BATTLE ROYALE 14




 ドォォォォン―――…!!!!!
 激しい爆音は、上の階から聞こえた。
 ここは四階。廊下に人気はなく、静まり返っていた。
 時刻は、朝の九時頃か。
 私―――宮野水夏―――は、少し躊躇ったが、爆音のした上の階へと急いだ。
 爆音とは言っても、この強靭なビルを壊せる程の威力はないだろう。せいぜい揺さぶった程度。
 しかし一体誰が?爆発物も武器として支給されてたってことか?
 私の目当ては一人だけ。その女がそこにいないなら用などない。だが、こうやって闇雲に探していても、あの女にたどり着けるかどうかわからない。全ては賭け。運と実力だ。
 六階にたどり着いた時、不意に鼻をつくような異臭がした。初めて嗅ぐ臭いではないように思う。
 少し考えて、その臭いをどこで嗅いだのか思い出した。
 火葬場だ。
 つまりこれは、人の焼ける臭い、か――…?!
 どっちに行けば――…と、廊下を見渡した。その時だった。
 視界の隅に過ぎった影。ほんの一瞬で、消えた。
 コクン、と、息を呑む。誰かが居たことは間違いない。誰かが通ったんだ。
 ここは一本道…つまり、私よりほんの少し前に、ここから歩いていったということになる。
 あの女ではないかもしれない。爆発を起こした人物と、今通過した人物とは別人かもしれない。
 とすれば、この階には何人もの人間がいるのかもしれないし、もしくは、爆発を起こした人間は、この異臭を放ちながら死んだ人間なのかもしれない。
 最低でも一人。二人か、それ以上か。
 ―――…まずは把握する!
 私は、誰かが歩いていった方の廊下へ向かった。足音は出来る限り忍ばせて、尚且つ急ぎ足で。
 この階にあるのは、個人部屋が二つ、そして広い人工庭園だ。
 廊下も他の階と違い、庭園を囲むように長い回廊、それが∞の形になって組まれている。
 階段やエレベーターなどの移動手段は廊下の各所にバラバラに設置されている。私が今出てきた階段は、∞の丁度左端と言ったらわかりやすいだろうか。中央でクロスしている部分が、庭園の入り口。つまり此処から左右に延びる廊下、どちらを行っても庭園にたどり着く。
 挟み撃ちでもされたら、それこそお終いだ。
 早足で追いかけても、先に行った人物の姿は見当たらなかった。途中に個室の扉が一つ。もしかしたらそこに入ったのかもしれないな。
 半円形の廊下を行けば、前方に庭園の入り口が見えた。そこから、煙が薄っすらと上がっている。水音は、庭園内のスプリンクラーか何かだろうか。
 やはり人の姿はない。――しかし、異臭は先程よりもきつくなっていた。
 鼻を押さえて、辺りを警戒する。爆発を起こした人物は死んだか、もしくは別の廊下を行ったか。
 先程見かけた人物も、どこかへ行ってしまった様だ…。
 腰につけた鞘、そしてそこには刀身の短いナイフが入っている。湾曲したそのナイフが、私の命綱。
 ナイフの柄を握ったまま、私はゆっくりと人工庭園の入り口に近づいた。
 硝子の扉は当然のように飛び散り、辺りには鋭い硝子の破片がキラキラと光っている。
 廊下からこうして覗き込む限りでわかることは、庭園に入ってすぐの辺りはまだパチパチと小さく火が上がっているということ。しかしその火の手も、スプリンクラーによってかなり抑えられているということ。
 爆発直後とは、こんなに凄惨な状態なのか――……。
 異臭のことも気になったが、私はその場を立ち去ることにした。気分が悪い。
 庭園の入り口を通過して、廊下を小走りに駆けようと足を踏み出した。
 ――その時だった。
「動かないで。」
 響いたのは、女の声。
 突然のことに、私はその場で硬直する他なかった。
 背後―― 庭園の入り口の方から、その声は聞こえた。
「……一体、何をしに来たのかしら。」
 その口調、その低いトーン。
 私の記憶が確かなら――……!!
「神崎…美雨か…?」
 恐る恐る、私は問い掛ける。
 振り向きたい。だが、女は動くなと言った。下手に動けば、私の命は危うい。
 …いや、既に十分危ないような気も、するけど、な。
「……もしかして、美雨を探しに来たの?」
「へ?」
 返された言葉に拍子抜けした。
 なんだ。神崎美雨じゃな―――
  …… “美雨”?
 それに気づいた時、ほぼ条件反射のように、私は振り向いていた。
 感じたのは恐怖。そして好奇心。
 あの女を、呼び捨てで、しかもそんなに親しげに呼ぶのは―― 一体誰だ!?
「こーら。動いちゃだめって言ったでしょ?」
 其処に居たのは、初めて見る女。
 身長の程は165といったところか。長い黒髪に、黒の上下。
 黒づくめの中で一際目立つのは、赤色のサングラス。
 笑みをたたえた口許と、サングラスの奥にある目と。
 綺麗な女性だ。穏やかそうで、優しげな雰囲気。
 だが、それをぶち壊しにしているのが、私に向けられた黒い拳銃。
「あなた、宮野水夏さんね。」
 驚くことに、女は私の名を口にした。「そうだ」と頷いて、女を見つめる。
「……お前は、誰だ。」
 低く問い掛けた。すると女はふっと笑みを浮かべて、私に一歩近づく。咄嗟に、ナイフの柄を握り締める。
「闇村真里。」
 ―――ヤミムラ、マリ。
 聞いたことのない名前だ。
 そして、そう名乗る間にも、一歩一歩、こちらへと近づいて来る。
 私はキッと女を睨みつけた。ナイフを握った手にも、自然に力が篭る。
「水夏って呼んでもいいかしら?」
「……ダメだ。」
「じゃあ、水夏ちゃん。」
「…ダメだ。」
「…水夏さん、がいい?」
「……ダメ。」
 それが時間稼ぎなのか、否か。
 銃口は私を狙ったまま、少しずつその距離を縮める。
 一体、何を考えているんだ。そんなに近づけば、こっちだって有利になる。
 隙をついて拳銃ごと振り払うだとか、銃は無視して一気に切りかかるだとか。
 この際、この女を殺してしまうことも、不可抗力だ。
 距離は縮まって。
 タイミングは、もうすぐ。
 5、
 4、
 3、
 2、
 1

