BATTLE ROYALE 9




 午後八時、か。
 あたし―――吉沢麗美―――は時計を見上げ、そして窓の外に目を遣った。
 ここの窓から、オフィスビルが見える。
 目の良いあたしは、仕事に励むサラリーマンの姿なんかもバッチリ見えちゃったりする。
 ありゃ〜、あのサラリーマン、残業なのかな。窓際のデスクで、机に向かう男の人。
 あの人には、家族とか恋人とかいるのかな。それとも、侘しい独身貴族かな。
 彼は何も知らない。向かいのこのビルで、こんな恐ろしいゲームが催されてるなんて。
 幸せよね。家族や恋人がいるのなら、待ってくれてる人がいるってことじゃない?
 トモダチも居ない孤独な人だとしても、彼にはきっと普通の毎日がある。家に帰って、お風呂に入って、コンビニのお弁当食べたりして。ついつい深夜までテレビ見ちゃって、次の日仕事中にウトウトしちゃったりして。
 そんな―――普通の毎日。
 けっこう、残酷よね。このプロジェクト。まだ、あの山奥で、関係者以外立ち入り禁止のあの場所で―――殺意と恐怖だけしかない、あの場所に居た時の方が、楽だった。
 ここから見える普通の幸せが、こんなにも、羨ましいなんて、ね。
 あたしだって、昔は普通の幸せな日々を送ってた。子供の頃は、アメリカで両親と一緒に日々を送ってた。今思えば、あの時が一番幸せだったのかな。
 十三歳の時、強盗殺人で両親を失った。すごく悲しかった。それと同時に、治安の悪いアメリカって国が、すごく怖くなったんだっけ。
 その後、父方の祖父が住む日本へ移住することになって。あたしは父親に日本語も教わったりしてたから、日本っていう地に馴染むのは結構早かった。この容姿のおかげで、結構モテる方だったし。
 でも、あたしの心の隙間はなかなか埋まらなかった。十六の時、バイクの免許取って、それからはどんどんバイクにはまっちゃったんだよね。バイク好きな同級生って、不良っぽい男の子が多かったから、でも話しが合うってことがすっごく嬉しくて…お爺ちゃんは良い顔しなかったけど、不良の友達と付き合って、気づけばあたしも不良になっちゃってた。別に、そんなのどうでも良かった。あいつらと夜中にバイクで走ったりすることが、あたしにとってはとても楽しいことだった。
 ―――初めて、バイクで人を轢いてしまった時。
 あの時からあたしは、汚れていった。
 十八で、中型の免許取って間もない時、あたしは人を轢いてしまった。
 その人は軽い骨折で済んで、あたし自身も罪にまでは問われなかった。
 ―――でも、あの瞬間。
 ドンッ、て、衝撃が走って―――
 地面に伏せる人間の姿が、まるでゴミみたいに見えた。
 悩んでた。こんなこと考えるなんて、あたしおかしくなっちゃったのかな、って。
 でも、やめられなかった。人を轢くこと。あんな――あんなこと、狂ってるって今も思うよ。
 思うけど―――やめられなかった。
 で、結局捕まって死刑。なんかバカみたいな人生だったなぁ。
 高校時代の友達のつてで暴力団にも関係して、殺人の依頼受けてたこともあった。勿論あたしはひき逃げだけって言ってたけど、奴等の力は大きくて、他の方法の殺人も断りきれなくてやっちゃったこともある。…でも、怖くて、気持ち悪いだけだった。
 やっぱりあたしは、人を轢くことでしか、快楽を得られないんだわ。
 ほんっと、異常者だよね……。
 ―――っ…。
 もう、あたしには何も出来ないみたい。
 バイクで走って、人を弾き飛ばすことしか出来ないあたし。
 こんな建物の中じゃ―――何も出来ない。
「ひき逃げ、Only。」
 ――だもん、ね。





 どのくらい、時間が経ったんだっけ―――?
 時計は、九時を指してる。外は暗くて、夜の九時みたい。
 えっと…、あたし―――神楽由伊―――が、この部屋に来てから、どのくらい、だっけ。
 確か、ハルと部屋を出てから、その時が夜の八時くらい、で…。
 あの夜は、いつだったっけ。
 もう、何日も前だっけ。それとも、昨日のことなのかな。
 わかんない。
 わかんないよ。
 ハル。
 ………は、る……。
「っ…ぅ…うぇっ…。」
 あたしは、胸の奥から込み上げてくる吐き気に、咳き込んだ。
 もう、お腹の中は空っぽだから、吐き出すものなんてなにもない。
 でも、ずっとずっと―――ハルのことを考えたら、この吐き気が、やってくる。
 思い出さないようにって、いっつも、思ってるのに―――
「…由伊?」
「!」
 掛けられた声に少しビックリして、あたしは顔を上げた。
 今までベッドで眠っていた、人が、あたしを見ていた。
 彼女は、あたしに近づくと、その大きな目で不思議そうにあたしを、眺める。
 やがてあたしに手を伸ばし、あたしのあごに、触れた。
「っ…」
 思わず、あたしは身体を引いた。
 その手を振り払いたいとさえ思った。
 でも、それもできない。
 あたしの両手は、後ろで、紐でくくられていた。
「なんで嫌がるのかな?アタシのこと、キライ?」
 彼女は、ククッ、て、首をかしげて言う。
 あぁ…この人、怖いよ。
 この人の目、何も見てないみたいな、よどんだ目。
 多分、歳はあたしよりちょっと上くらいなんだと、思う。
 でも、なんか、わかんない。
 あたしとかとは、まるで違う世界の人みたい…。
 あたしは彼女の目を見ていると、恐怖ばっかりふくらんで、何も言えなかった。
 彼女は小さく笑って、あたしの身体に…ううん、後ろに手を伸ばした。
「…?」
 身体を固くしながら、彼女が何をしたいのかわからず、かたまっていた。
 すると、しゅるり、と、あたしの手をくくっていた紐をほどいてくれた。
「好きに動いていいよ。ゴメンネ、こんなことしてて。」
 彼女はやさしい口調で言う。でもあたしは、彼女の考えがよくわからなかった。
 ほどかれても、床に座り込んだままで、彼女を見上げていた。
「何か聞きたいことがあるんだったら聞いて?そんな不思議そうな顔してないでさ。」
 そう言って、彼女は微笑んだ。あたしは、彼女の微笑が、信じられない。
 でも、そう言ってくれたから、あたしは恐る恐る口を開いた。
「あの……名前、何て言うんですか…?」
 小さく言うと、彼女は思い出したように、
「あ、そう言えば言ってなかったねぇ。」
 と小さく笑い、
「あたしは、八王子智。ヨロシクね、由伊。」
 と名乗った。
 トモ、さん…って言うんだ…。
 あたしは小さく頷き、俯いた。
「由伊は、名字は何て言うの?」
 彼女…智さんの言葉に、あたしは、
「神楽、です。」
 と答える。
「そっかそっか。」
 と納得しながら、部屋の机にいくつか置いてあるペットボトルの水を飲む。
 この人、本当に何がしたいのか、ぜんぜんわかんない。
 この人、ハルのこと…殺した、のに…。
 …ころ、した…?
「…っ、…う、……うえっ…」
 あぁ、まただ。
 もう、忘れちゃいたいのに。
 あんな……
「うえぇっ……ヒック…。」
 何も出てこないのに、吐き気ばっかり襲ってきて、一緒に涙も出てくる。
 ハル…死んだなんて…うそだよ…。
「由伊。」
 と名前を呼ばれて、あたしは顔を上げた。
 すると、智さんがペットボトルの水を差し出してくれていた。
「ぁ…」
 あたしは、その水を受け取ろうか迷った。
 だけど、彼女の優しさに応えてしまうことが、何故だか、とても怖かった。
 あたしは小さく首を振って、また俯いた。
 絨毯の敷かれた床を、ぼんやりと眺める。
 ぼんやり、と―――
「…!?」
 突然、肩をグイッと掴まれて、あたしは顔を上げた。
 瞬間―――
「…、…!!」
 口をふさがれ、水が、口の中に流れ込んでくる。
 吐き出したかった。
 でも、口を……、唇で、ふさがれて、それもままならない。
「うぅ、……っ…」
 コクン。
 水を喉に通すと、ようやく智さんは顔を離した。
 キス、…され、ちゃった…。
「水くらい飲まないと、生きていけないよ。」
 智さんは、しゃがみ込んであたしと同じ目線になる。
 やさしい笑顔。
 あぁ…わからない。
 どうしてこの人は、こんな笑顔をあたしに向けるの?
 どうして、……。

