セナちゃん。 そこにいるの? ねぇ、覚えてる? セナちゃん。 私のこと、覚えてる? がばっ、と上半身を起こした。 安物の硬いベッドがギシッと音を立てる。 額に汗。 窓からカーテン越しに差し込む薄い光り。 「……ありゃ?」 あたしは辺りを見回した。 「…ここはどこだ……」 なんて意味もなく呟いてみる。いや、良く見知った光景であるよ。あたしが住み着くボロ屋の中。相変わらずに全てがボロい。 「……はぅ…」 額の汗が渇き、冷えてくる。それを手の甲で拭って、あたしは伸びをした。 ―――低血圧。 ふらつきながら、冷蔵庫の飲水を取り出し小さい鍋に注ぐ。ちゃぷちゃぷ、と注がれていく水を何気なしに眺める。そして水を入れた小鍋を、キッチンのガスボンベにかけて火をつける。 「……ふーぅ…。」 朝っぱらからため息ついてるあたし。もう二回目だよ。 …夢のせいだ。 最近、しょっちゅうあんな夢を見る。 ……『セナちゃん』。 紛れもないあたしの名前。セナ。 それを連呼する。女性の声。 『私のこと、覚えてる?』 ……覚えてるよ。 忘れもしない。忘れるわけがない。 あたしの恩師であり、憧れの人でもあり、先生でもあり、姉でもあり、大好きな人でもあり。 彼女の名は杏子(キョウコ)と言った。 あたしの恩師であり憧が以下略のその人は、 生きてるか死んでるかさえも判らない。 ……。 突然ですが、現在のあたしの年齢、十七歳。 本当は保護者とか必要な年齢なんだけど、今は適当にはぐらかしてる。 ていうか役所はイイカゲンなので別に何も言ってこないし。 そんなあたしでも、一応、ちゃんと保護下に置かれてる時期があった。エライでしょ。 十五歳のクリスマスイブでした。 …おっと。 グラグラゴボゴボ。 鍋の中で煮えたぎるお湯。 ガスボンベを切って、お湯をマグカップにいれる。 インスタントコーヒー。 お徳用200グラム入りのを、ビンのままザッザッと適量、マグカップのお湯に放り込む。 スプーンは使わないの?とか疑問を抱いた人、寧ろ「何故スプーンを使うの?」と問いたい。面倒くさいじゃん。 砂糖は、ラーメン屋の出前でパクッたレンゲで適当にざぁっと入れる。 で、そのレンゲで混ぜる。 ―――うん。 心地よいコーヒーの香り…とはいかない。インスタントだもの。 あたしはコーヒーを持って、途中棚の上に置いてあったコンビニおにぎり(※賞味期限は一昨日)を手にし、部屋の真ん中にどかっと置いてあるソファに腰掛けた。 サイドテーブルにコーヒーとおにぎりを置いて、テレビのスイッチをつける。 このご時世、放映してるのはNHKオンリー。 大した内容でもないニュースを眺めつつ、先ほどの考え事の続きと参りましょう。 十五歳のクリスマスイブでした。 『き〜ぃよ〜し〜、こ〜のよぉる〜〜〜〜』 なんて合唱してた時代があったんだよねぇ。 あたしはその時、施設に保護されていた。 当時も今も不思議に思うのが、その施設の許容年齢。 あんまりチビっこい子はいなくて、あたしより下でも13歳くらい? そんな、にぎやかな…まるで中学や高校の合宿がずぅっと続いているような感じだった。 そこの責任者として働いていたのが杏子さん。 彼女は女らしい人なんだけどサクサクしてて、ちょっぴり厳しくて、でも可愛くて優しい人。 年齢は、あの頃25くらいだったから、今は27か28。 結婚してるワケでもなければ、候補になりそうな男性もいなかったっぽい。 あたしたちのことより、もっと他にすることあるでしょ〜、とか心配しちゃってたよ。 そんなあたしたちの施設では、すごく特徴的なことがあった。 『箱庭』と言う不思議なモノ。 あれは遊びとも違うし、カウンセリングでよくある箱庭ともまた違う。勉強かな? 四角の箱の中は海の青。 その中に、土や砂を敷いて島にしていくのだ。 といっても手を砂や土で汚すわけではない。コンピューター制御で、コマンド入力みたいな。 どこに森や農場を配置して、町をどのへんに作るか、とかね。 今でもあれはよくわかんなかったけど、面白かった。 ……さて、平和なことばっかり思い出しても仕方ないね。 平和で楽しかった施設の、終わりを告げるサンタの足音。 イブのあの夜…――施設が燃えた。 火事。 あたしは部屋でうとうとしていた。 妙に焦げ臭い。 ぱちぱち、変な音。 低血圧にも関わらず、やっぱり危険を察したのかもしれない。 起き上がって、部屋のドアを開けようとした。 でも開かなかった。 おかしい!って思いながら、ドアを懸命に引いていた。 すると次の瞬間、バキバキ!っていう音と一緒に、ドアの一部が崩れて落ちた。 その隙間からは、赤い炎が激しく燃えていた。 ドアの隙間から乾いた空気を見つけた炎は、あたしの部屋に進入してくる。ヤバイ! あたしは窓を開け、下を見た。 二階。下には木が数本。 後ろからは炎が迫る。 あたしは外出する際にいつも持っていくバッグ(必需品等が入っていた)を持って、 窓から身を投げた。 少しは躊躇すれば良かった!ってくらい身体中に痛みが走ったけど…幸い、酷い怪我はなかった。 あたしは施設の正面に回り、…そして、事の重大さに気づいた。 施設の全体が真赤に染まっていた。 完全に、炎に包まれていた。 消防車は、それからかなりの時間が経った頃、やってきた。 数人の仲間に会って無事を喜び合った。 しかし多数の仲間とは、会うことはなかった。 警察があたしたちに、パトカーに乗るように促した。 保護する、と言っていた。あの時、素直にパトカーに乗ればどうなっていたのか…。 そう、あたしはあの時パトカーに背を向け、駆け出していた。 『セナちゃん!』 仲間があたしを呼ぶ声。 それでもあたしは止まらなかった。 あたしは全ての現実から、逃げ出したかったのかもしれない。 あたしは走り、更に電車に乗って、遠くへ来た。 荒れ果てた世界だけど、その中でも都心と呼ばれる場所。 人々が隠れ住む街に、あたしも潜り込んだ。 新しい仲間を見つけた。 そして今、ここにいる。 ………。 コーヒーは空っぽになっていた。 おにぎりを頬張り、テレビを消す。 そろそろ行こう。 みんなのところへ。 「こんにちは〜ALL!」 あたしがそう言ってシバッと手を挙げると、たむろっている面々があたしに注目する。 街角にある昔の公共ホールみたいな所。今は廃ビルになってて、その玄関の部分を仲間達で改造して集まり場みたいにしてある。 