BATTLE ROYALE 2




 都内某所の山奥。
 誰も足を踏み入れないような深い山奥に、今、おびただしい数のペリコプターが集まっていた。全てに日本警察の文字が見える。
 異様な雰囲気に包まれた山奥の空間、その片隅には打ちっ放しのコンクリートで出来た一軒の建物があった。二階建てのそこまで大きくもない建物なのだが造りはやけに頑丈で、妙な違和感を漂わせている。
 その建物の一階部の半分ほどを占めているらしい大きな部屋。会議室とでも言うのだろうか。そこに今、数にして五十人程の人間がひしめきあっている。その五十人の内十五人は、うら若き女性達であった。
 三人座りの机に、中央に女性、その左右に二人の警官という配置で横に二列、縦に八列。
 警官達は女性達に脅しをかけるように、それぞれ拳銃を手にしている。これだけの人数がいるのに、誰一人として口を開こうとはしない。
 やがて、部屋に備え付けられた時計が午後二時半を示した。
 ギィ、と、頑丈そうな鉄の扉――女性達はよく見覚えがある。留置所等でよく使用されるそれである――が、音を立てて開いた。最初に警官、そしてその後ろから二人の人物、そしてまた警官。
 二人の人物は部屋の正面に立ち、二人の警官は二人を守るように横にそれぞれ付いた。
「ちゃんと揃ってるみたいね。」
 二人の人物のうち一人が、室内を見回して満足そうに言う。
 横山である。そして当然のごとく、その隣にいるのは加山だった。
「皆さん、初めまして。私は横山瑞希(ヨコヤマミズキ)と言います。」
 彼女はにっこりと笑んで名乗った。返ってくる声などないが、横山は気にせず続ける。
「なかなかに凶悪な犯罪者が揃ってるわね。少年犯罪の八王子さんに、あなたは中谷さんだったかしら。」
 最前列に座る二人を見遣り、横山はまたにっこりと笑み掛ける。
 八王子智…新聞フリークの少女。智は顔を伏せたまま目線だけを横山に遣り、軽く睨み付ける。
 中谷真苗…死刑判決に納得を見せぬ性犯罪の女性。真苗は逆に、横山をまっすぐ見据え、横山の笑みににっこりと笑みを返した。
「今日集まってもらったのはね、実は、とあるプロジェクトに協力してもらおうと思ってね。」
「プロジェク…」
 ト…?と小声で呟こうとしたのは、茂木螢子。新潟県の留置所に収容されていた薄幸の女性である。しかし言葉を全て言い終える前に、隣の警官から銃を向けられ、慌てて押し黙る。本来なら口を手で押さえてジェスチャーするところだが、手錠をかけられているためそれもままならない。
「質問は後で聞くわ。今はちょっとだけ私の話を聞いて頂戴。」
 横山は小さく笑みを向け、言葉を続けた。
「このプロジェクトはね、外部には全く漏らされていない、政府の幹部と警察の幹部の合同で行なわれる極秘プロジェクトなの。反対者は一人もいないのよ。」
 当然、金で納得させたなど言う筈もない。
「ハイ、ここで何か質問のある人はどうぞ。手を挙げてね。指された人以外は必要以上のことを喋らないこと。」
 横山がそう言うと、数人が挙手する。
「ハイ、榊さん。」
 榊千理子。銃使いの殺人狂。彼女は少し落ち着かない様子で言葉を発した。
「プロジェクトって…どんなプロジェクトなんですか…?」
「それは後で話します。はい、次。…八王子さん。」
「…あのー、あそこに座ってる人って…もしかしてもしかすると神崎美雨さんだったりする?」
 智は千理子とは別の意味で落ち着かない様子で後ろに座る女性を見ながら言う。
「そうよ。さすがは神崎さん、有名人ね。」
 横山の言葉に、美雨はちらりと智を一瞥する。
「うっわぁ……」
 智は至福といった様子でため息をついた。
「他には?」
 横山は全体を見回して挙手がないのを確認すると、話を進める。
「じゃあ、プロジェクトに関する話をするわね。もしかしたら気づいている人もいるかもしれないけど、今ここに集まってもらっている十五人の皆さんは、全員が死刑判決を受けています。」
 死刑判決。その言葉に数人が反応を示すが、言葉を発するまではなかった。
「でもね、どうせ死ぬんじゃ面白くないじゃない?だからね、少しでもこの世のために貢献して死んでもらおうと思うの。勿論、選択権なんてないわよ。強制参加です。」
 横山の口調もその顔に張りついた笑顔も何ら変わらない。しかしその内容は、徐々に重くなっていった。
「ご褒美もあるわよ。生き残った人に、何か一つ、何でも望みを叶えてあげる。」
「生き残………?」
 横山の言った言葉を反復してしまったのは、またも茂木であった。先ほどと同じことを繰り返しながらも、その言葉の先を急かすように横山を見つめる。それは他の女性にも言えることだった。
「さすがに世界征服とかは無理なんだけど…」
 横山は焦らすようにクスッを笑み、言った。
「………死にたくないって言うんなら、生かしてあげる。当然国内で暮らすと問題があるから、どこか海外に送ってあげるわ。軍資金付きでね。」
 死刑取り消し。
 それは、ここにいる殆どの者が望むことだった。死を望んでいる者もいるかもしれないが、「何か一つ望みを叶える」という事は、やり残したことが出来るということ。全員が、彼女の言葉を魅力的に思った。そして次に湧くのは、『生き残ったら』という言葉の意味に対する疑問であった。
「よぉく聞いてね。ここが一番大事よ。」
 横山は全員の顔を見て、やがて口を開いた。

