「人身売買…!?」 思いも寄らぬ返答に、私―――可愛川鈴―――は思わず聞き返した。 「……ええ。出来るだけ誰にも話さないように、と思っていたの。知れ渡って、得することもないでしょう。」 神妙な面持ちで話す蓮池。 「そうか……。」 「具体的には、人身売買のアシスタントのような仕事ね。」 「それは犯罪ではないのか?」 「ええ、犯罪よ。彼女がこの仕事を行っていたのが13歳から16歳までの時期。それからブローカーが逮捕され、彼女も少年院に入れられたわ。」 「十三から十六……そのブローカーとの関係は?」 「拾われたらしいわ。一応、育ての親ってところかしら。」 「ふむ…。」 「少年院の中で、奇怪な行動を見せ始めたのが17の誕生日を迎えてから。言いにくいことではあるんだけど……その、深夜に、…」 「言わなくていい。それは…わかっている」 「そうなの?あぁ…そういえば相部屋だったわね。」 「ああ。」 「優良な模範生として出所。けれど、そのことが病気につながっているのではないかと心配した人間がいてね。一応未成年でもあるし、警察の保護下に置かれたってわけ。」 「……なるほど…。………その、人身売買の仕事内容についてだが…」 「詳しくはわからないけど、確か…幼い少年を専門としていた、って聞いたわね。」 「少年を……。」 「彼女……逢坂さんのことで私が知っているのはこれだけ。」 「ありがとう。非常に参考になった。」 「…成る可く、他の人には漏らさないでね」 「心得ている。」 私はもう一度、蓮池に礼をし、逢坂の元に急いだ。 部屋でぼんやりと過ごす時間が長い。 他にすることもないし、したいこともない。 これなら、少年院にいた時の方がよっぽど暇しなかったし、充実してた……。 ……なんて、ね…。 ソファに座って、娯楽室から持ってきた雑誌を眺める。 ガチャ ドアが開く音がした。 「おかえりなさい。可愛川さん。」 私―――逢坂七緒―――は小さく笑んで挨拶する。 「逢坂、聞きたいことがある。」 彼女が戻ってきて早々に言った言葉に、私は表情を曇らせる。 「………聞かれたくはないかもしれんが…答えろ。」 「……答えられる…範囲なら…」 私がそう言うと、可愛川さんは私の隣に腰を下ろした。 「いいか、まず言う。お前には霊がついている。」 「………。」 「その霊が何者かを突き止めるためだ。協力しろ。」 「…別に、害がないんだからいいじゃないですか…」 「よくない。害はある!……逢坂、お前のこれまでの経歴は聞いた。」 「経歴って言うと…」 「…人身売買のアシスタント、その後の少年院入所」 「聞いた…んですか…。」 「ああ。…これまでお前が生きてきた中で、身近な人間が死んだ事はあるか?」 「身近な人間…?さぁ。ブローカーのあの人は生きてるかどうかわからないですし…。…身近じゃないけど、仕事上、商品が死亡することも稀ではありませんでしたけど…。」 「…ふむ…。…そのブローカーの男とは、肉体関係はあったのか?」 「え…?いえ、そんなのありません…」 「では売買した少年とは?」 「………、…時々…、…そのぉ、機能確認のために…。」 「その、肉体関係を結んだ少年の内、死亡したのは何人くらいいる?」 「そんなのわかりません…お客様にお売りした後のことは認知しませんから。飼育中に死亡するケースもたまにありましたけど。」 「………そうか…。」 可愛川さんはそこで小さく頷くと、私に問うのを止め、何やら考え込んだ。 「……何故、可愛川さんは……」 「ん?」 私は疑問に思ったことを口に出す。 「なんで霊を…放っておかないんですか?」 「…私は陰陽師だ。そんな真似は出来ん。」 「霊って、やりたいことがあるから、この世に残ってるんじゃないんですか?」 「そうかも知れん。しかし、霊…則ち御魂とはこの世に存在してはならん存在だ。」 「人間が……困るから、ですか?」 「いや。霊自身が苦しむことになる。」 「霊…自身?」 「そう。運命に逆らいこの世に残るということは、則ち神をも逆らうということ。万が一神のお怒りに触れれば大変なことになる。」 「大変なことって…?」 「その御魂の後生だ。はっきり言って、不幸だらけの一生になるのであろう…。」 「………。」 「……お前、霊をかばっているのだろう?生前に仲の良かった者か?」 「…………」 「言わねば、今言ったように…」 …。 可愛川さんは、しばし私を説得するように言葉を続けていた。 けれど、そんな言葉殆ど耳に入っていなかった。 「不幸だらけの一生になる」。 その言葉が、頭の中に残って離れず、ぐるぐる回った。 …あの子が、不幸になるなんて。 そんな…。 ………せめて次の人生くらい、幸せになって欲しい。 私は、それを願わなければ…ならないの。 …。 どのくらい時間が経ったのか、私のだんまりに説得する術もなくしたらしい可愛川さんを見上げ、私はポツリと言った。 「ビューティフルボーイ…です…」 可愛川さんは、僅かに眉を顰めて聞き返す。 「……どういう意味だ?」 私は下を向いたまま、言葉を紡ぐ。 あの子が不幸になるなんて……嫌よ…。 「…その名の通り…本当に美しい少年だったんです……」 「………」 可愛川さんは私の次の言葉を待つように、じっと耳を傾けていた。 「戒斗(カイト)…恩田戒斗。私が16の時、彼は12歳という幼い少年でした。……彼が檻に運ばれて来た時…私は、驚きました。……あんなに美しい少年がいるのか、と……」 あの頃の記憶が蘇る。 華奢な身体。灰色のボブヘア。鋭い瞳。その目の奥にある光と闇……。 