BATTLE ROYALE 30時は遡る。 彼方、遠い過去の記憶。 けれど、その記憶がだけが常に、私―――神崎美雨―――の記憶の中で、 常に中心的存在にあるように思えるのは何故か。 忘れたくても忘れられない、あの人と過ごした日々。 「先輩、一人暮らしだったんですか……」 私が闇村先輩の自宅を初めて訪れたのは、年の瀬も迫る十二月のこと。 入学式の日に出会い、半年以上が経った頃、私は初めて彼女が一人暮らしだということを知った。 高校二年生で家族と別離している人はそうはいない。まだ精神的にも経済的にも自立できている年齢とは言い難いからだ。しかし闇村先輩とあれば話は別だろう。こんな風に思ってはおかしいかもしれないけれど、彼女に関しては先天的に自活能力が備わっていそうな気すらする。 「うちの両親、忙しい人なのよ。自宅に戻ったって誰もいないんだから、一人暮らしも大差ないでしょ?」 先輩は都内でも有数の高級地にあるマンションへと私を案内し、部屋の扉を開く。 「さぁどうぞ。ゆっくりしていってね。」 そうして先に部屋へ足を踏み入れ、靴を脱いで部屋の奥へと進んでいく。 「お邪魔します。」 私も先輩の後を追い、彼女の自宅へと足を踏み入れた。 高校生が一人で住むには些か広すぎるようにも思える。2LDKほどはあるのだろうか。 先輩は真っ直ぐにリビングへと向かうと、くるりと私の方に振り向いて、どこか嬉しそうな笑みをたたえて私を手招いた。 何事かと、少し足を速めて彼女の元へと向かう。 不意に、パァン、と高い音が室内に鳴り響いた。 「お誕生日おめでとう、美雨。」 「……あ、…ありがとうございます。」 彼女の手には、いつの間にかクラッカーが。 私に向けられ放たれたそれは、少しの煙りと色とりどりのテープを残して空になる。 「あら、あんまりビックリしてくれないのね。」 「………」 残念そうに首を傾げて見せる先輩に、どんな反応を返せば良いのかわからなかった。 とりあえず、頭や制服に引っかかったクラッカーのテープを手で払う。 「ま、いいわ。お次はこちら。」 先輩は有無を言わさずに私の手を引いて、今度はダイニングルームへと向かった。 白で統一された室内に物は少なく、シンプルな景色。その中で一つだけ、目を引くもの。 それはテーブルの真ん中に置かれた、綺麗なケーキ。 「美雨のために愛を込めて作ったのよ。喜んでもらえると嬉しいわ」 先輩は両手を胸元で組み、柔らかな笑みを私に向けた。眼鏡の奥、細められた瞳が優しい。 天才、であるのに。彼女は一般人とは逸した存在なのに。 それなのに、彼女の仕草や表情、言葉。どれを取っても、そこに『特別』な感じはしなかった。 好きな人のためにケーキを作る、だなんて、天才がすることではないような気がしていた。 「………」 勧められるままにダイニングの椅子に腰を下ろし、目の前にあるケーキを見つめる。 なんだろう、この感覚。この感情。 不思議な、不可解な、混濁した感情。 ケーキを前にして固まっていた私の肩に、ふわりと、闇村先輩の手が置かれた。 「美雨……難しく考えることはないわ。私は貴女が好きだから、貴女に喜んでもらいたくてケーキを焼いた。それだけのお話よ。」 先輩を見上げると、彼女はまた柔らかな微笑を私に向けた。 先輩がキッチンへ向かう、その間、彼女の言葉を反芻する。 彼女の言っていることは、簡単なこと? あぁ、なんだろう、胸の奥がふっと温度を上げるような、この不思議な感覚は。 「先輩……」 「……なぁに?」 私の呼びかけに応えるようにキッチンから出てきた先輩は、湯気の上がるマグカップを私の前に差し出した。そして彼女は私の斜め向かいの席へ腰を下ろし、楽しげな表情で私を見る。 「……嬉しい、です。」 おそらく。と胸の中で付け加えながら私は言った。これは、多分、その感情だと思う。 あまり経験したことがなくて、わからないけれど。 落ち着くような、それでいて高ぶるようなこの感情を、喜びというのではないか。 「そう。……私も嬉しい。」 先輩は柔らかく笑みを深め、暫しの時間私を見つめていた。 彼女と視線を合わせることが、何故だか出来なくて。彼女の瞳を見ていると、体温が上がってしまうような気がして。今はまだ、何もしていないのに。彼女と二人で過ごしているだけなのに、どうして私は、こんなにも熱くなってしまうのだろう。 そんな私を弄ぶように、感じる視線はずっと続いていて。 耐え切れずに顔を上げれば、彼女はクスッと笑みを零した。 「ケーキ、食べましょう?これは初めて作ったから、上手く出来ているかわからないけれど。愛だけは篭ってるんだから。不味くても美味しいって言って……ね?」 冗談めかした口調で言いながら、ケーキを切り分け、お皿に乗せて私の方へと差し出してくれた。 白い生クリームに覆われた外側とは反して、内側は黒いチョコレート。表面に乗ったダークチェリーの黒とも相俟って、白黒のコントラストが鮮やかに見える。先輩は補足するように、「これはフォレ・ノワールっていうケーキなの」と付け加えた。 「いただきます。」 フォークを手にしてケーキを掬う。口に含むと、ふわりととけるような食感と共に、どこかビターな甘みが広がった。