「ねぇ…変なこと……聞いてもいい…?」 「……? …いい…よ?」 「当たり障りのない程度でしたらオッケーですっ。」 それは、よく晴れた午前の事だった。 何故か集まった22歳トリオで、庭園の芝生でのんびり日向ぼっこしている時。 突然、箕ナがそう切り出したのであった。 私―――五十嵐和葉―――とたまちゃん(玉緒ちゃん)は、不思議に思い箕ナに注目する。 「本当に変なことだけど……当たり障りあるかもしれないんだけど……」 変な箕ナ。何か悩みでもあるのかな? 「当たり障りがある場合はお答えできない可能性もありますけどそれでも良ければどーぞっ」 たまちゃんはいつものように笑み、そう言う。……彼女は明らかに天然だよねぇ…。 「じゃあ言うね。…あの…ね…。………女の子みたいな男の子って…どう思う?」 「女の子みたいな男の子?」 「かわいいんじゃないですか?」 期待してた(?)より全然変な質問じゃなくて、私とたまちゃんは拍子抜けする。 「いや…女の人みたいな男の人…かな…」 「………それだとずいぶんイメージが変わるね……」 「要するにオカマさん、ですか?」 「おかま……、いや…そ、そんな下品な感じではなく……むしろ、ニューハーフ?」 「ぱっと見が女の人なのに、実は男の人ってこと?」 「そうそうそう。だからそのー…女の人だって思ってたのに、脱がせてみたらアソコにアレが〜…みたいな。」 ………こ、こういう話かぁ…。 なるほど、確かに変な質問…。 「アソコってどこですか?アレって??」 …た、たまちゃん。それは…それはぁ…。 「教えてあげようか?」 箕ナはつつつっとたまちゃんに近づき、その肩を抱いた。そしてたまちゃんの耳元に唇を近づけ、何事かを囁いた。 たまちゃんはきょとんと箕ナを見る。 私は小さくため息をついて目を逸らした。 箕ナって実はエロエロだよね…。 私に聞こえないヒソヒソ話がしばらく続き…… 「はぁ!!?なーなー、なに言ってるんですか!!!ふ、不潔です!こんな真っ昼間からそんな話したら、神様に怒られちゃいますよ!!!」 「何言ってるの、たまちゃん。これは生殖についての大切な話よ。人類繁栄よ!」 ……箕ナ、それはちょーっと違う気も…。 「だからねっ、もしも身近にそういう人がいたらどうする?」 「どうするって言われても……別に害はないんじゃない…?」 「そうですね…それがその人の趣味なら…」 「……じゃあ、恋人だったら?」 「え…?」 「恋人って…言うと…?」 「………つまり。恋愛って、過程で行けば、つきあいだしてからエッチってのがノーマルでしょ?ま、私やら和葉は当てはまらないかもしれないんだけど。」 「ほっといて。」 「………え?……ってことは……」 「…そう。和葉の場合は確認済かもしれないけど、例えばよ。和葉のだーいすきな都さんとラブラブになって初めてのエッチ!っていう時に…」 「……箕ナ、そんな例えは止めて…」 「………それは……恐ろしくショッキングだと思います…ええ…かなり…」 「…だよねぇ。」 箕ナはぱふんっと芝生に寝転び、空を見上げた。 「……ねぇ箕ナ、その…なんで、そんな話…?何かあったの?」 「え!?…い、いや…な、なんとなくね。」 「なんとなく?……変なの。」 「……うん…」 箕ナ…なんとなくには…見えない…。 「あーっ、それよりっ!ねぇ、たまちゃんってバージン?」 がばっと起き上がった箕ナは、びしっとたまちゃんを指差しそう尋ねた。 「はぁ!?もう、何言ってるんですか!不潔です!」 「いいじゃん!ほれほれ、こんなところさわられたこととかある?」 「きゃああ!変態!」 「ふふふ、よくわかったわね。箕ナちゃんは実は超の付く変態…!……って何言ってんの、私は単にエロエロなだけで変態なんかじゃないっての!」 「ノリつっこみは止めてくださぁい!」 …ちょっとでも心配して損した…かも…。 佳乃さんが小さく寝返りをうとうとする。 少しすると、ゆっくりとその瞳が開いた。 「…うん…?…、……あ…れ…?」 「…具合はいかがですか?佳乃さん。」 「三森さん…、…あたし…」 私―――三森優花―――は、ポッドの蓋部を開き、佳乃さんの額に手を当てた。 「…もう、熱はないみたいですね。もう少し休んでますか?」 「……ううん…、…大丈夫…。」 佳乃さんはそっと上半身を起こした。 寝癖で乱れた髪を軽く撫でると、さらっと髪が流れ、すぐに寝癖は落ちた。 「起き…れる?」 「…うん…、……お腹、空いちゃった…」 「じゃあ、食堂に行きましょう。」 佳乃さんはすっかり回復した様子で、軽いこなしでポッドから降り立った。 「………そっちの簡易ベッドで休んでる人がいるから、静かに…」 私は人差指を自分の唇に当てた。 「あ、はい…」 佳乃さんは頷き、静かに医務室を出る。 ………ゴメンネ、千景さん。 私はチラリと医務室の扉を見遣り、舌を出す。 「何食べようかなぁ…」 廊下を歩きながら、他愛のない話を交わす。 「…あ、そうだ。ねぇ佳乃さん。私、何か作ってもいいですか?」 「え?お料理を…ですか?」 「そう。こう見えても得意なんですよ。」 「わぁ…お願いしますっ!手料理なんて、ここ最近食べてないから…」 「でも、自動調理機には負けちゃうかも。時間もかかっちゃうし…」 「全然大丈夫です!手料理に勝る料理なんてないですよ。手料理には、愛っていう最高の調味料が入るでしょ?」 佳乃さんの笑みに、私も小さく笑み返す。 「私なんかの愛で良ければ、いくらでもおいれしますよ。」 