第01話




「はい、にっこり笑って。」
 何度も繰り返す、カシャカシャと言うシャッター音。
 カメラマンさんの指示に、にっこりと笑顔を作る。
「咲名(さな)ちゃん、ちょっと表情硬いなぁ。もっと自然に。」
「は、はいッ。」
 …そんなことを言われちゃうと、尚更硬くなったりもするんだけど。
 こんな時は、楽しいことを思い浮かべるといいって、美紗ちゃんが言ってたっけ。
 楽しいこと、楽しいこと…
 ――少し考えてふと思い浮かべたのは、先日、藍が何もないところで転んで、幽霊のせいにしてたことだった。
「プッ…。」
 思わず吹き出すと、カメラマンさんは不思議そうな顔をして、
「もっと自然に笑える?こう、微笑む感じで。」
 と、これはこれでダメみたいで、そう指示を出した。
 うぅん、難しい。
 このお仕事を始めてからもう一年も経つのに、まだ慣れない。
 ……一年、かぁ。


 あたしの名前は、鈴田咲名(スズタ サナ)。
 2015年十月現在、只今十八歳の青春真っ最中…かな?
 実はあたし、職業はなんと芸能人なのです。それも歌って踊れちゃうアイドルユニットの一人。
 丁度今から一年前、あたしの出身地北海道では既に冬の気配満点の十月上旬。
 全国各地で一斉に行われたオーディションに応募したあたしは、何とそれで合格しちゃったのね。
 当時受験生だったあたしは、少し迷った。志望の大学はこのままなら問題無く通るだろうって先生も言ってくれてたんだけど、芸能界に入ったなら、受験勉強も満足に出来なくなる。
 小さい頃から、アイドルになることが夢だった。だけど、高三にもなれば、そんな夢はいつしか追わなくなっていた。大学に進学して、就職して普通のOLになって。
 そんな将来を自分自身に納得させるために応募したオーディションで受かっちゃったものだから…本当に悩んだ。芸能界は安定しない、なんて言葉も聞いたし、ね。
 そんなあたしの背中を押してくれたのは、お母さんだった。
『咲名が今やりたいことをやりなさい。勉強ならいつでもできるわ。』
 あたしはその言葉でようやく吹っ切れて、受験を断念し、学業の傍らで芸能活動を始めたのです。
 そして今年の春に無事高校を卒業したあたしは、単身上京して、芸能活動に専念。
 今考えれば、高三の三学期が一番大変だったっけ。毎日のように東京函館間の飛行機で往復して、それこそ毎日がてんてこ舞い。それでも頑張れたのは、きっと学校もお仕事も楽しかったから。
 あたしが所属することになったユニット、「カナリア」。
 そのオーディションで全国各地から8人の女の子が選ばれて、今年の一月にデビュー。
 きっとこのお仕事が楽しいって思えるのは、カナリアのメンバーのお陰。もしも一人だったら挫けてたかもしれない時、皆、笑顔で励ましてくれた。あたしにとって親友であり家族であり。本当に大切な仲間達。
 ―――今もまだ、不思議な感じがする。
 本当に平凡な高校生だったあたしの名前を、今は日本中の人が知っているなんて。
 応援してくれる人たちの声に応えるべく、あたしは毎日頑張っているのです。