牢の隅にうずくまった戒斗の姿に……私は…… 「…私は何度も彼を抱きました。私が一方的に、ブローカーのいない時間に彼を連れ出して……」 誰に話しているのか、ふと忘れそうになる。まるで独言のように、私は言葉を続けた。 「………彼を、…愛していました。…愛していた……だから………」 「……だから…?」 私は小さく息を飲んだ。 可愛川さんの視線を感じる。 見ないで……聞かないで…… ……こんなこと…っ…… 「……私は彼を……… ――――殺しました。」 「…………」 「…………………誰にも渡したくなかったんです。私だけのもの…。…私だけの…」 突然、可愛川さんに両肩を掴まれた。 「いたっ…」 鋭い目線、強い眼光、可愛川さんはじっと私の目を見つめる。 「……怨霊か…悪霊か…?お前に恨みがある人間だとしたら……」 「恨みなんて…。……だって、戒斗、いつも言ってくれます。『七緒のことを愛してる』って……」 「いつも?」 「……………。」 「…夜な夜な、少年に犯されているのと違うか?」 「…、犯されてなんか…いません…。…ただ、…愛し合って…」 「相手は霊だ。わかっているのだろう?」 「………霊だって…そんな……」 「…お前が殺したのだ。」 その言葉に、瞳から涙が零れる。 私はずっと一緒だった。 彼に手をかけたあの瞬間から、ずっとずっと彼と一緒にいた。 「除霊を行う。ついて参れ。」 「いやですっ…」 「いい加減にしろ!」 「………お願いです…今晩だけ…、…今晩だけ、彼と一緒に……」 「………。……仕方あるまい。では明日の朝9時。地下2階の和室を使おう。」 「…わかりました。」 私が頷くと、可愛川さんは立ち上がって私の頭にそっと触れた。 「…………。」 何も言わなかったが、なんだかすごく優しさを感じた。私はまた涙が溢れてきて、しばらく一人でソファで泣きじゃくっていた。 今もそばにいる。戒斗。 ……愛しているわ。 「和葉ちゃん、いる?」 「…Hi,都。和葉なら奥にいるわ。」 「お邪魔します。」 私―――伴都―――は和葉ちゃんとMinaちゃんの部屋にズカズカと入り、奥のベッドでうつ伏せになっている和葉ちゃんのそばに来る。 「話しがあるの。ちょっといい?」 「………なん…ですか?」 和葉ちゃんはベッドにうつぶせたままそう言った。 「二人っきりで話したいの。」 「…………。」 「私の目ぇ見なさいよ。怒るわよ?」 いつもよりも厳しい口調で言う。 すると和葉ちゃんはむくっと起き上がり、不機嫌な様子で私を見上げて言った。 「なんでしょうか?」 「………ったく。ちょっと来なさい。」 「きゃっ…!やっ、ちょっと!やめて!」 強引に和葉ちゃんの手を取り、引っ張っていく。 部屋の外まで引っ張り出すと、勝手にドアが閉じる。 和葉ちゃんと仲のいいMinaちゃんだけど、今回ばかりは私に協力姿勢だ。 「ど、どこ行くんですか?!」 「トイレ!」 「はぁ!?」 有言実行。私は大衆用のトイレに和葉ちゃんをつれてきた。 そして奥まった所にある、洋式の個室に二人で入る。 少し窮屈な感じもするが、二人っきりで話すには打って付けの場所だ。 「な、なんでこんなところ……」 「こういう至近距離にいると、本音も零れやすくなるのよ。」 「……そうなんですか?」 「そうなの。さて早速本題に入ります。」 「はい。」 「……和葉ちゃん、あの時、仕事を邪魔されたから怒ってるって言ったわよね?」 「はい。」 「……つまり、エッチだけじゃなしに、あの帰り道さえも和葉ちゃんからしてみれば仕事だったわけだ。」 「そうです。」 「……じゃあ、あのプリティーさとか、思わず抱きしめたくなるような可愛さも演技だったんだ。」 「………演技ですよ、そりゃ…。」 「……ふぅん。」 「なんか誤解してません?」 「……何を?」 「……演技って、そんなのするに決まってるじゃないですか。好きな人を前にして、いつも通り振舞える方がおかしいですよ。」 「……好きな人…?…何、わけわかんない。仕事なんじゃないの?」 「………そういう仕事なんです。あのひとときひととき、すべてをお客様に費やすこと。お客様を心から愛すること。…そして、愛されること。」 「…………」 こっちが強引につれてきたわりには、私のほうが話しに飲まれてる。 あの時みたいなふにふにした感じとは、ちょっと違う。 キッと私を見据える瞳に吸い込まれそう。 ……あの時とは全然違う魅力。 「聞いてるんですか?」 「あ、ああ、うん。聞いてる……」 「………意味、わかってます?」 「…………えーと…、…」 「要するに、大好きな人と一緒にいる時間を邪魔されたようなものなんです。恋人じゃないからずっと一緒にいられない。今のこの時間を大切にしなきゃいけない。この時間が永遠に続けばいいのに…!……っていう時に邪魔されたんですよ?しかもキスまでして!怒らないわけがないでしょう!?」 「………な、なんかさ……その、大好きな人っていう枠に私が入ってたっていうのが未だに不思議で仕方ないんだけど……」 「……今の私と仕事中の私って、少し違いますからね。こっちが私の本性かもしれませんけど」 「…いや、でもね…、……今の和葉ちゃん、すんごい可愛いよ…」 「……は?…な、何言ってるんですか?」 「………キスしてもいい?」 そう言いながら、私は和葉ちゃんを壁に押しつけた。 「やっ……、…み、都さっ…」 こうして考えると、トイレの個室ってのは迫るのにも有効だわ。 私はゆっくりと顔を近づけ、和葉ちゃんにくちづけをし…… ゴン。 突然、後頭部に鈍い痛みが走る。 「なーなーなー!!?」 