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「要するに、おとぎ話なんでしょ。」 彼女は言う。興味のなさそうな表情で私の手元を見遣っては、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに肩を竦めて。 興味を持たれないことに不満はないけれど、おとぎ話と一言で済ませてしまうような、そんな響きは少し納得がいかなかった。 「おとぎ話、だけど。夢物語に過ぎないけれど。でもね、そんな世界を否定しなくてもいいでしょう?」 パチンとキーボードを一つ打った後、私は彼女に向き直る。 コーヒーメーカーから湯気が立つ、淹れたての珈琲をマグカップに注ぎながら「むきにならないの。」と私を宥めるような言葉を呟き、彼女はいつものように二つ目のマグカップを手に取った。 「否定はしないけどさ。あたしは現実主義者なのよ。毎日のお仕事で手一杯。物語の世界に行く暇なんかなーいのっ。」 「……知ってる。恋人にすら週一でしか会えないような人だものね。」 今日の私は少し不機嫌なのだろうか。口を開けば皮肉が先に出てしまう。彼女にずっと目を向けることにも抵抗が芽生え、私はパソコンのディスプレイに目を移した。 すっと背後から伸びた手が、コトンと音を立ててパソコンデスクにマグカップを置いて行く。 ありがとう、と小さく呟けば、それに応えるように私の頭に乗せられる彼女の手の重み。 「仕事で忙しいんだから我慢して。……浮気なんてしてないからね?」 悪戯なニュアンスを含めて、私の耳元で囁かれる言葉。 斜め後ろをチラリと見遣れば、楽しげに笑みをたたえた彼女の姿があった。 「そんな心配してない。」 短く返し、彼女が淹れてくれた珈琲に手を伸ばす。 現実主義者。明朗でストレートで豪快で。気の大きいこの女性こそが、私の恋人。 神経質で気が弱く、何かと消極的で夢見がち。そんな正反対な私なのに、どうして彼女は私のそばにいてくれるのだろうと、たまに疑問に思う。全く性格の違う私と彼女。仕事も趣味も、歩く速さも違う。 不安にもなる。どうして彼女は、こんな私を好きでいてくれるのだろうかと。 そんな私の不安など露知らず、彼女はリビングの椅子に腰掛けてテレビのリモコンに手を伸ばした。チャンネルを幾つか回しては、興味を引く番組もない様子で「んー」と声を上げながら退屈そうに欠伸をして。 「ね……もしもの話をしてもいい?」 そう問いかけると、彼女は不思議そうな視線を私に向け、何?と促すように笑みを浮かべる。 「もしも……人跡未踏の無人島に漂流したとしたら。」 「はい?」 いきなり何を言い出すのかと、そんな様子で聞き返す声に少し笑い、私は続けた。 「豪華客船で旅に出た途中に、突然の事故によって船は沈没してしまうの。当然、死者も出るでしょうね。でも、幸いにも海に飲み込まれず、無人島に漂流した女性達。」 「……複数形なのね?」 「ええ。一人じゃ心細いけれど、他にも自分と同じ境遇の漂流者がいる。勿論、今までの生活は全く異なる人たちよ。幼い学生もいれば、お医者様や……」 「あたしみたいなOLだとか。」 私の言葉に続けるようにして返された声は、今までの彼女とは違いどこか乗り気な様子すらあった。そんな反応が嬉しくて、「そうそう」と頷きながら私の舌は更に饒舌になっていく。 「人間ってね、きっと生に貪欲だと思うの。だから都会暮らしに慣れていた女性達も、次第に無人島生活に順応していく。……順応っていう言い方は相応しくないかもしれないわね。慣れるべく努力するの。」 「だろうね。そんな境遇になってみないとわからないけど、あたしだったら、なんとしてでも日本に帰ってやる!って躍起になると思う。」 「うん。そして――」 言いかけてふっと言葉を切ると、珈琲の湯気がいまだぼんやりと立ち上るマグカップに口をつけたまま、私の言葉の続きを聞きたそうにじっとこちらを見つめる彼女。