第六話・遊びの時間




 この異空間のような遊園地に来て、6日が経った。
 私―――神泉柚―――は、明け方の明星を見上げぼんやりとしていた。
 皆はそれぞれの想いを胸に、寝息を立てている。
 でも―――。
 ………私は感じていた。
 それが何かははっきりとわからない。
 ただ、なにか漠然と、なんらかの「変化」があることを。





「…おはよう、おねーちゃん。」
「…!」
 レストランのお手洗いで用を足し、手を洗っている時だった。
 そこにやってきたのは夕だった。
「…眠い。」
 相変わらずの低血圧。
 いつも少しだけついた寝グセ。
 基礎化粧もしてないくせに、やけに肌理のキレイな羨ましい肌。
 そこには、いつもの夕がいた。
 いつもと同じ。
 …でも…、
「おねーちゃん、ちょっと待っててくれる?」
 夕はそう言ってトイレに入っていく。
 ………。
 私―――棚次瞳子―――はトイレから出たところの壁に背をついた。
 ………。
 夕にキスされたのは一昨日の夜。
 あの後、夕は唇を離すと、何も言わずに駆け出した。
 昨日は一度も夕と話さなかった。
 私が夕を避けた。
 そして今―――。
「……はぁ。」
 私は息をつき、覚悟を決めて夕を待った。
「…鳴呼、眠い……なんでみんな、こんなに早起きなのかな…。」
「早起きって、もう9時よ?」
「…うー。」
 ………あぁ、相変わらずだ…。
 このまま、いつもの夕でいてくれたら…。
 そんなことを思いながら、夕と一緒に歩き出した、その時だった。
「…お姉ちゃん、やっぱあたしの事怖い?」
 と、夕に話し掛けられたのは。
「え…?」
 ――言葉の意味は理解できたけど、小さく聞き返す。
 その答えを出すことに、抵抗があったのかもしれない。
「………」
 だけど夕は、私の答えを待つように沈黙する。
「…………こ、怖いなんて、そんなこと…。」
 私が小さく笑みを作って、そう言った。
 けど、もう十五年も一緒にいる夕には、何もかもお見通しなのかも。
「別に隠さなくていいよ。わかるし。」
 と、夕は寂しげに言った。
 夕――。
「………。」
「……………変なの。ごめんね」
 私が何も言えずに俯いたまま沈黙して歩いていると、夕はぽつりとそう言って、早足で駆けていった。
「……夕…。」
 私はぼんやりと、その後ろ姿を見送った。
 ………どうすればいいのかな。
 わかんないよ…。
 ねぇ、柚さん―――。





「馨さん…隣、いい?」
「あら、夕。ええ、もちろんいいわよ。」
 私―――松雪馨―――は、彼女の言葉に微笑してみせる。
 朝食のトーストを乗せたお皿をテーブルに置き、夕が椅子に腰掛ける。
「……はぁ。」
 そんなため息が漏れる声に、私は夕を見遣った。
「どうしたの?…なにか悩み事?」
「え?…ううん…。」
 …まさか、紀子との関係を見られたとか?
 ………そういえばあの時って無防備だったわよね。
 ………。
 その確率は低いと思うけれど、念のため、私は夕に声を掛ける。
「………ねぇ、夕。」
「うん?」
 夕はトーストをかじりながら、私を見る。
 そんな夕に私は微笑み、
「言いたいことがあったら、何でも言っていいのよ。隠し事はイヤだわ?…ね?」
 と、促した。
「……うん、わかった。……あの、ね…」
 夕は、少し躊躇いがちに言う。
「なぁに…?」
 少し緊張する。――まさか、浮気がバレる瞬間…かしら?
 ……15の子相手に浮気って言葉使うのもなんだけど…。
「……馨さん、好きな人いる?」
「え…?」
 やっぱり!
 …ここはやっぱり、夕を立てておかなくちゃ…ね。
「いるわよ、大好きな人がね。」
 私は夕の目を見て微笑してみせる。
 夕は私を見上げ、
「じゃあさ、その人が別の人を好きだったとしたら、どうする?」
「べ、別の人?」
 …それって、私が紀子のことを好きだって思ってるのかしら?……私が好きな人?で、紀子をどうするか、ってことよね??……う〜ん…。
「…どうするかしら…。」
 首を傾げて考えあぐねていると、不意に夕が、
「あたし、その人を殺しちゃいたくなる。」
 と、言った。
「……え…?」
 ―――その言葉に、私は手にしていたトーストを落としそうになった。
 夕、まさか、まだ――そんな、ことを。
「好きで好きで仕方なくて、…なのにその人は別の方を向いてる…。なら、その別の方ってやつを無くせばいんだよ…って。」
「……。」
 ………紀子を殺すの?
 私は紀子に目線を遣った。
 彼女は柚さんたちと楽しげに食事をしている様子だった。
「………どこ、見てるの?」
 夕に言われて、私はふっと彼女を見る。
「あ…、ごめんね、ちょっと考え込んじゃって。……でも、殺す、なんて論外よ。」
 ――諭すように、言う。
 ここは、真面目に話しておくべきだと、思った。
 夕が、これ以上罪を重ねないように――。
「論外、って?」
 聞き返す夕に、私は一つ頷いて、こう返した。
「あのね。生きてるから、恋愛っていうものが楽しめるの。こうして人と関わっていられるから、ね。人なんて殺せば…罪に問われるでしょう?刑務所に入って、罪を償う時間、同じ時間を外で過ごせば、もっと素晴らしい恋愛が出来るはずよ。―――」
「………そっか…」
 自分で言っていることが正論なのか、どこか論点がズレているような気がしていたが、夕はコクンと頷いてくれた。
 いいのよね。私なりに、夕に伝えられることを、伝えれば。
「それにね、夕の好きな人が別の方向いてることだって、たまにはあるわよ。でも、夕ががんばれば自分の方、向いてくれるわ?」
 私が言うと、夕は不安げに俯いて、
「………そんなことないよ…。」
 と、悲しげに言う。
「…どうして?」
「………。」
「……私は、夕のこと好きよ?」
 ――はっきり伝えれば、夕も笑ってくれると思った。
 けれど、夕の表情は晴れなかった。
 そして、
「馨さんは関係ないよ。……関係ない。」
 ――と、返された言葉に、私は少し驚いた。
 ……え?
