十五少女漂流記

■第二話




 カサッ。
 微かに聞こえた物音に、あたし―――真宮寺芹華―――は立ち止まった。
 食べ物を探そう思って、森の少し奥に足を踏み入れた時のことだった。
 鬱蒼と茂る木々は、明るい太陽の光さえも遮っている。
 あたしは基本的に単独行動を好む人間なので、唯奈や楓ちゃんの誘いを断り、あたしは一人でこうして森の中に入って来た。そりゃ悪かったかなとは思うけど、あたし、やっぱり一人の時間って大事だから。
 …そんなことはどうでもいい。
 今、微かに聞こえた音。あたしが草木を踏みしめたのとは、違う、木々の連なるその向こうから、確かに聞こえた。
 緊張が走る。得体の知れない猛獣とかだったらどうしよう、って。
 あたしは極力足音を立てないように、一歩一歩踏みしめ、そっと樹の影から物音のした場所を覗き見た。
 ふっ、と一瞬過ぎった影。
 白っぽい何か。だが、あたしが丁度覗き込んだ瞬間、それは森の奥へ姿を消してしまった。
 白――?
 ウサギとか、そういう小動物ではない。人の丈ほどはあったと思う。でも、まさかこんな所に白熊なんかがいるはずもない。
 まさか、人間……?
 微かな怯えは拭いきれないが、もしもその影が人間だとしたら、見なかった振りは出来ない。
 あたしはまた静かに、歩いていく。
 草の絨毯のような地面では、足音が上手い具合に殺せる。
 あたしはまたそっと、先ほどと同じように樹の影から覗き込んだ。
 ―――!
 女の、人。
 その姿が目に入った瞬間、ドキッとした。
 白いアンサンブルに身を包んだ、上品なオーラ。柔らかそうな薄い茶髪のボブヘア。
 彼女は辺りをキョロキョロと見渡しているが、あたしの存在には気づいていないようだ。
 あたしは彼女に声を掛けようと足を踏み出そうとした―――刹那。
 視界に映るその情景に、ふっと違和感を抱く。
 ――シュルッ。
 それに気づいた時、あたしは息を飲んだ。
 まだら模様の、気持ち悪い生物。
 ―――蛇!?
 するすると身体をくねらせ、地面を這っていくその様は、実にグロテスクだった。
 しかし、問題はその蛇の眼が捉える先に居る――女性。
 まずい。あの蛇がもし毒蛇だったら――!!!
「っ!」
 あたしは地面を蹴り、女性に駆け寄った。
「―――え…!?」
 突然現れたあたしを見て、驚いたように目を見開く女性。
 咄嗟に庇うようにその身体を抱き、再び蛇に目線を遣った。蛇の鋭い眼光があたしを捉えたような、気分の悪い感覚。それでも、あたしは女性を抱いたまま、蛇を睨み返す。
 しばし、蛇はそのままじっとしていた後、シュルリと踵を返し、森の奥へ消えていった。
 ――良かった。この人に何も害がな…

 パァン!

 突然、そんな乾いた音と共に、鋭い痛みがあたしの頬を襲う。
「…!?」
 意味がわからなくて、あたしは女性を見ていた。
 女性はワナワナと身体を震わせ、あたしを恨みがましそうな目で睨みつける。
 ―――え?…え〜っ!??
 女性は、たった今あたしの頬を叩いたばかりのその手をぎゅっと握り締め、
「変態…!!」
 と怒鳴った。
 ―――……はぁ!?
「ちょ、待っ…!な、なんであたしが変た…」
「純?どうしたの!?」
 あたしの言葉を遮るように、そんな女性の声が聞こえた。
 見ると、向こうから二人の女性がこっちに駆け寄って来る。二人共面識のない女性だった。
 純、と言うのがこの女性の名前だろうか。彼女は再びキッとあたしを睨んだ後、
「成さん!助けて下さい…!」
 と、やってきた女性に駆け寄っていた。
 ちょ、ちょっと待って。
 あたし、悪者!?
「……えぇと、貴女が純さんに何をしたかは知りませんが、ここで出会った以上は共に行動すべきだと思います。」
 成さんと呼ばれた女性の後ろに居た眼鏡の女性が、あたしに歩み寄り、真面目な顔で言った。
「あ、はぁ…。」
 あたしが曖昧に頷いていると、
「芹華!?なんかあったんか!?」
 と、タイミングが良いのか悪いのかわからないが、騒ぎを聞きつけてか、唯奈がやってきた。
 唯奈はあたしと、三人の女性をきょときょとと交互に見た後、
「………変態って……、何?どういうこと?」
 と、問う。
 唯奈にまで誤解されてしまっては大変だ。
「ち、違うの!あたし、蛇がこの人を襲おうとし」
 てたから…!と言い終える前に、
「そんな無様な言い訳は結構です!菜花さんがああ仰るなら仕方ありませんが、今後一切、私に触れたりしないで下さいね?!」
 と、純さんは涙目になって言う。
 あ、あ、あー!!
「―――なんや。芹華って変態やったんか。」
「ちっがーう!!!」
 あたしは精一杯唯奈の言葉を否定して、深いため息をついた。
 こっちが泣きたいよ…。





「……。」
 先ほどからふくれっつらな純に、私―――緋榁成―――は苦笑せずにはいられなかった。
 あの後、芹華さんや唯奈さん達のグループと合流し、皆との自己紹介も終えた後。
 菜花さんは食べ物探しのグループに付き添い、私と純は二人で、彼女達が熾した焚き火の傍で火の番をしている。
 純はぼんやりと海を眺めながら、憮然とした表情を浮かべている。
 昨晩、一人海へと入っていく純と何とか止めた後、自己紹介もしないまま、不安がる彼女を抱きしめて眠った。そして翌朝なんとか元気を取り戻した彼女とお互いに自己紹介を交わし、更には彼女自ら名前の呼び捨ても許してくれた。すっかり私のことも信頼してくれたようだし、もう死ぬことも考えていないと小さく微笑んでくれた。
 この子は、微笑むととても可愛くて、それだけでも助けて良かったと思えた。
「そんな怖い顔しないの。純は笑った方がずっと可愛いんだから。」
 私は彼女にそう声を掛けた。
「ですけど!…芹華さんのことは、さすがの私でも許せません。」
 純は釈然としない様子で、そう答え、また頬を膨らませる。
 あらあら、芹華ちゃん、随分嫌われちゃったみたいね。私はあの子、悪い子とは思わないんだけど。とても真っ直ぐな目をしている。そんな子が、突然痴漢行為なんてするはず、ないわ。
 ―――と言っても、私もその場に居合わせたわけではないし、芹華さんとも色々と話したわけでもない。これ以上純を説得する術はなかった。
 でも、これから一緒に居れば、自然と芹華ちゃんのこともわかってくるはずね。そうすれば、純も考え方を変えてくれるかもしれない。
 私はそう自己完結した後、純の気を紛らわそうと、当り障りのない話題を振った。
「ねぇ純。純は、仕事とかしていたの?」
 そう問うと、純は私を見て、小さく首を横に振った。
「いいえ、高校を卒業した後は、一人暮らしでふらふらしていただけです。…両親が仕送りも送ってくれますから。」
「そう。…良いご両親ね。」
 私が微笑むと、純は一瞬寂しげな表情を見せた。
「―――私、養子、ですから。お金で厄介払いされただけなんです。」
 と、純は小さく言う。
 ――聞いちゃいけないこと、聞いちゃったのかしら。
「じゃあ、恋人は?」
 話をすり替えるように私は言うが、
「恋人も今はいません。フフッ、一人ぼっちだから、こんな気ままな一人旅、してたんです。」
 と、小さく笑みを零しながらも、やはり寂しそうに純は言う。
 そう…この子、孤独な子なのね。彼女の寂しげな表情が、少し悲しい。
「でも…今は一人じゃないでしょう?私も、菜花さんも、他にも大勢居るわ。」
 私は彼女を励ますように言うと、純はふっと、あの可愛い微笑を見せてくれた。
「はい。―――でも」
 …。でも。
「芹華さんだけは許せません!本当に!!彼女さえいなければ最高なんですけど。」
 と、また憮然としない表情で言う。
 あぁ、本当に気にしてるのね…。
 この子、私が思っているよりずっと執念深い子なのかも…。
「あ〜ん、もう…漂流はするし、アンサンブルは破れちゃってるし、痴漢にあうし、散々です!!」
 そう愚痴を零す純に、やはり私は苦笑を浮かべることしか出来ないのである。





