第四話・想い、芽生える時間




 ヨル。
 静かなレストランに靴音が響く。テラスにいたボク―――赤倉玲―――は、近づいてきた靴音に振り向いた。
 ひょこん、とガラス越しにテラスをのぞき込む人物。ボクと目が合うと、彼女は小さく笑んでテラスの扉を開ける。
「また玲だ。」
「紀子さん…。」
「やぁやぁ。…玲、ここ好きなの?」
 にぱ、と笑んだ彼女は、ボクの隣まで来てテラスの手すりにもたれる。
「ここ、っていうか…月が好き。」
 そう言って、空を指さす。
「ほぉ…もうすぐ満月になりそうな月だ。」
「うん…。」
 紀子さんと同じ空を見つめ、ボクは頷く。
 そんなボクに、
「玲ってさ…ロマンチストだね。」
 と、紀子さんは意外なことを言う。
 ボクはその言葉に少し照れて、
「ロマンチスト?そ、そうかな?」
 と首を傾げると、紀子さんはとびきりの笑顔で、
「うん。とても魅力的よ♪」
 とか、言ってくれる。
「う…」
 そんなこと真向から言われたことがないので、つい赤面してしまう。
「玲って、恋人いないの?」
 という紀子さんの言葉に、ボクは小さく笑って、
「恋人?男がいるように見える?」
 と言うと、彼女はクスクスと笑って、
「見えない。でも、女はいそうかな♪」
 と言う。ボクは苦笑した。
「いないよ。残念ながら。」
「あっはは、もてそうなのになぁ〜。」
「ボクの事より、紀子さんはどうなの?恋人とか?」
「いないいない!恋愛したいわよぅ、まったく!」
「あはは…」
 小さく笑いながら、紀子さんの答えに喜んでいるボクがいた。
 …な、なに考えてるんだ、ボクは。
「玲、おねーさんと恋愛しよっかっ?」
「え…!?」
 突然の言葉にボクは驚いた。
 つつつっ、と横に寄ってくる紀子さんに、ボクは真っ赤になってしまう。
「…うふふ、可愛い♪」
 ふに、と頬を突かれる。
 やはりボクは何も出来ず固まっていた。
「…考えといて〜♪」
 ふわっ…
 …と、頬にやわらかい感触があった。
 まるで天使の羽根が触れたような、優しい感触。
 ボクが我に返って振り向いた時には、紀子さんが楽しげに笑みながら歩いていく後姿しか見えなかった。
 ボクはそっと自分の頬に触れ、ぼんやりと立ち尽くしていた―――。





「弥果はね……お姉さんがいたんですよ。」
 キッ…、と小さく金属の軋む音。
 弥果ちゃんと私―――神泉柚―――は、コーヒーカップに乗っていた。
 街灯の明かりから少しだけ遠い、深夜の暗いアトラクション。
 電力のないそれは、一見なんの意味もないものと思われやすい。しかし、コーヒーカップ自体が回転するのは、真中のテーブルを回すだけで良いのだ。時折思い出したようにそれを回しては、小さく笑む弥果ちゃん。
「…お姉さん。」
「………でも、死んじゃったんです。」
「…そう…。」
 弥果ちゃんは、少し寂しそうな笑顔で話をする。私は小さく相槌を打ちながら、それを聞いていた。
「弥果が、8歳の時でした。お姉さんはあの時12歳で…。交通事故…だったんですけどね…。」
「………」
「しっかりした記憶はないですけど…、弥果、お姉さんが大好きだったんです。」
「………姫野さんに…似てるの?」
「似てる…のかなぁ…。よくわかんないんですけど、なんだか、一緒に居たいって思うんです…お姉さんみたいで。」
「なるほど…。」
「でもぉ…勝手にそう思っちゃった弥果がダメだったんですよね。だって…姫野さんは、全然、知り合いでもないし…まだ会ったばっかりだし…。」
「……弥果ちゃんって…」
 ぐっ…。
 私がテーブルを回すと、コーヒーカップはゆっくりと回転を始める。
「……何ですか…?」
「…シスターコンプレックス…?」
「へ…?」
「なんだか…そんなふうにとれる。……お姉さんじゃなきゃ、ヤ?」
 ぐるん……ぐるん……。
「……そ、そんなこと…、…うーん…」
「それとも…、弥果ちゃんにとって…甘えられる対象が、『お姉さん』なのかな、と。」
「う、うーん…よくわかんないです…」
 弥果ちゃんのぴこぴこ跳ねた髪が、風に揺れる。
 そこにいるのは、子供のような幼い容姿をした、可愛らしい、大人。
「…私は、この二日、弥果ちゃんの事を何気なく見ていたけど…なんだか、第一印象と違った。」
「そ、そうなんですかぁ…??」
「うん。一見は誰にでも甘えるタイプに見えた。でも、弥果ちゃん、誰にも甘えてない。」
「………。」
「トーコとかの方が、よっぽど弱い。甘えんぼ。」
 私に抱きついて泣きじゃくっていた女の子の姿を思い浮かべながら、言った。
 弥果ちゃんは、どんなに寂しそうでも、それでも、我慢して笑っている。
「……柚さんは、とっても強いです…」
 弥果ちゃんは、私を見つめ、そう言った。
 …強い?私が?
 意外な言葉が、少しおかしかったけど、肯定も、否定も、できない。
「……私は…、人間じゃないから。」
 と返すと、
「へ?」
 弥果ちゃんはきょとんとした顔で私をまじまじと見つめる。
「……うそ。」
「…ふぇ…」
「…でも、私、大丈夫だもん。」
 と、我ながらよくわからないことを言った。すると、
「ぷっ…あはは。」
 弥果ちゃんは吹き出し、楽しそうに笑う。
「……なに…?」
「だもんっ、て………ぁはは、柚さん、可愛いですねぇっ!」
「………。」
 ぐるん、ぐるん、ぐるん。
 コーヒーカップはすごい勢いで回り出した。楽しそうに回す弥果ちゃん。
 私も一緒に回す。
 身体が、身体じゃないみたいな、魂ごと揺れてるみたいな、心地よい感覚。
「柚さん…、…弥果は、…ねえ柚さん…!」
「なぁに?」
「…弥果、誰かを好きになりたい!お姉さんじゃなくて、好きな人がほしい!」
「……うん。」
 私が頷くと、弥果ちゃんは嬉しそうに笑む。
「そしたら、いっぱい甘えます!お姉さんじゃなくて、お姉さんに似てなくても、だって好きな人って、全部大好きなんでしょぉ??」
「…そう、だと思う。」
「えへへ!弥果、頑張ります…!甘えさせてくれる人ができるまで…弥果……。」
 弥果ちゃんは、笑顔だった。笑いながら、言った。けれど、
 …悲しそう、だった。
「弥果ちゃん、強がりも、よくない。」
「…柚さん…。」
「今だけ特別に、柚は弥果ちゃんのお姉さん、みたいな人、なのです。」
 私が言うと、弥果ちゃんは、私を見つめた。
「…っ、柚さん…」
 弥果ちゃんはずりずりと椅子を沿って私の隣までやって来て、少しだけ寂しげな面持ちで私を見上げる。
 私は、小さな彼女を、そっと抱きしめた。
「うっ……ふえぇ…!…うわぁぁぁん!」
「…弥果ちゃん…、…がんばれ…。」





「あっ……」
 弥果―――林原弥果―――と柚さんがハウスに戻ると、時計は既に丑三つ時を差していましたっ。コーヒーカップで柚さんにいっぱいお話を聞いてもらって、弥果が一方的に色んなことを話していただけなのに、柚さんは嫌な顔一つせず、お話を聞いてくれていたのです。
 夜もすっかり更けてしまって、もう誰も起きてないだろうな、って思っていたのです、が!
