第二話・理解、そして小さな変化の時間




「よっ。」
「おぉぉぉ、すごいですぅ!!」
 荊さんの見事なフライパンさばきに、弥果は声をあげるのですっ。
 卵焼きが宙を舞い、またフライパンに戻るっ!すごいっ、不思議!
 弥果も一応一人暮らしで自炊している身ですけれど、こんな神業はとてもじゃないのです!
「……そんな騒ぐ事でもないでしょ。」
「いやいやいやぁっ、ご謙遜をっ!」
 相変わらずクールに言う荊さんに、弥果はぶんぶんと頭を左右に振って言いましたっ。
「荊さん、すごいです!フリージャーナリストとは思えないですよぅ!実はコックさんなんじゃないですかぁっ!?」
「……。」
 彼女は、やれやれ、って感じで肩を竦め、また神業を繰り出すのです。
 ここは、遊園地の中のレストランの厨房です。
 入っちゃっていいのかなぁ?って最初は不安だったんですけど、やっぱり弥果達以外はだぁ〜れも居ないみたいで、あと、ほら警報装置とかそんなの鳴るかも!?とか怖かったんですけどぉ、それもないみたい。あっさり厨房に入ることが出来て、今は晩御飯を作成中!なのです。
 自己紹介の後、何人かは遊園地に「出口」を探しに行ったみたいだったのですけど、結局その出口は見つからなかったそうです。それで、真っ先に出口探しに向かった荊さんも諦め、とりあえずみんなで晩御飯を作ろう!っということになったわけなのですっ。
 厨房内をきょろきょろと見回すと、お隣のコンロでは、マリアさんが荊さんと同じようにフライパンで格闘してました。マリアさんは荊さんみたいにダイナミックな技は出してませんけど、フライでひっくり返しながらお料理する姿が似合ってて、なんだか外国人新妻さんみたい♪いやん♪
「ホットケーキ出来たから、お皿出してくれる?」
「はーいっ、はいはいっ、ただいまぁ〜。」
 マリアさんの声に、てこてこと走り回ってる紗理奈ちゃん。挙動がかわいいのです〜。
 向こう側のコンロでは、ちょっと似合わないような気もするけど、柚さんが両手でフライパンを握ってじゅうじゅうと何かを焼いている模様です。
「………ふれんちとーすと。」
「お皿です。わ、美味しそうですね!」
 柚さんが、夜衣子さんの持つお皿にフライパンを傾けるのです。ぽとぽととフレンチトーストらしい物がお皿に落ちるっ、うわっ、遠目にも美味しそうだけど、なんて危険な渡し方!
「わわわっ」
 夜衣子さんがわたわたしながらお皿に受けとめたフレンチトーストは、ほわほわと湯気が立って…うう〜〜ん、おいしそっ。
「ほら、余所見しない。弥果ちゃん、お皿。」
「ふぇ?あああ、ごめんなさい!」
 荊さんに言われ、弥果はあわててお皿を持ってくるのですっ、うわぁ、ほかの人に見とれてて忘れてましたっ!
「……よっ、と。」
 ぽてんっ。
 大きなお皿にのっかった卵焼き。なんだかオムレツみたいな形で、ほかほかで美味しそうなのです♪
 その時、瞳子さんが包丁をもってやってきて、
「すごい、美味しそう!荊さん、お料理上手なんですね。…あ、包丁入れますね。」
 と、小さく笑みます。
 荊さんは、「別に」とかなんとか言いながら、ちょびっと照れてるように見えるのでした♪
「じゃあ、弥果ちゃん、運んでください。」
「あいあいさー!」
 瞳子さんに言われて、まんまるな大きなお皿を抱え、弥果はキッチンから、テーブルがある客席へ向かうのです。
 団体のお客さん用みたいな、広〜いテーブルには、すでに完成したお料理の数々!なんでも、材料は豊富にあって困らないらしいのです。
 テーブルの回りには、既に柚さんと夕ちゃんと紀子さんがいました。あれれ、柚さんさっきまでキッチンにいたのに…いつのまにっ。
「みなさ〜ん、おさぼりですかぁ〜?」
 と弥果が言うと、柚さんと紀子さんが顔を上げるのです。
「……きゅうけい。」
 柚さんはポツリとそう言うんですが、それっておさぼりとあんまり変わらない様な気も〜〜。
「……。」
 夕ちゃんは何も答えてくれませんっ、うぅ、この子おとなしいんです…。
「あたしは、食べる専門だから。あはは〜。」
「あはは〜じゃないですよ、紀子さんっ。」
 ビシッ、とつっこむように弥果が言うと、紀子さんはまた笑顔で、
「えへへー。」
 とか笑う。むぅ。こういう人には他のお仕事を押し付けるべきなのです!
「えへへーでもないですっ。後片づけはがんばってもらいますよ〜?」
「あ、しまったっ。」
「それじゃあまた〜〜。」
 というわけで、後片づけはあの三人に決定なのですっ!





「いただきますっ」
 ……とか言ってるのは約半数程。
 私―――荊梨花―――は、適当に手だけ合わせて食事を始める。
「う〜ん、美味しい〜〜!」
 弥果ちゃんは、非常に幸せそうに卵焼きを頬張っていた。…そんなに感動するような物でもないと思うけど。
「…あの…荊さん。」
 隣に座る夜衣子ちゃんから声をかけられる。
「何?」
「えと…荊さんって、フリージャーナリストさんなんですよね?」
「………、まぁ。」
 興味津々、といった様子で尋ねてくる夜衣子ちゃん。
 うーん、適当についたウソなので、つっこまれると痛い。
「フリージャーナリストさんって、具体的にどんなお仕事なんですか?私、あんまり知らないんですけど。」
 彼女の言葉に、私は少し考え込んで、
「……ん〜…、やっぱり取材…でしょうね。」
 と無難に答えた。実の所は取材ではなく、聞き込み、だけど。
「はぁ…どんなふうにするんですか?」
「そうね、狙った獲物は離さない。どこまでも食らいつく……って感じ?」
「へぇぇ、なんだかカッコイイですね…!」
 ……警察は、ね。逃しちゃいけないの。
 別にかっこいいもんでもなんでもない。聞き込み、もとい取材は足が勝負。歩いて歩いてひたすら歩いて、情報を入手する。
「あの、有名人とかにも取材したりするんですか?」
 彼女の言葉に、私は記憶をさかのぼり、
「…………まぁね。」
 頷いて、私は、会ったことのある有名人の名前をいくつか出した。
「へぇ、すごーい!」
「……でもその方たちって、皆逮捕された人ばかりじゃなくて?」
 と口を挟んできたのは、名村花月サン…さすがは業界人ってトコね。
「…そっち専門なのよ、私。」
 とでも言っておく。
「あら、それじゃあ私に取材が来る事はないようね?」
「…クスリでもやんなけりゃ…ね。」
 ちょっと皮肉混じりに言うと、彼女は小さく笑って、
「ふふ、そんなスキャンダルは御法度だわ。」
 と言ってのけた。
「花月さん、カッコイイです〜…」
「そう?ふふ、お誉めに与り光栄ね。」
 夜衣子ちゃんに羨望の眼差しで見つめられて、クスッとか笑うモデルさんを横目に、私は内心舌を出した。この女、なかなか肝が座ってる。ああいう業界にいると、クスリなんかの誘惑は多く、落ちてしまう場合が多いのだが……。
「ごちそうさま。」
「あれ?もうおしまいですか?」
「あんまり食べすぎると、体重が…ね。色々気を使わなくちゃいけないのよ。」
「へぇ、プロですね。すーごいっ。」
 私を挟んでの会話。食事をしながらふと、あることについて頭をめぐらせていた私は、そんな会話も耳から耳へ通り抜けていった。
 ―――あの犯人の事。
 やはりホラーハウスに入って、そのまま素通りしたのだろうか。それとも、あそこに身を隠すつもりだったのか。――それも妙な話ではあるが。黒い女は闇に身を隠す、って?
 それにしても、“隔離”、か。
 一体どういうことなのか、いまだに理解が出来ない。非常識すぎる。
 ―――…?
 ふと、私は14人の女性を見回した。
 楽しそうにしゃべりながら食事している者、黙々と食べている者…。
 …………。
 可能性はないことはない。女性。真っ赤なルージュ。
 面々の中にそんなルージュをつけている者はいなかった。しかし口紅くらい簡単に落とせる。
 ………まさか、この中に。
「荊さん?どうしたんですか、難しい顔して…。」
「……いえ、……」
 夜衣子ちゃんの言葉にも、曖昧に首を振るしか出来なかった。