 関係ないって……。私、じゃないの?
 紀子でもなくて…。
 ―――どういうこと?
 夕に、他に好きな人がいるの?
 ……殺したいほど憎い相手…?
 夕が殺したいほど憎い人は……
 夕が殺した人って……
 ――――!?
 夕が殺した人、って…瞳子さんが、愛していた人、だったんじゃ…?
 それじゃあ、夕が好きな人って…。
 ―――。
 なぁんだ。
 心配して、損しちゃったじゃない。
 私、一人で自惚れてたのかしら。
 27にもなって、バカな女、ね。
 ――そう、わかった瞬間。
 客観的に、夕の思いを見ることが出来た時、思いついた。
 そう、私がもっといわなくちゃいけなかったこと。
「…ねえ、夕。」
 私は、なんだか清清しい気持ちで、夕に話し掛けた。
「……なに?」
 コーヒーを口に含んでいた夕は、私を見て、コクンと喉を鳴らした後に首を傾げる。
「………ねぇ、夕は、大好きな人の悲しむ顔が見たいの?」
「…………。」
 私の言葉に、夕は少し私を見つめた後、考え込むように目線を落とした。
「…愛っていうのはね…、愛する人の笑顔を見ると自分も幸せになって、愛する人の悲しむ顔を見ると自分も泣きたくなる、そんなことを言うんだと思うの。」
「………」
「夕が言ってるのは…、好きな人を自分に向かせたいっていうのは、独占欲だと思うわ。」
「…どくせん、よく…」
 ポツリと復唱する夕に、私は頷く。
 そして、その髪に触れながら、更に言った。
「もちろん、恋人関係にはそれがあるのが当たり前。…でも、ありすぎると、かえって相手を悲しませるわ。」
「…うん。」
「…本当に好きなら、相手の事を一番に考えてあげなさい。」
 そう言って夕の髪を撫でると、彼女は私を見上げ、一つ、大きく頷いた。
 そして小さな声で、
「ありがとう。」
 と呟いた。
 ……ったく。
 なんで私、こんな子に振り回されてたのかしら。
 今思うと、ちょっと馬鹿馬鹿しいかもしれない。
 でも、―――この子に振り回されているのも、少し、楽しかった。
 可愛いし、ね。
 恋愛云々じゃなくて、母性本能とか、そういう感覚かしら。
 早く子供が欲しいところだわ。
 ――その前に、相手、だったわね。





「うっ……ひっく……柚さん、私はね、もうどーすればいいかわかんないんれす!」
「…そう…。」
 太陽も高くなってきた午前中。
 とても爽やかな夏の朝。
 ―――ある一名を除いては。
 冷蔵庫で発見したワインで、真っ昼間からのワインパーティー。
 参加者は、瞳子と私―――神泉柚―――………のみ。
 場所はキッチンの隅にある休憩用のテーブルセット。
 私はワイングラスのチリ産赤ワインを揺らしながら瞳子を見た。
 ゆっくりとお酒を飲む私に対し、向かいの席に座る瞳子は、既に瓶を一本空けた後である。
 目も潤んでいて、頬もほんのり赤い。
 普段はお酒には強いみたいだが、さすがに今はヤバそう。
 普通に飲む分は良さそうなのだが、どうやらこの子は一気飲みするタイプらしい。
「…だって、夕ってばなんでいきなりキスなんて!…もう、どうしましょぉ……」
 愚痴大会のようになってしまっている。
 しかし、瞳子は真剣に悩んでいるらしいので、私も真剣に答えることにした。
「……夕は、瞳子が好きだからキスをした…、のでは?」
「そーれすよぉ。お姉ちゃんスキ、ってぇ。れも、すきって言われても困りますよぉ。」
「……困るの?」
「らって、わたしたち姉妹れすよぉ?なのにキスなんてしちゃだめですよねぇ。…はぁぅ。」
「……夕のこと、恋愛対象として、見れない?」
「はぁ?恋愛対象れすか?……夕をぉ?」
「向こうは、そういうつもりなんじゃ?」
「…そぉなのかなぁ〜…。でも…、やっぱり困るれす。…私、あまえんぼだから。」
「うん。…瞳子は甘えん坊。だから、瞳子を受けとめられる人じゃなきゃだめ?」
「…だめれす…。」
「……そっか。」
 一つ頷いて、ワインを一口飲む。
 これは、やっぱり夕に諦めてもらうしか、ないような気がする。
 うん。―――と、私が自己完結していた時だった。
 突然、
「第一!私、今、好きな人いますもん!」
 と、瞳子は宣言した。
「え…?」
 その意外な言葉に、私は聞き返す。
「えへへ、大好きで大好きでダーイスキな人!」
 瞳子は満面の笑みで言う。
 荊さん?まさか、その先生のことを言っている?