「おぅ。来たな寝坊セナ!」 階段に座って雑談でもしていたらしき三十幾つの不精髭なおっちゃんがあたしに声をかける。 「寝坊セナって。Kooサン、それはないんでない〜?まだ12時じゃん♪」 ちょっとブリッコで音符マークなんて付けてみる。 「寝坊じゃん♪」 音符返しを放ってきたのは、階段に(Kooサンより数段上の所に)座っているリイシューくん。髪長くてボチボチかっこいいんだけど、性格には首を傾げる。 「うるさいよそこの少年っ。」 あたしはリイシューにビシッと指を突きつけて言った。 「セナちゃんー飯食うかー?」 「食うー。今日は何があるの?」 と、でっかいコンビニ袋を持ったおっちゃん、ナコ氏に近づく。 「いつものことだけど、大したもん残ってねーぞ。」 「なんでよぅー、いいの残しといてよね?」 「イイもん食いたいなら早起きしろ!」 「はいはぃ…」 ガサゴソ。 コンビニ袋の中には、いくつかのおにぎりとパン。 これ、コンビニを経営してるナコ氏のさしいれ。 もちろん全て賞味期限切れだけど。 「セナちゃん、いいのあったか?」 という、ナニか意味深なナコ氏の言葉。 あたしはすぐに、その意図を理解した。 「……カニですか。」 おにぎりの中で、魅力的な赤いパッケージ。 鮭!…と思ったら……。 「グルメセナのために残しといたぞ。」 Kooさんがニヤリと笑う。 くっそー。 「あたしはユキコちゃんの二の舞にはなりませんよーっだ!」 数日前、このカニを食した一人の少女がいた。 その子、只今自宅療養中。 ………このカニはひっどいぞー。 「今日も昆布かぁ…。」 あたしは小さくぼやき、The余りモンって感じの昆布おにぎり二つを手中に収めたのだった。 のんびり、ぼんやり、日々は過ぎていく。 ……こんな日常でも、別にいっかぁって思ってた。 でも…、…あたしは気づいてなかったんだ。 いつもの日々ってもんが、どんなに尊いか。 いつもの仲間ってもんが、どんなに脆いか。 そして、自分が犯した罪を。 今日もいつもの一日が始まるんだろうなって思った。 まさかあんなことになるなんて、思いもしなかった。 「ねぇ、最近警察多くない?」 葵が、誰ともなしに話しかけた。背が高くてスラリとしてて、ボーイッシュな風貌。でも列記とした女の子。彼女が、ホールの窓から外を眺めながら言った。 「この辺も治安悪くなったもんなぁ。昔は良かったよぅ。」 Kooさんがシミジミと言う。 「……や…、それにしても多すぎない?」 葵の不安げな言葉に、少し張りつめた空気が漂う。 ここにいる仲間達は、故郷を捨てたり何かからに逃げて来た人間が多い。それ故、警察にはお世話になりたくないのだ。 あたしやリイシューの場合、警察に捕まると年齢的な問題で強制的にどこかの保護下に置かれることになるだろう。…そんなの絶対にイヤ。 ドンドン! ……荒々しいノックの音。仲間達の誰かじゃないのは明らかだった。あたしたちはお互いに見交わし、そして扉に注目する。 こういう外部との接触の時は、元々この地で生まれ育ったKooサンに一任する。 「隠れてろ。」 Kooさんはあたしたちに小声で言い、扉に向かった。 今日来てるメンバーはKooさん含めて6人。 あたし、リイシュー、葵、カシスさん、シンさん。 5人は、少し奥の所から玄関の様子を探る。 ギィィ。 扉が開く音、そしてすぐに来客の声。 「警察だ。聞きたい事がある。」 威圧的な態度。あれが嫌い。 「答えられることなら。」 Kooさんの声。 …心臓がドキドキしてる。 「ここに、セナという少女がいるだろう。」 「セナ?」 …あたし…?―――あたしに用なの? 「しらばっくれても無駄だぞ。」 「別にしらばっくれてるわけじゃない。確かにセナはよくここに来るが…今日は来てない。」 「本当か?嘘だったら承知せんぞ。」 「本当だ。…それより、セナが何かしたのか?」 「ああ。二年前だがな。」 二年前…?………それって……? 「特別保護施設、放火の疑いで逮捕状が出ている。」 ―――!! 「…逮捕状だと?…セナが…放火…?」 四人は、あたしに注目した。 あたしは首を横に振った。 違う…、…あたしはそんなことしてない…! 「…セナ、逃げろ。」 そう囁いたのは、リイシューだった。 「…あ…、…」 「早く!」 今まで見たことないようなリイシューの姿。 彼はあたしの手を取り、裏口へ引っ張って行こうとする。 「セナ、気をつけて。」 「セナちゃん、無事でいてね…」 「お帰りをお待ちしています…」 葵、カシスさん、シンさんが口々にあたしに言う。 その時、玄関の方から聞こえた声に皆が振り向いた。 「警察の邪魔をする者は逮捕するぞ!」 「うるせぇよ!セナはいないっつってんだろ!!」 Kooさんと警察の言い争いは、今にも暴力に発展しそうな勢いだった。 「…早く!」 リイシューに手を引かれ、ホールの裏口に来た。 しかし…! 磨硝子の窓から見える赤い光。 裏口にも、パトカーが止まってる。 っ〜!どうすれば…! 「…俺が囮になる。奴らが怯んだ所で行け!」 リイシューは小声で言った。 そして、あたしがその言葉に驚いている暇もなく、無造作に立て掛けてあった鉄パイプを手にし、扉を開けて外へと駆け出した。 「なんだ、おまえ?…もしかしてセナの仲間か?」 「そうだよ。だからなんだ?」 「セナは中にいるんだな?」 「…どうだかね。」 「しらばっくれるなよ。正直に言わないと酷い事になるぞ?」 「それって脅迫だよ?警察がそんなこと言っていいの?」 「…ガキが。」 「………警察がえばってんじゃねええぇぇっ!!!!」 「!」 ………リイシュー…、…あんた、本当にバカだよ…。 なんであたしの為にそんなことまでするの…? 「セナ!今だ!」 リイシューの声。…あたしは外へ飛び出した。 辺りは倒れ伏した警察が数人。出血もしてる。 「あれがセナか!捕まえろ!!」 まだ残っていた警察があたしを見て言う。 「逃げろ、セナ!」 リイシューがその警察に殴りかかる。 あたしは…、あたしは不思議で仕方なかった。 「…なんでそこまでするのよ……!!!」 疑問をぶっつけて、あたしはリイシューに背を向け走り出した。 少し走った所で、…リイシューの声が聞こえた。 「俺は…、…セナが好きだ!!…だから…っ…」 ―――…。 ………あたしは少しだけ、足を止めた。 