「はーい、OKです。お疲れ様でしたー。」
 そんな声がスタジオに響き渡って、あたしはほっと安堵の吐息を零す。失敗もなくお仕事を終えることは当然のことだけど、あたしにとってはその一回一回が緊張の連続だから。
 特に今日みたいに、一人でお仕事する日なんかはもう…!
「咲名ちゃんも、一人での仕事、だいぶ慣れてきたみたいだね?」
 不意にあたしの考えとは裏腹な言葉を掛けられ、振り向いた。そこには、「お疲れ様。」と言って缶コーヒーを差し出すマネージャーの青木さんの姿。
「な、慣れてないですよぉ…。」
 ふる、とかぶりを振りながらも、お礼を言って缶コーヒーを受け取った。
 行こうか、と促す青木さんに頷いて、カメラマンさん達に一通り挨拶をしてから二人でスタジオを後にする。
 青木さんは三十歳の男性で、温厚な人柄ですごく信頼できる人。新婚さんだから、仕事以外の話といえば可愛い可愛い奥さんのことばっかりっていうのがちょっとタマに傷、かなぁ?
 スタジオを出ると陽はすっかり落ち、少し肌寒かった。十月ともなれば東京でも冷えるんだよね。
「今日は家まで直に送っていい?」
 青木さんの車に乗り込んで缶コーヒーを開ける。彼の言葉に頷きかけて、ハッと顔を上げた。
「いっけない、忘れてた!明(あかり)と晩御飯一緒に食べるんでしたッ。明のマンションまで…!」
 お願いします!と頭を下げた後、車の時計を見て、ヤバイ、と小さく呟く。
 明とは、カナリアの一員であり、あたしとは同い年の十八歳の女の子。フルネームは藤崎明(フジサキ アカリ)。明はマイペースで少し掴みづらい性格なんだけど、一つ確かなのは食べることが大好きだ、ということ。オフィシャルプロフィールで、趣味が『食べ歩き』と言ってのけるほどだ。明とご飯を一緒に食べる時、彼女の用意した食事、或いはお店で美味しくなかった試しがない。まぁ芸能人だし、好きなだけ美味しいものを食べられるってわけでもないみたいだけど。
 明は唯一の同世代ってこともあり、他のメンバーよりも親睦は深い。一緒に休日を過ごしたりすることも度々ある。
 あたしの様子に青木さんはクスクスと笑い、
「何時に約束してるの?」
 と問い掛ける。
「七時に…。」
 あたしはぽつりと小さく返して、遅刻かなぁ、と呟いた。デジタル文字のディスプレイは、既に夜の六時四十分を示していた。明のマンションまでは、普通に行けば三十分は掛かる。
「飛ばそうか?」
「お願いします!」
 青木さんの言葉に即答してから、携帯電話を取り出した。青木さんは慌てたあたしの様子がおかしいのか、可笑しそうに笑いつつ「了解」と言って車を発進させる。
 明に電話しようとして、ふとメールが届いていることに気づいた。
 ――あれ?明からだ。なになに…?

