ピッ…ピッ…ピッ… 断続的な機械音。 先ほどまでひどく過呼吸だったが、今は機械のおかげで落ち着いているようだ。 ポッドの中で、目を閉じて眠る女性。 あたし―――佐伯伊純―――は彼女を眺めながら、先ほど体育館で話したことなど思い返していた。 フウウン 医務室の扉が開き、千景が入ってきた。 「未姫さんの様子は?」 「落ち着いてるよ。」 「そう…。」 千景は安心した様子で、ポッドに近づく。 「…詳しく教えて。」 ポッドの中の飯島を見つめながら、千景はあたしに問う。 「…体育館で話してて、なんか、放送?かなんかで、音がして…」 「あぁ…さっきのひゅううう…ってやつ。あれ、十六夜さんの仕業だから。放送設備の設定がなんとか…って。」 「…それで…、あの音聞いて、突然震えだしだかと思うと、すごい悲鳴あげて…、何かに、怯えてた感じで…、でも、なんか夢うつつみたいな……」 「ふむ。…紛れもなく、PTSD症候群ね」 「…それ…具体的に、どんなの?」 「簡単に言うとトラウマね。過去の恐怖体験が、なんらかのきっかけで蘇るの。」 「恐怖体験……」 「彼女の場合、北海道の核爆弾で…。あの音でこういう状態になったのも説明つくでしょ?」 「そうか…。……落下音、か…」 「…PTSDは、直りにくいの。だから、彼女も最初に言ってたっしょ。迷惑かけるかもしれませんが……って。」 「…あぁ…。」 「………可哀想だよね…」 「………。」 ポッドの中で眠る飯島が、小さく身じろぎした。 揺れるビーズ。 ……こいつ、核爆弾の被害にあう前までは…どんなやつだったんだろ…? 最近、夜な夜な妙な気配を感じる。 それに気づき始め、私―――可愛川鈴―――は霊の存在を疑うようになった。 今日の昼、私の寝泊まりする部屋の除霊を行なったが、反応はなかった。 もし憑いているとしたら… 同室の逢坂か。 もしいるとしたら、それはかなり高位な霊と言えよう。 私が、普段の生活をしていて霊の気配を感じないほど……。 おそらく、人々が活動を止めた深夜、霊は動くのであろう。 私も人間故、寝ずに見張ることはできない。 それに一日二日寝なかったところで、高位な霊ならば私を眠ったところで活動を行なうだろう。 方法は一つ。 逢坂自身に直接、霊媒を行なうことだ。 …逢坂にも話を聞く必要がある。 そう結論を下したのは夜の10時頃。 ドアの開く音がして、逢坂がシャワー室から出てきた。 「逢坂、少し良いか?」 「あ、はい。なんですか?」 私から話しかけることは滅多にない。 逢坂はきょとんとした表情で私を見る。 「最近、なにかおかしなことなどは起きぬか?」 「…おかしなこと…ですか…?」 逢坂の表情が僅かに強ばったのを、私は見逃さなかった。 「お前に霊が憑いている可能性がある。」 「……霊…。」 逢坂はその言葉に俯いて、自分のベッドに腰掛けた。 「…心当たりがあるのだな?言ってみろ。」 「い、いやです。」 「なに…?」 逢坂は頑なに私の言葉を断る。 まるで、霊をかばっているかのように。 「……何故だ?」 「…………。」 「お前に対して害はないのか?」 「……ありません。」 「………。仕方あるまい。」 私は諦めたそぶりで肩を竦めた。 ……しかし、この私が諦める筈がない。 私はその足で、日頃は行くこともまずない制御室へと向かった。 ポーン インターフォンに出た銀は、少し驚いた様子で私を制御室に入れた。 「……何の用だ?」 「銀、お前の職業は何だ?」 私が唐突にそう問うと、銀は困惑した様子で少し目を泳がせる。 「……。か…、科学者、だ。」 「…そうか。ならば科学者のお前に折り入って頼みがある。」 私は小さく笑みを浮かべ、彼女に言った。 以前のような僻んだ根性は見受けられない。 誇りある科学者。認めることはしないが、否定もしない。 「……頼み?私に?」 「そう。実は、小型カメラのような監視できるものを作ってほしいのだ。」 「監視?用途はなんだ?」 「逢坂七緒。彼女の見張りたい。…正確には、彼女の霊をだ。」 「霊だと?そんなもの、科学は写さんぞ。」 「あぁ、霊自体は写らなくてもいい。霊がどんな悪戯をしているかを知りたいのだ。しかし賢い霊でな、私が起きている時には決して活動しようとしない。」 「………ふむ…しかし、プライバシーの問題も…」 「私も同じ部屋で眠る。」 「……なら良いか…。」 「頼む。」 「…わかった。明後日までに用意しておく」 「すまぬ。感謝する。」 「……構わん。」 照れたように向こうを向く銀。 私は薄く笑み、制御室を後にした。 「銀博士?どなたか見えられたのですか?」 話し声が聞こえた気がして、私―――珠十六夜―――は、制御室の奥から顔を出した。 「ああ…可愛川だ。小型カメラを作れ、と…頼まれた。」 「小型カメラ?」 「うむ。監視したいものがあるらしくてな。」 「そうですか…。」 「一、二時間もあれば出来る。…それより珠博士、放送端子の設定は進んでいるか?」 「ええ、今、基本設定がもう少しで完了するところです。」 「よし…。それが終わったら、次の作業に写ろう。」 「はい。」 私は彼女の言葉に頷き、小さく笑んだ。 「それでは作業を続けて…」 「…博士、少しだけ休憩しませんか?」 「休憩?…そういえば、長時間無休憩で作業を行なったな…。悪い、つい夢中になってしまった。」 「いいえ。あなたが愛する科学に夢中になれること、それは…、私の幸せに値します。」 微笑し、彼女に近づいた。 