BATTLE ROYALE 4




 パソコンと睨めっこを始めてから、もう何時間経っただろうか。
 私―――高見沢亜子―――は作業を始めてから遂に今、最高の興奮を覚えていた。
 今、カチッと一回クリックする、たったそれだけで……政府の奴らを混乱の渦へと突き落とす事が出来る。
「美雨さん。起きてや。」
「………。」
 ベッドで休む美雨さんに声を掛ける。
 少しして、まるで起きていたかのように、彼女はむくりと起き上がった。
「……ちゃんと、寝てはりました?」
「ええ。ゆっくり休ませてもらったわ。」
 彼女は起き上がると、パソコンの前に座る私のそばまでやって来た。そして、小声で「どうなの?」と囁く。
 私は頷き、ワ−ドパットを起動した。
『絶好調です。あと1クリックで、政府の管理する情報を奴らが見れんようにすることが出来ます。』
『管理側のパソコンを、シャットダウンするの?』
『そんなところです。奴らが、パソコンが動かんようなって混乱しとる所で、こっちは好き勝手出来るワケです。』
『なるほど。こちら側からある程度遠隔操作はできるのね?』
『できます。向こうのパソコンで可能なことなら、こっちでも大抵可能です。』
『見事だわ。早速実行して。』
 彼女の打った言葉を読み、私はもう一度美雨さんを見上げた。薄く笑んだ彼女の表情。
 こんな美人な人が…こんな間近におるなんて。……信じられん。夢…みたいや。
「………どうしたの?」
 彼女に思わず見とれる私に、美雨さんがそう尋ねる。
「あ、あの…」
 喉の奥から漏れるような、掠れた声で私は言った。
「……お願いが…あります。」
「…なぁに?」
「…あ、…アカンならええんです。けど…もし…もし…ええんやったら…」
「言ってみなさい。」
「…き…、……」
 ……な…何…言うとるんや…私は…。
 アカン…こんなこと言うたら、軽蔑されるに決まっとる……。
「…な、なんでもないです。」
 私はかろうじて気持ちを堪え、そう零した。
 その時。顎に、冷たい物が触った。
「あ…!」
 彼女の冷たい指が、私の顎を引く。
 ふわっ、と…。
 ……ふわ…っと……。
「……、………」
 言葉が…出ない。
「……違った?あなたの…望み。」
 美雨さんは、ほんの少しだけ首を傾げて見せる。ああ、あかん…。うれし…過ぎる。
「…美雨…さん…。あ、ありがとう………私…、…こんなん……。」
「あなたには感謝してもしきれないの。こんなことで良ければ…いくらでも。」
「……ほんま…ですか…?」
「…ええ。」
「……じゃあ、図々しぅて…ごめんなさい……も、もう一回…。」
 私が途切れ途切れに言うと、美雨さんは嫌な顔一つせず…こんな…こんな私に、やわらかいくちづけをくれた。
 ……初めての…きす。
 こんな私やから、…好きやなんて言うてくれる人なんか、一人もおらんかった。逆に…好きやて言いたい人も…おらんかった。人間が嫌いやったから。人間なんて、大嫌いやったから。
 ネットで暴れたんかて、別に喝采が欲しかったからやない。私のしたことで、困る人間がおるってことが…楽しかったんや。
 でも、今は違う。今回のは…ある人の…ため。美雨さんに喜んで欲しい…その一心やって…こんなん…初めてで…。
「……ありがとう。…もう本望や。ほんまに死んでもええ。」
「まだ死んじゃだめ。もう少しだけ力を貸して。」
「…美雨さん…もし、私のこと要らんくなったら…殺してください。」
「私が…あなたを?」
「ハイ…もうええんです…美雨さんになら殺されてええんです。それで…満足やから。」
「………そうね、考えておくわ。」
「…ハイ。」
「それじゃ…行きましょう。」
 私は頷き、マウスを操作した。
 カーソルが、一点に止まる。
 ……静かに、『OK』をクリックした。
 次の瞬間、パソコンの画面にはずらーっとリンクの一覧が表示された。
 ここが…やつらの本拠地や。
「……ココ。」
 美雨さんは、一覧の中から迷わず一箇所を指さした。『break』。
 そこを開くと、あるプログラムが起動した。
「…これって…。」
「………。」
 名前通り、破壊。
 破壊プログラム。
 このフィールドを…破壊するプログラム。
「こ、これは…アカンのとちゃいますか…」
「……問題ないわ。」
「え…?」
 まさか…まさかこの人…全部爆破するつもりなんか…?
 そ、そんなことしたら、自分も死んでまう…!
 美雨さんの指は滑るようにキーボードに何かを打った。そして私がそれを認識するよりも先に、『enter』を押していた。
「……!」
 もうダメやと、覚悟を決めた。
 次の瞬間 ―――爆発音が響いた。