食べることには執着がなく、こんなにも「美味しい」と思わされることも滅多になかった。これもまた天才の成せる技なのかと、先輩の姿へ目を向けていた。 「……おいし?」 先輩はテーブルに両手で頬杖を付いて、にこにこと嬉しそうに私の姿を見つめている。 口の中のケーキを飲み込んだ後、私はこくんと頷いた。 「美味しいです。……すごく。」 「ふふ。お世辞でも嬉しいわね。」 「お世辞……じゃ、ないです。」 「……本当?」 先輩は更に笑みを深め、私の姿をじっと見つめる。 どうしてそんなに笑ってくれるのかも、どうしてそんなに私を見つめるのかもよくわからないけれど、 先輩が微笑んでくれると、私も、「嬉しい」の気持ちが起こるような気がする。 この感情がまだ上手く理解できなくて、押し黙ってしまう。ただ、黙々とケーキを口にした。 甘くて柔らかくて、だけどどこかビターで、大人の香りがする。まるで彼女のようなケーキだと思う。 フォレ・ノワール。黒い森のスイーツ。 「はい、美雨。」 不意に、嬉しそうな声で名を呼ばれ、顔を上げた。 すると目の前には、フォークで掬ったケーキが私に向けて差し出されていた。 これは…… 「あーん♪」 ………。 先輩はフォークに乗ったそのケーキを私に食べさせたいのだろう。何故そのようなことを。各々、既に自分のケーキとフォークがあるわけで、わざわざ相手のケーキを貰う必要など少しもない。 「たまには付き合ってくれてもいいでしょ?こういうのって恋人っぽくて可愛いじゃない。」 先輩はそう言って、また「あーん、して」と嬉しそうに私を促す。 「………」 どう反応して良いのか、本当にわからなかった。 その、先輩がしてほしいこと。出来ないのは、羞恥心の所為、だろうか。 私が躊躇っている間にも、ケーキを乗せたフォークは近づく。 先輩は薄い笑みを浮かべ、私の反応を楽しんでいるようにも見えた。 身を引こうとしたけれど、それも侭ならず。角の立ったクリームが私の下唇に付着する。 「美雨……」 先輩は真っ直ぐに、意味深に細められた目で私を見つめる。 くすぐったいような、恥ずかしいような。不思議と動悸が早くなる。 口許にまで当てられたケーキ、もう逃れる術はないような気がして、そっと口に含んだ。 ものすごく体温が上がってしまうのは何故なのだろう。恥ずか、しい……。 「ふふ……可愛い。」 先輩は満足げにフォークを引くと、フォークに僅かに残ったクリームを舌先で舐め取った。 彼女の一挙一動に、こうも惑わされてしまうなんて。春に彼女と出会う時まで、一度も考えたことのなかった感情の数々。怖いくらいに膨れ上がって行く。 私は彼女に恋をしている。それだけは、確信すらあった。 「ねぇ美雨。……私って欲張りかしらね。」 「……?」 カタン、と音を立てて、先輩は席を立つ。 私のそばまで来ると、両方の肩に手を置いて言葉を続けた。 「美雨と一緒に居ると、どうしようもなく貴女が欲しくなるの。」 そう告げられた時、ドクン、と心臓が一つ波打った気がした。 彼女の言葉で、彼女が何を求めているのか、すぐに察しが付く。 「でも今日は貴女の誕生日だし……私が欲しいものばかり求めてはいけないわよね。」 先輩はそう言いながら、指先でそっと私のケーキのクリームを掬い上げた。 白いクリームのついた指先が、私の唇へと触れる。 舌で舐め取ると、甘い味が広がった。今までと同じ物であるはずなのに、彼女の指先から直に渡されたそれは、くらくらするような洋酒の香りを強く含んでいるように感じられた。 まだ唇にクリームがついている、その感触を気にしながら、先輩の姿を見上げる。 彼女は覗き込むように顔を寄せ、「嫌ならいいの」と、べたつく指で私の頬を撫ぜた。 ―――確信犯。 私が彼女に傾いていることに気付いている。私もまた、彼女を欲しているのだと。 だから先輩は、楽しげな微笑をたたえて答えを待っている。 「………先輩」 彼女の手首に触れ、そっと握った。 目と目が合う。彼女の瞳に見つめられると、何も言えなくなるのは何故か。 言葉を失う私へ、先輩は優しい微笑だけを与えていた。 「私は、」 言葉が侭ならない。声が上擦って、一旦口を閉ざす。 私の言葉をただ待ち続ける先輩は、すごく意地悪なように思えて、けれど私に他の選択肢はなくて。 彼女を求める言葉、とは、どのようなものだろう。 「……私は、貴女のことが、……好きです。」 「それだけ?」 突き返すような言葉。 それだけ、ではないのかもしれない。 けれど私は、この感情を言葉にする術を持っていなかった。 「私は美雨のこと、愛しているのに。」 拗ねたような口調で呟いた後、「もういいわ」と諦めるように彼女は言った。 そして、すっと顔を近づけ、舌を伸ばす。 私の下唇についたクリームを舐め取る、その行為に、ぞくっと身体が震えた。 これから更に与えられる行為に期待していた。 しかし、 「一方的に愛してるなんて、なんだか興ざめよね。……美雨は私のことを求めてくれないのにね。こんな恋人同士で良いと思う?」 彼女は翻すように身を離し、どこか冷たい口調で私に言い放つ。 背を向け、すとんと彼女が肩を落とす姿が見えた。 