「う、ん……」 心地良さそうに眠っていた瞳子が、小さく寝返りをうった。 そして、ゆっくりと瞳を開く。 「…ン…、…あれ…?」 ぼんやりとした表情。 私―――神泉柚―――は、瞳子の額から前髪をそっと撫でた。 「……ふぇ?なに……?」 時刻が夜なことか、それとも膝枕の状態に驚いているのかはわからない。 「おはよう、瞳子。」 「…………!?…センセ…っ…」 がばっ、と身を起こした瞳子は、じっと私の顔を見つめた。 「あ、……ゆ、柚さん…ごめんなさい…」 瞳子は小さく謝って、一つ小さなため息をついた。 「…センセ?」 瞳子の零した言葉が気に掛かって、私はそう尋ねた。 瞳子は寂しそうに微笑んで、 「……以前に…同じようなことがあったもので…。……私が酔っ払って、朝気付いたら知らないところにいて…傍にいた、先生が……、『おはよう、瞳子』って…」 と、言う。思い出したくないことを、思い出させてしまったのかもしれない。 「そっか…、ごめん。」 私が小さく謝ると、瞳子は首をふるふると横に振り、 「あ、そ、そんな、柚さんが謝ることじゃないです!……それより、ここは……」 と、辺りを見回す。 「屋根。」 私は言った。 「あ…ハウスの上の…?…あ、そっか!」 瞳子はなにやら思い出した様子で手を打った。 「9時くらいに瞳子見つけて…、何時からいたの?」 「夕食が終わって、その後退屈だからここに来て空を見てたんです。そしたらすっごく眠くって!…眠っちゃったみたいです。」 「風邪、ひいてない?」 「大丈夫です。心配かけてごめんなさい。」 「ううん。」 申し訳なさそうに言う瞳子に私は頷いた。 瞳子はふと、辺りをきょろきょろ見回して、 「…あれ、今何時くらいですか?」 と問う。 「…十一時…半くらい。」 「うっそ、そんなに寝ちゃったんだ…。あれ、柚さん9時にって…。…それから、ずっと…?」 瞳子の言葉に、小さく頷く。二時間半の間、瞳子を膝に乗っけて、私はずっと空を眺めながら、考え事をしていた。 「………起こすのもどうかと思って…。」 「…………柚さん…。」 瞳子はふわ、と嬉しそうに笑んだ。 その表情。 ―――私は、ずっと考え事をして、考えて、そして、一つ、結論を出していた。 瞳子の笑顔が、その結論を確かなものにする。 「瞳子。…話があるの。」 「え…、は、話ですか…?」 瞳子はきょとんと私を見る。その瞳子を真っ直ぐに見つめて、大きく頷いた。 「………そう。すごく大切な話。」 「……な、なんですか…?」 瞳子が緊張しているのがわかる。 …私も緊張している。 ぺたん、と屋根の上に二人座り込んだまま…。 瞳子は緊張のせいか、僅かに目を伏せている。 「瞳子、私の目を見て。お願い。」 「……柚、さん…。」 私の言葉に瞳子は何かを感じてくれたように、じっと目を見つめる。 僅かに瞳子の中に怯えが見える。 薄い色素のこの目のせいだろうか。 それでも瞳子から絶対に目は離さない。 ……私は、ゆっくりと話し出した。 「昨日、ワイン飲みながら話したこと…。瞳子が話してくれたことは、…本心だと思ってる。」 「………私、…何を……」 瞳子は、少し不安げに言う。…ここで結論を出す、よりも、少し前置きを、しよう。 「瞳子、一番最初に私に会った時、どう思ったか覚えてる?」 「……覚えてます。眩しい光の中で…佇む柚さんが…。………とにかく、不思議でした。不思議で仕方なかったです。…不思議な人だって思いました…。」 瞳子の言葉に頷く。そう、あの時瞳子と出逢った時のことは、今もよく覚えている。 瞳子は不思議そうに私を見ていた。