BATTLE ROYALE 15




「水夏先輩、大丈夫でしょうか……。」
「あぁ、どこにいるんだろうな。」
 あたし―――沙粧ゆき―――と、霜先輩と。
 ずっと、こんな会話を繰り返していた。
 霜先輩が自分から口を開くことはなくて、あたしの言葉に対して、相槌を打つように何か言うだけ。
 夕方の五時十五分。窓から差し込む夕日が少し眩しい。
 あぁ、もう。…こんな時間、耐えられないよ。
「先輩、探しに行きませんか?」
「……探すって、どこを?」
「うぅ、わかんないですけど……あ、ほら、霜先輩の部屋は近いじゃないですか。そこに身を潜めてたり…」
「何言ってるんだ。私の部屋なんだから、私が居ないと入れないだろ?」
「あ、そっか。ですね……。」
 それに、部屋を出ちゃだめって書いてあったし。……あぁ、でも落ち着かないよぉ……。
 あたしは部屋をうろうろしてて、霜先輩は窓枠に無理矢理頬杖をついて、外を眺めていた。
 先輩、何を見てるんだろう。
 ――ううん、きっとこないだの水夏先輩と霜先輩との会話と同じになるんだ。
 『…水夏。何を見てるんだ?』『何も。』『そっか』
 でも、あたし。
 あの時、本当は羨ましかった。
 あたしだって、すごい気まずいのがイヤで、先輩達に何か話し掛けなきゃって思って。
 でも出来なかった。あの沈黙の中で口を開く勇気がなかった。
 霜先輩、あたしの方もたまに見てくれてた。沈黙に耐え切れなくてパソコンでゲームなんかやってたけど、本当は、霜先輩が話し掛けてくれないかなって期待してた。
 だけど、霜先輩が話し掛けたのは水夏先輩で。
 水夏先輩は素っ気無くて、なんか、悔しくて。
 あたしに話し掛けてくれれば、もっと明るく振舞えたのに。
 霜先輩は、すごく空気の悪い水夏先輩の方を選んで――…それが、悔しかった。
 ………。
 水夏先輩のそういう部分が、あたしは、少し苦手で。
 別に自己中とかそんなんじゃない。ただ、霜先輩と仲良しなだけなんだけど、でも。
 あたしにとってはそれが、嫌だった。
 霜先輩を、一人占めしないで。
 あたしは。
 ………あたしは、ずっと霜先輩のこと、好きなんだから。
 きっと、絶対に、水夏先輩よりも。

「あのさ、ゆき?」
「…は、はい?」
 掛けられた声に振り向くと、霜先輩はあたしの方に向き直っていた。深刻そうな表情で、あたしを見つめる。
「水夏のやつ、何か言ってなかったか?…なんでもいい。あいつが一人で出て行った理由が知りたいんだ。」
「……」
 真っ直ぐに告げられたその言葉に、あたしは目線を落として考え込んだ。
 ――そうして、すぐに浮かんだことが、あった。
 霜先輩と目線を合わせると、先輩は「何かある?」と、期待を込めた口調であたしに問い掛ける。
 でも、あたしは小さく首を横に振った。
「いえ。……何も、浮かびません。」
「――そうか。」
 落胆した霜先輩の声。
 本当は、言うべきかもしれないけど。……でも、言っちゃ、だめなの。

 昨晩のこと。
 狭いベッドで三人寝るのも慣れて来た深夜。
 あたしは眠っては目覚めて、また眠っては、という、眠りと覚醒の間でふらふらしていた。
 だから、何時頃だったのかはわからない。
 不意に、ぽつりと水夏先輩が何かを言った。
 半分寝ぼけた頭で、霜先輩とでも話してるのかなって思って聞いてた。
「――なぁ、霜。起きてるか?」
 何度か、そう確認するような声を掛け、そして何度目かで「寝てるよな?」と、自己完結するような呟き。
 その後、水夏先輩はゆっくりと話し始めた。
 眠っている霜先輩に向けて。起こさないような声で、話し始めた。
「お前とはホント、長い付き合いになるな。二年半だっけ?…まだ、たったの二年半って感じもするけど、ね。」
 ふふ、と小さく息を漏らす。あたしは水夏先輩に背を向けて眠っていたので見えなかったけど、なんだか、口調を聞いているだけでも表情が目に浮かぶ様。懐かしそうに目を細め、その口許に笑みを浮かべた水夏先輩が。
「本当、色々あったよな。三人でギャーギャーやってただけ、って気もするけど。」
 …主にギャーギャーやってたのは、あたしと水夏先輩であって……。
「今まで楽しかった… なんていうと、ホントに終わりみたいでヤだけど。………もしかしたら、もうすぐ死ぬかもしれないだろ?だから…」
 ふっと、水夏先輩の口調が深刻で、少し緊張しているように聞こえた。…あたしの気のせい、だろうか。
 わからないけど、聞いているあたしまで、ドキドキしていた。
 水夏先輩は、「だから話さなきゃいけないことがある」と、零すように続け、一つ、大きく息を吸った。
 そして、
「…霜が好きな人、私、知ってる。」
 と、そう言った言葉、聞き覚えがあった。そう、あの夕暮れの時に話してたんだ。
 あの時、あたしはその言葉に驚いて、絶句したままに霜先輩を見た。
 先輩は、あたし以上に驚いた表情で、水夏先輩を見つめていた。
 ――その時咄嗟に、あたしは聞かなかったことにしたんだ。
 パソコンに目線を落として、がちゃがちゃマウスを動かしてた。
 霜先輩の好きな人。―――あの時、少し、ピンって来ちゃった。
 夕暮れの時、水夏先輩は「なんでもなーい」なんて誤魔化していたけど、深夜、霜先輩に語りかける時
 水夏先輩は更に言葉を、続けた。
「私だろ?」
 その言葉は確信しているような口調で、だけど、なぜか少し切なげでもあって。
 水夏先輩の予測は、あたしの予測とも一緒。
 霜先輩の好きな人は水夏先輩なんだって。気づいてた。
 それが悲しくて悔しくて、ぎゅって毛布を抱いた、その時だった。
「――私も、お前のこと、好きなのかもしれない。」
 水夏先輩が言った、その言葉に心底驚いて。
 でもそれは、ものすごく意外っていうわけでもなくて、あぁそうなんだぁって実感した。
 二人は両想いだったんだぁって。
 あたしには、一つも矢印の向かない三角関係。
 あぁ、切ないなぁ。悲しいなぁ。
 だけど、誰も見ていないけれど、あたしは頑張って笑顔を作った。
 うぅん、それは笑顔の練習だった。『おめでとうございます。先輩!!』
 二人の想いが通じた時、笑顔で祝福する練習。
 あぁ、あたしは耐えられるのかなぁって。―――泣きながら、笑顔、作ってた。
「……ゆき。」
 水夏先輩にぽつりと名前を呼ばれた時、少しビックリした。
 涙が零れる目を、ぎゅって瞑って、耳だけを傾けた。
「お前も大切な後輩なんだからな?……だから、私は二人を守ってやりたい。」
 真剣な言葉。
 あぁ、水夏先輩はあたしのライバルである前に、先輩だ。
「……神崎美雨。あの女がいなくなるだけでも、違うと思う。ある意味、あの女は私のライバルだからな。」
 そして、あたしのライバルは、あたしのことなんかライバルとして見てなんかないんだ。
 ―――そういうところが、水夏先輩らしいんだけど。
「いつか絶対、あの女と戦って、そして勝つ。………止めるなよ。」
 どうして、そんなことを言うんだろう。
 それは、誰に向けた言葉なんだろう。
 そんな疑問に答えるように、水夏先輩が続けた言葉。
「……ゆき。霜には言うなよ。」
 釘を差す様に「いいな?」と付け加えられた水夏先輩の言葉。
 …何考えてんだか。
 そんな先輩がなんだか可愛くて、愛しくて。あたしは少し笑って、「…はい。」と、小さく答えた。
 少しバツの悪そうな沈黙が流れた後、
「良い返事だ。」
 と、照れくさそうに、そう言った。
 ―――翌朝、水夏先輩は姿を消した。








