BATTLE ROYALE 16壊れる。壊れる。壊れる。 オカシ ク、 な ル タスケテ 助けて。 お願い助けて。 「うああぁああああああッッ!!!!!!」 床に頭を押し付けて、叫んだ。 バチバチと何かがショートする音が聞こえる。 その音は耳ではなく、脳で聞いた。 酷い痛み。 脳が破裂してしまいそう。 「鴻上さん…おね、が、い…助け、て……」 私―――叶涼華―――の唯一の希望。 今もきっと、そばにいてくれるはずなの。 ほら、こうやって手を伸ばせば、きっと……… 「黙りなさい。」 ズクン、と 痛みが走ったのは伸ばした手の平。 左腕からは血が滲む。 頭の傷も何かの拍子で開いたみたい。 痛みが綯い交ぜになって、何が何の痛みなのかわからない。 「この手で散々あたしを弄んでおいて、散々あたしを傷つけて今更何を言い出すの?」 冷たい言葉に、少しだけ顔を上げた。 グイッと堅い靴の裏で踏みつけられる私の手の平が目に入った。 誰?私を蹂躙するのは、一体誰? 鴻上さん…? 信じられなかった。 信じたくなかった。 「涼華。…下手な演技は止めなさい。もうあたしを騙す必要はないの。あたしから、涼華を捨ててあげる。」 「何…言って、る、の……?」 「その言葉も聞き飽きたわ。とぼけるのもいい加減にしなさい。」 「…鴻上さ、…ん……」 バチッ、と。 あの痛みが、ずっとループし続ける。 頭にモヤが掛かったみたい。 ぼんやりと薄れていく中で、次第に思い出されていく記憶。 『大丈夫よ……あたしが守ってあげる。』 『あたしは少尉のこと、好きだからっ……だから、守ってあげる!』 『……アイシテル。』 言ってくれたよね。 鴻上さん。ううん、光子。 なのに。 あれから一体、何があったんだろう。 わからない。記憶が断片的で、私は一体どうしちゃったんだろう。 『……イく時は、あたしの名前呼んでね。ミツコ……って。』 一緒に、行こう。 ずっとずっと、一緒に居よう。 きっと私もうすぐ、壊れて、しまうから。 だからね、光子。 もうこの手を離さないで。 ―――愛してるわ。 私は力を振り絞って、顔を上げ、自由な手を彼女へと向け伸ばした。 この手を握って。 それでいいの。 もう―― 「みつ、こ…」 ―――…… 「いやぁああああああああああぁぁッッ!!!!」 「動かないで。」 扉を蹴り開けると、私―――闇村真里―――は室内へと銃口を向け、威嚇した。 12−A。叶の自室。 出来ることならば最善の処置を。このままでは、私達管理側の不手際で参加者を殺してしまうことになる。 それを食い止めるために、叶を一旦保護する予定だった。 ―――しかし。 室内の状景を目にした時、その必要はなくなったのだとすぐにわかった。 そこ居たには、銃を握った手を垂らしたまま、ぼんやりと虚空を眺める女性。 そして、銃撃によって額を打ち抜かれた――叶涼華の姿だった。 「……誰?」 ぽつんと立っていた鴻上光子は、ゆるりと顔をこちらへ向け、不思議そうに問い掛ける。 その瞳に生気はなかった。 「管理スタッフの者よ。……聞くまでもないと思うけれど、叶涼華を殺したのは、あなたね?」 鴻上は暫し沈黙した後で、ふっと笑みを浮かべ、頷いた。 「ええ、そうよ。涼華を殺したのは、このあたし。」 口調ははっきりとしていて、その表情にも落ち着きが見えた。 鴻上は叶涼華の死体を一瞥した後で、再び此方へと目線を戻す。 「それで?管理スタッフの人間が何の用?」 「……いいえ。私達は生きている叶涼華に用があっただけ。もういいわ。」 「そう。」 了解、とばかりに彼女は一つ頷いて、その視線を虚空に彷徨わせる。 「……手遅れ、ですか。」 ぽつりと言葉を漏らしたのは、私の後ろに居た水夏だった。 私は水夏へと目線を移し、いいえ、と首を横に振る。 「寧ろ計画通りよ。私達が仕向けたんだもの。あの子の性格を豹変させることまでは、ね。――だけど、機械がショートして叶が廃人になってしまえば此方の不手際。…鴻上が殺してくれたお陰で、私達のミスはミスじゃなくなった。」 と、水夏へ向けて告げた説明は、鴻上にも聞こえるようにはっきりと。 本当は、水夏に向けたんじゃない。鴻上に説明する手間を省いただけのこと。 「……涼華が壊れたのは、あなたたちのせい?」 私の言葉で理解したのか、鴻上はゆるりと小首を傾げては、確認するように問い掛ける。 「そうよ。……私達を責めるかしら。」 彼女が手にした銃に警戒しながら、私は銃を向けたままで言う。 けれど彼女が私達に敵意を見せることはなかった。 「悪いのはあたしと涼華よ。本当の本当に悪いのはあたし。参加者を助けに行こうだなんて、ちょっと虫の良すぎる話よね。―――そう。…こんな戦場に迷い込んだ、あたしたちが悪いのよ…。」 フッと自嘲めいた笑みが漏れた。 鴻上はその笑みを浮かべたままで、ゆらゆらと覚束ない足取りで死体のそばへと歩み寄る。 うつ伏せに崩れ落ちた死体のそばにしゃがみ込むと、拳銃を握る手とは別の左手で、叶の髪を撫ぜた。 「涼華って癖っ毛でね?…いつもヘアピンで止めてるの。小学生じゃないんだから…。」 懐かしむような口調で、ぽつりぽつりと告げる。 私はちらりと水夏を見遣り、「廊下を見張っていてね」と小声で囁いた。 鴻上の話に、少しだけ興味が湧いたから。 「初めて会ったのは、あたしが自衛隊に入隊してすぐ。この子が直属の上司だって言われて驚いたわ。最初は年下かと思っちゃったわよ。