「………!?」
 低く響いた、爆音。
 階段を上っていた私―――幸坂綾女―――は、事が尋常ではないことにすぐ気づいた。
 こんなことするのは、政府側か…美雨さんかしかない。
 コンコン。
「私です。」
 美雨さんと、高見沢亜子のいる部屋をノックする。間も無く、鍵が開いた音がした。
「貴重な場面に立ち会えなくて残念ね。」
 美雨さんは、薄く笑んでパソコンの画面を見つめていた。
「…何を…したんですか…?」
「……爆破したわ。管理棟をね。」
「そんなことが…?」
「可能だったのは…政府側の自業自得。万が一の為に、このフィールド全体を焼き尽くす爆破装置を用意していたみたい。それを、管理棟だけで作動させたのよ。」
「……どうするんですか、これから。」
 楽しげな美雨さんに、私は問う。
「そうね…考えてないわ。」
「……嘘。」
 私はポツリと呟いていた。彼女のことが、ほんの少しだけわかってきた。
「あなたは…そんな無計画な人間じゃないはずよ。」
 私の言葉に、彼女はふっと冷たい表情を覗かせた。ドクン。…ドクン。
「じゃあ逆に聞くわ。…あなたはこれからどうするの?綾女。」
「……………。」
 もう…彼女は味方なんかじゃない。
 ううん…最初から味方なはずがない。
 どこまでも冷たい人。
 ………でも…どこまでも、素敵な人。
「…あなたに殺される前に、一人になりたいわ。」
「………止めると思う?」
「まさか。…有り得ないわ。」
「その通りよ。今すぐ消え失せなさい。」
「………ええ。」
 私は部屋に置いていた荷物を肩に掛けると、ドアを開けた。
 そこで私は立ち止まり、二人に背を向けたまま…言った。
「……有り難う。」
 ………。
 ……。
 …。
 有り得ない。
 階段を下りながら、私は驚きを隠せなかった。自分に対しての…驚きを。
 どうして私は……
 ……『有り難う』なんて言葉を、覚えて…いたの…?
 ……私を狂わせる女。
 神崎美雨。
 ……次に会う時は……
 …………私を、殺して頂戴。





「なっ……なんですって!?」
 薄暗い部屋に、ヒステリックな声が響き渡った。覚悟はしていたが、やはり実際に聞くのは耳に痛く不快だ。
「申し訳ありません。」
「………詳しい状況を。」
「はい。予測外のことで対処が遅れています。現地に駐在していた人間は全員即死と思われます。」
「そう…。…誰か、現地に向かってるの?」
「予備の要員として用意していた二十名と、監視用の空軍機一台は早速向かっておりますが、これ以上の増員は不可能です。」
「………。」
「………どうされますか。」
 女は、険しい顔で考え込んだ。間も無くして、決断を出した。
「現場に見に行くわ。ヘリは出せるわね?」
 予定通りの決断を。
「……しかし、明日のご予定が。」
 一応こうは言っておくが、それに応じるような人間ではないことは既に知っている。
「少しくらいなんとかしなさい。重要な会議じゃないんでしょう?」
「わかりました。なんとかします。では、ヘリの準備が整い次第参りましょう。」
「ええ…現場に向かった人間には、参加者の監視を厳しく行なうように伝えて頂戴。」
「ハイ。失礼します。」
 女に礼をし、部屋を後にする。
 廊下に出た瞬間、堪えていた吐き気に顔を顰める。
 全く、ヘドが出そうな程嫌な女だ。
 しかしもうすぐ終わる。
 この任務が終われば、報酬が山ほど来る。そして党内で成規の党員として働くことができる。
 全く、きつい仕事だった。あの報酬金の額でも、こいつは釣り合わない。なんと言っても、党の中で一番『最悪』の政治家の秘書にならなくちゃならないんだからな。
 でも、もうすぐ終わる…もうすぐだ。
 人間の生き死にのデータを国に売ってしまえば、国は総力を挙げてデータ以外は全て隠滅する。そのついでに、あの女も消すまでだ。
 ……あと…少しだ。





