配役表 ------------------------------------------------------------------------------ 白雪姫(棚次瞳子) 王子様(神泉柚) 継母(水戸部依子) ------------------------------------------------------------------------------ 王様(木滝真紋) 前后(中谷真苗) 白雪姫の弟(横溝夕) ------------------------------------------------------------------------------ 7人の小人(國府田花火・皐月萌・秋月遊夢・嶺夜衣子・戸谷紗理奈・高見沢亜子・渋谷紗悠里) ------------------------------------------------------------------------------ 継母の家来(銀美憂) 王子様の家来(荊梨花) ------------------------------------------------------------------------------ 王子の馬(前/悠祈水散・後/悠祈紀子) 王子の家来の馬(真田命) ------------------------------------------------------------------------------ 王子側の王様(宮野水夏) 后(沙粧ゆき) 兵士(田所霜) ------------------------------------------------------------------------------ 悪の鏡(神崎美雨)善の鏡(闇村真里) ------------------------------------------------------------------------------ ナレーション(真宮寺芹華) |
むかしむかし。 とまぁ定番なご挨拶で始まるワケだけど、その前に。 ナレーションはナレーションだけやってろなんて言うツッコミは受け付けないわよっ。 何故、あたし―――真宮寺芹華―――が白雪姫とかに抜粋されなかったのかわかんないけど、一応、ナレーションってのは出番は一番多いワケよね。 それで許してやるか。チッ。 さぁ、それじゃあ改めて物語の始まり始まり。 ――それは、寒い冬のこと。 とある小さな国のお城に、それはそれは美しい―――いや、寧ろラブリーキュートな感じの王女様がおりました。現王に魅入られ、町娘から王女となった一人の女性。新婚さんの彼女は、深雪の季節、窓に顔を貼り付けてぼやいていました。 「ねぇねぇ、お・う・さ・まぁ★あたし、お外出たいんだけど、だめー?」 王女こと、中谷真苗。 何故に彼女が、この由緒正しい国の王子のお嫁さんになっちゃったかというと… 「こーら。王女様は大人しくしてなきゃダメでしょ…じゃなかった、ダメだろう?…まったく。」 「いいじゃなーい★真紋…じゃなくて、王様だって、そんなあたしの自由奔放なところが好きだって言ってくれたじゃないのぉ。」 「う…。そ、それはそれ、これはこれだっ。」 頬を赤らめつつ、王女様の傍で苦笑を浮かべる人物。彼(彼女…?)、木滝真紋こそが、この国の若き王なのである。この王様が、何・故・か、このちょっとバカっぽい…いやいや、明るく元気な中谷真苗という女性に惚れ込んじゃったワケなのだ。両親や城の人間の反対こそ激しかったものの、ラブリーキュートな新しい女王の誕生に、国民は歓迎らしい。 「…あーあ。つまんない。」 小さくぼやく王女の肩に、王がさりげなく手を置いた。言葉の少ない彼なりの気遣いなのかもしれない。王のさりげない優しさに、王女はふっと笑みを浮かべて王を見上げた。 「王様、ね、ね。ちゅーしよっか、ちゅー。」 王女は、王の腕にその手を絡め甘えるようにせがんだ。王は特に驚いた様子もなく、微苦笑を浮かべ、そっと王女に唇を重ねるのだから見ていられない。国民に見せてやりたいものだ。 「……王様、唇が乾燥してるよ。」 顔を離した王の唇に、王女がそっと手を伸ばした。 「え?…あ、本当だ。」 王も自分の唇に触れて小さく言った。 王女は王の唇から指を離すと、今まで触れていたその指先を見て、パチパチと瞬き二つ。 「…血が、出てる。」 王女は、王の乾燥した唇から滲み、指先に付着した微かな血液をじっと見つめていた。 白い指先についた、赤い血液。 見ると、窓の外はもう暗く、夜の帳がすっかり落ちていた。 ハラハラと舞い落ちる、白い粉。 王女はふいに、ポツリと零した。 「…あのねぇ、王様。あたしね、この血みたいに赤くって、夜みたいに黒くて、それで、雪みたいに白い子供が欲しいな。」 その言葉に、王は不思議そうに王女を見つめた後、ふっと微笑を零す。 「また、そういう意味のわかんないことを言う。……一体、どんな子だ?」 王の問いに、王女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。 「…作って、みよっか―――?」 ………以下自粛。 それから十ヶ月後、王女は一人の女の子を産んだのです。 その赤ん坊は、血のように赤く、夜のように黒い髪をし、そして雪のような白い女の子だったので、白雪姫と呼ばれるようになりました。本名は棚次瞳子と言いました。(別姓なのは気にしない) しかし、白雪姫がまもなく一歳になろうとする頃、王女は不慮の事故で死んでしまったのです。 その出来事に、王は勿論のこと、国民達全員が悲しみに暮れました。そんな中、まだ死というものを理解できない白雪姫だけが、無邪気に笑っていたのです。 そしてそれから五年が経った頃、王は新たな后を迎えました。五歳になる白雪姫にとっては、継母となる人物です。 王は前后を心の底から愛していました。