BATTLE ROYALE 11




 真昼に電話を入れた翌日の正午。私―――闇村真里―――は、久しぶりに真昼、朔夜、葵、美咲の四人と顔を合わせる。呼び集めたのは他でもない。例のプロジェクトに参戦させるために、だ。
 あの子たちを手にしたのは正直なところ予想外のことだったが、優秀な実力を持った子ばかりだ。手に入れておいて、損は無かった。
 最初に、例のプロジェクトとあの子たちとを繋ぐことを思いついたのは、朔夜を手に入れた時。まだその時点ではプロジェクト自体が動いていなかったので、いつかそのようなことが催せたら良い、という程度だった。葵と美咲を真昼に紹介してもらったのも、その事をある程度念頭に入れてのことだった。四人共それぞれ、内に強さを秘めている。
 このプロジェクトにおいて、優秀な戦績を残してくれることに期待する。
 ―――いいえ。そんな堅苦しい言い方よりも、もっとストレートに。
 このドラマを面白くして欲しい。
 この子達なら、面白い波乱を呼んでくれるのではないかと期待してのことだ。
 本人たちも戸惑うかもしれない。それもまた、面白い。
 真昼に告げておいた時間通りに、四人は私の事務所にやってきた。
 私は信頼を置く数人の部下にプロジェクトの管理を任せ、こうして四人を迎えに事務所へやってきたのだ。
 私の座る事務机の前に、四人は揃って立った。その瞳に、迷いは無い。
「皆、久しぶりね。元気そうで何よりよ。」
 私がそう微笑むと、四人は表情を綻ばせる。可愛い子達。私が笑うだけで嬉しいのかしら。
「今日呼んだのは、実はある仕事を手伝って欲しいからなの。とても危険な仕事だけど…勿論、上手くやってくれたら、ご褒美をあげるわ。」
 私の言葉に、四人共微かに表情を変えた。
 ご褒美というキーワード。この子たちは、褒美のためなら何だってしてくれる。
 たとえ命を懸けようとも、ね。
「やってくれるかしら。」
 私の言葉に、四人共躊躇いなく頷いた。
「はい。」
「やります。」
「もちろん!」
「ハイ。」
 真昼、朔夜、葵、美咲。
 私の可愛い手駒達。





 スゥ――と、風が通り抜けていく。
 私―――渋谷紗悠里―――は、この人工庭園に足を踏み入れた瞬間、何とも言えぬ妙な感覚を抱いた。全身に寒気が走り抜けていくような…そんな、嫌な予感。
 目の前に広がるのは、ある程度整備された草木達の姿。芝生が広がり、そして視界を遮る林。その中に身を潜めることも可能だ。
 時刻は正午を過ぎた頃か。入り口から数歩歩いた後、今歩いた僅かな距離を振り向いた。
 手の中には、マイクロチップのような極小さな物体がいくつも握られている。これを使ってしまえば、もう、戻れない。
 ―――否、私自身は戻ろうと思えば戻れる。この人工庭園から出ることも出来る。けれど、他の参加者がこの人工庭園に踏み入れることも、そしてもし既に此処に誰かがいるのだとすれば、出て行くことも不可能。…そうしようとした者には、死が齎される。
 意を決して、私はその小さな物体を入り口付近にばら撒いた。
 この小さな小さな物体は―――地雷である。
 体重をかければ、ズドン。どれほどの爆発が起こるかはわからないが、おそらく人の命を一つ奪うくらいなら容易いであろう。
 さぁ―――これで、この人工庭園は隔離された。
 私は小さく念じて風を呼んだ。この子を使えば、声を風に乗せて遠くへ流していくことも可能なはず。いわば、スピーカーのようなことも出来ると思う。
 この人工庭園に、もしも誰か居るのなら―――その人に伝えて。
「…人工庭園に居る参加者に…告げます。」
 静かに歩を進めながら、私は言った。
「入り口に地雷を仕掛けました。…もしも、此処から出ようとすれば……爆発、します。」
 目に映るものは、青々と茂る緑と、そしてそれに不釣合いな無機質な壁面。
「―――ですから、ここはもう、隔離されたも…同然です。」
 もし誰も居ないのなら、それでもいい。私一人の安息の地となるのだから。
 でも…もし誰か居るのなら、この人口庭園はサバイバルの舞台となる。
「…以上です。」
 小さく言って、私は立ち止まった。
 林の中。人工的とは言え、私の力となってくれる風が、静かに吹いている。
 私は、目の前にある小さな若木に手を宛てた。
 見上げ、そして念じた。
 ピキッ…
 小さな音を立て、枝が震える。そして、細い枝は折れ、私の足元に落下した。
 小さな小さな念で、こんなことも叶うのだから。
 ―――私に手を貸してね。
 そして、私を守って。