……それがかえって、気張らなくて良かったんだけど、ね。」 彼女の指先が、叶の髪から、頬へと移動する。 「好きになったのは…いつだったかな。……いつの間にか。子どもっぽくてウブなんだけど、人一倍正義感が強くてね。この子、こんなにたくましいんじゃ誰にも守ってもらえないわよって。……そんなことを思って。」 丁寧に頬を撫ぜていた指先が、頬から目、瞼、そして丸い傷の残る額へと。 「あたし。…あたし、本当にこの子のことを愛してたわ。ずっとずっと支え合って行きたいって思ってた。……なのに、ね。………どうして、こんなことになっちゃったの…。」 ぴちゃ、と小さな水音がした。死体の額から流れ落ちる血液を指先で掬って、その赤く濡れた指で、彼女の瞳から零れ落ちた涙を拭う。鴻上の頬に、赤色の筋が残った。 そしてようやく気が済んだように、私を見上げて微笑んだ。 まるで、血の涙を流しているようだった。 「くだらない話に付き合ってくれた優しいお姉さん。ありがとね。………サヨウナラ。」 「………」 チャッ、と安全装置を外し、彼女は手にした銃を自らのこめかみに押し付ける。 「―――無理心中なんてツマンナイ展開で、ゴメン、ね?」 最後までそんなことを言って笑いながら、彼女は銃の引き金を引い…―― 「待て!!」 突然に上がった声。 水夏の声だとはすぐにわかったが、何が「待て」なのか、一瞬、私にも理解出来なかった。 その声に引き止められるように、鴻上は手を止める。 「この部屋の人間に用事なんじゃないのか?……隠れてないで出て来い!」 と、水夏は廊下に向けて声を張り上げた。 少しの間の後で、廊下の向こうから姿を現したのは、 「私の気配を察するとは。…闇村さんが見込んだ人物だけの事はありますね。」 ――朔夜だった。 望月朔夜。…どうやら真昼とは一緒ではないらしい。 何故、此処に朔夜が…? そんな私の表情を察したのか、朔夜は「数日振りですね」と私に会釈をした後で、言葉を続けた。 「こう見えても暗殺者の端くれですから。管理室でモニターを眺めさせて頂いた時、どこの部屋に誰が居るのかくらいは把握しています。鴻上光子に用があるのですが。」 朔夜は相変わらずに自信に満ちた笑みを浮かべて、こちらへと歩み寄ってくる。 「…まさか、さっきの…!?」 声を聞いてか、鴻上は驚いたように目を丸くした。 どうやらこの二人、面識があるようだ。私が監視していない間にもドラマは動いてるってわけね。 朔夜は廊下の途中で立ち止まると、私と水夏にゆるりと目線を向けた後、 「管理人立会いの場でゲームを進めても構いませんか?出来れば、その扉を閉じないで居て欲しいんですが。」 と、開いたままのドアを見遣った後、首を傾げる。 けれど私が答える前に、先に口を開いた人物が居た。 「判断は必要ないわ。……あたしは逃げも隠れもしない。」 はっきりとした口調で告げ、廊下へと歩み出たのは鴻上。 先ほどとは別人のような表情になっていた。 闇を映していた瞳には、今は確かな光が灯っている。鋭い瞳で朔夜を見据え、そして、楽しげな笑みを浮かべた。 「あなたの名前、朔夜っていうのね。あたしは鴻上光子。……って、知ってるんだったかしら?」 「…ええ。望月朔夜と言います。あなたの事は先ほど名簿で確認して来ましたから。またお会い出来て光栄です。」 二人がそんな会話を交わす中、水夏が不安げに眉を寄せて私を見上げた。 私は大丈夫だと諭すように微笑んで、一歩退いて廊下の壁へと背を寄せる。 今すぐに立ち去るべき状況だけれど、此処で背中を見せるわけにはいかない。 朔夜はともかく、鴻上は――今、かなりの危険人物と見受けられる。 爛々と輝いた瞳。それは間違いなく、スナイパーのそれだ。私達が狙われない保障は無い。 「何しに来たの?…って言っても、なんとなく予想はつくんだけどね。」 クスクスと溢れんばかりの笑みを浮かべて、鴻上は手の中の銃を弄んだ。余裕の笑みだ。 そんな様子に朔夜も負けじと、あてつけのように肩を竦めて見せる。 「そう、おそらく予想通りでしょうね。―――あなたを殺しに来ました。この私に傷をつけたことは、それつまり死を意味する。なんて、言ってもわからないでしょうけど?」 「ウフフ、わかるわよ。あなたがそれだけ自信家さんだってことはね。」 以前ならば、断然朔夜が有利だと思われた。手にした武器は鎌。朔夜ならそれで十分だ。 しかし今は戦況が違う。朔夜が今までの一部始終を知れば、この場は撤退を選ぶだろう。 鴻上は今、とんでもない殺人鬼と化している。……そんな気がする。 人間とは時として、とんでもない底力を発揮する。今の鴻上が良い例だ。 「闇村さん――どうか暫しのお時間、その目を向けて頂ければ。」 「……ええ、焼き付けるわ。」 朔夜の言葉に小さく答えた後で、それが貴女の死に逝く姿だとしても、と、心の中で付け加える。 誰の応援もしない。ただ、この場は傍観あるのみだ。 傍にいる水夏にも、「動かないで」と目で伝えた。水夏は小さく頷いて見せた後、二人へと視線を戻す。 「さぁ、来なさい。」 自信に満ちた鴻上の言葉。 その直後、朔夜が駆けた。 パァン!! その音は朔夜が動いて、一秒も立たぬ内に鳴り響いた。 カンッ、と音を立てて転がった薬莢。 「――ッ!」 朔夜の腰元に掠った銃弾。それでも朔夜のスピードは僅かに衰えただけで、一気に鴻上へと詰め寄る。 ヒュン!!と鋭い音を立て、鎌が空を凪いだ。とん、と一歩後退しながら、鴻上は再び銃を構える。 