「んぅ……、…伊純ちゃん…だいすき…」 「…はぁっ……あ…、ンっ…」 「伊純ちゃん…あたしのこと…好き…?」 「……小向…、……好き、だ……」 「…佳乃って呼んで…。」 「あぁ…佳乃……、好きだ…」 ……… 浴場から聞こえてくる、愛の囁き。 それは、あたし―――乾千景―――の鼓膜まで、しっかりと届いていた。 そして淫らな、粘着質の水音までも…。 信じがたい、というのは、こういうことを言うんだろうか。 今、こうして自分がここに存在していることが、夢のように思う。 …………あんなの……嘘だ……。 …佳乃と……伊純が…… ………っ……、……嘘だ!! ガタンッ 「っ!」 足下の板がずれ、大きな音が響いた。 ……ヤバイ。 ヤバイ…! ……あたしはその場から、逃げ出した。 走る。…とにかく、浴場から離れなければ。 ……走る。 佳乃はどう思う?あたしがあんなとこで盗み聞きしてたって知ったら! …………絶対、嫌われちゃうよ。 ……いやだ! どんっ! 突然、何かにぶつかった。 「あ…?」 ふわ…と、宙に浮く感覚。 ドサッ 次の瞬間、背中から腰にかけて鈍い痛みが身体を襲う。 「っ……?」 「千景さん!だ、大丈夫ですか!?」 階段の上から誰かが降りてくる。 …そっか、階段でぶつかって、…落っこちたんだ。…ここは踊り場で… 「あ……!」 あたしは目を見開いて、今の自分の状態を思い出した。 カッカッカッカッ…… ……靴音? 踊り場より下…そう、浴場のある地下から聞こえてくる。 そして近づいてくる! ヤバイ! ぐいっ 先程ぶつかって、あたしを心配して近づいてきた人物、彼女の腕を取り、引き寄せた。 「え!?」 そしてギリギリまで顔を寄せる。 「な、ななな……」 カッカッカッ… 靴音が階段を上ってくる。 心臓がうるさいほどに鳴っている。 女性の肩に顔を埋めた。 足音が佳乃じゃありませんように…! 「あ、あれ?未姫ちゃん?何やってんの?」 「え?あ、いえ……、ええと……」 「もしかして邪魔しちゃったかね?はは、ごめんごめん。……って、あたし急いでんだった。んじゃね!」 カッカッカッ…… 靴音が遠ざかっていった。 今の声は、都…か……。 「あ、あの……千景…さん……??」 「あ!……未姫さんだったんだ、ご、ごめんね」 「いえ…それより、身体の方は……」 「……あ、…いや…大丈夫……。」 あたしは身体を起こすと、小さく息をついた。 「ごめんね未姫さん。…それじゃっ」 そしてあたしは駆け出す。 ……逃げなきゃ。 時計を見上げる。 時刻は深夜の2時半を指していた。 ……そろそろ休もうかしら。 私―――珠十六夜―――は、煙草の紫煙をゆっくりと吐き出しながら、制御室のコンピューターの終了作業を行なっていった。 「……あれから4日…。」 ポツリとつぶやく。 銀博士がこの施設にやってきてから4日が経った。しかし彼女は、私が預かっている荷物を取りに来ようとはしなかった。 ……今日もダメ、か…。 そう思い、煙草をもみ消した、その時だった。 ポーン… この制御室へ、来客を告げるチャイムが鳴る。 「ハイ?」 私がインタフォンを取ると、入り口に設置されたカメラの映像が入ってきた。 「……私だ。荷物を取りに来た。」 「……お待ちしておりました。」 …銀博士だった。 扉のロックを解除し、入室を促す。 「………ここが…制御室か…。」 「ええ。…素晴らしいでしょう?」 「……………。」 銀博士は、機械の方をあまり見ようとしていない風に見えた。 「……博士。どうして制御室を見ないのですか?こんなに素晴らしいのに…」 「………言っただろう。私は科学者ではない、と…。」 「そんな…。」 「私の荷物はどこにある?」 「………博士、この荷物の中にフロッピーディスクがあるのは何故です?」 「!」 私が手にした小さなバッグ。 博士は表情を曇らせる。 「……中を見たのか?」 「………いいえ。」 「……? ……では、何故…?」 「…………必ず入っているはずです。あなたが科学者たる証が。」 「……バカバカしい…。」 「………。」 「確かにフロッピーディスクは入っている。しかし中身は下らぬ物だ。」 「………」 「見れば良かろう。」 「………いえ…、結構です。」 「………。」 ………わからない。 何故彼女は……。 ポーン ……?また来客を示すチャイム。 「ハイ?」 インタフォンを取ると、見慣れた顔があった。 「いざよい〜…」 「千咲…どうしたの?」 「…眠れないよぉ〜……」 「……仕方ないわね。いらっしゃい。」 扉のロックを解除する。 すぐに、千咲が飛び込んできた。 「いざよい〜っ♪」 「早く寝なきゃダメじゃない…」 「だって、いざよいがいないから……」 「ごめんね、千咲。」 そんな私たちの姿を、銀博士はじっと見つめていた。 「………珠博士、その少女…」 「………何でしょう…?」 ……もしかして…、……気づいた…? 