BATTLE ROYALE 27




 ―――ヤバイ。
 自分の現状も、周りの光景も、何もかもが曖昧な存在に思えていた。
 どうしてこんなに世界が揺れているんだろう。
 ズキン・ズキン・ズキン。響き渡る頭痛は、恒久的にすら感じられている。
 いつまで、どこまで、この状態が続くのか。
 アタシ―――八王子智―――は当てもなく、長い廊下を歩き続けていた。
 命の危機。少しだけ感じるけれど、だけど、それを上手く考えることすら出来ないんだ。
 一体、どうなっている?
「由伊……」
 ぽつりと零れる名前。あの少女の顔が、ぼんやりと霞む。
 そのヴィジョンは頭の中にあるもの、だろうか。
 よくわからない。
 ただ、少女は屈託のない笑顔を浮かべたかと思えば、悪の化身とも思える禍々しい笑みを浮かべたり。
 由伊は、一体――
「八王子……?」
 不意に、遠くで声が聞こえた。
 少し濁った視界に映るのは、二人の人間の姿だった。
 あれは、誰だろう。よくわからないよ。
「八王子!ちょ、ちょっと、酷い怪我ッ……」
 焦燥の滲む声。ああ、先程よりも幾分近いところで、その声は聞こえたように思える。
 腕、を掴まれた、ような感覚。
 視界がぶれた後で、気付けば、目の前に女の顔があった。
 見覚えがある。誰だ、茶色い髪をした女。ええと……
「真苗、医務室ってどっちだった?」
「え?わ、わかんない。」
「んもぅ!」
 女の苛立ったような言葉の後で、ふっと、身体が軽くなった。
「まぁや?どうするの?」
「決まってるでしょ!医務室に連れて行くの!!見殺しにするわけにはいかないでしょ?」
「う、うん!」
 真紋と真苗……。
 あぁ、あのバカップルか?
 なんであの二人が、ここに………?
 いや、ここって、どこだっけ?
「八王子……ったく、もうちっとシャキっとしなさいよぉ。ほら、掴まって!」
「…ぅ……」
 シャキっとしてなくて何が悪い。
 そんな文句すら声にならず、アタシは小さくうめくだけ。
 おかしいな。文句を言う気力とか体力すらなくなっている?
「真苗、ちゃんと警戒しといてね。ってコラ!手錠引っ張らない!」
「うわーん、ごめんなさぁーい」
 相変わらずの痴話喧嘩だなぁ……と思いながらも
 身体全体に感じる、妙にあったかい温度に、不思議と安堵するアタシがいた。
 もしかして、木滝、なんか、イイコトしてくれてない……?
「行くよ!医務室!!」
 木滝のそんな意気込みは、ぐわんぐわーんとアタシの脳に響き渡ってちょっぴりうるさかったけれど
 言いようのない安堵感に包まれ、アタシはそのまま目を閉じた。
 もしかして、なんか、助かった感じ、かな……?





「ここらへん、パックリ切ってるみたいなのね。それで出血が酷かったんだけど……」
 真紋は自分のおでこより少し上辺り、丁度髪の生え際らへんを指差してから、智ちゃんへと目を向ける。
「簡単な止血と消毒。それから薬塗って包帯巻いて。これで幾分、大丈夫だと思うわよ。」
 そんな真紋の説明に、私―――中谷真苗―――はこくこくと頷いた後、智ちゃんのぐるぐる巻きの包帯に目を向ける。
 私と真紋が廊下を歩いていた時、突然向かい側からやって来た人物。
 最初は警戒したんだけど、その人物の足取りがすごく遅いことと、そして様子がおかしいことに気付いて、私達はその人物に近づいてみたのね。すると、なんとなんと智ちゃんだったわけ!!
 びっくりしたんだよぉ。頭からいっぱい血が出てるみたいで、顔中血塗れで……。
 今にも倒れそうになりながら、それでも歩いてるんだもん。で、真紋が「見殺しにするわけにはいかないでしょ?」なぁんて超カッコイイこと言って、それで私達は七階―――私と真紋の部屋と同じ階にある医務室に、智ちゃんを連れてきたの!こういう時、私って本当に役立たずかもしれないや……。でもでも!その分真紋が頑張ってくれて、智ちゃんの手当ては十分間ぐらいで終わったの。
 智ちゃんは私達が声をかけてすぐぐらいに気を失って、今も医務室のベッドに寝かせてる。
 時々魘されてるみたいだけど、とりあえず命に別状はなくて安心した。
「それにしても、真紋って意外と不器用なんだね。」
「あぁ?」
 私の言葉に、真紋は不機嫌そうな顔をした。
「だ、だってほら、包帯の巻き方へたくそだよぉ。」
