求めていたはずだった。 ここで生まれた幾つかの出会い? 幾つかの愛情? ―――それらは、死を経て失われていく過去のもの。 或いは、悲しみに塗れたままで現世の人々を捕らえ続ける鎖とも言えるのではないか。 律子さんや木滝さんのことを思えば、あまりにも残酷な結末だ。 もう一つの理由。美雨に会いたかった、そんな理由でプロジェクトの管理を引き受けた。 それだって、もっと簡単に、私が単身で美雨に会いに行けば解決していたことだったのに。 ただ勇気が足りなかった。だから私はこのプロジェクトできっかけを作ろうとした。 終わってしまえば、なんて馬鹿馬鹿しい理由だったのだろう。 「……こんなこと、しなければ良かった?」 自問するように呟いて、こつんと、冷えた窓ガラスに額を当てる。 頭を冷やす――と、そんな慣用句が浮かんで、少し笑った。 私ほどの人間が過ちを犯すはずがない。そんな自己概念に囚われ、いつしか私は自分自身を見失っていたのではないだろうか。 私は天才である前に、人間だ。 否、このような残酷な結末を迎えて後悔しているような私は、もはや天才とすら言い難い。 莫大な知識、権力、実力。それらを手に入れた代わりに、大事なものを失っていた――。 大勢の命を奪った美雨とも同等か、それ以上の罪を私は犯してしまった。 プロジェクトの管理、それが罪名だ。 「誰も、私を責めない。誰も私を――」 水夏も、木滝さんも、律子さんも。 最後は笑顔で私に別れを告げてくれた。 彼女達だって憎んでいたはずなのに。管理者である私を憎んで当然だったのに。 何故、彼女達は笑ってくれたの……? 後悔、自己嫌悪、そんな感情を抱いても尚、私は思った。 ―――楽しかった、と。 人々の死でもなく、或いは憎悪でもない。 私はただ単純に、共に時間を過ごした女性達との関係が―――嬉しかった。 「罪はいつか罰になる……」 こんなにも酷いことを。 死を持ってしても、償えないような大罪を。 何故人々は責めないのか。 何故私を咎めないのか。 私は、本当にこれで良いのだろうか……? 「罪は償うことが出来ますよ。」 「え……?」 掛けられた声は、ほんのすぐそばで。 振り向けば、さほど遠くない場所に、涼子の姿。 「ごめんなさい、闇村様。……話し掛けるタイミングを失ってしまって」 「……気付かなかった」 ふっと苦笑して答えてから、涼子に向き直る。 彼女が先ほど告げた言葉、「償うこと?」と小さく問い掛ける。 涼子は悲しげに微笑んで、頷いた。 「闇村様がこんなにも辛そうにしていらっしゃるお姿は初めて見ました。……そのお気持ちが尊いのではないですか?」 「……」 「死者を悼み、そして生きている人々の未来を支援する――」 涼子はぽつりとそれだけを告げて、ぺこりと頭を下げた。 「でしゃばったことを言ってしまって申し訳ありません」 そうして行きかけた涼子を引き止める。 そっとその腕を取って、不思議そうに振り向く涼子に、ふっと言葉が詰まるけれど。 「―――私にはもう一つの罪がある。聞いてくれる?」 「はい。」 ポケットから取り出した、ひしゃげた金属。それは美雨のメスだった。 細く鋭利なその刃物が、――私の命を守った。 葵の銃弾が美雨の腹部を貫き、それは私へ突き刺さるはずだった、なのに。 銃弾の勢いを衰えさせたのは、美雨が白衣のポケットに入れていたこのメスだ。 私は奇しくも、ほんの偶然で命の危機を免れた。 ――偶然。 偶然であるはずに、何故だろう、私は美雨に命を守られたような、そんな気がしてならない。 美雨に、「生きて下さい」と、そう言われたような気がして――。 そんな想いに駆られながら、歪んだ金属を手に、涼子に全てを話していった。 本来、許されることではないはずなのに。 私が話し終えると、涼子は静かに微笑んだ。 微笑みと、許し。 涼子がまるで聖母のように見え、自分自身の罪に光が差したようだった。 この罪は許されるものではない。 けれど。 それならば私は、この罪を背負い、自責を繰り返しながら生きていても良いのだろうか。 幾つもの不安を涼子に打ち明けて、その度に涼子は優しく頷いた。 その許しが、どんなに、嬉しかったことだろう。 やがて私は決意した。 これからも生きて行こう、と。 罪を償うため、そして―――罪を許すために。 Next → ← Back ↑Back to Top |