施設内に滞在する十五名。内、数人が欠けている。
 現在の時刻、午前八時三分。館内放送によって告げられた時刻より、三分経過。
「朝の会、って何なのかしら」
 ホールの片隅にて、一同を見渡していた婦警へ投げ掛けた問いかけに、
 彼女は私―――珠十六夜―――へ目を向けてこう言った。
「大したもんじゃないの。現状とか、今後のこととか、説明しとこうと思ってね」
 乾千景。年齢二十四歳、血液型O型、身長161cm。平均的なようで、どこか常人とは外れた性質を持った彼女を眺めていると、不思議と研究意欲を駆り立てられる。実験材料にしてみたい人材だ。……などと、当人に言えるはずもないのだが。
 千景さんは私の視線を受けて、怯えた様子で一歩後退る。
 いけない、思惑が視線に滲んでしまったかしら。
「……それで、いつ始めるの?」
 私は彼女から視線を外しつつ問いを重ねた。出来れば無駄な待機時間は過ごしたくなかった。制御室に戻って、もう少しこの施設に関してのデーターを集めたいところだ。
「そろそろ始めたいんだけど、後三人足りないわね。……千咲ちゃんは?」
「千咲なら部屋で眠っているでしょうね。」
「そっか。まぁ仕方ないとして……」
 あと二人、と彼女が呟いた時だった。ホールの入り口から、二人の人物が姿を現す。
 五十嵐和葉。百年前の日本人女子の典型とも言える容貌をした女性。今は海外からの混血により、日本人でありながら茶色い髪や瞳を生まれ持つ人物も多いが、閉鎖的であった過去の日本国では黒髪黒目が当然だったという。かくいう私も色素に関しては彼女と同等に黒色の遺伝子を受け継いだが、顔の作りには祖父から受け継いだロシアの血が滲んでいる。
 そして和葉さんの腕を抱き、きょろきょろとホール内を見回すもう一人の人物は、Mina=Demon-barrow。米軍の兵士であった女性。彼女は米国出身の米国育ち。いかにも向こうの人間、といった雰囲気ではあるが、その顔立ちや肌の色を見ていると、純血の白色人種ではないだろう。現在の米国は過去にも増して混血が増え、その容貌だけで出身地を特定することなど不可能だ。Minaさんの場合、元は欧州がルーツの白色人種の血が強く、若干メラネシア人種の血が混ざっているのだと推測する。
 私がそんな人間観察をしていれば、隣に立っていた千景さんが一歩踏み出し、声を張り上げた。
「皆、おはよう!大体集まったみたいだから、朝の会を始めるわね。……シッダウン、プリーズ?」
 と、彼女の最後の言葉はMinaさんに目を向けながら告げられたのだが、当のMinaさんは「はいはい、座ればいいのね」と流暢な日本語で返していた。……ふむ。彼女の日本語は改めて聞いても見事な物だ。Minaさんの祖父が日系二世という話を聞いたが、彼女自身も日本人さながら。日本語を巧みに操る祖父と長時間共に過ごし、尚且つ彼女自身も日本に対して強い興味を抱いていた、と察することが出来る。
 私は千景さんのそばを離れ、千景さんと向かい合う形で腰を下ろした面々のところへ移動した。
 その時不意に、「十六夜さん」と小声で名を呼ばれ振り向けば、足を伸ばして床に座り込んでいる伴さんが笑みを浮かべて手招いている。呼びかけを拒絶する理由もないので、彼女の隣に腰を下ろした。
「へへ、やっと話せたわね。今まで十六夜さんと会ったことなかったじゃない?」
 伴都、二十五歳。怪盗HAPPYとして名を馳せた有名人であり、私も彼女の噂は聞き及んでいた。怪盗HAPPYは空を舞い、疾風の如く獲物を攫う――明らかに人間の能力を超えているその噂は尾ひれがついたものと考えて間違いはないだろう。しかし火のない所に煙は立たぬとも言うし、実際の彼女の能力値はどれほどのものかと興味はあった。故に接触を望んでいたのだが、私が制御室に篭りきりだったということもあり、彼女と顔を合わせるのはこの施設に来た初日以来。言葉を交わすのはこれが初めてだ。
「姿は拝見していたけれど、ね」
 そんな私の言葉に、都さんは不思議そうな顔をする。
「抜け出し率ナンバーワン。……入り口に仕掛けられたカメラをご存知?」
「あ、なるほどね。二日間ぐらい気付かなかった」
「……さすがね」
 たった二日で巧妙に仕掛けられた隠しカメラに気付くとは、さすが怪盗を名乗るだけはある。
 今の言葉が彼女のはったりではなかったら、だが。
「はい、私語やめー」
 千景さんのよく通る声が響き、ざわついていたホール内に静寂が訪れる。
 ホール内の床に直に座って前に立つ彼女に注目する一同。
 視線を浴びてか、千景さんはコホンと一つ咳払いしてから切り出した。
「これからは週一ぐらいで朝の会を行うことにするわ。……紹介します、朝の会担当の小向佳乃さんです」
「……う?わ、私!?」
 千景さんに話を振られて、驚いた様子で目を丸める佳乃さん。さっき廊下で行なっていた打ち合わせは一体何だったのかしら。
 佳乃さんは狼狽した様子で「いきなりすぎだよぉ」などと呟きながらも、千景さんの横に立って一同を見渡した。
「た、担当にさせられた小向です。えとね、朝の会っていうのは、簡単に言うと学校での終りの会みたいな」
「意味わかんない、それ。」
「うぅぅっ。つまり、だから、近況報告とか、今後の予定とかをお話するのですっ」
 背後から千景さんに鋭く指摘されながらも、懸命に言葉を紡ぐ佳乃さんの姿は健気だった。
 彼女は「はぁ」と一息ついてから、言葉を続ける。
「警察側から説明も少なくて困ってた人も多いと思うんですが、私達も特に言うことがないんです。要するに現状維持?皆さんにはずぅっとここにいてもらっていいですし、……うーん、出て行くっていうなら止めませんけどぉ、出来れば出て行って欲しくないなぁとか思うわけで。」
 彼女の言葉に、少しだけ場内がざわついた。隣にいる都さんが小声で言う。「出て行くわけないわよね?」
 確かに、出て行く必要など微塵もない、この施設の環境は素晴らしいものだ。衣食住の全てが事足り、命の危険も全く無い。更には労働の義務すら存在しないのだから、今からわざわざ外に出て危うい目に遭いながら生活する理由もないだろう。
 私は都さんの言葉に小さく頷き、「特別な理由がない限りは」と続ける。
 ――もしも、この施設に制御室が存在しなかったら。
 私はこの施設を出て行ったかもしれない。私が生涯懸けて求めているものは科学である。制御室という過去の文明が築いた科学が残った場所がある故に、私はこの施設に存在する意味がある。
「えーと、そんなわけで」
 佳乃さんは、ざわついていた場内が落ち着くまで待っていたかのような間を置いた後、改めるように言う。
「こうやって皆さんを保護させて貰っているのは、警察が出来るせめてもの罪滅ぼしなんです。だから……思いっきり、保護されちゃって下さい。……今後とも宜しくお願いしますっ」
 佳乃さんは最後にそうして頭を下げて、「おしまい」と千景さんに告げた。
 ……罪滅ぼしか。警察の罪など、私には何も関係のないことだけど。
 利用させて貰えるならば、それで良い。もっと追究させて頂くとしよう。――過去の文明を。
「あ、それと」
 思惟に耽っている時不意に、付け加えるように告げられた千景さんの言葉に顔を上げた。
「好きにしてていいけど、勝手に出て行くのはやめてね。せめて一言、私か佳乃に残してね?」 
 千景さんは不自然な笑顔で言ってから「特に都」と、それが言いたかったとばかりの表情で続けた。
 当の都さんは、「何のことだか」と視線を逸らしているけれど。
 ――そんな時ふと目の端に映ったのは、二人の少女の姿。
「……いいじゃん、別に」
「いや、でもさ……」
 会話の一部が微かに聞き取れる程度だが、二人は何かの相談をしているようだった。困ったような表情で首を横に振るのは、蓬莱冴月。強気な笑みで言葉を返しているのが三宅遼、か。
 朝の会の連絡はまだ数点続く。
 その間、小声で相談を続ける少女二人と、それを観察する私。
 ――千咲と同世代か、少し上ぐらいの二人。
 千咲もあの少女達のようになれるのだろうかと、そんな思索をしていた頃に、朝の会は終了した。
 結局考えていたのは千咲のことか。最近あの子のことを気にし過ぎているかもしれない。
 せめてあの子以外の存在が私のそばにいたら……
 千咲のことで考えを支配されずに済むかもしれないのに。
 ――別の、誰かに?
