時はさらさらと流れていった。 私―――小向佳乃―――を始め、この施設にいる三十人は、それぞれ穏やかな日々を過ごしていた。 命さん。彼女は結局水散さんを選んだ。 夜久さんには謝って、「あたしにはやっぱり水散さんしかいない。」って、そう言ったらしい。私はこの三人の関係なんて全然知らなくて、ある日命さんとお酒を飲んだ時、ぽつりぽつりと話してくれて初めて、水面下で動いていた三角関係を知った。そうそう、夜久さんと言えば。柚里ちゃんがこないだ、「最近…幸織さんと少し仲良し。」って話してくれた。結構意外な二人だよね。不思議系だから、似てると言えば似てるんだけど。あぁ、でも恋愛とかじゃないって言ってた。 それから、遼ちゃんは相変わらず楠森さんに熱烈な愛を送り続けているらしい。伊純ちゃんがからかうように話してた。遼ちゃんって大人びてるけど、女の子な所もあるんだなぁって思った。楠森さんは、まだ答えを出せてないみたいだけど…でも、今の関係でもいいんじゃないかな。遼ちゃんの片思い。 Minaちゃんは、理生さんと仲がいいみたい。最初は噂だったけど、今はこのことはみんな知ってる。千景も知ってるみたいだけど、何も言わない。もうフッきれたのかな? 冴月ちゃんと杏子さんは、なんか良い感じみたい。年齢差はすごい離れてるけど、でもそんなの関係ないっていうか、その年齢差が逆にいいみたいな感じかな。いっつも二人で話してて、いっつも楽しそう。 伽世さんと六花ちゃん。この二人のことはちょっと心配…。前はいっつも仲良さそうに一緒にギター弾いてたのに、ある時から二人が一緒にいるところを全然見ない。喧嘩でもしちゃったのかな…?…でも、二人とも普通だし、時々ふっと幸せそうな表情を見せる時があるの。だから…たぶん大丈夫なんだと思うんだけどね。 そうそう、千咲ちゃんのこと。千咲ちゃんは、牢屋から個室のとある部屋に移動して、そっちで…一応まだ監禁生活を送ってる。ちょっと不憫なんだけどね…。でも、私がご飯とか持っていくとすごく楽しそうに話すし、冴月ちゃんとか遼ちゃんとかもしょっちゅう訪ねてるみたい。ただ、憐さんが千咲ちゃんと一緒にいるところは見ないんだよね。この二人のことも心配…。 千咲ちゃんが個室に移動になったのは、十六夜さんのたっての希望からだった。なんでも、千咲ちゃんの『研究』を再開する予定だったんだけど、千咲ちゃんがすっ…ごく拒否しちゃったみたいで、今は中止になってるんだって。でも、十六夜さんは、その『研究』の設備は出来てるから、千咲ちゃんの気が向けばすぐにでも取りかかるって言ってた。『研究』っていうのが、私にはよくわからない。そんな十六夜さんだけど、相変わらず美憂ちゃんとラブラブ。二人は誰かの前ではイチャイチャしたりしないんだけど、こそっと二人っきりの会話とか聞こえちゃう時ってやっぱるあるんだよ。その時、なんかもうすっごーくあまあまのらぶらぶなのっ。 あ、そうそう!可愛川さんだけど、あの件から二週間くらい経ってからかな、意識を取り戻して、今はもう支障もなく普通の生活が出来るようになった。愛惟ちゃんの悪霊がなんとかっていう話をたまに聞くけど、あたしにはちんぷんかんぷん。可愛川さんは、「逢坂もいるから大丈夫だ」って、自信満々で言ってたから大丈夫だよね。まだ解決には至ってないけど、きっと大丈夫。なんたって可愛川さんが憑いて…いやいや、付いてるんだからね! あとね、三森さんのこと。今、すっごくいい感じなの。あたしも勿論だけど、テッシーと憐さんの二人が、あの時のお願いからすっごく積極的に三森さんに接してくれて。まぁ傍から見ると取り合ってるようにも見えるんだけど…。三森さんは、まだ時々恋人さんの姿が見えるんだって。でも、回数も減ってるって言ってた。これって、きっと良くなってるってことだよね。あの三人、いっつも一緒にいる。…なんか、すごくうれしい気持ち。 依子ちゃんは、相変わらずかな。浮いた噂も聞かないけど、皆と仲良くやってるみたいだし、小悪魔っぽい感じがあるけど、話してみるとけっこういい子だしね。 注目の都さんだけど…、なんかね、「保留」なんだって。秋巴さんも、和葉ちゃんも、どっちも大切過ぎて…決められないって。そう言ってた。今も、今までと同じ、妙な三角関係を保ってるみたい。…でも、いつかきっと答えは出るんだろうね。 あと、伊純ちゃんと未姫さん。この二人、ほんっ…とにラブラブなんだよー!もう、妬けちゃうくらい! ………でも、あたしには千景がいる。 蓮池先輩に相談に乗ってもらってから、すって気持ちが楽になった。蓮池先輩って、千景とは違う意味で本当に大切な人なんだ。まるで…お姉ちゃんみたいに…。 あの時喧嘩したあとすぐ、千景があたしに謝ってくれた。それから、「急がなくていいよ、ごめんね」って。…そう、千景はあたしの身体を求めない。ほっとしたような、残念なような。…たぶん、千景はあたしに気をつかってくれてるんだと思うけど。 ……でも最近、千景の一緒にいて、ああ、幸せだなぁって思う。…うーん、それは前々からいっつも思ってたんだけど…なんていうか、…この幸せって、きっと強いんだろうなぁって。ちょっとやそっとじゃ、あたしと千景の愛は壊れない。 そう思い始めてから…、今なら、千景とえっちしても大丈夫かも…って、思うんだ。でも、そんなこと言えないしね…。 