 私―――闇村真里―――を睨みつける、その真っ直ぐな瞳。
 本当に素敵よ、水夏ちゃん。
 私のことを「お前」だなんて呼んでくれる人って、まず居ないのよね。
 だからちょっぴり嬉しくて、つい関係ない話までしてしまったけれど。
 時間も時間、丁度日も暮れて来たことだし、そろそろ取り掛かろうかしら。
 水夏ちゃんに「お前」って呼んでもらえなくなっちゃうのは、寂しいけど、ね。
「―――絶対に耐え抜いてやるからな。私が服従しなかったら三人一緒に解放するなんて言った事を後悔させてやる。」
 水夏ちゃんはそう言い放ち、尚も私を睨み続ける。
 その瞳に微かに揺れる、怯え。
 どんな手段で服従へと繋ぐのか。興味深いでしょう?そして、怖いでしょう?
 だけど大丈夫。さっきも言った通り、痛いわけでもない、脅しでもない。
「さぁ、それじゃあ、―――貴女を」
 にっこりと微笑んで、水夏ちゃんの肩に手を掛けた。
 貴女に与えるのは、唯、一つ。
 それは …… 快楽。
「貴女を抱くわ。」
 告げたその時、抵抗するように身体を引いていた水夏ちゃんの動きが、ふっと止まる。
 小さく見開いた目で私を見つめ、ククッ、と小首を傾げた。
「……なんだと?」
 問い返す声は掠れ、小さく、怯えを滲ませて。
 可愛い子。こんなにも強がって、恐怖して。
「怖がること、ないでしょう?……私に身を委ねていればいいのよ。」
 首筋にするりと指を這わせれば、反射的な動きでその上体を逸らす。私から逃げるように。
 じりじりと後退したところで無意味だということは本人もわかっているのだろう。だけど、逃げずに居られない。
 ドンッと小さく音がして、水夏ちゃんの背がベッドの淵にぶつかる。その向こうは壁。もう逃道はない。
「いや、だ。…お前に抱かれるなんて、絶対にいやだ。…近寄るなぁっ!」
 首を左右に振りながら、ぽつりぽつりと紡いでは、私に向けてそう怒鳴りつける。
 聞けない注文だとばかり、私は微笑んで。
「いいじゃない、セックスくらい。痛くもなければ、誰が傷つくわけでもないわ?」
「……訴えてやるからな。お前の言う通り、私達三人がここを出たら、すぐさま警察に駆け込んでやる。お前のこと、姦淫罪で訴えてやる!」
 そんな彼女の言葉、鼻で笑いたい気分。警察なんて私よりも遥かに下の人間よ。私に罪なんて存在しない。
 いいえ、それ以前に―――
「強姦罪だと言いたいんでしょう?同意の上じゃないんだって、そう言いたいんでしょう。……それも今だけよ。」
 そうして、彼女のそばに近づいていく。
 これ以上逃道を持たぬ少女は、耐えるようにその顔を逸らした。
 頬に手を添えて、私は顔を近づける。
「すぐに自分から求めるようになる。」
 耳元で囁いて、頬に宛てた手を滑らせ、その髪を梳いた。
「…ッ……!!」
 尚も抵抗するように私を睨みつけ、両手の自由は奪われてもまだ身動きの取れるその身体を揺らし、懸命に抗う少女。その動作が、そして憎しみが、私にとっては加速剤になる。
 サディスティックな囁きは、彼女の耳元へ。背徳的な言葉を紡げば、少女は恥ずかしげに頬を朱に染める。
 その後で、強引に頭を抱いて、乱暴なくちづけを。
 眉を顰めながらも、抗う力を弱め、抵抗にもならぬ抵抗を続けながらキスを受ける少女。
 二人の唇が擦れるように、何度も触れては離れ行く。
 固く閉ざされていた少女の唇が、小さく開かれた。私は、ゆるく舌を差し入れ……
「―――…!」
 ガチッ!と、硬い音がしたのは、私が顔を引いてすぐの時。
 まるで牙を剥き出しにした狼のよう。憎しみの眼差しは一向に衰えていなかった。
「…私の舌を噛み切ろうだなんて、バカな真似を。」
 冷たく一瞥して、言い放つ。
 少女はそんな私を睨みつけた後で、ふっと、歪んだ笑みを漏らした。
「お前に抱かれるくらいなら、殺した方がマシだ。」
 自嘲的に肩を揺らしながら、微かに乱れた吐息を零す。そんな少女に私は小首を傾げては、笑みを含ませた問いを投げ掛けた。
「死んだ方が、じゃなくて?」
 どんな答えを返されるのか、楽しみにしながら。
 すると、少女は言葉を失う様に口を閉ざし、私から目線を逸らす。
 そう。所詮はその程度。醜いプライド――……
「…好きな人が、いるんだ。」
 ふっと、囁くように告げられた言葉。それは予想とは裏腹で、私は興味を引かれた。
 少女は目線を落とし、言い躊躇うように、その目線を泳がせる。
 どこか切なげな表情を浮かべて、言い捨てるように少女は続けた。
「お前も知ってるだろ?…田所、霜。…私は、霜のことが好きなんだ。――だから、だからあいつを守ってやりたいんだ。こんなところで油を売っている場合でもないし、あいつを残して死ねるわけがない。」
 一つ一つ紡がれた言葉には、少女の想いが確かに込められていた。こんな人間ドラマ、間近で見るのも久々よ。
 敢えて冷笑を向け、私は問いを向ける。
「だから、死ねない?――じゃあ、田所霜が死ねば貴女は死ぬというの?」
「それは… わからない。けど、生きていたいとも思えない。…あいつを守ることが、今の私の使命だ。」
「……なるほどね。だから操を守らせて欲しい、とでも思っているのかしら。」
「そんなんじゃ…」
 私を見上げて小さくかぶりを振る少女に、また冷たい視線を落とす。
 黒い眼、スッと細めれば、ほら、怖いでしょう?
 少女は怯えるように顔を伏せて。
「………抱かれたら、気持ちが変わってしまうとでも言うの?」
 私は問いかけながら、少女に手を伸ばし、身体のラインを衣服越しになぞっていく。
 小さく身体を震わせ、拒絶するように身を捩る。―――抵抗するなら、乱暴に行くわ?
 ゆっくり落とすのも良いと思った。けれどこの子、少し手荒に行かないと駄目みたいね。
「変わるわけがない!私はずっと、霜のことだけを…!!」
 その頬に帯びた朱色。あまりに純粋で、幼い恋慕。真っ直ぐな正義感、一途な想い。
 打ち砕いてあげる。
 私がその白色を、漆黒に染めてあげる。
 闇色に、堕としてあげるわ。
「その言葉、よぉく覚えておくことね。――今後、貴女が同じ言葉を紡ぐことは、絶対にないと断言するわ。」
 少女の唇、指先でなぞり、そして口内へ忍ばせていく。
 滑り込んだ中は熱く湿っていた。
 ギシッと軋むような痛みは、少女が歯を立てたから。
 それも予想済みのこと。構うことなどない。
「う、……ぐっ……。」
 口内を犯され、苦しそうに眉を顰める少女。
 抵抗するように振る頭を、空いた左手で抱き寄せた。
 少女が噛んだ指先から、血が滲む。きっとその味が彼女の舌を覆っていることだろう。
 そして、唾液と共に飲み込まれていく。
 血と、唾液と。混ざり合った液体が私の指先を濡らす。
 するりと抜き取った指には、少女の歯形が赤く残っていた。纏わりついた液体は、赤を滲ませた透明。
 それを舌で舐めとって、私の唾液と混ぜて嚥下する。間接的な交換の後は、更に先へ。
「口だけで、感じた?」
 少女を抱き寄せながら悪戯に言葉を掛けて、若干勢いの衰えた少女が何かを言うよりも先に、
 その唇を奪う。
 頭を抱いて、深い深ぁいくちづけ。
 差し入れた舌は、先程の指と同様に少女の口内を蹂躙していく。
 今度は、歯を立てることはしなかった。
 無抵抗に投げ出された舌を緩く舐めれば、私の舌から逃れるように退いて行く、その動きまでも可愛くて。
「あ、…ぅ……」
 少女が漏らした声は、苦しみのそれとは違う、どこか甘美な響き。
 唾液の混ざる淫らな音、きつく抱いた身体、送り込まれる唾液と、舌を使った愛撫。
 少しずつ、少しずつ、堕ちていく少女。
 顔を離し、指先で少女の頬を撫ぜる。私の指から滲んだ血が、跡を残した。
 ふっと目が合った時、少女は弱く、首を左右に振ってみせた。
「これ以上、しちゃ…だめ、だ…。お願い、だから…。」
 先程とは別人のように弱々しい口調で、懇願するように言って、目を伏せた。
 その目の端から一筋、涙が零れ落ちた。
 悲しいのね。
 薄れていく自我が。薄れていく想いが。
「大丈夫よ。」
 彼女の眼鏡を外し、そっと涙の跡を拭う。
 そして、胸に抱くように抱き寄せた。胸元に押し付けられた少女の顔、身動きはなく、唯、熱い吐息だけを感じる。
 ゆっくりと髪を撫でながら、私は言葉を続ける。
「すぐに、他のことなんか忘れさせてあげる。」
 少し身体を離すと、少女は悲しげに私を見上げた。
 そこに憎しみは見えなかった。ただ、悲しみだけを映した瞳。
 まぶたにキスを落として、閉じた瞳を指先でそっと撫ぜる。
「私で満たしてあげるわ。…最上の快楽と共にね。」
 どさりと、彼女の身体をベッドに押し倒し、いくつものキスを降らせた。
 甘い吐息、震える身体、色づいた肌。
 少女の領域を侵していく。この子のプライドも、恋愛感情も何もかも、私の色に染め上げる。
「―――水夏。貴女は私の物よ。」