「……」
 思わず周りの面々を見回してから、ふっと小さく息を吐く。
 くだらぬことを考えるのはやめよう。
 私に人間は似合わない。
 私は既に、科学に恋をしているのだもの。





「本当に無断で抜け出して良かったのかなぁ。……まずくない?」
「うるさいなぁ。心配なら来なかったら良かったじゃん」
 後ろをてこてこと歩いては、先ほどから同じことばかり聞いてくるセナに、あたし―――三宅遼―――は少しだけ苛立った言葉を返す。セナは口を尖らせているが「まぁね」と肯定していた。
 それでOK。ついて来るって言ったのはセナだもん。
 というわけで、あたし達は地下施設を抜け出し、コンクリの道を歩いている途中。
 別に施設から出たいとかじゃないんだけど、あそこは娯楽が少なすぎる。セナと話してても話題が尽きちゃうし、なんかもっと面白いこととかあったらいいなと思うわけ。
 面白いことは待つものじゃなく、探すもの。面白いものを見つけるため――具体的な目的はないけれど、とにかくあたしとセナは荒廃した街を歩いている。
「何もなーいね」
 セナは足元の石を蹴りながらぽつりと漏らす。
 確かに、周りに人気は全くないし、見渡せど壊れた建物ばかり。
「きっと何か見つかるって!」
 あたしは自分を奮い立たせるように言い、少し足を速めていた。
 ジジ、と微かに聞こえた音を耳にして、音源に目を向ける。そこには壊れた大きなディスプレイ、昔は情報やら何やらを流してたんだろう。壊れた街角ディスプレイなんてざらにあるものだ。配線かなんかがショートしたんだろうか、微かに火花が散っては落ちる。……それも別段、珍しい光景でもない。
 施設から出て真っ直ぐに続く広い道を歩き、昔の線路沿いに左に曲って更に少し歩く。以前には公園があった場所だから、何かあるかと思った、けど……。
「うわ、……火事現場?」
「……」
 都会のオアシスとも言うべき、ちょっとした公園。緑も少しは残ってたはずなのに。
 今は真っ黒に燃え果てて、微かな異臭しか残っていない。
 誰かが悪戯目的に火をつけたとか、ならいいけど。
 ……こういうの、やっぱ。処分に困った死体とか、燃やして片付けたんじゃないかな、と。
 セナはそんな現実的なことは思い当たっていないらしく、「米軍の遊びかなぁ」などと呟きながら辺りを見回している。あたしはそんなセナの手を取り、「別んとこ行こう」と促しながら公園を後にした。
 施設とは反対の方向に歩くこと十分程度。あたしは今頃になってセナと手を繋いじゃってることに気付き、さりげなく手を離しつつ「もうちょっと真っ直ぐ行こう」と呟いた。
 セナは退屈そうに「んー」と声を上げたが、やはり納得できないとばかりにあたしの手を取り引き止める。
「この辺の人は皆、避難しちゃったんだよ。米軍とか多いし、空襲とかもたまにあるしね」
「……ッ、いやでも、なんか楽しいことあるかもしれないじゃん」
 つまんない、つまんない、つまんなぁーいッッ。
 もう、折角楽しいこと見つけに外に出てきたってのに、何も残ってないんだもん!
 せめてあたしの家がある方まで行けば、そこそこ賑わってるかもしれないけど。
 ……徒歩四十分ってちょっと遠いよね。
「ねぇ遼、帰ろうよー。施設の方が、皆がいるし楽しくない?」
「う、でも、……」
「この辺、本当に誰もいないよッ」
 セナがズバッと言い切った。あたしは何も返せずに言葉に詰まった。
 その時だった。
 クク、と喉の奥で漏らすような笑い声――耳にして、振り向く。
 太腿に装着したホルダーに、ちゃんと拳銃を備えてる。だから手を伸ばそうとした、けれど――
「動くなよガキども。一ミリ動いたら殺ーす」
 そんな声に、あたしは動きすら制限されていた。隣にいるセナも、目を丸めて人物を見つめている。
「人間がいて良かったなぁ。遊んでやろうか?」
 男のように野蛮な喋り方だが、そこにいるのは女だ。
 散切りの色素抜いた髪に、この季節にしては薄い衣服。鋭い目、赤い唇、ジャラジャラしたピアス。
 あたし達に銃を向け、薄い笑みを浮かべている。……日本人のくせに、米軍みたいなことしやがって。
「黙れ。死ね、バカ」
 女を睨みつけて悪態を吐けば、女はクッと唇の端を歪め、一歩踏み出してあたし達に近づく。
 カチリ、と、銃の安全装置を外してから、赤い唇をゆっくりと開いた。
「調子に乗るんじゃねーぞ。てめぇらの命なんか少しも惜しくないんだから、な?」
 最後の「な?」なんか、聞く余裕もなく、
 あたしは横にいるセナを突き飛ばすと同時に、反対の方向に跳んだ。
 刹那、ドゥンッ、と響き渡るような音がして、あたしとセナの間の空気が拉げていた。
 ――油断、できるかッ!
 バランスを崩して地面に腰を打ちつつも、素早く太腿の拳銃に手を伸ばす。
「どっちから殺して欲しい?……チビか?女子高生か?……もしかしてお前、中学生?」
 女は、更にあたし達に近づき、薄いアイシャドーの入った目元、す、っと細めた。
 なんだ、この女。化粧までしてる。男みたいな喋り方する癖に、随分色っぽい女。
 だけどその表情は、飢えた狼同然だった。
「誰が中学生だ」
 呟くと、女は銃口をあたしに向けて目を見開く。
 セナを狙ってくれればいいのに!その隙にあたしが撃ってやったのに!
 セナに、「挑発しろ」と目で送るのに、セナは怯えた表情であたしの仕草に眉を顰める。
 役に立たないなぁ、セナのバカッ!
「さっき、死ねとか言ってたのは、てめぇだったなぁ中学生」
「……ま、待って」
 こんなところで日本人に殺されて堪るか。
 こんなやつに殺されるぐらいなら、伊純とか都さんに殺された方がよっぽどましだ。
 ……セナに殺されるよりはいいけど、ってそんなことはどうでもいい。
「……ッ、……あ、えっと」
 何とか話しを長引かせて、隙を見つけようとする。
 女の姿をまじまじと見つめ、――あたしはふと、あることに気付く。
「……ガリガリだね。何その細さ。ありえない」
 露出した足に目を向け、世辞でも何でもない、本気の感想を告げる。
 思わず悪口みたいになってしまうが、女は憤怒するわけではなく、緩く片眉を上げていた。
「ったりめーだろ。こんな世の中で食っていけるかよ」
「あたしより体重軽いんじゃないの?」
「お前、何キロだ?」
「四十五。」
「……残念。四十七」
 その「残念」って言葉と共に、女は再度銃を構え直し、引き金に手を掛ける。
「ままま待て!!いいこと教えてあげる!!」
 咄嗟に声を上げ、あたしはセナを指差した。
 って、あ、しまった、太腿の銃にかけてた手、外しちゃったよ。
「イイコト?」
「……あいつ、三十キロ台」
「マジで?」
 女がチラッとセナに目を向けた、それがチャンスだと思った。
 あたしは太腿の銃に手を伸ばし――
「お姉さん。あたしもいいこと教える!」
 ……え?