今は今で幸せだから、…いっか。 季節は春になって、夏になって、秋になって…… ……そして、二度の冬がやってきた。 「……ったく、なんで十一月入ったばっかりだってのにこんなに寒いんだか…。」 二十数人が集まった食堂に、もこもこのコートを着込んだ千景と、蓮池先輩が入ってきた。 「あっ、おかえりなさい!」 あたし―――小向佳乃―――は、千景に駆け寄った。 「外の様子はどうだった?」 あたしがそう聞くと、千景はコートを脱ぎながら、蓮池先輩と顔を見合わせて肩を竦めた。 「人の気配ゼロ。……つっても、建物が崩れてて道が塞がってるから、あんまり遠くまで行けなかったんだけど。」 「そっかぁ…。」 春から今に至るまで、何度か大きな地震があった。日本の各地の火山も相次いで噴火したり…災害多発は、留まることがなかった。あたしたちがこうやってぬくぬくしてる間にも、沢山の人が死んでいったのだろう…そう思うと、胸がひどく傷んだ。 「千景ちゃん!式部さん!飲も!」 そこへ、ビールの入ったジョッキを手にした都さんがやってきた。顔にはそんなに出てないが、かなりできあがっている。 「今日の主役は十六夜さんでしょ?」 蓮池先輩が苦笑しながら、上着を脱いで皆の集まるところへと歩いていく。 食堂のテーブルには、ずいぶんと崩れた大きなケーキがあった。 「蓮池さん、千景ちゃん、早く座ってよー。改めてお祝いしよ!」 冴月ちゃんの催促に、私達は空いた席に座った。 「ほら、司会者!改めて乾杯の音頭!」 そう催促されて立ち上がったのは、銀さん。 「う、うむ…コホン。」 銀さんはビールの入ったコップを手に咳払い一つ。 「えーそれでは、偵察から戻った二人を迎え、改めて十六夜の…」 「長いスピーチはいらないから!」 「そ、そうか?では…、…乾杯!」 『かんぱーい!』 皆の声が揃い、それぞれ手にした飲物をコクコクと飲む。 「…ぷっはー!」 「み、都さぁん。そんなに一気飲みしたら酔っ払っちゃいますよぉ。」 「和葉ちゃん、都はすでにベロベロなんだから何言っても無駄だよ。」 「あぁ?誰がべろべろだってぇ?」 「オヤジみたいにくだまいてる都が。」 相変わらずのやりとりに笑いながら、楽しい雰囲気にのまれていく。 「十六夜さん、誕生日おめでと。」 あたしの隣に座る千景が、一つ歳を重ねた十六夜さんに祝辞を送る。十六夜さんは微苦笑を浮かべ、 「お祝いしてもらえるのは嬉しいけど、歳を取るのは嬉しくないわねぇ…。私もついに三十路かぁ。」 と言う。 そっか。十六夜さん、もう三十になるんだ。 「まぁ、歳を重ねても十六夜は十六夜だ。」 十六夜さんの隣に座る銀さんが、小さく笑んで言う。銀さんも、五月に二十歳になった。もうお酒も解禁である。……皆、大人になっていくんだよね。千景も四月で二十五になったし、あたしも八月に二十四になった。 「で、そんな十六夜を愛しているぞ…ってか!かーっ、熱いねぇ。」 都さんに負けず劣らずできあがっている憐さんが茶々を入れる。 「だっ、誰かこの女を黙らせろっ!」 二人のそんなやりとりが、場に笑みを生む。 ……それから数時間盛り上がったあと、ぽつぽつと一人一人減っていく。 あたしは片づけを手伝った後、千景と一緒に部屋に戻ることにした。途中、千景がトイレに行くといって別れ、あたしは一人で自室に戻っていた。 その時、 「佳乃ちゃん。」 背後から掛けられた声に、あたしは振り返った。 「あぁ、柚里ちゃん。今日、来なかったね。次の理生さんの誕生会には…」 静かに佇む従姉妹の少女は、あたしの言葉を遮って言った。 「もう悠長なことを言ってられる時期じゃないよ。」 「……え…?」 「この星はもう、そんなに長くない。」 「……な…、…何…言ってるの…?」 柚里ちゃんの突拍子もない言葉に、私は思わず聞き返す。元々無口で、時々不思議なことを言うおとなしい子だと思っていた柚里ちゃんが、突然人が変わったように険しい顔でそう言うのだから。 「……。」 柚里ちゃんは、まっすぐな瞳であたしをじっと見つめた。 「…そ、そんな…長くないって…。……そんな…そんなことないよ…。きっといつか災害も止んで…また皆、平和に暮らせる日が…」 「…来ない。 ……最初から分かってる。」 「…どうして…!?」 柚里ちゃんの不吉な言葉に、あたしは動揺を隠せなかった。大切な人を見つけたのに、幸せなのに…! 「………全部、分かるの。昔からずっと、外れたことないの。間違いない…。」 「……そんなっ…!」 あたしは涙目になっていた。 「でも…、怖がらないで。」 その時、柚里ちゃんの表情がふっと変わった。柔らかく、ほんの一瞬笑んだように見えた。……そういえば、柚里ちゃんの笑顔って一度も見たことがない。 「佳乃ちゃんは幸せになれるから。」 …それが彼女のでたらめだったとしても、それでも良かった。あたしはその言葉で救われた。 「……とにかく…、……今を、生きて。」 柚里ちゃんはそう言い残し、静かに立ち去っていった。 あたしは立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。 ……今を、生きて…。 「秋巴、和葉ちゃん、先に行ってて。」 エレベーターの中。三階に着いて扉が開き、二人が出ていこうとした時にあたし―――伴都―――は言った。 