振り向こうかと迷った。 でも―― 「……生き残れぇぇぇぇぇぇぇぇええっっっ!!!!!」 リイシューの叫びで、ふっきれた。 もうここに戻ってくることはないのかもしれない。 でも…それが運命なんだ。 さよなら、仲間たち。 ウゥゥゥゥ…! パトカーのサイレンが響く。 あたしは細道に入り込んだ。じめじめしてて、喉に張り付くような気分の悪い空気。異臭が鼻をつく。 細道をしばし進むと、車道に出る。 この道をまっすぐ行くと、市街地に出る。 まぁ市街地って言った所で、この廃頽した状態の市街地なんて知れてるけど。 きっと殆どの商店が閉まってて、人っ子一人いないんだ。 ―――とにかく今は、あたしたちの集会所から遠ざかることが先決。 ピリリリリ ピリリリリ ふと、ポケットに入っていた通信機が着信を知らせる音を発した。あたしはきょろきょろと辺りを見回し、物陰に入って通信機を取り出す。 『着信中・ミサト』 …の文字。 あたしはすぐに「着信」のボタンを押した。 『セナさん?大丈夫?』 ザザ、と雑音が微かに混じる向こうで、聞き慣れた声がする。 「…なんとか。」 『ビックリしましたよっ、大変な事になっちゃってますね!』 「そう…あたしに逮捕状が来るなんて思わないし…、それに、みんなあたしをかばってくれて…だから…」 『まぁ、皆無事みたいだし、そのへんは心配いらないと思いますよ〜。問題はセナさんにあり、みたいなっ』 ミサトさんの声は、いつもとなんら変わらない。全然、重大な事話してるって感じがないの。変なの。それが…妙に嬉しかったりするんだけどね。 「うん…とにかく、ホールからなるべく遠くに行って…」 あたしが思案しながら言ってると、突然エンジンの音が近づいてきた。ヤバッ……、…あたしは身を潜める。 なのに、そのエンジン音はあたしのすぐそばで止まった。 うそうそうそっ……かなりピンチ…。 あたしはその場にうずくまって、神に祈った。 ポン。 肩を叩かれて、あたしはビクリと身を震わせる。 もうダメだっ…。 「セナさん、私ですけど…」 ………。 「………はぁ!!!?」 聞き覚えのありすぎる声に、あたしは大げさに振り向いた。 そこにいたのは、たった今まで通信を行なっていたミサトさんだった。 「バイクで送って行こうと思って。」 彼女はにはは〜と微笑んだ。 肩までの茶髪に、薄い唇、優しげな瞳。とびっきりの美人というわけではないけど、とても親しみの持てる人。 あたしは彼女の笑みに安堵し、それと同時に不安感が襲ってきた。もしミサトさんじゃなくて警察だったら、あたし、今頃は……。そう思うとすごく心細くて思わずミサトさんに抱きついた。 「にゅぉ、どうしたんですか?萌えぇ」 「萌えじゃないよ…、全くっ……!」 ミサトさんが優しく髪を撫でてくれる。 こんなの初めてだ。こんなの……。 …………、 あたしはそっとミサトさんから身を離し、小さく笑んだ。 「いきなりゴメンなさいっ。」 「いえっ、全然オッケーですよ。役得♪」 「役得て…」 あたしたちは顔を見合わせて笑った。 「…それじゃ、送って行きます。乗った乗ったっ♪」 ミサトさんは止めてあった原付に乗り込み、後ろをポンポンと叩いた。あたしはよっこらせっとそれを跨ぐ。 「しっかり掴まっててくださいね〜」 「うぃっ」 あたしはミサトさんのお腹に手を回し、ぎゅむーと抱きついた。…あ〜ぬくい。 「では出発!」 ミサトさんのかけ声と共にバイクのエンジン音が響き、間もなくして動き出した。段々加速していく。風を切る感覚が心地よい。 5分程走った頃、正面にアーケードが見えてきた。 「どうします?どこで降ろしたらいいでしょうか?駅?」 「うん…、とりあえず駅か…」 そんな話しをしながら、アーケードの手前を右に曲がろうとした時だった。 パァン! その音が何の音だったのか、あたしにはよくわからなかった。 「!」 ミサトさんが慌ててブレーキを切るが、その行為は無駄に終わった。グラリとバイクのバランスが崩れ、斜めになったまま滑るようにして歩道に乗り上げる。 ガシャン!!! バイクの破損は間違いないだろう。 あたしとミサトさんは歩道のタイルに投げ出された。 「っ…」 足や腕に擦り傷を負ったみたいだけど、そんなに酷い怪我はしなかったみたいだった。それよりも… 「ミサトさん!」 あたしは歩道に倒れたままの彼女に駆け寄った。足がバイクに挟まれてる。……血も出てるみたいだった。 「っ…、…セナさん、逃げて……」 「何言ってるの?ミサトさんを置いて逃げれるわけないよ!」 「殺されるよ…!」 ミサトさんがそう言った直後、すぐそばのタイル面が黒い銃弾を弾いた。あたしは慌て辺りを見渡す。 100メートルほど離れた所に、警察型ロボットの姿があった。…銃を構えている。…本気なの…!!? 「早く逃げなさい!!」 ミサトさんは強く言った。おそらく、渾身の力で。 「………お願いだから…無事でいて……」 あたしはそう呟きながら、静かに立ち上がった。 「セナさんもね…」 ミサトさんの言葉を背中で聞きながら、あたしは駆け出した。 ロボットがいるのが駅の方だったので、あたしはアーケードを通って逃げることにした。 ガランとしたアーケード…かなり久々に来たけど、以前は人がいた。…でも今は…誰一人いない。 いるのは… キューン キューン… 無様な機械音をたてるロボットだ。 正面にいるロボットは、先ほどの奴とは違い拳銃は持っていない。しかし拳銃のあるなしに関わらず、こいつらは強い。 あたしは正面に構えるロボットに向かって駆け出した。リスクは大きかったが、これしか思いつかなかった。 ロボットは重そうな両手を掲げた。 「せえぇいっ!」 あたしはタックルをかますように、足から奴に蹴りかかった………わけではなく、やつの蟹股の間を擦り抜けた。 「っ!」 多少体勢を崩しながらも、なんとか立ち上がって更に奥へ駆ける。奥へ…奥へ! やがてアーケードの終わりが近づいた時だった。 「!」 正面に多数の警察官の姿。 「セナだ!捕まえろ!」 当然捕まるわけにはいかない! アーケードの店舗と店舗の間にある細い路地に入り込み、走る。がたいの良い警察よりは、あたしの方が有利に進める。 路地を出ると、少し広めの車道に出た。車は通っていないので、サクサクとその車道を渡り、またマイナーっぽい細道に入り込む。 「こっちだ!」 警察は尚も追ってくる。