 証拠!と言わんばかりに智ちゃんの頭に巻いた包帯を指差せば、真紋は大きく溜息をつき、
「あんたとこんな!こんな手錠してるからでしょう!!」
 そう言って、再度二度目の溜息をついた。
 そ、そんな怒らなくてもいいのに……。
 ………手錠、かぁ。
「真紋はやっぱ、この手錠、嫌いよね。」
 私は智ちゃんの眠るベッドに肘を置き、頬杖をついたままで小さく言った。
 左側にいる真紋にちらりと目を向ければ、怪訝そうな顔をした真紋と目が合う。
「何を今更。当たり前じゃない。これがなかったら、真苗とも別行動できるんだし。」
「で、でも、この手錠があるから私と真紋は一緒なの。」
「この手錠があるばっかりにね。」
 はぁ、と大袈裟にため息をつく真紋。うわぁん、真紋が意地悪だよぉ。
 そうだよね。やっぱりこの手錠のせいで、私と真紋の動きが不自由だったりして。
 だから私達、余計に命が危険だったりするんだよね。
 この手錠が外れちゃえばどうなるのかな。真紋は、私から離れてっちゃうのかな。
 ―――やっぱり、そんなのイヤだよ。
「手錠はともかくよ……」
 真紋は相変わらずに曇った表情のまま、ぽつりと言う。
「八王子すら、何も武器持ってないのは意外だったわね。」
 その視線の先には、眠ったままの智ちゃんの姿。そう言われてみると、智ちゃんは本当に単身で、武器も荷物も何にもない。それであんなに無防備に廊下歩いてたんだから、殺されちゃう危険だってあったんだ。
「ねぇ、もしもね、智ちゃんが私達と一緒に行動してもいいよって言ったらどうする?」
 私が真紋にそう問いかけると、
「そりゃ勿論。」
 真紋はすぐに小さく笑みを浮かべ、頷いた。
「……智ちゃんも一緒?」
「そうよ。」
 当然のように言う真紋に、少し嬉しい気持ちと、少し寂しい気持ち。
 私って変なのかな。こういう状況でもやっぱり、真紋と二人っきりがいいなって思ってる。
 だからこないだ真紋が螢子ちゃんを誘った時も、少しビックリで、少し寂しかったんだ。
「しっかしねぇ……。三人とも武器無しで、内二人は手錠で繋がれてますってのは、殺して下さいって言ってるのと同じようなもん、のような気もするのよね。」
 溜息混じりの真紋の言葉に、「そっかぁ」と私も溜息混じりの相槌を打ち、二人を繋ぐ手錠へ目を向ける。
 この手錠さえなければ、少しは、安全になるのかな。
 この手錠―――
「うー……」
「八王子?」
 あ。
 ………。
 智ちゃんが小さく声を上げて、真紋がそれに反応したのと。
 私が、あるものを発見したのとは、ほぼ同時だった。
「八王子?目ぇ覚めた?」
 真紋は丸椅子から立ち上がり、智ちゃんの顔を覗き込む。
 私も智ちゃんの様子を眺めながらも、その「あるもの」も気に掛かっていた。
 あ、まぁ、それは逃げちゃうものじゃないし、後で言えばいっか。
「……誰だぁ」
 少し寝惚けたような声で言う智ちゃんの言葉に少し笑う。
「誰ってあんたね……。命の恩人の顔ぐらい覚えときなさい!」
 真紋はビシッとした口調で言いながらも、どこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「木滝と……中谷?……おはよう?」
 智ちゃんは真紋と私に目を向けた後、あっさりした口調でそんなことを言って。
 なぁんだ大したことないんだって私が安心していれば、智ちゃんは身体を起こそうとして「あぅぅ」と痛そうな声を上げた。
「わわ、大丈夫?」
 慌てて私も立ち上がり、智ちゃんの顔を覗き込む。
「うーん………」
 包帯の巻かれた額へ智ちゃんの指先が触れ、少しの間。その後で、不意にガバッ!と、上半身を起こした。
「うっ……ゆ、由伊は?神楽由伊!」
 誰かを探してるのかな?智ちゃんは眉を寄せながらも、私と真紋と交互に目を向けそう問いかけた。
「由伊……?さぁ、私は知らないけど……」
「私も知らないよぉ。覚えてないの?智ちゃん一人で廊下歩いてたんだよ?」
 真紋と顔を見合わせた後で智ちゃんに向けてそう告げると、智ちゃんは「そっか」と呟いて目を伏せる。
 とりあえず私がペタンと椅子に座りなおすと、真紋もつられるように椅子に腰を下ろした。
 一体何があったんだろう。智ちゃんの怪我の理由は?その、由伊ちゃんって誰だろう?