「な、何を言っている…」 照れたように顔を背ける彼女を、緩く抱きしめる。 「……美憂…」 耳元で彼女の名を呼ぶと、ピクンッと震えるような反応を見せる。 「休憩は…いいのか…?」 「こうしてあなたを抱きしめれば、疲れなんて忘れてしまうのよ。」 「……十六夜…、……」 少し固かった身体も次第にほぐれていき、私にもたれるように力が抜けた。 「可愛いわ…私の…美憂……」 「……あまり言うな…。…恥ず…かし…」 「…ふふ…」 私はそっと彼女の頬に手をあて、くちづけようと…… ポーン 『あ…』 私たちは残念そうな声を小さく漏らす。 それがなんだか可笑しくて、私は美憂に軽いフレンチキスを落とし、インタフォンに出る。 『十六夜!』 「…千咲。どうしたの?」 『いざよい〜…入っちゃだめ?』 千咲の言葉に自分では判断しかね、美憂……いえ、銀博士を見遣る。 彼女は「構わん」と小さく言う。 「いいわよ、千咲。」 私は微笑を作り、扉のロックを開けた。 「おじゃましまーす!」 千咲が入ってくる。 「………。」 「あっ…」 銀博士と千咲の目が合い、二人は数秒見つめ合った。…にらみ合った、というニュアンスの方が近いかもしれない。 「…十六夜のこと嫌いなくせに、なんでここにいるの?」 「なに…?」 「千咲!な、何言ってるの…」 千咲は少し不機嫌な様子で、銀博士を見つめ、言う。 「いざよいが言ってたもん!この人、いざよいのこと嫌いなんだって!」 「……千咲、それは違うの…」 なんだかすごく複雑な気分になる。 本当に、美憂に嫌われてしまいそうな… しかし。そんな私の不安を消したのは、美憂だった。 「バカを言うな。私は十六夜の事が好きだぞ?何の確証もないのに他人の気持ちを代弁するのはどうかと思う。」 「…美憂……」 彼女がきっぱりと言い切った。 私は激しく感動を覚えた。 「…いざよいは、千咲のいざよいだもん。」 千咲は私にかけよると、ぎゅっと私の腕に抱きつく。 よく考えれば、二人とも私よりずっと年下の少女。 実際、千咲と美憂の歳の差は4つ。 不思議な気分。 今までだって、愛し合った人はほとんどが年上の男性だった。 「いざよいは、ちさとあの人とどっちが好き?」 「え、……、そ、それは…」 千咲の突然の問いに、私は言葉が詰まる。 「正直に言えば良い。」 美憂までも、その答えを待っていた。 「ねぇいざよいっ、どっちなの?」 「…二人とも、私にとっては大切な人よ。順番をつけるなんて…」 「………千咲じゃないの?」 「……」 千咲は、キッと私を睨んだ。 ………千咲にこんな挙動をとられたのは、初めてだった。 「いざよいの…いじわる…!」 千咲は私にそう言い放ってかけていく。 途中、美憂を思いきり突き飛ばした。 「お前なんか、だいっきらいっ!」 「っ!」 千咲は涙を手で拭いながら、制御室を後にした。 「美憂…!」 突き飛ばされた美憂のそばに駆け寄る。 「…大丈夫だ。怪我はない。」 彼女はそう言いながら、おそらく打ったのであろう、左手の肩を撫でる。 「…あんなに怒るなんて…。……私、千咲を追って来ます。」 「…やめておけ。感情が高ぶった子どもほど、扱いにくいものはない。」 「でも…」 「それより、あの『チサ』について教えてほしい。未完成品を野放しにするのは感心せんぞ。」 「…すみません…。千咲は、ごらんの通り…改造人間です。」 「…改造…か。」 「はい。一年半前、脳死及び身体の各所損傷…ひどい状態で、私の研究室にやってきました。依頼主は彼女の両親。千咲を蘇られて欲しい、という…無茶とも思える依頼でした」 「…確かに、無茶だな。」 「…それでも引き受けたのは…、やってみたかったから…です。」 「可能だという…自信はあったのか?」 「ええ。これまで、食品の遺伝子組み替えの研究を行なっていました。だから、その遺伝子組み替えを応用すれば可能なのでは、と」 「成功したのか…。」 「はい。ずいぶんと長い歳月がかかりました。肩部、胸部、そして両耳などの損傷の修復。そして脳の修復。遺伝子に手を加え、新たな遺伝子を組み合わせて修復できました。海馬は無事で、脳と元々の海馬を合わせて…。」 「………で、未完成の部分は?」 「はい、海馬の記憶を呼び覚ますには時間がかかります。機械によってそのスピードを上げることは可能でした。しかし、その最後の作業を完了させることは出来ませんでした」 「千咲は本来の記憶ではなく、まだ幼い頃の記憶しか蘇っていない、と…」 「そうなります。」 「……なるほど。」 長い説明を終え、私は再び、千咲の出ていった扉を見やった。 ……胸騒ぎがした。 千咲という存在。 千咲という実験。 千咲という作品。 成功なのか失敗なのか、わからない。 「うっ…うっ…うぇっ…」 廊下の向こうから、泣き声が聞こえた。 あたし―――蓬莱冴月―――は、その泣き声の主に声をかける。 「千咲ちゃん。…どうしたの?」 「…ふぇ…?」 千咲ちゃん。 涙でぐちゃぐちゃの顔を上げ、あたしを見る。 「……十六夜が…いじわるなんだよ…」 「十六夜さんが?そうなの?」 「うっ…うぇえ……」 「あぁ、もう泣くなって〜!」 あたしはぐいっと千咲ちゃんの手を取り、ある場所を目指して走り出す。 「わっ?わっぁっ!いた、痛いよ〜」 「いいからっ!」 そしてたどり着く!娯楽室! 「こんばんは!」 バァンッと扉を開く。 「冴月っちゃん。いらっしゃい♪」 「あ、千咲ちゃんもいる〜」 「よぉ。」 