BATTLE ROYALE 37




 たった一人で、身体を血塗れにして歩いて行く女性。
 悲しみに満ちた表情を浮かべ、心許ない足取りで。
 愛していた者、仲間であった者、そして命を狙っていた者。
 彼女を取り巻いていた全ての人間が、命を絶った。
「水鳥鏡子、それから真昼も美咲も……螢子すらも。」
 あまりの急展開に、目を離すことが出来なかった。
 そのドラマのワンシーンは、たった一人の女性が生き残ることで、終わりを迎えた。
 誰よりも戦闘力が低いと思わざるを得ない女性……夕場律子だけが、生き残った。
 私―――闇村真里―――は小さく溜息を零し、モニターから目を離す。
 管理室の隅のデスクで作業をしていた涼子が、気遣うような視線を私に向けていた。
「随分減ったわね。」
 私は彼女に小さな笑みを向けてそう言った。涼子は応えるように弱く微笑んで見せ、
「そうですね……。遺体処理班に連絡をつけておきます。」
 と相槌を打った後で、また仕事に戻っていく。デスクに置かれた電話の受話器を取る涼子を横目に見ながら、残された参加者達のことを思った。
 「参加者」として残っているのは、神崎美雨、佐久間葵、夕場律子。以上の三名。
 私も「参加者」として行動する――つまり、殺されても構わない状況で行動することはあるのだが、私が優勝することはない。つまり優勝者はこの三人から出ることになる。
 美雨は圧倒的な強さを持つ。殺した人数から見ても彼女の実力は推して知れる。この三人の中から予測を立てるとすれば、美雨が優勝すると見てほぼ間違いないのではないか。いわば大本命だ。
 葵は、美雨のそばにいたから生き残っていると言っても過言ではない。危うい場面も美雨に守られたから、葵は無事でいるのだ。葵自身に実力があるとは思えないが、何か算段を立ててはいるのだろうか。
 そして夕場律子。彼女がここまで残ったのは予想外だった。全くと言って良い程に戦意はなく、今までだって誰一人として命を奪っていない。彼女は幸運にも、最後の三人になったというだけだろう。
 この三人の顔ぶれを見た時、優勝者は美雨と見て間違いない――……しかし。
 時折運命とは、予想も出来ない方向に動くことがある。絶対に美雨が優勝するとは言い切れない。
 その万が一を考えると、私は近いうちに美雨に会っておく必要があった。
 美雨が死んでからでは、遅いのだ。
 その前に一つだけ仕事を終わらせよう。木滝さんと交わした約束を果さなければならない。
「涼子、処理班の業務が完了したら、私に連絡するように伝えてもらえる?それから遺体保管室の鍵を持ってくるようにと。」
「あ、はい。わかりました、連絡しておきます。……えっと、業務自体は後二時間程度で完了する見込みとのことなので、そうですね、二十三時頃になると思います。」
「そう。わかったわ。」
 時計を見上げながら言う涼子に、つられて私も時計を見上げる。時刻はまもなく二十一時と言ったところ、それならば真紋さんの用件は明日の朝でも良いけれど……きっと彼女は、一刻も早い方が良いのだろう。
 受話器を取ってコールを待っている涼子に「少し急ぐように伝えてね」と告げる。
「もしもし、こちら管理室の三宅ですが――」
 涼子は通信の通じた相手と話しながら、私の言葉に頷いて見せた。
 これで二十三時までは暇になる。モニターを見遣れば、律子さんは彼女自身の自室である13−Bに戻ったようだし、美雨と葵は飲食室で食事をしているし。特に目立ったドラマも起こらないだろう。
 私専用の椅子から立ち上がると、部屋の片隅に置かれたコーヒーメーカーに向かう。涼子が慌てたように顔を上げて自分の仕事だと言わんばかりの表情だが、彼女は今も電話中。「気にしなくていいわ」と小声で言いながら手で制し、自分のマグカップに熱いコーヒーを注いだ。
「明日にでも……美雨に……」
 ぽつりと呟きながら椅子に戻り、深く腰を下ろす。
 ちらりとモニターを見遣り、手元のリモコンを操作した。黙々と食事を続ける美雨の姿を拡大し、じっと見つめる。整った顔立ちは、決してその冷たい氷のような表情を崩さない。
 十年とちょっとで、美雨はとても美しくなった。高校時代に顔を合わせていた頃の美雨はまだあどけなく、可愛い、という言葉の方が似合っていたのに。
 あの頃よりも一層魅惑的になって、思わず見惚れてしまう。
 だけど美雨は――……やはり今でも、笑ってはくれないのだろうか。
 美雨の心からの笑顔を見てみたい。あの頃からずっと変わらない、私の望みだ。
「……美、雨」
 名を呼べば、振り向いてくれたのに。
 どこか不思議そうな顔をして、「闇村先輩」と私の名を呼んでくれたのに。
 今ではもう叶わない。振り向くとすれば美雨はきっと――憎しみの眼差しを私に向けるのだろう。
 たった一つの過ちで、私は美雨を失った。
 あんなにも愛していたのに。手離さないと誓ったのに。
 ――私のこの手は何故、美雨に触れてしまったのだろう。
「……」
 これが最後のチャンスになる。
 美雨は私を殺すのかもしれない。
 私は、美雨に適うほどの力など、持っていないのかもしれない。
 全ては明日になってから。
 ―――全ての運命が、決まるのだろう。





 コンコン、と控えめなノックが、薄闇に包まれた室内に響き渡る。
 ベッドに身を横たえ、ぼんやりと宙を眺めていた私―――木滝真紋―――は、その音に少し顔を上げた。
「こんばんは、闇村です。入っても良い?」
「あ……どうぞ。」