けれど、王は白雪姫に母親が居ないことを心配し、新たな妻を取ることに決めたのです。それはいわば、白雪姫を思っての再婚でした。しかしそれが波乱の幕開けになることを、王は気づいていなかったのです―――。 「瞳子ちゃんかぁ。…そうね、皆が呼んでるように、私も白雪姫って呼ばせてもらおうかな。よろしくね。」 白雪姫に優しい笑みを掛けるのは、今日から継母となる女性、水戸部依子という女だった。しかし、これまで父親である王と二人で幸せに過ごしてきた白雪姫は、そう簡単には、突然入り込んできた女性に馴染むことが出来ない様子である。 伏せ目がちに女性を見上げ、 「…よ、よろしく…。」 と、口篭りながら小さく言うだけだった。 「白雪姫、そんなに怯えることはない。彼女は優しい女性だ。」 王もこの時は、新たにやってきた継母にすっかり心を許していた。 王が継母を見遣り微笑むと、継母も応えるように微笑んで見せた。 彼女はとびきりの美人であり、その整った顔立ちに浮かぶ微笑みは、天使のようにも見えた。 そして、三人の生活は始まったのだった。 ある時から、王に気がかりなことが一つ出来た。 それは、継母がたまに自室に篭って何かをしているようだということ。 しかし、彼女はそれに関しては一切口を開こうとはしなかった。「なんでもないの。」と微笑みを浮かべるだけだった。…そう、偽りの微笑みを。 照明を落とし、直属の部下も遠ざけ、継母は自室で薄い笑みを浮かべていた。その美しい顔を、どこか不気味に歪ませて。そしてその笑みは、不思議な鏡に映されている。 とびきり豪華というわけでもない、アンティーク調なその鏡は、不思議なことに闇の中で、ぼんやりと光を放っているのだ。 継母はその鏡に映る自身に向け、口を開いた。 「鏡よ、鏡。…答えて頂戴。……この世で一番美しいのは、だぁれ?」 その姿は、一見馬鹿げているようにも見える。 しかし、少しの沈黙の後、鏡の表面が揺らめいた。 そして、どこからともなく、男とも女とも取れぬ声が聞こえてきた。 『王女様。王女様が、この世界で一番美しい。』 誰が発しているともわからぬその声に―――発しているとしたら、鏡が、そんな不可解な声に、継母は満足げに頷いた。 「そうよね。当然だわ。…この世にあたしより美しい人間なんていない。居るはずがないのよ。」 継母は小さく含み笑いを漏らす。 そして次第に、堪えきれなくなったように、高らかに笑い出した。 「くはははは!!当然よ!当然だわ! 世界で一番美しいのは、このあたし…!!」 それから、十数年の時が流れました。ポンポン流れるけどついてきてねー。 白雪姫は、二十歳という大人の女性になっていました。白雪姫は、歳を重ねるごとに、美しい女性へと変貌していきました。聡明で、優しげで。そして、血のように赤い唇や、夜のような漆黒の髪、雪のように白い肌。そんな彼女へ、近隣各国からの縁談の話が後を絶ちません。 王も継母も健在です。継母は、歳を重ねても尚、その美しさを保っていました。それが、彼女が秘密裏に、うら若き乙女から奪い取った心臓を食しているためだと気づいている人間は誰一人として居ませんでした。 しかし、王はいつからか、継母の本性が隠されているということを、薄々気づくようになりました。彼女が裏で行っていることまでを知ることはありませんが、彼女の張り付いたような微笑みが、王は信じることができなくなっていたのです。 そこで王は、白雪姫の幸せを願い、近隣各国から寄せられる縁談の話を進める姿勢をとるようになりました。継母もそれには賛成でした。王には白雪姫の幸せを願っていると言いながらも、内心は、国民が自分ではなく白雪姫を噂にしたがることに腹を立てていたのです。 継母は、王の元へ嫁いでから半年程経った頃、一人の男児を孕みました。現在十五歳、白雪姫にとっては五つ下の弟となるその少年は、横溝夕と名づけられました。王子が出生したため、白雪姫はどこかの国へ嫁いでいくことに決められました。 午後には縁談を控えた、麗かな春の日。 「……はぁ。」 自室の窓から外を眺める白雪姫の表情はどこか曇り、終始ため息をついている。 「政略結婚なんかじゃない。…わかってる、わかっているんだけど…でも…。」 白雪姫が小さく呟いたその時、トントンと、ノックの音が響いた。 肩より長いほどの黒髪を揺らし、白雪姫は振り向いて「どうぞ」と声を返した。 「あ、お姉ちゃん。僕だけど…。」 控え目な声がした後、ドアが開き姿を見せたのは、白雪姫の弟である夕王子だった。 その姿に、白雪姫はふっと表情を綻ばせる。 「尋ねてくるなんて、珍しい。どうしたの?」 そんな白雪姫の問いに、夕は後ろ手でドアを閉めながら、 「…最近、お姉ちゃん、なんだか落ち込んでるみたいだから。縁談の話を勝手に進められてるから…なのかな?」 と、夕は心配そうに言う。 夕は、あの継母の子とは思えぬほど、素直で心優しい少年だった。 王の血が強いのか、どこか白雪姫にも似た端麗な顔立ち。少女にも見える中性的な少年である。(当たり前だけど…) 「ありがとう。心配してくれたのね。……でも、大丈夫よ。意にそぐわない縁談は、断ってもらうから。」 夕の言葉に微笑みながら、白雪姫は言った。 「そっか…ならいいんだ。余計なお世話だったかな。」 つられるように微笑みながら、夕は言う。 白雪姫は小さく首を横に振り、 「ううん、夕の気遣い、すごく嬉しい。…ありがとう。」 と、少し照れくさそうに言う。 夕は静かに微笑んでいたが、ふっと、僅かに険しい表情を覗かせた。 「――お母様のことだけど。」 夕は、声が漏れることを恐れるようにドアを見遣りながら、小声で言った。 その言葉に、白雪姫は小さく瞳を揺らせた。 人一倍純粋な彼女は、王以上に、継母から滲み出る微かな狂気を感じ取っていたのだ。 「…正直言って、僕はお母様が何を考えているのかわからない。ただ、なんだかとても、嫌な感じがするんだ。…実の母親だとわかっていても、僕はお母様を信頼できない。」 夕が零す小さな言葉を、白雪姫は真剣な様子で耳にしていた。 