運命の導き





 2200年12月31日、午後23時55分。
 あの大地震から20年の年月が過ぎた。
 東京市は…否、地球全体が、20年前までは確かに存在していた人類の進歩を、見る影も失っていた。閑散とした街。うっすらと霧のようなもので濁る空気。建物が崩壊し、そのまま放置された瓦礫の山。人影は無く、時にカサカサとネズミが地を這っていくくらいしか、目立った生命体はない。
 しかしそこは確かに、20年前には明るく賑やかだった渋谷709の前であった。あの大地震で709は崩壊し、今ではその跡地に二階立ての建物が一つ、ポツンと立っているだけだった。
 その時、静寂と濁った空気の向こうから、それを破る音が辺りを震わせる。

 ウゥ〜……

 遠くから微かに…それは次第に音を増し、けたたましく辺りに鳴り響く。サイレンのような音。
 少しして、その発音源である一台の小さな車が走ってきた。
 車の上には赤いランプが光っている。
 いわゆるミニパトというやつだ。
「…で、どんな事件だって?」
 荒々しい運転をしながらそう問うのは、少し切れ長の瞳の女性。黒い肩までの髪をばらしている。どことなく粗野な印象を受ける。年齢にして二十代半ばといった所だろうか。
「えっと、3丁目で喧嘩。人数ははっきりしてないけど、大した数じゃないと思うよ。」
 助手席に座る女性はそう答えた。 
 美しい薄茶色の髪は鎖骨より長い程度で、それを緩く結っている。たれ目気味だが、その瞳には意志の強そうな光が灯る。隣の女性と同じく、二十代半ばほどに見える。
 二人は紺色の婦警スーツに身を包み、その腰元にはそれぞれの拳銃が顔を覗かせる。
 しかしこの時世、たかが拳銃ごときで安心はできない。理由は、日本の銃刀法が改定され、今はアメリカと同じように一般人でもその所持を許されているからだ。


 自己防衛のためという形で改定はされた銃刀法だが、それによって犯罪が急増しているのも事実だった。
 日本国民が自己防衛を必要とする理由、それは「戦争中」だからである。
 世界的な均衡の崩れた地球では、国際平和条約、国連といったものも、意味をなしていなかった。
 血の大晦日から始まり、地震に引き続いて起こったさまざまな災害(火山噴火・巨大台風・地盤沈下・飢饉など)で、国家的な力が弱まった各国。それを一番に恐れたのは世界一の大国である米国だった。
 米国は他国の侵略を恐れ、また別の目的も持ち、日本国を攻めてきたのだ。
 唯一所持していた核爆弾を切り火にし、士気の落ちた日本国へ、ここぞとばかりに大軍を送り込んできた。
 島国日本国。その主要港は占領され、米国軍の猛攻は日々着々と進んでいた。
 日本国の災害による被害は大きく、人口は見る見るうちに減り、今や兵力など残っていない。
 何故米国が日本国に戦争を仕掛けたのか、その理由を知る者は数少ない。日本国国家と、日本国へ戦争を仕掛けた米国の国家のみであった。
 米軍の兵士の多くは、その理由を知らず、生きる糧を得るためだけに戦争に参加しているのだ。
 目的も不透明な米軍の強襲に、日本国国民は怯えていた。
 しかし国民のわずかな期待も空しく、日本国国家は沈黙を守るのみだった。
 

「あそこだね!」
 パトカーの助手席に座る女性は、人間数人が固まっている街角の一角を指差し言った。
「OK。」
 運転席の女性は一気にアクセルを踏むと、急ハンドルを切り、車体を軋ませつつ横滑りの状態で人間が数人集まる場所へと車を寄せた。
 そんな荒々しい運転に怯むこともなく、助手席の女性は颯爽と車から降り立った。
「警察です!」
 胸ポケットから取り出した手帳には、鈍く輝く日本国警察の紋章が見える。
 警察手帳をその場にいる数人の人物に向けながら、改めてその数人を見る。
 男が三人、そしてその三人に囲まれるように女が一人。
 男のうち二人がナイフを所持し、そのうちの一人は腕から血を流していた。
 女性も腕や顔の数箇所から血を滲ませながらも、鋭い瞳でナイフを構えている。
 女性?…否、寧ろ少女と言うべきだろうか。
 不良じみた雰囲気の少女は、警察の二人に鋭い視線を投げかけた。
「3対1!?なんて卑怯なの!」
 キッ、と男性を睨んだ助手席の婦警は、すばやく拳銃を構え、男たちに向けた。
「ま、待てよ、婦警サン。」
 男達は困惑した様子で、互いの仲間を見遣っている。
「撃つわよ!死にたくなかったら、こんな事二度としないと誓った上で去りなさい!」
「チッ。おら、行くぞ」
 リーダー格らしい男が舌打ちして言うと、2人の男性はぞろぞろとその男性についていった。
 男達の姿が見えなくなったところで、頬に掛かった薄茶の長い髪を耳にかけながら、婦警は少女に声をかけた。
「大丈夫?怪我、手当てしようか?」
「………。」
 少女は首筋から流れる一筋の血を手で拭いながら、何も言わず、警官二人に背を向けた。
「待って…。ね、歳は幾つ?保護者はいるの?」
 しつこく尋ねる婦警に、小さく肩を竦めた少女は振り向くと、キッと冷たい瞳で婦警を睨みつけた。
「うるせーよ。ほっとけ、バカ。」
 少女はそう吐くと、そのまま歩いていく。
「ま、待ってよぅ!」
 婦警は少女に駆け寄った、しかし
「佳乃、行くよ!」
 運転手の婦警はそう言い放ち、車に乗り込んだ。
「え?ちょ、ちょっと!そんな…」
 佳乃と呼ばれた婦警は慌ててパトカーに戻り、助手席に乗り込む。
 運転席の女性は、すぐに車を発進させた。
 少女はそんなパトカーを一瞥し、また背を向けて歩き出した。
「……千景、どういうことなの?子供を放っておくなんて…」
 少し怒った様子で、佳乃は言った。
「……あんた、知らないワケ?」
「何を?」
 千景と呼ばれた運転席の女性の言葉に、佳乃は小首をかしげる。
「あの子。この辺では有名な不良だよ。何人殺してんだか…ってね。」
「……不良…?」
 その言葉に、佳乃は小さく眉を顰め、少女の姿を追って後ろを振り向く。
 千景は佳乃につられてバッグミラーで後ろをチラリと見遣った後、その姿がないことを確認し、
「関わらない方が懸命っ。」
 と断言した。
「…う〜…そうかなぁ…?」
 それでも尚引き下がらない佳乃に、
「ったく、その変に強すぎる正義感、どうかした方がいいんじゃないの?」
 と、小さく鼻で笑って言う。
「…。」
 佳乃は不満そうだったが、言葉を返すことはせず、ぼんやりと車から見える外の景色を眺めていた。
「……おっ。」
 しばしの静寂の後、千景が口を開いた。
「……なぁに?」
「日付、変わってる。」
 車に付いた電光ディスプレイの時刻は、24時を過ぎてから20分経過していることを示していた。
「あ、ホントだぁ。2201年かぁ。今日から22世紀だね…。」
「うん。あけましておめでとう、今年も宜しく。」
「千景、全然おめでたそうじゃないよ〜…。」
「…まぁね、言ってみたかっただけ。」
「…………今年はどんな年になるのかなぁ…。」
「…日本国の歴史が終わる、記念すべき年になったりして?」
「…不吉なこと言わないでよぉ…」
「………うん…。」
 2人は、気づいていた。
 それが、事実になる可能性は、高いということ。
 日に日に衰退していくこの国は、そう長くは持たないということ。
 自らの命すらも、いつまで続くか分らぬ、この国で。