 ごしごしと目元を拭いながら、突然の訪問者を迎え入れる。闇村さんは扉を開き室内に足を踏み入れて、パチンと電気を付けた。少し眩しい光に目を細めながら、傷が痛まないようゆっくりと上体を起こす。
「まだ起きていたのね。夜分遅くにごめんなさい。」
「いえ……最近あんまり眠れなくて。」
 苦笑をしながら、少し俯いた。充血した目を見せるのが恥ずかしかった。
 水夏ちゃんが自室に戻っていったのはどのぐらい前か……確か十時頃だった。それから目を瞑って眠ろうとしたけれど、睡魔はなかなか訪れず、一時間程が経過していた。薄闇の中で思うことと言ったら、真苗のことぐらいしか浮かばなくて。だから夜は苦手なのに、どうして身体は眠ってくれないんだろうって理不尽に思っていた時だった。
「しっかり眠らないと身体に毒よ?」
 闇村さんは窘めるように言った後、身を屈めて私の顔を覗き込む。
「……気をつけます。」
 思わず目を伏せつつ答えると、ぽんぽん、と優しく私の髪を撫ぜながら「宜しい」と闇村さんは微笑んだ。
 それから彼女は私のベッドに軽く腰を掛け、少しの間を開けてから、こう切り出した。
「真苗さんの遺体に会わせるっていう約束。……果しに来たの。」
「ほ、本当ですか!?今から?会わせて、くれるんです……?」
 思わずそんなふうに食いついていた、けれど、ふっと語調が弱まってしまう。
 きっと真苗に会えば、また悲しみが募ってしまう。それが少しだけ怖かった。
「貴女が望めば、ね。……だけど私は会うことを薦めるわけでもない。」
「……どうして、ですか?」
「遺体に会えば余計に悲しくなるっていうのもあるわね。」
 闇村さんは私の思いを見透かしたように弱く笑みながら言う。そして、「それに……」と言葉を続け、彼女は笑みを消した。
「真苗さんの遺体は、遺体保管室という部屋に保管してあるの。そこには他の子たちの遺体も安置してあるわ。……中には、目を背けたくなるような遺体もたくさんあるし、だけどどうしても目に入ってしまうような保管法なのよ。だから……辛いと思うわ。」
「……」
 闇村さんの言葉に、その部屋を想像しようとしたけれど思い浮かばなかった。ただ、彼女の口ぶりからして、トラウマになってしまうようなものなのだろうとは予想がついた。
 恐怖を感じないわけではない。出来ることなら、目に触れたくはない。
 だけど……。
 今会っておかなくては、永遠に真苗とは会えない。
 満足な別れの言葉も告げられなかった。だから、私は……
「構いません。真苗に会わせて下さい。」
 躊躇いを振り切って、確かな口調でそう告げた。
 闇村さんはまた弱い笑みを見せ、「わかったわ」と頷いてくれた。
「涼子に車椅子を用意させたから、もうすぐ来ると思うわ。……覚悟、してね?」
「はい……。あの、闇村さんは一緒には……?」
「一緒に行くわ。私も目を背けてばかりでは、あの子たちに申し訳ないものね。」
 そう言いながら、闇村さんはまた私の頭に手を伸ばした。ふわりと優しく撫ぜ、指先で髪を梳く。
 私は言葉なく、柔らかな感触を感じていた。
 申し訳ない――か。
 このプロジェクトを総括し、殺人を推奨しているのだって彼女自身なのに。
 何故闇村さんはこんなことをするのだろう。何故、人の命を弄ぶのだろう。
 だけど憤りは感じない。……彼女には何か、特別な理由があるような気がするから。
 時折見せてくれる優しげな笑みが、私にそう思わせていた。
「失礼します。」
 やがて部屋に入ってきた三宅さんは、車椅子を押していた。
 まさか私があんなのに乗ることになるなんて。不思議な感じ。
 まだ自分の足でも歩けない怪我人なのかと思うと、少し情けない気持ちになる。
「じゃあ行きましょうか。」
 闇村さんと三宅さんに手を借りて、私は痛みを堪えつつ車椅子に乗り込んだ。
 動くとやはり傷が痛む。完治までにはどのぐらい掛かるのだろう。
「ッ……闇村さん。私、いつになったらここから出られます?」
 痛みに眉を顰めつつ、隣に立つ闇村さんに問い掛けた。
 彼女は思案するように私を見つめ、「そうねぇ」と小首を傾げて見せる。
「後一ヶ月は安静でしょうね。だけど」
「……だけど?」
「もしかしたら、どこかの病院に搬送することになるかもしれないわね。」
「え?……なんでですか?」
 そんなやりとりをしつつ、闇村さんの指示で三宅さんが後ろから車椅子を押してくれて、ゆっくりと進み出す。部屋を出て廊下を進みながら、少しの間沈黙を守っていた闇村さんがこう口にした。
「貴女が完治する前に、このプロジェクトは終了すると思うわ。……今の残り人数は、僅か三名。」
「さ、三名!?」
 私はその言葉に驚いて、思わず大声で聞き返す。闇村さんはふっと笑んで、「そうよ」と頷いた。
 たった、三人?だってついさっき……夕方にモニターを見た時は、もっと多かったのに……。
「誰が残ってるんです?」
「夕場律子、佐久間葵、神崎美雨。……他の子は、今日の夜に死んでしまった。」
「……螢子ちゃんも……?」
「……ええ。」
 驚きを隠せず、言葉を失った。
 あの螢子ちゃんが、死んだ?
 あんなに自信満々だったのに?あんなに実力のある子が?
 ……死んだ…?
「螢子の遺体にも会えるわよ。……会いたくないかもしれないけど」
「……」
 なんとも言えない感情に押し黙る。
 嬉しい?悲しい?……なんだろう、この複雑な感情は。
 螢子ちゃんを憎んでもいたし、怯えてもいた。
 私は喜ぶべきだろうか?これで命を狙われなくて済む?