 セナが突如上げた声に、思わずセナを見遣った。
 あ、これはセナがくれたチャンスか!ならあたしは問答無用で銃を手に取っ――
「お姉さんも、あたし達がお世話になってる施設に来ればいいんだよ!ご飯も食べられるし、ベッドも超ふかふかでね、お金とか全然要らないし、保護して貰えるんだよ!」
 ……え?
 ……えええ!!?
 せ、セナ、一体何言ってんの?バッカじゃないの?
「……んな見え透いた嘘、通用するか」
 女は鼻で笑って、「お前から死ぬか?」とセナに横目を向ける。
 せめて銃口もセナに向けて貰えればいいのに、女の銃口はあたしに向いたままだった。
「嘘じゃないよ!一週間前ぐらいに避難令が出たの知ってる?09跡地に集まった人、保護して貰えてるんだよぉ」
「……09跡地?あの血生臭いところか?」
「知ってるの?」
「何日か前に行ったばっかりだ。何かねぇかと思ったけど、あったのは人が死んだ気配だけだった」
「そ、そうなんだよ、色々あって……いや、実はね……」
 セナは神妙な面持ちで、女に向けて今まであったことを言って聞かせる。
 いや、だからマジで何やってんの?女は女で、あたしに目ぇ向けて耳だけセナに貸してる感じ。
 ……か、勘弁してよ。
「――というわけで、今日は遼の付き添いで外に出てきたの」
 セナが話し終える頃には、あたしの紹介もセナの紹介もバッチリ終わり、女はその場で胡座をかいてセナの話に耳を傾ける寛ぎモード。寛ぐならせめて、あの銃をあたしに向けるのやめてくれないかなぁ。
「よく出来た話――いや、出来すぎた話だ。怪盗Happyは出てくるわ、てめぇらみたいなガキが戦闘に生き残るわ……お前、妄想癖があるんだろ?」
「ち、違うよぉ、本当なのに……。あたし達が生き残ったのは、伊純さんが助けてくれたからで……」
「誰だよイズミって……」
「あ、知らないかな?佐伯伊純さん、不良少女って有名じゃない?あたしが米軍兵士の銃で死にそうになった時にね!もう死んじゃうっ、っていう瞬間に、その兵士を殺して助けてくれたの!」
 いつまで続くの、この世間話。
 せめてセナがもうちょっと口が上手かったら、女が油断して「じゃあ行く」っていうことになって、
 そしたらあたしが隙を見て女を撃って――計画だけは完璧なのに、下準備が出来ない。
「佐伯伊純?アイツまで居るのか?そいつぁさぞかし豪華メンバーで……」
 女は小馬鹿にしたように言って溜息を吐き、それから口元にニッと笑みを浮かべた。
 その時、女の背後に――何、この、タイミングの良さは。
「いやぁ、面白い話だった。不良少女の活躍なんか最高だなぁ。そろそろ殺すぞ」
 女はそう言って胡座を解き、立ち上がろうとモーションに入る――刹那。
「そりゃどーも」
 と、冷めた口調で女の後頭部に言い放つのは……伊純、だった。
 なんでこんなタイミングで出てくるわけ……これこそ出来すぎ。
「……え?」
 女は引き攣った笑みで振り向き、言葉を失う。
 伊純はしっかり銃を構え、女の後頭部を捉えていた。
 ヨッシャ、殺せ!そのまま殺しちゃえ!!
 と、あたしが内心でエールを送っていたというのに、伊純はガンッと女の背中に蹴りを入れ、女は不意を突かれたらしくその場に倒れ伏せていた。
 伊純は女の銃を取り上げ、それからあたし達に目を向ける。
「乾達が見て来いっつーから仕方なく来てやったら、案の定か。……帰るぞ」
 そう言い放って背を向ける伊純に、伏せた女が悔しげな視線を向ける。
 ……っていうか、抜け出したことバレてっし。
 まぁ何はともあれ一件落着?……と思った、その時。
「待って伊純さん!このお姉さんも施設で暮らして貰おうよ。すごい痩せてるし、このままじゃ死んじゃう……」
 と、セナがバカなことを言い出す。
 伊純も「バカじゃねぇの?」とか何とか言ってくれると思った……のに。
「――そのオンナが望むなら別にいいと思うけど」
「ええええ!!!?」
 信じられない思いで声を上げ、女と伊純を交互に見る。
 伊純ってば何があったの!?こんなイイヒトだったの!?
 女は上体を起こして怪訝そうな顔をしているし、伊純は興味のなさそうな顔で「どうすんだ?」と問う。
「ね、きっと千景ちゃん達もOKしてくれると思うから!」
 セナの必死の説得に、女は寄せていた眉を解き、唇を微かに開く。
「――……、……」
 躊躇ってる。そんな様子を見せ、セナを見つめる女。
 このシーンだけ見てれば、あの女も悪人ではないんだろうけど。
 でも実際、あいつはあたしたちを殺そうとした。
 ……反論なんか出てこない。もうバカバカしすぎて呆れるばかり。
「お姉さん、名前、なんて言うの?」
 セナは女のそばに歩み寄り、小首を傾げて問いかける。
 女は唇を開いたままで暫しセナを見上げた後、ぽつりと言った。
「レン。……萩原、憐」





「今朝言ったばっかりなのに……」
 制御室。機械の端っこに手をついて、思わずガクリと力が抜ける。
 すぐに体勢を立て直し、私―――乾千景―――はカメラの映像を眺める十六夜さんの方へ歩み寄る。
 十六夜さんは煙草を唇に咥えたままでチラリと私に目を向けては、ふっと煙を吐き出しながら言った。
「まだ帰って来ないわよ。」
 十六夜さんが言っているのは冴月と遼のことだ。二人が地下施設から出て行ったのは、朝の会が終わって二時間ほど経った頃のこと。目撃者は十六夜さんだ。
 この制御室には、人間の出入りを監視するシステムが備わっている。時刻のデータが残るようになっていて、出入り口に設置されているカメラにもその記録が残るんだそう。都や和葉ちゃんの抜け出しもそのデータで発覚したわけだ。
 十六夜さんは殆どの時間を制御室で過ごしてるから、リアルタイムで人の出入りがわかるそうで。都に関しては、都自身が優れた戦闘能力を持っているから見て見ぬ振り、事後報告だったんだけど、今回は違った。
 私が個室で佳乃と一緒に仕事をこなしている時に、放送が入った。
 『業務連絡。乾千景さん、小向佳乃さん、至急制御室へお越し下さい』
 何事かと制御室に向かったら、冴月と遼が抜け出したなんて言われて。
 それで私達は、伊純に様子を見に行ってもらうことにした、というわけだ。
 本当は私か佳乃が付き添うべきだった。しかし伊純が「一人で十分だ。足手まといは必要ない」なんて言うもんだから、私もつい大人気なく「じゃあ一人で行ってこーい!」と伊純の背を押してしまった。
 しかし今頃になって心配になる。本当に伊純に任せても大丈夫だったのか。
 伊純のことを信用してないわけじゃない、それはなんていうか……佳乃とのことでも、なんとなく伊純の本性みたいなもん、見えた気がする。あいつ、ひねくれてるけど芯は通ってる。
 いや、しかし。伊純の本性が立派でも、万が一ってのは起こり得るわけだ。そのことを考えると、責任者である私達が同伴すべきだった。うーん。