「みんなで、殺し合いをしてもらうわ。」

 どよめきが起こる。
 この言葉を聞いて冷静でいられたのは、氷の女、神崎美雨ただ一人。
「はい、静かに静かに。」
 横山はにっこりと笑んだまま呼びかける。
「質問がある人は挙手してね。じゃないと本当に撃ち殺すわよ。」
 彼女の脅しに、再び静寂が訪れ、ぽつりぽつりと手が上がる。
「はい、吉沢さん。」
「…っ…、こ…殺し合いって…、ど、どうやって…?今ここで?」
「ルールはまた後で説明するわ。今やるわけでもないし、素手でやるわけでもないから安心してね。」
「……。」
 吉沢麗美。金髪碧眼のひき逃げのプロフェッショナル。彼女は静かに目を伏せ、眉を顰める。
「はい、次は榊さん。」
「あの…、なんで…、…なんであたしが!?………あたしの、だって、あたしの…」
「そういう個人的なお話はまたにしてね。」
「だって!」
 チャッ
 激した千理子のこめかみに銃口が押し当てられる。
「……ッ…。」
 千理子はきゅっと唇を噛み、押し黙った。
「じゃあルールの説明をします。」
 横山がそう言うと、部屋に設置されたスクリーンに上空からどこかの山を見たような映像が写し出される。
 やがて山の中腹にズームアップされていくと、そこが盆地で、ぽっかりと広い空間になっているのがわかる。
「ここは、とある山の盆地なの。普段は人も車も入ってこれないわ。険しい樹海があるからね。当然、この樹海から外に出るのも不可能。脱走しようなんて考えたら、樹海に迷ってのたれ死ぬわよ。」
 写し出された映像には、所々にいくつか建物がある。
「この幾つかの建物は休憩所。この建物に食料や水、それから衣類に道具等、さまざまな備品が置いてあるわ。寝泊まりすることも可能よ。……それからね、特別ルールとして、この建物内での殺し合いは禁じます。もしルールを破った場合は、即座に失格になるわ。その場で死刑よ。」
 横山の言葉に、数人が息を飲んだ。その場で死刑――どういった理屈でそんなことが可能なのかはわからないが、彼女が言うならば絶対だろう。
 やがて画面が切り替わり、コンピューター処理したマップ状になる。
「東京ドーム2個分くらいの広さよ。そこまで広くないから、一人ぼっちになることはないと思うわ。元々森を切り開いて作ってあるから道も入り組んでるわよ。ちゃんと地図は渡すから安心してね。」
 横山が場所について一通り説明を終えると、にっこりと笑みを浮かべて言った。
「開始は今日の十九時。こっちも準備があるから、少し待ってもらうことになるわ。」
 そういうと、横山は何やら加山に指示を出す。
「……皆さんに、こちらのアンケートに答えて戴きます。」
 加山が紙を配ると、女性達は拳銃を向けられ、手錠を外される。
「書き終わったら、順次待機室へ行って頂戴ね。」
 横山は何度目かの笑みを浮かべ、加山を引き連れて部屋を出た。
 打ちっぱなしの冷たい廊下を、靴音を響かせ歩く二人。
「………加山…。」
「……はい?」
 横山は歩きながら、ぽつりと加山に話しかける。
「見た?あの子たちの目。…………人間じゃないわ……。」
「ええ…、……。」
 加山は相槌を打ちながら、ふと息を飲んだ。
 斜め後ろから横山を見つめながら、加山は思った。
 そんな狂気じみた視線に晒されて興奮している貴女も……人間ではない……と。