「見えます!焚き火で魚介類をあぶり、美味しそうに食している女性達の姿が!」
 という私―――橘アスカ―――の言葉に、
「それだぁ!」
 と、晶さんが目を輝かせて言った。
 というわけで、私と晶さんと舞さんは、森の中での探索を止め、海へと向かう。
「しっかし、便利だな。その予知能力ってやつ。」
 歩きながら言う晶さんの言葉に、私は思わず笑みを零す。
「喜んで貰えると私も嬉しいです。本当はこれ、あんまり頻繁に使っちゃダメなんですけど、生死がかかっていますし、神様も許して下さるはずです。」
 そう言いつつ、勿論神様への感謝は忘れない。
 嗚呼、神様!私にこのような素晴らしい力を与えて下さり、本当に感謝します!
「はぁ…本当に予知能力ってあるんですね。番組の企画なんかで偽物の予知能力者なんかはよく見ますけど、実在するって思ってませんでした!」
 桜木さんの言葉に、私はついつい照れてしまう。
「えへへ、そうなんですよっ。偽物の予知能力者は神への冒涜に値しますから、あんまり関わらないようにして下さいね。」
 私がそう言うと、桜木さんは微笑んで、
「はい。じゃあ、そういう怪しい番組はなるべく断ってもらうようにしますね。」
 と言ってくれた。
 あぁ、桜木さんって本当にいい人だなぁ。
 テレビで見たことは何度かあるけど、実際お会いして、ますます好感度増!
 やがて、私達が海へと到着すると、そこには先客の姿があった。
「あれ?遊夢?何やってるんだ?」
 ズボンと袖を捲くり、海へと手を入れてなにやら行っている遊夢さんに、晶さんは不思議そうに尋ねた。
「…食料確保。闇雲に森で探すよりも、海の方が新鮮で栄養バランスが良い物が手に入る。」
 相変わらず無表情に言う遊夢さん。その腰につけたビニール袋には、既に貝や小魚がいっぱいに入っていた。
 晶さんは拍子抜けした様子で、
「じゃあ何か。あたしらが来なくても、アスカの予言通りになってたワケか?」
 と言う。
「……そうなります。」
 私が頷くと、
「お前、使えねぇ!」
 と、晶さんは笑って言った。
 うー…そりゃ確かに、私の予知能力は未熟ですけどぉ。
 そんなことを話しながら、私と桜木さんは晶さんに続いて海の中に入っていく。
「この海は生物が多い。食料には事足りる。―――これとか。」
 遊夢さんは不意に、海につけていた手をすっと私達に差し出した。
「―――え?……きゃあああ!!!」
 遊夢さんが手にしているものを目にした瞬間、桜木さんは驚いたように悲鳴を上げる。
 私も驚いた。
 その、黒光りするグロテスクな生き物。その生き物自体にもビックリだけど、それを平気で握っている遊夢さんにもビックリ。
「―――あ?もしかしてこれ、ナマコか!?うわ〜、いっぺん食べてみたかったんだ!」
 晶さんは嬉しそうに言って、遊夢さんの手にするその生き物をヒョイと掴み上げた。
「……そんな気持ち悪いもの食べるなんて……二人共、おかしいですよぉ…。」
 泣きそうになりながら言う桜木さんの意見に、私も賛成だった。
 そんな桜木さんを見て、
「そんなに気持ち悪いか?旨そうなのに。…ほら!」
 晶さんはニヤリと笑みを浮かべ、その手にしたナマコを、あろうことか桜木さんに投げつけた。
「きゃあああ!!!…あ、わっ!!?」
 悲鳴を上げながら仰け反る桜木さん、…そして――!
 バシャアアン!!
 激しい水音を立て、彼女は海の中に倒れこんでいた。
「わ!!ご、ごめん!マジでごめん!そんなビックリするなよ〜!」
 さすがの晶さんも驚いた様子で、桜木さんに手を差し伸べる。
「ゲホッ、ゲホッ……ひどいです…。」
 咳きこみながら、上半身を起こす桜木さん。
 …。
 その姿に、私は思わず吹き出していた。
 そんな私に不思議そうな顔をしながら、
「―――あれ?さっきのナマコ、どこいっちゃったんですか?」
 と言う桜木さんに、晶さんも含み笑いを漏らす。
 不思議そうな顔している桜木さんに、遊夢さんが一言。
「…頭の上。」
 きょとんとした顔で、その頭上に手を伸ばす桜木さん。

 ―――むにゅ。

「きっ…、きゃああああああ!!!!!」
 そして三度目の悲鳴が、お昼の海に響いたのであった。
 ―――合掌。





「ふぅ、満腹。」
 そんなことを言いながら唯奈さんと談笑している芹華さんを横目に、私―――悠祈純―――は、食べ終えた魚の骨を火にくべ、ひっそりと手を合わせてごちそうさま。
 はぁ。こんな骨の多い魚なんて、どうして食べなくちゃいけないのかしら。スーパーに売っているお魚の方がずっと身も多くて美味しいのに。
 ……なんて悲観的になってしまうのも、全部芹華さんのせい。
 一つでもイライラする要因があると、色んなことに対して悲観的になってしまう。
 夕暮れ時、この晩御飯の準備をしていた時、成さんが「あんまり偏見の目で見てはいけないわ。」と話してくれた。確かに、芹華さんと知り合って間もない私は、彼女に関して知らないことが多すぎる。だけど…!
 初対面で抱きしめるなんて、とても常人の考えることとは思えない。あんなことされて、信用してしまう方がおかしいんだわ!
 そんなことを考えていると無性にイライラしてくる。今は彼女と同じ空気を吸うことすら嫌だった。
「お散歩に行ってきますっ。」
 私は誰にともなく言い、立ち上がった。
 ―――周りの人はみんな他の人との談笑に夢中で、聞いていなかったかもしれないけれど。
 私は焚き火の傍を離れ、森へと足を踏み入れた。ここ数日間この森で、危険な生き物に遭うこともなかったし、警戒心も薄れてきていた。けれどさすがに真っ暗な森の中で一人きりになるのは心もとないので、焚き火が見える範囲で、歩いていく。
 焚き火の赤い炎は見えるが、少し離れると、彼女達の談笑する声も聞こえなくなる。遠くで微かに、虫とも鳥とも取れぬ不気味な鳴き声が聞こえる。
 あの焚き火の傍に居ても不愉快だったけれど、こうして一人で森の中に居ても、不安になるだけだった。
 私の居場所なんて、どこにもないのかもしれない。
「純さん?…純さん!」
「!」
 私の名を呼ぶ声に、少し驚いて振り向く。
 そこに居たのは、見るだけでも寒気が走るような、女性の姿だった。
 彼女の姿自体は別段嫌味なわけではない。木々の隙間から差す月明かりに照らされたその顔は、キレイとも可愛いとも付かない、だけど芯が通っていそうな真っ直ぐな瞳やその顔立ちは、美人に分類されるかもしれない。
 ―――だけど!
「何の用です?」
 私は冷たく、そう言い放った。
 彼女は一瞬悲しげな表情を浮かべるが、
「…触れるなとは言われたけど、話し掛けるなとは言われてないでしょ?別に用事なんかなくたって、話し掛けるくらいいいんじゃない?」
 と、彼女は言う。そんな弁解じみた言葉が、今は無性に腹立たしかった。
「じゃあ今言います。用事がないのなら一切話し掛けないで下さい!」
 私はそう怒鳴り、彼女に背を向けて早足に歩き出す。
「待ってよ!」
 そんな背後からの声に、私は駆け出した。
 私があなたを嫌いだって言うことが、何故わからないの…!?
 どのくらい駆けたか、どこまでも彼女は後ろからついてくる。
 それどころか、先ほどよりもすぐ後ろで足音が聞こえる。
 どうして、ついてくるの…どうして!
「待っ…!!」
 突然、グイッと腕を掴まれる感触に、私は無意識にその手を振り払っていた。
「…っ!」
 その勢いで、彼女は地面に尻餅を付く。
 一瞬やりすぎたかと、そんな思いが脳裏に過ぎるが、私はすぐにそれを振り払った。
「触れるなって言ったでしょ!?あなたのことが嫌いなの!!わかるでしょう!?」
「でもっ…」
 まだ何か言い訳するの?
 何か言いたそうに私を見上げる彼女に、私は怒鳴りつけた。
「いい加減にして!!これ以上私に干渉しないで!大っ嫌い!!!」
 そして私は、彼女の傍をすり抜けて、皆のいる焚き火の元へ駆けた。
 焚き火の傍では、成さんが心配そうな様子で私を待っていてくれた。
 少しして芹華さんが戻ってきたけれど、彼女は私をチラリと見た後は、一切話し掛けることも、私に目を遣ることもしなかった。
 ―――不意に、そんな彼女にぼんやりを目を遣っている自分に気づく。
 気にしてるの?あんなにストレートに感情をぶつけたのは初めてだから?
 ……。
 でも、もういいわ。
 彼女もわかってくれたみたいだから、今後一切彼女と干渉しなければいい。
 それで少しは、気が紛れるんだから――。