『今日、早めに来れたら早めに来てねん★あたし一日オフで暇してるからvv by アカリ』

 …。
 絶 対 無 理 。





「ただいまぁ〜。」
「おかえりー。」
 ――……?!
 帰宅早々、第一の驚き。
 一人暮らしのあたしの部屋から、「おかえり」なんて言葉が返って来るはずがないのだ。
 明と二人でご飯を食べてから少しゆっくりして、帰宅したのは午後九時過ぎ。
 慌てて部屋のリビングに駆ければ、そこにはソファに座って勝手にゲームをしている、まさに寛ぎモードな朋子さんの姿があった。
 ゲームの繋がったテレビを見遣って、内心涙を呑む。あたしのビクミンが減ってる…減ってる…!
 そんなことを思いつつ、荷物を置いて彼女を見遣る。
「朋子さん…何してるの…?」
「何って、遊びに来たのよー。」
  彼女もまた、カナリアの一員。片山朋子(カタヤマ トモコ)、二十三歳。大雑把であっけらかんとした性格で、カナリアの中では『姉御』的な立場にある。頼りになるようなならないような姉御なんだけど。
 カナリアのメンバーは幾つかのマンションに分れて住んでいて、朋子さんとあたしは同じマンション。お互いに合鍵も持っているので、朋子さんがあたしの部屋にいて不思議はないんだけど…。
「何、これ…?」
 テーブルの上にどかっと置かれたダンボールを見て、あたしは朋子さんに問いかけた。
 あたしが出かける時、こんなものはなかったはずだ。
「あぁ、それ?実家から送ってきたのー。」
 朋子さんはニハハーと笑いながら立ち上がり、そのダンボールを開けた。
 中には大量の…林檎。第二の驚き。
 目を丸くするあたしに、朋子さんは「すごいでしょ?」と満足げな笑みを浮かべた。
「す、すごいけど……なにもダンボールごと持ってくることなかったのに。」
「え?こんだけの量をビニール袋に入れて持ってきたら破れるでしょ?」
 朋子さんはさも当然のように返し、林檎を一個手に取ると、「今年もいい色してるね。」と目を細めた。
「……っていうか、これ…まさか全部を…?」
 あたしもつられて林檎を手に取りつつ、恐る恐る問い掛ける。
「全部お裾分けだよ?だって、ダンボール五箱も送ってきたんだもん。」
「…はぁ?!」
 ど、どういう家族…。
 朋子さんの実家は青森の林檎農園だから、不思議じゃないかもしれないけど…でも、五箱って…。
 これが第三の驚き…なのでした。
「あ、えっと…とりあえずありがとう。でも、半分くらい返しちゃだめかな…?」
「だーめ。私だって処理に困ってんだから、咲名も手伝ってよー。」
 朋子さんはカラカラと笑いながら、ゲームに戻っていく。
 はぁ、と思わず溜息が零れる。そりゃ林檎は嫌いじゃないけど…こんなに沢山…。
 どうやって処理しよう、と考えながら、部屋の隅に置いたパソコンの電源を入れる。これはいわゆる日課で、よく言うメールチェックってやつ。まぁ、重要なメールが入ってることなんて少ないんだけど、ね。
 パソコンをする時は眼鏡。というか普段がコンタクトだから。パソコンが起動する様子と朋子さんがゲームに勤しむ様子を横目で見つつ、コンタクトを外して眼鏡を装着。ノンフレームの薄い眼鏡は、かれこれ2年ほど使っている愛用品。
 パソコンが起動して、いつものようにメールソフトを起動していれば、後ろからひょこんと朋子さんが顔を覗かせた。
「咲名って機械とかダメそうなのにねー。」
「し、失礼なっ。」
 確かに芸能界に入る前まではパソコンなんて無関係なものだと思ってたけど、上京してホームシック気味だった時、青木さんが薦めてくれた。今はインターネットとカメラがあれば、遠く離れた人とも顔を見ながら簡単に話したり出来るんだよーって。
 その言葉を聞いて、丁度お給料を貰ったときだったから思い切って購入してみたは良いものの、よくよく考えれば函館の家族もあたしと同じようにパソコンのパの字も知らないような人たち。結局、家族との連絡は電話に落ち着いちゃったわけで。
 無用の長物になっちゃったかと危惧したのも束の間。あたしは、インターネットっていう不思議な世界にどんどん惹かれていったのだ。買った時の目的とは違うけど、今は買って良かったって思ってる。
「たまには私にもメール送ってくれればいいのに。」
 いつも待ってるのよ?などと芝居がかった口調で言う朋子さんの言葉に、あたしはきょとん。
「朋子さん、パソコン持ってるの?」
「…え?教えてなかった?」
「知らないよぅ。」
 それこそ意外、などと思いつつ「じゃあメアド教えて?」とあたしが尋ねれば
「あー忘れちゃった。今度ね。」
 と、朋子さんは笑って、あたしの傍から離れていった。
「……もしかして朋子さんこそ、機械とかダメなんじゃ?」
 ポツリと零すと、朋子さんはギクリとあからさまなリアクションを返す。わかりやす…。
 朋子さんは乾いた笑みを浮かべつつ、「帰りまっす」と唐突に言い放ってあたしの部屋から出て行こうとする。
「もし使い方わかんないんだったら、教えるけど…?」
「いいっていいって!叩いても直んないような機械は嫌いなの!」
 ……。
 朋子さんはそう言い残し、本当の本当に帰ってしまった。
 あぁ、朋子さん大雑把だもんなぁ…。叩かなくても、ちょっと調べれば直るものなのに…。
 やれやれ、と溜息をつきつつ、朋子さんがやりっぱなして放置して行ったゲームの電源を落とす。
 ちらりとダンボールにぎっしり詰まった林檎を見遣って、もう一度溜息。
 そして改めてパソコンの前に座りなおして、メールチェック。新着メールあり。

『サナちゃんへ★HPのアドレスだよー』
『Re:おはようv』

 メル友からのお返事に、あたしは少し笑顔になってメールを開いた。
 インターネットの魅力は、鈴田咲名ではなく、サナっていう一人の人間として人と話が出来ること。インターネットの向こう側にいる人たちは、あたしが芸能人の鈴田咲名であることを知らない。あたしは、十八歳のフリーターの女の子。

『こないだの月九ドラマ見た?タッキー超カッコイイんだけどvv』
『最近寒くなったよね。サナって東京だっけ?もうカナリ寒いでしょ?』

 何気ない会話。それが出来ることが、あたしはとても嬉しい。
 寂しい話だけど、此処東京で、あたしの友達と言えるのはカナリアのメンバーだけ。
 カナリアのメンバーは十四歳・十五歳の二人、そして四人は二十一歳以上。話が合うのは、はっきり言って同い年の明だけかもしれない。
 もっと沢山友達が欲しい。そう思って、検索サイトで入力したキーワード『友達』。
 そこから、驚くほどあっという間に、あたしの友達の輪は広がっていった。
 仕事柄あんまりパソコンの前に長時間いることは出来ないんだけど、「チャット」も好き。
 実際に会話するよりもずっと交わされる速度は遅いけど、それでもやっぱり楽しいものは楽しいっ。