「あはは、じゃあ大盛りで♪」 そんな話をしながら、私たちは食堂に到着する。 「佳乃さん、何かリクエストとかありますか?なんでも作っちゃいますよ。」 「えーと…じゃあね、ラーメンとか!」 「ラーメンですか?ハイ、承知しました。ちょっと待ってて下さいね。」 「はい♪」 佳乃さんの笑み。 あの笑みを見るのが大好きになっていた。 私のことをいっつも気遣ってくれて、…優しくて、かわいくて。 ………佳乃さんには千景さんがいるからって、……いつからか、そう思う度に胸が痛むようになっていた。 「…………愛情…。」 手を休めぬまま、ポツリと呟く。 美味しくなぁれ…美味しくなぁれ。 ジュゥッ! 油をひいた中華鍋にモヤシを入れて炒める。 香ばしい香り。本格的な味噌ラーメン。 それから十分ほど待たせ、ようやく佳乃さんに出す食事が完成した。 ……もちろん、愛情たっぷり、である。 「お待たせしました。どうぞ。」 「ふわぁ…美味しそう!味噌ラーメンですよね?やーすごーい…。」 「野菜も愛情もたっぷり入れましたから、栄養満点です。元気出してくださいね。」 「はいっ!いただきますっ!」 佳乃さんはパンッと両手を合わせ、お箸で麺とモヤシを掬い、はく、と頬張る。 …ドキドキ。 「……ん〜おいひい!」 佳乃さんはそれを頬張ったまま、私を見てそう言った。 そんな佳乃さんがすごくかわいくて、私は小さく笑う。 「…はぐ。…うん、美味しい〜!三森さん、プロみたい!」 「ふふ、ありがとう。お口にあって良かったです。」 「これなら万人のお口に合っちゃいますよ。ん〜デリシャス!」 本当に美味しそうに食べてくれる佳乃さんを眺め、自然に微笑が零れる。 しばらく食べることに専念していた佳乃さんが、ふと私に視線に気づいた様子で顔を上げた。 「三森さん、最近……いっぱい笑うようになりましたね。」 「え…?…そ、そう…ですか?」 「うん。今も、すごく優しく微笑んでた。」 「……佳乃さんの…おかげです。」 「…私?…何か…しましたっけ?」 「……私と一緒にいてくれるだけでも、…私はとってもうれしいんですよ。…佳乃さんと一緒にいられることが…今は何よりも…」 「…三森さん……。」 「……佳乃さん、私さっき、一つ隠し事をしました。」 「隠し事?」 「さっき、簡易ベッドで眠っていた人…、…千景さんなんですよ。」 「…え…!?うそ…なんで……?」 「佳乃さんが起きたら、起こして欲しいって…そう言われたんですけど…、…でも…私、起こしたくなくて……」 「………。」 「…………正直言って、悔しいんですよ。ずっと佳乃さんに付き添ってたのは私なのに。…後になってひょっこり現れて…美味しいところばっかり…持ってっちゃう…。……でも…佳乃さんが待ってるのは…千景さんなんですよね?」 「…………千景は…、…あたしの…大好きな人…で…。……でもね…三森さんだって大好きなんだよ…あたし、三森さんにいっぱい感謝してるよ…」 「でも…」 『優花ぁ。何話してんの?』 「……直瑠?」 ふわ、と、後ろから緩く抱きしめられる感覚。 「…三森…さん…?」 佳乃さんがいぶかしげに私を見つめる。 『もしかして〜………この女の人の事、好きとか?』 「そんなんじゃないの…、そ、そんなわけないでしょう?」 『あっは、だよね?優花は、俺だけの優花だもんな?』 「…うん…。」 直瑠と言葉を交わしながら、佳乃さんを見る。 『初めまして。優花のフィアンセの渋谷直瑠(シブヤナオル)って言います。えとー、優花がお世話になってます。』 直瑠が優しげな口調でそう言う。 しかし… 「…あの、三森さん?…どうしたんですか……?」 佳乃さんは私を見つめたまま、そう言うだけだった。 『なぁ優花。俺も優花の手作りのラーメンが食いたいっ!』 「…うん…今度作ってあげる。」 『ホント?約束だよ?指切りゲンマン!』 「うん…約束…。」 直瑠の小指が、私の小指と絡み合う。 そこには確かに、直瑠の暖かさがあった。 『……優花、どしたの?…なんか…ブルーな感じするよ?』 「…うん…、なんとなくブルーなの。」 『じゃあ…慰めてあげる。…チュウしよ。』 「……直瑠がしたいだけでしょ?」 『へへ、ばれた?』 直瑠は子供っぽく笑いながら、私のあごを引いた。 目を閉じると、そっと唇に触れる、ちょっとだけかさついた男の人らしい唇の感触。 「三森さん…!」 佳乃さんの声に目を開ける。 直瑠からそっと顔を離し、私は佳乃さんの方を見た。 「………何ですか?」 「…何、って…、…誰か…いるの…?その…フィアンセの…」 「直瑠でしょう?ええ…ここにいるじゃないですか…」 「………」 佳乃さんは信じられない、といった様子で、言葉なく、小さく首を横に振った。 「…直瑠…、私、佳乃さんと少し話がしたいの…。…ねぇ、…後でまた会いましょう?」 『ん、わかった!じゃ、待ってるね。』 直瑠は…私の大好きなあの笑みを浮かべ、ピシッと手を上げて去っていった。 「………直瑠…。」 私はぽつりとその名を呼ぶ。 「…三森さん…違うよ…、…違うよ…!」 佳乃さんは泣きそうなまでに表情を曇らせ、私に強くそう言う。 そんな佳乃さんに私は笑みかけ、 「…頭オカシイ、みたいでしょ?」 そう問いかけた。 彼女は言葉を失った。 「……自覚してるんですよ。精神が異常なのは、わかってます。…だって、直瑠が見えるはずないんだもの…」 「…え?…、……それじゃ…」 「直瑠は死んだんです。去年の夏、爆発に巻き込まれて……。」 