銀博士ならば… 「左手の小指の第一関節の神経が異状をきたしている。」 「え…?」 「………第二関節との接続が上手くいっていないのではないか?」 「…………」 千咲の左手を見る。 「…千咲、指、動かしてごらんなさい。」 「ふえ?…こう??」 ……本当だ…。 小指の第一関節が上手く動いていない。 こんな、細かいところ……。 「施術の必要はないだろうが…。」 「……ハイ…」 「…………それでは、失礼する。」 銀博士は私のそばに置いてあったバッグを手にすると制御室を出ていこうとする。 「ま、待ってください。」 私は彼女を追いかける。 「……まだ何かあるのか?」 「…千咲のこと…、気付かれたのですか?」 「気付く、とは?」 「……千咲が…完全な人間ではないことを」 「当然だ。最初から気付いている。まだ未完成なのだろう?」 「…はい…。」 「まだ穴が多い。…脳神経に関しては大丈夫なのか?」 「いえ…不安は残ります。あと数日間研究を続けることができれば、もっと脳を進化させることができたのですが…」 「なるほど。管理は十分に行なうように。」 「……はい。」 「…………それでは。」 歩いていく銀博士の背中、それはやはり、科学者としての威厳に満ちていた。 私は…彼女を尊敬している。 「いざよい…??…なんのおはなし?」 「……いいえ、なんでもないのよ。」 「いざよい、さっきの人と仲良しなの?」 「……ううん、私はあの人に、あんまり好かれていないから…」 「…そう…なの??…でも、ちさはいざよいのことダイスキだよ〜!」 「……そう…、ありがとう…。」 チュン…チュンチュン…… 室内用BGM『朝』をかけながら、私―――小向佳乃―――は、眠っている千景の上にのしかかっていた。 「……おはよう…、千景…。」 「…………!?」 かなり驚いた表情で、私を見る千景。 「…お、重っ……」 「重いって…ひどいよ〜……」 「な、何して…んの…?」 「…うん…?……なんとなく。」 にっこりと笑むと、千景は困惑した様子で目線を逸らした。 「……ねー、千景。最近、なんか冷たいよね?」 「そ、そんなことないよ。」 「そんなことあるわ。」 私は笑顔で言い返した。 「………よ、佳乃だって!」 千景は少し怒った様子で、私を押し退けて起き上がった。 「佳乃だって、最近なんか変じゃない?いっつもボーッとしてるし。恋煩いでもしてるんだか?」 「……な、何言ってるの。そういう千景だって、好きな人とかいるんじゃないの?」 「え…?な、何が…?」 「………千景っていっつもそうだよね。自分のことは棚にあげて文句ばっかり。」 「な、何よそれ。」 「例えば、いっつも千景は私に『その強すぎる正義感なんとかしなさい』って言うでしょ?そのくせ、千景って、悪人に対してはスゴーク残酷じゃない。そういうのって矛盾じゃないの?」 「それとこれは別でしょ?悪人に対して優しく接するワケないじゃない。佳乃はいろんなことに首突っ込みすぎるって意味で言ってんのよ。」 「それが私たちの仕事じゃない!一人でも多くの人を幸せにして…」 「幸せにってね、人には触れられたくないことの一つや二つあるでしょーが。そういうとこは干渉しない方がその人のためってもんじゃないの?」 「違う!千景は…、…千景は足りな過ぎるの!!」 「なんでそんなこと言えんのよ?」 「だって千景……、…肝心な時には、いっつも傍にいて、くれて……」 「……佳乃?」 あ、あれ…?おかしいな……涙が…… ……止まらない……。 「ちょ、佳乃?なんで泣いてんの…?ちゃんと言ってよ…」 「ぅ…、……ふぇ……。」 「………。」 『傍にいるから』って言って欲しかった。 『大丈夫だよ』って言って欲しかった。 『泣くなっ』って…。 ……抱きしめて、欲しかった…。 なのに…千景は…… 「……伊純に、慰めてもらえば?」 「…!」 「………あたしなんかに、涙なんて見せないでよ。バカ。」 パンッ! 何も考えられなかった。 手が勝手に動いた。 その手は千景の頬を捕らえていた。 「っ…」 千景の頬が赤くなる。 痛そうに眉を顰める千景。 ふっと、千景と目が合う。…冷たい目。 「なんで…、なんで叩くの?あたし、悪いこと言った?」 「………」 「もういいよ!あたしの前から消えて!!伊純のとこにでもどこでも行けば!?」 「………千景のバカ!大っっ嫌い!!!」 私はそう言い放ち、走って部屋出た。 行く先は決まらなかった。 ……伊純ちゃんのところにも、行きたいって思えなかった。 「皆さん、おはようございます。一週間と五日目の朝ですねー。体調を崩した人はいませんか?」 朝の会。 皆の前でそう話しているのは、佳乃さんでも千景さんでもなく、蓮池さんだった。 「あ、あの…佳乃ちゃんと千景ちゃんは?」 冴月さんが手をあげて質問する。 今、全員が一番気になっていること。 「えっと…二人から別々に連絡があって…朝の会を休ませて欲しい、と…。」 「…そうなの…?……何かあったのかな?」 