プロジェクト開始





 トントン。
 室内に小さく響いたノックの音。
 びく、と少しだけ身体を震わせ、そして私―――不知火琴音―――は顔を上げた。
「……ハイ。」
「出発の時間です。」
 警官の声。ドアが開く。
 予想通り、警官は銃口を私に向けている。
 私はおとなしく警官の元に歩み寄り、両手を差し出した。もう一人の警官が私の手に手錠を掛け、二人は私を囲んで歩き出す。
 先ほどの会議室のような部屋に入ると、既に数人の女性が先ほどと同じ席に腰掛けていた。その中には、櫪もいた。よそいきの服ではなく、普段私に仕えていた時と同じ和服をアレンジした普段着に身を包んでいる。先ほどのアンケートで着衣に関しての質問があり、部屋に待機している時、服が届けられた。私はフォーマルドレス――見た目よりも動きやすい――を頼んだ。
「………。」
 くすぎ。
 私は声には出さず、口だけを動かし彼女の名を呼ぶ。櫪は私を見つめ、微笑を浮かべて小さく頷いた。
 わかってくれている。
 安堵感で胸をいっぱいにしながら、席に付く。
『地獄の果てまでも…お供致します…!』
 あれ以来、櫪と顔を合わせることはなく、今日が初めての再会。だけど櫪と会えなかった時間、決して不安ではなかった。私は、櫪のあの言葉を信じていたから。
 席に付いてしばらく待っていると、やがて全員が集合した。最後にこの部屋に訪れたのは、史上最悪の凶悪犯と名高い神崎女史だった。時計が十九時を示した時、一人の警官が正面に立ち、「出発の時間だ!」と宣言した。最初に名前を呼ばれたのは私だった。
 私は二人の警官に付き添われ、部屋を出た。廊下を少し進むと、鉄の扉が見えた。
「不知火琴音さん。頑張ってね。」
 扉の前には、横山さんの姿があった。彼女の言葉に、私は小さく頷く。
「開門します。」
 警官が扉を開け、私の手錠を外す。当然、銃を向けるのも忘れない。
 扉の向こうには、夕暮れでずいぶん日の落ちた森が見えた。
 十一月の冷たい夜風が身に染み入る。
「備品と注文された武器が入っています。」
 横山さんの秘書らしい男性が、大きなバッグを差し出す。私はそれを受け取り、無意識に横山さんを見ていた。
「……行きなさい。」
「……。」
 私は彼女達に背を向け、夕暮れの森へと駆け出した。もう後には戻れない。
 ……もう…。
 ――突然の、殺し合いの開始。
 それは少なからず私を動揺させた。否、殺し合いなどを命じられて動揺しない者などいるはずがない。
 けれど数時間の待機の中で、次第に今の状況を受け止めていく私もいた。
 抗うことなど不可能で、殺し合いの参加は絶対的なもの。――ならば私は、その状況下で最良のことをすべきなのだ。これはいわば、一種のチャンス。
 もう会えないかと思っていた、彼女に、もう一度会えただけでも。
 建物を出てから私はすぐに、手近な草むらに身を潜めた。入り口がよく見える位置である。少し待っていると、廊下の奥から誰かがやってきた様子だった。
 人物まではわからないが、私と同じように横山さんと会話を交し、バッグを渡されると外に――
 ………!
 人物は辺りを見回しながら、早足でこちらに向かってくる。
「……櫪!」
「!」
 人物――それは、私が待ち望んだ人だった。
「お嬢様!待っていてくださったのですか?」
「勿論よ。さぁ、早く!」
 私は櫪の手を取り、森に作られた道なりに奥へと進む。
 ――…。
 どれくらい走っただろうか。気づくと陽もずいぶんと落ち、闇が辺りを浸食していた。
「……お嬢様、あそこに休憩所があります。あの中なら安全です。」
「あの中での殺し合いは禁止だったわね。……ええ、あそこで休むことにしましょう。」
 櫪の言葉に頷き、私たちは施設内に足を踏み入れた。
 シュー、という音と共に扉が開く。科学的な作りになっていた。
「……見て下さい。」
 櫪が何かを見つけ、私に言う。扉の裏に注意書きがされてあった。
『扉を出てから五分以内に、100メートル以上の場所に離れること。
 一人(もしくは同時に数人)が扉を出てから一旦閉じると、五分の間扉は開閉しない。
 この扉から100メートル以内の区域に駐在することを禁ずる。』
「待ち伏せを防止するため……みたいね。」
「はい。……この建物の中では安全というのも、不思議なものですが……。」
 それから私たちは、二階の休憩室へと向かった。食事は先ほどの待機時間中に取っていたので必要ないと思ったし、何よりも、櫪と二人きりで落ち着ける空間に行きたかった。
 パタン。
 櫪がドアを閉めると、ようやく私は肩の力を抜くことが出来た。
 部屋はほんの六畳程度の簡素な部屋。ベッドが一つと机が一つ。他に目立ったものは見当たらない。
 留置所や、先ほどの建物の中の部屋――幾つの、慣れぬベッドに身を横たえ、慣れぬ空気に息切れしたことだろう。けれどこの部屋は違った。
 それは、私のすぐ後ろに――櫪が、いてくれるから?
「お嬢様、お元気……でしたか?」
 私がベッドに腰掛けてバッグを置くと同時に、櫪がそう話しかけてきた。
 櫪はバッグを肩にかけたまま、私を見つめて言う。
「そんな所に立ってないで、バッグを置いて。ほら、ここに座りなさい。」
「あ…、……はいッ…。」
 櫪は床にバッグを置き、失礼します……と固くなりながら私の隣に腰掛けた。
 なんとなく沈黙が流れて、何気なく櫪を見ると目が合った。
「ふふっ…」
 思わず吹き出す私と、赤くなって慌てて目を伏せる櫪と。
 しばらく会っていなかった所為か。こんな状況下であるというのに、櫪が隣にいてくれる、それだけが嬉しくて仕方がなかった。
 櫪がいじらしくて、可愛くて、私はそっと彼女の身体を抱きしめた。
「お、お嬢様…」
 カチコチになっている櫪。こんなことしたの…初めてかもしれない。
 私はいつでも、シッカリしたお嬢様、だったから……。
「リラックスして…、ね、…櫪も…抱きしめて…。」
「……はい…。」
 私が言うと、櫪はぎこちなく私の背中に手を回してきた。……そうよね。櫪もいい年なのに、彼氏の一人もいなくって……。十六の時から侍女として私に仕えてもう六年。私の側から離れたことなんて一度もなくって。私の恋愛は見て見ぬふりしてくれたのに、櫪は誰とも恋愛しなかった。私に隠れて、とか、そんなのは絶対にしてないって断言出来る。それほどに、私と櫪はずっと一緒だったから。
「櫪……、元気だった?」
 先ほど櫪が私に投げかけた問いを、そっくりそのまま返した。
「はい、私は元気です。…それよりもお嬢様は、お元気でしたか?」
「……ええ、元気よ。」
 櫪の身体、少し細くなっているような気がする。抱きしめるとすごく華奢に感じる。少なからずここ数週間の留置所生活がこたえてるんだと思う。現に、私もそうだった。慣れない生活で体調を崩して、苦しくて。
 きっと櫪も、私が元気じゃなかったことくらいわかっている。もう六年も一緒なんだから……。
「櫪。……寂しく、なかった?」
「え…?………あ、えっと、…」
 櫪は返答に困っている。こういうところが櫪らしい。
「素直に答えていいのよ。」
 そう囁くと、櫪は少しだけ身体の力を抜いて、私にもたれかかってきた。
「……寂し…かったです…。…仕える身で、こんなこと思うなんて……」
「私も寂しかったわ。櫪に会いたくて会いたくて…仕方なかった。」
「お嬢様…」
 ギシッ
 思わず櫪とこのままもつれ合ってしまいたいぐらいの気持ち――だった、けれど。
 その軋むような音は私が櫪を押し倒した音、ではなく、その音は部屋の外から聞こえた。緊張が走る。
 静かな足音。――それは、私たちの部屋の前で止んだ。
「………。」
 櫪を見ると、先ほどの顔とはまるで別人のような顔をしている。
 頼りになる、武士の顔だ。
「あ、……あの…誰か…いるん…ですよね……?」
 ドアの向こうの声は若い女性の声だった。ここで油断するわけにはいかないが、神崎美雨じゃなくて良かった、と、そんな思いも胸にあった。それに、この建物の中では殺し合いは御法度だ。
「どなたですか?」
 櫪が立ち上がり、ドアの向こうの人物にそう話しかける。
「あ、あの、水鳥です。水鳥鏡子ですっ。」
 水鳥鏡子。確か、肉親を殺したとか言う子だったか。あまり大きなニュースにはなっていなかったが、留置所の新聞で読んでいて、おぼろげに覚えている。
「どうしますか?」
 櫪が小声で私に問う。
「……入れてあげなさい。」
 私は小さく頷いた。
 櫪は念の為にか、バッグの中から日本刀を取り出した(櫪は剣道の名手である)。そしてそれを和服の腰元に取付け、右手で鞘を手にしたまま、左手で鍵を開け、ドアを開いた。
「きゃ…」
「…!」
 その瞬間、二人は同時に後ろに後ずさる。
 刀と拳銃、お互いに武器を持ち合って対峙した形になった二人は、どちらも驚いたのだろう。
「わ、私何もしません!こ、殺さないで!」
「だ、だったらその拳銃を…!」
「あ?ああっ!ゴメンナサイごめんなさい!そ、そんなつもりじゃないんです!」
 水鳥鏡子――思ったよりも可愛らしい女性である。もっと残忍な感じがするかと思ったが…。
 彼女は涙目になりながら慌てて拳銃をバッグに放り込むと、チャックを閉じた。
「……どうぞ。」
 櫪も日本刀から手を離し、彼女に入室を促す。
「お邪魔します。あ、不知火さん……一緒だったんですね。」
「ええ。」
 私が微笑して頷くと、彼女も嬉しそうに笑んでみせた。
 ……こんな女性が人を殺すなんて。
 そんな思いが脳裏を過るが、彼女からしてみてもそれは同じかもしれない。
 ……今から私が出会う人たちは、全て凶悪な犯罪者なのだから。
「えと、水鳥鏡子です。よろしくお願いしますね。………って、挨拶するのも変でしょうか。」
「ふふっ。私は不知火琴音。仲良くしてね。……っていうのもおかしい?」
「私は櫪星歌と言います。今後ともよしなに……」
 櫪の言葉に、私と水鳥さんは顔を見合わせ、弾けるように笑った。
「あ、あの…、す、すみませ…」
 慌てて謝っていた櫪も、雰囲気に飲まれたのか小さく笑みを零す。
 ……笑ったの、何日ぶりだろうか。ううん…何か月ぶりだろうか。
 女の子の友達なんて数えるほどしかいなかったし、バカみたいにはしゃいだりできる相手なんて櫪くらいしかいなかった。不知火家のことなんかで気分が重たくて、櫪と心からはしゃいだのなんて……ずっとずっと前のことだ。
「水鳥さん…、ねぇ……」
「は、はいっ、なんですか?」
 私たちは笑いの余韻を残したまま、話しをする。
 ―――…ッ、…こんな…、…こんな気持ち…。
「…殺っ…、さ……ないでね…?…っ…、…敵になんて…、…なら…ないでっ…!」
 私はいつしか泣き出していた。
 ずっとずっと溜まっていたものが、一気に流れ出した。櫪にすがりついて、ずっとずっと泣いていた。
『櫪と会えなかった時間、決して不安ではなかった。』
『櫪のあの言葉を信じていたから。』
 ………うそ。
 本当は不安で不安で仕方なかった。
 あの櫪の言葉がなかったら、狂ってたかもしれない。
 あの言葉だけにすがりついて、かろうじて生き延びていただけ。
「一人に…しないで…っ…」
 大好きな櫪の胸で、
 ずっとずっと、泣いていた。