振り向く二人に、 「ちょっと酔い冷ましてくるから。」 と言うと、「わかりました。」と和葉ちゃんが言い、二人は歩いていった。 一階のボタンを押して、エレベーターの移動が生み出す微かなGを感じながら、あたしは壁に背を預け、息を付く。 ちょっと飲み過ぎた。かぁっと頭が熱く、クラクラする。しかし神経が妙に興奮していて、眠れそうにない。庭園にでも行って、一息つけよう。 一階に着いて、庭園に向かおうとしたその時、聞こえた物音にあたしは足を止めた。 ……重い扉の閉じる音。 三重になっている出入り口の、外側の扉が閉まったらしい。少し待ってみるが、誰かが入ってくる様子はない。……ということは、誰かが外に出ていったってこと? その誰かを心配する気持ちと共に、好奇心と、久々に『生の空』が見てみたい欲求に駆られ、あたしは外界へと通じる扉を開く。 三つ目の扉を開いた時、つんとする微かな異臭を感じ、次に襲ってきたのは身に染み入るような冷気だった。小さく身震いしながら、たった今出ていったはずの人物の姿を探すが、その姿どころか、気配すら消えていた。 不思議に思いつつ、以前はコンクリートだったはずの荒れた砂利道を歩く。外に出たのは、かれこれ一カ月も前になるか。その時に見た景色よりも明らかに荒廃し、災害の凄まじさを今更になって目の当りにする。 「…よっ。」 あたしは崩れた建物の一部であろう、大きなコンクリートの塊に登った。地上より数メートル高い此処から、空を仰いだ。 ポツリポツリといくつかの星と、赤い月。 空気自体が汚染されており、フィルターがかかっているようだ。過去に見てきた夜空に比べ、その美しさは半減していた。 それでも、淡い月明りと小さく瞬く星に、あたしはしばし見とれていた。 ……そういえば、秋巴が現れた時も月が出ていた。あの時はまだ「怪盗フレッシュボーイ」だっけ。そんなことを思いながら、小さく笑みを零す。 あの日は、和葉と初めて身体を重ねた日。 皆勘違いしているようだけど、あれ以来あたしは一度も和葉を抱いていない。抱いてしまえば、それはきっと答えを出すことになるだろう。…秋巴を拒否してしまうことになるだろう。だから、今は何もできない。 秋巴。秋巴があの施設にやってきた時、あたしは本っ…当にショックだった。あたし、本当は期待してた。あたしにあんな挑戦的なことしてきた人間、初めてだったから。あたし、自分に自信があった。あたしよりも努力してきた人なんて絶対にいないって、そう思ってた。でも秋巴はそれを覆した。たった数年で、Happyに追いつく怪盗になるなんて。いつも陽気に笑ってるけど本当は、血の滲むような努力をしてきた人なんだって、あたしには分かる。秋巴が本当の正体を現わした時、なんだか複雑だったのは…ちょっとだけ『男』でいて欲しかったから。身体的なこともある。女よりも、男の方が身体的に優れていて当然だ。だから、同じ努力をしても男の方が優れるのが当然だから。でもあたしと同じ女だった。だからあたしより努力してる人間なんだってことを認めるのが、ちょっとだけ悔しかったんだ。……そしてもう一つは、もしFBが『あの顔で』男だったら、きっと和葉なんて目じゃないほど好きになっていたから。あたしよりも強くて、優しくて、明るくて、頼り甲斐があって。男なら間違いなく惚れてる。でも女だから、だから秋巴はライバルなんだ。 別に男がいいって言ってるわけじゃない。あたしは女の子だって愛せる。和葉は、本当に女の子らしくて魅力的だ。……むしろ、女の子らしいから魅力的。守ってあげたいタイプ。一人じゃ生きていけそうにもない儚い子だから、放っておけない。 ………選べない。 夜の静けさの中、そんな思索を巡らせていた、その時だった。 パシュ、と微かな音に、あたしは身体を強ばらせた。ふっと左手の側を何かが過った。 「!」 狙われてる。咄嗟に気配を探った。 パシュッ! 「く…!」 右手の二の腕に鈍い痛みが走った。 この時、自分の状況判断力を憎んだ。敵の気配すら見えず、しかし敵はあたしの居場所を把握している。この状況下あたしが出した答えは…『絶望的』…だったから。 パシュッ 痛みが走ったのは心臓辺りか、それとも外れていたか…。ゆっくりと、あたしの身体が浮き、地面に投げ出された。痛みを感じる間もなく、意識は暗転した…。 『伴、都?』 機械に越しに、彼女はそう聞き返した。 「そうよ。怪盗サンだから、ちゃんと捕まえておくようにね。ちょっとやそっとの拘束なら、すぐに解いて逃げちゃうわよ。」 皮肉混じりに言うと、彼女は赤い唇を笑みの形に歪ませ、自信たっぷりに言った。 『問題無いわ。ウチの設備のレベルの高さを知らないとは言わせないわよ。』 「……そうね。油断は禁物ってこと。」 相変わらず、自分の上司を信じきってる。それが彼女があの地位まで登りつめた理由でもあるし、それが彼女の欠点でもある。 『それより、どうするの?今そっちの施設に戻ったら怪しまれない?』 「……んー、まぁね。でも戻らないわけにもいかないし、知らぬ存ぜぬを通すことにするわ。」 『ええ、それが懸命ね。』 「同士愛の強い方々だから、多分「捜しに行こう」って言い出すと思うんだけど、その場合はまた連絡するわ。」 『そうね。こっちの場所は割れてるし…事は慎重に運ばないといけないわね。ま、その前にこっちは欲しい情報だけさっさと貰って、あとは処分するなりすると思うけど。』 ………処分、か。和葉ちゃん辺りが泣き喚く姿が目に浮かぶわ。不可抗力だから仕方ないんだけど。 「じゃあ、また連絡する。」 『ええ、気をつけて。……依子。』 ……。 彼女に名前を呼ばれる度、ゾクリと妙な感覚が身体を走り抜ける。あの赤い…血のように赤いルージュを引いた唇で、あたし―――水戸部依子―――の名前を呼ばれる度に。 あたしは通信を切り、習慣で辺りを見回した。誰の気配もない。大丈夫…。 その朗報を聞いたのは、週に一度ほど定期的に行なう通信でだった。施設の中や近くから通信を送ると、制御室に拾われる可能性がある。それを考慮し、あたしは散歩と偽って外に出て、あの施設から離れた場所からこうして通信を行なうのだ。 それにしても…都さんを捕えたとなると、随分騒ぎになりそうね。早くて明日には、乗り出すかな。…今夜はゆっくり休むことにしなきゃね。 ……あ、美憂ちゃんと会っておこうかな。 ………うーむ。 制御室で言うべきか…それとも、どこかの個室まで来てもらって…。……いや、しかし…。……第一、こんなことして本当に喜ばれるか…?…いや、しかしせっかくのチャンスでもある…。 私―――銀美憂―――は、懸命に考え事をしながら廊下を歩いていた。もうすぐ制御室に着く。…しかし結論が出ず、思わず歩幅が狭まってしまう。 ピリリ ユビキタスの装置が音を発し、私は機械に目をやった。『着信 水戸部依子』の文字。私は少し躊躇ったが、通信に出た。 『あ、美憂ちゃん。ねぇねぇ、今から会えない?』 そこには、いつもの…少し意地悪な依子の顔があった。その顔を見て心が安らぐ自分に気づき、少し驚く。 「…今から…か?……どのくらいかかる?」 『何か予定でも入ってるの?』 「…いや、予定というほどでもないが…。」 『二十分。……んー、十五分でもいいわ。』 「……。…わかった。どこに行けばいい?」 ………。 最近、自分の感情に戸惑うことが多い。 十六夜と一緒にいる時より、依子と一緒にいる時の方が、ほっとするのだ。依子と一緒にいて…楽しいのだ。 依子は、ある個室を指定してきた。私がその個室に入ると、既にそこには依子の姿があった。 「ごめんね、いきなり呼び出しちゃって。」 「いや、構わん。…何か用事か?」 「ううん。そうじゃないの。ただ…すごく美憂に会いたくなって。」 依子は照れくさそうに笑む。その表情に、自然と微笑が零れる。 「………本当は、十六夜さんの所に行くところだったんじゃない?」 「え…、あ…。」 図星だった。 「十六夜さん、今日誕生日だもんね。一緒にいたいよね…。」 「……。」 依子の言葉に何も返せない自分がもどかしかった。 「もしかして、誕生日プレゼントとか言って身体をあげよう、とか思ってたりして?」 「……!」 かぁっと顔が赤くなる。な、なんで依子はそんなことまで……。 「………当たり?」 「い、いや、その…。」 「……あたし、変に鋭いんだよね。…でも、わかりたくないことまでわかっちゃって、ちょっと痛いなぁ。」 依子は苦笑して、その場に立ったまま私から目線を逸らす。…ふっと、寂しげな表情を覗かせた。 私は居ても立ってもいられなくなり、依子の側に歩み寄ると、依子の肩に手を添えた。自分でも何がしたいかよくわからなかった。 唯、そんな表情をしてほしくなかった。 そのまま沈黙していると、ふいに、依子が涙を零した。そして、こう言った。 「……苦しい…よ…。あたしっ…、……美憂ちゃんのこと大好き…。大好きだよぉ…。」 その言葉を聞いた時、表情を見た時、私の中にある記号が浮かんだ。 『<』。 十六夜<依子……。 十六夜よりもずっと…依子の存在が大きく膨れ上がっていった。 「…依子…、……、…好きだ…。」 「…え…?」 依子は顔を上げ、潤んだ瞳で不思議そうに私を見つめる。 「……愛している。…十六夜なんかどうでもいい!…おまえを…愛している…!」 「…美憂…ちゃ…」 依子の言葉を、言葉を紡ごうとする唇を、強引に塞いだ。ふっと、甘い香りが鼻孔をくすぐる。…依子に初めてキスされた時の、あの甘い匂いが。 十六夜にされたように、私は舌を依子の唇に押し込んだ。しばし躊躇うように閉ざされていた唇も、やがて私の舌を受け入れ、依子は自らの舌を絡ませて答えてくれた。 長い口付けを終え、一瞬目が合った。私は羞恥から、目線を落とした。 「美憂ちゃん…。…十六夜さんに上げる予定だったプレゼント…、……あたしにくれないかな…?」 依子の言葉に驚いた。 そう、それは…つまり…。 「……だめ…?」 依子の甘い囁きに、私の思考は溶かされていく。依子としばし見つめ合った。 ぱさりと、白衣を床に脱ぎ捨てると、依子は細長い冷たい指を私のうなじに滑らせた。 その感触に、ビクリと身を震わす。 「…愛してるわ、美憂。」 依子は、悪戯っぽい猫のような目で私を見つめ、笑む。その表情は、まるで今までの涙も何もかもが嘘に見えるような、意地悪なものだった。 ……それが、私の愛する依子なのだ。 「もう、あたしだけのものよ。美憂、そうよね…?」 「…そうだ。…私は、依子だけのもの……」 ピリリ ピリリ ピリリ ピリリ けたたましく鳴るユビキタスの音に、あたし―――乾千景―――は薄く目を開けた。昨日酒を飲んだせいか、それともいつもの低血圧のせいか、頭がぼーっとする。 