 その時、ポーン、と音がして、十六夜さんがモニターフォンに出る。お使いに出てもらってた佳乃が帰って来たようだ。すぐに制御室の扉が開き、「ただいまぁ」と佳乃が室内に入ってきた。
「どうだった?」
「うん、冴月ちゃんのパソコンはお部屋に置いたままだったよ。」
「じゃ、帰って来るつもりはあるわけか」
 佳乃に見に行ってもらっていたのは、冴月と遼の部屋に残された荷物だ。最悪の場合、あの二人がこの施設に帰って来るつもりがないということも想定されていたが、冴月の宝物のパソコンが置きっぱなってことはその線は消えるだろう。
 となると、あとはもう、二人の無事を祈るしか……
「千景さん、ちょっと宜しい?」
「ん?」
 神妙に考え込んでいた私に、十六夜さんから声が掛かる。
 十六夜さんも神妙な面持ちで、小さく首を捻りながらディスプレイを見つめていた。
 えっと、制御室にも色々と機械があり、色々とブースみたいなものがあり、十六夜さんが今座っているのはカメラの映像関連の場所。私がお願いして、出入り口のカメラの映像を見ていてもらってたんだけど、今彼女が見ているのは別の画面だった。
 なにやらよくわからない、ヴァーチャルな感じの画面で、その中に二つの赤い点がある。
「この画像は、施設から50メートル四方のサーモグラフィーなの。生物の体温に反応してこういった印が出てくるわ。感度からして小動物には反応しないの」
「ふむ?」
「この二つの点があるわね」
「うんうん」
 十六夜さんが指差す点を見つめながら頷くと、彼女は少し押し黙った後、こう続けた。
「この施設に滞在したことのない人間が、この施設の上にいる……ということに、なるの」
「……ん?」
 その言葉が今一つピンと来なくて首を傾げると、十六夜さんは更にわかりやすく解説してくれた。
「この施設に滞在したことある人物のデーターは、自動的に記録される。その人物の体温値、体型値、その他諸々。人間の温度差や体型の変化も当然考慮した上のものだから、データーとして信頼に値するわね。そして記録されたデータがこのサーモグラフィーに映し出された場合、この施設に滞在したことがある、という記述が出てくるはずなのよ。……だけど、この二つの赤い点にはその記述が出てこない。」
「……つまり、冴月でも遼でも伊純でもなく」
「ええ。それ以外の何者かが、この施設の上――おそらく09跡地の建物のどこかに存在している」
「……マジっすか」
 そこまで驚くべきことでもないかもしれない。寧ろ私が驚いているのは、そんな細かいことまでわかってしまうコンピューターに対して、だろうか。
 ともあれ、誰ともわからぬ人物がこの施設の上に滞在している。しかも画面を見ている限り、赤い二つの点は動く気配を見せなかった。誰かが休憩していると考えるのが自然だろう。それが米軍の兵士である可能性も高いわけだが。
「保護しなきゃ!」
 と、佳乃が意気揚揚に言い放つ。……言うと思った。
「でもね佳乃、もしこれが米軍の人間だったら……」
「その時は困るけど、でも日本人だったら、見て見ぬ振りなんかしちゃだめだよ!」
「そりゃそうなんだけど……」
「様子だけでも!見に行ってみようよ!」
 ずずいっと私に押し迫って説得する佳乃に、私は返す言葉を持たなかった。
 佳乃ってばここ最近、妙に正義感強いんだから。何かあったのかな。
「……じゃあ、様子だけね。日本人だったら保護するけど、米軍だったら」
「見て見ぬ振り!」
「……う、うん」
 もしかして和葉ちゃんの影響?
 確かに無駄な殺生はしたくないけどさ。……なんか調子狂うなぁ。
 半ば佳乃に引っ張られるようにして、私達は施設上の謎の人物二人に会いに行くことになった。
「それじゃ十六夜さん、後は宜しくお願いしまーす」
 と言い残し、私と佳乃は制御室を後にした。





 地下施設を出てから一つ階段を登ると一階。もう一つ階段を登ると二階。
 おそらく赤い点の二人は二階にいるのだと思う。一階をざっと見て回ったけど、誰もいなかったからね。
 千景の手には拳銃、私―――小向佳乃―――の手にも拳銃。
 なんで警察の支給武器って拳銃なんだろうなぁ。スタンガンとか、そういう殺傷能力の低い武器の方がいいと思うのに。あ、でもスタンガンだと近くしか攻撃出来ないもんね。もっとこう、威力弱くて遠くまで届く武器とかがあったらいいのになぁ。
「佳乃……その緊張感のない顔、どうかして」
「あ、ごめんごめん、考え事してた」
 千景に小声で指摘されちゃって、私は慌てて謝った。
 緊張感のない顔はだめかぁ。もっとこう、千景みたいにビシッと……で、出来ない!
 ビシッと、ビシッと。小さく繰り返しながら顔を作ってみるけど、なかなか決まらない感じ。
「千景、鏡持ってなぁい?」
「だぁーっ!だから、なんでこの場面で鏡が出てくるのよっ!」
 ま、また怒られたー。
 泣きそうになっている私に、千景は溜息を一つ零してから、口元に人差し指を宛てる。
「二階のどこかにいるのは間違いないんだから……気、引き締めなさい」
 千景がそう言っている、声の向こう側に――何か聞こえる。
 微かな物音、一定のリズムで、耳を澄ませればずっと続く、音、……声?
「佳乃、聞いてんの?」
 怪訝そうに言う千景に、私は千景と同じように「しーっ」って人差し指を立てて見せた。
「……聞こえる?なんか変な音。」
「え……?」
 私の言葉に、千景は僅かに眉を寄せて口を閉ざす。
 訪れる静寂――否、やっぱり聞こえる。不思議な音、どこかで聞いたことがあるようなリズム。
 千景は緊張した顔で、銃を構えてゆっくりと廊下を歩き出す。
 廊下といっても硬いコンクリートで出来た床、足音を殺すことにも苦労する。
 奥へ奥へ、進む度に音は大きくなっていった。
 一番奥の扉の前に立った頃には――その音の正体すらも、なんとなく理解出来ていた。
 これ、お経じゃないかな。昔どこかで聞いたことがある、お坊さんが唱える言葉。
 お経ってことはやっぱり、中にいるのは日本の人っていうことになると思うけど……
「……」
 千景は困ったような表情で扉を見つめ、固まっていた。あ、その気持ちなんとなくわかるかも。
 お邪魔しちゃいけないような気がするよね。このまま帰った方がいいのかな。――あ、だめだっ。
 私達、保護しに来てるんだもん。中にいるのが日本の人なら、絶対保護しなきゃだよ。
 お経は施設の中でも唱えられるしねッ!
 ってことで――コンコン。
 軽く扉をノックすると、千景は驚いたように目を見開き、「マジ?」と小声で言う。
 だ、だってこういう時はやっぱりノックしなきゃ……。
 …………。
 …………。
 ……あれ?
 室内から聞こえていたお経、途絶えることがなかった。
 さっきと変わらず延々と続けられていて、私と千景は顔を見合わせ、少しの間沈黙する。
 十秒。二十秒。三十秒。……ぐらい経った頃、千景は業を煮やしたようにドアノブに手を掛けていた。
 ち、千景ってば堪え性ないんだからッッ!