「Hold up!!」
 …広々とした教室に、教師が一人、生徒が5人。
 この御時世に学校など通う子供はとてつもなく少ない。
 大抵の親は子供を家の外に出さないし、親がいない生徒は遊んでばかりだからだ。
 しかし学校の制度に関しては話し合う機会もなく、そのままズルズルと続いており、物好きと呼ばれるごく僅かな子供が勉学を学んでいる。
 正月早々。この時世に今が正月だと認識している人間も滅多にいないが、そんな、人も閑散とした学校のとある教室での出来事だった。
 突然、武装した外国人の兵士が銃を構えてそう高らかと言ったのだった。
 まだ若い女教師は、わけもわからずその兵士をぽかんと見つめていた。
「Houl up!!」
 兵士はもう一度繰り返した。
「あ、あわわ…」
 女教師は慌てふためいて両手を上げた。
「Childrens need to raise a hand!(ガキどもも手を上げろ!)」
 英語のニュアンスをなんとなく理解した生徒たちは、おそるおそる一人一人手を上げていく。
 しかし、一人の女生徒はじっと兵士を見つめたまま、机の下に入れた手を上げようとしない。
 色を抜いた髪を後ろで軽く結っている。猫目で、美少女に分類されるタイプである。
「Do you want to die?(死にたいのか?)」
 兵士はゆっくりと女生徒に近づいていった。
「………。」
 じっと見つめる。
「…Hey, you.」
 まだ無言で見つめる。
「Hey!!」
 兵士が怒気はらんだ声で怒鳴り、また一歩近づく。
 ――――キュン!
 刹那、耳につく音が教室で響いた。その直後、兵士はガクリと崩れ落ちた。兵士の手にしていた拳銃が遠くへ転がり落ちる。
「No....!!!」
 兵士の太股辺りから、血が流れていた。
 女生徒は、兵士の落とした銃を手に取り、表情を変えず、その銃口を兵士に向けた。
 フッ、と、少女の唇が歪んだ。

「……死ね。バーカ。」

「...!!」

 昼下がりの教室は、血に染まった。





 ピピピピピ……
 ヴーン……
 ピッ…ピッ…ピッ…
 さまざまな機械音が室内に籠もる。
 薄暗い室内で、一人の女性がコンピューターに向かい、何かの作業を行なっていた。
 歳の頃は二十代後半といった所か、切れ長な鋭い瞳にノンフレームの薄い眼鏡。知的な美女、という言葉が良く似合う風である。
「……心拍値が安定してきたわね…、もう少し…。」
 女性は色っぽいハスキーボイスでそう呟くと、手もとのキーボードを叩き、そして斜め前に目線を遣る。
 そこには、透明の筒状の管があった。天井まで届く高さの其れ。中は水分で満たされているのか、こぽこぽと泡が上がっていく。
「………」
 女性は筒の中にある其れを見つめると、薄い笑みを浮かべた。
 席を立つと、女性はゆっくりとその管に近づき、
「明後日にはお目覚めね、私のbaby。」
 そう言うと、そっとその管にくちづけを落とす。
 そして女性は電気を落として部屋を出ると、ドアを閉めた。
 常に機械が動く部屋に、静寂が訪れることはない。
 それでも、その機械音に阻まれる事もなく眠り続ける一人の…少女。
 管の中で全裸のまま目を瞑る。柔らかそうな薄紅色の髪が、管の中の液体の中で揺れている。
 その少女の右肩や左胸の上部には、金属の部品が宛てがわれていた。そして通常の人間よりも尖った耳。
 人間なのか否か、それを知っているのは先ほどの女性と、この少女のみだった。





