偽りの心 溶けていく甘い麻薬





 カタカタカタッ
 制御室の片隅で作業に没頭していた。
 ここ数日、十六夜や水戸部のことで考え事ばかりしていて、施設内の処理をすっかり怠っていた。
 十六夜も、制御室に出てきている形跡はない。まだ悩んでいるのだろうか。
 ……こうして作業している間も、色々と考えてしまって気づけばデータがわけのわからないことになったりする。
「いかんな…」
 私―――銀美憂―――は呟き、小さく深呼吸をして気を落ち着かせようとする。
 やがてまたコンピューターに向かい、作業に没頭している時だった。
 シュー!
 突然制御室の奥にある『作業室』へと続く扉が開いた。作業室から誰かが出てきたということなのだが、まさか中に人がいるとは思っていなかった。第一、私が今日この制御室に来てから、5時間は経過しているし、よくよく考えればここ数日間、制御室への入室記録には何も記されていない。…つまり、作業室にいた人物は、それ以上(最低でも三日間以上)の時間を中で過ごしているということだ。
「あら、銀博士。お久しぶりです。」
「あ、珠博士…?」
 出てきたのは十六夜…しかも、いつのもピシッとした姿ではなく、白衣の所々に油の染みのようなものが付着しており、髪も肌もボロボロで、御世辞にも整った身だしなみだとは言えない。
「博士、ちょっと来て戴けませんか?」
「あ、ああ…構わんが…」
 私が呆気に取られていると、十六夜は嬉しそうに笑み、私を作業室へと引っ張っていく。
 作業室には何度か足を踏み入れたが、何かを部品から作る時や自らの手で整備する時などしか使わず、現状での仕事(施設管理等)では必要のないスペースだった。
 ちょっと前までは静寂に包まれたスッキリした場所だったのに、今は様々な機械が稼動し、辺りは細々した部品が散乱していた。
 中でも私の目を引いたのは、筒状で、中をなんらかの水分が満たす物体だった。人間一人くらいならすっぽりと入れそうな幅と高さがある。
「こ、これは一体……?」
 私が珠博士に尋ねると、彼女は待っていた、といった様子でニヤリと笑んだ。
「……実は、千咲の再開発を行なおうと思うんです。」
 十六夜の言葉に、私は驚く。
「再開発…!?」
「ええ。…と言っても、そこまで大層なものではありません。先日、私に対する本能的な憎悪が埋め込まれてしまっていると説明しましたね。それを取り除こうと思うのです。」
「…そんなことが…可能なのか…?」
「ええ。要領は、今まで私が行なっていた千咲に対する開発と同じです。ただ、それ故に同じ設備を用意しなければなりませんでしたから…、この機械を用意するのは大変でしたが。」
 彼女はサラッと言うが、これだけの機械を作るのは簡単なことではない。
「……何日間、徹夜した?」
 そう私が問うと、十六夜は表情を変えずに言った。
「五日程。」
「無茶だ…」
 その答えに、私は思わず呟いていた。
 おそらく彼女の様子からして、不眠不休だったのだろう。限界をとうに超えている。
「作業に没頭してしまうと、つい我を見失ってしまって…」
 彼女は苦笑して言う。
「少し休め。調整が済んでいないのなら、私で出来る限りは行なっておこう。」
「いえ、調整も万全です。あとは千咲を…」
 そう言ったところで、十六夜はふっとバランスを崩したように機械に手を付いた。
「だ、大丈夫か?」
 私は慌てて彼女に駆け寄り、肩を支えた。
「す、すみません…ちょっと目眩が…」
「とにかく、しばし休め。その後でも再開発は行なえる。」
「…ハイ…、そうします。」
 彼女の答えに私は頷き、作業室の奥にある仮眠室に十六夜を連れていく。
 仮眠室に入って、なんだか懐かしい感じがした。もしかすると、私の祖父も此処で休んでいたのかもしれない。…なんだかんだ言って、私も作業に没頭すると我を忘れる。科学者特有の悪い癖かもしれぬな。
 そんなことを考えていると、仮眠室のベッドに横になった十六夜が話しかけてきた。
「あの…、…銀博士。…先日は申し訳ありませんでした。…私、……」
 十六夜に怒鳴られて以来、私たちは顔を合わせていなかった。今の十六夜は極度の疲弊状態にあるので、その話は十六夜が目覚めてからにしようと思っていたのだが…。
「…謝ることはない。私も…その、…」
「銀博士、…私は……」
 私が何を言おうかと口籠っていると、それに被せるようにして十六夜は言う。
「…私は、千咲のことを愛しています。まるで本当の子供のように思っているのです。………だから、…辛いのです。」
「…そうか…。」
「再開発は、あの子の為ではなく…私自身のためなんです…。」
 十六夜は天井を見つめたまま、呟くように言葉を紡ぐ。
「こんなんじゃ…科学者として…、親として……、失格でしょうか…?」
 僅かに眉を顰て言う十六夜の手を、私はそっと握って言った。
「そんなことはない。これで良いと思う。」
「……美憂…。」
 十六夜は顔を動かし、私を見てくれた。私の名を呼んでくれた。
