すれ違う心 触れ合う心




「…んー……」
 ……あー…、……朝だ。
 …朝だ…けど…、……頭が………。
 私―――乾千景―――は身体を起こ…
「……あ、あうぅ………!」
 あ、頭が割れそう……。
「千景ちゃん?」
「ふぇ!?」
 声をかけられるまで、すぐ隣にいる理生さんの存在を全く気づいていなかった。
 理生さんはあたしを見てクスクスと笑み、
「ちょっと飲ませすぎたかしら?」
 と悪戯っぽく言う。
 …そっか…昨日、理生さんと飲んだんだっけ……ほぼ自棄酒…。
「…うー…」
 あたしはゆっくりと身体を横たえる。
 頭が……。
 ……ふと。
 あたしはある事に気づいた。
「………なっ…!?」
 ガバッと起き上がる。
 頭がぐわぁんと痛むが、それよりも…
「あ、あたし…、…シ…ちゃったの…!!?」
 ……あたしは一糸纏わぬ姿で、ベッドに入っていたのだ。
 慌てて隣の理生さんを見るが、彼女は服をちゃんと着込んでいて少し安心した。
「ふふ、覚えてないの?」
「え?……うん…全く…。」
「そう…」
 理生さんは意味深な笑みを浮かべ、あたしの髪を撫でる。
「………あの…、…あたし…本当に…」
「……知りたい?」
「うん…」
「まず最初に…」
 理生さんはそう言って、あたしの額に触れた。
「ここにキスして…」
 クス、と笑む理生さんの表情に、ドキッとした。
「それから、ここ…」
 理生さんが触れるのは、あたしの唇。
 ……キスも…しちゃったんだ…。
「それから……」
「…それ…から…?」
「…こうやって、ずっと抱きしめてた。」
 理生さんは柔らかく笑み、あたしを優しく抱きしめた。包み込むような優しい抱擁。
「……それだけ…?」
「ええ。それだけ。」
 理生さんに抱かれたまま、あたしは安堵のため息をついた。
「……他の女の子の名前を連呼されちゃ…スル気もなくなるわ。」
「…え…?……あ、あたしそんな…」
「………。」
 理生さんは何も言わず、ただあたしを抱きしめる。
 ………あたし…、…これからどうしたらいいのかな…。
 …もう…理生さんでもいいかな、なんて………こんなに優しくしてくれるし…あたしのこと、想ってくれるし…。
「…理生さん、あたし…」
「…うん…?」
 ……理生さんの優しい瞳。
 それに…吸い込まれそうな…。
 ……嘘…、…佳乃以外で…こんなの…。
 ……あたしは何も言えなくなり、理生さんの肩に頭を落とした。
 ガンガンと頭が痛む。
 ……理生さん。
「……千景ちゃん…、可愛いわ…。」
「…………」
「……キス、してもいい…?」
「…いいよ…」
 自分でも驚くほど、あたしはあっさりとそう答えていた。
 理生さんはあたしを見つめ、優しく頬を撫でてくれる。
 あたしは口付けを待つように、理生さんを見つめ返した。
 頭痛のせいもあるのか、少しぼーっとしてる。
「………心此処にあらず、って感じね。」
「え…?」
「……やっぱり止め。…気が乗らないわ。」
「…理生さん…」
 理生さんはベッドからおりると、個室備え付けの冷蔵庫から何かを出して飲み始める。
 それを見ていると、ひどく喉の乾いている自分に気づいた。
「…ぁ…っ…」
 あたしも起き上がり、シーツにくるまったままベッドから下りる。
 ……フラフラしてるけど。
「大丈夫?もう少し休んでたら?」
「…喉が…乾いて…」
「あぁ…、これ、飲む?」
 理生さんが自分のコップをあたしに差し出す。透明の液体がはいったグラスだった。
 水かな?なんてあんまり深く考えずに一気に飲んだ。
「…………!」
「あ…そんな一気に飲んじゃ…」
「……ゲホッ」
 日本酒だなんて普通思わないもん…。
「…だ、大丈夫?」
「大丈夫…迎え酒ってやつ…!」
「あんまり飲みすぎちゃ駄目よ。あ、ワインは?飲む?」
「飲む!」
「オッケー、ちょっと待ってね。」
 グラスの底に残った日本酒をチロチロと飲みながら、あたしは思った。
 これって現実逃避だろうか?
 お酒に溺れて……、……ま…いっか…。
 …理生さんが…いてくれるん…だし…。





 あたし―――蓬莱冴月―――は、ユビキタスネットワークの装置を眺めながら思った。
 これって、ネットの感覚に似てる。
 文字の会話。機械越しのやりとり…。
 オンラインになってる人のリストを見る。
 ……あたしはその中の一つの名前に見入った。『Annko Takamura』
 ……杏子、だと…Ankoでいいんじゃないっけ…?なんで…Annなんだろぉ…。
 あたしは部屋に一人きり。時計を見上げると…昼の3時か。
 ……はぁ…、…退屈…。
 …………。
 ………かけて…みようかな…?
 ……月見夜さんに…。
 少し緊張する。
 月見夜さんとは…あんまり話したりしない。
 ……やっぱり…お互い気にしてるのかな…あの時のこと。
 それとも…月見夜さんはもう忘れちゃったかな…?
 文字入力パレットでメッセージを入力し……、…送信っ!
『セナです。月見夜さん、良かったらお話ししませんか?』
 ……ちょっと堅いかな…。
 …少しして、返事が返ってきた。
『誰かと思ったら。いいよ♪私すごく暇してたの♪』
 ……明るい感じの返事に、笑みが零れる。
『今はどこにいるんですか?』
『今は部屋にいるよ。セナちゃは?』
『私も部屋にいます。…ってことは、壁一枚隔てたところにいるんだ。』
『あはは、そうだよね。でも直接じゃなくてこういうトークも楽しいよね♪』
『うん。…なんだかチャットみたい。』
『そうだね、、思い出すよね…』
 ……あ、…なんか雰囲気が…微妙…。
 あの時のことは話さないほうが…
 ……いいよね…?
