「………。」 あたしは無言で左右の二人に目配せする。 二人が頷くのを確認すると、あたしは一気に扉を蹴り開けた! バァンッ!! 見事に同じタイミングで、別のドアが蹴り開けられた。 部屋には一人の男が居た。 長身の白人。白衣に眼鏡。 男は、あたしたち三人と、そして別のドアから入ってきた理生さんたち三人を見遣り、薄く笑んだ。 「まさか此処まで来るとはな。自分の部下達がいかに無能かが良くわかったよ。」 六つもの銃を向けられているにも関わらず、それでも、男には余裕があった。 あたしは銃口を男に向け、問う。 「都はどこなの!?」 男は薄く笑んだまま、言った。 「それを君たちが知る必要はない。」 「どういうこと!?撃つわよ…!」 男はニヤリと薄い笑みを浮かべ、言った。 「……私は、有能な部下を二人も持っていてね。」 「え…?」 ………刹那。 あたしのコメカミに、冷たい感触があった。 「…悪いわね、千景さん。」 ……依子だった。 依子はあたしに銃口を押し当てる。 そして…… 「………理生…さ…」 「………。」 理生さんの持つ銃は、男にではなく、秋巴のこめかみに押し当てられていた。理生さんは無表情にあたしを見遣り、またすぐに男に目線を戻した。 ど…、…どうして……? 好きだって…言ってくれたじゃない…。 あたしのこと、一生好きだって…。 …言ったじゃないっ……!! 『千景ちゃん。』 『…好きなの。』 『本当は妬けちゃうんだから。』 『私の気持ちも…知っててね。』 『私の想いは永久不変。…千景ちゃんにとっては、迷惑かもしれないけどね。』 『好きよ。』 「やれ。」 男の声がした、次の瞬間。 二つの銃声が、鳴り響いた。 男は、崩れ落ちた。 心臓部に赤い染みを作り、口から赤い血を吐いて。 「………Rio…n………?」 男は、私―――呉林理生―――を見上げ、不思議そうに瞳を揺らした。 「何故…だ…。………私を…裏切る…のか……?……」 男は英語で、そう呟いた。 私は煙の上がる拳銃のその場に捨て、男に歩み寄り、血の付いた眼鏡を外した。 「………貴方には感謝しているわ。私を、……、……愛してくれた貴方。」 血に塗れた男の唇に、私はそっと口付けを落とした。 「……でも、私は愛してしまったのよ。………敵である、人間を。」 どさっ。 もう一人、血に塗れた人物がいた。 彼女は、脇腹に血の染みを作り、壁に背をもたれ虚空を見つめていた。 「……依…子…。」 千景ちゃんが、そう呟く。 その隣には、硝煙の残る拳銃を構えたままの佳乃ちゃんの姿があった。 「はっ…」 依子は、小さく自嘲的な笑みをこぼした。 「……結局、…愛が勝つ…、…って…?」 つっ…と…唇の端から血が流れる。 「あんたたち皆……愛し合ってた……。 …でも、…あたしたちは……… あたしたちの愛は……すれ違ってばっかり……。」 ………。 その時、奥のドアが静かに開いた。 そこには、いつも煙草の匂いがする、あの女がいた。 「………。」 相変わらず、悪趣味な赤いルージュを付けた女。 「……博…士……?」 女は、部屋の中央で崩れ落ちた男に歩み寄った。 依子は苦しそうに息をしながら、その女をじっと見つめていた。 「…博士…、……博士ぇぇぇぇっっ…!!!」 女はその場にへたり込み、既に絶命した男の亡骸にすがった。 依子が愛していた女は、死んだ男を愛していた。死んだ男は、私を愛していた。私を愛した男を、私は裏切った。 「誰が…、………誰が殺したの…。………誰が…っ……!?」 「…あたしよ、エリー。」 静かに名乗り出たのは、私ではなく… 依子だった。 「依…子……?……どうして…?」 エリーは、ふらふらと依子に歩み寄った。 「……フフ…、……あははは…!!そう、その表情が見たかったの。最愛の人を失ってその冷徹な仮面を取った、その顔がね…!」 「依子…。」 エリーは、静かに依子の首に手を掛けた。 憎悪を剥き出しにし、怒りに狂った女。 「殺してやる……殺してやる…!!」 パンッ。 乾いた音と共に、エリーの背中から血が噴き出した。 即死だった。 亡骸と化したエリーは、依子にもたれかかるように、崩れ落ちた。 「……あはは、……ははははっ……!!!」 依子はケタケタと笑い続けた。 ……、 「……愛しているわ…、…エリー…。」 ……依子の言葉は、もう届かなかった。 「都さん!!」 「…か…、……和葉…!?」 「大丈夫ですかっ!?今開けますから!」 手が震えて、鍵穴に鍵がはまらない。 ぐいっと押し込んで、なんとか開いた。 それから都さんの手足の自由を奪う拘束具の鍵も開けた。 カチャって音がした瞬間、張りつめていたものがプチンッて切れて、私―――五十嵐和葉―――は、その場に座り込んでしまった。 「……バカ!!」 突然飛んできた叱咤の言葉に、私はビクリと身を強ばらせる。 「なんで来たのよ…こんな危ないところに!」 都さんはあたしに叱りながら、抱きしめてくれた。 「だって…だってっ…、…放っておけるわけないじゃないですか…。都さんのこと、放っておけるわけないじゃないですか…!!」 「…和葉……。」 「都さんが無事で…、本当に良かった…。」 「……あたしも、和葉が無事で本当に良かった。…愛してるわ、和葉。」 「…え……?」 私は驚いて顔を上げた。 しかし都さんの顔は見れなかった。 唇を塞がれ、私は…何もできなかった。 …愛してる…?……私を……? ……私…だけ……? 「…依子……!?」 帰ってきた六人、…いや、都さんを含めた七人に最初に駆け寄ったのは、美憂だった。 私―――珠十六夜―――は、その光景を見つめていた。 「依子…っ、大丈夫か!?」 美憂が必死になって名を呼ぶ女性は、秋巴さんに背負われ、意識を失っているようだった。 「美憂ちゃんの言う通りだったよ。」 「……え…?」 千景さんの言葉を、美憂が聞き返す。 「……もし依子のそばにあたしが付いてなくて、裏で連絡とか取られてたらヤバかったかもね。」 千景さんの言葉を、美憂は理解できないようだった。 「…何を…言っているのだ…?」 「何って…、……言ったじゃない、美憂ちゃん。依子には注意しろって。」 「……注意しろ…?……、……確かに…言ったが…、……私は…私は…、……乾に、依子を守って欲しかったのだ…」 「…え…?」 「…依子は…、依子は…一体…?」 美憂の言葉に、千景さんはしばし躊躇ったのち、言った。 「依子は米軍のスパイだったのよ。」 『スパイ…!?』 そう聞き返したのは、美憂だけではなった。 「…嘘…、…なんで…?…なんで、依子が……スパイだなんて…!?」 「……な、何言ってるんですか…千景さん…冗談ですよね?…依子さんが、そんなんなわけ…!!」 伽世さんと、六花ちゃん。 「……その三人の反応が、何よりの証拠でしょう?」 私は言った。 「……その子は最初から、私たちの仲を引っ掻き回すつもりだったのよ。現に、あなたたち二人が…引き離されたようにね。」 私が言うと、伽世さんと六花ちゃんが顔を見合わせる。 「十六夜…、…それじゃあ…。」 美憂がポツリと呟いた。 私は薄く笑んで、頷いた。 「わかってたわ。美憂が他に誰か好きな人がいるんじゃないかって。……昨日、はっきりしたもの。」 「………。」 皆が集まった玄関ホールは、沈黙に包まれる。 「………とりあえず、このスパイをどうするかなんだけど。今医療室に連れてって、手術すれば…助かるかもしれないよ。」 秋巴さんの言葉に美憂ははっきりと言った。 「施術する。急いで医務室へ!」 ぞろぞろと皆が医務室へ向かう中、私はその場に留まった。 一人、その場にうずくまる。 美憂……、…美憂っ……!! …………どうして、私……。 …美憂を捕まえて、おけなかったの…。 私には…美憂しかいないのに…。 『依子。』 『依子。』 『依子。』 『依子。』 …… ……… 色んな声が、あたし―――水戸部依子―――の名前を呼ぶ。 次第に、その声の主が姿を現わす。 博士。 理生。 美憂。 伽世。 六花。 千景。 彼らは過っては消え、過っては消えた。 永遠に続きそうなループ。 数回か、もしくは何百回かのループを繰り返した頃、あたしは気づいた。 一人足りない。 あたしの名前を呼ぶ人。 あの、官能的な声で。 赤い唇で。 あたしの名前を呼ぶ人。 ふっ…と、ループしていた人たちが消え、辺りは闇に包まれる。 エリー。 あたしの声は闇に掻き消される。 エリー。 エリー。 それでも呼び続けた。 エリー、あたしの名前を呼んで…と。 …そう、それが貴女の望みなのね。 エリーの姿は、そんな言葉と共に現れた。 ああ、エリー。 あたしの名前を呼んで。 エリー。 彼女は、薄く笑んだ。 赤い唇を歪めて、笑んだ。 彼女はあたしを見つめ、 言った。 「殺してやる……殺してやる…!!」 笑みは消え、憎しみに支配された表情。 憎悪を、あたしに向ける彼女。 エリー。 あたしはあなたを愛している。 愛しているのよ。 エリーは悪魔のような形相のまま、あたしに迫り、言った。 「じゃあ、何故撃ったの?」 違う…違う…あれは…違うの…。 本当はあたしが撃ったんじゃない! 博士を殺したのはあたしじゃない! 唯…撃ち殺したかった気持ちもあるわ。 だって憎いもの! あたしがこんなにエリーを愛しているのに、エリーは別の男性ばかり見ている。そいつを殺したくなるのも、当たり前でしょう? 「違うわ。」 ………え…? 「私が聞きたいのはそんなことじゃない。」 ……… …… … 「何故撃ったの? …私を。」 … …… ……… 「………!」 明るい照明で目を焼く。 あたしは一瞬、混乱に陥った。 あたしどこにいるの? 何?今はいつなの? …… … ……あたし、生きてるの? 背中から撃たれて、…もう駄目だと思ったのに。どうして…? ………まさか…、そんな…。 そっと上に手を差し出すと、透明の何かが触れる。少し力を入れて押すと、グッと持ち上がる。 「…く…!」 その時、腹部に鈍い痛みが走る。 手を落とすと、ガタンと音を立てて持ち上がった物が元に戻る。 …その時、ふっと上の照明が何かに遮られた。 見上げると…、見慣れた顔があった。 涙腺が熱くなるのを感じて、あたしは目を伏せた。 「…依子?…目が覚めたようだな。」 機械の音がして、上の透明の蓋が外された。 もう疑い様もない。 あたしはあの施設に戻ってきたんだ。 「………大丈夫か?痛みは?」 見慣れたその顔。滅多に緩むことのないその表情も、今は優しげな柔らかい表情を浮かべていた。 「…み…ゆう…。」 あたしはその存在を確かめるように、呟くように名を呼んだ。静かに手を伸ばす。 「…まだ、意識がはっきりしていないのか?もう少し休…」 「美憂…っ…!」 