第八話・消え逝く光、終わりの時間





「う、ん……」
 心地良さそうに眠っていた瞳子が、小さく寝返りをうった。
 そして、ゆっくりと瞳を開く。
「…ン…、…あれ…?」
 ぼんやりとした表情。
 私―――神泉柚―――は、瞳子の額から前髪をそっと撫でた。
「……ふぇ?なに……?」
 時刻が夜なことか、それとも膝枕の状態に驚いているのかはわからない。
「おはよう、瞳子。」
「…………!?…センセ…っ…」
 がばっ、と身を起こした瞳子は、じっと私の顔を見つめた。
「あ、……ゆ、柚さん…ごめんなさい…」
 瞳子は小さく謝って、一つ小さなため息をついた。
「…センセ?」
 瞳子の零した言葉が気に掛かって、私はそう尋ねた。
 瞳子は寂しそうに微笑んで、
「……以前に…同じようなことがあったもので…。……私が酔っ払って、朝気付いたら知らないところにいて…傍にいた、先生が……、『おはよう、瞳子』って…」
 と、言う。思い出したくないことを、思い出させてしまったのかもしれない。
「そっか…、ごめん。」
 私が小さく謝ると、瞳子は首をふるふると横に振り、
「あ、そ、そんな、柚さんが謝ることじゃないです!……それより、ここは……」
 と、辺りを見回す。
「屋根。」
 私は言った。
「あ…ハウスの上の…?…あ、そっか!」
 瞳子はなにやら思い出した様子で手を打った。
「9時くらいに瞳子見つけて…、何時からいたの?」
「夕食が終わって、その後退屈だからここに来て空を見てたんです。そしたらすっごく眠くって!…眠っちゃったみたいです。」
「風邪、ひいてない?」
「大丈夫です。心配かけてごめんなさい。」
「ううん。」
 申し訳なさそうに言う瞳子に私は頷いた。
 瞳子はふと、辺りをきょろきょろ見回して、
「…あれ、今何時くらいですか?」
 と問う。
「…十一時…半くらい。」
「うっそ、そんなに寝ちゃったんだ…。あれ、柚さん9時にって…。…それから、ずっと…?」
 瞳子の言葉に、小さく頷く。二時間半の間、瞳子を膝に乗っけて、私はずっと空を眺めながら、考え事をしていた。
「………起こすのもどうかと思って…。」
「…………柚さん…。」
 瞳子はふわ、と嬉しそうに笑んだ。
 その表情。
 ―――私は、ずっと考え事をして、考えて、そして、一つ、結論を出していた。
 瞳子の笑顔が、その結論を確かなものにする。
「瞳子。…話があるの。」
「え…、は、話ですか…?」
 瞳子はきょとんと私を見る。その瞳子を真っ直ぐに見つめて、大きく頷いた。
「………そう。すごく大切な話。」
「……な、なんですか…?」
 瞳子が緊張しているのがわかる。
 …私も緊張している。
 ぺたん、と屋根の上に二人座り込んだまま…。
 瞳子は緊張のせいか、僅かに目を伏せている。
「瞳子、私の目を見て。お願い。」
「……柚、さん…。」
 私の言葉に瞳子は何かを感じてくれたように、じっと目を見つめる。
 僅かに瞳子の中に怯えが見える。
 薄い色素のこの目のせいだろうか。
 それでも瞳子から絶対に目は離さない。
 ……私は、ゆっくりと話し出した。
「昨日、ワイン飲みながら話したこと…。瞳子が話してくれたことは、…本心だと思ってる。」
「………私、…何を……」
 瞳子は、少し不安げに言う。…ここで結論を出す、よりも、少し前置きを、しよう。
「瞳子、一番最初に私に会った時、どう思ったか覚えてる?」
「……覚えてます。眩しい光の中で…佇む柚さんが…。………とにかく、不思議でした。不思議で仕方なかったです。…不思議な人だって思いました…。」
 瞳子の言葉に頷く。そう、あの時瞳子と出逢った時のことは、今もよく覚えている。
 瞳子は不思議そうに私を見ていた。けれどそれは好奇な視線とか、変なものを見るようなとか、そんなのではなく、ただ、子供が初めての物を目にした時のような、純粋に不思議そうな眼差し。
 その眼差し、いやじゃなかった。少し、嬉しかったような気さえする。
 そんな瞳子と、深く関わっていった。
 そして、瞳子は、今。
「…今は?」
 私は、尋ねる。
「え…っ」
「…今の瞳子の気持ち……」
「…………」
 私の言葉に、小さく瞳を揺らし、押し黙る瞳子。
 そんな瞳子に少し笑って、