「……傷つけてしまって…ごめんなさい…。どうか…見捨てないで…」
 その瞬間、ふと水戸部の顔が脳裏を過った。
 私は首を横に振り、十六夜の手を更に強く握った。
「私も悪かったと思っている。十六夜こそ…私を見捨てないで欲しい…。」
 そう言うと、十六夜はほんの少しだけ微笑した。
「おやすみなさい…、…美憂。」
 十六夜は囁くように言うと、静かに目を閉じた。
 私はそんな十六夜の目蓋に、そっとくちづけを落とした。…そう、初めて出会ったあの時、十六夜が私にしてくれたように…。





「あーあ、退屈〜……。」
 牢屋の中で、千咲の声が響く。
「何言ってんだよ、折角アタシが来てやってんのに、そりゃねーだろ?あん?」
「だって、憐が来たって別に面白いことなんてないじゃん!」
 ……相変わらずクソ生意気だな…。
 アタシ―――萩原憐―――は内心舌打ちしながら、肩を竦める。
「あーあ…、いつまでこんな狭くてジメジメしたトコにいなきゃいけないワケ?」
「おまえが十六夜のことを殺そうとしなくなるまでだよ。」
 そう言うと、千咲はぷーっと頬を膨らませる。
「もう殺そうとなんてしないよぉー。だから出してぇ。」
「いや、怪しい。女の猫撫で声程危ないモンはないもんなー。」
「ちぇ。」
 千咲は舌打ちして、ゴロンと床にねっころがる。
 その時、ギィ…という音がして牢屋の表の扉が開き、足音が牢屋全体に響く。
「あ、憐さん。また来てたんですね。」
 佳乃が、千咲の食事を運んできたらしい。
「またって何だよ…いっつも居るみたいに言うな。」
「えー、いっつもいるじゃないですか〜。私が食事運んで来たら、かなりの確率でいますよぉー。」
「そりゃ偶然だよ、偶然。」
 そんなことを話しながら、佳乃は千咲の自由を一旦奪い、牢の扉を開いて食事の乗ったトレイの中に置き、扉を閉めて拘束を解く。
「千咲ちゃん、明日の朝ご飯は何がいい?」
 佳乃が問うと、千咲はしばし悩んだ後、
「じゃあ、サンドイッチで」
 と注文する。
 アタシはそんなやりとりを聞き、肩を竦めて言う。
「まったく、いいご身分だな。本当に捕われの身かよ?」
 佳乃は苦笑して、
「そのくらいの選択権はないと…ね?」
 と言う。コクコク頷く千咲。
「それじゃあ、行きますね。何か用事があったら呼んでね。」
 佳乃はそう残して、来た時と同じように靴音を響かせ歩いて行った。
 千咲は早速、運ばれてきた洋食セットのサラダを頬張る。
「お前も、ちっとは素直になったな。」
「う?なにが?」
 口の中をキャベツでいっぱいにしながら、千咲があたしを見上げる。
「前は飯も食わなかったくせに。」
「あぁ…。…だって、ご飯食べないと死んじゃうじゃん。」
「現金なヤツ。」
「ほっといてよ、もー。」
 千咲はベー、と舌を出し、コーンスープをすする。
「………なんで、十六夜がそんなに憎いんだよ…」
 アタシは思わず口にしていた。パッと見は普通の女のコなのに。牢に入ってる必要なんて、全然ないように見えるのに…。
「……だって、アイツは…!」
 千咲の表情が険しくなる。憎悪を剥き出しにし、苛立った様に拳を握る。
「怒るなって。冷静になれ。理論的に聞きたいだけだってば。」
 そう言うと、千咲はアタシを軽く睨み、
「憐が『理論的』なんて言うと、オカシイよね…。」
 と皮肉を言う。
 アタシはそれを無視して、更に言う。
「いい加減許してやれよ。なんでそこまで憎む必要がある?」
「許せないよ!」
「っていうか、憎む要素なんてないだろ?アイツはお前の命の恩人じゃないのかよ!」
 気づけば、口調が強くなっていた。
 別に十六夜をかばいたいわけじゃない。唯、あまりに理不尽で……。
「……そりゃ、そうなんだけど……」
 返ってきた返答は、少し意外だった。
 また言い返してくるかと思ったのに、千咲は困惑したように、小さく言うだけだった。
「……わかんないけど…、なんで憎いのかもわかんないけど…、……でも…許せないよ………」
「………。……そっか。」
 これ以上問いつめるのは酷だと思った。
 千咲自身、なぜ憎いのかわかってない。
 理解出来ないが、千咲とアタシだけで解決出来ることじゃないような気がした。
「ゴメン、野暮なこと聞いて。」
 謝ったりするのは慣れてないが、今はすごく謝るべきだと思った。なんだかすごく失礼なことを言ってしまったようで……。
「憐が謝るなんて柄でもない。どしたの?」
 千咲は不思議そうに言う。
「うるせーな。アタシでも悪いと思えば謝るよ。」
「……悪いと、思ったの?」
「………なんとなくな。」
「ふぅん……。」
 ……。
 それから少しの間、会話が途切れる。
 最初に言葉を発したのは、千咲だった。
「…憐…さ、…別に、ここ、来なくてもいいんだよ…。」
「………。」
「…あたしといたってツマンナイでしょ?こんなクソガキって、いっつも思ってるんでしょ?」
「…そんなこと…」
「いいんだってば…!」
 ガシャン!!