 そう思って何か別の話題を振ろうと文字パレットに指を滑らせた時だった。
『セナちゃ、あの時のことは話したくない?』
 月見夜さんのメッセージ。
 …あたしは少しだけ戸惑い、返事を返す。
『話したくないことは、ないです。今ってすごく曖昧だから…ちょっと複雑。』
『だよね。私もそうなの。…セナちゃと、今、どんなふうにつきあえばいいかわからない。それにセナちゃも、あんまり私と話したくないかな、って…』
『私は、月見夜さんがあたしと話したくないかなぁ、って…』
『やっぱり、あの時のことがお互いにネックになってるのかな?』
『だと…思います。』
 ……こんな…話し…するつもりじゃなかったのに…。
 でも…あたしと月見夜さんを隔ててるものってやっぱり…あの時のシコリなんだよね…。
 あたしは隣の部屋…そう、月見夜さんのいる部屋と此処を隔てる壁を見つめた。

『月見夜さん、会ってみませんか?』
『え…?会うって…』
『その…実際に、会ってみたいんです。』
 あたしと月見夜さんがクリスマスの日に出逢い、毎日のようにチャットで話すようになってから3カ月くらい経った頃だった。
 あたしは前々からずっと思っていたことを、ついに口に…いや、文字にした。
 正直なところ、その時の私と月見夜さんってチャット上ではあるけどすっごく仲が良くて…、…だから、OKしてくれるかな、なんて思ってた。
 でも実際は…。
 ……あたしが打ってから、かなりの時間が空いた気がした。3分?5分?10分?どのくらいだったっけ。
 …月見夜さんはやがて、答えをくれた。
『セナちゃとは会えない。ごめんなさい』
 あたしは…それが悔しくて…
 自分自身を拒否されてるような気がして…受け入れたくなくて……
『なんで?月見夜さん、理由を教えて欲しいよ』
 しつこかったかもしれない。
 でも…悔しくて…。
 ……月見夜さんはずっとこう続けた。
『ごめんなさい。』

 …それ以来、あたし達の間で解かりあえない部分が出てきて…連絡とか、跡絶えていった。…だって…月見夜さんは本当にあたしを好きなのかわかんない…。
 あたしは好きだった。大好きだった。だからこそ…、…自分の気持ちに押しつぶされそうで怖かったんだ。
『あの時…私ね、悩んだんだよ。セナちゃが会いたいって言ってくれて…嬉しかったんだよ…』
『……また聞いたらしつこいって思われるかもしれないけど…、なんで会えなかったのか理由を教えて欲しいです。』
『理由はね…』
 ……理由は…
『……自分が嫌いだったからよ。』
 …え…??
 送られてきたその文字に、あたしは吸い込まれそうになった。
 この文字、あたしが打ったんじゃなくて…月見夜さんが打ったの?
 …なんだか、よくわかんない。
『自分が…?…なんで…?月見夜さんが月見夜さん自身をってこと…?』
『そう。…自信がなかったの。飛び抜けてキレイなわけでもないし、たくましい女性でもないし。私が出来るのは、三流のポルノ小説を書くことくらい。こんな月見夜じゃ、きっと幻滅するだろうな、って…』
『…そうだったんだ』
『……実際、ここで私に会って…幻滅したんじゃない?こんな冴えない女だったなんて…ね?“月見夜さんっぽい”って言ってくれたのも、お世辞でしょう?』
 …送られてくる文字全てを凝視した。
 月見夜さんがこんなふうに思っていたなんて。
 でも…、でもね月見夜さん…それは…
『違うよ…。あたしは月見夜さんに会えて良かったって思ってる。すごく素敵な人だよ。幻滅なんてするわけない。こんな素敵な人だったんだって…、惚れ直したよ。』
『…セナちゃ、お世辞なんていらないんだよ。本当に』
『違うってば!お世辞じゃない!あたしは…、今でも月見夜さんが大好きだよ…』
 あたしが他人に幻滅なんてしないよ…。
 …あたしはいつも劣等感いっぱいで…
 自分が人に劣っていることが怖くて…
 ……自分が好きな人の欠点とか…見つけるのがすごく苦手で……。
『セナちゃ、どうして話しかけたりしてくれなかったの?…私が話しかけなかったのも悪いと思ってる。それは、今話したように自分に自信がなかったからで…』
『あのね、月見夜さん。あたし…怖かったんだよ。月見夜さんに嫌われてるんじゃないかって、本当に怖くて、自分が月見夜さんのこと大好きな分、自分の気持ちに押しつぶされそうで怖かったの!』
 ……そう打って送信してから、数分間通信が跡絶えた。
 月見夜…さん…?
 その時、
 ピンポーン
 ……と、部屋に来客があることを告げるチャイムが鳴った。
 ……もしかして…?