 ちゅんちゅんちゅん。
 爽やかな鳥のさえずりが聞こえる。
 それとは打って変わって、非爽やか。
「……あぁー…」
 あたし―――茂木螢子―――は何度目……いやいや、何十回目の寝返りを打つ。すごく疲れてるはずなのに、朝まで一睡も出来なかった。神経質な自分がイヤになる。久々の柔らかいベッドも、熱を持って今は暑苦しいだけだった。
「………ん。」
 枕元に置いたモバイルに手を伸ばす。支給されたバッグの一番底に入っていた、両手に乗るくらいのサイズの端末機。暇を紛らわす為に何度も眺めて、既に操作は完璧である。
 三つのメニューがある。『現在位置』『参加者』『メール』。
 『メール』は、『プロジェクト事務局』から来たメールが一通。ちなみに内容は、
『九月二日 本日の脱落者 0人。

 毎日午前零時に事務局よりメールを配信します。脱落者やその他連絡等はこのメールを介して行なうので、見逃しのないように心がけてください。』
 だそうで。
 どうやら各参加者にもメールアドレスが割り振られているらしく、聞けばメールのやりとりができるって寸法。
 『参加者』は、このプロジェクトに参加している十五人のプロフィールを見ることが出来る。…といっても、今は顔写真と名前だけ。けどあたしのページだけは、所持武器やら年齢や罪歴といった全ての詳細が事細かに書かれている。最新の思考読み取りプログラムを搭載していて、新しい知識を得るごとに自動更新される優れもの。
 『現在位置』は、今自分がどこにいるかが表示される。ちなみにあたしは「第二休憩所」にいる。その施設内にいる人の名前も表示されていて、今は『茂木螢子』、『木滝真紋』、『矢沢深雪』の三人がいるらしい。階段を上がってくる足音は一つしか聞いていないけど、いつの間にかあたしの他に二人がこの休憩所に泊まっているようだった。使い様によってはかなり便利な機械となるだろう。
 ………ぐぅぅ。
「う……」
 突如、聞くに耐えない音が鳴り響いた。
「……お腹空いた。」
 あたしはのそりとベッドから出て、軽く背伸びをした。時刻は午前五時。
 かなりかったるいし、眠たいんだけど眠れないし、お腹空いちゃった。
 あたしは慎重にドアを開け、警戒しつつ食料やらが保管されている一階へと降りていく。何か食べ物あるかなぁ…。頭をぽりぽり掻きながら食物保管室に入ったあたしは、――その場で固まった。
「…な…、……!?」
 備え付けられた机に突っ伏せた人物。
 動かない。
 ……う、…うそ…。誰にやられたの…、っていうかこの人誰だっけ…?
 ドクンドクンと心臓の音が速くなる。昔のあたしなら即行で逃げ出していたと思うけど、何人も人間を殺して度胸がついたのか、あたしはその死体に近づいていった。黒髪にウェーブが掛かってる。
 ――もう…殺された…なんて…、可哀相……。
 あたしはそっと、黒髪に隠された顔を見ようと、女性の髪を梳いた。
「……うぅーん。」
 …………………。
 動かないと思ってたのにいきなり動かれても困る。
 な、なんだ…生きて…たんだ。
「……ん…?…誰ぇ…?」
 女性はむくりと上半身を起こすと、目を細めてあたしを見る。腫れぼったい顔をしている。
 ……今気づいたけど、机の上にいくつも散乱された空缶…全部ビールだし。
「…んもぉっ、寝るならちゃんとベッドで寝て下さいよ!びっくりしたじゃないですか!」
 あたしは頬を膨らませて女性に指摘しながら、散らかった缶を片づける。……つい、癖で。
「んん〜……。」
 女性はのそりと立ち上がり、ふらふらと冷蔵庫に向かっていく。
 そしてガバッと冷蔵庫を開け、取り出した物は――
「飲もー!」
 ………ビールだった。
「の、飲んでる場合じゃないと思うんですけど……」
「いーじゃない!かたいこと言わない!」
 彼女はケタケタと笑いながら幾つものビールの缶を抱え、覚束ない足取りでこちらに戻ってくる――
 明らかに千鳥足で危なっかしい――と思っていた矢先、案の定、女性はバランスを崩して転びかける。
「あ、危なっ…!!」
「おッ……?」
 あたしは慌てて彼女の身体を支える。ガシャガシャと音を立てて床に落ちたビールと、辛うじて私の腕の中に収まった女性と。まぁビールも缶がへこんだ程度だろうし、女性にも怪我がなくて良かった。
 そんなことを思いながら安堵の吐息を零していたときだった。
 不意に女性が、ぎゅっとあたしに抱きついてきた。ふんわりした女性特有の甘い香りにドキッとする。
「え?……あ、あの?」
 思わず顔を赤くしてしまう私をよそに、女性は私の耳元に唇を近づけていた。
「あのさー…、」
 彼女は今までとは少し違うトーンで、あたしの耳元で囁く。
「死刑までの期間も伸びて、ビールまであるようなパラダイスに野放しにされてんだからさ……楽しもうよ。」
「は……、あ、あの……」
「真面目な性格なの?そんなの損よぉ。」
「……で、でも、生き残れば、海外に逃がしてくれるんですよ。」
 あたしがそう言うと、彼女はすいっとあたしから離れ、床に落ちていたビールを拾い上げた。
 そしてその一本を押し付けるようにあたしに差し出した。
「ふー。」
 彼女はドサッと椅子に腰掛け、ため息を零す。あたしもつられて彼女の斜め前に腰掛ける。
「……あんたさぁ…」
「はい……?」
「……神崎美雨に勝てると思ってるの?」
 ………。
 女性の言葉に、反論なんて出来なかった。
 ……神崎美雨。
 あたしは単なる凡才で……彼女は天才。
 確かに……勝てる相手じゃないと思うけど……。
「あんまり気張ってると、すぐ殺されちゃうわよ。」
 女性はプシッと缶ビールを開け、ごくごくと喉に流し込む。
「ふはー。酒でも飲まんとやってられんでしょ。」
「……、……そう、でしょうか……」
「あんた、名前は?」
「……茂木です。茂木螢子っていいます。」
「ふぅん、ケイコね。年はいくつ?」
「二十三です。」
「若い子はいいねぇ。夢がでっかくてさ。」
「わ、若いって……お姉さんはおいくつなんですか?」
「あたし?あたしは二十八。もうオバンよ。死刑になっても言うことナシ、ってね。」
「な、何言ってるんですか!たった二十八でオバンなんて言っちゃだめですよ!!」
 うっ、なんか酔っ払いに力説してる自分がちょっとだけ悲しい気もしてきた。
「……オバンはオバンでしょ。だってあんたあたしのこと恋人に出来る?無理でしょ?」
 彼女はケタケタと笑う。
 あたしはなんだか悔しくなって、少し声を荒げて反論していた。
「できますよ!全然魅力的だし、おばさんだなんてちっとも思いません!」
「……へーぇ。フケ専?」
「ちっ、違います!!」
 ……本当に悲しくなってきたけど、こういう性格なんだよね。自己嫌悪。
「あはは、じゃあさ螢子ぉ。あたしにキスしてごらん。」
「は……?」
 ……こッ、これだから酔っ払いは…。
「ほら出来ない。オバンのシワシワな唇にはキスしたくないもんね?」
「ち、違いますってば!!」
 あたしが一生懸命否定してると、彼女は僻んだような表情に少しだけ寂しさを滲ませた。
「じゃあしてよ。」
 ……。
 そう言った彼女が、すごくすごく色っぽくて――ゾクゾクした。
「じゃ…、……じゃあ、……しますよ!?」
 あたしは本気になって席を立った。
 ――と同時に、彼女は弾けるように笑い出す。
「もー、本気にしないでよ!これだから若い子はヤなの。」
「なっ、……」
 …こ、この酔っ払いぃぃ〜っ!!!
「…んふふ、あんた面白いね。単純明解で。」
「……もう、知りません!」
 あたしはちょっとだけカチンと来て、ぷいっと横を向いた。
 すると彼女はカタンと席を立った。予想外の反応に、少し焦る。
 ――あ。もしかして、本気で怒らせちゃった?
 でも、意地で振り向けなくて…あうぅ。
 …………んーっ、怒らせちゃっ…
 ピトッ。
「ふあっ!?」
 突然頬に当たった冷たい感触に、あたしは思わず高い声を上げた。
「深雪って呼んでよ。……あたしがファーストネーム許すのって珍しいんだよ、螢子。」
「あ…、…」
 見上げると、缶ビールを差し出し、薄く笑んだ女性の…、……深雪さんの顔があった。
「今夜は酔い潰してやるから。」
「……もう朝ですけど。」
 ――その後。
 あたしは彼女の宣言通り、酔い潰されてしまった。
 時間にして三十分くらいで(空きっ腹だったからよく回っちゃって!)。
 ………
 ……
 …
 ………あたしはベッドの中で、深雪さんに抱きしめられていた。
 柔らかくて細くてきれいな指があたしの頬を撫で、やがて彼女の唇が、そっと、あたしの唇に触れた。
 何も疑問なんかなくて。やわらかくて、うれしくて。
 そのまま、あったかな心地よい空間に身を委ねた。