『由伊、君はあたしの奴隷だよ。』

 ――――!!
 突然頭の中を過ぎった声に、あたしは目を見開いた。
 よく覚えてない。覚えてないけど、この声は確かに智さんの声。
 この人――こんなこと、あたしに、言った。
 ど、れい……?
「由伊。あたしのこと、キライ?」
 智さんが言う。
 …奴隷。
 あたし、この人にもし逆らったら―――
 ……ハル、みたいに…されちゃう……?
 そんな…。
 そんなの、嫌―――!!!
「すき、です…。」
 あたしは、言った。
 声が震えた。
「…そっか。嬉しい。」
 智さんは微笑んで、あたしにくちづける。
 あたしは目を瞑り、キスに応えた。
 この人に逆らえば…
 あたしは―――。





『禁止エリアを告知します。
 1−A、2−B、3−C、4−A、5−C、9−C、13−B、14−A、15−A。以上の9エリアです。
 午前0時から十一時間が、禁止時間となります。繰り返します…』
 ………。
 覚悟は、していた。
 そろそろなんじゃないかな、って。
 でも、実際こうしてアナウンスで流れる無機質な声を聞くと
 ―――とても、怖い。
 私―――水鳥鏡子―――は、小さくため息をつき、備え付けられた棚に置かれた『武器』を手に取った。
 包丁。
 これを凶器として手に取るのは…初めてじゃない。
 愛していたあの人も、そして…肉親や、昔の友人も―――この凶器で、殺した。
 こんな所でまた手に取ることになるなんて、思ってもみなかった。
 …不意に、吐き気のするような、血生臭い情景が頭に浮かぶ。
 『飯、まだ出来てないのかよ!?ふざけんなよ、てめぇ!』
 彼は、そう言った。
 そんな彼に、私は、微笑んで言った。
 『もう、あなたのためにご飯を作る必要、ないみたいです。』
 怪訝な顔をするあの人に、包丁を突きつけた。
 『こんなに尽くしてるのに、まだ足りませんか?どうすれば、笑ってくれるんですか?』
 あの人の、お腹に、包丁を刺した。そして、えぐって、めちゃくちゃにした。
 玄関に鍵をかけて、シャワーを浴びて血を流した。
 そして、あの人たちのことも、殺した。
 『鏡子、な、何言ってんの?あたしたち友達でしょ?ねぇ…!』
 友達?
 『鏡子…?おい、な、なんだよ、これ?…お前がやったのかよ…!?』
 そう。
 復讐をするために、ね。
 高校生の頃。
 内気な私は、不良グループに無理矢理仲間にされた。
 ううん、仲間なんて、そんな美しいものじゃない。
 パシリ、って言うのかな。
 『鏡子、いいから吸ってみって。超楽しいからさぁ。』
 おいしくもない煙草を吸わされて、覚せい剤も吸わされて、売春させられて…。
 そんな私を救ってくれたのが、あの人だった。
 『長倉、お前、なんであんな奴等とつるんでるんだよ?俺でよかったら話してみろよ。』
 正義感が強くて、学級委員長でもあった水鳥君。いつもクラスの中心で、遠い人だと思ってた。でも、彼は言ってくれた。嬉しかった。だから、全部、何もかも彼に話した。
 『…それ、犯罪だからな。』
 『……。』
 『長倉、今ならまだ間に合うだろ?自首しろよ。あいつらのことも、俺が警察にチクッてやる。だから…。』
 『………。』
 『…俺、お前のこと待ってるから。だから、な。』
 嬉しかった。
 嬉しかった。
 すごくすごく、嬉しかった。
 少年院から出て、行く当てのない私を、彼は待っててくれた。
 『結婚しよう。』
 そう、言ってくれた。
 嬉しかったのに―――。
 あなたは何故、あんなにも変わってしまったんですか?
 私達の大事な命を奪って、私をめちゃくちゃにして。
 私にはあなたしか居なかった。
 あなたが豹変して…私は、生まれてくる小さな命にしか、希望が持てなかった。
 それなのに。それなのに―――。
「もう、戻れない。」
 あの人を信じて、幸せな幻想を信じていたあの頃が、一番幸せだった。
 でも、もう、戻れない。
 だから私は、この包丁を手に取るの。
 出来ることならば、もう一度。
 今度は、本当に信頼できる人に巡り合うの。
 素敵な家族に恵まれて、幸せな日々を過ごすの。
 ここから出て、もう一度やり直すの―――。