 …あたしはぱたぱたと走ってドアまで行き、扉を開けた。
「ごめん…来ちゃった。」
 そこには、少しはにかんだ月見夜さん…いや、杏子さんがいた。
「…月見夜さん。」
「……ごめんね、セナちゃ。」
 月見夜さんは小さくそういうと、あたしをそっと抱き寄せた。
「………」
 あたしは言葉が見つからなくて、甘えるように月見夜さんの胸に鼻を擦り寄せた。
「…あたし…怖くてね…。…セナちゃが、こうやってあたしに甘えてくれるかなって……もし…、もしも拒否されたらって思ったら…怖くて…」
「……ずるいよ…、自分だけ逃げちゃうなんて…」
「…そうね…、…ごめんなさい。」
「………一緒に…いたい…です…」
「…なんで敬語なの?」
「……て、照れくさくて……」
「ふふ…、……私も、セナちゃと一緒にいたい。」
 あたしと月見夜さんは顔を見合わせ、一緒に笑った。
 大好きな人がそばにいる。
 ……これって…、すごい幸せだ…。





『十六夜…?もう大丈夫なのか?』
「ええ…おかげさまで。」
 私―――珠十六夜―――が制御室の前に経つと、ユビキタスの画面に美憂が写った。
 最初にかけてくれたのは、心配のこもったいたわりの言葉。
 そんな美憂に笑みを返すと、美憂も嬉しそうに笑んだ。
「今、開ける。」
 ユビキタスのディスプレイが切れると、少しして制御室の扉が開く。
「お邪魔します。」
「……十六夜…」
「……美憂?」
「…元気になって良かった。」
 美憂は俯いていた顔を上げ、笑んでみせた。
「…泣かないのよ…、…嬉しい時は涙よりも笑顔がよく似合うわ。」
「ああ…」
 美憂は目の端の涙を拭う。
 そんな美憂に歩み寄り、そっと抱きしめた。
「眠っている間、ずっとこのぬくもりが欲しかったの。」
「…私も…、…寂しかった…」
「……うふふ、美憂、素直でいいわね…」
「え?…す、素直が一番と言ったのは十六夜ではないか…!」
「そうなんだけど…かの偉大な銀博士からこんなに可愛い言葉が出るのかと思うと、なんだか…ね。」
「……偉大なのは博士の私。…十六夜のそばにいる私は…」
「……なぁに?」
「………女だ。」
 照れくさそうに小声で言う美憂が、どうしようもなく可愛い。私は更に力を入れ、ぎゅっと抱きしめた。
「…愛してるわ、私の美憂。」
「あぁ…十六夜…。」
 そのまま、しばし時間が止まったようにじっと…美憂のぬくもりを感じ続けた。
「……あ、…そうだわ…。…美憂、千咲のことなのですが……」
 私は美憂をそっと放し、恋人から科学者の顔になる。
「あ、…ああ…。」
「……どうなったのですか?」
「………今、この施設の牢に捕えている」
「え…?じゃあ、ここまで連れて来た……ということですか?」
「ああ、萩原がな。とんだ物好きだ。」
「…それで、具合は?」
「どうやら、以前の記憶…つまり、十六夜が手を施す前の千咲の記憶が蘇ったようだ。」
「施す前の…。…そうですか…、…やっぱり…未完成だったのね…。……科学者として、そんな危険な物を野放しにしたことを反省します…」
「どうするつもりだ?」
「………これ以上…、…千咲に手を加えるのは……」
「…そうだな。…だが、あのまま千咲を野放しにすれば確実にまた十六夜の命が危ない。しかし牢に入れ続けるのも…どうか…」
「………。」
「千咲は十六夜を憎んでいる。……それに、こんなひどい怪我まで……」
 美憂の手が、私の首に巻かれた包帯にそっと触れる。
「私の個人的な意見で言えば、…千咲など処分してしまえばいいと思う。……十六夜に、こんなひどいことをっ…!!」
 ……彼女らしかぬ意見だった。
 おそらく、彼女の感情的な意見。
 ……私を想ってくれる故の…、しかし…。
「…しかし千咲は…、…人間です…。」
「………、……そうだったな…。」
 難しい問題だった。
 考えても埒があかない。
 ………私は、決めた。
「千咲に会いにいきます。」
「え…?」
「…千咲に会って、話をしてみます。」
「…危険だ…。いくら牢に入っているとは言え…万が一のことが……」
「……それでも…会ってみたいんです。」
「………決意は固いようだな。」
「ええ。」
「………そうか…」
「…できれば、銀博士にも付き添っていただきたいのですが…」
「喜んで受けよう。……そうだな。万が一の時は私が十六夜を守る。…それならば安心だな。」
「…それでは私の方が心配です…」
 私は微苦笑を浮かべ、また美憂を抱き寄せた。そして甘いくちづけ。
「愛している…十六夜……。」
 心地よい美憂の声を聞きながら、これまでないほどの深いディープキスをした。
 美憂の小さな喘ぎも、吐息も、唾液さえも、全て何もかもが愛しかった。





「せんせーっっ!!」
「きゅぐぅ……!」
 廊下を歩いている途中、突然後ろから襲った息苦しさに、私―――楠森深香―――は変な声を漏らす。
「せんせっ、せんせっ♪」
「み、三宅さ…ゆぇ……」
「大丈夫?」
 ようやく息苦しさから開放され、私は懸命に息をした。
「あんまり人の首をしめちゃだめよ!」
「先生の気管が細すぎるんだよ、きっと。」
「そ、そうなのかしら……」
 三宅さんはクスクスと笑み、私の腕に抱きついて一緒に歩き出した。
「先生、どこ行くの?」
「衣装室と洗濯室よ。洋服洗おうと思って」
「そっか。あたしもついてっていい?」
「ええ、もちろん。三宅さんも何か新しい服でも見つけてみたら?」
「やーだ!あたし、セーラー服気にいってるんだもん。」
「そうなの?…確かに似合ってはいるけど」
「うん♪」
 そんなことを話しながら、まずは衣装室。
「…すごーい……」
「本当…すご……」
 衣装室の扉を開け、私たちは驚いた。
 おびただしい数の衣服がびっしりと詰まっている。
「レディースのカジュアル?行こっ♪」
 三宅さんは私の手を引いて奥へと引っ張っていく。
「先生はどんなのが好き?あ、ほら、こういうの似合うんじゃない?」
 三宅さんが差し出したのは、…生地のすごく少ない服。
「そ、そんなの着れません!」
「じゃあこっち?あ、これよくない?」
 今度は、キレイな白のアンサンブルと黒のスカートだった。
「…そうね…これなら…」
「じゃあ、はい!お着替えターイム♪」
 三宅さんは私を押して更衣室まで連れていく。
「あたしも着替えるね。またあとで♪」
 ひらりと手を振り、ぱたんと扉を閉める。
 ……ふあ。
 三宅さんってこんなに明るい娘だったっけ……?