「イッチ、ニッ、サン、シッ〜!」
 ピカピカの朝日!
「ゴー、ロク、シチ、ハッチ〜!」
 気持ちいい海!
「キュー、ジュー、ジューイチ、ジューニィ〜!」
 さわやかな風!!
 う〜〜ん!爽快!
 ボク―――弓内かのん―――は、萌ちゃんと一緒に海に向かって、朝の体操中!
 萌ちゃんっていっつも変なことばっかり言い出すけど、それに乗ってみるとすごい楽しかったりするから、不思議なんだよね!今日も、いきなりたたき起こされたかと思うと「朝のラジオ体操しよー!」って言われちゃった。でも体操してて思ったけど、ラジオないんだからラジオ体操じゃなくてただの体操だよね。
「……あの、数えすぎですよ。」
 後ろから掛かった声に、萌ちゃんとボクは一緒に振り向いた。
 そこには、のほほんと笑みを浮かべる楓ちゃんの姿。
 さっきはみんな寝てたから、多分楓ちゃんは三番目の早起き!
「あ〜そっか!イチ、ニー、サン、シー、ゴー、ロク、シチ、ハチ!…までかぁ。あははは!」
 萌ちゃんはいつでもハイテンション。今日もこんな朝から、弾けたように笑う。
「ね、楓ちゃんも一緒に体操しようよ!」
 とボクが言うと、楓ちゃんはにっこりと微笑んで、
「じゃあ、ご一緒します。」
 と言ってくれた。
 三人になったところで再び海に向かい、萌ちゃんの掛け声で、
「イチ、ニィ、サン、シィ〜!」
「―――元気いいなぁ。」
 あれ?
 またまた後ろから掛かった声に、三人で振り向く。
 そこに居たのは、菜の花ちゃんだった。
「良かったら菜の花さんもご一緒しませんか?」
 という楓ちゃんの言葉に、菜の花ちゃんは小さく笑って、
「私はか弱いので、見学してますねぇ☆」
 と言う。そっかぁ、残念だなぁ。見学じゃラジオ体操のハンコ貰えないのに!
 さて、改めて!
「ゴー、ロク、シチ、ハチ!」
 今度はボクの掛け声で、体操を再開する。
「楓ちゃん、もっと腰を曲げなきゃだめですよぉ〜。萌ちゃんはもっと手首のスナップ利かせて〜」
 そんな感じに後ろから菜の花ちゃんがバシバシ指摘してくれるおかげで、ボク達の朝の体操はとっても健康的だった。
 ―――数十分後。
「あ〜〜疲れたぁぁあ。」
「ボクも、もうだめ…。」
「朝の体操って、ハードなんですねぇ……。」
 三人で、息も切れ切れに砂浜に座り込む。
 そんなボクたちを菜の花ちゃんが覗き込み、
「あはは、そんなハードな準備体操、聞いたことないですよぉ。」
 と笑う。
「ハードにご指導下さったのはぁ…、はぁ、はぁぅ…、…菜の花さんじゃないですかぁ……。」
 と言う楓ちゃんの言葉に、ボクもコクコク頷いた。
「あは、そうでしたっけぇ。」
 と、小さく舌を出して笑う菜の花ちゃんに、ボクたちも一緒に笑った。
 菜の花ちゃんって不思議だなぁ。もう二十一歳なのに、すごく子供っぽいっていうか、大人って感じがしないんだよねぇ。こんなお姉さん見たことないや。
 ―――でも菜の花ちゃん、一人でいる時に、時々ふっと大人っぽい顔するんだよね。
 もしかして、この子供っぽい菜の花ちゃんって演技だったりして!?
 …あはは、そんなわけないか!





「彼氏いたの!?」
「―――なんでそんなにビックリするんですか。」
「…え?いやいや、ちょっと意外だったかな、とね。」
 海を眺めながら、あたし―――國府田花火―――は、リナと談笑していた。
 実はあれから色々歩いているうちに、野菜屋にも置いてそうなくらい「食べてオッケー」な感じのフルーツが生っている樹を発見し、おかげであたしたちは飢え死にする危機から免れたのだ。
 因みにそのフルーツを食べた後、ポケットに忍ばせていた例の黒い木の実を食べたところ、吐きそうなほど不味かった。やっぱ人間、身体のコンディションによって色々と変わってくるんだわねっ。
「どうせ昔の話ですけどね〜今は寂しくフリーです。」
 拗ねたように言うリナに、あたしは笑う。そうだよね、このくらいの年頃の子って、彼氏がやたら欲しくなるもんなのよね。
 あたしがリナくらいの年頃の時は―――
「ね、花火さ―――あ、いえ、國府田さんは、彼氏とかいないんですか?」
 失言を取り消すように少し慌てて言うリナに、あたしは小さく笑い、少し考えた。
 彼氏、か。
 ―――彼氏。
「…あたしは、いないわよ。」
「あ、やっぱり。」
 ……。
「……え?……やっぱりって何よ、やっぱりって。」
 あたしはワンテンポ遅れてリナの失礼な発言に気づき、その頬をつねってやった。
「ひ〜ん、いたひれす……。ごめんなはい〜!」
 そう言いつつも嬉しそうなリナに、あたしもつられて笑う。
「こう見えてもモテるんだから。…カッコイイ彼氏だっていたわよ。」
 ポツリと言って、ふと、口調が重たくなっていることに気づく。
「…別れ、ちゃったんですか?」
 リナは少し言い難そうに、小さく尋ねる。
 そんなリナに笑んで見せ、
「あたしが振ったのよっ。バカなやつだったから!」
 と明るく振舞った。
 そんなあたしにリナも安心したように微笑み、
「そうだったんですか。振れるなんて羨ましいな。私は前の彼氏、繋ぎとめるのにいっぱいいっぱいだったから。…結局振られちゃったんですけどね。」
 と、昔を懐かしむように言った。
 リナはそれも、「良い思い出」なんだろうな。
 …あたしはそっちの方が、羨ましい。
「ま、結局お互いフリーなんだし、こんな話しても寂しいだけでしょ。」
 あたしが言うと、リナは深々と頷いた。
「そうなんですよねぇ。あはは、でも花火さんの昔の話聞けて、良かったです。」
 …昔の話。
 昔の話、かな。
 まぁ、いいや。…こんなこと考えてると暗くなっちゃうね。
「……花火さん?」
 ふと見ると、リナは不思議そうにあたしを見つめている。
「何よ?」
 何が不思議なのかが不思議で、あたしは聞き返した。
「……花火さんって呼んじゃってもいいんですかっ!?」
「へ?」
 そう言われて初めて、先ほどからリナがあたしのことを花火さんとか呼んでることに気づく。
 花火さん♪などと嬉しそうに呟くリナの頭をガシッと掴んで、
「誰が呼んでいいっつったよ、誰が!」
 と厳しく言ってやった。
「ふぇ〜…。」
 残念そうにあたしを見上げるリナの顔に、あたしはふっと笑みを零す。
 リナも一緒に、嬉しそうに笑った。
 今はこうやって談笑したり出来るだけでも…良いこと、よね。