 パタン。静かに扉を閉めた後、あたし―――鴻上光子―――は左右に伸びた廊下を交互に確認し、人影がないことに一先ず安堵する。涼華の自室であり、今は涼華が一人で眠っている部屋、『12−A』。そのプレートがかかった扉をちらりと見遣った後で、足早にあたしは廊下を歩き出す。勿論、唯一の武器である拳銃は忘れない。
 ここ、十二階に部屋があって何が嬉しいかって、飲食室が同じ階にあることだ。部屋から出る恐怖には変わりないが、階を移動しないだけでもずっと違う。時刻は夕方の十八時頃。他に食べ物を探しに来る参加者と鉢合せする可能性もないこともないんだけど、あえて裏をかいて、食事時なら皆避けるんじゃないかな、って思って。
 それにしても、気になるのは涼華のこと。涼華が涼華じゃなくなってしまったみたいで、なんとも言えない恐怖を感じる。あの感覚はまだ払拭できていないけど…それよりも。
 今朝から、涼華がひどい熱を出したまま、一向熱が引く様子を見せない。風邪なんかじゃないみたいだし、この間の怪我の傷口も治ってきているみたいだし…。だとしたら、一体何が原因であんな熱が?
 原因不明の病。こんなところで、そんな状態に陥れば……不利なのは、明らかだ。
 一体どうしたらいいの?ただでさえ涼華がおかしいのに、更に病気まで抱えちゃったりしたら、もうあたしまで頭痛くなってきちゃうじゃない!
 思わず溜息などつきつつ、たどり着いた飲食室。扉の前で少し耳を澄ませ、中に人の気配が無い事を確認した上で、そっと扉を開けた。やはり中に人影は無く、先程とは別の溜息をつきつつ、室内に滑り込む。
 飲食室は、この部屋の中でも食べられるし、テイクアウトも出来るようになっている。置いてあるのは冷凍食品や携帯食。コンビニ感覚といったらわかりやすいだろうか。内装もそんな感じだし。大型の電子レンジで温めて、ビニール袋に入れてお持ち帰り。
 個人的に大好きなパスタ類をメインに、適当に見繕っては電子レンジにIN!
 そして少しの待ち時間、あたしは壁に背を寄せて腕を組んでは考えた。何を、というわけでもない。
 これからどうなるんだろう。これからどうすればいいんだろう。
 そんなことを、ただ、ぼんやりと。
 答えなんてみつからない考え事。
 ――それはあまりに、悠長に。

