逆転裁判





 裁判が再開される。
 あたし―――鬼塚箕ナ―――は、中途半端はウヤムヤを抱えたままの裁判に、不安を隠せなかった。でも、もう後には引けないんだもん。あたしは…理生のために、全力を尽くすのみ!
「それでは、まず弁護側。何か主張はありますか?」
「…ハイ。」
 蓮池裁判長の言葉に、あたしは深く頷いた。
「いい?先程の検事側の主張…つまり、敵の男を打ち抜いたのは佳乃ちゃんが撃った流れ弾だったという説、これをまず崩します!」
「ほほぅ。」
 秋巴は目を細めて、興味深そうにあたしを見る。
「あのね、まず理生自身は、間っ違いなく男を撃ったって言ってます。そうよね?」
 あたしが理生に目配せすると、
「ええ…間違いありません。」
 と理生は頷く。
「異議あり。被疑者の言葉は証言として成り立ちません。」
 秋巴は言う。
「……そうね、その通りよね。ついでに言うと、あの場にいた全員に聞き込みをした結果、全員が、理生が撃った弾が男に貫通したその瞬間は見ていません。」
「じゃあ、万事休すだな。」
 秋巴は勝ち誇ったように言った。
 ふっ…。
「しかし、一人だけ……それを目撃したと思われる人物が居ます。」
「え…?」
「それは……死んだ男です!」
 言い放つと、秋巴を含めるギャラリーは訝しげな表情を浮かべる。
「何を言ってるっ。死人に口なし。それは証言にはならないよ。」
「けれど、ある程度の高確立な証拠にはなるわ。男は確かに、理生に撃たれたことを証言しているのよ。」
「それを録音したテープでもあるって言うのかな?」
 秋巴の言葉に首を振る。そんなものあるわけがない。
「けれど…居たじゃないですか、その男の言葉を聞くことが出来た人間が…6人も!」
 あたしは嘗めるように、その場にいた六人を見渡す。最後に、秋巴を。
「………。」
 秋巴は小さく眉を顰め、その時のことを思い出すように目線を落とした。
「千景ちゃん、佳乃ちゃん、依子、和葉!そして…秋巴。……この五人にお聞きします。
 撃たれた直後…男は言いましたよね?『理生…裏切るのか…』……って。どうです?」
 その問いに、最初に答えたのは依子。
「悪いけど、あたしは聞いてないわよ。だってその時、あたし佳乃ちゃんに撃たれて瀕死だったんだもん…ねぇ?」
 皮肉を込めた眼差しで、依子は佳乃ちゃんを見やった。
「う、その通りです。…実は、私も覚えて…ません。その…依子ちゃんのこと撃ったばっかりで、気が動転してて。」
 チッ…依子は期待してなかったけど、佳乃ちゃんも覚えてなかったか…。
「聞いたような…気が、します。」
 ポツリと言ったのは、和葉だった。
 よっしゃ、ナイス和葉ぁ!
「……でも、なんとなく…そんな気がする、くらい…です。」
 ………う、頼りになんない…。
「私は聞いてないよ。記憶にないね。」
 秋巴には最初から期待してない。
 となると……。
「千景ちゃんはどう?」
 あたしの問いに、考え込んでいた千景ちゃんはゆっくりと顔を上げた。
「あの…、……聞いたと…思うんだけど…、箕ナが言ってる言葉とは、ちょっと違うかな…。」
「え…?」
 千景ちゃんの言葉に、理生の方を見た。
 あたしはその現場にいなかったんだから、その言葉は理生から聞いたものだ。間違っているんなら、それは理生が…。
「……あのね、あの男はこう言ったの。
 何故だ…私を裏切るのか……
 ……『リオン』、って。」
 ………!
 り……Rionって…。
「リオンは、私の愛称なの。それだけよ。」
 理生さんは表情を崩さず、ひょうひょうとした様子で言った。
「なるほど。間違いありませんか、依子さん?」
「………リオン、ねぇ。」
 依子は、ちょっとヤな感じの薄い笑みを浮かべた。……あいつ、正体バレてから性格悪くなってる気がする。…いや、本性か?
「まぁ、愛称みたいなもんねぇ。」
 ………余計なこと言うなよ〜…。
 あいつも理生の秘密を握ってるんだった……なかなかでんぢゃらすだわっ。
「ふぅむ…しかし、ちょっと証言が少なくて確証できない部分が大きいですね。」
 うぅ、裁判長の厳しいお言葉!
「じゃあ次。次の理生がやってないっていう証拠品を提示させてもらうわよっ!」
「……まだあるの?」
 えー?と見るからにイヤそうに言う秋巴。
 そんなのは見ない振りして、あたしはある一枚の紙を取り出した。
「じゃーん!これこそが、流れ弾が男に当たっていないという証拠です!」
 それは、つい先程の休憩時間に作り上げた証拠品だった。
「……なんですか、それは。」
「ふふーんっ、聞いて驚けぃっ!これは理生の完璧な頭脳を持って角度やらなんやら計算し尽くした図式です!これによると、あの流れ弾が男に当たる可能性は0%!提出します!」
「……ハイ、では…」
 いつの間にか裁判長補佐役に抜擢されている佳乃ちゃんに紙を渡す。それを受け取った裁判長は、投影式の大型スクリーンに今の紙を拡大して写す。
「……異議あり。」
 その声は、思わぬところから上がった。
「なんでしょう、銀さん。」
 裁判長は、傍聴席にいる美憂ちゃんに発言を許可する。っていうか何この裁判。あたしが言えた義理でもないけど…全員参加型?