『え?芹華ってイイヤツだよぉ☆☆明るいし!!』
『芯のしっかりした女性。僕はそう見ているけど。』
『痴漢?あはは、そんなん信じてないよ。芹華がそんなことするわけないやん。』
 ――萌ちゃんも、遊夢さんも、唯奈さんも、みんな騙されているんだわ!
 どうしてみんな、彼女のことを信じるの?
 どうして私―――悠祈純―――の言うことは信じれくれないの?
 そんなに彼女は、素敵な女性なの……?
 ―――ううん、そんなわけない。
 初対面で抱きしめたり、触れるなって言ってるのに触れてきたり……
 あの後一切私に関わってこなかったことは、少し感心したけれど、でも――。
 やっぱり彼女がちやほやされているなんておかしい!
 こうなったら、私のこの手で、彼女の化けの皮を剥いでしまえばいいんだわ。
 そうよ。そうすれば、私のように傷つく女性も出ないのだから。
 みんなに彼女の本性を知らしめなくてはいけないわ…!





「…え?」
 あたし―――真宮寺芹華―――は、唯奈の言葉を聞き返していた。
「もう一遍しか言わんからよぉ聞きや!純さんが、森の中で待っとるから、会いに来いって芹華に伝えて欲しい…て言うてたんや。」
 ……ウソん。
 あの純さんが、あたしにそんなこと?
「本当の本当?何かの冗談じゃないよね?」
 一切関わるなと言ってきたのは彼女だ。
 だからその言葉に、「ハイそうですか」とは素直に言えなかった。
「ほんまやって!純さんもあれで優しいとこあるから、気ぃ回したんとちゃう?ほら、汚名挽回のチャンスやで!」
 唯奈のその言葉に、あたしは小さく頷いた。
 そっか――もしそうなら、これがラストチャンス、かも。
 なんとしてでも、汚名挽回しなければ…!!
「ありがと!行ってくる!」
 あたしはポンと唯奈の肩を叩き、森へと駆け出した。
 …ふと、森のどこか聞くのを忘れたことに気づく。
 ………ま、いっか。探そう。
 あたしは森の中を小走りで走りながら、今までの彼女の行動や言葉を思い出していた。
 そもそも、最初に出逢った時に誤解を招いてしまったのが悪かった。
 彼女はあの蛇の存在に全く気づいていないようだったし、説明しても言い訳だとしかとってくれなかった。表面上はみんなに明るく振舞いつつも、どうしようかと悩んでいた時。
 あの夜、純さんが一人焚き火の傍から離れ、森へ入っていくのが見えた。心配な気持ちもあったし、彼女ともう一度改めて話したいという気持ちもあり、あたしは彼女を追いかけた。
 森の中で彼女の姿を見つけた時、何故か、冷静でいられなくなった。月明かりに照らされた彼女の姿があまりに幻想的で、頭に血が上ったような、そんな感覚。
 けれど、そんな彼女から冷たい言葉を浴びせられ、さすがのあたしも痛かった。思わず、『話し掛けるなとは言われてないでしょ?』などと、キツめに反論してしまったのが悪かったかもしれない。それで火に油を注ぐ結果になってしまい、彼女は更に森の奥へ進んでいった。
 夜、一人で夜道を歩くのは危険すぎる。けれど、「話し掛けるな」と言われてしまっては、あたしも掛ける言葉を失った。無言で彼女を追いかけていると、自分がストーカーになったみたいで情けなかった。でも、なんとかして止めないと―――そう思った時、あたしは不意に思い出した。
 食べ物探しの時に見つけたのだが、森を真っ直ぐ進んだところに大き目の穴が開いていた。そこまで深い穴ではないが、気づかずに落ちれば怪我は避けられない。
 慌てて、あたしは彼女に駆け寄り、その腕に手を掛けてしまった。ただ、止めたかった、それだけで、他に何も考えずに。
 ―――そして、今に至る。
 あたしにも悪いところはあった。それは謝らなければならない。
 だけど、誤解だけは解きたい。少なくともあたしは初対面の相手を抱きしめるような痴漢ではないってことを。
 その時、視界に入った白い人影に、あたしは立ち止まった。
 樹に凭れ、俯いてじっと佇んでいる、女性。
「……見つけた。」
 一人、ポツリと呟く。
 そっか、ここ―――純さんと初めて出逢った、場所だ。
「純さん。」
 あたしがその名を呼ぶと、彼女は静かに振り向いた。
 その表情は今も、疑心に満ちた、険しい表情が浮かんでいた。
 でも、それで悲嘆に暮れている場合じゃないんだ。
 あたしは、誤解を解かなくちゃ。
「――よく、ここまで来れましたね。あと五分遅かったら、私、戻っているところでした。」
「純さんと、話がしたかったから。」
 あたしが彼女を見つめて言うと、彼女は首を横に振る。
「まだ何か話したいことがあるんですか?」
 と、冷たい言葉を投げかける。
 …彼女は、あたしに汚名挽回のチャンスをくれたんじゃ…ないの?
「お願い、聞いて。今までのことは誤解なの。あたしにも悪い部分はあった。それはごめん。謝る。でも――」
「ごめん?そんな薄っぺらな一言で済まされるとでも思っているんですか?誤解だなんて弁解、もう聞き飽きました。」
「違うの!本当に――!!」
 ……言いかけて、あたしは言葉を切った。
 言葉を失ったと言った方が正しい。
「…本当に、何ですか?」
 彼女は気づいていない。
 彼女を狙う、その鋭い眼光に。
 ―――また、誤解されるよ?
 一瞬脳裏に過ぎった言葉を、あたしは即座に打ち消した。
 誤解されても別に構わない。
 あたしは、彼女を守らなくちゃ――!!
「!」
 あたしは彼女に向けて駆け、警戒するように構える彼女の腕を強引に握って、ぐっと引き寄せ、そのまま地面に流した。
「きゃあ!」
 悲鳴と共に、彼女がドサリと地面に倒れ伏せる。
 これでいい。

 シャァアア!

 刹那、そんな鳴き声とも空気を切る音とも取れる、不快な音と共に――
「く…!」
 右の二の腕に、鋭い痛みが走った。
「――!? 芹華、さ…!!」
 驚いたように声を上げる彼女にも、目を遣れなかった。
 ズクン、と響くような痛みを堪え、あたしは左手で右腕に食い込む、その生き物を握り締めた。
 サラリとした手触りが気持ち悪い。強引にその生き物―――蛇を、地面に叩きつけ、足で踏みつける。
 靴越しに伝わる嫌な感覚。蛇の頭を踏みつけていた。その一撃で、蛇は命を落としたであろう。ピクリピクリと動いていたが、やがてその蛇は動きを停止した。見ると、あの時と同じまだら模様の毒々しい蛇。おそらく、ここはこの蛇の縄張りだったのだろう―――。
「だ、大丈夫ですか!?」
 不安げな表情であたしに駆け寄る純さんに、あたしは小さく笑んで見せた。
 ズクン。
 傷口が嫌な痛みを発しているけど、
「大、丈夫――純さんに怪我がなくて、良かった。」
 と、少し強気に言った。
「―――っ…」
 涙目になる純さんに、
「戻、ろう…。仲間がいたりしたら、厄介、だし…。」
 と小さく言い、あたしは歩き出した。
 純さんは言葉なく、心配そうな表情を浮かべ隣を歩く。
 腕が、やたらだるい。これは、少しヤバい、かな………?
「…芹華、さん。」
 不意に、純さんがポツリとあたしの名を呼んだ。
「なに?」
 じわりと汗が浮かぶが、あたしが気丈を装い、彼女を見る。
「―――もしかして、前の時も……あの蛇から、守ろうと、して――。」
 純さんは不安げな表情のまま俯き、微かに震える声で言う。
「…だから、誤解、って……言っ……。」
 あたしは笑みを作ろうとして、グラン…と、頭の中を揺り動かされたような感覚に言葉を切った。
 機械的に歩く足が、もつれる。
 すっと、腕から発する痛みが全身を侵すような感覚に、あたしはようやく、「少しヤバい」どころじゃないことに気づく。
 ドサリ。
 身体が地面に倒れこむ。
「芹華さん!?…芹華さんっ、大丈夫ですか!? ……だ、誰か、誰か来て…!!」
 ―――そんな純さんの声を聞きながら、あたしは意識を失った。