 ………三宅さん…かぁ…。
 ……なんだか不思議な感じ。
 ……「愛してる」…か…。
 ……………どうして三宅さんは…私のことなんか……あんなに…。
 ガチャッ
「きゃっ!?」
「あれ?まだ着替えてないの?」
 考え事をしながらだったせいか、まだ着替えは終わってない…しかも、これまで着ていたロングスカートを調度下ろした時だった。
「あ、も、もうちょっと待ってね。」
「…手伝ってあげようか?」
「え…?」
「…先生の着替え…」
「…や、…で、出てって!」
「…せんせ?怯えてるの?」
「出てってってば…!!」
 強く言うと、三宅さんはきょとんとし、小さく「ごめん」と零して扉を閉めた。
 あ…、……何やってるの、私…こんなことで…あんなに強く言わなくても……。
 ……なんだか情緒不安定な感じ。
 やがて着替えを終え、私は更衣室を出た。
 三宅さんはジーンズに長袖のTシャツという、シンプルでいてスマートな恰好。セーラー服よりも、こういう服の方が身体のラインが見えてすごくキレイ。
「……あの…、ごめんね?」
 三宅さんはバツが悪そうにそう言った。
「わ、私の方こそゴメンナサイ。どうかしてたわ…あんなことで怒鳴るなんて…」
「……あの…、……あたしはあいつらとは違うからね?あたしは…先生を大切にするよ、…大好きだよ。だから…、…あたしのこと、怖がったりしないでね…」
「……え、ええ…。……信じるわ。」
「うん…。」
 ……なんとなく、お互いに言葉数が減る。
 確かに三宅さんは優しい。私が殻に閉じ込もってる間、ずっとそばにいてくれた。
 ……でも、…でもね、私は…
 ………私は、彼女の愛に応えることができるか…わからない……。





「はぁっ……」
 疲れ…た…。
 私―――小向佳乃―――は壁に手をつき、少しでも体力が回復すれば…と、動きを止めた。
 急激な運動をしたわけでもないのに、息があがっている。
 身体が重たい…。
 やっぱり、どこかの個室にいるのかな…。
 全部訪ねたけど、……。
 何個か、鍵がかかってるとこがあって…。
 ……そこ…なのかな…、…やっぱり…。
 ユビキタスを開くけど、やっぱり千景の名前は通信不可の色になっていた。
「………千景ぇ…」
 私はその場に崩れ落ちる。
 ……体力の限界…、眠い……。
 涙腺まで緩んでて…どんどん涙があふれて来る…。
 ああぁ…もう…めちゃくちゃだぁ…。
「佳乃さん…?ど、どうしたんですか?」
「あ…?」
 …三森さん…だ…。
 私の身体をそっと支えてくれて……
 …心配そうに……
 …あぁ…でもごめん…限界……っ……
 ………スッ…、と…
 …意識が暗転した。
 ………
 ……
 …
 ……
 ………
 ……暗い闇の中。
 私は一人ぼっち。
 お母さん…お父さん…お姉ちゃん……
 ……伊純…ちゃん…
 ……いやぁ……待って…
 ………千景……!!
 お願い…行かないで……
 千景だけは…行っちゃ…いやだよ……
 理生さん…千景を返して……
 …千景は…あたしの……
「……ちかっ…!」
 ……ふっと周りの暗闇が消え、現実味のある電気の光が私の目を焼く。
「……佳乃…さん?大丈夫ですか…?」
「あ…、…三森…さん…。」
「……すごい汗…、顔も赤いです…」
 三森さんの手があたしの額に触れる。
 ぼんやりと三森さんを見上げる。
「………。」
 なんだか変な感じ。
「……熱、あるみたいですよ。もう少し休んだ方がいいみたい。」
「…あ…、ここは…?」
「医務室です。意識失ったみたいだったから…、ポッドじゃちょっと大げさかな、と思って…。」
「………ごめんなさい…」
 あたしは自分の額に手を当て、俯いた。
 ……おかしい…、……頭が熱い……
 ぼーっとしてて……理解力とか…なくなってる感じ……。
 何…?
「あ、謝ることないのに…。ちょっと待ってくださいね、冷たいタオルもってきます。」
 三森さんが離れていく。
 なんで…?ちょ、…まって……
 一人にしちゃ…いやだってば………
 ねぇ……待ってよ…、待って……。
 ベッドから身体を起こし、床に降り立った……つもり、だった。
 でも、なんだか地に足がついてないって感じがして次の瞬間ぺたんって地面に尻餅ついてた。
 おしりが痛いけど、私はベッドに掴まって起き上がると、ゆっくりと歩き出す。
 三森さん……どこ……?
 外……かな…?
 医務室のドア、前に立つとシューッて扉が開いた。
「佳乃さん?!…あ、動いちゃだめですよ!」
 …三森さん…どこ…?
 声は聞こえるのに……どこにいるかわかんないよ…。
 廊下に出ると、私はその場でふっと意識が遠のきそうになった。
 その瞬間、後ろから誰かに支えられる。
「佳乃さん!」
 ぐちゃぐちゃの頭。
 ふらふらの身体。
 全部リセットしたい感じで、あたしは意識を失った。





 ピー
『千景ぇ…どこにいるの…?…ユビキタスの電源も入ってないし…もう…なんで逃げちゃうのよ…、あたし、大事な話しがあるんだよ…ねぇ、お願いだから出てきてってば…』
 ……ユビキタスの留守録システム。
 そこには、6件ものメッセージが残っていた。
 5件が、佳乃サンの切々とした声。
 そして6件目は…
『バーカ!』
 …と一言。…これは…伊純さんの声…?
「………。」
 私―――呉林理生―――は小さく息をつき、全てのメッセージを消去し、千景ちゃんのユビキタスの電源を切った。。
「…う…、…ん…」
 千景ちゃんは、また酔って熟睡中の様子。私はそんな眠り姫の額にくちづけを落とし、更に目覚めのキス…くちびるにもそっとくちづけた。しかし物語のようにはいかず、千景ちゃんは眠ったまま…。
 ピンポーン
 部屋に来客を告げる音が響いた。
 ユビキタスの装置を見ると、『Miki Iijima』の文字が点滅している。
 飯島さん…?
 私と千景ちゃんのユビキタスの電源は切ってあるので私たちがここにいることはわからないだろう。
 しかし扉をロックしているので誰かいるということだけはわかるし、消去法でいけば私たちがここにいるとばれる可能性も高い。
 ………ま、私たち二人が一緒にいることに文句を言える人なんていないけれど。
 ……そろそろ出ておかないと、騒ぎが大きくなるかしら?