「その数式、そのxの代入の所だが、そこはazの…」
 美憂ちゃんは、聞いてて頭がこんがらがるような数字を並べ立てる。いや、まぁ理生が計算してる時点であたしは全く理解してなかったんだけどね。
「………という間違いを訂正すると、確立は3.74%になるはずだが。」
 という美憂ちゃんの言葉に、裁判長はユビキタスでその数式を計算しだした。間もなくして、
「……その通りです。」
 裁判長は深く頷いた。
「…り、理生〜……。」
 ジロリと理生を見遣ると、理生はあたしの方を見て、チロリと舌を出した。
 間違っちゃった★とばかりに。
 い…いやいやいやいや。
「ふっ…残念ながら弁護人、その証拠は当てにならないようだ。どんなに確率が低くても、その可能性は…拭い切れないね?」
 と、秋巴は余裕の笑みを浮かべる。
 くっ…秋巴が嫌な奴に見えてきた…。
「……弁護人、他に何か提出すべき証拠品はありますか?」
 裁判長の言葉に、あたしは口を閉ざすことしかできなかった…。
 これ以上…何が用意できるって言うのよ。
「ありませんか?」
「……ハ」
 あたしが仕方なく、肯定しようとしたその時。
「待った!」
 ……と、横やりが入る。
 千景…ちゃん…?
 千景ちゃんは、傍聴席から立ち上がって、何かを訴えたいらしい。
「何でしょうか。」
「はい。証拠品なら……此処にあります!」
 そう言って、千景ちゃんは不透明な袋を取り出した。
「…な、なによ!そういうのあるなら先に言ってよー!」
 あたしは文句を付けずにはいられなかったが、今のあたしにとって、千景ちゃんは神様のようにも見えた。
「私が用意した証拠品は以下の数点。
 現場検証の証拠写真が数枚。
 現場から採取した弾痕。
 そして理生と依子が当時装備していた…拳銃です。」
 ………。
 …け…、…決定的…じゃない…。
 もし理生が無実…いや、事実殺人を犯しているのなら…!
「現場検証?それはいつ行なったものですか?」
「はい。一昨日の午前零時過ぎに、私を代表とする数名で行ないました。写真には日付、時刻も明記されています。因に写真が偽造じゃないことは、使用した当施設の備品ポラロイドカメラと、その写真画像とが一致することにより証明できるはずです。」
「現場検証って……何勝手にやってんのよー。行くならあたしも連れてってくれればいいのに!」
 あたしがそう文句をつけると、
「誤解はしないでください。これは…水戸部依子の裁判に使用するものです。それが偶然、今回の裁判の証拠品になってしまった……それだけのことよ。」
 と、千景ちゃんは勝ち誇ったように笑った。
 ………あんなこと言ってるけど、きっと本当は理生さんの無実を証明するために…。
「まずこの部屋の見取り図と……」
 千景ちゃんは様々な証拠品を提示し、説明を始めた。
 ……それは明らかに、理生さんの撃った弾が男の心臓を貫通していることが証明されていた。最高の…証拠品だ。
「以上です。何か不審は点は?」
 千景ちゃんの言葉に反論する声は一切上がらなかった。秋巴も、今度ばかりはお手上げだといった様子で肩を竦めた。
「…宜しい。これで、間違いなく被疑者は敵である男…過去は彼女の上司であった男を殺害したことを、認めます。」
 裁判長の言葉に、あたしは盛大な拍手を送った。これで勝ったも同然…!
「これで勝ったと思ってもらっては困る。」
「え…?」
 秋巴は気を取り直したように、コホンと一つ咳払いをして、話を始めた。
「裁判長。検事側は、呉林理生がまだ米軍のスパイであるという疑いを捨てたわけではありません。その米軍の男を殺したのにどのような理由があるかは解かりませんが…まだ、こちらには証拠があります。」
「……証拠…一体どのような?」
 …な、何よ…まだ何か出すっていうの…?
 これ以上理生に突きつける証拠なんて…。
「この書類を、証拠品として提出します。」
 理生は、角形封筒に入った書類を裁判長に提出した。裁判長は先程と同じように、その書類の大画面に写し出した。
「………!」
 理生の表情に、僅かな変化が見て取れた。
「……見ての通り、遺伝子鑑定書です。」
「遺伝子……!?」
 何…それ…。
「大変失礼なこととは重々承知ですが、それでもこれは大切なこと。本人の了承は取っていません。……本人には秘密で、彼女の髪の毛を採取し、銀博士の手によって鑑定して戴いた結果です。」
 秋巴は自信満々といった様子で言う。
 その書面は、どうやらドイツ語らしい。
 英語はともかく、このあたしにそんなものを読めという方が無理な話である。
「ドイツ語の知識がある方はこの場には少ないようなので、説明して戴きます。銀博士。」
 秋巴の呼びかけに、美憂ちゃんは頷いて立ち上がる。
「重要な所だけ説明する。この赤いラインが引いてある所を見ていただきたい。」
 赤いライン。
 ……と言われても、なんだかややこしい図式の所々に赤いラインが引かれていて、意味はさっぱりわからない。 しかし、理生にはドイツ語の知識もあるようだ。その証拠に…その表情は、どことなく青ざめているように見える。
 ……まてよ、遺伝子ってことは…。
 ……や、ヤバイんじゃない?