 でも、瞳子が好きということは…
「……その人って危険なのでは。夕に殺さ…」
 私が言いかけた時、
「…柚さん。」
 と、瞳子は言った。
 ………え。
 彼女の潤んだ瞳に、私の動きが一瞬停止する。これは……
「…私、柚さんのことダーイスキれす。…すうっ……ごくダイスキ……。」
「…と、瞳子…。」
「柚さん、私はだめれすか?…私、柚さんが大好き…ほんとうです……ほんとに…」
 ………どうしよう。
 突然の告白に私は非常に困惑した。
 しかも、相手は酔っ払いと来た。
 私が固まっていた、その時、だった。
「………何やってるの?昼間っから。」
「!」
「あ、……夕…」
 いつから居たのか、私の背後からやってきた夕の姿に、複雑な気持ちで、私は立ち上がった。
 …正直なところ、この子は、苦手。
「おねえちゃん。」
 夕は、私には目もくれず、瞳子を見つめる。
「ゆう……」
 瞳子も、複雑そうな顔で、夕を見ていた。
「……やっぱり、おねえちゃんって柚さんが好きだったんだ?」
「!」
 ―――な。
 き、聞かれていた――!?
「………そっか。」
「ゆ、ゆう……」
「……。」
 夕は踵を返し走っていく。
 咄嗟に、私はそれを追いかけていた。
「あ、柚さっ……!」
 瞳子の声に一瞬迷うが、夕を追う方を選んだ。
 さすがに子供だけあって走るのが早い。
 というか、私の体力がないだけ、のような気も。
 レストランの廊下を駆け抜ける。
「なにやってんの?鬼ごっこー?」
 安曇ちゃんの声、無視。
「わ、すごいレース。いけ、大穴柚!」
 紗理奈の声、無視。
「うっわー。柚っちが全力疾走してる姿なんてかなり貴重だぞ!」
 紀子さんの声、後で仕返し決定。
 そのままレストランを出て、夕は前の芝生を突っ切る。
 ていうか根性ある……。
 いい加減、バテてきた。
「夕!止まれ!」
 私はありったけの声で、そう叫ぶ。
 止まらない。
 あのコドモ……。
「おっとぉぉ。」
 あ!
 夕が止まった。
「は、離して!」
 もがく夕を羽交い絞めにしているのは、弥果ちゃんだった。
「柚さんが追っかけてるから協力ですぅぅ。」
「はぁっ、はぁっ……ありがとう、弥果ちゃん……」
 私が弥果ちゃんと夕の傍にたどり着く。
 息が切れて、私はその場で息を整えるべく荒い息をつく。
「いえいえ。夕ちゃん、どしたんですかぁ?」
「野暮用で。」
 私はそう言いながら、弥果ちゃんから夕の身柄を受け取る。…ふと。
「弥果ちゃんって、保母サン目指してるんだっけ…?」
「はい、そうですっ!」
「児童心理とか、興味、ある?」
「児童心理って…。……夕ちゃん、児童どころか生徒でもないじゃないですかぁ…」
「あぁ、そっか…。まぁ、どうでもいい。つきあって。」
「あ、はい、わかりましたぁ。」
 そして私は二人を連れ、無人のアイスクリーム屋に入った。
「アイスクリーム屋さんなのにアイスが食べれないぃ……。」
「作ればいんじゃない?」
 悲嘆に暮れた弥果ちゃんの声に、夕があっさりそう言って、中に入っていく。
 冷蔵庫をがさぞこと探ったかと思うと、なにやらの材料を取り出しアイスクリームの機械に入れる。
 ヴゥゥ…という低い機械音がし、電源が入る。
 少しして、夕はアイスクリームの機械のレバーを握った。
 うにぃ。
「きゃぁっ!アイスクリーム!やったぁ。嬉しいですぅぅ♪」
 弥果ちゃんは夕から其れを受け取り、嬉しそうに笑った。
 私も夕から受け取る。
 最後に自分の分を作り、夕はテーブルに戻ってきた。
 反抗しないところを見ると、逃げるのは諦めたらしい。
「で、何?」
 夕は私にそう言った。
 私はうなずき、話を始める。
「夕、私を殺す気はある?」
 べちゃ。
 口もとをアイスクリームにつっこんだのは、弥果ちゃんだった。
「………こ、こここ……」
 動揺した様子で私を見る弥果ちゃん。その口もとをナプキンで拭いてやりながら、
「遅くなったけど、驚かないで。」
 とだけ言う。
 そんな弥果ちゃんの見事なリアクションにも受けることはなく、
「………どうして?」
 と、夕は冷めたままで聞き返す。
「夕が殺したいと思うのは、自分の恋路を邪魔する人間。…だったら私もターゲットなのかな、と。」
「………。」
 夕がじっと私の目を見つめた。
「………。」
 私もそれを見つめ返す。
 沈黙のまま、数秒が経つ。
 不意に、溶けたアイスを夕が舌先で掬い嘗め、
「……殺さないよ。」
 と、夕は言った。
「………どうして?」
 私が尋ねると、夕はしばらくアイスクリームと格闘していた。
 が、何か、考え事をしているようにも見えた。私もアイスクリームと格闘しながら、答えを待つ。
「……。」
「…………」
 …やがて夕は、私を見て、小さく、
「……お姉ちゃんが、…悲しむから…。」
 と、言った。夕のその言葉に、少し驚いた。
 夕から、そんな言葉が出るとは、思わなかった。
 瞳子の最愛の人を、その手で殺したのに。
「……それに、お姉ちゃんって惚れっぽいから、…殺してもすぐ、別の人見つける。」
「……いくら殺しても、足りない?」
「そう。」
 ぷっ…。
 私は小さく吹き出した。
 クスクス…
 弥果ちゃんが、夕までが私を見つめる。
 そう、柚が笑うのか、そんな表情で。
 どうして笑っているのか、自分でもよくわらかない。
 ただ、バカバカしくて笑っているわけではない。
 先入観を覆されたから?わからない、けど、なんだか、おかしかった。
「…夕、成長してる。」
 私は笑いながら、夕にそう言った。
「…ちゃんと、罪は、償いなさい。それから、馨さんはやめた方がいい。…あの人も、多分、節操なしだから。…甘えたいなら、弥果ちゃんがオススメ。」
 私はそう言って弥果ちゃんの頭をポンポンっと撫でた。