娯楽室にいたのは、伽世ちゃんと月見夜さんと憐ちゃんだった。 「ふえ?……ふえぇ…?」 千咲ちゃんはきょとんとしたまま、きょろきょろと娯楽室を見回す。 「ここ来るの、初めて?」 あたしが聞くと、千咲ちゃんはコクンと頷いた。 「ま、入れって。」 憐ちゃんに促されるままに入室する。 中にはいろんなものがある。 スペースも狭そうに見えて実は広い。 音楽プレーヤーにはあたしも好き系なダークっぽい音楽がかかってて、その回りで三人は思い思いにくつろいでいた。 伽世ちゃんは下のカーペットに座って音楽に合わせてギターを鳴らしてるし、月見夜さんはソファに座って本を読んでる。憐ちゃんはカーペットに寝そべってるし。 「あれ?千咲ちゃんどうしたの?ウサギ目だよ〜」 月見夜さんが気づいて、千咲ちゃんに手招きする。 あたしは千咲ちゃんを押し、月見夜さんのそばまで連れていく。 ポスンっとソファに座った千咲っちは、月見夜さんに撫でられて、落ち着いてきた様子だった。 そーんな光景に見とれてると、 「ていっ」 「わぁっ!!?」 突然足払いをくらって、カーペットに崩れ落ちる。 「隙あり、だな。」 「もぉ〜なにするのぉぉ〜〜!」 憐ちゃんに組み敷かれて動けないあたし。 「くらえ、卍固め!」 「はぁ!?ちょっ、待っ…!!!!!」 ひ、ひどい……。 「楽しいだろうっ千咲ちゃん!」 曲が途切れたところで、伽世ちゃんは笑顔でそう言った。 「……う、うん。」 千咲ちゃんは小さく笑って頷いた。 よしよし…。 「十字固め!」 「きいぁあああああああ………」 「さ、セナちゃ、死なないように…」 なごやかなムードで時間は過ぎた。 気づけば時計は夜12時を指す。 曲が変わった。 今までもダークな曲だったので変わったことにもそんなに気にしてなかった面々。 けど、曲が始まって…というか、歌が始まって、千咲ちゃんの表情が変わった。 不思議に思ったあたし。 ぼんやりと曲を聞いていた。 『ママ 私を見て ジャングルジムの上で いつまで口笛を吹かせるつもり? もう陽がくれるわ お日様が飲み込まれ もうすぐ小鳥が死んでいくのよ 待ちきれないわ 背中が寒い 羽ばたくように落ちていくわ 夢見るように落ちていくわ あぁ、だって私は凍えているのよ 赤くしたたる揺り籠の柘榴 ねぇ 髪をといて かきあげるうなじに 気づいて ミルクはもう飲まないの 子守歌さえ 捨ててしまった 飢えた身体が溢れ出して 焦げるようだわ 止められない あぁ、赤くはだけた胸が濡れてるの そうよ 羽ばたくように落ちていくわ 夢見るように落ちていくわ あぁ、だって私は凍えているのよ 赤く滴る揺り籠の柘榴』 曲が終わったかと思うと、千咲ちゃんが立ち上がった。 「…千咲ちゃん?」 あたしは妙に不審に思って声をかける。 「………気分、悪くて…」 千咲ちゃんはぽつりと言った。 「……部屋に、戻る?付き添おうか?」 「ううん……いい。…一人で戻れる。」 千咲ちゃんはそう言って娯楽室を出ていった。 あたしは…ううん、みんな…、千咲ちゃんの雰囲気に、仕種に、物言いに……のまれていた。 いままでの子どもっぽさと、ものすごくギャップがあった。 何か、知ってはいけないことを知ったような、そんな……。 「具合はどう?」 私―――蓮池式部―――は、部屋に戻る度にそう問う。 「うん…相変わらず。」 遼さんは、微苦笑を浮かべて言う。 部屋のベッドに腰掛けたまま放心状態の楠森さん。その隣にずっと座っている遼さん。 そんな日々をもう何日過ごしただろうか。 いい加減、遼さんを開放してやりたい。 何も言わず、何もせず、ただ時だけを過ごす。 そんな女性に、ずっと付き合っていられる彼女は、尊敬にも値する。 「ねぇ、遼さん。楠森さんとは…これまでは、どんなお付き合いをしていたの?」 「今までって言うと、学校…で?」 「ええ。」 「どんなって…。…いや、別に…。すごく親しかったわけでもないし、ごくごく普通の先生と生徒だったよ。」 「ごく普通の?じゃあ、何故、今は…まるで、恋人を労るかのように付き添うの?」 「……なんで、かなぁ。」 遼さんは小さく目を細め、楠森さんを見る。 そして、そっと腕を絡ませた。 「………前から、先生のことは気になってた。あたしは何人もいる生徒の中の一人。先生は全員から慕われる人。…そういう、立場の違いとかあって、なんか、近づけなくて。」 「そう…」 「……あたしは、ごくごく普通の生徒だったよ。……ある日、までは…」 「ある日?」 遼さんは小さくため息をつくと、楠森さんと絡めていた腕を解いた。 「あの日、先生があたしを見る目が変わったの。あたしのこと怯えるような感じ…」 私は彼女達と向かい合わせるように自分のベッドに腰掛け、そして問う。 「何が、あったの?その日…。」 遼さんは虚空を見つめ、何かを考えている様子だった。 そしてゆっくりと話し出す。 「……あたしたちが授業を受けてる教室に……米軍兵が来たんだよ。」 「……。」 「向こうは、油断してたか知らないけど、でっかい機関銃持って、一人で乗り込んできた。『ホールドアップ!』…って言って。」 「…それで?」 「それで……あたしは、そいつを、撃ち殺した。」 「…銃を持っていたの?」 「うん。隠してたレーザー銃で米軍兵の足を撃って…崩れ落ちた所で、額にズキュン。」 「……殺したのね…、彼女の目の前で」 「うん。クラスメイトの皆はすごく驚いてて、…悲鳴が響いて…教室は真赤で…。