 性別のこと……バレちゃう……!?
「この赤いラインの部分は、呉林理生の家系つまり、血筋のデータが凝縮されている。
 ………簡単に言おう。」 
 美憂ちゃんは、そういうと一息置いて、
 ……言い放った。
「このデータから解かることは一つ。 それは……」
 ……う〜……。
「……呉林理生の家系に、日本人の血筋は一切混ざっていないということだ。」
 ………。
 ………………。
「………え…?」
 その言葉に、あたしは拍子抜けした。
 え?遺伝子って、性別のこととかはわかんないの?どゆこと?
「これは、おかしいですよね?明らかに?…どういうことか、説明していただけますか?弁護人でもご本人でも構いません。」
 血筋に……ついて、…か。
「私の口から説明します。」
 理生は真っ直ぐに秋巴を見据え、その後裁判長を見た。
 この会場にいる全員が理生に注目している。
 千景ちゃんも、少し驚いた様子だ。
「………確かに、私の血筋に日本人の血は混じっていません。もっとはっきり言えば…私は日本人では……ありません。」
 理生…言っちゃって…いいの…?
 心配に頭を抱えるあたしと目が合った時、理生は「大丈夫」とばかりに小さく笑んでくれた。
「私のこの見た目は、一切偽っているものではありません。私は中国系の……アメリカ人です。だから、混血が増えて天然の茶髪が多い日本人の中では、何の違和感もないでしょうね。」
 ……。
 理生ぉ…。
「私が偽っているものは…この、名前です。呉林理生…これは私が作り上げた虚偽の名です。」
「虚偽の…名前…?」
 千景ちゃんが小さく呟く。
 その表情には、驚愕がありありと現れている。
「私の本当の名前は…Riona・Winstonです。」
 …………。
 ……リオ……な?
 あぁ、…そっか。
 リオンだとどっちかって言うと男の名前だから、リオナ…にしたのか。咄嗟の嘘としては…お見事…。
「どうして…日本人だと偽っていたのです?」
「それは、私が、日本人を装って活動する米軍兵だったからです。」
 ……その言葉に嘘はない。
 事実、理生は日本人の女性に成り済ましてスパイ活動を行なっていたと聞いたことがある。
「それは、スパイとしてこの施設に潜り込んだのだと言っているようなもんでは…ないのかな?」
 秋巴はニヤリと笑って言った。
 しかしそんな言葉を、理生はきっぱりと否定した。
「違います。私は…、私は、千景ちゃん達を助けたあの時から…米軍を裏切りました。」
「では何故名前を偽る必要があった?」
「……スパイと…思われてしまうからです。私はここで、自らがアメリカ人であることを偽り続けることを決意していました。相手がアメリカ人の…しかも米軍の人間だと知れたら、……殺すかも、知れないでしょう?」
「じゃあ、逆にスパイではないという証拠でも?そもそも貴女は、なんのためにこの施設に潜り込んだのか?」
 秋巴の問いは厳しい。けれど、理生は本当のことだけを話すつもりだろう。
 ……性別のことを除いては。
「証拠は…ないかもしれません。私は、この施設に魅かれて来たのではありません。だって、千景ちゃん達を助けた時、私は千景ちゃんたちがこの施設の人間だということを知らなかった。そうでしょう?」
「もしかしたら米軍はその情報をつかんでいたのかもしれない!それに、施設に魅かれてきたのではないとしたら、何に魅かれて来たのです?」
「……千景…ちゃんに。」
「え…?」
「………私は、米軍の基地で見張りをしていた時、捕われている千景ちゃんの姿を見て…一目惚れ…したんです。」
「ひとめ…ぼれ?」
 秋巴は目を点にして聞き返す。
 その事実を知らない大多数の人々は、きょとんとした表情で理生さんに注目した。佳乃ちゃんだけが、不愉快そうな表情を浮かべている。
「そ…そうなの?千景?」
 秋巴は目を普通の形に戻し、千景ちゃんに問う。
「…そのことに、間違いはないと思う。」
 自分で言うのもなんだけど、と小さく付け加え、千景ちゃんは小さく肩を竦める。
「……その件は、あたしもよく知ってる。理生は千景ちゃんのことを誰よりも想ってた。あ、いや、佳乃ちゃん…と同じくらい。」
 鋭い視線を感じて、あたしは慌てて訂正する。
 秋巴は、ようやく問いつめることを止めた。というよりも、言葉が続かないようだ。
「…そこまで!」
 ピンと張った裁判長の声が響いた。
「呉林理生…改め、Riona・Wintronの裁判はこれにて閉廷します。判決は、傍聴人の投票によって決定します。宜しいですね?」
「……異議なし。」
「異議なし。」
 弁護側・検事側、共に言いたいことは全て言い尽くした。
 千景ちゃんが提出してくれた証拠、そしてラストの『ひとめぼれ』の一言。
 ……この二つが、鍵を握るだろう。
 ……どうか…無罪判決になりますように!