「あぁ……二人は、アタシを助けてくれたの……?」
「まぁそんなところね。一応顔見知りだし?」
 真紋がクスッと笑って答えると、智ちゃんは顔を上げて私達を交互に見て、ふっと弱い笑みを浮かべた。
 あ、智ちゃんもこんな顔するんだぁ。少し意外な感じがして、少し嬉しい。
「……恩に着るよ。だけどアタシ、こんなところでぼんやりしてる暇はないんだ。」
「無理しちゃだめよ。傷、簡単に手当てしてるだけなんだから。本当は縫わなきゃいけないくらいなのよ?」
 智ちゃんがどこか真面目な表情で言った言葉に、真紋も真面目な顔をして答える。
 けれど智ちゃんの決意は、固いようだった。
「悪いけど、じっとしてなんかいられないよ……。由伊を、見つけ出さないと。」
 再びその名前を口にした時、智ちゃんはなんだかとても悲しそうだった。
 どうしてそんな顔をするんだろう。
「ねぇ智ちゃん。その、由伊ちゃんって誰……?」
 おずおずと私が口を挟むと、智ちゃんは少し躊躇うように目を伏せた後、ゆっくりと口を開く。
「由伊は……裏切り者だ。」
「裏切り者?」
「由伊はアタシを殺そうとしたんだよ。いや、殺したつもりなのかもしれない。」
 酷い出血だったから、と智ちゃんは額に手を当てながら呟いた。
 そっか。智ちゃんに怪我をさせたのも、その由伊っていう子なんだ。
「ちょっと待ちなさいよ。その裏切り者を探し出して、一体どうするつもりなの?」
 真紋の言葉は、今まで以上に厳しい口調で告げられた。
 真っ直ぐに智ちゃんを見据えるその横顔に、真紋の芯の強さを垣間見る。
「……殺すよ。」
「だめ!!」
 一際大きな声で、真紋は怒鳴りつけていた。
 その声には、私も智ちゃんも、思わず身を竦ませる。
 今まで見たことがないような剣幕で、真紋は智ちゃんを睨みつけていた。
「目には目をなんて私は絶対に許さない!どうしてそんなことするのよ!?」
「……木滝にはわかるわけがないよ。裏切られたアタシがどんな気持ちだったのか。」
「そりゃわからないわよ。でもね、これ以上殺し合って、何になるの!?」
 ―――そうだった。真紋は、どこまでも正義を貫く人なんだ。
 それが裏目に出て、真紋はこんな理不尽な殺し合いに参加させられてる。
 それでも、真紋は正義の心を失っていない。
 私にも智ちゃんにもないものを、真紋は持っているんだね。
「木滝。……もし、中谷に裏切られたらどう思う?」
「え……?」
 突然の例えに、真紋は不思議そうに私を見て、また智ちゃんに目を戻す。
 智ちゃんは、どこか悲しげな笑みを浮かべて言葉を続けた。
「心から信頼していた人に。いや……愛していた人に。裏切られたらどう思う?殺してやろうって思わない?」
 ……愛していた、人?
 思わず真紋に目を向ければ、ふっと視線が交差して、すぐに離れる。
 私は逸らされても尚、真紋の横顔を見つめずにはいられなかった。
 智ちゃん。なんで、そんなこと言うの?真紋は、そんな気持ちなんか持ってないんだよ、きっと。
「それでも、真苗の無事を祈るわよ。」
 真紋が智ちゃんに返したのは、否定ではなく、問いかけに対する答えだった。
「なんで?だって、好きだとか今まで言った言葉全部が嘘だったんだよ?そんな裏切りが許せるの?」
「それでも許すわよ。だって……愛してるんでしょ?」
「………」
 きゅっと眉を寄せ、言葉に詰まる智ちゃんの姿。
 医務室に少しの沈黙が流れた後、最初に口を開いたのは真紋だった。
「心底愛してる人なら、どんなことしたって許せるわ。……八王子も、心をもっと広く持ちなさい。」
「そんな、だって……」
 まだ納得がいかないように言いかけては、途切れる言葉。
 智ちゃんは顔を伏せ、その肩を小さく震わせた。泣いているようにも見えた。
 私も、何も言葉が見つからない。真紋もまた、その目を伏せたまま押し黙っていた。
 ―――真紋。ああいうのは否定してくれないと、勘違いしちゃうよ。
 付け加えでいいからさ、真苗にはそんな気持ちは抱いてないのよって、そう言ってくれないと。
 じゃないと余計付け上がっちゃって、後でガッカリしちゃうんだよ。そういうの苦しくてヤだよ。
 心底愛してる人なら、って。真紋の言葉の響き、耳に残って離れないよぉ。
 ―――……。
 それから、どれくらい時間が経った頃か。
 ギシッとベッドを軋ませて、智ちゃんが身体の向きを変えた。
「アタシ、もう行くよ。」
 短くそう告げて、トンッと身軽にベッドから降り立つ。
 智ちゃんの姿を見上げた後で、ハッと気づき、私は椅子を降りてそのまましゃがみこんだ。
「……真苗?」
 手錠を引っ張られて体勢を崩しながらも、真紋は不思議そうに私を見る。
「待っててね。」
 小さく言って、私はベッドの下にもぐりこんでいた。
 そう。さっき見つけた「あるもの」をこの手にするために。
 それは奥まった場所にあって、ぐって手を伸ばして、ようやく二つのそれに手が届く。
 ごそごそしながらベッドの下から這い出る私の手には、二つの「武器」があった。
「……な、何それ…」
「うわ……」
 真紋も智ちゃんも驚いた様子。
 そりゃそうだよね。私も最初に見つけた時はビックリしたもん。
 一つは少し大きめの銃。そしてもう一個は、矢みたいなのを飛ばす武器、えっと、ボーガン、かな?