「…そのようね。乾ちゃんと小向が別々に連絡してきた辺りがミソかもね。会ったら、何か声をかけてあげてね。」 「はーい。」 そして本日の朝の会終わり。 ……私―――飯島未姫―――は、施設内を散歩しようと思っていた。……ううん、本当は、千景さんを散策しようと……。 早速千景さんと佳乃さんの部屋に行ってみたが、部屋には誰もいなかった。 うーん……さっそく行きづまっちゃったかも……。 地下一階は、いつものホール、食堂、それぞれの部屋、制御室。…食堂はさっき来る途中に覗いたけどいなかったし…。 次に地下二階は、大浴場、娯楽室、倉庫、…その他諸々。 地下三階はあんまり行ったことがない。確か、地下二階と吹き抜けになった体育館があるっていうのは聞いた。 ……よぉし…行ってみよう…。 まずは地下二階。…に行く途中の階段の踊り場で、数日前のことを思い出した。 あれって、何だったんだろう…。 キス、されるかと思っちゃった…。 …あの時から、なんだか変だったから… 気になってた。 地下二階を見て回るが、千景さんの姿はなかった。次は地下三階。 廊下にはやはり明るめの電気が灯っていたが、人の声もなくシーンとしている。…ほんの少しだけ怖かった。 ………あ…れ? ふと聞こえた、音。 ……音楽…。 …ギターの音? 伽世さん…かな…? そんな音に引き寄せられるように、私は奥へと進んでいった。 そして、音が漏れる部屋の前へとたどり着く。 本来は防音らしいが、わずかに開いた扉の間から零れるその音は、なんともセンチメンタルで寂しい曲だった。 そっと扉の隙間から中を覗く。 ………千景さん…だ…。…見つけた…。 改めて入り口を見上げると、『音楽室』の文字があった。 中では、一人でギターを鳴らす千景さんの姿。 よく聴くと、小さくだが曲を口ずさんでいるようだった。 ……私はじっと、彼女の歌を聴いた。 それはとても切なく、儚かった。 「放課後の校庭 彼岸桜 白い膝 瘡蓋の両足 鼻の奥突き抜ける 冬の夢 その先にあるものを恐れてた 黄金の森と ウージの音色 私の頬は どうしてあんなに凍えていたのだろう 暮れていく毎日も止められず 怖いのはふらんでいく乳房 胸をかき鳴らす砂ぼこり たぶん全ては絡まって 風に押されて走ってた 夕顔咲いた海までの道 私の耳は どうしてあんなに凍えていたのだろう なだらかに巡る 零れ落ちるデイゴの涙…」 きゅぅーっと、胸が締め付けられるような感覚…。 パチパチパチパチパチ… 「未姫さん…」 「……いい曲…ですね。」 「…うん。この曲、好きなんだ。」 扉の傍からの拍手に、千景さんは照れくさそうに笑んだ。 「ヘタくそな演奏なのに…拍手なんていらないよ。」 「いいえ、上手でしたよ。すごく…」 「……ありがとう。」 「あの……入っても、いいですか?」 「あ、うん、もちろん。」 私は音楽室に足を踏み入れた。 静かな音楽室。 「……千景さん。」 「……はい?」 「…元気、ないですね。」 「………わかる…?」 「………なんとなく。」 「…いろいろあってね。佳乃とケンカしちゃって…」 「ケンカ、ですか…」 「どっちが悪いのか、よくわかんない…考えれば考えるほどブルーんなっちゃって…それで、ストレス解消にギター弾いてたんだ。」 「…楽器弾くのって、本当、スッキリしますよね。…良かったら、もう少し弾いてみませんか?その後、考えればいいですよ。」 「…ん、そだね。よし、何弾こうかな〜」 「あの、…合奏してもいいですか?」 「合奏?未姫さん、なにができるの?」 「ちょっと待っててくださいね。探して来ます。」 そう言って、私は準備室へと入っていった。 中を見渡して、目的のものを探す。 ……あった! 「お待たせしました!」 私はその楽器を急いで組み立て、千景さんのところへ戻った。 「……トランペット…!」 「はい!小さい頃からやってて…。」 「……よし…、じゃ、やるか!」 「はいっ!」 パァァァァァ! 音楽室に、そして地下三階に、美しいトランペットとギターの音色が響いた。 「おおおおぉぉぉぁあぁぁあああああ!!!!」 「っふ!」 バシンッ!! バシッ バン!! 「せいっ!!!」 「えいっ」 「うわっ!!??」 あたし―――佐伯伊純―――は、都の足払いによってまたも敗北をきっした。 「っ…いてぇ……。くそ、いい勝負だったのに!」 「本当ねぇ〜…。…伊純、なんかあった?」 「あぁ?なんかってなんだよ?」 「い、いや……。…今日の伊純っちは、殺気があるのよ。」 「…殺気?」 「なんかこう、すんごいイラついてたりしない?」 「…………。」 「ビンゴでしょ?」 「……あーくそ!」 あたしは傍に落ちていた刀を拾い、都に切りかかる。 「ノォッ、反則!フライング〜!」 「お前が言うな!!」 バシッ! あたしの不意討ちで、都の刀は宙を舞った。 「ほう……反則とは言え初勝利ね。おめでとう伊純ちゃん。反則で初勝利。」 「……なんかイラつく言い方だな。」 