後頭部をさすりながら辺りを見回すが、これと言って目立つものはない。 ふと、足で何か蹴った感覚があり、下を見る。 紙に包まれたなにやらが落ちていて、それを拾う。 「何これ……。」 紙を剥ぐと、中から300グラムの鉛が出てきた。そして紙には 『FBより。』 と一言。 ……上か。 よくよく見ると、屋根裏へ続くと思われる天井の一部がずれている。 ったく……何やってんのよアイツ…。 ……あ? ふっと和葉ちゃんを見ると、下を向いたまま僅かに震えていた。 「か、和葉ちゃん……?」 「最っっ低!!!!」 そしてキッと上を見上げ怒鳴る。 「なんなのよ!?なんでいつもいつも邪魔ばっかりして!都さんのこと好きならはっきり言いなさいよね、そんな回りくどいやり方なんかして卑怯よ!」 その目の端には涙が溜まっていた。 か、和葉ちゃん…… 「やぁ、ごめんごめん。」 ひょこ。 「のゎ!?」 「きゃ!?」 突然、隣の個室から仕切り越しにFBが顔を出した。 「い、いつからいたの!?」 「さっきから♪」 にはは〜と楽しげに笑むFB。 それとは対照的に、悔しそうな表情の和葉ちゃん。 「……さっきから話しを聞かせてもらったんだけどね。」 「盗み聞きなんて…ヤな趣味ですね。」 「うん。都と和葉ちゃんのことが気になったからね。」 和葉ちゃんの皮肉にもめげず、笑顔でそう言うFB。 そんなFBが、ふっと表情を変えた。 笑みは笑みでも、今までの陽気な笑みではない。どこかクールでカッコいい笑み。 「私が思うに……和葉ちゃんってやっぱ、都のこと好きなんでしょ?」 「………え?…な、何言ってるんですか…」 …本人がいる現場で恋話ってのもこっちが小っ恥ずかしいよ……ドキドキ……。 「だって今は仕事中じゃないじゃん。なのになんで怒るのかなーってね。」 「…や、そ、それは…その……」 困惑した様子で俯く和葉ちゃん。 …やばい…めっちゃ可愛い……。 「…でも、私も都のこと好きだからね。」 「……へ?な、何いってんの?」 今度は私が動揺する番だった。 FBは薄い笑みを浮かべたままだ。 「…ちょっと…FB……。」 「……本当だよ。衝撃の告白。…前からずっと好きでした。」 「………、………。。。」 困惑のせいで言葉も出ません……。 「だから和葉ちゃんに都は渡さない。」 「……っ、私だって、FBなんかに都さんを渡したりしません!」 「……ふふ、その意気っ。張り合いがあるよ。……宜しくね、ライバル。」 FBは小さく笑んで、姿を消した。 「…都さん〜……」 「は、はいっ?」 涙目の和葉ちゃんに名前を呼ばれ、私はなんだか緊張してしまう。 和葉ちゃんはそのまま、トスンと私に抱きついた。 「……わけわかんない……、……いつの間に私…都さんのこと、本当に好きになっちゃったんだろ…?」 「……本当なの…?ねぇ、FBの言葉に挑発されてとか、そんなんじゃ…」 「………私、さっきキスされかけた時、すごくドキドキして……嬉しかったです…。だから、邪魔されてすんごく悔しくてっ!」 「…和葉ちゃん…、…やーもう…可愛い…」 むぎゅー。 私は衝動的に和葉ちゃんを抱きしめる。 本当に可愛い。どうしてこんなに可愛いんだろ。可愛いよぉ…。 「都ー?いるんだよねー?」 はっ? 「あ、杏子だ。……」 「あっ、い、いいですよ、行ってください。私、後で出ていきますから。」 「……うん、ごめんね。」 もう一度きゅむっと和葉ちゃんを抱き、そしてトイレを出ていった。 トイレの外には杏子がのほほんと立っていた。 「どしたの?」 「うん、特に用事はないんだけどね〜」 「ってか、なんで私がトイレにいるってわかった?」 「偶然〜。」 のほほん杏子と一緒に廊下を歩きながら、私は可笑しくて笑ってしまった。 「どうしたの??」 「いや、…あはは、なんでもないっ」 何故かわかってしまった。 怪盗の勘というやつか。 今、隣にいるレディーは、杏子ちゃんじゃなくてFBだってこと…♪ カチャッ そーっとドアを開けると、部屋の中は淡い光が灯っていた。 ダウンライトだ…ってことは、今はいないのかな……? あたし―――三宅遼―――はそっと室内に足を踏み入れる。 なんでこんなに緊張しなくてはいけないのだろう。元もとはあたしの部屋なのに…。 ガチャッ 「わ!!?」 突然、あたしの目の前にある室内のドアが開いた。 「あ……?」 ドア…つまりシャワー室から出てきた女性。 実を言うと初対面だったりする。 あたしは、正直言ってその女性に見とれた。 白い肌、そして本当に真っ白の髪。 神秘的な感じがした。 「あの…保科サン、……ですか?」 「…そう。」 彼女はコクンと頷いた。 「……っていうか……、………」 「?」 だ、大胆な人……。 彼女は全裸のままでシャワー室から出てくると、部屋の着替えをゴソゴソやり、下着なんかを付け始める。 「あ、あたし、この部屋で同室になった三宅遼です。えと、元もとこの部屋だったんだけど……」 「話し、聞いた。付き添いやってたって…」 「はい、…えと、その付き添ってた人がだいぶん回復したので、あたしも自分の部屋に戻るようにって言われて。」 「……よろしく。」 「こちらこそ」 保科…柚里、さん。 なんだか不思議な迫力のある人だ。 服を着終え、保科さんはじっとあたしを見つめる。 「…いくつ?」 そう問われただけなのに、なんだか妙にドキドキしてしまう。 「十七…です。」 「…そう…」 「保科さんは?」 「私は…、……21…、…………………………………んー、違う、22……。」 「………。」 微妙な間が、なんとも絶妙。 