けれどそれは好奇な視線とか、変なものを見るようなとか、そんなのではなく、ただ、子供が初めての物を目にした時のような、純粋に不思議そうな眼差し。 その眼差し、いやじゃなかった。少し、嬉しかったような気さえする。 そんな瞳子と、深く関わっていった。 そして、瞳子は、今。 「…今は?」 私は、尋ねる。 「え…っ」 「…今の瞳子の気持ち……」 「…………」 私の言葉に、小さく瞳を揺らし、押し黙る瞳子。 そんな瞳子に少し笑って、 「……当てていい?」 と尋ねる。 「……わかる、んですか…?」 瞳子は不思議そうに私に言う。その言葉に頷き、私は言った。 「………瞳子は、私が好きで仕方ない。けど私は傷つけたくないとか、そういうだけの感情だからって思ってる。でも好き。…好きになっちゃいけないのに…。」 「……なんで、……」 瞳子は小さく目を見開き、驚いたように零した。 「酔った勢いで言った瞳子の言葉。…これは本物?」 「……っ、……!」 そんな私の言葉に、瞳子はその瞳に涙を浮かべていた。 そして、言葉と一緒に、零した。 「…本物です…っ…、全部、全部その通りです!…っ…。…怖くて言えなかった…、柚さんが離れていくのが怖かったから…!」 私はそう言って涙を流す瞳子の両肩を持った。 びくっ、と震える瞳子。食い入るように私の目を見つめる。 そしてまた私も、瞳子を見つめた。 そして、心に決めた決意を、言葉にした。 「責任取ってあげる。」 …と。 「……責任…?」 瞳子はきょとんと、不思議そうに私を見つめ返す。 とても緊張しながら、私は言葉を続けた。 「最初は確かに、傷ついた瞳子を慰めるためだった。瞳子の笑顔が取り戻せたらって思った。…でも…、瞳子をここまで本気にさせたのは、私のせいでしょう?」 「………本気に…、って……」 瞳子は少し赤くなって、小さく笑った。 「……もし私がいなくなれば、瞳子は傷つくでしょう?」 「………はい…」 瞳子は素直に、頷いた。 「…だから、傍にいてあげる。瞳子の笑顔が絶対に絶えないように……」 「柚さん……、それって…」 瞳子が言う、言葉に、私は少し言葉を探した。 なんだか恥ずかしくなって、瞳子から目線を逸ら―― 「……!?」 ふと視界の隅に入った遠く見える観覧車に、私は思わず立ち上がった。 「柚さん…?」 「観覧車が…消えてる……」 「…え…?」 瞳子も同じ方向を見た。 観覧車自体ではなく、あの明るかったライトアップがなくなっていた。 どういうことなのか。 その瞬間、ライトアップを消したかもしれない「他人」の存在に背筋が凍った。 時計を見る。時刻は十一時四十五分。 ………まさか…、 ……可能性は高い… 『終わり』なのかもしれない……!! 私は急いで梯子を降りた。 「柚さん?!」 「瞳子!早く!」 瞳子も後からついてくる。私はハウスの扉をあけた。 まだ就寝前のみんなは、思い思いにくつろいでいるようだった。 「柚っち?どしたの…??」 紀子さんが不思議そうに私を見る。 「全員いる?」 「それがね、玲がいないの。」 「玲だけ?」 「みたい。」 私はハウスに背を向けると、遊園地の闇に向かってありったけの声で玲の名を呼んだ。 「柚さん!電気が…。」 瞳子が辺りの異変に気付く。街灯の光が、少しつづ力を失っていく。 私はその光景を見つめながら、考えた。 『終わり』……? これから何が起こるのだろう? わからない。 誰かが電気を消しているのだろうか? その可能性は低い。 この世界自体、何物かもわからない。 もしかしたら、この隔離された世界から帰ることができるのかもしれない! 「柚さん!…はぁっ!」 