 ――違う。そんなんじゃない。
 私、前に言ったわよね。死んでしまえば、許せる相手も許せなくなる。
 生きているから、憎んだりも、許したりも出来るんだって。
 ……でも螢子ちゃんは死んだ。それは変えようのない事実だった。
「螢子が死んで、悲しい?」
 やがて私達は一つの扉の前で止まっていた。扉には「遺体保管室」というプレートがあった。
 三宅さんが鍵を開けている最中、闇村さんはぽつりと、そんな問いを掛けた。
「……」
 少し迷ったけれど、私は小さく頷いた。
 悲しい。悲しいよ。
 あの子が生きていないと出来なかったことが、全部不可能なことになってしまった。
 憤りをぶつけたり、責め立てたり、或いは、説得したり。
 そうすることで解消に繋がったかもしれない感情を、私は自分自身で処理しなくてはならなくなった。
 それは苦しいことだろう。これからずっと私に付きまとうんだろう。
「螢子の死も、受け入れてあげてね。」
「……」
「螢子は孤独な子だったわ。」
「え……?」
「――悪人はいつか忘れられていくのよ、誰の心にも残らずに。だから、憎しみでもいいわ、あの子を覚えていてあげて。」
「あ……」
 闇村さんがそう静かに告げ、やがてふっと一瞬の静寂が訪れた後、ギィ、と重い音がしてゆっくりと扉が開いた。廊下の明りが、暗い室内に差し込んで、少しだけ奥を照らす。けれど、深い深い闇に閉ざされたその部屋は、とても差し込む光だけで見渡すことなど出来なかった。
「木滝さん。一つ、お願いしてもいいかしら。」
 闇村さんはそっと私の肩に手を置き、真っ直ぐに室内を見据えたままで言った。
「この部屋には、孤独に死んでいった子たちがたくさんいるわ。……家族にも、友人にも、恋人にも見捨てられ、或いは失い……自ら殺めてしまった子だっている。そんな子たちは、いつかは記憶の中からも消えていくの。……だからね。出来る限りで良いから、覚えておいて欲しいの。彼女達が生きていたという、事実を。」
「……事実を。」
 闇村さんの言葉をぽつりと復唱した後、闇が広がる部屋をじっと見つめた。
「答えは、出さなくてもいい。」
 彼女はそれだけを呟いて、ふわりと私の髪を撫でる。
 そうか。
 この部屋に、生きている人間は一人もいないけれど。
 だけどここには、色んな感情が詰まってるんだ。
 悲しみ、苦しみ、幸せや、喜び。その残り香のようなものが保管されている――。
「行きましょうか。」
 闇村さんが促すと、三宅さんがゆっくりと車椅子を押した。闇村さんは私の隣で、歩調を合わせて進み出す。室内に電気は灯っておらず、ただ、……幾つもの大きな管が、ぼんやりと光を放っている。
 管という表現で相応しいだろうか。
 両手を広げたほどの大きな管、透明で、中は液体に満たされているようだ。
 その中で、細い管を幾つもつけられた遺体が、まるでオブジェのように保管されていた。
 遺体は全て衣服を脱がされ、生まれたままの姿。
 この部屋はまるで――水族館のようだった。
 部屋の奥までは見えない。随分奥行きのある室内には、管が放つ薄い明りが点々と灯っている。
 中央の路を挟んで、左右に対面するように置かれた管の中に、女性たちの遺体がある。
 扉から入ってすぐ、左右にある最初の管には、随分前にちらりと見かけた女性――確かこの二人は、最初のプロジェクトの参加者だ。
「右が高見沢亜子、左が佐倉莉永。最初のプロジェクトで死亡した二人よ。」
 闇村さんはそう説明しながら、ゆっくりと交互を見遣る。
 管にはそれぞれ名前と死因や加害者、死亡推定時刻など詳細が書かれたプレートが掛かっている。
 二つの管はいずれも、加害者の欄に神崎美雨の名があった。
 二人の遺体は――……
「……刺傷による失血死、ですか」
 佐倉莉永の遺体から、思わず目を逸らしてしまい、高見沢亜子の方に目を向ける。
 佐倉莉永は、身体の随所に刺し傷が見えた。身体が綺麗に洗われている分、その傷は痛々しい。
 瞼は閉じあわされてはいたけれど、片方の目元には眼球をも引き裂くような大きな一直線の傷があった。
 あまりに残虐な殺し方。……神崎美雨とは、噂で聞く以上に残酷な人なのかもしれない。
 高見沢の遺体は綺麗な方なのだろう。心臓があるのであろう箇所に一つだけ、刺し傷が見えた。
「引き返してもいいわよ。……この先もっと酷い遺体がたくさんあるわ。」
「……大丈夫です。」
 闇村さんの言葉に一瞬迷ってしまうけれど、すぐに首を横に振り、そう答えた。
 私は、この目に留めなくては、ならない。……彼女達を、覚えていなくては。
 やがてまた少し進んでは止まる。
 次の管……右側の管の遺体を見て、思わず目を逸らして口元を覆っていた。あまりにも残虐すぎた。
 顔の半分ほどが、吹っ飛んでいる。――誰がこんなことを。
「碧津晴……神楽由伊の恋人だった女の子ね。八王子智にすぐに殺されてしまったわ」
「八王子に!?」
 その言葉に驚いて、プレートを見る。確かにそこには、加害者の欄に八王子の名前があった。
 神楽、由伊。その名前も聞いたことがあった。そうだ……八王子の、恋人、だった子じゃ……?
 じゃあ何?八王子は神楽さんって子の元・恋人を殺した?しかも、こんな残酷に?
「……ひど、い…」
「八王子さんは、時々とても残酷な面を見せたものね。」
 闇村さんの言葉に、「そっか」と小さく呟き、もう一度恐る恐る遺体を見上げる。
 幼い少女。……一瞬で、終わったのだろうか。
 ふっと溜息をついた後、今度は左の管に目を向けた。
 こちらは前プロジェクトからの参加者。確かシスターをしていた女性だった。幸坂綾女、か。
「綺麗でしょう?……眠っているみたい。」
 碧津晴の遺体とは対象的に、幸坂綾女の遺体は闇村さんの言う通り、とても綺麗な状態だった。
 刺殺とあるけれど、一体どこをやられたんだろうと不思議に思いながら見つめていた。
「後頭部を、メスで一撃。」
 私の疑問に応えるように闇村さんはぽつりと言う。
 そうか、正面からは見えない場所か。……本当に眠っているようだ。
 閉ざされた双眸に影を落とす長い睫毛が印象的だった。
 そしてその先。今度もまた、痛々しい、遺体。
「左は横山瑞希ね。……彼女は自害なの。」
「横山ってあの、プロジェクトで説明とかしてた……。自害って……?」
 到底そうは思えない、酷い傷の数々。まるで大きな槍に何度も突き刺されたような。
 傷口の一つ一つから体内が覗いて、直視できなかった。
「色々あったのよ。エリート政治家が自害にまで追い詰められた。……拷問室ってあるでしょう?あそこにね、西洋で使われていた拷問具や処刑具が幾つも揃っているの。彼女が使ったのは槍の雨が降ってくるタイプの――」
「も、もういいですっ」
 思わず彼女の言葉を遮り、耳を塞いでいた。泣きそう。
 グスン、と鼻を啜りながら、右側の管に目を向ける。
 今度はそこまで酷くはないけど………腹部に、穴が空いている。
 貫通して……う、ぅ……
「ま、真紋さん?大丈夫ですか?」
 項垂れている私に、後ろから心配そうな声が掛けられた。三宅さんだ。
 三宅さんもかなり表情を曇らせ、俯きがちに私に目を向ける。
「三宅さんこそ……」
 へら、と弱い笑みを向けてから、一つ大きく空気を吸い込んだ。