「夜だ…。」
 食事も終え、ふらりとレストランの二階にあるテラスに出てみて、ボク―――赤倉玲―――は少し驚いた。普通に考えれば、先ほどまで夕方だったのだから当然なのだが、何故だかこの暗さがやけに新鮮に感じた。
 遊園地を、少し高いところから眺める。
 アトラクションはどれも動いていなくて当然灯りもともっておらず、なんだか寂しい感じがするけど、ポツンポツンと立った街灯が、なんだかあたたかい光を放っている。
「……夜になっちゃったね。」
 そんな声に、振り向く。そこにいたのは、紀子さんだった。
 紀子さんはボクの隣に立って、テラスに手をかけて景色を見渡した後、
「……玲、どうよ?」
 と、ボクに問う。
「え?えっと…」
 突然問われて戸惑っていると、紀子さんは小さく笑って、
「見知らぬ女性十四人と迎える夜。外界から遮断されたらしい世界。…ホント、びっくりだよね。」
 と言い、景色を眺める。
「………。」
 レストランの中から聞こえる楽しげな声から、少し離れた場所。
 夜風の吹く、涼しい夏の夜。
 隣に居るのは、今日知り合ったばかりの年上のお姉さん。
 景色を眺める彼女の横顔に、ボクは目を奪われていた。
 …ふっと、彼女は笑顔を浮かべ、ボクに目線を戻す。
「…………でもね、あたし、ちょっとだけワクワクしてる♪」
「……ワクワク?」
 彼女の言葉に、そう聞き返した。嬉しそうな笑顔で、彼女は言う。
「こんな非現実的なこと味わえるなんてさ、すっごいと思わない?」
「……う、ん……。」
 ボクは曖昧に頷いた。
 紀子さんは、テラスの手すりを背にして、
「どんな小説より面白いわ!だって、ストーリーなんてないんだもん。
 あたしたちが決めるのよ……ぜ〜んぶ!」
 と、紀子さんは楽しげに笑み、空を仰いだ。
 そんな風に思える紀子さんが、少し羨ましいなって思った。
 ボクは、小さく、
「…ボクは戸惑ってる、それが本音で…。」
 と、零す。
「……そっか。」
 ぽん、とボクの肩に紀子さんが触れた。
 どことない安心感に、ボクはゆっくりと紀子さんを見つめる。彼女は小さく微笑んだ。
「あっ、紀子さーん!柚サンが〜〜!」
「え?………あああっ!や、やばーい!」
 突如、ドタドタと走って来て、紀子さんを発見した安曇が言う。その言葉に紀子さんは表情を変えた。
「ゆ、柚ちゃん、なんて?怒ってる?」
「うーん、それがね…ずぅ〜っと無言なの。んで、おそるおそる声かけたらね、紀子さん、って……ポツリと…。」
「うっ…。……い、いってきます!」
 紀子さんはあわてた様子でキッチンへと駆けていった。
 そんな紀子さんの見送り、今度は安曇とテラスで二人になる。
 安曇は紀子さんの後姿に楽しげに笑いながら、
「あはは、紀子さんも面白い人〜!玲もそう思うよね?」
 と、言う。ボクも笑んで頷き、
「うん。……でも、すごく優しい人だよ。」
 そう言って小さく笑む。
 安曇は不思議そうにボクを見つめ、小さく笑んだ。