「螢子ぉ。今日は花見酒と行こうか?」
「はぁ?…もぉ、何悠長なこと言ってるんですか…。」
 螢子はあたし―――矢沢深雪―――の発言に、あきれた様子で返した。また、「酔っ払いが何言ってんだか。」な感じだ。
「いーじゃんいーじゃん。せっかく誰かがでっかい花火上げてくれたんだからさ。」
 ベッドに座る螢子に絡みながら、あたしはビールを煽る。
「…花火…ですか…?……そうは思えませんけど…。」
「あんた、わかってないわねぇ。テロリスト的に言う爆破のことよ、花火って。」
「………爆破!?あ、あの音、爆発の音なんですか?一体どこの…?」
「ん〜…そうねぇ。」
 あたしはパカッとモバイルを開いて言った。
「音の方向、音量、伝わってきた揺れからして……政府の奴らが駐在してる所と見たわね。」
「…ほ、本当ですか!?」
「………一番の証拠は、これね。」
「え…?」
 あたしはモバイルのメール画面を開いて見せた。
「……何ですか?」
「あるべきものがないわ。」
「……あ…!…メール…そういえば…!」
 螢子はそばにあった自分のモバイルを開いた。
「私のも、今日のメール来てません。もう…十二時半なのに…。」
「……でしょ。そういうことよ。」
「そしたら…どうなるんでしょう…?」
「さぁね〜…。まぁとりあえず、あたしらを見張ってるやつらが消えた…って考えてもいいかもしれないわね。」
「……それじゃ……それって…?」
「ん…、まぁ。」
 あたしは螢子の傍に寄ると、そっと螢子の首筋に手を這わせた。
「え…?」
 頬を赤くしてあたしを見上げる螢子に、薄く笑んだ。そして…
 あたしはその手に、きゅっと力を込めた。
「……かはっ…!」
 弾みで螢子はベッドに倒れ込む。
 あたしは螢子に馬乗りになった。
「…う…!」
 螢子は苦しそうにしながら、目に涙を溜めた。その表情に、あたしはようやく力を緩める。
「や…、ひ…く…!」
 螢子はそのまま、顔を覆って泣き出した。
 あたしは螢子の上に乗っかったまましばらく、その姿を見つめていた。
 ……そうだな。
「…螢子、泣くな。今の冗談よ。」
「う〜…、冗談…過ぎます…、ほ、本当に殺されるかと…!」
 涙に螢子の濡れた頬を、あたしは指でそっと撫でた。螢子の首には、うっすらと赤く痕が残っていた。
「……でも、あたしじゃなかったら?」
「…え…?」
「あたしじゃなかったら、本当にあんたのこと殺してたかもしれないわ。…管理がなくなったってことは…、この休憩所でも油断できないってこと。…そうでしょ?」
「あ…。」
 あたしの言葉に、螢子がひどく不安げな表情を見せた。…ったく、そういう顔するから、なんか傍にいてやりたくなるんだよね。
「……ごめんね、螢子。苦しかった?」
「……!」
 あたしは顔を落とし、螢子の首筋にキスを落とした。螢子の身体がピクンと跳ねる。
 可愛い。ホント、可愛いなぁこの子。
 …………。
 何度もキスを落とした後、首筋に舌を這わせる。
「ン、んんっ……、……深雪…さ…。」
 螢子は抵抗しなかった。
 …このまま襲ってしまおうか。
 …死ぬ前に一回くらい、セックスもしたい。
 ……したい。…でも…。
 …………。
 …………あたしには、できない。
「………何。いっちょまえに感じてんの?」
「えっ?!」
 からかうようなあたしの言葉に、螢子はかぁっと顔を赤くした。
「…フフ、ちょっと遊んでみただけだよ。」
「そっ、…、……。……。」
 螢子は何かを言おうとして、口を噤んだ。
 なんとなくわかる。あたしが螢子と同じ立場ならこう思ったはずだ。『そんな…。』。
 あたしは螢子から離れると、机の上に置いていたビールを開けた。少し生温い。
 それをクッと煽ってから、あたしは螢子に尋ねた。
「ねぇ、あんた経験あんの?」
「え…?経験…っ…て。」
「エッチの。あんたって無知そうに見えるしね。」
「……失礼なっ。」
 螢子は俯き加減で言った。
「ほぅ。ってことはあるんだ。」
「……ありますよ。悪いですか?」
「悪くないけど。」
「…う…。」
 突然、螢子はじわりと涙をにじませた。
「ちょ、何?あたし悪いこと聞いちゃった?」
「…うっ、うぇっ…。……だって…、……痛いんだもん…!」
「…は?何が…?」
「一日中…入れ…たまま置いてかれたり………強姦(まわ)…されたり…、縛られたり、吊るされたり、叩かれたり!ビデオに撮られて脅されて、なんでも言うこと聞いて…家畜みたいな扱いされて…!」
 螢子が口走った事に、あたしは凍りついた。
 あたしはビールを置いて、螢子に詰め寄った。
「ちょっ…、本当なの?本当にそんなこと………!?」
 あたしがあまりに真剣だったからか、螢子は不思議そうにあたしを見上げた。
 そして、小さく笑ってみせた。
「…う、嘘ですよ、そんなめちゃくちゃなことあるわけないじゃないですか、アダルトビデオじゃあるまいし。あはは…本気にしないで…下さい…。」
 ……あたしは螢子の強がりな笑みに、言葉を飲み込んだ。
 じゃあ…なんで泣くのよ、って。
 その時、どぉん!と、先ほどよりも少しだけ控え目な音が鳴り響いた。
「二次爆発ね…。……此処にいたら逆に危険かもね。」
「……深雪さん…。」
「大丈夫よ。とりあえずは、あんたの味方でいてあげる。」
「……はいっ!」
 螢子の嬉しそうな笑みに、あたしも自然と笑みが零れた。
 ………この子、ちょっとだけ似てる。
 一途で真面目な…あの人に。
 ……だから、そばにいるのかな。





 スタッ。
 二人は…天使の如く、舞い降りた。
 私―――木滝真紋―――と真苗は、相変わらず『繋がった』ままである。突然の爆発に驚いて、私達は警戒しながらも夜道を歩いていた。その時、突然過った気配に空を見上げると…そこに居たのは、人だった。
 ふわりと舞い降りた二人に、私達は釘付けになった。舞い降りて来たのは天使なんかじゃない。パラシュートを付けた人間だ。しかも、若い女性。
 私達が釘付けになったのはほかでもない。この二人が『参加者ではない』ことだった。
 二人の女性はすぐに私達に気づき、素早くパラシュートを外すと、私達に近づいた。
 思わず身構える。
 二人の女性は並んで立ち、内の一人の女性がビシッと敬礼を決めた。
「失礼します!私、叶涼華(カノウリョウカ)と申します。空軍所属、階級は少尉です!」
 彼女は緊張した面持ちで、そう名乗った。
 そしてもう一人の女性は、長い茶髪を揺らして軽く敬礼を決め、微笑んだ。
「鴻上光子(コウガミミツコ)、同じく空軍所属。階級は下官です。」
 二人の女性の突然の登場に、私は真苗と顔を見合わせる。とりあえず、空軍というのは間違いないらしい。二人が着込んでいる制服が空軍のものであるという知識はあった。正体を明かされた以上、こちらも明かしておくべきだろう。
「…えっと…、…死刑囚の木滝真紋です。」
「同じく死刑囚の中谷真苗でーす★」
 星マークなんかつけるバカは放っておくとして…。
「……ええと、何の用事?」
 私は二人に問う。
「ハッ!」
 少尉の叶さんは、再びビシッと敬礼した。
 いちいち敬礼しなくていいのに…。
「我々、今回の本部爆破騒ぎにより、参加者の皆様の命が危険に晒されるとの勝手な…」
「まぁ簡単に言えば、混乱に乗じて遊びに来ちゃった、ってとこかな。」
「ええ!?」
 堅苦しい説明に被せて、鴻上さんがニッコリ笑んで言った。その言葉に、叶さんが慌てふためく。どうやら二人の動機には若干のズレがあるらしい。
「……遊びに来る場所じゃないわよ。此処には遊びで『人殺し』をする人たちがごろごろいるんだからね。」
「…本当ですか?」
「ええ。私達は……今の所違うけど。まぁ、この先どうなるかもわかんないしね。」
「…………。」
 『ズーン』という効果音を発して沈黙する叶少尉さん。もしかして此処に来たこと後悔してる?
「とにかく、此処にいたら危険だから目立たない所に行きましょう。…もう引き返せないこと、そして、あなたたちの命は死の危険に晒されていること、理解してね。」
「……はい。」
「……いいわ。」
 ………妙な二人に会っちゃったなぁ。
 ま、仲間は多いほうが…心強いけど。
「ところで、なぜお二人は手錠を?」
「………。」
 一番触れられたくない所に。
「これはね、私達の愛のあか」
「事故よ。事故なの。いいわね。」
 真苗の妙な言葉を遮って断言する。
 ………変な人ばっかり。
 …こいつらとは一緒に死にたくないよ……はぁ。