 ガチャリと音を立てて、千景は扉を引いた。
 ――するとようやく、ピタリと、お経が止んだ。
「お邪魔しまッ」
「無礼者!!」
 私が室内を覗き込み、ご挨拶をした――けれど、それに被せるようにして怒号が飛んでくる。ビックリして顔を引っ込め、千景と目を合わせた。ほんの一瞬しか見えなかったけど、室内には確かに二人の人物。
 今度は千景が室内に顔を出し「……あの」と小声で中の人物に声を掛ける。
「ぬしら、何者だ。神聖なる霊媒の最中に邪魔をしおって、何たる無礼!」
 ビシッと突き刺すような声に、千景もひょこんと顔を引っ込め、私と顔を見合わせる。
 だけどこう、逃げてるわけにもいかないので、私は思いきって千景の背中をドンッと押していた。
 つんのめるように室内に入っていく千景を追いかけ、私も恐る恐る部屋に足を踏み入れた。
 ――部屋、といっても、所詮は廃墟と化した建物の中の一室。一面コンクリートで出来ている簡素な空間だ。だけど何か妙な雰囲気があるのは、室内に立ち込めた煙のせいか、それとも二人の人物のせいか。
「警察の者です。……コホン。少し話をお聞きしたいのですが」
 千景は制服のポケットから警察手帳を提示して、いつものお仕事の調子で二人に話し掛ける。しかしッ、
「警察にとやかく言われる筋合いなぞ我々にはないはずだ」
 と、ビシバシした女の人に、素っ気なく返されていた。
 言葉に詰まる千景と、言葉を失っている私。……何故って、この二人があまりに奇妙、だから。
「……用件がないのならば出て行ってもらおう。霊媒を再開したいのでな」
 先ほどからそうして厳しい言葉を投げ掛けてくるのは、不思議な衣装に身を包んだお姉さん。あれは巫女装束になるのかな。本でしか見たことがないけれど、神様とかお経とか、そういうのと関連性のある衣装だと思う。そして切れ長な黒い目と、後ろで一つに束ねた長い黒髪。お部屋の中央で正座をして、その手にはお数珠が握られて……さっきのお経もこの人が唱えていたのだろう。
「……」
 そして、もう一人。ビシバシお姉さんがあまりに強烈で存在感を消されている感が否めないが、もう一人の人物も確かにそこに存在している。きょとんとした表情で私達を見上げている、女の子。ショートカットの黒髪に、コートに……一番目立つのは、彼女が掛けた大きなサングラス。サングラスの奥には大きな瞳が見えるし、あのサングラスがなければ可愛らしい女性なんじゃないかなぁ。彼女もちょこんと正座しているけれど、ビシバシさんに比べると小柄な感じだ。
 そんな奇妙な二人の間には、またまた奇妙な小道具が並べられている。その中の小さな壷からふんわりと上がっている煙が、室内に充満してるんだ。……さっき何て言ってたっけ……れ、霊媒?
「と、とにかく!」
 千景は改めるように言って、二人を交互に見てはコホンと咳払い一つ。
 そしてビシバシさんに負けないぐらい、ビシッと言った。
「警察側は貴女方二人を保護しますッ。受け入れるか否かは自由ですが、保護下にあれば安全な場所で暮らせる上、食事・衣服などの最低限は用意します。……いかがですかッ!!」
 そんな怒鳴りつけることないのに、と思いつつも、千景の言葉に続けて「いかがですかぁ」と二人に向ける。
 ビシバシさんは相変わらずに厳しい表情のまま押し黙った後、ふっと表情を和らげてサングラスちゃんに目を向けた。
「――だそうだ。お前の好きにすると良い」
「え?あ……あの、でも、リン様は……」
 ビシバシさんの言葉に、サングラスちゃんは困ったような表情でビシバシさん―――リンさんっていうのかな、彼女を見上げた。リンさんは笑みを浮かべるわけでもないけれど、厳しくもない口調で返す。
「私は使命を果すまで、どこまでもお前について行く。タエハナに任せよう」
「……はい」
 タエハナ、というのは、サングラスちゃんのお名前かな。
 彼女は少しの間迷うように目を伏せていたが、やがて千景を見上げて言った。
「お、お願いしますッ……是非、保護して頂きたいです」
 その言葉を聞いて、千景も小さく笑み「ん」と一つ頷いた。
 ってことは、これで地下施設のメンバーが二人増えたんだ。なんか嬉しいなぁ。うんうん。
 その後、リンさんは霊媒?に使った小道具を片付けて荷物をまとめ、四人で部屋を出た。
 いざ、地下施設へ向かおうという、その時だった。
「お前……人に恨まれるようなことをしてはおらぬか?」
 階段を下りつつ、不意にリンさんが切り出した言葉は千景に向けられたもの。
 千景はきょとんとして「や、別に……」と言葉を濁すが、リンさんは真面目な顔で更に言う。
「おぬし、良からぬ霊が憑いておるようだな」
「……え」
「怨霊……だな」
「ええ!?」
 ……。
 千景に、怨霊。
 あ、なんだろう、すごく自然に納得出来てしまうこの感覚。
 千景って怨み買ってそうだから……。
「……千景……ご愁傷様」
「ちょ、ちょっと待って、佳乃まで本気にしてるし、お願いそんな冗談はやめてッ」
「冗談などではない」
「……」
 ズーン、っていう効果音がどこからともなく聞こえてきそうな勢いで、千景は顔を伏せて沈黙する。
 あ、あぁ……こういうときはどうやって励ませばいいんだろう。
 怨霊でも、そばにいてくれる人がいるだけいいよ!……や、人じゃないよね。
 怨み怨みも好きのうち!……言わない言わない。
「あ、そうだ!リンさんに霊媒してもらえばいいよッ!」
 これぞナイスアイディア、と私が提案すれば、三人は少しの間黙り込み、沈黙が訪れる。
「……霊媒の意味、わかってる?」
「霊を払う、霊払い、レイバイ……あれ?」
「……呼び出してどうすんの」
 千景に言われて「あ」と思わず声を上げていた。
 そっか、霊媒って呼び出すんだ。今気づいたッッ!
「第一、私がおぬしに霊媒や霊払いを行なう筋合いなどないからな。幸い、悪質な悪戯をする霊ではないようだ。上手く付き合って行くと良い」
「いーやぁぁだぁぁーっ」
 頭を抱えて悲痛の叫びを上げる千景に、今度こそ、私は言葉を失ったのだった。
 うぅ。……ご愁傷様。





 ゴゴゴゴゴゴゴ。扉が開く重々しい音の後、ポッカリと口を開ける先は文明的な白の廊下。
 隣に立つ憐(レン)ちゃんが、「ほぅ」と感心したような声を漏らした。
「ね、凄いでしょ?あたしの言ったこと、間違ってなかったでしょ?」
 つい自慢げに話し掛けるあたし―――蓬莱冴月―――に、憐ちゃんはちらっと目を向け、
「……まぁ、確かに。」
 と、どこかばつが悪そうな様子で頷いた。
 ふふん、とご機嫌に歩んでいくあたしの後頭部が、突如パコンッと殴られる。
 振り向けば、相変わらずぶっきらぼうな伊純さんと、なんとなく不機嫌な遼の姿。
「そうやって浮かれていられるのも今のうちだぞ」
 言葉の意味がわかんなくて「なんで?」と問い掛ければ、伊純さんは無言であたしの背中を押した。
 廊下の先は広々としたホール。今朝、朝の会を行なった場所だ。
 その片隅のテーブルセットに――
「おっかえりー」
 と、満面の笑みを浮かべる、ち、千景ちゃん、が……こわっ。
 千景ちゃんの隣には佳乃ちゃん。そして二人に向かい合って座っているのは見知らぬ人物だ。
 あたしがその二人の人物に目を引かれると同時に、千景ちゃんと佳乃ちゃんはあたしの隣の人物、憐ちゃんに目を引かれていた。千景ちゃんは椅子から立ち上がってあたし達の方に歩み寄り、
「冴月と遼には、後できつぅぅぅぅいお灸を据えるとして……この人は?」
 と、憐ちゃんをまじまじと見つめる。
「えっとね、街角で会って、それでこの施設に来て貰おうと思ったの!」
「セナ、それ大部分が省略され……ぶふうッ」
 あたしの説明を聞いて、ぽつりと遼が呟く声、慌てて振り向いて遼の口を塞いだ。
 さすがに殺されかけたとか言ったら、千景ちゃんたちも受け入れてくれないかもしれないし!でもでも、憐ちゃんも可哀相だもんッ、一人で生きるのがどんなに大変か!遼はそういうのわかってないからねッ、強引にでも連れて来ようと思ったのッ!
 憐ちゃんはゆるりとホール内を見渡した後、千景ちゃんを見て言った。
「萩原憐。……世話んなりたい。トーゼンOKだよな?コイツが良いって言ったんだ」
 ガシッと憐ちゃんに頭を掴まれつつ、あたしはコクコクと頷く。
「そう!いいよねもちろん!」 
「……う、うん、いいけど」
 あたしたち三人(伊純さんを除く)の微妙なやりとりに、千景ちゃんは目をぱちくりさせながら頷いてくれた。
 遼には後できちっと口封じしなきゃいけないッ!あ、憐ちゃんにも!