「問題は、寝場所。」
「え?……あ、……あはは……そ、そう……そ、そうね…うん、そうそう……。」
 あたし―――悠祈紀子―――が柚ちゃんの元へ駆けつける…しかし時既に遅しなのか、キッチンはキレイに片づき、彼女は休憩用のソファに腰掛けていた。松雪さんもいらっしゃる。
「………あの、柚ちゃん?あのね、…怒ってる?」
「………?」
 恐る恐る掛けたあたしの言葉に、柚ちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「……その、片づけしなかったから…。」
「…ああ。」
 ぽむ、と手をうって思い出す柚ちゃん。やっぱ、この子天然だと思うの…。
「…怒ってるのはむしろ私ね。」
「……へ?」
 松雪さんの言葉に、あたしはきょとんと彼女を見た。
「あなたの代わりに手伝わされたわよ…。」
「……………。」
 こ、これはこれで怖い!なんていうか、お茶にぞうきんのしぼりカスとか入れられそうで!
「……紀子さん、どこがいいと思う?」
「え、な、なにがっ?ぞうきんはいや!」
 柚ちゃんの問いかけに、意味不明の返答を返すあたし。
「…ぞうきんは私もいや。そうじゃなくて、寝る場所を……。」
「あ、あぁ…なるほど…。」
 柚ちゃんの言ってることを、ようやく理解する。
 この遊園地のどこかで寝なければならないので、その場所を決めよう、ってことか。
「…寝る場所ねぇ……、あぁ大問題。雑魚寝なんてやーよ?」
 松雪さんは肩を竦めながら言った。
 ……雑魚寝、か。うーん。
「でもね、雑魚寝でも人間生きていけるのよ。」
 あたしは思わず真顔で語り初めていた。
「……あたしの叔母はね…無人島に漂流したの。」
「え?」
「は…?」
 あたしの話に、二人は怪訝な顔をする。
「…事実なの、叔母って言ってもまだ30で、お姉ちゃんみたいなんだけどね。…あれは十年前。お姉ちゃんはとある豪華客船の旅に参加したの。でも船は沈没…。」
 ……という話、冗談でも作り話でもない。本当の本当にノンフィクションである。
 二人が不審な顔な顔をしているので、あたしは更に語る。
「幸か不幸か、豪華客船の客員だった女たちは無人島に流れ着いたのです。着替えもお風呂も、もちろんベッドも布団もない前人未到の島。女たちは、嘆くことなく、その島での生活を始めたのです。そう、生きるために!涙なしじゃぁ語れない、一大スペクタクルドラマ!ここに、本当の愛と感動があった!」
 ……話しているうちに、なんだかフィクションちっくになって来た。
「――コホン。とにかく、実話なの。誰が何と言おうと実話なのです。なんならそのお姉ちゃんの生年月日からほくろの数から好きな曲まで話そうか!?それでも信じぬと言うのなら……!!」
「あ、も、もういいわ。わかった、信じる。信じるから。」
 エキサイトするあたしに、松雪さんは言った。
 そうか、信じてくれるのね。紀子ちゃん、嬉しいわっ!
 …気を取り直して、あたしは言った。
「そう。身近な人がそういう体験してるとさ、なんか、こう……バカにできなくてね。
 雑魚寝くらい、覚悟しちゃおうぜっ!?って感じで。」
 あたしの言葉に、柚ちゃんと松雪さんは、小さく頷き、
「………うん。」
「……しょうがないわね。」
 と言ってくれた。
「やはは…、しかしどこで寝るか。」
 あたしは困り顔で笑ってみせた。実際問題はそれである。雑魚寝はいいけど、さすがにあたしも道路の真ん中で雑魚寝しましょうとか言われると困る。
 ぽん。
 柚ちゃんが無表情に手を打つ。
「……なんか思いついた?」
「………………スモールワールド。」
 柚ちゃんはポツリと言った。
「スモールワールド?」
 聞き返しながら思い起こす。アトラクションの名前だっけ?
「あぁ、ガキっちょの遊び場?」
「そう。」
 松雪さんの言葉に、柚ちゃんはこくんとうなずく。ガキっちょ?もとい、子供の遊び場?
「こどもが靴脱いで遊べるトコ。あそこなら……」
「あ、なるほど。寝れるかもっ!」
 アトラクションの外観を思いだし、あたしは納得する。
「そうね、他に思いつくところもないし。OK。それじゃ、みんなに声かけてくるわね。」
 そう言って、松雪さんは立ち上がった。
「柚ちゃん、下見に行ってみよっか。」
 あたしの言葉に、柚ちゃんは頷いた。

 ―――そして約30分後、皆は小人の家の様な空間に集合していた。外観よりも中は広く、15人が横たわるのにも十分な広さ。ついでにハンモックのような遊具もあるし。
 本当に雑魚寝になっちゃったけど、この遊園地に一人一つずつベッドを期待する方が間違っているというものだ。
「あの、紀子さん、紀子さんっ」
 その声に振り向くと、夜衣子ちゃんとマリアさんの姿。
 二人とも困惑した様子で、マリアさんは室内を見回し、夜衣子ちゃんが、
「あのぉ、荊さんと夕ちゃんがいないんです!」
 と言う。いない?そういや姿見ないような気がするけど。
「お手洗いとか、そんなんじゃないの?」
 あたしの言葉に夜衣子ちゃんはフルフルと首を左右に振り、
「それが、こっちに移動する時に、既にいなかったんですよぉ……。」
 と、不安げに言う。
「つまり、みんなが此処に居ることを知らないわけ?」
「ええ…そうみたいなんです…。」
「そりゃ…困ったね。」
 あたしたち三人が困惑気味に話していると、近くにいた柚ちゃんが言った。
「捜しに行くしか、ないでしょ?」
「……うん。」
 あたしたちは頷き、4人はそれぞれ、遊園地へと散っていった。





 夕と荊サン。
 居場所は特定出来ない。
 私―――神泉柚―――は、闇雲に遊園地を捜し歩いていた。
 静寂。街灯の明かりだけが、むやみに明るかったけど、これまで消えてしまうと本当に闇に包まれてしまう。今宵は、浮かぶ月もどことなく頼りない。
 ――ふと。
 私はホラーハウスの前で立ち止まった。
 昼間はそうでもないが、夜の闇の中だと、ホラーハウスはやけに気味が悪い。
 けれど、なんとなく気になった。――少し躊躇ったが、私は、ホラーハウスに足を踏み入れた。
 中は所々に緑色の非常燈が灯り、真っ暗闇ではなかった。
 先ほど入った時は、あんなにも暗かったのに、なぜか。
 昼間通った通りの道順で、私は歩いていく。
 このまま行けば、立ち往生をしたあの場所にたどり着くはず。
 いや、…出口にたどり着く、か?
 ……そんな時だった。
 私は脇道から、小さな光が漏れている事に気づく。
 おそらく従業員用の道、だろう。
 私は、迷うことなく、其処へ進んだ。
 そこで見たものは―――
「……夕…?」





 ホラーハウスの中は、所々に非常燈が灯り、持ってきた懐中電灯も意味を為さなかった。
 よく見てみると、所々に脇道がある。スタッフ用だろうか。
 私―――荊梨花―――は、洩らす事無く、全ての脇道をくまなく探して回った。
 そして、随分奥まった場所にある其処で……ついに、見つけた。
「………。」
 快感にも見た寒気が、背筋を走る。
 …黒いロングコートと黒い帽子。
 そしてそのコートのポケットには、黒いポーチ。その中には、真っ赤なルージュが入っていた。
 私は慎重にコートの別のポケットを探り、ふと、何かの感触があった。
 これはロープ…まさか、凶器の―――?
 ……ズン!
 刹那、後頭部に鈍い痛みが走る。
 その事態が理解出来ないまま、私はコートの上に崩れ落ちる。
 しまった…、犯人…か……!?
 不、覚………、
 ……私はそのまま、意識を失った。