「2−B…良かった、この部屋は大丈夫なようですね。」
 私―――櫪星歌―――は、言った。
 この、お嬢様の部屋は2−A。幸い、禁止エリアからは外れていた。
「…そうね。良かったわ。」
 お嬢様は微笑んで言う。
 どこか儚げな、笑みで。
 ……その表情に、少し寂しい気持ちになった。
 お嬢様は、変わられた。
 ここに来てからだろうか。ずっと窓から外の景色を眺めている。
 あの強い笑顔を、今は見せてくれない。
 憂いを称えられたその表情。
 もう、晴れる時は無いのだろうか―――。
「ねぇ、櫪。」
「はい。」
 お嬢様は、ポツリと私の名を呼んだ。
 私はお嬢様の傍に立ち、次の言葉を待った。
「―――櫪は、自分の家族のこと、知りたいと思ったことはある?」
 そんなお嬢様の言葉に、すぐに言葉を返すことが、出来なかった。
 私の、家族……。
 私は、幼い頃に不知火グループの会長(旦那様)に拾われ、不知火家で育てられた。
 不知火家とは言っても、私が育ったのは不知火家の分家で、旦那様の作られた親の無い孤児の集う施設のような所だった。私が十六歳の時、私は琴音お嬢様の直々の侍女の任を遣わされ、この歳までお嬢様のお傍で過ごしてきた。
 元々消極的な性格で人に仕えるという仕事は抵抗が無かったし、礼儀作法にも重んじて教育されてきた。数居る孤児の中で私をお嬢様の侍女に選んで頂いた事は、とても光栄なことだと思う。私は、お嬢様の侍女になるために生きてきたと言っても過言ではないと思う。
 確かに、私の家族について考えたことはある。何故私の親は、私を捨てたのか、と。私が幼児の頃、国の施設から旦那様に受け入れて頂いたので、肉親の記憶は全く無い。面影でも残っていれば、まだ色々と考えたかもしれないが、全く記憶がない故、深く考え込むこともなかった。
「―――知りたいかと言われれば、知りたいとは思います。ですが、自ら詮索する必要はありません。今の私は、お嬢様の侍女である、それだけで良いのです。」
 私がそう答えると、お嬢様はじっと窓の外を眺めたまま、返事を下さらなかった。
 何か、まずいことでも言ってしまったのだろうか―――。
 そんな私の焦りを見透かしたように、お嬢様は私を見て微笑んで下さった。
「そう。貴女がそう思うのなら、それで良いでしょう。」
 お嬢様のその言葉に、安堵する。
 そう、もう親のことなどどうでも良いこと。
 私を捨てた親のことなど、考える必要もない。憎むこともしない。今更会いたいとも思わない。
「でも、ね――。」
 ポツリと、お嬢様は呟いた。また窓の外に目線を戻し、僅かに表情を曇らせて。
 そして続けた言葉に、私は驚きを隠せなかった。
「私は、貴女の両親のことを……知っています。」
「…!?……本当、ですか…?」
「…ええ。」
 お嬢様は、ふっと真剣な表情を見せ、私を見つめた。
 私は何を言って良いのかもわからず、その視線を受け止めることしか出来なかった。
「――知りたい?」
 お嬢様の言葉に、一瞬躊躇う。
 けれど、私は頷いていた。
「…はい。」
 私の親のことを、お嬢様が…。
 知りたくないとも思える。けれど、お嬢様が知っているとなれば、話は別なのかもしれない。
 私は施設に入れられていた所を旦那様に拾っていただいたと聞いていた。
 それなのに、私の両親のことをお嬢様が知っている、なんて――。
「―――。 ……ごめんなさい。私はいつも悩んでいました。このことを櫪に言うべきなのか。だけど…、わからないの。今、貴女に言うべきなのか、どうか…。言って良いのか、それともこのまま言わないべきなのか。」
「……お嬢様…」
「時はまだ、残されているのかもしれません。ですが、いつこの命が消えるかもわからない。いつ、伝えられなくなるのかも、わからない…。」
 お嬢様は沈痛な表情で言う。
 まさか、最近お嬢様が落ち込んでおられたのは、少なからず、これが原因だったのでは――。
「お嬢様……。そこまで思い詰めているとは知らず…、大変、申し訳ありません。」
「いいえ、謝る必要はないわ。」
 お嬢様は弱弱しく笑んで見せる。
 …私の両親は―――。
「…結構です。今更、私の両親のことを知ったとしても、それで何か変化があるわけではありません。どうか、その胸に秘めておいては頂けませんか。」
 …私は、言った。お嬢様は自らでお悩みに判断を下すことが出来ず困ってらっしゃる。ならば、私がそう片付けてしまえば―――。
「……そう、ですか。わかりました。」
「…。」
 ……。
 一瞬。 お嬢様は寂しげな表情を見せた。
 その理由がわからず、私は彼女を見つめることしか、出来なかった。
 何故貴女は、そんな悲しげな表情を見せるのですか―――?
「櫪。 …今宵はもう、眠りましょう。」
 お嬢様は、窓辺の椅子から立ち上がり、私の手を取った。
「…は、い。」
 …。
 言葉とは裏腹に、お嬢様は私の手を取ったまま、動かなかった。
 そのまま三十秒ほど経ったか、私は、
「お嬢様…どうか、なさいましたか?」
 と、恐る恐る尋ねた。
 お嬢様の表情は曇ったままで、俯いたまま、しばし沈黙した。
 そして――
「…櫪。 ……キス、して。」
 と、小さく言った。
 その言葉に、ドクンと心臓が大きく鳴るのを感じた。
「……宜しいの、ですか?」
 私は上擦りそうになる声をなんとか抑え、そう確認した。
「ええ…お願い。」
 お嬢様は私を見つめ、そして静かに目を閉じた。
 目を瞑る、その表情がとても儚く、触れれば散ってしまう花のようだった。
 ハラリと、向かって右の目を覆う前髪が、横に落ちる。私は静かにその前髪を、お嬢様の目に掛ける。
 美しいその唇に、私はそっと唇を重ねた。