 そんな時間に、ハウスの前に人影があったのです。
「……トーコ?」
 柚さんが小さく言います。そう、棚次さんだったのです。ハウスの前の樹木の所で、もたれるようにして立っています。
 彼女は少し困惑した様子で、柚さんから目を逸らしたみたいでした。
「…どうしたの?」
 柚さんが瞳子さんに歩み寄ります。弥果は後ろで眺めている事しか出来ませんでした。
「あ、……な、なんでもないです!」
 近づいた柚さんを避けるように、瞳子さんはハウスへと入ってしまいました。
 柚さんは小首を傾げた後、
「弥果ちゃん、寝よ。」
 と小さく言うので、
「…良かった、んですかぁ?…なんだか、寂しそうじゃなかったですか?」
 と弥果が言うと、柚さんは頷いて、
「大丈夫。…明日にでもまた、私が話をしておくから。」
 と言いました。うーん、やっぱり柚さんは優しいのです!
 弥果は頷いて柚さんと一緒にハウスへと入りました。
 結局すぐに眠ってしまったのですが、やっぱり瞳子さんは柚さんに用事があったのだと思うのです。…多分、ずっと待っていたのだと思うのです。
 …気になります、弥果はお邪魔虫だったのでしょぉか!?
 ううっ、どきどきですっっ。





「玲、おっは〜!」
「あぁ、安曇。おはよう」
 ばちゃばちゃと水道で顔を洗っている玲を見つけ、あたし―――岩崎安曇―――は駆け寄った。
「安曇も洗顔?」
「うんっ!」
 玲の隣に立って、水道をひねる。
「…っぷは。気っ持ちい〜…。」
 玲が小さくそう言うのが聞こえた。
 あたしはマッハのスピードで洗顔を終え、
「い、一緒に行こう!」
 と言うと玲は微笑して、
「ん?早いね?行こっか。」
 と頷いて言ってくれる。う、なんか嬉しい。
「うんっ」
 自然と笑顔が零れてしまう。
 玲が歩き出して、あたしもそれに着いていく。
「今日は曇ってる……、通りで、いつもより気温が低いんだ」
「へぇ…すごいね、玲っ。」
「え?何が?…全然すごくないよ?」
「う、うん……。」
 会話が途切れた。
 あれ…?
 えっと、えっと……
「安曇、今日の朝ご飯何かなぁ?」
「え、そ、そんなことあたしに聞かないでよ〜っ」
「あははは、それもそっか」
 玲の笑顔。
 玲が笑うと、なんだか、あたしも嬉しかったりする。
 本当にかっこいい女の子。
 玲と話してると、なんだか嬉しくて嬉しくて、変な気持ち。
 どうして、こんな風に思っちゃうんだろ。
 どんなに仲のいい女友達よりも、どんなにカッコイイ男の子よりも、ずっと楽しい。嬉しい。
 あたし、そんな惚れっぽいタイプじゃない、はず、なんだけど…
 うーん、なんだろ!変なのっ!
 その時、東側の空からまぶしい光が差してきた。
「わ…!?」
「まっぶし…。」
 僅かに目を細めながら、その方を見る。
「…すっごーい。」
「すごい、ね…。」
 そこには、真赤な朝焼けが見えた。
 真赤な真赤な…まるで炎の様な。
「玲!青春に向かってダッシュしよう!」
「え!?どこいくの?って、安曇っ?」
 あたしはワケわかんない衝動にかられ、玲の言葉さえも無視し、その朝日の見える方向へと走り出した。
 アタシにまぶしい光が降り注ぐのを、肌で感じる。
 ジリジリと焼けるような感覚に、あたしの心はヒートする。
「安曇、まだまだっ!負けないよ!」
「あっ、ま、負けない!」
 玲に抜かされるも、あたしは更にダッシュをかける。
「奪取!」
 あたしはそう大声で言って、本気のスーパーダッシュで加速した。
 …加速していく。不思議なくらい。
 加速していく、気持ち。





「とどのつまり、それはどういう事なの?」
「え?え?えと、いや、その、あのぉ……」
 私―――名村花月―――の言葉に、しどろもどろになるのは戸谷紗理奈さん。
「もう一回言ってごらんなさい?」
「え、あ、は、はいです。ええと…、あたしの乗ってる車がぁ…その、BMWなんですけどぉ…。」
「………。」
「な、なんですかぁ?あたしなんかイケナイこと言いましたぁ…??」
 彼女の言葉に、私はしばし頭を抱えた。ため息一つ。
「……車、好きなの?」
「え?いえ、そうでもないかもです!なーんか運転って難しくてぇ。あたし、ほら、ゲームとかもめちゃめちゃ弱いんですよぉ。」
「ふぅん、そう…。」
 私は朝食のホットケーキ(もちろんシロップもバターもナシ)を頬張りながら思った。
 …こーのクソガキ。何がBMWよ。こちとら一生懸命仕事こなして、やっと国産車を新車で買えて喜んでるっていうのに、たかが19でBMW?外車?