あたしは美憂の首に手を回し、強引に抱き寄せた。 「わ、…よ、依子…。…なんだ、元気なら元気と…」 …元気じゃないわよ…。 今ので、お腹のところ、思いっきり痛んじゃったじゃない…。 あ…、…やっぱり…、……美憂だ。 この匂い。この触り心地。この体温。 「…言えばいいのに。またこんなこと…。」 「名前…呼んでよ…。」 「え…?」 涙が溢れて、視界がぼやける。 ううん、何も見えなくたっていい。 この温もりが感じられればいい。 この匂いが嗅げればいい。 そして… 「……名前…呼んでよ…、お願いよ…。」 「…依子…?」 「…もっと…もっといっぱい呼んで…。 お願い…っ…!」 「依子…、…依子…依子…。…より…こ。」 この声が聞こえれば、それでいい。 「……さ、裁判?」 私―――小向佳乃―――は、千景の言葉を聞き返した。 「そう。裁判。ここまで話し合って結論が出ないなら、ちゃんと正式に全員の意見も集めて白黒つけるべきだと思うの。」 千景から、いつもはない威圧的なオーラがにじみ出ている。 「…裁判…ねぇ…。」 蓮池先輩が顎に手を当てて千景の言葉を検討する。 「ま…その方がはっきりしていいかもねぇ。」 そう言ったのは都さんだった。 小会議室には、私たち警察の人間三人と、今回の件に関係する人…都さん、和葉さん、秋巴さん、そして依子さんと最も仲が良かったと思われる銀さん。 理生さんと依子さんの対処をどうするかを話し合っていた。しかし、意見は真向から対立した。 依子さんのことに関して、『厳重な処罰』を意見する千景と、『保護観察』を意見する銀さん。 「…ったく。なんでこんなに話し合いが難航するかがわかんない!依子は明らかに悪意があったのよ?米軍のスパイで、あたしに銃まで向けた!佳乃が依子を撃ってなかったら、今頃あたし死んでるのよ?」 千景は早口にまくしたてる。 しかし銀さんも負けてはいない。 「しかし、何か理由があったのかもしれない。絶対悪と断定するのはどうかと思う。本人から直接話を聞いたわけでもないのに、何故そう決めつける?」 「決めつけるって、当然じゃない!あたしに銃を向けた時点で、有罪でしょう!」 「だから、それは…」 「そこまで!」 二人の言い争いを静めたのは、蓮池先輩だった。鳴呼、やっぱり蓮池先輩は頼りになるなぁ。あたしなんて、何も出来ない傍観でしかない。 依子ちゃんのしたことは、確かに罪深いことだけど、でも銀さんの言うように、もしかしたら何か理由があるのかもしれないし…。 「千景ちゃん、もし裁判をするとしたら、あなたは検事役をやれる?」 「え、検事…ですか?」 「そう。つまり水戸部さんの動機を立証できるか?」 「ど、動機…?そんなの、あるわけが…」 「できるかできないかと聞いているの。もし出来ないのなら、水戸部さんの立場は限りなく無罪に近づくわよ。」 「え…、そ、そんな。…で、出来ます。なんとしても立証してみせます!」 「そう。」 蓮池先輩は、千景の言葉に頷いた。 「今の検事側の発言で、彼女は逆に、有罪に限りなく近づいたわ。このままの状況じゃ、彼女は…確実に有罪ね。誰か、彼女を弁護する人間がいない限りは…ね?」 蓮池先輩は、そう言って銀さんを見た。 「言いたいことは分かる。 …よかろう。私が弁護側に付く。真向から戦ってやる。どうだ、乾検事?」 「……いいわ。戦ってやるわよ。 覚悟しなさい、銀弁護士サン。」 二人の間に火花が散る。 その様子に、蓮池先輩はまた頷いた。 「それでは、審議は一週間後に執り行なうわ。裁判長役だけど…」 「それは、蓮池さんしかいないんじゃない?」 都さんの言葉に皆が頷く。 「そう?皆、異存がなければ…僭越ながら私が裁判長を行ないます。」 「…決まりね。一週間後、覚悟してなさいよ、…美憂ちゃん。」 「その言葉、そっくりそのまま返すぞ、乾。」 二人は何度目かの火花を散らした。 「それから…」 蓮池先輩が、手元に何か書き込みながら、ふと言った。 「呉林理生…ことだけど。」 その言葉に、千景の動きが止まる。 「彼女の審理も同日に行なう。それでいい?」 「……ちょ、ちょっと待ってください。なんで理生さんの審議が必要あるんですか?」 千景は、今度は完全に逆の立場に立った。 「彼女はあたしたちを助けてくれたんですよ?敵にとどめを刺したのは彼女ですよ?そりゃ、以前は…あの施設の人間だったのかもしれないけど…」 「でも、もし逆だったら?」 「…え…?」 「呉林理生ではなく、水戸部依子が敵に止めを刺していたら?そうしたら、呉林理生には裏切りものの汚名が着せられたまま。つまり…」 「…つまり、…たった今話した同じ内容で…理生さんの罪について話し合うことになってたかもしれない…?」 「そういうことね。今の状況では、二人の真意を知るデーターが少なすぎると思うの。」 「………。」 「呉林理生にも、容疑があります。裁判は、必要です。」 蓮池先輩は厳しい表情で言った。 千景は返す言葉もないようだった。 「あの、でも…」 私は、ようやく発言のチャンスを見つけた。 「検事と弁護士。どうするんですか?」 「そうね。さすがに水戸部依子の審議と同じメンバーっていうのは…無理みたいだしね。希望があれば…」 「検事なら、私達がするよ。」 そう名乗り出たのは…秋巴さんだった。 「私…達?」 「私と…和葉。」 「……え?