BATTLE ROYALE 29夢を、見ていたのだろうか。 死んだ人間から助言を貰うだなんて、思いもしなかったことだった。 ふっと目を覚まして、目に入ったのは明るい天井。いつしか朝になっていた。 意識が覚醒して、すぐに思い起こすのは眠りにつく前のことだった。 私―――宮野水夏―――は昨晩、宇宙へ電波を送っていた……はず……。 いや、このベッドに身を横たえて天井を眺めていた。その後に身を起こして―― 電波を送っていると、不意に女の声が聞こえてきたんだ。そう、あれは確かに鴻上光子の声。 死んだ人間と話しただなんて馬鹿げている。いや、宇宙人と交信するのもこうして考えてみれば非現実的な話ではあるのだが、死人と話すとなれば段違いに非現実的である。 多分、あれは夢だったんだ。そうに決まっている。 あぁ、そうだ、こういうことを夢枕と言うんじゃなかったか。夢枕に死人が立っていた。それなら良くある話だ。 ……いや、良くあるってことはないか。 とにかく、あれは夢なんだ。うん。そうに決まってる。 『闇村真里を殺しなさい。』 パチン、と、弾けるようにして思い出された言葉。 その言葉が浮かんだ瞬間、はっと息を呑んでいた。 「闇村さんを、こ………」 思わず呟きかけて、慌てて口を噤む。いけない、管理人やスタッフは参加者の様子を監視しているんだ。私の呟きも聞かれていないとは言い切れない。口許に手を当てて、思考を巡らせる。 鴻上光子は言った。闇村さんを殺せ、と。 それが彼女の助言なのか。 ―――夢なのに? 「……どうなってるんだ。」 篭る声で呟いて、私は上体を起こした。 身体が重い。朝起きた時にこんなに疲労感が残っていることなど、滅多になかったのに。 微かな眩暈に眉を寄せながら、起き抜けで上手く回らない頭に高速回転を強いている。 夢。 それは、人間の深層心理を映す鏡なのだとどこかで聞いたことがある。 もしもあの鴻上の言葉が、私の深層心理を反映しているのだとしたら……。 私、は、 闇村さんを殺そうと 思って、いる? そんな。そんなこと、できるわけがない。 闇村さんを殺すだなんてッ…… 「っ……」 づ、と奥底で響くような頭痛。両手で頭を抱え、目を閉じた。 恐怖が巡る。 あの人に逆らったりなど、私にできるわけがない。 あの人は――― ………。 闇村さんを殺すこと、と 霜を殺すこと。 考えてみればどっちも、「私にはできるわけがない」ことだな。 神崎美雨を殺すことは、どうだろうか。 闇村さんや霜に比べれば、まだ、その難易度は低いようにも思える。 「……神崎、美雨を」 殺すことが出来たのならば、道は開けるのだろうか。 枕もとに置いていたナイフを手に取って、少しだけその刀身を引き出した。 まるで血を欲しがる狼の牙のように鈍く光る。 ゾクン、と、何故か身体が震えていた。 「―――殺してみよう。」 なぜ、こうも躊躇いがないのだろうか。 このナイフを握ると、少しだけおかしくなる。 そうだ。望月朔夜の時もそうだった。何も考えられなくなる。ただ、その相手に牙を剥くことしか 考えられなくなる。 自分は天才なんだろうなと、そう思えて、仕方がなくなるんだ。 ――――あ、は…… 見つけた、見つけた、見つけた、見つけた 獲物。獲物。えもの。エモノ。 あたし―――神楽由伊―――の、獲物ッッ☆ しかも、しかもね、あんなに無防備で、バッカみたいな人なんだもん。 いいよね?いいよね?ソッコウで撃っちゃおうか??? 廊下、を、歩いていた。 今は何時だろう。多分、朝ぐらいなの。 あたし、あたしずぅっと、夜中からずぅとウロウロしてるのに、 だーれもいなくて超寂しかったのにッッ やっと、やっと、やっと見つけたの! あ、れ。なんか頭、少し変になってるかなぁあ?? 撃ちたい。撃ちたい。撃ちたいッて、何度も、何回も、頭ん中で繰り返してた。 今も、今は、さっきよりもっといっぱい、撃ちたい、撃ちたい!