「…爆…発……」 「あの時起こった地震の二次災害…になるんでしょうか。直瑠はガソリンスタンドで働いていて…不運にも、ちょうどガス類を扱っている最中だったそうです。……それで…。」 「…………。」 佳乃さんを見ると、彼女はふっと私から目を逸らして俯いた。 「……佳乃さん、冷めちゃいますよ。もうお腹いっぱいですか?」 「あ、…いえ…ごめんなさい…」 佳乃さんは小さく謝り、ラーメンをすすり始めた。…しかし、あまり食が進まないように見受けられる。 「本当に……佳乃さんは優しいですね。」 「え?……」 佳乃さんは不思議そうに私を見る。 「私もお腹空いちゃいました。佳乃さん、そのラーメンもらっちゃだめ?」 「……でも…」 「…いいでしょ?」 佳乃さんはしばし困惑の色を見せたが、やがて素直に頷いた。 「………うん…」 私はラーメンの器を受け取り、お箸を取ってすすり始める。 …うん、これこれ……。 よく、直瑠と一緒に食べたなぁ…。 「……三森さん…、…あたし…、…どうすればいい…?」 ぽつりと佳乃さんが零した言葉。 私は食べる手を止め、佳乃さんを見つめた。 今にも泣き出しそうな不安げな表情。 そんな佳乃さんが…… 「…直瑠の次に…好き。」 「え…?」 「…………。」 私は小さく笑みだけを返し、またラーメンをすすり始めた。 ♪ピルル ピルル 「あっ…」 「………千景さんから?」 私の問いに、佳乃さんはコクンと頷いた。 「で、出ますっ」 「うん。」 微笑して佳乃さんを眺める。 「…は、はいっ」 『佳乃!!もーなんで勝手にいなくなんのよ!バカ!』 「えぇ!?……って、それってあたしのセリフじゃないの?」 『あたしがどんだけ心配したか……』 「それもあたしのセリフじゃない!」 あらら……。 「千景さん。ケンカは駄目ですよ。」 『……!その声は…三森さん?』 「ハイ。佳乃さんを連れ出したのは私です。佳乃さんはずっと千景さんのためだけに一生懸命でしたよ。」 「三森さん…」 『………。』 「…これ以上はお邪魔しませんから。失礼します。」 私は小さく頭を下げ、器を洗浄機に放り込むと、さっさと食堂を後にする。 エレベーターホールに向かう途中、向こうから走ってくる人物。 「…千景さん。」 「……三森…さん。」 「仲直り、できそうですか?」 「……さぁ…ね。」 「…がんば…らないで…くださいね。」 「…え?…」 「……失礼します。」 「………。」 私は彼女とすれ違い、何事もなかったかのように歩いていく。 胸の痛みなど、どこ吹く風か……。 タンッ。 ……響く靴音。 私―――小向佳乃―――は、食堂の入り口を見た。 そこには…予想通りの人物。 『今から行くから!』 そう言い放って通信を切ったあの人。 私が一晩中探しても、出てきてくれなかった…あの人。 彼女は……食堂の入り口から私を見つめ、…そして…言った。 「命短し 恋せよ乙女」 「………」 「……紅き唇 褪せぬ間に…」 「………」 「…君よ…花よ…」 「………」 「………花の…生命は…、…短くて……」 「………」 「あぁ……残酷な時よ……」 「…千景…」 私が小さくその名を呼ぶと、彼女は…千景は、いつものように笑んだ。 千景は私の座るテーブルの向かい側に腰掛けた。そう…ちょうど、三森さんと同じ場所に。 「佳乃。」 ぴっと私を指差し、千景は言った。 「君よ花よ。…命短し 恋せよ乙女。」 「…………」 ……命短し…恋せよ…乙女。 …なんてきれいな…言葉なんだろう…。 「ここ。通信の…連絡掲示板。」 千景がユビキタスの掲示板を開き、見せてくれた。 …本当だ。…君よ…花よ……。 「…誰が…?」 「…さぁ…、…誰が書いたかって…書いてないの…。……すごくきれいで…あたし、感動して…、絶対佳乃に聞かせてやろう!って思って……」 「……そっか…」 「命短し 恋せよ乙女。いいわね?花の命は短いんだからね…佳乃みたいな最高の花はしっかり輝いておきなさいっ。恋せよ乙女!」 そう力説する千景が、なんだか可笑しかった。 「…相手はどうすればいいの?」 私の質問に、千景は驚いた様子。 「な、なんでそんな野暮なこと聞くの?!」 少し怒ってるようにも思えた。 「…あのね、千景。ちょっと相談があるんだけど。」 「…相談…?」 「そう。命短い一乙女が、新しい恋ができなくて困っているの。」 「………なに…それ?」 「三森さんのことなんだけどね…」 「……う、うん…」 …千景、ちょっとだけ不満そう。 当たり前だよね、こんな場でほかの人のことなんか言われたら…いやだよね。 でも…今、あたしの中、三森さんのことでいっぱいなんだよね……。 「三森さんね、その……恋人を亡くしてるっていうのは知ってるよね。」 「…うん。」 「……でも、彼女にはその恋人が見えてるの……、知ってる?」 「……蓮池課長から聞いた。だから…今は、託された三人の中でも一番ひどいんじゃないかって…」 「そう、思ってるでしょ…?でもね、彼女、全部自覚してるんだよ。」 「自覚…?」 「…恋人を亡くしたことも、自分がその恋人が見えちゃうってことが異常だっていうことも、全部わかってるの…」 「…そ、…なんだ…」 「………どうすればいいんだろ…、彼女の恋人を…消すには……」 「…それは、可愛川サンの専門…とは違うのね?」 「霊…ってこと?…それは、違うと思うよ。可愛川さんにも聞いたことあるけど、三森さんから霊的なものは感じないって。」 「……そう…。