「じゃあ丁度良かった。萩原さんね、事情聴取するからこっち来てくれる?」
 千景ちゃんは憐ちゃんを促しつつ、事情聴取席に戻っていく。残されたあたしと遼と伊純さんは、一旦顔を見合わせてから、「どーする?」と軽い相談。
 結局、遼の「部屋に戻るぅ」という頑なな意見があったので、あたし達はその場で解散することにした。
 遼はすぐさまあたし達に背を向け、廊下へと歩いていく。ちらりと憐ちゃんに向けた眼差しはどこか冷たくて、なんとなく遼の心情を察してしまう。……遼は憐ちゃんのこと、歓迎してないみたいだ。
 残されたあたしと伊純さんは少しだけ顔を見合わせた後、共にホールの隅で行なわれている事情聴取の席へと近づいた。見知らぬ二人の事情徴収真っ最中、また妙な二人だなぁと思いつつテーブルのそばで待機中の憐ちゃんの隣に行って、様子を眺めることにする。
「んと、リンさんは、スズっていう字を書くんですね」
 佳乃ちゃんが調書と女性とを交互に見ながら言うが、どこか困った様子を滲ませている。
 戻ったばかりの千景ちゃんが佳乃ちゃんの手元の調書を覗き込んでは、「名字は?」と軽く問うた。
 鈴(リン)さん。それが、あの巫女さんのような女性の名前らしい。名は体を表すなんていう古い言葉の通りの名前だ。とすれば、名字もさぞかし高尚な感じなのかなぁ。いかにも、っていう名字なんだろうなぁ。
「……名字か」
 鈴さんはどこか遠くを眺めながらぽつりと言い、そして遠い目のままで口を閉ざす。婦警二人もきょとんとして鈴さんを見つめ、やがて千景ちゃんが恐る恐る言った。「き、聞いちゃダメっすか?」
 珍しく腰の低い千景ちゃんの言葉にも、鈴さんは何も言わない。暫しの沈黙の後、千景ちゃんは鈴さんの隣にちょこんと座った女性へと目を移す。
「……鈴さんの名字、知ってる?」
 真ん丸いサングラスをかけた可愛い女の人は、ふるふると小さく首を振った。
 あれ?あの二人は連れじゃなかったのかな……?
 ギャラリーに不親切な事情聴取だなぁと思っていれば、サングラスの女の人はこう続ける。
「私がご一緒させて頂いていた間、名字は教えてもらえなかったんです。その、必要無いって仰って」
 なるほど、ギャラリーに親切なコメントだ。
 それにしても「必要無い」と言った当人は、相変わらずどこへともなく視線を向けている。あの巫女さん姿のキリッとした女性が遠くを見てる分には瞑想してるって感じだけど、でも同じことを佳乃ちゃんがしてれば宇宙人さんと交信してるって感じだし、もっと普通の人がしてれば平たく現実逃避ってやつだろう。
「調書、書かなきゃいけないんで……名字、必要なんですけど……」
 千景ちゃんが困ったような顔で告げると、鈴さんはようやく千景ちゃんに目を戻し、コホンと小さく咳払い。
「……笑わぬな?」
 唐突に確認するような言葉に、一瞬この場にいる全員が動きを止めた。
 え?何?……それは、アレ、もしかして、聞いたら笑っちゃうような名字ってこと?
 いや、でもまさかね。あんな厳格そうな人だし、その、そこまで変な名前じゃないと思うし。うん。
「……名字、何て言うんですか」
 千景ちゃんは覚悟を決めたように言った。
 この場にいる全員が息を飲む。
 鈴さんが静かに口を開き、言葉を発すまでの時間は、まるで永遠のように長かった。
「私の名字はエノカワと言う」
 ……あれ?
「ん?……なるほど」
 千景ちゃんは普通に納得しているけど、最初の「ん?」はきっと、「別に変な名字じゃないじゃんッ、もう驚かせないでよ」とか思った「ん?」だったんだろうなぁ。ふと隣を見れば伊純さんも憐ちゃんも、見るからに「なぁんだ」っていう顔してるし、うん、あたしも同じ感じだ。エノカワって、珍しい名字ではあるけど。
「えのかわさん、ですね。どういう漢字書くんですか?」
 佳乃ちゃんが何気なく言ったその一言。
 刹那ッ――ビリビリビリ、と、空気が張り詰めた。
 こ、これは!?……エノカワさんが発している気!?いわゆるオーラ!?
 もしかして問題は……か、漢字にあるのかぁッッ!?
「漢字も、必要なのか」
 エノカワさんは低い声でぽつりと問う。
 千景ちゃんと佳乃ちゃんは僅かに身を引きながら、こくこくと頷いた。
 既に言葉を発すことの出来る雰囲気ですらないのだ。
 エノカワさんは基本的にポーカーフェイスだが、ふっと小さく落胆の色を滲ませ「仕方あるまい」と呟く。
 そして二度目の永遠の時がやってきた。憐ちゃんも伊純ちゃんも真剣な眼差しでエノカワさんに注目する。
 サングラスの人も、千景ちゃんも佳乃ちゃんも、そしてあたしも。
 五人もの注目を集めながら、エノカワさんは遂に口にした。
「可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)の最初の一文字と」
「わかんない!!」
 佳乃ちゃん即ツッコミ。ゆ、勇気あるなぁ!!
「……あれ?」
 しかし佳乃ちゃん、つっこんでおきながらふと気付いたように首を捻り、
「もしかして可能のカ、です?」
 と確認する。っていうか、わかるのも凄いよ!ウマシカシカ……?!
 佳乃ちゃんはやっぱりツッコミは向いてない。ボケ担当で決定だ。
「う、うむ。よくわかるな。……それから、愛染曼荼羅(あいぜんまんだら)の最初の一文字と、最後に川だ。」
「普通に愛って言って下さいよぉ」
 やけに迂曲した言い方をするエノカワさんに、佳乃ちゃんはめげることなく言い返し、そして告げられた通りの漢字を記してからふっと動きを止めた。
 ……えっと、可能のカに、愛に、川。
 ……えっと。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
 多分、全員が頭の中で三つの漢字を組み合わせたことだろう。
 しかし誰一人として、口を開こうとはしなかった。開こうと思っても開けない状況だ。
 可愛川(エノカワ)さん。
 それが彼女の、名字だ。
 可愛川……カワイイ、カワ。カワイイ?カワイイ?可愛い?可愛い?
「……ッ」
 あたしは慌てて唇を噛み、声が出そうになるのを堪える。
 笑うなって言ってた意味がようやくわかった。
 エノカワさん、可愛いっていう形容詞がめちゃめちゃ似合わなーいッッ!!!
「……?」
 沈黙の中、伊純さんは怪訝そうに首を捻っている。あぁこれはツボに入る人と入らない人がいるのかも。
 佳乃ちゃんはきょとんとしてるけど、千景ちゃんとかもう顔伏せたまま動かないし!
 千景ちゃん、頑張って耐えようねッ!あ、あたしも頑張るから!!