「……夕…?」
 私―――神泉柚―――は、その光景に一瞬言葉を失った。
 狂気的なコドモ、夕。
 彼女は、ぼんやりと立ち尽くしていた。
 そしてその奥には、黒い衣服の上に倒れ落ちた女性の姿。
 ―――荊さん。
 夕の傍には、おそらくホラーハウスの機材であろう、何やら黒いものが落っこちていた。
「………どういうこと…?」
 白い蛍光灯の点いた、事務的な狭い部屋の中。
 私は、立ち竦む夕のそばを通り抜け、荊さんに近づく。
 …後頭部に血が滲んでいる。それを見た瞬間は血の気が引いた。
 けれど、手首に触れ確認すると、脈拍が感じられた。幸い気絶しているだけらしい。
「………ここに、来たら、倒れてた。」
 後ろで、夕がポツリと言う。
「……誰が、やったの?」
 私の問いに、
「…しらない。」
 と、小さく言う声。
「……………。」
 ポケットからハンカチを取り出し、後頭部にそっと当てた。
 あまり酷い出血ではないが、ペタリと、血が滲む。
 私は一旦それを外して、夕に差し出した。
「濡らしてきて。」
「……うん。」
 夕はそれを受け取ると、闇に姿を消した。
 ………。
「……荊、さん。」
私が寝かせた彼女の上半身を抱えると、
「……っ、う……。」
 僅かな呻き声。その後、彼女はゆっくりと瞳を開いた。
 しかし痛々しそうに眉間を寄せ、きゅっと目を閉じる。
「…っ、…ぅ……。」
「…………」
 かける言葉も思いつかず、私はただ、彼女を見つめていた。
 荊さんは少し苦しそうに息をしながら、私の腕の中で、小さく言った。
「ねぇ、誰、か…見なかった……?」
「……今は、喋らない方がいい。」
 誰か、と言うことは、おそらくその人物は特定できていないのだろう。
 私は怪我を考え、今は安静にすべきだと判断する。
 彼女もそれを察したのか、薄目で私を見て、すっと目を閉じた。
 そのまましばらくして、
「荊さんっ!!」
 その声に顔を上げると、心配そうな顔の夜衣子ちゃんと、その後ろに濡れたハンカチを持った夕。
 夕は言葉なく私に近寄り、それを渡した。
 私がそっとハンカチを傷口に当てると、彼女は小さく反応を示す。
「痛くないです…大丈夫…。」
 彼女を落ち着かせるように、私は言った。
「ゆ、柚さん、荊さんは……?」
 不安気な夜衣子ちゃん。私はもう一度、「大丈夫」、と言う。
 夜衣子ちゃんは安堵するように笑みを零し、また僅かに表情を曇らせた。
「……どうして…こんな怪我……。」
 ちらりと夕を見る。夕は、ふるふると小さく首を振った。
 …私は、
「……上から、落ちてきたみたい。」
 と、部屋のロッカーの上を指差した。
「上から…これが?」
 夜衣子ちゃんは、僅かに血のついた物体に目をやり、表情を曇らせる。
「みたい。……気をつけないとね。」
 私が言うと、夜衣子ちゃんは不安げな表情のまま、コクンと頷いた。





「はっきりとは言えないけれど、おそらく大丈夫です。打ち所もそんなに悪くはない様ですし。」
 マリアサンが、微笑んで言う。
 私―――荊梨花―――は、小さく安堵の吐息をついた。
 彼女が応急処置をしてくれて、遊園地の事務棟にある医務室から誰かが持ってきてくれたらしい包帯で、私の頭をぐるぐる巻きにしてある。僅かに痛むが、かなりそれは引いたと言える。
 スモールワールドでの応急処置を終えた時、
「荊さん。」
 と、柚さんに声をかけられ、私は振り向いた。
「…ちょっと。」
 彼女の手招き。私はそれについていく。
 彼女は外に出て、ぽつりと切り出した。
「……誰かに殴られたんですよね。…その人物、心当たりは?」
「………そうね、殴られたんだと思う。だけど…わからない。」
 あの時の記憶は曖昧で、背後からだったし、残念ながら犯人の証拠は全く掴めていなかった。
 けれど、柚さんがあの時、おそらく夜衣子ちゃんに心配させまいとしてか言った「ロッカーの上から」というのは、違う。ロッカーの上にはあの時なにもなかったと思うし、ロッカーに衝撃を与えたりもしていない。
「……犯人は、あそこにあったコートが見つかると、厄介だったのでしょうか。」
 柚さんは、鋭いことを言う。私は彼女の言葉に頷いた。
「…おそらくね。」
「…荊さんは、どうしてあそこにいたんですか?」
 彼女は表情を変える事もなく、サラリと言い放った。
 ―――ギクリとするが、それを言うべきでは、ないと思う。
「………ちょっと、ね…。」
「教えてください。」
 私は繕う嘘も見つからず、曖昧にはぐらかした。
 しかし、彼女は迷うことなくきっぱりと言った。
「……。」
「………。」
 彼女は、じっと私を見つめていた。
 決して目線を逸らさない。
 ……私は、ちいさくため息をついた。
 何故だか、彼女には隠し事が出来ない様な気がした。
 私はポケットから、警察手帳を取り出し、それを提示した。
「…………私はね、殺人課の刑事なのよ。」
「……なるほど。」
 柚さんはさして驚きもせず、頷く。
「…本当は、誰にも言いたくなかったんだけどね。」
「何故?」
「犯人検挙に差し支えがあったら、困るでしょ?」
 と、私は苦笑するが、尚も柚さんは私を真っ直ぐ見つめたままで問う。
「あの黒いコートが関係あるんですか?」
「……そう。今日の午前中にね、殺人事件があったの。追跡で、ここのホラーハウスまで追いつめたんだけど…。」
「その犯人の特徴は?」
「……黒ずくめに真っ赤なルージュ…。」
「……真っ赤なルージュ。女性、ですか。」
「多分、ね。」
「……要するに、この15人の中に犯人がいるかもしれない、って…。」
「……そうね。その可能性は否定できないわ。」
 どうしてこの娘は、こんなに淡々をしているのだろう…。
 そして彼女はポツリと、
「…荊さんを殴った犯人の容疑者は、私か、夕です。」
 と言う。
「…え?」
 思わず聞き返していた。私か、って…普通自分で言う?
「………でも、私はやっていません。だから、夕じゃないですか?」
「え…?」
「…私が荊さんを見つけた時、傍に居たのは、夕です。あの時、荊さんと夕がいなくて、私と、ヤイコと、マリアさんと、紀子さんで二人を探していました。ほかの人はみんな、そこにいました。」
 そう言って、小さな家に目線を遣る彼女。
「………」
 私は何も言えなかった。
「夕って、私、意味わかんない。……あの狂気的な感じ。なんだか干渉したくない。」
「…………そう、…ね…。」
 冷たい言葉。
 彼女の言っていることは、彼女の思っている本音であろう。そして、彼女が話していることも、おそらくは真実―――。
 ……私は小さく、唇を噛んだ。
「私、あの子、キライです。」
 柚さんはそう言い放って、皆の元へ戻っていく。透けるような白い髪が、揺れていた。
 私はしばし、立ちすくんだまま……動けなかった。