じゃ…彼女自身の問題なんじゃないの?」 「…だよね…。なにか、手助けできるようなことってないかなぁ…」 「……佳乃は本当に…面倒見がいいっていうか世話焼き女房って言うか……」 「へ?…そ、そうかな?」 「うん…。…で、三森さんのことね。過去の恋愛に執着してるなら、新しい恋愛でもぶつけちゃえばいいんじゃない?」 「新しい恋愛……?」 「誰か気になってる人とかいないのかな?」 「……。」 「…ん?」 「……あの、…怒らないで聞いてね…?」 「う、うん…なるべく…」 「………彼氏さんの次に…私が好きだって言ってくれたの……」 「………。」 ………千景が固まった。 「あ、…ぇと……。」 「却下!!それだけは絶対にダメ!」 「………なんで?」 「………。」 また千景が固まった。 「…千景……?」 「…と、とにかく、三森さんの一件に関しては蓮池課長も交えて改めて話し合います!以上!」 「あぁっ、そんな強制終了!」 「だぁぁ佳乃!!」 「は、はい!!」 ち、千景がささくれてるよぅ…。 「…………おいで。」 「はえ…?」 「ここじゃ話せないような話をしたいの。」 「う、うん……。」 …千景にまじめな顔で言われた時、心臓がドキッとした。 千景に招かれるままに、私はてくてくと千景についていく。 食堂を出て、どこに行くのかと思ったら… 「そ、倉庫?」 暗く、廊下とは違ってジメジメした感じ。 「……都合悪い?」 「悪くはないけど…こんなところで……」 …倉庫に入ったところで、千景に手を握られた。 そして倉庫の扉が閉まると…… 「…真っ暗…」 「……だね…。」 そう、倉庫の中は正真正銘の闇になった。 「電気は…?」 「つけなくていい。」 電気スイッチを探そうとすると、千景に止められた。 「…な、なんで…?」 「……暗いところで、話したかったの。」 「…なんで……?」 「……恥ずかしいから。」 「…ふえ……。」 ……暗闇の中では、お互いのことを察するのは言葉、そして握りあった手の感覚だけだった。 千景はこれを望んでいたのかな? 千景の姿は見えなくて、声だけがすぐ近くにある。なんだかすごーく変な感じだよ…。 「…佳乃…、あの…、…伊純から聞いて…、………あたしのこと、探してたんだよね?」 「あ…うん。そう。…話があったの。」 「……なに…?」 「でも、その前に聞きたいことがあるの。」 「…うん…?」 「……理生さんとは…どこまでいったの?」 「………。」 「それから、理生さんとは…これからどんな関係になろうと考えているの?」 「あのね。そのことに関しては…、謝る。………ごめんなさい。」 「………。」 「佳乃に振られて…あたし…、どうしていいかわかんなくて……理生さんが…そばに居てくれて…正直言ってね、あたし、すごくうれしかったの…。…あんなに脆い自分も初めてだったし、それで……」 「………!」 「…で、でも…、変なことはしてない…と思う…。キス、までは…されたんだけど…」 「千景、それってあたしと同じじゃないの?あたしにとっての伊純ちゃん…千景にとっての理生さん…」 「え…?」 「そうだよね?自分が壊れそうで、ぐらぐらで、そんな時にすぐそばにいてくれた人に甘えただけなんだよね?」 「………うん…」 「…じゃあ、理生さんのこと本気で好きとかじゃないんだよね?」 「…うん。」 「………そっかぁ……良かったぁ…」 「……良かった…って?」 「あ…、それじゃあ、あたしが千景を探して話したかったこと、教えてあげるね。」 「うん。」 「……誤解だよ…、って…言いたかったの」 「誤解?……何の?」 「…………。」 なんだか、…可笑しくなってきた。 あたしたちって本当に…すれ違いばっかりだったんだね……。 ……ずっとすれ違ってばっかりで……。 ……でも…、もう終わりだよ。 …これで…決着つけちゃうよ…。 あたしは、目に見えないけどすぐ傍に居る千景に、強く抱きついた。 「振ってなんかないんだよ……。 あたし、千景が大好きなんだよ…!」 ぎゅぅ。 佳乃がいきなり抱きついてきて、驚いた。 でもそれ以上に、次に続く言葉に驚いた。 あたし―――乾千景―――は驚きの余り、言葉を失ってしまった。 「………ごめんね、言葉へたくそで…誤解させちゃったね…。……本当にごめんね…。」 「……」 「…大好きだよ…、…愛してるよ…」 ……うそ…。 ………って、…それじゃ……。 「ご、ごめん……」 あたしは、なによりもまず、その言葉を紡がなくてはと思った。 誤解…だったなんて…。 誤解で……佳乃じゃない女性と一夜を過ごしちゃうなんて…。 「ほら。…今、千景『ゴメン』って言ったでしょう…?あたしが『大好き』って言った後に『ゴメン』なんて言ったら…振られたって思っちゃうでしょ…?」 「……!」 『………愛してる。』 『……千景…、…ごめん…なさい…』 …そうだ…。 ……じゃ、…あの「ごめんなさい」は…。 「わかった…?…誤解が…誤解を生んじゃった…のかな…?」 「……なるほど…ね…」 「……でも、もうおしまい。お互いの気持ち、全部正直に言おうね。全部だよ。」 「……わかった。」 あたしは佳乃を強く抱きしめた。 佳乃の体温がこんなに近くにある。 …幸せだ…。 「あたしは、千景のことが大好きです。…誰よりも…、…好きに…なってた…。もう絶対…離れませんっ!」 「…あたしも、佳乃のことが大好き。絶対離さない…命が終わる時は…一緒よ…。」 夢みたい…。 本当に…夢みたいだよ…。 