 しかしやはり私自身のイメージは大事。
 絶対に心を顔に出さない事、それが業界でやっていくコツのようなもんよね。
「ねぇ、今BMWが何とかって話してなかった?」
 といくつか離れた席から声をかけてきのは、荊さんだった。
「えぇ話してたわ。“自分の車”、なのよ。」
 私が頷くと、
「へぇ、さすがモデルね。今、車買おうと思ってんだけど迷っててね。ちょっと奮発してBMWあたりいってみようかとも思ってんだけど…。乗り心地はどう?」
 という彼女の問いは、確実に私に向けられていた。
「……自分の車。…この子のね。」
 と、紗理奈サンの頭をぽむぽむと叩いた。
「…はぁ?」
 荊さんは露骨に何言ってんの?って顔で聞き返してくる。
「ほんとぉですよぉ。免許とったお祝いに、パパに買ってもらったんですぅ♪」
「……パパ…に……?」
 荊サンは非常に複雑な表情だった。
 その気持ち、よぉく解かるわ。
「…ちょっと待ってよ。」
 荊さんは片手を差し出してタンマポーズをとる。
「……ふぇ?」
 きょとん、とその様子を見る紗理奈サン。
 私も彼女の様子には少し首を傾げた。
「ねぇ…つかぬことを伺うけど…、あなたの父親って、…戸谷清三とか言わないわよね?」
 という荊さんの問い。
「あっ」
『えっ?』
 紗理奈サンの「あっ」に、私と荊さんは声を揃えて聞き返し、次の言葉を待つ。
「違いますねぇ〜。」
 と紗理奈さんの言葉に、私は安堵した。
 戸谷清三って言ったら、警視総監じゃないの……。
 まさか、そんな人の娘がこんなところにいるわけないじゃない。
「でもぉ。」
「え?」
「確かオジサンがそんな名前だった様な気がしますぅ。あたしのパパは、議員さんの戸谷優作ですよぉ。」
「………」
「うっそ…。」
 私は小さくそう漏らす事しか出来なかった。荊さんに関しては、既に固まってしまっている。
「ちょ、ちょっと待って!戸谷優作って、都知事に立候補してダントツ当選したあの戸谷優作!?」
 私は自分が言っている言葉が半ば理解できないまま、そう確認していた。
「みたいですぅ」
「みたい、って……。」
 さすがの私も言葉を失う。
「……や、やばいんじゃない?」
「え?何がですかぁ?」
 荊さんの言葉に、紗理奈さんは小首を傾げる。
「だって都知事の娘が行方不明よ?ニュースにならない方がおかしいわ。」
「…確かに。」
 私は素直に肯定した。
「…でもぉ、有名なモデルさんの名村花月サンがいなくなってるのもニュースなんじゃないですかぁ?」
「…確かに。」
 私は素直に肯定した。
「そこはつっこんでほしい所なのかしら?」
「そんなことないわ。」
 荊さんの言葉、私は素直に否定した。





「トーコ。」
 レストランのテラスで、心地よい午前の風に目を閉じていた時、私―――棚次瞳子―――は、声をかけられた。
 誰なのかは、声を聞いただけですぐに解かった。
「柚、さん……」
 私はぽつりと呟いた。
「…なんで、逃げるの?」
 柚さんは、私の隣に来て、そう言った。
 少し気まずい空気を感じながら、私は首を横に振って、
「………逃げてません。」
 と否定する。けれど、
「逃げてる。」
 と柚さんはあっさり言う。
「逃げてません!」
 私は彼女を見て強く言った。すると、
「信用出来ない。」
 柚さんは小さく言って、
 ふわっ…
 ―――言って…
 一瞬、突然すぎてわからなかった、けど、すぐに理解する。私は柚さんに抱き寄せられていた。
「あ…、ゆ、柚さん…。」
「逃げないよーに。」
 と、柚さんは言う。その言葉が、なんだか胸に苦しくて、何故だか泣きそうになるのを、私はきゅっと我慢した。
「………。」
「イヤ?」
「……い、やじゃないです、けど……」
「けど?」
「…………」
 柚さんのあたたかい身体。夏の日差し。
 暑い…はずなのに、なんだかあたたかい。
 ―――冷えていたのは、私の心?
「………。」
「…………はぁ…。」
 私はため息をついて、素直に柚さんにもたれた。
 柚さんをそっと抱き返し、柚さんの長く白い髪が風に揺れるのを眺めながら、私は小さく言った。
「…柚さん…、私、どうすればいいの…?」
 と、問う。こんなこと聞いて柚さんだって困るかなってわかるんだけど、もう、自分の中だけで処理できないほど、パンクしそうな頭の中で。もう、誰かの優しさに甘えることしか、私は術を思いつかなくなっていた。
 柚さんは少し沈黙した後、
「……トーコ、昨日、足痛かった?」
 と、小さく言った。
「え…?」
「…どのくらいあそこにいたの?」
 …ドキッ、と。
 ギクッと、する。
 けれどそんなこと、言えるわけない。
「………ちょっとです、ちょっと。別にそんなずぅっと待ってたワケじゃないです…。」
 私は誤魔化す様に笑んでみせる。しかし、
「……トーコはウソが下手。」
「…う…。」
 相変わらずに表情の少ない柚さんの言葉、私は小さく呻きを漏らした。
「誰を待ってたの?」
「……柚さん…」
「…素直」
「だって、ウソついてもバレるんでしょ?」
 私がそう言うと、柚さんは言葉の代わりに私、きゅ、と抱きしめた。柚さんの心臓の音が伝わってくる様に……。
「柚さん…。」
「……トーコ、ごめん。」
 柚さんが小さく言う謝罪の言葉。ううん、謝ることなんてないのに。勝手に待っていたのは私で、柚さんはなんにも悪くない。
 柚さんの優しさ。それがすごく嬉しかった。けれど、なんだかとても切なかった。
「…柚さん…、ねえ柚さん、…どうして柚さんは、こんなに優しいの?」
「……優しい?」
「……だって、なんだか…私、誤解しちゃいそうで…。」
 柚さんに抱かれたまま、私は涙を堪えるのに必死だった。抱きしめられているせいで、彼女に顔が見られないことが、今は都合が良かった。
 柚さんのぬくもりが、私を溶かす。心の底で堪えていた思いが、零れてくる。
「…………おかしくなりそう…。」
 と私が零すと、柚さんは私の髪に触れ、優しく撫でながら、言った。
「だから、私は、瞳子の傍。」
「え…?」
「トーコには、救いの手が必要だと、思った。だから、トーコのそばにいてあげたい。甘えさせてあげたい。…傷ついた心を、これ以上えぐりたくない。」
「……柚さん……」
「…だめ?」
 私はふるふると首を横に振った。
 柚さんの言葉、色んなものを溶かしていく。
 頬に零れる涙を感じながら、私は、素直に、なっていく。
「嬉しいです…、…ごめんなさい、柚さん…私…。」
「…私が出来るのは、抱きしめてあげることだけ…。…こないだは、調子に乗ってキスまでしてしまった、けど。」
「……ふふっ。」
 柚さんの、少し照れたような口調に、私は笑った。
 そうなんだ、あの時の柚さんって調子に乗ってたんだ。
 …なんか、可愛い。
「……トーコ、昨日は…私に、何か用事だった?」
「え?あ、…そう、です…。」
 不意に言われたその問いに、私は戸惑う。柚さんに言って良いものなのか、…不安だった。しかし私の中で大きくなる思いを、柚さんに聞いて欲しかった。
「………なぁに?」
「あの…、……荊さん、なんですけど…。」
「うん。」
「……荊さん…、すごく似てるんです。昨日、近くで見て初めて気づいたんですけど…」
 言いながら、彼女の顔がちらつく。
 髪を結って、薄いフレームの眼鏡を掛けていて、化粧っ気のない荊さん。
 長い髪を流し、荊さんよりも少し大きめの眼鏡を掛け、きれいにお化粧しているあの人。
「似てるって…」
「…素子さんです…、あの、…えっと…」
「…夕の、先生。」
「…はい。」
 柚さんが、彼女のことを「夕の先生」と言った。それが、少し嬉しかった。「私の恋人」だと言われるよりも、なんだか気が楽でいい。
「………それで、あの……昨日…、抱きしめられたんです…あ、いえっ…抱きしめて、もらったんです…。」
「……荊さんに。」
「はい…すごく似てる、って伝えたら…涙が出ちゃって、どうしようもなくなっちゃって…それで…だから、無理矢理私が抱きしめさせた様なものだと思うんです。」
「なるほど。」
「…だから、っていうか…なんか、ますますワケわかんなくなっちゃって…」
 ――言い終えてふと、私、なんでこんなこと柚さんに話したいって思ったんだろう、って、思った。
 彼女に抱きしめられたこと。彼女が抱きしめてくれたこと。
 少なくともその時は、私は嬉しかった。あの人が帰ってきたような、そんな錯覚にとらわれて。
 だけど、後で、外で一人でぼんやり考えていて、また、涙が出てきた。
 それは錯覚でしかなくて、荊さんは荊さんで、あの人はもう、戻って来ないって、気づいたから。
「…ねぇ、トーコ。荊さんが恋人になったらどうなると思う?」
「えっ…?」
 柚さんの言った言葉に、思わず聞き返した。考えていたことを見透かされたような、そんな気がして。
「……あの人のこと、愛せる?」
「それは…」
 答えようとして、言葉が続かなくて、口を噤んだ。
 答えなんて考えられなくて、答えなんて、用意できなくて。 
「見た目はすごく似てて、でも中身は違う。そんな人を……」
「…わ、かりません……。でも、あたし…なんだか…」
 なんだか―――
「荊さんの事が好き、そう思うんでしょう?でもそれは、素子サンの事を引き摺っている、何よりの証拠だと、思う。」
「…………」
 柚さんの言っていることは、何もかも的確で、何も言い返せない。
 言い返せないんじゃない、そう、言って欲しかったのかもしれない。
 だから私、ずっと柚さんのこと、待ってたのかな…?