「…は、ぁっ…。」
 苦しそうに息をつく律子さんに、私―――榎本由子―――の心配は膨らむばかりだった。
 今まで私と律子さんが居た、律子さんの部屋(13−B)が禁止エリアになり、移動しなければいけないことになる。だけど、律子さんは今日の夕方くらいからひどい熱で、苦しそうにうなされていた。
 こんな状態の律子さんを、歩かせることにさえ抵抗がある。
「あの、私の部屋まですぐ近くですから……頑張って下さい!」
「う、うん……だいじょぶ、だいじょぶ……ご、めんね…。」
 じっとりと汗を滲ませ、すっごく苦しそうなのに、律子さんはそう笑ってみせた。
「うぅ……。じゃあ、行きましょう。」
 私は彼女に肩を貸し、部屋の扉を開けた。
 片手は律子さんを支え、もう片手には律子さんのものである小型の銃を持って。私の武器であるボーガンは、背中に回した袋に入れてある。
 廊下はしんと静まり返っていて、幸い人の気配はないように思える。
 私の部屋まで30メートル弱といった所だが、その短い距離が、やけに長く感じる。
 律子さんを支えながらゆっくり廊下を歩く。今、後ろから狙われたら、きっと……。
 あぁ、もう、そんなこと考えちゃダメよね。
 一歩一歩、踏みしめるように歩く。
 苦しそうな律子さんに声を掛けたいのは山々だったが、こんなところで話して誰かに気づかれたら大変だ。
 地獄のような時間―――
 …その扉の前に立った瞬間、心から安心した。
 私は扉に手を掛け、律子さんと共に部屋に入った。
 パタン。
「はぁ…。」
 ドアを閉じて、安堵を息をつく。
 律子さんをベッドに寝かせ、その身体に毛布を掛ける。
「…もう…ほん、と、…ごめん……」
 律子さんは申し訳なさそうに、私を見上げて言う。
 私はそんな律子さんに、微笑んで見せた。
「大丈夫ですよ。気にしないで下さい。」
 そう言って、律子さんの額に手を置いた。
「…!」
 ……少し、驚いた。
 さっき触れた時よりもずっと、熱く、なっている。
 ひどい熱…。
「……あ、…来た…っ…」
 律子さんは小さく呟き、きゅっと顔を顰めた。
 苦しそうに、声を漏らす。
 傷が、痛むのだろうか――?
 見ているだけで、痛々しくて、怖くなってくる。
「く、…うぅ……」
 ベッドの中で悶える律子さん。
 ……私は、その時ある思いが頭を巡った。
 五分間ほど、律子さんを見つめていた。
 その痛みが引くことはないようだった。
 苦しそうな律子さんを前に、私が出来ること。
 ……放っておけないよ、こんな、律子さん…。
「…律子さん、私、薬探して来ます。」
 と、私は決意を胸に言った。
 律子さんは薄目で私を見るが、痛みからか、何も言えない様子だった。
「律子さん、安静にしてて下さいね。待ってて下さい!」
「ゆう、こ……」
 小さく私の名を呼ぶ律子さんに、私は一つ頷いた。
「大丈夫です。……いってきます。」
 ふと気づくと、私の手の中には先ほどからずっと握っていた拳銃がまだ握られていた。
 私は拳銃をきゅっと握って、律子さんに背を向けた。
「ゆ、…こ……」
 苦しそうな声は、私の決意を新たにさせる。
 絶対薬持って来て、楽にしてあげますからね。
 だから、待ってて下さい。
 私は一人、律子さんのいる部屋を出た。
 大丈夫。大丈夫だって――
 何度も何度も、自分に言い聞かせるように、繰り返しながら。





 ガサッ―――
 ……。
 ………。
 …。
 ……な、んだ…?
 深くで混濁する意識の中、耳から入る小さな物音に、俺―――加山了一―――は、意識を覚醒させた。
 ガサ、ゴソ
「……!?」
 誰か、いる…!?
 此処は…?
 …そうか、医務室、か。
 あの爆発で、酷い怪我を、して…そして、医務室のベッドの陰で横になって―――
 ―――!!
 手、が――
 …俺の、右手が……、ない…!!!
 な、…なん、だと…どういうことだ―――!!?
「っ……!!!」
 突然、思い出したように響き出した痛みに、俺は顔を顰め、堪えた。
 まずい。
 この医務室に誰かいるのは間違いない。
 おそらく、ベッドの陰にいるせいで、そいつは俺のことを気づいていないのだろう。
 だが、このまま静かに痛みを堪えるということが…どんなに難しいか。
「ぅ、………っ、…っ〜……!!!」
 歯を食いしばり、俺は耐えた。
 頼む。頼むから早く消えてくれ。
 …頼む―――!!!
「…ない、なぁ……。」
 小さく聞こえた声は…女か。
 …いや、よく考えれば、ここにいるのは俺以外は全員女だったな。
 若い女――。
 何か、探しているのか?
 だとすれば、さっさと見つけて、早く此処から出て行っ……
「こっち、かな…。」
 ……
 床から響く振動に、俺は身を固くした。
 近づいて、来―――
「…え…?」
「…!!」
 瞬間、女と目が、合った。
「なっ…!!」
 女は驚いたように目を見開き、反射的に俺に銃を向けた。
 しまっ、た―――!
「ま、…待て…!……お前に、危害を加えるつもりは、ない…頼む…殺さないでくれ…!」
 俺はそう言って…、気づいた。
 危害を加える気はない?
 …いや、そもそもこの女は―――!
「っ…し、信用、出来ません!!殺そうと、したじゃないですか…律子さんを!!!」
「!」
 そうだ。間違いない。
 あの若い女を殺そうとした俺を……
 こいつは、俺のこの足に、矢を放った女じゃないか!
 律子、それがあの若い女の名だということか。
 ―――まずい。不利だ。
「ま、待ってくれ。確かにあの時は殺そうとした。だが俺が間違っていた!すまない!…今じゃ、この様だ。わかるだろ?俺はもうお前を殺すことすら出来ないんだ!」
 そう言って右腕を差し出した。
 ぴちゃっ。
 血液が、零れ落ちる。
 激しい痛みに、顔を顰める。
「…う、腕……が…。……ど、どうしたんですか…?」
 女は驚いたような声で言った。
「見ての通りだ。廊下に爆発の痕が、あっただろ?」
「爆発、の……ありました。壁が壁が少し黒くなって…でも、それで…?」
「あ、あぁ、そうだ。」
 女は不審そうな顔で、俺を見つめていた。
 女というよりも、少女といった方が正しいか。高校生くらいだろうか。
 俺はこんなガキに矢を打たれ、足に酷い傷を負い…そのせいでこの医務室で横山と鉢合わせし、腕まで失ったんだ。よく考えてみれば、全ての元凶はこのガキ…。
 …冷静になれ。今は怒っている場合じゃない。今は、何よりもこの命が優先、だ…。
「……、ぅ……」
 女は、眉を顰めその手で口元を覆った。
 そうか、気持ち悪いのか、この手が。
「―――俺も、この腕の先さえあれば、お前を殺しただろうな。」
 ………思わず、口走っていた。
 後先など考えなかった。
 この女に対する怒りが、刹那、俺を突き動かしていた。
「…! …こ、殺し、ます―――!!」
 女は震える手で、そんなことを言う。
 俺は手を差し出したまま、小さく笑った。
 バカバカしい。なにが命が優先だ。
 …こんなガキにへこへこするなんてまっぴらだ。
 あれだけ腰低くしてきたってのに、何だ、この様は。
 なんで俺は、こんなとこで死にかけてんだよ。
 俺は、エリートだったんじゃないのかよ!!
「殺せるなら殺せよ!クソガキが!!!」
「…。」
 俺が怒鳴ると、女はビクリと身体を震わせ、怯えるような表情を見せる。
 所詮ガキはガキだよな。もういいよ。手なんか無くして、この先、生きていたいとも思わない。
 もういい。
 最後くらい、怒鳴り散らしてやろうぜ。