「ふぅん…面白いことするじゃない。ただの超能力者かと思っていたら…少し違うみたいね。」
 私―――闇村真里―――は、ディスプレイに映る渋谷紗悠里の姿を見つめ言った後、傍に立つ部下を見遣り、微笑んだ。
「ご苦労様。裏で待機していて頂戴。…あ、そうだわ。真昼達の準備が出来ているようなら、こちらへ来るように伝えて。」
 言うと、部下は一礼し、奥の部屋へと入っていった。
 私は淹れたてのコーヒーを一口飲み、静かに微笑む。
 あの四人がいれば、それで参加者は揃ったも同然。―――後、一人を除いて。
 その一人は、もうこの建物の中に居る。
 その人物はまだ戦渦には巻き込まれていないけれど…いつか、その中に身を置くこととなる。
 楽しみ、だわ。
「―――闇村さん。」
 ふと、私の名を呼ぶ声に横を見遣った。
 部屋の奥から出てきた女たち。
「準備は良い?」
 私の言葉に、それぞれ躊躇いながらも頷く。
 今からこの戦場に身を置くことになる、四人の女。
 それは、彼女達が承諾したこと。
「真昼。」
「闇村さんのご期待に添えるか、わかりません。…精一杯、頑張ります。」
 白衣に身を包んだ彼女は、不安げに瞳を揺らす。
「真昼のことを信じているわ、大丈夫よ。――頑張って。」
 と私が声を掛けると、彼女は私の目を見つめ、小さく頷いた。
 そして言葉無く、部屋の外へ出て行った。
「朔夜。」
「いよいよ、待ち望んでいた仕事にありつける訳ですね。」
 姉とは打って変わり、楽しげに言う少女。日本語も板につき、巧みに敬語を操るまでになった。
「朔夜はプロだから、余計な心配は必要ないかしら。」
 そう言うと、朔夜は小さく笑って、
「私もプロですけど、他にもプロは沢山居るんでしょう?―――でも、ご心配には及びません。」
 と、自信ありげに返す。
「ええ、期待しているわ。」
 私がいうと、朔夜は一つ礼をし、静かに部屋を出て行った。
「葵。」
「あの、闇村さん。この仕事が終わったら、ご褒美もらえるんですよねっ?」
 キョロキョロと辺りを見回しつつも、不安げに私を見上げて問う葵。
「勿論よ。――最高のご褒美を、ね。」
「最高、…わ、わっかりました!頑張ります!―――死にません!!」
 葵は不安を振り切るように強く言って、そそくさと部屋を出て行った。
「美咲。」
「――自信は、ありませんけど…、でも、やります。貴女のために…。」
 後ろに留めた髪を揺らし、俯きながらも、美咲は言う。
 私は美咲の髪をそっと撫で、
「ありがとう。――美咲、頑張って。」
 と、ストレートに励ました。
 彼女は私を見つめ、儚く微笑む。
「――いってきます。」
 そして静かに、ドアを開け、姿を消した。
 戦場へ向かった四人の女達。
 期待しているわよ。
 殺す姿も―――死ぬ姿も。





「お姉ちゃん!」
 背後から掛かった声に、私―――望月真昼―――は振り向いた。
 朔夜。声ですぐにわかった。
「お姉ちゃんの部屋まで送るよ。部屋まで武器無しじゃ、あまりに頼りないからね。」
「そう、ありがとう。…でも、朔夜も武器なんてないでしょう?」
 颯爽と私の一歩前を歩く朔夜に、私は言う。朔夜はチラリと振り向いて、
「あぁ、私は別に武器なんて必要ないよ。あるに越したことはないけど、無くても大丈夫。体術の心得もあるし。」
「そうなの…頼りになるわ。」
 私がそう言うと、朔夜は得意顔で小さく笑った。
 朔夜。
 この子と一生、平和に過ごしたいと願う私も居たのに。
 だけど、――だけど、それは許されないこと。
 あの人が居る限り、私も朔夜もあの人に逆らうことは出来ない。
 愛しているから。誓っているから。
 私や朔夜に、あの人に逆らうなどという選択肢は存在しないのだ。
 ―――なくては、ならない、から。
「ねぇ朔夜。」
「うん?」
 私の呼びかけに、チラリと振り向く朔夜。
 私は、朔夜の手を握り、隣を歩く。
「お姉ちゃん?」
 きょとんとした朔夜の表情に、私は少し笑った。
 こうして手を握って歩くのは、いつぶりか覚えている?
 もう、十何年も前―――
 折角再会できたのに、お姉ちゃんらしいこと、できなくてごめんね。
 折角再会できたのに、また離れ離れになるかもしれないこと――
「朔夜、死なないで。」
「――お姉ちゃんも、ね。」
 私と朔夜は、顔を見合わせて少し笑った。
 この笑顔が、もう、この先見れなくなるような、そんな予感を胸に秘めて。
 私の部屋(6−B)に着いた時、不意に朔夜が私の腕を取った。
「お姉ちゃん、待って。…考えたんだけど。」
「なぁに?」
 私が尋ねると、朔夜はふっと自信に満ちた笑みを浮かべ、言った。
「二人で協力しない?私一人の力で人を殺すのは簡単だけど、お姉ちゃんの力だけじゃあまりに弱すぎると思うんだ。私とお姉ちゃんの力を合わせれば…面白いことが出来る。」
「協力…?本当に?私は勿論歓迎よ。…だけど、面白いことって?」
 その誘いに喜びながら、朔夜に尋ねる。
「ま、それは部屋で詳しく。お姉ちゃんの部屋で寝泊りさせてもらっていいでしょ?」
「ええ、勿論。」
 私は一つ頷いて、部屋のドアを開けた。
 中にベッドは一つしかないけれど、それは仕方が無い。
「――――さぁ、計画でも練ろうか。」
 朔夜はベッドに腰掛けると、ニッと笑みを零す。
 そんな朔夜に小さく笑みを返しながら、私は思った。
 ――この子は、人を殺すことが、そして殺されるかもしれないことが…怖いとは、思わないのかしら。朔夜が暗殺者としての教育を受けてきたことは、闇村さんからも本人からも聞いた。しかし、死の恐怖は、人間の本能として必然的に存在するもの。だけどケロッとした朔夜の表情を見ていると、そんなことも疑わしく思えてしまう。
 この子が、そんな本能すらも打ち消されるような過酷な洗脳を受けてきたのか。
 この場所で、躊躇いもなく人を殺してしまうのか。
 ―――悲しかった。
 闇村さんの命令には背けない。だけど…私は、こんな場所に来ることなど、望まない。
 …彼女の為なら。
 そんな思いを抱く自分が、悲しかった。