「…と、……を持っ……」
 不意に。人の声が聞こえたような気がした。
 いや。…確かに聞こえた。
 あたしは身を強張らせ、その声の主を探す。
 ――すぐに察する。飲食室の扉の向こう側。
 会話をしているようで、その声は一つだけ。しかし独り言とも思えない。
 あたしは拳銃を握り直し、扉を見据えた。扉が開けばすぐにわかる。
 逆に、向こうからもあたしの姿はすぐに見えるだろう。
 しかし今動ける状態とも思えない。もし向こうが気配を察することの出来る人間ならば、気づかれる。
 そうして少しの時間――それはあまりに長く感じる時間――を持って、見えない敵を睨む。
 その時だった。
 ピー。 …と、やけに大きな機械音が鳴り響く。音を発したのは電子レンジ。
 驚いた。そしてすぐに、驚いている場合ではないと気づく。
 しまった。この音は、きっと向こうにも――
「誰か、いるんですね?」
 扉の向こうの人物は確信的な口調でそう告げた。そう、あたしに向けて。
 このままやり過ごせるとは思えない。
「扉を開けたら撃つわ。今すぐこの場から立ち去りなさい!」
 声を張り上げ言った。出来る限り虚勢を張って。それでも微かに、声が上擦った。
「そんな怖いこと、言わなくてもいいじゃないですか。私は食事を見繕いに来ただけです。」
「だからって……」
「今から別の階の飲食室に行けと?それでもし危ない人物に会ったら困ります。ほら、例えば神崎美雨だとか?」
 扉の向こうにいる人物の声はあまりに冷淡だった。事も無げに言葉を続けては、一寸の沈黙を置いた。
 何を言い返せばいい?そもそもあの人物の言っていることも矛盾している。
 危ない人物――あたしは、その危ない人物だとは認識してもらえないわけ?
「私は別に危害を加える気はありませんから。」
 扉の向こうでそんな声がした。次の瞬間――ガチャ、と扉が開かれた。
「ッ…!」
 迷った。今こうして指を掛けている引き金を引いてしまえばそれで済むことだ。
 だけど
 だけど本当に、ここで人を殺めてしまったらあたしは……!
「………」
 扉がこちら側に押し開けられ、佇む女性が一人。
 彼女の手には何もない。武器と呼ばれるものを持っているようには見えなかった。
 女性を見つめる。まだどこか幼さの残る顔立ち。黒髪は後ろで結ってある。感情の無い瞳で、あたしを見ていた。
 今引き金を引けば、間違いなく彼女の心臓を捉えるだろう。一瞬で、死に行くだろう。
 だけどあたしには、出来なかった。
「……あなたの名前は?」
 小さく問い掛ける。女性は尚も表情無くあたしを見つめるだけだった。
 あたしの問いかけを聞いていないような様子で、身動きせずに佇んでいた。
 返答を諦めかけたその時、ぽつりと
「…望月鏡子。」
 と、女性は言った。その声は、先程とは比べ物にならない程微かで、抑揚も無い。
「望月鏡子……?」
 復唱して、あたしは眉を顰めた。そんな名前の参加者、居ただろうか…?
 そんな思案をしていれば、女性が動いた。
 こちらへと一歩踏み出して、また一歩。ゆっくりとした動作でこちらへ近づいて来る。
「う、動かないで!本当に撃つわよ!?」
 そうして銃を誇張した時には、さすがのあたしも覚悟を決めた。
 殺さなきゃ殺される。…正当防衛だと。
 それでも女性は動きを止めない。
 仕方が無かった。
 あたしは銃口を僅かに下げ、そして引き金を引いた。
 パァン!!
 室内に響き渡るような音と共に、銃が火を噴く。
「……ッ…」
 どさり、とその場に崩れ落ちた女性。弾は狙い通り、彼女の足を掠めていた。
 致死傷には程遠い。
「早く!早く消えてよ!!」
 そう怒鳴りつけた。しかし彼女は、またゆっくりとした動作で身体を持ち上げ、あたしを見つめた。
 傷など気にしていないような動作で、一歩一歩近づく。
 先ほどと全く同じ状景だった。
 違うのは、彼女の足元に血が滲んでいるか否か。たったそれだけ。
「本当に殺すから…!!」
 そう激した時だった。
「もういいです。鏡子、戻りなさい。」
 不意に聞こえた声。それは先ほど、扉越しに会話をしていたその声だった。
 こちらへと歩いてくる女性とは、別の人物――!?
 声に反応するように、女性はゆるりと踵を返し、また扉の方へと歩いていく。
「あなたに戦意はないようですね。」
 その言葉と共に、すっと廊下側から姿を見せたのは、別の女性。
 短い黒髪。鋭い瞳。その口許に、微かな笑みをたたえていた。
 女性…望月鏡子がもう一人の女性の傍へと辿り付いた時、女は望月鏡子を一瞥し
「まだ今一つ使えませんね。素材の問題かな…」
 そんなことを独り言のように呟いた。
 ―――まずい。
 あの女。
 あの女は危ない。
 そんな警告は本能的な物だろうか。
 野放しにしてはいけない。
 あの女は更に、戦慄を増していくはずだ。
 その前に、その前に…!!

 パァン!!

 二発目の銃弾は望月鏡子にではなく、もう一人の女へと照準を定め、放った。
 今度は足などではない。その顔を狙って。
「――ッ…」
 一瞬、その姿が消えたように見えた。仕留めたのか否か、わからなかった。
「フ、フフフ…あははは!やりますね!」
 高らかな笑い声を聞いた時にようやく解った。あの女はまだ生きている。
 それと同時に、常人じゃないということも、よぉく理解した。
 あの一瞬の間に攻撃を見切るだなんて。
「私に傷をつけるなんて。私に血を流させるなんて。驚きましたよ。」
 警戒してか、もう姿を見せることは無かった。ただ、望月鏡子が見つめる先にあの女の姿はあるのだろう。
「あなたを殺すと言いたいところですが、今はやめておきましょう。今日は悪役に徹します。」
 すっと手が伸びたかと思えば、望月鏡子の腕が引かれ、彼女も姿を消した。
「覚えていて下さいね。――あなたは近いうち、その命を絶つこととなるでしょう。」
 そんな不吉な言葉の直後、駆けるような足音が二つ。次第に遠ざかっていく。
 そして再び、静寂が訪れた。
 とん、と壁に背を預け、幾つかの深呼吸。
 危なかった。もしもあの二人にもっと強力な武器があったとすれば、もう既に命はなかったかもしれない。
 手にした銃を見遣る。まだ硝煙が残って、吐き気のするような匂いが立ち込める。
 あたし今、あの女を殺そうとした。
 あの女がもしそれほどの能力を持っていないただの人間だったならば、
 あたしはあの女を殺していた。
 壁に背をつけたまま、ずるりと、その場に座り込んだ。
 微かに乱れた呼吸を整えながら思った。
 ―――人を殺すって、案外簡単なのね…。