「ふふふ。…あ、そだ、勝利のお祝いにおもしろいこと教えてあげる」 「おもしろいこと?」 「ふっふふふ〜…人に言っちゃダメよん」 「な、なんだよ…」 つつつっとあたしの傍により、耳打ちしてくる都。 「……ふぅー」 「♯!♂ゝ∇∝゛ξっっっ!?」 こ、コロス!! 「わぁ殴んないでよ、冗談じゃんよ〜!」 「うるさい!バカバカバカバカ!!」 「いや、本当に教えるからさ、ね、ね?」 「……本当の本当か?もしまた同じことやったら本当に不意討ちで殺すからな!?」 「う、うん、わかった……」 そううなずいて、またあたしの耳に口を近づける。 「……あのね、実はこの前ね、すんごいシーンを目撃しちゃったのよ。」 「…すごいシーン?」 「そう。なんとっ、未姫ちゃんと千景ちゃんはラブラブなのです!」 「………はぁ?!」 な、何言ってんだ……?? 「いや、これね、本当に信憑性高いんだってば。なんたって、このあたしが目撃したんだから!」 「……詳しく言え。」 「ふふーん、それがね、あたしが地下2階から一階へ昇る階段を上ってたのよ。そしたら、なんだかラブラブな会話が聞こえてくるじゃないですか!」 「ら、ラブラブな会話?」 「『じっとして下さい…』『ん…?何するの…?』『あ、ほら、動いちゃだめです…』『あ…』」 ……都の物まねは、確かに似ていた。 声といい挙動といい、千景と未姫サンのコピーみたいだった。さすが怪盗…。 「そ・し・て・!あたしが通りかかったその瞬間、二人はあまぁいくちづけを…!」 「…………本当…なのか?」 「本当よ!千景っちが引き寄せてるように見えたわっ」 「………。」 「…どうしたの?もしかしてショック?」 「いや、そうじゃないけど……。……半分だけ信じといてやる…。」 「半分ねぇ。……まぁ賢明だわ」 「なんか言ったか?」 「いいえ、なんにも。」 都の笑顔を見ながら、内心はかなり複雑だった。………あたしの予想があってるなら……佳乃は……。 「はーるか。」 「……あぁ……セナ。久々。」 「うん、四日ぶりだよね。元気してた?」 「……微妙。」 「そ、そう…。」 夜の12時過ぎ。あたし―――三宅遼―――が食堂で軽い夜食を取っている時、ひょこっと現れたセナに声をかけられた。 ここ数日間、ずっと先生の傍に居た。 あの後何度か目覚めたけど、あたしのことを見てはくれなかった。 それでもあたしは…ずっと傍に居た…。 「……遼、痩せてない?」 「え?そう?」 「…うん、なんとなく…。」 「……ご飯、ちゃんと食べてなかったからかな。」 「絶対そうだよ。大体、そのメニューもダメだよ!サラダにコーンスープって…」 「……でも、お腹空かないから。」 「…遼…。」 「……セナ、元気?」 「え?…うん…あたしは元気だよ…。」 「…良かった。」 「……っ〜、遼!元気だしなよ!まじで!」 「………うー。」 「あたしは、何があったか知らないけどさ、笑顔ってすごいよ?みんなハッピーになるよ?これホントだよ??」 「………でもさぁ…笑顔って作るもんじゃないと思わない?心からの笑顔ってそう簡単には……」 「遼、覚悟!」 「は?」 突然あたしの後ろに回り込んできたセナは、あたしの身体に触れ…… 「きゃ、わ、そこだめだって、…ゃぁっっ……、きゃははは!だめってばっ、あははは!食事ちゅう、なのっに…あはは、ははは!」 「笑えぇぇぇ〜〜!!」 「あぁっ、だめぇっ……っきゃはははは!!」 ……それから十数分間。 高村さんの『何やってるの…?』で、ようやくセナの強襲は終わった。 「あぁぁ……疲れた……死にそう……」 「あたしも疲れたよ…こんなにぶっ続けでこしょぐったの初めてだもん……」 「二人ともバカなことやってるのね。」 高村さん、笑顔で痛いところ突く。 「月見夜さん、バカじゃないよっ」 しかしセナは高村さんの言葉を否定した。 「遼に笑顔を取り戻そう企画だったの!」 「…なるほどね。セナちゃらしいわ」 「………ったく、セナには負けるよ。」 そうつぶやくと、自然に笑みが零れた。 そんなあたしを見て、セナは嬉しそうに笑った。 「ここは……?」 私―――妙花愛惟―――は、見知らぬ場所に立ち竦んでいた。一本の細い道が目の前から始まっている。果ては見えない。 このずっとずっと先に… …何があるのだろう……? 『愛惟…』 え……? 『愛惟…』 この声は…… そう、懐かしいあの声…… 「パパ…、ママ……。」 姿は見えない。 けれど、この道のずっと先から聞こえるような気がする。 私はその声に引き寄せられるように、ふらふらと道を歩みだした。 『愛惟…早く来てくれ…。…お前に会いたい……』 『愛惟…、ママにその顔を見せて…お願い……』 「パパ…ママ……、どこに、いるの…?」 それからどのくらいの時間、その小道を歩いていっただろう。 目の前に、大きな川が現れた。 川の向こうに…霧の向こうに、人影が見える。 「…パパ…?…ママ…なの…?」 