あーっもうしつこい! タッ! 曲り角を曲がったら、突然人影があって驚いた。 角を曲がってちょっと奥にある民家。 その玄関の所に、一人の人物が…… 「……セナちゃん…?」 「……うそ…、コウマ…!?」 …あたしは、その人物を知っていた。 ここ最近は思い出したこともなかったっけ。 でも、記憶に染みついてる人物。 ………それよりも! 「かくまって!」 「え?」 「お願いっ」 云いながら、あたしはコウマを家の中に押し込み自分も入り込んだ。 「何…?どういうことなの?」 コウマ…、幼さの残る女のコ。 あたしのおさななじみっていうか、悪友というか。 一応同じ歳なのに、絶対あたしの方が上に見える。 「コウマの家に来たのも久々だなぁ…。こんなところにあったんだっけ。」 あたしは自分の靴を持って、勝手にコウマの部屋に入る。 そう言えば、あの施設から電車に乗って逃げてきた時、あたしがこの街を選んだのってコウマがいるからっていうのも少なからずあったんだよね。すっかり忘れてた。 「ちょ、ちょっとぉ、部屋に入る分はかまわないけど、事情を説明して欲しいな〜なんて……」 コウマの部屋は殺風景で、物が少ない。 でも狭い部屋だから、広く見えたりはしない。 小さな机の上に剃刀と包帯が置いてあった。 「……まだリスカとかやってんの?」 「え…、…あ、…時々……」 「ふぅん…。」 あたしはいらない雑誌をもらってその上に靴を乗っけると、冷たいフローリングの床に座り込んだ。 「…セナちゃん…」 コウマの困惑した表情。あたしはクスクスと笑う。 「わかってるって、説明するよ。」 あたしは足を組み直し、施設のこと、この町での仲間たちのこと、警察のこと、逃亡のこと、ミサトさんのことなどを話した。 話しを聞き終えたコウマは、なんとも云えない表情であたしを見ている。 「だからかくまって欲しい、ってわけよ。」 「そ、そっか…。………セナちゃん、色々大変みたいだね…。これからどうするの?」 「…これから…、……どうしよっかな…って…。」 あたしは小さく肩を竦め、苦笑した。 そんな、あたしに―― 「……そんなんじゃだめだよ!セナちゃんらしくない!」 いっつも静かなコウマが、珍しく口調を荒げて言った。 正直、驚いた。 ―――そうか、この子。 たまに、とても強い目をする子だったんだ。 だからあたし、好き、だった―――。 「あたしらしくない?…そっかな?」 「無実ならそう言えばいいのに。」 「―――無実?」 コウマがさらっと零した言葉に、あたしは考え込んだ。 ―――確かにあたしは無実だ。でも、疑われてる。 何で?それは…、逃げたから。なぜ逃げたかって言うと…、…失ったものを見たくなかったから。あれからどうなったか…知りたくなかったから。 でも、あたしはずっと気にしてた。 『私のこと、覚えてる?』 杏子さんの事…誰よりも想ってたのは、あたしだよ。だから怖かった。だから知りたくなかった。 あの業火。あの恐怖。燃え上がる施設。 彼女の死を受け入れる勇気が、あの時のあたしは持てなかった。 でも、逃げるのって良くなかったんだね。あたしは…弱虫だった。 ―――今、向かい合わなきゃいけない時なんだ。 警察に行って、無実を証明しなきゃいけないんだ! 「……コウマ。」 ずっと黙っていたあたしは、口を開いた。 …今、誰よりも感謝している人の名を。 「なぁに…?」 コウマはきょとんとあたしを見る。 丸くて大きな目が揺れている。 「ありがと。」 小さく呟き、あたしは素早くコウマの唇を奪った。 「…!」 ほんの一瞬だけの、フレンチキス。 感謝の気持ち。 「あたし、行ってくる。無実を証明してくるから。」 そう言うと、コウマは嬉しそうに微笑んだ。 「それでこそセナちゃんだね。…頑張って。」 あたしはコウマの部屋の窓を静かに開き、靴を履いて外に降り立った。 「グットラック〜ッ!」 コウマの声を背に聞き、振り向くことなく手を振る。 そして走り出す。 細道を出て右側に曲がる。上り坂になった歩道を駆ける。 「いたぞ!セナだ!」 後ろからそんな声が聞こえ、あたしはスピードを上げた。 やがて見えてきた、高層ビル。この町の核となるビルである。高さは50階建てだったろうか。このビルの中には警察署も入っているのだ。 ビルの表にいる警備員はあたしを見て目を丸くした。 「……ま、待ちなさい!」 「やなこった!」 あたしは言い放つと、自動ドアを通って中へ。 「待て!」 力では劣るが、素早さでは負けない。 あたしはダッシュでビルのエレベーターに向かい、その扉を閉めた。見事、警備員を巻いた。 目指すは48階。ここに警察署がある。 ………ぽん。 音がして、エレベーターが停止した。 ゆっくと扉が開く。誰かが待ち構えていないかと身構えたが、幸い人影はなかった。 正面の重工な扉。 あたしは一度深呼吸をし、そしてその扉を開けた。 「たのもうーっ!!」 そして、その扉の先の情景… ―――…。 ………あたしは凍りついた。 確かに中は警察署だった。ごちゃごちゃしたデスクがいっぱい。しかしそこに警察官はいない。広い部屋の中にいるのは…三人。 「セナちゃん…!」 「スフレさん…、…それに、EUさんに…ヒナコさん!」 あたしはその三人を知っていた。 よく知った人物だった。 「わ〜元気だった?ちょっと大人っぽくなってるね〜。」 スフレさんはあの頃と同じ微笑みを浮かべ、あたしに駆け寄ってきた。少しふっくらしてて、目がまん丸でショートカット。二十代前半の癒し系なお姉さんだ。 「ほらね。自力で来るって言ったでしょ?」 EUさんに対してそう言ったのは、ヒナコさん。色素の薄い長い髪に、眼鏡。切れ長な瞳。……理知的な女性。 「マジで来るとは思わなかったぜ。驚いた。」 EUさんは、身長はそれほどないが、がたいのしっかりした男っぽい体格をしている。切れ長な目と短髪。雰囲気からして狡賢そうな感じのする人物。 …あたしは改めて、三人を見渡した。 「どういうことなの?…って、思ってるんでしょ?」 ヒナコさんはクスリと冷たい笑みを浮かべ、あたしに言った。その通りだと、あたしは頷く。 本当に意味がわからない。 突然の逮捕状に、あたしみたいな小娘を追うにしては多すぎる警察の数、命がけの逃亡、そしてたどり着いた先に居たのはこの三人。 …但し、この一連の件に関連性がないわけではない。