「智ちゃんが一個持って行くといいよ。ほら、なんだっけ、えーっと……セイトーボーエイ用に!」
「正当防衛、ね。」
 智ちゃんはクスッと笑みを浮かべ、私のそばにしゃがみこむ。
 どっちがいいかって言えば、そりゃやっぱ、銃の方が明らかに威力がありそうなんだけど……
「ありがと。じゃあ、アタシはコレを。」
 言って智ちゃんが手にしたのは、ボーガンだった。
 真紋が「いいの?」と首を傾げると、智ちゃんは尚も笑みを湛えたままで頷いた。
「こっちの方が扱いやすそうだし。」
 ひょい、とボーガンを持ち上げながら言う智ちゃんの言葉が嘘なんだって、さすがの私も気づいたけれど、私も真紋も何か言うことはしなかった。
 そのまま扉の方へと向かう智ちゃんの背中へ、真紋が言葉を掛ける。
「私の言葉、忘れないでよ。」
 てっきり、一緒に行動しようっていう誘いかと思ったけれど、真紋は短く忠告するだけで。
「わかってまぁす。」
 智ちゃんはひょいっと肩を竦めた後、ちらりと私達の方を振り向き、薄い笑みを浮かべる。
「―――ありがと。感謝してます。」
 照れ隠しのように小声だったけれど、智ちゃんの言葉は私達の耳に確かに届いていた。
 そうして智ちゃんは、私達の前から姿を消した。
 人が一人いなくなっただけでも、どこか広く感じる医務室で。
「これで良かったの?」
 私が小さく問い掛けると、真紋は笑みを浮かべたまま、軽く肩を竦めて見せる。
「いいんじゃない?後は八王子次第ってことで。」
「……うん。」
 真紋と少しだけ顔を見合わせ、少しだけ笑った。
 真紋の真っ直ぐな正義の心も、智ちゃんを思いやる優しい心も、何もかもが格好良くて、魅力的。
 益々惚れ直しちゃったじゃないって、内心苦笑しながら。
「私はまぁやのこと、裏切らないよ。」
 呟くようにそれだけ告げると、真紋はクスクスと楽しげに笑った後、私の頭を軽く撫ぜてくれた。
「私も裏切らない。――…トーゼンよね?」
「うん。」
 真紋は時々意地っ張りだけど、でも時々見せてくれる本音があった。
 あぁ、私はそれを信じても、いいんだと思うけど……。
 今はまだ上手く言い出せない。ポケットに入れた右手、取り出すことは出来ない。
 手錠という二人の絆。
 外す日は、そう遠くないのかもしれない。





 かつん、かつん、かつん。
 銃の先で棚を叩きながら、あたし―――神楽由伊―――が見つめるのは武器庫にある一冊のファイル。
 それは、おそらく拳銃の知識がない人に向けて備えられた物なのだろう。あたしにも言えることで、今手にしている拳銃の種類も、弾の種類すらもわからなくて。右往左往している時、棚の隅に引っかけられていたこのファイル、いつしか没頭して読みふけっていた。
 パラリとページを捲っては、小さな文字で綴られたそれを読み進めて行く。
 『BERETTA M93R-AG 2nd』。それが、この銃の名前らしい。装弾数は20+1発。
 セミ・オートと、三点バーストの切り替えが可能。えっと、セミ・オートっていうのは一回引き金を引けば一発の銃弾が発砲されるもので、この三点バーストっていうのは、一回の射撃で三発の発砲が可能。
 ノートの最初の方のページで、素人が発砲する際の注意とかっていうのも書いてあった。発砲するとき、その威力が大きければ大きいほど、真後ろに反動が掛かる。あたしみたいに体重も少なくて腕も細い女の子は、しっかり構えて撃ちなさい、っていうお話かな。
 なるほど、だからさっき智さんへ発砲した時、あたしまでドンッて吹き飛ばされちゃったわけだ。
「――…ドンッ。」
 ああ、今でも鮮明に覚えている。
 すごい反動が掛かったと同時に、鉛が吹き飛んでいく、あの感じ。
 気付けば、智さんが頭から血を流して倒れていた。
 血が、たくさん。血だまりを作っていた。
 その時はさすがにあたしもテンパっていて、血塗れで倒れている人間に近づく気にはなれなくて。
 銃を手に逃げ出すように部屋を出たけれど、今思えば、ちゃんと死んでいるのかを確認しとけば良かった。
 ……まぁ、大丈夫だろう。
 あれだけの血を流してればしっかり重症なんだと思うし、智さんは武器も持ってない。
 そのうち禁止エリアで部屋を出た頃、誰かに殺されたりすると思うし。
 そうでなければ、次にあたしが智さんに会った時に、留めをさしてあげればいい。
 武器のない人間なんてゴミのようなもの。負ける気がしない。
「弾薬について……」
 ページを捲り、目に入ったタイトルを読み上げた。そこには、弾薬――いわゆる銃弾の詳しい構造が図と共に記されていた。
 こんなこと学校では習わないし、そもそも知ろうと思うことすらなかった。
 そんな知識なんかなくっても普通に生きていけたから。
 だけど今は違う。ハルと一緒にさらわれたあの日から。ハルが死んだあの時から。
 あたしには、殺すための知識が必要になったんだ。
「鉛……?」
 弾薬に主に使用されている物質、鉛。
 重量はあるけれど非常に柔らかく、
 人間の体内に入り込めば、体内の組織とぶつかりながら形を変える。
 体内へ侵入した時は細長い形でも、貫通して、体外へ排出される頃には……
 形を変え、ひしゃげた状態になっている。
 故に。
 射入口と射出口の大きさに、差が生じる場合が多い。
「……ぁ……」
 文章を読み終えた時、ゾクンと、快感にも似た震えが背筋を駆け抜けた。
 何だろう、この感覚。
 怖いくらいに、欲しい。
 何が?何がって。
 結果が?
「やってみたぁい……」
 無意識に零れ落ちる言葉。
 手にした銃を軽く撫でて、その重みを両手に感じる。
 細い弾薬が、体内で形を変えて、排出される頃には横に広く、なっていて
 それが体外へ排出される瞬間に、あぁ、きっと、たくさんの血が吹き出して
 当たり所によっては絶命しないかもしれない。
 身体に穴を空けたままで、苦しみながら、血を流しながらも、生きる。
 あぁ、銃って凄い………。
「………は、ぁ…ッ…」
 いつしか息が荒くなっていた。
 ぞくぞくと震える。そんな凶悪なものが、今、あたしの手の中にある。
 心の底に生まれる感情は一体なぁに?