『愛惟……早く……』 『おいで……ここへ……』 「……今、行く…」 私はゆっくりと、その川に足をつけた。 不思議と冷たさは感じなかった。 一歩…二歩…三歩…… ……次の瞬間、頬に鋭い痛みが走った。 「…な、なに…?」 『起きろ…!』 天から聞こえる声。 次第にその声が大きくなって行く。 そして… 「妙花!」 「……う…、……」 「…気付いたか。…心拍数も血圧も戻って行く……。」 「……銀……さん…?」 ぼんやりと開いた瞳には、同室の銀さんの顔が写っていた。 「大丈夫か?」 「……はい…、……私…いったい…」 「それは私が聞きたい…心臓発作でも抱えているのか?」 「い…いいえ……。」 …ここは…あの施設の…自室のベッド…。 「急に過呼吸になった。それと同時に、心拍数が減った。…これは、どういうことだ?」 「…わかりません…。」 「………原因不明か。」 「…あ、でも……一つだけ、心当たりがあります。」 「心当たり?なんだ?」 「……私、悪霊に憑かれているんです…だから、悪霊の仕業…とか……」 「………ふっ…」 私が言うと、銀さんは小さく笑った。 「そんなバカなことがこの世に存在すると思っているのか?」 「え、…あ………、…その、…私、可愛川さんにそう指摘されて…。…実際、すごく今まで不幸が重なってるんです!…だから…もう……。」 柄にもなく、そう説得してしまう。ふと、銀さんの表情が変わった。 「……おばけ…か?」 「え?」 「……その、悪霊とは……おばけと同じようなものか?」 「えぇっと……詳しくはわからないですけど……似た感じではあると思います。」 「そうか……。………」 「……あ、あの…私、可愛川さんのところに行ってきてもいいですか?」 「……こんな時間にか?」 そう言われて時計を見ると、時刻は午前4時を指していた。 「……どうしよう…。」 「明日にすれば良いことではないか。」 「………銀さん〜……」 私に背を向けてベッドに入ってしまう銀さん……ああぁ…どうしよう…。 「……。」 「し、銀さん!」 「……なんだ?」 背を向けたままで声だけ返ってくる。 あぅぅ…怖い……。 「あの……一緒に…寝てもいいですか…?」 「………え?」 「…うぅ…お願いです…私、怖くって…」 銀さんはゆっくりと身を起こす。 そして私の方を見る。 その表情から、彼女の胸の内は読み取れない! 「………良い。」 「ふえ…」 「……一緒に寝ても良いといっている。」 「本当ですか?!……良かったぁ…」 私は快い(?)返事を聞いて、そっと銀さんのベッドに滑り込んだ。 銀さんの匂いがして…すごく暖かい…。 ………すぐ顔の前に、銀さんの胸部があった。 「……はぁ…」 私はそっと、その胸に顔を押しつけた。 「………。」 銀さんは無言だったが、空いた手はそっと私の肩を抱いていた。 暖かい胸の中で、私は再びの眠りについた。 同室の妙花が、奇怪キテレツなことを言い出した翌朝。 実際心拍数の変化にもつながっているので、気にはなる。 私―――銀美憂―――は、可愛川とか言う女の部屋を訪ねた。 コンコン 「は〜い…」 女の声がして、すぐに扉が開く。 肩ほどの黒髪の女が、笑顔で出てきた。 「…お前が、可愛川か?」 「あ、いいえ。私は逢坂と言います。もしかして、銀さん…ですか?」 「そうだ。可愛川とやらに会いに来た。 「……私に来客とは珍しい。」 奥から聞こえた声。 「何用だ?」 「お前が可愛川か…。」 美しい長い黒髪、切れ長な瞳、不敵な口元。そして神子装束。 「私は銀という。妙花の同室の者だ。」 「妙花の?」 可愛川はわずかに表情を変えた。 「昨夜、妙花の身体に異変があった。過呼吸になり、心拍数が著しく落ちた。」 「…そうか。…思っていたより早いな…。」 「お前は、あの原因がわかるというのか?」 「…原因?当然だ。」 「…悪霊、というやつか…?」 「わかっているならば聞くな。」 「……バカバカしい。悪霊などというものが、存在する筈が無い。」 「……お前は、科学者か?」 「……違う。」 「ならば何故白衣を着ている?」 「…以前は、科学者だった。」 「ふん…、…兎に角、一般風情が私に口答えをするな。」 「一般風情…だと…!?」 「違うのか?お前は科学者ではないのだろう?」 「…………っ…」 「妙花に直接話を聞こう。では失礼。」 可愛川はそう言い残し、部屋を去っていった。 「……銀さん、あ、あんまり気にしない方が……。」 逢坂が困惑したような笑みを浮かべ、言った。 「…わかっている。」 私はそう言い返し、部屋を後にした。 あの可愛川とかいう女…。 ………苛立たしい…。 「銀博士。」 名を呼ばれて声のした方を見ると、珠博士が微笑と共に立っていた。 「なんだ?」 「お元気、ですか?」 「…それなりにな。」 ……珠博士は、ずっと私を見つめていた。 「……何か言いたいことでもあるのか?」 「聞きたいことがあります。」 