「…っ…。」
 どうして、撃たないの!?
 心の中で、私―――榎本由子―――が、言う。
 でも、…体が言う事を聞かない。
 怖い。
 相手は腕もない、死にそうな男なのに。
 なのに、男のギラギラした目が。怒鳴り声が、私を竦ませる。
 銃を持った手が震える。
 これを撃てば、それで…終わるのに!
 律子さんが待ってるんだから。
 早く、早く薬を見つけて帰らなくちゃ。
「本気で俺を殺す気があんのかよ?」
「…。」
「あぁ!?殺す気があんのかって聞いてんだよ!!答えろよ、バカが。どうせ怖くて撃てねーんだろ?所詮はガキだよな、てめぇ。どうせ世の中の醜いもんなんて何も知らずに生きてきたんだろ?あぁ!!?」
「っ……そ、そんなの…!!!関係ないじゃないですか!」
 言い返していた。
 醜いものなんて。
 ……醜いものなんて、あたし―――。
「何が関係ねーんだよ?はっ、どうせ素敵な恋愛とか夢見ちゃったりするオトメってやつなんだろ?バッカじゃねーの!?」
「…な、何が悪いんですかぁ!素敵な恋愛を夢見たら悪いんですか!?」
「別に悪かねーけどよ。バカみてぇ。くだらねぇっつってんだよ!!なんだよ、お前好きな男いんのかよ?」
「……男じゃなきゃダメなんですか?」
「あ?じゃ何か?もしかして女だって言いてーのか?」
「…女だったらダメなんですか!」
「……へぇ?レズかよ?はははは!お前がねぇ?」
「何がおかしいんですか!!」
 泣きそうになりながらも、こんな下種な男にコケにされるなんて、耐えられなかった。
 こんな風にバカにされたことなんてない。だからこそ、悔しかった。
「じゃあ何か。その好きな女を置いて、こんな血みどろの場所に来てんのかよ?その女のために生き残って、ここから出ようとでも考えてんのかよ!?」
「……。…生き残って?ここから出る?何言ってるんですか。彼女と私、ここを出たらもう会えないんですよ。」
「…は?……じゃ、ここの参加者だってことかよ。」
「そうですよ!!あなたが殺そうとした―――!!!」
 そこまで言って、はっと我に返った。
 あの男が殺そうと、した―――?
 律子、さん……?
 私、律子さんのことが、好き―――?
「く、くははははは!!あの、なんだ、律子とかいう女か?なるほどな、あいつのために俺の足撃ったワケかよ。愛故に、か?くはははは!」
「……律子さんを、殺そうと、したんですよね?あなたは…?」
「…そうだよ。そうだよ!!悪いかよ!!あの目障りな女を殺してやろうと思ったんだよ!なのに邪魔しやがって、このクソガキがぁ!!」
「邪魔するに決まってます!!私は、…私は律子さんのこと、…好き、だから――!!!」
 涙が湧いて来て、零れ落ちる。
 あぁ、私、律子さんのこと―――好き、なんだ。
 あの人よりも…?
 ……あの人よりも、好き、なのかな。
 律子さんに触れられて、私、嬉しかった。
 私―――。
「く、くははははは!!俺もな、あの女ちょっと好みだよ。童顔でさ、可愛いよな!!」
「……!!」
「あの女に聞いてみろよ。ガキっちょの女と、エリートの男とどっちが好みかってな!!絶対男だって言うに決まってんだろ?女は男と結ばれるんだよ!てめぇみてーなガキ、男でも相手しねーよ!!」
「どうしてそんなこと決め付けられるんですか!!そんなの、律子さんに聞いてみなきゃわかんないじゃないですか!!」
 私、どうしてこんな言い争いしてるんだろ。
 わかんない。
 でも、この男には負けたくない。
「……聞いて、みろよ。俺のこと殺したら、さっさとその律子のところに戻ってさ、聞いてみろよ!!本当は、この手さえあれば、お前のことなんてさっさと殺して、俺が聞きに行ってやるのにな…!!く、くははは、くははははは…!!!」
 男の狂気じみた高笑いが響く。
 あぁ、この男の望み通り、早く、殺しちゃえば―――

 ガチャッ。

「―――!!?」
「!?」
 突然、閉まっていたはずの、扉が開いた。
「お探しの『手』って…これのこと、かしら?」
 静かに、部屋に入ってきた女性――。
「あ、…あ、ぁ……う、うあぁぁああああ!!!」
 男は、怯えたような叫びをあげた。
 私も、恐怖で、喉に声が張り付く。
 女性の手には、『手』が、握られていた。
 拳銃を握ったまま、所々の手の皮が剥げ、骨が見えている、手―――。
「私には必要の無いものだから、返してあげるわ。」
 女性はそう言って、その『手』を、男に投げた。
 そして、

 パン!

 と、響いた音。
 女性は、煙の上がる銃を手にしていた。
 私はゆっくりと、男を見遣った。
 男は、その左手を、差し出したまま。
 自らの『手』を、受け止めるために、その手を大きく開いたまま、
 うつぶせになっていた。
 その頭から ビュゥと…血液が、噴き出していた。
「……、……、…ぃっ…」
 身体中が、震えた。
 その、おぞましい光景に、身体が震える。
 私は女性に目線を、戻した。
「―――!?」
 その銃口が、鈍く光り、私を捉えていた。
 女の冷たい目が、私を見つめていた。
 か、―――
 神崎、美雨―――。

 パンッ!