そんな姿にまた少しだけ笑って、私も珈琲を一口飲んだ。 「そして、何?」 「そしてね。……女性達は恋に落ちるの。」 「恋?無人島に漂流して……恋なんかしてる場合なの?」 きょとんとした表情で問う彼女へ、ゆるりと首を左右に振り 「恋はどんな時でも芽生えるわ。……実際、私だって……受験勉強だけに打ち込まなくちゃいけない頃、あなたに出逢ってしまったでしょう?」 そう告げて、笑みを向ける。それは数年前のこと。彼女の所為で受験勉強が手につかなくなってしまったこと、今でも私は忘れていない。 「それは確かに……。って、なんだかあたしが悪いみたいに聞こえるわよ?勉強を教えたのは誰?」 「家庭教師のくせに、一緒になって数学の問題に頭を抱えていたどこかの誰かさん。」 「……。」 私の笑みと、彼女の苦笑。あの頃と少しも変わっていない。 無事にストレートで大学に合格し、今は大学生になった私と。当時はフリーターで、もっとちゃんとした収入が欲しいと言ってOLになった彼女。幼かった恋は今だってずっと、彼女に向いたまま。 「あ、それで、恋に落ちた女性達はどうなるの?」 催促するように続けられた言葉に一つ頷くと、私は少し考えて、言葉を続ける。 「恋には当然すれ違いもあるし、失恋だってあるわ。だけど、そこに誠意と真っ直ぐな想いがあれば、両想いにだってなれるはず。」 「うんうん。無人島で生まれる愛なのね。」 「そう。漂流という不運な形での出逢いだったかもしれないけれど、その先に幸福を見ることが出来る。」 「一つの運命ってわけね。」 「……ええ。」 運命という言葉、どこかあたたかくて。私は自然と零れる笑みを隠すこともなく、彼女へと向ける。 彼女はふっと笑みを返し、 「おとぎ話も悪くないかもしれない。」 と、小さく呟いた。そう言ってくれたことがなんだか嬉しい。私は抑え切れない思いを更に口にする。 「他のシチュエーションも考えてみてもいい?」 「ん。いいわよ。聞かせて。」 そう返した後、目を細めたまま珈琲を口にする彼女。 私の想いを受け止めてくれる。それも彼女のいいところで、私が彼女に惚れた理由かもしれない。 もっと彼女を乗り気にさせたくて、私は考えを巡らせる。 「舞台は遊園地。」 「お。今度は現実的ね。」 彼女の好きな、そして私の苦手な言葉を出されると、ちょっぴり不満。 残念でした、と首を横に振り 「それが現実的じゃなくってね。……誰もいない遊園地なの。スタッフも、お客さんも、だぁれもいない。」 そんな情景を思い浮かべながら私は言う。想像するだけで楽しくなる。 「……へぇ?続き言ってみ?」 と促す彼女のリクエストにお応えして、私は続けた。 「遊びに来ていたらね、とても不思議なことが起こるの。暗闇ジェットコースターに乗って、出口に戻ったら誰もいませんでした、とか。……うぅん、それだと少しスリリングすぎるかしら。」 「じゃあ、ホラーハウスなんてどう?」 「あ、それ良い。ホラーハウスの暗闇を抜けると誰もいなかった。或いは、別の世界に通じていた。」 「別の世界?つまり、誰もいない遊園地っていうのは別の世界なの?」 「もちろんよ。だって、“現実的”に考えれば突然遊園地に人がいなくなるなんてありえないでしょう?」 「……まぁ、ね。」 私が彼女の好きな言葉を出したのが唐突だったのか、彼女は閉口といった様子で苦笑を浮かべて。 そんな表情に満足して笑みを浮かべた後で、更に想像の世界を広げていく。 「最初は自分だけが、誰もいない遊園地という世界に取り残されたのだと思って不安になる。けれど、出逢うの。他にも、自分と同じように別世界に迷い込んでいた女性達に。」 「お。また複数形?」 「別世界に二人っきりなのもロマンチックだけど、少し寂しいじゃない?だから、ある程度賑やかなぐらいが楽しいかなって。」 「それもそうね。始終二人っきりじゃそのうち飽きるのかも。」 「……私とも、ずっと二人っきりで居たら、飽きてしまう?」 不意の問いかけに、彼女はきょとんとした表情を浮かべた。 