 こんなんじゃいけない。けど、はっきり言ってかなり辛い。
「……私も見ているから大丈夫よ。見られる分だけ、見てあげて。」
 闇村さんも先ほどより幾分口調が弱かったけれど、ぽんぽん、と私の頭を撫でてくれる。
 私はこくんと頷いて、再度右側の管を見上げた。
 傷口は痛々しいけれど、すごく綺麗な女性。初めて見る子、だけど、どうしてこんな子まで犠牲に……
 ……――あぁ。螢子ちゃん、か。
 螢子ちゃんに、撃たれたんだ。それも、私が螢子ちゃんとお風呂とか一緒にする、前に。
「悠祈藍子。この子はね、一番最初に捜索願いが出たの。」
「捜索願い?」
「そうよ。元は一般人だもの。彼女は、夕場律子や榎本由子と共に自殺志願者だったの。だけど偶然に前プロジェクトの舞台に迷い込んでしまった。結果的には同じことなのかもしれないけど、ね」
「……自殺志願、か。どうしてそんなことするんだろ。すぐに捜索願い出してもらえたってことは、愛されてたってことじゃない?」
「どうなのかしらね……」
 闇村さんはゆるりと首を横に振り、それからまた数歩前進する。
 藍子ちゃん、か。……家族が待っている子だって、ここには何人もいるはずなのに。
 残された者の悲しみはよくわかる。愛する人を失った時の、悲しみは――。
「ッ、ていうか……ひどぃ……」
 私が物思いに耽っていても車椅子は勝手に移動して、そして勝手に視界に次の遺体が飛び込んでくる。と同時に、思索は途切れ、思わず両手で顔を覆っていた。泣きたい。本気で泣きたい。
「なんでこんな酷いことするのぉっ!もういや!!」
 半分キレかかりながら不平を漏らし、そっと指の隙間から右側の遺体を見上げる。
 本当に酷い傷だった。まるで何かで深く抉ったような傷が身体に幾つも幾つも。
「榊千理子。この子は……横山瑞希に殺されたんだったわね。」
「え?……横山ってさっきの?」
「―――憎しみと絶望。」
 闇村さんは冷たい表情で、そんな言葉を漏らす。
 ゾクンと、嫌な寒気が駆け抜ける。
「横山は憎しみという感情だけで榊を殺し、そして絶望に突き動かされて自害した。」
「そんな……」
 彼女の現実感のない言葉を無意識に否定しようとする私がいた。
 だけど、二つの遺体を目にして、あながち嘘でもないのかもしれないと納得している部分もあった。
 躊躇いなど微塵も感じられない凄惨なその傷が、横山瑞希の憎悪と絶望を物語っていた。
 何故、人はそこまで追い詰められてしまうのだろう。
 何故、そんな道しか選べなかったのだろう。
「絶望の中での死よりも――……希望を見ながら死んだ方が、まだ少しはましだと思わない?」
 闇村さんは榊千理子の遺体の正面で、私からは向かって左側の少女の遺体に目を向けていた。
 榎本由子。それがこの少女の名前か。長い黒髪が、管の中で静かに漂っていた。
 少女の腹部には、右から左へと抜けたような、二つの穴が空いている。おそらくは横側から腹部を銃弾が貫通したのだろう。……私も下手すればこうなるところだったのだ。
「この子は、希望を?」
「希望と言って良いのかはわからないけれど。恋心を抱いていた相手に未来を託して死んでいった。……美しい感情を抱いて、ね。」
「……そっか。」
 だからだろうか。この少女の表情が、とても安らかなものに見える。
 美しい死だって、死には変わりないけれど……成仏、とでも言うのだろうか。そういう風に逝けることは、確かに少しはましかもしれない。
 こうして遺体に囲まれていると、言いようのない感情がふつふつと湧きあがり、思わず泣きそうになってしまう。この部屋に入る時に思った、ここは残された感情が渦巻く部屋だと。まさしくその通りなんだ。一つ一つの想いが、私に何かを訴えかけてくる。
「加山了一と、吉沢麗美。……加山君の遺体は別の場所に安置しようかとも思ったのだけどね」
「………」
 次の二つの遺体もまた、あまり……――いや、遺体を見ていて辛くないこと自体がまずありえないのだけど、それ以前にというか、右側の男性の死体は今まで以上に見慣れない感じがあった。男性特有の硬そうな肢体、そして切断された腕や、額に空いた穴。
「女は強い、ってことかしら……」
 闇村さんのそんな呟きが、妙にリアルなような、それでいてシュールなような不思議な響きを持っていて、私は首を傾げていた。加害者は神崎美雨、か。どんなに強靭な男性だろうと、あの凶悪な殺人者には敵わぬものなのだろう。
 加山了一の遺体に対し、左側の吉沢麗美の遺体は美しさを感じさせた。幾つもの刺し傷に痛々しさは見えるけれど、彼女自身のプロポーションからなるものか、或いは身体に緩く絡んだ金髪の長い髪によるものか。本当に、綺麗な女性。
「強い罪悪感、或いは恐怖。……この子も孤独な子だった。自分自身のことを病だと蔑んでいたわ」
「……」
 孤独、か。
 その言葉を聞いてふと、今まで通ってきた通路を振り向いた。
 三宅さんがきょとんとしているので、「ちょっとごめん」と彼女に退いてもらう。
 後ろにも何体もの遺体があり、それぞれが孤独という感情を抱いているのかもしれないと、そんなことを思って。この静かな室内に誰かが足を踏み入れることすら稀なのだろう。
「私が覚えててあげる。……伝えてあげる。」
 誰にともなく――強いていえば死者達に向け、そう呟く。
 前に視線を戻す時、ふっと闇村さんと目が合って。彼女は優しく微笑み、私達を促して先へと進んだ。
「不知火琴音、櫪星歌。……この二人は姉妹であり、恋人だったのよ。」
「同じ、殺され方を――」
「そう。美雨にね。」
 右側の女性が不知火琴音。長い前髪が片側の目元を隠しているが、その顔立ちは優美なもの。そして左側が櫪星歌か。あまり似ている感じはないが、どこか芯の通っていそうな顔立ちは、不知火さんとも共通するものなのかもしれない。
 二人の首筋には、ほぼ同じ箇所に切り傷がある。鋭く掻き切ったような傷。
 恋人同士が向かい合い、遺体となっても何かを通じ合わせているような、そんな気がした。
 邪魔をしてはいけないと、今度は私から先を促した。
 なんとなくだけれど、この二人は孤独じゃない、そんな風に思えて。
「……な、に?」
 先に進み、右側の管には人物の形はなかった。
 ただぼんやりと浮かんでいる、あれは、指先、か。
「渋谷紗悠里ね。美雨が遺体を燃やしてしまった、というか……殆ど形が残っていなかったの。」
「……。」
「美雨も仕方がなかったのよ。こうでもしないと彼女の命が危うかった。」
 だからって、と悔しさに苛まれながら、ふっと左側の管に目を向けた時、一瞬言葉を失う。
 思わず立ち上がろうとして、三宅さんに肩を押えられていた。
「涼華ちゃん……!」
「前のプロジェクトから搬送される前まで一緒に行動していたのよね?」
「そうです……誰がこんなこ、……ッ?!」
 額に穴の空いた、おそらく即死であろう遺体を目にし、続いてプレートに目を向けた時、あまりの驚愕にその名前に見入って言葉を失っていた。ありえない、と、小さく首を横に振る。
「鴻上、光子。」
 闇村さんは加害者の欄に書かれたその名を読み上げ、ふっと溜息を漏らす。
 光子?光子、ちゃん?……どうして光子ちゃんが涼華ちゃんを!?