 …そう思った私は、自分のユビキタスの電源を入れ、点滅している文字に触れた。
『あっ…、あの、…千景さん、そこにいらっしゃいませんか?』
 通信が繋がって驚いた様子の飯島さん。
 私は小さく笑み、言った。
「ええ、いるわよ。今、ロックを開けるわ」
 そう言って一方的に通信を切り、言った通り、部屋のロックを外した。
 バンッ!
 すぐさま開く扉。
「こらぁ!千景!!」
 入ってきたのは…伊純さん、だった。
 え…?またなんで…。
「失礼します…」
 その後からおずおずと入ってくる飯島さん。
 なるほど…おとなしそうな飯島さんなら許可されるとでも思ったのかしら。
「おい、千景!起きろ、バカ!!」
「…うー…?」
「…って、…な…、なんで裸なんだよ…」
「う、ん…っ…、…ふぁ…?」
 寝惚け眼の千景ちゃん。
「…お前…酒臭い…。…酒の勢いに任せて、あんな女と寝たのかよ!?」
「あんな女とは心外ね…」
 私は小さく肩を竦める。
「なんとか言え!千景!」
「……伊純ぃ…、…ちゅーしよっか?」
「………は?」
 顔が赤く、目もどことなく潤んでいる千景ちゃん。
 千景ちゃんって、酔うとかなり可愛いの。
 …可愛い…けど、……。
「伊純ぃ…っ…可愛いっ!」
「やっ!ちょ、やめっ…!」
 伊純ちゃんをベッドにひきずり込み、ごそごそと……。
「伊純って胸大きいんだぁ……」
「きゃ…、や、やめろバカ!!」
 がばっ!!
 突然、二人の絡み合う布団が取り払われた。
 千景ちゃんの悩殺ボディと、乱れた服がなんとも色っぽい伊純さん。
 ……あら…、怒った様子の…飯島サン。
 あらあらあら…こんな時に修羅場?
「千景さん!止めてください!」
「やだ…だって伊純ってば可愛くて…」
「放せ!痛っ…掴むな!……っ、そんなところ触るな!やっ…!」
「…いいかげんにっ!」
 飯島さんはずいっと千景さんに近づき…
 …ぐいっ
 と、千景ちゃんにくちびるを奪われる。
「!?」
「!!」
 飯島さんも伊純さんも、その出来事に目を見開く。
 やがて千景ちゃんのくちびるが飯島さんから離れた瞬間、
 パン!パァン!
 痛々しい音が二つ響いた。
「ち、千景ちゃん!」
 私はそのことに驚いて、千景ちゃんに近づく。
 頬がヒリヒリと痛そうに赤くなっている。
「最低…!」
「死ね、バカ!」
 二人から同時に平手打ちを受けた…のね。
「…っ……」
 千景ちゃんは自分の頬に両手を当て、俯いた。
「お前な…!佳乃がどんな気持ちかも知らないで!お前のこと一晩中探して熱出して倒れて!!……あんな一言だけで他の女に現ぬかすようなやつに佳乃を渡したくなんかないからな!好きならいつまでも待ってやれよ!?バカ!お前なんか死ね!!」
 伊純さんはそう怒鳴り、部屋を出ていった。
 飯島さんはジッと千景ちゃんを見つめ、ポツリと
「…………千景さん…、ひどいです…。」
 …そう零し、小さく頭を下げて伊純さんの後を追った。
「…………。」
 千景ちゃんは俯いたまま何も言わなかった。
「……千景ちゃん…?」
 私はそっと彼女に近づき、肩を撫でた。
「……っ…、なんでっ…!…なんであたしが責めらんなきゃいけないのよ…!苦しい想いしたのも…傷ついたのも……全部全部こっちだっての…!!」
「……千景ちゃん…」
「…佳乃のところ行って来る。」
「どうして?……あなたを…、振った女なのよ…?なのに……」
「だって、佳乃、あたしのこと探したって…!………佳乃…、絶対何か言いたいことがあって……」
「………私は…行ってほしくないわ…」
「……ゴメンね…理生さん。…あたし今、すごい酔っ払ってるから…よくわかんないけど……、……とにかく、佳乃のことが好きなの…大好きなの…。……ごめんね。」
「……そう…。………解かったわ。」
「…ごめん。」
 千景ちゃんはそれから何度も「ごめん」と零した。
 私は何も言わず只、彼女を見つめていた。
 ………悔しいわ。
 ………でも私は千景ちゃんのことが本当に好きなの。
 ………彼女の気持ちを折り曲げたりなんかしたくない。自然に、私のことを好きになってもらいたいの。
 ……努力するわ。
 …だから今は、彼女を止めることはできない。……これで二人が恋人同士になったとしても……、…私は……。
 ……諦めないけど、今は止めない。





「過労…だと思う。」
「…そ…っか………。」
「…過労…ですか…。」
 ポッドで寝かされた佳乃。
 その意識は回復の兆しを見せなかった。
 たまたま通りかかった柚里ちゃんが、佳乃の具合を見、そう診断を下した。
 付き添っていた三森さん、そしてあたし―――乾千景―――は、神妙な面持ちでその診断を聞いたのだった。
「佳乃ちゃんは…いつも頑張ってる…。…でも、自分の限度を考えないのは短所。」
「……佳乃…らしいって言うか…。」
 あたしはため息をつき、そばの椅子に腰掛け、佳乃のポッドにもたれる。
「……そういう千景サンは…、…飲みすぎに注意…でしょ?」
 柚里さんに痛いところを注され、私は苦笑した。
「……時々、酔うと自分でも自分を制御できなくなる。…やばい…よね…」
「…寝たら?」
「…でも…」
「…千景サンまで無理したら、意味がない…」
「………そうね…」
 ふっと三森さんを見遣ると、目が合った。
 彼女は微笑し、
「佳乃さんには私がついてるから…大丈夫です。」
 …と言う。まいったなぁ…。
 あたしは立ち上がり、医務室の簡易ベッドに向かいながら顔は向けずに言った。
「それも…悔しいんだよね。今回ばっかりは譲ってあげなくもないけど。」
「…千景さん…」
「佳乃起きたら…起こしてね?」
「はい…」
 三森さんも…佳乃と仲いいんだよなぁ…。
 ……ジェラシィが止まらない。





「夜久さんっ♪」
「……はい…?」
「…何、してるの?」