「……。」
 私―――櫪星歌―――は、神経を張り詰め、周辺を隙なく見渡す。
 まさかこんなことになるとは、思いもしなかった。
「星歌、あんまり気を張りすぎるのも良くないわ。…少し落ち着いて。」
 ふっと背を撫でられる感覚に、私は振り向いた。優しい微笑を称える女性。
 ―――私の、姉である人物。
「琴音、様…。すみません。……ですが、近くに我々の命を狙っている者が居るのだと思うと…。」
 風が、私と琴音様の髪を揺らす。
 この風に乗って、あの悪魔のような声が聞こえたのはつい先ほどのことだった。
 比較的安全だと思っていた人工庭園が、突如、隔離された殺戮の舞台になろうとは。
「若い女の子の声だったわよね。ならば、まだ説得の余地があるかもしれないわ。」
「それは…そうですが。…しかし、油断は大敵です。」
 内心、琴音様の落ち着き方に驚いていた。何故、こうも平静でいられるのか。…死を、覚悟しているからなのか。
 私は、支給された武器である銃を握り締めた。両手にずっしりと感じる重み。あまり知識は無いが、おそらく銃の中でも大き目の部類に入るのだろう。…殺傷力も高いに違いない。
 しかし私は、この銃で人を撃つ気にはなれなかった。不知火の人々を殺したのは、お嬢様…琴音様の切実な懇願によるものだった。しかし、今は…。
 ―――いや、こうやって躊躇っている間にも、我々の命は短くなっていく。躊躇は捨てねばならない。琴音様を守るためなのだ。
「―――ねぇ、星歌。私は足手まといになるかもしれないわ。」
 ポツリと琴音様が零した言葉に、私は彼女を見た。
「私には片目がない。つまり視界が星歌の半分しかないの。距離感だって上手く掴めないわ。…もしも私が足手まといだと感じた時は、私を捨てなさい。いいわね。」
「琴音様…。」
 彼女の瞳は真剣だった。真剣な思いで、私にそう言っていた。
 けれど、私は彼女のその言葉に頷くことは出来ない。
「私は琴音様の片目になります。……貴女の死ぬ時が、私の死ぬ時。これだけは曲げるつもりはありません。」
「……星歌…。」
 悲しげに、私の名を呼ぶ。
 私はそんな琴音様に、弱く微笑みを作った。
「いずれにしても、私は死なねばならないのです。…それが、不知火の血を継ぐ者としての使命。貴女はそう話して下さったではないですか。」
「そう、ね。…そうだけど…。」
 躊躇いがちに呟く琴音様の手を、そっと握った。
「いつ死ぬか。その違いしかありません。…ならば、私は琴音様と共に死ぬことこそが幸せです。お解り下さい。」
「星歌…。」
 琴音様は、私の手をきゅっと握り返し、弱弱しく微笑んだ。
 私を思うが故の躊躇い。その思いが、痛いほど胸に刺さる。
 大丈夫だと、言い聞かせるように紡ごうとした。
 刹那――
「見つけた。」
 ――そんな声に、私は慌てて声の主を探した。
 そして、その人物が目に入った瞬間、言葉を失った。
「しばらくは、此処で戦うことになりそうね。」
「…ッ…!」
 女は銃を構え、私達を見つめていた。その、感情の無い目で。
「動かないで。一つ提案があるの。」
 私は震える手で、銃を構えようとした。―――しかし、
 パンッ、と、鋭い音がしたかと思うと、手の中にある銃からきつい重力が掛かり、次の瞬間にはその銃が遠くへ飛ばされていた。
 ゾクリと、寒気が走る。
 今のは――故意なのか?銃だけを…狙った…?
「提案とは、何です?」
 スッと、私を庇うように琴音様が一歩前に出た。それに驚くが、銃口に睨まれている以上、下手に動くことも出来ない。
 琴音様の声は落ち着いているようにも聞こえた。あの女を、前にして。
「折角あの子が面白い舞台を作ってくれたんだから、ゲームをしましょう。」
「ゲーム?」
「私はこのメスだけで戦ってあげる。貴女達は、好きな武器を使って構わないわ。…どっちが先に死ぬか。それだけよ。」
 女の口調は、特に自信に満ちている風ではない。
 だが女が紡いだ言葉は、信じられないような言葉。
「その銃で狙撃してもいいわ。出来るのならばね。……今から一分後にゲームは開始。どう?乗って見ない?」
「―――もしも、乗らないと言ったら?」
「今すぐに殺すだけよ。」
 女が言った直後、琴音様は振り向き、私の手を取って駆けた。
 少し慌てるが、私は地面に落ちた銃を拾うと、琴音様と一緒に駆ける。どのくらいか。一分間は過ぎたであろう。とにかく私達は駆けた。
「はぁっ……まさか、あの女がいるなんて…。」
 ようやく立ち止まったところで、琴音様は息を切らせながら、険しい表情で言った。
 私も同じ気持ちだった。
「…神崎、美雨。」
 琴音様の零したその名に、寒気が走る。
 あの爬虫類のような目。
 私達を捉えた銃口。
 ―――今も、私達を殺そうとしている。
「………時間の問題、ですか…。」
 無意識にそう口走っていた。
 心の底から湧きあがる絶望。
 恐怖。
「諦めちゃだめよ。彼女はメスしか使わないと言った。メスなんて、接近しなければ使えない武器だわ。私達には銃がある。」
 私を説得するような口調で、琴音様は言った。
 その言葉に、彼女の強さを垣間見た。
 あの女に宣戦布告をされても尚、恐怖に怯えることなく、その瞳に光を灯している。
「すみません…。……全力で、戦います。」
 恐怖に支配されていた自分を悔い、私は決意を改めた。
 あの女が相手ならば、躊躇はない。残酷で、無慈悲な女。―――死んで当然のような女だ。
 琴音様を守ってみせる。…あの女になど怯えない。
 絶対に―――私は、琴音様を守ってみせる!