って、気持ち膨れあがる。 あたしに背中向けて、歩いて行く女のヒト。きょろきょろって周り見回して、なんか探してるぽいけど、廊下の角っこから見つめてるあたしには、気付いてないはず。 誰かなんて知らないけど。そんなのどうでもいいし、っていうか、撃ちたいよぉ。 ドクドクドク。心臓がヤバイくらい速くなってて、壊れそ。 手の中の拳銃、汗かいて、少し滑るかなって思って、一回逆の手で持って、服でゴシゴシって手の汗拭って、もいっかい持ち直して。この重たぁい感じ、さっきからずーと持ってるから、ちょっと慣れたかもしれない? ああ、あの女のひと、ゆっくりだけど歩いてるから、 うん、早く。 早くしないとどっか行っちゃうから。 はぁ、あたし、やっぱなんか変かなぁ。ヤバいかなぁ。 頭がゼーンゼン回らないよっっ。 まいっかぁ。 こんなに撃ちたいんだから、撃っていいよね?? いいよね? いいよね?? いいよねっっ!? ―――撃っちゃうよぉ! そう、この銃、反動が来るから、ちゃんと両手で持たなきゃいけないのね。 だから、一歩廊下に出て、そいで、あの女の人のまっすぐ後ろに立って さぁ、銃を構えます!両手で持って、ぎゅって、握って 照準あわせます!たぶん、こういう感じて当たるはずです! 引き金に、指、引っかけます! 女のヒト、少しずつ遠く行ってしまう、ので ハァ、早くしないとです ああ、もうすぐ曲り角に差し掛かってしまうので 速攻、撃ちます! ――――パァン!!! キャァッ!凄い音です!耳がキーンってします! 手も、撃った時にぐいって上に持ってかれるような感じです! あああ、でも、だけど、ちゃんと撃てました!パァンッて! エモノは?獲物は??ちゃんと仕留めましたか? あたしは銃をぎゅぅてしたまま、前方を見ます。 ぁ あ ―――あれぇ?? なんで生きてるんですか? おかしいですね? びっくりした顔でこっち見た後、逃げようとしてます。 いけないです!! もう一回撃ちます!! 「今度こそ殺します!」 あたしはもう一度、引き金に手をかけました。 撃ちます。今度こそもう一回撃ち―――― 「これだからビギナーは困るわね。」 「……え?」 いきなり、とつぜん、 後ろから声がしました。 振り向こうとした時、ガァン!と、めっちゃ痛いのが、頭に襲って わけわか、んないけど あたしは、そのまま床に倒れこんで ああ、この、ガッ、ていきなり倒されるのは、智さんによくされました。 でも、今聞こえた声は智さんの声ではありませんでした。 「銃、扱ったこともないんでしょう?それなのにこんな遠距離から撃って、当たるとでも思っているの?」 バカにしたような言葉にムカッとして あたしは、この、後ろにいる人も殺そうと思ったのですが あれ? 銃が、 銃が手にありませんです。 なんで!? 慌てて、顔上げると、 ちょっと遠くに、あたしの銃が転がってる ので 手を伸ばして、それを取ろうとしたのに いきなり、ギュッて、 手が足に踏まれて、痛いです。 「美雨さん……!」 もう一個の声。 足音が近づいてきます。廊下に響く感じが、伝わって 多分、この人、今あたしが殺そうとしたヒト。 なんで生きてるんだろう。 「葵も無防備に歩き回るのはやめなさい。相手がこの子じゃなかったら殺されていたかもしれない。」 「ご、ごめんなさいー……。美雨さん、またあたしのこと助けてくれたんですね……」 「……貴女のことは私が守ると言ったでしょう。」 「あ、ありがとうございます!!」 「葵は先に部屋に戻ってなさい。」 「――…はいっ。」 とかなんとか、あたしの上で交わされるやりとりで、 あたしが殺そうとした女が「アオイ」で、今あたしの後ろ、ていうか上にいるのが「ミサメ」ていうのが わかったの、ですが あれ あたし、もしかして今、ものすごく不利でしょうか。 