 コーンスープが半分程残っていた器が、牢の壁に叩き付けられ砕け散る 
 突然の千咲の行動に、アタシは驚きを隠せない。
「……、もう来なくていい……、……っていうか、…来ないで…!」
 千咲は震える声で言った。俯いたまま、拒絶するかのように。
「もう…顔も見たくない…っ!」
 …千咲の言葉に、言い返す言葉をアタシは持っていなかった。
「………早く…っ…、消えてってば…!!」
 千咲の叫びに、耐え切れなくなる。
 アタシは静かに立ち上がり、呟いた。
「…もう、来ないから…。」
 …千咲は、何も言わなかった。
 アタシは静寂に背を向け、牢を後にした。
 次に此処に来るのがいつなのか、アタシ自身わからなかった。





「憐?」
 あまりに意外な組み合わせに、あたし―――乾千景―――は、蓮池課長に聞き返す。
「だって他に大丈夫そうなコって、あんまりいないじゃない?今のところ恋愛関係の無いと思しきコって言ったら……」
 蓮池課長はほんの少しだけ小首を傾げ考えた後、一気に捲し立てた。
「伽世ちゃんは六花ちゃんが慕ってる感じがあるし、千咲ちゃんは問題外よね。柚里ちゃんはちょっと取っ付きにくいし、七緒ちゃんと愛惟ちゃんは可愛川さんのことを想ってるみたいだし…依子ちゃんはどうかしら?あのコとじゃ、ちょっとね?夜久さんも取っ付きにくいし、呉林さんは…、だめよね?」
 と蓮池課長があたしを見て言うので、困ってしまう。
「…あぁ、玉緒ちゃんを忘れてた。…あの子は…どうかしら?」
「う、うーん…まぁテンション的に厳しい感じもあるけど、憐よりは…?」
 蓮池課長のなかなかに突飛な考え方にあたしは怯みながらも言う。
「小向はどう思う?」
 うむむ〜…と唸りながら考え込んでいた佳乃が蓮池課長に突然話しを振られ、困惑したように首を傾げた。
「候補としては、やっぱり憐ちゃんか玉緒ちゃんでしょう?」
 しばし考えるが、蓮池課長の言うことはもっともだ。
「そうですね…。」
 あたしは頷き、言った。
 小会議室で警察三人。何を真面目に考え込んでいるかと言うと、三森さんの花婿…否、恋人候補の事だった。
「優花ちゃんと仲のいい小向としては、どう思う?」
 蓮池課長の言葉に、佳乃は顔を上げる。
「そうですね…。…憐さんはどうだろ…。」
「? 誰かと恋人関係とか?」
「いえ…、……いえ、なんでもないです。その二人でいいと思いますよ。テッシーはいいコだし、憐さんもちょっと過激だけど…根はいい人だし…」
 あたしと佳乃の同意に、蓮池課長は頷く。
「それじゃ、そういう方針で進めましょう。憐ちゃんには乾ちゃんから、玉緒ちゃんには小向から話しておいてもらっていい?お互いのことは言っちゃだめよ。恋人になって欲しいっていう言い方じゃなくて…」
「…はい、わかってます。」
 あたしは頷く。なかなかに難しい計画ではあるけど、……三森さんのためだしね。
「それじゃあ、早速お願いね。」
「はい。失礼します。」
 あたしは蓮池課長に一礼し、佳乃を連れて会議室を出た。
「……いいのかなぁ。」
 廊下を歩きながら、佳乃が呟く。
「…まぁ、恋のキューピットだと思って頑張ろう。三森さんの為なんだよ。」
「……うん。」
 佳乃は少し憮然としながらも、頷いた。
「それじゃ、早速憐に話ししてくるね。佳乃も、テッシーに宜しくね。」
「…うん、わかった。頑張ってみる。」
「それじゃ。」
 あたしたちは別れ際に軽いキスを交わし、それぞれのターゲットに会うべく歩き出した。





「優花さん……ですかっ。」
「うん。どう思う?」
「どうって…、おとなしい感じはしますね〜。あんまり話したことないからわかんないですけど。」
 佳乃さんの突然の持ちかけにあたし―――勅使河原玉緒―――はきょとんとしながら、話を聞く。
「良かったら、ゆっくり話してみて。本当、すごくいい人だし…ね。」
「わかりましたっ。…でも、突然どうしちゃったんですか??」
「え?…ううん、別にどうしたってわけじゃないけど…、その、優花さんって特に仲のいい人とかいないじゃない?だからね…」
「?? 佳乃さんって優花さんと仲良しさんじゃないですかっ!」
 話しの趣旨を理解できなくて、あたしは尋ねる。しかし佳乃さんは表情を曇らせ、
「あたしは…ちょっとね。別に嫌いになったとかじゃないんだけど…だめなの…。」
「そうなんですか…、あ、す、すみません、なんか変なこと聞いちゃったかも…」
「ううん。そんなことないよ!…あの…宜しく頼んでいいかな?」
「はいっ!佳乃さんのお願いなら何でも聞いちゃいますよ〜!早速対面式と行きますか!」
 あたしが意気込んで言うと、佳乃さんは安心したように小さく笑みを浮かべた。





「三森?…あの暗いヤツ??」
「そんなこと言わないの!とにかく話してみてって!」
「いいけど…、何だよいきなり…?」
 千景にユビキタスで呼び出されて、何かと思えばいきなり「三森さんってどう思う?」と来た。
 ただでさえ千咲のことでムシャクシャしてるアタシ―――蓮池憐―――は、少し苛立って千景に問う。
「そのー、三森さんって仲いい人少ないじゃない?だからね、関係を広げて欲しいっていうか…」
「千景が仲良くしてやりゃいいじゃん。」
「そうもいかないの。あたしは佳乃がいるし…」
「佳乃?なんだよそれ?」
 眉を顰て聞き返すと、千景は慌てた様子で首を振った。
「な、なんでもない!」
 なんか怪しいなぁ…。
「それって、もしかして恋人を前提に、とかじゃねーの?」
「いっ…、…いや、それはその…」
 千景って嘘が下手だなー。まったく。
「まぁいいけど。適当にやらせてもらうよ」
「へ?…いいの?」
 千景は拍子抜けしたように言う。
「いい加減、特定のヤツくらい作りたいとは思ってたしな。まぁ三森がどんなヤツかわかんないし、とりあえずってトコで。」
「そ、そう…じゃあ、宜しくね。変なことしないでよ?」
「変なことって何だよ…。まぁ好きにさせてもらう。じゃあな。」
 アタシはヒラリと千景に手を振り、歩いていく。
「た、頼むわよぅ…」
 千景の不安げな声を背中で聞き、アタシは小さく肩を竦めた。





「みーもりさぁぁぁ―――ん!!」
 とてもテンションの高い声に、私―――三森優花―――は振り向いた。このテンションの高さは三十人の中でも一人しか心当たりがない。案の定…だった。
「ど、どうしたんですか?勅使河原さん。」
「ああんっ、勅使河原なんて言いにくいでしょぅっ!玉緒でいいんですよぉっ。」
「は、はぁ…玉緒さん。」
 突然何事だろう……。
 食事中だった私は、お箸を置いて玉緒さんを見た。
「あっ、お気にならさず!お食事続けてください♪」
 彼女はそう言うと、私の向かい側に座り、ニコニコして私を見つめる。
 とりあえず食事を再開するが、視線が気になって箸が進まない。
 そんな私の様子に気づいたのか、彼女はふと不安げになって言った。
「あ、あの…御邪魔ですか!?」
 私は首を左右に振り、
「そんなことはないんですけど…、…あの、どうかしたんですか?」
 と問う。
「ええーとですね、話せば長くなるんですけど、佳乃さんに三森さんと仲良くして欲しいって言われたんですっ!」
 …全然長くないような気が……。
「……え?佳乃さんから?」
 私はふと、そう聞き返した。
「はい、佳乃さんから。」
 彼女はにっこりと笑んで頷く。
 どういうことだろう…?