どうしてだろう。私の「好き」では、彼女は満足できないのだろうか。 愛してる?愛してる、って、何? 「――……もう別れましょうか。」 ぽつりと彼女が零した言葉。 私は思わずガタンと音を立て、椅子から立ち上がっていた。 そんな。 ここまで私を狂わせておいて、突然突き放すなんて。 そんなの、……耐えられない。 「待って下さい。先輩、私は……」 「……」 背中を向ける彼女は何も語ってくれなかった。 ただ、引き止めないと遠くへ行ってしまいそうな、そんな―――恐怖。 「私は先輩のこと……」 どうして彼女は、あんなにも冷たいことを言うのだろうか。 愛してくれている。それなのに。 私が彼女を愛していないから? ―――違う。 愛の定義なんて私にはわからない、けれど 私だって、彼女のことを求めている。こんなにも。 「……先輩のことを、愛して、います」 告げた言葉に自信などなかった。 愛とは何か。それが私には理解できない。 けれど、彼女を繋ぎとめる方法は、こう告げることしかないような気がして。 先輩は背中を向けたまま何も言わず。 その、ほんの少しの時間が果てしなく長いもののように感じられた。 「……美雨」 「はい。」 「その言葉。もう二度と撤回させないわ。……いいわね?」 「……はい。」 先輩の口調は冷たい。有無を言わせぬ重みがある。 やがて先輩はゆるりと振り向くと、私のそばへ歩み寄り、私の肩に両手を置いた。 ぎゅっと加えられる力、そして私を縛り付けるような真っ直ぐな視線。 「貴女は私のもの。もう永遠に離してあげない。美雨はもう、私しか愛せない。」 「……」 「大丈夫よ。私が貴女を幸せにしてあげる。」 「……はい」 それは、恋人同士の愛の囁きなのだろうか。 彼女の言葉は、嬉しい、と思えるものだった。 けれどどこか。ほんの少し、奥底で恐怖が芽生えていた。 ―――彼女は私を抱いた後、もう一度同じ言葉を繰り返す。 「貴女の全ては私のものよ。」 触れられること、名前を呼ばれること、抱きしめられること、 その行為、一つ一つで。私は先輩のことが好きなのだと思わされた。 それが不意に、怖かった。 心が、支配されていくようで。 「あら。螢子じゃない。」 ………あ? とっつぜんに後ろから掛けられた声。私―――茂木螢子―――にとって、それは不意打ち以外のなにものでもなく、驚くを通り越して、固まっていた。 現在位置は三階の廊下。お手洗いで用を足して、再びターゲットを探すべく廊下を歩いていたところ。 人間には、やっぱり気配というものがある。その気配が消せる超人的な人物もこの建物には何人かいるかもしれない。けれど、その超人的な参加者と仲良くなった記憶などなかった。 だというのに、掛けられた言葉はまるで街角で偶然出くわした友達のように軽いもので。 拍子抜けして振り向けば、そこには、にっこりと笑みを浮かべた人物――闇村真里の姿があった。 「ッ?!……な、何か用ですか?」 問いかけながら、条件反射のように銃を構えていた。 すると彼女はふっと、無造作に手を上げた。――私に向けられたのは拳銃。 「別に用事はないんだけど、偶然見かけたからね。元気してるかしらと思って。」 やはり彼女の口調は世間話風。手にした拳銃と口調とが、全くマッチしていない。 「元気ですけど、というか、銃下ろしませんか?」 「あら、元気ならいいのよ。……これ?」 彼女はちらりと手元の拳銃に目を向けると、再びにっこりと笑みを浮かべ 「だって、螢子も銃構えてるじゃない。正当防衛よ。」 と、さも当然のような口調で言ってのける。確かにそれは一理あるかもしれないけれど。 相手は拳銃でこちらは散弾銃。向かい合うにしては些か分が悪すぎるのではないか。彼女はそんなことを全く感じさせず、どこまでも悠長な口調だった。 「……そもそも管理人さんがこんなところで何してるんです?」 「何かしらねぇ。」 「………」 声を掛けた理由。本当にないんだろう。 偶然見かけたから、という言葉は事実なのだろう。 「用がないなら、……失礼してもいいです?」 私はこんなところで油を売っている暇はない。私が会いたいのは管理人ではなく参加者だ。 それに、あの女はどうも……苦手というか。ヤバい人、だと思う。 「そんな寂しいこと言わないでよぅ。近況報告ぐらいしてくれたっていいじゃない。」 甘えるような口調で言われ、私は言葉を失った。 管理人、こんなんで良いのだろうか。そんな疑問が浮かんだりもするが、実際に彼女が管理人なのだからそれはどうしようもないことだ。 少しだけ逃げ出したい気持ちもある。しかし、彼女の抗うことは出来ないような気もする。だから苦手。 「近況報告……。そうですね、ええと、昨日、神崎さんとお会いしました。」 「……美雨と?」 私の報告に、闇村さんは興味深そうな表情で問い返す。こくん、一つ頷き返し、私は言葉を続けた。早口になってしまうのは、できるだけ早く彼女の前から立ち去りたいからだろう。 「殺そうと思ったんですけどね、逃げられちゃいました。さすがは天才犯罪者さんですね。引き際をわかっているというか。……主な出来事はそのぐらいです。」 「そうなの……。