「……殺、す。…殺、される?……殺す…?」
 小さく呟いて、ふっと私―――渋谷紗悠里―――は振り向いた。
 視界の中にあるのは、どこまでも続くような緑。
 ――あの女の姿はない。
 全力で駆けたのだから当然か。
 …いや、あの女のことだから、息一つ乱さずついてきているのではないか。
 恐怖は拭いきれなかった。
 先程。偶然、二人の女の姿を見つけた。不知火琴音と櫪星歌…だったか。まだ二人が気づかない内に殺してしまおうと思った。しかしその時―――現れたのだ。
 神崎美雨。
 予定外だった。まさかあの女が、此処に潜んでいたなんて。そんな、こと―――。
 神崎美雨が二人に告げたゲームの内容も、私は隠れて聞いていた。そしてあの二人が逃げ去った、その直後。
 『貴女にも同じことを言うわ。…渋谷、紗悠里さん。』
 あの女は、そう、言った。
 こちらに目線を遣るでもなく。消えた二人の居た場所を眺めながら、ポツリと。
 その瞬間、私は恐怖に泣き出しそうになった。
 そして逃げ出した。あの女から出来る限り遠くへ行こうと。
 ――けれど、この隔離された小さなフィールドを作り出したのも…私。
 あの地雷の場所の大地に命じれば、地雷を撤去し、人工庭園から出ることも出来るだろう。だけど―――あの女は、そんなこと見透かしているんじゃないかって。
 あの女は私の力のことも知っている。天才だもの、私の力の限界すらも―――きっと、知っている。
 またあの女に脅かされるだなんて。どうして、どうしてこんなことになっちゃうの…!!
 私がここを隔離したのは、もしかしたらあの女から逃げたかったからというのもあったのかもしれない。まさかこんな所に居るはずないと。
 ―――それ、なのに…!!
「……もうやだ…、もう、やだ…!!」
 じわりと涙が溢れ、零れ落ちた。
 こんな惨いこと。
 あっさり死刑にされるよりもずっと恐ろしいことを、私は味わってきた。今だって味わっている。
 こんな恐怖感じたことがない。
 ―――そして、抑え切れない程の恐怖は、本能によって別の感情へと濾過されていく。
「…こうなったら、殺してやる。…あんな女、私の命をかけてでも…殺してやる…!!」
 開き直る、とでも言うのだろうか。
 恐怖に怯え続けると、きっと私の精神は崩壊してしまう。
 それならば、と。
 私の人間としての本能がそんな仕組みになっているのだと思う。
 死んでもいい。
 あの女を、殺すためなら―――。





「ねぇ、星歌。」
 ポツリと、私―――不知火琴音―――は傍に居る人物の名を呼んだ。
 壁際で、辺りの見渡しは良い場所で、私達は留まっていた。ここからなら、接近してくる人物もよく見えるだろう、と。
 私の一歩前で、銃を握り締めたまま辺りを見渡していた星歌は、私の声に振り向いた。
「なんでしょうか。」
「…こっちを向いては駄目よ。耳だけ貸して。」
 私が言うと、星歌は「はい」と小さく頷き、また私に背を向け警戒する。
 そんな星歌の背中に向けて、私は小さく言った。
「星歌…あのね、…愛してるわ。」
 その言葉に、星歌は顔を赤く染め一瞬振り向いたが、すぐに私から目線を外した。
 そして恥ずかしそうに小さく、
「その…。…わ、私も、です。」
 と言ってくれた。そんな些細な確認で、私は大きな安堵感を得ることが出来た。
 とても長い時間、私は星歌と共に過ごしたけれど…今が一番、幸せなのかもしれない。
 互いの想いが通じるということは、こんなにも幸せなことだったなんて。
 思い起こせば、私が星歌にこんな感情を抱くようになったのは、そんなに昔のことではない。監視の厳しい中で育ってきたけれど、高校の先輩やクラスメイト、星歌に黙認してもらって参加した合コンで知り合った人…色んな人と、何度も身体を重ねた。けれど関係は長くは持たなかった。裏切られたことだってある。そんな時、傍で励まし、支えてくれたのが星歌だった。
 やっぱり私は星歌と一緒に居る時間が一番好きだと思えた時、ふと気づいた。―――私は、星歌のことが好きなんじゃないかって。でも星歌は妹。こんな愛情、許されるはずがないと自分を抑え込んだ。けれどそんなブレーキも、星歌が微笑んでくれる度に、私に強く忠誠を誓ってくれる度に、利かなくなってしまった。
 でもね、星歌は自分自身が侍女であることを必要以上に意識していた。私が求めても…星歌は恋人としてではなく、侍女として応えただろう。それじゃ…駄目だったから。
「星歌…。」
 私は、その強く逞しい背中に、そっと身体を寄せた。
「…琴音、様…?」
 羞恥と困惑の混じる星歌の声がする。それがすごく可愛くて、私は静かに、星歌の胸に手を這わせた。
「!」
 ビクッと、星歌の身体が震える。こんなこと、一度もされたことがないのよね。
 そんな星歌が可愛くて…愛しくて。
「愛しているわ、星歌…。…もっと、もっと早く言えていたら…。…いろんなこと、出来たのにね。」
「え…?あ、あの…」
 ドクン、ドクン。服越しに触れる星歌の胸が、その奥の心臓が、早まっていく。
「星歌と…結ばれたかった。愛し合いたかったわ。」
「……。」
 こんな時、何を言えば良いのか…そんな星歌の狼狽が伝わってくるようだった。
「こっちを向いて。…キス、して。」
 もう時が残されていないのならば。
 それならば、残された僅かな時間、この子と愛し合いたい。
「…琴音様…。」
 躊躇っていた星歌が、やがてゆっくりと振り向いた。
 私はそんな星歌を抱き寄せ、唇を奪う。
「ン、…!」
 舌を差し入れると、星歌は驚いた様に小さく声を上げる。やり方がわからない、そんな様子でじっとしていた星歌が、やがて私を真似るように、おずおずと舌を蠢かしてくる。
 星歌の頭を抱き、深いくちづけを交わす。
 このまま時間が止まってしまえばいい。
 このまま―――。

