「千景たちが来てない…!?」 「ああ…違うルートを行ったとは言え、まだ来ないのは……」 「おかしい。あと40分しかないと言うのに…」 佐伯から、乾たちのグループ4が来ていないことを聞いた。 既に時刻は8時10分過ぎ…まだ来ないのは、どう考えても、何かあったとしか思えない。 その時、私―――銀美憂―――は思い出した。先ほど千景たちのグループからあった連絡。そう途中に交じった声音。男の声。 …嫌な予感。 …もしかすると絶望的かもしれない。 私は不安を振り払うように、頭を小さく振った。 「………ひとまず、皆、中に入れ。他のグループはちゃんと揃っているのか?」 「アタシんとこは、遼が怪我しただけであとは大丈夫。」 「あ、あたしは全然大丈夫だから。ただの掠り傷だよ。」 佐伯の言葉に被せるように、三宅がそう言う。 しかし、服の二の腕の部分には、べったりの血液の染みが広がっている。 「こっちは皆元気よ。」 「……そう言うわりには酷いぞ。」 「顔でしょ?これはまぁ、ちょっとした切り傷ばっかりだから心配無用。」 伴は笑んでそう言う。このグループは皆元気そうで安心した。 「こっちは、千咲が目ぇ覚ましたこと以外は変わったことナシ。」 そう言うのは、千咲を背負っていった萩原だった。 「………。」 チサ。今は手を縄で縛られ、大した動きはできないのであろう。しかし、車の中で寝かせている十六夜が危険なのには変わりない。 「…チサの様子、見張っていてくれ。決して十六夜に危害を加えぬように。」 「あぁ。わかった。」 …そして乾達。 ……待つしかないのか…? 「……ん?…皆、中に入れと言っている。パスは出発前に伝えただろう?」 「出来ないよ…千景ちゃん達待ってなきゃ。……ね?」 そう言ったのは蓬莱だった。 ………待ってなきゃ…か。 「……そうだな。」 私は頷き、ふっと道路を見やった。 来るとすればここから…… …………、……、……あれは…? ふと人影が過った気がし、目を凝らす。 ……やがてその人影は大きくなった。 ふらふらとおぼつかない足取りでこっちに近づいてくるのは…… 「佳乃!」 人物の名を最初に呼んだのは佐伯だった。 佐伯、蓮池、そして私の三人が彼女に駆け寄る。 「佳乃…っ…」 「小向…何があったの…?」 小向は佐伯にもたれ掛かり、荒い息で言葉を紡ぎ出した。 「銃に…、…っ……撃たれて…!皆…、…………千景もっ……!!」 小向はボロボロと涙を零ながら、そう言った。 「銃…って…!…まさか、そんな…。」 佐伯が「信じられない」といった様子で目を見開く。 「……死んだのか?」 私が問うと、小向は小さく頭を振って、 「…わからない…、……あ、けど、少しだけ…見えたのは…男が……たぶん米軍の兵士が……倒れたみんなを抱えて行って……」 「抱えて?…どういうことかしら…。」 「答えは二つ…一つ、死体を回収する必要があった。二つ、本当は死んでいない…」 「………!」 私の言葉に、三人は希望を覗かせた。 「……捜しに行くべきだ。………一カ所だけ心当たりがある。」 私は立ち上がり、道を先を見据えた。 「小向は休んでいろ。誰か行けるのは…」 「……私も行こう。」 その声に振り向き、驚いた。 「可愛川…!…無茶だ…。まだ輸血から何時間も経っていない。」 「……私は行かなければならん。妙花と逢坂を放ってはおけなくてな。」 「………無理はするなよ。」 「当然だ。」 「アタシも行く。佳乃の代わりだ。」 「私も行くわ。乾の上司でもあるし、逢坂さんと三森さんもちゃんと保護しなきゃ。」 「……急げ!」 私は駆け出した。 ……研究室。 あの研究室だ…! 「う、……ん………」 …気を失っていた。 …ここ…どこ…? なんで…気…失って……? ゆっくりと目を開ける。 暗い部屋。や…部屋…じゃない…。 もっと広い…倉庫みたいな… あたし―――乾千景―――は、しばし現状把握に努めた。 そうだ…佳乃たちと施設に向かってて…ゴーストタウンの中で…そう、背中から心臓の所に鈍い痛みが走った。 …それで…気を失って……。 今は…怪我はないように感じる。 しかし…… …何かに捕われてる。 ……何だ…、…これ…? 手首…足首…お腹のところ… 何かが巻き付いてる。…拘束具…? 小さく身じろぎすると、それは更に強く絞まった。 …なんか…ヤバイ…。 パチン 突然明々と電灯が付き、目を焼かれる。 「っ…!?」 「目が覚めたようだね(英語)」 男の声。私は最小限で身体を動かし、声の方を見た。 白衣を来た男。 ……十六夜さんのような美女マッドサイエンティストってのは絵になるが、金髪オッサンのマッドってのはどう見てもオカシイ。 ………しかし今私は、アイツに捕われていると見るのが一番濃厚な線だろう。 「気分はどうだい?(英語)」 「あんまりよくないわ…(英語)」 「……その拘束具の具合は?(英語)」 男にそう言われ、私は初めて気づいた。 電気に照らされ、その姿を露にした拘束具。 「………な…!?」 それは非常にグロテスクな、巨大な蔓だった。蔓があたしの身体中に巻き付いている。 「おもしろいだろう?実験につきあっていただいたのだが、どうやら成功のようだ。今度は長時間でも耐えられるかの実験を行なうよ。どうぞごゆっくり(英語)」 男はニヤリとイヤな笑みを浮かべ、部屋を去っていった。 電気は付いたままだった。 「………千景…さん…っ…!」 「……!…その声は…、愛惟さん?」 「はい…、…ど、…どうしたら…」 彼女の声は震え、今にも泣きそうだった。 「七緒ちゃんは?いる?」 「…ここ、です…」 彼女は少し離れた所にいた。 不安げな愛惟さんとは違い、諦めたような表情を浮かべている。 そうだ、彼女は酷い怪我を負っている。