貴女も成長したわね。あの美雨を殺そうとするなんて。」 「そう言ってもらえると嬉しいです。でも仕留められなかったのがちょっと残念でした。」 「次は頑張ってね。」 よし。会話終了な雰囲気。 彼女の微笑みに笑みを返し、「それじゃあ」と切り出そうとした。 しかし、その言葉がふっと消えたのは、闇村さんが口許に人差し指を当て、「静かに」と示したからだ。 一瞬何事かわからなかった。 けれど、その場で耳を澄ましていると、どこからか聞こえてきた人の声音。 そうか。この気配に気付いて彼女は――― ……とすればやはり、さすが、としか言い様がない。 私よりずっと先に、誰かが近づいている気配に気付いていたなんて。 「………」 聞こえてくる声は、私の進行方向からだ。闇村さんに背を向けて、廊下の向こうを見据える。 曲り角になっていて視界は悪い。逆に言えば、声の主があの角を曲った時、私とその人物とは結構な近距離にいることになる。―――管理人さん立合いの下で殺せるなんて、ある意味貴重なことだ。 「ちょっとは静かにしなさいよ。どこに誰が潜んでるかもわからないでしょ?」 「あぅ、ごめーん……」 二人組。聞き覚えのある声だった。 いや、聞き覚え云々ではなく、その会話を耳にした瞬間、すぐに誰なのかがわかった。 ―――あの二人か。 ちらりと背後を見遣れば、先程よりも幾分離れたところから、楽しげにこちらを見ていた闇村さんと目が合った。なるほど、観戦と決め込むわけね。 「……」 一つ息を吐き出して、再度廊下の向こうを見据える。 どうしようか。二人が曲ってきた瞬間に銃を撃つのも悪くない。運が良ければ殺せるだろう。―――けれど、二人が即座に逃げ出せば、先程のように取り逃してしまう可能性もないとは言えない。 どうせ相手はお人よしだ。ここは一旦友好的な態度を取ってみた方が確実だろう。 「大体真苗は無駄話が多す、―――」 「……あ…」 二人の姿――真紋さんと、真苗さん。 角を曲った時、ふっと足を止めたのは真紋さんだった。 真苗さんもすぐにつられるように足を止めるけれど、二人の様子は些か違う。 「螢子ちゃんだぁ」 「………。」 真苗さんは笑みを浮かべて私の名を呼んだ。そこに警戒心など見受けられない。 けれど真紋さんは、どこか張り詰めた表情で私を見据えていた。 「こんにちは。二人とも相変わらず元気そうですね。」 銃は、肩に掛けたまま軽く手で固定している程度。即座に二人を撃つことは出来ない。 もう少し二人がこちらへ近づいた時に。 「今のところはね。……螢子ちゃんも無事で何より。」 真紋さんは隣の真苗さんの手を取って、軽く引き寄せる。 何かあれば、すぐに逃げよう、という魂胆か。 あんなにお人よしだったくせに。一緒に行動しようとまで言っていたくせに。 やはりあの時、余計な事を言ってしまったのが悪かった。 『そして私も貴女達の敵だということ、忘れないで下さい。』 何故あんなことを言ってしまったのか。油断させておくのは当然のことだというのに。 「あの、螢子ちゃん?後ろの人は……お友達?」 真苗さんが不思議そうに問い掛ける。 「そうそう、お友達。」 私が答えようとする前に、闇村さんは楽しげな口調で真苗さんの問いを肯定していた。 友達になったつもりは微塵もないのだけれど。 「私は手を出さないから大丈夫よ、私のことはお気になさらず。さ、続けて」 「待って」 ふっと、真剣な声色で言い放つのは真紋さん。 その視線は私ではなく、私の後ろの闇村さんを見据えているようだった。 「私の耳をバカにしちゃだめよ。……管理人さん。」 「あ、ばれちゃった?じゃあ仕方ないわね。こういう時は初めましてで良いかしら?木滝さんと中谷さん。」 「なんで管理人がこんなところに?……螢子ちゃんの味方なわけ?」 「違うわよ。管理人は公正です。」 真紋さんと闇村さんのやりとりの後で、空気が張り詰めたような沈黙が流れる。 あぁ、私一人ならまだしも、後ろに闇村さんがいるとやりにくい。 真苗さんはともかく、真紋さんの警戒を解くのは難しそうだ。 「真紋さん、そんな怖い顔しないで下さいよ。管理人さんの言う通り、私と彼女は何の関係もありませんし。それに管理人さんは手、出さないですし」 「そりゃそうでしょうけど。……螢子ちゃんはどうなの?」 「……私、ですか?」 きょとん、と、不思議そうな顔をして見せて。 何のことかわからない、と首を捻った後、ようやく思い当たったような素振りで私は言った。 「もしかして私が真紋さん達を殺すなんて考えてるんですか?……やだなぁ、そんなことないですよ。お友達でしょう?」 「だといいんだけどね。……だと、嬉しいけど」 ここまで警戒されていると、なす術もない。 諦めてこのまま撃ってしまおうか。けれど逃げられてしまうだろうか。 まぁあの二人のことだから、手錠が邪魔して逃げ足はそこまで速くないはずだ。 追いかけて背中に打ち込んだとしても、殺せる可能性は十分に高い。 スタイルを切り替えようかと、銃に軽く触れさせていた手に力を込めた時だった。 「管理人さんに一つ質問があるんですけど。」 真紋さんが、そう切り出した。 質問?一体何のことかと、私は真紋さんに注視する。 