佳乃に出逢ってから、ずっと希ってたことが……現実になるなんて……。 「…千景…、……キス、して…」 「……ン…」 佳乃の頬を探し、そっと手をあてがう。 「……や…、ちょっと待って。」 しかしそれを止めたのも私だった。 「どしたの…?」 「…佳乃の顔が見たい。」 「………やっぱり倉庫じゃない方が良かったんじゃない?」 クスクスと笑う佳乃。 手を取り合い、倉庫の扉を開けた。 廊下の電気がやけにまぶしく思えた。 心が通じあって、初めて見る佳乃の顔。 ……今まで以上に魅力的に見えちゃうのはなんでだろ? 「かわいいよ…、…あたしの、佳乃…」 「千景……」 廊下で佳乃を緩く抱き寄せ、顔を寄せた。 至近距離で、佳乃は小さく笑んで、 「愛してる」 …そう囁いた。 その瞬間、もう絶対に佳乃以外の人は愛せないって思えた。 生まれて一番『大切』って思った。 あたしはそっと佳乃の唇に、自分の唇を重ねた。 佳乃のやわらかい唇。 何度も重ねあう、甘いくちづけ。 「………良かった…な。」 「本当ですね…安心しました。」 「うんうん。感動ですっ!」 「親代わりとしてはちょーっと複雑ねぇ」 「……幸せそう…ですね…」 ………。 ちょっ、な、なんでギャラリーの声が!? びっくりして廊下の向こうを見ると… 「伊純に未姫さんに……」 「勅使河原さんに…蓮池先輩…!」 「それに…」 ……三森さん。 「私としてはちょっとだけ残念です。妨害したかったんだけどなぁ…」 そう言って苦笑する三森さん。 「………お幸せに。」 そして三森さんはペコリと頭を下げ、廊下の向こうに歩いていった。 「………。」 佳乃は複雑そうな表情を浮かべている。 そりゃ、あたしも複雑ではあるけど…。 「やーっと心配が一つ減ったな。ったく、ハラハラさせやがって。」 「伊純が一番、お二人のこと心配してたんですよ。」 「ば、バカ!」 クスクス笑う未姫さんと、慌てる伊純。 「あれ…?…あんたら…」 あたしが伊純と未姫さんと交互に見つつ言うと、二人は顔を赤くした、 「……うっそ!本当にくっついたわけ?」 「くっついたって言うな!もっと別の言い方があるだろ!」 「伊純…、私たち、くっついてないの…?」 「いぃっ!?いや、そういうわけでは…」 「ほら、くっついてるじゃん♪」 「うるせー!」 真っ赤になる伊純に、一同は笑いが溢れる。 ……幸せって…いいことだな…。 伊純と佳乃のことも…終着、ついたみたいだし。…理生さんには…ちゃんと謝ろう。 「あの…お二人のことで、私のせいで誤解を生んでしまったみたいで…、謝っておこうと思いましてっ…」 そう言ったのは、テッシーだった。 反省した様子。 「いいよ、気にしなくて。もう過去のことはどうでもいいんだって。…今、あたしと佳乃の気持ちが通じあったことが何より…だし」 「そうですか…!良かったぁ。それじゃ、佳乃さんが後で食べようと楽しみにとっておいたと思しき冷蔵庫にあった巨大プリンを食べてしまったことも許してもらえますね!」 ……いや…、それはちょっと……。 「それとこれとは話が違うよぉ〜バカぁ!!」 …あー……、……やっぱり。 「ひーんっ、ごめんなさーいっ!」 「許さなぁ〜いっっ!!」 そんな二人の追いかけっこを見ながら、あたしのそばに寄ってきたのは蓮池課長。 「小向のこと、頼むわよ。あの娘は私の…大切な部下なんだからね。」 「…はい、了解ですっ」 「……もちろん、乾ちゃん、あなたも大切な部下よ。助け合うのは良いけど、互いを苦しめあうようなことは私が許さないわ。」 「……はいっ。全身全霊をかけて…佳乃を愛します。…愛されます…。」 蓮池課長は微笑し、私の髪を撫でた。 「宜しい。これからも精進なさい。」 「ハイッ!」 ……佳乃。 生涯かけて愛していく女性。 自分の命よりも、大切な人…。 「十六夜……あの言葉、本当なのか…?」 「あの言葉って?」 「いや…だから……」 カラン。 グラスの氷が溶け、綺麗な音を響かせる。 十六夜はポリポリと長細い菓子を噛りながらどこか在らぬ場所を眺めている。 私―――銀美憂―――は、いったん手元のアイスティーを飲み、言葉を続ける。 「あの千咲が…完成品だという話だ。」 そう言うと、十六夜は私を見て小さく笑んだ。 「ええ。完成品です。」 ……そう言い切られても、困る。 「……しかし…あの千咲は、十六夜を殺そうとしたではないか…」 「それは、彼女の元の人格です。…あそこまで危険な少女だとは、私も思っていませんでしたが。おそらく、開発期間の間に彼女の海馬に、私という人物は危険…というデータがインプットされてしまったのでしょうね。」 「本能的に…か?」 「ええ、おそらく。」 「ふむ…。」 私はアイスティーを飲みながら、考え込んだ。 カリカリと十六夜が菓子(Pockyと書いてある)を噛る音だけが、唯一食堂に在る音だった。 しばらくして、十六夜が口を開いた。 「…銀博士は、何か御不満ですか?」 十六夜…。 …何か、不思議な感じがした。 いつもの十六夜と、少し違うような…。 「…私は、十六夜の身の危険を案じずにはいられない。現に今の千咲では…束縛を解くことさえ適わないではないか。」 「……そうですね…。」 十六夜は小さく息をついた。 そして今まで手をつけなかったリキュールを一気に半分程まで飲んだ。 「…十六夜…、…自棄にはなるなよ…。」 「…ふふっ…、自棄だなんて…、そんなバカなこと、しませんわ…。」 「……そうかな。」 十六夜…どこかぼんやりしている。 