銃さえあれば怖いものなんかないのに なのに、銃が、届きません。 アオイ、とかいう女は どっかに行って あたしの手ぇ踏んづけたままのミサメってヒトは、 「……あなたの名前は?」 と、あたしに問い掛けます。 「ユイ」 短く答えると、「そう」と短い相槌を返されます。 「あたしの銃、返してくださいよぉ」 「その銃でどうするつもり?」 「殺すんですぅ」 そやって、質問に答えると 女はしばらく何も言わなくて 「返してくださいー」 と、あたしは何度もお願いします。 なんで、こんなにお願いしても返してくれないんでしょうか。 あたしの銃なのに!! 「貴女は今、精神障害をきたしていることを自覚しているかしら。」 「なに、ですか?」 「私の言っていること、理解出来ないの?」 あたしは銃を返してほしいって言ってるだけで 変なこと言ってるのは、このミサメって人の方なのに。 なに、なんか、意味ワカンナイ。 銃、返してくれない。 「このまま殺すしかないみたいね。」 ふっと、溜息みたいなのを零すのがわかりました。 そしてその後で なんでか、見てもいないのに 女のヒトの持った銃の、銃口が あたしに向けられていることも、わかりました。 コロス? 殺す? 殺すって、なんですか? 「コロッ、すの、誰が?」 「私が貴女を。」 「あたし、は、殺され、るひと、ですか?」 「そうよ。」 …!!? そんな そんなの 「イヤ、嫌です!殺さないで!ころ、殺すのは、あたし、ですっ。お願いっ」 懇願、して だって だってあたしが殺されたら もう、殺せない 殺せないよ。 ああ、ヤバイ。ヤバイ。この人 殺すの? 覚悟とかそんなの決めることなど出来ません ただ、何度も「ころさないで」って言ってたら、 いきなり、突然 「やめろ!」 という、声。 それは、あたしでも、ミサメってヒトでもない、誰かの声。 「由伊を殺すのは、アタシだ。」 ―――…… 智さんだ。智さんの声だ。 生きてたんだ。 あんな、血を流してたのに、まだ生きてたんだ。 あの、いつもの声で、あたしの名前を呼んだ。 由伊。 確かな口調で、あたしの名前を、呼んでくれた。 なんでかわからないけれど、涙が溢れた。 響き渡った銃声は、アタシ―――八王子智―――を呼び寄せていた。 昨夜、木滝と中谷に傷の手当てをしてもらった後に、アタシはすぐに由伊を探すため建物の中を駆けた。 闇雲に由伊を探し続けた。途中、何度か力尽きそうになって適当な部屋で休憩をしながらも、 ずっとずっと、探し続けていた。 所々にある窓から朝の光が差し込む頃に、その銃声は聞こえたんだ。 ―――銃を撃つ人間なんて何人もいるかもしれないけど、アタシは何故か、 その銃の元に由伊がいるのだと信じて疑わなかった。 こういう時、人間の勘ってのは冴えるのかもしれないね。 案の定そこに由伊はいた。しかも、今にも殺されそうな状況で。 由伊を殺しそうな人間が、そこいらの犯罪者ならまだマシだった。けれど、相手は、神崎美雨。 その情景を見た時、一瞬、見なかったことにしようかと、そんな思いが過ぎったのも事実。 けれどそれが出来なかったのは、由伊も、同時に神崎美雨も、アタシにとって特別な人物だったから。 「……由伊を、離せ。」 アタシの武器は中谷がくれたボーガン。もしも神崎美雨がアタシへ照準を定め、躊躇いなく銃を撃てば、間違いなくアタシは絶命する。その恐怖と隣り合わせになりながらも、ある程度の距離まで二人に近づいていく。これ以上近づけば、ボーガンの射程範囲に入るという、場所まで。 「久しぶりね。この子は貴女の連れなのかしら。」 美雨さん。こんなところで、彼女の冷たい声を聞くことになるとは思わなかった。 彼女に会って、無傷で逃がしてくれる可能性が極めて低いということは、理解しているつもりだ。 だけどもう、覚悟なんかとっくの昔に出来ている。 「由伊はアタシの―――恋人だ。」 「……恋人?」 