 ―――…トンッ。

 その、ほんの一瞬が、まるでスローモーションのようだった。
 握ったナイフを鞘から引き、そのままの流れで下から女に切りつけ――ようと、した。
 ほんの、僅かな時間。0.000何秒の世界。
 なのに、この女

 私がナイフを引き抜いたその瞬間に、私以上に早いスピードで
 銃で、私の手を殴った。

「痛ッ…!!」
 硬い金属で手の甲を叩かれた衝撃は半端じゃない。
 眉を顰めたその時、カラカラカラと乾いた音を立て、私のナイフは廊下を滑っていった。
 私のナイフ――!…と、目で追っている隙に、女は笑顔を浮かべて銃を振りかざした。
「…え?」
 それに気づいて女を見上げた、その時
 ガァン!と激しい衝撃が頭に走り抜け…――
「銃は鈍器じゃないだろッッ…!?」
 精一杯突っ込んだ。そうして、私は意識を失ったのだった。





 嗚呼、愛しの闇村さん。お願いです、聞いて下さい。
 あたし―――佐久間葵―――は、あたしは一体、どうしたらいいのでしょうか!?
 ええっと、ええっと、まずは今までの経緯をお話します。
 禁止エリアとかいうの、あたしの部屋もなっちゃったらしくて、そしてあたしは部屋を出たんです。
 それで、あたしの部屋は十一階だったので、どこに行こうか迷ったのですが、とりあえず第一の目的地は「武器庫」に決めました。あ、八階にある方です。
 だってだって、あたしの武器ってなんとブーメランですよ?普通にありえないですよねぇ?
 自分の部屋を出たのが、夜の十一時三分で、そして武器庫に到着したのが十一時十五分。
 なんで時間がはっきりわかるかっていうとですね…これ言ったら怒られちゃうでしょうか、あたし、闇村さんに内緒で携帯を持ってきちゃいました。だって、やっぱり友達から掛かってきたりするし、それから仕事上お客様からのお電話も受けなきゃいけないでしょ?そう思って持ってきたわけなんですが…
 思いっきり圏外です。どうなってるんですか、コレ。もしかして誰かが電波妨害してるんでしょうか。
 なので、あたしの携帯は時計とゲームとその他諸々の機能しか使えないわけで。
 幸い、武器庫までの道のりも、武器庫の中も、人影は一つもありませんでした。これで誰かに会っちゃってたら、それこそあたしお終いですよね。ブーメランでどうやって戦えと言うのですかぁっ。
 武器庫は、ひんやりとした倉庫でした。人が居た気配とかもなくて、静かなお部屋。沢山の棚があって、それぞれに四角い箱が置いてあるんですね。これの中に武器が入ってるんだ!って思って、あたしはそれぞれの箱の中を覗いていったんですが…
 全然使えません!!
 よくわかんない金属みたいなのばっかりで、武器っぽいのがなかなか見つからないんですよ。あれって、銃とかの補充用の弾だったんでしょうか。
 あたしは途方に暮れちゃいました。もっと使えるやつ置いといてくれてもいいのにって、ちょっとだけ闇村さんのこと恨んじゃいましたよ。あ、本当の本当にちょっぴりですけどね。
 しっかーし!棚の一番端っこの箱の中に、見つけたんです!唯一、武器っぽいものを!!
 これ…「メス」ですよね?ほら、手術とかに使うやつ。ドラマとかで見たことはあったんですが、本物を見るのはこれが初めてなのです。色んな種類があるんですね、短いやつ、長いやつ、先の方の刃が大きいやつ、小さいやつ。
 ブーメランよりはましかなって思いました。あたしはこのメスを何本か手にして、武器庫を出たんです。
 それから向かったのは、五階にある「娯楽室」です。
 退屈だったんですよ。他に行くとこもないしぃ、とか色々思って。
 武器庫から娯楽室に向かう道中も、特に危ないこともなく、無事辿りつきました。
 そしてそして、娯楽室を見回して、あたしは思わず笑顔になっちゃいました。すごいですね、あのお部屋。ゲームとか漫画とかあるし、パソコンも置いてあります。それから、ビリヤードとかピンボールとか。その辺のアミューズメント施設なんか目じゃないですよ!
 あたしがハマったのはピンボール!あれって結構古い機械みたいですね。音とか映像にも全然迫力ないし。でも、ハマっちゃいました。単純な中の奥深さって言うんでしょうか?
 それから色々遊んでて、気づいたら朝の九時。一晩中遊んでましたからね、娯楽室のゲームは大体やりましたし、ピンボールに関しては、プロ並みに極めちゃいましたっ。あたしってば天才かもです♪
 あ… そこまでは本当に平和っていうか、全然ヤバいことなかったんです。
 そうして、あたしは娯楽室で簡単な準備を終えた後、九時過ぎに、娯楽室を出ました。禁止エリアが解除されるのは午前十一時ですよね。だから、食事とか色々した後で、自分の部屋に戻ろうって思って。
 ああ、そう。娯楽室を出るちょっと前に、上の階から変な音がしたんです。どぉぉーん!って。少しビックリしました。あの音を聞いたから、あたし、階段とかエスカレーターで上がりたくないなぁって思ったんです。途中で誰かに会っちゃうのも怖いし。
 それで、十二階までエレベーターを使って上がったんです。時刻は、九時十分。直前に携帯を見ていたので間違いありません。エレベーターの扉が開いて、あたしは十二階の廊下に足を踏み出しました。
 そして数歩行った時、あたしはその場で足を止めました。いえ、止めざるを得なかったんです。
 鉢ち合せって、こういうことを言うんだな、と思います。
 飲食室へと続く廊下で、その人は、あたしとは反対の方向から歩いてきました。
 赤色の女です。彼女もあたしの姿を目に止めると、その場で足を止めました。
 ―――ここまでが、経緯です。