この状態じゃ、傷も悪化して当然だ。気力もかなり削がれているのだろう。 …しかし、そんな彼女のことを分っているのに、何もできない自分が悔しかった。 他に人はいないようだった。 佳乃の姿もなくて安心したが、もしかしたら別のところで捕まっているのかもしれない。そう思うと不安になった。 ………ふと、更にずっと奥に、もう一つ、人影があるのを見つけた。 …知らない女性。 美しい薄い茶色のロングヘア。 遠目にもわかる、かなりの美女。 女性の服は肩からかけるような不思議な構造になっていた。民族衣装のような感じもする。 それ故に、蔓に巻かれ、片側の乳房が露になっている。 不謹慎だが、やけにそれが色っぽくて、思わず生唾を呑んだ。 ふっと我に返る。慌てて腕時計を見ると、時刻は……20時40分…!? ま、…まずい…! タン… ……小さく聞こえた靴音に、あたしは身を固くした。 またあの男…? 首を動かして、靴音がした方を見る。 ……そこには、一人の女性がいた。 漆黒の長い髪。焦げ茶色の瞳。 女性は、私の捉えられている蔓の傍までやってくると、手にしていた包丁でそれに刃を入れる。 「あ…」 「……静かに。」 女性は小さくそう言って、ザクザクと蔓に包丁を入れる。 ザッ! 蔓の根元が完全に切れると、そこから伸びた蔓全体が見る見るうちに萎れていった。 そして私の身体は自由になる。 次の瞬間 ウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!! けたたましいサイレンのような音と、点滅する赤いランプ。 「っ!逃げましょう!」 女性は私に行った。 「ま、待って。向こうの二人も私の仲間なの。お願い。」 「……わかったわ。」 女性は頷き、愛惟さんと七緒ちゃんの蔓も包丁で引き裂いていった。 「あ、あの人も!」 あたしは無意識に、隅に捉えられていた女性も指さしていた。 「でももう!」 「お願いだから!」 あたしが強く言うと、女性は向こうの蔓まで走り、それも枯らした。 「早く!」 たくさんの足音が聞こえてきた。 私は奥にいた美女の手を取り、走り出す。 彼女は驚いたような表情で、一緒に走ってきた。 なにかの研究所か。 よくわからないそこを出ると、ゴーストタウンのどこかだった。 …ここからあの施設って…どう行くの!? 「千景!」 その時、聞き慣れた声に私は振り向く。 「伊純!良かった!…ってか、……に、逃げるわよ!」 見知った姿を見た喜びも一瞬で、慌てて私はそう言い放つ。 「ああ!」 パンパン! 後ろから銃声が迫る。 少し走ると、美憂ちゃん、蓮池課長、可愛川さんの三人とも合流した。 「逢坂!妙花!無事だったか…!」 「あ…」 「可愛川さんっっ!」 後ろからそんな三人の声が聞こえた。 パンパン! 銃声が響く度に、誰かが撃たれたんじゃないかと不安で仕方ない。 でも今は走るしかなかった。 時刻は20時49分…あと2分! 「早く!」 ばっと開けた所…巨大なオブジェの真下に、ぽっかりと口を開ける施設への入り口。 数人の仲間たちが私達の姿を見とめ、中へと入っていった。待っててくれたのね、感謝! その時、一人残ってあたしを迎えてくれた人物… 「千景!!」 「…佳乃!」 愛する人の声に、私は心から安堵した。 良かった……! 強引に手を引いてきた人物と、佳乃と一緒に、流れ込むように施設の中へ入る。 後ろを見る。伊純や美憂ちゃん。それから私達を助けてくれたあの女性と、蓮池課長…あとは、可愛川さん愛惟さん七緒ちゃん。 ……しかし、蓮池課長の後、続く人物はいなかった。 「え……?」 私は不安になって、入り口へ戻り外を見る。 「何をしている!閉めるぞ!」 美憂ちゃんの声。 「待って…!まだ可愛川さんと愛惟さんと七緒ちゃんが……!」 「何!」 時計は20時50分…40秒。 「や…やば……!」 「もう間に合わん…!!」 「可愛川さ…!」 「………!」 三人を迎え入れることなく、扉は閉じた。 「逢坂!」 「……もう…構わないで…。…私は戒斗と一緒に逝きます…」 「バカを言うな!早く来い!」 「可愛川さんと妙花さんで行ってください。私は…残ります。」 ……な、…ななな……何… どういうこと…!? 私―――妙花愛惟―――は、大混乱だった。 「そうはさせん!……妙花だけでも行け!私は逢坂を置いていくわけにはいかん!」 「…い、いやです!私だって可愛川さんと一緒じゃなきゃいやです!」 私がそういうと、可愛川さんは驚いた様子で私を見る。 ……自分でもびっくりした。 でも本心だった。 「と、とにかく、逢坂も妙花も中へ!」 「いや…」 なんでこの娘…こんなに死にたがってるの…?なんでこんな娘…可愛川さんは放っておかないの……!? 「三人とも、早く来なさい!」 蓮池さんの声。 「え、可愛川さん!早く行きましょうよ!」 「逢坂!」 「いや…!」 うそ…なんでこんなの……! 扉がゆっくりと閉まっていく。 施設の中からたくさんの声がする。 向こうから、米軍兵士の姿も見える。 グラッ…… ……地面が揺れた。 来た……大きな地震……来たよ…! ああ……このまま死んじゃうんだ… ………いっか……、…可愛川さんと一緒なら……平気……。 可愛川さんは、私と七緒さんを抱き寄せた。 まるで一つになるかのように、強く強く。 ………地震の揺れが酷くなった。 私はただ、震えるしか出来なかった。 可愛川さんの胸の中で、怯えるしか。 ………別にいいの…。 これで… …………? ……ふっと…、暖かさを感じた。 不思議に暖かくて…心地よくて…… ……私はそのまま目を瞑った。 ………このまま……。 ヴゥン…… 低い音を鳴らせ、扉が閉じた。 