珠博士は即答した。 「……答えらえる範囲ならば。」 「では問います。銀博士、あなたは何故、博士という職業を捨ててしまったのですか?」 「……知りたい、か?」 「はい。」 「…………教えるわけにはいかん。」 「……銀博士……。」 「……それより珠博士、私の名を呼ぶとき、博士号は必要ない。」 「……いいえ。私は、これからもずっとあなたを尊敬します。だから、銀博士で良いのです。」 「……。」 真向から私を見据える瞳。 …怖いくらいに真っ直ぐだった。 「…銀博士…、賭けをしませんか?」 「…賭け?」 「あなたが勝てば、私はあなたを博士とは呼びません。…更に条件をつけても構いません。私が勝てば…あなたが科学者という地位や名誉を捨てた理由を教えてください。」 「……賭けの内容による。」 「……これから一週間、あなたが制御室に来なければ銀博士の勝ち。…いかがです?」 「私が制御室に行けば、お前の勝ちということか?…不公平な賭けだな。」 「…いかがですか?」 「良かろう。」 「……それでは。」 珠博士は薄い笑みを浮かべ、頭をさげて歩いていった。 ………どういうことだ? 珠博士には、何か勝算があるのか? ……不可解だ。 「……はぁ…」 しょぼくれた背中を見つけた。 場所は娯楽室。 部屋の隅にあるビリヤード台に腰掛け、壁の方に顔を向けてボンヤリしている女の子。 「……ワッ!」 「わっ!!!?」 大声で驚かすとあっさり引っかかる。 すごく素直な女の子。 「こんなところで何やってるの?」 「あ…、…蓮池先輩…。」 「…小向、朝の会はサボったワケね?」 「あぅ…ご、ごめんなさい…」 「サボった理由は?」 私―――蓮池式部―――は、ビリヤード台の小向の反対側に腰掛け、背を向けて問いかける。 「…千景に、会いたくなかったからです。」 「乾ちゃんに?乾ちゃんも朝の会は欠席してたわよ。」 「え…そうなんですか…。」 「…ケンカでもした?」 「………はい…。」 「そう…。」 小向と乾ちゃんのケンカは、これが初めてではない。署内でも、たまーにケンカして…回りの空気をピリピリさせてたっけ。 「今回のケンカの原因は?」 「……私が…千景に…、……『最近冷たい』って言ったんです。…それで…だと…」 「最近冷たい?そうなの?」 「…はい。千景、ここ数日間いっつも私のこと避けてて…」 「心当たりは?」 「…………ある…かも…」 「あるの?何かしたの?」 「………ぅー…」 小向は困った様子で小さく唸りを上げた。 「…蓮池先輩って口堅いですか?」 「堅いわ。」 「……絶対、誰にも言わないって約束してくれますか?」 「……約束する。」 「……実は…、……」 小向がゆっくりと、言葉を発した。 声がわずかに上擦っている。 「……私、伊純ちゃんと…、………その……………」 「………?」 「…………え、…エッチしちゃって…」 「……!」 ……さすがの私もビックリ。 「……こ、小向〜〜っ!」 「ごめんなさい…」 「……まぁ、お互いの同意の上なら問題はないけど……」 「うー…私が一方的に……」 「小向〜〜〜〜っっ!!」 「わぁん、ごめんなさい!で、でも、伊純ちゃんも私のこと好きって言ってくれたから同意の上なんです!」 「……そ、そう…。…それで?」 「…それで…えと……エッチしたのが…お風呂場で……」 ……思わずため息が漏れる。 「誰に見られても文句言えないわね。」 「はい…途中で、カタンって音がして…その時はドキッとしたんですけど、だんだん、忘れちゃってて……。」 「…それが、千景だったかも知れない…と」 「……ケンカして…私、泣いちゃって…。……その時、千景が言ったんです…。『伊純に慰めてもらえば?』って…。」 「…そりゃ、乾ちゃんも乾ちゃんね。」 「………あの言葉…辛くて…。」 小向の声がますます上擦ってきた。 「小向、その、伊純サンはどうなの?」 「え…?」 「小向は伊純サンのことが好きなの?」 「好きです…。……う、たぶん……」 「たぶん?」 「……伊純ちゃんに、ぶっきらぼうだけど優しい言葉かけてもらって…私、嬉しくて…。…でも、千景に言われた時は…伊純ちゃんにところに行きたいって思えなくて…」 「小向は、今、精神的にすごく不安定だと思うの。」 「………」 「ご家族のこと、そう簡単には受け入れられないものよね。」 「……そうなんです…、私、全然実感が湧かなくて……」 「今は、一種の現実逃避の状態にあるわ。今はそれでもいい。いつか、傷が和らいだときに見据えなさい。」 「……はい…」 「小向の心は、今とても脆い状態よ。絶対に誰かの支えが必要。…そこに、来るはずの乾ちゃんではなく…伊純サンが来た。」 「来るはずの…?」 「相棒でしょ?大切なパートナーなんでしょ?……乾ちゃんのこと、大好きでしょう?」 「………はい…。」 「乾ちゃんも悪い。相棒が辛い時期に支えてあげられなかったから。」 「………」 「でも、乾ちゃん今は後悔してると思うわ。