「私もいろんな人と仲良くしたいし、三森さんとはあんまりお話したこともなかったから是非!と思ってですね♪」
 彼女はにこにこと笑んで、言う。
「そうなんですか…」
「はっ!もしかして私とは仲良くしたくないですか!?」
 彼女は不安げな表情になって言う。
 表情がころころ変わって可愛らしい。
「そんなことないですよ。私も玉緒さんとは仲良くしたいです。明るくて…いいなぁって思ってたから…」
 私は小さく笑んで言った。すると彼女は驚いた様に聞き返す。
「明るくていいんですか!?結構明るいのも大変なんですよっ!うるさいとか言われちゃうし、それにいっぱい喋ると喉が乾くんですよねぇぇ…」
 彼女の言葉に、私は笑う。
「私には到底思えない悩みですね。」
「あははっ、そうですか?三森さんて、基本的におとなしい感じなんですか?」
「え、えと…そうかもしれないです。基本的に聞き役かな…?」
 そう答えると、玉緒さんは嬉しそうに笑んだ。
「じゃあ、ちょうどいいじゃないですか!私いっぱい話しますから、いっぱい聞いてくださいよ!」
 感心した。そんな考え方が出来るなんて…。
「ど、どうしたんですか?」
「いえ…、すごいなぁって思って。…嬉しいです。」
「そですか?何がすごいんだろ?まいっか。三森さんが嬉しいと私も嬉しいですよー!」
 玉緒さんはにこにこと笑む。
 その笑みを見ていると、私にまで嬉しさが伝染してくる。
「……玉緒さんって、素敵な人ですね。」
「えっ!?そそ、そうですか!?うひゃぁ、そんなこと言われたの初めてですよぉ!」
「そうなんですか?すっごく素敵で…うらやましい。」
「あはは、照れちゃいますっ!」
 玉緒さんが弾いたような笑みをこぼす。
 そんな笑みに見取れていると、後ろから第三者の声がかかった。
「おっと、三森発見っ。」
 その声に振り向くと、そこには萩原さんがいた。
「ん?玉緒と三森とは意外な組み合わせ…」
 言いながら、萩原さんは玉緒さんの隣に腰を下ろす。
「もうっ、邪魔しないでくださいよぉー!せっかく私が三森さんと仲良くしてるのに!」
「ん?じゃあ玉緒もアタシと同じ口か?」
「へ?同じ口って、口は別々じゃないですかー。」
「いやいや。」
 萩原さんは意味深な笑みを浮かべつつ、私を見遣る。
「で、三森は恋人募集中なワケだ?」
「え…?な、何がですか…?」
 突然言われ、私は聞き返す。
「そんな噂を耳にしたもんでね。良かったらアタシなんてどうだ?未知の世界を教えてやるよ?」
「は…?」
 唐突な展開についていけない。しかもそんな一方的な会話に、玉緒さんも入ってくる。
「憐さんに三森さんは渡しませんよぉー!」
「おっと、ライバル発言か?なかなか面白くなりそうだな…。」
 萩原さんは、ニヤリと笑みを浮かべる。
「憐さんが私のライバルですか!?なかなかに手強そうですね…、玉緒、頑張っちゃいます!」
「ふん、アタシに勝てるかな…?」
「勝つに決まってるじゃないですかー!」
 ちょちょ、ちょっと待って…。
 一体どうなってるの……………!?





「水散さん…幸織さん…水散さん…幸織さん…」
 ガチャッ
「!」
 扉が開いた音に、あたし―――真田命―――は咄嗟に、途中までなぞったアミダくじの書かれた紙を丸めた。
「おかえり、水散さん…。」
「た、ただいま…。」
 どこかギクシャクした空気が流れる。
 あの日以来、ずっとこんな感じだ。
 困ったなぁ…。
 あたしも必死で悩み続けてるんだけど、いかんせん答えが出ない。
 幸織さんともあんまり顔を合わせないし、会ったとしても軽い挨拶くらい。
 なかなか辛いものがあるよ…。
「…あの、命さん。」
「うん?」
 ベッドに寝そべっていたあたしは、水散さんに声をかけられ、顔を上げる。
 なんとなく言葉数も減っていたので、話しかけられただけでも敏感に反応してしまう。
「……これ…、見てくれませんか?」
「何…?」
 水散さんが差し出したのは、一冊の分厚い書物だった。かなり古びた感じで、おそらく100年以上は昔のものだろう。
 あたしが本を受け取ってぱらぱらとめくると、どうやら昔の様々なニュースが記されたものらしかった。小さな写真付きで、簡潔に記されている。
「2005年のところ…見てください。」
「2005年?」
 言われるままに、あたしはインデックスからページを捜し、2005年のニュースをぱらぱらと見ていく。
 誘拐、レイプ殺人、政治家の汚職…。今では日常茶飯事とも言える出来事が綴られている。
 ………その中で、ある記事に目を止めた。
『十五少女漂流事件』
 ある豪華客船が遠海で大破し、十五人の女性が近くの無人島で約半年間の無人島生活を送っていた、という記事だった。
「気づき…ましたか?その記事…私も、変わった事件だなぁって思って、目を止めたんです。」
 水散さんは、一枚の紙を手にしていた。
「それで…パソコンで詳しく調べてみました。…そしたら……」
 水散さんは言葉を詰まらせながら、その紙をあたしに差し出した。
 あたしは折り畳まれた紙を開く。
 そこには、事件の詳しい内容や関係者、そして鮮明な写真がプリントされていた。
 あたしはそこに印刷されている文章を読み……顔を上げた。水散さんは、あたしを見つめている。
 関係者…つまり、その十五人の女性の名前が記されている。
 そこに、『悠祈 純』という名があった。悠祈なんて、珍しい名前…。そして更にあたしを驚かせたのは、『真宮寺芹華』という名前。
「…真宮寺…。……あたしの、お祖母ちゃんの姓だ…。」
「……やっぱり…。」
 もう一度紙に目を遣り、水散さんが納得するように呟いた理由がわかった。
 その写真だった。
 一人一人の名前が記されている。
 その中央で、寄り添うように写っている二人。一人は悠祈 純さん。そしてその隣にいるのが…真宮寺芹華さん。
 ………あたしに、そっくりだった。
 あたしを少し幼くして、髪を肩くらいに切ればきっとこんな感じになる。
 よく見ると、悠祈純さんの方も…水散さんによく似ているのだ。水散さんを少し大人っぽくした感じか。髪の色が同じで、優しげな微笑みも、ぴったりと重なり合う。
「偶然…なんでしょうか…?それとも…」
 心なしか、水散さんの声が震えている。
 あたしはしばらく、その写真に見入った。
 二人とも、幸せそうな笑顔。
 寄り添った姿は…恋人としか思えない。
「この時代は…、まだ女性同士の恋愛って、確かあんまりなかったんだと思う。でも…、でもこの二人はきっと…」
 あたしは独り言のように呟く。
 それから水散さんを見上げ、小さく笑んだ。
「偶然なんかじゃないよ…、きっと…」
「……はい…」
 水散さんは、搾り出すような声で頷く。
 彼女たちが…、あたしたちの前世…?