 それはとても醜く、汚れたものかもしれない。――どす黒い歓喜。
「殺し、てッ、みたい……!」
 ぎゅっを銃を握り締め、次第に喉の奥から溢れるのは、自分でも驚くほどに楽しげな笑み。
 あぁ、誰か。無防備な身体を見せて。
 この銃で、貫かせて。





 彼女と二人で過ごすようになってから、長い時間が過ぎた。
 いや、私―――水鳥鏡子―――にとってはそう思えるだけであって、今まで真昼様と過ごしてきた二週間という時間が一概に「長い時間」とは言えないのかもしれない。その内、「恋人」という関係であれたのはどれほどか。私にとって、その全ての時間が愛おしく、満ち足りたものだった。
 もう、満足なのだと。私がそう切り出したら、真昼様は一体どんな顔をするのだろう。
 結局私は、失うことから逃げ出したいだけなのかもしれない。
 このままずっと永遠に、真昼様の優しさに包まれていたいと願うことは、いけないこと、だろうか。
「こーら、鏡子?使ったパソコンはちゃんと閉じること。」
 ぼんやりと夜の空を眺めていた私に、窘めるような口調で言いつけられる言葉。慌てて振り向くと、私が閉じ忘れていたノートパソコンをパタンと閉じ、苦笑を浮かべる真昼様の姿があった。
「あっ、ごめんなさい。……以後気をつけます。」
 頭を下げると、「宜しい。」とどこか冗談めかした口調で返してくれる真昼様に、少しだけ笑った。
 真昼様はお風呂上りの髪をタオルで拭いながら、すとんとベッドに腰を下ろす。……つい、その姿に見惚れてしまう私がいた。彼女はこうして常に一緒にいても隙がない。寝間着=ラフな普段着の私とは違い、ナイトドレス……っていうのかな。サテンのセクシーな上下に身を包んで、眠りにつく。前に一度そのことについて話した時は、「こういう寝間着がないとぐっすり眠れないの」と苦笑していた。
 ―――素敵な人。
 心が揺れるのを抑えるよう、彼女から視線を逸らして時計を見上げると、午前の一時を指していた。
 私と真昼様は恋人、ということになっているけれど、恋人としての行為が少ないのも事実。
 精神的には満たされているけれど、……その…身体が。恥ずかしい話だけど、彼女を求めてしまう。
「鏡子、そろそろ眠らないと明日に響くわ。……幸い今回は禁止エリアにならなかったけれど、明日からはどうなるかもわからないものね。」
 真昼様の呼びかけに振り向いて、「はい」と一つ頷きながらベッドへと歩み寄る。
 “明日からはどうなるかもわからない。”
 その言葉、聞きたくはなかったけれど、それは変えようのない事実だった。
 だからこそ今日は殊更に、色々なことを考えたり、色々なものを欲してしまうのかもしれない。
 こんな貪欲な私は嫌われてしまうだろうか……。
「あの……真昼様……」
 おずおずと言葉を掛けると、真昼様は尚もタオルで髪の水気を拭いながら、不思議そうに私を見上げる。
 何を言い出せばいいのか。躊躇ってしまって、言葉にならないままで彼女の隣に腰を下ろした。
「なんて顔してるの?」
 クスッと笑いながら、真昼様はすっと私に手を伸ばした。
 あぅ、顔に出しているつもりはなかったのに。
「ごめんなさい……私……」
「怖い?」
 私の心を見透かしたような問いかけに、伏せていた視線を上げる。
 私を真っ直ぐに見つめる真昼様の瞳。そこには、強い意志が灯っている。
「欲しい、です。」
 彼女には何の嘘もつけないような気がして、短くそう伝えた。
 真昼様は不思議そうな顔をして私を見つめ、「何が?」と首を傾げる。
「……真昼様が。」
「私?」
 きょとんと私を見る丸い瞳。その後でどんな顔をされるのか少し怖かった。
 けれど、少しの間を置いた後、真昼様はプッと小さく吹き出していた。
「言うことが可愛いわね。」
 真昼様は尚もクスクスと笑いながら、そっと肩を抱いてくれる。そしてそのまま、ぐっと引き寄せられた。
 縮まった距離、真昼様のその唇がすぐ目の前にあった時、ドクンドクンと、心音が速度を増す。
 互いの温度が触れ合う距離でしばし黙り込んだ後、私は彼女を見上げて、告げた。
「……キス、したいです…」
 自分からこうして相手を求めたのは、もしかしたら人生初のことかもしれない。
 今だって不思議な感覚。こんなにも目の前の相手のことを求めて止まないだなんて。
 ただ考えるだけで、こんなにも心臓がドキドキするだなんて。
 ふわりと、彼女の指先が私の髪を撫ぜる。ふっとうなじを掠っていく感触にぞくっと小さく震えた時、真昼様は私の耳元で囁いた。
「私のこと、好き?」
 どうしようもなく甘美な響きを持った問いかけ。
 即答したいところだったのに、上手く言葉が紡げずに、私はこくこくと何度も頷くだけだった。
「そう……。私も貴女のことが好きよ。」
 真昼様の言葉に有頂天になりながら、すっと顎を持ち上げられ、私は動きを止める。
 数秒間見つめ合った後で、引き寄せあうようなキスを交わした。
 あぁ、まるでドラマみたい。魅惑的なシチュエーションに酔いしれていく。