あたし―――三宅遼―――は、閉じた扉をじっと見つめていた。信じられなかった。 可愛川さんと愛惟さんと七緒ちゃんが… ………どう…するの……。 「全員、注目してくれ。」 そう言ったのは銀さん。彼女の声に、意識が現実に引き戻される。 「3人のことは、もうどうしようもない。手の打ちようがないのだ。地震が止むまでその扉は開けられない。」 彼女はあくまでも冷静だった。 けれど、その表情の奥に悔しさが滲み出ていた。 「私は、制御室の地震測定装置の所で行って、地震が止む予測時間を見に行く。医務室は制御室の傍だ。怪我人はついて…もしくは連れてくるように。それ以外はここで待機すること。」 …自分が今いる場所を、改めて眺めた。 玄関……って感じ…かな…。 広々してて、上は吹き抜けの集光……に見えるけどそんなワケないか…。 すごく明るくてキレイ。 「遼。行こう。」 「え?」 「え?じゃないよ。怪我人でしょ…」 セナに言われて、怪我を負っていたことを思い出す。先ほどまでは痛んでいたけど、慣れたのか、あんまり痛みを感じなくなっていた。 「こっちだ。」 銀さんがそう言って、玄関から3つほどある内の一つの廊下に入る。そこにはエレベーターがあり、ウィーンと下りること地下五階。 あたしはセナに付き添われながら、きょろきょろと回りを見回す。 すごい。今までいた施設とは格が違う。 全ての作りが重厚だった。 多分、全体の広さもこっちの方がずっと広いんじゃないだろうか。 「…医務室は、ここだ。…乾、任せるぞ。」 「あぁ、うん。わかった。」 佳乃ちゃんに肩を貸した千景ちゃんは、銀さんの言葉に頷いた。 銀さんはポケットの中から一枚のフロッピーディスクを取りだし、医務室の入り口に付いている機械にそれを当てる。 すると医務室の扉がシューと音を立てて開いた。 すごい…。 あたしたちが中に足を踏み入れると、勝手に電気が付く。 玄関とは違い、少し抑えられた感じのダウンライト。 「奥にポッドがあるわね。十六夜さんと佳乃はそっちで休ませよう。」 「……待って…。」 小さく声がした。 すごくか細い声。 「……十六夜さん?大丈夫?気づいた?」 柚里さんに背負われていた十六夜さんの意識が回復した…らしい。 千景ちゃんが彼女に歩み寄る。 柚里ちゃんの背から離れ、ふらつく身体を千景ちゃんに支えられる。 「……此処は…、…新しい施設?」 「そうよ。」 「美憂は…?」 「……銀さんは、制御室に向かったみたいだけど。」 「…私も行かなきゃ……」 「む、無理しちゃダメだって。まだ足下もおぼついてないのに…。」 「……でも…」 「私が付き添う。」 そう言ったのは柚里さんだった。 「…そうね…、じゃ、私も付き添うから。」 千景ちゃんは佳乃ちゃんをポッドに寝かせながらそう言う。 「無理しないように見張ってないと…それに、地震のことも知りたいし。」 千景ちゃんはそう言い、十六夜さんに肩を貸す。 十六夜さんは二人に支えられ、ゆっくりと歩いていった。 「……まだ傷深いんだろうに……、…すごいよね、十六夜さん。」 あたしがそう言うと、セナがコクンと頷いた。 ポーン あの施設と同じ、来客を告げるチャイム。 まだインタフォンの設定を行っていないので、私―――銀美憂―――は入り口まで歩いていき、扉を開けた。 「……十六夜…!」 そして驚いた。まさか十六夜がいるとは思わなかった…。 保科と乾に付き添われ、苦しそうに息を吐いている。 「美憂…ごめんなさい…」 「あ、謝る必要はない。……大丈夫か?休んでいた方が……」 「いいえ…」 十六夜は小さく首を横に振り、 「手伝わせて、ください…」 …そう言った。 「……入れ。」 私は三人を中に入れた。 三人とも驚いた表情。無理もない。前の施設よりも数倍は規模の大きな制御室である。 「そこに座って…」 「……ハイ。」 十六夜を手近な椅子に腰掛けさせる。 手伝うなど、到底無理な話だ。でも十六夜だってそれは判っているのだろう。ただこの空間に居れれば、それで…。 「美憂ちゃん。地震時間はわかった?」 乾の言葉に私は災害予測装置の前に立つ。 「9時21分までは震度6〜8の大型地震が続く。21分30秒、地震の規模が下がり、約震度4。23分には一旦止む。それからまた30分後に震度6…。」 「…23分から30分の間、か。」 「そうなる。」 「………21分まで…大型地震…。」 ぽつりと保科が零した。 ……三十分近くもこんな巨大地震の真ん中に居て……生き延びられる方が不自然かもしれない。 …けれど全員信じている。 ほんの僅かな可能性…。 それに架けるしか…今は無いのだろう。 制御室に一瞬、沈黙が訪れる。 「私、皆に今のこと伝えて来ます。」 そう言ったのは保科だった。 保科は我々に小さく頭を下げ、制御室を後にする。 「………美憂ちゃん。いろいろ聞きたいことがあるのよ。」 そう切り出したのは乾だった。 「そういえば、何も話していなかったな。」 「ええ。美憂ちゃんの正体さえも。前の施設やこの施設と、美憂ちゃんの関係を。」 「………十六夜を含む数人は、私の正体を知っているであろう。科学者界ではそれなりの立場にいた。」 「そうだったの……通りでね…。」 「……渋谷、そしてお台場の施設。この着工にも、若干だが関わっている。」 「それで渋谷の施設のパス、知ってたのね」 「……此処、そして渋谷の施設。この一大プロジェクトの発足者は…私の祖父だ。」 私の言葉に、俯いていた十六夜が小さく顔をあげた。 「……お祖父様?……銀…博士の…」 「そうだ。この施設が完成したのが8年前。その後まもなく祖父は他界し、父と、そして私にこの施設を託された。」 「……そうだったの…」 「……この施設はな、このフロッピーディスクが無いとほとんどの機械が動作しない。」 