『甘える?』
 夕と弥果ちゃんの声が揃った。
「相手のことをちゃんと考えてくれる。優しい優しい弥果ちゃん。」
 私がそう言うと、弥果ちゃんは照れたように笑み、
「そんな…過大評価ですぅ…。でも、話したいことあったら、なんでもいいですよ。弥果、そういうことしか出来ないから…。」
 と、私のリクエストにお応えして言ってくれた。勝手に他薦してしまったので断られないか心配だったので、その言葉にほっとした。
「……。……抱き、しめて…くれる?」
 夕は、少し遠慮がちに、小さく言った。
 そんな夕の言葉に、弥果ちゃんは優しく笑って、
「……はいっ…、……ぎゅってしてあげる…、や、弥果、してあげるのはあんまり慣れてないんですけどね、いいですか??」
 と、言う。そんな弥果ちゃんの言葉に、夕はコクンとうなずいた。
「……それじゃ、私は瞳子を慰めに…」
 と私が席を立つと、がたんっと夕も立ち上がり、
「あ、あのっ、あたし行っていい?」
「……喧嘩しない?」
「しない!」
「…うん、許可。」
「うんっ!」
 夕はうなずくと、アイスクリームの最後の一口を放り込み、レストランの方へと走っていった。
「…かわいいですねぇ…健気で、いじらしくて…。」
 弥果ちゃんがその姿を眺めながら言った。
 健気、ね…。
「…過ちは多いけど、大丈夫。夕はちゃんと大人になる……と思う。」
「と思う?!」
「保証はしない。」
「してくださいよぉぉ〜っっ!」





「あれ?ねえっ、おね…瞳子知らない?」
 あたし―――横溝夕―――は、キッチンで昼食の準備に取りかかっていた玲さんと安曇さんに尋ねた。
「え?瞳子さん?………知らないなぁ。安曇、知ってる?」
「知らないぃ〜。」
 おかしいな……どこ行ったんだろ?
「あ、ありがと。」
 あたしはそう言って、キッチンを離れた。
 どこだ…?
 あんな酔っ払った状態でどこに行くんだ?
「ゆーうー」
「え?」
 突然上から聞こえた声に、あたしは顔を上げた。吹き抜けの二階のテラスのところから、紀子さんが手招きをしている。
「面白い……あ、いや、かわいいもの見せてあげる〜。」
「かわいいもの?」
「いいからおいで〜!」
 という紀子さんに、あたしはしぶしぶ階段から回りテラスへと向かった。
「何?可愛いものって…」
「…ほら、見て、テラス……」
 紀子さんが指さす先はテラス。
 あたしはそこをのぞき込んだ。
 ………見つけた。
 ぺたん、と座り込んで、手摺にもたれて座っている一人の女性。
 その頬はほんのり赤くて、キレイな黒髪が風に揺れてる。瞳は、閉じられていた。
「…可愛いでしょ?お人形みたい。」
「…うん。」
 あたしは素直にうなずき、ゆっくりとお人形に歩み寄った。
 そしてその髪をそっとかきあげると、柔らかなくちびるに、そっとくちづけた。
「…う、ん……」
 お人形は人間へと戻る。
 ゆっくりと開いた瞳があたしを見る。
「……はれ…?夕……?」
「…おはよ。おねーちゃん。」
「………おはよぉ。」
 お姉ちゃんは腕を伸ばして伸びをする。
 紀子さんの気配はなくなっていた。気をきかせてくれたのだろうか?
「……お姉ちゃん、あのさ…」
「…なぁに?」
 まだどことなく酒気の帯びた表情で、小首を傾げる。
「…柚と、幸せになれたらいいね?」
「…………。」
 きょとんっとあたしを見る。
「…それと…、先生のこと…本当にごめんなさい。……あたし、少年院でちゃんと罪、償うから…。本当だよ…本当に……。」
「………夕…」
「……お姉ちゃん、大好きだよ…。…ずっとあたしのお姉ちゃんでいてね?」
「…………なに改まってんの?あたしたちは姉妹でしょー?」
 お姉ちゃんは笑いながら、そっとあたしの身体を抱きしめた。
「お姉ちゃん…」
「……私の可愛い可愛い妹…。夕子が幸せになりますように…。私は祈ってるわ。」
「……ありがとう。…おねーちゃんこそ頑張ってね?」
「当たり前よぅ」
 あたしたちは顔を見合わせ、笑った。
 お姉ちゃんの笑顔。
 あたしの笑顔。
 幼い頃のように、二人、笑った。





 ……あぁぁぁもぉぉぉ!!
 どーっしてこんなに進展しないの!!!
 頑張ってる、つもりなんだけど…。
 あたし―――岩崎安曇―――は、昼食を食べながら隣に座る玲を横目で見遣り、小さく息を吐いた。
 もう出会ってから6日間。
 まだ出会ってから6日間。
 早いとは思うけど、でも…。
 ………やっぱ好きだしなぁ…。
 あたしは玲の横顔を見つめた。
 …玲って大人っぽいんだよね…。
 すごく綺麗な顔してる。
 でもどことなく中性的で…。
「?」
 玲があたしの視線に気付いたのか、フォークをくわえたまま不思議そうな顔をする。
「…玲が作ったサラダ、美味しい♪」
「サラダ??あはは、そうかなぁ。すごく簡単だよ、ほら…」
 玲は何かを思い出すように視線を泳がせ、ふと、
「はっきり言って簡単なサラダ♪切って盛るだけの簡単サラダ♪」
 玲は小さく口ずさみ、微笑した。
「誰でも作れる♪それを残さず、食べてくれるあなたが好きよ♪」
 あたしは玲に続けてそう歌った。
 そして笑んで見せると、玲はクスクスと笑みを零し、
「安曇も、切って盛るだけの簡単サラダ♪を作ってあげる人がいるの?」
 と言った。
 ……玲…いじわる…。
「…いたらどうする?」
「ん?どうするって…。どうしよっかな?」
「…あたしは、もし玲にそんな人がいたら…、…い」
「ちゅうもーく!」
 …あたしの言葉を遮り、みなに呼びかける声に、その声の主を見遣る。
 Ciccoさんだ。た、タイミング悪いよ…。
「あのね、この後昼食終わってから、みんなでかくれんぼしない?」
「…かくれんぼ…」
「どうせみんな暇でしょ??」
 確かに暇ではある……やりたいかも…!