朔夜は至近距離でないと攻撃が出来ない。故に間髪入れずに鴻上の元へと詰め寄るが、その行動があまりに一定でおかしい。朔夜はこんな無計画な動きをする筈はない。 だとすれば何か策が…… パァン!! 二発目の銃弾が放たれた次の瞬間、キィン!と耳障りな音が響いた。 「何ッ…!?」 鴻上が怪訝そうな声を上げた時、 「はぁあっっ!!」 精一杯の気合を込めて、朔夜は鎌を振りかざした。 今から後退しても、鴻上が避けきれることはない。 鴻上へと真っ直ぐに振り落された鎌は、ギンッと金属質な音を立てて阻まれた。 拳銃を盾にする、なんて――…。 ……常人の技じゃない。 「今、心臓に当たったはずよ!?どうして!」 「考えればわかることです!」 鴻上の問いかけを濁しながら、朔夜はトンッと自ら一歩後退した。 心臓。――確かにさっきの弾は、朔夜の心臓を捉えていたはずだ。 おそらく、朔夜は胸元に何か防弾チョッキの代わりになるものを忍ばせている。 だからあんな金属質な音が響いた。確かに考えればわかること、ね。 「心臓以外を狙えば良いことだわ。」 さして気に止めることもなく鴻上は更なる弾を繰り出そうと、銃を構えた。 「――闇村さん。」 ぽつりと、突然そばから掛けられた声に私は一瞬水夏へと目を向けた。 「何?」 再び二人へ目線を戻しながら、今は傍観者でいなさい、という意味も込めて出来る限り素っ気なく答えた。 朔夜が鴻上へと一気に駆ける。先ほど銃弾が掠った腰元から血がピチャリと滴るが、そんなことを気にしている余裕はないようだ。 鴻上が引き金を引く瞬間を見計らって、朔夜は重心を落とした。 パァン!! 朔夜の頭上を流れていく三発目の弾。そして朔夜の鎌が鴻上の胴を狙う。 「望月朔夜は」 水夏の言葉の間にも、戦況は刻々と変わる。 朔夜の鎌は鴻上が身を引いて空を凪いだかに見えた。しかし、ヒュッと赤い雫がフロアに散る。 鴻上の腹部を浅く掠ったのだろう。鴻上は僅かに眉を顰め、声を漏らした。 「闇村さんの何なんです?」 続く水夏の言葉に、私は一瞬言葉を失う。 この子……嫉妬してる。私と親しげに話していた朔夜に対して。 だけど、ここで嘘を吐くことも出来なかった。朔夜は耳が良い。あの子に否定されれば、一気に二人の信頼を失うことになる。……それは避けたい。ただでさえ、今は身動きが取れない状況だ。 「朔夜もあなたと同じ。優秀なペットよ。」 そんな私の言葉に、朔夜はフッと小さく笑みを浮かべた。 さすがにこの戦況下で茶々を入れることはないと思っていたのだけど―― 「そう!私は闇村さんのペット。中でも群を抜いて優秀な、ね!」 朔夜。 朔夜が自分自身を奮い立たせる為にそう言葉を紡いだことはよくわかる。 だけど気づくべきよ。――貴女の敵は目の前の女だけじゃないということを。 「ペット?……」 チャッ、と音を立てて、鴻上の銃口が朔夜を捉えた。 その瞬間、膨大なまでの威圧を発した所為で、朔夜はふっと動きを止めた。 「馬鹿馬鹿しい。…まるで、あたしに対するあてつけみたいね。」 「?」 鴻上の言葉が理解出来ない様子で、朔夜は怪訝そうに眉を寄せた。 銃口が自らに向けられていてもそれを避ける自信があるのか、朔夜は焦った様子もなくその場で足を止める。 「あなたは知らないのよね。折角だから話してあげる。――あたしが愛してた女の子はね、ある日突然、あたしをペットとして扱うようになったのよ。……ふざけてると思わない?」 「……私はそういう愛情表現、好きですけど。」 鴻上の求める同意に首を振った朔夜は、私を意識するように小さく笑みを浮かべていた。 「屈服して何が楽しいの?あんな威圧的な態度。人間同士なのよ?!」 朔夜の否定に悔しげに表情を曇らせ、鴻上はそう激する。 朔夜は尚も笑みを浮かべたままで、飄々とした様子で言葉を返した。 「それは飼い主の問題です。優秀な飼い主の下で働く喜びをあなたは知らないでしょう。」 あくまでも冷静さを崩さない朔夜。 ―――私は朔夜が、その表情を崩した事を見たことが殆どなかった。 今、この瞬間――朔夜がその表情に驚きを露にした事は、至極、稀なこと。 しかし、朔夜が何に対してそんな表情を浮かべたのか、私には理解出来なかった。 朔夜の視線の先にあるのは、 鴻上でも、私でもなく…… 「水、夏…!?」 気づいた時には、水夏はその手にナイフを握り締め、鴻上の背後へと駆け寄っていた。 ……鴻上、の…? 朔夜の表情が再び笑みに歪む。思わぬ助っ人が現れたといった所か。 そして鴻上は状況が理解出来ないように、左右を見回す。 それは、ほんの一瞬の出来事だった。 鴻上の真後ろでナイフを振りかざした水夏は、空気を唸らせてナイフを落す。 ようやく気づいた様に鴻上が振り向いた時、 そのままの軌道で、鴻上へと突き立―― ヒュン!! 否。 鴻上へ突き立てたのでは、なかった。 水夏は振りかぶった軌道上で、ナイフを手離した。 ほぼ直線の湾曲の軌道を経て、ナイフは―――朔夜へと。 「ッ、な……!!?」 朔夜は目を見開いて、そのままドサリと床に崩れ落ちる。 鴻上の肩越しに放たれたナイフは、朔夜の下腹部へと突き刺さっていた。 間もなくして、じわりと赤い血が朔夜の腹部に滲む。 水夏はそのまま身体の力を失う様に、鴻上の背へと額を当て、ずるりと床に膝をついた。 思いがけない展開に、私も、鴻上も、そして朔夜も驚きを隠せない。 唯一人、鴻上の後ろで膝をつき、荒い息を零す水夏だけが全てを知っていた。 