少しの沈黙の後、白雪姫は口を開いた。 「…大丈夫よ。私は私のやりたいようにする。…お母様はどうかわからないけれど、お父様はそれをわかってくれるから。だから、大丈夫。」 白雪姫は、夕を安堵させるように、そして自分自身に言い聞かせるように、確かな口調で言った。夕はそれを聞いて、小さく微笑み、 「…うん。わかった。…お姉ちゃんを信じるよ。」 と頷き、小さく「それじゃあ」と告げた後、部屋を後にした。 白雪姫は、夕の立ち去った扉をしばし見つめた後、ふっと不安げに瞳を細めた。 「―――私も、私を信じなくちゃ。」 小さく呟き、時計を見上げる。 縁談のために隣国の王子がこの城を訪れるまで、まだ時間がある。 白雪姫は立ち上がり、静かに部屋を後にした。 不安な時、彼女は決まって城の中庭へ赴いた。そこはひっそりとした空間で、ただ静かに風が流れ、優しく花が咲いている。そんな場所へ赴き、自分を見つめなおすかのように、時間を過ごすのだった――。 その頃。 城の中庭の外れの泉に、毛並みの良い白馬と、そして白く美しい長髪を後ろで結った青年の姿があった。 「ブヒヒーン、ブヒヒヒーン!(ちょっとちょっとー!なんであたしが馬なのよ!しかも後ろ足!)」 「ブ、ブヒヒーン…(し、静かにしましょうよ、私達は馬なので…。)」 どうやらこの白馬、二重人格らしい。(…) 「紀散?どうした?」 紀散(キチル)という名前らしい、その白馬を撫でながら、青年は問い掛ける。 白馬はフルフルと首を振って「な、なんでもありません」とでも言うように訴えかけるが、その後ろ足はバタバタと暴れていた。 「―――あんまり暴れたら、ダメ。」 青年はポツリと言い、馬の腰を撫で付ける。 「ブヒヒン!(柚、もうちょっと王子らしくしたらどうよ?)」 「……この私の、どこが王子らしくないと言うのだっ。原稿用紙二枚以内で述べなさい。」 「ブヒヒン…(“柚”じゃなくて、王子様ですよぅ。ごめんなさい、悪気はないんです。)」 青年は二人の馬(って何)と会話しながら、小さく微笑んだ。 「まあ、いいや。……ここの中庭、すごく気持ちがいい。こんな場所で育ったお姫様なら、心もとても綺麗…だと思う。」 神泉柚という名の青年。華奢な体つきをしているが、何を隠そう彼こそが、隣国の王子なのだ。すっと伸びた鼻筋や、透き通った瞳。理知的な雰囲気がある一方、どこか不思議で掴み所の無い性格でもある。 「約束の時間まで、もう少しある。―――少し、ここで休ませてもらおう。」 王子は穏やかな様子で言い、泉の傍に座り込んだ。 その時不意に、白馬が落ち着かぬ様子で動き出した。 「ブヒヒンっ?(ど、どうしたんですか?)」 「ブヒヒーン!(ほら、見て見て。あそこに可愛い女の子がいるのよ。お花畑に綺麗な身なり!ロマンチック〜★)」 馬はそんな感じで小さく喉を震わせながら、花畑に座り込む一人の女性の元へ駆け出した。 「あ、ちょっと――!」 王子が手綱を握る前に、馬は女性に駆け寄っていた。 そう、その女性こそ、白雪姫である。 「あら…?綺麗な白馬。こんなところで、どうしたの?」 白雪姫が微笑んで言うと、馬は後ろ足で跳ね、 「ブヒヒン!(お嬢さん、あたしとお茶しない?)」 といった様子で小さく鳴いた。 「…?」 白雪姫が不思議そうに馬を見つめていると、 「ご、ごめんなさい!私の馬が―――」 王子は馬と白雪姫の元へ駆け寄り、女性のその姿を目に止めた瞬間、言葉を失った。 なんて、綺麗な女性だろうか――。そんなことを思いながら。 白雪姫も同じような様子で、王子を見つめていた。 不思議な人。なんて透き通った目をしているんだろう…。とても、白い肌…。白い髪。 「あ、…失礼。私は決して、怪しいものではありません、です。」 と王子が零した言葉に、白雪姫はきょとんとした後、ふっと微笑を零した。 変な人。―――けれど、見た目とのギャップが、なんだか可愛らしい。 「ここに居るということは、門番に許可を貰っているということ。不審者などではないことは、心得ています。私はこの国の姫。…皆には、白雪姫って呼ばれています。」 「白雪姫?…貴女が…?」 王子は驚いた様子で言い、その後ふっと嬉しそうに笑みを零した。 「お会いできて…光栄に、思います。えっと、申し遅れました。私は、本日貴女との縁談のため、隣国から参った王子であります。」 その言葉に、今度は白雪姫が驚く番だった。 「あなたが…王子様?私との縁談のために?…そう、だったのですか。」 ふっと、白雪姫の表情に安堵の笑みが零れた。 この人と縁談なんて…なんだか嬉しいな。 それが、白雪姫の胸の中の本心であった。 そして王子も同様に、 こんな女性となら…ちょっとラッキーかも、なんて。 と、喜びで溢れていた。 「実は…私は、両親が勝手に進める縁談が、不本意だったんです。だけど、あなたのような人なら…。」 白雪姫は小さく零し、照れくさそうに笑った。王子は、 「あ、実は私も、…勝手に縁談を進められて、少し、困っていたの、です。…だけど、今回ばかりは、この縁談を取り付けてくれた父に、感謝…。」 と、同じく照れくさそうに笑って言った。 白雪姫と王子の白い肌が、赤く染まる。 お互いに夢心地の中、 「ブヒヒン…(いいなぁ〜あたしもラブラブしたいなぁ…。あ!どうよ前足!あたしとランデヴー。)」 「ブヒヒン!?(は!?…ちょ、ちょっと待って下さい。私達は前と後ろ、二人で一人なんですよ。恋愛なんて出来るわけないじゃないですかぁ!)」 「ブヒヒン★(愛に形はないわっ!!)」 「ブヒーン。(で、でも、私好きな人いるから…)」 「ブヒーン!?(な、なっにぃー!?)」 …と、馬の中では複雑な内部葛藤が起こっておりましたとさ。 「それでは、私は一旦王様にご挨拶に…」 王子が、そう言いかけた時だった。 「王子!こちらでしたか。」 という言葉と共に、黒い馬に跨って駆けて来た青年。 「あれ、荊っち…?」 「荊っちではなく、呼び捨てで結構です。