「鬼塚、呉林!」
 私―――呉林理生―――達二人は、休憩のため食堂に行く途中、銀さんに呼び止められた。
「………大事な話がある。」
 銀さんは、張りつめた表情で言う。
 ……そう、やっぱり。
 私は、そっと彼女に耳打ちした。
『性別の…ことでしょう?』
 と。
 銀さんは、小さく頷く。
「……敢えて、公表しないでおいてくれたのね?」
「そうだ。その点は…裁判とは関係のない、プライベートなことだと独自で判断した。誰にも言っていない。」
「……本当にありがとう。あの遺伝子鑑定が出された時は、どうしようかと思ったわ。ドイツ語で表記してくれたのも、その配慮なんでしょう?」
「ああ。しかし…その…、…本当に?」
 まだ疑いが晴れないらしい銀さんに、私は苦笑する。
「えぇ。結果通り。……そうは見えないでしょう?」
「あ、…あぁ。」
 ……これで、秘密を知る人間は三人目か。
「…銀さん。」
「なんだ?」
 私は彼女の唇に指を押し当てた。
「絶対に…誰にも言わないで。お願い。」
「あぁ、わかっている。…鬼塚は?」
「あたしは知ってる。理生とは深い仲だもんね〜。」
「そんなこと堂々と言わないの。」
 Minaの額を軽く小突き、私は微笑む。
 ……少しずつ、秘密は明るみに出ていく。
 はぁ。
 千景ちゃんに知れるのは…いつかしら。
 いえ、そもそも私がここに残れればの話だけど。
「……あの、呉林。一つ相談がある。」
「なぁに?」
 真面目な顔で銀さんは私を見上げ、言った。
「…できればだが、その……」
 少し口籠った後、彼女は私に耳打ちした。
『その…精子の摂取をさせてくれないか?』
「………え?」
 その言葉には、さすがの私も凍りついた。
「え?なになに?ずるーい、あたしも聞きたい〜!」
 横でふてくされるMinaはとりあえず置いといて…。
 彼女の相談に、私は考え込んだ。
「……む、無理なら良いが…。」
 …しかし、ここはやはり彼女の願いは聞くべきなのかもしれない。私も、彼女には借りがある。
 でも……。
「……考えて、おくわ。」
 という答えしか、今は出せなかった。
「……そうか。突然突飛なことを言ってすまなかった。では、私は次の裁判があるのでこれで。」
 そう言って去りかけた銀さんの肩に手を置いて、私は彼女を引き留めた。
「?」
「依子のことで、少し付け加えておきたい情報があるの。」
 私が口にすると、銀さんはピクリと眉を動かした。
 先日、彼女に『依子のことならなんでもいいから、教えてくれないか?』と頼み込まれた。でも…私は、彼女の満足行く答えを言葉にすることはしなかった。
 それは、私自身、依子という人物を詳しく把握していなかったから…。
 依子とは、あの研究所で何か月間か共に暮らしていた。彼女の研究所での振るまいは、確かに此処の施設での振るまいとは違うものだった。けれど、あの研究所での依子の振るまいが本当の依子なのか…私には、ずっと分からなかった。
 しかし。今日の依子を見ていて、私はなんとなく思った。依子は…本当は、この施設が好きなんじゃないかって。毒舌で嫌みな少女、それは依子が研究所で私に見せていた姿。この施設で米軍の人間だと知れてから、依子はこの施設でもそんな姿を皆に見せるようになってきている。
 毒舌。イヤミ。自分が強い人間であると誇示するかのような態度。それは、きっと彼女の心の裏返し。本当は…素直で、正直で、弱い人間なのかもしれない。誰かに甘えたくて、誰かのそばにいたくて、それで私達の研究所にやってきたのかもしれない。そして、この施設へのスパイをかって出たのかもしれない。
 それに…これだけは確信が持てること。依子は間違いなく、心からエリーを愛していたということ。だからこそ…あの研究所での依子の姿は…依子の自然な振るまいなのだと、そう思えてきたのだ。
「なんだ…?」
 銀さんの促しに、私は頷く。
「……依子はね、この施設が好きなのよ。」
「え…?」
「きっとね、伽世ちゃんのことも、六花ちゃんのことも…、そして、銀さん、貴女のことも……好きなのよ。」
「…それは、何か根拠があってのことか?」
「……いいえ。これはあくまでも私の推測。もしかしたら依子は、米軍の人間すらも裏切っていたのかもしれない。それは…分からないわ。でも…」
「呉林、頼みがある。」
 私の言葉を切って、銀さんは私を見つめた。
「………今からの裁判、依子のことを話してはくれないか?なんでもいい。少なくとも、呉林は、私達が知らない依子を知っているはずだ。そうだろう?」
「……ええ、そうね。」
「頼む。頼むから…、依子のことを…私と共に、守ってやってはくれないか?」
 その時、ふっと見せた銀さんの表情に、私は心を動かされた。
 ……恋をしているのね。
 貴女は、依子のことを本当に愛している。
 そうなのね…?