「な、何よ…どういうことなの、これは!?」 鴻上が沈黙に耐えかねて声を上げる。 手にした銃を見下ろしては、それを誰に向けるわけでもなく。困惑を滲ませた表情で、結局私へと視線を向けた。 そう、ね。水夏の次に状況を理解しているのは私だわ。 「―――嫉妬、したのよね。」 水夏に目線を落とし、小さく言う。水夏は顔を伏せたまま、肩で息をするだけだった。 「朔夜も口が過ぎたわね。あんなことを言ったら、水夏が嫉妬することくらいわかるでしょう。」 そうして朔夜に目を向ける。仰向けに床に身を横たえたまま、苦しげに息を零している。 やられたのは、腸の様ね。…今施術すれば、まだ間に合う。 私にその権限があるかと言えば、無いわけじゃない。だけど、あったとしても……してあげない。 「ちょ、ちょっと待って。さっきからペットだとか何だとか。一体何の話なの?」 鴻上は尚も納得出来ぬ様子で、朔夜に背を向けて私へと向き直る。 もう朔夜のことは眼中に無い、といった様子で私を見つめる。 「……何の話って言われても、どこから話せばいいのかしら。」 「だから、ペットって……つまり、この二人はあなたのペットだって言うこと?この二人は参加者じゃないの?」 私へと一歩近づいて、追求するように問いを重ねる鴻上。 その問いかけに一つ頷き、 「そうよ。二人は参加者であり私のペット。」 「だって、あなたはスタッフなんでしょ?どうしてそんなことが…!?」 「……スタッフで間違いは無いけれど、正確にいえば…管理人よ。」 「管理人…?――管理人!!?」 ぽつりと復唱した後で、鴻上は驚きを露にする。 ……まずいわね。 「じゃあ、あたしたちをこの戦場で踊らせているのも!あたしたちが殺しあうのを差し向けたのも何もかも!あなたが仕組んだことだって言うの!?」 鴻上の言葉に、次第に憎しみが滲む。 当然だろう。ただのスタッフと言われれば、その人間に権限など無い。 しかし管理人ならば別だ。それに、彼女が言う言葉に嘘は殆どないもの。 正確には今回のプロジェクトから…なんて、そんなことは彼女にとってはどうでもいいことね。 私は、ずっと握ったままの銃を静かに握り直した。 最悪の場合、私は正当防衛として鴻上を殺すことになる。 ―――だけど。 「あ、はは…アハハハハ!!」 鴻上は不意に、高らかな声で笑い出した。 それは嘲笑とも取れる。微かに自嘲も混じった、醜い笑み。 笑みであるはずなのに、そこにある感情は憎しみや悲しみだ。 「アハハハ、あはははは!!この、銃ね」 にっこりと嬉しそうな笑みを浮かべて、鴻上はおもちゃを見せびらかす子どものように、手にした銃を掲げて見せた。 「涼華殺したので一発。それから、そこの望月朔夜と戦う時に三発撃ったのよ。」 ―――なるほどね。 鴻上に支給された拳銃は、装弾数五発。 要するに…… 「後一発残ってるの。…だからね、あなたのこと、殺してあげる。」 嬉しそうな笑顔で。そうして鴻上は、銃を握った。 先ほど鴻上が、「そこの望月朔夜」と呼んだ時に、朔夜へと目線を向けなかったこと。 ―――それが彼女の何よりの不注意だ。 ヒュン!! 彼女の背後から、鋭い音を立てて振り下ろされた鎌は 鴻上光子の頭部へ、深々と突き刺さっていた。 その顔を笑みに歪めたまま、ドサリと、鴻上はその場に落ちた。 即死だった。 「…お役に立てたよう、ですね。…良かった…。」 「朔夜。」 腹部にナイフを突き立てたまま、朔夜は笑んだ。 それは、今まで見せたことも無いような、幼くて屈託のない笑み。 まだこの姉妹が再会する前に真昼が話していたわね。朔夜の笑顔が、最高に可愛かったと。 ―――この笑顔のことなのね、真昼。 朔夜は握っていた鎌から手を離すと、バランスを崩すようにその場で尻餅をついた。 苦痛に顔が歪む。 「どうするつもり?………このままじゃ、死ぬわよ。」 私は低いトーンで朔夜に問い掛ける。 朔夜は、私を薄目で見つめると、小さく言葉を漏らした。 「闇村、さん……暗殺者は、このような痛手を負うことなど、…ご法度、です。」 「……」 「お願いが、あ、り…ま……」 朔夜の声は、吐息と混じって聞き取れぬほどにか細い。 それでも懸命に何かを私に伝えようと、唇を動かしていた。 「……こ、れを……抜いて、下さい……」 朔夜は腹部に刺さったナイフの柄を軽く握って、そう伝える。 私は一寸の間目を瞑った後、 「―――いいわ。」 と、一つ頷いた。 それが朔夜の望み。 ………直接的に私が殺すことになる。それは重々承知だ。 けれど、今だけは。 私は管理人であり、参加者なのだから。 私はそっと、朔夜の手に手を重ね、間接的にナイフを握った。 「……ッ!!」 刹那、朔夜の目が見開かれる。 ……私はまだ、力を加えていない。 そう、朔夜は自らの手でナイフを抜き取った。私の手が重ねられた、それで十分だと言うように。 朔夜の腹部から零れ出た血が、私の手を濡らす。 血の付いた手で、朔夜の頬をそっと撫ぜた。 「……お姉ちゃんに、……」 「朔夜…?」 「――…また、会えて、……嬉しかった、と……」 ぽつんぽつんと力なく言葉を漏らし、朔夜は静かに微笑んだ。 そして、ゆっくりとまぶたを下ろす。 もう二度と、その目が開かれることはなかった。 私は立ち上がると、廊下に座り込んでいる水夏の元へと近づいた。 朔夜の血が付いたナイフを、無言で水夏に差し出す。 「……闇村さん。