 だとしたら…、…あたしと水散さんは…
「……ごめんなさい。こんな…、…こんなやり方、よくないって思うんです…。…でも……運命が…もしあるのならって…」
 ここ数日、水散さんが頻繁に出かけてたのは…ずっと、この資料を探してたんだ…。
 『運命』を…、…ひたすら、信じて…。
 その瞬間、どうしようもない愛しさが沸き上がってきた。自分の想いでもあって…でも、誰かが乗り移ってるような愛しさ…。
「……純…さん…?」
 ポツリと、呟いていた。
「……芹華…っ……」
 純さん…、…いや…水散さんの瞳に、涙が溜まっている。
 あたしは立ち上がり、彼女を強く抱きしめていた。
 彼女が水散さんなのか、それとも純さんなのかわからない。
 ……そして、あたしが命なのか、それとも芹華なのかもわからない…。
「もう…っ…、…もう離さないで…。…これ以上…離れたくない……」
 彼女が囁く。
「…離さないよ…、……あたしも…離れたくない…!」
 きっと芹華と純さんは…悲しい別れ方をしたのだろう。愛し合っていたのに…それなのに。
 だから今……その想いがここに…あたしたちに……。
「愛してる…愛しているわ…」
 彼女の言葉に、何とも言えぬ想いが膨れ上がった。
 あたしはベッドに彼女を押し倒し、くちびるを奪った。
「愛してるよ…」
 囁きながら、服を剥ぎ取っていく。
 百年以上封じ込められていた愛が…、解放された。





「…っ…!」
 風に流された葉が、私―――夜久幸織―――の肌に鋭く触れた。痛みが走り、左の手の甲を見ると…皮膚が僅かに裂けていた。
 じわりと滲み出る…血液。
 その血を見て、僅かに眉を顰める。
 その事実を隠すかのように、私は右手の指先で傷口を強く押さえた。
 そのまましばし待ち、ゆっくりと指を外す。
 すると、先程まであった皮膚の裂け目が、完全に塞がっていた。僅かに溢れ出たその血液を、舌で舐め取る。
 人を殺め、証拠を隠滅しているような気分。
 私はその場に座り込み、左手の甲を押さえたままじっとしていた。
「…夜久さん…?」
「…!」
 突然掛けられた声に、ビクリと身体が震える。
「どうしたの?具合でも悪いの?」
 ゆっくりと振り向くと、そこにいたのは蓮池さんだった。
「………。」
 私は小さく首を振る。
「手の甲…?どうかしたの?」
「!」
 近寄って来て、伸ばされた彼女の手を私は思わず払っていた。
 パシン、と、乾いた音がした。
「あ…」
「…っ…、………ごめん…なさい…」
 私は声を振り絞りそれだけ言うと、駆け出した。…恐怖で背筋が寒い。
 庭園は、さっきのような事が起こるかもしれない…。……かと言って、この無機質な施設の中にいたって…。
 …………。
 ………。
 私は…、…此処にいるべきじゃないのかもしれない…。
 正面に見える、分厚そうな扉。
 ここから出ていって…二度と戻って来なければ……。
『幸織さん?』
 聞き覚えのある声に、左右を見回す。
 しかし、人の気配はない。
 ……気のせい…。
 ………。
 …。
 フゥン……
「あ、危な……」
「………!」
 何が起こったのか、わからなった。
 自動扉が開くような音がして…次の瞬間、もたれていた背後の壁がなくなった。
 そして、全身に痛みが走る。
「大丈夫…?」
 身体中が痛む。
 目を開けると、誰かが私をのぞき込んでいた。
「あの…、エレベーターの扉にもたれてたら…危ないから…」
 女性のその言葉で、自分の愚弄さを認識した。私がゆっくりと身を起こすと、女性は手を貸してくれた。透けるような真っ白い髪が揺れる。名前は覚えていない女性。
「医務室…行く?」
 彼女は私に問う。とりあえず首を横に振るが、身体中の痛みは引かない。
「…ちょっと待って…。」
 彼女は小さく言い、白いハンカチを私の後頭部に宛てる。
「……っ…?」
「……血が…出てるような…」
「……!?」
 私は彼女を振りほどき、後ずさった。
 彼女が手にした真っ白いハンカチに…、…私の…、私のとしか思えない血液が…付着していた。
 動揺した。…どう…すれば…。
「…珍しい…ね?」
 ……しかし私の心配を他所に、彼女は至極冷静に呟く。
「え…?」
「…あの、血…出てるから…、…やっぱり医務室、行こう。」
 そう言うと、エレベーターのボタンをピッと押す。
 静かに下降を始めるエレベーターに乗って、私はどうすればいいのかわからなかった。
 やがてエレベーターが到着の音を告げ、すっと扉が開く。彼女は私の手を引いて、医務室へと向かう。
 動揺したまま、私は彼女に任せるしかなかった。いっそ、あの時に外に出ていれば…。
「座って。」
 医務室に入り、女性は処置室の丸椅子に私を促す。言われるままに私が座ると、彼女は私の後ろに周り、髪をそっとかき分けた。
 さっきのは誤魔化して、今もすぐさま彼女から離れるべきなのかもしれない…しかし、できなかった。彼女の口調が、有無を言わせぬものだからだろうか…?