「賛成〜!」
 とあたしは手を上げた。
「ボクも賛成。」
 玲も小さく笑む。
「賛成♪」
 と次に手を上げたのは花月さん。
「…まぁ、いんじゃない?」
 と花月さんの隣に座る荊さんが言う。
「いやん、好評じゃなーい♪反対の人いる?」
 という紀子さんの声に、返る言葉はない。
「じゃあ、決定!」
 紀子さんはうれしそうに言ってまた食事を再開した。
「………相変わらず面白い人だよね。」
 玲はそんな紀子さんを見ながら、どこかうれしそうに呟く。
 ………ちぇ。





『最初はグー!ジャンケンポン!』
 …………
『あいこでしょ!』
 …………
「やった、鬼回避!」
『最初はグゥ!ジャンケンポン!』
 …………
「……ふぅ。ラッキ。」
『最初はグゥ!ジャンケンポン!』
 …………
『あいこでしょ!』
 …………
『あいこでしょ!』
 …………
「ん?…あ、チョキの人勝ち!パーの人〜」
 …………
「花月サンと柚ちゃんと弥果ちゃんね!」
 …………
『最初はグッ、ジャンケンポンッ』
 …………
「あ、柚さんの負けですぅ〜やったぁぁ♪」
「ふ、頑張って頂戴。」
 ………
 というわけで、私―――神泉柚―――は、かくれんぼの鬼に任命された。
 …今思ったけど、この広大な土地でかくれんぼって…。鬼は恐ろしく辛い気が…。
「一応、室内アトラクションの中とかレストランに入るのはナシね!外に面してればOK!んじゃ、60秒数えてから捜しに来てね〜!一同、解散!」
 という紀子さんの声に、皆は思い思いの方向へ散っていく。
「柚さぁん、頑張ってくらはいねぇ〜!」
 という瞳子(酔っ払い)の声が聞こえた。
 私は始点であるレストランの前の電柱に顔を伏せ、60秒のカウントを開始した。
 …………50。
 …………30。
 …………15。
 …………10。
 …………5。
 …………3。
 2。
 1。
 0。
 ………探索開始。
 辺りを見回す。
 人影はない。
 私はゆっくりと遊園地の中を歩き出した。
 ………。
 明らかに不自然なものが私の視界に入る。
 コーヒーカップなのだが、真中にあるカップだけくるくると回転してるのだ。
 ………思いっきり人の気配がある。
 私は足音を忍ばせ、ゆっくりとそのカップに近づいた。
「……ン…、」
「こんなトコでキスするなんて、なんだか刺激的ね?」
「…静かにしてないと、柚の鬼が来るわよ」
 …柚の鬼って…。
「…梨花ぁ…」
「あ、また…」
 そっとのぞき込むと、あと2センチで唇がつく、という至近距離に二人はあった。
 あと1センチ。
「荊サンと花月サン見っけ。」
「のわぁ!」
「きゃ!び、ビックリしたぁ…」
 別にタイミングを計ったわけではないけど、計らなかったわけでもない。
 二人は心底驚いた様子で、私を見上げる。
「楽しそうだから邪魔しない方がいいかとも思ったけど…。」
「あ、あの、こ、これはその、…えと…」
 しどろもどろになる荊さんに、私は、
「気にしなくても。前から知ってた。」
 と言う。
「……へ?前からって…な、なんで?」
「………紗理奈が言ってた。」
「……あのギャル娘……」
「じゃ、見つかったから…。牢屋、このコーヒーカップね。次の人が見つかるまで遊んでていいよ…」
「柚ちゃん、頑張ってね〜♪」
 花月さんの言葉にコクンとうなずき、私は次のターゲットを捜し歩き始めた。





「杏ちゃんっ」
 観覧車の物陰に潜んでいた安曇ちゃんを見かけ、あたし―――悠祈紀子―――は彼女に近づいた。
「Ciccoさん?なに?」
 あたしはぎゅぅ〜っと杏ちゃんを押し、一緒に物陰に入り込む。
「せ、せまっ」
「我慢我慢♪」
 そう言いながら、あたしは杏ちゃんを抱きしめる。
「な、なに??」
「抱き合ってれば狭いなんて感じないよ♪」
「そ、そーゆー問題じゃないような…!」
 まぁ可愛い。
 あたしが無理矢理入り込んだので、杏ちゃんを後ろから抱いている形になる。
 ふっ、とうなじに息を吹きかけると、杏ちゃんはピクンッと震え反応を示した。
「や、な、なにするの…」
「あぁごめんごめん。可愛いうなじがあったから、つい、ね♪」
「ついって……。」
 杏ちゃんの前で絡ませていた手を解き、そっと彼女の小さな胸にも手を這わせ……
「ふやぁぁぁ。Ciccoサーン?」
 不思議な鳴き声(?)を発し、反抗する杏ちゃん。
「……杏ちゃん、あたしのこと嫌い?」
「Ciccoさんのことは好きだけど、玲の方がもっと好きなのっ」
 即答だわっ。なんか悔しいなぁ。
「ねね、杏ちゃん、キスしたことあるー?」
「え、な、なによぅいきなり。せくはら。」
「何がセクハラよぅー。女同士じゃない♪」
「Ciccoさんの場合、女同士っていう言葉は適応しないのっ。」