天然ボケも持ち合わせてるのかも…。 「あ…、22だ…。もう、1月25日過ぎてる?」 「過ぎてる。つい最近が誕生日だったんだ」 「みたい。」 「そ、そっか……。」 不思議な人…。 このペースについていきにくい。 佳乃ちゃんの従姉妹っての、なんかわかる気がする。 佳乃ちゃんのマイペースを500倍くらいにアップさせた感じ。 「…遼…嬢。」 「嬢? …いや、遼…でいい、…です。」 「遼。……緊張してる?」 「え?い、いや、…うーん……」 「…私のことは、柚里ちゃんもしくは柚里さんと呼んでくれると一番オーソドックス。」 オーソドックスなんだ…。 「それから、敬語はしなくていい。」 「わ、わかった。」 「以上。」 以上て…。 「あ…、……遼、…せっかく相部屋になったのだけど…」 「うん?」 「ここにいられなくなる可能性がある。」 「へ…?……なんで…?」 「なんででも……。…というか…そんな気がする…。」 「そ、そうなんだ…。」 「………気をつけて。」 「………。」 彼女の言葉は、嘘に聞こえない。 彼女があるっていったら、絶対になにかあるような、そんな…恐怖。 ………変な人だけど…… それだけじゃない。 何か特別なものを持ってる。 ………すごい…。 「逢坂…?」 目覚めて一番。 私―――可愛川鈴―――は隣のベッドを見る。 …しかし、そこは藻抜けの殻だった。 「………」 わずかな不安を感じ、室内を探すが逢坂はいない。 私は部屋を飛び出した。 「おはようっ、可愛川さん。」 廊下。私に声をかけたのは志水だった。 すぐに私は尋ねる。 「逢坂を見なかったか?」 「逢坂さん?あぁ、さっき会ったよ。すっごい具合悪そうだったから、大丈夫?って聞いたら、トイレにいくから大丈夫です…って」 「そうか。ありがとう。」 私は彼女に簡単な挨拶をし、トイレに急いだ。 ピチャン。 トイレに入った瞬間、異様な霊気を感じる。 「逢坂!いるのか!?」 私の声に返事はなかったが、奥からゴホゴホと咳が聞こえた。 私は一番奥のトイレに向かう。 扉が半分だけ開いていた。 急いで扉を開ける。 「……逢坂!」 そこには、洋式トイレにもたれ、ぐったりしている逢坂の姿があった。 便器の中の水は真赤に染まり、また逢坂の口の回り、衣服にも血液がついている。 「大丈夫か?逢坂!」 「う…、……ゲホッゴホッ…!」 逢坂が咳をする度に、その喉の奥から血液が溢れる。 「霊の仕業か…!」 「…えの、かわ…さん…、……彼を、責めないで……」 「しゃべるな。」 私は逢坂をそっと抱えて楽な体勢に寝かせると、 「待っていろ。」 そう言ってトイレを出る。そしてありったけの声で叫んだ。 「誰か!誰かおらぬか!?」 「ど、どーしたんですか?」 廊下の向こうから小走りにやってきたのは、警察の小向だった。 「逢坂が吐血している。誰か詳しいものはおらんか?」 「吐血!?……わ、わかりました、悠祈さんを呼んできます。」 「頼む。出来るだけ急げ!」 「はいっ!」 小向は廊下を走っていった。 各々の部屋から近い場所だったのが幸いし、小向は悠祈を連れてすぐに戻ってきた。 「奥だ」 私はトイレの奥に促す。 「はいっ」 私たちは逢坂を囲むようにし、様子を見守る。 「…何が原因かはわからないですが…応急処置です…。」 悠祈はそう言うと、逢坂の口元から喉、そして胸元辺りをそっと撫でる。 その手の周りが発光しているように見える。 「これは……」 「……奇跡…です。」 悠祈はポツリとそれだけ言って、手を逢坂の胸元に当て続けた。 小向は、取ってきたティッシュペーパーで地に塗れた逢坂の口元を拭う。 「可愛川さん、一体何があったんですか?」 「…わからん。おそらくは霊の仕業であろうが…」 「…霊…?」 「そうだ。逢坂には霊がついて…」 「ゲホッ!」 私と小向の会話は、逢坂の咳によって止められた。 紅い血が飛び散り、三人にも少しずつかかった。 「っ…」 見ると、悠祈の額に汗が浮かんでいる。 彼女の力は霊力に近い存在かもしれない。 相手は霊、しかもかなり強力な。 …精神力を酷く消耗するのも当然だ。 「……やっ…!」 悠祈が何かに耐えるような表情になった。次の瞬間… 「きゃぁあっ!」 「悠祈さん!?」 悠祈は何かに弾かれるように、飛ばされた。 崩れ落ちた悠祈に小向がかけよる。 悠祈は息も絶え絶えで、これ以上の『奇跡』は不可能と思われた。 私はその場で正座し、両の手をしっかりとついて祝詞を紡ぎ始める。 それをしばらく続けた頃、感じるものに目を開いた。 逢坂に付き添うように、一人の人間の形が見えた。 それは逢坂が言っていたように、まぶしいほどの美少年であった。 『……どうしてボクの邪魔をするんだ。』 まだ幼さの残る声で、私に問う。 「お前が、この世に存在してはならぬ者だからだ。」 『そんなの関係ないじゃないか。ボクと七緒は愛しあってる。それでいいじゃないか!』 「ならば何故逢坂を傷つけた?」 『ボクと七緒は永遠に一緒なんだ。七緒、言ったんだよ、ボクと一緒に来てくれるって』 「…それこそが過ちだ。お前は霊の身分を弁えろ。」 『関係ないよ…!だって、七緒が言ったんだよ?七緒はボクと一緒なら死んでもいいって言ったんだよ…!!』 「……逢坂がそれを許しても、私は決して許さぬ。成仏しろ。」 『いやだ!』 フッ… 少年の偶像が消えた。 おそらく逢坂の中に入り込んだのであろう。 私は手を合わせ、また祝詞を紡ぐ。 今度は封じ込めの祝詞だ。 私が無理矢理成仏させることは出来ぬ。 逢坂がこの少年の存在を消したいと願わぬ限り、少年が成仏することはない。 