先生は、怯えた瞳してて…最初は死体見て怯えてるんだって思ったけど…。…違ったんだよね。あたしが、…あたしが殺人を犯した人間だから…怯えてたんだ。」 「…………。」 「でもさ、バカな話しだと思わない?本当に怯えるべき相手は、あたしじゃなくて、その時は怖がってばっかりだった生徒だったなんてさ。」 「……そう…ね…」 遼さんは乾いた笑みを浮かべたが、次第にそれは消え、代わりに『怒り』がにじみ出てきた。 「……どんな、風に……やったんだろ…。なんで先生を…っ……、……こんなひどいこと…!」 彼女は次第に涙声になっていた。 瞳いっぱいに涙が溜まる。 「男子全員に入れられたのかな?中で出されたのかなっ…?めちゃくちゃに…おもちゃみたいにされたのかな……!?」 「………。」 「…殺したい!あいつら…全員殺してやりたい…!!」 何も言えなかった。 彼女の悲しみ、絶望、憎しみ。 他人の事なのに、こんなにも苦しむ必要はないのに。 彼女の優しさが、溜まらなく辛かった。 私は、どうすべきなのだろう。 …………。 沈黙の中、私は考えた。 数分ほど経った頃、私はゆっくりと口を開いた。 「…遼さん…、……私もね、彼女がどれほどの被害を受けたかはわからないの。」 「どれほど…って………?」 「…例えば、流血する程とか…、性行為を数人に立て続けに行われたとか、それとも同時とか……」 「………。」 「……確かめて、みない?」 「…え……?」 「…彼女の身体に残った傷がどれほどか…」 「そ、それって…、…でも…っ…」 「刺激を与えてやることは、決して間違いではないわ。」 「でも、逆にもっと傷ついちゃったりしたら…」 「それはないわ。あなたは彼女のことを想っている。…優しく、してあげなさい。」 「………いいの…?…本当に……?」 「…私がいいと言っているのだから…。」 「……わか…った…。」 遼さんは、小さく頷いた。 そして楠森さんの両肩に手を添え、ゆっくりとベッドに押し倒す。 楠森さんの瞳が、僅かに揺れた気がした。 念のため、枕元に置いてある精神安定剤の注射を確かめる。 「……せん、せ…」 遼さんの小さなささやきが聞こえた。 彼女は愛おしむように、彼女の額に、頬に、そして唇にくちづけを落とす。 顔全体に優しいくちづけをしながら、空いた手は楠森さんのブラウスのボタンを丁寧に外していく。 十七とは思えないほど、慣れた様子…。 私はただ、眺めているしかできなかった。 ブラウスを開き、はだけた胸元。 そこは、最初の頃あったアザもキスマークも消え、きれいな肌に戻っていた。 遼さんは、その肌理細やかな肌を優しく撫でる。そして乳房に滑っていく。 背中の方に手を回し、ブラジャーの留め具を外した。 そっとブラジャーを外す。 Cカップほどか、女性らしいきれいな形をした乳房が顔を出す。 「……式部さん、ねぇ…見て……」 「え…?」 遼さんはおもむろに顔を上げ、私を呼んだ、 彼女が示すのは、楠森さんの胸の先端…乳首の部分。 よく見ると、その形はあまりキレイとは言えなかった。 元々ではない、なんらかの強い力を加えられた結果とも思えた。 「……握りつぶされたんだよ。あいつらに」 「…………そうかもしれないわね。」 遼さんは悔しそうに唇を噛み、そして身体を落とすと楠森さんの胸の先端にくちづけを落とした。 しゃぶるように、くちゅくちゅと唾液の絡む音がする。 「…ねぇ、変なこと聞くけれど……遼さん、経験は…その…豊富なの?」 「…うん?……まぁまぁ…ね…、…友達とかと…よく、やってたし…」 「そう…。」 する、と遼さんの手が滑っていく。 楠森さんのスカートに手をかけ、器用にそれを脱がせていった。 ショーツだけになった彼女の姿をマジマジと見つめる。 「………きれい、だね…。…アザとかそういうの、治ったみたいだし…」 「そうね…」 「…あとは、…こっち…」 遼さんは目を細めて言い、そしてショーツ越しに秘部に触れる。 ピクン、と楠森さんの身体が反応した。 「…先生…気持ちいいなら…いいって言ってよね…、……素直じゃないんだから。」 薄い笑みを浮かべ、言う遼さん。 そしてその手は、秘部を隠すショーツを脱がせていった。 「……あ…?、………うそ…」 脱がせた瞬間、遼さんは驚きの声を漏らした。 彼女の秘所を隠すべき、陰毛はそこには無かった。薄い産毛のような新しい毛がわずかに生えているだけだった。 「剃毛…されたんだ…。」 「……。」 ただ少年達が、性的欲求から彼女の身体をむさぼったのではない。 彼女の嫌がる姿を楽しむような、酷いレイプ…。 「っ…」 楠森さんの秘所が指で広げられる。 遼さんの目からは、涙が次々に零れていた。 「ここ…もっ……!…おっきくなって…、調教、されたんだ……!」 彼女が言うのは、敏感な突起であろう。 淫らな赤色が発色している。 遼さんは身体を落とし、そして顔を楠森さんの秘所に近づけた。 舌が、敏感な突起に触れる。 その瞬間、 「ンッ…!」 楠森さんの身体が、大きく反応を示した。 小さく唸りが零れる。 くちゅくちゅと、淫らな音が室内に響く。 「…ッン……、…ハッ…ァ……」 楠森さんの表情は朧げで、その身体は遼さんの愛撫に確実に反応を示していた。 遼さんの舌が、彼女の膣へと侵入する。 「ンッ…、…、…ァ……!」 口の回りを液で濡らしながら、遼さんは懸命に愛撫を続けた。 私はそっと、楠森さんの手首に触れ、脈拍を測る。 ……どくん、どくん、どくん、… 早い。