 そんな微妙な沈黙の中、後もう少しあたしと千景ちゃんが耐え切ればクリアという雰囲気まで来ていた。
 その時不意に、予想外の人物が――
「可愛川さんって、可愛い川、って書くんですか……?」
 と、言葉にしてしまった。刹那、「ぶはぁッッ」「ぷぅっ」と、ほぼ同時にあたしと千景ちゃんが吹き出していた。
 ゆ、ゆっちゃだめ、それは、言葉にしちゃだめです、サングラスのお姉さッ……
「……二人、笑ったな。」
 覚悟していたはずだった、しかし、恐ろしいまでの気迫にあたしは笑いを止める。
 声にならない声で呟いた。「ご、ごめんなさッ……」
 可愛川さんの鋭い視線はあたしからすぐに外され、そして尚も震え続けている千景ちゃんに向けられる。
「だ、だって……可愛い?」
 千景ちゃん、開き直ったか。顔を上げて涙を拭いつつ打ち震える千景ちゃんに、突如調書ノートが取り上げられたかと思えばスパンッと小気味の良い音を立てて千景ちゃんの頭部にスマッシュヒット。殴ったのは笑われている当人の可愛川さんだった。
「人の名前を笑うとは失礼な奴等だな……」
「か、可愛くないんだもん」
「……」
 スパンッ!二発目もスマッシュヒット。
「ごめんって、いやホント、……うん」
 と謝りつつ千景ちゃんはようやく笑いが落ち着いてきた感じだが、ノートを取り返して広げては、そこに綴られた可愛川さんの名前を見て再度吹き出す始末。千景ちゃんツボり過ぎ。
 うろたえていた佳乃ちゃんが、ようやくポムッと場を改めるように手を打って、打ち震え続ける千景ちゃんを横目に見つつ、「事情聴取の続きしてもいいです?」と誰にともなく問う。千景ちゃんは少しだけ顔を上げて「わ、私のことは気にしないで」と掠れた声で呟き、戦線離脱した。
「えーと、それじゃあ、可愛川さん。年齢と職業は?」
 千景ちゃんが役立たずなので佳乃ちゃんが進行する。千景ちゃんてば、佳乃ちゃんが「可愛川さん」って言っただけてグッタリだもんね、早く慣れないと笑い死ぬよ……。
「年齢は二十五の齢を数える。職業という言い方はしたくないが、私は陰陽師の家系の末裔でな。」
「おんみょうじ、ですか……へぇ、まだそういう血族って残ってるんですね」
「うむ。誇り高き一族だ。弁えよ」
「はぁい。あ、それからご家族と、ここの上にいた理由は?」
 可愛川さんの口調からして確かに誇り高い。
 それをあっさりあしらってる感じの佳乃ちゃんもある意味誇り高い。
「家族は既に死別している。この上というと、廃墟の中か。妙花の霊媒を行なうために落ち着ける場所をと思って選んだのだ。まさかあの場所で邪魔が入るとは思わなかったがな」
「えへ、私達だってここの上で霊媒やってるなんて思わなかったです」
 佳乃ちゃんは笑顔で言って、「じゃあ次ー」と隣のサングラスの女性に向き直る。
「……小向もやる時はやるんだな」
 隣でぽつりと呟かれた言葉に顔を上げれば、伊純さんは感心した様子で佳乃ちゃんの横顔を眺めている。
 そう言えば、伊純さんと佳乃ちゃんって昨日、なんかアヤシイコトになってなかったっけ……。
 伊純さんの部屋に佳乃ちゃんが入っていくところを遼と一緒に目撃したんだけど、実際どうなんだろぉ。
 今の笑い死にかけてる千景ちゃんを見てると、佳乃ちゃんには伊純さんの方がお似合い、みたいな?
 でもやっぱ普段の千景ちゃんと佳乃ちゃんはお似合いだしなぁ。気になる三角関係ッッ?
「妙花さんだよね。えっと、下のお名前は?」
 あたしの好奇に満ちた視線には気付かずに、佳乃ちゃんはサングラスの女性に話し掛けていた。
「下の名前はアイです。可愛川さんの愛の後に、惟(おもんみ)るっていう漢字をくっつけてアイって読みます」
「愛を惟るかぁ。いい名前だねッ。あ、年齢と職業もお願いします」
「ありがとうございます。年齢は二十一歳で、お仕事は……以前は会社勤めをしていたんですが、諸事情で辞職しまして……今は無職です」
「ふむふむ」
 佳乃ちゃんと妙花さん。佳乃ちゃんが千景ちゃんの分も頑張ってるのと、妙花さんが普通の人ってので、非常にサクサクと事情聴取が進んでいく。本当の事情聴取ってこんなんだよね、多分。
 因みに千景ちゃんは、さっきの「可愛川さんの愛の後に」っていう妙花さんの発言で再起不能になってる感じだ。まぁ邪魔者がいないのは良いこと、と……。
「家族はいません。それから、ここに来たのは可愛川さんと一緒で……」
「オッケーオッケー。完璧ッ」
 信じられないほどあっさりと終わった事情聴取。これは最短記録更新かと思いきや、妙花さんは僅かに顔を伏せながら「あの……」と小さく切り出す。
「……私、実は悪霊に憑かれているんです」
「あくりょー」
「はい、悪霊。それで鈴様にお世話になっていたんです」
「悪霊かぁ」
 また突飛な話が……。佳乃ちゃんも納得しているように見せかけて、実はあんまりよくわかってないんだろう。でも悪霊なんて言われたって実際わかんないのが普通だし。
「そ、それで、ご迷惑をお掛けするかもしれません!」
 どどん、と妙花さんは少し身を乗り出して言った。「ご迷惑お掛けするかもしれません」って確か未姫さんも言ってたような気がする。未姫さんはPTSDっていう精神的な病気?とかだったけど……。
「妙花には注意すべきだろう」
 真面目な口調の横槍は可愛川さんが放ったもの。
 佳乃ちゃんは相変わらずにきょとんとしてるし、「悪霊ねぇ」と憐ちゃんもどこか小馬鹿にした感じで呟いてるし、実感の湧かないことこの上ない話だった。しかし妙花さんも可愛川さんも、その表情は真剣だ。
「わ、わかりました、注意します」
 と、佳乃ちゃんは小さく頷き、それで話は終わったかに思えたけど、「悪霊ね」と次なる横槍が入る。
 いつの間にか復活していた千景ちゃんの言葉だった。
「確かに霊とかって存在すると思うのよ。……だって私、こないだ見たから……都の後ろにね、白っぽい人間の形をした霊……」 
 あぁ、その話かぁ。一週間ぐらい前に、あたしのパソコンを回収するために隣のビルに赴いた時のことだ。あたしと千景ちゃんは、都さんと杏子さんの罠にまんまと引っ掛かってしまったわけだけど、その後でもう一騒動あったんだ。千景ちゃんが見た白っぽい人ってやつ、あれは結局何だったんだろ……。
 あの時のショックが大きかったのか、千景ちゃんは「うぇー」と顔を顰めてぶるぶると首を横に振る。普段は頼り甲斐がある千景ちゃんも、今日は色々と頼りない。
「大丈夫だよ、千景にはもう霊が憑いてるからね」
「…………」
 よ、佳乃ちゃん、何そのフォロー……。
 千景ちゃんも心当たりがあるらしく、佳乃ちゃんの言葉に黙り込んでるし。
「……っつか、お前ら、ちゃっちゃと済ませろよ」
 苛立った声が沈黙を破る。壁際に不良座りをしていた憐ちゃんだ。そう言えば憐ちゃんって事情聴取待ちだったっけ。すっかり忘れてた。
「あ、ごめんなさいッ、それじゃどうぞ」
 佳乃ちゃんもすっかり忘れてたって感じで言い、ようやく事情聴取は憐ちゃんの番になる。
 可愛川さんと妙花さんが席を立ち、今度は憐ちゃんがどっかりと椅子に腰を下ろした。
「よし来た。今度は私が担当します」
 千景ちゃんも色々あったけど元気になった。やる気満々に机に手を置き、にっこりと笑みを浮かべる。
 あぁ、千景ちゃんって基本的にこういう悪人の相手するの好きそうだよ……。
「警察か……いいぜ、相手になってやる」
 憐ちゃんもニヤリと笑みを浮かべて千景ちゃんを眺め、二人の間にはバチバチと火花が飛んだ。
「……なぁ冴月」
「う?」
 さっきから事情聴取を傍観していたあたしに声を掛けたのは伊純さんだ。伊純さんは腕を組んでちらりとあたしを見下ろし、小声で言う。
「お前、お人よしだよな」
「……は?」
「なんであんなやつ連れてくる気になったんだ?」
「……え、と、それは。……一人で生きていくのが大変なの、わかるから」
 そう答えると、伊純さんは「ふぅん」とあんまり興味がなさそうな様子で憐ちゃんに目を向けた。
 お人よし、かなぁ?