「……ちょっと厳しい言い方かもしれないけど、今の状態で荊さんに魅かれては、いけない。彼女は、素子さんじゃない、から。」
「………」
 コクン、小さく頷いた。それが精一杯だった。
 そう、そう言って欲しかった。
 だけど、だけど、そう言われてしまったら、次にどうすればいいのかわからなくて。
 誰に甘えればいいのかなって…そう、考えて、―――私は。
「……」
 柚さんは何も言わず、私の髪を撫でてくれた。
 ―――私は、気づいた。
 私が甘えたいのは、素子さんなのかもしれない。
 でもそれが叶わない今、私がそばにいて欲しいのは―――
 誰でもない、今こうして、そばにいてくれる、この人なんだ、って…。
「ねぇ、柚さん…」
 私は彼女の名前を呼び、静かに涙を拭った。
「…なぁに?」
 そっと柚さんから身を離し、彼女の顔を見た。
 あんまり表情のない、柚さん。
 だけど、確かにその身体はあたたかくて、
 彼女の気持ちは、どこまでもどこまでも、優しい。
「……また…、調子、乗って…?」
 少し恥ずかしいけど、私は言った。
 柚さん、私は今、この人に触れていたい。柚さんに、そばにいて、ほしい。
「…トーコ…。人が来るよ…?」
「お願い…。」
 私がそう言って柚さんを見つめると、彼女は、ふっと微苦笑を浮かべた。その表情に、私は溶かされていく。柚さんが少しずつ見せる優しさ。
 柚さんは、そっと私の頬を撫でた。
 そして、そっとそっと、くちづけをくれた。
 やさしいやさしいキス。
「……トーコは、やっぱり甘えんぼだ。」
 唇を離して、柚さんは小さく言った。その言葉に私は少しだけ笑って、
「…だめですか?」
 と尋ねる。柚さんは首を傾げて少し考えた後、
「……許して、あげる。」
 と、少しだけ微笑んで言った柚さんの言葉に、私も微笑んだ。唯、単純に嬉しかった。
 そして今度は、私からくちづけた。
 イケナイとわかっている。
 でも止められない。
 「愛しい」気持ち―――。





「………?」
 私―――荊梨花―――の前を歩いていた名村サンが、突然立ち止まる。
「……何?」
 彼女の後ろを歩いていた私は、彼女と一緒に立ち止まることを余儀なくされる。私が小さく尋ねると、彼女は唇に指を当てて「静かに」と示す。
 私は訝しげに、彼女の視線の先に目をやる。
 私たちのいるレストランの入り口から、二階のテラス。微妙な角度で見える。人がいるようだ。
「……誰?」
 私が小さく聞くと、
「……柚サンと…、棚次、サン…かしら。」
 と、名村サンは言う。私も軽く身を乗り出してみる。
「…随分、密着度が高いような気がするんだけど?」
 と小さく言った。見るからに、二人は寄り添い、抱き合っているようにも見える。
「…私もそう思うわ…、あの二人って…?」
 会話の内容はわからなかったが、何やら瞳子サンが上目遣いで柚サンに迫っているように見えた、そして―――
「!」
「!」
 二人は、そっとくちづけた。
 ゆっくりと離れると、瞳子サンは照れくさそうにはにかんでいた。
 そしてもう一度交わされるくちづけ。
「……ちょっとちょっとぉ…。」
 名村さんは入り口の陰にひっこみ、小さく言う。
「……あの二人って、できてるの?」
「私に言われても…」
 小さく肩を竦め、私も陰に引っ込んだ。
「あ〜んっ、羨ましいっ。」
 名村サンは入り口の壁に背をもたれ、少し頬をふくらまして言う。その、モデル然とした普段の彼女からは意外な言葉に、
「羨ましいって…。」
 と小さく聞き返すと、
「だってもう三日間も、エッチどころかキスさえしてないのよぉ?欲求不満にもなるでしょぉ?」
 …などと、更にぷくっと膨れて言う。何。これ。
「三日くらい我慢しなさいっての。」
 とりあえずつっこみながら、私は内心肩を竦めていた。
 モデルの意外な素顔、というやつか…。
「やだ〜もぉ…、はぅ〜…。」
 ラブシーンを目撃したせいか、名村サンが少しだけ壊れたような気ぃすんだけど…。
「…とにかく、外出れないみたいだし、もうちょっと中にいましょーか。…どうせすることないんだし。」
「そうね。」
 ということで、音を立てないように扉を開けて、レストランの中に戻る。
 シ…ン、とした静寂。
 全く、此処に居ては暇を持て余してばかり。こんな何もないレストランで、一体何をしろと…。
「…ちょっとおトイレ。ついてきて?」
 不意に彼女が言った言葉に、私は「はぁ?」と聞き返した。
「ついてきてって…いくつだっつーの。」
「いいじゃないよぉ、だって静かな所恐いんだもん。」
「仕方ないわねぇ……。」
 私は名村サンと連れ立ってトイレへと向かう。
 モデルとしてプライドも高そうで、肝も据わっているし、彼女には一目置いていた。しかしそんな印象が突然ガラリと変わり、私は内心驚いていた。
 まぁ、二面性のある人間というのは個人的に嫌いじゃない。普段は見せない一面を私に見せてくれたのかと思うと、悪くはない。
 チラリと彼女の横顔を見遣り、私は少しだけ笑って言った。
「なんていうか…面白いね、名村サン。」
「あら、花月でいいわ。何だったら本名の“華”でもいいんだけど。何が面白いのよ?」
「はな?花ちゃん?」
「ちゃんって…仮にも年上よ、私の方がっ。それと、花は野原の花じゃなくて、華がある、とかの華の方!」
「仮にもねぇ…。はいはい。」
 彼女の新たな一面に内心笑いつつも、私は平静を装って話を続ける。
「なーによー、やる気ないわねぇ。大体、何が面白いのよ?」
「ギャップが。」
「ギャップってぇ?」
 などと話しているうちにトイレに到着する。「ギャップって何よぉ」とか追求してくる彼女をかわし、
「ほら、ついたわよートイレ。さっさといってらっしゃい。」
 と私が背中を押すも、彼女は不服そうな表情で、
「……ついてきて?」
 と、上目遣いで言う。
「どこまでついてけばいいのよ…。」
「いいからっ」
 ぎゅ、といきなり手を握られ、トイレの中まで引っ張られていく。
「ちょ、ちょっと!」