何か悩んでいるような…。 ………。 「銀博士?…どうしたんです?そんなに…見つめたりして。」 十六夜はクスッと小さく笑み、私を見た。 私は十六夜に見つめられるだけで真っ赤になってしまうのに、どうして十六夜は、こんなにも冷たい笑みを浮かべていられるのだろう。 「…十六夜…、今は美憂と呼んで欲しい。私は…、…十六夜の力になりたいのだ…。」 「お気遣いありがとう。でも、今は結構よ。一人でも大丈夫だから。」 十六夜の笑み。今はそれが嬉しいどころか、辛くさえあった。 「…千咲のことで、何か気がかりがあるのではないか?なんでも良い。私が力になれることは…」 「ごめんなさい…、感傷的になっているの…。…部屋に戻ります。」 十六夜はガタンッと音を立てて席を立ち、グラスを片づけ歩いていく。 あれが自棄以外の何だと言うのだ! 「十六夜!待て!」 そう引き留めた私に返ってきた来たのは、思っても見ぬ言葉だった。 振り向いた十六夜は、私に怒鳴った。 「お願いだから一人にさせてよ!…っ…、私だって、泣きたい時くらいあるのよ…!!」 涙声。 十六夜は私に言い放ち、駆けていった。 …私は、辛かった。 十六夜が泣きたい時、傍にいてやりたかった。 ………私は、役不足か…。 私はその場に立ち尽くし、震えた。 涙することは出来ない。 辛くて、悔しくて……。 「ハァイ、銀博士。」 「!」 人の気配に気づかず、すぐ近くから聞こえた声に私は身を固くした。 「そんな驚かないで。水戸部依子です、こんにちは。何やってるの?」 食堂の入り口に背をもたれかけ、悪戯っぽい笑みを浮かべる女性。 「…おまえか…。」 「良かったらお茶しない?美憂ちゃんvv」 「……馴れ馴れしいぞ。」 「あら、失礼。珠さんからは呼び捨てで呼ばれてたから、てっきりフレンドリィに接してオッケーかな、なんて思っちゃって」 「…………。」 「ごめんってば〜怒らないでよ。ほら、座った座った。」 水戸部に背中を押され、私は無理矢理席に着かされる。 「じゃ、これは回収してっと♪」 水戸部は私の飲みかけのアイスティーのグラスを持って、食堂の奥へ入り込んだ。 私は小さく肩を竦め、水戸部の帰りを待った。 「はいはーい、お待たせ♪」 水戸部は二つのホットコーヒーをテーブルに置き、最後に皿に乗ったチョコレートを置いた。 「あたし的には一日最低一回はチョコレートと食べないとね♪動力源っていうか?」 「……。」 水戸部はチョコレートを一つ口に放り込み、幸せそうな顔をする。 「おいしー!」 …こんなもので幸せなのか…目出度いやつだ…。 「ほらほら、銀博士も食ーべて♪」 「あ、あぁ…」 水戸部が強引に勧めるので、私もチョコレートを一つ口に放り込む。 「………、……美味い。」 「でしょー?疲れてる時とかブルーな時に食べるとスゴク美味しく感じるのよね。」 「……。」 こいつ、そこまで気遣って… 「どしたの?あたしの顔に何かついてる?」 「いや…」 …そうは見えんが…な。 「……そうそう、さっきは有り難う。制御室の機械、いろいろ見せていただいたわ。」 「……何も触ってないだろうな?」 「ん〜?ちょっと間違って触っちゃったボタンが一個あったかなぁ…天井で赤いランプが回ってたよん♪」 「な、なんだと…!?」 「あはは、冗談だって!何も触ってません!誓いますっ!」 「……それなら良い。」 ……どうも調子が狂うな…。 「あ、そうそう。十六夜さんのことなんだけど…」 「……」 「…二人って、ラブラブなの?」 「ラブラ…、……その言い方は好かんが、…少なくとも私は十六夜のことを想っているつもりだ…」 「ふぅん…じゃ、やっぱりショックよねぇ?泣きたい時って、普通は愛してる人の傍で泣きたいもんだと思うけどなぁ…」 「………」 「……内心、すごく凹んでるでしょ?いいんだよ、言っても。」 まるで、何もかも見透かされているような水戸部の瞳。 私は小さく俯く。 「………、…当たり前だ。」 「…あなたが想っているほど、十六夜さんはあなたのことを好きじゃないのかもね?」 「……それは…」 「…もしかしたら、の話だけどね。どう?」 「… わからない…」 「………あんまり、のめり込まないことをお勧めするわ。」 「………」 「………まぁ、難しいわよね。のめり込むなって言われたって……ねぇ。」 「……どうすればいいのだ…」 「別のものに夢中になるってのはどう?」 「別のもの……?」 私が聞き返すと、水戸部は身を乗り出して悪戯っぽく笑んだ。 そう言いながら、水戸部は私の眼鏡を外した。 「な、何を……」 「…ほら…やっぱり可愛い…。」 眼鏡を外した私の顔をまじまじと見つめ、水戸部は言った。 「……か、返せ…」 「やぁだ。この眼鏡は預かります!」 「ちょっ……その眼鏡がないと遠視が…」 「遠視なら、日常生活にはそんなに支障ないじゃない。」 水戸部はチョコレートを一つくわえて席を立つ。 「返して欲しかったらついてらっしゃい!」 「ま、待て!」 私が伸ばした手をひらりとかわし、水戸部は食堂の入り口まで駆ける。 私が彼女を追うために立ち上がると、水戸部はまた悪戯っぽい笑みを浮かべ、廊下へと駆けていった。 世代平均に比べ体力的に劣る私は、足の速さで水戸部に勝ることはなかった。 水戸部はそんな私をからかうように、少し先で立ち止まって振り向いては、笑みを残して駆けていく。 どれくらいそれを繰り返しただろうか。 いつしか私は、水戸部を見失っていた。 