「最近、イチャイチャしてなかったわね?」
 唇を離した後で真昼様が言ったのは、どこか冗談めかした台詞。
 私はそれに少し笑って頷いて、そっと彼女の手に自らの手を重ねる。
 ああ、私は上手い台詞の一つも思いつかない素人だけど――
「もっと、いっぱい。……したいです。」
 気持ちは全てが本物で、ドラマなんかではありえないほど、心底相手を求めている。
「鏡子。求めてくれる気持ち、すごく嬉しい。」
 真昼様は笑みを深めてそう言うと、私の頭を優しく抱いて、更に深いくちづけをくれた。
 どうしよう。身体がどんどん先走ってしまう。
 こんなに貪欲になったのは、きっと、今が初めてだ。
「ふぁ……真昼様ぁ……」
 キスにとろけて、既に上手く回らない舌で彼女の名前を紡ぐ。
 愛しくて、どうしようもなくて、僅かに流れ込んだ唾液すらも全部全部吸収して、それでも尚足りなくて。
「鏡子?……どうしたの、なんだか甘えんぼね?」
「だって、真昼様がッ……」
「……鏡子?」
 私、いつもと違う。
 そんな私がおかしいのか、真昼様は不思議そうな表情を浮かべていた。
 上手く言葉にならない感情がもどかしい。
「真昼様が大好きなんですッ、こんなにめいっぱい……ねぇ、助けてッ……」
 苦しくてわけがわからなくて、そんな言葉を紡いでいた。
 そんな私の頭を優しく撫ぜ、
「大丈夫よ。私もきっと鏡子に負けないくらい貴女が好きで、……貴女のことが欲しいもの。」
 宥めるような、それでいて扇情的な囁きの後。
 どさりと。私の身体をベッドに押し倒し、三度目のキスをくれる。
 あぁ……――
 背中に柔らかな感触を感じた時。彼女の力が私に加えられた時。
 私の想いに彼女が応えてくれた時。彼女の愛をストレートに告げられた時。
 色んなきっかけだったのかもしれない、けれど。
 ベッドに押し倒された瞬間、ふっと、悟った。
 こんなにも彼女を求めている理由。
「いっぱいにして……まひるさまで、わたしを満たしてください……」
「もちろんよ……愛してるわ、鏡子。」
 甘美な囁き。じれったい愛撫。生温かい彼女の舌の感触。
 細い指が私の素肌を滑り、敏感な箇所を探っていく。
 彼女の温度を、彼女の存在を身体いっぱいに確かめたくて、私は真昼様の身体を強く抱きしめていた。
 ―――これが、最後。
 こうして身体を重ねるのは、これが最後なんだ。
 それは私自身がいつしか導き出していた結論。
 最後の温度を分かち合った後で、彼女に告げよう。
 もう満足だと。――これで、終わりにして欲しいのだと。





 はだけた胸元に朱を落とす。じわりと馴染ませるようなキスマーク。
 同じような痕を幾つも作った後、ようやく私―――望月真昼―――は鏡子の身体から顔を離す。
 ほんのりと紅潮したピンク色の肌が可愛らしい。
「真昼様……」
 ゆっくりとした呼吸を何度か繰り返し、力の入らぬ様子で視線だけを私に向ける。
 そんな鏡子の頬を撫ぜた後、額へ、頬へ、唇へとキスの雨を降らせた。
 鏡子はくすぐったそうに身を竦め、潤んだ瞳を細めれば、すっと落ちる一筋の涙。
「気持ち、い?」
「はいッ…」
 共に生まれたままの姿で、常にその素肌を触れさせながら、甘い時間は続いていた。
 まだ身体が敏感なのだろう、指先で鏡子の身体をなぞっていれば、鏡子はどこか鼻に掛かった声を漏らして私の指から逃げようとする。そんな反応を見せられれば、余計にいじめてあげたくなるというもの。
 余韻の残る鏡子の身体、くすぐるように、撫でるように手を滑らせ、時折軽いキスを交えた。
「ふぁッ、真昼様……だめ……」
「気持ちいいんじゃなかったの?」
「やぁ……痺れてます…」
 私から逃げようとしながらも、それが出来なくて身体を縮めるだけ。鏡子の漏らす声は、どこか甘く、舌足らずなものだった。くすくすと、小さく零れる鏡子の笑い声に、私も自然と笑みが浮かんでいた。
 じゃれあいながら、二人っきりの時間は流れていく。
 そこにあるのは互いのぬくもりと、感触。そして時折囁かれる甘い言葉だけ。
 この時間がずっとずっと続けば良いのに、と。願わずにはいられないほどに、愛しい時間。
 しかし、時の流れは残酷で、決して止まることなどなくて。 体温とまどろみに支配された時間をどれほど過ごした頃か、鏡子の身体に寄り添うようにベッドに身体を横たえたまま、ぼんやりと闇に紛れる時計に目を向けた。―――四時。
「……真昼様、まだ起きてらっしゃいますか……?」
 小声でそう呼ばれ、顔を上げようとしたけれど、上手く力が入らない。
 私の身体もいつのまにかとろけていたのかもしれない。
「起きてる。鏡子もまだ起きていたのね……」
 呼びかけに応えながら、鏡子の手を闇の中から探り当てる。掌に指先を滑らせた後、指を絡め、鏡子の柔らかな手をぎゅっと握った。すぐにきゅっと握り返す感触が愛しくて、その温もりに支配されるように、私は目を閉じる。
「私、真昼様にお話ししたいことがあるんです。」