 長い夢だった。
 こんなに泥のように眠って、なおかつ長い夢を見たのは、初めてだ。
 でも…目覚めたくなかった。
 夢の中で、美雨さんと一緒だった。
 美雨さんと自分しかいない世界。
 広く、暖かく、心地よくて。
 ………ずっとずっと、美雨さんと一緒。
「……、…っ……」
 目覚めた時、夢の中の美雨さんと離れることが辛くて、胸が苦しくなった。
 …でも……。
「…おはよう、亜子。」
「あ…、…み、美雨…さ……っ……」
 ふっと触れた頬の冷たさに、私―――高見沢亜子―――は驚いて目を開いた。
 一瞬ぼんやりした後、はっきりと見えたその顔に…別の意味で胸が苦しくなった。
「ゆっくり眠れた?」
 美雨さんの手が、私の頬を撫でる。優しい声と、冷たい感触。その相対した二つが、酷く不自然に思えた。
「…ヒッ…く……、……うぅ…。」
 何が悲しいのか、何がそうさせるのかわからない。私は、涙を流していた。
「亜子…どうしたの…?」
「……美雨さっ…、……う、うぁあっ…」
 わけもわからず泣きじゃくる私を、美雨さんは静かに抱きしめた。彼女の乳房の柔らかさが、私を落ち着かせていく。
「………落ち着いた?」
「……ハイ…。……美雨さん…、私…」
「なぁに…?」
「美雨さんに会えて良かったって……、……こんな…誰かを…考えたこと…なくて…」
「…亜子…。」
 もう、なんでも出来た。
 『死ぬ気』になったら、なんでもできるもんなんやな。どうせ死ぬんやから…なんでも、してまえ…!
「美雨さん…、…好き…です…。」
 言った次の瞬間、ドクンと、心臓が高鳴った。覚悟はできてても、緊張するもんなんや…って…。
 美雨さんは私の肩をそっと持ち、目を見つめてくれた。
 そして、静かにキスをくれた。
 このまま、ずっとずっと時が止まれたいいのに。もう…このまま…!
 美雨さんは静かに顔を離すと、言った。
「……亜子、もう行くわ。」
「え…? …美雨さんっ……」
「………これで…もう会うこともないかもしれないけど。」
 美雨さんは立ち上がり、既に用意してあったらしい荷物を手にした。
「待って…、私のこと…、……私の…こと…っ…」
「……殺せって言うんでしょ。でも…断るわ。身障者を殺す趣味はないの…。」
「…美雨さん…そんな……。」
「次に会う時は…殺してあげるかもしれない。………それまで生き延びなさい、いいわね。」
「……は……い…。」
「………それから…、」
「はい…?」
 シュッ、とコ−トを着込んだ美雨さんは、入り口の所で振り向いて、言った。
「死を望む者は嫌い。……生きたいと強く願う人間ほど……殺し甲斐がある。私に殺してほしいなら、その条件に見合う人間になりなさい。いいわね、亜子。」
 美雨さんが言う言葉よりも、彼女の存在が、私を勝手に頷かせていた。
 美雨さんは数秒間私を見た後、すっと背を向けて私の前から姿を消した。
 消えて行く足音が、私を現実へ引き戻す感覚があった。誰もいなくなった部屋で、パソコンだけが低い唸りを立てている。
 待って。美雨さん、私は…。
 ………。
 ……。
 突如、孤独に苛まれる。
 鳴呼、私は一人。
 今までだって一人だったのに。
 何故こんなに孤独なのか。
 それは自分が『身障者』だからかもしれない。
 もしくは、何かを、得てしまったからなのかもしれない。
 大切な大切な存在が出来て…それが消えた。
 一人は嫌だ…嫌だっ……。
「…うぅ、…ふぁあっ……!」
 私はその場で泣き崩れた。
 もう、優しく抱きしめてくれる人は、いなかった。