「打てるだけの手は打った。後は、自然治癒力に任せるしかない。蛇の毒が強力なものではなければ、問題はないと思うけど、今は何とも言えない。」
 遊夢さんの言葉を、遠くで聞いていた。
 私―――悠祈純―――は、成さんに抱きしめられ、泣きじゃくっていることしか出来なかった。
 私のせいで芹華さんは、あの蛇の毒に侵されてしまったのに。
 遊夢さんのように応急処置をすることも、晶さんのように彼女を担いで運ぶことも、何も出来なかった。不甲斐ない自分に、悲しくなる。
 それに―――誤解だった、なんて。
 どうして私は、彼女の言葉を信じることができなかったんだろう。
 彼女はいつも私を助けてくれて、それなのに私は一方的に彼女を毛嫌いして。
 彼女の気持ちを考えたら、どんなに悲しかったか、どんなに悔しかったか。
 嫌われるのは、私の方だったのに―――なのに彼女はいつも、誤解を解こうとしてくれた。
 私はあんなに酷いことを言ったのに、なのに彼女はまた助けてくれた。
「…っ、ヒッく、……ぅ、……!」
「純、まだ泣くべき時じゃないわ。…今は、芹華さんが目を覚ますことを祈りましょう。ね?」
 成さんの優しい言葉。
「でも、私、…私、芹華さんにひどいことを、してしまいました…。沢山、傷つけて、…それなのに、彼女は…。」
 自分が惨めで、情けなくて、どうすればいいかわからなかった。
 成さんは、そんな私の髪を優しく撫で、
「そう思っているなら、彼女が目を覚ました時に謝ればいいわ。…きっと許してくれる。」
 と、言ってくれた。
「許して、くれるでしょうか?…私、…」
 成さんを見上げると、あの温かくて優しい顔で、私に微笑みかけてくれた。
「きっと、許してくれるわ。」
 その言葉に、きっと確信なんてない。
 それでも、私はその言葉に救われた。
 お願いです。芹華さん。
 お願いだから、目を覚まして。
 謝らせて、下さい…。
 あなたを信じることが出来ず、散々傷つけてしまったこと。
 謝らせて下さい!
 お願い―――!!





「……あかん…。」
 うち―――如月唯奈―――は、この見知らぬ土地への恐怖を、今更んなって初めて感じた。
 ほんまに、今更やな。
 もっと前に気づいてれば、芹華がこんなことにならんでも済んだかもしれんのに…。
 燃え盛る焚き火を眺めながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
 今、芹華は、少し離れた所に作った焚き火の傍に寝かしとる。今付き添っとるのは、多分純さんだけやと思う。今、西野さんが様子見に行っとるけど。
 皆はそれぞれ、焚き火の傍に作った草のカーペット(がさがさして寝にくいだけや、っちゅー意見もあるけど)に、それぞれ身を横たえている。萌・かのん辺りは既に眠ってるみたいやけど、他の面々は空を見上げたり、充電の切れ掛かった(勿論圏外の)携帯をいじったりしとる。
 芹華のことがめっちゃ心配で、うちは眠る気にもなれず、焚き火の傍でぼんやりとしとるところ。
 その時だった。
「如月さん。そろそろ寝ないと、明日に響きますよ。」
 という声に顔を上げる。
 芹華の様子を見に行っとった西野さん。
「――芹華は、どんな具合やった?」
 彼女の言葉の前に、うちは何よりも気に掛かることを尋ねた。
「まだ目は覚ましませんが…体温も平熱ですし、大丈夫だと思います。」
「そっか…。」
 目を覚ますまでは何とも言えないとは言え、その言葉に安堵する。
「真宮寺さんのことは悠祈さんに任せて、私達は休みましょう。明日もこの地のことを調べたり、やることは沢山あります。」
 事務的な口調で言う西野さんに、少し複雑な気分。
 そりゃ、明日に響くのが良くないのはわかるんやけど―――。
「西野さん。一つ聞いてもええ?」
「…何ですか?」
 彼女は焚き火に木の枝をくべながら、チラリとうちを見遣る。
「なんでそんなに冷静なんや?明日のことを考えたりするのも大事やけど、ここは人情的に、芹華のこと心配するのが当然なんやないの?」
 そう言ってから、ちょっと刺々しかったかなと反省する。あかん。別に彼女を責めてるわけやない。ただ、気になっただけなんや。
 彼女はじっとうちを見つめ、ポツリと、
「……今は重要な時期だと思います。警戒は元より、入念な調査。でなければ――今回のように、危険な目を見る可能性も上がります。今一番重要なのは、死の回避ではありませんか?」
 …そう言った。
 ちょっとビックリした。確かに、彼女の言う通りではある。
 けど…だからと言って、納得できたわけでは、ない。
 彼女みたいに理論的な反論なんか、うちには無理や。ただうちの性分からして、黙って頷いたりは出来んかった。
「―――冷たい人やな。」
 うちがポツリと零したのは、そんな批判だった。
 菜花さんは、しばし押し黙った後、
「……すみません。」
 と小さく言い、静かに焚き火から離れていった。
 ―――え?
 彼女の後ろ姿を見ながら、内心、驚いていた。
 また何か難しい言葉を並べて来るのかと思っていた。
 けれど――彼女はたった一言。謝罪の言葉を述べただけだった。
 あ…、あかん―――。
 彼女を怒らせることは覚悟していた。
 けど…彼女を傷つけるなんて、思ってもみなかった。