 でも伊純さんだって一人で生きるの大変だったろうし、気持ちわかってくれると思うんだけどなぁ。
 なんとなく腑に落ちない感覚を抱きつつも、あたしも憐ちゃんの事情聴取に意識を戻した。
「萩原憐。ニジューサン歳。独身。家族ナーシ」
「ハギワラは草冠に秋と、原っぱの原で合ってるわね?レンはどういう字を書くの?」
 本来ならば佳乃ちゃんの担当である漢字のところまで千景ちゃんが頑張ってる。幸いあたしの名字の蓬莱とは違って、萩原は間違えようのない名前だ。
 憐ちゃんは下の名前の漢字を問われると、ふっと薄い笑みを浮かべて言った。
「アワレって書くんだ。……“らしい”、だろ?」
 クク、と小さな笑みを漏らす憐ちゃんとは相反し、千景ちゃんは苦悩の表情を浮かべる。
「……アイ、って書くやつ?」
「バーカ、アワレっつったら一文字の漢字があるだろーが」
「……」
 千景ちゃん、やっぱり漢字が苦手なんだ。佳乃ちゃんが黙って千景ちゃんのペンを取り、「憐」という字を書き記す。それを見て千景ちゃんも合点といった様子で頷いた後、少しだけしょんぼりしている。……最初から佳乃ちゃんに任せれば良いものを。
「ふ、ふぅん……なるほど、確かに“らしい”かもね」
 繕いにもなってない繕いの言葉を漏らしては、コホン、と咳払い一つ。
 千景ちゃん、事情聴取の度に弱みを晒していくなぁ。
「で、他に何か?」
「職業。あんた、ちゃんと仕事してるの?」
「……してないとでも?」
「……してるようには見えないけど?」
 正義VS悪の戦いが始まった。
 バチバチと火花が散る中、「可愛川さん達が待ってるんだよぉ」と佳乃ちゃんのつっこみが入る。
 佳乃ちゃんがいないと、千景ちゃんの事情聴取って延々と続きそうな感じだ。
「まぁ職業っつーと変だけど、仕事には変わりないよな。ちゃんと売ってるからな」
「売ってる?何を?」
「カラダ」
「……そういうことね」
 か、カラダッ。身体売ってるって……。
 思わず伊純ちゃんに目を向けると、伊純ちゃんはすぐにあたしの視線に気付き、
「あいつと一緒にすんなよ」
 と釘を差すように呟く。あ、だ、だよね、伊純ちゃんはそういうふうには見えないしね、うん。
 でも、憐ちゃんだってそんなふうに見え……。
「職業、売春婦!以上!」
「以上じゃないっての。もう、何て書けばいいのよ?」
 爽やかに言い切る憐ちゃんと、がくりと頭を抱える千景ちゃん。佳乃ちゃんがこっそりと千景ちゃんの腕を引いて「こういう時の常套手段はフリーターだよっ」と助言する。常套手段って……。
 千景ちゃんもしっかり真に受けてフリーターと書きながら、「あとはここに来た経緯ね」と最後の問い。
「……そこのサツキってやつに拾われたんだよ。なぁ飼い主様?」
「う、うん……飼い主?」
 肩を揺らして笑みながら告げられた衝撃発言に、あたしはちょびっと動揺しつつも頷き返す。
 あんまり変なこと言って、あたしと遼の命狙われてたってことがバレても困っちゃうし。 
「ふぅん……まぁいいけど。じゃあ事情聴取おしまい。」
 千景ちゃんはノートを閉じつつ言って、「お疲れ」と佳乃ちゃんにも声を掛ける。
 半分以上は佳乃ちゃんがやったんだから、本当にお疲れ様だ。
 そうして千景ちゃんは席を立ち、一つ伸びをしてからふと思い出したように言った。
「部屋割りしなきゃね。可愛川さんと愛惟ちゃんは同じ部屋でいい?」
「出来れば別の方が良い。」
 ……え、可愛川さん、あっさり拒絶。今の拒絶の仕方は潔かった。
 とんでもないなぁ、なんて思っていたけれど、妙花さんも別段ショッキングという感じではなかった。
 「うぇ?」と瞬いている千景ちゃんに、可愛川さんは「理由があるのだ」と説明を始めた。
「陰陽師の血筋にある者、霊とは接点が多いと思ってもらいたい。過去に、霊に恨まれるようなことを幾度も行なってきたわけだ」
「ふむ」
「妙花に現在悪霊が憑いているということは話したが、ともすれば妙花は霊界と近い存在だと言えるだろう。妙花に憑依している霊だけではなく、別の霊魂をも導き、妙花を触媒にして現世に出てくる可能性が無いとは言えぬ」
「うんうん、なんとなくわかる」
「妙花が霊界と現世の間の窓と例えよう。窓に何も映っていなければ構わず通り過ぎるだろう。しかしそこに恨みを持つ者が映っていれば、窓から出て殺めようとするかもしれぬ。つまり私は妙花の近くに居過ぎてはならない。寝首を掻かれる危険がある、というわけなのだ」
「なるほどね……」
 千景ちゃん、なんだか霊に対して肯定的になっている感じだ。やっぱ実際に目にして見ると気持ちも変わるのだろうか。嗚呼、わかりたくないそんな気持ちッ。
 とにかく、可愛川さんと妙花さんのお部屋は別々になるらしい。そこで佳乃ちゃんが困った声を上げる。
「あのねぇ、今空いてる部屋が二つしかないんだよ。どっちも二人部屋なんだけどね、可愛川さんと愛惟ちゃんが別々っていうんなら……」
「萩原がどっちかと相部屋になればいいんだろ」
 と、いち早く結論付けたのは伊純さんだった。滅多なことじゃ口出ししないタイプなのに、今回ばっかりは誰よりも早かった。何事かと思ってれば、佳乃ちゃんが笑顔で続ける。
「もう一つ方法があるよ。」
 そう言った途端、伊純さんはギクッと身を竦ませて皆から目を逸らす。
「伊純ちゃんは今一人部屋でしょ?だから、憐さんと伊純ちゃんが相部屋になればオッケーなのです」
 なーるほど。伊純さんはこの提案から逃げるためにあんなこと言ったんだ。
 伊純さんは視線を逸らしたままで沈黙しているし、憐ちゃんは「どこでもいいけど」と肩を竦めるし。
 少しの沈黙の後、「よぉし決めた!」と、佳乃ちゃんが明るく声を上げる。
「愛惟ちゃんが九号室、可愛川さんは十号室。憐さんは伊純ちゃんと相部屋で七号室ですッ」
「……」
 佳乃ちゃん強制だよ。
 伊純さんも何か言いたげにしたけれど、結局溜息をついて言葉を飲み込んだ。
「天下の不良少女と相部屋とは嬉しいねぇ」
 憐ちゃんはあんな調子だし……「誰が天下だ」と素っ気なく言い返す、そんな伊純さんが一番不憫なんじゃないかと思わざるを得ない。実は伊純さんって良い人だ。多分。
「よし、決まり。じゃあ冴月と伊純と佳乃は、暇なら二人に施設の案内とかしてあげてくれない?……私は可愛川さんと大人の話があるからね」
 ようやく解散と思いきや、千景ちゃんはなにやら怪しい笑みでそんなことを言い出した。
 大人の話って何ー?とハテナマークが飛び交いながらも、千景ちゃんに言われた通りに五人でホールを後にする……わけないじゃんッ!
 主にあたしと佳乃ちゃんと憐ちゃんがメインで、廊下からこっそりとホールの様子を窺った。
 後ろからは「いいんですかぁ……?」と妙花さんのおずおずとした声が聞こえるが気にしない。
 あたし達がホールを後にしてから少し時間を置いた頃、二人はようやく話し始めた。
「……可愛川さんに、お願いがあるの」
「改まって何事だ?」
 千景ちゃんの表情は思いのほか深刻だ。
 もしかしてこれは聞いちゃいけないような内容だったりするんだろうか。
 でも可愛川さんって今日ここに来たばっかりなんだし、そんなに深刻な話があるとは思えない。
 とすれば―――

「お願い!!私に憑いてる霊、なんとかして下さいッッ!!」

 …………やっぱり、ね。















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