 ザッ

 小さく聞こえた物音に、私は小さく目を開けた。
 星歌は慌てて私から身を離そうとした。―――でも私は、離さなかった。
 このまま殺されてしまいましょう。
 愛し合うままに。その、ままに―――。
 …しかし、そんな私の意図とは異なり、物音を立てた人物は意外な行動に出た。
「…お取り込み中に、失礼します。」
 と。
 少し離れた所から、私達に話し掛けてきたのだ。
 さすがにそれには驚き、私は星歌から身体を離し、その人物を見た。
 眼鏡をかけた、真面目そうな女の子。
「―――こんな怖いゲームの途中で、暢気ですね。」
 少女は表情もなく言い、私達を見つめていた。
 ―――ふっと脳裏に過ぎった声に、私は目を見開いた。
 彼女の声、もしかして―――
「渋谷紗悠里さんですね?……庭園の入り口に地雷を仕掛けたのも、あなたですよね?」
 私の思いを代弁するように、星歌が言った。
 少女はじっと私達を見つめ、少し置いてコクンと頷く。
「そうです。でもまさか此処に神崎美雨がいるとは思いませんでした。誤算です。」
「…そう。…それで、私達をどうするの?殺すと云うのなら…」
 私の言葉と共に、星歌が銃を構える。
 少女はゆっくりと首を横に振り、
「いえ、殺しません。…あの女が此処に居なければ殺したかもしれませんけど。」
 と、低く、抑揚のない声で言う。
「…殺さないのなら、用件は何?」
「はい。単刀直入に言います。…協力して頂けませんか。」
「協力?」
「神崎美雨は、一人の力で適う相手ではありません。ですが、三人ならば話は違うと思いませんか?」
 彼女のそんな言葉に、私と星歌は顔を見合わせた。
「あなたたちにとっても、あの女は脅威でしょう。ですから…悪い話ではないと思います。」
 …確かに、二人よりも三人の方が心強い。
 しかし、初対面の相手にそう簡単に心を許すわけにはいかない。彼女自身が言ったのだ。あの女がいなければ殺したかもしれない、と。
「あなたが私達を殺さないという保証は?」
 私がそう尋ねると、彼女はしばし考え込んだ後、ポツリと言った。
「私は、武器を持っていません。」
「…本当に?」
「ええ。私に支給された武器は地雷でしたから。」
 …。
 確かに。見た限り、彼女に武器はないように見える。
「けれど、さっき私達を殺したかもしれないと言ったわよね?それは、どうやって殺すつもりだったの?」
「……あぁ。…考えてませんでした。」
「…本当に?」
「そう、ですよね。殺す手段もないのに殺すなんて、馬鹿げた話ですよね。」
 彼女の真意が、私には読めなかった。あまりに無表情で、言葉にも感情が無い。
「…琴音様。彼女を味方につけることは、私は賛成できません。信用できません…。」
 小さく、星歌が言う。
 迷っていた。
 彼女に敵意があるのかどうか。私には…。
「……本当に武器がないか、確かめさせてもらえないかしら。」
 考えた末、私は言った。さすがにあの細い腕で、素手で私達を殺せるとは思えない。
「構いません。」
 彼女は言って、こちらへと近づいてくる。
 星歌は私に銃を差し出した。これで脅しておいて、身体検査をするということだろう。
 私が彼女に銃を向け、星歌は彼女の身体に隈なく触れる。
「……。」
 私はじっと彼女を見つめていて、ふと、気づいた。
「琴音様、武器は持っていないようです。」
 星歌の言葉に頷き、私は少女に近づいた。彼女は一瞬怯えるように瞳を揺らすが、何も言わずじっとしていた。
「……泣き腫らした目をしているわ。どうしたの?」
 そっと彼女の頬を撫で、充血した赤い瞳を見つめ尋ねた。
 じっと黙っていた少女の瞳から、一筋、涙が零れ落ちた。
「…こ、…殺される…。」
 と、掠れた声で呟いた。そこにあるのは、まだ幼い少女の顔だった。
「神崎美雨は……とても…怖い、女なんです…。……お願い、助けて…。」
 なんだ。この子…人間じゃない。
 当たり前のようなことに、安堵している私が居た。
 無表情な彼女は、無意識にあの女を、神崎美雨を彷彿させたのかもしれない。
 だけど…涙を流せる人間。私の前に居るのは、そんな少女。
「…いいわ。協力しましょう。」
 私はそう言って、彼女を抱き寄せた。
「…ッ…、…ヒッ、く……。」
 堪えるように小さく声を漏らしながら泣く彼女の背中を、そっと撫でた。
「怖かったのね?…あの女に何かされたの?」
「…殺…されそうに、…なって……。…なんとか、逃げたんですけど…けど…。……横槍が入らなかったら、私きっと…殺されてた…っ…!」
「そう…。でも、大丈夫。三人ならばきっと違うわ。…守ってあげる。」
「…殺…しましょうね…?……絶対に、殺しましょうね…!?」
 少女は私を見上げ、きゅっと眉を顰め、強い口調で言う。
 彼女の中にあるのは恐怖。…そして、その恐怖を与えた者への憎しみ。
「…紗悠里。」
 私はポツリと彼女の名を呼び、強く抱きしめた。
 ―――可哀相な、少女。





「ねぇねぇ。美咲さぁん。」
「何?」
 私―――穂村美咲―――の手を握り、笑顔を浮かべる葵。
 この子とは数ヶ月の付き合いだけど、屈託のない彼女の笑みや明るい性格に心を許している私が居た。まるで妹が出来たような感覚。
「あのね、お姉さまって呼んでもいい?」
「…え?」
 考えていたことを見透かしたような彼女の発言に驚いた。
「構わないけど…。」
「ホント?やったーお姉さま〜♪」
 彼女の様子には、つい笑みを浮かべてしまう。無邪気で、可愛い妹。
「あ、それでね?良かったら、あたしの部屋に寝泊りしない?やっぱ一人だと心細いしー。」
「ええ、いいわよ。…裏切ったりしないでね?」
「あったりまえじゃん!愛しのお姉さまを裏切ったりしないって!!」
 笑いながら言う彼女に、微笑ましく思いながらも、少し呆れる。こんな緊張感なくていいのかしら。今すぐに殺されても何の不思議も無い空間で、談笑しながら彼女の部屋に向かう。なんだか妙な感覚。
「到着!…ふむふむ、ここがあたしの部屋かぁ。」
 葵の部屋に到着すると、葵はきょろきょろと辺りを見回しながら、闇村さんの言っていた武器が納まっている収納棚を開けた。
「…げっ。」
 ノートパソコンを開いたところで葵が上げた声に、私は彼女を見遣る。
「見てよお姉さまぁん!これ、あたしの武器!?ありえないー!!」
 と言って彼女が差し出したのは、プラスチック製のブーメランだった。
「闇村さん〜あたしたちには特別にいい武器調達してよぅ〜。」
 おそらく監視モニターで見ているであろう彼女に向け、葵は頬を膨らませて言った。
 葵ってすごい。私は彼女にそんなこととてもじゃないけど言えないわ…。
 私は作りつけられた机に乗っているノートパソコンを起動し、椅子に腰掛け、メールソフトに届いているメール等を眺める。
 未だにキョロキョロしながらベッドの方でゴソゴソしているらしい葵をチラリと見遣った後、私は再びパソコンに目線を戻した。
 現在の参加者、22名。もう死者が9人も――――
 刹那。
「…ッ…!?」
 首に誰かの―――この部屋にいる人物、葵の手が触れた。
 そしてその手がきつく…私の首を、絞める。
「…か、…ハ……!」
 私はその手を引き剥がそうと悶え、勢いで椅子から崩れ落ちた。
 その拍子に彼女の手が離れ、そしてそれと一緒に―――私の髪留めも、落ちた。
「…お姉さま。死んで、もらうよ…!!」
 葵が私に覆い被さろうとする。
 私は無意識に、手を振るった。
「…わ…!!」
 私自身でも驚くほど、葵は呆気なく尻餅をついた。
 床に落ちた髪留めを拾い上げ、私は立ち上がった。
 ―――。
 目に映る物が、歪み、震える。
 何もかもが、醜い。
 床に倒れこんだ、少女すらも。
 ―――ッ…!
 私は彼女に背を向け、部屋を出た。
 無我夢中で廊下を駆ける。恐怖が支配する。
 ころ、して、しまう。
「…ハァ…ッ……!!」
 私は髪をきゅっとまとめ、髪留めをパチンと、止めた。
「はぁ、はぁ…ハァッ…。」
 自分が過呼吸に陥っていることに気づき、その場にしゃがみこんだ。
「はぁ、…はぁッ…。」
 何度も荒い息をついていると、次第に意識が落ち着いていった。
 記憶が、途切れ途切れに見える。
 葵が首を絞めて、きて―――。
 葵、が?
「…私を、…裏切ったの…?」
 屈託の無い葵の笑みが浮かぶ。だけどそれは、―――偽り。
 あぁ、なんて醜いの。
 なんて…――。
 私は静かに髪留めに触れた。
 これを外せば私は、きっと人を殺してしまうだろう。葵も、きっと望月先生や朔夜さんすらも。
 ―――それが、あの人の望み?
 ならば私は―――殺します。闇村さんのために。