「……いいわ。依子のことで私が知っていること、すべて話すわ。但し、それで有利になるとは限らない…それでもいいわね?」
「……恩にきる。」
 銀さんは、深々と頭をさげた。
 ……依子。
 貴女、幸せ者ね。
 こんなに愛してくれる人がいるじゃない。
 ……もう、一人ぼっちじゃないじゃない。






「これより、水戸部依子の審議を始めます。」
 裁判長がそう宣言し、場内を見渡す。
 検事席には、乾の姿がある。
 そして、弁護席には、私―――銀美憂―――。
 先程とは違い、今度は弁護人・検事、一対一の戦いだ。
 ………負けるわけにはいかない。
「ではまず、検事側より水戸部依子に関する概要を。」
 裁判長の言葉に、乾が立ち上がる・
「はい。……水戸部依子。先程の裁判にも出た、先日の米軍の研究所への強襲。その際に、事は明るみに出ました。研究所の男の指示により…依子は、この私に銃を向けました。幸い、その依子を佳乃が銃撃し、依子が負傷を負うという形で事なきことを得ました。」
 ……すべて事実だな。
「そもそも依子がこの施設に来た経緯は、私達一行が前の施設から移動する際に、誘い……依子を招き入れたのは事実です。しかし、依子は元々それが狙いで接触してきたのかもしれません。」
「その通りよ。」
 …!
 乾の言葉に、頷いて答えたのは…依子本人だった。
 ………。
 ……依子は、今回の裁判に関して、一切の協力を断った。自らの裁判であるにも関わらず…弁護人の私に、全く口を割らなかった。
 それ故に、私はそれ以外の証人の力に頼るしかなかったのだ。依子の真意は全く掴めなかった。
「さっきの裁判見てて思ったんだけどぉ…」
「現在は検事の発言中です。」
 裁判長の言葉に、依子は蓮池を窘めるように見て、言った。
「いいから聞いてってば。あのさ、いちいち他人が説明しなくても、自分で言うからいいよ。文句があれば、その時に言ってくれればいいんだし。ねぇ、千景ちゃん?それでもいいでしょ?」
 依子は不敵な笑みを浮かべ、乾を見遣る。
「…いいよ。おかしいところがあれば指摘する。裁判長、検事側は被疑者の発言を認めます。」
「……弁護人も、それで宜しいですか?」
「…ハイ。」
 裁判長は頷くと、
「では…どうぞ。」
 と依子に向けて言った。
「オッケー。まぁ大体さっき千景ちゃんが言ってた通りなんだけどね。あたしは、この施設に向かう連中がいるっていう情報を仕入れて、その連中の中にうまく入りこめっていう司令を受けた。そしたら上手い具合に皆引っかかってくれるんだもん。あんなに上手くいくなんて思ってなかったわ。」
 ………。
 小さくため息をつく。
 依子がスパイだったという事実で、大体のことは私自身察していた。しかしそれをこんなにも堂々と演説されたのでは、頭が痛くなるのも当然だ…。
「ちょっといいですか?」
 乾が挙手する。裁判長の許しを得て、乾は依子に質問を投げかける。
「あの時、依子はあたしたちのグループに混ざったわね。それで、佳乃を除くあたしたちのグループ皆は、米軍に捕獲された。それも、…依子、あんたの差し金だったってわけ?」
「あぁ、あれ?あれはあたし関係ないわよ。不審者がいたから捕獲したんじゃないの?あの時は無差別に撃ってきたから、あたしも危なかったんだから。まぁ、なんとか逃げたんだけどね。」
「……その発言が本当かどうかは証明できないわね?」
「証明?理生ならできるんじゃない?」
 依子の言葉に、呉林が立ち上がった。
「……ええ、できるわ。私も疑われている身だから、信じてもらえるかどうかわからないけれど。」
「……お願いできる?呉林さん。」
 裁判長の言葉に頷く呉林。
「はい。あの時、私は上司の…そう、私が殺したあの男の命令で、別の部署に派遣されていました。千景ちゃん達も見たと思うけど、年配の科学者風の男。あの男が指揮をとる部署よ。依子は、私と同じ部署に属していたから、あの男の命令は聞かないはずだし、あの男の部下達が何をしていたかも知らなかったはずです。」
「うんうん。」
 呉林の発言に、依子は笑みを浮かべてコクコクと頷く。
「それに、その千景ちゃん達を狙った男達が属する部署の人間は、依子の顔を知りません。依子も不審者の一人と思われて共に射撃されそうになったのも、説明がつきます。」
「………なるほどね。」
 呉林の説明に、裁判長はどうやら納得してくれたらしい。
「それ以上真実を追うこともできなければ、これ以上疑うこともできないわ。被疑者は話を続けて下さい。」
「はぁい。 それで、あたしは無事この施設に潜り込めたってわけ。それから何をしたかって言えば、伽世と六花と美憂ちゃんを引っかけたくらいかな。それだけよ。」
「……水戸部…。」
 私は頭を抱えていた。
 それでは、自らスパイだと自供しているのと同じではないか…。
「……えっと。そこまで話してくれるとは思わなかったわ。それじゃ依子、あんたはスパイってことで決まりよね?」
 乾も少々呆れ顔で言う。しかしその言葉に、依子は首を横に振った。
「スパイも何も、あたしは上司がいなくなったんだから、スパイじゃなくなったのよ。つまり元スパイってわけね。これ以上は何をするつもりもないんだけど。」
 依子はひょうひょうとした様子で言う。
 ………全く、呆れたやつだな。
「これ以上じゃなくて、今まであんたがやってきたことが悪いのよ!」
 乾は、机をバンッと激しく叩いて怒鳴る。
「依子のせいで損害を負った人が何人いると思ってるの?」
「あたしのせいで…損害を負った人?」
 乾の問いに、依子は首を傾げた。
 しばし考えた後…言った。
「一人、じゃない?」
「え…?」
「一人よ。うん。」
 依子は相変わらず、罪の意識というものを微塵も感じさせない口調で言う。
「……その、一人というのは?」
 裁判長の問いに、依子は薄く笑んで言った。
「アカイシイザヨイ。」
「……。」
 その言葉に、私は思わず十六夜を見る。
 ………!