 ひゅぅぅぅ……
 冷たい風が吹く。
 少し行けば断崖絶壁、そして海。
 見晴らしの良い丘だった。
 荒れ果てた街とは違い、この丘には所々に緑の姿が見える。
 青と緑、そして真っ白のワンピースに身をつつんだ一人の女性。
 二十代前半といった頃だろうか、女性はゆっくりと、丘の先端の方にある一つの石碑の前へと立った。
 そっと目を閉じ、手を合わせる。
 女性はじっと黙祷を捧げている様だった。
「……っ、……………」
 目を瞑る女性の、その瞳の端から、一筋の涙が零れ落ちる。 
 少しして、微かに漏れた嗚咽。
 すとん、と崩れ落ちるように地面に手を付くと、女性はその瞳から、いくつもの雫を零した。
「…う…っ……うぁぁ…っ……!……どうして……、どうして私を…置いてっちゃったのよぉっ……!!」
 女性の髪の先についたビーズのようなものが、ぴと、と頬に張り付いた。
 女性は指でそれをそっと掬うと、じっと見つめた。
「……約束したじゃない……ずっと一緒だって……」
 女性は、不思議な髪をしていた。
 向かって右側の髪はキレイな金髪のセミロングヘアで、その毛先にはいくつかのビーズが揺れていた。
 しかし左側は、耳より少し下の首筋辺りでバラバラに切れた髪。黒色。
 石碑の前で泣き崩れた女性。
 冷たい風が女性に吹き続ける。
 ザザ…、と、少し遠い波の音。
 そしてすすり泣き。
 石碑にはこう書かれていた。
『2198年12月
 北海道市核爆弾投下
 被害者の冥福を偲ぶ』
 東京市から僅かな距離にあるこの丘。
 丘から見える海のずっとずっと先は、米国軍の核爆弾によって完全に荒れ地と化した、北海道市という広い大地があった。





 カタカタカタッ。
 寂れた廃屋の中、一人の少女が小型のパソコンを前に、手慣れた様子で何かを行なっていた。
 ポンッ
 とパソコンが音を発したのち、ディスプレイには
『通信回線の接続が完了しました。』
 の文字。
「不法侵入完了…。」
 少女はぽつりと呟くと、インターネットブラウザを開く。テレビのように一瞬で開く画面。
 英語でびっしりのページ。少女は「world affairs」(世界情勢)と書かれた文字をクリックする。
 そして開いたメニューから、「Attack situation」(進軍状況)をクリック。
「………。」
 少女は開いたその画面を食い入るように見つめる。
「………米軍は、東京市への大規模な進軍を開始?」
 そう呟き、小さく息をつく。
「………ヤバイじゃん。」
 ポンッ
 と、パソコンが音を発し、「mailを受信しました。」の文字。
「……メール?」
 少女は眉をひそめ、受信したメールを開いた。そこには日本語と英語で、
『心のオアシス!
 乾いた心を潤してみませんか?』
 という文字と、一つのURL。
「………?」
 少女は眉をひそめたまま、カチ、とそのアドレスをクリックしていた。
 ぱ、と開く画面。
 そこには、
『大人の小説★無料体験版』
 という、妙に妖艶に飾られた文字があった。
「…はい?」
 少女は思わず怪訝な声を零した。さらに眉間に皺を寄せながらも、ついついEnterを押してしまう。
「…………。」
 小説メニューが目に入り、少女は戸惑った。
 ふと、「管理人のプロフィール」という文字に目を止めて、それをクリックする。
 開いた画面に、少女は釘付けになった。

『HN・月見夜
 職業・脚本家(今は小説家かな?)
 年齢・秘密♪』

「………月…見夜…!?」
 その名前に、少女は聞き覚えがある様だった。
 しかしそんな物思いにふける暇は無く、
 ダンダンダン!!
 という扉を叩く激しい音に、少女ははっと顔を上げた。
「Are someone!?(誰かいるのか!?)」
(米国軍…!)
 そう思うが早いか、少女はパソコンをそっと閉めて脇に抱え、ポケットの中にある物を握り締めて、ゆっくりと扉へ向かった。
「Come out!If you don't want to die!(死にたくないなら出てこい!)」
 少女は扉の真横で息を殺した。手には強く握り締めた物。
「Let's rush in.(突入するぞ)」
 という仲間内の言葉が聞こえ、少女は目を見開いた。
 ダンッ!
 激しい音、踏み込む米国兵士、そして飛び出した少女。
「…?!」
 米国兵士は何が起こったか分からない、といった様子で硬直した。
 兵士の首にめりこんだ物……小さな女性用の剃刀から手を離し、少女は男を押しやって走り出した。
「Shoot! kill that child!(撃て!あのガキを殺せ!)」
 男の後ろにいた兵士がそう怒鳴る。少女はパソコンを手に走った。
 キィン!
 耳障りな音。
 パソコンの表面が黒くかすれていた。
「っは!」
 少女は物陰へ飛び込み、身を潜めた。
「It went where!? the child went to where!!?(どこだ!さっきのガキはどこへ行った!?)」
 …やがて遠ざかっていく足音に、少女は小さく息をついた。
 色素の薄い茶髪は、肩につかぬほどのボブヘア。耳に光る黒耀石のピアス。
 まだあどけない顔立ちで、十代半ばと言った所か。
 なによりも目を引くのは、七分袖から伸びた手首に残る、幾重にも重なった傷痕。
 手首だけではなく、袖の辺りまで数十の傷がある。全て、鋭利な刃物で切ったような傷だった。そう、例えば剃刀だとか。
「……くっそ、……。」
 少女は小さく零すと、ゆっくり立ち上がり、身体についた埃を払った。