また少年が逢坂を傷つけぬよう、ひとまず封印しておくのだ。 全ては逢坂自身にかかっている…。 「どうしてこんなに……。」 「うん…?」 ポツリと零した珠博士の言葉に、私―――銀美憂―――は首を傾げる。 「いえ…この施設を熟知しているような作業に…感動してしまって。…銀博士と言えども…」 「あぁ…。ここと類似した場所をいじったことがあってな。」 「そうだったのですか。」 「……お台場の」 ポーン 「あ…、失礼します。」 私の言葉を遮って、珠博士は頭をさげてインターフォンに向かう。 「ハイ?」 『あ、…十六夜。』 「千咲……、どうしたの?」 …チサ。 あの後、珠博士は「部屋に戻って少し話しを聞いてあげたら、すぐ機嫌は直った様です。まだ子供ですから…」……と、言っていた。 とは言えやはり、気になる存在ではある。 根本的なことは何も解決していない。 『少し十六夜とお話したいなーっと思って。だめ?』 「…ちょっと待って。」 珠博士はインタフォンの通信を保留にし、私の方を見た。 「構わん。…様子も見ておきたい。」 「はい。」 珠博士は小さく頷き、インタフォンを繋げて 「いいわよ。入って。」 と微笑し、ロックを外す。 フウウン… 扉が開き、チサは入ってきた。 ………いつもと違う。 幼女のように、母親に飛びついてくるあの勢いがなかった。 珠博士も少し不思議そうな顔をしている。 「…おじゃまします。」 チサは小さく笑み、私たちの傍までやってくる。 「…千咲?何かあった?」 珠博士は心配そうに問うが、チサは至って普通そうに、 「え?別に何にもないよ。」 と言う。 その物言いも、いつもと違って見えた。 大人びているのだ。 ……まるで、成長したかのように。 「………」 珠博士は僅かに眉をしかめ、チサを見つめていた。 「……十六夜、怖い顔。」 「…あ…、ごめんね。…」 「あっっ、そーだっ!あのね十六夜、チサおトイレに行きたいの……ついてきて?」 「え?トイレくらい一人で行けるでしょ?」 「うー。でもね、昨日の夜におトイレに行った時ね、ガタガタッって音がしたの!」 「……怖い…の?」 「うんうんうん。お願いっ十六夜っ!」 「………仕方ないわね。」 珠博士は微苦笑を漏らす。 チサの子供らしい願いに安堵したのかもしれない。 「すみません博士、ちょっと行って来ます」 「ああ。」 「いざよいーぎゅぅー」 珠博士に抱きつきながら歩いていくチサ。 その姿をじっと見つめる。 ……… …………! ふっとチサがこちらを見た。 どこか冷たい眼差し。 背筋が凍るような、そんな冷たさ。 ………いや…、気のせいかもしれない。 少し過敏になりすぎているか……。 制御室を出てから少しして、私―――珠十六夜―――より少し先を歩いていた千咲が急に立ち止まった。 「? どうしたの?」 「やっと二人っきりになれた♪」 千咲の嬉しそうな声が廊下に響く。 二人っきり…? 「十六夜」 ふっと千咲が振り向く。 その瞬間、身体中の血液がドクンと波打った。 振り向いたその一瞬。 『チサ』の顔が、『千咲』に見えた。 私の研究所に運び込まれた『米倉千咲』。 今の千咲とあの時の千咲、外見で言えば変わった部分は耳と髪の毛だけ。 けれど…、…なんだろう。 何かが違う。 今、私の目の前にいるのは…… 「…あなたは…アタシをこわした…。」 ………千咲が紡いだ言葉の意味を理解するのに、…時間がかかった。 「……許さない。」 「…千咲!」 「軽々しく呼ばないで。保護者づらして…何様のつもり?」 …どういう…こと……? あれはおそらく、私の研究所に来る以前の千咲。 でも……どうして…!? タンッ 千咲は軽いステップで地面を蹴り、私に接近する。 「っ!」 武術の心得のない私は、上手く避けることも出来ず、冷たい床に腰をついた。 「……!」 次の瞬間、私の喉元には小型のナイフが突きつけられていた。 「やめて…」 「……どうしようかなぁ…」 クスクスと、いたずらっぽく笑う千咲。 …ビリィィィ! 繊維の破れる音。 首から胸元、そして腹部にかけて、洋服を無惨に破られた。 「…ちょっとでも抵抗したら、喉に突き刺すからね。」 「………っ…」 千咲の小型ナイフが、私の下着をもあっさりと切り落としてしまう。 白衣、その下の前の破れた服、…その隙間から、乳房が零れる。 「…大きいんだねぇ。」 「………」 千咲の手が私の乳房を滑る。 突然、ぎゅっと握り潰すように私の乳房を掴んだ。 「ゃあっ!」 その痛みから、小さく悲鳴を上げる。 それを聞いた千咲は、更に楽しげに笑う。 やがて千咲の手は、私の下半身に向かった。 躊躇う様子もなく、ナイフで衣服を切り裂き、下着までも切り取ってしまった。 「…ココ、切りつけたら痛そうだよね。」 千咲はそう言いながら私の秘所に冷たいナイフを押し当てる。 「…やめて…」 押し殺すような声で、小さく抵抗する。 無意味ということは、わかっていた。 「嘗めて」 指が二本、私の唇に押し当てられる。 …逆らうことは出来なかった。 私は千咲の指を口に含み、唾液を絡めて嘗める。 「……エッチなんだね。すごい上手。…キャリアってやつかな?」 「ン…、……」 千咲の言葉に顔を赤く染めながら、私は指をしゃぶり続けた。 「…もういいよ。」 千咲の指が私の口から引き抜かれ、そしてそれはまた下半身に向かった。 私の唾液で生暖かい千咲の指が、私の膣口に宛てがわれる。 「ん、…っ……あッ……!」 その指が、私の中に侵入してくる。 恐怖から、私のそこはあまり潤ってはいなかった。 