 あたし―――真田命―――は、庭園の少し奥まったところにある森の奥の人影に気づき、声をかけた。
「……特に…何も…。」
「そっか…。…ね、あたしのこと覚えてる?名前とか…」
「…真田…命さん…。」
「あっは、良かった、覚えてもらえてて。」
「朝…会ったばっかりだから…」
 夜久さん。…夜久幸織さん。
 すごく…気になる人。
 こんなにきれいな人、初めてで…。
 ただ、容姿がキレイっていう話だけじゃなくて、雰囲気とか、瞳とか、言葉とか、全てがきれい……むしろ、神秘的な感じ。
「…あのね。今、夜久さんが、この小さな森の真ん中で一人、立ってたでしょ。上、見上げてた。」
 彼女がしていたように、空を仰ぐ。
 ……と言っても、見上げて見えるのは木々の隙間から覗く人工の青い空。
 深いグリーンと澄んだ青のコントラストは、こうして見ると美しかった。今まで、そんなこと思ったこともなかった。
「………。」
「…夜久さんの姿…、……いや、森と夜久さん、その風景を見て、あたし…感動した。」
「……感動?」
「何か…絵画を見てるような感覚…、…って言っても…絵画なんて、生まれてこの方、片手の指の数ほども見たことがないんだけど」
「……森は…、…美しく、尊厳で、また勇ましくもあり、恐ろしくもある…。…私という邪魔なものがなければ、もっと美しく見えたはずよ…。絵画なんて、それを模写したものにすぎないもの…。」
 …夜久さんが、初めて、相槌以外の言葉を喋ってくれた。
 嬉しさと共に…、その言葉の全てが、重く、心の核心のところまで入ってくる。
「…でも…やっぱり…、…邪魔なんかじゃない。夜久さんが入ってると、美しさは倍増するよ。…まるで、森の一部みたいに…」
「……森の一部…、……。」
 彼女は小さく復唱し、少しだけ表情を変えた。困惑したような、そんな…。
「…あの…、…何か、気に触ること言っちゃったかな…?ごめん…」
「あ…いいえ…」
 ♪ピリリリ ピリリリ
 突然、場に不似合いな機械音が鳴った。
 通信…水散さんからだ。
「ご、ごめんね。」
 あたしは夜久さんに謝り、通信を繋ぐ。
 ぱっと水散さんの顔がディスプレイに写る。
『命さん。どこにいらっしゃるんですか?』
「あ…、もう4時過ぎた?ごめんね、部屋で待ってて。すぐ行くから」
『はい…待ってます。………あの、…誰かと一緒なんですか?』
「え…?あ、いや…」
 一瞬躊躇うが、すぐに小さく笑みを作り、
「一人…だよ。なんで?」
『そ、そうですか。それならいいんです。…それじゃ、部屋で待ってますから。』
「うん…」
 プツン
 …通信を切り、あたしは息をついた。
「…どうして…、…偽るの…?」
「あー…えっと…」
 夜久さんに問われ、あたしは困惑する。
「………」
「…あの…誤解を招かないように…かな。」
「誤解…?」
「水散さんが…その、あたしたちが二人っきりで会ってるって知ったら、なんか誤解しちゃうかもしれないでしょ?」
「偶然会って、話した…ではだめなの?誤解をしてしまったなら、解けば良い話では…」
「…う、うーん…。」
「……さっきの…水散…さん?…彼女は…あなたの恋人?」
 …夜久さんにそう聞かれた時、あたしの中にあった何かの想いの塊が、形を崩した。
 そして…
「違う、…恋人なんかじゃないの。」
 …そう、強く否定した。
「…なら尚更…。」
「………あ、あの…夜久…さん?」
「…はい?」
「……幸織さんって呼んじゃだめ?」
「…かまわない…けど…」
「……うん。…それじゃ、水散さんのこと待たせてるから…行くね。」
「…ええ。」
「あのっ…、…また幸織さんと話したいの…いいよね?」
「………」
 彼女は不思議そうにあたしを見つめ、そしてコクンと小さく頷いた。
 あたしは笑み、駆け出した。
 いつの間にか、あたしの中に一つの天秤が存在していた。
 水散さんと幸織さん。…傾いた天秤。





『せーのっ』
 ジャッ、ジャッ、ジャジャン
 ボン、ボボン、ブーン、ボン
 ギターとベース。二つの音が混じり合う。
 私―――志水伽世―――はベースを担当し、重低音を響かせていた。
 ンジャジャジャジャジャジャジャジャッ
「♪i love you baby〜」
 君ノ瞳ニ恋シテル。
 私のレパートリーの中でも王道中の王道。
 受けもいいし、弾き語りも気持ちいい。
 そんな名曲だけど、セッションをするのは初めてだった。
 激しさ大胆さこそないものの、安定した音、軽くリズミカルなギターを聴かせてくれる。
 それに対抗するように、ベースをかき鳴らすのだ。
 ……最高!
 …ジャーン……っっっ、ジャン!
 フィニッシュのタイミングもばっちり。
 サロンにいる人全員が、私たちに拍手を贈ってくれた。
「せんきゅう!」
 私は手をあげて皆に言い、その手を振り下ろすとパシンッと相方がその手を受ける。
「最高だったよ、六花ちゃんっ。」
「ありがとうございますっ、私も楽しかったですっ」
 愛嬌たっぷりの笑みを零す六花ちゃん。
 私たちはギターを下ろし、休憩に入る。
 夜のサロンはいつもにぎやかだ。
 皆の部屋からも近いし、大勢でたまれるのもここくらいだし。
「納豆っていうのは食べ物なんですよ!」
「うっそだぁ。あんな気持ち悪いもん、到底人間が食べるとは思えないっ」
「え?納豆って美味しいよ?」
「うそっ。都ってば、ゲテモノ好きなの!?」
 和葉ちゃんと秋巴さんと都さん。
 あの三人も仲良しだよねぇ。いっつも一緒のような気がする。
「可愛いね、楠森センセーの洋服。」
「おっ、さすがはセナ。お目が高い!この服をセレクトしたのは何を隠そうこの遼ちゃんなのよ♪」
「うふふ。さすが三宅さんよね。ロン。」
「……ロン!?いつのまに!」
「ふふふ」
 冴月っち、遼っち、楠森さんの三人。
 ……っていうか教師が生徒に麻雀教えていいの…?