 依子の言葉…間違って、いないのかもしれない。
 十六夜のその表情を見て、私は思った。
 十六夜は私の視線などに気づく様子もなく、厳しい眼差しで依子を睨んでいた。
「一人…って、…ちょっと待ちなさいよ。伽世ちゃんとか六花ちゃんとかはどうなの?」
「本人達に聞けば?」
 依子の不敵な笑みが崩れることが…あるのだろうか?…いや…きっとない…。この裁判の中で…依子を追いつめることができる人物など、きっとここにはいないだろう…。
「……どうなの?」
 乾の言葉に、志水と真喜志は困ったような表情を見せた。
「…あの…、……損害とか、そういう言い方、ちょっと変だと思うんだけど…。」
「損害を受けたかどうか聞いてるの。」
 志水の言葉を、乾はきつく言い伏せた。
 おそらく、あの依子の態度に苛立っているのだろう。
「…受けたかどうかって聞かれれば、……受けてない、と思う。」
「え…!?」
 志水の言葉に、驚いたような表情を浮かべる乾。
「ろ、六花ちゃんは?」
「あの…私も、受けてないです。」
「…えぇ!?」
 話が違う、といった様子で、乾はペタリと椅子に座り込んだ。
「ほらね。」
 依子は満足そうな笑みを浮かべた。そして、
「他に、あたしから損害を受けた人〜?」
 依子は傍聴席にいる皆に言う。
 しかし、それに答える者は誰一人としていなかった。
 ……その静寂を破ったのは、ガタンと音を立てて立ち上がった…十六夜だった。
「………少なくとも私は、貴女から莫大な損害を受けているわよ。」
 十六夜は、これまで見たこともないほどに険しい表情をしていた。
「あら、言ってみてよ。どんな損害を受けたって言うの?」
 そんな十六夜に対し、依子はまるで挑発するような口調で返す。
「美憂を…あなたは私から美憂を奪った。そうでしょう?身に覚えがないとは言わせないわよ?」
 十六夜の言葉に、依子はにやりと笑った。
「えぇ、身に覚えはあるわ。ばっちり。でも…それは、スパイから受けた損害って言うのかしら?」
「え…?」
「そういうの、単なる恋愛のもつれっていうんじゃない?それに、貴女じゃなくてあたしを選んだのは…美憂ちゃん自身よ。」
 ………。
 ………何も言えない。
 ……これ以上、十六夜のことを見ていることさえ辛かった。
 ……依子の言葉が、事実だから。
「…っ…、詐欺…よ…。……あなたは美憂のことを好きでもないのに、唯私から引き離すためだけに、美憂を唆した。違う?」
「違うわ。あたし、美憂ちゃんのこと好きだもん。」
 依子はきっぱりと言い放った。
「そ、それじゃあ伽世ちゃんとか六花ちゃんとか…!」
 今まで黙っていた乾が声を上げる。
「伽世も六花も好きよ。そうね、確かに三股っていうのはイケナイことね。でも…処罰を受けるほどイケナイことじゃないわ。法律で三股をしちゃいけませんって、そんなのある?ないわよね?それはあくまでも道徳的なこと、でしょ?」
 弁護人の必要など…ないではないか。そう…依子は、弁護人など必要としていなかった。自分自身で片づける自信があったのだ…。
「…道徳的なことでも、同じでしょう!依子がこの施設にいることで、不愉快に思う人間がいる、それは…!」
「それは悪いことじゃない。」
 乾の言葉を否定したのは、私だった。
 私だって、少しくらいは依子の力にならなければな。
「考えてもみろ。もしも依子が米軍の人間としてではなく…一人の、唯の人間としてきたとしたら、だ。…それでも、同じ状況になっていたのではないか?人の恋人を奪おうが、三股をかけようが、それで雰囲気を壊そうが、人に不愉快な思いをさせようが…、それは米軍の人間としてではない、依子がそういう人間だということではないのか?」
「…っ…。」
 乾は、返す言葉もないらしい。
 十六夜も小さく息を零し、ストンと腰を下ろした。
「……けど、あたしは米軍の人間だった。そのへんは覚えといてね。」
「依子…?」
「確かに、ついこないだまでは米軍の人間として動いてた。時々この施設の情報も流したりしてた。そのへんは否定しないわ。」
 ……何を言っている…。
 自分から不利になるようなことを…
「何、自分から不利になるようなことを言ってるんだって思ってるんでしょ?美憂?」
「え?」
 依子は、私の思いを見透かしたように言う。
 ふとその姿を見ると、今までの他人を小馬鹿にしたような表情とは…少し違っていた。
「………謝ろうと思ってるのよ。あたし。」
 依子の言葉に…乾や十六夜が驚いたように顔を上げる。
「あ、誤解しないで。美憂ちゃんを盗ったこととかは謝らないからね?ただ…米軍の人間としてここにいたことを…謝るの。」
「………。」
 乾は、依子の真意を掴みかねてか、じっと依子を見つめている。
「……ごめんね、皆のこと騙して。……本当に、ごめんなさい。」
 依子は傍聴席の皆に向かって、そして検事席の乾、裁判長の蓮池、……そして私の方に向かって、深々と頭を下げていった。
「……水戸部さん…どういうことですか?」
 裁判長が問う。
「あたしは…、…もう、行くところがないのよ…。」
「…!」
 依子の弱々しい姿に、私は驚いた。
 それは、皆も同じのようだった。
「あたしだけじゃない。理生もよ。理生ももう行くところがない。もし此処を追い出されたら…きっと死んじゃう。わかる?あたしたちは、自分の手によって自分の上司を…、……大切な人を殺したの。」
 呉林は、くっと顔を伏せた。
「エリーのこと、皆には話してなかったわね。あの時一緒に行った人は知ってるんだけど…、あの時ね、あたし、米軍の幹部の女を殺したわ。」
 エ、リー…?