「そんなに切れてない…、すぐ治るよ。」
 薬品だろうか、冷たい液体を後頭部に付けるだけの処置だった。
「気をつけてね。」
 女性はあくまでも冷静な口調で言い、去ろうとする。
「待って…」
 そんな女性を、私は引き留めていた。
「…、…名前は…?」
「私?…保科、柚里。……ユズ、でもいいけど…。」
「ユズ…?」
 彼女…柚はコクンと頷く。
「小向佳乃の従姉妹…です。22才。」
 簡潔な自己紹介の後、柚は私に向き直る。
「アナタは?」
「……夜久幸織。27…才。」
「幸織サン。…キレイなヒト。」
 柚は決して笑みをこぼさなかった。
 私も笑みをこぼさない。…というより、笑みを知らない。
 傍から見れば、無表情で淡々とした会話なのかもしれない。
「…どうして…そんなに冷静なの…?」
 私は彼女に尋ねる。
 ……私のあの血を見ているとは思えない。
「…全ては…事実だから。どっちかって言うと…知らないことでも、あぁそうなんだなって、納得するから。」
 という彼女の言葉は、説得力があった。
「……でも…私の血は…?」
 不安だった。事実であっても…。
「珍しい。初めて見た。」
「……。」
「……ミドリ色。」
「…………。」
 ………そう。
 私の血液は特殊としか言えない色だった。
 おそらく、特殊などという言葉では済まされない。
 故に母は私を外界に晒すのを嫌った。
 それがこの血液のせいであることを私が知ったのは齢が二桁になってからだった。
 母が、私が十五の時に病死してから、私は樹海で暮らしてきた。母が残した遺言の通り、外界との接触を限りなく避けながら。
 幼い頃から私は、植物達と親しかった。彼らは私に食物を与え、衣服を与え、日常で使用する殆どの物品を与えた。
 激しい災難からも、彼らが護ってくれた。
 しかし二十六になった時、私はある人間に捕えられた。研究と称した、植物への悪道を行なう人間達だった。 男は髪が金色で、目が緑だった。彼らがこの地『ニホン』の人間でないのは薄々感づいてはいた。
 そして男は、私の母のことをもよく知っていた。私の父となる存在も、彼らは知っていた。
「あぁ、そうだ。…一つ、気になってた。」
 彼女は思い出したようにポンと手を叩く。
「…幸織サンは、人間外?」
 ………。
 本当に不思議な人。
 余りに常識外の言葉を、ごく当たり前のように紡ぐ。
「…ハーフ。…母は人間で…、…」
「…父は?」
「………植…物…。母は、実験で…私を孕んだの…。」
「……成る程。」
 柚は納得した様子で、コクコク頷く。
「……できれば、他の人に言わないで欲しいの…。……きっと、変な目で見られる…。」
「いいよ。言わない。約束。」
 柚はあっさりとそう言った。
「あ、ありがとう……」
 ここまで調子を狂わされたのは初めて。
 こんな人がいるなんて…。
「怪我したら呼んでね。すぐ治してあげる」
 柚はそう言い残し、去っていった。
 私はぼんやりと、彼女の去っていった扉を眺めていた。
 ………とても不思議な感情があった。
 関わりたい。
 …自分から、干渉したいと思えるなんて。
 そんな自分に驚きを隠せない。
 …柚のことを、もっと知りたい…。





「伽世さん。…こんばんは。」
 その声に、私―――志水伽世―――は顔を上げた。ギターの音色が止み、ほんの一瞬の静寂。
「……こんばんは。」
 私は笑みを作って言った。
 …自然の笑みが出ないのは、仕方ないと思う。だってほんの何日か前、あんなことを言われたばかりなのだから。
「伽世さん、怒ってますか?」
 六花ちゃんは、私の隣に体育座りで腰を下ろした。
「…別に、怒ってなんかないよ…。」
 …怒る理由なんてない。むしろ、六花ちゃんが怒ってるんじゃないかと…。
 なんとなく切り出す言葉が見つからず、しばし沈黙が続いた。
 先に口を開いたのは六花ちゃんの方だった。
「あたしは…」
 六花ちゃんの方を見ると、ふっと視線が絡まった。…ドキッとした。色香…というのだろうか。何か、今までなかったものが、彼女に備わっているような気がした。
「…あたしは、こないだこと、無かったことにはしたくないんです。」
「…なかったこと?」
「ハイ。確かに、酔った勢いであんなこと言っちゃったけど…、…酔った勢いのでたらめなんかじゃありません。…酔ったから、出ちゃった本音です。」
 六花ちゃんは淡々と言う。
 ポーカーフェイス?