わ、私ですか?」 秋巴さんの隣に座っていた和葉ちゃんが、突然名指しされ驚いた様子で聞き返す。秋巴さんは、それに満面の笑顔で頷いてみせた。 「私は張本人に銃を向けられた人間だ。そして和葉は、それを目の前で見た。まぁ、和葉は助手程度でいいけどね。」 「……そうね。他に意見がなければ、秋巴さん達に…行なってもらうわ。」 意見を出す者はいなかった。 「残るは、弁護士だけど…」 千景が何か言いたそうな顔をした。 しかしそれは、ある音に遮られる。 ガチャッ。 小会議室の扉が開く。そこにいたのは、箕ナちゃんだった。 「話、聞かせてもらったわ。理生の弁護士、あたしにやらせてくれない?」 「箕ナ…。」 千景の表情が微かに曇ったことに、あたしは気づいた。 「必ず。必ず理生があたしたちの仲間だっていうこと…証明してあげる。」 「……他に異存がなければ、…彼女に決定するけれど…どうする?」 「……。」 千景は何も言わなかった。しかし、表情は決してそれを歓迎していない。 「千景ちゃん?…少なくとも、あなたよりは理生のことを知ってるつもりよ、あたし。いいところも…わるいところも。」 「………異議…なし。」 千景はポツリと言って、ふっと箕ナちゃんを見遣った。 「……絶対無罪にしなさいよ。じゃなきゃ許さないからね。」 その、千景の気迫に…あたしは嫉妬した。 理生さんのことが、まだそんなに大切? ……あたしは理生さんを、有罪にしたい。 あたしは、あの人が………嫌いよ。 「証人にならない?」 突然制御室にやってきた千景さんは、開口一番にそう言った。 「……証人?」 私―――珠十六夜―――は、煙草の煙を吐き出しきってから、聞き返す。 「そう、証人。……水戸部依子の罪を立証する…証人に。」 「………。」 水戸部依子と呉林理生の裁判。 朝の会で、聞かされていた。 今から6日後に行なわれるらしい。 …有罪になれば、あの子は…。 ……美憂は…? 「ね、どう?……十六夜さんも、依子のこと、良くは思ってないんでしょ?」 「……せっかくのお誘いだけど、私は彼女の罪を証明する証拠を何も持っていないわ。」 「証拠は…美憂ちゃんよ。」 「…美憂?」 少し動揺する。……何が言いたいの。 「依子は、美憂ちゃんにモーションをかけた。十六夜さんという恋人がいることを知った上でね。どういうことか分かるよね?」 「………。」 「…依子は、十六夜さんと美憂ちゃんの関係を引き裂くためにそんなことしたのよ。……って、そう最初に言ったのは十六夜さんでしょ?」 「………そうね、確かに言ったわ。」 依子がスパイだと知った時の美憂の表情。 あれを見た瞬間、無意識に口走っていた。 ……本当は、そうだと思いたかった。 依子が美憂を騙したのだと。 でもただ、受け入れたくなかっただけ。 美憂と依子が、本当に好きあっているという可能性を。 「ね。その時点で依子の悪意は固まってくるわ。他の証言と合わせれば、確実な証拠になる。……そうでしょ?」 「……でも、もっと決定的なものがあった方がいいんじゃないの?」 「まぁ、そりゃそうだけど。」 「…あの米軍基地、今はどうなってるの?」 「え…?さぁ、わかんないけど…多分、残兵しかいないと思う。」 「依子があの基地の人間だったのなら、きっとそこで生活していたはず。とすれば、彼女の真意もきっと見えてくるわ。」 「………つまり…その…」 困惑した様子の千景さんに、私は煙草を一本差し出した。彼女は不思議そうに顔を上げ、静かに煙草を受け取った。 私はジッポの火を差し出しながら、 「…協力するわ。どんなことでも。あの子を有罪にするためなら…なんだって。」 そう、言い切った。 ジュ、と煙草の先が焼け、燻る煙を上げる。 「……ありがと。」 慣れた仕種で煙草を吸い、彼女は薄く笑んだ。 「私は、米軍基地へ赴いての調査を行なうべきだと思うわ。どう?」 「そうね。同感。…ただ、あくまでも検事側として行かなくちゃいけない、つまり…まだ仲間が足りない。」 「………、わかったわ。じゃ、仲間が集まりしだい私に言って。」 「Ok。それじゃあ、また…」 千景さんは制御室の出口の方へ歩いていく。 「ちょっと待って。」 私は、彼女を引き留めていた。 「…ん?」 くるりと振り向いた彼女に、私は言った。 「一つ聞きたいことがあるの。」 「何?」 「依子のこと。…何故、あなたがそこまで真剣になるの?あなたが彼女を憎む要因があるの?」 「…あぁ。」 そのことか、と彼女は小さく呟き、一旦煙草を吸った。 「この煙草、キツいね。」 「…そうね。」 千景さんは、フッと笑みを零した。 こちらまで戻ってくると、煙草を灰皿でもみ消しながら語った。 「依子のことね。…あたし、あの娘のこと信用してなかったの。性格的に合わないし、なんかムカつくし。」 「……要するに嫌いだったのね。」 「そ。…だから、スパイだって分かった時…あたし、本当は嬉しかったの。やっぱり悪人だった…ってね。」 「……」 「あいつがいなくなれば、此処はもっと穏やかになる。傷つけられる人も、ふりまわされる人もいなくなる。…だから、あたしは追放してやりたいの。あの…スパイをね。」 「あなたが言ってること、要するに…目障りな人間に消えて欲しいってことでしょう?」 そう言うと、彼女は小さく笑った。 「簡単に言うとそういうこと。