…そ、それより!」 荊、という名前らしい。その若い青年は馬から降り立った。 スラリとした長身。白い軍服に身を包み、同じく白い帽子を被っている。 荊は白雪姫に気づくと、 「これは、ご挨拶が遅れました。柚王子の直属の部下、荊梨花と申します。」 そう言い、帽子を取って綺麗な礼をした。帽子を取った時、ハラリと、細く長い髪が落ちた。 彼―――いや、彼女こそ、王子の直属の部下であり、そして王子の幼馴染でもあった。 凛々しく男性的な姿こそしておれど、その物腰や整った小顔は、女性的な雰囲気を微かに放っている。 荊は王子へ向き直ると、 「大変です。…王が突如、病に伏せられた模様。直ちに、城へお戻りください。」 と、神妙な面持ちで告げた。 「父上が…?…あの、バカに元気で天才肌で、病気なんか絶対しないだろうと言い切れる父上が?」 王子は訝しげな表情で言うが、荊の深い頷きに、「そっか…」と納得した様子を浮かべた。 「―――白雪姫、そういうわけで、戻らなくてはならなくなってしまった。…ごめん。」 王子が小さく頭を下げる。 白雪姫は首を横に振って、 「い、いえ。王様の様態が心配です…早く、城へお戻り下さい。」 と、内心落胆しながらも、微苦笑を浮かべて言った。 彼女も隣国の王とは一度会ったことがあるが、王子の言う通り、確かに病気になりそうなタイプではないな、と思う。 けれど王子も信頼する部下にそう言われては、否定のし様がない。 「――姫。必ず私は、姫の元へ戻る。…そう、約束させて欲しい。」 跪いて言う王子に、白雪姫は優しく微笑んで頷いた。 王子は安堵した様子で微笑み返し、そして白雪姫の手を取ると、その手の甲にくちづけを落とした。 頬を赤らめながら、白雪姫は思った。 この人ならば、信頼できるような気がする。 この人とならば、結婚しても、構わない―――。 やがて王子は白雪姫から離れると、白馬に跨った。 「それでは、またの再会まで…しばしのお別れ。」 王子はそう言って、手綱を引いた。 駆け出す白馬。 荊は白雪姫に一つ礼をし、黒馬に跨って王子の後を追った。 「柚、さん…。」 白雪姫はぼんやりと、遠ざかっていく白い人物を見つめていた。 「ブヒヒン〜?(ねーねー、命ちゃん。王様が病気って本当なの?)」 隣国の厩舎にて、王子の白馬(の後ろ)が、隣に繋がれた荊の黒馬に尋ねる。 どうやら、黒い馬の方は人格は一つ、らしい。 そしてどうやら、命(みこと)という名がつけられているらしかった。 「ブヒヒン…。(まさか。あの王が病気になるわけ、ないでしょ。)」 黒馬は当然のように言って、肩を竦めるような仕草をする。 「ブヒヒーン。(あーあ、可哀相な王子と白雪姫。ねぇ?さっきから黙っている前足よ。)」 「ブヒヒッ!?…ぶ、ブヒーン。(え!?…あ、は、はい。)」 「ブヒン?(おや?どうかした?)」 「ブヒヒーン、ブヒヒーン!(な、なんでもありません!…な、なんでも。)」 「ブッヒヒーン。(おやー、なんだか恋する乙女チックねぇ。)」 「ブッ…(!!…そ、そ、そんなことないですよ!!)」 一匹でごちゃごちゃしている白馬を眺めていた命は、 「…ブヒヒーン。(独り言多くてうるさいよ。)」 と、クールに呟いた。 「ブヒーン…!(ガァン…!!)」 ショックを受ける前。目(?)が光る後ろ。 「ブヒヒーン!(そうかぁ、意中の人は命か!)」 「ぶ、ブヒヒーン!!!(え?!!ち、ち、ち、ち、違いますー!)」 「ブヒーン。(いや、その焦り方、間違いないね!)」 と、ブヒヒンブヒヒンやっている白馬に、 「ブヒヒーン!(だから、うるさいってば!!)」 …と、命の叱咤が飛んだのであった。 白馬の前方がしなだれたのは、言うまでもない。 そしてその頃、王の間では――。 「父上。…仮病を使うなんて、ずるい。」 と、王子が恨みがましそうな目で王を見つめていた。 「悪い。お前にはとっても悪い事をしたと思ってる。だけどな、もう二度とあの国には行くなっ。」 眼鏡をちょいちょいと上げながら、水夏という名の、この国の王は言った。 「何故…?あの国の姫に偶然会った。とても綺麗で、優しそうな人だった。」 王子の言葉に、王は苦笑を浮かべ、 「そうか…なら尚更、お前には悪い事をしたと思う。しかし、あの国はだめだ。」 と、ふっと厳しい表情を浮かべ、言った。 釈然としない様子の王子に、傍に居た王女が苦笑し、 「王様。…話してあげようよ、あの国ではいけないという理由を、ね?」 今、二十二の子を持っているとはとても見えない、どこか可愛らしい雰囲気を持つ女性。その名をゆきと言う。 「そうだな。……あの国の王妃のことを知ってるか?」 王の言葉に、王子は不思議そうな顔をし、 「…とても、綺麗な人だという話は聞いたことがある。」 と答えた。王子の言葉に、王は一つ頷いた。 「そう、確かに綺麗な女性だ。――だが、あの王妃、良い噂を聞かないんだ。」 「噂?…何か悪い噂、でも?…だけど、父上はたかが噂で惑わされるような人だった…?」 王子の浮かべる悲しい瞳に、王は小さくため息をつき、 「それじゃあ―――わが国の諜報員の話だと言ったらどうだ?」 と、苦々しい表情で言った。 王子は王の言葉に小さく眉を顰め、 「…どんな、話?」 と小さく問う。 「聞いて驚くな。……人間の、心臓を食しているというのだ。」 王のその言葉に、王子は小さく眉を顰めた。 「…そんな、物騒な。―――あの白雪姫の母君が、そんなことをしているとは思えない。」 「ん?…そうか、知らないのか。現在の王妃は、前の王妃が亡くなった後、姫が五つの時に嫁いできた継母なんだ。」 「継母…。」 王子は、まだ納得できぬ様子で小さく唇を噛む。 そんな王子の様子に、王も困惑した様子で押し黙っていたが、しばらくして、 「柚。…部屋へ戻っていろ。」 と、命令調に言った。 王子はじっと王を見つめた後、小さく、 「…わかりました。」 と呟き、王に背を向けた。 とぼとぼと歩く王子の背中に、ふと、王は言った。 