 パチパチ。
 そんな微かな音に、ふっと…あたし―――真宮寺芹華―――は、目を覚ました。
 炎の揺らめき。それが焚き火の燃える音だと気づくまで、さして時間は掛からなかった。
 ぼんやりと、瞬く夜空を眺めてみる。
 どうやら随分長いこと眠っていたみたい。
 色んな夢を見た。昔の恋人から、弟の裕、最近辞めちゃったばかりのバイト先の人たち、あたしが独りぼっちな時もあったような気がする。―――それと、この異国の地で出会った女性達。
「…芹華さん…?」
 傍から聞こえた控えめな声に、あたしは少し驚いて顔を動かした。
「純さん…?」
 心配そうにあたしを見つめていたその女性は、あたしがその名を呼ぶと、ふっとやわらかい笑みを浮かべた。
 ―――これ、夢じゃない、よね…?
 彼女の笑顔があたしに向けられているなんて。
 あたしを見て、笑ってくれるなんて。
「良かった…。もう目覚めないんじゃないかって、私、すごく不安で…。…良かった…。」
 純さんはポツリポツリと言い、目の端を指で拭った。
 もしかして純さん、ずっとあたしの傍に居てくれたのかな?
 不安にさせてしまうくらい、ずっとあたしは、待たせてしまったのかな…?
「―――ありが、とう。心配かけて、ごめんね。」
 こんな純さんを見ているとあたしまで涙腺が緩んで来てしまいそうで。微かに声が震えたけど、あたしは言った。純さんは首を左右に振り、そっとあたしの手を、その両手で包んでくれた。
「謝らなければいけないのは私の方です。……勝手に誤解して、酷い言葉をあなたに浴びせて…本当に…本当にごめんなさい!!」
 と、純さんはあたしの手を握ったまま、深く頭を下げた。
 誤解、とけたんだ。
 …そっか…すごく嬉しい。
「本当に、なんと謝っていいのかわかりません…芹華さん、本当にごめんなさい…!」
 あたしはそんな純さんの手を握り返し、
「顔、上げて?…別に謝んなくていいんだよ。全然。」
 と、笑んで見せた。
 純さんはどこか不安げに、不思議そうな表情を浮かべる。
「あたしだって誤解を招くような原因だったわけだし…。」
「そんなことありません!…悪いのは、私で…。」
 そう嘆く純さんに、あたしはそっと手を伸ばした。
 白くてやわらかい頬に触れる。そうすることで彼女の頬が少し赤くなったような気がするし、あたし自身も思わず赤くなる。
「―――あたし、純さんのこと、好き、かもしれない。…だから、嫌われちゃうのは悲しかったけど、でも今、純さんがあたしに笑いかけてくれるだけで、十分嬉しいよ。」
 と、少し照れながら言う。
「…好き?…こんな私を?…私は、芹華さんに酷いことしか言っていないのに、どうして…?」
 頬を紅潮させながらも不思議そうに言う純さんに、あたしは照れ隠しのように笑いながら、
「だって…その、一目惚れ、だもん。」
 と、言った。
「え…!?」
 驚いた様子であたしを見つめる純さん。あたしは照れくさくなって、目線を外した。
 う。いきなりこんなこと言ったら、また変態扱いかな…?
 でも、これは事実、だと思う。
 初めて彼女を見た瞬間、なんて素敵な女性なんだろうって、見惚れたあたしが居た。
 どんなに酷いこと言われても、それでも… 彼女に好かれたいって、そうとしか考えられなかった。誤解、ちゃんと解いたら笑ってくれるかなって―――それだけ、だった。
 純さんが沈黙するのであたしも何だか気まずくて、未だに横になったまま、夜空なんか見上げていた。あぁ、どうしよ。ここでまた平手打ちでもくらったら、またふりだしに戻っちゃう―――
 なんて考えていた時、突然あたしの頬に純さんの手が触れて、一瞬焦った。
 けれど――。
「………。」
 ふわりと、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
 そして彼女のやわらかな唇が、あたしの唇に触れていた。
「…!」
 今度はあたしが驚く番だった。あたしはてっきり、「お友達でいましょう」とか、そういう文句を考えているんだとばかり思っていたから。
 純さんはそっと顔を離し、照れくさそうに微笑んだ。
「…まだ、気持ちの整理が出来ないの。誤解して、毛嫌いしてしまっていたこと。それが誤解だと知った時の自己嫌悪。あなたの笑顔。そして、好きだと言ってくれたこと…。」
 純さんは目を細めてあたしを見つめ、一言一言をゆっくりと紡いでいった。
「―――でもね、これだけは確かなの。今はあなたのこと、嫌いじゃない。…普通?それも違う。……それじゃあなぁに?って考えた時に、答えは一つしか残っていなかったわ。」
 彼女の言葉に、心底、ドキドキした。
 彼女が敬語じゃなく、優しい口調で語りかけてくれるからかもしれない。
 彼女の言う次の言葉に、期待しているからかもしれない。
 純さんが、ふっと笑顔を浮かべた瞬間、胸がいっぱいになった。
「好きよ。」
 ―――。
 『好き』。
 一目惚れは、単純に、親しくなりたかっただけだったのかもしれない。
 だけど今、あたしの目の前に居る女性。
 初めて彼女を見た時より、何百倍も魅力的だった。
 彼女の唇から紡がれる言葉に、彼女の笑顔に、
 あたしは本当に「恋」をした。
 彼女の頬に手をかけ、そっと引き寄せた。
 あのやわらかい唇にもう一度触れることが出来るのだと思うと、それだけで幸福感に包まれる。
 そして、唇同士が微かに触れ合った―――その時。

 ガサガサッッ!!

 突然聞こえた物音に、純さんは顔を上げ、あたしも驚いて上半身を起こした。
 草木が激しくこすれあう音。その音は、ここから5メートル程先の茂みから起こったものと考えてまず間違いなかった。
「だ…誰か居るの?」
 あたしは恐る恐る、そう声を掛けた。
 覗き趣味を持ってそうな子なんて居たっけ!?
 一体誰――――
「…失礼!」
 その茂みからひょこんと顔を出した女性―――。
「続けて続けて!」
 彼女は、またひょこんと、茂みに消えた。
 ……って言うか…、誰!?
 あたしは純さんと顔を見合わせる。純さんも呆気に取られたような表情をしている。
「花火さぁ〜ん!どこ行ったんですか〜!」
 その時、茂みより更に奥から聞こえたのは、若い女の子の声だった。
 花火…?
「だぁぁ!!その名前で呼ぶなっつってんでしょ!!しかも人前でー!!」
「え?…人前?」
 ザァッと音をたて、花火と呼ばれたその女性は再びその茂みから立ち上がった。
 二十代そこそこか、こざっぱりとしたお姉さん風である。
 そしてもう一人、ひょこんと茂みの向こうから顔を出した女の子。十代後半か、どこにでもいそうな黒髪の女の子だった。
「…わ!?人じゃないですかぁ!!」
 その少女はあたしたちを見て、驚いたように声を上げた。
 一番驚いてるのはあたしと純さんだということを忘れないで欲しい。
「あ、あの…、二人なの?」
 あたしはようやく、声を出した。
「そうです!そちらも二人なんですか?」
 と少女が言うので、あたしは首を横に振り、
「13人だよ。」
 と答える。少女は嬉しそうに手を合わせ、
「わ、団体さんなんですね!良かったら混ぜてくれませんか?」
 とニッコリ笑んだ。
 あたしは勿論頷き、
「オッケー。あたしは真宮寺芹華。宜しくね。」
 と自己紹介。続いて純さんも、
「悠祈純です。宜しくお願いします。」
 と丁寧に礼をした。
 続けて少女は、
「私は田中リナって言います。宜しくお願いします!」
 と、ペコリと礼をした。
 それは、いいとして………。
 先ほどから茂みに沈んでしまっている女性。姿は見えないが、たまに茂みがごそごそしてるので丸わかり。
「…えーと、花火、さん?」
 あたしがポツリと呼ぶと、
「こらー!!その名前で呼ぶんじゃないのー!!」
 と、元気良く立ち上がった。
 変な人…。
「あたしは國府田よ。こ・う・だ。いいわね!?」
 そう強調する國府田さんに、純さんはにっこり微笑んで、
「はい、花火さん。」
 と返した。
 純さんのこの発言が天然なのか故意なのかはわからないが、どちらにしても、かなりのつわものである。
 純さんのクリティカルヒットに、しばらくうなだれていた花火さんだが、ようやく復活した様子。
「はぁ…あたしの名前バラしたら、あんたらがラブラブしてたのもバラすわよ!」
 と強気に脅迫までしてくる始末。あたしはニヤリと笑って、
「いいもん、別に。公認カップル歓迎だもん。」
 と言ってやった。
 ……その時、花火さん…いや、國府田さんの眼が鋭く光ったような気がした。
「あたしの名前バラしたら、あんたらの身体、バラすわよ。」
 ……。
 ……。
 冗談に聞こえやしない。
 あたしや純さんや、リナちゃんまでもが押し黙る。
「はい、じゃああたしの名前呼んでみようか☆」
 明らかにトーンの違う声で言う國府田さんに、あたしたち三人は声を揃えて、
『國府田さん☆』
 と答えたのであった。
 な、なんて人だ……。