「う。なかなか痛いトコ突いてくるね。」
「Ciccoさんってエッチだから怖いんだもん。」
「何にも怖くないわよぉー。で、キスは?」
「………。…そりゃ、あるけど…」
「いつー?」
「色々。」
「一番最近したチューはぁ〜?」
「元カレ。3カ月前。」
「あら。じゃあ最近は淋しいんじゃない?」
「うっ。い、いいもん、玲がいるもん。」
「でも、ねぇ?」
「なに…?」
「振り向いてごらん、杏ちゃん」
「ふ、振り向くって?」
 彼女はやや警戒しつつ、顔をあたしの方に回す。
 素早くそのあごを掴み、ちゅっ、とフレンチキスを彼女の唇に落とした。
「……うあ。」
「ん〜可愛い♪これで一番最近のキスはCiccoさんとかくれんぼ中に、ってことになったよね♪」
「………油断した。」
「うふふふ、杏ちゃんの唇ってやわらかくて気持ち良い。もう一回してもいい?」
「…………。」
 杏ちゃんは言葉なく、顔をまたこっちに向けた。素直でよろしい♪
 再び顎をそっと掴み、くちづける。今度は長めに、愛撫するようなくちづけ。舌先で唇とか舐めちゃったりして。
 熱い吐息が零れる。
 どことなく空気も熱く感じる。
 彼女の胸にそっと触れてみた。
「ンッ……」
 小さく甘い声が零れる。きゃ〜可愛い!
 弧を描くように両手の平で揉ん…
「紀子さん見っけ。」
「………のぉぉぅっ!?」
 突然背後から掛けられた声に、あたしは超ビックリした。超。
「…あれ?安曇ちゃんもいるの?」
「ゆ、柚さ……」
「ぷはー、見つかっちゃったかぁ。残念!」
 あーもう本当に残念よぅ!かなりイイトコロだったのにぃ。
「あ、ははは…。み、見つかっちゃったね。」
 杏ちゃんは真赤になって、笑みを繕っていた。
「それじゃ、牢屋コーヒーカップだから。」
「了解〜、頑張ってね鬼さんっ」
 ふと、去りぎわに呟いた柚ちゃんの一言。
「………なんでラブシーンばっか目撃しちゃうかな…。」
 ………はわわわ。
 き、聞こえないふり!
 聞いてなかったことにしよう!





 …………。
 私―――神泉柚―――は、道端に怪しげな物を発見し、立ち止まった。
 かご。棒。バナナ。
 ……………。
 あれは、何?トラップ?何の?
 かごを立ててある棒から紐が伸びている。
 その先は草むら。ガサガサいってる。
 ………。
 これは何をすべきなのだろうか。
 あの紐の先に誰がいるかを考えるべきか。
 こんな幼稚園児のような行動をとるのは…
 候補1、弥果ちゃん。
 候補2、酔っ払い。
 候補3、夕。
 ………。
 明らかに2だと思う。
 私は罠に近づき、そっとバナナに手を伸ばした。
 スコンッ!
 棒が外れるより先に、私は手を引いた。
 そしてかごを外し、バナナを取る。
「かしこいっ!」
 という声が草むらから聞こえると同時に、私はそこへ目掛けバナナを投げ放った。
 ふこんっ!
 非常に良い音がした。
「ぷっ……あ、あはははは!!!」
 テンションの高い笑い声。
 あれ…?このテンションの高さに心当たりがあるのは一人なのだが、バナナをぶつけられて爆笑しているはずは…。
 私は草むらに近づきのぞき込む……
 そこには、バナナがクリティカルヒットして言葉無く悶える馨さんと、ケタケタ笑っている酔っ払い瞳子。そして困惑した様子の夕がいた。
「……か、馨さんと瞳子と夕、見っけ…。」
「あ、柚さぁーん!」
 瞳子はがばっ、と私に飛びかかってきた。
「…………。」
 困惑する。
「お姉ちゃん、柚、困ってるよ…。」
「困ってないですよねぇ?柚さん★」
「……困ってる。」
 やはり困惑。
「いったぁい……。柚ちゃん、ひどいじゃない、バナナ投げなくてもいーでしょぉ?」
「ごめんなさい。瞳子に当てたかった。……あの罠が誰が仕掛けたの?」
 私は素直に馨さんに陳謝し、何気なく疑問を口にしていた。
 すると、
「瞳子サン以外の誰だと思うの」
 と馨さんに即答される。
「確かに。……夕、瞳子って酔うといつもこうなの?」
「今日はいつもより3倍増し、かな……。」
「ふーん………大変だね…」
 そう言うと、夕はコクンとうなずく。
「更に大変で悪いんだけど、牢屋コーヒーカップだから連れてってね。」
 私は瞳子を引き剥がし、夕に預けて次の獲物を捜しに行った。





「…………。」
 私―――加護朱雀―――はファンデーションのミラーに自分の顔を写し、それをじっと見つめていた。
 分厚い眼鏡。
 メイクは、持っていても、しない。
 自分の髪型も服装も、決して流行のものではないことくらいわかっている。
 魅力的であることが怖い……?
 男性を魅きつける魅力。
 女性として持っておかなければいけないもの。それを…
 それを私は、自分の手で無くした。
 …その時に私が失ったものは、美貌だけだったのだろうか?