「お姉ちゃん。…私だけど。」
 トントンとドアをノックしながらそう告げると、さして間を置くこともなく、静かに扉は開かれた。
 私―――望月朔夜―――と鏡子を出迎えたお姉ちゃんは心配そうな表情を浮かべていた。
「遅かったわね、朔夜。……その傷、どうしたの?」
 怪訝そうに言葉を続けては、私と鏡子が扉をくぐった後でパタンとドアを閉じる。
 そんなお姉ちゃんに目を向けるでもなく、私はベッドへと身を投げた。
 問われた『傷』は、銃弾が頬を掠めスッと一筋。まだ熱を持って、ズキンと鈍い痛みを発している。
「女にやられた。」
 短く答える。詳しく話す気分にはなれなかった。
「女って?どんな人?だから気をつけてって言ったのに…。」
 そんな言い方をされればカチンと来ることくらい、職業柄わかるだろうに。
 今は放っておいて欲しいと意思表示するようにベッドへ顔を沈めた。それなのに。
「朔夜。黙ってちゃわからないわ。何があったのか聞かせて。」
「うるさい!!」
 顔を上げて、お姉ちゃんに向け怒鳴った。
 お姉ちゃんは一瞬ビクッと身を竦めた後、悲しげに目を細める。
 そんな顔しないでよ。こっちが悪いみたいじゃないか。
「空軍の制服を着た女。鏡子をけしかけたら足を撃たれた。だから素直に退いてやったのに私にまで発砲してきた!」
 これで満足だろうと、怒鳴りつけるように状況を説明した。
 お姉ちゃんはその言葉でようやく鏡子の怪我に気づいた様だった。
「どうしてそんな無謀なことをするの!早く逃げれば二人共無傷で済んだかもしれないでしょう?この子だってまだ作業は完全じゃないんだから、連れて行くのは止めておきなさいって言ったでしょう!?」
 尚も私を責め立てる。そんな言葉にうんざりして耳を塞いだ。
 ベッドに顔を押し付け、両耳を手で押えたままで時間を過ごしていた。
 幾つかの小言が遠くで聞こえた。怪我の手当てだとか、そんな声も聞こえた。
 全て無視した。何も聞きたくない。何も考えたくない。
 ――いつしか、眠りに落ちていたようだった。

『朔夜。』
『さくや。』
 私の名を呼ぶ声。心当たりなど少ししかない。
 幼い頃と闇村さんに日本へと連れ戻されて以降。つまり家族か闇村さんの関係者だけ。
 次第にそれが二つの声だとわかってきた。
 同じ声だともわかった。
 ――それは、幼い頃と今のお姉ちゃんの声だった。
『さくや。』
 優しい声色は、幼い頃のそれだ。
 私はお姉ちゃんが大好きだった。いつも一緒に居た。
 あの国へ連れて行かれてもしばらくは、「おねえちゃん」という日本語だけ、忘れることがなかった。
 あれから十数年。
『朔夜。』
 お姉ちゃんの声には深みが加わり、大人っぽくなっていた。
 再会して初めて名を呼ばれた時、一瞬、別人じゃないかと思った。
 お姉ちゃんはもう大人で、あの頃の様に純粋(きれい)じゃなかった。
 お姉ちゃんは変わってしまった。
 私が大好きだった姉は、この十数年の間に何を思ったのだろう。
 何を学んで、誰に何を与えられてきたのだろう。
 今じゃもう、いつも優しく微笑んでいるお姉ちゃんは居ない。
 私は本当に、お姉ちゃんと再会すべきだったの、だろうか。
 ―――そんな疑問の答えなど、考えたって見つからなかった。