「…それは…」 十六夜は驚いた様子で私を見る。 「…そういえば以前にも見せたな。」 「じゃあ、あの時見ていれば……」 「……いや、厚いトラップがしてある。そう簡単に解けるものではない。」 「……そうだったのですか…。」 乾が何のことかという顔をしているが、私は構わずに中央のコンピューターに向かった。 「待って…」 十六夜の小さな声。 乾に支えられて私を追ってくる。 ……愛しい人。 やけにいじらしく感じ、うれしかった。 …私は十六夜のことを… ……愛している。 「……はぁっ…」 苦しそうな十六夜を、そっと抱き寄せた。 肩を抱き、空いた方の手でフロッピーをコンピューターの差し込み口に挿入した。 大きなディスプレイは、フロッピーから読み込んだもの……花畑を写した。 「……これは…」 やがてズームアップする一人の女性。 アメリカ人の、美しい女性……。 彼女のズームの瞬間、私は素早くいくつかのボタンを押した。 『Please Password.』 ……キーボードを押す手が、一瞬躊躇われる。 「……十六夜…、見るな。」 「え…?」 「頼む。」 十六夜は小さく頷いた。 私は静かにパスを入力した。 『My love for Anney』 ………。 その時々の感情をパスにするのは間違っているな…。今になって、こんなにも苦しい思いをするなんて…。 「……アニー。昔の恋人…ですか?」 「!」 十六夜の言葉に、私は小さく目を見開く。 「十六夜、なぜ…っ…」 「………ごめんなさい。」 「…………。」 「……パスの変更は出来ないのですか?」 「…システムの再構築から行なえば…」 「………Anneyではなく…Izayoiに…」 ……ふっと、十六夜の身体の力が抜けた。 「い、十六夜!!」 「! 医務室に連れて行こう。」 「あ…、ああ…。」 コンピューターの作業を中止し、私と乾で気を失った十六夜を抱きかかえた。 見ると、咽の辺りが欝血している。 ………横に…させておかなければならなかった…、…やはり…。 …無理をするからだ……、……バカが…。 「てし…かわら…さん?」 「いえ、てしがわらです。」 「…………。」 蓮池さんの脳を持っても、この苗字は書けないらしい。 でも、私―――高村杏子―――は書ける。 「この字?」 書記係の私は、調書の名前欄に『勅使河原』と書いて見せた。 「そうです。よくわかりましたね。」 「……感服。」 …単に小説のキャラクターで書いたことがあるから知ってただけなんだけどね。 「で、名前はたまおです。玉に緒。」 そのまんまの説明でもわかりやすい。 「勅使河原玉緒さん、えぇと年齢は…」 蓮池さんの言葉を遮るように、玄関ホール全体に声が響いた。 「あのっ…23分に地震が一旦止む…から…、その時に三人を…」 保科さんだった。 ……23分か…。 今、時計は21時15分を指していた。 全員がどこか落ち着かない様子……。 新人さんへの事情聴取も自然と止まってしまう。 考えてみれば…、震度8やらの大地震が30分も続く。しかもこの施設の上にはゴーストタウン…そう、廃虚と化し、崩れやすくなった建物が山ほどある。 ………命が…無事…とは……。 …でも、僅かな可能性でも信じなきゃ…。 ……でも…、…………不安。 不思議な空間にいた。 夢?幻? ………それとも… 私―――逢坂七緒―――……、 ……もしかして、死んだのかな…。 …………大きな川がある。 ここは、荒れた土に汚い空気。 でも向こうは…、花が咲き乱れてる…。 蝶が舞って……、…あぁ…美しい場所…。 これって、三途の川かなぁ。 …あの向こうに…戒斗はいるのかな…? 『七緒…』 ……! 反響するように響いた声。 私は驚いて辺りを見回す。 戒斗の声。 …………戒斗は、私のずっと後ろにいた。 同じ場所に立ってる。戒斗…。 そっか。 霊としてこっちの世にいるんだもんね。 「戒斗…一緒に行こうか?あのきれいな世界で、一緒に…ずっと一緒にいようよ。」 しかし、戒斗は快い返事をくれなかった。 『……七緒、それは出来ない…。』 「どうして?…」 『ボクはもう…これ以上七緒を傷つけたくない。』 「…どういうこと?私は全然…」 『ボクだって苦しいよ…運命に逆らうこと、全ての法則に逆らうこと……。…もう耐えられない…。』 「……戒斗は、私のことが嫌い?」 『嫌いなわけがない!!…大好きだよ。七緒のことを愛している。…だからボクは、七緒に生きていて欲しい!』 ……戒斗の言葉は、酷く私の胸に突き刺さった。 私はずっと戒斗と一緒にいたい…。 ………戒斗がいないなら…生きてる意味なんてないのよ…。 …………戒斗。躊躇うことはないの。 その手で逝かせて。 私を終わらせて……。 ………パン…! 瞬間、何かが弾け飛ぶような音。 空気? ……私の周りの空気が消えた。 私の身体を覆うように、酷く汚れた空気が広がる。 なくなって初めてわかる。私を包んでいたきれいな空気。 ……まさか…、…可愛川…さん…? 『…七緒、……本当に…いいの…?』 「………。」 私は、上を見上げた。 淀んだ…空。 ………可愛川さん…。 ………………。 『七緒!』 「えっ…?」 『やっぱりダメだ!七緒もう…戻れ!!』 「え!?やっ、戒斗…!!」 『…ずっと見てる!…いつでも七緒のこと、愛してる!…でもね、…七緒は…七緒は見つけて欲しいんだ…、七緒のことを愛してくれる人を!』 「戒…斗……」 『……さよなら。七緒。』 「いやっ…!」 戒斗の身体から、まぶしい光が溢れ出した。 「戒斗ぉぉぉぉ!!!」 目を焼きそうでも、それでも私は戒斗を見つめた。 次第にそのパーツ、そして輪郭さえも光に呑まれていった。 一面の光に包まれた…、そう、思った時…。 