 魅力。それは美貌だけではなく、
 …内面の美しさ。
 私はそっと髪をほどき、手櫛で軽く梳かした。
 ………。
「朱雀サン、見つけた。」
「!」
 突然かかった声に、私は驚いた。
「あ、ゆ、柚さっ……い、いつから…」
「………さっきから。」
「………」
 かぁぁ、と顔が赤面するのが分かる。
 恥ずかしい…!
「…コーヒーカップのとこが牢屋だから。」
「は、はい…」
「……髪ほどくと、なんだかキレイですね?……眼鏡外したら、もっと良いかな…」
「あ、え、…えと……」
「…ね?」
「……はい…」
「それじゃ…」
 そう言って髪を揺らせて歩いていく。
 私は暫し、彼女の後ろ姿に見とれていた。
 ……やっぱり私、キレイになりたい…。
 キレイになって…。





「…………はぁ。」
 私―――神泉柚―――は、密かにため息をついていた。
 かくれんぼというゲーム自体は簡単である。みんな気配ですぐにわかる。
 しかし……。
 …鳴呼、これで何度目だろうか。
 ……ラブシーン目撃するの。
「都立の新生会病院ね、聞いたことある。」
「知ってますか?良かったぁ。病気の時はうちの病院に来てくださいね。」
「勿論よ。マリアに看病してもらえば、治りも早いわよね?」
「あはは、そうですね。愛情たっぷりの看病してあげます。」
「頼りになるわ。…ね、マリア、キスしてもいい?」
「志乃さん…こんなところで…恥ずかしい」
「…いいじゃない……」
「あー、コホン。」
「うきゃぁ!」
「わぁっ!?」
 ショップなどの建物の陰で二人。
 鳴呼わかりやすい。気配をしかと感じました。
「なななな、あああれ?し、志乃!こんな時だけ!」
「ふえぇぇ…びっくりした……。し、志乃さん?」
「志乃じゃないです…。」
「忍さん…!」
「え、ええと…よくわからないけど姫野サンと宮本サン見っけ。」
「は、あはは……」
「牢屋はコーヒーカップね。よろしく。」
「はぁい……」
 何個カップルがあるのだろうか、一体…。
 私の知っている限りでは…
 まず、花月さんと荊さん。
 それから今の忍さんとマリアさん。
 あと…。
 あとは微妙か……。
 紀子さんは相変わらずワケわかんないし。
 あと予想だけど、安曇ちゃんは玲クンのことが好きなのかな?ていうか好きでしょう。
 あとは、弥果ちゃんと夕?これは個人的にくっついて欲しいという希望。
 瞳子は……。どうするかな……。
 あぁ夜衣子ちゃんが余ってるから…、
 紗理奈も余ってるのか……
 朱雀ちゃんとか……
 ……うぅぅん……。
 …などと考えながら歩いていると、また気配を感じた。
 きょろきょろと辺りを見回す。
 がさっがさっ……。
 ……一本の木が揺れている。
 ……わかりやすい。
 私はゆっくりとその木に近づいた。
「シッ、鬼がくるよ!」
 ……聞こえてる。
 なんとなく、近くにあった大きめの石を両手で持ち、木の根元に投げつけた。
「うわぁっ!」
「ちょっ、何!」
 落下してきた紗理奈を拾う。
「あだだ……」
 痛そうだし…。
「よっ」
 玲が降りてきた。
「…二人…じゃないよね。もう一人は…?安曇ちゃんじゃなくて……」
「夜衣子サンだよ。降りてきていいよ?」
「ふ、ふえぇ……」
 玲の言葉に、情けない声が返ってくる。
「な、なんか、枝がパキパキッ、て…」
「やばくない?」
「やばいですよぉ〜〜っ。…きゃあ!」
 という悲鳴に続いて、バキバキっと枝が折れる音。
「危ない!」
 玲は咄嗟に夜衣子ちゃんの下へ行く。
「れ、玲さっ……」
「わっ…」
 玲が夜衣子ちゃんをかばう形で二人は倒れ込む。
「っ…、玲さん!大丈夫ですか!?」
「………う、ん…?た、たぶん……」
 夜衣子ちゃんが慌てて起き上がり、玲もゆっくりと身を起こした。
「………あーっ!玲サン超セクシー!」
「へ?」
 見ると、玲のTシャツは夜衣子ちゃんと一緒に落ちてきた枝に引っかかってか、無惨に破れていた。
 スレンダーな身体の線とスポーツブラが露になる。
「うわっ」
 玲は慌てて前を隠した。
「ご、ごめんなさい、玲さん……。あ、そうだ、私の服の上着、着てて下さい!」
「いいの?…でも、下ってキャミソールだけじゃ……?」
「背に腹は変えられませんし!ねっ!」
 夜衣子ちゃんはそう言って、Vネックの半袖を脱ぐ。
 黒のキャミソール一枚。ブラの紐も隠れない。はっきり言ってかなりの露出度である。
「あ、ありがとう…。」
 玲はTシャツを脱ぎ、夜衣子ちゃんから受け取った服を着込んだ。
「はぁ……外にでたら弁償しますね…」
「い、いいよ、大した服じゃないし!」
「でも…」
「もう日が暮れてきたよ…帰ろう。」
 月が見える。
 オレンジ色の空に浮かぶ、白い月。
 満月に近い。でも満月じゃない。
 ……あと一日で満月。
 明日は満月。





「それじゃあ、消灯っ」
 紀子さんの声で、ハウスの電気が消える。
「おやすみ〜」
 就寝の挨拶もそこそこに、辺りは静寂に包まれる。
 今、何人くらい起きているんだろうか?