「……んー……。」
 ベッドの上で、小さく寝返りを打つ女の子。あたし―――矢沢深雪―――は悪戯心を芽生えさせ、手にしていた開けたばかりのビールの缶を彼女の頬にくっつけた。
「ひゃっ!?」
 彼女…、螢子はビクリと身を跳ねさせ、目を覚ました。
 あたしはクスクスと笑いながら、「おはよ」と小さく囁く。
「あ……み、深雪さん…。……あれ?……ここは?」
「あたしが泊まってる部屋。酔い潰れて寝ちゃったから、連れてきてあげたのよん。」
「………あ、…」
 螢子は目を丸くしてあたしを見上げ、不意に頬を赤く染めて自分の唇に触れた。
「あの……深雪さん、あたしが寝てる間に…なにかしました?」
「うん?何が?」
 あたしはひょいっと首を傾げて見せる。
 鏡子は少し逡巡する様子を見せた後、ふるふると首を横に振り、
「……あ……いえ、…なんでもないです。」
 そう言って再びベッドに身を沈めながらきゅっと唇を閉じる。
 そんな螢子の様子に、あたしはケタケタと笑った。
「寝てる子襲う程飢えてないわよ。安心しなさい!」
「な、何も言ってないじゃないですかぁ」
「……どーせあたしとチューした夢でも見たんでしょ。これだから若い子は。」
「そ、そんな夢見てないですよぉ」
「うっそー。その様子見てりゃ察するって。」
「ご、誤解ですぅ……」
 恥ずかしげに顔の半分程を毛布で隠す螢子。強く否定しないところを見ると、図星なのかもしれない。
 ったく、素直じゃないんだから。
「……本当はね、こうやって」
 あたしはそっと螢子の顔に自分の顔を寄せた。
「――あ、…」
 螢子に顔を近づけると、彼女はふっと頬を赤くして目を逸らす。
 そして……
 ………………ゴン。
「寝てる間に頭突きをお見舞いしたのよん。」
「……っ〜〜!意味わかんないっ!信じらんない!!」
 螢子は更に不貞腐れて、毛布を被って奥に潜り込んでしまった。
 ったく、可愛いなぁ。
 螢子が寝てる間に何があったかって?
 ………それは、あたしだけの秘密である。