「何かしら。答えられることなら答えてあげる。」 「じゃあ訊きます。――螢子ちゃん、って、何者です?」 …… 私のこと、ですか。 何者って、ね。そんなこと。 誰も知っているわけないもの。闇村さんだって、知ってるわけは…… 「螢子、教えてもいいかしら?」 「え?!」 ビクッ、と、思わず身が竦んでいた。 何、言い出すの、あの人。 知ってるはず、ない。誰であろうと、私のことなんか―― 「螢子ちゃんってやっぱり、普通の人じゃないんでしょ?……今のリアクションで確信しちゃったわよ。」 真紋さんはふっと薄い笑みを浮かべ、私を見据える。 その手には、銃。 銃?!――あの二人、武器なんか持ってなかったのに。 「ちょっと待って下さいよ。真紋さん、私のこと応援してくれたじゃないですか。なのに、そんな。銃向けるなんてやめましょうよ。……危ないですよ」 「なら教えてよ。螢子ちゃんの本当の姿。―――……私達に見せてくれたあの姿、偽者だなんて思いたくないけどさ。私達だって死にたくないの!」 「……ッ」 人間、切羽詰ると何をするかわからない。人一倍お人よしな真紋さんだって、自分の身に危険が及ぶことがわかれば、正当防衛だなんて言い張って私を殺そうとするかもしれない。 いっそ開き直ってしまった方が楽だろうか。真紋さんは既に私の裏の顔に気付き始めているのだから。 「螢子ちゃんって」 ぽつりと言葉を発したのは、今までずっと黙っていた真苗さん。 不思議そうな表情で真っ直ぐに私を見つめていた。 言い躊躇うように少し目を伏せた後、 「……私と似てる、かもしれない」 と、そんな言葉を発した。 何……? 「本当のこと隠して、それで笑ってるような気がするの。―――私は貴女だけの味方よって。そんなこと言って、本当は相手のことなんかどうでもよくってね。相手が私のこと信用してくれれば、もうこっちのものなの。 後は、殺すだけ。」 普段は抜けているような、バカみたいな子なのに。 今、すごく冷たいこと言ってる。あれは真苗さんの本性? 「もし私だったら、螢子ちゃんのこと味方につけた後で殺そうとするんじゃないかなぁ。」 真苗さんまで私のことを疑ってる。 ―――万事休す、か。 「闇村さん?」 後ろの女性に呼びかけて、私はすっと、銃を構えた。 真紋さんと真苗さんは警戒するように一歩後ろに退いたけれど、まだ逃げようとはしていない。 いや、何か少しでも弾みがあれば、すぐに逃げ出す体勢だ。 「なぁに?」 「……私のこと、知ってるんですね?――話してあげたらどうです?」 「螢子はそれでいいのね。」 「構いませんよ。」 我ながら口調が酷く冷たいものだと気付いた。 あぁ、これが、いつもの私だ。 真紋さんも真苗さんも、私のことを疾視する。 そうだ。これでいい。冷たい視線で見られても、私はそれをねじ伏せてきた。 私の味方なんて、一人もいない。 「螢子が捕まった時のニュース、二人は見たかしら。『裏組織の関与、狂言か』ってね。螢子は裏組織の命令に従って犯罪を起こしたと供述したわ。けれど裏づけは取れず、結局それは螢子の狂言だということで終わったの。全ては螢子がでっち上げた嘘なのだと、警察は決め付けた。」 「……」 闇村さんの説明に、聞いたことがある、といったふうに真紋さんは頷いた。 反して真苗さんは初耳だという表情で、 「実際はどうなの?」 と、私か闇村さんかに向けた問いをぽつりと投げ掛ける。 闇村さんは少しの間を置いた後、ゆっくりとした口調で言葉を続けた。 「実際は、ね。……その組織は存在したの。闇組織、Melty Blood」 「……そう。確かに私はその組織の人間でした。だからそう言ったのに、取り合って貰えなかった。」 私は闇村さんの言葉に続けるように言った。ふっと、笑みが零れる。 闇村さんこそ「何者?」と問いたくなる。一体どこからそんな情報を仕入れるのか。 一体どうやって私の真の姿を知ったのか。 そんな疑問も、「闇村さんだから」という一言で済まされてしまうのかもしれないが。 「じゃあ……螢子ちゃんはやっぱり本当のことを言っていたの?」 真苗さんの真っ直ぐな問い。 私は少し押し黙ってから、首を横に振った。 説明を委ねるように闇村さんへ目を向ければ、彼女はふっと薄い笑みを浮かべる。 「いいえ。螢子が述べたことも、真相とは少し違っていた。―――その真相を知る者は、今はもう海外に少しいる程度かしらね。」 「あぁ、組織は海外に移ったんです?」 「そうみたいよ。今は誰がトップなのかは知らないけれど」 「……別に、誰でもいいですけどね。」 私と闇村さんの短いやりとりに、真紋さんと真苗さんは不思議そうな顔をしていた。 少しの沈黙の後、急かすように言ったのは真紋さん。 「どういうこと?……真相は何なの?」 私も闇村さんに目を移して言葉を待つ。 闇村さんはどこか楽しげに目を細め、ゆっくりと口を開く。 そして告げた。私の全て。 「茂木螢子。彼女こそが、闇組織Melty Bloodの――トップだった人間よ。」 ――そう。私は統べる者だ。 トップ、と、懐かしい響きに笑みが零れた。 思うがままに人間を動かせる。思うがままに人間を捨てることも出来る。 