私の唾液だけを潤滑油とし、少し無理矢理とも言えるほどの感覚で、侵入を続ける。 「…い、た……っ…!」 あまりの苦痛に私は声を上げた。 「十六夜のここ、ヒクヒクしてるよー。…もっと欲しい?」 千咲の言葉に、私は首を横に振る。 「素直じゃないよね。」 千咲はクスクスと笑み、そして指を更に一本増やした。 「っやあぁ!!」 千咲はぐちゃぐちゃの私の中を掻き回す。 いつからか、私の奥からは白いネバネバとした液が溢れていた。 「ほらぁ…すっごいスムーズになった。」 「やっ、んあぁっ!」 レイプのような酷いことなのに、それを快感として受けとめてしまう自分の身体が恨めしかった。 「十六夜の泣き声って可愛いね。女の子みたい。」 「いや…、やめ、て…」 すっと、千咲の指が抜かれていった。 不思議に思った次の瞬間、私の膣の中に酷く冷たい感覚があった。 「っ…!?」 「動くと切れちゃうよ。」 「ひっ……」 ナイフ…。 あの尖ったナイフが、私の中に…! 「あっ、ぁぁっ…!」 ナイフを壁にペタペタと付けられ、私は限界に近かった。 こんな刺激…初めて…。 ナイフの先が、ほんの一瞬子宮に当った感覚。電気が走ったように身体が震えた。 「あっ、あぁっっ!」 ビクン、と身体が震える。 その瞬間、膣の中に激しい痛みが走る。 「ん…は…っ…!」 イッてしまった。 ナイフが引き抜かれる。 どろっと身体の外に零れる液体。 「あーあ…切っちゃったね。痛い?」 血液も一緒に流れたのだろうか。 酷く、痛む。 「でも、別にこんな痛みどうでもいいよね」 クスクスと笑んで言う千咲の言葉に、ほんの一瞬だけ疑問を抱いた。 しかしそれはすぐさま、掻き消された。 「十六夜はもっと痛い目に合うんだから。」 喉に何か冷たいものが触れた。 それは、ほんの一瞬だけ。 次の瞬間には、喉が熱くて仕方なかった。 ドクンドクンと血が騒いでいる。 …息が出来ない。 視界が霞んで何も見えなくなる。 何も聞こえない。何も…… ドサッ… 自分の身体が地面に崩れ落ちたことさえ、遠くに感じる。 どれくらい時間が経ったのだろうか。 「十六夜…!」 愛しい声。 美憂の声が聞こえた。 どっと押し寄せる安堵感。 美憂が傍にいてくれる… もう、このまま眠ってしまおう…。 「……あれ…?」 私―――乾千景―――は、廊下の向こうからやってくる人物に気づき、首を傾げた。 ……千咲ちゃん…? その手にしているのは…… 「…ま、待ちなさい。」 私は彼女から5メートルほど離れた所で、彼女を止める。 「……何?」 「そのナイフ、どうしたの?その赤い液体は……何…?」 聞かずとも、それが血液なのはわかった。 しかしそこに血液のついたナイフを持った千咲ちゃんがいるという事実が信じられなかった。 「……ナイフは、食堂にあった。赤い液体?…血だけど。」 違う…いつもの千咲ちゃんじゃ…ない… 「血って…誰の…?」 私がそう聞いた。 すると、千咲ちゃんはクス、と楽しげに笑みを浮かべた。 「これはね……十六夜と…」 次の瞬間、ふっと千咲ちゃんの姿が消えた。 「千景の血!」 やっ… 目の前でナイフが光った。 っ…! キュン! ……殺されたと思った。 自分が。 ………けど、生きてる…。 「バカ!気ぃつけろ!!!」 その声にゆっくりと目を開けると、レーザー銃を手にした憐の姿があった。 そして床に崩れ落ちた千咲ちゃん。 首筋に当たったらしく、出血はしていないものの気を失っている様だった。 「珠とか言ったか、科学者の女がそいつにやられた。重症らしいぞ。」 「…重症!?」 憐は親指で自分の喉をシュッと示す。 「喉、かっ切られたってさ。」 「喉……!」 「アタシはそのガキ、医療室に連れてくから。お前は急いでいってやれ!」 「わかった。…ありがとう、憐。」 私は強く頷き、医療室に向かって駆け出した。 途中、制御室に繋がる廊下のところに『立入禁止』と書かれた札が置いてあった。 おそらく現場か…。私はその札の奥、角を曲がったところをのぞき込む。 ……息を呑んだ。 そこは、一面血の海だった。 あんなに…出血してるなんて…! 私は驚きを隠せなかった。 …もしかしたら、命も危ないんじゃ…。 医療室の前では、遼や冴月、伽世ちゃんや和葉ちゃんなど、心配してか数名が集まっていた。 フウウン 焦る気持ちを押さえ、医療室へ入る。 「……。」 医療ポッドが変形し、手術用の台のようになっていた。 その上に寝かされた全裸の十六夜さん。 「様態は?」 医療室にいるのは美憂ちゃんと水散さん。 「オペが必要だ。今から行う。」 「そう…。…助かる…?」 「…わからない。」 「………。」 「……助手としてもう一人欲しい……誰か、医療の経験があるものはいないか?」 「医療の経験…。…ちょっと待って。探してくる。」 「駄目ならばお前に頼む。急いでくれ!」 「わかった。」 私は医務室を出ると、集まっている数名に問いかける。 「ね、誰か医療の経験とかない?」 「医療の?…ないよ、そんなの…」 「私もない……」 しかし集まっていたメンバーは、首を横に振った。 「あ、ちょっと待ってて。」 遼がそう言い、廊下を走っていった。 私は施設内を走り回り探したが、ほとんどの人が経験はないという答えだった。 そして再び医務室前に戻ってきた時、 「千景ちゃん!いたよ!」 という言葉に私は驚く。 「柚里ちゃん。」 そういって遼が押し出す。佳乃の従姉妹っていう…… 「医療という程じゃない。でも知識はある。」 「OK、お願い!」 私は彼女を医療室に促した。 中では、既に手術が始まっていた。 「手伝います。」 