放っておけば鳴り止むだろうと思ったが、機械音は尚も鳴り止まなかった。 「……千景さん…?」 …うーん…寝かせてよぅ…。 「千景さんっ…、あの、緊急ですよ…」 控え目なその言葉に、あたしは薄目を開ける。 「……んー…?」 「緊急の通信です…!」 「…………緊急?」 ようやくあたしは意識を覚醒させ、身体を起こした。どうやらユビキタスの呼び出し音で目を覚ましたのであろう未姫さんがそばに居た。 「あぁ…ごめん。」 頭を掻きながら、ユビキタスに出る。 「はい…?」 『あぁっ、千景さん!もう、こんな時間にごめんなさい!千景さぁん!』 ユビキタスの画面には、今にも泣き出しそうな和葉ちゃんの顔があった。 「…ど、どしたの…?」 そう言われて気づくと、時刻は午前四時を示していた。うっそーん。 『あのっ、都さんがっ…!うっ…』 和葉ちゃんは泣くのを堪えるためか、口元を覆った。 「何?都がどうしたの?」 『み、都さんが…帰って来ないんです…!昨日の夜の…ええと、十二時頃に酔いを冷ますからって外に出ていって…、それから帰ってきてないみたいなんです!ユビキタスの通信も切れちゃってるし、私どうしようかと思ってたんですけど、十六夜さんに聞いたらこの施設の中にはいないみたいって、それで、それでっ…!』 「…嘘…。本当に帰ってきてないの?誰かと密会しててユビキタスの電源を切ってるわけじゃなくて?」 『十六夜さんに確認してもらったから確かです!出ていった記録は残ってるけど、戻ってきてはないって…!』 「わ、わかった。とりあえず何人かで捜しに行こう。今から制御室に来てくれる?」 『わかりました…、…うぐ…』 「泣かないで!じゃあ、制御室で!」 あたしは通信を切ると、枕元に置いてあった警察の制服に着替え、部屋を出ようとした。 「あの、千景さん、大丈夫ですか?私、何かできることがあったら…」 と、未姫さんに声を掛けられる。 「んー、とりあえずは待機。皆集める必要があったら、放送で収集するから。」 「わかりました。」 「じゃね。」 あたしは駆け足で制御室に向かった。 ピリリ ピリリ ピリ… 眠っていたあたし―――水戸部依子―――は、ユビキタスの呼び出し音で目を覚ました。 「…どうした?」 目を開けて見ると、美憂ちゃんがユビキタスで誰かと話しているみたいだった。 『大変なの!都さんが昨日外に出たっきり帰ってきてないんだって!今から制御室に来てくれる?』 画面に写ってるのは千景さん。 「わかった。今すぐに向かう。」 通信を切った美憂ちゃんは、目を覚ましたあたしに気づく。 「…そういうわけだ。行ってくる。」 「あ、あたしも行くわ。」 「え…、い、いやしかし…。」 困った様子の美憂ちゃん。あたしは小さく笑んで、 「大丈夫よ。依子は早朝の散歩をしてて、偶然会って付いてきた、って言うから。」 「…あ、ああ。それなら。」 美憂ちゃんは頷き、洋服を身に付ける。あたしも洋服を身に付けて、一緒に部屋を出た。 制御室に駆けつけると、千景さん、佳乃さん、蓮池さん。それから和葉ちゃんに秋巴さん。そして十六夜さんが居た。 制御室の扉は開いていて、中に入ると千景さんと十六夜さんが何やら話をしていた。 「…依子が、…都が出ていく直前に施設を出てるって…?」 ……あらら、ばれちゃった。 「急いで依子に通信をし…」 「あたしならいるわよ。おはよう。」 あたしはつかつかと千景ちゃんたちに歩み寄った。 「……! …なんで居るの?」 千景ちゃんの問いに、あたしは笑顔で 「早朝のお散歩をしてた時に、ちょうど美憂ちゃんとはちあわせて付いてきたの。」 と台本通りのセリフを言う。 「……ふぅん。ま、そんなことはどうでもいいんだけど。見なさい、この記録を!あんたが出てから約四十秒後に都が外に出てんのよ?一緒だったんじゃないの?」 「そうなの?全然知らない。」 「知らないって…たった四十秒よ?普通気づくでしょ?大体、何しに外に行ったワケ?」 「お散歩しに行ったの。あたし、お散歩のついでに短距離ダッシュの練習もしてるの。外に出てからすぐにダッシュしたから気づかなかったんじゃないかな?」 「ふざけないで!」 「ふざけてないわよ。短距離ダッシュはともかく、走ったのは本当。」 「…なんで走ったの?」 「んー、…風になりたかったから、かな。」 あたしは答えると、千景さんは深いため息をついた。 「もういい。ほんっとーに都の姿見てないのね?」 「…都さんはね。」 「……都さんは、って何よ?」 「怪しい人影なら見たわ。」 そう言うと、千景さんはぐいっとあたしに詰め寄った。 「そういうことは早く言いなさいよ!どんな人だったの!?」 「…銃みたいなもの持ってた。大きい男よ。銃持ってウロウロしてるやつになんて用事はないから、さっさと逃げたんだけど。」 「なんで逃げんのよーっ!もしかしたらそいつが都と接触したかもしれないのに!!」 「なんでって…」 ヒステリックになる千景さんに肩を竦めていると、美憂ちゃんが千景さんの止めに入ってくれた。 「乾、水戸部を責めても仕方が無い。今は伴がどこにいるかが問題だろう?」 「…まぁそうだけど…、でもそれがわかんないから…!」 「心当たりはある。」 「…え?」 美憂ちゃんは、ある機械の前に立つと、カタカタをキーを打つ。すると、あるマップが表示された。 「…おそらく、ここだ。」 