 今、女と対峙する形になっています。女は何も言わずに、あたしを見つめています。
 直接的ではありませんが、あたしはその女の事を知っていました。
 確か真昼先生が話してたんじゃなかったかな。
 けど、なかなか名前が出てきません。ド忘れしちゃってます。
 さっき赤色の女って言いましたけど、何が赤色なのかって言うと、ですね。
 ……血塗れなんです。
 洋服にも、髪の毛にも、真っ赤な血がたくさん滲んでいます。あんなに血を出したら死んじゃうんじゃないかなっていうくらいに。…怪我をしているのでしょうか。
 女は、無表情にあたしを見つめたまま、佇んでいます。
 あたしも同じようなもので、まるで時間が止まったみたい。
 ……あたしは、どうしたらいいんでしょうか。
「殺す、つもりだったんです。」
 と、呟いてみたら、女は少しだけ目を細める仕草をします。
 殺すつもり、でした。
 誰かに会えば、あたしはその人を殺そうと。それが闇村さんの望みなんですよね?
 だけど、あたしは今、それが出来ないかもしれません。
 よくわからないけど、名前も忘れちゃったけど、でもとにかく ……あの女は、半端じゃなく強いみたい。
 ヤバいです。ものすごくヤバいんです。
 あの女、あたしのことを殺そうとしてるんでしょうか。
 なんで動かないんでしょうか。
 あ、あたしは、一体、どう、したらいいんでしょう、か…?
 殺されるなんてイヤです。イヤです。いや、いやです、あたし……
「…あ、ぁ……闇村さん…、…助けて…!」
 言葉にして、あなたに届けばいいなって、思って、あたしはそう言いました。
 すがるような気持ち。
 その時、女が
 女が、その目を小さく見開きました。
 そして靴音を響かせ、あたしの方に近づいてきます。
 ああ、殺される。た、戦わなくっちゃ。
 そう思って、武器を、ポケットに入れていたメスを取り出した、その時でした。
「……今、何て言ったの?」
 女の冷たい声が、あたしに問い掛けます。
 何のことかわからずに、あたしは女を見つめたままでした。
「助けて、と言ったわね?誰かの名を呼んで。……誰の名を呼んだの?」
 女はあくまでも無表情でしたが、その言葉に急かすようなニュアンスが込められているような気がします。
 答えを待つようにあたしを見つめるその冷たい目に抗えず、あたしは答えます。
「闇村さん、って……」
「闇村、真里…――?」
 あたしが答えた後、即座に、女はそう聞き返します。
 何故その名前を知っているのでしょうか。そんな疑問が過ぎったんですけど、あたしは条件反射みたいに、こくんって頷き返しました。
 すると女は、ほんの僅かに眉を顰めます。一瞬あたしから目線を逸らした後で、
「……闇村真里が、此処にいるの?」
 と、またトーンの低い声で問い掛けます。あたしはまた、こくこくと頷き返すだけです。
「参加者として?何故あの人が…?」
「そ、それは……」
 今度の問いかけには、あたしは言い澱むしかありませんでした。
 だって闇村さん、言いましたよね?『私のこと、参加者に話しちゃだめよ。』
 …ってことは、名前も、ここに居るっていうことも言っちゃだめだったんでしょうか。
 あ、あたし、イケナイコト、しちゃいましたか…?
「言いなさい。何故、闇村真里がここにいるのか。」
 その言葉は、今までよりも低く、そして脅すような口調でした。
 それでも、あたしは何も言えません。小さく首を横に振りました。
「……言いなさい。」
 女はそう繰り返した後で、すっ、とあたしに詰め寄りました。
 まるで風みたいに素早くて、あたしはすぐに反応できなくて。
 慌てて後ろに後退ると、どんっと、背中が壁に当たりました。
 そして気づいた時には、女の冷たい手があたしの喉を押さえ、少しだけ力を込め――
「ッ…!」
 息ができなくて、あたしは少しもがきます。それでも女は、あたしの首をぎゅっと掴んだままです。
 カランと音がしたのは、あたしが握っていたメスが床に落ちた音。
 こ、このままじゃ、死んじゃう……!
「―――それじゃあ、言えない理由は何?」
 女はそう言った後で、手の力を少し緩めました。
 あたしはその場にどさりと座り込み、何度も何度も呼吸をします。そして、女を見上げました。
 闇村さん、あたし、殺されちゃう。…だから、少しだけ言っても、いいですよね…?
「や、闇村さんに、言っちゃだめだって、言われてて……」
 小さく告げると、女はあたしと目線を合わせるように、すっとしゃがみ込みます。
 そして、指でクッ、とあたしの顎を上げ、真っ直ぐにあたしの目を見つめました。
 あぁ、この瞳――… 闇村さんの瞳に、少し、似てます。
 ただ、闇村さんよりもずっと冷たくて、怖い…!
「貴女の名前は?」
「え…?」
 更に何か追求されるんだって思っていたあたしは、その問いかけに少し拍子抜けです。
 そう言われて、改めて女を見ると、彼女は先程よりも無表情で…――という表現は、少し変かもしれないんですけど、落ち着いた感じで、「名前。」と繰り返しました。
「あ、あたし、佐久間葵って言います…」
「アオイ。」
 女はぽつりとあたしの名を呼んだ後、先程あたしが落としたメスを拾い上げ、ポケットに仕舞います。
 そしてあたしに手を伸ばすと、あたしのポケットの中のメスを全て奪い、それもポケットに。
 ブーメランも手に取った後、少し思案するようにそれを眺めた後で、「はい」とあたしに返してくれました。
 わけがわからず、あたしはされるがままです。抗う術などありません。
「……私について来なさい。…いいわね。」
 女はそう言って立ち上がった後、すっと私に手を差し伸べます。
 その行為に、驚きました。あたしが女を見つめていると、彼女は不思議そうに瞳を揺らし、半身を屈めてあたしの手を取りました。
 冷たい、手。
「……あ、…あの……」
 女はあたしの手を引き上げ、そしてあたしは立ち上がったのですが、やっぱりわけがわからなくて。
 小さく声をかけると、「何?」と言って私を見遣るんです。
「あ、あたし…どうしたら…?」
「私について来るの。……殺しはしない。」
 …その言葉は、有無を言わせない迫力みたいなものがあって。
 っていうか、あたしはここでイヤだって言ったら、きっと殺されちゃうんだって、わかってしまって。
 だから、「はい」って頷きました。
 女は小さく頷き返すと、あたしの手を引いて歩き出します。
 あ、あぅ…あたしなんで、この人に連れられて、歩いてるんでしょうか。
 闇村さん、あたしは決して、この女に心を許したとかそんなんじゃないんですよ。
 逆らえない。だから、だから…!
「何に怯えているの?」
 ポツリと掛けられた言葉、見透かされているようで、少し恐怖を感じます。
 何も言葉を返せずにいると、「大丈夫」という言葉が聞こえました。
 女はあたしの一歩前を歩いていて、その表情は見えません。
「私は貴女を殺すつもりは無いわ。……今はまだ。」
「…今は、って。」
「………気が変わるかもしれないけれど。」
 そんな無責任なことを言われて、あたしはこの場から逃げ出しちゃいたい気分です。
 ああ、闇村さん。なんで闇村さんは、あたしをそばに置いてくれないんですか。
 助けてくれないんですか…。
「あの女に怯える必要も無い。私が守ってあげる。」
 ……そう、女が言った意味が、しばらく理解出来ませんでした。
 あたしは無言で、女もそれ以上は何も言わずに、ただ、廊下を歩いていきます。
 ―――“あの女”、って、もしかして闇村さんのこと?
 だとしたら、あたしはそんな… 闇村さんに怯えることなんて全然ないのに。
 なんか、誤解されてるみたいでイヤでした。
 あたしは、この女に守られること、なんて――……
 その時ふと、あたしは思い出しました。
 この女の名前。神崎美雨っていうんだったと、思います。