「どこだ…水戸部……っ…」 息を切らし、廊下に手をつく。 その時、 「……おつかれさま。」 真後ろからそんな囁きが聞こえたかと思うと、次の瞬間私は後ろから羽交い締めにされた。 「え…?」 「…ふふ。美憂ちゃんって頑なだから、こうするしかないんだもん…。」 羽交い締め…ではなく…、抱きしめられている…のか…。 「……は、…離せっ…」 「やーだ。」 「…っ…!」 無理矢理振り解こうとしても、ただでさえ息の切れている私が彼女の力に適うことはなかった。 仕方なく、私は抵抗をやめて息を整える。 「なぜお前は……私なんかに……」 「…なぜ…って?」 「……私などに構わずとも、他にも魅力的な人はたくさんいるであろう?」 「あぁ、そういうことね。……確かに、魅力的な人はいっぱいね。でも美憂ちゃん、あなたもその一人なのよ。」 「……そう…か?」 「そうよ。…ま、あたしも別に美憂ちゃんに惚れてるとかじゃないの。可愛いから、可愛がりたくなるのよね。独占欲っていうか。」 「……正直だな。物にしたいなら普通、嘘でも甘い言葉を囁くものではないのか?」 「嘘ついたってどうせばれるでしょ?それよりも、あたしが本心で思ってること言う方が楽じゃない。それに…嘘なんて、相手を裏切ってるのと同じことでしょ?」 「……そうだな。」 「あ、今あたしのこと見直した?」 「………少しだけ…だぞ。」 「…ふふ。ねぇ美憂ちゃん、今だけでいいの、あたしに身を委ねてみない…?」 ………確かに、見直した。 嘘は相手を裏切ること。 ……その通りだな…。 ……だが…、…それとこれとは…。 「………。」 「悩んでる?……どうする?」 きっと、悪戯っぽい笑みを浮かべているのだろう。 だが…私は…… 「………私は…十六夜を信じたい…。」 「……そ。つまんない。」 「…すまん。」 後ろから私を抱きしめる腕の力が抜けた。 私が身体を離そうとした…その時、 突然、背が廊下の壁に押しつけられた。 「……!!」 …ほんの一瞬だった。 鼻をくすぐる甘い香りと、そして、唇に触れた柔らかい感触。 ……っ…! 「……ごちそーさまvv」 水戸部は悪戯っぽくクスクスと笑み、廊下を歩いていった。 「あ…、……ぅ……」 私はペタンと、廊下に座り込んでしまう。 そしてそっと、自分の唇に触れた。 ………今…、ほんの一瞬だったけど… ……キス…された…。 ……って…! 「み、水戸部!!……眼鏡っ……!」 ……廊下に水戸部の姿はなかった。 ……あいつ…。 ………ドクン。 何故か、心臓が高鳴っていた。 ……なんで…、だ…。 ……胸が苦しくて…、…苦しくて…。 「へーぇ、じゃセナは杏子さんとラブラブなんだ?」 「い、いや、ラブラブなんてそんな……うああ照れるぅぅ…」 「ォ、顔が赤くなった。おもしろい。」 「茶化さないでよ伊純ちゃぁん……」 本当に顔が真っ赤のセナ。 それを面白がる伊純。 あたし―――三宅遼―――は、オレンジジュースを傾けながらニヤニヤと笑んでいた。 みーんな幸せそう。 「伊純も未姫さんとラブラブだよね。」 「……ん〜…、…まぁなっ」 お、こっちは開き直ってる。 「もうエッチはしたの?」 「いや、そこまでは……」 「ふぅん。」 ……ったく。ノロケ大会になってる。 初期メンバーの十代三人組(あ、命ちゃんは十代に見えないから除く)で、あたしの部屋に集合して、いつしかジュースパーティーになっていた。 三森さんも夜久さんもいないから、三人で十代らしーい話をしているのである。 こういうのもたまには楽しい。 「さっきから聞いてばっかの遼は一体どーなのよっ。」 セナに突っ込まれる。 「ん〜……微妙。」 あたしは肩を竦め、言った。 「微妙?…センセーはどうなったんだよ?」 「…真面目な人だからね。教師と生徒の恋愛なんて以ての外…て感じじゃない?」 「そんなぁ。教師と生徒である前に、遼は命の恩人じゃないのよっ」 「あはは…そんな大層なもんじゃないって。……それに、恩人だからって好きになるとは限らない…でしょ。」 「…うーん…そうかな……。うー……。」 「お前はあのセンコウの事、好きなんじゃないのかよ?」 「そりゃ……好きだよ。好き…、…。」 あーもうっ、胸が苦しいな、くっそぅ! あたしは眉を寄せ、俯いた。 ……しばし流れる沈黙。 …あたしがゆっくり顔を上げると、あたしに大注目しているセナ&伊純と目が合う。 「………何?」 「あーいや…あの…遼ってば、恋する女の子の顔だなぁ……と…」 「うん…悩ましげ。」 「な、何其れ…やーだーっ…」 二人があんまりに真面目な顔して言うので、あたしは照れて赤くなる。 「遼って、モテる要素めちゃめちゃあるよね…プロポーションいいし、可愛いし、性格もすーっごく可愛いし。」 「……わかる気ぃする。」 「や、ふ、二人とも何言ってんの……」 「……交渉しようよ!あたし、なんとしてでも遼と楠森センセーの恋を実らせてあげたいっっ!」 「………そうだな。今のままじゃちょっとなぁ……」 「ええ?こ、交渉って……何する気?」 「お願いするのっ!」 セナはガシッと立ち上がり、部屋を出ていく。伊純もそれについて……て、ちょっとちょっと! あたしは慌てて二人を追いかける。 あたしも走るが二人も走る。 距離は縮まらない。 それどころか…… どんっ!! 「きゃっ!」 「わぁっ、ごめんなさい!」 あたしは誰かとぶつかって、その場にしりもちをついてしまう。 「ありゃ…遼ちゃん。だいじょぶ?」 向こうもしりもちをついている。 