「……っ……!?」 私は身体を起こした。 ………ひどい揺れ。 私のそばには妙花さんと、そして可愛川さん。 妙花さんは気を失っているようだが、可愛川さんは両手をあわせて祝詞を紡いでいた。 …しかし可愛川さんは詠唱をやめた。 「……逢坂。よく戻ってきた。」 「…可愛川…さん…。」 「………今、我々を守ってくれているのは………逢坂の…守護霊だ。」 「守護霊……?」 「……たった今、守護霊になったばかりの新米がな。」 「…!…それ、…って…」 「事の一部始終は伝わってきた。お前も、良い恋人を持ったな。」 「………」 ……涙が溢れる。 可愛川さんは私をそっと抱きしめる。 「……恋人じゃなくて…元・恋人…です」 私が小さな声で訂正すると、可愛川さんは薄く笑み、 「………新しい恋人が、欲しいか?」 「……はい。」 「……そうか。」 可愛川さんはそれ以上なにも言わない。 ただ、私を抱きしめてくれていた。 そして祝詞を再開する。 ………不思議だった。 巨大な災害のど真ん中にいるのに…こんなにも安心している自分。 …私…やっぱり…、……死にたくない。 「奇跡だ…。」 「信じられない…。」 全員が異口同音でそう言う。 そう、それはまさに奇跡。 「…心配かけた。すまん。」 「…ごめんなさい…。」 「……私も、ごめんなさい。」 施設に入るなり、ペコリと頭をさげる三人。 こいつら……人間じゃないのか……? 「………無事で…何より。安心した。」 千景はそう言って、小さく笑んだ。 その通りだな。無事で…何より。 そしてどこからともなく、拍手が湧き出す。 パチパチパチ… それは次第に大きくなり、盛大な拍手にまでなった。 アタシ―――佐伯伊純―――も、雰囲気に呑まれてっつーか、つられて拍手。 「良かった…全員無事で……本当に…。」 アタシの隣にいる飯島は、感極まった様子で涙を流している。 「…泣くなよ…」 「だ、だって…」 「………後で泣け。」 「は、はい…。」 千景は唐突にパンッと手を打ち、 「そんじゃ、ここに来る途中で合流した新しいメンバーに、自己紹介お願いしよう!」 そう言って、まばらに散っていた初見のやつらを集める。 玄関でしなくてもいいような気もする…。 「じゃ、お願いね。名前と年齢。他になんかあれば。」 千景がそう言って促す。 「はいっ!勅使河原 玉緒(テシガワラタマオ)って言います!歳は22歳です!特技は機関銃!宜しくお願いします!」 ……にぎやかなやつ。 ワゴン車で暴走してきたやつだな。 こともあろうにアタシたちが集合してるところに突っ込んできやがって…。あの時は本当に死ぬかと思った。 前髪と後ろを切りそろえたボブヘアの焦げ茶髪。くりくりしたでっかい目で、人懐っこそうで無邪気なイメージを受ける。まぁ22のわりには童顔……。 「水戸部 依子(ミトベヨリコ)、19歳。 一応、看護のこととかは詳しいつもりよ。 宜しくお願いします。」 「あーれ?……依子ちゃん、さっき…どうしたっけ?」 千景がふと、いぶかしげな表情を浮かべて言う。 「さっきって?」 「ほら…あたしたちが捕まった時。」 「あぁ。佳乃さんと一緒に逃げてたんだけど、途中ではぐれちゃって。その後、佳乃さんのあとくらいかな。ここまで一人で来たの」 「なるほど…怪我がなくて何より。」 ………依子、か。 悪戯っぽい笑みが、…ちょっとな。 子悪魔的な猫目。美人な方ではある。 ふわふわしてそうな薄茶の髪を二つ結びにしてて、さらに服装もなんかピンクでフリフリした女らしーカッコ…。……アタシが一番嫌いなジャンルかもな。 年齢不詳な感じもあって、19…ってのは……うーん、微妙。 「えと、真喜志 六花(マキシロッカ)って言います。ギター弾くのが好きです。」 そして「テヘヘ」と笑う。………。 「六花ちゃん、いくつ?」 伽世の言葉に、六花は小さく笑んで、 「15歳です。」 …と答える。…なるほど。 ふと冴月を見ると…非常に複雑な表情。 ……わかるぞ、その気持ち。 なんつーか…若年層では一気にトップに躍り出そうな……強いて言うならゴマキ系?………いやいや、何を言ってるんだアタシは。 人懐っこそうなやつ。髪は茶色のさらさらふわふわのシャギーセミロング。 いやーもうなんつーか…、 『15歳!可愛い!』 ………って感じ…。(不本意) 冴月に八つ当たりされそうでちょっとイヤ。 「………。」 次のやつは…なんつーか、すごい不思議な感じの人。 透明みたいな茶色の…ロングヘア。 すごい…キレイな……。 顔立ちもめちゃめちゃ整ってて、…なんていうか……絶景の美女、かもしれない…。 服装は、これがまた不思議なんだな。民族衣装みたいな感じ。身体に布を巻いただけ…って感じさえもするんだけど、…妙にシックリ来てる。で、すごい色っぽい。 彼女は困惑した様子だった。そんな彼女を見兼ねて、 「…あの、…良かったら、名前とか教えてくれ…ますか?」 と千景が言った。 ……あの千景さえも敬語。 「……夜久 幸織(ヤクサオリ)と…云います…。」 夜久…幸織。……うわー…なんでこんな、キレイポイントだらけなんだ…。 「あのね、彼女は…私が無理矢理連れてきたのよ。私たちが一旦捕えられてた研究所みたいなところで…同じように捕えられててね。…見るに見兼ねて連れてきちゃったの。」 …なるほどな。千景らしい。 それで当人は困惑してんのか…。 夜久幸織。……キレイなヒト。 「私は、呉林 理生(クレバヤシリオ)といいます。年齢は…26です。宜しくお願いしますね。」 最後の一人は、これまた不思議な感じを受ける美人。夜久とはだいぶ違って、なんつーか、隣のお姉さん的な美人…かな。 ストレートロングの黒髪。…黒っつーか、若干灰色みたいな茶色みたいな。 