「……シャワー、浴びないの?」
 ぽつりと問い掛けられた言葉。
 それが、あたし―――佐久間葵―――に掛けられた言葉だと、しばらく気づけませんでした。
 や、闇村さん。もしも今監視室にいらっしゃるのならば、是非是非、監視カメラの映像をこの神崎美雨の部屋へとズームアップして下さい!
 こ、こ、ここここ、こんなに綺麗な「バスタオル一枚姿」をご覧になったことがあるでしょうか!?
 シャワールームから出てきた神崎美雨は、驚く程に麗しいというか美しいというか…!
 先ほど、女が血塗れだったって言ったのを覚えてらっしゃるでしょうか。といってもモニターで見てたなら一目瞭然だと思うのですが、その血液の全てが彼女の物ではなかったようです。
 さっき思い切って質問してみました。誰の血なんですか?って。すると、「不知火琴音と櫪星歌。…それと、渋谷紗悠里」と教えてくれました。私は知らない名前ばっかりです。
 だけど、少なからず彼女も出血しているみたい。――身体中に、いくつもの切り傷が見えます。
 鋭い一筋の傷が身体中に。綺麗な顔には、頬に一筋。
 だけど、不思議なんです。その傷すらも、彼女の魅力を更に引き立てるアクセサリーみたい。
 うぅ、どうしましょう。困っちゃうくらいに惚れ惚れします。
 すらりと伸びた脚は水をも弾いてしまいそう。
「あの、あの……失礼ですけど、お幾つですか?」
「…二十八。」
 ですって!ありえないですよね!?二十八でこのお肌!あたしすら負けてるような気がします。
 そして脚と同じく綺麗な手は、伸ばすとすらりと長そうな感じ。爪の形までものっすごく綺麗です。
「あのぉ、爪のお手入れとかしてるんです?」
「…特に何も。」
 ですって!うそでしょう!って感じです。
 手入れしてなくて、あんな綺麗な爪してるなんて羨ましすぎる!
 そしてタオルを巻いて隠された胸元は、谷間こそないものの、ふんわりと女性的な膨らみ。
「更に失礼ですが、胸、何カップですか!?」
「…Bカップ。」
「ビー!!!……え?B?」
 わ、思ったより大きくないですね?確かに巨乳って感じはしないんですよね。
 で、でもでもでも、胸の形がすごく綺麗なんですよぉっ。反則ですよこんな胸!
 そしてしっとりと濡れた髪がまたそそるんです!
 ねぇ闇村さん!この人めちゃくちゃ綺麗ですよぉー!!
「…何をまじまじと見ているの?」
 そんな問いかけに、ハッと我に返ります。慌てて首を左右に振り、
「な、なんでもありません。」
 と否定したんですが、彼女はお見通しって感じで小さく笑みを浮かべました。
「……ねぇ。葵?」
 彼女はベッドに腰掛けたあたしに近づくと、その綺麗な指先であたしの頬をそっと撫ぜました。
 至近距離から見つめられると、その瞳に吸い込まれてしまいそうになります。
 や、ヤバいです。ただでさえ少ない理性だというのに。
「…私と、してみたい?」
 なんて言われたら普通に駄目になっちゃ――
 …え?
 い、いま、この人何て言いました?
 ………し、ししし、し…してみたいって…
「な、何を?!」
 思わずそう問い返してしまいます。
 だってこんな展開、夢みたい…… じゃなくて!そうじゃなくて!違うんですよ闇村さん!
 あぁでも、あたしの理性は溶かされていくようです。彼女があたしに触れる度、囁くように名を呼ばれる度。
 闇村さん。前言撤回してもいいですか?もしも今監視室にいらっしゃるならば、この部屋のモニターを小さくしちゃって下さい。出来れば、消しちゃって下さい。お願いです。お願いだから。
 じゃないと、あたしは…――
「ん、ッ……」
 女の唇が、あたしの唇を塞ぎます。
 あぁ。なんて、甘いキスなのでしょうか。
 これが彼女の答えだとすれば、あたし、は……
「シャワー、浴びて来なさい。決めるのはそれからでいいわ。」
 彼女は顔を離してそう言います。
 しかしあたしにとっては焦らす行為でしかありません。
 もっとして欲しい。もっと、もっと……
「…心配しなくても大丈夫。――私は、貴女のことが欲しいもの。」
「……か、神崎さん…?」
 見透かしたような言葉の後で、彼女は驚くようなことを告げます。
 思わず上擦った声でそう呼べば、ふっと、彼女は笑みを浮かべました。
 その笑みに心はあるのでしょうか。あたしにはわかりませんでしたが、今は何故かその笑みを向けられることが嬉しくて仕方ありません。
「美雨でいいわ。」
「………美雨さん。」
 名前を呼んだ後、彼女の顔を見ることが出来なくなりました。
 恥ずかしくて、心が苦しくて。
 あたしは駆け込むようにシャワー室へ向かうと、物臭に服や下着を脱ぎ捨ててシャワールームへ。
 とにかく、シャワーを浴びて頭を冷やしたい感じだったのです。
 キュッとコックを捻れば、ザァァッと注ぐ温かいお湯の雨。
 あぁこれじゃあ、頭を冷やすどころか余計火照ってしまいます。
 ――…だけど、温度を調節することはしませんでした。
 もう、これでいいんじゃないかなぁって。このままぼんやりしてる頭のままで。そのままで…
 彼女に抱かれてしまえたら。
 闇村さん。
 あたし。
 あたしは一体どうしたらいいんでしょうか。
 あたしは貴女のもの。
 貴女だけを愛しているのに。
 どうしてこんなにも心が揺れるのでしょう。
 闇村さん。闇村さん…。
 …美雨さん。
 怖い。あたしはもうすぐ変わってしまうような気がして、怖い。
 闇村さん。あたしを捨てないで。
 美雨さん。あたしを放さないで。
 あぁ、怖い……。





「あー…眠ぅー。」
 あたし―――夕場律子―――は部屋のベッドに転がって、そんなことをぼやきながら大きく伸びをした。
 恐怖から一時的に解放されたこの自室で、ゆっくりできる。そんな喜びを滲ませて。
 そんなあたしを見て、小さく笑みを浮かべる人物。……穂村美咲。
 ベッドに緩く腰掛けて、寝転がったあたしと先ほどから言葉を交わす。そんな彼女の表情には、どこか温かな雰囲気が点っていた。この子、本当に色んな雰囲気を持っていると思う。昨日はあんなに冷たかったのに、ね。
 時計を見上げれば夜の十一時前。
 禁止エリアを確認してから寝ようってことで、疲れを押してこうして時間の経過を待っていた。
 美咲はあたしに、先に寝てていいって言ってくれるんだけど、疲れてるのは美咲も一緒。
 だからこうして、二人頑張って睡魔と闘ってる。とは言っても、美咲はそんな素振りを見せないけど。
「…ねぇ美咲?眠くないの?」
「そりゃあ……眠いわ。もう、二十四時間以上起きているもの。」
「なら眠そうな顔しなさいよぉ。」
「ポーカーフェイスっていうの。律子こそ、そういう技術、少しくらい身につけた方が良いんじゃない?」
「余計なお世話。」
 こんな風に二人で話しては笑い合っている。
 美咲のこと、色々と話してもらった。年齢は、十月の終りに二十三になったばかりで、彼氏いない歴五年(すっごく意外)。今、好きな人もいないんだって。好きな音楽はクラシック。特技は暗算(人間電卓と呼びたいレベル)。
 汚れたものが嫌いなのは幼い頃から。でもその基準が結構わけわかんなくて、煙草とかは大丈夫なんだとか。お陰で、あたしは飲食室から調達してきたメンソール煙草を隣で補給させて頂けるワケ。
 律子がスモーカーには見えない。なんて案の定言われたけどね。へへーんだ、二十代で何度も補導されかけましたよぉだ。…童顔で愛煙者って損だわ。
 そう、あたしのことも色々話した。昔勤めてた会社のこと。上司のこと。不倫のこと。
 嫌がるだろうから話さないでおこうと思った自傷のことも、美咲から聞いてくれた。理由を話したって、理解はしてくれなかったけど。でも聞いてくれただけでも嬉しかった。
 なんだか変な感じ。たった一日こうして一緒にいるだけなのに、美咲との距離がどんどん縮まってく。
「律子。聞きたいことがあるんだけど。」
 ふと美咲が切り出した言葉。今までの世間話とは少し違う、重たいニュアンスで。
「なに?」
「今まで一人じゃなかったのよね。その人たちは……」
 あたしを見つめながら躊躇いがちに紡がれた言葉。
 この言葉にも、ただの興味だけじゃない、気遣いが含まれているような気がした。
 そんな美咲の言葉が寂しくも嬉しくて、少し強がりに笑んで答えた。
「死んだわ。一人はあたしの目の前で。一人はあたしが目を離したばっかりに。……もう一人、あたしたちを助けてくれた子がいたんだけど、その子も行方くらましちゃった。今はどこにいるのかわかんないけど、まだ…」
「生きているのね。」
「うん。」
 そう頷くと、美咲はあたしから視線を逸らし、ふと表情を消した。
 そんな美咲の反応がよくわからずに、「どうしたの?」と問い掛ける。
「いえ…律子はまだ一人じゃないのかなって、思って。」
「あぁ。でもその子とすごく親しかったわけじゃないし。あんまり話してないし。…それに」
「そう。…それに?」
「今は美咲がいるじゃない。」
 真っ直ぐに告げた。
 美咲はあたしに目線を戻し不思議そうに瞳を揺らした後で、ふっと笑みを零した。
「そうね。…私にも、あなたしかいない。」
 返すように、真っ直ぐに告げてくれた言葉が嬉しかった。
 それと同時に、あぁ本当にあたしにはこの子しかいないんだ、と、実感した。
 でも不意に。――あたしは美咲がいつかに紡いだ言葉を思い出していた。
「…あの方、って?」
「え?」
 あたしの問いかけに、美咲は不思議そうに小首を傾げる。
「美咲、言ってたよね。……全てが美しいのは、あの方だけ。」
「私、そんなこと言った?」
 尚も不思議そうにあたしを見て、思い出せないといった様子で聞き返す。
 違った――?あたしの気のせい?
 にしても……
『禁止エリアを告知します。』
 と、不意にスピーカーから聞こえてきた放送に、あたしの思考は中断された。
 美咲を見遣れば、既に手元にメモを用意して、放送に耳を済ませているようだった。
『1−A、1−C、5−B、7−A、8−C、12−C、13−D。
 以上の9エリアです。午後0時から十一時間が、禁止時間となります。繰り返します…』
 カリカリと綴られていく文字を、身を起こして確認する。
 達筆に書かれた文字は、二度目の放送と照らし合わせても間違い無いようだった。
 その後で美咲と顔を見合わせては、二人小さく笑みを零す。
「良かったぁ。しばらくゆっくり出来そうね。」
「そうね。…じゃあ、休みましょうか。」
 少なくともあと十二時間は、安らかな時間を過ごせる。
 たった十二時間。そう思えば、眠ってしまうことすら残念な気もするけれど。 
 あたしは再びベッドに身を横たえて、目を瞑った。一瞬で眠りに落ちてしまえそうな程に眠い。
「おやすみ、美咲。」
「……おやすみなさい。」
 優しく返される声が耳に心地良い。
 ああ、このまま、ずっと眠ってしまってもいい。永遠に。
 もしも。
 もしもこの先、美咲があたしを裏切ったとしても、それでもいい。
 こんなやわらかな時間をあたしにくれた。
 それだけでも十分よ…美咲。
 ―――まどろみの中で頬に触れたぬくもりは、夢か、現か。