 寝苦し……。
 完全に雑魚寝状態。
 事務所か何かから毛布を持ってきたらしいが、8月の今にはとてもじゃないが不必要な物だった。
 しかし、ブラウスにスカートという格好で床につかなければいけないとは。
 もう外聞もへったくれも無かった…。
「う、ン……。」
 私―――松雪馨―――は、小さく寝返りを打つ。深夜1時頃、興奮覚めやらぬ皆が、ようやく就寝の為の沈黙を始めてから一時間か二時間か。こんな時に限って、睡魔は私を避けている。
 ぎゅむっ。
 背中に暖かい……否、暑苦しい感触があった。
「うぅ〜ん…タイヤキ……。」
 安曇サンとか言ったかしら… こっの小娘……。
 皆、疲れているはずなので、既に眠りについただろう。
 こんなに時間が経っても眠れないのは私くらいか…―――
 ―――カチャッ。
 ……え…?
 小さく聞こえた音に、私は耳を澄ます。
 扉が開いた音…?
 ――パタン。
 そして静かに扉が閉まる音。
 誰か出ていったのかしら?
 そしてすぐに、室内で誰かが動く衣擦れの音、そしてまた扉が開く音。
 私は安曇サンを押しやりつつ、それとなく寝返りをうち、小さく瞳を開いた。
 パタン。
 しかしその誰かがちょうど出ていったところで、誰かを知ることはできなかった。
 ぼんやりと、薄暗い中の扉を眺めていると、ふっと視界に入った――
 扉から外に出ようとする3人目の人物。
 うそぉ…?起き上がった気配なんてなかったのに…。
 目を細めて人物を見ると、扉の向こうから差し込む街灯の光に照らされた、透けるようなロングヘア。少女はチラリを室内を見やった。
 眩しく見えた……。
 ……今のは…柚、サン…?
 ……。
 私は暫し躊躇い、そして4人目の人物となるべく起き上がったのだった。
 慎重に歩き、扉からそっと身体を滑らせる。そしてまた静かに扉を閉め、私は辺りを見回した。
 既に人影は、無い。
 私は大した目的もなく、ゆっくりと歩き出した。
 …やはり気になっていたのかもしれない。深夜に部屋を抜け出した、3人の女性の事が。





 ……サク…、
 立ち止まると、後ろから微かに、躊躇うような足音が聞こえた。
 思った通り。
 ゆっくりと振り向き女性の出現を待つように佇んでいると、少しして、彼女はその姿を現わした。
 やけに眩しい。ふと気づくと、観覧車の前まで来ていた。こんな深夜なのに、観覧車は止まる事さえ知らない様に、明々とライトアップされ、ゆっくりとした動きで回転していた。
「……夕…。」
 彼女は言う。不安げな、怒りと悲しみを織りまぜたような、そんな表情で見つめていた。
 あたし―――横溝夕―――を。
「……今日、話しかけてくれたの、初めてだね。」
 あたしが話し掛けると、彼女はあたしと目を合わそうとはせず、少し俯いて、言った。
「……当たり前でしょ…。」
「………他人のフリ、してたい?」
「……そんな事、どうでもいいのよ…。」
 あたしは、じっと彼女を見つめ続ける。薄い笑みを浮かべたまま、不安げな彼女をあざ笑う様に。
「………今日の午前中、何をしてたの?」
 彼女は言う。
「…………。」
 あたしが沈黙すると、彼女は不安げに瞳を揺らし、ようやくあたしを見た。
「学校にも行ってないんでしょ?連絡、したのよ。……ねぇ、夕、どこにいたの?一体なにをしてたの!?」
 彼女の落ち着きが次第に無くなっていく。
 どうしてそんなに不安なのかな。
「答えなさい、夕!……」
「知って、るんでしょ?」
「…!」
 クス、と小さく笑って、彼女を尚も見つめ続ける。
「どうしてあたしがここにいるってわかった?どうしてここにいるの?…お姉ちゃん?」
 彼女…そう、あたしの実の姉である彼女は、憎しみの混じる眼差しであたしを見つめている。
「……。……夕……。……本当に…、本当に夕が……先生、を……?」
 お姉ちゃんは、震えていた。少し離れているにも関わらず、その様子は伝わってくる。
 あたしは、そんな姉を更に突き落とす様に…言い放った。
「そうだよ。あたしが殺した。」
「……!」
 お姉ちゃんはキッとあたしを睨んだ。そして、我を忘れた様につかみかかってくる。
「どうして!?どうしてそんなことを…!!?」
「キライだったから。」
 パシン!
 頬を打たれた。バランスを崩して地面に崩れ落ちると、お姉ちゃんはあたしの上に馬のりになってさらに掴みかかってくる。頬にヒリヒリした痛みが走るが、それを堪え、あたしはさらに笑って言ってやる。
「お姉ちゃんは、好きだったんでしょ?先生の事、大好きだったんでしょ?」
 パシン!
「…そうよ…、大好きだった…愛してたわ………!なのに、どうして!!」
 おねえちゃんの涙が、あたしの頬に落ちた。
 また頬を叩かれて、水滴が跳ねる。
「……夕、…どうしてこんなことを…!……どうしてよ……!!!」
 絶望に満ちた表情のお姉ちゃん。
 あたしはまたクスクスと笑った。
 可笑しくて、たまらない!