「光子。…怒ってるの?」
「………。」
「何か言って。そうじゃなきゃわからない。…ねぇ?」
「……。」
 涼華は執拗に、あたし―――鴻上光子―――に言葉を求めてくる。
 そんなこと言ったって、何を言えばいいのかわからないのよ。
 愛したはずなのに、あたしの愛している涼華はいない。
 目の前にいるのは、……一体、誰?
「何考えてるの?」
 苛立った口調で言う涼華に、あたしは手を止めて彼女を見遣り、
「このオムライス、美味しいなって思ってるの。」
 と、皮肉を込めて言ってやった。
 あたし達の部屋と、同じ階にある飲食室が禁止エリアになったので、三階にある飲食室で食事をしているのだ。
 涼華は尚も苛立った様子で、
「…そう。…でも、怒ってるんでしょ?」
 と、あたしを見つめて言う。
 ……。
 ……。
 いい加減、限度ってものがあるわよ。
 あたしは立ち上がり、バンッと音を立てて机を叩いた。
「当たり前でしょう!!!」
 大声を出した後から我に返り、ここが共同の場…つまり誰かに聞こえれば殺されてしまうかもしれない、という事実に気づくが…ともかく、過ぎたことは仕方が無い。
「涼華のその態度、一体何なの?本当にどうしちゃったのよ?」
「…だから、これが本当の私の姿…だと思うけど…?」
 不貞腐れたような表情であたしを見上げ、小さく呟く涼華。
 そんな涼華に、かすかな絶望感すら抱く。
 じゃあ、あたしが愛する人はもう居ないの…?
「そんな涼華…嫌いよ…。」
「どうして?私のこと愛してるって言ってくれたじゃない?」
「だから!愛してたのは以前の涼華よ!今の涼華はあたしの愛してる涼華じゃないの!」
「…私、そんなに変わった?」
「自覚してないの?まるで別人じゃない。」
「……そう?」
 怒りに任せてまくしたてていたが、不意に、涼華が見せた表情に私は彼女を見つめた。
「そんなに…変わった…?」
 どこか不安げな、躊躇ったような表情。
 …本当に涼華は、自覚していないの?
 そんな疑問に僅かな希望を見出しながらも、それ以上涼華に投げ掛ける言葉が見つからず、あたしは食事を続ける。
 黙々と、互いに目の前の食事を消化しては、沈黙の時だけが過ぎていく。
 あたしが、ごちそうさま、と小さく呟いた時だった。とっくに食事を終えていた涼華は、空になったあたしの食器を何も言わずに回収し、自分の食器と重ねて共同調理場に持って行く。
 そんな涼華の背中を見つめ、
「…あ、ありがと。」
 と、少しタイミングを逃しながらも彼女に告げた。
 その言葉に涼華はちらりと振り向いて、
「どういたしまして。…これって、部下にさせることかな?」
 そう言って、小さく笑む。
 ……―――涼華。
 涼華が何を考えているのか、あたしにはわからないわ。
 見えなくなってしまった。何もかもが。
 だけどね涼華、これだけは確かなのよ。
 あたしは、今見せてくれたような、そんな涼華の笑みが
 …大好きなのよ。





