『喪』




 『うあ、うぁぁッ……!!』

 誰かが激しく泣いていた。

 『…ひっ、ク……。…ッ…。』

 誰かが涙を堪えていた。

 『…ばか、バカ!なんでこんなことするの!…ばかぁぁッ!!!』

 誰かがあたしを責めていた。


 ―――たしかに。あたしの行なった行動は、正しいとは言えない。
 けれど、あたしの耳に…いや、精神に直接聞こえてくる、
 スベテの叫びが心地よかった。





「どうして、こんな淋しい写真を選んだんですか?」


 夏の日。遠くでミーンミーンと、蝉の声。
 爽やかな風の吹き抜ける、庭に面した仏間。
 遺影を眺めながら、“アノ人”が静かに尋ねた。


『これしか…なかったんです。―――あの子、昔、冗談で、もしもの時はこの写真を使ってほしい、と、言ってきました。』


 今となっては、冗談なんかじゃないんだけどね。
 微かに、遠くで聞こえる声。
 アノ人と話しているのに、その声はやけに遠かった。
 そう、あれはあたしの母親か。他人のような、母親。


「………。」


 アノ人はなにも言わない。けどわかる。
 アノ人の息づかいさえも、聞こえる―――。


『あの子じゃないような…、切なくて、冷たくて、淋しくて…。けれどこの写真以外、笑顔のものは全て滲んでしまっていて…。おかしな話ですけれど、まるであの子が、この写真を使ってほしい、と、言っているような気がして…。』


 へぇ、わかってるじゃん…。
 こういう体になるとね、いろいろ便利なコトもできるんだよ。
 ……けど、一つわかってないのね。
 あたしが、この写真を使ってほしかった理由。


「そうでしょうか?」

『え…?』

「あ、いえ…。この表情…、どこかあったかくてやさしい…。まるで、拗ねた子供のようで…。
 決して幸せでなはい。なにかを求めてくるような、そんな…。私には、そんな風に見えるんです。」


 そんなアノ人の言葉、あたしは単純に嬉しかった。
 ―――さすがだね。
 これだから、大好きなんだ…。
 そう思って、あたしは微笑ん―――
 っ…いけない、またやっちゃった。
 もう、あたしに表情はない。感情はあっても。
 だから、あの写真に、あたしを託したの…。
 あたしという肉体は、ついさっき、燃やされた。
 さすがに…、悲しかった。
 リスカでボロボロになった手首も、まだ発展途上な小さな胸も、茶色に染めた髪も、煙草で黒く汚れた肺も。
 あたしの身体の全ては、業火の中、燃え、そして灰になった。
 悲しかった、よ。
 ―――でも、涙は出なかった。当たり前だ。涙腺さえも、ないんだから。
 もう、アノ人に触れることも、出来ない。


『すごいですね、先生は。私の知らないあの子を知っている…。』


 母親だった人の言葉に、アノ人はふっと目を細め、悲しげに微笑んだ。
 遺影を見つめていたその目線を、静かに伏せ、そして、小さく口を開いた。


「―――好き、でしたから…。」


 ――――え…?


「生徒は平等だと自分に言い聞かせて、けれど彼女だけは、別の態度で接してしまいました。年齢に相応しくない大人っぽさと、本当に子供らしい、無邪気な面を兼ね備えていて。
 ……私、彼女のこと、大好きでした。」


 ―――涙が、欲しくなった。
 泣きたかった。どうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく悲しかった。


「彼女のことを、いつも見てました。そして、彼女も、私のことを見てくれていました――。」


 ―――そんなの、知らない!!
 あたしはいっつも、アノ人に見てほしくて…、どうしようも…なかったのに…!
 いつも、あたし、見てたよ。
 でも、でもアノ人はあたしのことなんて、眼中にないんだって―――ずっと、思ってた。


「―――変な話をすると、私と彼女は、恋愛関係さえも、築けたでしょう。自分でも歯止めが利かなくなりそうな感情に、いつも戸惑っていました。もし、彼女が私に持ちかけさえすれば…、私は、常識も決まりもすべて投げ出し、承諾したことでしょう――。」


 後悔。
 あたしは、過去なんて振り返らずに生きてきた。
 ずっと、どうすればいいんだろうって、今のことを考え続けていた。
 今と未来に失望したあたしは、もう、どうしようもなくなっていた。
 今、響いてくるアノ人の言葉。
 信じられなかった。
 いっそ、嘘ならいいのに。

 ―――あたし、なんだったの?
 誰のために、こんなことしたと思ってるの…?
 あなたに、見てほしかったからじゃない。
 あたしを、気にしてほしかったから…。
 悲しんでほしかった……!!

 後悔させたかったのに―――!!



「そろそろ失礼します…。」


 アノ人は、あたしの写真に、手を合わせた。


 やだ、いかないで。
 あたしを…抱きしめてよぉ…。
 あたしのこと、もっと好きって言ってよ…。
 お願い…。


 いかないで………!!!!






 あたしの叫びは、もうアノ人には届かない。














 ■コメント
 これは、結構古い作品。
 小説としてって言うよりも、当時の心境的に書き綴った『言葉』なのかな。
 胸が膨らみ始めた頃。スキなヒト。センセイ。
 これって、当時のあたしの願望だったのかも。
 スキなヒトに好かれたい。
 死。
 そんな過った道すらも望んだことが、『過去』で、良かった。
 でも過去は忘れちゃいけないから。
 これはきっと、過去のあたしの悲しみです。









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