 高校生の頃に行った修学旅行でも、電気が消えてもなかなか眠れなかった。
 …でも、みんな一緒だった。
 次の日の朝、みんなすんごく眠そうで…
 みーんな声を合わせて、眠れなかったって言うの。
 なーんだぁ、って…。
 それなら、話しでもしてれば良かったね、って……。
 だって一緒に寝泊まりなんて出来るチャンス、ほとんどないんだから…。
 ………別れはすぐに来るんだから…。
 そんなことを考えながら、うとうとしていた。
 浅い眠りに、どのくらいの時間潜っていたのか、ふと、僅かに聞こえた物音に私の意識は引き戻された。
 ……ドアが閉まる音だ。誰か出ていったみたい…。
 今、何時だろう…。
 隣に眠るマリアさんは、とても安からな寝顔ですぅすぅと寝息をついていた。
 皆、もう寝てるのかな…?
 なんとなく目が冴え眠れそうになかったので、起き上がり、ハウスを抜け出した。
 ハウスの前にある時計は、午前3時半を指していた。
「瞳子?」
 突然かけられた声。私―――棚次瞳子―――は驚いた。
「…ゆ、柚さん?」
 きょろきょろと辺りを見回すが、彼女の姿はない。
「こっち。上。」
 そう言われて上を見回すと、ハウスの屋根に彼女の姿を見つけた。
「柚さん……」
 私は彼女の姿に、しばし見とれた。
 白く透けるような髪が光っている。
 闇を写す透明の瞳。
 後ろに壮大な大きな月。
「……瞳子、どうしたの?」
「そ、そっちに行ってもいいですか?」
「うん。裏に梯子がかかってるから。」
「はいっ」
 彼女の言う通り、裏に回ると屋根へ続く梯子がかかっていた。
 私がそれを登ると、上から柚さんが手をさしのべてくれた。
 きゅ、とそれを握って、私はハウスの屋根の上に辿り着いた。
「…この梯子、最初からあったんですか?」
「ううん。私が持ってきた。」
「持ってきたって…。」
「事務棟から。…どうしても、ここに登りたくて。」
「登りたかった…んですか?」
「…月がよく見えるから。」
 そう言って柚さんは空を見上げた。
 私もつられて見上げ、
「……わぁ…、すごい……!」
 と思わず感嘆を漏らした。
 夜空一面に広がる星空。
 そして大きな大きな月。
 さっき柚さんの後ろに見えた月よりも、もっともっと大きく見えた。たった3メートル近づいただけなのに。
「………吸い込まれそう…」
 私はぽつりと呟く。
「……うん」
 柚さんはこくんとうなずいた。
 私たちはしばしの間、ずっと空を眺めていた。
「あ、そうだ…」
 柚さんが何かを思い出したようにポツリと漏らす。
「なんですか?」
「……瞳子…」
「…は、はい…?」
 柚さんの瞳が、じっと私を見つめる。
「あの、ね……」
「……はい…?」
 躊躇うように目線を逸らす柚さん。…っ…可愛い……。
「……瞳子……」
「…は、っ……」
 柚さんと私の距離が縮まる。
 心臓が高鳴った。
 柚さんの唇がゆっくりと動き…
「瞳子って…酒癖悪いよね…」
 ………。
「………えぇ!?」
「………」
「……………」
 さ、酒癖!!?
 ………確かに…悪いけど……。
「瞳子、今日の午前から夕方にかけてやったこととか覚えてる?」
「お、覚えてますよ!勿論! えーと、……………」
 …あれ?なんとなく…断片的かも…
「……言ってごらん?」
「………まず、ワイン飲んで……」
 …その時話した会話の内容は忘れちゃったな…。
「…それから…、目が覚めると夕がいて…」
「…それで?」
「……夕は私の大切な妹よ…って…。」
「…うんうん。それから?」
「それから昼ご飯食べて…それから眠くなっちゃって…起きたら夜の8時くらいでした」
「…………。」
「………あ、あの、何か間違ってますか?」
「…多大なる誤りというかなんというか」
「え、え?!な、なんですか?」
「お酒飲みながら私と話したこと、覚えてないの?」
「うっ……。……あ、あんまり…いや、全然……」
 私がそう言うと、柚さんは小さくため息をついた。
「…悩んで損した…」
「…え?…わ、私、柚さんを悩ませるようなこと言っちゃったんですか!?」
「もういいよ。気にしないで。」
「え、えー??」
 うぅ……お酒って怖い……。
 ……ふと、柚さんの目線に気づく。
 じっと私を見つめている。
「……柚、さん…?」
「………瞳子、笑うようになったね。」
「え…?そ、そうですか?」
「…うん。……良かった。」
「…………」
 柚さんの「良かった」という言葉、素直に喜べなかった。だって私が強くなれば、柚さんは私に構ってくれなくなっちゃう…。
「………また元気なくなった?」
「えっ…あ、その……」
 困惑し、私は目線を落とした。
 ふわ…と、手に冷たい感覚があった。
 柚さんの手が、きゅ、と私の手を握る。
「……あぁ…ごめん…瞳子の方が、手、あったかいや…」
「柚さん……。……ありがとう…」
 私はそっと柚さんの指に、自分の指を絡めた。
「………瞳子、夜が明けるまで話そっか?」
「…はいっ!」
 …その時私は思った。
 夜明けなんて、こなければいいのに、と。



「瞳子。あの星、見える?」
「…?なんですか…?」
「夜明けの明星。」
「明星……。」
「…あの星、見収めかもしれない。」
「え…?」
「そろそろ行こうか?」
「やっ…」
「…瞳子?」
「柚さん、…もうちょっとだけ…お願い…」
「……いいよ。」
 どんどん柚さんに魅かれていく自分がいた。
 けれど彼女を好きになればなるほど、恐怖が付き纏う。
 ……柚さん、お願いだから、もっともっと傍に居て…!








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