「……当てていい?」
 と尋ねる。
「……わかる、んですか…?」
 瞳子は不思議そうに私に言う。その言葉に頷き、私は言った。
「………瞳子は、私が好きで仕方ない。けど私は傷つけたくないとか、そういうだけの感情だからって思ってる。でも好き。…好きになっちゃいけないのに…。」
「……なんで、……」
 瞳子は小さく目を見開き、驚いたように零した。
「酔った勢いで言った瞳子の言葉。…これは本物?」
「……っ、……!」
 そんな私の言葉に、瞳子はその瞳に涙を浮かべていた。
 そして、言葉と一緒に、零した。
「…本物です…っ…、全部、全部その通りです!…っ…。…怖くて言えなかった…、柚さんが離れていくのが怖かったから…!」
 私はそう言って涙を流す瞳子の両肩を持った。
 びくっ、と震える瞳子。食い入るように私の目を見つめる。
 そしてまた私も、瞳子を見つめた。
 そして、心に決めた決意を、言葉にした。
「責任取ってあげる。」
 …と。
「……責任…?」
 瞳子はきょとんと、不思議そうに私を見つめ返す。
 とても緊張しながら、私は言葉を続けた。
「最初は確かに、傷ついた瞳子を慰めるためだった。瞳子の笑顔が取り戻せたらって思った。…でも…、瞳子をここまで本気にさせたのは、私のせいでしょう?」
「………本気に…、って……」
 瞳子は少し赤くなって、小さく笑った。
「……もし私がいなくなれば、瞳子は傷つくでしょう?」
「………はい…」
 瞳子は素直に、頷いた。
「…だから、傍にいてあげる。瞳子の笑顔が絶対に絶えないように……」
「柚さん……、それって…」
 瞳子が言う、言葉に、私は少し言葉を探した。
 なんだか恥ずかしくなって、瞳子から目線を逸ら――
「……!?」
 ふと視界の隅に入った遠く見える観覧車に、私は思わず立ち上がった。
「柚さん…?」
「観覧車が…消えてる……」
「…え…?」
 瞳子も同じ方向を見た。
 観覧車自体ではなく、あの明るかったライトアップがなくなっていた。
 どういうことなのか。
 その瞬間、ライトアップを消したかもしれない「他人」の存在に背筋が凍った。
 時計を見る。時刻は十一時四十五分。
 ………まさか…、
 ……可能性は高い…
 『終わり』なのかもしれない……!!
 私は急いで梯子を降りた。
「柚さん?!」
「瞳子!早く!」
 瞳子も後からついてくる。私はハウスの扉をあけた。
 まだ就寝前のみんなは、思い思いにくつろいでいるようだった。
「柚っち?どしたの…??」
 紀子さんが不思議そうに私を見る。
「全員いる?」
「それがね、玲がいないの。」
「玲だけ?」
「みたい。」
 私はハウスに背を向けると、遊園地の闇に向かってありったけの声で玲の名を呼んだ。
「柚さん!電気が…。」
 瞳子が辺りの異変に気付く。街灯の光が、少しつづ力を失っていく。
 私はその光景を見つめながら、考えた。
 『終わり』……?
 これから何が起こるのだろう?
 わからない。
 誰かが電気を消しているのだろうか?
 その可能性は低い。
 この世界自体、何物かもわからない。
 もしかしたら、この隔離された世界から帰ることができるのかもしれない!
「柚さん!…はぁっ!」
「玲!」
 玲が走ってきた。只事ならぬ様子。
「ホラーハウスがっ……!」
「ホラーハウスが?」
「今、前を通ったら、…中からすごい光が!」
「…光?!」
 観覧車や街灯とは対照的に、ホラーハウスに光が集まっているというの…?
 ………そうだ…、あの光。
 光に包まれて、私たちはここに来た。
 ならば、やはり光で…元の世界に戻れるのかもしれない…!
 私はハウスの扉からみんなに言った。
「元に世界に戻れるかもしれない!急いでホラーハウスに…!」
「元の世界に!?」
「早く…、たぶん、時間がない…!」
 時計は十一時五十五分を指す。
 零時…!
 ふっ、とハウスの照明が落ちた。
「!……急いで!」
 私は急かす。みながハウスから出たことを確認し、走り出す。
「柚さん!」
 瞳子の声。すぐ後ろを走る瞳子の手を握り、走った。
 ホラーハウスまでの距離はおよそ150メートルほど。少し行くと、極端な明かりを発する建物が見えてきた。