「コイ、ビト?」 返ってきた声は二つ。 美雨さんはともかく、由伊にまで不思議そうに聞き返されるとカッコ悪い。 「由伊を好きにしていいのはアタシだけなんだッ。だから、美雨さんに由伊を殺させたく……」 「この子のこと、殺す?」 アタシの言いたいことをすぐに理解してくれた、らしい。 美雨さんはクスッと小さく笑みを浮かべ、足元の由伊を見遣って言った。 「そうさせて貰えるのなら……」 「但し条件があるわ。」 「……条件?」 「―――貴女のことは、私が殺す。それでも良いのなら。」 ………。 美雨さん、やっぱり、相変わらず、残酷だ。 そういうところにどうしようもなく憧れていた。 けれど自分に向けて言い放たれるのは、ちっとも嬉しくない。 「……もし、条件を呑まなかったらどうなる?」 「この子は殺して、貴女は逃げるということ?」 「由伊はアタシが殺す。その後で、アタシは美雨さんすらも殺そうとする、なんてね。」 「それは不可能よ。」 もの、すごくバッサリ切り捨てられた。 不可能と言い切るか。 つまり、アタシを間違いなく殺すことが出来るってことか。 さすがだねぇ……。 「でも、それじゃあ貴女に選択の余地がないでしょう?だから、もしこの由伊という子を私が殺しても良いというのなら、貴女のことは殺さないであげる。」 ………。 一体、何を言い出すんだ、この人は。 そんなこと、 そんな ――……由伊を見捨てて逃げるなら、見逃す、と? 「そんなの、」 ……そんなの そんなの そんな そん、な、のッ―― 「智、さん……あたしの、銃、返して……」 今まで黙りこくって顔を伏せていた由伊が、不意にぽつりと呟いた。 ゆるりと、顔を上げ、表情無くアタシを見つめる。 あぁ、この、無垢な表情。 「――相変わらずバカだなぁ由伊は。それはアタシの銃なんだよ。」 ガツン、と、その場にボーガンを投げ捨てた。 そして一歩一歩、由伊と美雨さんのいる場所へ、近づいていく。 「違いますよ……あたしの、銃……あたしのッ。智さんも、皆、何もかも、全部殺すための、武器」 「黙れ。由伊にアタシを殺すことなんか、できるわけない。」 「智さん……あたしは智さんのこと、大嫌いだもん……」 「黙れ!!!!なんで、なんでそんなこと言うんだよぉ」 ぅぁ。涙声になって、カッコ悪い。 涙声? ――このアタシが泣いてるの? そんなバカな。 ど、して。 なんでアタシが泣くんだ。 なんで、こんな悲しいんだ。 「全部、吐き出してしまいなさい。」 ぽつんと、美雨さんが言った言葉が アタシの理性、破壊した。 涙が、 ダーーッ、と、溢れて、止まらない。 「ッ――あたしは、…あたしは、由伊のことが大好きなんだよ…ッ!由伊のこと愛してるよ!心底!だから、ねぇ、由伊もあたしのことだけ見てよ……なんで、ねぇ、あたしのこと嫌いなんて言わないでよ……」 これが これが、あたしの 本音、なんだろうか。 あたしの。 心の中、の、全部。 あぁ、そうだ。 あたしは由伊のことを、心底愛してるんだ。 「お願いだよ、由伊……。ハルのことなんか、忘れてよぉ……あたしだけ、ずっと、好きって言って……お願いだよ、……由伊ぃっ!」 子どもみたい、とか バカみたい、とか もう、そんなの、どうでもよかった。 心底、由伊だけが欲しくて 由伊しか考えらんなくて 由伊のことが大好きすぎて 愛しすぎて、こわれそうだよ。 「……智、さ……」 床に落っこちた銃を拾って、由伊のそばにしゃがみ込んだ。 由伊、不思議そうにあたしを見上げた後で ふっと、くすぐったそうな笑みを浮かべた。 「智さんの、そういう子どもっぽいところ、あたし、好きです。」 由伊は上半身を起こして、そしてやぁらかい笑みをあたしに向ける。 あたしだけの、由伊の笑顔。 この、純粋で無垢な、可愛い笑顔。 あたしだけの。 「……あたし、の、由伊。好き。好きだよ。