素早く準備や消毒を終えた柚里ちゃんは、美憂ちゃんの向かい側に立ち、手際よく手術に加わっていった。 ………。 私が医務室から出ると、皆はあるソファの周りに集まっていた。 「どうしたの?」 「千景ちゃん…。ねぇ、千咲ちゃんって…」 冴月が怪訝そうに言う。 ソファに横たわっている一人の少女。 ……その肩や胸の部分には、金属でできたプレートが宛てがわれていた。 「これ、は……」 私は息を呑む。 集まった一同は、唯、驚く事しかできなかった……。 「こんにちは、三森さん。」 トントン。 いつものようにドアをノックし声をかけると、すぐにドアが開く。 「こんにちは、佳乃さん。」 そして三森さんの柔らかい笑み。 「ご飯、食べませんか?」 私―――小向佳乃―――が言うと、 「あ、はい」 彼女は小さく頷いた。 最近はいつも彼女を誘ってお昼御飯。 朝に七緒さんの……あんなことがあっただけに、私は食欲があまりなかった。 三森さんと二人で廊下を歩きながら、私はふと思った。 「……なんか、人が少ない気がしません?」 三森さんにそう聞くと、彼女は少し考えて、 「そういえばそうですね…」 と頷く。 不思議に思いながらも食堂に到着。 しかしここも、いつもは絶対何人かいる場所なのに、今日は誰一人としていなかった。 「おかしいなぁ……。」 首を傾げながら、自動クッキングマシーンでお粥(梅干しつき)を作る。 三森さんはおじやだった。 席に着いて、 「いただきます。」 ………。 三森さんって無口だよねぇ……。 いつも、何か考え事をしてるような感じ。 「あのー、三森さん。」 「…あ、はい?」 「今、何考えてたんですか?」 「え?今ですか?」 「うん。」 「……婚約者のこと。」 三森さんはそう言って小さく笑んだ。 ……あぁ…、この笑顔がダメなんだ…。 「…婚約者さんのこと、色々聞いてもいいですか?」 「え、ええ。」 「…どんな…方なんですか?」 「…直瑠(ナオル)って言うんです。24の…同い年。中学の同級生で…その頃からずっと一緒で。少し子供っぽいけど、すごーく優しい人なんです。」 「…直瑠さん…ですか」 …中学の同級生って……そんなに、長い縁なんだ…。 「…本当に、優しい人。」 三森さんはまた幸せそうに笑んだ。 ……あぁ…どうしよう……。 ………。 …本当のこと、言った方がいいのかな。 ……じゃないと、彼女が…… ……本当の…こと…。 「…三森さん。」 「はい…?」 「……聞いてくださいね。」 「?……はい…。」 「……本当は…」 「小向!こんなところにいたの。」 私の言葉を遮ったのは、聞き慣れた上司の声…。 「は、蓮池先輩。」 「もしかして知らないの?珠さんのこと」 「…え?…なにが…ですか?」 「…千咲ちゃんに、殺されそうになったの」 「………えぇ!?」 蓮池先輩の言葉を聞き返す。 …殺されそうに…って…… ど、どういうこと…? 「今は銀さんがオペを行っているわ。」 「オペ…」 「…昼食が終わったら、医務室の前の廊下に来て。できれば三森さんも。」 「…はい。」 「………もう…食べる気しません…」 私は小さく息をつき、レンゲを置いた。 朝あんなことがあったばっかりなのに… ……どうなってるんだろ…。 フウウン 医務室から出てきた私―――銀美憂―――を、皆が注目する。 「…どう、なったの?」 乾がそう問う。 「ひとまずは成功した。…しかし、心拍数も若干弱めで…、おそらく、多量の出血のせいだと思う。…輸血の必要がある。」 「輸血……。」 「設備は整っている。あとは血液を提供してくれる人がいればいい。十六夜は、AB型なのだが…。」 「AB?……また類稀な血液じゃない…誰か、ABの人いる?」 「私!ABです!」 そう名乗り出てくれたのは、志水だった。 「よし、早速検査を行おう。」 「はいっ!」 志水を連れて、医務室に戻る。 中では、悠祈が十六夜の傷のところに手をかざしていた。 科学的には信じられないことだが、その手の平からは僅かに光を放っている。 …今は科学や非科学などにこだわっている場合ではない。 どんな手段を使ってもいい。 十六夜を助ける。……助けたい。 ………あの時、私がもっと早く様子を見に行っていれば……こんなことは……。 「血液型の検査?」 保科に問われ、私は頷く。 「ハイ」 保科が差し出した消毒済みの注射器。 「腕を出して。」 志水が左手の袖を捲る。 そこには、いくつかの注射の跡があった。 「………気にしないでね。」 志水は笑って言う。 おそらくは麻薬摂取の跡。 この瞬間、彼女から輸血用の血液を取ることは不可能だと察した。 念のため、血を抜いて検査にかける。 やはり予想通りだった。 「……だめだ。」 「え?……どうして…?」 「お前の血液には、不純物が混じりすぎている。」 「不純物…。」 「………心当たりがないとは言わせん。」 「…………そっか。…あはは、ごめんね。せっかく同じ血液型だったのに……」 「……いや。…ほかのAB型を探そう。」 私は志水を連れて医務室を出た。 「どうだったっ?」 乾の言葉に私は首を横に振る。 「…あぁ…、そう…。」 落胆した様子の乾。 「あの、調べた結果、AB型はあと一人…可愛川さんだけ…です。」 小向の言葉。 「そうか。で、その可愛川はどこにいる?」 「ここだ。」 廊下の向こうから歩いてくる可愛川。 「……血液を提供してもらえぬか?十六夜が危険な状態にある……」 「…よかろう。」 ………。 思ったよりも簡単にOKをもらえ、正直言って驚いた。 可愛川を連れて医務室に入る。 