 チャッ。
 金属が触れ合う音を小さく立てながら、女は何度も何度も銃を扱い、異常なほどに入念なチェックを怠らない。森の中、木の根元に腰を下ろし、顔を伏せたままカチャカチャと言わせだしてから、もう三十分は経っているだろう。
「なんで……なんであたしがッ」
 ぶつぶつと独り呟きながら銃を扱う様は、精神異常を来している人間のそれである。
 榊千理子。何人もの人間を殺してきた銃のプロフェッショナル。彼女が手にしているのは、散弾銃。
 私―――幸坂綾女―――は、枝草の生い茂った樹に登り、気配を殺して彼女の様子を見つめていた。
 今ここで殺すのは簡単なのだが、それをしないのには理由がある。
 ――先程から、ピンと張りつめた空気。
 誰かがいる。榊とは別の、何かもっと恐ろしい存在が。
 どこにいるのかわからないが、とにかく近くに。
 幸い殺気を放って来ていないところを見ると、私の存在には気づいていないらしい。
 こんな緊張感を感じるのは久々だ。――こんな『気』を放てるのは、一人しか心当たりがない。
「……?」
 その時、榊が何かに気づいたように動きを止めた。
 手を止めて、ゆっくりと辺りを見渡す。彼女もこの気を感じたようだ。
「……。」
 榊は銃を構え、立ち上がった。
 どこからか、来る。徐々に距離が縮まっている。
 私は下手に身動きとることもできず、ただ樹の上でじっと待つのみ。
 ――瞬間、ざわりと冷たい風が流れた。
「……?!」
 ヒュンッ
 榊が咄嗟にその場を飛んだ直後、一本のメスが宙を切った。
 空を切る鋭い音は、少し離れた私のところまでも聞こえてくるほど。
「…ひっ…!?」
 …ッ。
 榊が怯えるような声を上げたのと、息苦しくなるような強烈な『気』に私が眉を顰めたのとは同時だった。
「………。」
 風が止んだ。
 まるで静止画像でも見ているような錯覚さえ覚える。銃を構えたまま凍りついた榊と、小さなメスを握り、静かにそこに居る人物―――神崎美雨。
 今、榊が引き金を引けば、それで彼女に向いた銃からは鋭い銃弾の雨が降り注ぎ神崎美雨の身体に穴を開けることが出来る。…………しかし、それが出来ない。
 榊の手が震えているのが遠くからでも見て取れた。
「………!」
 次の瞬間、素早い身のこなしで神崎美雨が榊に詰め寄った。
「ひぃっ!」
 榊はあられもない声を上げ、後退する。一般人なら間違いなく殺されていただろうが、そこは殺人のプロフェッショナル榊千理子。からがらで神崎の攻撃を掻い潜る。
 ダダダダッ!!
 突如、無我夢中で榊が引き金を引いた。
 あらぬ方向を向いた散弾銃から放たれた銃弾は、誰も予想できない方向へと飛んでいく。
 キィン!
「……ぁ…!!!?」
 胸に鈍い痛みが走った。と同時に、私は吹き飛ばされるように樹から落下する。
 ドサッ。
 枯葉の上に身を落とし、ほんの一瞬意識が消えた。
「なっ…!?」
「………。」
 気づかれた。しかし、身体中を走る痛みで動けない。
 ザッ。土を踏む音が近づいてくる。と同時に、もう一つの足音が駆け足で遠ざかっていくのを感じた。おそらく逃げていったのが榊。そして、私のそばに歩み寄ってきたのは……!
「……運が無いわね。流れ弾に当たるなんて。」
 冷たい――氷のように冷たい言葉が私に投げかけられる。
「どこをやったの?」
 私は俯せたまま、静かに息を吸った。
「………。」
 彼女の声が発せられる距離からして、起き上がったら即殺されるということはあるまい。
 しかしいつ飛びかかってくるかも解からない。
「ッ……!」
 あらん限りの力を振り絞り、私は起き上がった。白い修道服に泥がついてくる。
「……無傷なの?」
 神崎美雨は、離れた場所から私を眺めている。私は鈍い痛みに耐え切れず木に寄りかかった。……無傷。木から落下した衝撃で鈍い痛みが襲ってはいるのだが…身体のどこも出血しておらず、銃弾が残した傷跡は見当たらなかった。
「……、…ペンダントに当たったのね。」
 彼女の言葉で、ようやく理解出来た。首から下げたペンタントに触れると、ぐにゃりとひしゃげていた。
「十字架が曲がっちゃったわね。」
 彼女は薄く笑んで言う。私は小さく首を振った。
「十字架じゃないわ。……逆十字よ。」
「……逆十字?」
 話をしているだけなのに、冷たい汗が次々と流れてくる。――怖い。
 こんな気持ち、初めてだ。怖いものなんてないと思っていた。
 私の神は無敵だと思っていた。だから、間違った神を信ずる者達に罰を与えてきた。
「………貴女は、神を信じる?」
 私は問う。彼女はすぐに「いいえ。」と答えた。
「神に頼る者は弱い者だと思っている。」
 薄い笑みをたたえたまま、彼女は言った。
「……それは違う。私は神の力を得ている…強い者よ。」
 そう言いながらも、その言葉に疑問を感じている自分がいた。
「それじゃあ、私の力が神の力を超えるか…試してみる?」
 ゾクン。
 全身を襲う寒気。
 寒い。凍りそうに寒い。
 彼女が地面を蹴った。と同時に、私は彼女に背を向け駆け出していた。
 足音が迫ってくる。膨れ上がる恐怖心。狂ってしまいそうなほどに――
 怖い。怖い。怖い…!
 その時、前方に休憩所が見えた。
 助かった。
 息を切らせながら、私は休憩所へ向け走った。
 シューと音を立てて扉が開く。
 助かっ…

 ――ザッ!

 その瞬間、右のふくらはぎに鋭い痛みが走った。ふっと力が抜ける。それでも左足で地面を蹴り、私は崩れ落ちるように休憩所の中で倒れ込んだ。
「……はぁっ…はぁっ…!」
 シューと音がして、後ろで扉が閉まった。
 背後に人の気配がある。朦朧とする意識の中、休憩所の玄関で私は仰向けにされた。
 視界に飛び込んできたのは…あの冷たい目。
「ひっ…」
 殺される…!
「もう怯えなくていいのよ。ここでは殺せないもの。」
 ……その言葉を理解するのに、しばし時間がかかった。
「手当てするわ。」
 彼女はそう言って、私に肩を貸す。
 状況が理解できない。
 ただ、ひどく右足が痛み、熱かった。
 感覚のないまま、私はどこかの部屋で連れていかれ、椅子に座らされた。
 私の右足に、彼女の手にしていたメスが突き刺さっているのが見える。
 彼女は私の修道服を捲りあげて足を露にし、膝の下の所に包帯をきつく巻きつけた。
「……痛むけど、我慢して。」
 彼女はそう言うと、メスを静かに抜く。
「っあ…!」
 麻痺しかけていた激しい痛みがぶり返す。ドクドクと、血液が流れ出ていくのを感じた。
「何か楽しいことを考えていて。」
 彼女は静かに言うと、私の傷口の血液を拭い、手当てを始めた。
「……どうして…?」
 私はぽつりと零す。
「どうして…手当てなんて…してくれるの…?貴女が…刺したの…に…」
「私は医者だもの。怪我や病気を治すのは当たり前だわ。」
 彼女はさも当然のように言う。不思議な感覚だった。先程まで怯え続けていた女性に、こうして優しく手当てされるなんて。
 それから私たちは一言も言葉を交すことなく、手当てが続いた。
「……終わり。しばらく痛むと思うけど、我慢してね。」
 彼女はきゅっと包帯を巻き終えると、そっと患部を撫でてくれた。
「神崎…、…美雨…。…、…わからない…、貴女は何者なの…?神よりも残酷で…神よりも慈悲深い…。」
 私はまた彼女に肩を借りて立ち上がりながら、独白のように言った。彼女はしばし黙り込んだ後、言った。
「私は私よ。それ以外の何者でもないわ。」
 そんな返答。何も言葉を返せぬままに、彼女に連れ添われて階段を登り、宿泊室に入って私はベッドに腰を下ろした。
「……」
 言葉もなく去ろうとする彼女を、私は呼び止めていた。まだ聞きたいことは山ほどある。
「あなたは…、……あなたは神なの…?」
 そう言うと、彼女は瞳を揺らせて私を見つめた。言葉を発さぬ彼女の代わりに、私は言葉を続ける。
「そうとしか思えない。人間じゃないわ……」
 そうして数秒の間を置いた後、彼女は小さく首を横に振り、馬鹿馬鹿しいとでも言う様にフッと息を漏らす。
「人間よ。空腹にもなれば排泄もする。信じられない?」
「………じゃあ…、人間だっていう証拠を見せて。」
 無茶なことを言ったような気もする。しかし、そうでも言わなければ私の疑心は膨らむばかりだった。
「じゃあ……」
 彼女は私に歩みより、静かに修道服のベールを外した。
「……セックスする?」
 彼女は薄く笑んで囁くと、私の答えを聞かぬままに、唇を寄せた。
 その唇は、――温かかった。