もっと、由伊も好きって言って。」 見つめ合って、愛を囁くだなんて 妙に恥ずかしいけど、なんか嬉しい。 「智さんの気持ちも嬉しいし、智さんのキスも、結構好き、でした。――――け、ど」 パァン――――!!!!!! 由伊が全て言い終える前に、あたしは 引き金を、引いていた。 「呆気ない。呆気ないなぁ」 いてて。 ……手の骨、折れたかもしれないや。 変なとこから撃っちゃったからね。 由伊のこめかみに 「……人間ってこんなに簡単に」 押し付けた、銃口。 弾丸。 思い切り、由伊の脳を貫いた。 飛び散った。 「アッサリ死んじゃうんですよね。まるでゴミみたいにね。」 「……そうね。」 相槌をもらえたのが、ちょっと意外。 顔上げたら、一歩引いたところから、美雨さんがあたしに向けて銃を構えていた。 そうか。そんな条件だった。 「あたしはもう、なんていうかぁ、大満足、かな?ほら、由伊もあたしのこと好きって言ってくれたし」 「……」 「ねぇ。もう思い残すこと、なんかッ……」 ない、はずなのに。 なんでこんなに、悲しいんだろう。 「どうして泣くの?」 美雨さんの、そんな問いかけ。 あたしの気持ち、知ってか、知らずか。 あたしは、泣きながら笑って言った。 「理解してるからかなぁ。……由伊はやっぱ、あたしのこと、憎んでたって。」 「………」 美雨さん、不思議そうな感じで、何も言わない。 あたしは崩れ落ちた由伊の身体を、緩く抱いた。 穴の空いたこめかみ、ほっぺ、くちびる。 いくつかキスをして、もいっかい、ぎゅって抱きしめた。 「貴女のこと、殺してもいいかしら。」 「いいよ。」 ほんの短いやりとりで、全ては終わる。 大好きな由伊を、腕の中に抱いたまま。 最後の銃声と共に、あたしの愛すら、砕け散っていく。 一人ぼっちの部屋の中で、さっきから胸騒ぎが酷かった。 何故だろう。 ついさっき、あたし―――佐久間葵―――を殺そうとした人がいるから? その時に美雨さんが助けてくれたから? それとも、こうして一人でいるからだろうか。 時間を遡ってみよう。あたしたちが螢子さんと遭遇したのは、“殺し合いの再開”から少し経った時。 あれは、零時四十五分とか、そのぐらいの時間だったと思う。 螢子さんの変化に驚きを隠せなかった。動揺していたあたしに、美雨さんは小声で言った。 『先に部屋に戻ってなさい。』 彼女の口調には有無を言わせぬ迫力があって、あたしはそれに従って美雨さんを残し十五階の美雨さんの自室へと向かう。それから何時間ぐらい、待ったんだっけ。美雨さんは戻ってこなくて、あたしは急に怖くなった。万が一のことが、ないとは言えない。 美雨さんが戻って来ないのは何故?戻って来れない理由がある? そんなことを考えていると恐怖は加速して……。いてもたってもいられずに、あたしは美雨さんを探しに行った。どれくらいの時間、建物の中をうろついていたのかも、よくわからない。時間を確認しようと思って開いた携帯は、とっくの昔に充電が切れていた。 そして、朝。 突然背後から聞こえた銃声に振り向けば、まだ幼い少女が、あたしに向けて銃を構えていた。 ヤバイ、と、頭の中で警告が鳴り響いていたのに、身が竦んで上手く動けなかった。 もしあの少女がもう一発撃っていたら、あたし、死んでいたかもしれない。 だけどその時、その少女を止めてくれたのが美雨さんだった。 美雨さんが無事だったことに安心して、だけど、そこには今も尚殺意を抱いた少女がいて。 美雨さんは先ほどと同じ言葉を口にした。 『葵は先に部屋に戻ってなさい。』 怖かった。美雨さんから離れることが、怖かったけれど。 あたしはやっぱり、美雨さんに従うことしか出来なかった。 そして、部屋に戻った今も尚、不安な気持ちは消えていない。 ベッドに腰を下ろしても、立ち上がって室内をウロウロしても、怖くて、不安で、どうしようもない。 美雨さんは死んだりしない。