 彼女の冗談だと思っていた私は、少し驚いて声を上げるが、問答無用だった。
 ばたんっ。
 そして思いきり閉められる個室のドア。
「………」
「……………」
 狭い空間に二人、数秒間の沈黙。
 すとん、と、彼女が便座に腰を下ろす。
 …当然衣服は下ろさずに、であるが。
「…ねぇ、荊サン……。…キスしよっか…」
 そんな甘えた声に、私は小さくため息をついた。
 ――そうか。私は都合良く、彼女の欲求不満処理に誘われているだけ、か。
「…何言ってんのよ。」
 私はそんなに軽い女じゃない。少し冷たく言ってやると、
「だめ?」
 と、彼女は甘えるようにまたも上目遣いで、私に問い掛ける。
 そんな手には乗るわけにはいかない。彼女から目線を逸らす。
「だめも何も……、って…!?」
「……。」
「こら、やめなさいってば!」
 彼女が突然スカートの中に手を入れ、ショーツを引き下ろした。彼女の膝にかかる、ブラックのショーツはやけに色っぽく、顔に血が上る。しかしそれを戻す術も私にはなく、呆気に取られる。
「見ててね。」
「え?あ、ちょっと…!」
 そしてスカートを捲し上げた彼女。陶器の便器に響く、小さく水音が聞こえ始め――
「っ…、……ン………」
 微かに漏れる悩ましげな声。
 私は、動けなかった。後から思えば、その場からさっさと出れば良いことだったのに、それすらも、忘れて。
 そんな時間が何十秒ほど続いたか…、彼女はゆっくりと私を見上げた。
「…ほんとに…、…何考えてんのよ…。」
 少し潤んだ彼女の瞳に、動揺を隠せなかった。
「……ふふ…、…ねぇ…、来て…」
 私を求める様に差し出し、広げられた手。
 魔法が掛けられるような錯覚。
 彼女に魅かれてしまう自分。
 そして、理性の叫びを聞かず、
 …私は、そっと彼女を抱きしめた。
 やがてゆっくりと、彼女の秘所に手を伸ばす。
「やん……汚い……」
「…触って欲しかったんじゃないの?」
「ン…、ふっ……」
 密着した身体が離れ、数秒間彼女と見つめ合う。本当にキレイな女性だと思った。私なんかとは比べものにならないほどに…。
 すっ、と彼女の顔が私の顔に近づく。
 しかし私は、彼女の唇に、空いている手の人差指を密着させた。
「ンっ…」
 私はそのまま彼女の首筋にくちづける。
「あ、っ……はぁ……」
 肌理の細やかな肌を、唇でなぞっていく。
 ちゅく――と、淫らな液体音が響く個室。
 太陽もまだ真上に昇り切らぬ頃、私たちは二人、秘められた情事へと堕ちていった。





「れ〜いっ♪」
 お昼ごはんの準備中。あたし―――岩崎安曇―――は、その端正な顔立ちの、カッコイイ女の元へ駆けつけ、その名前を呼ぶ。
「ん?なに、安曇。」
 サクサクと野菜に包丁を入れながら、玲はあたしを見遣り、微笑んで言う。
 ―――あ、この笑顔、弱いかも。
 なんて内心で思いつつ、
「手伝おうかっ♪」
 と声を掛けると、玲は、
「いや、こっちは大丈夫だよ。それより、マリアさんを手伝ってあげた方がいいかな。」
 と言う。
「あ、…うん、わかった。」
 あたしは内心ため息をつきつつも、玲の言葉に頷き、マリアさんの所へ行く。
「マリアさん、手伝います!――――マリアさん…?」
 かしゃかしゃかしゃ…、と玉子をボールでかきまぜる手。しかしなぜか瞳の焦点は定まっていない。あたしの声も、聞こえてないみたいだった。
「……マーリーアーさーん?」
 あたしがもう一度言うと、はっと我に返るように、あたしを見て笑顔を繕うマリアさん。
「あ…、安曇さん?ど、どうしたの?」
「いや……、なんか手伝う事あるかなーっと…。」
 うーん、変なマリアさん。彼女はすぐにいつもの調子に戻り、
「え、ええと…私は大丈夫。ええ。あ、そうそう、荊さんと名村さんを見なかった?」
 と言う。
「荊さんと名村さん?見てないけど。」
「そう…どこに行ったのかしら。悪いけれど、手が空いてるなら探してきてもらえる?」
「アイアイサー!」
 あたしはピシっ!と敬礼を決め、小走りに駆け出した。
 ――と。
「玲〜っ、なんか手伝おっか?」
 という声にあたしは思わず立ち止まる。
 振り向くと、その声の主は紀子さんだった。
「…あ、えっと…、それじゃあ、お願いします。この殻を…」
 ―――!
 あたしは玲の言葉、そして様子を見て、その場から逃げるように駆け出した。
 …あたしの時は、大丈夫って…。
 なんで!
 なんで手伝うことあったなら、言ってくれないのっ?
 …玲のいじわる…!
 あたしはレストランを出た所にある芝生に、倒れ込むようにうつぶせた。ちょっと走っただけなのに息が切れてる。
 …そうだ、それにっ…、紀子さんから話しかけられた時、なんとなく嬉しそうだった!
 あたしと一緒の時には、絶対見せない顔だった!
 玲は、紀子さんの事が好きなの?
 ……
 ………そこまで思って気づいた。
 あたしは?
 あたしは何?
 …あたしは…
 あたし、玲の事が好きなの?
 女の子同士なのに?
 仲良しなのに?
 友達なのに?
 ……玲は、あたしの事どう思ってるの?
 ねぇ―――。
 玲のあの笑顔。
 優しくて、爽やかで、かっこいい笑顔。
 あの笑顔で、好きって言われたいよ。
 抱きしめて欲しいよ!
 ――――そっか。
 …あぁ、あたし、玲のこと…大好きだ…。





「……あのさぁ…。」
「……なぁに?」
 おトイレの個室での、緩い抱擁の途中、梨花の声に、私―――名村花月―――は彼女の肩に埋めていた顔を上げた。
「そろそろ行かないと、まずいんじゃない?昼食の時間だし。」
「ンぅ…やぁだ。まだこーしてたいのぉっ。」
「………。」
 困惑した様子で沈黙する彼女、私は小さく笑んで、
「冗談よ。あ、でもシャワー浴びたいなぁ、なんて♪」
 と言うと、梨花は小さく肩を竦めて、
「んなもんココには無いでしょ?ワガママいわないの。」
 と冷たく返される。この梨花のクールなところ、私、結構好きかも。
 ―――ん?ここにはない?