「伽世さん、何飲みますか?」
「あ、六花ちゃん、ありがと。えと…それじゃ、アップルティーで。」
「はーい。私はレモンティーにしよっと。」
 六花ちゃんがカチャカチャと紅茶を煎れてくれる。
 その間ちょっとの暇を見つけた私。何気なく六花ちゃんのギターを手にした。
 ジャージャッ。
 チューニングはばっちり。
 弦もここに来てから張り替えたみたいで、きれいだった。
 軽い曲を一曲弾いてみる。
 私のテレキャスちゃんには負けるけど、なかなか弾き心地の良いギターだ。
「はい、どうぞ。」
「ありがと。ごめんね、ちっと借りてた」
「いいですよ、全然。その子も、私にしか弾いてもらったことがないから、たまには他の人に弾いてもらうのも新鮮だと思います。」
「あはは、そっか。」
 六花ちゃんの可愛らしい言葉に、自然と笑みが零れる。
「あの…伽世さん。」
「うん?」
 六花ちゃんは私の隣に腰を下ろし、少し改まった感じで私の名を呼んだ。
「お礼…言うの忘れてて。皆さんに助けてもらった時、伽世さんがこの子、連れてきてくれたんですよね」
 六花ちゃんは私が手渡したギターをそっと抱いた。
「ミュージシャン同士、わかってるつもりよ。自分の楽器の大切さってのは…。あたしも、テレちゃんいなくなったら絶対泣くし、2カ月以上は凹んでるだろうし。」
「うん…この子、家族の形見でもあるんです。だから…本当に大切なものだから…」
「そうなんだ。…六花ちゃんは、家族は…」
「両親は…以前の地震で行方不明です。お姉ちゃんは…、私に、このギターを託して…」
「……そっか。ごめんね、こんなこと聞いちゃって。」
「ううん。伽世さんになら何でも話しちゃいますよ。なんか…勝手なんですけど、すごく親近感が湧いちゃって…」
「わかるよ。あたしも六花ちゃんのこと他人って思えなくて。」
「私も、伽世さんに質問してもいい?」
「もちろん。なんでもオッケーよ」
「伽世さんは、いつからギターを弾いてるの?旅もしてたんですよね?どうして、こんな時代にミュージシャンになろうって思ったんですか?」
 六花ちゃんの眼差しに、どこか憧れのようなものが混じっているのに気づいた。
 ……そんな目で見ちゃだめだよ…。
「…15の時から。道端にね、ぼろぼろのギターが落ちてたの。チューニングなんてわかんないし、でもギターから出てくる音にどんどん魅かれたの。」
「わかります…魔法みたいな音、ですよね」
「うん…旅に出たのは21の時。きっかけは…」
「……きっかけは?」
 六花ちゃんが期待の眼差しで私を見ている。
 ……違うんだよ。
 私は…そんなんじゃない…。
「…なんとなく、かな。…毎日が退屈で、もっと好きなことやりたい!…って思って。」
「はぁ…すごいです…好きなことやろうって決意も、勇気も、全部すごいです!」
「……そんなことないよ。」
「またまたぁ、そんな謙遜しちゃだめですって」
 ………本当に…、そんな…
 ……嘘…ついてるの…。
 …本当の私は、もっと汚くて…
 …人間として、最低なの…。
 だから…、…そんな目で見ないで…。
 お願いだから…見ないで…。





「つまりこれが壊れると…」
「……施設内に酸素が行き届かなくなる。」
「ってことは当然、施設内にいる人は…」
「…空気がなくても平気な人間はいないだろうからな。」
「ふぅん…」
「だが、そう簡単に壊れるような代物ではない。案ずることはないぞ。」
「そーなんだ。それならいいわ。ごめんなさい、どうも心配症でね。」
 そう言って小さく笑む女性。
 私―――銀美憂―――は、説明のために開いた画面を閉じながら女性を見遣る。
 水戸部依子…か。
 確かに、この制御室にある機械のことをここまで色々と尋ねたのはこの女が初めてだ。
 性分をいうやつか…仕方あるまい。
「銀博士、お待たせしてしまって申し訳ありません。」
 制御室の奥から出てきたのは十六夜…、…いや、珠博士だ。
「構わん。では行くか。…水戸部、我々は行くところがあるのだが……どうする?」
「うん…?…あの、もうちょっと見てたいんだけど。機械のことにも、ちょっと興味があって…。あの、絶対に何も触らないから、見せてもらってちゃだめ?」
 水戸部の言葉に、私は十六夜と顔を見合わせた。
「重要は機器はロックがかかっていますし…大丈夫だとは思いますが…」
「そうだな…、わかった。見るだけだぞ。」
「はーい。ありがとうございますっ」
 ぺこりと頭を下げる水戸部に背を向け、私と珠博士は制御室を出た。
 …今からは「十六夜」か。
「…十六夜…、大丈夫か?」
「ええ。ちゃんと考えた結果です。やはり、直接話をしてみないことには…。……多少は不安ですけれど…、……美憂、あなたがいてくれるなら…」
「十六夜…、…わかった。おまえのそばにいよう。片時も離れることなく、な。」
「ありがとう…美憂」
 十六夜が緊張しているのがわかる。
 こんな時、私は……
「よぅ。ラブラブか?」
「なっ?な、な、なな、何を!」
 地下4階の廊下を歩いている時、突然かけられた声。は、萩原か…。
「めちゃめちゃ動揺してるしな。わっかりやす。」
「無礼な!用がないならもう行くぞ」
「待てって!アタシも用がないのに話しかけるほどは暇じゃねーんだよ。」
「ならなんだ?簡潔に頼…。」
 そう言って萩原に向き直った瞬間…、
 ……彼女の強い目、真っ直ぐな目に、私は言葉を失う。
「…おまえらさ、千咲んとこ行くんじゃねーのか?」
「……その通りよ。」
 十六夜が頷く。
「…何しに?」
「……話をしようと思っているの。」
「……そりゃ…無理だな。」
「どうして?」
「……あいつが、おまえと対等に話せるとは思えない。なんってガキだからな。」
「……。」
「………アタシも付き添わせろ。」
「…どうして…あなたが…?」
「お前らよりは、あいつと仲良しのつもりだぜ?」
「………そう…、…わかったわ。お願いします。」
「い、十六夜?あんな女を…」
「…千咲が少しでも心を開いているというのなら、彼女にはその力があるということですよね。…その力を、借りれればと思います」
「……そうか。」
「よし、そうと決まればさっさと行こうぜ」
 ……牢屋。
 その重い扉を開いた時、冷たい風が外に廊下に漏れた。
 ここは、空調が作動していない。
 ……つらい場所なのだ。わかっている。
 わかっているが……。
 ……十六夜の曇った表情を見ていると私までもが心苦しくなってくる。





「千咲…」
 ………!