 ……聞いていないぞ、そんな話…。
「あたし、…本当はね、エリーのこと好きだったの…。…っていうか、愛してた。だけど…、……エリーは…、…エリーは皆の敵じゃない…。…千景ちゃんや、佳乃ちゃんや…美憂や、伽世や、六花…。…この施設にいる人、皆の敵でしょ…? ……だからっ…殺したのよ…!」
「そうなら…そうと言いなさいよ…バカ。」
 乾が、ポツリとつぶやく。
「ほんっと素直じゃないわよね、あんた。」
 乾は怒ったような、それでいて悲しげな表情で言う。
「そうならそうと言いなさいよ!仲間に入れてって、はっきり言いなさいよね!もう行くところがないから、施設の人間にしてほしいって……!」
「…今言ったじゃん。聞いてなかったの?」
 見ると、依子はまた、あのひょうひょうとした顔に戻っていた。
「仕方のない子ねぇ。」
 裁判長…蓮池は、苦笑して言った。
「…以上で、今回の裁判は閉廷します。今から、呉林理生と水戸部依子の残留か否かの投票を行ないます…」
 ざわざわと騒がしくなる場内で、依子は私のところではなく…十六夜のところへと向かった。





「……ごめんね。」
「え…?」
 閉廷直後、彼女…水戸部依子は、私―――珠十六夜―――の元へ駆けてきた。
「…やっぱ、あたし、美憂ちゃんのこと好きかもしれない。」
「………そう。」
 私が小さく頷くと、依子はにっこりと笑んだ。
「………せいぜい悔やむがいいわ。もう……渡さないから。」
「………まったく。」
「ン…!」
 私は彼女の頬をきゅっとつねった。
 そして、
 パンッ!
 と、乾いた音を立て、彼女の頬を叩いた。
「うっ…、…いったぁ。」
 回りにいた皆が注目する中で、依子は叩かれた頬に手を宛て、私を見上げて軽く睨む。
「…美憂が、貴女にすっかり惚れ込んでしまっているのは、ここ数日ではっきりしたわ。」
 私は言って、諦め混じりのため息をつく。
「……美憂を傷つけるようなことは、絶対に許さないわよ。いいわね?」
 キッと彼女を見据えて言うと、
「……わかった。責任取ってあげる。」
 依子は赤くなった頬をさすりながら、薄く笑んで言った。
 よりにもよってこんな子に奪われるなんてね…。とんだ災難だわ。
 ……責任、取ってもらわなくちゃね。
「美憂を、幸せにしてあげてね…。」
 ポツリと言うと、依子は薄い笑みを残して、私の元から離れていった。





「…依子。」
 呼ばれた声に振り向くと、そこには理生の姿があった。ま、振り向く前に大体声で解かったけどね。
「理生さぁ、本当にイイ声してるね。」
 あたし―――水戸部依子―――は、振り向きざま言ってやった。
「そう?…ありがとう。でもあんまり嬉しくないわね。」
「どうして?折角博士に調整してもらった声なのに。」
 あたしは周りに誰もいないことを確認した上で言う。
「だから、よ。……それより、少し話がしたいんだけど、いい?」
「いいわ。積もる話を消化していきますか。」
 あたしたちは、滅多に…というよりもまず人が来そうにない機械室に滑り込んで、二人っきりになった。 電気をつけてもどことなく薄暗くて、怪しい雰囲気が漂う。
「ねぇ、理生は判決、どうなると思う?」
 あたしは太いパイプ管に軽く腰掛け、理生に問う。
「そうね…貴女の言葉が効いてるんじゃないかしら。」
「あたしの?……あぁ、帰る所がないってやつ?」
「そう。」
 理生はあたしの隣に同じように軽く腰を引っかけて、顔だけこちらに向けた。
「……ま、ああいうこと言っとけば皆の心も揺れるかなって思っただけだし。」
 そう言うと、理生は小さく肩を竦めた。
「またそんなこと言って。だから疑われるのよ?」
「…そうかな。」
 この施設に来て、理生と会話をするのは初めてだったりする。お互いの関係を気にして、自然と避けていた。ひょんな所からボロが出ても嫌だしね。
 ……それに、前の研究所でも、あたし理生とはあんまり話さなかった。あたし自身、理生と話してると何となくやりにくくて。その理由、ようやく解かったような気がする。
「理生は大人…だね。」
 あたしは理生を軽く見上げ、言った。
 理生は不思議そうな顔をする。
「だから…理生と話すの、苦手だったのかもね。色んなこと、見透かされてる気がして。」
「…ふふっ。」
 あたしの言葉に、理生は可笑しそうに笑みをこぼした。
「何よ?」
「ううん…考えてること、全然違うなって思って。」