 何も言わずに、私―――田所霜―――達三人は、時間の経過だけを感じていた。
 水夏と私の、神崎美雨との接触。あの一件から、なんとも言えぬ複雑な空気が満ちる。
 ゆきは、ずっとパソコンの前。カチカチとマウスをクリックする音だけが何度も鳴る。画面を覗いてみれば、パソコンに最初から入っているゲームで遊んでいるようだった。マインスイーパー、だったか?
 そして水夏は、夕暮れのオレンジ色をした窓の外の景色を、ただ、眺め続けていた。
 そんなに熱心に何を見ているのだろうかと不思議に思うが、そう問い掛けることも出来ない。水夏から発せられるオーラ。「話し掛けるな。」と言っているようだった。長年一緒に居れば、水夏のそんなテレパシーくらい伝わってくる。
 …いや。
 こうして何年も一緒にいても、いまだに水夏のことがさっぱり理解出来ていないのかもしれない。
 今、水夏は何を考えているんだろう。
 ――不意に、とてつもなく『イヤーな感じ』がした。
 何故と聞かれても答え難いが、強いて言えばベッドに腰掛けて何をするでもないこの時間に飽きただとか、この先一体どうなるかだとか、そんな不安感なんかがごちゃまぜの『イヤーな感じ』だ。
 耐え切れず、私はこの沈黙を破るべく口を開いた。
「…水夏。何を見てるんだ?」
 それでもおずおずとしか聞けない辺りが不甲斐ないが、私は水夏の背に疑問を投げ掛けた。
「何も。」
 ポツリと短く返された言葉に、条件反射のように「そっか」と短く返した。
 …か、会話が続かない。
「何かこう…面白いものでも見えたりしない?」
 強引ながらそう言葉を続けつつ、私はベッドから立ち上がり水夏の隣に移動する。
 水夏はちらりと私を見遣り、
「…探してみ。何もないから。」
 と言い放って私から離れ、ベッドに向かった。…まるで逃げるように。
 うーむ、実に気まずい。
 とりあえず水夏の言う通り、窓から見える景色に目を走らせる。…確かに、これと言って目立つものも無い、ごく普通のオフィス街だ。なんかこう、せめて面白いものでもあれば話のきっかけが…
 などと思索をめぐらせている間に、どさり、と音を立てて水夏がベッドに寝転がる。
「…先に休むから。」
 小さく言って、ベッドに身を横たえたまま目を瞑る水夏の姿。「はぁい」とゆきが上の空で返事を返す。
 そんなに夢中になるほど面白いのかマインスイーパー。
 水夏がこんなにアンニュイな雰囲気じゃ、これ以上盛り上がることも出来ないだろう。
 ゆきと雑談…にしても、ゆきはゆきでパソコンに釘付けだし。
 ……面白くない、などと言ってしまえば、それこそ緊張感が欠けるとかなんとか水夏につっこまれそうなものだけど。そうじゃなくて…
 なんかこう…凄く、不安なんだ。こうやって、刻々と時間が経過していくことが。
 ――水夏。
 顔を窓の外に向けたまま、目線だけを眠っている水夏に向けた。
 …、ッ?
 一瞬、目が合ったような気がして、私がすぐに窓の外に目線を移す。
 水夏、眠っているわけじゃ、ないのか。
「…霜、お前さ、好きな人とかいる?」
「………は?」
 突然水夏が切り出した言葉に、私は目を丸くした。
 意味わかんないし!それ!!
「あー、あたしも聞きたいですぅッ。」
 そんな声に振り向けば、目をキラキラと輝かせたゆきの姿。そう言えば、ゆきは三度の飯よりコイバナが好きなんだったな。
 私に注目する二人を交互に見て、思わず言葉に詰まる。
「こんな時なんだから、正直に言っとけって。」
 急かすような水夏の言葉に、私は更に少しの間悩んだ後、小さく口を開いた。
「…いると言えばいるし、いないと言えばいないかな。」
「何それー!どっちッスかぁッ!」
 ビシ、と激しいつっこみをゆきに入れられる。な、何ぃ…。
 そんなゆきとは違って、水夏は肩を震わせて笑いを堪えているように見えた。
「…お前らしいよ、それ。すっごいわかる。」
 言って、納得するようにうんうんと頷く水夏。そのリアクションもなんだかな…。
 それぞれのリアクションを交互に眺めた後、私はハッと気づき
「っていうか、そういう二人はどうなんだッッ!」
 ビシ・ビシ、と二人に指を突きつけて問い詰める。
 すると二人は同時にきょとんとした表情を浮かべ、
「いるよ?」
「いますよ。」
 と、ほぼ同時に答えを返した。
 …なッ…?!
 慌てて二人を交互に見れば、水夏もゆきも妙にニヤニヤして私を見つめている。
「な、なんだ…?」
 小さく問い掛けると、「いやいや」「いえいえ」と二人はまた声を揃えて返し、私から目線を逸らす。
 指しっぱなしの指が妙に物悲しく、私はそろりと手を引いた。
 盛り上がったのは良いけど、なんか腑に落ちない…。
「…霜が好きな人、私、知ってる。」
「え…!?」
 水夏がぽつりと言った言葉に、驚いて水夏を見る。笑みに細めた目で私を見つめ、フ、と鼻で笑う。
 …な、な、な、な…?!
「なんでもなーい。…おやすみ。」
 私の焦りをよそに、水夏は事も無げにそう言って目を瞑った。
 …ど、どういう意味だ、それは!!
 私の混乱を、水夏もゆきも相手にはしない。
 ゆきならば一番に食いついてきそうな話題だったにも関わらず、まるで聴こえていなかったように、ゆきは再びパソコンに夢中な様子。
 仕方なく私は再び窓の外に視線を移した。
 …すると、私の斜め後頭部を、刺す様な、妙な視線を感じる。
 …水夏、か?
 ―――少し迷ったけれど、私はその視線と目を合わせる勇気ももてず、何もない窓の外を見つめ続けた。
 水夏が、私の好きな人を知っているわけなんか… ない、はずなのに。
 焦燥感とかジレンマだとか、そんな状態に陥りながら、なんだか顔が火照ってきた。
 紅潮した顔を二人に見られたくないというのもあったのかもしれない。
 私は窓辺に立って、じっと窓の外を眺めていた。…いや、考え事に耽っていた。
 後頭部に感じる視線は、長い時間、消えることがなかった。