…興奮している証拠だ。 「いく、よ…」 遼さんが小さく言った。 膣の入り口に、指を三本宛てがう。 そして、それが楠森さんの中に入っていった。 「っ…!」 楠森さんの瞳が見開かれる。 私は発症に備え、彼女をじっと見つめる。 ずんずんと突くように続く愛撫。 「ッ…、…!……、ァ…」 楠森さんの目がゆっくりと閉じた。 そしてその瞳の端から、涙が次々と零れた。 ……涙…? 「先生…」 遼さんは膣の中をかき回しながら、親指で突起を弄ぶ。 「、…!…イっ…!」 ビクンッ 楠森さんの身体がひときわ大きく震えた。 その後、ビクビクと小さく痙攣が続く。 「あ、…、ァ…ッ……、…あ……」 快感にうち震えるように漏らす言葉。 「先生?……先生っ…??」 遼さんは愛撫を止めると、顔を楠森さんと向かい合わせる所まで上げ、そして瞳を見つめていた。 私の角度から、二人が見つめあっているかどうかはわからない。 楠森さんの呼吸が、彼女の存在を強くアピールしているように聞こえた。 しばしの沈黙の後、信じられないことが起こった。 ぎゅっ…… 楠森さんの両手が、遼さんの身体を強く抱きしめた。 そしてその唇同士が触れあっていた。 二人の唇を導いたのは、驚いた表情をしている遼さんではない…… つまり、楠森さんということだ。 楠森さんは瞳を閉じ、強く遼さんを抱きしめているように見えた。 「……ッ……んっ……」 遼さんが小さく息を漏らす。 二人の唇が、透明な糸を引きながらゆっくりと離れていく。 「せ、…先生……?」 「………。」 楠森さんは確かに遼さんを見つめていた。 はっきりは見えない。けれどわかる。 今の彼女には『意思』がある。 「先生……、…ねぇ、な、…何か言ってよ…ねえ、先生っ……?」 遼さんの問いかけに、楠森さんは微笑した。 「……ありがとう、三宅さん。」 ……あれ? ゆっくりと目を開ける。 光がまぶしくて目を細めながら、状況を把握していく。 …………! ガバッと上半身を起こした瞬間、 ガゴン!! ……きゃー。 頭…額の部分を思いっきり打ち付け、私―――飯島未姫―――は再び横たわる。 ああ…痛い…。 「あっ、わりぃ!」 と外から声が聞こえ、間もなくして私の上にあった透明の蓋が開く。 「大丈夫か…?」 そして私をのぞき込んだのは、伊純さんだった。 「はいっ…、大丈夫…です…」 私は上半身を起こし、小さく深呼吸をした。 ふと、右側の後頭部に触れる。 「……痛むのか?」 「……いえ…全然…。」 私は首を振る。 「…あの…、なんだ…その、…PTSD、だったか?」 伊純さんは少し言いにくそうにそう切り出した。 「はい…、あ、そんな気を使わなくていいんですよ。話せることなら、なんでもお話しますけど…」 「………あーっと、…今は、大丈夫なのか?まだ、なんか残ってたりしないのか?」 「今、ですか?……、…久々に思い出したから、頭の中に、映像が鮮明に蘇っちゃって………だから、むしろこうやって誰かとお話してたりすると、楽…です。」 「…そのーPTSDのキッカケってのは、えっと…」 「…北海道核爆弾投下……です。」 「どこに、いた?放射能とかの影響は…?」 「…私は、その当時青森にいたんです。だから、その時点での被害はありませんでした………けど、北海道に…家族がいて…。…まだ放射能の二次災害が危ないって言われたけど、行ってしまって…」 「……それで…?」 「…けど、幸い放射能の影響を受けたのはこの髪だけ。」 「その髪、放射能の影響だったのか…」 「ええ。元々は全体が金髪だったのですが……ただ、表面的に現れたのがこの頭髪というだけで、まだ後々に何かが発症するという可能性もないわけではないんです」 「そっか…。……、その……家族っていうのは…?」 「………」 家族のことを聞かれ、私は押し黙ってしまった。 家族のことは、何よりも頭の中に鮮烈に残っている。 あの悲しみの記憶…… 「あ、…ごめん、泣かせるつもりじゃ……」 「え…?……あっ…」 伊純さんに言われて初めて気づく。 自分の瞳から零れる涙の存在。 私はそれを指で拭い、 「ごめんなさい…っ…、…私も、泣くつもりじゃなくて…」 と小さく笑った。 「…話したくないことは、話さなくていいから」 「やっ…」 伊純さんの言葉に、私は思わず首を振っていた。 私自身、なぜそうしたのかよくわからない。 「………?」 伊純さんも不思議そうな顔をして私を見る。 「…あ、あの…、…話してもいいですか?」 思い出すのは辛い。 でも、一人で抱えるよりも、誰かに話したら楽になるんじゃないか…って思った。 「……私の、…家族のこと…。」 じわ、と涙腺から涙が溢れてくるのがわかる。 「……いいよ。」 ふわ、と目の下に冷たい感触があった。 伊純さんが、指先で私の涙を拭った。 なんだか嬉しくて、切なくて、私の涙は更に溢れるばかりだった。 「私、…今まで、義理の父母に育てられて来て…ちゃんと学校には行かせてもらえたけど、でも本当の娘じゃないから、…なんていうか、いつも孤独で…」 「……」 ポッドの縁にかけていた伊純さんの手に自分の手を重ねた。伊純さんはそっとそれを握り、絡めてくれた。 「私が17の頃に両親は他界して。その後もずっと一人ぼっちでした…。」 「…………」 じっと私を見つめて話を聞いてくれる伊純さん。彼女の存在が、どうしようもなく嬉しかった。 「でもっ…私が、…22の時……、…出逢ったんです、……大切な、人に…」 「恋人…?」 