「あれ…、仲直りしたんですか?」
 私―――鳳凰寺楓―――は、芹華さんの膝枕で眠る純さんと、そんな純さんを優しく撫でる芹華さんの姿を見つけ、そう声を掛けた。
 今日の朝、目が覚めたら芹華さんは元気そうな笑顔で「おはよう。」と挨拶してくれて、嬉しかった。その時は、純さんの姿を見るよりも先に、新しくいらした國府田さんと田中さんに目を奪われてしまって、二人の仲を確認するまでは至らなかった。
「あ、楓ちゃん。…うん、見ての通り。」
 芹華さんは私の言葉に頷いて、その後照れるように「えへへ」と幸福そうな笑みを浮かべた。
 純さんは、芹華さんの膝枕で、とても安らかな寝息をたてていた。
「そうですか。良かったですね。」
 私は邪魔しちゃ悪いかなと察し、芹華さん達から少し離れたベンチ代わりの流木に腰を下ろした。
「楓ちゃん、調査とかいいの?」
 そう言う芹華さんの言葉に、私は微苦笑を浮かべ、
「はい…今日は少し体調が悪くて。私、少し身体が弱いものですから。」
 と答える。芹華さんは心配そうな顔で、
「そうなんだ?…無理しないようにね。」
 と仰ってくれた。私は素直にその心配に「はい。」と、一つ頷き返した。
 本当は、西野さんや遊夢さんが率先して行っている、この地域の調査に皆で出かけなくちゃいけなかったのだけど、長年こうして弱い身体で生きていると、朝の調子に寄ってその日どのくらいの行動が許されるか、わかってしまうのだ。今日は目が覚めた時から調子が芳しくなく、森を長く歩くことは無理だと思われた。
「私こんなだと、足手まといになっちゃいますよね。……もっと、しっかりしなくちゃって思っているんですけど、身体が言うことを聞いてくれなくて。」
 自らの不甲斐なさに少し落胆しながら、私は言った。でも、芹華さんは明るい調子で、
「大丈夫大丈夫!そんなのお互い様だよ。」
 と、言ってくれた。そう言ってもらえると、幾分気が休まる。
 芹華さんはふと、何かを思い出した様子で言葉を続けた。
「それに、ほら。ああいう、自覚症状すらない足手まといもいるくらいだから。」
 と、芹華さんが海を指差した。
 そこには――
「きゃはは!冷たいですよぉっ!」
「ほれほれ、Tシャツ透けるぞ〜。」
 と、海で…どう見ても遊んでいるようにしか見えない、田中さんと國府田さんの姿があった。
「あはは…。」
 私は、その姿に苦笑する。
 でも、あの二人も昨日までは二人きりで不安だったんだろうし、こうして安心できる大勢のグループに加わって、少しゆっくりするのも悪くはないのだろう。
 そんな情景を微笑ましく眺めていると、やがて二人は洋服をずぶ濡れにしてこちらへ戻ってきた。
「あ〜ん、芹華さぁん!國府田さんがいじめるんですよー!」
 田中さんは、黒いTシャツをぴたりと肌に吸い付かせていた。
 芹華さんは笑いながら、
「あはは、透けそうで透けない!白いTシャツだったら良かったのにね。」
 と言う。その言葉に田中さんはぷくっと頬を膨らませ、
「もぉ、芹華さんまでオヤジみたいなこと言わないで下さいぃ!」
 と言った。その姿に小さく笑う。
「はー遊んだぁ!……じゃなかった、海に関する調査はバッチリよ!」
 と言う國府田さんの言葉に、
「で?調査で何かわかったことあるのー?何もわかりませんでした、じゃ菜花さんに怒られるよ。」
 と、芹華さんが、たしなめるように言う。
 國府田さんは首を傾げて考え込んだ後、
「報告1.塩水はしょっぱいことが判明!」
 と、誰もが知っているようなことを堂々と言う。
「報告2.ここはナマコやら貝が結構いるわよ!」
 と、それは先日、遊夢さん達が取って来てくれたからわかっていたことだった。
「報告3.この海、クラゲがいないから遊びやすーい!」
 …あ、これは新発見?
 でも、遊びやすいって…そんなに遊んでる場合でもないような気がするけど。
 と私は考えていたのだが、芹華さんは、
「本当?そりゃいいや。じゃ、今度みんなで海水浴でもしよっか。」
 と、意外と乗り気だった。
 ――そっか。少しは遊び心も必要なんだ。うーん、お勉強になりました。
「あは、いいですね!是非やりましょう、海水浴!ね、楓さん!芹華さん!」
 田中さんは嬉しそうに笑って言う。
 芹華さんは小さく笑っていたが、ふいに、
「あ、そうそう。みんな、あたしに敬語使わなくていいよ?あたし、敬語苦手だしね。」
 と、話を逸らした。
 うーん、敬語、かぁ。
 私はどちらかと言うと、敬語を使わないほうが苦手…かな。
「うん、了解!じゃあ、芹華って呼ばせてもらうね。あたしもあんまり敬語好きじゃないし。」
 田中さんは、嬉しそうに言うと、ふっと私を見た。
「楓さんも、…えーと、楓って呼んでもいい?あたしのことも、普通にリナって呼んでもらっていいし、勿論タメ口OKだよ。」
「あ、はい、そう呼ぶのは構いませんけど…タメ口って、何ですか?」
 聞きなれぬ言葉にそう尋ねると、田中さん…いや、リナさんは少し笑って、
「そっか、知らないんだ。お嬢様なのかな。タメ口ってのは、敬語ナシってこと。」
 と教えてくれた。お嬢様――か。確かにその通りではある。
「うん…じゃあ、リナ、って…呼ばせて、もらおうかな。」
 少しぎこちないけど、私は言った。
 芹華さんとかは、まだ敬いの気持ちが捨てきれないけれど、リナさんは本当に自然に、友達になってくれそうな気がする。そんな期待を胸に秘めて。
「はぁ〜若い子はいいねぇ、新鮮で。あたしなんか、もう何年も敬語なんて使ってないわよぅ…。」
 國府田さんがしみじみと言うので、私達は笑った。
 でも、いいな、そういう人。
 私は家庭の中ですら敬語が必要だったから、そんな壁のない関係ばかり築ける人って、少し羨ましい。
 でも―――リナ、とは同世代だし…そんな関係、築けたら、いいな。





「まず、ここが島だということを前提にしようと思う。理由は簡単。あの客船が移動していた区域に、大陸は無い。そして、今回の調査でわかったこと。今駐留している区域から半径五キロほどは、人間の気配はないと思って良い。それから、人間が住んでいたと思われる痕跡も。」
 事務的に言い上げる遊夢の言葉に、「そっか…。」と、あたし―――真宮寺芹華―――は小さく返す。やっぱり、無人島だっていう可能性は高いみたい…だね。
「歩いた距離、方角などから換算し、この島の解った範囲での地図を書いてみる。」
 遊夢はそう言い、鞄の中からペンとメモを取り出し、何やら書き始めた。