「智さん。」
「なぁにー?」
「お腹、空きませんか?」
「………空いたぁ。」
 あたし―――神楽由伊―――は未だに、智さんに言葉を掛ける時、緊張してしまう。
 この人、すごくタイミングが掴み難いって言うか…
 いつも、少し沈黙を置いてから答えたりする。あれって智さんなりの「シンキングタイム」なのかな。
 あたしを見つめて、「……」って、少し瞳を揺らした後で、何かを答える。
 その答えに、その間にいつも怯えてしまう。
 今のはまだ短い方で、時にはすごく長い沈黙を置いた後、「そんなことないけど」って素っ気無く返されることもあって。そんな風に言われたら、あたしはつい「ごめんなさい」と小声で返してしまう。
「もうすぐ十一時だよ。」
 智さんは時計を見上げて言った後、首を傾げて思案顔を浮かべた。
 あ…、だけどね。
 怖い人だけど、時々すごく仕草が可愛い時があるの。
 智さんって、何かのキャラクターみたいだなぁって思ったりして。
 最初に思ったほど、怖い人じゃないのかもしれないって思い直すようになってきた。
 縛られてた縄も外してくれて、あたしは今、自由に出来る。
『禁止エリアを告知します。』
 不意に部屋のスピーカーから流れる音。
 あたしは少し慌てて、起動していたパソコンに向かった。
 メモ帳、だったっけ。このソフトを立ち上げて…
『4−B、5−C、8−B、9−C、10−A、14−C、15−C。以上の7エリアです。
 午後0時から十一時間が、禁止時間となります。繰り返します…』
 放送される部屋の番号を、慌てて入力していく。
 パソコンは学校で少し習ったけど、全然素人。繰り返して言われた二回目の放送でようやく追いついた。
 表示されたエリアを眺めて、一先ずこの智さんの部屋は禁止エリアではなかったことに安心する。
 その後で、ふと気づいた。
「……今までよりも、禁止エリアの数が少ない…?」
 呟いて、前の放送の時に智さんが書き止めていたものと比べる。やはりそうだった。前回は9エリアに対し、今回は7エリア。
「それはね。」
 そばからひょこんとパソコンの画面を覗き込みつつ、智さんが言う。
「禁止する必要のなくなった部屋が増えたからじゃない?」
 そう言われて、あたしは智さんを見上げた。言っている意味が、あまり理解できなくて。
 そんなあたしの視線で察したのか、智さんはクスクスと小さく笑みを漏らす。
「バカだねぇ由伊は。……それだけ死んだってコト。」
「あ…。」
 納得。もう死んでしまった参加者さんの部屋は、禁止エリアにしなくていいんだ。
 毎日届くメールには、刻々とこの建物で命を失っていく人がいるということが記されていた。
 昨日だけで――四人も。
 あたしがこの部屋で智さんと過ごしている時間にも、めまぐるしいドラマがこの建物の中で起こっている。
 ……怖い。
「由伊、どした?」
 智さんの手があたしの肩に置かれる。
 あたしは智さんを見上げて、「なんでもないです」と笑みを繕った。
「なんでもない?…………嘘吐き。」
 ポツリとそんな言葉、そしてすぐに、智さんはあたしの頭を抱いて顔を落とす。
 あぁ、くちづけも何度目だろう。
 そっと触れた唇のぬくもりが――
 ―――ぬくもりが、嬉し、くて………

「……あ、…?」
 顔を離した智さんを見上げ、あたしは目を見開く。
 あたし、今、何て…思った?
 “嬉しい”……?
 そんなこと。あるはずがない。この人は晴を殺した人。
 あたしは堪えてるの。キスも、触れ合うことも、彼女の言葉も何もかも、嫌なの。
 ――そう。
 あたしはこの人を恨んでいるのに。
 心が。
 ココロがおかしくなる。
 あたし、もしかして、もう
 コ  ワ レ   テ ル  ノ カ ナ …?