 あんなに仲が良さそうだったのに。
 少尉って、鴻上さんって、そんなふうに互いを呼び合って、笑みを見せて。それなのに、どうして……。
「鴻上さんは悪くないのよ。……どうしようもなかった。」
「ッ……」
 何か事情があったなら、それを聞いてもみたかった。
 だけどそうしなかった。
 鴻上さんは悪くない。……闇村さんのその言葉を信じようと、思って。
「鴻上さんは私の目の前で息絶えた――……人の死って、どういうものなのかしらね。」
 闇村さんは独り言のように言いながら、先へと進む。涼華ちゃんの斜め前の管に、光子ちゃんの遺体があった。彼女の遺体は綺麗で……だけど、何故だか言葉が出なくて、きゅっと唇を噛む。
 今までも多くの遺体を目にしたけれど、やはり実際に関わった人の遺体を見るのは辛い。
 涙が溢れそうになるのを、ぐっと堪えた。
「そしてこっちは朔夜……望月朔夜。水夏が犯した唯一の過ちといった方がピンと来るかしら?」
「あぁ……」
 水夏ちゃんが殺したってのは、この子のことだったんだ。
 しなやかな身体、腹部に空いた小さな穴。たったこれだけの傷でも、致命傷、なのね。
 私は一人一人の人物の性格を把握することなど出来ないけど、この望月朔夜という人物は一体どんな人だったのか。彼女にもまた長い人生があって、そこで築かれた過去があって。二十年ぐらい、だろうか。築かれてきたその重みが突然途切れるというこは、やはり悲しいことに他ならない。
「でも朔夜は、幸せだったかもしれない。」
 闇村さんはぽつりとそれだけ言って、先に進んでいく。
 彼女の言葉がどんな意味を含んでいるのかはわからないけれど、その言葉一つでも、ふっと安堵に似た感情を抱く私がいた。
「矢沢深雪、彼女が一番綺麗ね。……唯一、禁止エリアによって死亡した参加者よ。」
「禁止、エリア?」
 更に進んだ先、右側に向かうその人には面識があった。
 この人、螢子ちゃんと一緒にいた人だ。 
 よく覚えている。まだ前のプロジェクトの山奥でのことだ。
 螢子ちゃんは何故人を殺したり出来るのかと、そう言った。――まだ純粋だった頃の螢子ちゃん。
 あの頃は螢子ちゃんが正義で、そして矢沢さんはいわば悪に近い存在だった。彼女は彼女なりに思うところもあったようだけど、螢子ちゃんの味方となった私達は、やはり螢子ちゃんを贔屓した。
 だけど実際は――……悪は螢子ちゃんの方だった。
「矢沢深雪は禁止エリアによって死亡とあるけれど、実際は螢子に殺されたようなものなのよ。」
「……」
 闇村さんの言葉にも驚かない。内心で、「やっぱり」と思っていた。
 螢子ちゃんがあんなにも残酷になったのはいつからなのだろう……。
 おそらくは、ずっと前。悠祈藍子という女性を殺した頃から、既にその予兆はあったはずだ。
「彼女は犠牲者ね……。ある意味、この子も」
 闇村さんは矢沢さんから、対面する管の少女へと目を映す。
 随分幼い少女。今まで見た中でも、一番あどけない感じがする。まだ成長途中の身体も、幼い顔立ちも可愛らしい――のに、その少女の左右のこめかみに、銃弾が貫通した後がある。
 もうこの少女が、これ以上成長することが出来ないと象徴する証のようだった。
「神楽由伊。……八王子智に運命を翻弄された少女、かしら。」
「八王子、か。」
 そっか、この子が八王子が愛した子だったんだ。
 あどけないその姿が、八王子と妙にギャップがあって。だけど逆にお似合いなのかもしれないと、そんなことを思って。――ただ一つだけ悲しいのは、少女のプレートに書かれた加害者の名が八王子のものであるということか。
「木滝さんは八王子さんと交流があったのね?」
「……ちょっとだけ、ね。悪いやつじゃないと思ってたのに」
「それじゃあ良いことを教えてあげる。」
 闇村さんはふっと笑むと、少女の遺体を見つめながら、こう続けた。
「八王子さんは、美雨に殺されかけていた神楽さんの元へ赴いた。その時美雨が八王子さんに投げ掛けた二つの選択肢。一つは、八王子さんを殺さない代わりに神楽さんを殺すというもの。そしてもう一つは、八王子さんが神楽さんを殺して良い、けれど八王子さんの命も奪うというもの。」
「……それって?」
「美雨も酷いことをするわよね。……八王子さんは後者を選んだ」
「……」
 少し考えた後で、はっと顔を上げる。
 そんな選択肢。普通に考えたら矛盾しているに決まっている。
 自分の命を優先するなら前者を選んで当然なのに――!