□SIDE STORY No.2





 ………!
 『私達』の前に現れた一人の女性。
 それは、限りなく不可解であり、理論値を超えていた。しかし確かに女性は存在し、それは夢でも幻想でも無い。
「……あなたたち…誰…?」
 女性はそう言った。『私達』に向けての言葉だと見て間違いないだろう。その人物の声音から、『私』はその人物が女性であると認識したのだった。
「…あなたこそ…誰ですか?もしかして…、…、…いや。」
 『私』は言いかけた言葉を飲み込んだ。
 『異星人?』……そんなはずがない。
 これまで執拗なまでに信じ続けていた地球外生命体の存在を、『私』は自分自身で否定していた。そんなもの…あるはずがない、と。
「…先に名乗りなさい。説明はその後よ。」
 女性はそう言った。
 薄暗い闇の中で、シルエットのみ浮かぶ女性のその声は、酷く冷ややかに感じた。
「…私達は、この山の麓にある黒照高校定時制、…ミステリー研究部の人間です。」
「ミステリー…?その部員さん達が、こんなところに何の用事?」
「……UFOを捜しに来たんです。」
「変わった部活動ね。名前は?」
「…私は、宮野水夏。」
 そう名乗り、少し後ろで事を見守る二人にも続くように促す。
「…えっと、私は田所霜。」
「あ、あたしは沙粧ゆきっていいます…。」
 二人は共に怯えた様子で、小声で言った。
「ミヤノスイカ、タドコロソウ、サショウユキ。……そう。」
 女性は私―――宮野水夏―――達の名前を復唱した後、少しの間を置いてこう言った。
「残念だけど、この山にUFOはいないと思うわ。殺戮者なら沢山いるけどね。」
「………?」
 彼女の発言の意味がわからなかった。
 UFOがいないというのは、もうわかっている。問題はその後だ…。
 女性はふっと息を零した。
「此処にあるのは、最上級の国家機密よ。それ知ってしまった人間は、おそらく生かしてはおかないでしょうね。」
「国家機密…?…どういうことです?」
 私はあくまでも冷静を装った。
 しかし内心は、混乱に次ぐ混乱だった。
「此処はね、国が主催した殺し合い大会のフィールド。参加者は、悪逆非道な死刑囚。」
「…嘘、ですよね…?」
 女性の言葉に、偽りは見つからなかった。
 けれど、私はその言葉しか見つからなかった。恐怖感が全身を駆け抜ける。突然現れた素性の知れない女性に言われた事をこんなに真に受けるのはおかしいのかもしれない。しかし、…女性の言葉は、真実を語っているようにしか…思えなかった…。
「あの空を見て。」
 女性はそう言って、北を指さす。
「……な…?」
 私は女性の指さす方向を見て、息を飲んだ。ぼんやりとだが、赤く染まった空。
「政府の管理局が爆発しちゃってね。あんなことになってるの。でも、だからって殺し合いが終わったわけじゃないわ。」
 私は、受け入れたくない現実から目を逸らし、ある事について考えていた。先ほどから妙に引っかかる事。
「……あなたも、その死刑囚の一人なんですね?」
 私は言った。
「ええ、そうよ。」
 女性は、事も無げにさらりと言い退ける。
 ………記憶にある、この冷たい感じ。
 実際に会ったことはないが、彼女のことは知っているような気がする。
「あなたの名前、教えてくれませんか。」
 恐怖感よりも、追求心が勝った。
 私の問いに、彼女は私の心を見透かしたように返した。
「検討はついてるんでしょう?水夏ちゃん?」
 ……そう。彼女の言う通りだ。
 でも、もしそうなら… 私達は、とんでもないことに巻き込まれる。
 …いや。もう既に、巻き込まれている。
 でも…言わないわけにはいかなかった。
「神崎…美雨さん…。……違いますか?」
「ご名答。」
 彼女の返答に、私は絶望感を味わった。
「かっ…、神崎美雨って…あの…、あ、…!」
 ゆきが上擦った声を上げる。
 霜は黙っているが、ザッ、と草を踏む音。その事実に、霜は後退った。
 ――到底、目の前にいる筈もない人物。
 なのに私達は、そのいる筈もない人物を前にしているのだ。
「さぁ、大変なことを知ってしまったミステリー部の三人は…これからどうするのかしら?」
 女性は…史上最悪の凶悪犯・神崎美雨は、挑戦的な口調で言った。
 ……挑戦。
 この問いかけの答えを間違えば…
 ………大変なことになる。
 私はこめかみに指を当て、思考する。
「せ、せんぱい…も、戻りましょ?…ね?」
「絶対にだめ!」
 ゆきの言葉に、私は強く言った。
「な…なんでですかぁ…」
 今にも泣き出しそうなゆきの声。
 私が出した結論が、おそらく最善策。
 ……最悪の、最善策。
「神崎さん。私達にある選択肢は…三つ。」
「…なぁに?」
 彼女は私達を試すような口調で聞き返す。
「一番。何も見なかった事にして山を下る。
 二番。政府側に助けを求める。
 三番。ここに……留まる。」
「ちょっ、水夏…本気で言ってんの!?」
「うるさい!霜は黙ってなさい!」
 文句を言ってくる霜に、私は厳しく言った。霜に、こんな口を聞いたのは初めてかもしれない。
 そんな私に驚いたのか、霜は私の一喝で何も言わなくなった。
「どれを選ぶの?」
 女性は問う。
 私の答えを待っている。
 ……私は、覚悟を決めた。
「……答えは、三番です。」
 霜とゆきは何か言いたそうだったが、私の気迫を感じたのか、何も言ってこなかった。
「本当にそれでいいの?」
 これが…ファイナルアンサー。
「私達が生き延びる術は、それしかないんじゃないですか。」
「……理由を述べなさい。」
「まず、一番。これは…あなたに出会ったことが不運でした。あなたは…迷い込んだネズミを見逃すような人ですか?」
「…答えは、Noね。」
「ハイ。では二番。もし私達が政府に助けを求めたとして、あなたが何もしないとは思えない。……もし何もしなかったとしても…政府側に、殺されるでしょう。神崎さん、さっき言いましたね。このことを知ってしまった人間は、生かしてはおかないだろう…って。」
「…それで、三番?ここに留まる?」
「……はい。」
 私は頷いた。
 もう引き返せない。
 神崎さんは焦らすように沈黙した。
 ………。
 ……。
 …。
「……面白いこと言うわね。」
「え…?」
「確かに、一番も二番も、あなたの予想した状況になることは間違いないわ。でも、三番を選んだとして……どうするの?此処程危険な場所はないわよ。」
「…承知の上です。」
「どれを選んでも…結局は死よ?」
 …死。
 その言葉は聞きたくなかった。
「私は、可能性の次元で話をしています。どれが可能性として死ぬ確率が低いか。その答えです。」
 恐怖。焦り。悪寒。どん底の気分。
 私達の運命は今、この一人の女性に握られている。後ろの二人がどこまで理解しているか検討がつかないが、おそらく事の重大さくらいはわかっているだろう。
 私達は判決を待つ…だけ。
「……いいわ。」
 その言葉に、私は顔を上げる。
「……特別に、殺さないであげる。本当は優秀な若い人材なんて…大嫌いなんだけど。」
「…あ、ありがとう…ございます。」
 殺さないで、あげる。
 『特別』に。
 殺さないことが特別なら……
 殺すことが『普通』…なのだろうか。
「…その木から、こっちに来なさい。目立たないようにね。」
 神崎さんの言葉に、私は頷いた。
「…行くよ。霜、ゆき。」
 私はようやく、神崎さんから目線を逸らし、久しぶりに友人の姿を見た。
「…水夏先輩…あたしたち…どうなるんですか…。」
 ゆきは、今にも泣き出しそうな声で言う。
 気持ちはよくわかる。
 でも今は、もう甘えなんて…通用しない。
「無駄話はしない。」
「……っ…。」
 厳しい私の言葉に、ゆきは俯いた。
「…水夏…。」
 霜がゆきの肩を抱きながら、何か言いたそうにした。でも、それ以上何も言わなかった。
 霜はわかってくれている。
 ……ここは、平和じゃない場所。
 私達の命は、危険に晒されている事。
 死ぬかも…しれないこと…。