 真っ直ぐな口調だった。先ほどとは全く違う、しっかりとした口調で鏡子は言う。
 衣擦れの音とベッドが僅かに軋む音。目を開くと、鏡子は上体を起こし私を見つめていた。
 視線が合えば、鏡子はふっと柔らかな笑みをたたえて。握り合った手はそのままに、もう一方の手で私の髪を撫でる。くすぐったいような、それでいてとても温かい感触に、目を細めた。
「どんなお話かしら……」
 身体を起こそうとすれば、それを制すように私の肩に置かれる手。
 少し戸惑ったけれど、私はベッドに横たえたままで鏡子の言葉を聞くことにした。
「私は……真昼様に、謝らなくてはいけない……。」
「謝る……?」
 鏡子の表情は、ぼんやりと窓から差す月明かりに照らされるだけでどこか心許ない。
 不安げな、困ったような弱い笑みで、鏡子は告げる。
「ごめんなさい、真昼様。私、そう長くは生きられないと思うんです。」
 鏡子がぽつりと口にした時、ゾクン、と、心臓が凍るような思いに捕われた。
 それが酷く深刻な話だということ。そして、鏡子の悲しげな語り口。
 これ以上、聞きたくないとすら思った。
「どうしてそんなこと言うの。少しでも長く、二人で一緒にいたいって……言ったじゃない。」
「――私は罪を犯しすぎている。そんな私に罰が下ることは当然なんです。それに、このプロジェクトに乗っている以上は、私達はずっと一緒だなんて言っていられない。……終わりが怖い、です…」
「そんなのッ……」
 言葉が荒立ってしまう。慌てて口を噤み、一呼吸置いてから再度鏡子を見つめ直した。
「私だって怖いわ。確かに私達の間に永遠なんて存在しない。……だからって、じゃあ一体どうするの?二人で心中なんて言うんじゃないでしょうね?」
 やはりどこか厳しくなってしまう口調で私が言えば、鏡子はすっと視線を逸らし、ゆるりと首を横に振った。
 その表情は、思い詰めているようにも見えて。きゅっと閉じあわされた唇が不吉に思えた。
「私は、……私は真昼様だけのものになりたいんです。」
「え……?」
 鏡子は零すような口調で言った後、真っ直ぐに私を見る。
 その瞳に、ドクンと、心がざわめく。
「私を、貴女のお人形にして下さい。」
 ストレートな言葉。
 その、意味が すぐに理解出来てしまった。
 私はゆっくりと身を起こし、同じ高さの視線で鏡子を見つめる。
「そんなことできるわけが……」
 ゆるりと首を横に振り、私は彼女の言葉を否定した。
 お人形。つまり、それは。
 ――あの時のように、心を支配して欲しい、ということ。
 そして鏡子の様子から汲み取れば、もうそこに、自我などいらないと。そう言っているように思えた。
「そんなこと!そしたら鏡子は、もう鏡子という人間はいなくなるのと同じことなのよ?」
「私は真昼様のそばに。真昼様の中にずっといます。……」
「でも……」
 目を伏せ、彼女の言っている意味を、そして自分自身の意向を考える。
 どうして彼女はそんなことを望むのか。
 なぜ私は、それを否定しようとしているのか。
「真昼様……」
 けれど、私の思考は途絶えてしまう。
 ぎゅっと握りなおした二人の手。鏡子の指先が私の頬に触れ、そのまま不意のくちづけを交わす。
 長いキスだった。何十秒も触れ合わせ、やがてそっと顔を離す。
 その時気付いた。鏡子の頬に、涙が伝っていることを。
「泣かないで……」
 その涙を手で拭い、頭を抱いて頬にキスをする。鏡子の悲しげな表情が、私の胸を締め付けるようだった。
 鏡子は泣きながら弱い笑みを見せて、ゆっくりの口調で紡ぎ出す。
「私の我が侭なんです……。もう傷ついたり失ったりするのが怖くて、怖くてどうしようもない。」
 あぁ、その気持ちは痛いほどによくわかる。
 大切な人を失った時の気持ち。それがどんなに空虚で絶望に満ちたものなのか。
 けれどそれでも、鏡子がいたから私は救われた。
「もうこんなッ……苦しい思いとか、何もかも消してしまいたい……。貴女のためだけに生きていたいっ…」
「鏡子……ずるいわ、そんなの……」
 彼女の手をギュッと握って。
 反論が浮かんだ、けれど、それと同時に
 ――ある人物の顔が、脳裏を過ぎった。
「お願いです。私の心を貴女のものにして下さい。貴女で満たして下さい。」
 鏡子の一生懸命の懇願に、私は暫し返す言葉を持たなかった。
 ずるいのは、私の方なのね。
 鏡子だけを。そう思っていた。この子だけを愛せたら、どんなに良いかと。
 けれどあの人は私を捕えて離さない。あの人の愛が、私のそばに居続ける。
 鏡子をどんなに抱きしめても、どんなに愛しても、それと同時に私はあの人のことを愛している。
 ―――……闇村さん。
 鏡子にとって、私は唯一。
 だけど私は。
「……鏡子。貴女を洗脳するということは、貴女を殺してしまうことにもなりかねないのよ。」
「わかってます。」
「貴女の心すらも、私が支配してしまうのよ?貴女の意思はなくなるのよ?」