 音と同時に、私の身体の中を 冷たいものが突き抜けていった。
 ドサリ、と。
 身体が、崩れ落ちる。
 ―――あぁ、そうか。
 私、死ぬんだ。
 身体が、重たくて、痛くて――でも、意識が消えない。
 視界がぼんやりとする中で、女の声が聞こえた。
「―――何か言い残したことはある?」
 と。
 それなら、
「―――っ、こ…さ……。」
 …声が、
 声が、口が、動かない。
 でも、言わなきゃ。
 あ、…こ、えが―――。
「―――殺さないで?」
 そんな声。
 違う。
 違うの、私は――。
「り、つこ……さん、に………。―――ごめん、なさい、って……。」
 言えた。
 ……うん。
 もう思い残すことは、ない。
 ―――。
 ……あの人に会えるはずなのに、全然嬉しくないのはなんでかな…?
 ………。
 悲しい、よ…。
 律子さん―――さようなら。





 私―――闇村真里―――は、そろそろ就寝しようと思っていた矢先の出来事に、寝る間を削られ、ディスプレイに向かっていた。
 やっぱり、美雨なのね。
 次は誰が殺してくれるのかしらって、楽しみにしていたのだけど、予想通りかしら。
 相変わらずの冷たい表情で。二人一緒に。
 加山くんも、榎本由子ちゃんも、期待はしていなかった参加者だから、これはごく自然な展開だとも言えるわね。
 でも、加山くんはよく頑張ったわ。痛かったでしょうにね。エリート街道を走って来たのに、こんな不条理な展開になって。彼は人生そのものが可哀相よね。いつか大きな地位に上り詰めることを夢見て腰を低くして頑張ってきたのに、結局夢を掴む前に消えちゃった。でも、あの真面目な――ある意味、美雨にも似た仮面を被ってきた彼が、あんな一面を見せるとはね。美雨もいつか、あの仮面を外してくれる日が来るのかしら。―――そもそも、仮面の下なんて、あるのかしら。
 榎本由子ちゃんは、そうね、勇気があったのは良いのだけど、加山くんをすぐに殺して退散しなかったのが凶と出たわね。愛する人を置いて一人で逝くのは辛いかしら。部屋で待っている夕場律子さんも可哀相だけど。でも、美雨に遺言を残した時、あの子幸せそうだった。美雨はあの遺言、ちゃんと伝える気はあるのかしら。―――もし伝わったとしたら、その時が夕場律子の、最期…でしょうね。
 さて。夜更かしは美容の天敵ね。明日も皆の活躍を期待して、おやすみなさい。