「あら、あるわよ?」
 私はふと思い返して、言った。
「え?あんの?」
「うん、昨日見つけちゃったの♪あの職員用の建物の奥の方にあるの。」
 勿論、皆には内緒♪…ズルいとか言わないの。やっぱり私は常に人よりキレイでなくちゃだめなんだもん♪
「へぇ…。……って、遠いんじゃないの?」
「いいじゃなーいっ、行きましょ。」
 私は梨花の手に腕を絡ませて、甘えるように言う。すると梨花はやれやれ、って感じで頷いて、
「あ、でも、誰にも見つかんないよーにっ、ベタベタしちゃダメだからね。」
 と指摘する。
「わかってるわよぉ、…梨花のいじわる。」
「なーんで私がいじわるよばわりされにゃいかんのよ…。」
 などと話しながら、身だしなみを整え、私は彼女の腕をとって歩きだす。
「だーかーらっっ!」
 いやがる梨花がまた可愛い♪
「…!」
 トイレを出てすぐに、唐突に鉢合わせ。見せつけちゃう勢いだった私も、ちょっとビックリした。
「……荊サンと、名村サン?みんな、探してるけど。」
「柚さん。そうなの?ごめんね、ちょっと話し込んでて。」
 ポーカーフェイスって言うのかしら?
 梨花はさりげなく私をふりほどきつつ、しれっとした表情で柚さんに言ってのける。
「………。…今日のお昼は、ハンバーグ。」
「あら、美味しそう。ちゃんと油控え目にしてくれてるかしら」
「さぁ…そこまではわからない。」
 と柚さんは小首を傾げて、トイレへと入っていった。
「ふぅ。」
 と息をつく梨花。
「…焦った?」
 私が悪戯っぽく聞くと、ぺしん、と頭を小突かれる。
「なにするのよぉ」
「うっるさい」
「ふふ」
 なーんか可愛いのよね、梨花って。
 一見は年上にも見えるくらい大人っぽいんだけど、こういう時にする仕種が照れてるみたいで、ふふ♪
「あ、っていうか手ぇ洗ってないじゃない!ほら!」
「あっ、あっ…」
 きゅ、と腕を引っ張られて、私は給湯室へ連れてこられた。
 強引に引っ張られるなんて…。
 滅多にない事に、少し戸惑ってしまう。
 そうなのよね。私って基本的に可愛い女の子とかとお付き合いすることが多いし、こういうワイルドなことされるのは、久々かも。
「どーしたの?」
 不思議そうな梨花に、
「ううん、なんでもないわ。」
 と答えつつ、ワイルドなのもいいかも♪なんて思ったりする。
 ジャー、と勢い良く流れる水に手をつける。冷たくて気持ちがいい。
 石鹸水をつけてジャバジャバと…
「……だめ!」
「え?なにが?」
 びしっ、と入った梨花の指摘に私は首を傾げる。
「手の洗い方。そんなんじゃバイキン取れないわよ?」
「だってゴシゴシやると、角質傷つけちゃって皮膚が厚くなりそうなんだもん。」
「人間そんなにひ弱じゃないわよ。ほらっ!」
「あっ…」
 梨花が私の手を取り、石鹸水をつけた自分の手を絡ませてくる。
 ゴシゴシ…って言ってるわりにはすっごく丁寧…。
 少し体温が低くて、細長くて華奢な手先。
 私はそっと、その手を握った。
「……洗えない」
「いいじゃない…」
 私は彼女を見上げ、クスリと笑んだ。
 そして軽くつま先を伸ばし、梨花の唇に顔を近づける。
 …コツン。
 おでこに当たった感触。
 唇同士…ではなく、おでこ同士がくっついていた。
「……梨花…?」
「ほら、ちゃんと手ぇ洗いなさいって。もう自分で出来るでしょ?」
 そう言って、私の手をほどき自分の手についた石鹸を水で流し始める。
 心なしか、頬が紅潮している様に見えた。
「………。」
 多分、梨花は私のこと意識してくれてる。あんなことしちゃった後だし、尚更よね。
 でも、エッチはしてくれたのに、梨花は―――。
 梨花の態度、よくわからないわ…。





「あのさぁ、紀子さん。」
 食事の時間。最初からのスタイルで、大きな机をみなで囲んで食べる。この席決めってのが結構困る。
 あたし―――岩崎安曇―――は今回の昼食で、玲の隣をゲットすることに成功した。
 しかし、玲の向こう側の隣は…紀子さんだった。なんとも言えず悔しい思いのあたしは、玲の向こうの紀子さんに話しかけた。
「うん?なにー?」
「チャットの事で聞きたいんだけどぉ。」
「チャットの?うん、何?」
 あたしは、紀子さん…いや、Ciccoさんのサイトの話を切り出した。
 ちら、と玲の方を見ると、あたしたちの会話は無関係と思っているのか、黙々とハンバーグを頬張っていた。
「あの参加者さんの―――」
 あたしは、玲にはわかんない話で紀子さんと話し合った。
 玲はちょっと、気まずそうな顔。
 ―――ごめんね、玲。
 だけど、あたし、玲と紀子さんだけで話されたらヤだから…。
「なるほど…ありがとう。」
「いえいえ♪」
 話が終わって、玲の向こうにいる紀子さんは、にはり、と笑んでいた。
 ……Ciccoさんなんだよね…なんか変なの…。
 インターネットであたしは、擬似人生チャットっていうチャットサイトに参加している。擬似人生チャットのサイトはネット上でもいっぱいあるんだけど、中でも今一番ハマってるサイトがあって、そこの管理人さんがCiccoさんなんだ。
 Ciccoさんは、参加者として見て、すごく努力家だなぁ、って思う。色んな種類のある擬似人生チャットのチャット一つにしても、いろんな工夫がしてあって。確かCiccoさんのサイトのカウンタは、一日に1000HITくらいしてたと思う。これって個人のページのしてはかなり多い。
 とにかくあたしは、彼女を尊敬してた。
 尊敬…っていうか、もっと単純に、好きだった。
 チャットでもバカな話ばっかりして、気づいたら夜中の3時とかで、次の日授業中に寝たりして。そんくらい彼女の過ごす時間って楽しかった。
 なのに、こんな風になっちゃうなんて。想像もしなかった。
 ―――大好きなお姉さんが、今はライバルだなんて。
「あはは、紀子さん、それって本当の話?」
「もちろんっ。うちのアシスタントの子なんだけど、めっちゃドジっ子でねぇ。」
「へぇ、そうなんだ。いじめたりしてない?」
「……うーん、してるかも。」
「あっはは、ダメだよぉ。」
 あたしが考えに耽っていて、ふと気づくと、楽しげに話す玲と紀子さんの声。
 悔しい―――悔しいよ!
 どうしてそんなに楽しそうに笑うの?
 玲はそんなに紀子さんが好きなの?
 チクチクと胸が痛む。
 どうにかしたい。
 こんな状況、イヤだよ…。





 キッチンに一人、シンクに向かう女性の姿。ゆっくりと近づいて、少しの間、後ろ姿を眺めた。
「マリア。」
 と私―――姫野忍―――が声をかけると、びくんっと震える後ろ姿。
「は、はいっ。」
 洗い物をしていた手を止め、私を見るその瞳は、やはりまだ怯えの色が隠せない様子。
「…なんか…いっつもしてない?洗い物。」
「えっ?あ、……そ、そうかも知れません…なんだか、性にあってるみたいで。」
 掛けられた言葉に、彼女はちょっとだけ驚いた様子を見せて、微笑を繕う。
 そんなマリアの言葉に、
「皆がやらないだけでしょ。」
 と、私は肩を竦める。
「そんなことないですよ…」
 微苦笑を浮かべるマリア。
 ふと、僅かな頭痛と共に、頭の中で声が響く。
『手伝ってやりなさいよ…。』
 …。
 またお節介忍が顔を出す。
 あんたはそこで眠ってればいいの。
 マリアは、きゅっと水道をひねって洗い物を再開する。
「…………。」
「………。」
 マリアも私も沈黙をし、ジャバジャバと水音だけが響く。
 …。
「………これで、拭けばいいの?」
「えっ?」
 私が手に取った布巾を差すと、きょとんとした表情で私を見るマリア。
「あっ、……はい!す、すみません」
「……」
 私は布巾を手にし、彼女が洗い終えた皿を一枚一枚拭いていった。
「……しのさん…。」
 彼女が僅かに漏らした声に、私は目線を遣った。
「…なに?」
 マリアは洗い物をする手を止めることなく、泡立つ手元の皿を見つめながら、
「………私…、よくわからないです…。どれが本当のあなたなんですか…?」
 と、不安げに問う。 …『どれが』?