 人の声がした。
 女性の怒鳴り声。
 私―――松雪馨―――は、引き寄せられるように、その声の元へ近づいていく。
 その方向に、観覧車がある事に気づいた。
 近くなっていく声。
 …そして、笑い声が聞こえた。
 なに…、どういうこと…?
 誰なの…一体……?
 もうすぐ観覧車、と言う曲り角だった。
 がばっ!
「ン…!?」
 突然、の事だった。後ろから口を塞がれる感触に、私はパニックに陥りそうになる。
 何…!?
 しかしその恐怖も、すぐに取り除かれた。
「馨サン、静かに…」
 真面目な面持ちで、唇に指を当てる女性。
「……柚、さん……。」
「ここから動いちゃダメ。そっと見て…。」
 彼女は覗き見るように、壁から少しだけ顔を出し、観覧車の方を見る。
 先程から聞こえていた声は、随分近くなっていた。
 私も、柚さんと同じように壁からそっと顔を覗かせ……
 ……え…?
 そこにいたのは、想像もできないような二人だった。
 夕と、そして―――
 ―――――瞳子さん…?
 瞳子さんが、夕を責めるように馬乗りになり、がむしゃらに何かを叫んでいた。
 ヒステリックにも似たその様子。時々、パシン!と乾いた音が響く。
 夕の様子は見えないが、…小さく聞こえる笑い声。嘲るような、そんな…。
「……姉妹、みたいね。」
「え…!?」
 柚さんの言葉を小さく聞き返し、改めて二人を見た。
「…さっきから夕が、瞳子さんの事、お姉ちゃんって……」
「…………。」
 あの二人が姉妹…そう言われてみると、やや二重がかった瞳や、小さな口、僅かに青味がかった黒髪…確かに似ている。しかしあの二人を姉妹と感じさせないのは、雰囲気の不一致だった。顔は似ていても、雰囲気が全くといって良い程…似ていない。
「……でも、どうしてこんなトコロで姉妹喧嘩なのかしら?」
 チラ、と柚さんを見やる。
 すると彼女は、かなり深刻そうな表情で二人の様子を見つめていた。
「……たぶん…、夕が、狂ってるから…。」
「……どういうこと?」
 柚さんのその言葉に、眉を寄せられずはいられなかった。狂ってる、って…?
「……いつかわかるから言う。驚かないで聞いて。
 ―――夕は人を殺したの。」
「………。」
 ……え…?
 想像もしない言葉に、絶句してしまう。
 殺した……!?
「さっきから、二人のやりとりを聞いていた。…夕は、瞳子さんが愛していた人を、殺した、って…」
「……いつの、話なの…?」
「…今朝。」
「………。」
 何も言えなかった。
 ただ、瞳子さんが夕を打ち、夕が笑う。
 そんな光景を…見つめることしかできなかった。
「……いけない、止めなきゃ。」
「…止めるの?」
 柚さんの言葉に、私は聞き返す。
「これ以上、夕が狂うと、困るから。」
 柚さんはそう言って、二人の側に歩み出した。
「瞳子さん」
「…!!?」
 柚さんの出現に驚きを隠せない様子の瞳子さん。夕は、特に表情もなく、柚さんを見ていた。
「……何、やってるの?」
「………。」
 慌てて立ち上がった瞳子さんは、何も言わず、そして柚さんを見つめたまま、そのまま動かなかった。動けない、といった方が合っているのかもしれない。
「…………。」
 柚さんはそんな瞳子さんに歩み寄り、そっと抱きしめる。
「………帰ろう。」
 柚さんは瞳子さんの肩を抱き、ゆっくりと歩き出した。…柚さんが、夕を見ることは、なかった。
 柚さんと瞳子さんが私の側を通りすぎる。瞳子さんは私に気づくと、困惑した様子で小さく頭をさげた。柚は何も言わなかった。
 ……少しして、観覧車の前に取り残された夕の側に歩み寄る。
 夕は地面に座り込んだまま、明るい観覧車を見上げていた。
「……夕…?」
「………。」
 私の声に、反応を示さない。
「夕…、私たちも帰るわよ…。」
「………。」
 夕の肩を取り、こちらを向かせようとしたが、夕が観覧車から目線を逸らすことはなかった。
 ……仕方なく、私も夕と一緒に観覧車を見上げる。
 煌びやかで、美しい、観覧車。
 ………。
「……夕、乗ってみる?」
 その言葉に、夕はゆっくりと私を見上げた。
 そして…
「…うん!」
 そう頷いて、笑った。
 初めて見る、夕の笑顔。
 あぁ…、この子、ただの15歳じゃない。
 …ガキっちょじゃない。
 私は何故か、夕の笑顔から目線を逸らせなかった。
 夕の肩をそっと抱いて、一緒に観覧車に乗り込んだ。
 ガクン、と観覧車が揺れる。室内に灯りはないが、上下から照らすライトで、夕の顔ははっきりと見取ることが出来る。
 その身体を離すことが出来ず、少し不安定だけど、私たちは座席に並んで座った。
 …ゆっくりと上昇していく観覧車。遊園地の各所に灯った街灯が美しかった。
「……すっごい…」
 夕は窓ガラスにへばりついて、興味津々に景色を見ていた。
「…観覧車乗った事ないの?」
「……ずーっと前に、お姉ちゃんと乗っただけ…。」
 私の問いに、夕は少しだけ目を細め、小さく笑んで言った。
「ずーっと前?」
「………小学生の頃、お姉ちゃんと二人で遊園地に来たの……そんとき、以来…」
「……お姉ちゃんとは、それっきり遊んでないの?」
「……お姉ちゃん、高校入ってから…忙しくなったって。…でも、知ってるんだ。お姉ちゃん、好きな人がいたんだ。」
 夕は少し寂しそうに言う。
「…そうなの…?」
「飽きっぽいお姉ちゃんが、あんなに毎日部活に行くわけないよ…」
「……ふふ、お姉ちゃんの事、よくわかってるのね」
 私の言葉に、夕はくるっと振り向いて、嬉しそうに頷いた。
「うん!」
 ………。
 その笑顔が、私にはわからなかった。
 この子は、そんなお姉さんの愛する人を…殺した?
 ……。
 ふっと、夕が表情を曇らせた。
「……お姉さん、あたしの事、怖い?」
「…え?」
「…お姉さん、笑ってくれない。」
「………。」
 私は無言で、夕を抱き寄せた。
「……あ……?」
 強く強く抱きしめた。
「………………怖くなんかないわ。」
「………ぁ、ぅ…」
「……私は…、夕の心が、わからなくて…」
「……………」
 夕は私を見上げていた。
 何かを求めるように、切なげに…。
「…バカね…。」
 私は小さく微苦笑を浮かべ、そっと夕の頬に手を宛てがう。
 夕は、ピクリと、怯えるように身を引いたが、抗うことはしなかった。
 私は夕の顔をそっと引いて、顔を近づけ――
 そして、唇を合わせた。
 少しでも、心が触れればいいと思った。
 彼女を、理解したかった。
 ……彼女を、救いたかった。





 柚さんに肩を抱かれ、あたし―――棚次瞳子―――は歩いていた。
 あぁ…頭が混乱してる…。
 何も考えたくない…。
「……瞳子、さん。」
 柚さんが、私の名を呼んだ。
 私は傍の柚さんを見る。
「何があったか…話して欲しい…」
「………。」
 柚さんの言葉に、私は小さく押し黙った。…何があったんだっけ…?
「……イヤなら、いいよ…?」
 私は小さく首を振った。
 …柚さん、なら…。
 私はぽつりぽつりと、話し始めた。
 不思議な女性。だけど、そんな柚さんに心を開いていく自分がもっと不思議だった。
「…私、好きな人がいたんです…。…中学生の頃、…相手は、臨時教師でした。」
 柚さんは、黙って私の話に耳を傾けていた。
「…でも、その頃は恋愛感情とかわからなくて…、その、女性…だったんです…だから…。」
 ふと、柚さんは立ち止まり、街灯の下にあるベンチに促した。わたしは促されるままに、ベンチに腰を下ろす。柚さんも、私の隣に座った。…私は、話を続ける。
「高校に入ってからは、だんだん先生の存在も忘れていって…。丁度、家なんかが嫌いな年頃だったから、部活に行って、友達と騒いで…。…男の先輩から告白されて、つきあったりして…。」
 私はあの頃の記憶に目を細めた。あの頃は、楽しかった…。自分の気持ちに気づいていないことが、今となっては幸せに思う。
「…それから大学に入って…。…そんな時、でした、…夕の中学に、若い女性の先生が入ったって聞いて…。」
 …ちら、と柚さんを見ると、目が合った。少し恥ずかしくなって、私は慌てて目を逸らす。
「…そ、それで…。その人が、私が中学生の頃にいた臨時教師の方だったんです…。」
 …トクン。小さく心臓が鳴るのがわかった。少しずつ、心がざわめいていく。
「…先生に会って、私…、…彼女の事が好きなんだ、って…自覚しました…。」
 …ふと、肩に暖かい感触があった。私が柚さんを見上げると、彼女はすっと目を逸らす。ただ…私の肩を抱く、柚さんの手が温かくて…。
「…夕は……。………夕は、彼女がきらい、だった、みたいで…。……でも、私よくわかんな…」
 身体が震えていた。言葉が上手く口から出ない。おかしい…。
「………夕は…なんで、あんなことを…。」
 ……それ以上、言葉が出なかった。
 見つからなかった。…わからなかった。
 真実なのか、それさえも曖昧で…。
 柚さんを見る。彼女は何か考えるように地面を見つめていたが、少しして私の視線に気づいたように顔を上げ、私を見つめ返した。
 逸らそうにも逸らせず、しばし私たちは見つめ合っていた。
 柚さん…?貴女は……。
 薄い色素の瞳。吸い込まれそうな錯覚を覚えた。…少しだけ、怖い。
「………瞳子さん、……私のこと、怖い?」
「……え…?」
 柚さんは、不安げに目を細めた。
「怯えてるような感じがする…。」
 …私は、小さく目線を落とした。
 怯えてるんじゃ、なくて…
「……柚さん……なんだか、遠くにいるみたいで…。」
「………。」
「…こんなに傍にいるのに…遠く遠くに、いるような、気がして……。」
「……傍に、いる…。」
 ふわっ…
 一瞬何が起こったかわからなかった。
 …柚さんに、優しく抱きしめられていた。
 女性特有の甘い香りが、鼻孔をくすぐる。
 何故か、涙が零れた。
「……柚さ…っ……もっと、もっと傍に…、…そばに、いて…。」
 もっともっと柚さんを感じたかった。
 ぎゅっ…
 強く抱きしめられた。柚さんの温もりを感じた。…あぁ…柚さんは、ここに…。
「…瞳子…、……私は、此処にいるから…。…………傍に居てあげるから…。」
 そばに…いて……。
 そっと身を離し、柚さんと見つめ合った。
 柚さんが、小さく微笑した気がした。
 そして彼女はそっと、優しい、甘いくちづけをくれた。
 彼女のくちづけは、あたたかかった。