「…はい…、…梢真(ショウマ)って言って…すごく優しい人で…、…永遠に私のそばにいてくれるって、そう言ったんです…。」 「…男か…。……永遠…って、言ったのか…?」 「…ええ。私は彼の言葉を信じて、入籍、しました。」 「…結婚したのか?…それじゃ…」 「……未亡人なんですよ…私…」 そう言いながら、無意識に私の空いた手は、私のお腹に触れていた。 それを見た伊純さんは、 「…!?…まさか、子供が…?」 私にそう問う。 私は小さく首を横に振って言った。 「……流産…しちゃって…」 「流産……」 「子供の事を考えて、青森の彼の実家で安静にしていた時…だったんです…。……あの、…悪魔が落ちてきたのは……」 「…じゃ…、…その…旦那は…」 「そう…北海道で一生懸命働いてる時…、…………」 私は言葉をなくし、そのまま沈黙した。 数秒の静寂ののち、 「……っ…」 ぎゅっ… 伊純さんは、私の身体を抱きしめた。 「…なんで、そんな…。……っ…、…くそっ……お前見てるとさ…、…なんか…怖くて………!」 「…怖い…?」 彼女の肩に顔を埋めながら、私は聞き返した。 「…すぐ、壊れてなくなりそうで…、…ふって消えちゃいそうで……なんかっ…幻みたいな……」 「幻…」 「死ぬなよ!」 「………」 私はそっと彼女から身体を離した。 『死ぬな』 その言葉に返事が出来ないのは何故だろう…? どちらからともなく、私たちの唇は触れ合っていた。 「…ん、…ぅ…」 「……ふ…、…ァ…ッ…」 何度も何度も… 舌を絡め、唾液が交じる… いつしか私たちは、キスに夢中になっていた。 「あ…、………」 ふっと人の気配に気づいた瞬間、回りの空気がひんやりと感じた。 慌てて伊純さんと顔を離す。 「いっ…?」 伊純さんはバツの悪そうな顔をして、入り口の方を向いた。 「あー、…えと…、…ごめん…邪魔した。」 そこにいたのは千景さんだった。 千景さんも困った様子で目線を泳がせている。 「未姫さん。具合はどう?」 「あ…大丈夫です…伊純さんに付き添ってもらってたから…」 「そう…。」 千景さんは私たちのそばまで来ると、私たち二人を交互に見て、 「……いつからこんな関係だったの…?」 と小さく言った。 私と伊純さんは顔を見合わせる。 「なんつーか…今のが初めてだし…」 「そ、それに…関係とかそんなんじゃないですし……」 「そう?……まぁいいけど…、いや、しかし意外な二人…」 そんな千景さんに、私は少しだけ意地悪を言う。 「……相談に乗った二人ですよ。」 「え?……、……あっ。」 気づいて苦笑いを浮かべる千景さんの様子に、私は小さく笑った。 伊純さんも小さく笑みを浮かべていた。 「…そんじゃ、あとは任せた!」 伊純さんは唐突に言い放って、出口へと向かう。 「え?ちょっと、なんで私が任されんの?」 そんな千景さんの言葉を無視し、伊純さんは私をキッと見つめて言った。 「絶対に死ぬな!死んだら殺す!!」 …そして、伊純さんは部屋を出ていった。 「……死んだら殺すって……」 千景さんはきょとんと、伊純さんの出ていった扉を見やり、そして私を見る。 「…………」 私は何も言えず、ただ、微笑しているだけだった。 「Minaは日本食も好きなのね。」 「もちろん。日本は第二の故郷だもの♪」 にっこりと笑んで、古風な料理「うどん」をすするMina。 私―――五十嵐和葉―――は、その様子に微笑して、同じくうどんをすすり始めた。 少しして、Minaが突然ポンッと手を打った。 「So、私、和葉に言い忘れてたことがあった。」 「なぁに?」 「私の日本名!」 「日本名っ?そんなのあるの?」 「うん。私の日本名は、鬼塚 箕ナ(オニヅカミナ)。字は、こういう字。」 食堂のテーブルにきゅきゅきゅっと書いてくれる。 「へぇ……鬼塚…あ、だからDemon‐barrowなのね。箕ナは…珍しい字」 「Minaでも箕ナでも、好きな方で呼んでね♪って、発音あんまり変わんないけど」 「あはは、OK♪」 最近は、箕ナと一緒にいる時間が長い。 部屋も一緒だし、どこか行くのも一緒。 あれ以来はエッチなこともしてないし、恋人っていうわけでもない。 ただ友達とか親友とかで決めつけるのもなんだし、…だから仲良しってことにしてる。 箕ナと、いつものように楽しく夕食を取っている、そんな時だった。 食堂に入ってくる人影二つ。 ……! 「お、和葉ちゃんとMinaちゃんだ。」 一人は都さん。 そして…… 「…やぁ、こんばんはー」 …………。 「Hi,都エァンド秋巴。」 「ご一緒してもいい?」 「モチロン♪」 「じゃ、失礼して…」 ………二人が来てから、ひとっことも喋れない。 特に……FB…! 私の隣に都さん、箕ナの隣にFBという座りかたになった。 「うどんおいしそうだねー。私もうどんにしようかな。」 「じゃあ、私も!」 「作ってくるよ。都は待ってて。」 ガタンを席を立つ音がして、足跡が遠ざかる。 「かーずはちゃん…」 小さく、都さんの声がした。 私は顔を上げ、都さんを見る。 「……な、なんか怒ってる…?」 「………別に…」 「いや…なんかあったの?私?」 「都さんは悪くないですよ。」 顔を上げてにっこりと笑む。 「……じゃFB…」 「………。」 にっこり。 「……??和葉は、秋巴のこと嫌いなの?」 「うん。」 笑顔。 都さんと箕ナの困惑がヒシヒシと伝わってくる。 「ていうか、都さんは怒ってないんですか?アイツのこと」 「え?