必要な人間は利用する。必要の無い人間は殺す。たったそれだけのこと。 どんなに冷淡と言われようが、残酷だと批難されようが、痛くも痒くもない。 残るのは結果だけ。誰が生きるか死ぬか。たったそれだけの空間なのだ。 それなら、殺すしかないじゃない。 殺して、殺して、そして生きることしかできないじゃない。 だから私は神のように、殺してあげるの。 「……まぁや」 どんなにバカな私―――中谷真苗―――だって、今の状況が極めて危ういことくらいは気づいていた。 管理人さんと螢子ちゃんが言う、「真相」なんて そりゃ、ものすごいことを言っているのはわかる。 だけど、今は真紋とどうやって生き延びるか。それが全て。 真紋は二人のやりとりに気を引かれているようだった。 私がぽつりと名を呼んでも、ちらりとこちらを見遣るだけで、構ってくれない。 「………」 どくん、どくん。心臓が高まっているのがわかる。 ものすごく怖い。手が震えてしまう。 だけど、ポケットの中に入れた手、ぎゅって握りしめ、自分を落ち着けようと息を吐いた。 今は時間がない。とにかく、急がないといけない。 私はそっと、誰にも気付かれないように、ポケットに忍ばせていた手を引いた。 手の中には冷たい金属の感触。 ―――私と真紋を繋いだ手錠の鍵が、ある。 本当はね。 私、ずっと、ずっと。 真紋にこの手錠を掛けて以来ずぅっと、この鍵、大事に持ってたの。 この建物に来てからは、真紋に気付かれちゃいけないって思って、ベッドの下に忍ばせていた。 だからベッドの下だなんて、そんな妙なところに目敏くなっちゃう私がいて、今真紋が手にしている銃も見つけることが出来たんだけどね。 この手錠を外そう。そして真紋を自由にしよう。 手錠もなくて、更に銃まであって。ほら、勝ち目十分だよ。真紋なら大丈夫。 ―――私は 私は、少し、怖いけど。 でも大丈夫。真紋は、 真紋はきっと、私のそばにいてくれるよ。 だから。 自由になった身体で、私を守って。 私も真紋のこと、精一杯守ってあげるから。 こんな小道具で真紋を繋ぎとめるのは、終わりにするよ。 「茂木螢子。彼女こそが、闇組織Melty Bloodのトップだった人間よ。」 管理人さんが告げた。 それとほぼ同時に、パチン、と 小さな音がした。 幸い、手の震えは収まって、鍵穴に鍵を差し込んで 思ったよりもずっと簡単だった。軽く回せば、パチンッ、て 「え……?」 真紋が不思議そうに、私を見る。 その後で外れた手錠を。 ドクンッて一つ、心臓が大きく音を立てた。 ―――刹那。 真紋はギュッと私の手を握り、駆け出していた。 「まな、え」 「ごめんなさいッ」 駆けながら、ぽつりと呼ばれた名前に、条件反射の様に謝った。 真紋はほんの少しだけ私に目を向けて、一瞬、笑ってくれたように、見えた。 あ。 今、私は真紋のこと、すっごい好きなんだぁって。心底思った。 どうしよう。このまま逃げ切れたら、私ちゃんと、真紋に言おうかな。 真紋のことが好きですって。 だって、もう、どうしようもなく愛しすぎて。 ぎゅって手を握ってくれる真紋の温度が、嬉し――― ッ ドンッ。 ――あッ……? 不意に、世界が逆転したように、視界がおかしくなる。 身体の感覚、一瞬浮いたような、ふわ、っていう感じの後で 思いきり地面に叩きつけられた、ような。 何が起こったのかわからなくて、混乱していた。 ただ、私の手を握っていてくれた真紋の手の温度が、見つからない。 音が、 音が聞こえないッ。 「……ぁ、…」 私、いつの間にかフロアに身体を投げ出されていた。 視線の先には真紋が 真紋が私に向けて何かを言っているように、見えた。 けどやっぱり聞こえない。真紋の声も、他の、何もかもが。 世界がスローモーションで動いてる。 飛んでいく銃弾とか、飛び散ってく血液までが、鮮明に見えていた。 無機質な白い廊下、 私の視界に入るのは、赤色の血と遠くなってく弾丸と 目を見開いて、私を見る、真紋の姿。 ズキン、と身体のどこかが痛む。 あ、ぅ 時間はこんなにゆっくり流れているけれど、だけど刻々と動いてる。 私達は螢子ちゃんから逃げていて、 私はその途中で、こんなところに投げ出されている、だから、つまり 真紋が危ない。 真紋は私の方へ方向転換して、 あぁ、いけない。 だめだよ、真紋。 私の後ろからは螢子ちゃんが。 真紋、殺されちゃうよ。 そんなッ そんなの、絶対にいやッ!! 「ッ……」 声が 声が出ているのかわからないけど 私は叫んだ。 「真紋ぁッ!!逃げてぇ!!!」 ガシャンッ!! 「……ッ……はぁっ…」 静まり返った室内で、自分の荒い息だけが耳障りで。 苛立って、手にしていた手錠を壁に投げつけていた。 一体、 何がどうなってるのよッ。 ……どうしてこんなことに!!! 苛立っても、どんな疑問を投げ掛けても、何にもならないことはわかりきっていた。 私―――木滝真紋―――は荒い息を何度も零しながら、ベッドに座り込む。 午前十一時ちょっと。禁止エリアじゃなくなったばかりの私の部屋に、ただ一人。 こんなに広い部屋だなんて知らなかった。