『参加者に告げます。先程、何者かによって管理棟が爆破されました。参加者の誰かの手によって行なわれたことは明白です。しかし、だからといって逃げ出そうなどと思えば、命はありません。
 逃げ出せば樹海に阻まれると言いましたが、実際はフィールドを一歩でも出た瞬間、命はありません。徹底した管理は、別所から行なわれています。』
 女はヘリコプター内に設置された発信器から呼び掛ける。
 彼女の言葉は全て真実だった。
 フィールドの外側に張り巡らされた受信機。それは、参加者全員に埋め込まれた発信器の電波を受信する。
 その電波がフィールドを出た瞬間、その発信器諸共、参加者は自動的に死刑が下される。
 幸い、参加者の生存状況に関してのデータ採取は別箇所でも行なっているため、逐次そのデータを見ることが出来る。
 女たちに残された道は結局、殺し合いしか残っていない。しかし…こんな状況になって、『勝者』に出される景品などあると思うか。
 ………あるわけがない。
 生存者が一人になった時点で、その人物は我々の手によって殺される。それで、終わりだ。
 さて…仕事を済ませるか。
「…ご覧下さい。」
 『私』は言った。
 空中に停止したヘリコプターの扉を明け放つ。冷風が身を打った。
「何?」
 どうして開けるのかといった不服そうな表情で、女…横山瑞希は言った。
「あそこ…見てください。」
 何か大層なものでもあるかのように言ってのけると、女は訝しげにしながらも扉のそばに近づき、外をのぞき込む。
「…何よ?何があるの?」
「ええ、この真下…」
「え?」
 『私』は、初めて彼女に笑顔を見せた。
 嬉しくて堪らない。
 これで……終わりだ。
「この真下は…あなたの墓場です。」
「…!?」
 どんっ。
 女の背中を蹴り出す。
「かや…っ……」
 一瞬女の声がした直後、その姿はヘリコプターから消えた。
 夜の闇の中に、女の姿は墜ちていった。
「ふっ…」
 思わず、笑みを零す。
「……お疲れ様です、加山さん。」
 運転手は何もなかったかのようにヘリコプターを発進させながら、バックミラー越しに『私』の姿を見て言った。
「ああ…やっと終わった。大変な任務が…やっと終わったよ。……くく…、…ハハハ!」
 笑いが止まらなかった。
 後始末に手を汚す必要もない。
 もう解放されたのだ。
「横山瑞希…何人目でしょうかね、国会から消された議員の中の。」
 運転手の言葉に、肩を竦める。
「そんなことどうでもいいさ。もう終わったことなんだ。」
「……ええ、そうですね。」
「………ふっ…。」
 見下ろしたフィールドは、まるで人の気配など感じさせない。闇に包まれていた。
 闇は女共の醜い争いを隠し、
 闇は女の死を隠す。





 ザアアアッッッ!!
 激しく木の擦れ合う音が辺りに響いた。
「…!?」
 あたし―――榊千理子―――は、木の上に銃を向ける。
 一瞬静寂が襲った後、どさっと言う音と共に…何かが木から落ちてきた。
 深い林の中、目の前に現れたのは……
「……?」
 銃を向けたまま、あたしは闇にうずくまる物体に目をこらした。…人間だ。
「…誰?」
 緊張がピリピリと身体に走るのを感じながら、あたしは問う。
 しかしその人物は、うずくまったままピクリとも動かない。
「………。」
 十分に用心しながら、あたしは人間のそばに寄り、肩を持って身体を仰向けにした。
「うっ…!」
 人物は小さく呻く。…どうやら、酷い怪我をしているようだ。
 このまま殺してしまうか。
 あたしは銃口を人物の顔に向けた。
「待って…、……殺さ…ないで…。」
「…誰なの…?」
 闇のせいで、人間の輪郭はぼんやりとわかるものの、人物を特定することなどとてもできない。その声から、大人の女だということはわかった。
「…っ、……、……よこ…やま…。」
「横山?……横山って、あの…?!」
 どういうこと?
 あの女はあたしたちが殺し合うのを見て楽しむ立場じゃないの?
 ……どうして、こんなところに?
「………うぅっ…、……殺したら…あなたも…殺されるわ…、…私を…殺したら…」
 そんなこと言われても、困る……。
「…はぁっ…、…あなたに…協力してあげる……だから今は…、…助け…なさい…っ…」
「……協力?…どんなふうに?」
「…有利に、して…あげる……。ここに私がいるのは…事故、なの…。」
「…有利にしてくれるのね?本当に?」
「ええ…約束、するわ…。だから…早くっ…休憩…所に…っ…、…早くしなさい…」
「……そんな偉そうな口がきける立場?」
「…!」
「あたしは今すぐあんたを殺すこともできるのよ?わかってる?」
「……っ…」
「お願いします、でしょ?助けてください…でしょ?」
 相手がなんであれ、あたしが今かなり優位な立場にいることは間違いない。
 だったら…使ってやる他、ないわよねん。
「………お願…い…します………助…けて……下さい…。」
 横山は息も絶え絶えに言う。
 いい気味。
「……足りないわね、誠意ってやつが籠もってないっつってんの。お願いします、千理子様、でしょ?」
「…くっ…、…! ―――お願い…します…千理子さま…!」
「……ふん。」
 うずくまる女の身体を、あたしは蹴り上げた。
「ぐっ…!」
「もっとアドリブでもきかせたらどう?使えない女ね。」
「……、……お願い…します…っ、…千理子…さま…、…なんでも…します…だから…っ…お願い…します……」
「……なんでもする?…絶対よ。」
「…ハ、い…」
「………。」
 ……………タチの悪そうな女だし。
 このくらいしなきゃね。
 パン!
「きァゃああああああああああ!!!!」
 女は、耳も劈くような下劣な悲鳴を上げる。
「手ぇ一本壊れたくらいで騒ぐんじゃないわよ、バーカ!」
 ガンッ。
 女の頭を蹴ると、ようやく静かになる。
 女の身体が小刻みに震える。
「…生かしてあげるわよ。この千理子様の下でね。下僕になるのよ。…嬉しいでしょ?」
「………く…、…ううっ……」
 そろそろ止めないと本当に死ぬかな?
 ………いいわ。
 下僕か。
 うん、いい響き。