むしろ大有りだ。 ―――ただ、突然過ぎて…。 「浮かない顔ね。せっかく…再会できたのに。」 ヒナコさんの言葉に、あたしは何も返せなかった。 こわかった。……この三人は、あたしをどんな風に思ってるんだろうって。 放火魔だと…思ってるんじゃないかって…。 ドンドンッ その時、厚い扉越しのノックが聞こえた。間もなくして、一人の警察官が扉を開けて入ってきた。あたしたちに向けて敬礼をし、そして高らかに言った。 「手配番号4番を連れて参りました!」 …手配番号…4番?何それ…? 「ご苦労様。連れてきて頂戴。」 ヒナコさんが言うと、警官は扉の外で待機していると思しき人物に声をかける。 そして…、入ってきた三人の人物……二人の警官に挟まれるようにして連れてこられた人物に…あたしは驚いた。 「みかん…さん…!」 またも、よく知った人物だった。みかんさん。年齢は二十代後半なのだが、可愛らしい容姿で年齢よりも若く見える。大きめの目に、薄いピンク色の唇、色素の薄い髪は外巻でラブリー。明るい性格で好かれるタイプだ。 ……といっても、今は全く別人に見えるほどに、激しい疲弊を覗かせていた。疲れはてた様子で彼女は床に膝を付き、あたしたちを見上げて不思議そうに瞳を揺らした。 「なんで…?…セナちゃんに…、…、……みんな…」 そんなみかんさんの姿を見て、ヒナコさんが警官に言った。 「あまり手荒に扱うなって言ったでしょう?」 苦笑混じりの注意に、警官三人は深く頭をさげて陳謝した。…どこまでも腰が低いのはなぜか。 その疑問は、ヒナコさんの次の一言で理解できた。 「まぁいいわ。手配番号4番の報酬金は100万円だったわね。あなたたちの警官ナンバーは何?」 「ハッ。378であります!」 「898であります!」 「912であります!」 警官達が口々に言う番号を、ヒナコさんは書き留めた。 「OK。ご苦労さま。」 『失礼します!』 警官は声をはもらせ、揃って出ていった。 「………百万?」 あたしがヒナコさんを見て言う。 彼女はまたクスリと笑んだ。 「……いい加減、説明して欲しい?」 「…うん…。」 「いいわ。」 ……その前にあたしは、この場にいる5人の繋がりを説明しなければならない。もう感づいてる人も多いだろうけど。 この5人は皆、あたしが十五の頃に暮らしてた、あの施設のメンバーだ。寝起きを共にした、かつての僚友だ。そう、杏子さんのもとで共に過ごした…。 あの施設には、『班』というものがあった。四つの班に分かれており、班のチームワークはどこも抜群だったんだけど、別の班の人とはそんなに仲良くなることはなかった。 ヒナコさんとEUさんは同じ班で、あたしはあの二人の属す班と真向反発してる班に属していたわけで、折り合いも正直言って良くなかった。話す機会もほとんどなかった。 あたしとみかんさんとスフレさんとは全員違う班なんだけど、あたしの班から見てどっちとも中立的な班だったから仲が悪くなる要素はなかったし、スフレさんやみかんさんの人柄もあって結構仲良くしてた。 ……この、班同士の争いだとか中立だとか、そういうのがなぜあるかと言うと…前に話した『箱庭』に関係がある。箱庭はそれぞれが自分の『領地』を作るわけなんだけど、それが結構ハイテクで、全部はコンピューター制御だった。コンピューター制御ってことはできることのバリエーションも増えるわけで、なんと『戦争』までも可能だった。班っていうのはつまり同盟国であって、その班同士の争いっていうのが主流な戦争だったわけだ。『箱庭』ってのは、みんなゲーム感覚ではあったんだけど、やっぱり自分の島が滅ぼされて良い気分はしないから、いつのまにか、班同士の反発が起こるようになった。意外と、人間関係の重たい場所でもあったんだよね…。 「もう少しメンバーが集まってから話そうと思ったんだけど。セナさんがどうしても知りたいって言うのなら…」 「まだ来る人がいるの…?」 ヒナコさんの言葉に反応する。みかんさんをゆったりとしたソファに休ませ、その髪を撫でながらヒナコさんに聞き返す。 「予定ではあと三名。つまり、各班に二人づつ。」 「…でも、どうしてこんな…、こんな手荒に扱うの?報酬まで出すなんて…」 あたしの疑問に、ヒナコさんはスッパリと答えた。 「こうでもしなきゃ絶対に来ないでしょう?」 「………」 確かに、集まるから来てくれと言われても…いかなかったかもしれない。真っ正面から向き合いたくなんて…ないもん…。 「来そうにない人ほど報酬が高いのよ。一番高値で警官が血眼になって探したのは誰だと思う?」 「え…?…さぁ、知らない……」 あたしが首を傾げると、ヒナコさんは小さく笑って言った。 「貴女よ、セナさん。」 「…あたし!?なんでまた?」 「……誰よりも、あの施設から早く遠ざかったのは貴女だもの。」 「……それは、…その…」 「別に、貴女が放火魔だとは思ってないわ。」 「本当に?」 「―――事故だったのよ。」 ………。 …聞きたい気もしたけど…、…聞きたくなかった。 何があったのか…知りたいけど…知りたくない。 あたしは話しを逸らした。 「それで、あたしの報酬はいくらになってたの?」 「一千万。」 ヒナコさんがサラッと言い放った言葉に、あたしは目を見張った。 「……はぁ!!?なんであたしなんかに一千万も…?」 「………重要な人物、だからじゃない?」 「…なんで…?」 「そのうちわかるわ。」 あたしが重要な人物? ………なんで…? ピリリリリ ピリリリリ 通信機の着信音が響いた。あたしのかと思ったけど違ったみたい。 「ハイ」 ヒナコさんが通信機を着信した。 「…おつかれ様です。…ええ、…、………そう、わかったわ。…………、………明日?………そう、なるべく早くお願いね。…ハイ。」 短い通信を終え、ヒナコさんは薄く笑んだ。 「一人捕獲したそうよ。ちこさんって覚えてる?」 ヒナコさんがそういうと、目を瞑って眠っているようだったみかんさんはパチリと目を開けた。 「…ちこちゃん…?」 少しだけ頭を動かし、ヒナコさんの方を見る。 「みかんさんと同じ班だったわね。」 ヒナコさんの言葉に、みかんさんは小さく頷く。 「ちこさんは結構離れた場所にいたらしくてね。到着は明日の朝になるわ。残るはあと二人……だけど、もう夜も遅いわね。明日にしましょう。」 そう言ってヒナコさんは通信機でどこかに通信を繋ぐ。