私は本当に、これで良かったんでしょうか……」 水夏はナイフを受け取ると、赤い血に濡れたナイフへと目線を落とし、沈痛な面持ちで呟いた。 冷静さは取り戻している様だが、その分、罪の意識が芽生えて来たのだろう。 私は水夏の問いに何かを答えることはしなかった。 そのくらい自分で見つけなさい、と、無言で言いつけた。 「行くわよ、水夏。」 そうして返事を聞かずに歩き出す。 すぐに水夏も立ち上がり、後ろをついて来ているようだった。 ……。 ……フフ…。 「……闇村さん…?」 私の様子に気づいてか、おずおずと言葉を掛けて来る水夏。 水夏にちらりと目を遣ると、私はにっこりと笑みを向けた。 「楽しいと思わない?……舞台は益々赤く染まっていくわ。―――次は誰が死ぬかしら?」 「……。」 「こんなに楽しいのは、久々よ。」 真っ直ぐに言葉を放って、また笑みを浮かべる。 そう、これこそが ―――私が、心から望んでいたものなのよ。 プツン、と小さく音を残して、再び訪れた静寂。 今まではしっかりとメモを取っていた放送も、今回は耳で聞いて覚えるに留まった。 けれど確かに。間違いなく告げられた言葉。『7−A』 今、私―――木滝真紋―――と真苗が寝泊りしているこの部屋だった。 ベッドに横たえていた身を起こし、隣で眠る真苗を見遣る。 すぅすぅと心地良さそうな吐息を漏らして、熟睡しているようだった。 「真苗。…起きなさい。」 本当に心から安らかな寝顔。起こすのは少々忍びないけれど、今は一刻を争う時だ。 手錠のはまる右手で軽く揺り起こすと、カチャカチャと冷たい音が鳴る。 「うぅ、ん……」 真苗は小さく声を漏らし、私の方へと寝返りを打った。 微かに開いた唇は、すぐにまた規則正しい寝息を零し始める。 「こら、真苗。起きなさいってば。」 少し声のボリュームを上げて呼びかけると、真苗は「ふあ」と気の抜けた声を上げ、薄く目を開く。 今まで一緒に過ごしていてわかったのだが、この子は寝起きが悪い。起き抜けに機嫌が悪いとかじゃなくて、エンジンが掛かるまでに時間を要する。 尚も揺り起こしていると、完全に開ききっていない寝ぼけ眼で私を見上げ、 「……お腹痛ぁい。」 などとぼやく。起き抜けの第一声がそれか、と思わず呆れてしまう。 「私もあんたと同じ物食べてるのに至って健康体よ?…お腹のどこが痛いの?」 問い掛けると、真苗は下腹部に手を当て、僅かに眉を顰めた。 気だるそうにベッドの上を転がりながら、 「……生理、来ちゃったみたい。」 と、小声で告げる。 その言葉に納得しつつも、思わず肩を落とした。前途多難だ。 「今から一時間後には、この部屋は禁止エリアになるの。のんびりしてる暇、ないのよ。」 急かすように言って、起きなさいッ、と真苗の肩を引いた。 よいしょ、と年齢に相応しくない掛け声を漏らしつつ真苗は上体を起こしたものの、くてん、と力が抜けるように私に寄りかかる。寄せられた頭が目に入った時、不意に「綺麗な髪…」などと思ってしまう自分が嫌。 その髪を撫でてみたい衝動を打ち消し、ペコン!と頭を叩いた。 「うぅ……痛い……。」 真苗は泣きそうな表情で私を見上げ、ぷぅ、と頬を膨らませてみせる。 そんな様子にわざとらしく溜息をついて見せた後、真苗の体をぐいぐいと両手で押しつつ、 「トイレならトイレ!さっさと準備する!」 と急かした。真苗は不満げな表情を覗かせるものの、素直にトイレに向かおうとする。 そんな真苗は、先程からガチャガチャと存在感を誇示しているはずの手錠をすっかり失念していたのか。 「い、痛ッ。コラ、真苗!引っ張るなーッ!」 と悲鳴を上げるまで、私が手錠にずるずると引っ張られていくことに気づかなかった様だ。 ったく。起き抜けの真苗はいつも以上にバカなんだから…。 「あ?あはは、ごめんごめん。」 真苗は振り向いて能天気に笑んだ後、不意に腹部を押さえ「痛ぁい」と呻く。 これが崇りというものよ。 まぁそんなことは置いといて、二人してぞろぞろとトイレに向かう。トイレの中の戸棚には、ありがたいことに生理用品がしっかりと用意されている。昼用・夜用は勿論、失敗したくない日のスーパーガードやら、量の少ない日の「つけてないみたいな触感」のやつやら。タンポンまで置いてある辺り、その気遣いに感服だ。ここの管理者って随分と気の利く人間みたいね。 「ねぇねぇ、まぁや。思ったんだけど、なんで生理ってあるのかな。」 生理用品を漁りながら、ぽつりと真苗が零した言葉。 やっぱりバカだと実感しつつ、 「子どもを産む為に必要なのよ。いつ子どもが出来ても良いように、子宮内膜が厚くなるのね。これが着床する時のベッドになるわけだけど、ずっと厚くなるわけにもいかないから、それが剥がれ落ちるの。剥がれ落ちるのは排卵の後。ほら、生理の前って体調悪くなったりするでしょ?あれが排卵と思っていいと思うわ。で、排卵の後に剥がれ落ちる子宮内膜が生理ってわけよ。おわかり?」 と。わかりやすく説明したつもりだが、真苗はハテナマークを目一杯飛ばしていた。 その後、はっと我に返るように、 「そ、そのくらいわかってるわよッ。」 など言い返す。……絶対に嘘だ。 私の訝しげな視線を避けるように首を横に振り、 「違うの!そういうんじゃなくて、えっと、私たちって子ども産む必要ないじゃない。こんな女ばっかりの所だし、そのうち死ぬかもなんだし。なのに、何で生理は来るのかなぁって。」 と改めて疑問を投げ掛ける。真苗の問いかけの意図を察しつつも、やっぱりやっぱりこの子はバカなんじゃないかと思い直す私がいるわけで。