 ―――忍と、志乃のことを、言っているの?
 まさか、ね。
「どれ、って…。私は私よ。」
 笑い飛ばすように言った。しかしマリアは、暗い顔のままで、
「……三人の姫野さん。」
 と、ポツリと零す。
「………三人?」
 彼女の言葉に聞き返す。何を言っているのか。
 私は―――二人しか、いない。
「最初の姫野さん。第一印象は、優しそうな人だと思いました。…逆に言えば、失礼ですけど、NOって言えないタイプかな、って。」
「………。」
 確かに、その通りではある。
 忍は皆にいい顔をする八方美人。そのせいでストレス溜めて心身症になるようなバカな女。
「ただ、最初の、一人目の姫野さんとはあんまりお話していなくて。 …そして二人目の姫野さん。私を抱いた……いえ、犯した…、残酷な…貴女。」
 ―――それが、私…志乃のこと?
 だとすれば、
「……三人目は?」
 私は平静を装って、問う。
 マリアは、泡にまみれた手を水で流し、きゅっと水道を止める。そして、私を見つめ、言った。
「三人目は……今、ここにいる姫野さん。」
「…どう違うの。」
 二人目の私。―――三人目も、私?
「二人目の残酷なあなたとは違う…、ぶっきらぼうだけど、少し冷たいけど、でも……でも優しい貴女。」
「………。」
 彼女の真っ直ぐな視線を受け止めていると、ひどく不快な気分になる。優しい私?馬鹿馬鹿しい。志乃は、そんな人格ではないはずだ。
 私は目線を逸らし、小さく笑い飛ばした。
「バッカじゃない?私は…」
 ズキン。
 …ズキン……ズキン……
「……っ……。」
 突然襲う頭痛、私はシンクに手をついた。
「……姫野さん?」
 彼女が様子に気づいて、声をかける。
 今まで味わったことのないようなひどい頭痛。
「…っ、…やめなさ…っ……」
 忍…!?
 や、やめて…、…頭が割れそう…。
 ストンッ。
 何かが崩れ落ちる感覚。それが自分の身体だと気づいたのは、後になってからだった。
 遠く遠くでマリアの声。
 そして、すぐ近くに聞こえる「忍」の声。
『志乃、消えて。一時的でもいいから。お願いだから。後でまた代わってあげるから。』
 っ……このままで居ろって方が、ムズカシイっ…!
 スッと、意識が暗転する―――。



 ゆっくりと目を開くと、心配そうに私―――姫野忍―――を見るマリアさんの姿があった。
「あっ、姫野さんっ!大丈夫ですか!?」
「あ…、はいっ…大丈夫、です…。」
 若干フラリとする頭を軽く振って、辺りを見る。キッチンの冷たい床に座り込んでいた。
「………ひめの…さん?」
 不思議そうに、じっと私を見るマリアさん。
 …もう、わかるのだろうか。
 ―――志乃ももう少し上手く演技してくれれば、いいのに。バカ。
「マリアさん、…ごめんなさい!!」
「え…?」
 私は土下座をした。
 心に決めていた。彼女に謝らなければと。
 まず会ったら…“私”が、忍が彼女に会えた時、まず、この身体がしなければいけないのは、この口が言わなければいけないのは、謝罪の言葉。
「本当にごめんなさい。」
「やっ……し、しのさん…、か、顔を上げてください!」
「………ごめんなさい!!」
「顔を上げて…お願いだから…」
 彼女の切願に、私はゆっくりと顔を上げる。
 ぎゅっ。
 甘い香り。私は彼女に、強く強く抱きしめられていた。
「…もぉ……ワケわかんない……教えてください……一人目の、姫野さん。」
「………。」
 彼女にはもう、隠し事をしても無駄だと思った。
 いや、隠し事をしてはいけない。彼女をこれ以上裏切り、傷つけては、いけないのだ。
「……お察しの通りです。あなたの言う通り、私は一人目の姫野忍。…あなたを犯したのは、二人目の姫野忍。…いいえ、志乃。」
「……しの…。」
 ゆっくりと身体を離した彼女は、ぼんやりと私の瞳を見つめる。
 その、青色の吸い込まれそうな瞳。
 透き通った蒼を見つめ、言った。
「……私は、…多重人格なんです。」
「…多重…人格…?」
 彼女は微かに瞳を揺らし、小さく、聞き返す。
 私は頷いて、言葉を続ける。
「姫野忍は、私です。あくまでも志乃は、私の中の人格…。」
 私の言葉の後、彼女は私の肩をぎゅっと抱いて、
「……三人目は?彼女は、誰なんですか?」
 と、尋ねた。
 ―――それは。
「…三人目、は…。」
「…私を守ってくれた、私を抱きしめてくれた……私に優しくして、私を惑わせたのはっ…!」
 …彼女の瞳に、涙を見た。
 私も泣きたい気分だった。でも私は泣けない。
「あれは志乃……、あなたを襲ったのも、ぶっきらぼうに優しさを与えたのも彼女です…。」
「うそ…、どうして……!?」
 彼女は、悲しげに言った。
 自分を犯した女と、優しさを与えた女が同一人物だったことが、悲しかったのだろうか。
 …けれど、だけど―――。
 胸の内で暴れる思いを抑え、私は言った。
「…成長、したのかもしれません。人と接触する機会のなかった志乃は…初めてあなたに、憎しみというものを与えられた…それで…。」
 私の言葉に、彼女は青色の瞳から、透明の涙を零し、私を責めるように肩を掴んだまま、嘆くように言った。
「………っ……うっ…私は、どうすればいいんですか…?!……誰を、すきになれば…」
 ―――え?