わかってる。わかってるのにッ。 なんで、こんなに怖いんだろう――? 「ッ……うぅ……」 ドサリとベッドに深く腰を下ろし、あたしは両手で頭を抱えた。 じわりと溢れて来る涙、手の甲で拭っても、止まらない。 ただ、泣きながら、美雨さんの無事を祈ることしかできない。 ―――それから、数十分。 カチャリ、と、扉が開いた。 顔を上げればそこには、いつもの涼しげな表情をした美雨さんの姿が、あった。 彼女の姿を目にした時、今まで溢れていた涙とは別の、ほっとしたような涙が、また溢れてきた。 「今度は大人しく待っていてくれたのね。……どうかした?」 美雨さんはあたしに歩み寄ると、軽く身を屈めてあたしの顔に手を伸ばす。 涙の跡を辿るように撫ぜられたあとで、彼女の指先があたしの涙を拭ってくれた。 「美雨、さッ……ふぁ…… 怖かったですよぉ……」 立ち上がって、そのまま、ぎゅって美雨さんに抱きついた。 「……怖かった?……何故?」 不思議そうに言いながらも、ふわりとあたしの髪を撫でてくれる美雨さんの手の感触が、愛しくて。 あたしは尚も彼女に縋ったまま、その温度に包まれて、ようやく本当の安堵に近づけたような気がした。 「美雨さんがいなくなっちゃうんじゃなかなって……。あたし、美雨さんに会えなくなるなんてやです……!」 「大丈夫よ……。そう簡単に私が死ぬわけがないでしょう?」 「でもッ、万が一のことが……」 「万が一なんて存在しない。―――絶対、よ。」 見上げると、真っ直ぐな眼差しであたしを見つめる美雨さんと、目が合った。 少しの間、見つめ合った後で、自然に、ふっと笑みが零れていた。 こんなにも愛おしい。 目の前にいる女性に、怖いくらい、どんどん惹かれていく。 「……葵、抱いてもいい?」 囁くように告げられた言葉の後で、すっと、あたしの身体はベッドへ導かれていた。 腰を下ろしたまま美雨さんを見上げれば、「だめ?」と小さく首を傾げた姿。 なんか、妙にかぁいくて、あたしは思わずクスクスと笑みを零していた。 「いいですよぉ……美雨さんでいっぱいにして下さい」 美雨さんって、計算してるのか偶然なのかわからないけど、あたしを狂わせようとしてるんじゃないかなって時々思う。ものすごぉく欲しい時にお預けにされて焦らされたり、どうしようもなく欲しい時に何も言わなくてもくれたりして、すっごい幸せになれたりする。このアメとムチのバランスみたいなものが、どんっどんあたしを支配していくの。 ぽすん、とベッドに押し倒されて、ほっぺにチュ。 美雨さんのキスって、なんだかドライなキス。唇をふっと触れさせるだけの、少しくすぐったいキス。 指先でなぞるような愛撫は本当に微かな感触、なのに、そんなじれったい感じで、高まってしまう。 あたしの髪を梳いて、頬から唇へと滑り降りる彼女の指先。 優しく撫ぜる感触に酔いしれていた時、ふと、あたしは気付いた。 いつもはしない、独特な匂い。 「……ケムリ…?」 それは煙草を吸った後に指につく匂いにも似ていた。それがもっともっと、強くなったような匂い。 「硝煙の匂いね……。」 あたしの呟きですぐに気付いてくれたらしく、彼女は短くそう言った。 硝煙って、確か、銃を撃った時に出る煙。 ――そう言えばさっき、あたしは先に戻ったから、その後の展開を何も知らない。 美雨さんが無事だった。それだけで満足していたけれど、ふっと好奇心も湧いてくる。 「撃ったんですか……?」 「殺したのよ。」 「………。」 あっさりと告げられた言葉に、ふっと、声が出なくなる。 あの後……美雨さんが……? 「んッ」 ワンピースの背中のボタンを外す指先が素肌に触れて、少しくすぐったくて身を捩る。 なんだろう、この生ぬるい現実感。 あたしと一旦別れて、そして今こうしてあたしに触れている、その間の空白の時間に 彼女の指は銃の引き金を引いて、そして人間の命を奪っている。 