「かッ…」
 『神崎美雨』に『幸坂綾女』…!?
 あたし―――八王子智―――は、休憩所に入ってすぐに開いてみたモバイルを見て、思わず息を飲んだ。
 そこには、あたしが憧れる二人の犯罪者の名前があったのだ。……興奮した。
 食料庫や備品室を見ても二人の姿はない。ってことは、上の休憩室にいるってことになる。休んでいるとしても、扉に耳をくっつければ声くらい聞こえちゃうかも!
 期待に胸を膨らませながら、あたしは階段を登った。各休憩所に備え付けられた宿泊室は5部屋。そのうちのどこかにいることになる!
 あたしは一番手前の部屋の前に立ち、扉に耳を寄せようとした。
 しかしその前に、中からの声が……漏れてきた。
「あっ、ん…!」
 ドクン。
 心臓が高鳴った。二人の声を聞いたことがないのでどっちなのかはわからないが…
 今のは…、…もしかしてもしかすると ――自慰の…?!
 コクンと唾を飲み、静かに扉に耳を寄せる。
「あっ、――美雨、さ……ふぁッ……」
 喘ぎ声。漏れるような息の合間に扉の向こうにいる人物が発したその言葉に、あたしは凍りついた。
 美雨?
 呼んだのが幸坂?
 だとしたら――
「……綾女。」
「…ぁ…!…美雨さん…、…い…ッ…」
 微かに聞こえる淫らな水音と、愛の囁き。
 大人の女性二人の…どうしようもなく色っぽい声。
 そう、あたしが憧れていた二人の女性が今、一緒にいて。
 ――ゾクゾク、する。
 切なかった。憧れてた人達が、身体を重ねている。愛しあっている。
 あの、美雨さんが……。
 その思いと同時に、ピンク色のどろどろした感情が心の底の方から湧き上がってくる。
 羨ましい。あたしもシたい。してみたい。
「どう?人間だったでしょう?」
「……わから、ない。……美雨もちゃんと、……?」
「もちろんよ。触って……。」
「……、…濡れて……。」
 くちゅ。粘着質の液体が溢れて、滴る。綾女さんの指先が触れて、あの美雨さんが、ビクッって震えて。
 あたしは二人のやり取りと、微かなBGMを頼りに勝手な妄想を膨らませながら、いつしか少しだけ息を荒げていた。手で口元を塞ぎながら、尚も耳を澄ませ続ける。
「ンッ、…っ…、……」
 小さく漏れる美雨さんの喘ぎ声。綾女さんよりも控え目で押さえた感じで、でも時々不意をつかれたように大きな声を漏らす。快感に飲まれないように耐えている感じが、AVのわざとらしい喘ぎよりもよっぽどリアルで興奮する。
 そんな甘い一時にしばし酔いしれ、二人の行為が後戯へと移っていった時、あたしは静かにその場を立ち、空いた部屋へと忍び足で向かう。
 ――その時だった。
 ガチャッ。扉の開く音にあたしはビクリと身を堅くする。
「……聞き耳立てるのは、気配を殺せるようになってからにしなさい。…いいわね?」
 それは紛れもない、美雨さんの声だった。
 あたしは恐る恐る振り向いて、一瞬、息を飲んだ。行為の後なのだから当然であるが…、彼女は裸で、扉を少しだけ開けてあたしを見ている。露になった肩が、ものすごく色っぽい。
「……。」
 美雨さんとあたしはほんの少しの間見つめ合った。…それは、あたしが勝手に思ってるだけであって、美雨さんはちらっとあたしの姿を確認したに過ぎないかもしれないが。
 パタンとドアが閉じられても尚、あたしは廊下に立ちつくしていた。
 神崎美雨。なんて素敵な人なのだろう。冷たくて色っぽくて美しくて……。
 あたしの憧れは、膨れ上がるばかりだった。