 管理棟を爆破するなんて。
 誰だか知らないけど、バカな人。
 そんなことしたら殺されるに決まってる。
 そんなこと…。
 ………。
 私―――渋谷紗悠理―――は、誰に遭遇するでもなく、黙々と林の中を歩いていた。
 なんだか、感情が薄れた気がする。
 もう何時間もずっと、まるでプログラムされた機械のように同じことを繰り返している。唯、歩くだけ。目的は、ターゲットを発見したら、それを仕留める事。
 まるで機械のように、感情が消えていく。
 足は痛むけど、精神的な苦痛は一切ない。
 けれど心の奥底で求めている。
 『脱出』。
 さぁ、早く。
 私の前に現われなさい。
 そして…死んでしまいなさい。
 全員。
 ―――その時。
「…!」
 ふと感じた気配に、思わず私は『力』を送っていた。
 ………先走ってしまった。
 冷静な判断の上で行動を決定すべきなのに、気配を感じた瞬間、弾けるように力が放出していた。
 パキッ!
 木の枝が折れる音。
 刹那、ズンッと低い地響きがした。
「………。」
 私は数歩後退った。
 すると、力を送った木が…砕けた。
 粉々に。まるで突然砂になったように、ざぁっと土煙を立てながら崩れ落ちた。
「…………。」
 その時、砕け散った木の跡の中で何かが動いた。目を凝らすと、そこには瀕死になった小鳥がいた。
 私が感じた気配は…これ。
 こんな小さな気配を感じただけで、こんな目立つ行為をしてしまうなんて。
 ………。
 身体が疼いている。
 血が疼いている。
 力が、私の身体から出たがっている。
 ……何かを、壊したがっているの。
 ………。
 暴走させるわけにはいかない。
 私の言うことを…聞きなさい…!





「……あの、神崎さん。」
 あれから、殺戮のフィールドへと足を踏み入れた三人は、神崎美雨に連れられ暗い夜道を黙々と歩いていた。
 既に山道を数時間歩いてきた私―――田所霜―――にとって、いや他の二人にも言えることだろうが、かなり堪える。
 そんな苦痛や沈黙に耐え切れず、私は小声を上げていた。
「……。」
 神崎美雨はチラリと私を見遣った。その冷たい眼差しに一瞬言葉を呑む。
「……用件は何?」
 彼女はそんな私を急かすように言った。
「えっと…、今、どこに向かってるんですか?」
 搾り出すような声でそう言うと、神崎美雨は歩みを止めることなく前を見据えたまま、しばし沈黙した。そして、
「安全な場所よ。」
 とだけ答えた。
 安全な場所?そんなところ、此処にあるのか?
 そんな疑問を覚えながらも、更に追求するほどの勇気も気力も私は持っていなかった。
「そうですか…。」
 小さく答えると、それからまた会話が途切れた。
 チラリと横を歩く水夏とゆきを見ると、ゆきが小さく息を切らせ、水夏に連れていかれるかのように手を引かれているのが見えた。
 はみだし者の私や水夏はともかく、生粋の現代っ子のゆきは、既に限界を超えているのだろう。月明かりに照らされたその表情にも、苦痛がありありと表れていた。
 それからどのくらい歩いただろうか、私たちの目の前に小さな建物が現れた。
「…あそこが、『休憩所』よ。」
 神崎美雨は足を止めそう言ってから、ふいに私たちの方へ振り向いた。
「………私が貴女達のパーティでいられるのは此処まで。」
 彼女は冷たく言い放ち、いつ取り出したのか、鈍く光るメスを私たちに向けた。
 ゾクリと寒気が走り、私は思わず水夏を見た。しかし水夏はそれに動じることなく、小さく頷いていた。
「消えなさい。」
 神崎美雨がそう言い放った直後、水夏は私とゆきの手を取って駆け出していた。突然のことに驚き転びそうになるが、なんとか体勢を立て直し水夏についていく。
 建物へと駆ける。
 あと200メートル。
 150。100。
 ………その時だった。
 パァン!
 鋭い破裂音に、私は驚き思わず振り返った。
「霜!」
 水夏の叱咤が飛ぶ。
「ゴメッ…!」
 息で言葉を切らしながら、力を振り絞って駆けた。
 あと50メートルという所まで来た時、
「きゃぁっ!」
 乾いた悲鳴を上げ、ゆきが足を絡ませ転んだ。
「ゆき!」
 水夏と私が同時に振り向いた、その時、
 ざああっっ!
 何もない乾いた地面が突然、土煙を上げ舞い上がった。
「……くっ…!」
 盛り上がった地面は私たち三人を浸食するように、周りを囲んで行く。やがて、土煙で何も見えなくなる。
 吐き気に口を押さえた。水夏やゆきも、激しい土煙に咳き込む。
 一体何が起こったっていうの……!?
「渋谷紗悠理ね?」
 遠くか近くか、そんな声がした。
 私の耳に間違いがなければ、それは神崎美雨の発した言葉であろう。
「……ええ。お会い出来て光栄です。神崎美雨さん。」
 低い声。しかしそれは確かに、女性…しかも、少女とも言えるであろう、幼い声だった。
「………喧嘩を売るのなら、もう少しおとなしくやったらどう?」
「………。」
 二人の遣り取りは聞こえるが、その姿は土煙に遮られて一更に見える気配がない。既に、水夏やゆきの姿さえも見えなくなっていた。唯一その存在を感じられるのは、しっかりと握った水夏の手の温もりだけ。
 次の瞬間、低い地響きのような音がした。地面越しに伝わる振動。……地震?
「……うっ…!」
 ゆきが微かな呻き声を上げた。その要因はすぐにわかった。
 土が支配する空気の中で、私たちはすでに呼吸すらままならない状況にまで追い込まれていた。
 それに今までの疲労も重なって、まるで脳に靄(モヤ)がかかったように全てが混濁する。
「…水…夏っ……!」
 守ってあげたい。
 その想いも、混濁していく意識も、やがて闇に落ちるように消えた。