手短に話した後、 「下の階に仮眠室があるらしいから、そっちで休みましょう。」 そう言って、案内してくれる。あたしはみかんさんに肩を貸し、下の階の仮眠室まで連れていった。 指示されたベッドに潜り込むと、すぐに静寂が訪れた。皆疲れていたのだろうか。 ……あたしは暗闇を見つめ、考えた。 どうしてあの焼け落ちた施設のメンバーが、突然収集されたのか。何の為に……。 ピリリリ ピリリリ 「!」 突然鳴り出した通信機にビクリとした。静寂の中ではよく響く。あたしは慌ててベッドから出ると、仮眠室を出たところの廊下で通信機を開いた。 『着信中・ミサト』 ! ―――ミサトさん! あたしはすぐさま通信を繋げた。 「ミサトさっ……」 『セナちゃん、カシスです。』 「え、あっ…、…カシスさん?なんで?」 聞き馴染んだ声。…でも、今この瞬間に聞きたい声ではなかった。 『ミサトさんなんだけどね、』 あたしは次の言葉におびえた。まさか…っ… 『…足に怪我を負ったけど、そんなに酷い怪我じゃなかったみたい。捻挫と擦り傷かな?今病院で検査入院になってるけど、明日には退院できるだろうって。』 カシスさんの言葉に、あたしは心から安堵した。 「良かったぁぁ…。」 『それよりね…』 カシスさんの声のトーンが、先ほどより幾分か落ちた。そう…何かあった時の声だ。 『リイシューがね…、さっき、警察に連れて行かれたわ。ついさっきよ。ミサトさんの付き添いで病院に来てたんだけど、その時に警察に出くわして…』 「リイシューが…!?…なんで、そんな…」 『わからないの…本当に突然で、無理矢理って感じで…』 「……さっき?…だって、あたしが逃げる時に警察殴った時は何も…!」 『そう、それも不思議だし…。…とにかく、わかんないの。また動きがあったら連絡するから。』 「…わかった。」 『それじゃあね。』 …あたしは通信機を切り、その場に立ち尽くした。リイシューが捕まるなんて…。でも、捕まったってことは、警察署に連れてこられるんじゃ?…もしかしたら、会えるかも…! いろんなことを考えながら、あたしは廊下の椅子に座ってじっとしていた。…二十分程経った頃だった。 「離せ!離せっつってんだろ!!!」 「静かにしろ!」 ガタンッ …あたしは、聞き覚えのある声に立ち上がった。 ……リイシューだ、……絶対にリイシューだ! 段々声が近くなって、足音が響いてくる。 「離せ、離っ……!」 角から曲がってきた、二人の警官に挟まれたリイシューと…目があった。 リイシューは驚いた表情であたしを見つめる。 「…リイシュー……」 「セナッ…」 二人の警官があたしの前を通り過ぎてリイシューと連れていこうとした時だった。 「そこまででいいわ。」 いつからそこに居たのか、相変わらずどこか冷めた表情を浮かべるヒナコさん。 彼女の声が、夜の中で、冷たい廊下に響いた。 「警官ナンバーは?」 「ハッ、511であります。」 「698であります。」 「手配番号3番の報酬は150万だったわね。」 警官達は先ほどと同じように敬礼し、去っていった。 そのやりとりに、あたしは眉を顰めた。 「……っていうか…なんでリイシューが手配なの…?リイシューは関係ないじゃない!」 不思議で不思議で仕方なかった。 なんで…なんでリイシューが…? 「関係ない?どうして?」 ヒナコさんが不思議そうに言う。 リイシューは、ヒナコさんとあたしを交互に見、僅かに俯いた。 「リイシューは…、リイシューはあたし達の仲間だよ!施設にはなんの関係も…」 「いや、…あるんだ。」 あたしの言葉に被せて言ったのはリイシューだった。 リイシューは何かを決意したような眼差しであたしを見つめる。…あたしはじっと見つめ返す。 「…十二月十八日。俺があの施設に入所した日だ。」 リイシューの言葉に…我が耳を疑った。 「…、……リイシューが…あの施設に…?」 「班は『風』。…岬さんとか、スフレさんと同じ班で…。」 ……信じられない。 リイシューの口から、施設でしか使わない言葉が出てくる事が不思議で仕方なかった。 「施設にいた時は、『rs』って名乗ってた。ほとんどの時間を『風』の人たちと過ごしたから、他に会ったっていや、ヒナコさんとかみかんさんとか…、…それと…杏子さんと…。」 ……杏子さん。 リイシューの口からその言葉が出た時、あたしは椅子にペタンと座り込んでいた。 「セナ、ずっと黙ってて…悪かった。ごめん。」 「じゃあさ…」 あたしは、かろうじて残る気力でリイシューに言う。 「ずっと知ってたんだ…、あたしがあの施設にいたこと…火事の日、逃げたこと…」 「…セナちゃんは、『地』の班長だったから…杏子さんにデータ見せてもらって、それで…」 「…………。」 あたしはのそりと立ち上がると、仮眠室へと向かった。もうこれ以上話すことが見つからない。 「セナ…」 リイシューの困惑した声は無視した。 「……んー……」 目蓋の向こうに明るい光が差している。 あたしは目を開け、そのまぶしさに一度目閉じてから再度ゆっくりと目を開ける。 朝だ。 のそりと起き上がって周りのベッドを見て回ると、EUさんとみかんさんが眠っていた。ヒナコさんの姿はない。……リイシューもいない。 あたしは目をこすりながら仮眠室を出て、洗面所で顔を洗ったのち、警察署へと向かった。 あの重厚な扉ではなく、仮眠室とかがある裏側から入る分は薄っぺらい簡素なドア。あたしはそのドアを開けて中に入った。 「おはよう。」 「…おはようございます…。」 ヒナコさんのいつもの冷たい笑顔。……よりも、そのヒナコさんと向かい合った女性に注目した。 「あ。…もしかして、セナさん…??」 長い黒髪に、少し垂れ目気味の目。見た目はお嬢様系のキレイな人。だが、とある人と一緒になるとすごいことになったりする。 「ちこさん!」 懐かしい顔に思わず笑んでしまう。 ちこさんは、昨日のみかんさんほど疲弊した様子もなかった。 「やっぱりセナさんだ。久しぶりです♪」 ガチャ… その時、先ほどあたしが入ってきたドアが開いた音に、三人が振り返る。そして… 「…ちこちゃん!!?」 「…みかんちゃん!!!!」 二人はそう名を呼び合うや否や、突然駆け出し、そして熱い抱擁を交わす。 「きゃー、もう元気だったぁぁ?ちこちゃんのこと、めっちゃ気にしてたんやでぇぇ★」 「いや〜ん、あたしもみかんさんのこと気になってたんですよぉっ。