 カツカツカツと廊下に響く靴音。
 そんなにヒールの高い靴じゃ動き難くて仕方ないだろう。
 とは思えど、口にはしない。
 彼女は、そのくらい知っていて、そしてそれを知った上でそうしているのだから。
 そういう人なんだ。
「これから…」
 私―――宮野水夏―――は彼女に何か言葉を掛けようとしたけれど、続きを紡ぐことが出来なかった。
 何に迷ったのかと言うと、言葉遣いだ。
 これから、一体どこに行くつもりだ。
 と、そう言葉を掛けようとしたのに、途切れた。
 何故、だ?
 何故そうやって、気安く言葉を掛けられない?
「これから、なぁに?」
 一歩前を歩いていた彼女はふっと振り向いては微笑を浮かべて言葉を促す。
 少しの間考えて、一番相応しい言葉を、口にした。
「これから、どこに行くんですか。」
 そう問いかけるのが一番自然だった。
 何故?何故だ?何故敬語なんだ?
 ……当たり前のことじゃないか。
 彼女は“敬うべき人”だからだ。
「これからね。管理人室へ行くわ。長いこと留守にしているから、もし問題が起こっていると困るでしょう。」
「管理人室?…私が行ってもいいん…ですか?」
「ええ。」
 彼女は、当然の様に頷いた。
 何故。何故だ。
 私は参加者なのに、何故そんな場所への立ち入りを許される?
 何故彼女の背中はがら空きなんだ?こんなにも隙を見せるんだ?
 私の腰には今だって、ちゃんとナイフが携えられているというのに。
 わからないことだらけで、私は彼女に付いて行くしかないんだ。
 霜やゆきはどうした?神崎美雨は?
 わからない。わからない。
 ―――なんだかもう、どうでもいいんだ。
 何もかも、頭の中から薄れていくような感覚。
 ただ、私の中に居るのは彼女だけ。…闇村真里という女だけ。
「水夏。」
 不意に、彼女は私に背中を向けたままで、私の名を呼んだ。
「はい。」
 すっと、返事が出た。喉の奥から、意識せずとも零れた。
 自分でも驚く程に、従順な返答だった。
「今でも、神崎美雨のことを殺したいと思う?」
「それは…」
 理由が無いんだ。
 私は何故、あの女とやり合おうとしていたのか。
 何故、あの女を殺す必要があったのか。
 思い出せないんだ。
 だけど、彼女の問いかけに対する答えは、YESだった。
「……思います。」
 そう頷くと、彼女は少し笑うように肩を揺らし、顔だけをこっちに向けた。
「何故?」
「理由はわかりません。だけど私は、あの女を殺さなくちゃいけない。」
「…そう。それでいいわ。」
 彼女は満足げに笑んで、私から視線を外すとまた無言で歩を進める。
 理由なんて無い。強いて言えば、それは私の使命。
 私はあの女を殺すために此処に居る。
 ………。
 本当に、そう、だった?
 何か他に、特別な理由があったような、気が……。
「この階段を登ればすぐよ。」
 そんな言葉に思考は途切れ、私は俯いていた顔を上げた。
 見ると、廊下の壁でしかなかった部分が扉となって口を開けている。
 一瞬状況が理解出来ずに彼女を見上げれば、「スタッフ用の通路なの」と説明してくれた。 
 隠し通路のようなものかと納得しながら、更に彼女の後をついていく。
 短い階段を登り終えると、そこには一つの扉があった。
 『16−A 管理人室』
 そう書かれたプレート。
 本当に此処が管理人室なのか。今一つ、実感が湧かない。
 彼女が扉を押し開ければ、薄暗い階段とは打って変わって、明るい室内の状景が広がっていた。
「おかえりなさいませ。ご無事で何よりです。」
 そんな言葉を発したのは、沢山のモニターの前に立っていた一人の女だった。
 おそらくは、プロジェクトのスタッフなのだろう。女は私と目を合わせると、不思議そうにその視線を彼女に向けた。
「この子はね、宮野水夏。私の優秀な助手よ。」
 彼女は微笑みながら女に説明する。その後で、指定席、といった様子のモニター前の椅子に腰掛けた。
 私はその場に立ち尽くして、二人の姿を交互に見ていた。
「何か変わったことは?」
 そんな彼女の問いかけに、女は、ふっと表情を曇らせた。
「叶涼華の状態が思わしくありません。」
「叶、涼華?…あのチップを埋め込んだ子ね。」
 彼女は手元のキーボードやボタンを操作して、画面に注目する。
 モニターには、拡大された一室が映される。そばのスピーカーから、人の声音も聞こえてきた。