『ねぇねぇ、ボイスチャットとかウェブカメラとか興味無い?』
『サナちゃんって何のバイトしてるの?』

 ――それでもたまに。
 インターネット上で、少し寂しい気持ちになる。けれど、あたしはどこまでも、この正体を偽り続けなければ。
 きっと皆、あたしがアイドルの鈴田咲名だと知った時、その態度を変えるだろうから。

「そういうの、あんまり興味ないかなぁ。文字だけチャットラブなの〜。」
「今はウェイトレスやってるよ。」

 本当は、直接話してみたいの。
 本当はね、アイドルなの。
 でもね…―― ごめん。





 そんなある日。
 今日は久々に一日オフ。だからと言ってデートする相手もいない。(明は一人のお仕事入ってるって言うし)
 だからあたしはちょっぴり寂しく、ネットサーフィンで遊んでいた。
 外は雨。ザァザァと落ちる雨音が少し物悲しいから、音楽をかけて。
 ―――…やっぱり不思議な感じ。
 昔は、「あのアーティスト、すごく素敵。」って憧れていた人たちも、今は同業者でありライバル。
 歌番組で顔を合わせることもあって、「ファンだったんです」って言ったら、相手も「私もファンだったんですよ」って言ってくれる。それは嬉しいことなんだけど…やっぱりちょっと複雑。
 そんな考えに耽ってしまうと、あたしって芸能人向いてないのかなぁーなんて思ったりもしちゃうんだけど。
 でも、此処はそんな簡単に辞められる世界じゃない。
 それにもしも辞めたところで、あたしはずっと「元カナリアの鈴田咲名」っていう風に人々から記憶されるんだと思う。――もう、普通の女の子には戻れない。
 だからあたしはインターネットをする。
 一時的に、文字だけの世界で、普通の女の子に戻るために。
「――…あ、あれ?」
 考え事をしながらネットサーフィンをしていると、時々自分がどこのリンクを辿って今開いているサイトにたどり着いたのかわからなくなる。今がまさにそれだった。
 黒い背景に、白い文字。
 そして画面の中央に、花の写真。
 サイトのタイトルは―― 「lily garden」。

 どこか耽美な雰囲気が漂う、そのサイト。
 あたしは吸い寄せられるように、そのサイトの中へと――入っていく。

『Caution*
 このサイトは、女性の為の交流サイトです。
 其の心が男性である方は、即座に退室して下さい。

 lily gardenは、広大なネットワークの海に存在する、密やかな庭園です。
 女性ならば何方でも歓迎できる程に大きな庭園ではありません。
 参加条件は、共鳴です。
 女性同士でなければ理解し合えぬ感情を求めて。 
 其処に在るのは友情でしょうか。憧れでしょうか。或いは――恋でしょうか。
 どのような形でも構いません。
 但し、浅はかな関係を築いて欲しくはありません。
 これは管理人の独断と偏見ではありますが、当サイトでは顔文字や大袈裟な()発言を一切禁止と致します。
 随分と手厳しいことを言う様ですが、逆に言えばどんなに人数が少なくとも
 共鳴出来る人々が集うならば、それは大手サイト以上に、深い交流を持てるのではないのでしょうか。

 此処まで読んで頂いた貴女へ、心からの感謝を。
 尚、当サイトは完全登録制となっております。
 最初は興味本位でも構いません。自ら向いてないと思えば、静かに去り行けば良いのです。
 この場に相応しくない人物が居続けるならば、管理人がアクセスを禁じます。

 ―――登録申請は此方です。』


 ……。
 不思議な、サイト。
 こんな風に、かなり限定的に参加者を絞っているサイトは初めて見た。
 庭園。
 共鳴。
 女性同士でなければ理解し合えぬ感情。
 ――『恋』?

 女性限定サイトなのに、何故その文字が存在するのか。あたしにはよくわからなかった。

 唯、不思議と。
 あたしはその文章を何度も何度も読み返し、考え込んでいた。
 知りたい。
 その世界を。その庭園を。感情を。

『登録申請』

 静かにあたしは、そのリンクを辿った。








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