「安曇!」
 名前を呼び、手を握った。
「あ、…れ、玲…!」
「……っ…、安曇………」
「……はぁっ…、はぁっ…」
 安曇は何も言わなかった。
 ただ、強く手を握り返してきた。



「ど、どうなるの…?怖い…!」
「マリアさん!…大丈夫です、絶対に離れないって約束したから!」
「忍さんっ………!」
 私たちは一緒に走りながら言った。
「絶対に一緒だから!」



「きゃぁっ!」
「花月!」
 ヒールをはいた花月が転ぶ。
 私はそっと抱き起こし、手を握る。
「バカ、こんな時にヒールなんてはいてどーすんのよ…」
「だってぇ…」
「ほら、行くよ!」
「う、うん…っ…」



 ……ホラーハウスの中からは、光があふれていた。
 私―――神泉柚―――は、その光景に動きが止まる。
「は、入れるんでしょうか…こんなに眩しい中に……」
「……行くしかない……」
 ポツリと呟いて、私は入り口から中に入った。
 光。
 ただ、光だけが存在している。
 目を焼くようなことはなく、光に包まれるような感覚。
 手を握っている瞳子の姿さえ見失いそうだった。
 後ろからみんなの声がする。
 ………奥へ進もう。
 小走りで進む。
 心臓が高鳴る。
 …やがて…、
 光の奥に、闇があった。
 …そうだ、…あの時と逆だ…。
 あの時は一番奥に光があった。
 そして今は…闇がある。
「あと1分ちょいで0時になるよ!」
 紀子さんの声が聞こえた。
 光と闇の間では、みんなの姿が確認できる。
 私は息を切らしながら、傍の瞳子を見た。
 瞳子も同様に私を見る。
 衝動的に、私は瞳子を抱きしめた。
「疲れたっ……」
「…あ、はは…。」
「………どうなるんだろう…。」
「…………わかりません…。…抱きしめててください……」
「…うん。」
「柚っちは抱きしめられる女の子がいていいなぁ〜とか思いつつ…、あと三十秒!」
 紀子さんの声に、瞳子はクスクスと笑う。
「私は柚さんに抱きしめられる女の子で…嬉しいな…」
 そう呟いた瞳子が妙に可愛くて、はぐはぐ…周りの目はあんまり気になってなかった。
「あ!」
 ふと私は重要なことを思い出した。
 その瞬間、眩しすぎる光を感じる。
 やば…!
「瞳子!私は青山学院大学の4年っ…」
 そこまで言った瞬間、耳の奥が焼け付くように痛くなった。
 声の出せない重圧を感じる。
 来た…!!
 意識が遠のく。
 二度目だと前よりは冷静になれるが、それでも目を開けることはできなかった。
 腕の中に抱く瞳子の感覚。
 ぎゅ、と抱きつかれた感覚。
 そしてふっと電気が消えたように、何も感じなくなった。
 五感を塞がれた感じ。
 闇の中にいる感覚が何秒が続いた後、
 夢のような長い時間が終わった。




 一部・完







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