だから、依子がスパイだったってことで、追放するための大義名分が出来たわけだ。これほど嬉しいことはないね。」 「…スパイだから追放するんじゃなくて、嫌いだから追放する。そういうこと。」 「…まぁ、平べったく言うとそうなるけど…」 私の表現法に問題があったらしく、千景さんは憮然とした表情で言った。 「まぁいいわ。私があなたに協力する理由もそれだもの。スパイとかそんなのは関係なく、唯、あの娘が目障りなの。……美憂をうばったあの娘がね。」 「………そうか。十六夜さんが奪われたのが恋人なら。あたしがあいつに奪われたのは…居場所だ。」 「居場所?どういうこと?」 「………あたしは、この施設にいる人たち、皆好きだよ。この雰囲気が、とても好き。だから…あいつに汚されて、痛いの。」 「なるほど。奪われた物は違えど、敵は一緒…ってワケ。」 「うん。よろしく頼みます、博士。」 「……ええ、こちらこそ。」 彼女の笑みに、邪悪なものを感じた。 憎しみは何も生み出さない。 憎しみは醜いだけ。 でも、そうわかっていてもこの世から憎しみが消えないのは何故? それは、本能だから。 苦しみ、そしてその苦しみを己に与えた人間に対しての怒り。それがない人間なんて有り得ない。 そう、私はこの胸にあるどす黒い憎しみを受け入れる。私が感じた苦痛をそのまま…いいえ、何百倍にも増やして返してあげる。 水戸部依子。覚悟なさい。 フウウン 医務室の扉が開き、あたし―――志水伽世―――は早足に奥のポッドへ向かった。 昨日は医務室は立ち入り禁止にされて、今日ようやく入室許可が出た。朝に依子達が戻ってきて、依子が米軍のスパイとかで…あたし、一日落ち着いてられなかった。そわそわしてばっかりで、ギター持っても上手く弾けなくて。 ……でも、あたし…、…やっぱり…。 「!」 ポットの傍には、先客がいた。 少女はあたしを見て、驚いた様子でガタンっと音を立て椅子から立ち上がった。 彼女と口をきかなくなってから、どのくらい経っただろう。こうしてじっくり姿を見たのも…あの時以来のような気がする。 お互い避け合って、あたしたちは均衡を保っていた。しかしそれは、昨日の朝、崩された。 「……お見舞い?」 先に口を開いたのはあたしだった。 彼女…六花ちゃんは、あたしの姿を見つめたまま凍てついたように動かなかったから。 「は…はい。伽世さんも…ですか?」 少し、声が大人びたような気がする。身長も伸びたし、随分大人っぽくなった。 「…うん。お見舞い。」 あたしは六花ちゃんと向かい側のところに椅子を持っていき、腰を下ろした。六花ちゃんも、つられるようにストンと腰を下ろす。 「…眠ってるみたいね。」 「…はい。三十分くらい前に来たんですけど…ずっと…。」 「そう…。」 ……その後、プツリと会話が途切れた。 依子は静かに、まるで死んだように眠っていた。あたしは不安になって依子を見つめるが、よくよく見るとその胸元が微かに動いていて、安堵する。 依子が眠っていることを確認した後は、六花ちゃんの存在が気にかかった。彼女に聞きたいことは山ほどあった。六花ちゃんと依子の関係。依子が六花ちゃんと仲がいいのは薄々気づいていた。でも…、…でも、そんな深い関係だなんて微塵も思わなかった。だって、だってあたしは…依子の恋人だもの…。 「…伽世さん…あの…」 六花ちゃんが、少し上擦った声であたしの名前を呼んだ。 「…なに?」 六花ちゃんは、俯き加減のまま、小さな声で言った。 「………依子さんって…何者…ですか…?」 「……そんなの、あたしが聞きたいわよ。」 「…う、そうですよね…。」 「あ…」 落ち込んだ様子の六花ちゃんに、少し慌ててフォローを入れる。 「あの、あたしも…その、六花ちゃんの気持ちはよくわかるわよ?…な、なんて言うか」 「え…?じゃあ、伽世さんも…依子さんの……?」 「……ってことは、六花ちゃんも…依子の……」 お互い、少し沈黙したあと、あたしたちは同時に言った。 『恋奴人隷』 ………。 「……え?」 「…ほえ…?」 お互い不思議そうな顔で見つめ合う。 「……い、今なんて言った?」 「……か、伽世さんこそ…。」 「………。」 「………。」 …………。 「ど、奴隷って!?」 「こ、恋人ですかぁ!?」 そしてあたしたちはまた同時に、声を張り上げていた。 お互い呆気にとられ、また沈黙した。 「…っていうか…、…そう、恋人。そうよ。あたし依子の恋人だもん。ってことは、ほら、その…ど、奴隷よりは格上よね。うん…。」 自分でも何を言っているかわからないまま、あたしは口走っていた。 「いえ、その、あの、奴隷は奴隷ですけど、依子さんはあたしのこと愛してくれてます。間違いありません。依子さんは、あたしだけを大切にしてくれてます。はい。」 「な、何言ってんの。依子が本当に愛してるのはあたしだけよ。だって、恋人よ?そもそも、告白してきたのは依子だったのよ?だから、あたし付き合って…それで…」 「わ、わたしだってきっかけは依子さんからです。最初は…その、レイプされるみたいな感じで…、でも、気持ち良くて…、あ、じゃなくてっ!その、依子さん優しくしてくれるし…そ、そう、それに、依子さんは六花だけって、そう言ってくれます!」 「そんなのあたしにも言ってくれるわっ。一生伽世だけ愛してるって!」 「わ、私にだって、一生奴隷で居てねって!