「♪ホントはいつも こあかった
  たとえみんなで遊んでも
  なんか自分は一人だな、なんて
  吐き捨てては 泣いていた…
  眠れぬ夜を超えては
  時間をぬりつぶしてた
  かっこばかり気にしては
  また、笑顔が下手になってく
 ♪優しさをぬくもりを
  少しでも元気に… そう思う
  初めて誰かに聞こえてと
  思えたから
  繋がりは ちっぽけな
  悲しみと呼ばれるものだって
  いつかぼくらのこの壁を
  超えられると 思ってます
 ♪たくさんの ちっぽけな優しさが
  どんどん広がって
  どこかの悲しい争いの
  その痛みを
  なでてあげる
 ♪ひとなみに 幸せに
  少しずつ ぬくもり広がって
  一人で…一人で泣く君の
  その心を
  なでてあげる…」
 ギターの音が止んだ。
 パチパチパチ…
 ギターを持って弾き語りをする女性の回りにいた数人が、目一杯の拍手を送る。
「お姉ちゃん、すごいね!」
 少年は嬉しそうに笑んで言った。
 女性は同じように嬉しそうに笑み返し、
「ありがとう。」
 と言う。
「…何もやれなくて、すまねぇな。あんたの歌、感動したよ。」
 ぽりぽりと後ろ頭をかきながら、薄汚い男性は言った。
「いいのいいの。あたしはその気持ちだけで十分!」
 女性はまた笑んで言った。
「また良かったら聞かせてくれよ。…その、何もできねぇけど…」
「うん。全然OK!また来てね。」
 女性がパタパタと手を振ると、男性は照れくさそうに笑み、手を振り返して歩いて行った。
「ボクも早く帰んないと、母さんにしかられちゃう!じゃあねお姉ちゃん!」
「うん、バイバーイ。」
 少年に手を振りかえし、女性はまた笑みを浮かべた。
 やがて回りに人がいなくなると、女性はまたギターを弾き、歌を歌い始める。
 くるくるふわふわのパーマを後ろでまとめ、一人ギターを鳴らす姿。
 二十代前半か半ば頃か、口の斜め上にあるホクロがどことなく色っぽい、雰囲気の良い女性だった。
「♪上手くいかないと 手紙も減って
  はしゃいだ顔も写真立ての中
  9カ月ぶりの留守番電話
  到着時刻と微かなすすり泣き
  勝った負けたは君が決めること
  ずっと先に…
 ♪斜めに差し込む 朝日のなかで
  君はきっと思い出している
  忘れかけてた この町並
  駅から海へと続く坂道
  何もないけれど、つまらないけれど
  君の街は迎えてくれる
  おかえりと…」
 女性はまた、心地良さそうに歌い始めた。
 穏やかな風が流れる場所で。





「Wait! Stop!(待て!止まれぇ!)」
「待てって言われて待つバカがどこにいるっつーの。」
 ひゅんっ!
 空に一匹の鳥。
 ……いや、鳥ではない。
 人間。女性だ。
 鳥型の簡易飛行機で女性が空を飛んでいる。
 その背中には、膨れたリュックがあった。
 たった今、米国軍の基地から盗んだ食料や金銭である。
「Let's teach a good thing!(いいことを教えてあげるわ!)」
 女性は大声で叫んだ。
「...What is it?!(なんだ!?)」
「You are foolish!!(あなたたちはバカよ!)」
「.........it's what!?(な、なんだと!?)」
「じゃあね♪」
 びゅ〜ん!
 女性はエンジンの火力をアップし加速して、あっという間に米軍の視界から消えた。
「Some were dropped!(な、何か落としたぞ!)」
 ヒラリと舞い落ちた何かを見つけた米国軍は、ひらひらと落ちてくる其れへ向かって走る。
 ぱしっ!
 ジャンプして、兵士はそれを手にした。
「.........?」
 何かカードのようなもの、兵士はそれを読んだ。
「“The precious article was got from Mr.fool. By phantom thief "Happy"”
 .......A fool was made!!!(ふざけやがって!!)」
 ぐしゃ、とその紙を握り潰す。
 カードにはこう書いてあった。
『怪盗Happy参上★
 今日もおバカさんから、お宝頂きます♪』





「だからぁっ!日本国の自衛隊はどうなってるのかって聞いてるの!」
「…お引き取りください。」
「なんでよ!?国民の疑問にもちゃんと答えなさい!!米軍の侵略で、もう何人死んだと思ってるの!!」
「お答え出来ません。お引き取りください」
 一方的な口論が行われているのは、日本国の要、国会議事堂の来客口での事だった。
 受付の女性が質問を一切受け付けない中、怒気をはらんだ口調で尚も言葉を続ける若い女。
 やがて女はため息をついて肩を竦めると、
「………お答え出来ませんってねー、別にあなたに聞いてる訳じゃないんだよ?受付風情に最初から期待してるとでも思ってんの?」
 と、嘲るように言う。
「……。」
「誰も通すなって言われてんの?」
「………。」
 尚も沈黙する受付の女性を見下し、怒りを込めた拳を受付の台に落とした。
 バンッ、と乾いた音が響き、来客口にいる何人かの人間がそれに注目した。
「…国家には失望したよ。元々、あってもないようなモンみたいだけどさ。」
 腰まで届きそうなほどのキレイな黒髪をした女。やや猫目気味で、その挙動からもクールな印象を受ける。十代後半か二十代前半か。若いが、大人びた雰囲気である。
 女は国会議事堂の来客口に背を向け、歩き出した。
「………っ…」
 悔しそうにくちびるを噛む。
「…アタシはいいけど、非力な人間はこんな世の中で生きてい…」
 そんな小さな呟きは、男の声によって掻き消された。
「Hold up!!」
 議事堂の来客口に響く男の声。
 女の真っ正面の入り口に、銃をかまえた2人の米国兵士。女はまた唇を噛んで、ゆっくりと両手を上げた。
 兵士はまばらにいる数人に銃を向けつつ、先ほどまでこの女が話していた受付の女性の元へと歩いていく。
「Take out an assemblyman.(議員を出せ)」
「……ィ…It can't do.(出来ません)」
「……Do you want to die?(死にたいか?)」
「………。」
 一人が受付と話し、もう一人の兵士が回りを見張る。女は動きようがなく、じっとその兵士を睨むだけだった。
「hey lady. have an unpleasant look to one's eyes.(そこの女、目つきが悪いぞ)」
 兵士が、ざっ、と一歩近づいてくる。
 女は兵士を睨み、馬鹿にするように言った。
「……アイキャノット スピークイングリッシュ。」
「………、Do you want to die?(死にたいのか?)」
「…ノー」
 ふるふると首を振りながら、一歩・二歩、後ろに下がる。怯えたように、微かに唇を震わせて。
「Anyhow, please take out an assemblyman. Otherwise, you are killed!(いいから議員を出せ!でないとお前を殺す!)」
「…………、……」
 困惑した様子で目線を泳がせる受付の女性。
「…While counting five, please call and come.You will be killed if it can't do.(5数える内に呼んでこい。出来なければお前を殺す。)」
 受付の女性に、兵士は銃を突きつけた。
 それに釘付けになる、もう一人の兵士。
 その時、女は薄い笑みを浮かべた。

「Five.」

「Four」

「Therr」

 ………かさ

「Two」

 ……

「One」

 ザンッ!