「………ふぅ。」
 私―――望月真昼―――は小さく息をつき、力を抜いた。
 ちらりと時計を見上げると、昼の一時過ぎ。かれこれ四時間程、この“作業”に取り組んでいる。
「お姉ちゃん、お疲れ様。」
 そんな声に顔を上げると、朔夜がペットボトルのお茶を差し出していた。「ありがとう」と告げてそれを受け取り、喉を潤す。久々の作業、やはり疲れる。気力を随分と消耗している様だ。
 私の自室にて、その作業は行われていた。
 部屋の床に正座し、そして私の正面に座り込むのは水鳥鏡子という女性。
 朔夜は少し離れたベッドから、その様子を傍観していた。
 昨晩、この女性を連れてこの部屋に戻った。まずは状態を調べることから始まる。
 何らかのショックにより、錯乱状態、自我喪失。彼女が元の精神状態に回復することは難しいかもしれない。私の職業上、このような言葉を使うことはあまり良くないのだが…“壊れて”いる。
 本来ならば、それを元の状態に“直す”のが私の仕事。
 しかし、私が今行っている作業は、直すのではなく、“作る”こと。
 このようなこと、すべきではない。実際に今までにこの作業を行って、何か得たものがあっただろうか。
 それは自然の摂理に逆らう行為。いわば、禁じ手。
 ―――けれど、これも闇村さんのため。
「で、どこまで進んだの?どんな感じ?」
 朔夜は水鳥さんの顔を覗き込みながら、私に問い掛ける。水鳥さんはと言うと、目は開いているものの焦点は合わず、自ら意識して動くことも無い。人形のような状態になっている。
「……まずは試験的なことから始めたの。この子が、どの程度の柔軟性を持っているのか、ね。」
「要するに掛かりやすさってこと?」
「そう。」
 私は頷いて、水鳥さんを見据えた。様子を察してか、朔夜は一歩引いて様子を見守る。
 彼女の焦点の合わぬ目線の先に手を翳し、スッと、軽く揺らした。
 すると水鳥さんは幾つかの瞬きの後、私を見る。不思議そうな表情が浮かんだ。
「あなたの名前は何?」
 私は彼女に問い掛ける。
「私は、」
 ぽつり、彼女は答えようとして、私を見つめたまま少し言い躊躇った。
 本当にこれで良いのだろうかと、そんな風に思案するように。
 そしてやがて、言葉を続ける。
「私は、望月鏡子。」
「ええ、そうね。」
 その返答に私は微笑み、一つ頷いて見せた。 
 彼女は安堵した様に小さく笑んだ後、ふっと不安げな表情を見せ、何事かをぽつぽつと呟く。
「み… もち、づき。…望月…。…み、…水鳥?……な、…?…長倉、鏡子。……望月…?」
 次第にスピードを増して零していく言葉を耳にして、私は先程と同じように彼女の目の前に手を翳し、小さく揺らす。すると、ストンとスイッチが切れたように、彼女はその場で床に崩れ落ちた。
「………何、今の。」
 傍から、朔夜が訝しげな声を上げる。
 私は一つ溜息を漏らし、水鳥さんを見遣りながら言葉を返す。
「まだ、完璧じゃないの。彼女に少しずつ「望月鏡子」という名前を刷り込んでいるんだけど、以前の名前が忘れられないみたい。――確か、この子は結婚していたわよね?」
「え?…いや、知らないけど。」
「そう。ニュースで見たと思うの。旦那さんを殺害したって。だから、おそらく長倉というのは旧姓。」
「ふぅん。」
 朔夜はあまり興味のなさそうな様子で、小さく相槌を打つ。
 そしてこちらへ近づくと、崩れ落ちた水鳥さんを覗き込み、「難しいなぁ」と呟いた。
「丁寧に作業を行なっていかなくちゃいけないわ。下手すると本当に壊れて廃人になってしまう。」
「まどろっこしいんだね。…この女が、私達の操り人形になるまで、どのくらい掛かる?」
「朔夜…!」
 “操り人形”。その言葉を耳にした時、思わず怒気をはらんだ声で朔夜の名を呼びつけていた。
 憤りを感じた。私は、私はそんな存在を作るために、この力を使うわけじゃ…
「怒らなくていいじゃない。私は嘘は言ってない。」
 私を制すように手を翳しながら、朔夜は小さく肩を竦めた。
 そんな朔夜に、言葉を返すことは止めた。否、返すことができなかった。
 ―――確かに、その通りでもあるのだから。
 私はこの力で、“催眠”によって、彼女を洗脳しようとしている。
 朔夜の言う通りに洗脳して行けば、この女性は間違いなく私達の「操り人形」になる。
「まぁ、お姉ちゃんの良心が咎めない程度でいいからさ?頑張ってね。」
 小さく笑んで、朔夜は私から受け取ったペットボトルのお茶を飲み干した。
 まるで、注文した玩具が届くのを心待ちにした子どもの様。
 私は気を失ったまま床に伏せた女性をそっと抱え、膝に乗せた。
 後ろで一つに結った髪は長いことそのままなのか、随分と乱れている。髪結いのゴムを外して、彼女の髪をそっと指先で梳いた。目を瞑った彼女の表情は、時折、魘されるように顰められる。
 …なんて、可哀想な女性。
 私はこんな人を救ってあげたいのに… それなのに。
 ―――朔夜。
 長い歳月の中で、あなたは変わってしまった。
 私の心優しい妹は、屈託のない笑みを向けてくれた私の妹は
 今、どうしてこんなにも、残酷なのだろう。