愛してるって…!」 お互い立ち上がって言い張ったところで、急にそれが虚勢だとわかって、なんだか力が抜けてきた。 ストンと座り込んで、あたしは笑った。 「もしかして、あたしたち裏切られてるのかな?…この、小悪魔に。」 「…あはは…、…そうかもしれませんね…。依子さん…言ってました。誰でも仮面を持ってるって…。依子さんはあたしに、その仮面の中身を見せてくれてるんだって思ってたけど…でも本当は…、……」 「……。」 六花ちゃんは言葉を詰まらせて顔を覆った。 「ほんとは…依子さん…いっぱい仮面を重ねてるのかな…っ…!」 掠れた声で言った後、小さな嗚咽が漏れた。 あたしはそんな六花ちゃんをぼんやりと見ながら、小さく言った。 「もう、手遅れね…。」 六花ちゃんは、小さく頷いた。 「あたし…もう…戻れない…。……だって、…依子のこと…―――愛してるもの。」 「………同じく…です…」 「依子が…敵でも…あたしを裏切っても…あたしのことなんか微塵も愛してなくったって……」 涙が頬を伝った。 「あたしはもう…依子から抜け出せない。」 「……愛してるから…。」 ……きっとあたしたち、騙されてた。 ……きっとあたしたち、似たもの同士。 ……きっと…あたしたち、依子がいなかったら愛し合ってた。 だって…同じこと考えてるもん。 でも…戻れない。 あたしたち、同じ人を好きになって… 同じ人に裏切られたのね。 でも、裏切られても尚続く愛を、その人に与えられてしまったのね…。 「依子さんっ…!」 「……依子…。」 引き裂かれた二人は、同じ名前を呼ぶの。 「はーぁ。面倒なことになっちゃった。」 あたし―――鬼塚箕ナ―――は、わざとらしく深く溜め息をついてみた。ある人物の気を引こうとして。 しかしその人物は、外方を向いたまま沈黙していた。何シカトしてんのよっ。 「だ・れ・か・さ・ん……のせいで。」 更に気を引こうとして強調して言うが、やはり彼女はあたしの方を見ようとしない。 ……いや、彼は。 「りーお!」 耐えきれずあたしは、理生の肩をぐいっと引き寄せた。 「え?…あ…何?」 理生はあたしの顔を見て、不思議そうに聞き返す。 「何って……さっきから話しかけてるじゃないっ!」 「え、そうなの?ごめんなさい。ボーっとしてたみたい。」 理生は、そう言って苦笑した。 「んもぉー。………ん?」 その時、理生の手に何かが光った。 「何持ってんの?」 「え?…あ、なんでもないわ。」 理生は慌てた様子で、その手をあたしから隠す。 「怪しいー!」 個室のベッドに腰掛けていた理生を、ぐいっと押し倒した。 「…!」 その拍子に、理生の手から何かが転げ落ちる。 「…え…?あれ…?」 あたしは、キラリと光るそれに見覚えがあった。 「……。」 理生はあきらめた様子で、小さく溜め息をついた。 「ちょ…、ちょっと待って。…なんで…これ……。」 あたしはそれを拾い上げ、凝視した。 …米軍の軍人全員が持つ、身分バッチ。 あたしのバッチは、既に消滅している。踏みつけて、壊した。 このバッチは、軍の大型コンピューターとつながっていて、バッチの持ち主の生体反応がなくなるか、バッチ自体が壊されない限りは、その持ち主は軍人であると認識される。 「……り、理生。…これ、なに?」 あたしは、動揺を覚えていた。 こんなもの、とっくに捨てているんだと思い込んでいた。…裏切り者なんだから。 「なにって…、…知ってるでしょう?」 「知ってるけどっ…、なんでこれ持ってるのよ…。…理生、まだ軍のコンピューターに登録されたままになってるじゃない…。」 「……そうね。」 「そうねじゃないわよ!!」 あたしは思わず怒鳴っていた。 「…な、何…やってんのよ…。こんな物持ってたら…この施設自体を裏切ってるようなもんじゃない…!」 「…そう…なるかしら…。」 「…っ…!」 今更になって…、理生が本当にこの施設の人間なのかどうか…わからなくなった。信じてたのに…、……それが…。 …と、とりあえず落ち着け、あたし。 「…あのね、理生。今度の裁判でもし有罪になれば…この施設の裏切り者だって決まったら……どうなるか、わかんないよ?…追放されるかもしれないよ…?もしかしたら、殺されるかもしれないよ!?」 「……わかってるわ。」 「じゃあなんでこんなもの持ってるのよ!これ、極めて不利な証拠よ?軍の人間だって明かす証拠になるのよ?」 「……そうね。」 理生はさっきから、相槌ばっかり。 「わかってるなら、今すぐこれ壊しなさいよ!これ壊して、この施設の人間だってこと証明しなさいよ!!」 「………。」 「理生!!」 理生はしばし沈黙し…そして、言った。 「それは、出来ないわ。」 あたしの中の信用が、音を立てて崩れていく。 「…どうして…よぉ…。なんで出来ないの……!」 悲しくて、不安で…恐くて…。 「……箕ナ、泣かないで…。」 「なっ…、なんで…、…なんでよぉ…」 このままじゃあたし…弁護人なんて出来ないんじゃない…。だって誰よりも真っ先に…あたしが理生のこと疑ってる…。 「……わからない…。……わからないの…。箕ナみたいに…思いきって、完全にこの施設の人間になれたら楽なのだろうけど…」 「……なれ…ないの…?」 「…なれない。」 理生はポツリと呟いた。 聞いたこともないような、弱い声で。 