「八王子は、……自分の命を捨てて、最愛の人を殺した?」
「そうなるわね。」
「バッカ……意味わかんないわよ、それ……」
 悪態は八王子に向けたものだ。もう八王子に聞かせることは出来ないけれど、あの子らしい判断だなと苦笑が漏れた。――ホント、バカなんだから……。
「じゃあ八王子の遺体は?」
「この先ね。……だけど」
 闇村さんはふっと弱く笑み、左側の管を示して見せた。
「え……?」
 ゆっくりと動く車椅子が、管に近づいて。
 その時私はようやく、中の人物に、気、付いた。
「……!!」
「真紋さッ」
 三宅さんが慌てて制止しようとした、けれど、私はそんなのに構っていられなかった。
 ガクンッと床に膝をついた時、響くような痛みに眉を顰めたけれど
 そんなことすらもどうでもいい。
「真苗!……ッ、真、苗……!」
 透明の管に、その綺麗な裸体を晒し、目を瞑っている姿。
 見紛うこともない、私が心底愛した人の、――亡き骸。
 肩口と、左耳と。銃による二つの傷は酷いものだったけれど、あの時のように血塗れではなく、その二つの傷以外は本当に綺麗だった。懐かしい、目に馴染んだ真苗の白い肌。
 管のガラスに手を当てて、じっとその姿に見惚れていた。
 あまりに綺麗で、あまりに愛しくて、このままずっと真苗を見つめていたかった。
 じわりと涙で視界が曇るので、慌てて目元を拭う。曇らせてしまうなんて勿体なくて。
「……綺麗ね。」
 私の後ろに立つ闇村さんがぽつりと零す。
 見上げれば、彼女は優しく微笑んで、真苗の姿を見つめていた。
 私は一つ頷き、また真苗をじっと見つめ、その姿を目に焼き付ける。
「真苗……、真苗……?」
 呼びかけても応えてくれないことはわかっているのに。
 あんまり綺麗な顔で目ぇ瞑ってるから、何度か呼びかけたら目を覚ましてくれそうな気がした。
 そんなわけないのに、って、少しだけ自分に笑って。
 同時に胸が締め付けられる悲しさに襲われ、涙が止め処なく溢れて来る。
「……あぁ……私、この子のこと、心底愛してる……」
 確信してから、私は笑んだ。
 真苗を失ったときのように、彼女の後を追いたいだとか、そんなことは微塵も思わない。
 ただ、愛している、その事実を実感して、嬉しかった。
 真苗は見守ってくれてる。もう声は聞こえないけど、きっと真苗は私に話し掛けてくれている。
 『まぁや。がんばれ。私はずぅっと応援してるよ』……ってね。
 私の想像に過ぎないのに、その言葉がすごくリアルで、本当に真苗にそう言われたみたいで。
「ありがと。……真苗の応援じゃ、ちょっと頼りないけど、ね?」
 そんな風に言葉を返して、少し笑った。
 今言ったの、本当は嘘。真苗の応援が何よりも力になる。
 真苗から貰ったもの、ずっとずっと忘れない。……真苗が愛してくれた、その気持ち、忘れない。
 真苗の安らかな表情に励まされ、私は精一杯頑張って生きて行こうと、そう心に決意した。





「……」
 木滝さんは真苗さんの遺体の前で、涙しながらも幸せそうな笑みを浮かべていた。
 だから私―――闇村真里―――は野暮なことはよそうと、彼女には声を掛けずに残る遺体に向かった。
 真苗さんの正面の管には、八王子智。
 先ほど木滝さんとも話したけれど、愛する人を殺すために死を選んだ、そんな少女。
 残酷な少女だった、それなのに。誰かの為に自分の命を捨てるようなことをするなんてね。
 愛の力、というものは、やはり人間を変えていくのだろうか。
 それから奥に進むと、右に水鳥鏡子、そして左には真昼。今日の夕刻に息絶えたばかりの二人。
「……真昼は、この子を選んだのね。」
 真昼の最後の感情グラフには、思わず苦笑してしまった。数値化されたデータで彼女の細かな感情を汲み取ることは出来なかったかもしれないけれど、真昼は少なくとも、死ぬ間際に私のことを考えていなかった。私は真昼のことだって大切にしていたつもりだったのに。……私では、真昼を幸せには出来なかった。
 奥には螢子と、そして美咲の遺体。思わず美咲に目を向けてしまうのは、管理者としては贔屓しすぎなのだろうか。真昼と美咲の死は、……ショックではなかったと言えば、嘘になる。
 彼女達は本当の愛を見つけた。だから、私から離れていった。
 結局水夏もそうだったのね。皆、私では満足しきれなかった。
 ――天才、か。
 少し前までは、自分自身の実力を信じて疑わなかった。ペット達だって私に尽くしてくれたし、全ては順風満帆だった。ただ、美雨のことを除いては。
 だけど今はどうだろう。可愛いペット達は次々と私の元を離れ、今残っているのは涼子だけ。葵だって美雨と私で揺れてはいるけれど――あの子が私の元に戻ってくることは、ないのではないかと。そんな気がして。
 私を恐れ、私を慕い、そして私に跪く。
 人々は私を一体何だと思っているの?――私だって人間、なのに。
「螢子……」
 自らを女神だと、そう言った少女を前に、ぽつりと名を呼んで。
 いっそこの子のように、自分が崇高な存在だと思い込むことが出来れば、楽なのかもしれない。
 それが過信でも勘違いでも良い。きっと周りだって同じ過信をし、同じ勘違いをする。
 ――…だけど私は知りすぎている。自分の実力と、その脆さ。
「闇村様……?」
 不意に名を呼ばれて振り向いた。木滝さんを乗せた車椅子を押し、私の方へとやってくる涼子に、「なぁに?」と、何事もなかったように少しだけ笑みを向けて。
 木滝さんは涙を拭いながら、ぼんやりと左右を見渡していた。
 涼子は口篭った後、小さく首を横に振る。
「……いえ。……そろそろ戻られますか?」
「そうね。木滝さんも早く休まないとね」
 二人に歩み寄り、「大丈夫?」と木滝さんの顔を覗き込む。彼女は顔を上げると柔らかな笑みを浮かべて、
「平気平気。……真苗にもちゃんとお別れ言ったしね」
 と、いつもと同じきっぱりとした口調で言った。愛する人と死別して、それでも強く生きて行こうとする木滝さんの姿は、とても美しい。――この女性、今は私よりも、強いのかもしれない。
「そう。……それじゃあ行きましょうか。」