 本当に些細な事だったの。
 それは、真紋が窓の外を眺めながら呟いた一言から始まった。
「女はやっぱり、仕事を持ってないとね。」
 真紋の視線の先にあるのは、オフィスビルのどれかのお部屋。
 向こうからこっちは見えないけど、こっちからは沢山ある窓のそれぞれの様子が見える。
 私―――中谷真苗―――は、真紋の言葉に顔を上げ、「え?」と、小さく聞き返した。
「ん?…いや、だからね。女も一生、手に職つけてるべきよねって思ったの。」
 事も無げにそう言って、真紋はまた窓の外に視線を向ける。
「真紋、それって絶対に間違ってる!」
 ビシッ、て指差したかったけど、手錠のせいでそれも侭ならなくて。その分、強い口調で言った。
 すると、真紋は怪訝そうな表情で私を見て、「何が?」と、小さく聞き返す。
「女の子なら、将来の夢はお嫁さんでしょ?当然じゃない。」
「…………は?」
 真紋は呆気に取られたような表情を浮かべた後で、「あぁ」と小さく声を漏らし、仰仰しく溜息をついて見せた。やれやれ、とでも言いたげに。
「あのねぇ…。将来の夢がお嫁さんとか言ってるバカな女は貰われないのよ。そんなバカ女、貰うバカがどこにいるワケ?」
「ばかばか言わないでよぉ。……じゃあ、お仕事ばっかりしてヘトヘトでね、デートする暇もなければ出会いの機会もないような仕事バカがどうやって結婚できるのよぉ?」
「………。それって、私のこと言いたいわけ?あーそりゃデートする暇も体力も気力もなかったわよ。出会いなんかちっともなかったわよ。知ってる?業界人って変に目が高くてさ、私みたいな三流アーティストなんか相手にもしないのよ?仕事に一生懸命生きて何が悪いのよ!!!」
 ……な、なんだか、真紋の“逆鱗”っていうやつに触れちゃったみたい、かも。
 いつもとは全然違うテンションで、マシンガントーク。
 そう言えばこないだも、こんなノリでわけわかんないこと言ってたっけ…。
「あ、あのね、真紋?…やっぱり結婚したいでしょ?だから、働くのは悪いとは言わないけど、やっぱり目指すは寿退社じゃない?だからね、そういう意味で将来の夢はお嫁さん……」
「何が寿退社よ。そもそも、なんで結婚したら退社しなくちゃいけないの?仕事辞めて家事に専念するとして、もし離婚なんて話になったらどうするのよ?そりゃ相手が金持ちならいいわ?でも、大抵は平凡なサラリーマンだったりするわよね。そいつの慰謝料だけで細々と生きてけって言うの?そんなの真っ平だっつーの!」
 ……。 
 真紋ってね。
 ものすごく頑固なの。意地っ張りなの。
 だから、自分の考えとかを頭ごなしに押し付けてくるタイプなのね。
 私、そういう真紋、嫌い!
 いつもは私が我慢してるけど、でも、だけど、
 今日という今日は我慢できない……!!
「なんで私、真紋に怒られなきゃなんないの?真紋って夢がなさすぎるの!なんで離婚なんて言っちゃうの?一生ラブラブで居られるかもしれないじゃない!真紋みたいに冷めてる人は、離婚して当然だよ!私なら、絶対一生相手に尽くせるもん!」
「あんたが間違ってること言ってるから、私が正してやってるんじゃない。夢がない?私はこう見えても夢を掴んだアーティストよ?アー・チ・ス・ト!!それなりに現実もわかってないと夢なんか追えないの!真苗は夢を見るだけで叶えようと努力しないでしょ?それがダメなのよ。一生相手に尽くせる?色んな人間に身体売っといて何言い出すの?」
 ……グサッ、て来た。
 ひどい。ひどぉい。ひどすぎる…!
「真紋のバカァッ!そんな言い方しなくていいじゃない!あたしだって、大好きな人にはいっぱい尽くすんだもん。本当の本当に愛してる人には、絶対一生尽くしてあげるんだもん!……現実だってわかってるもん。だから、あたしはいっぱい頑張ってるの…。」
「ぜんっぜん説得力無いわよ、それ。愛する人がいるなら、その人に尽くすなら、なんで此処にいるのよ?なんで警察に捕まる?しかも死刑なの?あんたが相応の罪を犯したからでしょ?しかも、無差別に色んな人と、…セックスしながら殺したんでしょう?――……じゃあ、その愛してる人ってのは、一体誰なのよ?」
「それは……」
 まぁや。
 まだ、気づいてくれてないの、かな。
 私は本気なんだよ。
 私は本気で、真紋のことを愛してるんだよ。
 真紋と一緒なら死んでもいいって思えるもん。
 真紋とずっとずっと、一緒にいたいのに……。
「ほら、そうやってすぐ泣く。泣いたら許してもらえるとでも思ったら大間違いなんだからね?」
「ごめん…。でも、真紋、私――」
「ごめん、じゃないでしょ?謝るなら、あんたが裏切った人に謝るべきなんじゃないの?恋人とかだったんじゃないの?」
 ずっと、不機嫌そうな口調で言う。
 真紋は、怒ったらすごぉく怖い。
 私は真紋にいっつも言い返せなくて、悔しい思いばっかりしてるのに。
 なのにね。
 それなのに、私はそんな真紋が大好きで。
「――…うん。謝らなくちゃね。…本当に…」
 ごめんね、って。
 真紋に、
 真紋に告げることができたら。
 それだけでも少し、救われるかなって思うんだけどな。
 だけど、真紋はいつも私のこと怒るし、やっぱり嫌いなのかなぁ。
 こないだもわけわかんないこと言ってはぐらかされちゃったし
 その前だって、「軽い女は嫌い」って言ってたもんね。
 私の気持ち、迷惑なのかなぁ。
 ――真紋は、私の事、好きにはなってくれそうにないかなって。
 私だってストーカーみたいにずっとずっと相手を思い続けるのは迷惑だって思うし、
 真紋のために、私は、真紋を嫌いにならなくちゃ。
「……本当に、あの人には悪いことしちゃった。」
 私は少し無理矢理笑顔を作って、真紋に向けた。
「あの人…?」
 ぽつんと呟くように問い返す真紋に、こくんと頷き返して、窓の外を見遣る。
 オフィスビルで働く男性の姿に目を止めた。
「…あのね、サラリーマンさんだったの、私の彼氏。超カッコ良くて、超優しくて、真面目で、しかもお金持ちでね。最高の彼氏だったのに、なのに私、裏切っちゃったんだ。………でも、今でも、愛してるの。」
「真苗……」
 私の名前を呼ぶ声さえも、耳を塞ぎたいくらい、悲しくて。顔なんか見れなかった。
 私、今嘘ついてるんだよ。
 真紋。気づかないでね。
 でも、気づいて欲しいよ……。
「私、寂しかったのかもしれないね。彼ってば仕事が忙しい人だったから。だから、いっぱい浮気しちゃった。………でも、後悔してるんだよ?もうあの人のそばに帰れないんだって思って、寂しくて、誰かに寄りかかりたかったのかなぁ。」
「……」
「私はやっぱり、あの人のこと、忘れられないよ…。」
 今までごめんね、真紋。
 重たい気持ち、いっぱいいっぱいぶつけちゃって、ウザかったよね。
 私のこと、嫌いになるのも無理ないよね。
 ――本当に、ごめんね。
「………私とのことも全部、ただの、寂しさの穴埋めだったのね。」
 真紋が、そう呟いた。
 私が真紋に視線を向けると同時に、真紋は私から顔を背けた。
 まぁや。
 私は、その問いかけに答えなくちゃいけない?
 頷かなくちゃ、いけない?
 まぁやって、やっぱり意地悪。
「…うん。そうだよ。」
 頷いた時、真紋が私を見ていなくて、本当に良かった。
 溢れる涙が止められないの。
 悲しくて、苦しくて、仕方ないの。
 穴埋めなわけ、ないじゃない。
 私は、ずっとずっと真紋が欲しかった。
 だけどもう求めない。
 真紋、ごめんなさい。まだ、あいしてる。
 だけどもう、あいさない。