「………好きに…?」
 彼女ははっと、我に返るように自分の口元に、手をあてがった。
「……マリア、さん……?」
 私の問いかけに答えることもせず、彼女は俯いたまま、言葉を失った。
 少しの間、沈黙を挟み、やがて彼女はポツリと言った。
「…姫野さん…、いえ、…忍さん…。」
「………。」
「…ゴキブリ、殺せますか?」
「は…?」
 唐突な言葉に、私は素っ頓狂な声を出してしまった。
 突然そんな黒光りして忌み嫌われる虫の名が出るとは思わなかった。
「…ごきぶり…です…。」
 彼女は潤んだ瞳でそう呟く。それが妙に滑稽だったけど、私は頷いた。
「こ、殺せますけど…。」
「…本当ですか?」
「は、…ハイ…。」
 私が更に頷いて見せると、彼女は弱い笑みを零した。
「…そしたら、…好きになれます」
「……え……?」
 話の展開に、私はいまいちついていけなかった。
 彼女が何を言っているのか―――
 次の彼女の言葉で、ますます混乱が膨らむ。
「えっと…、…せ、責任取ってくれませんか…?」
「え…!?……い、慰謝料とか、そんなのですか!?」
「ち、違います!!」
 私が少し驚いて聞き返すと、彼女はふるふると首を横に振って、
「…あの、だから…、お嫁に行けないような身体にした姫野さんに、私のことを、その…。」
「……!」
 それって、…つまり……。
 少しおどおどした様子で、濡れた瞳で私を見上げる彼女…。
 せ、責任…って、……それは、つまり。つまり――。
 ―――ようやく理解にたどり着く。彼女が言いたいこと、それは…。
 早まる胸の鼓動を感じながらも、私は不安になって、彼女に問う。
「でも、…私、こんなんですよ?志乃とか、いるし…いわゆる、心身病で、それなのに…。」
 そう、こんな、私を―――?
 マリアさんは、濡れた瞳で微笑み、小さく頷いた。
「正直な所、私、まだ姫野さんのことよくわかりません。…もちろん志乃さんも。…でも、形はなんであれ…その…抱かれたわけですから…やっぱり…。」
「……マリアさん…」
 責任。
 彼女から科せられた、思い責任。それを、私は背負う必要がある。
 けれど―――本当に、私なんかで…?
「あっ、それにっ私、看護婦です。多重人格……心の病気にも、上手くつきあいます。少しだけど、力にもなれるかもしれません…。」
「………。」
 言葉が出なかった。そのかわり、ただ涙が零れて仕方なかった。
「…私、姫野さんのこと、好きです…。好きに、なりたいんです。私の…“彼女”になって下さい…」
 彼女の唇から零れた小さな言葉。
 私は小さく笑み、彼女の頬を撫でて、
「……お願いします…。」
 …そう言った。
 頬にあてがわれた私の手に、彼女のやわらかい手が重なり、指が絡まる。
 そして交わされる、くちづけという約束。





「Ciccoさぁ〜んっ」
 と呼ばれ、あたし―――悠祈紀子―――は振り向く前に、誰だかを察する。
「なーぁに、杏ちゃん。」
 あたしは風の心地よい芝生に座り込んだまま、振り向かずにそう言った。
「……何でわかったの?」
 きゅ、と後ろから緩く抱かれる感触。あたしは顔を上げ、杏ちゃん……いや、安曇ちゃんの顔を見上げた。
「ふふっ、だってCiccoと杏は運命の二人なんでしょ?」
 クスクスと笑うと、安曇ちゃんも一緒に小さく笑った。
「だよねっ。」
 ぎゅぅ〜〜っ。
「……く、苦しいよぅ」
 安曇ちゃん、なんだか攻め攻めぇ……。
 ふと、少し離れた前方を横切る人物にあたしは気づいた。
「れーいっ!」
「え?……あ、紀子さんと…安曇。」
「混じんなーいっ?」
 きょとんっ、とこっちを見る玲に、あたしはぶんぶんと手を振ってみせた。
「……え、…や、やめとく。」
 玲は苦笑を浮かべて早足に歩いていった。
「ありゃ、れーいー……」
 あたしが残念に思いながら小首を傾げた時だった。
 ぎゅぅ。
「安曇ちゃん?」
「きっと、あたしたちがラブラブだから妬いたんだよ。」
「妬いた、って……。なに、あたしに?玲と安曇ちゃんってそういう関係?」
「…まっさか。あたしに妬いたんだよっ。」
「……ってことは?」
「玲、紀子さんの事好きなんじゃないの?」
「…はは…、そりゃないんじゃない?」
「あるよ。仲いいし。」
「………そーかな」
 不貞腐れたように言う安曇ちゃんの言葉。
 なんとなくわかった。
 安曇ちゃんがあたしに妬いてるのかな?
 つまり、安曇ちゃんは玲のことが…。
「紀子さん……。」
 ぎゅ…
「……紀子じゃないよ、Ciccoだよ。ほら、おいで。」
 ぽんぽん、と自分の膝をたたく。
「……ぅ…」
 安曇ちゃん……いや、杏ちゃんはしばし迷っていたが、少しして、ちょこなん、とあたしの太股の上に腰を下ろす。
「よしよし。」
 緩く抱きしめて、あたしは彼女の髪を撫でた。
「Ciccoはいつでも、杏ちゃんの味方だよ」
「……Ciccoさん……。」
 心地よい昼下がり、日陰の芝生。
 そよぐ風。腕の中には可愛い女の子。
 ……あたしは小さく笑むと、
「ねぇ、杏ちゃん。…好きな人とかいる?」
 と、ちょっと意味深なニュアンスを含ませ、尋ねた。
「え…?」
 きょとんとあたしを見上げる杏ちゃんの額を撫で、小さく笑んで答えを待つ。
「好きな、人……。」
 真剣に悩んでる様に見える。
 その姿を見て、私にほんの少しだけ悪戯心が芽生えた。
「ねね、杏ちゃん。」
「…?」
「…おねーさんと恋愛しよっか?」
「……ふぇ?」
 きょとん、とあたしを見上げる杏ちゃん。
 その額に、ちゅっとくちづける。
「……あ、……え!?」
 面白いくらいに、かぁぁぁっと紅潮する杏ちゃん。うーん、初々しくて可愛い。
「かーわいいよーぅ♪」
「や、だ、だって…、紀子さんは玲が…!」
「……『あたし』は、杏ちゃんの事、とっても好きだけどなぁ。」
「う…、そ、そんなこと言われても…」
「……杏ちゃん、あたしのこと嫌い?」
「そ、そんな、嫌いだなんて…まさか…。………だ、大好きです。」
 大好き?内心きょとん。
 そ、そんなに好かれてたのかぁあたし。
「…Ciccoさん…、あたし、いっつもチャットで話したりして…どんな人なのかなって…、すごく親切にしてくれたし、だから…」
「…そっか。」
「でも、いきなりこんな風に会うなんて夢にも思ってなくて…だから、すごく複雑で…。」
 ぽむぽむ。あたしは彼女を抱いたまま、その背中を優しく撫でた。
「…杏ちゃんと出会えた事、あたしはとても嬉しいよ。」
「Ciccoさん…。」
「杏ちゃん、……いや、安曇ちゃん。玲のこと好きなんでしょう?」
「えっ…、な、なんで?」
「わかるよぉ。安曇ちゃんより何年長く生きてると思ってるの?」
「あ…ぅ…。」
「…あたしは玲のこと奪ったりしないから。頑張れ。」
 なでなで。
「…うん…がんばる…。」
 弱く言葉を漏らした彼女、あたしは抱き寄せた腕を解き、そしてそっと頬にくちづけを落とした。
「ふわっ。」
「…でも、『杏』ちゃんは『あたし』のものだからね?」
「紀……、じゃなくて…、……Ciccoさん…」
「あーもう可愛いっ。」
 ぎゅむぅ〜〜♪
「うわわっ」
 …可愛い可愛い杏ちゃん。
 今度、ちゅーくらいは奪ってみよっかな?
 なんて良からぬ事を考えてしまう紀子…ではなく、Ciccoでした。てへ。










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