 牢屋に反響する声。
 小さくあたし―――米倉千咲―――の名を呼んだ、その声。
 ………すぐにわかった。
 忘れられるはずもない。
 忘れたくてもね!
「十六夜……!!」
 ガシャン!!
 夢中でその声がした方に駆けたあたしは、冷たい檻に激突する。身体中が酷く痛む。
 それでも、あたしはまた檻を掴み、がしゃがしゃを音を鳴らせる。
 そして、叫んでいた。
「十六夜、死ね!!死ねぇぇぇっっ!!!」
「ウルセーよ、バーカ。ぎゃあぎゃあ騒いでんじゃねぇ。」
 憐の声。すぐに、三人があたしの視界に入った。
 憐…、銀…そして十六夜…!
 ……十六夜の薄い眼鏡。
 あの眼鏡に光が反射して、光るんだ。
 それが……、すごく…すごく…
 …………怖くてっ…!
「千咲…」
「……いざ…よ…」
 声が震えた。
 …憎くて憎くて仕方ない女。
 それが今、目の前にいる。
 じっとあたしを見つめてる…!
 首のところには、包帯が巻いてあった。
 なんで…、
「…なんで…、…なんで死なないの!?あんなに深い傷で…あんなに血がいっぱい出て…なのにっ…!」
「まず、発見が早かったの。美憂が心配して私を捜しに来てくれたのよ。もし美憂が来てなければ、あんな人通りの少ない廊下だもの、出血多量で間違いなく死んでいたわ。」
「………」
 淡々と言葉を紡ぐ十六夜。
 ……震えた。身体が勝手に震えた。
 怖い。…怖い…、…怖い…!!
「それから、美憂の適切な手術。水散さんの不思議な力。そして可愛川さんの輸血。…皆が私を見捨てないでくれたからこそ…、私は生きているのよ。」
「…う…、…うあ…、…うああああ…っ!!」
「千咲…、…初めまして。私は、珠十六夜と言います。職業は、こうみえても科学者なのよ。…よろしくね」
「え…?」
 な、何…言ってんの……、この女…。
 憐も銀も、変な顔してる…
 …この女…狂ってんの…?
「あなたのことは御両親から色々とお聞きしたわ。不良だけど、大切な一人娘だって言ってらしたわ。だから助けて欲しいって。」
「…………」
「最初はね、私、断わろうと思っていたのよ。だって、そんな依頼、受けるわけにはいかないもの。人間の身体に手を加えて延命するなんて。これは医療ではなく、科学のレベルだものね。」
 十六夜は…ずっとあたしの目を見つめ、話し続けた。
 憐と銀も、十六夜の話に聞き入っている。
「…でもね、千咲。御両親、毎日のように私の研究所に来て、頭を下げるの。お願いです、千咲を助けてください。お金ならいくらでも用意します。病院はもう、引き取ってさえくれません。どうかお願いです…。」
 …そん…なの…、……知らない……。
「毎日頭を下げに来る御両親と、唯々延命装置で生かされてる千咲。……もう…私、耐えられなくて……」
 十六夜が微笑した。
 その笑みにどんな意図があるのかわからなかった。
 ただ、笑みと同時に十六夜の瞳から零れた涙、そこに、十六夜の本心を見た気がした。
「私は…千咲を引き受けたの。どんな子かも、御両親のお話から間接的にしか聞いていない、そんな…ほとんど見ず知らずのあなたを、引き受けたの。」
「…………。」
「私がいくら受け取ったのか気になるでしょう?」
 あたしの沈黙の意味を察したように、十六夜が言った。確かに…気はなった。
「百五十万。」
「…百五十万!?たった…そんな額で…」
 銀が驚いたように言った。
「…少ないのか?それって…」
「当然だ。成功報酬制だったとしても、その額じゃ前金にも満たん。」
 …そんな少ない額で…あたしの…ことを……。
「……でもね、それだけじゃないの。もう一つ、千咲の御両親からいただいたのは……………保険金よ。」
「……え…?…じゃあ、まさかお母さんもお父さんも…自分で…!?」
「いいえ。二人は…事故で亡くなったわ。…でも、こんなことを漏らしていたの。私たちが死ねば千咲が助かるというのなら、死んだってかまわない…そう、…死を予感しているような言い方だったわ。」
「…そ……んな…」
「…二人の保険金、計一億五千万。その全てを投資して…私は千咲の研究に没頭したの。酷い脳の状態にかなり手こずったわ…。」
「………でも…、…脳が死んでるなら…あたしなんて、生き返る必要…」
「死んだ脳を復活させたのよ。いえ…新しい脳を作った、といった方が合っているかしら…」
「だから…、つまりあたし以外の人格を形成させようとしたんじゃないの?」
「千咲、それは違う。」
「……じゃあ…、何……」
「この依頼はね、千咲を蘇らせることよ。新しい千咲を作ることじゃないの。」
「………。」
「つまりね千咲、今のあなたこそが、この研究の完成品なのよ。」








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