「今までわかっていることと、ある程度の推測を含む周辺の地図。×印がこの場所。それから黒い丸で印したところには、どうやら食べても問題のなさそうなフルーツが実っていた。」
 と説明する遊夢の言葉に、リナがひょこんと顔を出す。
「あ、そこのフルーツのなってる所、あたしと國府田さんが通ったとこだよ。そのフルーツのおかげで飢えをしのいだんだもん。」
「…そう。知っているなら、もっと早く教えてほしかった。」
「あ、あはは、ごめんなさ〜い。」
 無表情に言う遊夢に、リナは両手を合わせて笑いながら謝る。
 あたしは地図を覗き込みながら、思索する。
 うーん、なるほどねぇ…。まだ、わかってることが少なすぎるかな。
「もう少し調査した方がいいかも、ね。」
 あたしが遊夢を見て言うと、遊夢は少し考え込んで、
「そう、確かに更なる調査は必要。だけど、他にもやらなければならないことは多い。ここは日本よりも温暖な地域とは言え、今は九月上旬。今後、温度が低下する可能性は高い。皆の薄着では、耐えられるかどうかもわからない。」
「そっか…でも、洋服買いましょうってわけにもいかないでしょ。そのへんはどう思う?」
 こういう時、遊夢って頼りになるなぁって思う。クールだけど、頭いいみたいだし、色んな事をてきぱきやってくれる。
「当面、温度が低くなるのは夜だけだと思う。その間寒さをしのげるところを見つけるか、作るかをする必要がある。今だって、こうやって草の上に眠るのは、危険を伴うこと。」
「…そう、なのよね。それは気になってた。でも、寝床になりそうな場所なんかある?」
 と遊夢に問うと、遊夢はゆっくりと辺りを見渡した。
「――ここには、大量の樹木がある。それに流木も。その木材を利用して、家…とまでは言わないけれど、風をしのげる程度の施設を作ることは可能。」
「作る、の?」
「そう。」
 コクンと遊夢が頷く。
 うーん…。となると、結構な力仕事かなぁ。
 力仕事と言えば…晶?晶は結構身体つきもいいし、力仕事は得意そうな気がする。
 勿論全員の力はあわせるとしても、力仕事に関する主任みたいなものがいると、作業効率もあがるかな、なんて思うし。
「―――わかった。そういう施設はあるに越したことはないしね。明日からは、調査組と安保組に分かれて行動するってのは、どう?」
 とあたしが言うと、遊夢は小さく頷いた。
「問題ない。今夜はもう陽も暮れたことだし、各自休息を取ること。明日までに、組み分けも考えておく。」
「うん、オッケ。宜しくね遊夢。頼りにしてるよ。」
 あたしがグッと親指を立てて言うと、遊夢は不思議そうな顔をしてあたしを見つけた。
 あれ…何か変なこと言っちゃったかな?
「どうしたの?」
 と遊夢に問うと、
「あ…いや。…頼りにしている、なんて、初めて言われたから…。」
 と、遊夢は少し照れたように俯き気味に言った。
「そうなの!?すっごい頼りになるのに。見る目ないなぁ。」
 意外な言葉にあたしがそう言うと、遊夢はそそくさと立ち上がり、
「……とにかく、真宮寺さんも、早く休んだ方がいい。」
 と言って、立ち去ろうとする。
 あたしはそんな遊夢の背中に、
「芹華、でいいからね。遊夢。」
 と言放つと、遊夢は少し沈黙した後、
「―――芹華。…了解。」
 と背中で答え、歩いていった。
 …うーん、不思議な子だなぁ、遊夢って。
 普通の十六歳とは思えない。無感情な子。
 ―――だけど、さっき少し照れるような様子を見せた時、思った。
 あの子は単純に、感情というものを、あんまり知らないだけなんじゃないかな、って。





「ねーさん!十五少女漂流記だよ!」
 ガンッ、と後頭部に鈍い痛みが走ったかと思うと、高らかな声で彼女は言った。
「―――はぁ?」
 どうやら頭を殴られたらしきことと、その発言に、あたし―――國府田花火―――は怪訝に聞き返す。やたら笑顔で、嬉しそうにあたしの隣に座り込んだ少女――芹華に。
 文句の一つでも言おうかと思ったが、芹華の笑顔を見ているとそれもついつい引っ込んでしまう。天真爛漫というか自由奔放というか…変な子よね、芹華って。
 あたしは皆の輪から少し離れて、何気なく海など眺めてセンチメンタルしていた所だったのに、芹華の出現に雰囲気ぶち壊しだ。―――ま、内心は誰か来ないかなって期待してたのも事実だけど、ね。
「十五少女漂流記、って?」
 あたしが尋ねると、芹華は嬉しそうに笑んで、
「だってほら、今、十五人じゃない?小説であったじゃん、十五少年漂流記。それに対抗したわけ。なんか良くない!?」
「あぁ、そういうことね。……それは、あたしや成さんも含めて“少女”なワケ?」
 とあたしが問うと、芹華は「うっ」と頭を抱えた。
「悩むなよっ。」
 ビシッとつっこむと、芹華は顔を上げてニハハと笑った。
 そして、ふっと目を細め、芹華は海を見遣った。
「あの少年達はさ、オロオロして、真剣な感じで悩んで、―――そういうのも、緊張感あってダメだとは言わないんだけどね?あたしはもっと明るくハッピーに行きたいの。」
 芹華は薄い笑みを浮かべて海を眺めながら、そう言う。
「女は、男よりも強いって知ってる?」
 不意に芹華はあたしを見遣り、言った。
「…まぁ、そうだろうね。男なんてひ弱よね。」
 などとあたしは口走り、ふっとある男の顔が過ぎった。
「―――本当、ひ弱。」
 ポツリと繰り返す。
 そんなあたしの様子には気づかず、芹華は明るく言った。
「でしょ?女は、このくらいのことでオロオロしたりしないの!明るく元気にやってけば、きっとなんとかなるんだよ。ね?そうでしょ?」
 と同意を求めてくる芹華に、あたしは少し笑って頷いた。
「そうそう。難しく考えるのはあたしの性じゃないし、ね。水と食べ物があるんだから、生きていける!」
「おうよ!」
 あたしのガッツポーズに、芹華もガッツポーズを返した。
 そして、二人で顔を見合わせ笑う。
「あたしはね、東京で過ごしてた時よりも、今の方がずっと毎日充実してて、ワクワクしてる。純さんも居てくれるし、こんな素敵な女性達に囲まれてるし!」
「はは、ワクワクしてるのはいいんだけど、素敵な女性達ってのはノーコメント。」
「え!?なんでよぅっ!?」
 ぷくっと頬を膨らませる芹華。そんな芹華の頬を軽く小突いて、
「あんたって本当、セクシュアルにオープンっていうかなんて言うか…。」
 と呆れ気味に言うと、芹華はクスクスと笑う。
「まぁねぇ。でもあたし、友達少ないんだよ。ゴーイングマイウェイ過ぎて。」
「あーそれはわかる気ぃする。」
「でしょ。…会いたいって思った時に会ったり、キスしたいって思った時にキスしたりしたい人なの。でも、そういうの、結構ウザい、かな?」
 笑顔ながらも少々心配気味に言う芹華を、あたしはじっと見つめ、
「―――いいんじゃない?そりゃ人それぞれだけど。あたしはそういうの嫌いじゃないかな。…あたしも結構我が侭なとこあるしね。テンション高すぎ、って、友達に怒られたことあるもん。」
 と答えた。この子のこと見てると、多少の我が侭は許してやろうって気分になる。
「あははは!花火さんらしいなぁ。」
 と笑う芹華に、あたしはヘッドロックを掛けてやった。
「…うぅ〜何するのよぅ〜〜。」
 と文句をたれる芹華。
 …ヘッドロックを掛けたのはいいけど、その後に言葉が続かなかった。
 あたしは腕の力を少し緩め、芹華の頭を抱えたまま、海を眺めていた。
「ねーさん?」
 不思議そうに言う芹華に、あたしは小さく、
「―――面白いやつ。」
 と零して、ヘッドロックを解いた。
「…? ねーさんも面白いやつ。」
 きょとんとしながらも、芹華はそう返す。
 そんな芹華に、少し笑って、あたしは立ち上がった。
 ―――なんだか不意に、複雑な感情に襲われて。
 あたしは海辺へと歩み寄り、しゃがみこんで海水を掬った。
 さらりと、手の中から流れ落ちる、水。
「……芹華、純のところ、行ってあげたら?寂しがってるんじゃない?」
 あたしは顔だけ振り向いて、小さく笑んで言った。
 芹華は小さく笑み返し、
「そだね。お気遣いサンキュ。…じゃ、ラブラブしてくるよ!」
 と、手を振って駆けて行った。
 そんな芹華の後姿を眺めながら、あたしは小さく唇を噛む。
 あんな、子。普通に可愛いって言えたら、どんなに楽だろう。
 嫌いじゃないなんて回りくどい言い方せずに、好きだって言えたら。
 ……別に、全然変な意味じゃない。あの子に純がいるのはわかってる。むしろ初対面が二人のラブシーンだったくらいだし。
 ただ、単純に、あの子の言葉とか、笑顔とか、そういうのいいなって思う。
 でも――それすらも、あの人は許してくれない。
「…いつまで、あたしを縛り続けるのよ。……潤也。」
 ポツリと零す。
 波音に混じって、海水に、一滴の涙が落ちた。















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