 なんと言えばいいんだろう。
 このモヤモヤとした感情を言い表すには、一体どんな言葉を使えば。
 論理的に、そして出来る限りわかりやすく言葉にするのならば――…
「ッ、あーーーッッ!もう!!」
 ……ダメだ。
「ま、真紋?どしたの?」
 突然声を上げた私に驚いてか、きょとんと不思議そうな表情を浮かべて私―――木滝真紋―――を見つめる真苗。
 そう、この子よ。この子と一緒にいるから、こうも考えがまとまらないのよっ。
 ぐちゃぐちゃに絡まった糸のように複雑化していく思考。
 全部、何もかもが真苗のせいなの!
「まぁや…目が怖いよ。」
 真苗にそう言われて、自分が険しい表情で真苗を睨んでいることに気づく。
 私は真苗から目線を逸らし、頭をもたげる。
 部屋のベッドに腰掛けて、何をするでもなく。隣には、能天気な真苗がずっと居続けるのだ。
 この苛立ち。
 私だって一人になりたい。一人の時間が欲しい。
 せめて、この頭の中の考えをまとめる時間が…。
「真紋、悩んでることがあったら言うんだよ。」
「え…?」
 真苗から掛けられたその声に、私は顔を上げた。
 じっと私を見つめる真苗は、私と目が合うと、嬉しそうに目を細める。
 そんな柔らかい表情に、私は返す言葉を持っていなかった。
 ―――二つの要因。
 一つは、能天気でバカでしかもエロくて、ウザいくらいにベタベタしてくる。…そんな真苗。
 そしてもう一つは、……。
「真紋、まぁや。」
「…何よ。」
 真苗の声に考え事を中断させられ、私は少々不機嫌にその呼びかけに答える。
「………もしかして、私のこと、嫌い?」
「え?」
 突然、何を言い出すかと思えば…。
 真苗は少し俯きがちに、しゅん、としていた。
 ここまで心情を態度で表してくれると、こっちもわかりやすくて助かるかも知れない。
 ……いや、そんなことはどうでもいいのだ。
 今の真苗の問いに、私は何て返せばいいの?
 ―――二つの要因。
 この子に真っ直ぐに言えば、伝わるだろうか。
「真苗ちゃん。今から私が、すごくありがたいことを言ってあげる。」
「…?」
 ひとまず切り出した私の言葉に、真苗は俯いていた顔を少し持ち上げ、不安げに私を見上げる。
「欠点を指摘してくれる人なんて滅多にいないでしょう。私はあえて、それをしてあげる。」
「う、うん…。」
 こくこく、と小さく頷く真苗。その目を見据えて、私は静かに口を開いた。
「ぶっちゃけ、エロいです。真苗ちゃん。」
 と。どこまでも真面目に告げたのだが、何かこう寒い空気が…。
 当の真苗は、拍子抜けしたような顔で私を見つめ、「えっと?」と小首を傾げた。
「だーかーらー。私は真苗のエロさというか破天荒さというか、寧ろ破廉恥さ?が嫌いなのッ!わかる?」
「…わ、私がえっちなのがだめなのね?」
「その通り。」
 こくん、と頷いた後で、なんとなく論点がずれているような気がしなくもなかった。
 真苗は真面目に考え込んだ後で、突然泣きそうな顔をし、
「って、それじゃ私のことぜーんぶダメだって言ってることになるじゃない!わ、私のこと、そんなに嫌いだったんだ…。そうならそうと言ってくれたら、私だって、まだ…。」
 などと悲観し、泣き真似でもするようにその片手を目元に当てる。
 全部とは言ってないんだけど…つまりこの子、自分がエロ以外の何物でもないと認めたわけか。
 …ホントに、バカな子ね。
「真苗。私はそこまで言っ――… 」
 真苗の顔を覗き込みながら言いかけて、不意に、言葉が途切れた。
 目元を覆ったその手、頬に伝うのは…涙?
 ちょっと待って、泣き真似じゃなかったの?
「ほ、本当に泣くことないでしょ、真苗。」
 少しだけ慌ててそう言葉を掛ければ、真苗は尚も溢れ続ける涙を止めることもなく、その潤んだ瞳で私を見つめる。そして微かに震える唇で、言葉を紡ぐ。
「…私、真紋にまで嫌われたら、どうしたらいいのかわかんないよ。…もう、真紋しかいないのに。」
 真苗が…あまりに真剣に、そんなことを言うものだから。
 真っ直ぐに、今まで見せたことも無いような目で私を見据えて、そんなことを告げるものだから。
「…プッ。」
 と、私は思わず、吹き出していた。
「ひどぉい。人が真剣に言ってるのにぃ…。」
 真苗は私から視線を逸らし、俯きがちに頬を膨らませる。
 少し迷ったけれど…
 私は真苗に寄りかかるように、甘えるように、そっと肩を寄せた。
 自らこんな行為をするのは、本当に本当に慣れていないんだけど…
 ――真苗に触れたいと、思った。
 真苗はと言うと、不思議そうに目をパチパチさせて私を見つめる。そんな視線をチラリと見上げ返した後、
「嫌いじゃない。真苗のこと、嫌いになったりしない。」
 そう告げて…口を閉ざした。
 あぁ。もっと沢山、真苗に言うべきことはあるはずなのに。
 全部。何もかもぶちまけてしまえば、どんなに楽だろう。
 言葉になんか出来ない。なんて弱虫な私。
 もっと、真苗のように真っ直ぐに感情を表すことが出来ればいいのに。
「…真紋、それって…?」
 期待のような眼差しを向け、私を見つめる真苗。
 そんな真苗に向けて――静かに、小さく口を開く。
「私はね。…恋慕宛らの感情を抱いていながらも、傍ら、其れに相反した感情も持ち合わせているのよ。倦厭したいかも知れないし、伺持したいとも思っているかも知れない。その二つが相殺し合うかと思えばそうでもなくて、其々が一つの確立した感情として存在しているものだから私の中で葛藤が起こるの。つまり、言ってみればアンビバレンスよね。」
 と一気に言い終えて、さり気なく真苗の表情を覗き見ると、きょとん、と固まったまま私を見つめていた。
 これは “何言ってるか全然わかんなかった顔” ね?
 ―――よし。
「私の言いたいことは今ので大体言ったから。あとは真苗次第ってとこかな。」
 そう言って肩を竦めると、真苗は驚いたように目を見開き「はぁ!?」と大袈裟に聞き返す。
「ちょ、ちょっと待ってよ。今、大事なこととか言った!?全然わかんなぁーい!!!」
 一度しっかり言ってしまえばこちらのもの。
 その後の真苗の追及をかわすことは、あまりに容易いことだった。
 『バカだからでしょ』の一言で全てが解決してしまうのだから。
 ………真苗は不服そうだけど。

 わかってる。このままうやむやにしても仕方ないんだってことは。
 だけど私にはまだ答えが出ない。この子の気持ちに応えられない。
 もう少しだけ。あと、もう少しだけ――。









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