美憂ちゃんが指すのは、…あたしのよく知った場所だった。 「そこって…」 千景さんも心当たりがあるらしい。 「……確か、あたしたちが捕まえられた場所じゃないの?」 「そうだ。ここは米軍の研究所…、前々から怪しい策動をしていたが、千景たちを捕えたことで奴らの狙いは大方わかった。」 「…狙い?」 「ああ。おそらく奴らはこの施設自体が狙い。あの研究所もかなりの設備を備えていると聞くが、此処ほどではないだろう。この荒廃した場所で何をしたいかは知らんが…。 乾達が捕えられた時、蔦のようなもので拘束されたと言ったな。それはおそらく精神的なダメージを与え衰弱させた上で、口を割らせる魂胆…といった所だろうな。」 「…じゃあ、都は…。」 「……奴らもそろそろ焦り出す頃だろう。手ぬるい遣り方はしないだろうな。」 美憂ちゃんはそう言って、マップを消した。 「なるほど…。最悪のことを考えると、急いだ方がいいみたいね。じゃあ、あの研究所へは…」 「多くて六人。それ以上の人数での行動は代えって目立つ。」 美憂ちゃんの言葉に、千景さんは考え込む。 「私は絶対に行かせて貰うよ。」 「わ、私も!」 秋巴さんと和葉ちゃんの二人が立候補。 「…秋巴はともかく…和葉ちゃんはちょっと危ないかもしれないよ。」 「でも、私じっとしてなんていられません!お願いします!お願い、しますっ…!」 泣きそうな表情で、必死に許しを乞う。 「……わかった。じゃあ秋巴、和葉ちゃんのこと守ってあげてね。」 「了解。」 秋巴さんはピッと敬礼をしてみせる。 「あとは…あたしと佳乃。それと…」 「…あたしも行かせて。」 あたしは一歩前進し、立候補した。ここは、行っておくべきだろう。なんたって本拠地に強襲を掛けられるわけだから…上手く足を引っ張らなくちゃ。 「依子?…なんで?」 「知らないの?あたしが強いこと。戦いには慣れてるのよ。……それに、都さんに何かあった場合、あたしにも責任はあるし。」 「そりゃそうだけど…、……」 千景さんは困ったように、同僚や上司に意見を乞う。あたし、千景さんには嫌われてるなぁ。 「いいんじゃない?彼女の腕前は確かに見事だし、間違いなく戦力にはなるわよ。」 蓮池さんの言葉に、千景さんは渋々頷いた。 「わかった。じゃ、あと一人なんだけど…」 「あと一人は呉林さんがいいと思いまーす。」 あたしはピッと手を挙げて言った。 「理生さん?」 「だって、呉林さんってあの研究所で千景さん達を助けたんでしょ?じゃあ、少なくともこの三十人の中では一番研究所の内部のこと知ってるんじゃない?」 「なるほどね…。じゃあ、連絡してみるわ。」 …さてさて、波乱万丈な旅になりそうね。 とりあえず隙を見て本部に連絡入れなくちゃ。『今から攻めに行きまーすvv』ってね。 「みんな、装備は大丈夫ね?道は理生さんが…わかるのよね?」 「ええ、大丈夫よ。記憶力は良い方なの。」 「…OK。それじゃ…」 「乾、ちょっといいか。」 あたし―――乾千景―――が志気を高めた瞬間、美憂ちゃんに呼ばれちょっとコケる。 「な、何?」 「その…」 美憂ちゃんはあたしを隅っこまで呼び寄せ、更に小声で切り出す。 「依子に、注意を払って欲しい。」 「え…?依子に?」 「あ、ああ…。できれば、片時も離れないように…頼む。」 ………。 あたしは、美憂ちゃんの言う意図をどことなく察した。どうも、あたしは依子のことを信用できないでいた。それは美憂ちゃんも同じなのだろう。だから、怪しい動きをしないか見張ってろってことなんだろう。 「OK,任せて!」 あたしが胸を張って言うと、美憂ちゃんは安堵した様子で小さく頷く。 「じゃあ、行くわよ!」 あたしが張り切って言い、扉を開く。 「気をつけろ、いいな。」 「無事に帰って来てね。」 そんな声に見送られながら、あたしたち六人は朝の外界へと旅立っていった。 六人を見送り終え、私―――銀美憂―――は息を付く。 まさか、依子が行くと言い出すとは思わなかった。内心かなり心配だが、千景にしっかりと釘を差したから、ちゃんと守ってくれるだろう。 それでも不安は不安だ。閉じた扉をじっと見つめていると、突然声を掛けられる。 「銀博士?…制御室に参りましょう?」 「あ、…ああ。」 十六夜だった。蓮池がいるからか、私のことは美憂ではなく銀博士と呼んだ。 「お二人とも、朝食を召し上がる?良かったら、作って制御室に持っていくけれど。」 エレベーターの中で、蓮池がそう言った。蓮池の好意に、私達は甘えることにした。 「では、頼む。私達は先に制御室に戻っている。」 「ええ、それじゃあまた後で。」 二階で止まったエレベーターは蓮池だけを下ろし、そしてまた扉の閉じたエレベーターの中で、私と十六夜は二人きりになった。 「……ねぇ、美憂。」 十六夜にその名で呼ばれた時、内心ギクリとした。 「こんなときに何なんだけど…。」 ……コクン。 気づかれぬよう音を殺して唾を飲み、 「…何だ?」 と冷静を装って聞き返す。 「昨日……」 ………まずい…。 「………。」 …………。 「…私、三十になったでしょう?それで…なんていうのかしら…」 ……ど、どうすれば良い…。 動悸が異常な程に早くなる。 心臓が口から飛び出しそうだ。 「…ああ。」 何がああ、だ! しかし、何を言えば良いのか…! 