理生はあたしの髪を撫で、そっと抱き寄せた。 「…私はね、軍で生まれて、軍で育ったの。博士は…私の兄のような存在。エリーは、誰よりも大切な親友であり…双子の姉妹のような身近な存在だったの。」 理生の言葉に、あたしは驚いた。 確かに、理生の出生のことなんて何も知らない。でも…まさか、そんな…。 「……なのに…、なのに私は…。 ある時、ある女性の姿を見た…たったそれだけで…家族を…兄弟達を…裏切った…。あの施設へ強襲する話が私に回ってきた時、行くしかないって思った。…でも、どうすればいいかわからなかった…。」 「……り…お。」 「……Mina、……わた…し……。」 理生は言葉を止め、あたしを強く抱きしめた。あたしは抱きしめられていて、理生の顔は見えなかったけど…、理生が泣いていることは、わかった。 「…………Mina…、…助けて…。」 初めて聞いた、理生の弱音だった。 裁判の日は、あっという間に訪れた。 私―――蓮池式部―――の仕事は、今日この日、極めて客観的に、そして差別なく物事を見る…それだけ。 そして二人の容疑者の、行く先を示す。 午前十時きっかり。私は、全員が揃った作戦会議室の一番前の中央で、宣言した。 「これより、呉林理生の審議を始めます。」 会議室は、静寂に包まれた。 「検事側、準備は出来た?」 「はい。」 私の問いかけに、秋巴さんが頷く。 私はそれに頷き返した後、弁護側の箕ナさんに向いた。 「弁護側、準備はいい?」 「……いいわよ。」 箕ナさんは、堂々とした秋巴さんにくらべ些かおびえているようにも見えた。 中央に立つ容疑者の呉林理生。彼女に声を掛けることはしなかった。彼女はこれといった表情もなく、佇んでいた。 彼女は、水戸部さんに比べ罪は軽く見える。 少なくとも、彼女はこちら側なの人間なのだろう、と。だって彼女は…米軍を裏切った。 しかし、目にみえているもの全てが真実とは限らない。この裁判、一体どうなるか…わからない。 「それでは、まずこの件に関する概要を、検事、お願い出来ますか?」 私の言葉に、秋巴さんが頷き、切り出した。 「先日、此処から約5キロ程の所にある米軍の研究施設に強襲を掛けたことは、皆さんご存じですね。その際、今回の容疑者呉林理生も、同行しました。」 「待った!」 「質問は後から受け付けます。検事側、続けて。」 箕ナさんの言葉を私は遮り、秋巴さんの言葉を促す。 「はい。その際、途中までは何の問題もなく進んでいましたが、おそらく研究施設の責任者であろう人物と出会った際、呉林理生は私に…銃を向けました。その後、…呉林理生は、その人物に対し…発砲しました。以上です。」 「……妙な話ね。」 概要はあらかじめ知っていたが、今考えてもそう思う。真実は…容疑者の真意に秘められているようね…。 「それでは、その実際の状況のことを事細かに話してもらいましょう。」 「はい。それでは…現場に居た、五十嵐和葉に、証人として尋問願います。」 秋巴さんの言葉に、隣に居た和葉さんが頷く。 「では、証言を。」 「はい。」 和葉さんは頷き、証言を始めた。 「私たち三人は、同じドアから、その男のいる部屋に踏み込みました。男は、私たち六人から一斉に銃を向けられたわけですけど…」 「待った!」 ここで、箕ナさんが言った。 「今、同じドアから三人が踏み込んだって言ったわね。その後、六人から一斉にって…。どういうことなの?」 「あ、はい。あの、私たち六人、途中で二手に分かれたんです。でも、たどり着いた所は同じ部屋で、ちょうど同じタイミングにドアを開けたんですよね。」 「ふぅん…、で、そのドアとドアの距離は?」 「え、ええと…三メートル…くらいだと思います。」 「三メートル。なるほどね…。」 「続けていいですか?……あの、それで…その男が…」 「待った!男って?どんな男なの?」 「ええと、外国人の…おそらくアメリカ人だと思います。背が高くて…眼鏡をかけてました。あと、白衣。武器は何も持ってなかったと思います。」 「…ふぅん。」 「それで、その男が促したんです。そしたら、理生さんが秋巴さんに銃を向けて…」 「待った!促したって?具体的には?」 箕ナさんは執拗に「待った」を連発した。 かなり、焦っているように見える…。 「えっと…あ、確か、『私は有能な部下を二人も持っている』…だったと思います。それで、その言葉をきっかけに、理生さんと…それと、依子さんが。同時に、秋巴さんと千景さんに銃を向けました。」 「この言葉…」 秋巴さんが口を挟む。 「重要な証拠になります。有能な部下。そう、彼は部下と言った。それをきっかけに容疑者は銃を私に向けた。つまり…容疑者は、自分が男の部下だということを…肯定しています。」 「異議あり!」 秋巴さんの言葉に対し、箕ナさんが異議を唱える。 「そう断定するのはどうかと?」 「じゃあ、ほかに何か意味が?」 「……。」 この時点では、明らかに検事側が有利。しかし、問題なのはその後…。 「証人、その後の事を証言してください。」 「あ、はい。」 私が促すと、和葉さんは頷き話を進める。 「…その後…、男が『やれ』って、そう言いました。…そして…、銃声が二つして…撃ったんです。…理生さんが…男を。」 「もう一つの銃声の件は、後に回すとして…呉林理生が男を撃ったのは…間違いない?」 