今は別に……」 「………そうなんだ。」 「ただいま〜」 FBが帰ってくる。 私は極力FBを目線から外し、うどんを黙々と食べ続ける。 「和葉ちゃん、和葉ちゃん。」 FBが呼ぶ。 無視。 「……和葉ちゃん、和葉ちゃん。」 「なんですか?」 かなーりイヤな言い方だと我ながら思う。 しかしFBはそれに屈することもなく、笑顔で言った。 「私のこと怒ってるでしょ。」 「…………。」 本人に言われると肯定も否定もしようがない。 「なんで怒ってるの?」 FBは笑顔で聞いてくる。 なんて無神経なヤツ……! 「当てていい?」 「え…?」 ……不覚。 FBの言葉、思わず聞き返してしまった。 「和葉ちゃんが怒ってる理由、当ててあげるよ。」 「…………。」 こんな無神経なヤツに分かるわけが…! 「都にチューしたからだ♪」 「…………。」 ………。 ………。 ………。 「え?え?なんで?あたし?チューって?」 「都と秋巴がチューしたら和葉が怒るの?」 「ビンゴでしょ?和葉ちゃん♪」 ガタンッ! 私は席を立ち、まだ食べかけの食器を持って洗い場に行く。 食器洗い機に食器を放り込み、私は食堂を去ろうとした。 しかし私は、FBの一言でそれさえもできなかった。 「逃げるんだ。」 「…っ……」 3人に背を向けたまま、私はどうすることも出来ず、唯、怒りに打ち震えていた。 「和葉……、…どうして怒ってるのか、言わないのはズルいと思うわ。」 箕ナの言葉が心に痛い。 ……なんで怒ってるかって…、 …それは… 「和葉ちゃん。言わないとわかんないよ。」 都さんの声。 私は…… 「…わ、私はっ…!!」 くるっと振り向いて三人を…FBを見る。 「都さんとのデートを邪魔されて悔しかったんです!」 「………デート?」 箕ナがきょとんとした表情を浮かべる。 「まだ…怒ってたんだ…。」 都さんが困惑した表情。 「……子供みたいなこと言ってるね。」 そしてFB…っ…! 「な、何よ!なんでそんなこと言えるの!!」 「だってそうじゃないか。」 「……私は…っ…」 「都が好きなの?」 ……! 箕ナの言葉を境に、食堂に静寂が訪れる。 三人は私の言葉を待っている。 「……、……」 ……違う… 私は…、……あの時の私は…… 「………仕事を邪魔したあなたが許せない。」 …私は言った。 「仕事?」 「……仕事…?」 FBと都さんは、不思議そうに、怪訝そうに私に問う。 「……………最後の仕事。最高にお客様を喜ばせる、最高の仕事をしたかったのに…!」 「和葉の仕事…って…?」 箕ナは何も知らない。 だからあんなことが問える。 私…は…… 「和葉ちゃん。…私は、満足してるよ。和葉ちゃんと…その、……エッチして…。…私は幸せだった。だから…」 「………。」 都さんの言葉は、私には無意味だった。 箕ナは、都さんの言葉に驚いた表情。 FBは無言で、僅かに眉を顰ている。 私はそんな三人に背を向け、食堂を出た。 今度は、引き留める者もいなかった。 …エッチして満足。 確かにステキな誉め言葉だわ。 でもね… そんなんじゃだめなの。 私が最高の仕事をすれば、必ず… ………お客様は、私に惚れるの。 『約束の品、既に可愛川と逢坂の部屋に取り付けてある。今宵録画を行う。明朝にでも此処に来るが良い。』 そう銀から言付かってから、一晩が明けた。 朝一番、私―――可愛川鈴―――は制御室に向かう。 途中、疲れた表情の銀と偶然に会う。 「例のものを見せて欲しいのだが。」 「あぁ……ついてこい。」 銀に言われるまま、制御室の奥のディスプレイに案内される。20インチほどのサイズだ。 「おはようございます、可愛川さん。」 声に振り向くと、そこには珠がいた。 そうか、彼女も科学者か。 「例の監視カメラですね。私も見せていただいて良いかしら?」 「ああ、構わん」 私たち三人は、それぞれディスプレイの前で留まった。 「再生するぞ。」 「…頼む。」 ピ、と銀が何かのボタンを押す。 一瞬のノイズの後、ディスプレイには私達の部屋の情景が写った。 私がベッドに入り、すぐに逢坂もベッドに入る。 「早送りするか?」 銀の言葉に頷く。 時刻を示す数字が、早いスピードで時を刻んでいく。 しばらくは、何の変化もない様だった。 ディスプレイの数字が深夜の一時五十五分を示した頃、私は早送りを止めるように言った。 「何かあるのか?」 「…いや、まだない。しかし丑三つ時と言ってな、深夜二時は霊が活動するのに尤も適している時刻なのだ。」 「ほぅ…」 然して興味もなさそうに相槌を打つ銀。 数字が二時丁度を示した瞬間、ふっと何か感じるものがあった。 私は食い入るように画面を凝視する。 何かある…そう確信していた。 …………。 「……何も…ないな…。」 それから十五分程経った頃、銀が零す。 確かにおかしい。 霊気はヒシヒシと感じるのに、霊の動いている気配がない。 動いているのは、逢坂がたまに打つ寝返りくらいだ。 ……たまに…? 「……待て、2時過ぎ辺りに戻してくれ。」 「わかった。」 ピ、と銀が何やらを操作し、時刻を示す数字は二時三分になった。 「音は拾っていないのか?」 「一応拾ってはいるが、大した音は入らんだろうな。」 そう言って、銀博士はおそらく音量調整のツマミを最高まで上げる。 ザザ…と耳障りな音が目立つ。 『…ぅ…ン……』 その雑音の奥で、女性の小さな声が聞き取れる。 『ンッ………あ、……』 「……寝言…か…?」 「…違う。」 