 私は笑みを向け、二人を促してから一足先に歩き出した。
 いつものように、上手く笑えていないような気がして、二人と顔を合わせていたくなかった。
 こんなに弱い私が顔を出すなんてね。――死者達の視線に見透かされているみたいで。
 早足に遺体保管室を後にし、眩しい廊下の照明に目を細めて。
 それから木滝さんを部屋に送り届けた後、私は涼子を連れて自室へ戻った。
 一人でいたかったというのもあったけれど、それ以上に、人肌を求めていた。
「……闇村様…」
 涼子は何かを察しているように、言葉少なに弱い笑みを見せる。
 彼女は大人だ。実際、私よりも年上というのもあるけれど、何故だろう、涼子のそばにいると私が何かを与えられているような気がして、少しだけ自分自身が情けなくて。
 何も言えずに、涼子の身体を抱き寄せた。
 怖かった。本当は、どうしようもなく怖かったのに。
 私はそんな顔なんか出来なくて、いつものように微笑んだ。
「――…涼子、……」
「はい……?」
「貴女もいつかは、私から離れていく日が来るわ」
「そ、そんなこと!」
 涼子は否定しようとしたけれど、私はその唇をキスで塞ぎ、否定を更に拒んでいた。
「真昼や美咲を見たでしょう?――彼女達のように、本当に愛する人を見つけたら、私のことは構わずに行きなさい。私は止めない。」
「……はい。」
 涼子にとっては、私の言葉は命令だった。だから仕方なく頷いた。
 それでいい。涼子はこの命令を覚えているだろう。
 だからいつか――私から離れていくだろう。
 その日が来ることが少しだけ怖くて、私は強く、涼子を求め続けた。
 愛しているわけではないのに。
 ただ、この温もりを失いたくはないと、そんな我が侭な想いに突き動かされて――。





「……ねぇ美雨さん。参加者、三人になっちゃいましたよ。」
 以前よりもちょこっとだけ扱いの慣れたパソコンをカチカチとやりながら、あたし―――佐久間葵―――は恐る恐る、美雨さんに話し掛けた。美雨さんは零時になってメールが届いてからすぐにこのパソコン見てたから知っているはずだけど、彼女は何も言わなくて。なんだか不安になって居ても立ってもいられずに、話題を振っていた。
「そうね。……夕場律子には伝言があるのだけど、まだ会えていない」
「……で、伝言?」
 あたしが望んでいる方向とはちょっと逸れた返答に、きょとんとしつつ問い返す。
 本当に聞きたかったのは、これからあたしをどうするか、ってやつだったのに。
 あーでも、その夕場律子って人を殺せば、残るはあたしと美雨さんだけだしー。
 ……そうなったら、当然殺す、よね。
「榎本由子という少女を……前に、殺したの。その時に言付かった伝言。」
「へぇ……どんな内容だったんです?」
「律子さんにごめんなさい――……と。」
「……別に伝えなくていいんじゃないです?」
 案外律儀なんだなぁと意外に思いつつそう言うと、美雨さんはゆるりと首を傾げて見せた。
 嗚呼、関係ないけど、お風呂上りの濡れた髪と身体に巻いたバスタオルがめっちゃセクシーだったりする。
「言付かった以上は、伝えるのは義務でしょう。」
「そ、そうですかね……うぅん、そうかもですけど」
 さも当然とばかりに告げられた言葉に、そうなのかなぁ?と思いつつもとりあえず頷いた。
 美雨さんって変なところで真面目というかなんというか。
「……あぁ、えーと、その律子さんって人に会ったら、その人も殺します?」
「ええ、もちろん。」
 そして、真面目なくせに残酷で。――ぶっちゃけ、変な人。
 あたしはパソコンの電源を落とすと、パジャマ代わりのTシャツをパタパタさせつつベッドに腰を下ろした美雨さんのそばに歩み寄り、隣にどさりと座り込んだ。もうこのベッドにも身体が慣れている感じ。禁止エリアが解除になってから戻って来た美雨さんのお部屋、やっぱり居心地は良かったりする。このまま永住したい勢いだ。
「そう言えば――……」
 美雨さんはふと何か思い出したように、ぽつりと切り出した。
 ゆるりとあたしを見遣り、幾度か瞬いて。
「葵のこと、殺してなかったわね」
「はぇ!!?」
 そ、それはふと思い出すような内容ではないような気が――!!
「そろそろ、死ぬ?」
「え?……ちょ、ちょちょ、ちょ、ちょっと待って下さッ!うぁぁっ」
 めっちゃ混乱してしどろもどろの言葉を返すあたしにも、美雨さんは無表情で。
 どさっとあたしをベッドに押し倒すと、そのままあたしに覆い被さり、あたしの首に両手を掛けた。
 って、――本気!!?
「……葵は、私のこと、好き?」
「…は、ぇ……?」
「愛している?」
 美雨さんは相変わらずに冷たい顔をしているのに、その顔に似合わない問いを投げ掛ける。
 あたしは目の前の美雨さんを見つめた後、ふっと息を漏らしていた。
「……愛してます。」
「本当に?」
「ホントに。」
 こくこくと頷き返せば、美雨さんは「そう」と小さく相槌を打ち、首に掛けていた手を解いた。
 そしてそのまま顔を下ろし、ふっと軽く触れるようなキスを落とす。
 ヤバ。不意打ちにちょっと、ゾクッて来た。
「葵の愛してるは……“美雨さんも愛してる”になるんでしょう?」
「……え?あ、そ、それは……」
「頑固ね。」
 ぽつんと零すように言った後で、美雨さんは更に深いキスをくれた。
 何度も何度も交わしたディープキス。彼女の唇があたしの唇に軽く吸い付いては、ちゅ、と音を立てて離れ、やがて唇同士を合わせて深く互いを犯していく。
 あーんもう、こんなキスされたら美雨さんオンリーラブになっちゃうよぉっ。
 本当に毎日毎日、美雨さんに満たされて、あたしはどんどんこの女性に惹かれていた。
 闇村さんのことだって愛してる。――なのに、段々薄れていく。それが少し怖くもあった。
 だけど。いっそ美雨さんだけ本気で愛せたら、どんなに良いだろうと思うことも時折あった。
 今はまだ美雨さんだけって言えない自分が、ちょっと悔しかったりもして。
 あぁごめんなさい闇村さん。浮気なあたしを許して下さい。……いつかは貴女を忘れてしまうかもしれないあたしを、許して、下さいッ――!!