 目を覚ますと、見知らぬベッドに眠ってた。あたし―――沙粧ゆき―――は、少しの間ぼんやりして、ふと我に帰る。
「……先輩…?」
 慌てて周りを見回すと、隣のベッドに眠る二人の姿を見つけ、安心する。
「先ぱぁい…っ…。」
 起こさないでおこうとかそんなの思いもせず、二人に駆け寄ってた。
「……ン…。」
 先に目を覚ましたのは水夏先輩だった。
「…っゆき…?」
 静かに目を開けた水夏先輩は、僅かに眉を顰めて額に手を置く。
「……っ…、……此処は…?」
 水夏先輩は身体を起こすと、あたしがしたのと同じように辺りを見回す。
 質素な二つのベッドと簡単な机だけがある部屋。窓もなにもなく、今の時間すらさっぱりわかんない。部屋の隅っこには、あたしたちの荷物が無造作に転がってた。
「…なんで……、……ここに…?」
 水夏先輩は不思議そうに言った。
「…うー…水夏先輩でもわかんないこと、あたしがわかるわけないです。」
 あたしが首を傾げて言うと、
「それもそうか。」
 と納得されてしまった。
「……ん?」
 水夏先輩は、ふと何かに気づいた様子で眠っている霜先輩と水夏先輩との間を見る。
 あたしもすぐに何に気づいたのかわかった。
水夏先輩の手を、霜先輩が握っていた。固く固く…。
「……ったく、霜のやつ…。」
 水夏先輩は困ったように苦笑するけど、どことなく嬉しそうだった。そんな先輩たちがちょっとだけ羨ましかった。
 その時、コンコン、とノックの音が部屋に響いた。驚いて水夏先輩を見ると、水夏先輩は緊張したように表情を強ばらせてた。
「……はい?」
 水夏先輩は恐る恐る答える。
 すぐに、カチャリと音を立ててドアが開いた。
「あ、起きてた。具合はどうー?」
 ひょこん、と顔を出した人は、見知らぬ女の人だった。
 金髪に青い目。見るからに外国人っぽいのに、その人は当たり前のように日本語をしゃべってて、なんかおかしい。
「……あの、あなたは…?」
 部屋に入ってきた女性に、水夏先輩が問う。女性は笑って言った。
「それはこっちのセリフ。三人とも『参加者』じゃないわよね?」
 ……参加者。
 あたしでもわかった。
 あたしたちは部外者で、あの人は… 「殺し合い」をする人。
「私たちは、この山の麓にある黒照高校の学生です。私は宮野水夏。こっちで寝てるのが田所霜。」
「それから、あたしは沙粧ゆきです…。」
 人を殺すとはとても思えないキレイな女性に、正直戸惑った。
「ふぅん、そうなんだ。まぁ詳しくは後で聞くけど。私は吉沢麗美。レミィとでも呼んでくれれば嬉しいかな。」
 気さくに笑って、レミィさんは言う。その後、ふと何かに気づいた様子でレミィさんは微笑んだ。
「…仲、いいのね。」
「え…?」
 水夏先輩はきょとんとした後、すぐにしっかりと握られた手のことを言われたのだと気づいたみたいだった。
「い、いや、その、これは…」
 しどろもどろになる水夏先輩を差し置いて、レミィさんは、
「三人は友達なの?」
 と問いかける。
「え、えぇまぁ。先輩後輩でもあるし…友達と言えば友達です。」
 水夏先輩は少し照れたように言った。
 あたしは、水夏先輩に友達って言われてなんだか嬉しかった。
「そう…いいわね。」
 レミィさんは、ふっと寂しそうな表情を見せた。

 レミィさんは、休憩所の近くで倒れていたあたしたち三人を見つけて、この休憩所まで運んでくれたらしい。
 あたしたちに興味があるのか、レミィさんは自分のことはほとんど話さず、あたしたちのことを引っ切りなしに聞いてきた。唯、一つだけ零した言葉があたしの心に引っかかった。

「私は、一人だからね。」

 って。
 あたしは、その言葉の裏に寂しさがいっぱい隠れてるんだってわかった。
 だって「ひとり」は、あたしが何よりも恐れてることだから。
 ひとりぼっちは、何よりも辛いこと、知ってるから。







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