「誕生日だった…わけだけど……」 ……この時ばかりは、さすがの私も神に祈らざるをえなかった。 ………ど、どうすれば…っ…! ……っ…! 「…美憂は、三十の年増でも大丈夫?」 ………。 …………………。 ……………………………。 「………は…?」 その質問に、私は間抜けな声を出す。 「一昨日までは、二十歳と二十九だったけれど、昨日からは二十歳と三十路でしょう?やっぱりこの差は大きいと思うのよ…。美憂は、歳の差って気にならない?」 「…い、いや…。…そ、そんな、年齢など関係ないと思うぞ。ああ。うむ。二十九だろうが三十だろうが、十六夜は十六夜だ。ほ、ほら、昨日言ったではないか。」 しどろもどろになりながら答える。 「…そうね。……ふふ、ありがとう。そう言って貰えるとずいぶん気が楽だわ。」 十六夜は微笑して言った。 「あ、ああ…。」 私は微妙に引き攣った笑みを、十六夜に向けたのだった。 ………………。 …………。 ……。 …。 静かに覚醒していく意識。 ……良かった。生きてる。 あたし―――伴都―――は意識を取り戻しても目を閉じたままで、まずは状況把握に努めた。 近くに気配も感じるし、捕われているのだろう。そういう場合、敵に気がついたことを察される前に色々と分析するべきだ。 両手を上げられ、金属質の何かで左右の手を合わせて拘束されている。腰は冷たい地面に着いていて、両足も括られて手と同じく金属質の物で拘束されている。この感じからして、おそらく自力での脱出は難しい。 煙草の匂いがする。嗅ぎ慣れぬ独特の匂い。海外の煙草。 空調設備があるのか、気温は適温に保たれているようだ。 カサッ… 耳を済ます。 カッ、…シュボッ… ジッポの着火音。ジリジリと煙草の先端が燃える音と、そばにいる誰かが煙草を吸い、煙を吐き出す音。 「…フ…。」 微かに漏らす吐息の高さから、その主が女性である可能性が高い。 もう少しこのまま動向を探るべきか… 「…目は覚めてるようね。怪盗さん?」 ……。 気づかれてるか。 あたしはゆっくりと目を開けた。 薄暗い狭い部屋。あたしの2メートル程先に、鉄格子が見える。そしてその向こうに、一人の女性。紫煙を吐き出しながら、薄い笑みを浮かべてあたしを見下ろしている。 薄い金髪。緑色の瞳。高い鼻。流暢な日本語を話してはいたが、大方アメリカ人と見て間違いないだろう。すらりとした手足の長いスリムな女性。切れ長な目に、赤いルージュ。 黒のハイネックの上に白衣を着込んでいる。アメリカ版の十六夜さんといったイメージ。年齢も、二十代後半といった所だろう。 「脳波を測定させてもらっているの。嘘寝なんてしてもすぐばれるわよ。」 なるほど、そういうこと。 どこから測っているのかわからないけど、大方手首か足首にまとわりつく金属からであろう。 「……ちょっと待っててね。」 女性は煙草を灰皿に押しつけ、唯一あるドアから外に出ていった。少しだけ見えたドアの向こう側は、この部屋よりも少し広いだろう部屋。中の様子までは見えなかった。 ドアが閉まると、静寂が訪れる。脳波を測る機械とやらが、微かな機械音を発するのみ。どうやらあのドアは防音になっているらしい。 少し待っていると、ドアが開いた。入ってきたのは長身の男と、先ほどの女性。 男は茶色い髪に、薄いフレームの眼鏡。こちらも鼻が高く、肌は雪のように白い。こっちもアメリカ人と見て間違いないだろう。モデルと言っても通用しそうな端正な顔をしているが、光を反射する眼鏡と白衣が、マッドサイエンティストな匂いをプンプンさせていた。三十そこらか、せいぜい三十五歳といった所だろう。 「hello,nice to meet you. 」 と、男は簡単な英語で挨拶する。あたしが無言で男を睨み返していると、男はクスリと小さく笑みを零した。 「やぁ、失礼。生粋の日本人の君には、英語は理解出来ないかな?」 男は流暢な日本語で、小馬鹿にするように言った。あたしは言い返したいのを堪え、睨み返すに留まった。 「うーん、反抗的なお嬢さんだなぁ。」 男は苦笑して見せ、肩を竦めた。 「……目的は何?」 あたしは低い声で言った。 男は薄く笑み、 「簡単な事だよ。君が住んでいる施設の情報を流して欲しい。」 と言った。 ふぅん。狙いはあの施設か。 「……嫌だって言ったら?」 そう訊くと、男は表情を崩さずに 「手荒な真似はしたくないのだがね、君がどうしても嫌だと言えば、仕方あるまい。処分するしかないね。」 と言う。 「あたしを殺したら、情報は手に入らなくなるんじゃない?」 「代わりはあと二十九人もいるだろう?おそらく君が施設から姿を消して、心配している人間が捜しに来るだろうしね。」 男の言葉に、あたしは疑問を抱いた。 どうして三十人だと知っているのか。男は既に施設の情報をある程度手に入れているんじゃないか。だとすれば、他に狙いが…? 「そう。あたしも死にたくはないわ。話せることなら話してあげる。でも、あたしも素性が知れない奴らに話す気にはならないけど?」 「我々のことが知りたいかい?」 「そういうこと。」 「いいだろう。」 男は頷き、白衣のボタンを外した。下の服には、見覚えのあるバッチがついていた。 「まぁ君も大方察してはいたのだろうが、我々は米軍の人間だ。此処は米軍の研究所だ。」 「……米軍、ね。アメリカはそんなに、この荒廃した星が欲しいの?」 