「Ze…」

「死ね!」

 ………
 時間が止まったように、沈黙が流れた。
 そこには血に塗れた女性が二人。
 そして、息絶えた兵士の男が二人。
「……っきゃああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 受付の女性は、頭を抱えて悲鳴を上げた。
「……うえっ、汚〜っ」
 鮮血のついた黒髪に指先で触れ、小さく舌をだした女。小さく肩を竦めた。
「……やっぱナイフの方がいいのかなぁ。」
 そう言って、小さな鎌を手に、バッグを肩にかけて歩いていく。
 肩と二の腕の離れた、二つの男の亡骸に目を遣るでもなく…。





 ランプの光りが微かに辺りを照らす、暗い地下室だった。
 いくつもの子供の泣き声が聞こえる。
「うわぁぁぁぁぁん!」
「あっ、ちょ、ちょっと待って。」
 そんな中、慌ただしく子供達の間を行ったりきたりしている女性。
「うっ、うぇぇ…!」
「え、ええと…、シスター!この子は…、」
 女性は、また同様に子供達の間を行き来する、やや年配の女性に言葉をかけた。
「あぁ、心臓欝血ね…」
「心臓欝血…?手の施しようは…」
「ないわね。ここ半年はろくな物食べてないでしょうから……」
「…そうですか…。…く、苦しいんでしょうか?」
「……えぇ、けど私たちに出来ることはないわね…。撫でてあげなさい。」
「……はい。」
 女性は小さくうなずくと、泣きじゃくっていた子供をそっと、優しく撫でた。
 少しして、徐々に泣き声が小さくなっていった。
「…うあぁぁぁん!!」
「あっ……、ミルク!」
 女性はまた慌ただしく働き出した。
 十代後半か二十代前半ほど。薄茶色のボブヘアに、色素の薄い瞳。真っ白のハイネックと黒色のロングスカートに身を包んでいる。
 しばしの時間が経ち、子供たちも皆眠りについていった。
「…そろそろ休憩にしましょうか。」
「…はい、シスター。」
 シスターの言葉で、女性は部屋の隅にある椅子に腰を下ろす。間もなくして、コーヒーをいれたシスターが隣の椅子に腰をおろした。
「ありがとうございます、シスター。」
「いいえ。お礼を言うのはこっちだわ。あなたには本当に感謝しています。」
「ど、どうしたんですか、そんな改まって」
「…………」
 シスターは、やけにまじめな表情で言葉を噤んだ。
「シスター?」
「………いい、聞いてちょうだい。」
「……はい」
 様子を察し、女性も真剣な眼差しでシスターを見つめる。
「………米国軍の侵略が、本格的に始まったそうよ。」
「…………」
「…ここが見つかるのも時間の問題なの。」
「………」
 女性は戸惑いを隠せない。僅かに目線を落とした。
「………でも、あなたは若いわ。まだ人生は今からでしょう?」
「え…っ…」
「………逃げなさい。私はこの子たちと一緒にいるわ。」
「そ、そんな!シスターや子供たちを置いて逃げるなんて、私…!」
 シスターはゆっくりと首を左右に振り、
「…あなたには生き抜いてほしいのよ。…私の分も、この子たちの分も。」
「…………」
「あなたは神の子。神から授かった奇跡を無下にはできないわ。」
「私は…神の子なんかじゃ……」
「…それにね、あなたの優しさは誰にも負けない。あなたのその優しさを、もっと世の中のために使ってほしい。傷ついた人たちを、癒してほしいのよ」
「………私なんかに……」
「私なんか、じゃないわ。自分を卑下するのは止めなさい。あなたが赤ん坊の時から、私はあなたを見てるもの。私が自信を持って言えるわ。あなたはすばらしい人間だと」
「……シスター…」
 女性の瞳から涙が零れる。
「…行きなさい。」
「…………、………ハイ…」