「待て。…そんなに大人しく引き下がるような奴だったか?」 その言葉に、王子はギクリと肩を竦ませる。 王は確信めいた口調で、 「お前のことはこの私が一番わかっているつもりだ。…なぁ、ゆき?」 そう言い、王妃に目を遣った。 王妃は困ったように首を傾げていたが、 「…うん。柚がお城を抜け出した数、数え切れないしね。……ね、柚?」 と王子に言った。 「う…。」 王子は図星といった様子で言葉を失う。 そんなやり取りに口を挟む人物が居た。 「それならば、私が王子の見張りにつきましょう。…王、いかがですか。」 荊であった。 彼女は真剣な様子で王を見つめた。 王は彼女の視線を受け止めた後、一つ大きく頷いた。 一瞬王子と荊の顔に歓喜が浮かぶが、 「では、霜。お前が柚と荊の見張りをしておけ。」 と、言い放った。その言葉に、王子と荊は顔を見合わせ、二人揃ってため息をつく。 「え、私ですか。…か、構いませんけど。…なんで私が…。」 部屋の隅に立っていた、王と同世代の兵士、霜がぼやく。 霜は、王の幼馴染。いわば、柚にとっての荊のようなものだ。 気心の知れた仲ということもあり、霜の多少のぼやきくらいで王が怒ることは無い。 「ま、そういうことなので。…お二人共、行きましょうか。」 霜がそう言って、釈然としない様子の二人を連れ、部屋を出た。 ゆきと二人になり、王は小さく苦笑して言った。 「…柚にしては珍しく真剣な様子だったな。白雪姫、そんなに魅力的な女性に育っているとは。」 「…でも、王?…柚は本当に白雪姫のことが好き、みたい。あれは恋をした表情だよ。…ちょっと可哀相じゃない?」 ゆきは、不憫な王子を想い、王に訴える。 王は厳しい表情で押し黙り、しばしして、きっぱりと言った。 「私も柚を想ってのことだ。…しかし、私は柚の父親であると同時に、一国の王でもある。…あの国と親密になることは、許されぬことだ。」 「王…。」 ゆきと王は、王子達が出て行った扉を見つめ、「はぅ」と二人してため息をついた。 「あーあ…閉じ込められちゃった…。」 王子は鉄枠のはまった窓を眺めながら、ポツリと呟く。 その後ろで立つ荊は、言葉も無くそんな王子を見つめていた。 不意に王子は振り向くと、 「荊っち、もしかして知ってたんじゃ…?父上が仮病だ、って…。」 と、ジロリと見上げて荊に言う。 荊は慌てて首を振り、 「いえ。私は兵士長に言われ、王子をお迎えに参っただけです。…もしかすると、とは思っていましたが。」 と言う。 その言葉に王子は部屋のドアを見遣り、 「…霜のバカぁ…。」 と小さく言った。 そう、ドアの向こうで見張っている兵士長こと、霜へと。 王子は再び窓へと目を戻し、 「本当に捕われているみたい。どうして王子である私の部屋に、鉄枠なんかつけるのだろう…。」 と小さく言う。 荊は言い難そうに、 「…その、王子が頻繁に城を抜け出すから、です。」 と、至極解りやすい説明をした。 王子はその言葉に頬を膨らませ、 「それはそう、だけどー…。って、私だけ悪いような言い方をしないでほしい。荊っちだって手伝ってくれた。」 と、ちらりと荊を見遣って言った。 「わ、私は王子のご命令で…。」 そんな会話から、本当に二人が仲の良いということが見て取れる。 二人はしばらく黙っていたが、ふと、荊が小さく口を開いた。 「…王子。白雪姫様のことは、…本気なのでしょうか?」 王子は微かに頬を紅潮させ、 「……た、多分。」 と口篭りながら言う。 荊は一瞬寂しげな表情を見せるが、ふっと笑みを繕い、 「そうですか。ならばその恋路、応援させていただきます。」 と言う。 しかし王子は、一瞬見せた荊の表情を見逃さなかった。 「―――梨花は、私が恋をすると…悲しい?」 これまで、女性沙汰が全くと言って良い程になかった王子は、不思議そうに荊に問う。 荊は紅潮した頬を隠すように、小さく俯いた。 「そんなことは…」 言いかける荊の言葉を遮り、王子は続けた。 「梨花はずっと私の傍に居てくれた。…私は少し前まで、梨花と結婚するつもりで居た。」 「…は…!?」 王子が単刀直入に言う言葉に、流石の荊も真っ赤になって聞き返す。 「本当に。…だけど、今は違う。……梨花は、私と結婚、したかった?」 王子の問いは、残酷なほどに純粋だった。 荊は小さく唇を噛み、キッと王子を見据え、言った。 「…確かに、私は王子のことを想っています。物心ついた頃から、…王子のお傍に居られて、幸せでした。……一緒になりたいと願う気持ちは否定できません。ですが、私は王子の幸せをお祈り致します。…それが、私の幸せです。」 懸命に言葉を零す荊を王子は見つめ、そして静かにその目線を逸らした。 「梨花、ごめん。……私は、彼女と幸せになると誓う。だからそんな悲しい顔をしないで欲しい。」 「……王子…。…はい。」 荊は小さく頷き、一筋の涙を零した。 その涙と共に、己の想いをも流してしまうように―――。 「……。」 白雪姫は、自室でぼんやりと窓の外を眺めていた。 白雪姫の黒髪の如く、闇に包まれた景色。 風で小さく震える窓は、白雪姫の心を投影したような、悲しい音を立てていた。 コンコン その時、ノックの音が響いた。 そして白雪姫が返事をする間もなく、部屋に入ってきた人物。 その人物が目に入った時、白雪姫は怯えたような表情を見せた。 「お邪魔するわよ。…何してるの?」 継母であった。彼女は相変わらず仮面のような微笑を浮かべている。 「…少し考え事をしていました。」 ポツリと、白雪姫が言う。 継母は小さく肩を竦め、 「ふぅん。…それより聞いてよ。」 と、不意に、どこか邪悪な薄い笑みを浮かべて言った。 「今日、隣の国との縁談を予定してたじゃない?なのに、ドタキャンしたのよ。」 「…あ、はい。王様が突然ご病気になったとお聞きしていますが…。」 「病気?妙に情報が早いわね。」 継母の訝しげな表情に、白雪姫はギクリと身体を強張らせた。 王子と会ったことは隠しておこうと思っていたが、もし、彼女に嘘をついたことがばれたら。