「……深雪、さん。」
 ポツリと聞こえた声に、あたし―――矢沢深雪―――は顔を上げた。
 パソコンに逐次送られて来ていた(最近気づいた)死亡者の名前を眺めていた所だった。
 前のフィールドで二名、こっちのエリアで既に七人。合計九人も…死んでる。
 死亡したこと意外は書いていない。どんな死に方だったか、誰に殺されたのか。
 この九人のうち――神崎美雨に殺されたのって、何人くらいなのかしら。
 まだ、あの山奥に集められた日から、たったの一週間と一日しか経っていない。
 長かったような、短かったような一週間。
 パソコンを眺めつつ、そんな感慨に耽っていた時だった。
 あたしは螢子の声に振り向き、上半身を起こしてぼんやりとあたしを見ている螢子に歩み寄る。
「どう?調子は。」
 あたしがそう声を掛けると、螢子は微かに笑んで見せた。
「はい…なんとか。」
「そ。良かった。」
 あたしは頷いて、螢子の座っているベッドに腰を掛ける。
 そんなこと言いつつも、螢子はまだどこかぼんやりしているように見える。
「……まさか、またこうやって螢子と話せるとは思わなかった。」
「私もです。」
 そう言って螢子はのそりとベッドを這い、あたしの傍に寄った。
 すぐ傍であたしを見つめる螢子、その額を軽く小突き、
「なによ。」
 と笑う。螢子もくすぐったそうに笑い、
「…深雪さん、拾ってくれて、ありがとうございます。」
 と言い、あたしに寄りかかった。
 あたしの肩に、螢子の頬がぴとりとくっつく。
「…何甘えてんのよ。」
 そんな螢子が可愛くも見えるが、今までの螢子とは、少し違う感じもする。
「―――深雪さん、私、深雪さんのこと、好きかも…。」
「え?」
「………深雪さんがいないと、私、もう…一人になっちゃう…。」
 螢子は、小さく囁くように言う。
 そんな螢子が妙に儚くて、あたしはその頭を抱きしめた。
「何よ…本気で言ってんの?」
「…本気、です。……私、……私、深雪さんみたいな人に…もっと早く出会えてたら…。」
 その囁きに、微かに混じる、涙声。
 そうか。この子もなんだかんだで、弱いんだ―――。
「ありがと。お姉さん冥利に尽きるわ。……でも、」
 でも―――。
 言いかけて、言葉を切る。
 螢子は不安げにあたしを見上げた。
 その潤んだ瞳に、ドキッとする。
 確かに、この子は可愛い。あたしだって、もっともっと早くこんな子と出会えてたら…。
「……あたし、好きな人がいるのよ。」
 苦笑して、言った。
 これだけは、絶対に否定出来ない、あたしの絶対的な事実。
「そうなんですか…。」
 螢子は寂しげに言った。
 ストレートに感情を表す螢子の表情が、今は少し切ない。
「大学生の時、アメリカに留学しててね。その頃に出逢ったの。…その子の誘いで、テロ活動、始めたの。」
「…そう、ですか。」
「うん。―――あの子のこと、あたし、多分ずっと…愛してる。」
 そう、螢子に告げることで、自分を抑えているようにも感じる。
 遠距離恋愛に、何度も挫けそうになった。今だって、挫けそう。
 だけど、あの子のことだけは、あたしの中から無くせない。
 あの子が無くなれば―――あたしには、何も無くなる。
「深雪、さん。………私、深雪さんのこと殺すかもしれない。」
「……螢子?」
 あたしの胸に顔を埋めたまま螢子が呟いた言葉に、不安が走る。
「私、時々自分で、自分が制御できなくなります。……私、あんな偉そうなこと言ってたのに、なのに…人、殺しちゃった。」
「…ころ、した?螢子が?」
 その言葉、あたしは思わず聞き返していた。
 螢子が、殺した?
 その事実が、想像できなくて。
「はい。……悠祈さんっていう、キレイな女の人。榎本さんって言う子と、夕場さんっていう女の人…その二人に銃を向けてて、私、何も考えられなかった…。私じゃない私が、彼女に向けて引き金を引いたんです…。」
 悠祈藍子。確かに、たった今見た死亡者の名前にあった。
 螢子の言葉に、あたしはなんとも言えなかった。
 あの時の螢子は、銃を持つ手すら震えてたのに――。
 ―――?
 不意に、何かが引っかかって、あたしは考え込んだ。
 螢子の言葉―――何かが……。
「…榎本、さん?」
「…え?知ってるんですか?由子ちゃんっていう、高校生の子なんですけど…。」
 あたしが呟いた言葉に、螢子は顔を上げて不思議そうにあたしを見る。
「……ちょっと聞くけど、その榎本さんって子とは…仲良くなったり、したワケ?」
「え?…仲良く…ってほどじゃないですけど…その二人を助けたことになったから、お礼言われたし…少し話したり、しましたけど…それが、何か?」
 ―――そうよね。知ってるわけ、ないか。
 ついさっき受信したばっかりのメールだったもんね…。
「…どうしたんですか?難しい顔して…。」
 不思議そうに言う螢子の肩をそっと掴み、あたしは言った。
「あのね。…その榎本さんって子、…さっき、死んだわ。」
「―――え…?」
 あたしを見上げる螢子の瞳が、揺れた。
 しばしあたしを見上げた後、静かに俯き、
「そう、ですか…」
 と小さく言い、また、あたしの胸に顔を埋めた。
「ぅ…、…どうして…。」
 微かに震えるその身体をそっと抱く。
 人の死を悲しむことの出来る、螢子。
 人を殺すことの出来る、螢子。
 その二つの螢子が、同じだと思えなかった。
 螢子はあたしを…殺せるの?
「―――深雪さん、深雪さん…ねぇ…」
 突如、螢子は濡れた瞳であたしを見上げ、その名を呼んだ。
「どうした?」
「あの、深雪さん。深雪さんは、私の傍に居てくれますか?私、深雪さんの傍に居たい。居たいけど、殺してしまうかもしれない!わからない、わからないけど、でも―――!!」
 そう、不安げにまくしたてる螢子を、ぎゅっと抱きしめた。
 螢子の不安を紛らわすように。そして自分自身の不安をも、紛らわすように。
「そういう螢子は、あたしの傍に居てくれる?あたしは、螢子のこと殺すかもしれないよ?」
「…深雪、さん……。」
「それでもいいなら、一緒に居よう。」
 強く、強く、抱きしめた。
 こんなこと、恋人にもしたことがない。
 怖かった。
「―――はい。ずっと、ずっと一緒に…。」
 あたしを抱きしめ返して、囁く螢子。
 きっと、あたしはこの子を殺したりなんかしないだろう。
 そして―――
 この子があたしを殺すとしても、それでも構わないと…思えるのよ。
 一層、このまま螢子を愛することができたら、どんなに楽か。
 どんなに―――。
「…深雪さん、お願いがあります。」
「何?」
「―――ダメならいいんですけど…、…抱いて、くれませんか。」
 螢子の言葉に、一瞬、遠いアメリカの地の恋人の顔が過ぎった。
 けれどそれはぼやけて、あまりに遠すぎて、私の歯止めにはなってくれなかった。
「いいわよ。―――いっぱい、抱いてあげる。」
 あたしは螢子をベッドに押し倒し、唇を重ねた。
 もう、何年も、人の唇と触れ合ったことはなかった。
 あの時、酔っ払って寝てる螢子に、キスしたいって、思った。
 でも我慢して、螢子の唇を指でなぞり、その指で自分の唇をなぞった。
 あの時からずっと、螢子が欲しかった―――。





「由伊、超カワイイ。女の子らしい服が似合うんだねぇ。」
 あたし―――八王子智―――は、黒のTシャツにミニスカートというファッションに身を包んだ由伊に、賞賛の言葉を送った。
「…いえ、そんなことは…」
 由伊は微苦笑を浮かべ、自分の姿が映る鏡を眺めている。
 10階の衣服室にて。さすがにこんな部屋に誰かが来る可能性も低いだろう。あたしは由伊を連れてこの部屋を訪れ、由伊にファッションショーをさせているところなのだ。
 でも、由伊は何着ても似合う。キュート系から大人っぽいファッション、ボーイッシュもなかなか可愛かった。この子はチアキ以上に可愛いかも。
 夜中ということもあり、由伊も眠いらしい。先ほどから少し瞼が重たいみたいだ。
 この階には由伊の自室があるから、そこで休もうかな。
 …でも、あたしはまだまだ眠くない。
 鏡に映る由伊が、少し驚いたように小さく声を上げ、目を見開いた。
 あたしが由伊を、後ろから抱きしめたからだ。
 こういう反応が初々しいのも、ポイント高いなぁ。
 あたしはそっと、その小さな胸のふくらみに手を這わせつつ、耳元で囁く。
「ね、ハルとはエッチした?」
 すると、由伊は少し赤くなって、
「い、いえ…」
 と答える。
 あたしは内心ガッツポーズである。
「じゃ、由伊の初めてはあたしが貰えるんだぁ。」
「えっ、あ…。」
 由伊は困惑したように俯いた。だけど、抵抗はしない。
 この子もようやく理解したのかな。もう、抵抗しても無駄だって。
 由伊の髪をかきあげて、その可愛いうなじに舌を這わせた。
「ぁ、ぅ…」
 由伊の肌がピンク色に染まる。すっごく可愛い。
 今すぐにでも襲いたいのは山々だが、ここは我慢。
 由伊の初めてだもん。もっと大事にしてあげなくちゃ、ね♪
 由伊をこっちに向かせ、その頬や額にキスを落とす。由伊はくすぐったそうに目を瞑り、黙ってキスを受けていた。
 最後に唇に軽いキスを落として、キスの雨を止ませると、由伊は伏せていた瞳をそっと開けた。
 どこか不安げな表情であたしを見上げ、
「―――智さんは、経験豊富、なんですよね…。」
 と、ポツリと呟く。
 …。
 実は、そうでもなかったりする。
 だってチアキとは、由伊とハルみたいな純愛だったし。
 でもここは、やっぱりお姉さんぶっとくべきかな。
「まぁねぇ。あーんなことやこーんなこと、経験済みだよ。由伊にも教えてあげる。」
「……。」
 由伊は恥ずかしそうに俯いたまま、何も言わない。
 うーん、可愛い。
 あたしはそんな由伊の手を引いて、由伊の自室へ行くことにした。
 この子がいると、しばらく飽きないなぁ。
 超カワイイしね。
 由伊があたしに落ちるのも、時間の問題ってとこだよね〜。