 不意に、握り合っていた手が解かれたかと思うと、鏡子はその両手を私の頬に当てた。
 指先の感触と、真っ直ぐに見つめられる瞳と、そして彼女の微笑。
 全てが、固い決意を表しているように見えた。
「いいんです。私は貴女のために生きていきたい。真昼様のためなら、何も厭いません。」
 これが鏡子の愛なのだろうか。
 途方もなく大きな愛。そして恐怖。
 これが鏡子の最初で最後の我が侭ならば。
 私はそれを叶えることで、彼女の愛に応えることになるのではないか。
 彼女の瞳に見つめられたままだと、考えが流されていくようにも思うけれど。
 これで、いいのかもしれない。
「鏡子。」
 小さく名を呼んで、「はい」と応えながら笑んでくれるその表情に、私もふっと笑みを返した。
 きっと心を失っても、私のお人形になったとしても、鏡子はこうしてそばで笑ってくれるのだろう。
 きっと、私の愛が闇村さんへ向いたとしても それでもこの子はこうして笑っているのだろう。
 ただ、真っ直ぐな愛を携えて。





 ベッドにごろんと転がったまま、私―――宮野水夏―――は遠い天井を見つめていた。
 闇村さんのいる管理人室を出てから約半日。遂に殺し合いは再開してしまったわけだが、幸い今のところは無事でいる。今私がいるのは「12−B」。元は、鴻上光子の個室だった部屋。私の自室は霜とゆきが占拠していて戻れないとして、他に条件の良い個室はどこかと考えた時、やはり飲食室に近い部屋が良いのではないかと、そう思った。それともう一つは、ゆきや霜からなるべく遠い場所。なぜこんな風に考えてしまうんだろうな。よくわからないけれど。そんな理由で、私は今この部屋にいる。
 しかし、他の参加者に比べ不利だという点は否めない。何故かって、この部屋の主は既に死亡しており、ロックシステムが解除されているからだ。もし誰かがこの部屋のドアノブを取った時は応戦か、或いは説得か。逃げる選択肢など存在しないわけだ。
 私の命綱はナイフか。良い武器なのだが、今一つ心許ない。相手が銃なら明らかに不利だっつーに。
 前途多難。というか、一体どうしたらいいんだろうな。本当に。
「……神崎美雨か、霜とゆきか……」
 私が今起こすべきアクションは一体何だ。
 闇村さんに従うことしかないのか。いや、従わないのは、それ即ち裏切りに値するんじゃないか。
 延々ループする思考。歯痒くて、ベッドの上で寝返りを打った。
 どうしてこんなことになってしまったんだろう。ほんの数週間前までは、ただの夜間学生だったはずなのに。
 元はと言えば、私がUFOを探しに行くだなんて言い出さなければ良かったんだ。
 そしたら、私だって霜だってゆきだって、平凡だけど幸せな毎日を送っていたはずなのに。
「………なんてな…」
 悔やんでも仕方がないことは重々承知。だけど、やはり後悔だけは捨てきれない。
 あぁ、こんな時、横に誰かがいてくれたら。思い浮かぶ顔はどれも、それが不可能な人物ばかり。
 闇村さん。霜。ゆき。家族、親しくないクラスメイト、職場の上司、あぁもう、誰でもいいのに!!
「はー……」
 大きく息を吐き出した後、私は勢いをつけて上半身を起こした。
 こうやって悩んでばかりじゃ始まらない。始まらないけど、でも………
「………。」
 またループしてしまいそうな思考。不意にそれが途切れたのは、何気なく見遣った窓の外の景色だった。
 景色といっても、黒いフィルムの向こうにはぼんやりと佇むオフィスビルが見えるだけだ。
 そのビルの中、緑色の光は非常灯だろう。―――その緑が、私に何かを訴えかけていた。
「……そうだ…」
 思いついたのは、ある行動。過去にも何度か実践したことはあるけれど、成果は今一つだった。
 いいや、この際なんだっていい。ほんの僅かでも可能性があるのならば。
 思い立ったら即行動、ということで、私はベッドを降りて窓際へと移動する。
 ガラスに両手を引っ付けて、見上げるのは闇色を増した夜空。
 じっと空を見つめた後で、大きく息を吸い込んで、吐き出した。
 もしも。もしも私の想いが届くのならば―――……
「宇宙に届け☆私の電波!!」
 精神統一!無心になるんだ私!さぁ、行くぞ!
 発信発信。アンテナは空へと挙げた二本の指先!
 レッツゴー!オーラを放て!
 そうだ、そして宇宙にいる誰かの元へ届けるんだ☆
「ハーイリ、ハイリ、ハイリッホー!」
 大事なのは愛だ!!そして願いだ!!
「フレーホーホー、大きくなれよー」
 届いてくれ……!!
 ………
 ……
 ――……!!

 待て!そんな、そんなのありなのか!!
 電波を発しておきながら何だが、本当にそんなことが起こっても良いのだろうか!!
 これこそ奇跡!間違いない!!

『助言してほしい?』

 響き渡ったその声。
 脳裏に直接訴えかけるような響き、確かに私へと向けられたものだった。

「あ、あなたは……!?」


 待て、次回!!








Next →

← Back
↑Back to Top