「せっ…戦争で傷ついた方への募金を募っています、ご協力くださいっ」
 人がまばらに見える小さな通りで、澄んだ女性の声が辺りに響く。
 二十代前半ほどか、日本人らしいきれいな黒髪のセミロングに、黒く透き通った瞳。
 『戦争反対』のプラカードを下げ、足元にはプラスチックのボールが置いてあった。ボールの中は空だった。
 女性を前を通り過ぎていく人々。興味で女性に目は向けるが、立ち止まる事はない。
「ご協力くださいっ!」
 女性は必死でそう言い続けた。
 辺りが徐々に暗くなっていく。人気がなくなっていく。
 女性は夕暮れの空を見上げ、小さく息を吐いた。吐息は白い蒸気となり、すぐに消えた。
「…………う〜っ……」
 微かに喉の奥から声が漏れる。
 女性な一筋を涙を流した。
 しかしすぐにそれを手で拭い、人がいる場所を求めて歩き出す。
 冬の冷たい空気の中で、女性は身体の芯から冷え切っている。
 しばらく歩いて女性は立ち止まり、その手に息を吹きかけた。カタカタと震え、感覚などとっくになくなっている。
 ブゥン……ブゥゥゥン……
 その時、背後から聞えたエンジンの音に、女性は顔をあげて振り向いた。
 白いバイクが近づいてくる。
 そのバイクは、女性の傍で停止した。
 バイクに乗っていた人物はヘルメットを開ける。黒髪がパサリと落ちる。バイクには、「日本国警察」の文字が見えた。
 先日の大晦日にパトカーの運転をしていた、千景という名の女性だった。
「……戦争、反対?」
 千景はプラカードを見て、そう尋ねた。
「は、ハイ。戦争反対の活動をしています。えと、戦争で傷ついた方への募金とか…」
「……集まる?」
 千景の言葉に女性はしばし沈黙し、小さく首を横に振った。
「……気持ちはわかるけど、もう戦争は…始まっちゃってるのよね。一方的に。…日本人のあんたが反対したところで、何にもならないと思う…よ?」
「………で、でも…」
「あぁっと無駄話してる暇ないのよ。お嬢さん、死にたくなかったら後ろ乗って!」
「え…?」
「緊急避難令発動中。09(マルキュー)跡地。ここからだとちょっと距離あるし、特別に乗せてくよ。」
「……いいんですか?」
「ほら、早くっ。」
 千景はぽんぽんっ、とバイクの後ろを指した。
「そ、それじゃあ……お言葉に甘えます。」
「ちょっと待った。」
「はい?」
「そのプラカードも持ってく気じゃないでしょうね?」
「持っていきます!………だ、大事なものなので…」
 その言葉に、千景はため息をついた。
「どっちでもいいから、早くしなさいっ。」
「はい!」
 女性はプラカードをしっかりと首にかけ、バイクに乗り込んだ。





 渋谷709跡地。
 ぱらぱらと人が集まっていた。
 ぽつんと建った二階建ての建物。広さはそんなにないように思える。
 しかしこの建物、地下設備が充実していると言うのだ。
 建物から少し離れた所。インターネットの不法侵入を行なっていた剃刀少女が建物の様子を伺っている。
「……緊急避難令、かぁ…。」
 そう呟いて、小さく肩を竦める。
「…人を一点に集めるなんて、殺してくれと言ってるよーなモンじゃない。」
「貴女もそう思う?」
「!?」
 突然背後から聞こえた同意の声に、剃刀少女は驚いた振り向いた。
「警察のやってることって、なーんかよくわかんないよね。」
 剃刀少女と同世代ほどなのだろうか、そう言いながら建物をのぞき込むのは、セーラー服に身を包んだ少女。
 学校で発砲し、あっけらかんと米国兵士を殺した、あの少女だった。
「…………行かない方がいいと思う?」
 剃刀少女はそう尋ねた。
「うん、行かない方がいいと思う。」
 セーラー服の少女は、にこりと笑んでそう言った。
「早く、中へ!」
 そう先導する若い婦警を遠目に見ながら、二人は何か悪い胸騒ぎを感じていた。



「They are big news!(おい!大ニュースだ!すごい情報が入ったぞ!)」
 そう言って、無防備に駆け込んできた米国兵士。
 といっても、それでメッタ打ちにあうわけではない。兵士が駆け込んだのは、米国軍の仮設基地だからだ。
「What is it? In what is noise made?(一体なんだ?そんなに騒いで)」
「The Japanese of the 1st division of Tokyo started emergency evacuation. The place was found!(東京1区の日本人が緊急避難を開始した。その場所がわかったんだよ!)」
「Really!?(本当に!?)」
 そう言って立ち上がったのは、若い女性。しかしその身体を包むのは確かに米国兵士の軍服である。
 つまり、彼女も立派な米国兵士なのだ。
「It reports to a captain! It will be praised absolutely!Yeah!!(隊長に報告してくるぜ!絶対誉められるぞ、うっはは!)」
 そうウキウキに走っていった米国兵士。
 女性の兵士は、ストン、と腰を下ろした。
「It's likely to become a battle full-scale still more. Is it OK?(いよいよ本格的な戦闘になりそうだな。大丈夫か?)」
 残ったもう一人の兵士が、女性兵士にそう声をかける。
「...Yes, natural. ......Japanese people etc. are not fearful.(…え、ええ勿論。……日本人なんて恐くないわ)」
「Ok...Good luck!!(よし。幸運を祈る!)」