伊純サンに慰めてもらえって…そう言ったのだって、意味としてはきっと裏返し。…嫉妬してるのよ。」 「嫉妬……?千景が、伊純ちゃんに?」 「そう。乾ちゃんも、小向のことが大好きなのよ…きっと。」 「………ぅー…」 「ほら、泣かない!」 「…うえっ…ふえぇぇ……」 「ったく……」 ……手のかかる部下を持ったわ。 手のかかる、可愛い部下をね…。 「……お腹空いた……。」 私―――Mina・Demon‐barrow―――は、ポツリと呟いた。 昨日から世話係の婦警が来ない。 …お腹空いたのに……。 「Minaさん、入ってもいいですか〜?」 …この声は… 「御邪魔しますっ。」 「……なでしこ。」 「……なでしこ?」 「……じゃないのよね……。……うーん…」 「……あれ、もしかしてまだ私の名前わからないんですか?」 「………」 小さくうなずく。 「……ひっどーい。」 「……聞く、機会がなくて…。」 「なんでですかっ?」 「なんでって言われても…。……その、日本語使うのは抵抗があるっていうか……」 「もぉーっ。…あ、また縛られちゃったんですね。解きます♪」 今日の楽しそうに縄を解いてくれる。 「よし、解けた!」 ………自由になった自分の両手を見る。 「そういえば、相変わらずお掃除不足ですね。お掃除スイッチとか押してくれないんですか?」 「……私が中にいるのに押したら大変なことになるし…」 「あ、そっか。じゃ、手動でお掃除します!」 彼女はまた、例のクローゼットを開けてゴソゴソやりだした。 「ふんふんふん〜♪お掃除お掃除〜♪」 私は彼女の背後にゆっくりと近づく。 ………気付いていないそぶり。 実際はどうだかな……。 彼女の真後ろまで来た。 そして…… ……ぎゅっ。 「…Minaさん、何やってるんですか?」 「…抱きしめてる。」 私は彼女を背後から抱きすくめた。 耳に軽く息を吹きかける。 「やん…」 そっと耳の裏に舌を這わせる。 「あ…っ…、…だめ…」 「……これ以上犯されたくなかったら、名乗りなさい?」 「……ん…、あんっ…、……」 「…犯されてもいいの?」 「……いい、ですよ……」 「…………。」 こ、この娘…。 処女かと思ってたのに…。 「ふふ…もうおしまいですか?…つまんないなぁ……。」 ムカッ 私は勢いに任せて、彼女を押し倒していた。 「あ…、そんな乱暴にしちゃヤです…」 彼女のシャツの下に手を入れ、下着の上から胸を揉む。弾力があって、思ったよりボリュームもある。胸の先端をいじると、すぐに硬直していく。 「あん…上手……。」 首筋に舌を這わせ、唇で吸ってキスマークをつける。 「はぁ…はぁ…っ…、Mina…さん…。」 心臓が高鳴る。 私は彼女の秘所へと指を…… 「ご飯です〜!」 「あっ!?」 「きゃっ…」 唐突に明け放たれた扉。 そこには食事のワゴンを引いたいつもの婦警がいた。 三人、しばし時が止まる。 「………なななな、なにやってるんですか!!?か、和葉さん、大丈夫!?」 「はい、私は大丈夫です…っていうかむしろ同意の上だったりして…」 「同意って言っても、……あ、もしかして縄をほどいちゃってたのも和葉さんですか!?」 「え、えへへ…」 「もー、笑い事じゃないですよ!」 「カズハ…。」 「……あ。」 私は押し倒した女性を強く抱きしめ、名を呼んだ。 「カズハ…、カズハっ!」 何度もその名を繰り返した。 私に組み敷かれた女性は小さく笑んだ。 そしてそっと、私の鼻の頭にくちづける。 「……ふふ…、大正解です。答えるのちょっとだけ遅いですけどね」 「…ごめん…」 そんな私たちをきょとんと見ている婦警。 カズハはそっと私の身体から離れて立ち上がり、婦警に近寄った。 「佳乃さん。…彼女を解放してください。」 「え…、…え!?」 「…彼女に、日本人に対する敵意はありません。」 「……そう、なの…?……本当に…?」 「hey、ヨシノ。」 私はポケットに入っていたある物を、婦警に投げた。 「わっ?」 婦警はそれをキャッチして手の平を見る。 「……これは…?」 「軍のIDが埋め込まれたバッチ。私の生態反応がなくなるかバッチが壊れた時、軍のコンピュータからバッチの持ち主の登録情報は消えるわ。」 「………Minaさん…、…に、日本語?」 「……私の父方の祖母が日本人なの。見た目はこの通りアメリカンだけど…日本人の血もちゃんと流れてるわ。日本語は日本をこよなく愛していた父から教わったの…。」 「そうだったんですか…。」 ヨシノは手にしたバッチをきゅっと掴み、 「…いいんですね?」 確認するようにそう問う。 「トーゼン。……壊しといて。」 私が小さく笑むと、ヨシノもつられるように小さく笑った。 「…バッチ、預かります。今からみんなと話し合ってきます。…少しだけ、待ってて下さいね。」 「Ok,……良い報告を待ってるわ。」 「……はい。」 ヨシノは力強く頷くと、部屋を出ていった。 「…Mina。」 