 ブルン ブゥゥン!!
 これこれ!このエンジン音に痺れるのよね〜ッ!
 嗚呼、愛しのスーパーカブちゃん☆
 あたし―――吉沢麗美―――は愛車のカブを撫で、目を細める。これがあれば他に何も要らない。他の奴らは銃とか頼んだんだろうけど、あたしは敢えて武器としてこの子を連れてきてもらってきたのだ。
 ガコッ。
 あたしは左足でギアを踏み、アクセルを回した。グゥンとバイクは動き出す。
 ギアを換え、加速する。風を切って走るこの感じが最高に気持ち良い。
 ヘルメットから零れた髪が風圧に流される。
 このままどこまでも行けたらいいのに。どうせ死刑なら、このまま死んでもいいかなって思ったりもする。
 ある意味、このプロジェクトに感謝さえしている。こうしてカブと一緒の時間を過ごせるんだから。
 広い道を突っ走る。お日様は真上から散々と照っている。皆警戒しているのか、誰一人としてその姿を見せることはない。うーん、爽快爽快♪
 ―――ん…?
 不意に、前方で何かが動いたような気がした。
 ドクン。
 緊張が走る。
 少しスピードを落として、その何かに注視する。
 人だ。……人がいる。
 その人物は無防備に道に立っていた。
 こ、殺される…かな…?
 緊迫しながらも、あたしはその人物の元へ近づいていった。
 …すると。
「おぉ〜いっ!止まって〜っ♪」
 人物は大きく手を振って、あたしに停止を促した。
「………」
 少し迷ったけれど――あたしはスピードを落とした。
 別に殺されてもいいや。カブに乗れたから。…そんな、ヤケっぱちの覚悟があったからかもしれない。
「あは、ライダーのお姉さん!」
 女性、というより、少女。
 くるくると巻いた髪が可愛らしい。佐倉、莉永。彼女はあたしが止まったことにか、嬉しそうにして駆け寄ってきた。思わず身構える。…しかし、少女は武器と思われるものを何も手にしていない。花の飾りが所々にあしらわれた可愛い上下に身を包んでいる。はっきり言って……場違い。
「んーと、何…?」
 あたしは彼女の様子に少し呆気にとられつつ、そう尋ねていた。
「何って、ヒッチハイクヒッチハイク!」
 彼女は当然のように言った。
「……ヒッチハイク?あたしを殺さないの?」
 訝しげに尋ねると、彼女はきょとんとして小首を傾げる。
「殺す?なんで?」
「なんでと言われても困るけど。ここはそういうフィールドでしょ?」
「ん〜。あたし、お金持ってない人は殺さないのっ!」
 彼女はにぱっと笑んで言った。
「そんなこと言ってると殺されちゃうわよ。ここには無益な殺生も普通にやる人がゴロゴロしてるのに。」
「ん〜、そん時はそん時!どうせ死刑なんだし!」
 どうせ死刑。
 確かに、その気持ちはわかる。あたしもさっきまでそんなことを考えていた。でも他人がそんなこと言うと、生への欲はないのかと思ってしまう。
「ねぇ、乗っけてよ!バイクの後ろに乗ってみたいんだ♪」
 彼女の笑みを見ていると、何でも許せる気分になる。あたしは小さく笑んで、言った。
「いいわよ。でも、狙い撃ちされて死んでも知らないわよ?」
 彼女は「やったぁ」と嬉しそうにバイクの後ろにまたがり、あたしにぎゅっとしがみついた。
「狙い撃ちされた時はお姉さんと一緒でしょ?それなら本望ですっ!」
「本望って、見ず知らずの女と死んで本望なの?」
「むさい男に囲まれて電流流されて死ぬよりよっぽどいいじゃん♪さ、出発ー!」
 彼女の掛け声に、あたしはギアを蹴ってアクセルを回した。
 一人気ままに走るのもいいけど、後ろに体温を感じながら走るのも悪くない。彼女は嬉しそうにきゃっきゃとはしゃいでいる。
「ねぇねぇお姉さん、名前はー?」
「あたし?吉沢麗美よ。」
「麗美さん♪…あ、あたしはねー!」
「佐倉莉永ちゃん。でしょ?」
「ありゃ、知ってるの?」
「バッグに入ってたモバイルで確認済みよ!」
「そんなの入ってんの?知らなかったー!」
 大ざっぱだなぁ。
 でも、なかなかに気に入った。
 暗い状況にあって、こういう明るい子と接すると、拍子抜けはするけれどなんだか励まされる。
「んふふ、キレーな金髪♪」
 彼女はあたしの後頭部に顔を押しつけ言った。
「まぁね〜。天然ものよ!あたしのママがアメリカンなの。」
「へぇ〜、ハーフなんだぁ。」
「そ。だからね、友達には、麗美じゃなくてレミィって呼ばれてる。」
「あはは、レミィ!あたしのことはリエでもサクラでも好きに呼んでねー!どっちもあたしのファーストネームって思っていいよ!」
「あははは。じゃ時と場合によって使い分けるわ。」
 どこに向かってるわけでもなく、あたしたちは風を切って走りながら笑った。
 どのくらい走っただろうか、あたしは少しだけ声のトーンを落として彼女に尋ねた。
「リエ。死ぬのは怖い?」
 彼女は楽しそうな声を切らせ、しばし沈黙した。
 彼女の答えによっては、このままどこかの樹木にでも突っ込もうかとも思った。
「……そんなのっ…」
 彼女は私の問いを笑い飛ばすように強く言った。
 しかしその後の言葉は小さく、囁くような声だった。
「………怖いに決まってる。」
 今までの彼女からしてみれば意外な言葉。
 あたしの考えは、彼女の言葉によって否定されたのだった。
「レミィは怖くないの?……怖くないんなら、この場で殺してあげるよ。」
 そう言うと、リエはその小さな手をあたしの首に回し、少しだけ力を込めた。
「…や…、やめて。あたしだって…死ぬのは怖い…。」
 ……今、気づいた。
 彼女の手が回された瞬間、力を込めれらた瞬間――
 今まで味わったことのないような恐怖感が全身を駆けた。
「………レミィ。」
 彼女は手を解くと、あたしの身体に抱きついた。
「危ないよ…。」
「ねぇ、レミィ。このまま逃避行しようよ。二人っきりで…。」
 リエは甘えるような声で言う。でもそれが猫撫で声でないことはわかった。彼女の孤独、寂しさ、恐怖…色んな物が伝わってきた。
「……さっき自己紹介したばっかりのあたしなんかと?」
「………あたし、誰でもいいんだもん。」
「…あっそ。」
「レミィは?誰でもよくない?」
「……よくないよ。」
 あたしが言うと、リエはそれっきり何も言わなかった。それからしばらく走った所に休憩所が見えたので、あたしはそこにバイクを横付けして駐車した。
「……。」
「……。」
 あたしたちは何も言わずに休憩所に入り、二階の休憩室へと向かった。
「………じゃあね、リエ。」
 あたしが一室の前で足を止め部屋に入ろうとすると、リエはまるで捨てられた小猫のような目であたしを見つめた。
「……何?」
「……レミィ。」
 リエは小さくあたしの名を呼ぶ。
「別々の部屋に寝て…、次の朝起きたらレミィは居なくて、それで、次に会った時は……あたしを殺そうとする…。そうでしょ…?」
 リエは泣きそうな声で言う。
 あたしは何も返せず、立ち竦むだけだった。
「…そんなのヤだよっ…!」
 リエは、あたしの胸に泣きついていた。
 この子はただ怯えてるだけ。…味方がほしいだけなんだ。本当は怖くて怖くて仕方ないんだ。
 ………でも…。
「レミィっ…!」
「…リエ…、……離れて。」
 あたしは喉から声を搾り出して言った。
 それでも離れようとしないリエの肩を強引に掴み、あたしは彼女を引き離した。
「………無茶なこと言わないで。」
「…っ…」
 涙で濡れたリエの顔から目線を逸らし、あたしは怒鳴っていた。
「これ以上、生きたくさせないでよ!!」
 自分が怒鳴った言葉が理解できないまま、あたしは部屋に入ってドアを強く閉め、鍵をかけた。
「っ…、…ぅっ…、……うぁっ…!」
 扉越しに聞こえる嗚咽から逃れようと、あたしはその場にうずくまって耳を伏せた。

『生キタクサセナイデ』

 ………。
 …生きたくない…。
 …生きたくない…。

 …死にたく…ない…。







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