「異常は?」
「ナシ…中の様子はわかんないけど、特に変わった事はないみたい。」
 深夜。辺りは静寂に包まれていた。
 09跡地、例の建物から500メートルほど離れた廃ビル。
 相変わらずセーラー服の少女は、望遠鏡で建物を覗いていた。
 そして剃刀少女はパソコンでお得意の不法アクセス。
「米国軍も動きもナシ……何もなければいんだけど。」
「……でも、絶対なんかあるよ。あたし、勘だけはスゴイんだよ」
「ふぅん……ヤな勘。」
「しょーがないじゃないっ、胸騒ぎがひどいんだから。」
「………それは私も一緒。」
 二人は一度顔を見合わせ、またそれぞれの作業に戻る。
「…もうすぐ2時かぁ…。」
 パソコンの時計が、あと10秒で2時を指していた。
「あ、名前とか聞いてないよね。なんていうの?」
 セーラー服の少女が問う。
「あ、うん。えーと、さ」
「えっ…!?」
 しかしその言葉をさえぎったのも、セーラー服の少女。
 時計は2時丁度を指す。
「どうしたの?」
「あ、……、米国軍!」
「え!?」
 剃刀少女は窓にかけよった。
 そこには望遠鏡がなくとも肉眼ではっきり見える米国軍の軍団。それが一斉に建物に集まり、窓を割って侵入を始めた。
「ヤバイ…!」
「…………ど、どーする?!」
「どーするって……、」
 突然の事に、二人が戸惑っている時だった。
「そこのお嬢さん方!」
 と響いた声。二人は身を固くした。
 気配がしなかった。
 足音すらもしなかった。
「……恐がらなくていいよ。私は日本人だから。」
 二人は振り向いた。
 そこには、皮のつなぎに身を包む、一人の女性。ゴーグルと帽子で顔は見えないが、二人よりも年齢が上だということはわかった。
「私は、正義の味方Happy。」
「は、…ハッピー?」
 剃刀少女は眉をひそめる。
「今は名前なんかにこだわってる場合じゃないわっ。…二人とも、武器はある?」
 Happyの言葉に、二人は頷いた。
「…戦うわよ。」
 Happyはそう言うと、駆け出した。
「私に掴まりなさい!」
 二人が掴まると同時に、Happyは窓から飛び出した。
 びゅん!
 落ちる!そう二人が目を瞑った、しかし三人の身体は一瞬重力を無視するように、ふわりと舞い上がる。
 直後、
 がしゃあぁぁぁん!と派手な音を響かせ、建物の2階の窓につっこんだ。
 無人の小部屋だった。しかし音を聞いて、すぐに近づいてくる足音。
「戦闘準備っ」
 目を回している二人の頭を軽く叩く。
 二人は慌てて我に返り、それぞれの武器を手にした。
 セーラー服少女は、先日の米国兵士から奪った拳銃。剃刀少女はやはり剃刀。
 Happyは何も手にしていないようだが、口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
 バン!
 扉が開いた瞬間、剃刀少女の剃刀が光り、宙を凪いだ。
 いや…
 一秒ほど空気が凍った直後、いかつい米国兵士の手首から血が溢れた。
「うがぁぁぁああ!」
 獣のような声で、もだえ苦しむ兵士。鮮血が勢い良く、手首から噴き出しだ。
 一瞬その光景に呆気にとられた数名の兵士も、すぐに部屋に踏み込んできた。
 数にして5人の男性兵士。
 パンッ!
 兵士の撃った銃弾が、割れた窓を更に粉々にした。
「死ね!」
 と放たれたセーラー服少女の銃弾は、一人の兵士の腕に命中した。
 腕を痛めた隙に、剃刀少女がその懐に飛び込む。そして勢いよくその腹に剃刀を突き刺した。
 ガクリと倒れ込む兵士。
 バンバンバン!
 銃弾の雨が降る。
「っ!」
 至近距離にいた剃刀少女は、掠った銃弾で左手の甲を痛める。
 バンバンバンバン!
 打ち返したセーラー服少女の銃弾が、一人の兵士の心臓を打ち抜く。
 すっ
 気配を消して移動したHappyは、一人の兵士の後ろから、その首に細い紐を回した。
 きゅっ。
 その瞬間、白目を剥いて崩れ落ちる兵士。
 カチッ!
「…っ、やば」
 セーラー服少女は弾がきれた事に気づき、唇を噛んだ。不覚にも、もう一つの銃を先程の廃ビルに忘れてきてしまったのだ。
「...アァァァアアア!!!!」
 Happyに気づいた兵士が、怒りに任せて銃で殴りかかる。
 受け身を取ったHappyは、部屋の外の廊下で転がった。その拍子に、壁で頭を強く打つ。
 一瞬の脳震盪を起こしたHappyは、起き上がろうと思っても身体が動かない。
「っは!」
 剃刀少女は、ポケットから取り出した新たな剃刀を振る。しかしそれは宙を凪いだだけだった。
 がしっ!
 兵士の手が、剃刀少女の右手を掴んだ。
「Die!」
 剃刀少女に恐怖が襲う。次の瞬間、
「しゃがんで!」
 という後ろからの声に、剃刀少女は慌てて身体を落とした。
 がんっっ!
 セーラー服少女ががむしゃらに投げた機関銃が、米国兵士の顔面に直撃する。
 一瞬気が緩んだその時、剃刀少女が顔を上げたその先には、銃口を向けた兵士の姿。
 殺される!
 そう思った次の瞬間、
「がっ…!」
 唸りを上げた兵士は、そのまま床に崩れ落ちた。
 カシャン、と、剃刀少女の前に兵士の銃が落ちる。
 助かった……?
 剃刀少女がまた顔を上げた瞬間、血塗れのナイフが目に入った。
「う、わ…こ、殺さないで!」
 剃刀少女は無意識にそう口走っていた。
「…殺しゃしねーよ。」
 答えたのは、ナイフを手にした…少女。
「下はまだ戦ってるやつゴロゴロいるぞ。死体も多いけどな。手伝え。」
「あだだだっ……頭がふらんふらんする。」
 そう言いながら起き上がったHappyを少女は一瞥した。
 Happyは少女を見上げ、
「あれ?………不良少女じゃん。」
「……。」
「不良、少女?」
 剃刀少女は小首をかしげて問う。
「街で有名な不良よぅ。その薔薇のタトゥが目印。」
 Happyに指を指され、不良少女は左二の腕のタトゥを手で覆った。
「ムダ話してる暇なんてねぇぞ」
「…行きますか!」
「ちょ、ちょっと待ってよ〜あたし、弾がきれちゃったんだけど」
「屍の銃を頂戴すればいんじゃない?」
「あ、そっか」
 4人はぞろぞろと下に向かった。