私はふっと疑問に思っただけなのだけれど、彼女が言うには「時々話題が飛躍してる」だそう。今も彼女にしてみればそんな感じだったのかもしれない。 ようやく、それがいつもの「話題の飛躍」だと気付いたのか、彼女はクスッと小さく笑みを浮かべた。 「それは試してみないとわからないわね。……今度試してみよっか?」 「でも、お仕事があるでしょう?」 「有給はちゃんと溜めてます。」 大丈夫。と明るい笑顔でブイサインなんか作っている彼女に少し笑って、「期待してる」と短く言葉を返した。 それは私を想って告げてくれた冗談なのだと思ったのだけれど、彼女は私の反応に意外そうな顔をする。 「あたし本気で言ってるのよ?……大学の長期休みに入ったら、一緒にどこか旅行にでも行きたいなって…」 「……本当?」 今度は私が意外そうな顔をする番だった。突然の申し出に驚きながらも、嬉しさがこみ上げる。 「お金も心配ご無用よ。何のために毎日忙しくしてると思ってるの?」 「…うん…すごく嬉しい…。」 それは心の底からの言葉だったけれど、他にももっと上手く感情が表現したくて。でもそれが出来ずに弱く笑みを浮かべることしか出来ない。言葉の少ない私の反応でも、伝わったとばかり笑みを浮かべてくれる彼女が愛しかった。 「あ、それでそれで?誰もいない遊園地で出逢った女性達は……」 「当然、恋に落ちるわ。」 「やっぱり!で?それでどうなるの?」 展開を急ぐ彼女の様子がおかしくて、私は敢えて考えるような素振りを見せながら言葉を留める。 うずうずしている彼女を横目で見つつ 「その先は彼女達しか知らない。元の世界に戻れるのか、或いはその世界に留まるのか。」 と、展開を濁し、乞うご期待。と付け加えた。 「えぇ!?その先が気になるのに!んもぉー……」 頬を膨らませて口先を尖らせる彼女に、「残念でした」と小さく舌を出して見せる。 尚も不満げにしていた彼女もようやく諦めたのか、 「んじゃ……次行ってみよう!」 と、笑顔を浮かべる。 どうやら私の「おとぎ話」にも随分興味を示してくれたようで、嬉しさは加速していく。 次のお話……と少し考えた後、ふっと彼女へ視線を向け 「じゃあ次はあなたが考えてみて?」 と、小首を傾げる。ここで乗ってくれれば、彼女は私の「おとぎ話」をバカにすることも出来ないだろう。 「あたしが?……えーっと…」 彼女は真摯な表情を見せ、考え込んでいる様子。 私は笑顔で珈琲を飲みながら、彼女の言葉を待っていた。 「時は近未来!!」 「………はい。」 偉く力の篭った発言、少しだけ気迫に押されながらも私は頷く。 「発展したテクノロジーの影で隠密に蠢く闇のプロジェクト!魔の手にかかる女性達の運命やいかに!?」 「……。」 私とは別の意味で、随分と話が飛躍したような気がする。 そう言えば彼女って、スパイ物とかサスペンス物とか大好きなのよね。 「って、どう?面白そうじゃない?」 「もっと具体的に言ってもらわないと……。そのプロジェクトっていうのは、一体どんな内容?」 問い掛けると、彼女は眉間に皺を寄せて考え込んでは、コクンと珈琲を一口嚥下する。 その後も顎に手を当てて考え込んでいたが、不意に思いついた様子で顔を上げ 「ふっふっふ。聞いて驚け!なんとそのプロジェクトは、うら若き女性達だけで行なわれる殺し合いプロジェクトなのよ!」 と、自信満々に告げる。殺し合いって…また物騒ね。 私のリアクションが芳しくないからか、彼女は少し不服そうに首を傾げた。 「だめ?……そういう、極限の中で生まれる恋とかってのも面白いかな、と思ったんだけど。」 「あ……なるほど。」 「殺し合い」の響きに支配されていたからか、私はその世界が全くと言って良いほど想像できていなかった。けれど、「極限の中」という言葉に、少し興味が湧いた。 それはこの実在する世界ではありえないシチュエーションだろう。そして私の興味分野とも随分掛け離れている。