なんだか、不思議な感じがする。 脱がされるまま、黒のワンピースをベッドの下へと落としてしまえば、後は下着だけ。 首筋に、肩に、鎖骨に、胸元に―――甘くてビターな、キス。 こうやってじわじわと侵蝕するようなエッチは、女性同士じゃないと味わえないと思う。 男のコとのエッチは、確かにヤバイくらい気持ちいんだけど、終わった後でどうでもよくなっちゃう。 単純に快楽だけを求めているから、それが終わってしまえば何も残らないのかもしれない。 でも女性同士は違う。あまぁくて、すごくディープで。お互いの深いところまで入り込む。 相手のこと想って、気持ちよくしたげたいっていう気持ちがないと、快楽は生まれないの。 指先と、舌と、体温と、そして心。 だからこやって女の人とするのは、すっごくすごく、満たされる感じ。 心があるから。 「美雨、さん……」 名前を呼ぶたびに、相手の存在が大きくなる。 「…………葵……」 名前を呼ばれるたびに、ピリピリと痺れるような感覚が身体中に広がっていく。 愛しくって、気持ちよくって、あぁ、だからあたし、エッチするのだぁいすき……。 「嬉しい?」 痺れた頭は、その問いかけ、理解するのに少し時間がかかった。 指先の感覚が消えて、ふっと現実に引き戻される。 唇に宛がわれるのは、美雨さんの濡れた指先。口に含んで舌を絡ませる。 咽るような硝煙の匂いに、思わず息を止めた。 「ぷぁッ……嬉し、です……。」 指が離れると、あたしはようやく息をして、そう紡ぐ。 あたしの顔を覗き込むようにして見つめていた美雨さんの目が、ふっと細められたような気がした。 間髪入れず、彼女の唇にあたしの唇は塞がれる。 ヤ、バ。こんなされたら、頭こわれちゃうよ。気持ち、よすぎ……。 「葵が嬉しいなら、いいの……」 「…美雨さんも、人、殺したの、嬉しいですか……?」 「……それは、」 不意打ちの質問だった、だろうか。美雨さんはほんの僅かに表情を曇らせて、言葉を切る。 その反応がちょっと意外だった。 あたしにとってのキスやセックス。美雨さんにとっての人を殺す行為。 同じだと言っていたのは、美雨さんなのに。 「嬉しくはなかったわね。――……あの子は私のことなど見ていなかった。」 「……?」 いつもと、ちがう。 冷たい表情の中に、どこか、悲しげな色が混じっている。 「葵、どうして不思議そうな顔をするの?」 「はぇ?」 「……私が考えたり、悩んでいたりする姿、そんなにおかしいの?」 「あ、……そんなこ」 首を横に振って否定しようとした、その時突然―― 「んぐッ?!」 肩にかかる重圧、ベッドに思い切り押し付けられて 口を塞がれた。 それが強引なくちづけであれば、あたしは喜んで受け入れただろう。 だけど今は違う。口の中には、硝煙の匂いがする彼女の指。 「ぇ、う……」 苦しくて、吐き出そうとしても彼女は手を抜いてくれない。 何度も咳き込みながら、嘔吐感を抑えるのに必死だった。 「葵は、一体何を見ているの。天才である私?人間である私?それとも私なんか見ていない?あの女のことしか眼中にないとでも言うの?」 な、んで――……? 冷たい口調で言い放たれる。 あ、あぁ、美雨さん、怒ってる? どして……? 「普通はね、盲目的になれるものなのよ。」 「もう、もくてき……?」 ようやく、すっと引かれた指。何度か咳き込んだ後、美雨さんを見上げる。 その瞳にたたえられたものは、一体なんだろう。 少しだけ怖い。だけど、もっと知りたい。 「私のことだけを求めるようになる。求めることしかできなくなる。」 「………」 「私が殺した人間達は、私を愛していたわ。そこには幸せな死があった。けれど、―――葵、貴女は違う。」 美雨さん、って…… やっぱ、何考えてるか、よくわからない。 だけどこの人、多分、――何か大事なもの、足りてない。 