そう考えると恐ろしくなり、白雪姫は本当のことを言おうと決めた。 「…あの、実は、先程中庭で隣国の王子様とお会いしました。とても素敵な方でした…。」 「そうなの?入国までしておいて帰るなんて、酷い話ね。」 「…え、で、でも、王が急病で―――」 困惑した様子で言う白雪姫に、継母は一瞬、冷たい表情を浮かべた。 「…失礼だわ。そんなこと。―――隣国との国交は絶つことにするから。…白雪姫には悪いけど、わかって頂戴。これもこの国のためなのよ。」 「そんな…!」 カタンと椅子から立つ白雪姫を見遣り、継母はわざとらしくニッコリと笑んだ。 「そういうことだから。…隣の国の王子様のことは、諦めなさい。」 「……ッ…。」 「それじゃあね。」 継母は白雪姫に背を向けると、嘲笑を浮かべた。 どうして人の不幸って、こんなに嬉しいのかしら―――。 そこにある継母の思想を、白雪姫は知る由もなかった。 「お父様…。少し、いい?」 国中の明かりがポツリポツリと消えていく宵、夕は王のプライベートルームへと赴いた。 「夕?どうした。何か用事か?」 王は突然の訪問者を歓迎した。 ワイングラスを差し出すが、夕は小さく首を振ってそれを断る。 「…僕、まだ未成年。」 「いいじゃないか。たった五年くらい変わんないって。」 「王様なのに、そんなこと言うのはどうかと…。」 少し酒が回っているのか、砕けた様子の王は楽しげに笑っていた。 …が、ふっと真面目な面持ちになり、押さえた声で夕に問う。 「それで、…何かあったのか?」 やはり王というだけのことはある。夕の雰囲気を察し、言う。 夕は小さく頷き、 「お姉ちゃん、…白雪姫のことで。」 と、同じく声を抑えて言った。 「―――お母様が、隣国との国交を断絶すると仰っていた。僕はその理由がわからないし…それに、お姉ちゃんはとても落ち込んでいて、外に一歩も出ようとしない。なんとかして欲しいんだ。」 そう続けた夕の言葉に、王は神妙な面持ちで考え込んだ後、大きく頷いた。 「白雪姫の落ち込み様は、兵士達からも聞いた。それに、依子の行動も目に余る。なんとかしなければいけないとは思っていた。」 夕は、小さく頷き笑みを零した。 「…良かった。お父様はわかってくれていると思ってた。……お姉ちゃんにも、何か声を掛けてあげて欲しい。」 「ああ。…心配するな。何とかする。…何とか、な。」 王は静かに呟くと、グラスに残るワインを一気に煽った。 「お父様…?」 突然の訪問者に、白雪姫は目を丸くした。 王が直々に白雪姫の部屋に訪れることは稀なことだった。 それは、年頃の娘への王の気遣いでもあったが、白雪姫はそれが寂しくも感じていた。 「突然すまない。白雪姫に話しておきたいことがある。」 王が真剣な様子で切り出した言葉に、白雪姫は神妙な面持ちで聞き入った。 「―――白雪姫。前の…いや、本当の母親のこと、覚えているか?」 そんな王の言葉に、白雪姫は少し考え込んだ後、ポツリと言った。 「微かに…。とても温かかくて、優しい人、でした。顔が、どうしても思い出せません…。」 「そうか。温かくて優しい人か…。」 王は小さく呟くと、ふっと笑みを零す。白雪姫はその笑みの理由がわからず、不思議そうな表情を浮かべた。 「あいつは、白雪姫を産んでから変わった。それまでは、自由奔放で我が侭な娘だった。だけど白雪姫を産んでから…母親の自覚と言うものが芽生えたかな。すごく、優しい女性になった。」 「…お母様…。」 「お前が、もうすぐ一歳の誕生日を迎えるという頃。あいつは言っていた――。」 王は、すっと目を細めると、遠い日の記憶に思いを馳せた。 『あたしはね、果てのない愛で、この子を愛し続ける。王様も…この子をずっと、愛してあげて。』 『真苗…? それは、勿論…だけど、突然どうした?』 『突然じゃないよ、いつも思ってた。 …あぁ、あたしはこの子を、世界一幸せな女の子に育ててあげなくちゃ…って。』 『世界一幸せな女の子に、か。』 『うん。……今はね、自分よりも王様よりも…この子のこと、愛してる。』 王は静かに白雪姫に目線を戻すと、優しげに微笑んだ。 「お前は、あいつによく似ている。笑った時の表情など特に。 果てのない愛というものが、その時私には理解出来なかった。でも今はわかる。」 かすかにしか残らぬ記憶。王ではなく、父親としての言葉。 白雪姫は、不思議そうな表情で彼の言葉を聞いていた。 王は、幼い白雪姫にしたように、その黒髪を静かに撫でた。 「私はお前の味方だ。もしお前がどこかの国へ嫁に行ったとしても、それでもお前は、私の娘だ。心配することはない。私がなんとかする。」 「お父様…。」 嬉しそうに笑みを零した白雪姫は、ふっとその顔を俯かせる。王は少し驚いて白雪姫の顔を覗き込むが、その心配の表情は、すぐに安堵の表情に変わった。 「…ありがとう、ございます…。」 目元を抑え、涙を零しながら呟く白雪姫に、王は優しい眼差しを向けていた。 「超・ムカツク。」 笑顔で呟いた継母は、突如くわっとその表情を般若の如く歪ませた。 城の廊下の物陰に佇む継母の目線の先には、白雪姫の部屋から出て行く王と、その後姿を見送る白雪姫の姿があった。 王と白雪姫の幸せそうな顔。継母は、それが癪に触ったのである。 ぎゅっと握り締めた拳をぷるぷると震わせながら、憎々しい視線を白雪姫に向けていた。 王が廊下の向こうに消えた頃、ようやく白雪姫は振り向いた。 「―――…!」 白雪姫は、継母の存在には気づかずに自室へと戻っていった。 そして継母はというと… 「…、…あれ…?」 少し驚いた様子で、小さく声を漏らしていた。 そして、不意に踵を返し、城の廊下を小走りで駆け出した。 「―――まさか、ね…?!」 不安を振り払うように小さく言うが、その表情は曇ったままだった。 「最近、白雪姫が綺麗になったって大臣達が噂してる。でも、このあたしに適うわけないわよね? …そんなこと、ありえない。ありえないわ…!」 