要するにバカなんだけど。 「それは本能的なもの。身体の仕組みよ。……それに、絶対産むことないってわけじゃないでしょ?」 「そうなの?」 「そうなの?って。だって万が一ここから出て……。そう、もし生き残ったらよ。真苗……その、恋人の子ども産むつもり、ないの?」 その言葉、少し躊躇いながらも告げた。 あまり話すべきではないような気もしたけれど、真苗の恋人っていう、彼の存在が気になって仕方ない。 「…それは、そ、その……。今はまだ考えてないっていうか……。」 真苗は少し困った様に首を傾げては、言葉を濁す。「ふぅん」と小さく相槌を打てば、真苗は間髪入れず私に向き直った。その手には細いタンポンを持って。 「まぁやこそ、もしここから出たらいつか結婚するでしょ?…相手とかいるの?」 真苗の手にしたそれに目を引かれていて、質問に少し遅れて反応する。 そして真苗の問いを理解した時、ふっと言葉に詰まった。 私が、結婚? ……そんなこと、考えもしなかった。 ここから出てからどうするか以前に、ここを出ることを想定したことすらなかった。 私はきっといつかここで死んで、 私はきっとそれまでずっと真苗と一緒なんだと思ってた。 真苗が私のそばから離れることはあっても 私が真苗から離れることはないと思っていた。 考えれみれば、矛盾してる。 「まぁや…恋人、いないの?」 意外そうな表情は、喜んで良いのやら、って感じね。私は軽く肩を竦め、 「いないわ。…私が思想犯だってわかった時、面会に来てね。別れるよな?とか言うの。バッカみたい。何、確認してんだか。」 と、毒舌調に告げては真苗から視線を逸らす。 そっか。真苗には待っている人がいるけど、私にはいない。その違いか。 「酷い人……。私だったらそんなこと言わないのに。………まぁや。」 「同情ならやめてよ?あんな男、こっちから願い下げ。」 心配かけまいとしてか、それとも自嘲なのか。よくわからなかったけど、私は真苗に笑みを向けていた。 そんな私に真苗は弱く笑みを返すと、 「私は絶対裏切らないよ。…まぁやのことも、信じてる。」 そう、小声ながら真っ直ぐに告げてくれた。 そしてふと思い出した様に「トイレ!」と口にしては、私の腕を引っ張って行く。 この子。 本当に、バカよね。 私のことなんか気遣わなくていいのに。 恋人のことだけ想ってれば、それでいいのにね。 真苗が恋人の事を話してくれた時、……落胆した。 だけど同時に、なんだか安心した。 あぁなんだ、私はこの子の気持ちに応える必要なんかないんだって思って。 今までのまま、そしてこれからも、こうやってこの子と一緒にいればいいんだって、そう思って。 肩の荷が下りたような気分。自然に、いられる。 この子と一緒にいるの、悪くないかも知れない。 確かに真苗はバカだしエロだし、頭も痛くなるけれど だけど私はそんな真苗が 「まぁや!絶対に見ちゃだめよ、恥ずかしいから!」 「わかってるわよ。ミミタコ。」 ――……好きなのかもしれない。 「深雪さん。……見て。」 私―――茂木螢子―――は手招きをし、彼女を呼び寄せた。 「何よ?ゆっくりしてる時間ないんだからね?」 深雪さんは渋々といった様子で私のそばへやってくる。 此処は、八階にある武器庫。 私が唐突に言い出したのだ。「武器庫に行きたいんですけど。」 それはそれは、唐突に。あの時の深雪さんの怪訝そうな顔を私は忘れないだろう。 別に、特別欲しい物があったわけでもないんだけど、ちょっとした気まぐれ。 そんなこと言ったら深雪さんは「だめ」って言うに決まってるから、適当な理由で誤魔化した。 「ロープ?へぇ、そんなのもあるのね。使えそうじゃない。」 深雪さんは私が手にした物を見ては、感心したように言う。 「じゃあ、後で持って帰りましょうね。」 と笑みを返し、元の位置に置き直す。 そんな私を見て、やはり今一つ納得の行かぬ表情を浮かべる深雪さん。 さすがに、「銃弾を補充したいんです」は無理があったかもしれない。だってまだ十分なくらい、補充用の銃弾は残っていたもの。 気まぐれとかそういう言葉、普通は誰も納得しない。だからこんな無茶な言い訳も仕方のないことだ。 何か言い返される前に、私は次の行動に移す。 「ねぇ深雪さん。………キス、してくれません?」 「はぁ?…何言ってんの?螢子、やっぱり最近変よ。」 「いいじゃないですかぁ……。」 甘えるような声色で言いながら、ぎゅっと深雪さんの身体に抱きつき、上目遣いなんか使ってみたりして。 そういう技で相手がクラッとくるような可愛げは残念ながら備えていないけれど、深雪さんの場合は別。きっと彼女は私を見る時、美化フィルターのようなものを越して私を見ているから。 案の定、深雪さんは何か言葉を飲み込んで、私の頬へと手を当てた。 寄せられる唇に目を瞑る。私、彼女のキスが好き。 ロマンチックな欠片もなく、押し付けるような強引なキス。ゾクゾクする。 『くちづけは乱暴にするものよ ムードめいた真似だけはよして ほどけてみよう 先のことなんて考えるだけ無駄でしょう――』 そんな歌があった。ミサイルっていう歌。このフレーズが好きだった。 サビは、「いつまでもそばにいて」だった?そんなことはどうでもいい。『快楽に溺れてみましょう』 舌を絡ませて、深い深いキス。あぁ、その乱暴さが大好き。私の全てを食べ尽くしてしまうの――? 「……ッ、…螢子。」 