「…うぇっ……」
 屍の山。
 『戦争反対』のプラカードを手にしたまま、空いた手で口元を押さえる女性。
「…………ひどい有り様。」
 血まみれの制服のまま佇む婦警、佳乃は、ぽつりとそう呟いた。
 一階のホール状になっているそこは、さまざまな場所が真赤な血で染まっていた。
「……婦警さん、どーするの?さすがに、敵に割れてるこの場所は、いない方がいいんじゃない?」
 Happyが、並んだ二人の警察にそう言う。
「…あ、…それが……、地下なら大丈夫なんです。頑丈な扉に、頑丈な鍵がついているから。……ただ、……」
「ただ?」
「……ひとまず、ついてきてください。」
 婦警2人の指示に、生き残った人々がそろぞろと歩いていく。数にして十数人。不思議なことに、全員が若い女性だった。
 そして面々は、大きな扉の前に辿り着く。
 扉の横には、コンピューターの端末があった
 婦警の一人がそれに近づき、懐から取り出した小型のコンピューターを接続する。
 剃刀少女が、興味深そうにのぞき込む。
 『パスワードを入力してください。』
 の文字に、婦警はパチパチと文字を入力していった。
 『チノオオミソカ』
「血の、大晦日…?」
「ここの扉は、言葉がキーになっているんです。」
 婦警はそう説明した。
 ごごっ、と大きな音がして扉が開く。
「………っ…」
 その時佳乃は、悔しそうに小さく唇を噛んだ。
「……どうした?」
 もう一人の婦警千景は、ぽんっと肩をたたく。
「……このキーだけでも早く入手出来れば、こんなにたくさんの人が死ぬこともなかったのに…。」
「……仕方ないよ。本部の倉庫の奥の奥にしか、データが残ってなかったんだから。さっき連絡があっただけでもさ、……それより………」
 扉が開いた先には、まだ同じような扉があった。
 婦警はまた端子に接続し、キーワードを入力する。
「次は…?」
「次は………」
 『サイガイタハツ』
 また扉が開いた。
 ……そしてまた同じ扉。
「えらく厳重ね……。」
 一人の女性が呟いた。
「……問題は、この扉なんです。」
 婦警は扉を見上げ、言った。
 この扉のキーワードが、どこにも残っていないんです。
「……婦警さん、私、やっていい?」
 そう尋ねたのは剃刀少女だった。
「え、ええ。」
 その答えを聞くと、少女は小さく笑んでパソコンと端子を繋いだ。
 『パスワードを入力してください。』
「婦警さん。この建物っていつ作られたものなのかな?」
「…今から20年ほど前と聞いているわ。」
「え…?20年って、丁度血のおおみそかの…」
「そう。709が崩壊してすぐに、ある科学者がこの建物を建てたって言うの。」
「……へぇ…。」
 パチパチパチッ。
 剃刀少女は怪我をした左手は使わずに右手でキーボードを弾く。
 ごっ…
「え…?」
 婦警はその音に目を見張った。
 扉が、開いていく。
「な、なんて入力したの?!」
「………戦争。」
 『センソウ』
 扉の奥には、20年前までの地球を彷彿させる、文化に満ちあふれた『場所』があった。
 平和だった、あの頃の。





「何……どういうことなの……。」
 最初にそう呟いたのは、薄いノンフレームの眼鏡をかけた知的な女性だった。
 面々は扉の奥に足を踏み入れる。
 そこは、ちょっとしたホールの様になっていた。軽い運動くらいは出来そうな、広いスペース。
 電気。明かりが点っていた。
「まだ奥があるみたいね……」
 ホールの奥の両端に、ドアが二つ。
「…いってみようっ!」
 セーラー服少女はそう言うと、小走りで奥のドアへと向かう。
「…あたしもっ」
 剃刀少女はそう呟くと、セーラー服少女とは違うドアへ向かう。
「……どー、どーするの?」
 佳乃が、もう千景にそう尋ねた。
「……やっぱ、散策じゃない?」
 そう呟くと、二人を追うように扉に向かう。
 やがてそれぞれが、地下のさまざまなスペースへと散っていった。



「……シャワーに…、…これは、何?」
 剃刀少女は狭い部屋できょろきょろと室内を見回す。中でも目を引かれたのが、たらいを大きくしたような四角い部分であった。
「……お風呂だ。」
「…お風呂?」
 のぞき込んだセーラー服少女がそういった。剃刀少女は小首を傾げる。
「歴史で習ったよ。昔の人はこれにお湯を溜めて浸かってたんだって。」
「お湯を…?……へぇ……」



「…ながーい……。」
 相変わらずにプラカードを持ったまま行動していた女性。
 奥へと続く長い廊下に立ち尽くし、その長さ、そしてキレイさに驚いていた。
 左右にいくつも、同じようなドアがある。
 女性は緊張しながら、一つのドアをゆっくりと開いてみた。
 中はやはりキレイだった。10畳ほどの広さで、ダブルベットが二つ置いてある。
「すごい……」
 女性は小さくそう呟き、部屋の中を色々と詮索し始めた。



「自動クッキングマシーンに食器洗い機、乾燥機…!」
 佳乃は、整った設備に驚くばかりだった。
 キッチンのような場所。
 試しに水道を捻ってみると、浄水が流れた。
「……信じられない……」
 今の時代、水さえも貴重なものだった。
 水道から流れる水は、汚れた水でしかなかった。
 飲水は全て、お金を出して直接購入するものとなっていたのだ。
 そして佳乃は、更に驚くべきものを発見した。
「………これは…!?」
 合成で、さまざまな材料を造り出す装置。
 それ一つあれば、空気からキャベツを造り出すことさえ可能であった。
「………信じ、られない……」
 婦警はまた、ぽつりとそう呟いた。



「……………!」
 その部屋に入室した瞬間、女性は言葉を失った。
 知的な女性は、艶やかな唇をきゅっと閉じた。
 広い部屋いっぱいに組み込まれた機器。
 さまざまな制御装置などがびっしりと並んでいる。
 女性は側のコンピューターに触れた。
 画面に表示される文字を目で追う。
「……、」
 そのコンピューターから離れると、今度は更に奥へと向かう。
「………空気清浄装置……」
 二酸化炭素を酸素に変える装置。しかし女性は、これほどに巨大な装置を見たことはなかった。
 女性は一番奥にある巨大なコンピューターに向かった。
「……これは…、」
 女性は見つけた。
 この地下施設の記憶。
 『2081.10.12.
 AM04.32.
 1名の人間の退室を確認。
 現在の在室人数・0人。
 全施設の機能を停止。』

 『2101.01.07
 AM05.12
 1名の人間の入室を確認。
 現在の在室人数・14人。
 全施設の機能作動中。』
「…こんな……、……」
 女性は言葉が見つからず、また小さく唇を噛んだ。









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