継母はようやく自室にたどり着くと、早足に、不思議な鏡の前に向かった。 「…はぁ、はぁっ…。」 普段運動することもない継母は、少しの距離を走っただけだと言うのに、息を切らせている。そう、外見の美貌は保てていても、その内面は着実に年齢を重ねているのだ。肉体も例外ではない。 息を整えながら、継母は鏡に映る自分の姿に手を伸ばした。 つつっと鏡をなぞり、微笑んでみせる。 「…大丈夫よ。こんなに綺麗なんだもん。…大丈夫よ…。」 かすかに震える声で、自分に言い聞かせるように「大丈夫」と繰り返し、そして、一つ深呼吸した。 静かに口を開き、継母は声を漏らした。 「鏡よ、鏡。…この世で一番美しいのは、だぁれ?」 継母の不安げな顔が映っていた鏡が、揺らめく。 しばし、継母の顔を映しゆらゆらと波打っていた鏡が、突然、何も映さなくなった。 「…え…?」 継母が訝しげな声を上げた次の瞬間、鏡は、一人の女性を映し出した。 それは継母の姿ではなかった。 『白雪姫。白雪姫が、この世界で一番美しい。』 カタカタ。震える窓の傍で、穏やかな表情で夜の空を見つめる女性。 鏡に映し出されたのは、見紛うことない、間違いなく白雪姫であった。 それを目にし、継母は愕然とした。じっと鏡に映る白雪姫を見つめていたが、その表情が徐々に険しくなり、そして抑え切れぬ程の憎しみを灯し、鏡を睨んだ。 「…そんなことが、あるわけないじゃない。…あるわけないじゃない!!」 衝動的に、継母は握り締めた拳を振り上げ、鏡に叩きつけていた。 パキィッ 鏡に小さくヒビが入る。 その時―――鏡に煌びやかな光と、渦渦しい闇が駆け抜けた。 継母はそれに気づくことなく、尚も鏡に殴りかかる。 細かく割れた鏡の欠片が継母の手に傷を作り、その手は血だらけになっていった。 『そこまでよ。』 突如、不思議な声が継母の脳裏に響いた。継母は驚いて辺りを見渡す。しかし、鍵のかかった継母の部屋に人間が入り込むのは不可能である。 不思議な声には慣れているはずだが、継母は怯えていた。それは、継母の知る男とも女とも取れぬ鏡の声とは異質なものであったからだ。 『貴女は罪を犯してしまった。―――私には、もうどうしようもないわ。』 それは、優しげな女の声。 しかし、声は悲しげに継母に語りかけていた。 その時、鏡の真ん中に縦一直線にヒビが入り、そして右側の鏡が、ふわりと浮かび上がった。 「な…、なんなの…どうなってるのよ…!?」 継母は混乱した様子で口走る。 それに答えるように、浮かび上がった鏡の右側がぼんやりと光った。 『私は善の鏡。私は貴女の元へは居られない。私は善の心を持った人間の味方なの。』 継母の脳裏にそんな声が響いたかと思うと、善の鏡はビュンと空を飛び、継母の部屋の窓を突き破ってどこかへ飛んでいった。 そんな光景を、継母は信じられないといった様子で見つめていた。 そしてその時、残された鏡の左側が、今度は闇色を揺らめかせた。 善の鏡が消えた瞬間、空が重く、暗くなった。一瞬の光の後、雷鳴。激しい雨が、割れた窓から降り注ぎ出した。 『貴女が悪の心を持つ者なのね。…私は悪の鏡。血の誓いにより、我が力を、貴女に与える――。』 ピチャッ。 継母の手から滲んだ血が数滴、残された片側の鏡に付着していた。 刹那、鏡から闇色の何かが飛び出したかと思うと、それが継母の身体の中に吸い込まれていった。 見開かれた継母の目が澱み、闇色に支配されていく。 小さく開かれた口から、声にならぬ声が漏れた。 半分残った鏡に映る継母の顔が、狂気的な笑みの形に歪む。 「フッ…ふははは…!! 我は、魔女。…我はこの世で一番美しい者―――」 継母―――否、魔女と化したその女は、雷の落ちる夜の景色に目を遣ると、静かに、呟いた。 「…邪魔者は、殺してしまえ。」 「―――は…?」 銀(シロガネ)という名の、一人の兵士。 真面目で、淡々と任務を遂行するその兵士は、能力や実績を買われ、継母の直属の家来という栄誉ある役職についていた。 時に無茶を言う継母の命令も見事こなしてきた兵士であったが、さすがに今回の命令には眉を顰めた。 「聞こえなかった?―――深い森に白雪姫を連れて行って、殺しなさい。そしてその心臓を持ってくるの。いいわね?今すぐよ。」 継母の命令に従う人間には、非人道的な面も欲求された。 しかし、今回はこれまでにない、あまりに残酷な命令だった。 銀は戸惑った。しかし、継母の冷たい目は、逆らえば自分が危うい、そんな危惧をさせる危険な香りをさせていた。 「―――御意。 任務、遂行します。」 銀は淡々とした口調で言い、深い礼をして、継母の部屋を出た。 廊下に出て、小さく唇を噛む。 「…白雪姫様を殺すなど、私には――。」 銀もまた、美しく慈悲深い白雪姫を慕う人間だった。 廊下を歩きながら考え込んでいるうちに、銀は白雪姫の部屋の前までやってきていた。 重厚なドアを見つめながら、銀は目を細め呟いた。 「―――やらなければ、私が殺される。 仕方のない、ことなのだ…。」 「ん〜…。ここ、素敵ね。植物がたくさんあって、なんだか気持ちいい。」 白雪姫は小さく伸びをし、微笑んで言った。 彼女の一歩後ろを歩く兵士は、銀。ハイキングという名目で白雪姫を連れ出したが、銀の懐には鋭いナイフが眠っている。 銀は、白雪姫の微笑から目を逸らすように俯き、 「はい。気に入って戴けて、喜ばしく思います。」 と、低い声で言った。 そんな兵士の様子に白雪姫は不思議そうにしていたが、そこまで気にすることもなく、また生い茂る植物たちに目を遣った。 白雪姫の一歩後ろで、その美しい黒髪が揺れる様子を見つめる。 そして静かに、懐に入れたナイフを取り出した。 相手は無防備な女性。手を煩うこともないだろう。躊躇っている場合ではない。 自分を奮い立たせるように銀は心の中で繰り返し、ナイフをぎゅっと握り締めた。 そして、白雪姫に駆け寄ろうとした、その時――― 「ねぇ、しろが…、…ッ―――!?」 不意に振り向いた白雪姫のその目が見開かれる。 