「うぅ、ん……」
 小さく唸るような声が聞こえ、私―――闇村真里―――は、向かっていたパソコンから顔を上げた。
 ベッドに寝かせた少女が、薄く目を開けていた。
「お目覚めね、水夏ちゃん。」
 私はパソコンから離れ、ベッドのそばに歩み寄る。水夏ちゃんは半身を起こして私に目線を向け、目を細めた。しばらく私を見上げていた後で、「眼鏡は?」と小さく漏らす。
「昨日はあまり眠っていなかったの?」
 ベッドサイドの眼鏡を手渡しながら、問い掛ける。
 水夏ちゃんは眼鏡を掛けつつ、小さく頭を振り、
「私は、気を失っていた…のか…?」
 呟くようにそう言って、再び私を見上げた。
「気を失っていたんじゃなくて、眠っていたのよ。この部屋に来てすぐに、一度目を覚ましたのは覚えている?」
「あぁ…そう言えば、少し……。……昨日は、眠れなかったんだ。」
「でしょうね。朝からぐっすり眠っていたもの。もう夕方よ。」
 チラリと時計を見上げれば、時刻は午後十七時。窓から射す光もオレンジ色に滲んでいる。
 水夏ちゃんは今一つすっきりしない様子で、また呟くように言う。
「―――私を捕えて、一体どうするつもりだ。」
 少し声色の変わったその言葉に、私は彼女を見遣る。鋭い目で私を睨みつけていた。
 そんな様子に少し苦笑し、
「怖い顔しないの。私は殺したりはしないわ。」
 そう答え、ベッドに軽く腰掛けた。
「じゃあ、何のために?」
「それはね。」
 ベッドに手を置いて、少しだけ彼女に近づいた。すると水夏ちゃんは警戒するように、身体を引く。
 この子も強情そうな子ね、と内心苦笑しては、彼女を真っ直ぐに見据えた。
 サングラス越しでも、この視線は突き刺さるように届く。
 そうして、動きを止めた彼女へと告げた。
「貴女を私のペットにするため。」
「………なんだと?」
 水夏ちゃんは一瞬固まった後、低い声で問い返す。
 私はにっこりと笑みを向け、繰り返した。「ペットにするためよ。」
 ドンッ、と彼女の拳がベッドに振り下ろされる。そこに、溢れるほどの憤りを込めて。
「何を、言ってるんだ…? ふざけるな!!!!」
 そう怒鳴りながら立ち上がろうとする水夏ちゃんの腕を、キュッと引いた。
 バランスを崩したところで、――トンッ。
 こんな時、人間という生物は、なんて脆い仕組みで出来ているのだろうと思う。
 私が軽い力を加えただけで、水夏ちゃんの身体はどさりとベッドに投げ出された。
 急所だとか、ツボだとか。そういうものさえ弁えていれば、過剰な筋力などは意味のないもの。
「クッ…う、…!」
 動きたくても動けない。そんな様子で、見開いた目で私を見る。
 痛みより痺れに支配されて。
 私だって、余計な痛みや恐怖は感じさせたくないものね。
「水夏ちゃんって他の子よりも少し意地っ張りみたいだから、こうしなきゃ貴女が怪我しちゃう。…我慢してね?」
 先程、武器庫で調達してきた細いロープ。水夏ちゃんの手を後ろ手に組ませて、それを結いつける。
 大して痛みもない、必要最低限の拘束。
 きゅっと結い終えて、ベッドに座らせ直した。
 水夏ちゃんは無謀にも痺れに力で挑もうとしたのか、消耗したように息を荒く零していた。
「くそッ…! 私は、絶対に屈しないからな…… ペットになんかならない…!」
「それはどうかしら?」
「うるさい!!!拷問でも何でも好きにすればいい。私は死んでもお前になんか服従しない!!!!」
 勢いよく怒鳴り、私を睨みつける。
 そうね、これくらい抗ってくれてこそ、落とし甲斐があるわ。
 ………可愛い子。
「貴女は私に服従することになるの。精神面でね。」
「そんなこと、言うだけなら簡単だろ。一体、どうする気なんだ?……私はそんじょそこらの凡才とは違う。そう簡単に洗脳されたりはしない。痛めつけて無理矢理なんてのも無しだ。」
「ふふっ、怯えているのね。そうやって自己暗示を掛けようとしている。……だけど、必要ないわ。痛みでも脅しでもない。貴女は、自ら服従の道を選ぶのよ。」
「嘘だ!!絶対に、そんなことありえない!!」
 両手の自由を奪われても尚、身を乗り出してそう叫ぶ。本当に威勢の良い子ね。
 私はベッドの上に上がり、彼女の傍に近づいた。
 身構える水夏ちゃんの正面で座り込み、「落ち着いて?」と諭した。そうして、更に言葉を続ける。
「それじゃあ、もしも水夏ちゃんが私に服従しなかったら」
「……しなかったら?」
 息を呑むように、答えを待つ彼女を、少しだけ焦らす。
 ちらりと部屋の壁を見遣った後で、水夏ちゃんに目線を戻し、私は告げた。
「――――このゲームから下ろしてあげる。あの二人も一緒にね。」
「…え?」
「解放してあげるって言ってるの。ここから出たいわよね。」
 驚いた様に私を見つめる水夏ちゃんに、にっこりと笑み掛けた。
 そして、何かを言いかけた彼女に手を伸ばし、その唇に人差し指を添えた。
「―――この部屋、どこかわかる?」
「え…?」
 私の問いかけに、怪訝そうな表情を浮かべる水夏ちゃん。室内を見回しては、小さく首を横に振った。
「此処はね、5−B。」
 私がそう言うと、水夏ちゃんは暫し眉を顰め考え込んだ後で、気づいた様に目を見開く。
「まさか、霜の部屋…!?」
「ご名答。五階はね。二つある個室の位置が、他の階と比べて近いのよね。だから、この壁の向こうは水夏ちゃんの部屋。要するに、田所霜や沙粧ゆきが居る部屋。」
「………」
 私の説明を聴いているのかいないのか、水夏ちゃんは私を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
 何事か言おうとして一度言葉を飲み込んでは、掠れた声で小さく漏らした。
「お前は一体… 何者、なんだ……。」
 そう。ようやく気づいてくれたわね。
 私が、参加者なんかじゃないってことを。
「改めて自己紹介するわね。」
 そう言って、私はサングラスを外す。
 真っ直ぐに彼女を見つめ、微笑んだ。
「闇村真里。―――このプロジェクトの“管理人”よ。」