中に入って、悠祈を見かけた可愛川が彼女に話しかけた。 「悠祈…、大丈夫なのか?朝にずいぶん力を使っただろう?」 「あ…、はい…、…大丈夫です。」 悠祈はそう言うが、その額には汗が浮かんでいる。 「朝にも何かあったのか?」 「ちょっとな…あまり彼女を働かせるな。」 「……心得た。」 私は頷きながら、保科から差し出された注射器を手にする。 差し出された可愛川の腕に針を刺し、ゆっくりと血液を取る。 「どうしてそんなに簡単にOKした?」 「…何がだ?」 「お前のことだから、渋るかと思った。」 「輸血か?……私は、お前に借りがあったからな。」 「……借り。」 「ビデオの件だ。」 「あぁ…。……借りに、なっていたのか?」 検査用の機械に血液を注入する。 「当然だ。」 「意外と律儀なのだな。」 「………その借りも、返せたようだな。」 機械のディスプレイには『一致』の文字があった。 「…………心から感謝するぞ。」 「礼には及ばん。」 可愛川は微笑した。 私もつられるように笑う。 「…輸血の準備、完了しました。」 保科の言葉に頷き、可愛川を仮設ベッドに寝かせる。 そして輸血用の針を刺し、もう一方を十六夜に刺す。 「よし…」 「輸血開始します。」 保科がスイッチを入れると、ゆっくりと可愛川の血液が十六夜へと渡っていく。 ………どうか…、…無事であれ…。 ヴゥゥゥゥゥゥ……! …!? 突然、施設の警報装置が鳴り響いた。 こんな時に……何なんだ…! 「保科、見ていてくれ。」 「ハイ。」 私は彼女にそう言い残し、医務室を出る。 「輸血の方は?」 「可愛川で一致した。先ほど開始した。それより、この警報は…」 「今、蓮池課長が制御室に向かったけど…」 「そうか。」 私はそれを聞いて医務室に戻る。 そして部屋に備え付けられた通信の受話器を取った。 制御室に繋ぐと、少しして通信が繋がった。 出たのは蓮池ではなく、確か御園とかいう…… 「今の警報は一体何だ?」 『まずいよ。7時間後に大きな地震が起こる。』 「地震!?」 『予測では、弊害として地盤移動。この施設はぺしゃんこだ…。早く避難しろってさ。』 「………そうか……」 『でも避難って…、避けられるところなんてあるのかな…?』 「………。ある。」 『え…?』 「制御室の放送機器はわかるか?」 『空調の二つ右隣にあるやつ?』 「そうだ。それで全員に伝えろ。大きな地震が来ること。避難場所があること。出来るだけ急いで、荷物をまとめてホールに集合だ。」 『わ、わかった。』 プツン。 「……輸血は、どんなに急いでも2時間半はかかります。」 保科の言葉に唇を噛む。 くそ……こんな時に……! 『全員に通達します。今から7時間後、大きな地震が来ることが施設の予測機器で判明しました。ここも地盤移動の予測があり、安全ではありません。けど、避難場所はちゃんとあります。出来るだけ急いで、荷物をまとめてホールに集合してください。繰り返します…』 フウウン 「銀さん。」 「乾、今の放送は私が指示した。全て確かな情報だ。指示に従ってくれ。」 「………わかった。」 乾は頷くと、医務室を出ていった。 「悠祈も、もういい。荷物をまとめて皆と一緒に行動してくれ。」 「わかり…ました…。」 悠祈はおぼつかない足取りで医務室を出ていこうとする。 「待てっ」 私は彼女を支えると、一緒に医務室を出る。 「水散さん!…だ、大丈夫?」 「真田、彼女を頼む。酷く疲弊している。」 「わかった。任せて。」 真田に彼女を託し、次に目をやるのはソファに寝かされたチサの姿。 気を失っている。両手と両足を縛られ、身動きができない状態にしてある。 胸元は肩の部分のプレートで、誰が見ても改造人間だとわかる。 「…こいつ、どうすんだ?」 残っていた萩原の言葉に、私は眉をしかめた。 …チサ…。……失敗作…なのか…? 「とりあえず持っていこーぜ。いらなけりゃ、途中で捨てりゃいいんだしさ。」 「………。」 萩原は軽い口調でそう言う。 「……お前に任せる。」 「アタシに?あんたも人見る目ぇないねー。じゃ任せられるぞ♪」 萩原はニヤリと笑み、チサを背負った。 「重っ。」 そして少しふらふらしながら、廊下を歩いていく。 医務室へ戻り、十六夜と可愛川の元へ。 「………銀。今の時刻は?」 「午後13時45分。」 「地震発生予定時刻は?」 「午後20時51分だ…。」 「輸血の終了予定時刻は?」 「午後16時……10分。」 「で、お前の言う避難所はどこに?」 「…お台場だ。」 「お台場?あの海沿いの?」 「そうだ。」 「ここからお台場まで……」 「車があれば三、四十分。だが、徒歩だと四、五時間はかかるだろうな。」 「……で、どうするつもりだ?」 「………。」 可愛川の問いには答えず、私は通信機に向かった。繋げるのはホール。 しばらくして、通信が繋がった。 『ハイハイハイッ!』 出たのは伴。 「外にパトカーがあったな?」 『え?あぁ、あったわね。』 「それが無事かどうか調べて欲しいのだが」 『今?』 「そうだ。」 『………わかった。行ってくる。五分だけ待ってて』 「ああ。」 通信の画面に、伴が扉のロックを外す姿が写り、やがて消えた。それから五分ほど経過し、戻ってきた。 『……めちゃくちゃになってたよ。米軍にやられたかな。』 「……そうか。すまん。ありがとう。」 通信を切る、 「うーん、万事休す…?」 保科がポツリと呟いたのが聞こえた。 「……仕方あるまい…。」 私は十六夜の傍に寄り、愛おしむように髪を撫でる。 そして言った。 「輸血は、途中で中止する。」 |