『……いで、来ないで!涼華、お願いだから!正気に戻ってよ!』
『光子…そんな失礼なこと言わないで…?私はいつでも正気よ…?』
『嘘よ!』

 モニターに映る見知らぬ二人の女性の姿。
 ショートカットの黒髪の女性が、茶色い髪をした綺麗な女性に近づいていく。
 茶髪の女性は、黒髪の女性から逃げるように部屋の中を後退りながら、何か説得しているようだった。
 部屋はぐちゃぐちゃにぶちまけられた食べ物だとか、剥ぎ取られたシーツだとかで乱雑としている。
「…この黒髪の子が叶涼華。もう一人が鴻上光子よ。」
 ふと彼女が切り出した言葉が私に向けられているものだと気づくまで、少し時間が掛かった。
 モニターに映される状景はドラマでありがちなのかもしれないが、たった今リアルタイムで繰り広げられているのだとすれば、あまりにリアリティがありすぎて。私は画面に食い入るように見入っていた。
「叶に、面白い物を仕込んだんだけど…… どう、悪いの?」
 先の言葉は私に対する説明で、続く問いはスタッフの女に向けたもの。
 面白い物という言葉が気になったが、今は私が質問できる雰囲気でもない。
「例のチップを埋め込んだ箇所が痛んでいる様です。その所為で、酷い発熱が。」
 女は言葉に合わせて、画面を切り替えた。人の形には変わりないが、画面は赤や青で表示されるサーモグラフとなった。見れば、叶という女性の部分は、鴻上という女性に比べて随分と…いや、かなり赤い。
「これは酷いわね。40度を越えているんじゃないかしら……。」
 彼女は深刻な口調で呟いて、すっと席を立った。

『これ以上近づいたら撃つわよ、涼華!』
『何を…言ってるの?』
『あたしは本気よ。命懸けで食料持ってきたっていうのに、食べ物より光子が食べたい?バカなこと言わないでよ!もう、いい加減にして!!あたしの何が悪いの!?あたしは一生懸命涼華に尽くしてるじゃない!!!』

 ザザ、とスピーカーに雑音が混じる程の声量で、鴻上さんは怒鳴りつける。
 その手に、黒い拳銃を握り締め、銃口を叶さんに向けていた。
 一触即発。鴻上さんは今にも引き金を引いてしまいそうな勢いなのに、なのに尚も叶さんは引き下がらない。

『フ、ハハ、アハハハハ!!光子が私のことを殺せるわけがないじゃない!光子は私のもの。私の恋人よ?なのに、殺せるわけないじゃない!』
『そうまで言うなら、今すぐに撤回してあげるわ。別れましょう?もう涼華のことなんか愛してない。そんな涼華、大ッ嫌いよ!!』
『……本気なの?』
『だから、さっきからそう言ってるじゃない!もうこれ以上あたしを苦しめないでよ……ッ!』

 恋人同士の修羅場にしては、鴻上さんの手にしている物が物騒すぎた。
 このままじゃ殺しかねない。
 そんな私の予測を更に裏付けようとする、彼女の言葉。
「水夏、ここに個人別の詳細グラフがあるわね?鴻上のグラフ、二つのラインが突出してるでしょう?」
「…はい。」
 彼女が指差す箇所へ目線を遣る。
 各参加者の名前の下に、数え切れない程の多くのグラフが見える。
 中には、私の物もある様だった。
「一つは、悲しみや焦燥や…要するに絶望ね。そしてもう一つ。」
 そう言って彼女がグラフに指を差した瞬間だった。
 パァン!!と耳障りな音がスピーカーから響いたと共に、彼女が指していたグラフが驚く程に数値を増した。

『ク、…!?――光、子…… 私を、撃った、の……?!』
『…ッ、はぁッ。……致命傷じゃないわ。…だけどまだ抵抗するのなら、本当に殺すわよ。』
『……光子…。 ―――ッ!?』

 叶さんはその場で崩れ落ちた。左の二の腕を撃たれた様だった。
 苦しげにその場に蹲り、痛みに眉を顰める。
「…バチッ。」
 と、不意に擬音を口にしたのはスタッフの女。
 私と彼女は、その声の主に目線を向ける。
「ショートしているんです。あのチップが。一時的に効力を失い、また効果が始まる。叶涼華の精神状態も、チップと同様にON・OFFを繰り返しているんです。――このままじゃ、自我を失って…」
「廃人になるわね。」
 今まで見たこともないような表情だった。眉を寄せ、モニターを見据える彼女。
 そしてすぐに、「行くわよ。」と私に告げて、管理人室の出入り口へと向かった。
 私は慌てて彼女の後を追う。
 早足に階段を降りながら、
「さっきのグラフ。もう一つは殺意よ。……叶が廃人になる可能性よりも、鴻上に殺される可能性の方が遥かに高い。」
 と、冷淡に告げる彼女。
 でも、そんな簡単に……。
「あの二人は恋人じゃないんですか?なのに、殺すなんて」
「人間関係なんてそんなものよ。どんなに相手を愛していようと、自分に危害を加える存在は抹消すべきだと本能が訴えるの。…怖いでしょ?」
「………。」
 言い返すことなど出来なかった。
 私にはとても理解出来る次元じゃない。
 彼女の言葉は全てが事実であり、全てが絶対的だと思った。
「……ちょっと、場違いなことを訊いてもいいですか?」
 私は彼女に問い掛ける。二人共早足で、私は少し息が乱れてきていたが、それでも問いを掛けた。
 彼女はチラリと私を見遣り「何?」と短く聞き返す。
「神崎美雨は私に危害を加える人間。…あなたを。…闇村さんを私から奪う人間なんですね。」
 言葉を紡いでいるうちに、問いは次第に確信へと変わっていった。 
 彼女、闇村さんは私へと再び目線を向け、小さく笑みを浮かべた。
「その通りよ水夏。」
「だから殺せばいいんですね。……闇村さんが、私だけを見るように。」
「美雨がいる限り、水夏は私の一番になんてなれない。―――私に愛されたいならば、あの女を殺しなさい。」
「……はい。」
 そうだ。
 全てはそのためなんだ。
 考えが一気にクリアになった。
 なんだ、そんな簡単なことだったんだ。

 私は全て、闇村さんの為に――。








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