「上からの命令だからな。確かにこの星は酷い有様だ。しかし、復興出来ないとは言い切れない。」 「………そのキーポイントを、あの施設が握っているとでも言いたそうね?」 「察しが良いね。はっきり言おう。我々はあの施設が欲しい。」 「……そう簡単には渡さないわよ。」 男を睨み付けて言うと、男は小さく含み笑いを漏らした。 「君は何も知らないんだな。」 「……どういうこと?」 「あの施設は、既に我々の手に落ちたようなものだ。」 ……男の言葉の意味が分からなかった。 手に落ちたようなもの?あたしたちが知らないどこかで、既に米軍の侵攻は始まっている…? ピリリリ ピリリリ その時、機械音が部屋に響いた。 「失礼。」 男は懐から携帯電話を取り出し、通信に出る。 「……、…そうか。わかった。良かろう。予定通りだ。」 男は電話越しに何やら指示を出し、通信を切る。 「…君の仲間達は、本当に仲間想いだな。」 「……! まさかっ…」 「……そのまさかだ。」 男は薄い笑みを零した。 「バカな連中だ。エリー、捕虜の監視を頼む。」 男は傍に居た女にそう言って、部屋を出ていった。 エリーと呼ばれた女は、薄く笑んであたしを見遣る。 「仲間の最期を見れなくて…残念ね。」 エリーは煙草を取り出し、火を付けた。 くそっ…。 無事でいてよ…皆…! 「な、……」 あたし―――Mina・Demon‐barrow―――は絶句した。 朝の会でのこと、全員を収集しての緊急連絡。何事かと思えば―― 都さんが米軍に捕われた!?和葉達が助けに行った…!? 「ちょ、ちょっと待ってよ…!」 あたしは立ち上がり、蓮池さんの言葉に口を挟む。 「危険すぎる!あいつらの所に、たった六人で乗り込むなんて!皆殺しだよ!」 「…でも、都さんを放っておくわけにはいかないでしょう?」 「そりゃそうだけど…、なんで皆に話してから行かないのよ!?もっと慎重に動きなさいよ!あいつらの危なさをわかってない!!」 あたしはヒステリックに叫んでいた。 悪逆非道な奴ら。上層部になれば、それは尚更だ。 あたしが言葉を切った時、作戦司令室は静寂に包まれた。 「…既に通信は届かない範囲まで進んでいるわ。今は、無事を祈ることしか出来ないのよ…。」 蓮池さんの言葉に、あたしは脱力して崩れ落ちた。 和葉も、秋巴も、都さんまで…。 無事を祈ることしか…できないなんて! ………。 ………無事でいてよ…、…お願い…!! 「……随分静かね。」 あたし―――乾千景―――は小さく呟いた。この間捕われていた倉庫のような所を進入経路にした。おそらく警報でも鳴るだろうと思っていたが、あたしたちが倉庫に侵入しても、物音一つしない。 「……。…油断は禁物よ。」 理生さんが言う。 あたしたちはフルに警戒しながら、薄暗い倉庫を進む。 ……刹那。 びゅん! 何かが風を切った。 「走って!」 理生さんの声に、あたしたちは一斉に駆ける。 「っ!」 突如、佳乃がその場に崩れ落ちた。 足に、何か太い蔦のようなものが絡みついている。そうか、あの時あたしたちを捕えていたあのグロテスクな蔦。 パァン! あたしは佳乃の足に絡まる蔦の本体に向けて発砲した。 蔦はみるみる枯れて行き、佳乃は脱出に成功した。 ウゥゥゥゥ…! 突如、警報が鳴り響く。 そうか、あの蔦の本体に攻撃を仕掛けると警報が鳴る仕組みになってるんだっけ! 「急いで!」 あたしたちはなんとか、蔦の届かない場所まで逃げることが出来た。 その時、近くにあった扉から数人の米軍兵が飛び出してきた。奴らはあたしたちを見るや否や、無差別に銃を撃って来る。 「…こーの、バカどもが!」 依子が、そう言って兵士達に銃弾を浴びせる。 「…!」 ……依子の腕に、あたしは驚いた。 兵士4人に対し4発。それは全て、兵士の心臓を貫いていた。 ……驚いてる場合じゃない。 兵士たちが入ってきた廊下に走り込む。 前方から、また数人の兵士達がやってきた。 パン パン! 「くぅんっ!」 和葉ちゃんがその場にしゃがみこむ。 「和葉ちゃん、大丈夫!?」 「は、はい、大丈夫です!びっくりして…」 兵士達は秋巴の撃つ散弾銃に崩れ落ちる。 あたしたちは尚も走る。 すると、分れ道になっていた。 「ど、どうする…?」 あたしが狼狽えていると、理生さんが冷静に言った。 「どっちからでも行けるわ。分かれた方がいいかしら?」 「そ、そうだね…じゃあ、あたしと依子と佳乃、そっちは理生さんと秋巴と和葉ちゃん、いい?」 「いいわ。後で落ち合いましょう。」 そう言って、あたしたちは二手に分かれ、別々の方向に進んだ。 ………どうして理生さんは、この施設のことをこんなに知ってるんだろう。捕えられてただけじゃないの…? 「あ、あのさぁ、千景さん。」 その時、依子に話しかけられる。 「何っ?」 「あたし、トイレ行きたいんだけど!」 「そんなの我慢しなさい!」 「えーっ…!」 まったく、この子はっ…。 ……一人にするわけにはいかないのよ。どんな怪しい行動取るかもわかんない! 襲ってくる兵士達をことごとく打ち倒し、あたしたちは進んだ。 いくつか横道はあるが、基本的に一本道。 ……そして、その道は一つの扉を前に終わった。 「………。」 あたしは無言で左右の二人に目配せする。 二人が頷くのを確認すると、あたしは一気に扉を蹴り開けた! |