いつも真苗が横にいて、いっつも横にくっついてて、だから自分の周りの空気がこんなにも冷たいものなのだと、私はずっと忘れていた。 一人がこんなに怖いこと。一人がこんなに寂しいこと。 それと同時に、真苗という存在がどんなに賑やかで、どんなに温かいものなのか、今更になって思い知らされる。 放っておくと震えて止まらない手をぐっと握り締め、深呼吸をした。 意識していないと、呼吸すら上手くできないほど、混乱している。 先ほどのことを整理しよう。鮮明なまでに脳に染み付いたヴィジョン。 真苗の声が、頭から消えない。 「………」 ベッドから立ち上がり、壁に当たって床に落ちた手錠を拾い上げた。 手錠には小さな鍵が嵌っている。 真苗が、ずっとこの鍵を持っていたのだろうか。 カシャン、と、音を立て、自分の右手に手錠を嵌めた。 こんなにしっくり来るなんて、どうかしてる。 右手が自由という状態が不自然で。こうして冷たい金属が触れている状態で落ち着くなんて。 ――だけど、手錠のもう一方。嵌める当ては、なかった。 いつも隣にいた。すぐそばにあった真苗の手首。 そこには、今はただ、霞がかった空気が漂っているだけだ。 いや、空気が霞んでいるんじゃない。私の涙で視界が曇っているだけだ。 「真苗」 名前を呼べば、いつも応えてくれたのに。 いつも、どんな時だって、私のそばにいてくれたのに。 手錠に嵌ったままの鍵、軽く回せば、パチンと音を立てて外れた。 冷たい金属を握りしめたまま、どさりと、身を投げるようにベッドに倒れこむ。 「――なんで、逃げたのよ。」 ぽつりと自問して、先程の光景を思い起こした。 真苗の手を引いて廊下を駆けた。――闇組織のトップだった人間から逃げるために。 私は螢子ちゃんのこと、どこにでもいるような普通の子だと思っていたのに。 それは違った。彼女は私達を殺そうとした。何の躊躇いもなく人を殺すような、悪魔のような人間だ。 その事実に驚いている間もなく、真苗はそれ以上に私を驚かせていた。 突然、外された手錠。 わけがわからなかった、けど、今はとにかく逃げなくちゃいけないと、そう思って。 真苗の手を取って廊下を駆け出した。 螢子ちゃんから逃げなくちゃ。あの子は本気で私達のことを殺す気だと、理解出来た。 途中、横に少し目を向ければ、真苗はなんだか嬉しそうに笑っていた。 だから逃げ切れるような気がしていたのに。 それなのに。 ―――廊下に鳴り響いた、連続した銃声。 あの瞬間、耳が壊れそうな程の『音』に支配されて、一瞬その他に気が回らなくなっていた。 真苗の力がふっと抜けた時、私は真苗を支えることが出来なかった。 どさりと真苗の身体が床に倒れて、慌てて振り向いて。 遠くに、銃を持った螢子ちゃんの姿が見えて、そして、真苗が私を見上げていて。 真苗の名を呼んで、彼女に駆け寄ろうとした。 だけど真苗は言った。 『逃げて』 私は、 ……私はどうしてそんな言葉に、従ってしまったんだろう。 真苗を守らなきゃって ……私には銃もあって 真苗を守ることだって、できた、はず、なのに どうして…… 振り向くことすら出来なかった。 切り裂くようなあの銃声は、聞こえなくて。 でも、真苗がどうなったのか、私にはわからない。 生きているのか、――死んでいるのかすらも。 「殺さなかったの?」 ひょこんと、後ろから覗き込まれ、私―――茂木螢子―――は顔を上げた。 闇村さんは私の血塗れの手を見ても、やはり相変わらずに微笑をたたえたままだ。 「……真紋さんを逃しちゃいましたから。」 「それで、中谷さんはどうするつもり?」 「捕虜にします。」 短く答え、フロアに伏せた真苗さんの身体を起こしてやった。 気を失っている。……当然だろう。これだけの出血をして意識がある方がおかしい。 それにしても、二人とも運が良いとしか言いようがない。 あの距離で散弾銃を撃ったのだから、二人ともあっさり死んで当然だったのに。 手元が少し狂ってしまったか、銃弾の幾つかが真苗さんに命中しただけの結果になった。 「治療しないとまずいですかね。」 出血している箇所自体はそう多くはない。 左足の太腿に一箇所、左肩に一箇所。 そして、左側の耳、一つ。 「どうかしらね……。足と肩は貫通してるんでしょ?」 「そうです。耳も貫通っていう表現で良いんでしょうか。」 「貫通も何も……。」 困ったように言葉を切る闇村さんを見て、確かに自分で言っておいて、それはどうなのかと少し思う。 貫通というよりも、それ自体が削げ落ちている、とでも、いうべきか。 耳としての機能は破壊されたのだろう。一応、右耳は残っているけれど。 「治療するかどうかは螢子次第だけど、……包帯くらい巻いてあげなきゃ、可哀相じゃない?」 「それもそうですね。」 闇村さんの言葉に同意しつつ、改めて真苗さんの身体を眺めた。 赤い血、というのは、どうしてこうも美しいのだろうか。 真苗さんが色白なのもあるかもしれない。鮮やかな赤がアクセントになって、白を引き立たせる。 これを拭ってしまうのも、勿体ないような気がして。 耳から、首筋へと流れる血液を指先で掬って、舐めてみた。 「……おいし?」 クスッと笑いながら私を覗き込む闇村さんに、一つ頷いて。 