私は首を振り、更に耳を澄ませる。 『…あ、ン……、……や、ぁ……』 まさか…… 「これって…喘ぎ声に聞こえるのは私だけかしら…」 「いや…私もそう思っていた。」 珠の言葉に同意する。 「何をバカなことを…」 銀は呆れたような表情だが、私は真剣だった。 『はぁっ……、……あぁ……ンぅ…』 その声を聞き続け、銀もようやく理解してきたらしい。 「……いや…待て、これはプライバシーの侵害では…」 「違う。これは彼女の意思で行っているものではない。」 「それじゃあ…なんだ…?」 「……おまえは信じないだろうが、霊の仕業だ。…こんな特殊な例は滅多にないがな。」 「じゃあ、霊が彼女を犯してるってこと?」 「そうなる。」 珠の言葉に頷く。 二人とも、狐に包まれたような表情をしていた。 「…失礼。逢坂に直接話しを聞きに行ってくる。そのデータは絶対に消すなよ。」 「わ、わかった。」 私は制御室を後にし、逢坂の元へ急いだ。 タタタタタッ…… あたし―――乾千景―――は、廊下を小走りに駆けていた。 急げ急げ……ッ… ドン。 廊下の角、スピードを落とさずにふくらんでカーブしようというあたしの思惑は失敗に終わった。 「いたた……ご、ごめんっ」 がばっと起き上がって、たった今ぶつかった人物を見る。 「…なさい…」 強ばった形相の可愛川さんだった。 ぎゃー怒られるっ! 「乾!」 「は、はいっ!」 「逢坂のことを聞きたい。」 「…………はい?」 ぶつかったことなど然して気にしていない様子で、可愛川さんは問う。 「逢坂さんの…えと、具体的に何?」 「これまでの人間関係だとか、暮らし、職業……」 「えっと……んー?…そういえばあたしもよく知らないんだけど…」 「警察なのにか?」 「それを言われると痛い。多分、蓮池課長がいろいろ知ってると思うけど。」 「そうか。では失礼。」 可愛川さんはスクッと立ち上がると、早歩きて行ってしまった。 ……ていうか、あたし今蓮池課長の所に向かってるんだけど……良いのか? ……まいっかっ。 あたしも立ち上がると、先ほどよりはスピードを緩めて小走りで駆け出す。 目指すは楠森さんの所。 話せるようになった…って…! 「千景〜」 聞き慣れた声に振り向くと、後ろから佳乃がてこてこと追ってきた。 「楠森さんのことだよね?一緒に行こう。」 「うん。」 佳乃と二人、ようやく彼女の部屋の前に到着する。 コンコンッ ノックして少ししてドアが開いた。 「千景ちゃんと佳乃ちゃん。」 出てきたのは遼だった。 その表情は、今までとは違う、喜びに満ちていた。 「いいよ、入って」 遼に促されるままに入室する。 部屋の奥のベッドに腰掛けている女性。 「……あっっ」 彼女は私たちに気づくと、バッと立ち上がって深く頭をさげた。 「は、初めまして!…いや、初めましてじゃないかもしれないけど…ええと、私、楠森深香と申しますっ。あの、あの、これまで色々とご迷惑をおかけしてしまって、ほんっとーに申し訳ありませんでした!」 「は……あ、い、いえ、そんな……」 圧倒される。 確かにあの楠森さんなのだ。 今までと違う点は、眼鏡をかけていることか。 それ以外は見た目は同じなのだが、挙動というかなんというか、雰囲気からして別人。 「えっと、警察の小向佳乃です。改めて、初めまして。」 佳乃も圧倒されてたものの、持前のバイタリティですぐに持ち返して、にっこりと自己紹介。 そんな佳乃につられて私も自己紹介。 「同じく警察の乾千景。宜しくね。」 「はいっ、宜しくお願いしますっ!」 ペコリ ……か、カワーイー。 クスクスと笑う蓮池課長。 「二人とも驚いたでしょう?…私も最初は驚いたわ」 「あの、…なんか、キッカケとかは…?」 私がそう問うと、蓮池課長と遼は顔を見合わせて笑った。 当人である楠森さんは、照れたような表情を浮かべている。 そして答えたのは遼だった。 「あたしの愛の結果ってやつ?」 「……愛?」 「ちょっ、み、三宅さん、愛だなんてそんな…私、恥ずかしい…っ…。だ、第一ね、生徒と教師っていうのは決して…」 「のワリには、先生からしてきたあのキス、結構情熱的だったけどなぁ〜」 「なっ、なななな、そそ、それはその…」 わけわかんないけど照れまくってる楠森先生はめちゃめちゃ可愛いのであります。 遼がなんかしたのか…? キスって一体……。 「楠森さん、…あのー…、PTSDの具合とか…大丈夫なの?」 「えっと……私、今まで、その…心の殻に閉じ込もっちゃってて…それは、現実に絶望してたからで……でも、三宅さんの…おかげで私……、……誰かと話したり…愛しあったり…そ、そういう…現実のすばらしさに気づいたんです。」 「…そっか。」 楠森さんのやや支離滅裂な言葉からなんとか意味を拾い上げ、あたしは納得した。 「だから…PTSDの根本的な解決にはなってないと思いますけど、…戦う、気力が湧いてきました。…ううん、三宅さんが私に与えてくれました。」 楠森さんの言葉に、遼は照れるようにはにかんだ。 そしてビシッと宣誓のポーズを決め、 「あたしが先生のこと守ってあげる!先生の味方!絶対的な味方!何があっても先生のことだけは裏切らない!」 そう言い放った。 「…三宅さん、そんなこと言っちゃ…だめよ…、…ふぇ…先生泣けてきちゃう…」 涙目になる楠森さん。 可愛いな、こりゃ……。 そんな楠森さんにぎゅーっと抱きつく遼。 そして、遼ははっきりと言ったのだった。 「あたしは、先生のこと、愛してる!」 |