「あたしは美雨さんのこと、大好きですよ……。」 「でも盲目的ではないでしょう?」 「……それは、闇村さんがいるから」 この名前を出せば、美雨さんはなんらかの反応を見せる。 あたしには立ち入る余地のない次元だと、なるべく避けていたけれど もしかして、あたしと闇村さんの繋がりが、美雨さんにとって何か意味のあるものなんだろうか。 「どうしてあの女のことを忘れないの?私がこんなに、貴女のことを―――」 人間だ。 あたしの目の前にいるのは、間違いなく人間。 だから、……こんな、悲しそうな顔を、するんだ。 「愛している、とでも言いたいんです……?」 あたしは美雨さんの肩に手を当て、そっと押し退けた。 エッチの途中だったのに。下半身、まだあんまり力が入らなくて、ぺたんとベッドに座り込む。 美雨さんは黙ったままで、ふっと息を吐き出しては、ベッドに座りなおした。 ベッドの縁に無造作に掛けてあった彼女の白衣、丁寧に畳みながら美雨さんはぽつりと言った。 「愛してはいない。……愛せない。」 彼女の横顔。 じっと、見つめて、ほんっとに綺麗な人だぁって見惚れてしまう。 闇村さんも美雨さんも、あたしにとっては心底大切な人だけれど 今は少しだけ美雨さんに傾いているのかもしれない。 「それが美雨さんと闇村さんと違いなんですよ。……多分、きっと。」 「違い……?」 「闇村さんはあたしたちのこと、愛してくれるから。」 これが一つの答え。 あたしが闇村さんを忘れられない理由。 美雨さんだけを愛せない理由。 「あたしは美雨さんのこと、愛してますよ。」 「嘘……」 「ホントです。闇村さんのことも愛してるけど、美雨さんのことだって、負けないくらい愛してる。」 「………」 黙りこむ彼女の肩に触れて、どさりと、あたしは美雨さんをベッドに押し倒していた。 どこか不安げに、あたしを見上げるその瞳。 きっと、美雨さんはこんな表情を人に見せることなんて滅多にないんだ。 そう思うと、愛しくて、嬉しくて。ちゅっ、て、おでこにキスをして、ほっぺにも、目蓋にも。 彼女がいつもしてくれるようにめいっぱいのキス。あたしのキスの方が甘ったるい感じかもしれない。 音を立てて、キスマークつけるぐらいの勢いで、何度も何度も。 「葵……」 「あたしにさせてください、ね。……あたしの気持ち、感じて欲しいの……」 「………」 顔を背けて目を逸らす、そんな仕草すら、可愛くて、どうしようもなく愛しかった。 彼女の服の中へ手を忍ばせ、直接暴いていく、美雨さんの素肌の温度。 僅かに乱れてくる吐息は、互いに同じ程の速度で熱くなっていく。 「は、ッ……」 一つ、大きく息を零した。美雨さんの唇、微かに開いたその赤色に、自らの唇を押し付けた。 強引なキスに、美雨さんは応えてくれなかったけれど、拒むこともしなかった。 普段、あんなに冷静なのに。あんなに冷たい人なのに。 今、美雨さんの身体はとても熱くて、僅かに伏せたその瞳、その表情に、冷静さなど少しも滲まない。 何かを恐れるように、寄せられた眉。 あたしの指で、あたしの舌で、そんな顔をしてくれることが嬉しくて、 もっともっと深くへと、指を沈めた。 「や、ぁっ……やめ、て……ッ」 美雨さんの漏らす上擦った声に、ヤバイくらい、欲情した。 こんな色っぽい声出せるんだ、って。 「葵……ッ……、…く、ン……」 堪えるように、枕に顔を伏せながら。 それでも、あたしが指を這わせるたびに、ビクンッて反応してくれる正直な身体。 あぁ、もしもこの人があたしのことを愛してくれたなら。 もう何もかも、消え去って、 多分あたしは、美雨さんのことしか考えられなくなるんだろう。 そうなれたらいいのに。 美雨さんだけ、あたしだけ。 二人きりの世界に、行けたらいいのに。 「今はあたしのことだけを見て。……あたしを愛して。」 Next → ← Back ↑Back to Top |