大人っぽいんだけど目が大きくて可愛い感じもする。身長がけっこうあるな…。 「彼女はね、私たちが捕えられてた研究所で、私たちを助けてくれたの。命の恩人ってやつよ」 ほぉ…。 「そういえば…理生さん。なんで…あの研究所に…?」 「……あの…、私も、千景さんたちと同じように捕えられていたんです。でも、あの拘束具が不具合だったみたいで…抜け出せて、それで…」 「なるほど。……ホント、理生さんには感謝してもしきれないよ。…ありがと。」 「…いいえ…そんな…」 理生サンは、照れくさそうに微笑した。 女らしくて良さそうだな…イメージとしては…大和撫子、か? 新人は以上の5人。 ……増えたな。……30人か。 「今日はみんな疲れただろうから、ゆっくり休もう。……あ、部屋割りしなきゃか?」 「この施設は四部屋だ。部屋の場所だが…」 銀がそう言って、玄関の向かって正面にある壁に向かった。 なんだ…? そしてパカッと壁を開くと、そこからコンピューターが…。……すげぇ。 ぱっ、と壁面に施設の地図らしきものが写る。壁面に写ったということもすごいのだが、それ以上に驚いたのは施設の広さだった。 「すごい……」 誰ともなく、そう呟いた。 「ここが現在地。玄関だ。この正面から見て右のエレベーター。裏には階段がある。ここが地下一階。各部屋は地下三階部に作られている。 ついでだから施設の主要な部屋の説明もしておこう。まずこの地下一階だが、ここは庭園になっている。」 「……庭園?」 数人が頭に?マークを浮かべる。 「そうだ。人口芝、人口太陽光、そして草木の茂る美しい庭だ。興味がある者は行ってみると良い。確か、ちょっとした公園もあったはずだ。」 こんな施設に…そんなもんが……。 「地下一階全体が庭になっている故、かなり広い。迷わぬようにな。」 ……迷うほどなのか…。 「地下二階。ここには食堂や浴場、トレーニングルームに娯楽室、他諸々。日常生活に必要なものはここで全て事足りるであろう。衣装室の衣類は、好きに使ってもらって構わない。着終えたものはちゃんと洗濯室に持っていくのだぞ。」 ………なんなんだ…この施設は……。 「地下三階。これは先ほど言った通り、各々の部屋がある。個室もあることはあるのだが、これまでの事も踏まえ、それぞれ相部屋の方が良かろう。空いた個室の方も、好きに使ってもらって構わない。それと、地下三階の奥はサロンになっている。くつろぐには持ってこいの場所だ。」 四人部屋って…どうなんのかな。 また佳乃の独断と偏見で決められるのか? 「地下四階。体育館がある。その他諸々…。四階は、五階の設備が吹き抜けで設置してある部分があるので、他の階よりは狭いな。」 体育館…そんなに必要なのか? なぜ体育館…。 まぁ、あるといいけどな。 「地下五階。ここは先ほど行った者も数人いるが、医務室、会議室、作戦司令室、倉庫、そして制御室がある。一階とは対照的で無機質な感じだな。」 「その作戦司令室ってのは何?」 「集合をかける場合は、主にここになるだろう。そうだな……説明しずらいが、大学の講義室の小さい形といった所か。」 「なるほど…。」 「話し合いの場合、会議室も良いだろう。4人用、10人用、30人用、50人用がある。4人用と10人用は二つずつだ。」 「……OK。」 「他にも色々とあるのだが……先々必要になった時に説明しよう。説明は以上だ。」 「お疲れ様。ありがとね。……それじゃあ部屋割りなんだけど……今、部屋割り係の佳乃がいないから……あたしと蓮池課長で決めるかな。……んと、しばらく自由時間ってことで。疲れた人は個室で寝てもいいよ。今が21時45分で……、22時半に、作戦司令室に集合、にしよう。起きてたらでいいから」 「りょうかーい。」 「んじゃ、一旦解散!」 「ユビキタスネットワーク?」 「そうだ。これが送受信機だ。これを全員に配る。大本はこの制御室にあるので、ここを介してそれぞれが通信することができる。」 「……えっと…つまり、携帯テレビ電話みたいな…」 「そうだな。メールでも声でも動画でも簡単に送受信出来る。」 「へぇ…どこにいても?」 「そうだ。この施設内ならどこでも。なんなら、設定を変えればこの施設から半径5キロ程度にまで広げることが出来る。」 「へぇぇ……んじゃ、これを腕とかに付けて…」 「そうだ。」 「今どこにいるの?とか…」 「うむ。基本的には、誰がどこにいるかは表示できるようになっている。シークレットモードにすることも可能だがな。」 「はぁ……すごいね…」 「簡単な施設の地図、それから入所者のそれぞれのプロフィール、最新情報。あぁプロフィールは一言メッセージも設定できるぞ。」 「………おもしろ…。」 「もちろん遊びだけではなく、危険な状態にあるときSOSを発信することもできる。」 「なるほど…」 「20年前の文明が最骨頂にあった時期には誰もが持っていたものだ。まぁ、乾の年齢では覚えていないのも当然だな。」 「じゃあ、後で集合かけた時に配っとくね。」 「頼む。」 「じゃ、頑張って。」 「ああ。」 私―――乾千景―――は、美憂ちゃんからもらった人数分のユビキタスネットワークの機械が入った箱を抱えて制御室を出た。 そしてその足で医務室に。 「佳乃ー?」 「あ、千景?」 佳乃を休ませていたポッドをのぞき込むと、佳乃は上半身を起こし、蓮池課長と部屋割りについて話し合っているようだった。 「大丈夫なの?」 「うん、全然平気だよ。怪我したわけでもないし。久々に全速力で走ったから疲れちゃっただけ」 佳乃はそう言って、微苦笑を浮かべる。 可愛い……。 蓮池課長がいなかったら、抱きしめてたかもしれない…。 「部屋割り、決まった?」 