「管理人……」
 思わずぽつりと、私―――宮野水夏―――は女の言葉を復唱していた。
 今、目の前にいるこの女が
 このプロジェクトの、管理人だと?
 そんな、バカな……。
「絶句した?」
 女はクスクスと可笑しそうに笑みを漏らし、私に問い掛ける。
 何か声を出そうと口を開くが、先程と同じように、なかなか言葉が出てこない。
「…………な…なんで…管理人が、こんなところに、いるんだ……。……管理人は管理人らしく、どっかで嘲ってればいいだろう…?殺されたらどうするんだ!?」
 拾い拾いで紡いだ言葉は、今一つ形にならない。どうするんだ!?って、なんで私は心配なんかしてるんだ。
 ともかく、混乱していた。
 ペットだの、服従だの、霜の部屋だの、管理人だの!!!
 そもそも、こうやって後ろ手で縛られている時点でわけがわからない!
「私がここに居る理由?」
「…あぁ、そうだ。」
「そうねぇ、ある人物にちょっかいを出したかったから、かしら。」
 女は片手を頬に宛てて首を傾げたりなどしつつ、そう答えた。
 あまりに悠長な言い方だが、要するに、ある人物にちょっかいを出したいがために命がけで戦場に足を踏み入れたってことになるよな。……な、何を考えているんだ。
「ある人物、ってのは?」
「貴女が探していた女よ。」
「え…?」
 探していた、と言われてピンと来なかったのは、この闇村真里とかいう女に捕まってからのことがあまりにヘビーで、失念していたからだろう。少しの間を置いてから、思い当たった。
「神崎美雨…?」
「そう。あの子に会いたいがために命懸けなのよ。私もなかなか頑張るでしょう?」
 などと微笑みながら言う女が、頑張っているとはとても思えない。
 ―――あぁ、そうだった。
「お前は… あの女とどういう関係なんだ?神崎美雨を呼び捨てで呼ぶやつなんか見たことがない。」
「そうよねぇ。きっと私くらいのものだわ。」
 女はしみじみと頷き返し、ふふ、と笑みを漏らす。少し自慢げだ。
 そして次の言葉で、ようやく納得出来る答えを返された。
「美雨はね、私の後輩なのよ。」
「へぇ。…………こ、後輩?」
 と、一度は納得したものの、それはそれで驚く。
 後輩。言ってみれば、私とゆきと同じようなものか。 ―――いや、次元が違うか?
「うふふ、可愛いでしょう?あの子。ちょっぴり愛想が足りないかしら?」
「…………」
 絶対に私には理解出来ないレベルの話だと言うことだけはわかる。
 愛想とかそういうものは、あの女にはあってはいけないんじゃ……。
「―――…冗談よ。そんな次元の人間じゃないわ、あの子は。」
「…だよな。」
 先程から妙に軽いノリだった女も、その言葉を区切りに、ようやく真面目な表情を見せた。
 私も頷いて同意する。
 そして願わくば、先程「ペット」だとかほざいていた事を忘れてくれていれば――…
「さ、世間話は終わりにしましょう。」
 そんな私の願いも虚しく、女は自信に満ちた様子で微笑んだ。
 くそ、やっぱり逃れる術はないのか……?
「―――絶対に耐え抜いてやるからな。私が服従しなかったら三人一緒に解放するなんて言った事を後悔させてやる。」
 そう女に言い放った。この言葉に自信があるのかどうかと聞かれれば、ワカラナイとしか言えない。
 女がどのような手段で「服従」などへ持って行くのか、私には理解できない。
 想像する限りでは、拷問。痛めつけて、無理矢理言わせるだとか。
 それから脅しだな。…もし、ゆきや霜を人質に取られると、かなり不利だ。
 後は…催眠術のようなものか?
 女がどの手で私を貶めようとしたって、私は絶対に屈しない。
 ―――絶対だ。

「さぁ、それじゃあ、―――貴女を」

 女は微笑んで、私の肩に手を掛けた。






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