秋巴さんの言葉に、和葉さんは少し戸惑った様子を見せた。 「…その…絶対に理生さんが男を撃ったとは…言い切れません。」 「え…!?」 箕ナさんが驚いた様子で顔を上げる。 私も、この発言には驚く。 今まで、『男を呉林さんが撃った』ということは当然のように語られてきた。 検事側の二人は…まるで示し合わせたかのように、審議を進める。いえ、間違いなく示し合わせているのだろう。 「何故そう言い切れないのか?」 「はい…その、確かに呉林さんの銃から煙は上がっていました…でも…、でも、それが男を本当に撃ったのかどうかは、確認できませんでした。私…男が撃たれた瞬間、男の方ではなく…千景さんの方を見てたんです。」 「い、異議あり!」 箕ナさんが机を叩き、言う。 「そんな…不自然じゃない!目の前で秋巴が銃を突きつけられてるのに、どうして千景ちゃんの方を見るの!?」 「う…、その、二人が銃を突きつけられてから、銃が発砲されるまで…結構な間が空いたんです。私、確かに最初目の前で秋巴さんに銃が突きつけられた瞬間、驚いてそこだけ見つめていました。でも、その、ふっと千景さん達を見た時に、千景さんまで銃を突きつけられて、更に驚いて今度はそっちをずっと見てたんです。そしたら、男が『やれ』って言って…」 「…和葉さんの今の発言に不自然な点は見当たりません。乾、小向。銃を突きつけてから発砲するまでに間があったというのは間違いないですか?」 確認のために二人に尋ねると、二人ははっきりと頷いた。 「そう、つまり…容疑者がその人物を撃ったという思い込みによって築かれていた信頼は…この可能性によって崩れるのです!」 「……っ…!」 箕ナさんの表情が険しくなる。 しかし、中央に立つ理生さんの表情は少しも変わらなかった。 「い、異議あり!それじゃあ、その男は一体誰が撃ったって言うのよ!?」 荒々しい口調で箕ナさんが問う。 「もちろんその答えも用意しています。ずばり言いましょう。その男を撃ったのは…………小向佳乃さんです。」 「…なっ…!?」 ………。 「…………え?…あ、あたし!?」 一テンポ遅れて、名指しされた当人が声を上げた。 「……何を言ってるの?様子からして、本人に覚えはないみたいだけど?」 箕ナさんの言葉に、小向がコクコク頷く。 「そうですね。身に覚えはないと思います。彼女が撃ったのは…水戸部さんですから。」 「そ、そうです。」 小向はうしろめたそうに水戸部さんを身ながら、そう頷いた。 「では、ここでちょっと視点を変えましょう。ここに、銀博士から用意して戴いた水戸部依子さんの診断書があります。」 秋巴さんは、一冊のファイルを取り出した。 「これを証拠品として提出します。」 私は秋巴さんから伝ってきた書類に軽く目を通す。背後から拳銃で背部を撃たれた。特に特筆する事項もないように思えた。 「注目していただきたいのは…ここです。」 秋巴さんは書類を掲げ、そしてある箇所を指さす。 「弾丸は背部から…『貫通』とあります。」 「………貫…通?」 この言葉で、彼女の言いたいことを察したらしい聴衆がどよめく。 「お静かに、皆さん。」 秋巴さんはタンッと机を叩いて聴衆を静める。 「背後から撃たれた場合。その弾丸は、肋骨に当たる場合が多いんです。その場合、弾丸は肋骨によって塞き止められ、そこに弾丸が残った際の摘出は大がかりな手術になる…と聞いたことがあります。」 秋巴さんは隣にいる和葉さんの背中をトントンと軽く叩きながら言った。 「貫通してしまえば、その時の痛みは激しいものでしょう。しかし後のことを考えると…幸いかもしれない。」 検事の言葉に肩を竦める人物がいた。…実際に撃たれ、弾丸が貫通したその人だった。彼女は、『幸いなわけないでしょ』とでも言っているように見える。 「しかしっ。その幸いな出来事によって…不幸に陥った男がいたかもしれないのです。」 そう言って、秋巴さんは薄く笑んだ。 「ったく、回りくどいわね。言いたいことははっきり言いなさいよ!」 箕ナさんが文句を言いつつ、歯噛みする。 「要するにこう言いたいのね。……男は、流れ弾に当たった…って。」 「その通りです。」 検事はニッコリと笑んだ。 流れ弾…ね。 ざわつく場内をパンパンと手を打って静め、 「ここで、十分間の休憩を取ります。」 と宣言した。 傍聴人は休憩に立つ者や、今までの裁判の内容に論議する者など様々だ。 弁護側と検事側は、それぞれの口裏合わせ……もとい、打ち合わせを行なっている。 「蓮池先輩、お疲れさまです。」 横から水の入ったグラスを差し出した小向。 「ありがとう。」 私はそれを受け取って水を一口含みながら、改めて場内を見回し、薄く笑んだ。 「ねぇ、小向。」 「あ、はい?」 「不謹慎だけど、裁判って結構面白いのね。」 私の言葉に、小向は必死で打ち合わせを続ける検事側と弁護側を見回し、少し呆れたような表情でうなずいた。 「そうですね。けど、ちょっと皆真剣すぎかなぁ…。」 「これは、………唯の裁判じゃないもの。」 言うと、小向は不思議そうに私を見る。 じゃあ、どんな裁判なのか、と言うように。 「……これはね、逆転裁判よ。」 「ぎゃくてん…裁判?」 「そう。どんな結果になるか、検討もつかない。だからこそ…面白い。」 「……なるほど。」 さぁ、どんなどんでん返しを用意してくれるのかしら。 楽しみね。 |