「うん、大体オッケーだよ。」 「さすが小向よね。こんなにサクサク決めれるなんて………でも適当じゃないからすごいのよ。」 「そうそう。佳乃って何か変なことが上手なんですよね。」 「なにー変なことって〜」 ぷぅ、と膨れた佳乃に、私と蓮池課長は笑った。佳乃もつられるように笑う。 ………あぁ…、……幸せだ…。 「私、そろそろ復帰します!もう元気ですから!」 佳乃はそう言ってにっこりと笑む。 「そう。私は珠さんに付き添ってるから。乾ちゃん、万一のこともありうるし、小向に付き添ってあげなさい。」 「ハッ!」 あたしはビシッと敬礼を決める。 ……なんだ…意外にイイヒトじゃん……蓮池課長…。…感謝……。 「…っ…、ととと。」 ポッドから出た佳乃は、少しふらつきつつも、笑顔で「元気元気♪」という。 ……この子は本当に頑張り屋だよなぁ。 …そんな佳乃が…大好きなのだけど…。 シュー 医務室を出て、廊下を歩く。 …佳乃と二人。 「………はぁ…大変だったねぇ……」 佳乃は小さく息をつきながら言った。 「全く。でも…皆無事で何より、でしょ?」 私がそういうと、佳乃は嬉しそうに笑む。 「本当だよね。…良かった…。」 佳乃はそう言って…… ……ふっと、廊下に崩れ落ちた。 「よ、佳乃!?」 私は驚いて声をかける。 ……と、佳乃は私を見上げて悪戯っぽく笑んだ。 ………ったく。 私は荷物を床に下ろし、手を差し出す。 「どうぞ。お姫様。」 「…うん。」 佳乃は嬉しそうに笑むと、私の手に手を重ね、立ち上がり…、 …、…………! そしてそのまま…、私に抱きついた。 急激に心拍数が早まる。 「…び、ビックリした…」 私は小さくそう零す。 佳乃は私に強く抱きついたまま、何も言わない。 「…佳乃……?」 クスン、と…小さく泣き声が漏れた。 佳乃…。 ……私は佳乃の華奢な身体を、強く抱きしめる。 「私…ね…、…千景が……死んじゃったかと思って…、…怖くて…怖くて…!……不安で…もう、本当…どうしようかと……、……もし本当に千景がいなくなってたら私…、後、追ってたよ…!」 「佳乃…」 「千景…大好き…、もう絶対いなくならないで…ずっとずっと私のそばにいて…お願いだよ……お願い…お願いだから……」 「…うん…、ずっと佳乃のそばにいるよ…」 「恋人が…『ずっと一緒にいようね』っていうずっとじゃないんだよ…?」 「え…?」 「canじゃなくて…mayでもなくて…shouldでもなくて…!」 can(〜できる)でもなく、may(〜かもしれない)でもなく、should(きっと〜であろう)でもなく…。 「…ってことは…」 「……must、……だよ?あたしとの約束は…mustだよ…ねぇ、それでもいい?」 「“絶対に〜しなければならない”…のね。」 「…うん…、だって、そうじゃなきゃ不安なんだもん…あたし、怖くて…」 「……約束する。絶対に佳乃のこと離さない……っていうか、離したくない。」 「本当?ただのパートナーなのにそんなこと言っちゃっていいの?あぅ、ごめんね疑い深くて。」 「………あのね、佳乃。いい?あたし今、決定的なこと言ってあげるよ。」 「決定的…なこと…?」 ドクン。 佳乃がきょとんと私を瞳を見つめる。 …あぁ…この目に吸い込まれそう…。 小さくゆっくりと…言葉を紡ぐ…。 「あたしは…っ…、……佳乃の…ことが…」 …佳乃の瞳がほんの少しだけ揺れる。 さぁ言え、あたし…! 言っちゃえ…! 「きゃああっ…!」 はぇ? 突然廊下に響いた女性の声。 私と佳乃はきょとんと、廊下の向こう側を見る。 少しして、ごろごろと何かが転がって…。 「だれーかぁぁ…!とーめーてぇぇぇ!」 「メロン?」 佳乃がそれを拾いあげ、首を傾げる。 「だーれーかぁぁ……わーたーしーもーとーめーてぇぇぇ!」 「はぁ!?」 そしてそのメロンに続いて廊下の向こうからやってきたのは、すごい勢いの…、…! 「きゃあっ!」 「っわ!」 ……どさっ。 …女性だった。 「……だ、だいじょぶ?勅使河原さん。」 「は、は…ひ…。」 私が抱き止める形になって、彼女を抱えたまま床に横たわっている……っていうか彼女がどいてくれないと私は起き上がれない。 「……あの、…、……どうかした?」 ふと見ると、彼女の頬はなぜか赤く染まっていた。 「あ、あの……こんなに密着すると…なんだか、私……」 「は?い、いや、あの…」 どん!!! …………。 私の頭の真横に、恐ろしい程の勢いでメロンが落下してきた。 …いや、正確には佳乃が置いたらしいが。 「お先に失礼します。どうぞごゆっくり。」 佳乃の声と、遠ざかる靴音。 ってぇ!? 今の言葉、明らかに怒りが含まれてたような気がするのはあたしだけですか!? 「…ど、どうしますか?ごゆっくりって言われちゃったからごゆっくりしましょうか?」 「じょ、冗談じゃないって!どきなさい!」 「ふぇ〜。」 勅使河原さんは残念そうな声を出し、身を起こした。 「佳乃!」 私は佳乃を追おうとしたが、その姿はもはや目の届くところに在らず、私はため息を一つ零した。 「あのぉ……な、何かあったんですか?」 「え?いや、何かって…」 「?」 「……なんでもないわ。」 「そうですか。あ、私メロン持って行く途中でした。」 「………どこに?」 「お見舞いに。」 「誰の?」 「誰かの。」 ………なんなのよ、この娘は一体。 「誰かも知らずにお見舞いに行くのね。」 「私、憧れだったんです!メロンを持ってお見舞い!」 「ず、ずいぶん古風なもんに憧れるのね」 「ええ!それじゃあ失礼します!」 「うん…」 私は気力もなく、小さく頷いた。 「あああ!そうだ!」 「……今度は何?」 「私のこと、てしがわらって呼ばなくていいですよ。