「玲!」 玲が走ってきた。只事ならぬ様子。 「ホラーハウスがっ……!」 「ホラーハウスが?」 「今、前を通ったら、…中からすごい光が!」 「…光?!」 観覧車や街灯とは対照的に、ホラーハウスに光が集まっているというの…? ………そうだ…、あの光。 光に包まれて、私たちはここに来た。 ならば、やはり光で…元の世界に戻れるのかもしれない…! 私はハウスの扉からみんなに言った。 「元に世界に戻れるかもしれない!急いでホラーハウスに…!」 「元の世界に!?」 「早く…、たぶん、時間がない…!」 時計は十一時五十五分を指す。 零時…! ふっ、とハウスの照明が落ちた。 「!……急いで!」 私は急かす。みながハウスから出たことを確認し、走り出す。 「柚さん!」 瞳子の声。すぐ後ろを走る瞳子の手を握り、走った。 ホラーハウスまでの距離はおよそ150メートルほど。少し行くと、極端な明かりを発する建物が見えてきた。 「安曇!」 名前を呼び、手を握った。 「あ、…れ、玲…!」 「……っ…、安曇………」 「……はぁっ…、はぁっ…」 安曇は何も言わなかった。 ただ、強く手を握り返してきた。 「ど、どうなるの…?怖い…!」 「マリアさん!…大丈夫です、絶対に離れないって約束したから!」 「忍さんっ………!」 私たちは一緒に走りながら言った。 「絶対に一緒だから!」 「きゃぁっ!」 「花月!」 ヒールをはいた花月が転ぶ。 私はそっと抱き起こし、手を握る。 「バカ、こんな時にヒールなんてはいてどーすんのよ…」 「だってぇ…」 「ほら、行くよ!」 「う、うん…っ…」 ……ホラーハウスの中からは、光があふれていた。 私―――神泉柚―――は、その光景に動きが止まる。 「は、入れるんでしょうか…こんなに眩しい中に……」 「……行くしかない……」 ポツリと呟いて、私は入り口から中に入った。 光。 ただ、光だけが存在している。 目を焼くようなことはなく、光に包まれるような感覚。 手を握っている瞳子の姿さえ見失いそうだった。 後ろからみんなの声がする。 ………奥へ進もう。 小走りで進む。 心臓が高鳴る。 …やがて…、 光の奥に、闇があった。 …そうだ、…あの時と逆だ…。 あの時は一番奥に光があった。 そして今は…闇がある。 「あと1分ちょいで0時になるよ!」 紀子さんの声が聞こえた。 光と闇の間では、みんなの姿が確認できる。 私は息を切らしながら、傍の瞳子を見た。 瞳子も同様に私を見る。 衝動的に、私は瞳子を抱きしめた。 「疲れたっ……」 「…あ、はは…。」 「………どうなるんだろう…。」 「…………わかりません…。…抱きしめててください……」 「…うん。」 「柚っちは抱きしめられる女の子がいていいなぁ〜とか思いつつ…、あと三十秒!」 紀子さんの声に、瞳子はクスクスと笑う。 「私は柚さんに抱きしめられる女の子で…嬉しいな…」 そう呟いた瞳子が妙に可愛くて、はぐはぐ…周りの目はあんまり気になってなかった。 「あ!」 ふと私は重要なことを思い出した。 その瞬間、眩しすぎる光を感じる。 やば…! 「瞳子!私は青山学院大学の4年っ…」 そこまで言った瞬間、耳の奥が焼け付くように痛くなった。 声の出せない重圧を感じる。 来た…!! 意識が遠のく。 二度目だと前よりは冷静になれるが、それでも目を開けることはできなかった。 腕の中に抱く瞳子の感覚。 ぎゅ、と抱きつかれた感覚。 そしてふっと電気が消えたように、何も感じなくなった。 五感を塞がれた感じ。 闇の中にいる感覚が何秒が続いた後、 夢のような長い時間が終わった。 一部・完 |