銀も、思わず足を止めてしまった。 「……ッ、…。」 二人はそのまま固まっていたが、銀はキッと鋭い眼で白雪姫を見ると、ナイフを握りなおした。 「待って。どうしてこのようなことを。―――理由を聞かせて下さい。」 白雪姫は、怯えるどころか、真剣な眼差しで銀を睨み返し、強い口調で言い放った。 その姿に、銀は小さく驚いた。 昔は、泣き虫で怖がりな少女だったのに―――いつのまにか、立派な女性になられた。 銀は白雪姫より五つほど歳上。幼い頃から城に使えてきた銀にとって、白雪姫は可愛い妹のような存在でもあった。一時期は銀の後ろについて歩いてばかりだった白雪姫。 だが、白雪姫は―――今はもう、あの白雪姫ではない。 「……銀。私を殺すと言うなら、私は抵抗する術がありません。 …だけど、一つだけお願いを聞いてくれませんか。」 「白雪姫様…。」 ナイフを手にしたまま立ち竦む銀に、白雪姫は悲しげな微笑を浮かべて言った。 「隣国の王子様に伝えて下さい。―――あなたと結ばれたかった、と…。」 「!」 銀はその言葉に、驚いた様子で白雪姫を見た。 彼女の言葉が銀の過去と重なる。銀は、過去に恋人と死別した経験を持っていたのだ。 「さぁ―――やるなら、…早く…!」 きゅっと目を瞑って言った白雪姫。 銀は、不意に、小さく息を零した。 ナイフを握る手を見遣り、そして静かにそのナイフを、懐に仕舞った。 「白雪姫様。…やはり私に、貴女を殺すことは出来ません。王妃様のご命令でも、こればかりは…。」 「…お母様の…!?」 銀が小さく零した言葉に、白雪姫は驚いた。 あの継母に信頼はなかったけれど、自分を殺すような人だとは思っていなかった。 自分が彼女より美しくなったばかりに命を狙われていることなど、白雪姫は知る由もない。 「姫、お逃げ下さい。この山を幾つか越えれば、きっと安全な場所に出られるでしょう。―――山には獣も居りますが、私はこれ以上お供するわけには参りません。どうか…お気をつけて。」 銀は跪き、白雪姫に頭を下げた。 白雪姫はその姿をじっと見つめていたが、やがて小さく頷くと、銀に背を向け駆け出した。 「…どうか、ご無事で…。」 銀はポツリと呟く。 一度は白雪姫を殺そうとした自分を、彼女を守り通すことの出来ぬ自分を、銀は悔いた。 「お姉ちゃんとお母様は……?」 食事時、いつもは広い机に王・継母・白雪姫・夕王子の四人が揃っているのだが、今日は夕と王の姿しかない。 不思議そうに言う夕に、王は、 「白雪姫なら、銀と共にハイキングに出かけた。気分転換にもなるだろう。依子は今日は体調が悪いと言ってな。自室で食事を取るそうだ。」 と、ワインを揺らしながら言う。別段心配している様子も無い。 「そう。…お姉ちゃん、元気になるといいけど。」 「そうだな。夕、お前もワインどうだ?」 「だから、未成年だってば…。」 親子二人の食事は和やかなものだった。 白雪姫が森の奥を彷徨っていることも知らず。 継母が、白雪姫の心臓だと信じて疑わず、熊の心臓を美味しそうに食していることも、知らず――。 それから十二時間が経った頃。 朝の光が差し込む森の中で、白雪姫はくたくたになりながらも歩いていた。 一度小川で水を飲んだきり、何も口にしていない。 歩き慣れていない白雪姫は、足もガクガクして、肉体的にも精神的にも限界まで追い込まれていた。 「どうしてこんなことに…。柚さん、助けて…。」 そんな白雪姫の心の支えとなっていたのは、優しげな微笑みを浮かべる隣国の王子だった。 まだいくつか言葉を交わしただけだと言うのに、彼のことが頭から離れなくなっていた。 樹に寄りかかり、ぼんやりと立ち竦む白雪姫。 その時、森の奥でキラリと何かが光った。 「…?」 白雪姫は不思議に思い、その光の元へゆっくりと歩み出した。 光は徐々に強くなり、傍についた時にはキラキラと、眩しい程の光になっていた。 目を凝らしてみると、どうやらそれは、割れて半分になった鏡のようだった。 そう、継母の部屋にあった、片側の鏡だ。 『私は善の鏡。貴女は善の心を持った人間ね。私は貴女の力になりましょう。』 脳裏に響く声に白雪姫は驚いたが、それがとても優しい優しい女性の声なので、恐怖や怯えよりも、安堵感が勝っていた。 「私は、白雪姫。行く宛がなく、困っています。助けて頂けますか…?」 恐る恐る白雪姫がそう尋ねると、鏡はふわりと浮き上がり、 『ついていらっしゃい。』 と呼びかけ、ゆっくりと進みだした。 十分程歩いた頃、小さな家が姿を現した。 善の鏡はそこで止まると、 『私は貴女を見守っています。さぁ行きなさい。』 と優しい声で言い、空へと浮かび上がって、やがて白雪姫の視界から消えてしまった。 「あのお家、誰の家なのかな。」 白雪姫は小さな家に近づくと、小さな窓から中を覗き込んだ。 どうやら、中には誰も居ないようだ。 他人の家に勝手に入り込むことに抵抗はあったが、今の白雪姫は疲れ果てており、少し休ませてもらうくらいなら…そんな思いから、静かにドアを引いた。 煉瓦作りの優しい雰囲気に、白雪姫はほっとした。 白いテーブルクロスがかけられた丸い机の上には、七つの白いお皿と、七つのスプーンとフォーク、そして七つのマグカップが置いてある。お皿にはちょこんと野菜とパンが乗っていて、マグカップには少しずつ葡萄酒が入っていた。 「―――ぁぅ、ちょっとだけなら、いいよね…?」 白雪姫は空腹に耐え切れず、それぞれのお皿から一つまみずつのパンと野菜を食べ、それぞれのマグカップから一口ずつの葡萄酒を飲んだ。一つのお皿を全部食べてしまうと、なんだか悪いような気がしたからだ。 奥へ行くと、そこには七つのベッドが置いてあった。しかしそのベッドはどれも、まるで子供用。白雪姫が体を丸めて、なんとか横たわれるほどだった。普段大きなベッドに眠る白雪姫にとっては窮屈にも感じられたが、それ以上に眠気が勝り、小さなベッドで体を丸め、白雪姫は眠りについた―――。 次のページへ→ |