「………。」
 彼女の言葉と、そして彼女の急激な変化に、私は何も言うことができない。
「…でも伽世さんは、言いましたよね。あたしのどこを見て好きだなんて言えるの?って。あたし、その言葉について考えたんです。」
「……どんな、ふうに?」
「伽世さんは、あたしに見せてない部分があるんですよ。…仮面を被ってるんです。」
「……仮面…ね…。」
「違いますか?…答えを教えて下さい。」
 六花ちゃんは、じっと私を見る。その眼差しに、負けそうになる。
「……仮面…とは、ちょっと違うかもね…。……あたしは、隠し事をしてるのよ。」
「……隠し事ですか?」
「そう。……誰にも見せない。」
「見せてください。」
 ………。見せないって言ってるのに。
「…できないわ。」
「見せてください。」
 六花ちゃんは引き下がろうとしない。じっとあたしを見つめたまま、詰め寄ってくる。
「見せたら、絶対幻滅する。」
「しません。」
「………なんで言い切れるの?」
「ちょっとやそっとじゃ、…幻滅なんてしないです。」
「………。」
 六花ちゃんはあたしから目線を逸らし、しばし考え事をする。そして結論と思しきことを口にした。
「伽世さんが、人殺しだって言っても幻滅しません。」
「………。」
「100人殺してようが、1000人殺してようが、大丈夫です。」
「………でまかせでしょ?」
「いえ。本気です。」
「………。」
 ……こんなに真剣な表情、初めて見た。
 どうしてあたしに、そんなに興味を抱くんだろう?…わからない…。
「…どうして知りたいの?」
 あたしは問う。すると彼女はさも当然のように言った。
「好きだからです。他に何が?」
「好きだなんてそう簡単に…」
「言うべきじゃない…、…ですか?」
 ………。
 そうか、…この間も同じこと言ったっけ。
 何故かと言うと…
「……六花ちゃんの好きには、重みが感じられないの。わかる?」
 あたしがそう言うと、彼女は寂しそうな表情を浮かべた。見覚えのある、弱い六花ちゃんの表情。
「……じゃあ、……じゃあ…っ…。………………どう…したら…?」
 やっぱり…子供ね。
 不安げで、今にも泣き出しそうな表情。
 あたしはなんだか笑いたくなった。
「好きに重みを付ける方法を教えてあげようか?」
 あたしは薄く笑んで言う。
「あのね。…あたしの隠し事を聞いても、まだ好きだって言えれば…、…OK。」
 六花ちゃんは瞳を揺らしてあたしを見上げる。
「……いいですよ。言って下さい。」
「…きっと、嫌いになる。」
「いいですよ。」
 六花ちゃんは、きっとあたしを見つめた。
 強い瞳。
 ……このコは、一体何者なんだろう。
 強かったり弱かったり…。
 …もう、乗りかかった船ね。
 これで嫌われても仕方ない。
 ……そっちの方が、都合はいいかもね…。
「あたしが、いつも長袖なの、気づいた?」
 あたしは少し遠回しに、切り出した。
「……そういえば…ですね。」
「……なんでだと思う?」
 あたしは小さく笑み、長袖Tシャツの袖をゆっくりと捲る。
「………」
 六花ちゃんは、じっとあたしの腕に注目していた。
 やがて現れたものを見ても…、…六花ちゃんの表情は変わらない。…いや、少しだけ、その目が見開かれた気もした。
「……わかるでしょ。」
「…麻薬…ですか。」
「そう。」
 あたしの腕にある、夥しい数の注射の後が全てを物語っている。
「あたしね、マリファナの中毒者なの。今も、週一回…打ってる。」
「………。」
「…最低の人間でしょ?」
 あたしが自嘲的な笑みを浮かべて言うと、六花ちゃんは小さく首を振った。
「麻薬くらい…、…今時、麻薬くらい…」
 しかしその掠れた声から、彼女の冷静さが激減しているのは見て取れる。
「麻薬くらいって言うけど、常用してるあたしから見れば麻薬くらいじゃないわ。あたしはこの麻薬の為に生きてるようなものなのよ…」
「………。」
「…これのせいで、同棲してた男から捨てられて、家を追い出されて。それで仕方なく、ストリートミュージシャンなんてやってるのよ。六花ちゃんが思ってるようなカッコイイ女じゃないのよ、あたしは。」
「………。」
 六花ちゃんは、言葉を失っている。
 そう、予想通りの反応だ。
「それに、ストリートミュージシャンなんてやって、食っていけると思う?そんな甘い時代じゃないのよ。何人にこの身体を売ったか……!」
 六花ちゃんはあたしを見上げていたが、目が合うと困惑した様子でその目線を逸らした。
「…クスリ欲しさに、奴隷になったこともあった。クスリのためなら何でもしたわ。………わかったでしょ?そういう女なのよ、あたしは。わかったでしょ!?」
「……う…、」
 六花ちゃんは小さく嗚咽を漏らす。その赤くて可愛い林檎のような頬を、涙が伝う。
「嫌いになったら…、…もう…、こないでね。ギターが弾きたかったら、庭園でも、音楽室でも…行ってね…。」
 …のどの奥から、何かが込み上げてくるような熱い感覚。なんだろ?と思っていたら、いつの間にかあたしの頬も涙で濡れていた。
 …どうして泣かなきゃいけないの?
「………じゃあね。…バイバイ。」
 あたしはギターを持って立ち上がった。
「…待ってください。」
 しかし、あたしを止めるか細い声。
「まだ何かあるの?」
「誰がっ…!」
 六花ちゃんはあたしを睨み、言った。
「誰が嫌いになったなんて言いましたか!?」
「……はぁ…?」
 あたしは怪訝な顔をし、聞き返す。
 ……不本意な気がした。でも、そうしなくちゃって思った。
「嫌いになったりしないもん…、そのくらいで…嫌いになったりなんか…!!」
「…じゃ、あたしが…、……」
 ……喉に声が張り付く。
 …でも、あたしは力を振り絞って言った。
「あたしが六花ちゃんを嫌いなら、どうすればいいの?」
「………!」
「………もう…、…迷惑なの…、………これ以上、関わらないで!」
「伽世…さ…っ…」
 どさりと、崩れ落ちる音がした。
 あたしは振り向くことなく、ギターをしっかりと抱いて駆けた。
 これでいいのよ。
 これで…いいの…。
 ………っ…!