「――……葵には色んなことを話してしまったわね」
「ふ、ぇ……?」
 あたしの首筋にキスを落としていた美雨さんは、ふと顔を上げてそんなことを言った。
 突然の言葉にきょとんとしていると、美雨さんは言葉を続けつつ、手も休めずにあたしの服を脱がしていく。
「私も、闇村真里とのことを誰かに話したのは初めてだった。……だから、少し戸惑ってる」
「……あたしが、初めて、なんですか?」
「そうよ。……自分でも驚いているの。自分自身のこと、そして闇村真里とのことを人に話してしまうなんて。……何故かしらね。自分の中だけでは処理できないからなのかもしれない」
「あ、あたし!聞くだけなら幾らでも聞きますから!」
 ほんのちょっぴりでも、美雨さんの力になれてるんだと思うと、なんだか妙に嬉しくて。
 そんな風に意気込んだら、美雨さんは応えるように、頬にちゅって、キスをくれた。
「じゃあ葵には話すことにする。何か聞きたいことがあったら遠慮しないで。」
 美雨さんはあたしのTシャツを脱がしきり、そしてショーツをするすると下ろしつつ言った。
 その言葉に、思わず食いつこうとして、慌てて止めた。
 ……どうしよう。
 聞きたい。聞きたいけど、聞いて良いことなのかわからない。
 でも、聞きたいッ。
「……あ、あたし……」
 美雨さん、怒る、かな?
 でも美雨さんって何気に律儀だから、自分でああ言った以上は話してくれるかもしれない。
 ……。
 覚悟を決めて、あたしは問い掛けた。
「聞いてみたい、です。……闇村さんと別れた理由。」
 そう口にした途端、ふっと美雨さんの手が止まる。
 あ、やっぱヤバ……い?
「――起承転結の、結が欠けるわ。」
「へ?」
「……私にもよくわからないから。それでも良いなら話してあげる。」
 美雨さんは思ったよりも冷静な口調だった。
 すぐにあたしの太腿を撫ぜていた手を動かし、愛撫を続けつつ話し始める。
 っていうか、エッチしながら話す、です?ちょっと真剣に聞けない、かも?
「み、美雨さんのわかる範囲で……」
 それでも、ずっと気になっていたことが聞けるチャンスなので、あたしは構わずに促した。
 うぅ、美雨さんの指先に集中したいのもあるんだけど。
「……闇村先輩が、高校三年生。彼女達の卒業式が行われた、その日の夜のこと。」
 美雨さんは淡々とした口調で、話を始めた。と同時に、その指先が太腿を上がってきて、うわ、ヤバッ…
 えっと、闇村さんが高校三年生ってことは、二人が知り合ってから丁度二年ぐらいの頃――って、うあぁん。
 これはある種の拷問なんじゃないかと思いながら、ぎゅっとシーツを握って美雨さんの言葉に耳を傾ける。
「――私と闇村先輩は、主に学校で会っていた。だから彼女が卒業してしまえば、私達は会う機会を失うことになる。自発的なデートをして会うことは可能だったけれど、やはり会う回数は減るわね。」
「で、ですねぇ……学校卒業した後って結構破局する場合、多……ふゃッ……!」
「だから彼女も――おそらく私も。その夜は特別な想いを抱いていたのだと思う。今まで以上に強く、互いを求めたの。……あれは闇村先輩の自室でのことだった」
「はい、一体どんなこと、が、って、あぁッ、そこダメ……ホントだめですってばぁ」
 や、ヤバい。
 美雨さんの話に集中できない。
 すっごい気になるのに。
 なんでエッチしながらお話するんですかぁー!
 ……て言えたら楽なのに。
「私達は身体を重ねて――……」
 あぁんもう、身体なら今重ねてる、のに……
 身体とろけそぉ……
 美雨さんの言葉が、言葉として頭に入ってこにゃい……
「――…としたの。……それで、別れたのよ。」
 ………。
 ………。
 ……あれ?
「ちょ、あ、あれ?え?…ふあっ、ちょ、ちょっと待っ、そこは……」
「よくわからないでしょう?」
 美雨さんの問いに、あたしはぶんぶんと首を縦に振った。
 いや、本当にわかんない。
 ていうか、一番大事な場所を聞き逃した……!!?
「……葵にもわからないのね。」
 美雨さんはどこか落胆したような声を漏らした後、「話はおしまい」と言って、唇を塞ぐ。
 わから、ない、っていうか……聞いてませんでした……なんて……
 言えるわけないッッ!!無理!!
 絶対怒られる、ていうか殺される!マジで!
「ん、んぅ……」
 これで美雨さんの指と舌に集中出来るのは嬉しい……嬉しい、のに……
 気になるじゃん……。
 その後、あたしは無事、“いかされた”ものの。
 ……なんとなく腑に落ちなくて、しょんぼりしてしまうのでした。
 あーあ、何があったんだろうなぁ。
 闇村さんと美雨さんの恋愛話。
 ―――超、気になるのに。

 美雨さんとのエッチは、毎日毎日、ヤバいぐらいあたしを快楽の底に導いた。
 やがて二人とも疲れた頃、ベッドに横になり、そのまま眠りにつく。
 だけど今夜だけは、あたしは何故か眠れずにぼんやりと天井を見つめていた。
 ちらりと、隣で眠る美雨さんに目を向けて。
 今なら彼女を殺すことが出来るのだろうかと――考えたけど、すぐに止めた。
 きっと殺せない。第一、今のあたしに美雨さんを失うなんてことできない。
 美雨さん中毒って感じで、もうこのままずっと、美雨さんとイチャイチャしながら過ごせたらどんなに楽しいだろうって考えたりしちゃう。
 だけどいつか、この快楽の日々に終わりがやってくるんだろう。
 それが怖くて、不安になる。
 美雨さんから与えられる快楽を失ったら――今度は、闇村さんから与えられる快楽を求める、のかな。
 そうやって快楽に依存している日々は、いつまで続くんだろう。
 きっと、死ぬまで。
 あぁいっそ、快楽の中で美雨さんに殺してもらった方が楽なのかもしれないなぁ。
 あたしが何よりも怖いのは―――この快楽を失うことだもの。








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