「え…?」
「……私は、依子と話してても依子の本心が全然見えなくて…、だから貴女のこと、苦手だったのよ。」
「見えて…ないの。そりゃそうか。そうだよね…。」
 ……なんか納得。
 だって、あたしの本心って何?って感じ。
 ……実は、誰かに教えてもらいたいくらいにわかんない。あたしがわかんないものを、他の人がわかるわけないよね。
「依子は、銀さんで大丈夫なの?」
「え…?何が?」
 突然出てきた美憂の名前に、不意をつかれる。
「……依子は彼女が相手で、本心を曝け出せるのかな、って。」
「………。」
 理生の言葉には正直困った。
 むしろ…あたしは本当の自分なんて、誰にも見せることができないんじゃないかな。
「……どうしたの?黙り込むなんて珍しいわね?」
「……ん、っていうか答えに困る質問をする理生が悪いのよっ。」
「答えに困るっていうことは、Noに近いんじゃない?」
「……美憂は、………。……美憂はあたしに頼ってくれるから、だから、……。」
「………どうしたの?」
 そう、この人の質問は答えに困る。
 何て言えばいいのか分からないことばっかり聞いてくる。それでも今までは色々と答えを見繕ってきたけど、今日に限ってさっぱり浮かばない。
「もぉ、わかんない。あたしが何考えてんのかがわかんない。あたしの本心ってなんなの?ねぇ、理生なら知ってるんじゃないの?」
 半分自棄っぱちな衝動で、あたしは口走っていた。
 理生はあの優しげな眼差しであたしのことを見つめ、微笑した。
「その本心がわからないっていう気持ちは、依子の本心?」
「…え?」
「わからないのなら、どうしたい?本心を見つけたい?見つけたくない?」
「…そりゃ、見つけたいわよ…。」
「じゃあ、それが依子の本心。」
 理生は言って、にっこりと笑んだ。
「…要はどうしたいかってこと?」
「まぁ、そんなところね。それを恥ずかしがらずに言えればいいんだけど、依子の場合、それを抑制するもの…つまり理性が強すぎるのかもしれないわね。」
「理性…ねぇ。でもさ、もしあたしが理性人間だとしたら、今更理性をなくせっていうのは無理な注文でしょ?」
「そんなことないわよ。少しずつ練習していけばいい。」
「練習って…?」
「私が練習台になってあげてもいいわ。私の前ではやりたいままにやっていい。そのかわり、私が嫌な時はそう言うわよ。」
「………本当に?いいの?」
「ええ。」
 理生の笑みに、嬉しいと感じる自分。
 でもどこかで、なんかヤな感じの自分。
「……嬉しいけど、ヤな感じ。」
 あたしは、その感じを口にだして言ってみた。
「そう。嬉しいのはどうしてだと思う?逆にヤな感じなのはどうして?」
「うーん…嬉しいのは、理生があたしのためにそう言ってくれるから…かな。ヤな感じなのは…あたし、そんなことしてもらわなくても別に…っていう気持ち…。」
 理生に導かれるままに考えを言葉にしていると、なんだか透明になっていくような感じ。
「あ、でもやっぱり…やってほしいかな、って…。」
 あたしの中の葛藤が言葉になる。
 それを、理生は頷いて聞いてくれる。
「……あぁ、なんだ、理生って結構イイやつじゃん、って思ってる。」
「本当?…嬉しいわ。」
「……。…理生が嬉しいって言うと、あたしもなんか嬉しい、みたい。」
「……ふふ。その調子よ。」
 理生。……理生。
 ………。
 変なの。なんであたし、理生に手玉に取られてるんだろ?
 けど、嫌じゃない。
 あたし…いっつも人を手玉に取るばっかりだから、こういうの忘れてた。
 ………。
 まぁ、いっか。
 悪くない。
 ………。
 なんか、これを認めてしまうのは抵抗があるけど……
 ……あたし、理生に甘えてる。
 そして、それが嬉しいって感じてる。
 こんなのあたしじゃないって、思う。
 でもそれは、理性が思わせてるの、かな。
 理生。
 理生は、あたしのこと、嫌いにならない?
 ………。
 そう。
 受け身の場合、それを拒絶されるととても辛いんだ。
 でもこっちから行く分には、それを拒絶されても大して辛くない。
 だから…。
 あたし、受け身になるのイヤなのかな。
 恐くて、イヤなのかも。
 理生。
 理生は、拒絶しない?




 以下、執筆中―――






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