「ちょっと待ーって!」
「!」
 後ろから掛かった声に、少し驚いて振り向く。
「…ハァイ。」
 そこにいたのは、水戸部サン…だった。
「ちょっといい?…お話があるんだけど」
「………あ、…ごめん、今ちょっと……」
「…こう言ってもダメかしら?」
 彼女はクスッと笑み、あたしの耳元に口を近づけ、小さく囁いた。
「……!」
 そして水戸部さんはまたすっと離れ、にっこりと笑んだ。
「…………話って…何?」
 あたしは搾り出すように言った。
 ……、…そんな…。
「……ま、こっちこっち。あんまり堂々と話せることじゃないからね。」
 彼女はにこにこと笑み、あたしを引っ張って個室に入っていった。
 ………ヤバイかも…、…知れない…。





 パタン。
 後ろで扉が閉まる音を聞きながら、あたし―――水戸部依子―――は小さく笑んだ。
 …きっとあの人があたしの行動を見れば、『もっと慎重になれ』って言うんだろうな。
 でもあたしのやり方は大胆かつ強引!
 いいじゃない、失敗したことなんてないんだし。それに、計画だって入念だわ。
 ま、今回の伽世さんは予定外だったけどね。
 あんなオイシイ情報(ネタ)を入手しちゃ、動かない方が損だもんね♪
「…ねえ、…話って何…?」
 伽世さんは焦った様子であたしに問う。
 あたしはゆっくりと振り向き、焦らすように笑んでみせた。
「……、…」
 彼女は困惑した様子で目線を泳がせる。
「早速本題に…、…入った方がいい?」
 あくまでも焦らしプレイで行こう。
「……出来るなら。」
 伽世さんは小さく言う。
「………何で呼び出されたか、わかる?」
 あたしが問うと、伽世さんは少しだけあたしを見つめ、首を横に振った。
「検討くらいは…つくんでしょ?」
「……。」
 彼女は僅かに眉を顰めた。
 ……焦ってる焦ってる。
「……いいわ。焦らしてゴメンネ。」
 ふと、あたしは後に約束が入っていたのを思い出した。あんまり焦らしたりしてると時間がなくなる。
 あたしは奥の引きだし(此処は六花ちゃんのバージンを奪った例の部屋なワケ)に向かい、ある物を取り出した。
「……じゃん。コレ、なんだと思う?」
 それは、少量の液体が入った…注射器。
「……それは…!」
 伽世さんは驚いた様子であたしの手にした注射器を見つめた。
 …先ほど、あたしは彼女の耳元でこう囁いた。
『…さっきの話、聞いちゃったんだけど。』
 ……それで、おとなしくついてきたワケ。
 彼女にしてみれば弱みを握られたとでも思ったんだろう。そしてこの部屋につれてこられて…。でも、まさかこんなものを見せられるとは思いもしなかっただろうね。
「……マリ…ファナ……なの…?」
 彼女はふらふらと引き寄せられるように、近寄ってくる。
「……コレ、良かったらプレゼントするわ。だから、出ていこうなんて考え止めてね。」
「…出ていく…って…」
 伽世さんはギクリ、という擬音が聞こえそうなほどにあからさまなリアクションをした。
「わかるよ。クスリが切れたら、此処を出ていくつもりだったんでしょ?薬は無尽蔵じゃないもの、いつか切れてしまう。そして貧乏な貴女がそんなに沢山のクスリを持っているとはとても思えない。クスリが切れたりしたら…耐えられるワケがない。」
「………。あなたも…常用者なの…?」
「んーん。違うけど、趣味でね。イッちゃいたい時にだけ打つわ。」
 ……というのはハッタリ。一度でも打てば、依存症になるのはよく知ってる。常に所持はしてるけど、使ったことは一度もない。あたしは自分が依存症になりたくはないの。…他人をあたしに依存させるのが大好きなの。
「…ね、打たない?」
 あたしは薄く笑んで、彼女を誘う。
「……いい…の…?」
 既に落ちてる。こりゃ、かなりの依存症ね。マリファナさえあれば何でもしますってオーラが出まくってるもん。
「いいわよ。楽しみましょう。」
 あたしが笑むと、彼女もつられるように笑んだ。どこか恍惚とした表情で。そして長袖のTシャツを捲る。
「座って。」
 あたしはベッドに座るよう促し、軽く屈んで彼女の腕を取った。夥しい注射のあとを軽く撫でた後、親指で押して血管を浮き出させる。
「いい?」
 針を刺す前に、もう一度彼女に確認を取る。
 伽世さんはコクンと頷いた。
 あたしは静かに、彼女の皮膚に…彼女の血管に注射器の針を埋めた。
 そしてゆっくりと、液体を注入する。
 すー…っと、注射器の液体が彼女の体内に侵入していく。…内心でほくそ笑む。
「…あ…、…」
 彼女は微かに声を上げた。
 針をそっと引き抜き、注射の後を親指で押さえる。
 ドクン
 ……伽世さんの血が身体中を巡っているのが伝わってくる。
 ドクン ドクン ドクン
「……ちょ、…待って…」
 伽世さんは苦しそうに声を上げた。
「……なぁに?」
 あたしはにっこりと笑んで問い返す。
「……ちがっ、…違う……、…これ…、…………マリファナじゃ…、…ナ…い…」
 とさりと、上半身がベッドに投げ出される。
 あたしはわざとらしく言ってやった。
「マリファナ?あたし、一言もそんなこと言ってないわ?」
「…!」
 だましてなんかない。
 疑わなかった伽世さんが悪いのよ。
「…あ、……っ…、いやぁっ…!!」
 彼女の全身の肌がピンク色になっていく。
「熱い…っ…」
 彼女の意思とは別に、身体が勝手に跳ねる。
「フフ。……マリファナよりも強力で、気持ちイイわ。」
 あたしは彼女のTシャツをたくしあげ、ジーンズを抜き取った。
「あぁっ…、…っや…、ぁあ……」
 まだ何もしてないのに、唯肌に触れるだけで愛撫を施されているかのような喘ぎ声を上げる。
「……可愛いわよ…、…伽世。」
 あたしは彼女に覆い被さり囁いた。
 そして僅かに開いた唇にそっとキスを落とし、舌を侵入させていく。
 熱い。
 彼女の口内が、焼ける様に熱い。
 それでいて甘ったるい。
 まるで、溶けたチョコのようなキス。






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