「荊、サン」
 と声をかけられ、私―――荊梨花―――は振り向いた。早朝。顔を洗おうとハウスを出たところだった。
 そこにいたのは、夕だった。少し驚いたけど、私は彼女を見て、
「……何?」
 と小さく問う。
 夕は俯いて小さく沈黙したあと、ポツリと、言った。
「………荊さんに怪我させたの…、あたしです…。」
「…!」
 思わぬ言葉に、私は小さく目を見開いた。
「……ごめんなさい。」
 そういって、頭をさげる夕。
 昨日とは別人のように、語調もしっかりとしていた。
「……。……私を殴ったのには、理由があるはずね。…教えてくれる?」
 そう尋ねた私に、夕が返した答え。
 ずっと追い求めていた言葉。
「…犯人だから。黒い服でセンセ、殺したの、あたしだから…。」
「………、そう…。」
 その言葉は、あまりにあっけなく私の耳に届いていた。
 ………終局。
 私は夕に近づき、肩に手を置いた。
「わかっていると思うけど…ここを出たら、あなたを正式に補導するわ。いいわね。」
「……ハイ。」
「……それから、あなたは傷害の罪も犯したのよ。」
「………ハイ。」
 無表情だった。
 悔しくなるほどに。
「…夕、聞いてもいいかしら?」
「…ハイ。」
「……反省はしてる?後悔をしてる?」
 そう尋ねる私を、夕は不思議そうに見上げた。
「……なんで…?」
 そして小さく答えた。
「……人を殺した事は、『罪』なの。」
「わかってる…。そういう決まりなんでしょ?…法律で…」
「そうじゃなくて…!」
 夕の肩を強く掴んだ。
 夕は、怯えるように瞳を揺らせた。
「人の命を奪う事が、どんなに重たいことなのか、わかっているの!?」
「え…?………」
 夕は困惑した様子で、目を伏せた。
 ……っ…。
 私は小さく息をついた。
「……もう遅いかもしれないけど…、残された遺族の悲しみは計り知れないのよ。遺族だけじゃない、友達や恋人…。たった一つの命を奪う事で、たくさんの人が悲しむの…」
「…………」
「……わかったわね?」
「……………。」
「……夕!」
「死ぬべきだったんだ!!」
 夕はキッと私を睨み、踵を返して駆け出した。
「夕!」
 その後を追おうとした、その時、
 ぱしっ。
 右手を誰かに掴まれ、私は振り返る。
「……そっとしておいてあげなさい。」
 そう言ったのは、松雪さんだった。
 彼女は切なげに目を細め、夕の去った路を見遣る。
 私もゆっくりとそこを見つめ、小さく吐息を零した。
「……お願い、この事は、誰にも言わないで。…夕のことは…」
 ………。
「……わかったわ。」
 彼女の言葉に、私は小さく頷いた。





 カタン、と階段を一つ踏み外した。
「あっっ、忍さん大丈夫ですかっ??」
 弥果ちゃんの声が聞こえる。
 私―――姫野忍―――は、一瞬遠のきそうになる意識をなんとか保ち、ずれた眼鏡を直した。
 危なかった……。
 私は振り向いて笑み、
「大丈夫!」
 と言って先を急ぐ。レストランの厨房では、昼食の準備が始まっている。
「あーっ、忍さんと弥果ちゃん!ちっこく〜〜っ」
 と紀子さんが笑って言った。
「あ、あはは、すみませんっ」
 と、私も笑って見せる。
「くんくん。あっ、カレーライスですかぁっ??」
「ご名答〜♪冷蔵庫にレトルトのがいっぱいあったの!……っていうか、ここのレストラン、レトルトカレーなんだねー。」
「あはは、そぉなんですかぁ。」
 ふっ、と…二人の声が、とても遠くで聞こえるような錯覚を覚える。
 ………、
 …………、
 ――――!
 私は、耐え切れない衝動に襲われ、慌ててその場から駆け出した。
「忍さん??」
 後ろ背に掛かる声も無視し、トイレに駆け込む。
 ばたん!
 一番奥の個室に入り、便座に座り込んだ。
 まずい……限界っ……!
 抑制、させな、きゃ……!
 私は万が一の為にポケットへ忍ばせていた煙草を取り出し、火をつけた。
 肺に空気が満たす。それをゆっくりと吐き出した。
 ………。
『 シ ノ ブ 』
 ……っ…。
 頭痛。
 「アイツ」が、私を支配しようとする。
 煙草をふかすと、ほんの少しだけそれが落ち着く気がする。
 来ないで。
 今は来ないで、お願いだから!
『……シノブ。』
 ……っ…
『バカな女。自宅療養のイミ、わかってんの?』
 うるさいっ……
『ま、おかげでアタシも楽しめそうだけど?』 
 出てこないで、お願いだから!
 あんたは私じゃない!
『わかってる。そんなことわかってるわ。アタシは、志乃。』
 そうよ…だから、出てこないでよ!
『でも、この身体はあんたとアタシのモンだよ』
 違うっ、私の……私のものよ!
『確かにアタシは単なる人格でしかないけど、アタシを造り出したのは、あんただからね?OK?』
 煩い!
 ―――ガシャアァァァン!!
 !?
 刹那、聞こえた大きな音に、私は顔を上げた。
「あ…、あちゃぁ……」
 続いて、悲嘆に暮れた少女の声。
 私はゆっくりと個室のドアを開ける。手洗い場の所で、夜衣子さんが困惑した様子でオロオロとしていた。
「……どうしたの?」
 私はゆっくりとそこへ向かう。
「あっ忍さん!か、花瓶割っちゃって…。」
 見ると、洗面所に置いてあったらしい陶器の花瓶がいくつかの破片となって、床に散っていた。
「あらら…仕方ないですよ…」
 と私は微苦笑し、破片を拾う。
「あ、すみませんっっ」
 夜衣子さんも、慌ててそれを拾い出した。
 そして大方片づけ終え、一息つく。
「こんなトコに置いてる方が悪いんですよ」
「あ、はは……はぅ、すみませんでしたっ」
「いーえ」
 そして夜衣子さんは手を洗い、頭をさげて去っていった。
 ………
「……志乃。」
 私は誰もいないトイレで、一人呟いた。
「……あんたが出てくると、私は社会的不適合(ハグレ)になるのよ…」
 言葉は返ってこなかったが、頭痛は止まなかった。
「…多重人格になんて、なりたくなかった。」
 そんな言葉に抗うように、頭痛は続いたのだった。