「――――!」
 廊下の角から不意に姿を現した人物に、あたし―――吉沢麗美―――は武器を構えた。
 あたしの武器は、金属バット。
 相手が銃器なら勝ち目はない。戦慄が駆け抜ける。
 部屋が禁止エリアになり、ひとまずは自室のある4階の自由室に身を潜めていたのだが、深夜二時、空腹に耐え切れず部屋を出た。飲食室のある3階の廊下でのことだった。
「あっ…!」
 ワンテンポ遅れてあたしに気づいたらしいその人物は、警戒した様子で、あたしに武器を向けた。…包丁か。
 黒髪を後ろで結んだ、日本人らしい女の子。確か…名前は、水鳥鏡子。
 彼女との距離はおおよそ10メートル。
 お互いに至近距離用の武器を手にし、対峙する。
 出来ることなら、戦いたくはない。
 だけど…このまま逃げ続けていいのかなって、そんな思いもあった。
 動こうにも、この先どうすれば良いのか結論が出せず、あたしは彼女と睨みあったまま固まっていた。…睨みあった、と言っても、彼女はそこまで険しい表情ではない。無表情に…――いや、どこか、悲しげな瞳で、あたしを見つめている。
 そんな彼女の表情、そこに殺意があるのかどうか、あたしにはわからなかった。
 内心躊躇っていると、彼女が、長い静寂を破った。
「…吉沢さん、ですよね。」
 と、確認するように言う。
「ええ。……水鳥鏡子さん、よね?」
「え?―――…あ、はい。」
 彼女はあたしの言葉に一瞬不思議そうな顔をした後、なにやら思い出したような様子で頷いた。
 彼女の意図が掴めず、探りを入れるようにあたしは言った。
「………黙って、通してはくれない?」
 すると彼女は、小さく小首を傾げ、
「―――どうしてですか?」
 と尋ね返す。
 どうしてって、言われても――。
「―――あ、……ぅ、…。」
 刹那、彼女は顔を顰め、悲しげな表情であたしを見る。
 何?…なんなのよ…?
 そして―――
「っ…!」
 突然、彼女はあたしに向かって駆けて来た。
 なっ――
 ヒュンッ!
 鋭く空を切る音。
 鈍く光る包丁が、あたしの傍を凪いでいった。
「く…!」
 彼女に殺意があるなら、あたしだって戦うしかない。
 慌てて、両手で握る金属バットを振り仰いだ。
 ビュン!
 こちらも空を切る。
 思っていたよりも、重い。
 破壊力こそこっちの方が上だが、隙が出来やすい。彼女の凶器の方が身軽だ。
 だが、当たればこっちのものだ!
「はぁああっっ!!!」
 声を上げ、あたしは再度彼女に殴りかかった。
「うっ!」
 ガシィィン!!
 バットは激しい音を立て、床に叩きつけられる。
 彼女はからがらであたしの攻撃を避け、そのまま流れ、とんっと壁に背中を付く。
 もらった――!!
 そんな油断から、少し大ぶりになりすぎた。
 自分で思ったよりも制御しきれなかったその凶器は、勢いをつけて壁に振り下ろされる。
「!」
 彼女は目を見開き、
 バットは、壁に叩きつけられた。
 ガキィィン!!
 激しい音を立て、壁に衝突したバットから伝わる震え。
 あたしのバットが叩いた壁の真下に、座り込む彼女。
 その目が、鋭く光った気がした。
「――っ!!!」
 本能的に身体を走った恐怖に、あたしは後ろに跳んだ。

 ザッ―――

「ぁ…!!?」
 刹那――――右足に走った鋭い痛みに、あたしはバランスを崩し、尻餅をつくように床にへたりこむ。横一直線に、雷が走ったような痛み。
「……あ…。」
 彼女は、包丁を手にしたまま、驚いたようにあたしを見下げていた。
 座り込んだ弾みで、あたしのバットはカラカラと手から滑り落ち、廊下を転がった。
 まずい。
 殺される―――!
「ご…ごめんなさい…!!」
 …。
 ―――え?
「あ、…ぅ……。」
 見ると、彼女はその目に涙をいっぱいに溜め、あたしの右足を…血が滴るその足を見つめ、困惑した表情を浮かべている。
 なんで――?
 とどめ、刺さない、の――??
「…ごめんなさい…、ごめんなさい、私――!!」
 彼女は泣きながら謝り、そして、突然駆け出していった。
「…え……?」
 包丁を手に駆けていく彼女の後姿を見つめながら、あたしは呆気に取られた。
 なんで?どうして殺さないの?
 あ……あれ、あたし…
 助かった……?
「…あっ…。」
 不意に、廊下の真ん中で座り込んでいる場合じゃないことに気づく。
 彼女は消えたとは言え、他の参加者に見つかっては元も子もない。
 あたしは、今彼女の包丁によって傷つけられた足に手を伸ばした。
 ジーンズが裂け、血が滲んでいる。その裂け目から傷口を覗くと、そこまで酷い怪我ではないようだ。ぱっくりと皮膚が裂けていて気持ち悪いけど、合わせて安静にしていれば、その内傷口も塞がるだろう。
 ゆっくり立ち上がり、そっと足を動かしてみる。
 ―――うん。
 確かに痛みはするけど、歩けないってほどじゃない。血もそこまで沢山出てないところを見ると、太い血管には至っていないようだ。
 あたしは金属バットを拾い、一階の医務室に向けて歩き出した。
 でも、なんで彼女は、あたしを―――殺さなかったんだろ。
 どうして、傷つけておきながら、謝ったりなんかしたの…?
 あたしは彼女を殺そうとしたんだから、彼女だってあたしを殺して何の不思議もない。
 それなのに。
 疑問と同時に、微かに浮かぶ不思議な思い。
 泣きながら、ごめんなさいって謝る彼女の姿が浮かぶ。
 あの子…本当は、いい子なのかな。
 本当は、殺すべきじゃない子なのかも、しれない。
 でも、先にあたしを殺そうとしたのも、確かにあの子だった。
 ―――わかんない。






セカンドプロジェクト途中経過




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