佳乃ちゃんか……。 「って、それどころじゃなかっ…」 「ねぇねぇ遼ちゃん。」 くいくい、と佳乃ちゃんが立ち上がったあたしのスカートを引っ張る。 「何!?」 ちょっとイラついて聞き返すと、佳乃ちゃんは嬉しそ〜うににへらぁっと笑んで、 「千景とつきあうことになっちゃったvv」 ……と言った。 あー、なるほど。やっとくっついたか。 「おめでとう。」 「ありがとぉ〜vv」 ……。 「あぁっ、こんなのに構ってる場合じゃないんだって!!」 あたしはスカートの裾をつかむ佳乃ちゃんを振り解き、駆け出した。 あ〜っもう!セナも伊純もバカなことはやめてぇぇぇっっ!! 「ふぇ……?」 きょとん。 二人の言った意味がよくわからなくて、私―――楠森深香―――は小首を傾げる。 「だからね、年下の可愛い女の子がよっ!」 「お前の事想ってたら……なぁ?」 冴月さんと伊純さん…、か、彼女たちは一体何を言いたいのかしら…。 「あー、じれったいなぁ。だからね、要するにっ!」 冴月さんが何かを言うとした瞬間、 ピリリリ ピリリリ とユビキタスが鳴った。 「あれ…緊急だよ…」 「緊急?出ろって。」 「うん。」 ピッと冴月さんがボタンを押した、その瞬間! 『セナぁぁぁっっ!!ちょっともう、止めなさい!バカなことはしないで!!』 ……鼓膜が破れそうなほど大きな声。 って…三宅さん? 「や、バカなことって……あたしたちは、遼の為を想ってだね…」 『とーにかく!!楠森先生には会うなっつってんの!!あたしが先生の事好きとかそんなん言わなくていいから!!いいわね!?』 ………。 わずかな沈黙。 『え?ちょっと、何よ?』 三宅さんの困惑した声が聞こえた。 「ぷっ……」 ……三人の中で最初に口を開いたのは私だった。開いたというより、吹き出してしまった。 『……ま、まさか…』 「ふふ…、あはは!、あーっお腹が痛い〜……っ……」 『せ、せせ、先生……!!?』 「ご、ごめんね、あははっ……三宅さんがあんまりに一生懸命だから…やっ…あはははは……!!」 『わ、笑いすぎだよ!もーっ!』 「ちょっと貸してね。」 私は冴月さんの腕を取り、ユビキタスに自分の顔を写す。三宅さんの真っ赤な顔が写って、また可笑しかった。 「三宅さん……もう少し考えさせてね。私、あなたの気持ちがすごく嬉しい。…もうちょっとじっくり、自分の気持ちと向き合ってみるわ。」 私がそう言うと、彼女はやわらかく笑み、 「……待ってる。」 そう言った。 冴月さんと伊純さんは顔を見合わせ、 「作戦成功……かなぁ?」 と、首を傾げていた。 ピリリ ピリリ 機械音を発して、手首の装置が鳴る。 四人部屋だが相部屋の全員は外出しており、たった一人で考え事をしていた私―――妙花愛惟―――は、突然鳴ったその音に少しだけ驚いた。 ディスプレイには、可愛川さんの名前が表示される。その文字に、心の奥が暖かくなるような感覚を覚えた。……嬉しい。 「はい…っ…」 少し赤くなりながら通信を着信する。立体のディスプレイが浮かび上がり、可愛川さんの顔が写った。 『妙花。食事は済んだか?』 彼女の台詞はいつも簡潔だ。ある意味、軍人のような喋り方だとも思う(Minaさんの喋り方は、とても軍人さんとは思えない感じだけど…)。 可愛川さんの問いに、期待に胸を膨らませながら答える。 「食事はまだです。」 『そうか。一緒にどうだ?』 期待通りの誘いの言葉。期待通りであるにも関わらず、臨時収入が入ったような嬉しさがあった。 「はい…喜んで。」 自然にあふれる笑みが、我ながら照れくさい。可愛川さんの表情も、僅かに綻んだような気がした。 『今から、食堂で落ち合わせよう。』 「はい、わかりました。」 『では後ほど。』 プツンと通信が切れ、手首の装置は何事もなかったかのように黒い画面になった。 ふと、部屋に備え付けられている鏡に自分の姿を写す。短い髪を手櫛で解き、洋服についた皺を伸ばした。 その後、常にかけるようにしているサングラスに手を伸ばす。…このサングラスは、十八歳の誕生日に母親からもらったものだ。当時は幻滅した。サングラス…しかもこんなに大きくて使い栄えのない物。しかし両親が亡くなり、このサングラスは数少ない母親の形見となってしまった。 これをかけていると安心できる。私に憑いている悪霊の存在を、和らげてくれるような気がする。母の霊が宿ってるのかな…? しばらく鏡に写った自分を見つめていた。このサングラスのことは愛しているけれど…。ふと、サングラスをつけたままにするかそれとも外してしまうか悩んでいる自分に気づく。ファッションとか、そういう面から見てる。まん丸で大きくて野暮ったいサングラス。外した素顔に自信があるってわけじゃないけど……。 数分鏡の自分の睨めっこを続けた後、私は静かにサングラスを外した。自分でも、自分の素顔を見るのは久々な気がする。あたしってこんな顔だったんだ…。目、大きい…。 「あ、…いけない…。」 私はこうして鏡と向き合っていた時間にも刻々と時が流れていることに気づいた。もう一度だけ鏡に向かって最終身だしなみチェックを終えた後、私は小走りで部屋を出ようとした。ドアノブに手をかけた時、ふっと、何か妙な感覚を覚えた。 『愛惟』 振り向く。部屋を見回す。…誰もいない。 ……気のせい……だよね。 小さく息をついて、私は部屋を出た。 パタン、と閉まったドアの中。 『……愛惟…、……だめよ……。』 誰かの小さな警告は、私の耳には届かなかった。 |