首筋にくちづけるように、赤い血液を啜った。 むせるような血の香に、クラクラする。 「螢子ってフェチの気がありそうね。」 「……異常者ですよ。私は。」 「あら、自覚してるの?」 「じゃなきゃ組織のトップなんかやってません。」 真苗さんの肩を抱いて立ち上がりながら言えば、闇村さんは「それもそうね」と笑っていた。 じ、と闇村さんに目を向けてみるが、彼女は不思議そうに小首を傾げるだけ。 「……治療室まで運ぶの、手伝ったりしませんよね?」 「私は管理人だもの。」 「鬼。」 「私は管理人だもの。」 にこにこと満面の笑みで同じ言葉を二度も繰り返されれば、これ以上彼女に望みを託すことも不可能だろうと諦めた。管理人が隣にいれば、他の参加者が近づいてこないかもしれない、という期待もあったのだが。 「……でも、そうね。一応許可は取ったとは言え、他の参加者の情報を流したのは公平じゃなかったわよね。代わりに、螢子のお願いを一つだけ聞いてあげる。どう?」 不意に闇村さんがそんなことを切り出して、私は内心少し驚いていた。 公平じゃなかったも何も、私は彼女に代弁してもらったようなものなのに。 何故、彼女は私にそんなことを…… 「前に言ったでしょ?私は強い子が好きよ。」 クスッと笑みながら闇村さんは言った。まるで私の心を見透かしたような言葉。 思わず苦笑し、感服だ、とばかりに一つ頭を下げて見せた。 「闇村さんには敵いませんね。それじゃあ一つ、お願いしたいんですけど―――」 扉の向こうに居る人物は、一体どんな様子なのだろうか。 私―――闇村真里―――が言葉を掛けたら、一体どんなリアクションを取るのだろうか。 それがすごく楽しみで、一人で扉の前でにこにこしてしまう。 先ほどの一件、中谷さんと木滝さんが離れ離れになってから、時間はさほど経っていない。 螢子は今頃、中谷さんを連れて一所懸命に治療室へと向かっていることだろう。 コンコン。 木滝さんの部屋の扉を軽くノックして、少し反応を待つ。室内でガタンッと音がするのが聞こえた。 「闇村です。先ほどはどうも。」 まるで隣の家に回覧板でも持って行くような口調で、私はそう名乗っていた。 少しの間の後、扉一つ挟んだ向こうから声がする。 「あ……あのっ、真苗は……」 返された言葉、まるでそのことしか頭にないような様子で、木滝さんは扉越しに問う。 抑えた声に滲むのは、一人で逃げたという罪悪感か。 そんな彼女の様子に少し笑って、私は言葉を返す。 「私は螢子からの伝言を伝えに来ただけよ。それ以外のことはお話できないわ。」 「……。……伝言って?」 「真苗さんを返してほしいなら、今日の夜九時に私の部屋に来て下さい。場所は3−Bです。……だそうよ。」 そう告げてからふっと音が消えた。かと思えば、ガタガタッと、扉の向こうで賑やかな音がする。 更に少しの間の後で、勢いの良い言葉が返って来た。 「かッ、返して欲しいって?!……真苗、生きてるってこと?ねぇ、そうなんでしょ?!」 「さぁそれはわからないわね。死体を返すってこともありうるでしょう。螢子なら尚更。」 「ッ!そ、そんなの許さない!!!」 「私に言われても。」 扉の向こうの真紋さんが、一体どんな顔をしているのかはわからない。 どさっ、と小さく音が聞こえたのは、一体何か。 「……ねぇ、管理人さん。一つ質問してもいい、です?」 零すような、呟くような声。耳を澄せていなければ、気づくこともなかったのかもしれない。 声の位置は、扉の低いところから聞こえた。さっきの小さな音は、彼女が膝をついた音、だろうか。 私も彼女に合わせるように身を屈め、「なぁに?」と宥めるように問う。 「あのね。……最愛の人と一緒に、殺人鬼から逃げてるの。そしたら、その最愛の人が転んじゃうのね。殺人鬼は後ろから迫ってきてる。自分は、最愛の人を助けなくちゃって思って駆け寄ろうとするんだけど、彼女が言うのよ。逃げて!ってね。………そんな時、管理人さんは、どうします?」 長い説明の後で、ぽつりと問い。 先ほどの状況が目に浮かぶようだった。 私は少し考えた後、彼女へと言葉を返す。 「最愛の人の望みに沿うことが一番よ。……その人が、一緒に死ぬことを望んでいるなら戻ってあげる。その人が自分の分も生き抜いて欲しいと私に望んでくれるなら、私は逃げるわ。」 「そう……」 すぐにぽつりと返された相槌に、感情は滲んでいなかった。 「さて、伝言も終わったことだし、私はもう行くわ。……頑張ってね。」 私は身体を起こし、扉から数歩遠ざかる。 その時ふっと、耳に届いた小さな声。 「……ありがとう。」 ちらりと扉を見遣るけれど、別段変わったところはない。 扉の向こうにいる人物が今ごろ何をしているかも知らないけれど。 もし今のが空耳ではないのなら、一応アドバイスをした甲斐があったというものである。 だけど彼女は、きっと最愛の人を見捨てるようなことはしない。 最後の最後まで精一杯戦って、愛を貫くのだろう。 螢子と、真紋。 勝つのは悪の化身か、それとも正義の使者なのか。 真苗姫の運命やいかに!……なーんて、ね。 Next → ← Back ↑Back to Top |