私の片手が、カズハの暖かい手に包まれる。 「…うん?」 「……ごめんなさい、今まで辛い思いをさせてしまって」 「ううん。ゼンゼン。問題Nothing.」 そう言って笑うと、カズハは嬉しそうに笑み返してくれた。 「Mina…、…close eyes…」 カズハはそう囁いた。 「……カズハこそ。」 私はそう囁き返し、カズハの頬にそっと触れた。 互いの顔がゆっくりと近づき、くちびる同士はそっと触れ合った…… 「…あ、…ねっ……千景…」 「!」 突然、服の裾を掴まれて少し驚く。 緊急会議で呼び出され、Minaのことを話し合ったあと。 あたし―――乾千景―――は途中の廊下で呼び止められた。 ……佳乃に。 「………ん、…」 もう怒りとかそういう感情はなくなっていた。 …なんつーか、あたしらしくないけど…「切ない」感じがする。…痛い…。 「…あの…、……少し、いいかな?」 「…うん。」 佳乃の言葉に、あたしは小さく頷く。 佳乃は誰もいないかを確認するように、回りをキョロキョロを見回した。 しかし… 「あ…!」 廊下の向こうに人影があった。 向こうのあたしたちを見て驚いたような表情。 ……伊純だった。 佳乃は困惑した様子。 伊純はあたしたちに近づいてきた。 「……あのさ、ちょっとい?」 伊純はそう言った。 「…いいよ。何?」 あたしがそう返すと、伊純は薄く笑んだ。 「小向に言っとかなくちゃいけないことがあって。」 「私に…?」 伊純は、挑発するようにあたしを見遣り、そして言った。 「確認みたいなモンだけどな。小向、あのセックスって遊びだよな?」 「…え…、…伊純…ちゃん……?」 「いや、もし小向が本気にしてるとヤバイじゃん?だから確認。こんな変な真似したくないんだけど、小向なら有り得るとか思って」 そこにいたのは、不良少女…だった。 伊純の冷徹さ。卑怯さ。非道さ。 「…ひ、…ひどい……」 佳乃はわずかに震え、そう零した。 「マジで本気にしてたの?…相変わらずバカだな、小向。」 「……ひどいよ…伊純ちゃん……」 「ウルサイ。お前の見る目がなかったって話だろ?………千景に慰めてもらえば?」 「…!」 「…っ…」 伊純が言った言葉は、先日あたしが佳乃に浴びせた言葉と同じだった。 こんなにひどい言葉…ないよ……。 「…あぁ、ってか千景が悪いんだろ?ほかの女に現抜かしてるから。」 「ほかの女?…なによそれ?」 「飯島と噂んなってる。階段の踊り場でキスしてたって。」 「な…!?」 「なにそれ……?」 伊純はクスクスと笑い、 「じゃーな、佳乃」 そう言って歩いていった。 ………伊純…。 佳乃を見遣ると、信じられない、という表情で伊純の後ろ姿を見つめていた。 「……佳乃…」 「…あ、…うん…?」 ふっと我に返るように、佳乃は私の顔を見る。 ……久々に真っ直ぐ佳乃の顔を見て、言葉が詰まった。 「…千景、未姫さんと仲いいの?」 「え?ち、ちがっ」 「キスってなに?したの?」 佳乃は私を見つめて質問責めだった。 「未姫さんなんて意外な路線だよね。知らなかっ…」 「バカ!違うっつってんでしょ!!」 あたしは怒鳴った。 しん、と静寂が訪れる。 佳乃は下を向いて、「ゴメン」と呟く。 そしてそのまま、廊下の床に泣き崩れた。 「佳乃…」 「…うっ…うぁあ…っ……!」 堰を切ったように泣きじゃくる佳乃。 私はその華奢で繊細な身体を抱きしめた。 「千景…、ごめんね…、ごめんなさい…ごめんなさいっ………」 私の胸に顔を埋めながら、佳乃は繰り返し謝った。 「……あたしも…ごめん…。佳乃のことわかってやれなくて……、…ごめん……」 佳乃の髪に顔を擦り寄せると、甘い香りがした。 「ち、かげ…」 ゆっくりと顔を上げる佳乃。 涙に濡れたその表情は、どうしようもなく色っぽかった。 その濡れた口唇にくちづけたかった。 …でも… 「……ほら、泣きやめっ。仕事するよ!」 立ち上がり、ぐいっと佳乃の腕を引っ張り上げる。 「いた、いたたたた!千景、いーたーいーよぉぉぉ…」 「このくらいで何言ってんの。ほれ。」 引っ張り上げても立たなかった佳乃だが、ただ手を差し出すだけで、佳乃はその手に手を重ね、すっと立ち上がった。 「…えへへ。」 「なに笑ってんの?」 「お姫様みたい。」 「…ハイハイ。」 佳乃は可愛い。 顔も可愛い。白い肌にサラサラの髪。 華奢で繊細で、どこか儚くて。 ドジでほえほえで天然気味で。 でも時々頑固で正義感が強くて。 女性として、佳乃よりも魅力的な人はこの世に絶対にいないと思う。 最初、佳乃が配属されてきた時から、すごく魅かれてた。仕事のパートナーとしてつきあってくうちに、佳乃のいいところも悪いところもドンドン見えてきた。 全部引っ括めて好きになってた。 誰よりも、好きになってた。 でも今はまだ口に出せない。 恋人なんて、佳乃以外に考えられない。 だから私の大切な想い、温めてくんだ。 愛してる、って言えるまで……。 |