深雪さんは顔を離し、いつもより少し真面目な表情で私の名を呼んだ。 ちょっと言葉に詰まった後で、息を吐き出し、続ける。 「こんな所でわざわざしなくてもいいでしょ?部屋に戻ったらしてあげるから。誰が来るかもわからないのよ。」 「こんなにエッチなキスをしておいて…そんなこと言うなんて、ずるいです。……誰も来ませんよ、もうすぐ禁止エリアになっちゃう部屋になんか。」 「万が一ってことがあるでしょ。」 「そんな低い確率の話、したくありません。」 深雪さんの背に回した手を、彼女の背骨に沿って撫ぜた。ビクッと小さく身体を震わせる、そんな深雪さんの反応が可愛い。 彼女の首筋に鼻を押し当てて、吐息をかける。 「螢子!!」 叱咤するような声が飛んだ。 渋々、顔を離して彼女を見上げる。 困った様に表情を曇らせて私を見つめる彼女に、私は小さく笑んで見せた。 「ごめんなさい、我が侭言って。……だけどもう一回だけ、キスしてくれませんか。そしたら素直に帰りますから。ね?」 お願い、と両手を合わせる。 深雪さんは少しの間迷った後、「キスくらいなら」と小さく呟いた。 今度は私の頭を抱いて、また、強引なキス。 あぁ、深雪さん。私、あなたのことが大好きです。 こんなキスをくれた人、他にいない。 狂おしいほどに、あなたに満たされました。もう満足です。 「…ン、ッ……あ、…!」 私も彼女の頭に手を回して、深く深く。 深雪さんが顔を離そうとしても、私は離してあげない。 苦しそうな声が漏れたって、構わない。 だってこのキスは、今までで一番最高のキスにするんだから。 背の高い彼女から流れ込む唾液を飲み干した。 彼女の舌に私の八重歯が触れたのか、血の味が混じってた。 ―――飲み干した。 深雪さんの唾液、深雪さんの血液。何もかもを私の中に取り込もうとするように。 心も体も熱くなる。これで終りだと思うと悲しいなぁ。 「……ッはぁ。…オシマイ。」 やっとのことで彼女は私から逃れ、終止符を打つ言葉、告げた。 私は笑顔で「はい」と頷いて、彼女から身を離す。 深雪さんは私の表情に不思議そうにしていたものの、ふっと笑みを零し、私の頭をくしゃりと撫でてくれた。 「で、螢子の銃の弾はどこにあるの?」 「……探してもらえます?」 「はいはい。」 肩を竦めて、武器庫の棚に向かう深雪さん。 なんて無防備な背中なんだろう。 私は静かにロープを手に取った。 危険信号。危険信号。 危険信号。―――赤。 最高のキスをありがとう。 大好きです。 「――螢子…?……何、するの…!?」 間もなく夜の十二時になろうとする頃。時計を見上げては、溜息をつく。もう何度繰り返しただろう。 その戸惑いに終止符を打つべく人物はまだ、私―――望月真昼―――の前に現れない。 「……朔夜、どうしたのかしら。」 一時間程前に突然、「ちょっと出かけてくる」と言い出した朔夜。 追求すれば、私を邪険にするようにあしらいながら「女を殺しに行くだけだ」と、告げた。 殺しに行く“だけ”? 朔夜、あなたは何を言っているかわかってるの? 私のそんな問いかけに、『お姉ちゃんとは住んでいる世界が違うんだ。』と、朔夜は冷たく言い放った。 それ以上言葉を返すことが出来なかった。 だけどね朔夜。私達は同じ家で生まれ、同じ両親に育てられたのよ。 それなのに、世界が違うだなんて。確かに長い時間を別々の場所で過ごしたけれど、だけど私達は、間違いなく血の繋がった姉妹なのよ。 そんな朔夜を理解したかった。理解して欲しかった。 だけど……諦めてしまった私が居た。 もしそんな私が顔を出さなければ、私は必死で止めただろう。 「行かないで。……もう、私のそばから離れないで。」 と。朔夜に告げることの出来なかった言葉を今更紡いでみても、椅子に腰を下ろした鏡子が不思議そうに瞳を揺らすだけ。慰めの言葉すら持たぬ、可哀相な女性。 鏡子はすぐにパソコンに目線を戻し、マウスを手にして動かしては、画面上で動く矢印を目で追っていた。 興味深いおもちゃだとでも言うように、時々楽しげな笑みが漏れる。 カチカチと音がするのは、無造作にマウスをクリックする音なのだろうか。 「……鏡子、少し静かにして。これはおもちゃじゃないわ。」 次第に苛立つ感情を抑えるようにこめかみに手を当てながら、私は鏡子のそばへと歩み寄った。 鏡子の手元のマウスを取り上げようと手を伸ばした時、ふとパソコンの画面を目にして、私は動きを止める。 そこには、『メールアイテム一件を完全に削除します。よろしいですか?』というポップアップの警告が表示されていた。 「ま、待って!」 少し慌ててマウスへと手を伸ばすが、私の手が彼女の手に触れる直前、カチッと小さく音がした。 「……、退いて。」 鏡子の手を退けて手にしたマウスを操作し、メールソフトを閲覧する。 ふとパソコン隅に表示された時計に目を向ければ、時刻は十二時を数分回った所だった。 ―――まさか。 受信トレイを開き、目を走らせる。 2030/11/08 0:00 2030/11/09 0:00 2030/11/10 0:00 2030/11/11 0:00 全て開封済みの四通のメール。そして在るべき五通目のメールは、そこには存在しない。 先程私が鏡子の手からマウスを取り上げる直前に押されたボタン。おそらく、押したのは『YES』の文字。 なんてこと……。 「……鏡子。」 椅子に座った彼女の両肩に手を置いて、諭すように言葉を掛ける。 