 昼食タイム。
 隣に座った紀子さんから話しかけられた。
「ねぇ、今日て何日だっけ?」
 という言葉に、私―――宮本マリア―――は小首を傾げる。
「えっと…22日じゃないですか?」
「22…かぁ…。」
 紀子さんは、小さくため息をついた。
「何かやり残した事でもあったんですか?」
 というと、彼女はコクコクと頷く。
「?」
「……締め切りが…。」
 彼女の切実そうな表情に、
「締め切り?お仕事ですか?」
 と、私は問い掛ける。その言葉にコクン、と悲しげに頷いた紀子さんは、
「そうっ…鳴呼それにHPも更新してないし……これはピンチ…。」
 と、頭を抱えた。
「ホームページ?」
 私の隣に座る安曇さんが、興味津々に話に加わってくる。
「何のページやってるのっ?」
「チャットサイトの管理をちょっちね♪」
「チャット?あたし、あれやってるよ、擬似人生チャット!」
「え、うっそ!?擬似人生チャットサイトの管理者だったりするんだけどな、あたし…。」
「えええーっ。」
 と、私がついていけない話で盛り上がる二人。
 ひとまず傍観を決め込む事にした。
「………Ciccoサン…。」
 と安曇さんが呟いた次の瞬間、紀子さんがおもいっきり飲んでいたお茶を吹き出した。
「だ、大丈夫ですか?」
 私が声をかけるも耳に入っていない様子で、紀子さんはただただ驚いた様子で安曇さんを見つめている。
「……び、びんご、なの?」
「……びんご…。」
 二人は私を挟んで、しばし見つめ合っていた。
「うっわー!?うっそ、超ビックリ!まさかウチの参加者さんがこんなとこにいるとはぁっ!!……………あれ、じゃあ、安曇ちゃんは…」
「……Ciccoさん〜♪!」
「……ま、まさか、アンズちゃん…?」
「えへへ、そうでーす♪杏とはこの安曇の事なのです!」
「はわわ……、24時間以上は語り合ってる杏ちゃん!?」
「あ、あはは…超びっくり…。」
「……あ、あの」
 異様な盛り上がりを見せる二人に、私は勇気をだして口を挟んだ。
「その、すごいことなんですか?」
「超すっごい偶然!ネット上で毎日のように会ってたの、あたしたち!」
 と、紀子さんがやけに高い声で言う。
「本当、すっごい……。そっかぁ、Ciccoさんってこんな人だったんだぁ…なんかスゴイ感動!」
「いや、杏ちゃんがこんな子だったとは…ちょっと意外!いや、でもチャットでも元気だったもんねぇ!」
「よくわからないんですけど、ここで会う前に会っていたって事ですよね…。なんだか運命的ですね。」
 私が言うと、二人は嬉しそうに笑った。
「運命?あははっ!そうだよね!」
「そっかぁ、Ciccoさんこと、紀子さんが運命の人だったんだ♪」
「よろしくね、杏ちゃんこと安曇ちゃん★」
 そんな二人を見て、私は小さく微笑した。
 空になったお皿、一息つくと、みなの食事光景を見渡した。ふと、私は一人の女性に目を止めた。二人の会話に入れないこともあったし、席を立って彼女に近づく。
「…姫野さん、どうされたんですか?」
「えっ?」
 彼女は少し驚いた様子で、私を見上げた。
「…さっきから、ずっと食べてないですよね…。」
 と、隣に座る朱雀さんが言う。
「体調でも悪いですか?」
 と尋ねると、彼女が小さく首を振って、
「い、いえ……少し食欲がないだけで…」
「食べないと身体に毒ですよ?ほら、少しだけでも…」
 そう言って、私は彼女のスプーンを手にとり、殆ど減っていないカレーをすくって口に近づけた。
「っ!」
 かしゃん!
 次の瞬間、彼女に振り払われ、スプーンは遠くへと飛んで床に落ちた。
「あ……」
 ふっと我に返るように、慌てた様子で私を見上げる姫野さん。そんな彼女に、私は深く頭をさげた。
「ご、ごめんなさい…、少しやりすぎました。」
 つい、いつものクセで…。
 彼女は病人でも何でもないのに、人の前でこんなことをして、いい気分なわけがない…。 私は内心で狼狽を感じながら、落ちたスプーンを取りに行こうとするが、すでにその先には朱雀さんが居た。
「…あ、新しいスプーンと取り替えてきます……。」
 そう言って、厨房へと消える朱雀さん。
「…っ…。」
 ふと、姫野さんがこめかみを押さえ俯いた。
「どうしました?」
 私は彼女の肩に触れ、顔をのぞき込んだ。
「……大丈夫、ですか?」
 と、そばにいた玲さんが、心配そうに尋ねる。
 しかし姫野さんは、その返答に、無言で首を振った。
「……姫野さん、みんなのいない所で、少し休みましょう。歩けますか?」
 私が言うと、彼女がゆっくりと立ち上がる。しかしふっと私に寄りかかった。
「姫野さんっ…。」
 私は慌てて彼女の肩を抱き、身体を支えた。
「すみ…ま、せん……」
 彼女の表情には苦痛が走り、そう零すことさえ精一杯の様だった。
「玲さん、朱雀さんに宜しくお願いします。」
 と私は言い残し、彼女を連れて休める場所を探し歩き出したのだった。





 身体が恐ろしく重い。
 そして、頭痛が酷い。
 狂いそうなほど、頭痛が私―――姫野忍―――を侵す。
 志乃…志乃なのね…?
『…………』
 言葉は無くてもわかる。アイツは此処にいる。私を、侵していく。
「…めのさん、…階段を降りますよ…?」
 そんな声が、遙か遠くから聞こえる。
 え…、階段…?
 その言葉を理解した時には、既に遅かった。
「姫野さん!」
 身体が宙に浮くような感覚。
『…眠っていればいいのに。』
 志乃の声。
 そしてどさりと、激しい重圧が自分にかかるような錯覚。
 身体全体が痛んだ。
「姫野さん!大丈夫ですか?しっかりして!姫野さんっっ!」
 ふと、目の前にある落ちている物に、私は眉を顰めた。
 ……まずい…、眼鏡が……!
 「志乃」を抑圧する、大切なツールが…
 次の瞬間、
 心が志乃に支配されるのを、感じた。
 
 









Next→


back to top