玉緒でもテッシーでもたまちゃんでも好きに呼んでください。」 「……OK。…テッシー。」 「はい!」 彼女はにっこりと嬉しそうに笑み、メロンを抱えて駆けていった。 私はため息をつき、美憂ちゃんから預かったものを抱え、テッシーとは反対の方向に歩いていったのだった。 地下五階、作戦司令室。 ミニホール?プチ講義室? 前に教壇みたいなのがある。 席は段々後ろに来るにつれ高くなる作り。 私―――伴都―――は一番後ろに陣を取り、のんびりと高みの見物。 隣には秋巴がいる。 「では先ず、全員に配るものがあります。」 と言って、千景ちゃんが箱を持って何かを皆に手渡しながら回る。 私の手元にもそれがやってきた。 …これって…。 「これ、知ってる人いる?いたら挙手。」 前に戻った千景ちゃんの言葉に、私は手を挙げる。私の他は、秋巴と杏子ちゃん、それから冴月ちゃんと柚里ちゃんも手を挙げた。 前の二人はともかく、冴月ちゃんと柚里ちゃんって……何者…? 千景ちゃんも疑問に思ったらしく、冴月ちゃんに問う。 「冴月、知ってんの?なぜ?これの名称は何でしょう?」 「知ってるよ。ユビキタスネットワークの装置でしょ?」 「ォォ。」 「ネットで見たの。実物を見るのは初めてだけどね。」 「なるほどね。そう、冴月が言った通り、これはユビキタスネットワークっていう…」 千景ちゃんが説明を始めた。 …こんな文明的なもんが…なんでこのご時世に…。 私は早速腕に装着し、装置を起動した。 千景ちゃんの説明中なのでほとんどの電源が入っていないが、 『◇Akiha Misono』 の文字は他の文字と比べて明るく、電源が入っていることを示していた。 隣の秋巴をちらりと見遣ると、何やらカチカチと操作に夢中の様子。 私は小型のメッセージボードを取りだし、カタカタと文字を打った。そして送信。 『ハァイ、FB♪』 秋巴はきょとんと私の方を見、そして小さく笑った。 『ハイ、Happy.もう電源入れちゃったの?』 『秋巴だって入れてるじゃない。』 『お互い不良だね〜』 『まったくだわ。』 これは良い! これ、かなり便利だわ。 緊急時の時にも役立つだろうけど…、それ以上に、コミュニケーションツールとして遊べそう♪ それから十数分。ようやくユビキタスネットワークの講義が終わった。 私はずっと秋巴と話してたんだけど。 「じゃあ、次は部屋割りの発表をします。」 教授は千景ちゃんから佳乃ちゃんに交代。 部屋割りかぁ。やっぱこういうのは、いくつになってもドキドキするもんよね。 4人部屋の…8部屋で一部屋だけ二人? 「あー、そうそう。この中で、二人部屋がいい人っていますか?」 ……二人部屋? 「ハーイッ!」 挙手したのは、命さんだった。 「あのっ…水散さんと二人部屋がいいなぁ…なんて思うんですけど……、……だめ?」 「他にー……いないみたい、ですね。じゃあ、命さんと水散さんでいいですか?水散さんもオッケー?」 佳乃ちゃんの言葉に、水散ちゃんがコクコクうなずく。 『あの二人ってなんだかアヤシイよね。』 ユビキタスに入ってきた秋巴のメッセージ。 私は小さく笑って、『同感』と返した。 佳乃ちゃんは部屋割りの書いてあるらしき紙に何かを書き足し、そして 「それじゃあ部屋割り発表しまーす。」 と言う。 「一号室から言います。十六夜さん、未姫さん、和葉さん、千景。」 ………はて? また微妙な構成ねぇ…。 それに、佳乃ちゃんと千景ちゃんも一緒じゃないみたいだし。 で、ちょっと関係ないけど、今の佳乃ちゃんの言い方がちょっと変。 最後に千景ちゃんの名前呼ぶ時だけ、妙に冷たかったような…。 …まぁいいか。 「二号室、可愛川さん、七緒ちゃん、Minaさん、深香さん。」 ふむふむ……。 「三号室、呉林さん、私、伊純ちゃん、伽世さん。」 ………ますます謎が深まっていく…。 「四号室、銀さん、妙花さん、高村さん、勅使河原さん。」 …これって、部屋決めの法則とかあるんだろーか?いままではまだ、仲がいい人同士とかだった気ぃするんだけど…。 「五号室、憐さん、蓮池先輩、都さん、冴月ちゃん。」 ………憐ちゃんと式部さんと冴月ちゃん。 ……またまたなんて微妙な。 和葉ちゃんと秋巴とも別かぁ…。 「六号室、柚里ちゃん、真喜志さん、秋巴さん、水戸部さん。」 秋巴はこんなところに。 ふーむ……。 「七号室、三森さん、遼ちゃん、夜久さん」 ………。……あれ? ……これって、もしかしてー… ……いや、どうかな… 「それと、8号室を命さんと水散さんで使ってもらいます。」 ………やっぱり…そうかも…… ……だよね…。 「千咲ちゃんは…別のところで、今後どうするか決めるまではじっとしててもらってます。皆さんは…あんまり近づかないようにしてください。」 あ、い、い、い、……え、お… ガタンッ 私は勢いよく立ち上がり、 「質問!」 と言って手を挙げる。 「は、はい?なんですか?」 「ねぇ、今回の部屋割りって、どうやって決めたの?」 そう聞くと、佳乃ちゃんは小さく笑って、 「わかる人、います?」 と聞き返す。 「………まさかとは思うけど…」 「…はい?」 「………五十音順なんてことは…」 ……部屋に沈黙が流れる。 そして… 「すっごーい!よくわかりましたね!」 ………やっぱり…。 「ご、五十音順って…」 「五十音……」 そんなひそひそ声がどこからともなく聞こえてくる。わかるわ。よぉくわかるわその気持ち! 「でも、結構バランスいいのよね。」 ポツリと言った蓮池さんの言葉で、また沈黙が訪れた。 ……確かに。 そう言われてみると…、……確かに……。 「さすがは部屋割り職人小向ね。」 蓮池さんのその言葉で、すべてが終わりとなった。 ……さすが警察……。 |