元気そうで良かったですぅvv」 見てられん…。 何気なくヒナコさんを見ると、偶然目が合う。ヒナコさんは苦笑して肩を竦めてみせた。 「『陽』の最大の強みは、チームワークだったわね」 それから数時間後。 昼食を終え、署内で待機する7人。 「…最後の一人って?」 リイシューがヒナコさんに問う。 「…壱里さん。」 ヒナコさんの口にした懐かしい響きに、あたしは少しだけ顔を上げた。壱里さん…。 我が班『地』で、共に協力してきた人。 『地』はあたしが班長だったんだけど、壱里さんは本当にサポートに関してはすばらしくて。あたしは彼の事を心から尊敬していた。あの施設では、いつ誰に裏切られるか解からない…そんな恐怖とも隣り合わせだったけど…、彼だけは信じていた。二十後半の、のんびりしたお兄さん。 「……彼が来るのを待つのも何だし…先に、今回のことを説明しておくことにするわ。」 ヒナコさんが、そう切り出した。全員が彼女に注目する。 「今回のことはね…、警察の保護下にあった施設で暮らしていた私とEUの元に…杏子さんから直接お願いがあったの。」 「杏子さんから…?」 あたしは思わず椅子から立ち上がっていた。 「杏子さんは…生きてるのね…?」 そう…確かめたくて。 「ええ…、生きてるわ。」 ………よか…った…。 「但し…」 ヒナコさんは言いにくそうに付け加える。 「余り長くはないわ。」 「………!」 全員が動揺の色を隠せなかった。 もちろん、あたしも…。 「長くはない…って……?」 ヒナコさんは、あたしの問いには答えてくれなかった。代わりに、こう言った。 「あの施設の火事は、何が原因だったか知ってる?」 全員が首を横に振った。 「言いにくいんだけどね。―――杏子さんが自殺しようとしたの。…いわゆる自殺未遂。」 「…は…?」 もう何が何だかわからなくなってきた。 あの杏子さんが…自殺未遂だなんて、そんな…!? 「皆、冷静になってね。整理しながら聞いてね?」 ヒナコさんが言う。…そんなこと言われたって…。 「杏子さんの身体は酷く衰弱してるの…。それで、彼女の仕事を受け継ぐことになるのよ…。」 「仕事受け継ぐ…?仕事って?」 みかんさんが尋ねる。 「…それは本人から聞きましょう。」 「会えるの!?」 あたしは即座にそう尋ねていた。 「……ええ。杏子さんはここの最上階にいるわ。」 ………次の朝になった。 タイムリミット。 「……セナちゃん、『地』は一人だけになってしまったけど、――頑張ってね。」 ヒナコさんが言う。あたしは小さく頷く。壱里さんは来なかった。 あたし達7人は遂に、杏子さんと会う時を迎えた。 このビルの最上階の奥の奥に、ひっそりとした階段があった。 ヒナコさんを先頭にし、あたし達は登っていく。 やがて、白い扉が見えた。 ヒナコさんが一度振り返る。 あたし達に確認するように目くばせをし、そして扉を開いた。 「失礼します。ヒナコです。以下七名、只今参りました。」 ヒナコさんはそう言って、中に入っていく。あたしはその後を追った。 中は、今の古びて汚い階段とは全く違い、広々していてきれいだった。明るくて、真っ白だった。 ヒナコさんは奥の部屋へ向かう。ヒナコさんのすぐ後にひっついて行く。奥の部屋にあるベッドが見えた時、心臓が出てきちゃいそうな程うるさく鳴っていた。 そして、ベッドで上半身を起こした女性…。 「ようこそ、私の部屋へ。…皆、久しぶりね。」 変わっていなかった。黒く長い繊細な髪を後ろで結ってある。優しげな瞳、いつも微笑んでいる口元、細長い指。…でも、その肌の色は昔よりもずっと白く見える。そして、その姿は細く見える。 「…壱里さんが来なかったのね?」 「はい。警察も血眼になって探したようですが…。」 「仕方ないわ。……セナちゃん、一人になるけど頑張ってね?」 ドクン。 …ドクン。 ……ドクン。 杏子さんがあたしを見る。 杏子さんがあたしの名を呼ぶ。 …全てが…、 全てが嬉しくて……。 「杏子…さっ……」 あたしはその場で泣き出してしまった。嬉しくて嬉しくて悲しくて……。 「セナちゃん…」 杏子さんはあたしの手を引くと、そのまま抱き寄せた。 「…元気だった?」 杏子さんの優しい声。言葉。全て。 ………… 『余り長くはないわ。』 ヒナコさんの声が頭を過る。 ……長くない。そんな…、……そんなの…。 「セナちゃん。泣くなっ。」 杏子さんは小さく笑んで言った。 「うぐぅ…」 ぽんぽんっと子供をあやすように頭を撫でてくれて、あたしの涙はようやく止まった。 「…今からのことを説明しないとね。」 杏子さんは改めて皆に向き直り、微笑して言う。 あたしも含めた皆は改まって、杏子さんの話しを聞く。これからのこと…。 「ヒナコちゃんにも聞いたと思うけど、あたし、あんまり長くないのよね。」 杏子さんはケロッとした表情で言った。 「だからね、あたしがやってたお仕事を皆にやってもらおうと思ってね…。あの施設は、…そう、あたしのお仕事の…養成所だったのよ。」 「養成所…?…杏子さんのお仕事って…?」 スフレさんがきょとんとして言う。養成所と言われても、全くピンとこない。 「…施設が燃えちゃったのはね、あたしが職務放棄しようとしたからなの。…すごく大変な仕事なの。」 杏子さんの表情に陰りが見える。あんな表情、見たことないよ…。 「あっ、でもね、その…すごくやり甲斐のある仕事だし、…すばらしい仕事ではあるのよ…。…ただ、責任がとても重いんだけどね。」 杏子さんの説明でも、その仕事の具体的な内容を察する人はいなかった。杏子さんもそれに気づいたらしく、小さく息をついて言った。 「……ついてきて。」 杏子さんはベッドから下りると、スリッパを履いて部屋の更に奥にあるドアへ向かった。 ………その時、あたしはあることに気づいた。杏子さんの着ている服は白くてきれいなワンピースなんだけど、そのスカートの裾の下に覗く足に…、……酷い火傷の後がある。 …そういえば…杏子さんは何で、病床に伏せているんだろう…? 「……ここが、あたしの仕事場よ。」 この部屋へ入ってきた時と同じ形の白い扉を杏子さんが開ける。その向こうには…。 「……箱庭…」 「…箱庭だぁぁ…」 「箱庭…っ…?」 「……なんで…?…」 口々に言う。…そう、そこにあったのは、大きな大きな箱庭だった。 