けれど、彼女の言う世界の中にも恋愛があり、物語があり、いつかは終局がある。ジャンルこそ大いに違うものの、それも「おとぎ話」の一つなのだ。 「面白いかもしれない……ねぇ、そのプロジェクトに参加するのはどんな人たち?」 私の問いに嬉しそうな表情を見せ、彼女は思案する。 あぁ、先ほどと立場が逆転しているかもしれない。自分だけの世界に存在する「おとぎ話」は、一見介入が難しいものなんだ。だけれど、それを誰かと分かち合えた時、それは二人の世界にもなる。 「一般人がいきなり殺し合いってのは少し不憫よね。だから、犯罪者辺りが良いかもしれない。」 「それじゃあ、参加者は悪人ばっかり?」 「こら。それ偏見。中には、冤罪の人もいるかもしれないでしょ?」 「あ……そっか。」 こくこくと頷き返し、彼女の紡いだおとぎ話の世界を想像した。 今まで私が考えていたお話よりもずっと、刹那的な感情がそこにはあるのかもしれない。極限の中で生まれる恋愛。いつ死ぬかもわからない中で、女性たちは最後の恋をするのかもしれない。 考えていて、自然と笑みが零れていた。手の中のマグカップ、珈琲を全部飲み干して空のカップをデスクに置く。そんな私の様子を見ていたのか、タイミングを計ったように彼女も珈琲を飲み干し、私のそばへと近づいた。 「どんなシチュエーションでも、恋があるとなるとなんだかワクワクするわね。」 言葉と共に、コトンと音を立て、私のカップの隣に置かれる色違いのマグカップ。 揃いの形はいつ見ても嬉しくて、彼女の手が引かれても尚マグカップに目を向けながら、私は返す。 「恋だけじゃないわ。友情や同情もあるかもしれないし、或いは……裏切りもあるのかもしれない。」 「そうね……でも、最終的には幸せになれるお話がいい。」 「うん。それは同感。」 頷いて顔を上げると、彼女は私に笑みかけて、すっと私の肩に手を置いた。 視線を交わしていると、少しだけ照れくさくなって目を伏せる。 「けど、やっぱりあたしは現実が好きよ。」 ぽつりと零された言葉に顔を上げた。 その時不意に、ふわりと、彼女の唇が私の唇に触れていた。 「ん…ッ?」 驚いて思わず声を上げると、彼女は唇を離してクスッと笑む。 「だって現実じゃないと、こうやってキスも出来ないし、抱きしめたりも出来ないでしょ?」 「それとこれとは……」 言い返そうとした私の唇を、また彼女の唇で塞がれる。 今度はさっきより少し長いキス。目を伏せて、柔らかな唇の感触だけを感じていた。 ふわりと私の髪を撫ぜる細い指先も、背中をなぞっていく手の平も何もかも。 あぁ、言いくるめられちゃいそう。確かに現実じゃないと、この感覚は味わえない。 彼女がいて、私がいる、この世界。 「ふぁ……」 ようやく唇同士が離れ、視線が絡む。 どちらからともなく、自然に笑い合っていた。 「ねぇ。ネット恋愛とかいいと思わない?」 「はぇ……?」 紡がれた言葉は意外すぎて、私はきょとんとして問い返す。 「それとか、地球最後の日とか!考え始めると燃えるわね。ね、他に何か良いのない?」 あまりに楽しげに彼女が話すものだから、私も拍子抜けして笑い出していた。 こつんと、彼女の額を指先で小突く。 「今は私だけ見て欲しいのに。」 「見てるわよ。……おとぎ話も全部、この頭の中にあるんでしょ?」 こつんと、彼女は私の額を小突き返す。その言葉に少しだけ笑って、頷いた。 触れる指先も、彼女の笑顔も、そして彼女のおとぎ話も。 全ては彼女自身で、そんな彼女が大好きで。 ――あぁ、そうか。不安になることなんて少しもなかったのね。 彼女は私のおとぎ話に興味がなかったんじゃなくて、理解出来なかっただけ。 だからほら、こうやって分かち合えばこんなにも通じ合える。 「うん。一緒に作ろう。あなたと私だけの世界。」 そんな私の囁きに、彼女は一つ笑みを見せ、三度目のキスをくれた。 二人だけの時間。 二人だけの言葉。 紡いでいく、あなたと私、二人だけのおとぎ話。 ↑Back to Top |