鏡子はゆるりと振り向いて、私を見上げた。大きな丸い瞳に映るのは、曇った表情の私の顔。 それを見るのも辛かった。 鏡子の身体をぎゅっと抱きしめる。目を瞑れば、湧き出す涙も堪えられるような気がした。 「お願いだから、勝手な事をしないで。……もしも朔夜が死んでいたら、どうするの…。」 それでも頬を伝う涙。彼女の膝に置かれた手を、ぴちゃりと濡らす。 「朔夜まで失ったら、私はもう…… どうすれば、いいのか……。」 わからない、と言葉に出来ずに、きゅっと唇を噤む。 鏡子に悪戯はいけないと教えるつもりだったはずなのに、零れるのは弱音ばかりだった。 「朔夜にもしものことがあったら……」 「死にません、よ……」 不意にぽつんと零された言葉が、どこか朔夜の口調に似ていて驚いた。 そう、それは、闇村さんに話す時、朔夜が使う流暢な敬語。 鏡子から身体の離して、その目を再び見つめた。 「……朔夜は、死なない…あんな性格、ですし……死ぬわけがありません……。」 呟きにも似た口調だったが、その言葉を紡いでいくのは確かに鏡子の唇。 もう既に言葉を発さなくなって久しいというのに。 「鏡子、あなた……まだ自我が……?」 「それに…朔夜がいなくなっても、私がいますから…。だから、泣かないで……。」 私の問いかけに答えようとはせずに、鏡子が紡ぐのは私に向けた慰めの言葉。 鏡子は静かに手を伸ばすと、私の頬に伝った涙をそっと指先で拭ってくれた。 拙いその行為に、あたたかな優しさを感じる。 もうどうでも良かった。この子の洗脳が解けていようと、もう、私にはどうでも良かった。 「……お願い、あなたは私のそばにいてね。……お願いよ。……お願いだからッ…!」 彼女の瞳を見つめて告げると、声が上擦り、また涙が溢れて来る。 それを隠すように、彼女をぎゅっと抱きしめた。 その温もりにすがりつくかのように。 ふわりと、私の手に鏡子の手が重ねられる。 「私は、ずっとそばに居ます……。……お姉ちゃん…。」 それが何かの冗談だとしても、彼女の気遣いだとしても、 嬉しかった。 お姉ちゃん。そう呼ばれることで、朔夜がそばにいるように感じる。 朔夜。お願いだから無事でいて。お願いだから、また私の元へと戻って来て。 また、あの笑顔を私に見せて――。 「ゆき。…矢沢深雪って聞いたことある?」 パソコンの画面を凝視するのを止めて、私―――田所霜―――はふとゆきに問い掛けた。 ゆきも私と同様にパソコンの画面を見つめていたが、私の問いかけに顔を上げた。 今は二人、死亡者リストに水夏の名前がなかったことに安堵で胸いっぱいといったところ。 だが、だからといって「良かった」とも言えない。水夏は無事でも、その陰で死に逝く人が居るのだから。 死亡者リストにあった『矢沢深雪』という名前が頭に引っかかる。 「…矢沢深雪…?」 椅子に座って私を見上げ、名前を復唱しては考え込む様子を見せたゆき。 すぐにその答えが出たように「あ!」と声を上げた。 「前にテレビ局のテロ、ありましたよね。あのテロリストグループのリーダー、そんな名前じゃなかったです?」 「……あぁ。なるほど。……さすがはテレビっ子だな。」 妙に感心して、ゆきの頭を軽く撫でた。良い子だ。 ゆきは「そういう問題じゃないような…」と呟くが、撫でられれば照れくさそうに表情を綻ばせる。 「でも、本当にこの人たち…死んでるん、ですか?望月朔夜さん。鴻上光子さんに、叶涼華、さん。それと…」 そうしてゆきはまた表情を曇らせ、昨日届いたメールを開いた。 そうだな。このことに関しては、私も無視は出来ないし、気落ちする。 「吉沢麗美……か。」 呟いて、以前に出会った女性の姿を思い浮かべた。 色々と話したことは話したが、気になるのはゆきの心の面だ。ゆきは彼女に随分懐いていたようだから。 「レミィさん……。どうして、どうして死んだりするんですか。……あたし…」 涙目になっていくゆきの頭をガシガシと撫で、それでも堪えきれずに目をキュッと瞑るゆきの頭を抱いた。 泣くな、と、そんな言葉は今は適切じゃないような気がした。 だけど、泣いている姿なんか見たくはない。 「“私は、一人だからね。”……って、レミィさんが言ってて……ねぇ先輩、レミィさん、誰か友達とか出来たでしょうか。ここで、誰かに出会えたりとか……」 「ああ、きっと。……大丈夫、私達みたいな初対面の人間を拾うような人だったしな?大丈夫だよ。」 「……はい。」 コクンと、私の腕の中でのゆきの頷きは、弱々しいものだった。 私は更にゆきを抱く腕の力を込め、 「水夏のこともあんまり心配しすぎるなよ?……あいつはまだ、生きてるんだ。」 と、言葉を続けた。 またゆきは頷いた。今度は先程よりも強く、確かに。 しばらく無言でゆきを抱きしめていると、ふと、黒い窓硝子に映る私達の姿が目に入る。 私が抱きしめるべきなのは、本当にゆきなんだろうか。 …――本当は、水夏を抱きしめてやりたかった。 いや。別にそんな感情でゆきを抱いているわけじゃない。私もどうかしている。 だけどなんだか、不安で仕方ないんだ。 水夏。こうやって捕まえていないと、どこか遠くへ行ってしまいそうなのに。 なのにもう、水夏は手を伸ばしても触れられない。 水夏は今、その目に何を映してるんだ? 水夏はあの時、その目に何を映してたんだ? 今はもうわからない。答えは――…闇の中。 途中経過 Next → ← Back ↑Back to Top |