「あたしはこの箱庭を開発して、……実際の町を発展させていくの。」 杏子さんがそう言って、あたしはようやく気づいたのだった。この箱庭は…、…あたしたちが住んでいる、この町なんだ…。 杏子さんは指で、町にバツ印でかかり、真中で交差する二本の線を指さした。 「これが境界。……ここから、北は『陽』、東は『水』、西は『風』、そして南は『地』……皆がこの町を四分にして、…開発していって欲しいの。」 「…私たちが…、開発…?」 さすがのヒナコさんも、ここまでは聞いていなかったらしい。驚いた表情で杏子さんを見つめている。 「……お願いね…、みんな。」 杏子さんは優しく微笑んだ。 それから二週間後。 杏子さんは亡くなった。 杏子さんを蝕んでいた病は、火傷で弱った皮膚から入り込んだ感染症だった。 葬儀は質素に終わった。彼女には両親がいないし、恋人もいない。施設の人間も、あの火事で命を落とした数は多く、さして集まることはなかった。 葬儀場を出ると、心地よい風が吹いていた。今日は良い天気だ。 「セナちゃん、火葬場に行くよ?」 背後からかかったスフレさんの言葉に、あたしは振り向いて首を振る。 「…たぶん、耐えられないから…。あたし、先に帰ってるよ…。」 「…そう。わかった。皆に言っとくね。」 スフレさんは何か察してくれたのか、小さく頷いて皆の後を追った。 「セナ?…行かないの?」 「……うん。」 リイシューもあたしを心配してくれたのか、声をかけてくれた。 「リイシュー?どうしたのー?」 「あっ、ちょっ…!」 向こうからかかった声に、リイシューが慌てる。 あたしは小さく笑んで言った。 「いいよ、気ぃ使わないで。今は一人でいたいの。」 そう言うと、リイシューは励ますように軽くあたしの肩を叩き、走っていった。 ……誰もいなくなって、あたしは一人帰路につく。 あの部屋で大きな箱庭を眺めながら、ぼんやりとしていた。……ふと、箱庭の上に置いてある折り畳まれた紙に気づく。あまりにぼんやりとし過ぎて、今まで気づかなかった。 なんだろ、と思って紙を開いてみた。 『セナちゃんへ きっとこの箱庭に一番に来るのはセナちゃんだうなぁって思って、この手紙は箱庭の上に置いておくことにします。 あの施設で、セナちゃん達と一緒に過ごした日々はとても楽しかったよ。でも、自らそれを壊してしまいました。今でも深く反省しています。時々、あの時の自分の行為が悔しくて悔しくて泣きそうになる程に。実際、あの火事で亡くなった人が居ます。あたしは罪人なの。人を殺してしまった。 どうしてあんなことしたのかって、色んな人から問われたけれど、あたしはその答えを言えなかった。でも、セナちゃんには言うね。 この国の都心である、この町が廃頽したのは、全部私の責任なの。私の力が足りなくて、この国はこんな酷い状態になってしまった。人々は恐怖に怯えて暮らしてる。私は沢山の笑顔を、沢山の涙に変えて、沢山の命を、散らせてしまった。そんな自分が許せなかったの。 でも結局は、自分を許せなかったばっかりに、更に罪を重ねてしまいました。バカだよね、私。 セナちゃんは、あの時施設から逃げ出したね。その理由がわからなくて、悩みました。あの施設が嫌いだった?そんなことないよね?失うことが怖かった? あたし、とても寂しかった。あの施設を失ったことで、あたしは大切な人たちをいろんな形で失いました。特にセナちゃん…、あなたを失ったのが辛かったよ。今だから言うけど、セナちゃんはあたしにとって大切な存在でした。大好きでした。今頃こんなこと言ったって怒るよね?ごめんね。 あたしがここまで育てた箱庭を、皆に託します。特にセナちゃん…、あなたに託したかったの。あたしの想いと一緒に、受け取ってね。 もう抱きしめてあげられないけど、あたしはセナちゃんを見守ってるよ。愛してるよ。 杏子』 「…っ……」 力なく、その場に崩れ落ちる。 涙だけが、溢れて、止まらない。 手にした手紙に、雫がポツンと落ちる。 今、あたしが出来ること―― 「……、杏子さん…、杏子さん……!!」 既に居ない、愛する人を想い、泣くことだけ。 ――だけ? 違う。 あたしは、笑ってなきゃ。 杏子さん、あたしは、幸せ、だよ…。 悲しくなんかない。 嘘じゃないよ。 嘘じゃないよ。 ―――…… あたし、強くなる。 杏子さんのこの町を、守り抜いてみせるよ。 ―――見守っていてね。 |
■コメント Dream Realというタイトルの意味。 実はこの作品の元となったのは、私が見た夢なのです。 夢の中で展開するストーリーに、とてもワクワクした。まるで映画を見ているような感覚。 主人公は私自身。そして登場するキャラクターも、実は実在する人なのです。(実名で文章に残していましたが、さすがにそれは色々とまずいので(笑)、名前だけは置き換えておきました。) 夢とはとても曖昧で漠然としていて、ストーリーなんてめちゃくちゃなもの。 それをなんとかまとめて、形にしました。 この作品自体、もう二年程前のものなので、夢として見たあの情景は残っていません。 だからこそ、当時の私は、それをこうして文章に残したのでしょう。 忘れたくない、素敵な夢だったから。 ver2の意味。ver1も存在します。実は。 同じく、私が見た夢から書こうと思った作品だったのですが、これは途中で挫折しました。 戦隊物の夢で、声優の宮村優子さんが出てきたことが印象的(笑) おそらくゴーゴーファイブの影響かと思われます。 この夢は、印象深かったのか、今でも微かに覚えています。 インパクトが強かったんです。なんせ、自分の視点で自分が殺される瞬間があったのだから。 登場人物は戦隊物の王道を行くレッド・ブルー・イエロー・グリーン・ピンクの五人組。 私自身は登場しなかったんですけど、彼らの視点で夢は進むのです。 これはさすがに書き起こすのは無理なので結末を言っちゃいます。 ミヤムーに殺されました(笑) ミヤムーは戦隊の仲間だったのに、突然裏切ったんです。 鉄の細い棒でミヤムーに貫かれるあの感覚。今も覚えています。 夢とは、本当に不思議なものですね。 人間の深層心理を垣間見ることが出来る場所。 夢を見ることが出来ることって、素敵なことだと思いませんか? さぁ、今日はどんな夢を見るのでしょう。 そう考えると、眠ることが少し楽しみになるのでした。 |